恋すれば誰でも詩人、インドでは誰でも有名人



 
 南インドの旅は長距離バスを利用することが多くなります。
 私も、アジャンターの石窟の観光拠点となるアウランバーガードの先の旅程では、主にバスで移動していました。

 アウランバーガード→プーナ→ゴア→バンガロール→マイソール→ウータマカンド

 というコースでした。
 インドは広いので、移動するたびに10時間くらいバスに乗ることになります。日本でも夜行バスは席が狭いし移動できないのであまり快適とはいえませんが、インドの場合はとにかく道が悪く、ガタガタ揺れるので安眠できないし、座席も古いので腰が痛くなるし、中には故障していてちゃんとリクライニングにならないシートに当たってしまい、他の座席も埋まっていて席を替わることもできないという苦境にも遭遇しました。

 そして一番の問題はトイレです。
 バスは数時間ごとにドライブインというよりも、道路沿いにぽつんと建っている、ほったて小屋の食堂で休憩するのですが、それが大抵、街中からは外れた荒野のど真ん中にあるので、水道設備が整っていないのです。インドといえば「トイレのないインド」というイメージがありましたが、ちゃんと水道設備のある街中や駅などでは、日本の駅のトイレなんかよりもずっと清潔でした。水道がないところの公衆トイレがどんなだかは、日本とだいたい同じだと思っていれば大丈夫です。

 夜行バスが休憩するようなボロボロのドライブインでは、「トイレはどこですか?」と聞いたら、「無い」といわれたこともありました。

 「ええ?バスも停まるし、他の車だって停まっているし、それに従業員はどうしているのよ〜

 と思いましたが、こういう「周囲になんにもない」場所ではトイレを作る必要もなく、周りにいくらだって荒野が広がっているんだからその辺でてきとうにやれということなんでしょう。

 それは考え方の違いで仕方ないのですが、(たぶん、インド人は人工的なトイレよりも水辺や野原でしたほうが清潔だと思っている。食器も他人の使ったものをたとえ洗っても使用するのは不浄と考えられているので、木の葉の皿のほうが清潔という考え方)バスから一人離れて暗いところで、草木の陰を探してしゃがむのはかなり心細いのです。

 インドでは女性が一人で旅をするということはほとんどないので、家族や夫と旅行している人ならいいでしょうけど、外国人女性は一人でなんとかしないといけないわけです。でも、バスに乗り合わせた男性客が三々五々暗闇にちらばっている中で、誰もいないいい場所を探すのは毎回苦痛でした。
 他にもトイレはあっても個室にはなぜか鍵がかかっていて(たぶん、掃除する人がいないから閉めてしまったのだろう)、でも女性用トイレは一応、塀に囲まれていたので、個室の前のスペースでみんなサリーをたくし上げて用を足していたので、私も「郷に入っては郷に従え」と諦めてそうしました。たまたまスカートだったからよかったけど。その後、バスに乗るときにはスカートを履くようにしました。

 前置きが長くなってしまいましたが、とにかく私は長距離バスにうんざりしていて、「トイレもちゃんとあるし、横になって寝られる電車で移動したいよ〜」と切に願っていたのでした。

 ウータマカンド(通称ウーティ)は南インドの高原にあり、お茶の産地でもありますし、かつてインドを支配していた英国人の避暑地になもなっていたそうです。
 当然、鉄道がそこまで来ているわけでもなく、そこから移動するのはバスに限られます。そこからはあまり長距離バスは運行していなくて、中距離バスで数時間の近隣の町まで行ってから、長距離バスで移動することになります。

 一番まともなルートは、来たルートのマイソール(マハラジャの宮殿で有名な南インド中部有数の観光地)まで長距離バスで戻ることでしたが、そうなるとまたあの長距離バスに乗ることになります。もーやだ。

 バスターミナルで、そこから運行しているバスの行く先を調べても、他にガイドブックに載っている地名を見つけられませんでした。
 そこら辺はあまり観光地がないのです。工業地として発展したのはそういう理由があるのかもしれません。

 しかし、よく調べると、5時間くらいバスに乗れば、列車の時刻表には登場する地名があります。観光地ではないのでガイドブックには乗っていませんが、そこそこの町のはずです。
 なにせインドの工業の中心地ですから、駅もあってバスの終着点になっている町というのは、それほど辺鄙なところではないでしょうし、インドではバスターミナルの周辺には宿が集中しているので最悪そこで一泊することになっても大丈夫だろうと思い、1時間ごとに出ていた「ERODE」行きのバスに乗ってみました。(セーラム行きというバスもあり、そっちも時刻表には載っていたので、どっちか先に来たように乗ろうと決めていて、先に来たエロード行きに乗ったのでした)

 昼過ぎにはエロードに着きました。予想通り、なかなか栄えているようで(インド国内比)、バスターミナルも大きく、すぐにホテルも見つかりました。南インドのバス・ターミナル周辺の安いホテルは、日本でいえばビジネスホテルという趣で味もそっけもないのですが、最低の設備は整っているのでよく利用しました。

 そのホテルで、「駅は遠いんですか?」と聞いてみると、「3キロくらいある」とのことでした。インドだけではなく欧州でもそうですが、鉄道駅は街の中心と離れたところにあるのです。バス・ターミナルが街の中心という構造。
 リクシャーをつかまえて金額交渉すると、25ルピーと田舎にしては高い。(あとでわかりましたが、田舎じゃなくて、立派な地方都市だったんですけどね)ごねてみましたが、「駅までは25ルピーと決まっているんだ」というので、あきらめて乗りました。

 道路もきとんと整っていて(インドの国内比)、すぐに駅に着きました。やはり駅の周囲はガランとしています。チケット売り場に行って、翌日の電車の予約をしましたが「ウェイティング・リスト」になってしまいました。
 キャンセル待ちなわけで、明日の昼間にまた来て予約ができたか確認しなければなりません。

 帰りはどうせ暇だったので、道は単純でしたから歩いて戻ろう歩いていたら、バスターミナルで見かけた番号のバスが通ったので、それに飛び乗りました。

 念のため「バス・ターミナル?」と運転手に聞くと、うなずくので料金を払って中に入りました。インドではこういう公共の乗り物には「女性専用席」があるので、席は空いてなかったけどその付近で立ち止まると、サリーを着た女性達がわさわさと席を詰めてくれたので、空いた隙間にお尻を押し込めました。

 一般のインド女性は感じのよい人が多いので、こっちが「サンキュー」とにっこり微笑むと、はにかんだような素敵な笑顔で返してくれます。それに、これもインドではありがちなのですが、外国人は目立つし、好奇心旺盛な彼女たちはニコニコしながら私の全身を隙間なくチェックします。(好奇心旺盛で英語を話せる男性はよく話し掛けてきますが、女性はほとんど話し掛けてはこないのです)

 ニコニコ。ふ〜ん、こういうスカートなんだあ。いくらくらいするのかしら?あの人の国ではみんなこういうスカートを履くのかしら?ニコニコ。
 ニコニコ。へえ〜、チェックのシャツなんて、女性が着ることもあるんだ。ニコニコ。
 ニコニコ。サンダルはきっとインドで買ったのね。
 ニコニコ。ああいう髪型が日本では流行してるのかしら?ニコニコ。
 ニコニコ。あんまりアイシャドーは塗らないのねえ。

 こういう日本人女性などめったに見かけないような街で、女性たちの好奇に満ちた視線を浴びると、悪い気はしないのですが、ノーメイクにボサボサ頭でボロリュックをぶら下げた自分が「日本女性代表」となっているような気がして、申し訳ないような気分になります。

 日本だったら、今でこそ外人など珍しくもなくなりましたが、昔は珍しかったのでやはり好奇の視線を集めたと思うのですが、もっと無愛想にチラチラと気にするはずですが、インド人は好奇心を子供のように単純に現すので、見られているこっちも、ついつい愛想を振り撒いてしまいます。
 しかし、ふと気が付くと、バス中の客が全員私を注目しているのです。そこまで注目を集めたのはインドでは初めてでした。私が立ち寄るような観光地では外国人はそれほど珍しくなかったのでしょう。
 この街は工業都市なので、外国人ビジネスマンなどは来ないはずはないと思うのですが、一人旅の外国人でしかも女性などほんとに珍しいのかもしれません。

 そう思いつつ、バスターミナルでバスを降りて、食事でもしようかと歩いていると、道行く人々は皆私を見て振り返ります。
 しかも、通り過ぎるバスの客まで、全員私をじっと見ています。

 「ああ、キムタクや紀香は、いつもこんな思いをしているのだなあ〜」

 遠い異国の地で日本の芸能人の気持ちがよ〜〜〜〜くわかったのでした。これじゃうっかり鼻くそもほじれません。

 次の日も、やるべきことは駅へ入って予約の確認をするだけでした。予約はまだとれていませんでしたが、係員が「たぶん間際になったら席はとれると思うが、確証はできない」と言ったので、諦めて、さらに遅い時刻の停車駅が多い(目的地まで時間がかかる)列車にすることにして、昼間は時間を潰すことになりました。

 その街は、けっこう立派な住宅街が広がっていて、商店なども当然地元民用ですから覗いて歩くだけでも面白かったのです。
 住宅街の片隅にあった小さな食堂が、私が憧れていた南インドのターリー(定食)方式でした。要するに、「お皿ではなくて、バナナの葉っぱに載せたカレー」なのです。

 中では数人の男性が食事をしていました。私が入り口に立つと、店主の女性は少し驚いた様子でしたが、にこやかに席に案内してくれました。食事をしていた男性たちは、私の姿を見て、全員食事の手が止まっていました。

 「ホホホ、そりゃあ、こんな小さな食堂にいきなり藤原紀香がやってきたら、みんなボーゼンとなるわよねえ」

すっかり気分が芸能人になっていた私は調子に乗って、客たちに笑顔を振り撒きました。

 さて、まず手を洗わないといけません。私がハエが手を擦る足を擦るのポーズをすると、すぐに奥から子供が飛んできて、手洗い場まで案内してくれました。蛇口がないので、その子が桶ですくった水をちょろちょろかけてくれます。「さんきゅー」と私はにっこり。子供もにっこり。
 

 もう、こうなったら全員親日家にしてやる!
 

 席に着くと店主がなにか言っています。でも彼女は英語ができないらしい。すかさず、客の中でも一番年配そうなお爺さんが、「スプーンはいるか、と聞いているんだ」と通訳してくれました。ほんとは私は、不器用なのと、ちゃんと切ってない長い爪にご飯粒が入るのが苦手だったので、いつもはスプーンで食べていたのですが、せっかくの「バナナの葉っぱ」ですし、それに意味もなく見栄を張りたくなったので、「大丈夫、手で食べるのが好きなんです」と言うと、爺さんがまた通訳してくれたので、店主と客に嬉しそうな表情が浮かびました。

 その後も爺さんはいろいろ通訳してくれて、他の客や店主やその子供もポツリポツリとじいさんを通して話し掛けてきました。
 きっと向こう3ヶ月くらい、そのじいさんは「あのとき、日本人と楽しそうに喋っていた」ということで、近所の尊敬を集めることでしょう。
 そして、その店に居合わせた人たちは家に帰ってから家族に私のことを話すことでしょう。

 先日も、「近所のラーメン屋で高島礼子とそのダンナがならんでいた」という話を喫茶店でとなりに座っていたおばさんがしていました。
「へええ、ああいう芸能人でもやっぱり並ぶのねえ」
「高島礼子ってわりとそういうとこ気取らない人だってきいたわよ」
「派手そうに見えても、わりと庶民的なのね〜」

 その手の会話の主人公に私がなったことは確かだと思います。

 さて、夜になって宿泊するホテルをチェックインする際に、ホテルのフロントのおじさんが、

「ところで、なぜ、あなたはこの町に来たのですか?」

 と質問してきました。たぶん、ずっと気になっていたのでしょう。私もつたない英語で精一杯、事情を説明したのですが、最後に「だから、鉄道に乗りたかったので、なんの情報もないこの街に来たのですが、とてもいい街でよかったです」と、一応本音ですが、リップサービスをしておきました。おじさんも満足げでした。

 けっこう注目されるのが心地よかったので、無理して鉄道に乗らないでもう少し滞在してもよかったかもしれないと思いました。

 ちなみに、その街で飲んだペプシ・コーラの瓶が、インドを周遊した中で一番きれいな瓶でした。他では、使い回されきった傷だらけで、しかもなんとなく「ギトっと」汚れたかんじだったので、「潔癖症の人だったら嫌がるかもな」と思っていたのでした。そんな小さなことからも、その街がわりと豊かだということが計り知れたのでした。


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