「最初の人間」 アルベール・カミュ(大久保敏彦訳)

 

 これはアルベール・カミュの遺作である。不慮の事故で亡くなったカミュ死後、彼の鞄から発見された手書き原稿を出版したものである。その為、物語を読みとりにくい印象を持つ。しかし、カミュ自身の自分探しでもあるところが非常に興味深い。

 人は皆、一人一人がその人の人生の主人公であり、最初で最後の人間であると思う。もし、将来、私のDNAから私のクローン人間が作られたとしても、身体は私でも心まで同じ人間となるだろうか?アルベール・カミュその人のルーツ、その少年時代の愛の原風景はその人だけのものであり、他の誰とも共通するものではないだろう。誰とも違うということである。人とは違うということは、人を孤独にさせる。しかし、神は孤独の傍らに愛を置いて下さる。

 「異邦人」の主人公ムルソーを作者カミュと等しいと考えて、カミュを無神論者とする人がいるかもしれないが、私はカミュは神を意識し、イエスと向き合って生きていたのではないかと思う。その証しがこの「最初の人間」ではないかと思う。

 人は2000年前も、それよりももっと大昔も相変わらず出来損ないのところがあり、その為にある日突然、愛する人、築き上げた富や名誉を喪失することがある。そして、そんな時、出来損ないのために神を見失いそうなる。また、自分を見失う。絶望に陥ったときも神はその人を愛している。どんな時にも絶えず愛されているのである。しかし、信仰を持つということは神からの愛を認めるということ、自己の存在を肯定することから始まる。人を裁くこと、自分を裁くところには信仰は存在しない。神は自己分析、自己見知、自己開示を人に勧めるが、自虐は決して望まれてはいない。

 この「最初の人間」によって、私は新しいカミュの一面を見た気がした。そして、ますます好きになった。まさにカミュの時代の絶頂期に、カミュが不慮の事故により亡くなってしまったことが非常に残念でならない。