「ホームレスになりたくない」を読んで

 

 この本は神父さんから貰いました。この本は、教会の入り口や司祭館の玄関に置いてありました。そう、誰でも手にとって読んで良いという感じの物でした。でも、私は神父さんから手渡されるまで、正直なところそれを読んでみる気分になれませんでした。

 大阪市内のホームレスは公の数字で8600人、噂ではもう一万人いるのではないかとも言われています。バブルの崩壊後、不景気が続き徐々に増え続け、今では全国からホームレスの人達が大阪に集まってきたのではないかとさえ言われています。これはもう、大阪市という地方自治体だけの問題ではなく、大きな社会問題になっています。この事について、目を背けてはいけないことだと分かっていても、とても深刻な問題でどうしたらいいのかわからず私は思考停止状態でした。

 「ホームレスになりたくない」が書かれたのは3年前です。今はホームレスの人の人数が多く、一言でホームレスと言ってもいろいろな人達がいると聞きます。この本に出てくるホームレスの人達は、日雇い労働者として何十年と働いてきて、不景気ととも高齢となり、雇ってもらえなくなった人達。仕事さえあればすぐに仕事がしたいという強い労働意欲のある人か、働きたいがもう既に体力的に無理で病気がちで入退院を繰り返している人でした。また、彼らの中には兵役に就いた人もいました。年金で悠々自適に暮らしているお年寄りも多い今の日本で何故これほどに貧富の差があるのでしょうか。「ホームレスになったのはその人の責任だ」と思っている人もいるでしょう。でも、私はこの本を読んで、聖書の中に出てくる放蕩息子の話を思い浮かべました。

 どんな人の命も尊いものです。何にも替えられません。凍え死んではいけません。生存権があるはずです。公園のテントを排除しさえすれば、問題が解決するというものでは決してないのです。また、100個のおにぎりを配ればいいというものでもないのです。仕事の出来る人には仕事を、高齢で障害を持っている人は福祉施設へ、また病気の人には医療を。私の単純な頭で考えるには、ホームレスの人の仕事として、公園の整備や清掃、リサイクル活動など出来る公共の仕事があるのではないかと思うのですが・・・。これは、私個人が漠然と考えたことなので、熟考が必要かと思います。

 放蕩息子のお話のように・・・・。