[ 端材捨て材のこころ ]の背景


 訓練校を出たあと最初に勤めた町中の小さな家具工場で、初日の仕事が焼却場へのゴミ出しでしたが、最初に工場の裏庭に積まれたゴミの山を見て驚きました。まだ半分以上も残っているきれいな合板、子供椅子だったら何脚か作れそうな端材など、ものすごくいっぱいあるのです。これを捨てていいんですか? と社長にたずねると、税務署がうるさいからと一言。まだ、バブル期の直後だったからそんなことが当り前だったのかもしれませんが、とても複雑な気持ちになりました。

 生来が貧乏性なんでしょうが、今、自分がモノ作りを生業としている現在、過去に見たあれだけは何とか避けようとその「端材捨て材」の
使い方に苦心しています。
 それに、相手が木ということもあって、私には、この仕事をするうえでどうしても感じずにはいられない引け目があります。我々は、自然破壊の最後の一端を担っている、という引け目です。とかく、正反対にエコロジーの担い手みたいにいわれたりもするこういう職業ですが、なんのことはない、破壊者の一員であることには変わりないんです。百年二百年持つ家具を作るといったって、その材料の木は、切られなければ三百年五百年生きられたも知れない。家具を一つ作ったので苗木を一本植えました、といったって、それが成木になるまでに、果たしてその周りにあった成木が何本姿を消すか? ・・・我々は、常に木を殺している。巷の手作り木工雑誌のようにきれい事では済まされない、そんな気持ちです。

 さて、そんな中にあっても、一つだけ希望をもてることがあります。それは、我々の仕事から出すゴミが、必ずしも単なるゴミでないということ。そこにデザインと手が加われば、焼却炉の縁から引き戻せるものがかなりある。たぶん、それをするのは破壊者の一員たる我々自身の義務だと思います。木を殺すことを止められないなら、その木を無駄なく使おうとする気持ち、たとえ、貧乏性といわれようとも大事にしたいと思います。そして、そこから生み出されてくるささやかなモノたちに、皆さんが暖かい存在価値を感じてくれることを切望しています。


みずき工房/西 文和