Mai  2001

 

Les jeudi 31 mai 2001

 今日で5月が終わる。今月は早かった。アッという間に過ぎ去ってしまった。来月、明日からはもっと慌ただしい。あれもこれもと気になることがある。


Les lundi 28 mai 2001

 今日がゆっくりと終わろうとしている。5月ももうすぐ終わり。1日は確実に過ぎていく。時は休まない。私の体内の細胞も休まない。


Les jeudi 24 mai 2001

 10円の葉書を頂いた。その葉書には10円切手が4枚貼ってあった。真っ白ではないその葉書に、送って下さった方の誠実さと暖かさを感じた。


Les mardi 22 mai 2001

 自己肯定はとても大切なことだと思ってきた。しかし、「初めに自己肯定ありき」は少し違うように思えてきた。それは、人と人との関係の中では自己中心的な考えとなる場合がある。「癒し系」という言葉が流行っている。私はいつもいつも癒されてはいたくはない。自分はいつも正しいと思うのではなく、自分のダメなところを的確に受容する、省みるところから始まるのではないか。


Les lundi 14 Mai 2001

 ランチタイムに出掛けた。ラフなセルフサービスのお店に入る。トレイを持って店内を見渡せばテーブルが空いていない。私と同じようにテーブルを探している若い女性がいた。そこへ丁度2人掛けの丸テーブルが空いた。その女性と目があった。「御一緒してもよろしいですか。」「相席いいですか。」と互いに声をかけて向かい合わせで座った。前のトレイを見れば、手前のトレイと全く同じスパゲティがのっていた。違っていたのは、彼女のスパゲティはパンと飲み物とセットになっていた事。私は飲み物の都合上単品である。彼女は少し恥ずかしそうにしているように見えた。食事中一度だけ目があって微笑みあった。左手の腕時計を見た後、食事を済ませ、「お先です」と一言だけ声をかけて席を離れた。私は帰りの電車の中で個人主義と融合について考えていた。


Les dimanche 13 Mai 2001

 今日は母の日。電話をしようと思いつつ気が付けば夜遅い。明日しようと思ってしまう。すると、電話が鳴った。

 


Les vendredi 11 Mai 2001

 昨日、課題を郵送した。ほっとした。予想以上に時間がかかってしまった。何度も消しゴムで消して書き直した。それでもまだやり残しているように思えた。

 和歌山でケアマネージャーが殺人を犯した。被害者はサービスの利用者である要介護者である。動機はギャンブルで多額の借金があったからだとか。ショックだった。要介護者の人権を守るはずのケアマネージャーがその命を奪い、財産も奪ってしまった。いったい何が彼をそうさせたのか考えずにはいられない。「ギャンブルに溺れた」から、たったそれだけの理由だとは思えない。どこでどう歯車が狂ってしまったのか。

 私はいつも自分が完璧だとは思っていない。失敗もする。より良いケアをと思ったことが逆効果となる事もある。「一生懸命」という言葉で自分を正当化したこともあっただろう。ジレンマもストレスもあるが、それよりも得るものが大きいからこそできる仕事であると思っている。

 昨夜の歓迎会で、看護士でもある上司にお酌をしながらこぼされた。2ヶ月くらい前だったか、その上司に私は看護を真っ向から否定した言葉を口にした。医師の指示、承諾もあり、決まっていた事を覆すものだった。医学的なことよりも、私はそのケアを受ける側に立ったつもりで、思ったままを発言した。それは上司にしてみれば、それまでの看護においての経験を否定することだったようでショックだったのかもしれなかった。昨夜改めて、私の発言の大胆さに驚いた。結果として、良い方向に向かっているのは、ケアをする側の一人一人の自信に繋がればと思う。

 


Les mardi 8 mai 2001

 ようやく課題をやり終えた。最初はこんなにも時間がかかるとは思っていなかった。ほっと一息できた。