99’Septembre

 

99’9.29(金)晴れ

 聖書に「裁くな」とあるけれど、人は時に知らず知らずのうちに人を裁いてしまっていることに気づくわけで、その時にこの言葉を思い出す。でも、白か黒か、正しいか正しくないかということを意志表示することは裁くこととは違うことで、それを毅然とした態度というのだと思う。私にはそれが欠けていると思うからこそ、白洲ご夫妻に憧れる。

 


 

99’9.28(火)晴れ

 内緒だけど、夕べは少し飲み過ぎました。ちょっと今日は反省。お猿の太郎くんだったか、次郎君だったか・・・そんな感じです。でも、二日酔いにはならないのです。肝臓が丈夫なのか、目が覚めるとすっきりとしていました。

 


99’9.25(土)晴れ

祝 ダイエーホークス優勝!近くのスーパーが安売りするので嬉しいのです。日本シリーズも勝って欲しいです。ダイエーにどんどん頑張って欲しいです。

詩を書きかけて気に入らなくなってやめてしまいました。悶々としています。

 


99’9.24(金)曇り

台風がやった来たら大変、大変。目が覚めてシャワーを浴びたら、ベランダを片付けました。手袋をしていたとはいえ、次第に手も足も泥んこまみれになりました。結局、シャワーを浴びなおしました。でも、お陰でベランダが少しはきれいになったかな。昨日買ったプランターラックにプランターを乗せて最後に水やりをしたら、斜めになったプランターの土が土砂崩れのごとくこぼれるのです。あらあらあらと言う間もなく、ベランダは又もや汚れてしまったのでした。(^_^)


99’9.23(木)曇り

明日台風というお客さんが来るらしいです。ベランダからやってくるのはやめて欲しいです。というのは、ダイエー系列のお店は優勝目前でそろそろ安売りをやっていて、その中のホームセンターに仕事の帰りに立ち寄ったら、パンジーや球根だけならまだしも、プランターラックまで衝動買いしてしまいました。そのプランターラックはちょうど在庫が切れていて現物しかありませんでした。私は組立が苦手であることを自覚しているので、少し傷がついていたけど、組み立てて飾られていたプランターラックを自転車の荷台に乗せて持って帰ったのでした。

 それでなくてもうちのベランダはジャングルと化しているのに、これ以上プランターラックを増やすと言うことは、もっと大変なことになるのです。でも、買ってしまった物はしょうがないわけで、植木鉢をひっくり返しながらどうにかこうにかベランダにプランターラックを押し込みました。明日、台風が来る前に、ベランダを片付けなければいけません。

 


99’9.22(水)雨のち晴れ

今は雨が降っていないので、お洗濯をしました。雨が降ると予定がガラリと狂ってしまうのです。たかが雨なのにね。雨でも出掛けるときは出掛けるけど、雨が降ると困ることもあるのです。

 


99’9.21(雨)

 雨が降らなかったら行きたいところがあったのに、雨が降り出したから行くのをやめました。洗濯物も乾かないと困るのです。もう少しキェルケゴールを読むことにしました。

 


99’9.19(日)晴れ

 仕事を早めに切り上げて一度うちに帰って悩みながらもお腹に食物を詰め込んで、だるさを感じながらも自転車に乗って○橋まで出掛けました。近道をするつもりで国道から脇道に入ってまっすぐ走っていくと、繁華街なんだけど次第に道が狭くなっていきます。依然通ったことのある道と違うことに薄々気づきながらも走り続けると、見るからにおパンツがおパンツの機能を果たしていませんってな感じにおみ足を出したお姉さんがゾロゾロと立っている路地に出てきて、それでもまっすぐ走り続けて、出てきたところは最初の国道だったのでした。狸に化かされたみたいでした。

 


99’9.18(土)晴れ

サボテンをひっくり返してしまいました。カーペットの上に小さな砂が散らばりました。これをきれいに掃除するのはちょっと至難の業です。でも、お陰でサボテンが元気だということが分かりました。サボテンは日々の成長があまり目に見えないから、半分くらい死んじゃっているんじゃないかと思うことがありました。

 


99’9.16(木)くもり

 職場を出たのは9時半すぎていました。明るいときにりんどうの花の写真をデジカメで撮ってhpに載せようと思っているのですが、明日も明後日も明るいうちに帰ることができません。

 


99’9.15(水)雨のち晴れ

 台風16号の被害は、ベランダのエアコンの室外機の上に置いていた植木鉢が強風にあおられて落ちていたことのみでした。神戸に上陸したとニュースで言っていた頃、こちらはもう雨も止んでいました。2時からインドネシアの東ティモールの平和を祈る集いがあり、森ノ宮まで行きました。連絡先の署名ノートに住所・氏名などを記入し、明日インドネシア領事館に持っていくという「東ティモールに平和」と書かれた横断幕に署名をしました。今回の虐殺で犠牲になった神父さんやキリスト教徒だけでなく、全ての人達のための追悼のミサでした。

 


99’9.14(火)晴れ

 明日、海に行く予定でした。昨日、ダイビングショップにフィンやウェットスーツなどの荷物を持っていき、代金を払って最終打ち合わせをしたところでした。インストラクターさんの話では、昨日のツアーは南部の海の状態はあまりよくなくて南部を断念して白崎で潜ったとのことでした。海の状態が微妙なので、今日の段階で無理だろうと判断した場合、今夜8時以降に電話をくれるけど、当日南部がダメでも他の場所で潜ることが出来る場合もあるから、一応、大丈夫であれば明日の朝7時にお店に集合する予定でした。

 それが、夕方の天気予報を見ると台風が宮崎に上陸していました。昨日まで熱帯低気圧だったのが、台風に変わったのでした。近畿地方にも大雨や強風、波浪などの注意報、警報がでていました。無理かもしれない、もう無理だと言って欲しいと思いながらもインストラクターさんからの電話を待ちました。夜9時前に電話が鳴り、案の定今回は中止となりました。楽しみにしていたけど、コンディションの悪いときに潜りたくはなかったからホッとしたのでした。

 


 

99’9.13(月)

 最近、とてもお安くお酒を飲ませてくれるお店をみつけてとても嬉しいのです。


99’9.12(日)晴れ

 2泊3日でレクリエーションの研修に行って来ました。とても楽しく勉強でき、参加して良かったと思いました。定員50人で48人の参加で、うち初参加者が19人。福祉の学生が約3割ぐらいで、残りの社会人の中の半分以上が大阪府警の団体で、私を含めた後の残りが福祉関係の現場で働いている人でした。開校式の後、部屋で運動着に着替えて気がつくと、私の短パンが学生達がはいているのと全く同じだったために、後で他の人達から「学生?」と質問されたのでした。もちろん、笑顔で「違います」と答えたのです。お巡りさんというと、「こち亀」を思い浮かべますが、両さんが沢山いました。

 


99’9月9日(木)晴れ

 今日も仕事で遅くなり、また帰ってから仕事がらみの電話をするのです。昨日は仕事がらみのメールなんかもしてました。それにしても、私は会議の司会なんぞは苦手かもしれません。明日から2日間家をあけます。今回は恐竜もどきを持っていかない変わりに文庫本を持って行くつもりです。

 


99’9月8日(水)晴れ

 ここのところ、私は仕事を家に持ち帰るのが習慣になりつつあります。仕事のことで頭が一杯です。でも、まだ月曜日の嬉しい気持ちを思い出すとワクワクです。

 


99’9.6雨また曇り雨

今日はとってもとっても素敵なことがありました。あんまりにも素敵すぎてこの余韻を楽しみたくて詳しくはまた今度書くのです。

 


99’9.5(日)晴れ

 献血車に乗りました。いつも車の外でジュースをもらって立ち去らなければならないのに、今日は車の中まで入ることが出来ました。看護婦さんに書類を渡してベッドに靴をはいたまま横になりました。そして、看護婦さんは私の右手の肘の血管を捜すのです。穴の奥が見えそうなぐらい太い針を何処に刺そうかとねらいをさだめてブスッ。ちょっと痛かった。看護婦さんは私の場合200mlしか献血できないと言い、それ用の透明パックを針についた管に取り付けました。私の血が10p×14cmぐらいのパックいっぱいに抜かれてしまうのかと思うと少し不安に思いました。それが、私の血はのろまであまり血管から出ないのです。出血が遅いと入り口あたりで血が固まってくるそうです。私の後に車に乗車した人ももう終わろうとしているというのに、私の血はなかなか出なくて、度々看護婦さんはパックを縦にして出血を確かめていましたが、結局途中で針を抜くことになりました。針を抜くと針の先から赤い糸がでていました。これは縁結びの糸ではなく、(当たり前だけど)血が固まってきて糸になったのだそうです。献血すると血液中の鉄分がまた減ってしまうののかとも思っていたけど、その心配は全く必要ありません。私の体内から出た血はたったの50〜70mlでした。それでも、献血カードをもらいました。冷たいジュースももらってポリ袋に手みやげまでもらいました。これでは、赤十字に損させたのではないかと思ってしまいました。200mlには少しも足りなかったのに、献血カードの記録には200ml献血したことになるそうです。

 


99’9月4日(土)雨のち晴れ

 ちょっとだけ内緒だけど、ある物を水面に投げて三段跳びができて嬉しかったのです。他の子にも教えて遊んでしまいました。3人だけの秘密です。

 


9月3日(金)

 昨日のPHSは、ちゃんと充電器に立ててあった。

 真っ暗な中、更衣室の扉を開けるのは少し恐い。もし、誰かが潜んでいたらどうしようかと思う。

 


 

99’9.2

 私は時々記憶が途切れてしまったのではないかと思う時があります。「物忘れ」とも言うのかもしれませんが、それがあまりにも見事すぎて、まさにアンビリーバボーなのです。 仕事から帰って制服を洗濯しようとネットの中に入れようとしていて、ふっと思い出しました。私は職場を後にする前に勤め先のPHSを返したかなと。私がロッカールームで着替えている時にポケットの中のPHSを見つけました。PHSを返すのを忘れていたことに気づいて、後で忘れずに返さないといけないと思いました。それが、制服をたたんで袋に入れていてまた制服のポケットからポロリとPHSを落として、「あっ」と慌てて拾いました。それから絶対にPHSを返し忘れないようにと手に握って消灯されて暗い中をエレベーターで1階に降りたのでした。それから、裏口から外へ出たのは覚えているのだけど、PHSをどうしたのか覚えていないのです。ただ、確実なことは、PHSを家に持って帰ってはいないということです。では、返して帰ったのかもしれないけれど、どこに置いたのか、充電器に立てたのかどうか?ちょっと不安です。まっ明日は私一人で早く出勤することになっているから、真っ先にPHSの所在を確かめるつもりです。

 

 

 


 

9月1日

今日から「日記」のようなものを書くことにしました。「のようなもの」とはどういうことかというと、私の性格からして毎日継続させることは無理だと思って最初から諦めている為と、日記というほどのかたぐるしい物ではないものにするつもりだからです。

 

 よく行く喫茶店を出たところ、喫茶店の前にワゴン車が停まり、10歳くらいの男の子と7歳くらいの女の子とその父親らしき男の人が降りてきました。その子供達は二人ともぷくぷくとしていてまさに健康優良児でした。「ええか、2個ずつ入れてもらうねんで」という父の声を背に男の子を前にして女の子が1歩後ろを歩いていきました。私は「こんなにもよく似た親子でお父さんも嬉しいだろうなぁ」などと思いつつ兄弟を目で追っていました。そして、ケーキ屋さんの前を通ると、明るくて華やかなお店の中を一瞬だけついつい覗いてしまっていました。そして、またその兄弟の方に目をやると、お兄ちゃんの方は半ズボンの下から見える両足の真ん中が開いて、サンダルをカタンカタンといわせてまっすぐに前を見て歩いていました。少し、自分の子供の頃を思い出しました。と、その時「お前らどこまで行ってんねん」と、お父さんの声がしました。

「ああ通り過ぎたぁ」とお兄ちゃん。やっぱりあそこに行くんだったんだ。