小川国夫さんと花村萬月さんの対談を読んで

 

心斎橋の東急ハンズに少し遅れて、堂島にジュンク堂というとても大きな本屋さんができました。早速、出掛けてみました。それはちょっと小綺麗な図書館のようなところです。とても広い店内には所狭しと書棚があり、床から天井近くまで本がずらりと並んでいました。そして、窓際に小さなテーブルと椅子が置いてあり、そこで書棚の本の中から好きな本を選んで手にとって読むことが出来るのです。立ち読みならぬ、座り読みができるのです。

 私はたくさんの書棚と書棚の間をうろうろと見て回りながら、文芸雑誌の書棚でいくつかの文芸誌を手にとって、小川国夫さんと花村萬月さんの対談を見つけました。失礼かも知れませんが、私はこの二人の小説を読んだことはありません。時々、新聞紙上で名前を拝見する程度の知識しかありませんでした。まず、その対談のタイトルに興味を持ったのです。「神を信じるか」というようなタイトルだったと思います。

 それで、お二人のプロフィールを見ると、二人ともカトリック信者でした。小川さんは19歳の時、花村さんはカトリックの福祉施設に入っていた11歳のときだそうです。このお二人の神に対して、カトリックに対しての思いは微妙に違うようでした。ただ、似ているのは、今のカトリック教会に対して諸手をあげて賛同する事はないだろうということです。それは私も同じです。

 そして明らかに違うと思うのは、花村さんは「神を信じるか」の問いに、「神がいてもいなくても自分には関係ない」とはっきりと答えていたことでした。彼の洗礼は彼自身の意志によるではなかったそうです。その点、小川さんは19歳の時で少なくとも自分の意志によって洗礼を受けたようでした。

 私は「神を信じるか」と問われると、「はい」と答えるでしょう。小川さんは永遠を信じることだとも言われたと思います。世の中はいつも移り変わりゆく物、形ある物はどんなに強固なものでもいつかは消え失せてしまう物、でも、ひとつだけ永遠の物があると信じるのです。「神は愛なり」と言うけれど、その愛こそが儚い物のように愚かな人間はついつい思ってしまいますが、人間関係か希薄な現在だからこそ、もっと人と人との繋がりを広く、強くするべきなのではないかと思うのです。