「幸福な死」(アルベール・カミュ)
私がカミュを語ろうなどということは100年早いと叱られてしまいそうにも思うが、私は書きたくなったから書くのである。最初にカミュを読んだのは「異邦人」だった。その「異邦人」とこの「幸福な死」は繋がっている。読んでいくうちになんとなくムルソーを思い出した。
死と幸福、全く裏腹な言葉。愛と嫉妬。どんなに幸福に生きていてもいつかは死がやってくる。それが生きとし生ける物全ての掟である。人は愛するが故に嫉妬するのだろうか。嫉妬のない愛はないのだろうか。初めて嫉妬心を持った人間は創世記のエバだと思う。エバは初めて創られた女だった。そしてその嫉妬心は子供達に遺伝されていったのか。
恋をすると、ごく自然に相手のことを考える時間が長くなる。逢えない時間をもどかしいと思う。逢えない時間が長ければ長いほど、想像が妄想に変わっていく。しかし、愛であれば、想像は妄想に変わらないのではないかと思う。相手を信頼しているからである。信じることが出来ると言うことは、安らぎであり、穏やかな気持ちにしてくれる。心を平安にしてくれるのである。
「生きることは闘いだ!」と若い女優がドラマの中で唾を飛ばして叫んでいた。実際、そうなのだろうと思う。いくら生きたいと思っても死は確実にやってくるのだから、生きることは闘いだと思わずにはいられない時がある。理論的には深く理解しているつもりでも、老いと病によって死を目の前にしてしまえば、怖じ気づくし恐怖感で一杯になる。まだ、やりたいことが残っていると、生へのどうしようもない未練が湧いてくる。それでも、自分ではどうすることのできない力によってやってくるのが死なのである。それは自分に委ねられたものではない。
私は、カミュが好きである。最初はもちろん、裏表紙の顔写真が好みのタイプだったことが第一理由であったが、今は違う。