「外套と青空」(坂口安吾)を読んだ後で

 

 北原白秋の二番目の奥さんの章子さんを思い出した。本能のまま、思うがままに恋をした女性。私と彼女はどう違うのだろう。何故違うのか。彼女の人生はその幼少の頃から最期の時まで、切なさ、淋しさがいっぱいだった。彼女のことを本気で愛した男達は何人もいたはずなのに。でも、彼女は満たされなかったのだろうか。

 私は今まで何人の男性から本気で愛されたのだろうか。この疑問にはっきりした答えを出すことが出来ない。そんな自信がない。男性から愛された事がないわけではないと思うけれど、はっきりした数字を出すことはできない。人生の先輩は言う。一生のうちで本当に愛した人、忘れられない人はたった一人だけだと。

 巷では、出会ったその日にSEXをする人達がいる。私は何故そうしないのか。肉欲を考えれば、それは決して悪いことでもなんでもない。男友達がいつだったか、「男はSEXをしてから、恋愛感情が湧く」と言った。そうかもしれない。でも、私は呼び止められたぐらいでは、その人とSEXをしたいと思うことは出来ない。SEXが恋愛より先行した恋は儚く切ない。刹那的で、辛い。

 安吾は書いている。「愛情は常に死ぬためにあるのではなく生きるために努力されねばならないこと、死を純粋と見るのは間違いで、生き抜くことの複雑さ不純さ自体が純粋ですらあること」去年1年間、渡辺淳一の不倫物の映画、ドラマ、その関連の流行歌がもてはやされた。人間は、複雑でシロかクロかとかでも、灰色かとかマーブルかとかでも、簡単な物ではない。そうなのだけれど、灰色が本当の愛なわけでも、マーブルが本当の愛でもないと思う。本当の愛はどこに行くのか方向が見えるし、夢見ている。

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