「王国記」花村萬月
私はこの小説を悪く思わない。カトリックのいわゆる敬虔な信者が聖職者にこの小説を読んで欲しくないと思う気持ちは分からないではない。それでなくても、修道院、教会の神父、シスターの超高齢化が進んでいる。この不況で就職難の世の中だというのに、安定した職業である聖職者に就職を希望する若者がいないのである。その数少ない聖職者の卵にこのようなセンセーショナルな小説が目に触れてしまえば目の毒だと考える気持は分からないではないが、宗教とはそんな単純なものではない。
カトリックを信仰していると聞けば、敬虔なクリスチャンをイメージしてしまうところがあるのではないか。そして、そのイメージというものに自分自身も踊らされてはいないか。気がつけば、自分自身を省みるということを忘れる。他人の自己保身のための正当化を見抜くことをしても自分の愚かさには気付かない。「祈り」を自己満足の為に使ってはいないだろうか。イエスに十字架を背負わせて自分はスタスタと歩いてはいないだろうか。
洗礼はそれまでの罪を忘れることではなかったはずである。