「宋家の三姉妹」
監督 メイベル・チャン 香港 日本合作 1997年
製作総指揮 レイモンド・チョウ
衣装 ワダ・エミ
オリジナル音楽 喜多郎 ランディ・ミラー
キャスト
宋慶齢・・・ マギー・チャン 宋靄・・・ミシェール・ヨー 宋美齢・・・ヴィヴィアン・ウー
孫文・・・ウィンストン・チャオ 蒋介石・・・ウー・シングォ
【宋家の三姉妹】関係年表
1890年 長女・靄齢誕生
93年 次女・慶齢誕生
94年 日清戦争
97年 三女・美齢誕生
1905年 孫文総理就任
11年 辛亥革命
12年 清朝滅亡・中華民国成立 孫文、臨時総統に就任
13年 孫文、袁世凱に追われ、日本に亡命 慶齢帰国、日本で孫文の秘書に 靄齢(22歳) 孔祥煕と結婚
14年 第一次世界大戦勃発(〜18年)
15年 日本、中国に「二十一ヶ条要求」慶齢(22歳)、孫文と結婚
18年 宋三姉妹の父死去
19年 五・四運動 中国国民党結成
21年 中国共産党結成
25年 孫文(59歳)没
26年 国民革命軍北伐開始 蒋介石総司令に
27年 上海クーデター 慶齢、蒋介石と対立。モスクワからベルリンへ 美齢(30歳)蒋介石と結婚
28年 中国統一、南京に国民政府発足 蒋介石主席に
31年 満州事変始まる 宋三姉妹の母死去
36年 西安事件 蒋介石監禁される 美齢解決に努力
37年 日中戦争始まる
39年 第二次世界大戦勃発 三姉妹 抗日、難民救済で協力
41年 日本真珠湾攻撃、太平洋戦争始まる
45年 日本敗戦
46年 国共合作崩壊 内戦へ
48年 靄齢ニューヨークに移住
49年 中華人民共和国成立 慶齢副主席に就任
国民党台湾に渡る
50年 蒋介石 台湾の総統に
66年 文化大革命始まる
71年 中華人民共和国を国連承認 台湾脱退
75年 靄齢(84歳)没
蒋介石(87歳)没
81年 慶齢 名誉国家主席に就任(88歳)没
96年 台湾初の総統直接選挙実施
97年 香港返還
98年 美齢 101歳の誕生日を迎える
【あらすじ】
聖書の印刷で財をなした宋家の三姉妹の父、チャーリー宋は孫文と親友であり、孫文の革命を影ながら支持していた。荒波のごとく揺れ動いたその瞬間の中国の中心に立っていた、いや、動かしていた三姉妹の物語。長女、靄齢は銀行家孔祥煕と結婚し、次女慶齢は孫文と、三女美齢は蒋介石と結婚。
【印象に残った言葉】
ラストシーン ニューヨーク・美齢の家の庭
雨の中車椅子に乗った美齢の膝の上の新約聖書に浮かび上がった文字
「”革命とは愛である、愛もまた革命である”」
私個人の思想、共産主義が正しいとかそれとも民主主義か、孫文か蒋介石かは別にして、この映画では、孫文は命がけで革命を勧めようとした英雄で、それに相対して蒋介石は冷血な悪役のように描かれている。その象徴的なシーンがある。それはまるで、天安門事件を思い起こさせるような出来事だった。西安事件の直前、蒋介石が西安に向かう車を学生のデモ隊が抗日を訴えて取り囲み、その学生の一人が自身の体にガソリンをかけ火をつけて、蒋介石の車を追いかける。蒋介石はじっと顔を強ばらせ前を見続ける。
前述の言葉「革命とは愛である、愛も革命である」と書かれた聖書は、蒋介石の形見であり、また宋三姉妹の父の形見でもある。その言葉の通りなのかもしれない。革命には愛が必要で、愛がなければ革命は成さないのだと思う。だがしかし、革命の為に人の命が軽んじられては絶対にいけない。主義、思想を押し通すために、人の命を奪っていいはずはない。
21世紀までの残日数のカウントダウンが世界の大都市のあちらこちらで見られる。平和的に民主化を勧めようとしている偉大な女性がいる。一人の人をも殺すことを嫌い、しかも命がけで革命をおこそうとしている女性がいる。彼女の名はアウンサン・スーチー。宋三姉妹も平和を愛し、愛溢れる女性達だった。