「門」読書感想文

 

日付で言うと今日、夜中と明け方との境の時間のことだった。リチャード・クレイダーマンの寂しげな「美しいままで」を遮って、ふいに電話が鳴った。私は受話器を取ることを怖れなかった。それは、きっと大切な人からの電話であるに違いないと思ったからだ。東の空が白んで薄明るくなるまで、その人と明るい笑い声を交えながらいろいろな話をした。そして、今夜「門」の裏表紙を閉じて、その会話の中で心に留まっているものがある。

「恋に狂ったことがありますか?」と、問われて、私は柔らかく微笑んで

「いいえ、多分まだないと思います。」と答えた。叶わぬ恋をして、柱のカレンダーを見つめて逢えない日の中から逢えた日を探して切ない涙を流し、電話を枕元に置いて泣きながら眠りについた事もあるが、当時、自分自身に自信のなかった私は恋に狂う事ができなかった。誰かを傷つけてでも自分の想いを通したいと思えなかった。今、私はあの頃よりも自分に自信を持ち自分のことを好きになったが、もう叶わぬ恋はしないだろう。その電話の人は、

「誰にでも狂う時があるものですよ。」と、言った。

 宗助とお米は似た者夫婦である。おかしな表現だが、珍しい程に愛し合っている。それは同じ苦しみを共有しているからだろう。喜びよりも苦しみや悲しみなのだ。宗助は安井からお米を奪ったものの、多くのものを失った。誰の事も期待することもなく、願うことも祈ることもない。宗助もお米も自分にはその資格がないと思っている。そして、安井はもちろん、誰の事をも怖れている。愛するが故なのかも知れないが、宗助はお米の事も怖れているし、お米の方でも宗助の事を怖れている。二人の愛は揺るぎない永遠のものなのだろうと思う。彼らは生涯愛し合い、どちらかが先に死ねば、それこそ、残された方は神経衰弱になって死への道を歩むのではないかと思う。

 世間からも、親からも、親類も友達も大学も全ての人から後ろ指を指されて、宗助もお米も自分たちの犯してしまった罪を思い、世の中の全てにおいて無感動で無関心になってしまった。もし、二人にたった一人だけで良いから元気な赤ちゃんが産まれていれば、あんな風にはならなかったのかもしれない。どんなにか二人が待ちこがれていた赤ちゃんは、非情にも死産。

 タイトルの「門」とは、宗教の門だろう。宗助は寺の門をくぐったが、宗教の門はくぐらなかった。宗教の門をくぐるチャンスは目の前にあったのにである。それはまたとないようなとても大きなチャンスだったと思う。それなのに、宗助は、門の下まで来ておいて、いつまでも後込みするばかりだ。門をくぐる資格の無い者などいない。宗助もお米も、もう充分に償いをしたではないか。充分に苦しみ悲しんだはずだ。赤ちゃんはできないし、たった一足の靴を買う事にさえ躊躇するような暮らしぶりで、ひっそりと友達も作らずに暮らしている。安井の事があるまでは、宗助は、お金持ちのおぼっちゃま特有の楽天家で快活であった。お米もそんな宗助に惹かれたのかもしれない。結局、宗助が寺の門をくぐったことは、現実逃避でしかなかったのか。門をくぐれば罪が消えると思いがちかもしれないが、門をくぐったからといって、罪は罪として残るし、その罪を忘れてはいけない。罪を許すことが出来るのは、神だけであり、罪人は自分の罪を自分で許す事はできない。それでも、神から愛されたい、愛したいと思うから、許しを請うのだと思う。安井に許して欲しいと思うのならば、坂井宅を安井が訪れる時に安井と再会するべきだった。そして、許されるかどうかは別として、和解を申し出るべきだったのだと思う。ただ、宗助は安井を怖れるばかりだった。この夫婦のもとに、いつの日か、安井が満州で持病が悪化して病死、或いは時代の流れに翻弄されて戦死という噂が風の便りで聞こえてきたとしても、彼らがほっとするのは一瞬で、生涯今と変わりなく、崖の下の目立たないこじんまりとした家で時代の流れに無関心のまま陸の孤島のような生活を送り続けるのだろう。

 私は、この春の復活祭でカトリックの門をくぐった。私が初めて聖書を開いたのは、十五年前もだし、教会の扉を初めて開いたのも同時期だから、年貢の納め時と言える。だが、私は決して門をくぐって自分が偉くなったとは少しも思っていない。又、これまで生きてきた中で犯した大なり小なりの罪を償い終わったとも思っていない。門をくぐりさえすれば、誰かが背中の荷物を背負ってくれて、楽になる訳ではない。真に許された時に楽になる。門をくぐるということは、事あるごとに生き方を問いながら生きていく事だと思う。