A adieu. ma jeunesse.

   月を追いかけて

 

日没

腕時計を忘れた僕にも時間がわかる。

多分 僕は4時半ごろからこの浜辺にいる。

それからずっとテトラポットの上に ただじっと座っていた僕は

波を煌めかせる月をみつけて

走り出したくなった。

時がどんなに駆け足をしても

忘れられない哀しみがある。

繕うことのできない心の綻び

 

息切れは僕の生の証し

この息を止めることはできても

走れども走れども

月を止めることはできない。

蒼い月は

蹲る僕に手を振っているよう

ふと手に触れた貝殻を波に向かって投げる。

この波も僕は止めることはできない。

僕の思うままになるのは

僕自身だけだと

月が答えてくれているようで

 

 

 

  雲のまにまに

 

雲のまにまに思う

 

男は愛していると嘘をつき

それはいくつかの過ち

愛していないと嘘をつく

それはいくつかの真実

消えた時間のために

幸せを絵に描けない

赤紫色の雲が黙って流れていく

午前5時

 

雲のまにまに思う

 

恋していないといけないの?

いくつかの疑問

恋しないとダメなの?

いくつかの否定

時間を追いかけて

涙した日に追いついて

私は黙っている

赤紫色の雲のように

午前5時10分

 

雲のまにまに思う

 

 

 

   「これは奉仕なんだよ」

 

プライドが傷つくことよりも

ただ憐れみがほしかった。

俯く瞳

立ち止まる足

手の届かぬ胸

目の前にあると思っていた「  」

拭ったハンカチにマスカラ

後ろ手にされた言葉

汚れた時間

足元で砕けたワイングラス

背中を孤独が突き飛ばす

声の漏れる溜め息

触れるものの無意味さ

日が暮れていくことを告げるクラクション

カーテンの隙間から視線

明日が盲目になる

 

もう プライドが傷つくよりも

声にならない声は胸にしまって

もう何も見えない

瞳は交わらない

赤裸々な唇は乾ききった。

ただ ただ 憐れみが欲しかったから

 

 

 

   夏の影

 

告白は秋の始まり

限りない胸の高鳴りを信じて

止めどもなく溢れる涙を信じて

非現実的な夢ではないと信じて

軽くもなく、重くもなく

ピーチゼリーのように柔らかな想い

それでも 夏の影は短く

 

告白は秋の始まり

人形になろうとした私を愚かだと思って

恋の計算のできない私を愚図だと思って

ただの夢見る少女だと思って

赤くもなく、白くもなく

グレープジュースのように甘い想い

それでも 夏の影は短く

 

告白は秋の始まり

見つめることができないのは恥じらいのせい

声を出せないのは誘惑が恐いから

想いが通じないのは突拍子もなく不器用だから

ザラザラでもなく、サラサラでもなく

星の砂のように小さな想い

それでも 夏の影は短く

 

 

   あれから2年5ヶ月たちました

 

人に話せば

これを想い出と言うのでしょうか

飲み干したワイングラスをテーブルに置いた瞬間

瞼を開くとあなたの切ない顔があった。

触れあう頬と頬

擦れあう髪と髪

この両手広げて

全て

何もかも

欲しいと思った。

 

人に話せば

これをお伽話と言うのでしょうか

王様が頭の上の冠を置いて城を去った瞬間

シンデレラのドレスはつぎはぎだらけの古着に変わり

流れる涙と言葉

離れる心と瞳

この胸いっぱい

北風が吹き荒れて

二度と息吹くことがないようで

過ぎていく月日が恨めしくて

 

あれから2年5ヶ月たちました。

時を止められなかった人達

フロイトに嘲笑され

ニーチェに軽蔑されても

カストールのようにドレスは着ないと決めました。

 

 

 

   非常灯点滅

 

西の空が仄かに明るくなった頃

南に虹を見つけた。

 

マリ子はオードトワレを

むき出した太股に吹きかけて

さっきついた溜め息を思い出す。

そして、また 胸の中で溜め息をつく。

 

肩にのった負荷は誰のせいでもない。

窓から身を乗り出して

両腕を空に向ければ

抜けていく力の重みは止められない。

 

マリ子は消えていく虹を見つめながら

爪先にオードトワレをぬりこむ

吸い込んだ息よりも多く

吐き出す習慣である。

 

 

 

   初霜

 

もう嘘はいらない。

暖かい嘘の結晶は透き通っていなくて

頬紅色の涙でさえもとけない。

 

萩色のストールをうなじに巻き付けて

肩をすぼめて歩き始める。

霜柱はザクリと音をたてて砕ける。

私が踏んだ物

踏みしめた物

両掌にのせて

胸の内に秘め事

朝露の恋人

ススキの野原

白い風の河原

 

立ち止まった私が今の私

 

 

 

   曼珠沙華

 

今年も首をもたげた稲穂達に囲まれたその容姿は

背筋をぴしりと伸ばして

燃えるような赤い羽衣を天に向けて広げている。

秋の雨に濡れた畦道にはトンボも隠れ宿

 

あと1ヶ月もすれば四方の山々が錦に染まる。

曼珠沙華

いにしえの赤に目を奪われる今

曼珠沙華

教えて下さい

私は時を捨てていませんか?

 

 

   黄昏

 

丸めた背中とワンカップ

夕暮れのいつものこと

思い出したときには ふうっと溜め息をつくから

その背中を少しの間だけ貸してね。

 

いつもいつも走ってきたつもりなの。

目に見えるものを追いかけてきた。

捕まえたものは確かにあるけれど、

ふうっと、ちいっぽけに見えてしまうの。

 

母さんは孫の土産を買った後

遠目で父さんを見ていた。

その横顔をふうっと思い出すときがある。

そんな時には 何も言わないで

少しの間だけその胸を貸してね。

溢れる涙を止めたくない瞬間があるの。