2000 Novembre

2000.11.30(木)晴れ

 久しぶりに美容院に行った。シャンプーの上手な美容師さんに出会えて満足。やはり女性の方がシャンプーは上手いと思った。マッサージしてもらう。「肩凝り症ですか」と予想通り背中から声をかけられる。帰りに深紅のシクラメンを衝動買いした。

 


2000.11.28(火)晴れ

 今朝はよく冷えたが、朝焼けのきれいな朝でもあった。東から南、西にオレンジ色のリボンが続いた。そのオレンジとの線が山の地平線をくっきりと映していた。もうすぐ12月、寒くなってきた。


2000.11.26.(日)晴れ

 夜、帰り道、空を見上げる。秋は星がきれい。こぼれ落ちそうな星というのはこんな星だったと思う。星座を一つだけでも知っていたら良かった。


2000.11.25(土)晴れ

 最近、猿が出没している。先月動物園に行ったときに猿を見たけど、野生の猿は久しぶりに見た。寒くなって餌を求めてきたのか、群からはぐれたのか。どちらにしても、熊でなくて良かったと思う。


2000.11.20(月)曇り

 22時からずっとニュース番組で内閣不信任案を審議する国会中継を見ていたが、やっぱり自民党はダメだという結論を印象づけられただけに過ぎない。何故こんな人を国会議員に選ぶ人がいたのだろうと不思議に思うことは今に始まったことではない。「身体を張って森総理を守る」という言葉は、何の説得力もなく、高いところから発言する言葉ではない。


2000.11.18(土)晴れ

 二日前のことを思い出している。週間天気予報では木曜日は雨だったのに、前日の水曜日にどしゃ降りの雨が降り、一番の問題点の天気は朝からあっさりと解決した。けれど、ドアを閉めるとパンプスを片手に走り出したのに、乗ろうと思っていたバスに乗り遅れてしまった。いつものことではあるけれど、がっかりしながらバスの時刻表を見ると、10分遅れで最寄り駅までのバスがある事が分かった。少し遠回りのルートになるがそれに乗ることにした。腕時計を見ること十数回、待ち合わせ場所を間違えるという予想範囲のハプニングもあったけど、いざ京都嵐山へ。

 トロッコ列車に乗ってみたいと言いだしたのは私だったが、JRで予約ができなければ乗ることが出来ないと思っていた。それが、JR嵯峨嵐山で降りてトロッコ列車の駅に行くと、亀岡までの往復切符を取ることができた。保津川下りで有名な保津川を車窓の下に、紅葉を横目に亀岡まで木目の美しい列車は走った。今年の秋はいつもよりも暖かいらしく残念ながら紅葉はあと1週間くらい待った方が良かったのだろう。緑の中にぽつりぽつりと色づいた紅葉を見つけると指を指した。車内サービスは、時々笑いをそそるベテランのアナウンスと、なまはげのようなお面をつけた人の「ご乗車ありがとうございま〜す。」と、記念のポラロイド写真(1000円也)。

 トロッコ列車の旅の後は目指すは湯豆腐と決まっていた。天龍寺の程近く、純日本風の店内には観光客で賑わっていた。外で庭を見ながら食事もできるが、奥の座敷に通してもらう。湯豆腐をメインに10品もの豆腐料理を賞味する。一人一丁分もあっただろうに、そのおいしさに舌鼓を打ちながらペロリペロリと食べてしまった。

 食後は天龍寺を散策する。トロッコ列車から見た紅葉はまだ時期が早い感があったが、こちらは山の紅葉とは種類が違うのか、真っ赤に色づいた紅葉をあちらこちらに見ることが出来た。一本の紅葉の木には黄色を含んだ赤、オレンジや真っ赤などと微妙に枝により色が違っていた。庭園には巨木の枝垂れ桜もあり、春には春で美しい姿を想像させてくれた。今も昔も、自然に勝る芸術はないと思う。人には力の及ばない美しさである。

 時間を忘れた時間だったためにオルゴール館を出ると日暮れが近くなっていた。次の目的地は野宮神社に急いだ。今度の旅行でお揃いの携帯ストラップを買うつもりだった。神社といえばお守りだが、その側に携帯ストラップも売っていた。小さい巫女さんがついていた。深夜のテレビ番組のネプチューンの巴投げをするコーナーが思い出されて笑ってしまった。そこでは結局、おみくじと勝ち守りを買った。おみくじは凶が出たときのことを考えると引きたくなかったが、おそるおそる開けてみると大吉でホッとした。

 もう甘味処ではライトアップされていた。歩き疲れた身体を癒してくれた栗善哉。そのお店のレジの側で並べてあった小物の中から丸い小さな飾りのついた携帯ストラップを選んだ。

 阪急と地下鉄を乗り継いで京都駅まで戻る。京都駅はすでにクリスマスムードで巨大なクリスマスツリーがライトアップされていた。新しく建てられた京都駅ビルはテレビで見たことはあってもまだ一度も行ったことがなかった。大階段の一番上までエスカレーターで昇った。ロマンチックな気分にさせてくれる場所だった。京都は古い都で歴史的な建造物も多いし、自然も溢れているがその中にある現在の人間が作った物も素敵だと思った。自然に勝る芸術を人間が作ることはできないと思うが、古代からその自然の中で生きてきたのが人間である。人間の創り出す物の中にも素晴らしい物、人を感動させる物があると思う。 忘れられない秋の1日となった。


2000.11.12(日)曇り

 昨日から今日の天気を心配していた。傘を持って出掛けた方がいいのではと思っていたが、降水確率からすると大丈夫だろうと傘を持たずに出掛けた。雨がぱらついた時もあったみたいだが、うまく出会わなかった。

 今日は試験日。試験は10時開始だが、8時半には試験会場に着いた。少しでも早く試験会場に行って最後の悪あがきの勉強をするつもりだった。木の机、木の椅子で、椅子の座る部分を手で押して座る。黒板、教室どれも懐かしいと思った。試験開始30分後から退場が許可されていた。隣の席の人はその時間がすぎるとすぐに教室から退場した。私は試験の終了時間まで問題と解答用紙を見比べた。まさに最後の悪あがきである。問題集には全く載っていない問題が出た。いくら考えても分からない問題があった。10問以上間違えていると思う。もうしばらくは試験問題のことは考えたくない。ずるい言い訳、それは私が第二の性に生まれついたから。

 試験会場に辿り着く前、迷子になって時間までに席に着くことができなかったらどうしようかと思っていた。最寄り駅を降りると係りの人が試験会場を示す看板を持って立っていた。その通りに歩けば良かった。帰りは本屋に行くつもりで、行きとは別の電車に乗ろうと反対方向の駅に向かって歩こうとした。人の流れに沿って歩いていた。大きな道路まで出てきた。掌サイズの地図を両手に持って歩いていると、前を歩いている人に一方的に従うのは間違っているように思えてきた。地図を上下ひっくり返しながら横断歩道を渡ってまた来た道を振り返ってみると、横断歩道に立っている警備員の人が私に向かって方向を示しているようだった。ああ、私は見るからに迷子なのだと思った。その地図を見ながら示された方に向かって歩き始めて、数メートル歩いたところで本当にその示された方で良いのかと迷い、また来た道を戻り始めた。そしたら、さっきの警備員の人が横断歩道を渡ってこちらにやって来た。やっぱり私は見るからに迷子。

 本屋さんでは次の1月の試験のために篭に問題集を入れた。スーパーでも篭を押して店内を歩くことはないのに、すっかり重くなった篭を押して店内を歩き回った。本屋さんでは時間を忘れる。「文学界」を立ち読みしていると、松浦理映子さんが7年ぶりに新刊を出したと知る。急いで探さなければと思い、「文学界」を元あったところに戻そうと書棚を見回す。キョロキョロしていると隣の初老の紳士が「ここじゃないですか。」と私の目の前を指していた。私の手の本はやはり見るからに迷子だった。

 気が付くと財布の中から人物画のお金がなくなっていた。いつもよりもお金を財布に入れていて良かったと思った。本屋さんを出たらCD屋さんの前を素通りすることができなかった。今日はとても贅沢な日と決めた。

 


 

2000.11.11(土)晴れ

 コッピーのサルトルが元気にしている。当たり前だけど泳ぎが上手い。スイッスイッと瓶の底から上の方へのぼっていく。また底でピポットをしたり、瓶の上から底へ下ったりして実に楽しそう。あんな風に水の中で呼吸ができたらいいなと思う。

 


2000.11.9(木)晴れ

 介護福祉士の試験センターから再検討してくれると連絡があった。夢紫の花は春に咲くはずなのに、蕾がついている。秋と春を勘違いしているのか、真冬に咲きそう。


2000.11.7(火)晴れ

 介護福祉士の試験は受けることができないと知らされた。となると、今すべきことをしっかりと考える。「時は金也」。


2000.11.6(月)晴れ

 コッピーのサルトルは元気に瓶の中を泳いでいる。昨日、瓶の中の水を替えた。今までコッピーを飼育していて水の入れ替えで失敗していたのではないかと思うところがある。昨日、出掛ける前に餌をやろうとして瓶の蓋を取ると、水草の浮き草の表面に白い綿のようなカビがはえていた。これは良くないと思い、急いで水を替えた。本当は新しい水にバイオ液を入れてから3時間コッピーの側に置いて、コッピーを移さなければならないが3時間も時間がなかった。心配だったが、サルトルは元気にしている。2週間前に金魚すくいでとった金魚は残念ながら死んでしまった。次々に死んでしまって、みんな首を傾げている。


2000.11.4(土)晴れ

 割れないはずのお皿が割れてしまった。割れないと思って買ったのに、割れてしまった。落とした時の衝撃を受けた角度や面積の問題なのかもしれない。


2000.11.1(水)雨

 今日は朝から雨である。明日も雨らしい。、窓辺に置いた水仙の球根が発芽した。

 ニュースでもワイドショーでも長野県知事の一言一句を伝えようとしているかのようである。その報道の仕方に疑問を感じる。知事が職員を注意する時にカメラが回っているというのはいかがなものか。注意の内容はともかく、全国に放送されると分かっているカメラを前にしてするべき事だろうか。その部下が今後どのような目で全国民で見られるかということを考えると、まさに反撃であり、そして反則であると思う。今田中氏は石原知事と同じぐらい記者やカメラに追いかけられているだろう。しかし、カメラの回っていないところですることも可能であったはずである。上司から注意を受けるのに全国に放送される長野県庁職員に同情する。かといって私は、長野オリンピックの誘致方法しかりで、それまでの長野県の県政を全て肯定している訳では決してない。改善されなければならないところもあるだうろと思う。田中氏の言う「しなやかですみやかな長野」?にするために県庁職員にe-mailで意見を求めることも一つのアイディアだと思うが、県政というのは県民の生活に密着した物である。長野県の県庁の長となった人は長野県の経済や介護保険支援事業計画という具体的な面でアイデンティティーを示す時期がそろそろ来ているのではないか。