18切符 98’(前編) 

 

  

 私は黒い旅行鞄を肩にかけて紺色の空を見上げた。私鉄電車の駅までの道、一組の若いカップルと新聞配達の自転車とすれ違っただけだったが、改札を通ってホームに上がってみると、ラッシュ時に比べれば閑古鳥だけど思っていたよりも多くの人達が電車を待っていた。暗闇の中から電車の小さなライトが見えてくると、明るい時間と同じように電車の到着を知らせる音楽が流れてきた。電車のドアが開いて二度びっくり。まだ5時16分だというのに、私の座る席がないのだ。こんな朝早くから仕事に出かける人のなんと多いこと。ドアのすぐ側の手すりに半分もたれるようにして立っていると、おばちゃんグループの中の一人のいかにも人の良さそうなおばちゃんが、私の立っているところのすぐ側に座っているおばちゃんに「こっちに座り、そしたらお姉ちゃんが座れるやろ。」と言い、そう声をかけられたおばちゃんは言われたとおり、席を移動し、おばちゃん達はお尻を寄せ合って詰めて座り、私の座るスペースを開けてくれた。JRに乗り換えの駅まで2駅、時間にしても5分もかからない。立っていても構わないと思っていた私は、少し照れくさそうに微笑んで前の席のおばちゃん達にお礼の言葉を口にした。

 

 私鉄電車からJRに乗り換えて、JR大阪駅6:03発の快速電車に乗った。残念ながらその日の空は灰色の雲が覆い尽くしていて、「春はあけぼの・・・」という訳にはいかなかった。電車に乗るとボックス型の席の窓側に陣取った私は、すぐに今回の旅行中に読もうと決めていたドストエフスキーの長編小説「虐げられた人びと」の文庫本を鞄の中から取り出して、着ていたコートを脱いで二つ折りにして膝の上に掛けて座った。1ページ、2ページと文字を追ったが、昨日の会議の事が頭にちらついて小説と重なり合い、ストーリーを追うことが出来なかった。いくら考えても仕様のないことと窓の外に目をやった。

 

 18切符の特徴はこの車窓の景色の動くスピードにある。徒歩、自転車、バイク、車、新幹線、そのスピードによって同じ景色でも目に付く物が全く違う。速いスピードでは見落としてしまう物が遅いスピードによって、素晴らしい物、美しい物として瞳にまっすぐに飛び込んでくる。不思議な方程式だけど、実に単純なもので、それに気がついた時私は、速さばかりを競う乗り物にはもう魅力を感じなくなってしまった。非日常を旅行に求めるのなら、旅行の日の朝から全て何もかもが非日常であって欲しいと思う。いつもよりもずっと早くに起きること、電車に乗ること、そしておばちゃんに席を開けてもらうこと、初めて逢う人と肩を寄せ合って座り同じ車窓を見ること。普通電車なので、同じ電車に乗る人のほとんどが通勤、通学に日々日常その電車を利用しているに違いないわけでその人達の中に、普段全くその電車に乗ることすらない私がいる。その事を思うだけで、孤独感を楽しむことが出来る。

               

 

 一日目のメインイベントは、大井川鉄道のSLに乗ること。別に私はSLマニアでも鉄道マニアでもない。そんな私が大井川鉄道(通称 大鉄)の存在を知ったのは、旅行の1ヶ月くらい前の日経新聞の夕刊の文化面の大井川の記事だった。

 

 私の思春期を過ごした家が川のすぐそばにあったこともあり、海よりも川の方がどちらかというと、親近感を持つ。幼友達の家もやはり川が近く、夏には水着の上にTシャツを着て友達の家に遊びに行ったり、男友達とは川縁でフナやボンコやハエを釣ったり、田螺を小さなバケツ一杯に集めたりした。大井川の周辺を紹介した新聞記事を読んで、今では遠い記憶になってしまった故郷を懐かしく思い出した。

 この大井川の上流は南アルプスにある。そして、大井川鉄道は大井川の下流の金谷駅から千頭駅まで、時間にすると約1時間の短い鉄道である。

金谷町情報 http://www.chabashira.co.jp/~dperie/

 

 お昼過ぎにJR金谷駅に到着。大阪では曇り空だったが、東へ上るにつれて次第に天気が回復していった。SLはこの時期は一日に1往復のみ、上りのSLにはどう乗り換えても間に合わず、上りは普通電車で行き、下りにSLに乗ることにした。大鉄の金谷駅は、「のんびり」とか、「ほのぼの」とか、「のどか」という修飾語がぴったりだった。掲げられた時刻表を見上げて上り電車の発車時間を確かめると、少し古めかしいタイプの券売機に千円札を挿入した。お札の挿入口にするすると千円札が券売機の中に吸い込まれていったと思ったら、またするすると出てきてしまった。私は首を傾げてもう一度同じ千円札を挿入するがやはり同じ事の繰り返しだった。その様子を見ていた売店のおばちゃんが駅員さんから買う事を勧めてくれた。おばちゃんと私はどう見ても初対面、又、私が大きな旅行鞄を持っているところを見れば、この地の人ではなく旅行者であることが一目瞭然だったと思う。売店のおばちゃんには私は非日常的な人なのであり、私にはおばちゃんが非日常的な人なのである。その非日常的な私に、親切心から声を掛けてくれたおばちゃんの小さな親切に暖かいものを感じ嬉しく思う。私は、改札の窓口で下りはSLを予約してあることを告げて往復乗車券とSLの乗車券を購入した。

 

 上り電車が到着すると、私は一番前の車両に乗った。ドアが開いて驚いた。大鉄の普通電車はなんと、ワンマン電車だった。ワンマンバスには子供の頃から乗り慣れているけれど、ワンマン電車は初体験だった。車両の中の前方の両側の横椅子と横椅子との真ん中に、ワンマンバスに置いてあるのと同じ両替機兼運賃払い機が置いてあり、ドアの側には整理券を配る機械もあり、前方の上の方には電子掲示板の運賃表もある。まさに、ワンマンバスがワンマン電車になっているのである。普段、普通電車はこの地方の人達の足代わりになっているのだろう。中高生、おばちゃん、おばあちゃん、おじいちゃんを乗せて、懐メロ電車はゴトッゴトッと走り出した。

 

 私の住んでいる街の電車の車窓から見えるのは、ビルとマンションとマッチ箱のような家々と工場、奇抜なありとあらゆる色のネオンサイン、澱んだ川、鼠色の壁、・・・・。この大鉄の場合は、当たり前のことだけど、それが全く違っている。まずは、美しい緑の山々、私が子供の頃に遊んだ川よりも美しいと思った大井川が窓の下を流れている。私にとって、非日常的な美しい景色ばかりが目に飛び込んでくる。この大鉄の沿線は桜の名所の一つだそうで、あともう1週間遅かったら、窓から手を伸ばせば届きそうなところにピンクの桜が咲き乱れていたことだろう。また、五月の端午の節句の頃には、大井川の上を何十匹(?)もの鯉のぼりが元気良く泳ぐそうだ。秋には美しい紅葉を想像することは容易な事だと思う。

 

 上りの普通電車は5分も経たないうちに次々と駅に止まり、大井川の上流へとゴトゴトと走る。終点の千頭駅に到着。駅のすぐ隣に小さなSL資料館があり、早速覗いてみた。まず壁一面の芸能人のモノクロ写真とサイン色紙、お決まりのSLの模型。マニアの人には涙が出るほどに嬉しい物なのだろうが、私は一通り見終わると記念スタンプも押さずに出てしまった。その後、その資料館の2階で簡単に昼食を済ませ、また千頭駅に戻った。売店のお土産物にも興味を持てなかった私は、すぐに改札を通った。何故なら、駅のホームに既にSLが停まっていたからだ。そして、鞄からデジカメを取り出すとバチバチと取り始めた。すると、大鉄の乗務員さんが、暖かい訛のある言葉で「撮ってあげるから、そこ(運転席)に乗り」というような事を言ってくれた。私は予想もしていなかった言葉に驚き、戸惑い、躊躇もしたけれど、折角の機会、初めての体験、嬉しい親切を思い、笑顔で持っていたデジカメを乗務員さんに手渡した。私のデジカメは小さいタイプで高価なものに比べれば機能も劣っている為、最初扱い方がわかりにくいようで、申し訳なかったが、運転席の窓からにっこり笑っている私の写真をきれいに(?)撮ってくれた。その後も、SLの車輪や煙を吐く所等の写真を数枚撮影した。もっと大きなカメラを持った人達がSLと乗務員さんを撮影していた。それは、偶然にもNHK静岡の人達だった。何処から来たとか、hpを作るつもりだとかというような会話を交わした。全てが印象的だった。

平日とはいえ、春休みということもあり、鉄道マニアよりも沢山の家族連れで賑わっていました。

SLのコックピットの中です

ものすごい迫力でした!

大鉄の乗務員のおじさん達は、みんなサービス精神旺盛で、私がデジカメでSLを撮影していると

「撮ってあげるから、そこに乗り」(暖かい静岡訛で)というような言葉を掛けてくれて、SLのコック

ピットの窓から顔を出した私を撮ってくれました。その写真は大事にFDに保存してあります。

 

 

 SLで金谷駅についた私は、JRに乗り換えて一路、東へと向かう。次なる目的地は箱根温泉の民宿である。温泉というと、白浜、皆生、湯郷など西日本の温泉には何度か旅行したことがあるが、東日本の温泉には一度も入ったことがない。箱根というと、東日本の温泉のスタンダード、旅行してみたいところは沢山あるけれど、できるだけ早くに必ず行ってみたいと思っていた場所の一つである。

 

 JR小田原に着いたのが18時45分。そこから小田急線に乗り換えて箱根湯本から箱根登山鉄道で小涌谷という小さな駅がその日の終点。小田原に着いたとき、もう既に、日が暮れていて、車窓は緑を楽しんだ昼間とは違って街明かりと暗闇だけになっていた。そして、箱根登山鉄道の車窓は電車が走れば走るほどに灯りがぽつりぽつりになっていった。乗客も少なく、当たり前の事だが駅に着いても降りる人は一人か二人、乗ってくる人がいないので、乗客は駅に着くたびに減っていく。、窓の枠から見える全ての物を見たいと窓の外をじーっと見ていると、ぽつりぽつりの灯りで照らし出される淋しげな駅や草むらから、山奥にどんどん登って行っているという事だけは分かった。少し、ドキドキした。私という人間は、仕事でも遊びでも不意に大胆な行動を取ってしまう時があるけれど、それでも所詮は女には違いないわけで・・・。ドキドキし、ワクワクもした。おかしな物で、怖い物好きというか、ちょっとしたスリルとサスペンスもまた大好きだ。

 

 小涌谷の駅に着いた。8時ぐらいだったと思う。この駅で降りたのはやっぱり私一人だった。駅員さんに切符を渡して改札を出た。何もない。本当に何もない。駅のロータリーなんてとんでなもいし、喫茶店もないし、公衆電話すらなかった。その夜宿泊予定の民宿は駅から歩いて5分と聞いていた。初めて泊まる所で土地勘がなくても、駅に着けばなんとかなるだろうと思っていたのは、全くの間違いだった。それらしき看板もなければ、民家の一軒も見あたらない。さっき、改札にいた駅員さんに聞いてみようと、駅に戻るが、もうに既に無人駅になっていた。

 

 ミニリュックから携帯電話を取り出し、明るいところで民宿の電話番号をプッシュした。そして、駅の前には道路があるわけで、どっちかに5分歩けばたどり着くはずと思い、取り合えず、左に歩き始めた。民宿のおじさんに携帯電話で現在地を告げて、道順を教えてもらいながら、支持通りに歩く。駅から民宿までの道は、1本道だったけれど、誰一人としてすれ違わないし、蛙が鳴くにもコオロギが鳴くにもまだ季節は早く、あたりは暗闇と静寂だけだった。大きなカーブを曲がったところで一台の白い大きな車とすれ違った。その車の人から見れば、こんな時間に若い女の子が一人で大きな鞄を持って歩いている事は非日常的なのだろうと思い、ふと悪いことを想像した。車のライトに照らされると、歩道を歩いている私の側をゆったりとしたスピードでその車は通過した。

 

 民宿のおじさんが私に言った事は全て正しく、駅からの1本道の大きなカーブを曲がって100メートルぐらい歩いたところに、その民宿はあった。引き戸を開けると、さっき電話で喋ったおじさんが出迎えてくれた。そこは、田舎によくあるような部屋数の多い一戸建てという感じだった。すぐに部屋に通してくれて、一日電車から駅のトイレまで一緒に過ごした旅行鞄をどっしりと畳の上に置くことができた。

 

その後、この民宿で一番遅い夕御飯を頂いた。その食堂は、ごく普通の家庭のリビングルームよりやや広く、長テーブルが2列に4つ並べられ、他の泊まり客が晩御飯を済ませた後のお茶碗やお皿や湯飲みがまだそのままに置かれてあり、私一人分のおかずとお茶碗や湯飲みや取り皿のセットが置かれていた。豚カツ、酢の物、お造り、煮物、おみそ汁、そして、白いご飯。一日の中で一番、食事らしい食事のような気がした。私一人用にお櫃があり、自分でご飯をお茶碗に装った。最初は控えめに装ったが、変な話何よりも白いご飯が嬉しくておかわりをした。

 

 この民宿の温泉は、白浜や皆生温泉の大浴場とは比べ物にはならないほどの狭さで、大きな一戸建ての家の風呂ぐらいの大きさだが、何よりも良かったのが、その少し大きめお風呂にたった一人で入ることができたことだ。それは他に女性客の泊まり客がいなかったこともあってできたことなのだろうけど、好きなだけ、悠々と、のんびりとお風呂にはいることが出来た。でも、実を言うと、低血圧で貧血持ちの私はお風呂は苦手というか、すぐに逆上せてしまい貧血を起こしてしまうこともある。そんな事のないように、シャワーで体を先に十分に暖めてから、湯船に入った。さらさらとした肌触りのお湯だった。浴室から出て、浴衣を羽織り帯を締めていて、一人可笑しさがこみ上げた。若い女の子という者は、旅館の浴衣の着方を知らないのが普通だろう。右と左とどちらが前か迷ったり、丈の長さに合わせて帯を結ぶことが出来なかったりするものだ。以前は私もそうだった筈なのに、今ではスッスッと帯を結んでいる。浴衣の上から半天を羽織って、浴室を出た。

 

 ご飯もお風呂も宿泊費も言うことなしの民宿だったが、ただ一つ残念に思ったことがある。それは、ジュースの自動販売機はあるのに、ビールの自動販売機がなかったことだ。SLにも乗ったし、箱根の温泉にもゆっくりと入ったし、これで湯上がりに缶ビール1つあったら、これまで生きてきた中での一番の贅沢ができると思えた。現実に戻って、部屋のすぐ前にある自動販売機でアクエリアスを買って、喉を潤した。

 

 6畳の部屋に、テレビが一台とテーブル、そして、大阪では考えられないことに灯油ストーブが置いてある。私は部屋の空気を汚す暖房器具は嫌いなので、真冬でもエアコンは余程でない限り使用しない。だから、灯油ストーブとは何年ぶりかのご対面だ。湯上がりで火照っていた体が次第に冷めてくると、やはり箱根は山の中なのだと改めて感じたが、ストーブをつけないと寒い。障子の外の窓を少し開けて灯油の臭いが部屋にこもらないように気にした。寝転がってテレビが見やすいように、自分で布団を敷いて横になると、昼間の疲れが心地よい眠気を誘った。私は旅行の時、仕事関係の人と一緒の時など特にそうなのだが、ほとんど一晩中眠れないことがよくあったが、この日はさすがにぐっすりと気持ちよく眠った。