マザー・テレサ 愛はかぎりなく(沖 守弘)

 

 1997年9月5日、マザー・テレサ死去。彼女の名前を知らないクリスチャンはいない。彼女の偉大さに感動して洗礼を受けた人も数知れないだろう。彼女について書かれた本も世界中に数え切れないほど出版されている。しかし、私は今まで一冊もそれを手にしたことはなかった。ただ、私の所属教会で行われた追悼ミサに列席したときのことはとてもよく覚えている。長い長い列の先、手と手を胸の前で合わせて歩んでいくと、沢山の花に囲まれた遺影の中のその人は、皺だらけの小さなお婆さんだった。

 私は愛したいと思い、愛し続けたいと思っていた。しかし、愛する人に愛されることの難しさを痛いほど感じたときに、この写真集を手にした。1ページ開いた途端、私はそのページから目を離すことが出来なかった。路上に横たわる女性とその赤ちゃん。疲れ切っているのか、眠っているのかとも取れない。何を思っているのだろう。同じ地球に生きる人間であることは、この女性と私と変わらないはずなのに、いったい何が違うのか。そうではなく、同じである。彼女はまだ生きている。写真集の中の人達は白い布に包まれた遺体以外は全て生きている人達である。腕のない赤ちゃんも病気の人もみんな生きている人達である。そして、シスターから愛され、慈しまれている。また、彼らもシスター達を愛している。

 人と人は交わらなければいけないと思う。交わりによって自分の存在を見いだすのではないか。「孤独だ」「誰からも愛されていない」「死んだっていい」という人がいる。「そんなことはない」「私はあなたを愛している」そう伝えることが出来たかというと、私自身、弱い気持になってしまった。

 マザー・テレサの最初の言葉として

「何もしなくてもいい。

 そこに苦しんでいる人がいることを

 知るだけでいいのです。」

と書かれている。この言葉に救われる思いがする。自分に何が出来るのか、何もできないのではないか、せめて祈りたいと思うのである。私は愛することをやめない。主の祈りを忘れない。

 

ANYWAY(でもとにかく)

人々は、道理にあわず、非論理的で、自己中心的になりがちです。

 

でもとにかく、彼らを愛しなさい。

 

たとえあなたがよいことをしても、人々はあなたを告発し、あなたを利己的な人だとか、秘められた野心を持つ人だとか言うでしょう。

 

でもとにかく、よいことをしなさい。

 

あなたの長い努力が生んだよい実りも、人に無視され、明日には忘れ去られるでしょう。

 

でもとにかく、よいことをしなさい。

 

誠実、正直であるために、あなたが傷つけられることもあるでしょう。

 

でもとにかく、誠実、正直でありなさい。

 

数年かけてこつこつと築きあげたものが、一夜にして崩れ去るかもしれません。

 

でもとにかく、築き上げていきなさい。

 

人々は本当に助けを必要としています。しかし実際に手助けをすると、責められることもあるでしょう。

 

でもとにかく、手助けをしなさい。

 

持ち物の中で一番良いものを人々に与えなさい。面と向かって苦情を言われるかもしれません。

でもとにかく、持ち物の中で、一番良いものを人々に与えなさい。

 

シシュ・ババン(聖なる子供の家)壁に書かれている言葉