「反復」(キェルケゴール)を読んだ後で

 

 反復とは絶えることなく繰り返すことであり、寄せては返す波のようなもの。嵐が来てもやがてそれは静まりまた前と同じように、ざわわわ、ざわわわと波音を立てる。反復の愛とは絶え間なく衰えることのない物、永遠であると思う。私はそれまで、永遠というものに半信半疑だった。自分自身もそうだし、誰でも半信半疑なのだと思っていた。でも、今は永遠というものが確かにあると思う。私の中に永遠の物があると確かに思うことができる。それは決してゆるぎないもの。であるからこそ、私は安心できる。また幸せである。心がとても穏やかで安定している。不安がない。半信半疑ではなく、全てを信じているからである。この愛するという幸福な想いはどこにも動かないと思っている。何故なら、私は愛するということが好きなのである。

 ただ、キェルケゴールがレギーネとの婚約を何故破棄してしまったのかと考えたとき、私は不安になった。それはレギーネがキェルケゴールを深く愛しすぎてしまったからではないかと思ったからである。この婚約破棄は永遠の謎と言われているものであるから、そう簡単には謎を解き明かすことはできないとは思うが、レギーネが若い女性でキェルケゴールが男であることには変わらないわけで、男と女のことは1世紀でも20世紀でもあまり変わらないのではないかと思う。深く愛しすぎたが為に恋が成就されないとしたら、どんなに悲しいか。でも、キェルケゴールは彼女が他の男性と結婚した後も彼女のことを愛していただろうと思われる。だったら何故、婚約破棄したのかと謎は深まる。私はレギーネになりたくない。

 私は愛を信じる。反復は夢物語ではなく、現実の物であると信じる。そして、それは何もかも全てが幸せに思えるもので、もっともっと沢山の人、あらゆる人さえも愛したいと思える。今までに想像し得なかったとても豊かな気持ちなのである。