2000.Aout

 

2000.8.29(火)晴れ

 ジェー・バーキンのコンサートがある。いつもCDで聞いている彼女の歌声を生で聞くことができたら、ますます彼女に憧れるかも知れない。靴を買いに行く。あれこれと選んでいたら、思っていたよりも帰りが遅くなってしまった。いつも有効に時間を使うことができていないように思い、焦る気持ちはあるのに行動が伴わない。でも、靴を買ったことは嬉しい。それから、2週間前に買った水草がどんどん増えている。嬉しい悲鳴だ。


2000.8.24(木)晴れ

 郵便局で20世紀シリーズのウルトラマンの切手を買った。2シート衝動買いである。「ひょっこりひょうたん島」が50円切手になっている。使うのがもったいない。スーパーに寄って、時計を見ると無料バスの時間が過ぎている。後悔しつつももしかすると遅れているかも知れないと淡い期待を持ってバス停に急ぐとまだバスを待っている人がいて嬉しかった。ラッキーにも、バスに間に合った。

 共同トイレの掃除をする。某束子を取り出すと体長12センチもありそうなムカデが身をよじらせて現れた。某束子に潜んでいたらしい。ムカデは便器の中に落ちた。私は小さな悲鳴を上げながらもトイレの水を流した。ムカデは一瞬姿を消したが、また水の中から這い上がってきた。洗剤を振りかけて再度、水を流した。半永久的にムカデは消滅したと思うが、それからずっと気になっている。

 


2000.8.23(水)晴れ

 ツベルクリン検査結果を診てもらう。今回も結果は良好のようだ。生協で食料品や日用品を宅配してもらうことにした。とても便利である。休みのたびに買い物袋を抱えて坂道を登らなくてもよくなった。デメリットとして閉じこもり症候群にならないかと心配である。

 


2000.8.21(月)晴れ

 昨日、日記を書くつもりにしていたのに疲れて書くことができなかった。昨日のことを少し書く。昨日はホスピタリティのセミナーに出掛けた。今の私にとってそれは必要なものでありながら足りないものである。興味深い内容であるが、もっと濃い内容を求めたかった。時間が足りない感じのセミナーだった。

 セミナーの帰りに少し買い物をしようとデパートに立ち寄った。欲しいとは思っていたけど、買うつもりにしていなかったヘアピンを衝動買いしてしまった。少し後悔しているが、気に入っているので良しとする。私一人でも髪をアップにすることができそうである。


2000.8.15(火)晴れ

鵲 鵲 静かに考えていた。

気がつくとバスは休日運行で、15分前に最終が出ていた。

久しぶりにタクシーに乗る。

行き先を告げると

白髪の運転手は静かに車を滑らせた。

何十メートル先に車がない。

深夜だということを静かに思う。

鵲のように静かに考えている。

ラジオはいつの間にか消されていた。


2000.8.13(日)晴れ

 受験資格がないかもしれない。おかしな話だと思う。認可施設で雑用のパートをしていた人は認められて、私がしてきたことは認められない。私と同じように悔しい想いをしている人は沢山いると思う。この想いはどこにぶつければいいのだろうか?


2000.8.12(土)晴れ

 引越をする。少しずつ荷物を運び出す。一日で終わらせるつもりが、結局終わらなかった。引き出しの中から想い出を見つけてしまった。もう、そろそろ想い出は閉まってしまわなければいけない。引き出しから出してはいけない。

 コッピーを昨日からまた飼い始めた。今度は名前をつけよう。2匹のうち、オスとメスがあるのかやや色が違う。レギーネとキルケゴールじゃ悲しすぎるし、ロミオとジュリエットも悲劇だし、サルトルとボーヴォワールにしようか。


2000.8.11(金)晴れ

 実務経験証明書が届く。日数が足りないわけではない。福祉の仕事をしていたにも関わらず、それは認めてはもらえないと分かる。


2000.8.10(木)晴れ

 脚立を借りてきて蛍光灯を取り替える。脚立の上は不安定で、スリッパのまま脚立に昇ったことを後悔した。何事も経験である。どうにかこうにか蛍光灯を取り替えたが、スイッチを入れても2本のうち1本がつかない。今日は諦めてまた明日する。


2000.8.8(火)晴れ

 窓から遙か遠くの花火が見える。私は子供の頃から花火が好きである。遠距離がとても残念である。パンパンと音が聞こえてもその姿が見えないときもあれば、赤や黄や青や緑の鮮やかな光りがバッと花開くところが見える事もある。ついついその小さな光の花を見てしまう。

 こんな事を考えることは悪い事だろうか。最近は紙パンツや紙おむつの研究が進み、新製品がどんどん出ている。吸収力がアップしているし、蒸れにくく、あてやすくなってきている。蒸れにくくあてやすくなることは、介護者にとっても要介護者にとっても朗報だと思う。吸収力アップについては、良いこともあれば、その反対にいろいろ考えさせられるところもある。病気や薬物の副作用の為に頻尿であったり、尿意がなくなってしまっている人がいる。そういう人が紙パンツや紙おむつを使用するわけである。吸収量が多いということはおむつ交換の長時間取り替えなくても衣類が汚れることを気にせずに、楽しい時間を過ごすことができる。介護者にとっても排泄介護の負担が軽減される。だが、しかし、失禁していると予測できるのに、排泄介護をしなくても良いのだろうか?また、まだ吸収できるからと濡れたおむつをつけたままで良いのだろうか?

 今、施設は行政からおむつはずしをするように指導されている。排泄の自立というわけだ。しかし、施設でトイレ誘導、介助を1時間おきに行って失禁がなくなったとして、それは誘導し、介助した上でのおむつはずしである。これでは排泄の自立と胸を張って言えない。せめて尿意がもどったとか、衣類の着脱ができるようになったとか、介護が軽減されたと言うものがなければ、家庭復帰したときには家族の介護負担が増えただけになってしまう。施設の介護スタッフは交代勤務だが、家族の介護者には替わりがいない場合が多い。施設を退所したために、家族の介護負担が増えるという結果にすぎないとしたら、家庭復帰後、残念ながらすぐに紙パンツに逆戻りするのは目に見えている。障害や病弱な高齢者とその家族は50:50であって良いと思う。それは虐待でもないし、介護放棄でもないと思う。


2000.8.4(金)晴れ

 猛暑続く。最高気温37度。昨日から今日にかけて、コッピーが2匹とも息を引き取った。窓辺に置いたのが間違いだった。高電圧の電気製品の側では可哀想だと想い、日当たりの良いところに置いたつもりだった。が、南の窓辺は日当たりが良すぎた。考えてみると、場所を移してから瓶の中がよく汚れるようになったと思う。前回よりもよく瓶の水を入れ替えて、瓶の中も洗うようにしたが、この猛暑を甘く見ていた。私自身は部屋にいるときにはクーラーをすぐにつけるが、コッピーは私が留守の時には暑い部屋の中にじっとしていなければならなかった。取り返しのつかないことをしてしまった。二つの命は朝顔の根本に埋葬した。瓶の中の小石や水草やマリモも一緒に埋葬した。


2000.8.1(火)晴れ

 私はこの窓から見える景色を気に入っている。昼間は田や山の緑、空と山が遠くに見える。地平線が見えるのである。夜は街明かり。時間と共にその灯りは色や形を変えていく。時間の分かる景色である。