本当に40過ぎてからのフジロック‘07

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 去年は「40歳過ぎてからのフジロック」という題名にしましたが、厳密に言えば、去年の私は39歳だったので、同行T嬢との平均年齢で換算させていただきましたが、今年はもう、嘘偽り無く正真正銘の「40代腐女子二人組み」でございます。

 そういえば、初めてロックフェス(タ)に参加したのは97年のグラストンベリーで、あんときゃ、まさか10年後にこんなことになっていようとは想像もしませんでした。いや、自分が参加していることも、日本のシーン(笑)が「夏フェス」当たり前になっていることも。
 グラストンに行ったときには「仕事も辞めたし、人生の節目の思い出」という位置付けだったのですが、まさか10年後になっても、せっせと思い出作りしているとは夢にも思いませんでしたよ。

 こんなことだったら、あのとき、グラストンで買った長靴、とっておくんだったな。かさばるし重かったから、グラストンの後に行ったフェニックスで捨ててきちゃったんですけど、「いや〜、あんときゃ、この長靴はいて、クーラ観たなあ」なんて大声で自慢しながら、今年のフジロックのクーラを鑑賞できたのですが・・・・

 さて、空前の集客だったらしい去年のフジロックは、早いうちからチケット売り切れるし、宿の確保も大変だったのですが、今年は「キュア、キタ〜〜〜」っていうのがかなり早い段階で発表され、去年痛い目にあった、私とT嬢は、とっとと3日間通し券と、公式ツアー会社で宿の確保をしたのでありました。

 しかし、その後、続々と発表されるメンツはどうも地味で、結局、3日間とも当日券は出るようだったし、宿も直前になっても空室があるようだった。
 去年の混雑で勘違いしたのか、越後湯沢駅周辺の温泉旅館は、かなり強気な料金設定していて、「夕飯も出ないのに、一泊1万7千円とか2万円って、マジ?」って思いましたが、公式ツアー会社で申し込んだので、駅からは距離があったけど、送迎バスも頻繁に出ていたし、設備も整っていた「NASPAニューオータニ」に割り振られました。それでも一泊1万4千円くらいしたけど(泣)

 それにチケット代約4万円で、すでに合計8万円。

 それに加えて、往復の新幹線代が1万円強だし、毎回書くけど、ちょっとした海外旅行並ですが、今年は本家グラストンが開催されてましたが、そのメンツを拝見するだに「なーんだ、フジロックとサマソニでほとんど観られるじゃん」ってかんじだったので、、毎回くどいですが「グラストンに行ったつもりになれば、断然安い」と自分に言い聞かせました。  
初日 7月27日(金)

 初日にキュアが出るので、「それだけでいいや」な金曜日でしたが、なにかターゲットを決めないと、家を出る時間が逆算できない。
 T嬢は「間に合えば、15時50分からのジャービス・コッカーだが、絶対無理」とメールしてきたが、たしかにそれを観るには午前中に家を出ないといけない。

 私がターゲットにしたのは、17時30分の日野皓正。
 なーんか、それを観たら、チケット代が一気に7千円くらい償却できそうぢゃあないですか(笑)

 だとすると、12時くらいに家を出れば充分だったのだが、金曜の朝、暑くて目が覚めた。やっと梅雨明けしたらしく、本格的に蒸し暑い。
 だらだらと荷物の最終確認をしながらテレビを観てゴロゴロしていたが、暑くてたまらないので「ええい、もう出発しちゃえ」と、ざっとシャワー浴びて、着替えをして、汗ダラダラかきながら近くのバス停から渋谷行きのバスに乗って11時くらいに渋谷駅から大宮駅に向かい、12時くらいの大宮発の新幹線に乗れたが、けっこう混雑していて座れなかったけど、高崎で人が大勢降りたので、高崎からは座れました。まあ、大宮から越後湯沢まで1時間なので、立ってても大丈夫なんだけどね。

 宿の送迎バスが1時ちょっとに到着するまで、駅で会場への荷物を整え、そこまで素足にクロックスのサンダルだったのをモンベルの5本指ソックスとクロックスのトレッキング・シューズに履き替えて、宿につくとダッシュでフロントに荷物を預け、5分後に出る駅までの送迎バスに飛び乗った。

 初日のその時間だと、会場への送迎バス乗り場もそれほど混んでいなくて、でも、今年からバス乗り場が駅の真正面のロータリー内になっていた。前の場所も、駅前から少し引っ込んだ「観光バスの待機所」という風情だったけど、そんなに広々していなかったので、なんとなく日陰がありそうな気がしたが、実際は、真昼間のその時間に日陰なんてほとんどなかったんだけど、今年の場所は視覚的に「太陽ギラギラから逃れる場所ゼロ」という開放しきったかんじが痛い。
 それでも、20分待ちくらいでバスに乗れたので、それほど消耗しなかったが、土曜日はどうなるんだろう?と思った。

 予想よりもサクサクと進んだので、2時ちょっと過ぎに会場に到着し、そこから灼熱の中をテクテク歩いて、リストバンド交換所も全然並んでなかった。今年はリストバンドがICチップ入りじゃなくて、布製というか、リボンっていうか、チロリアン・テープみたいになってて、装着の仕方に戸惑ったが、できるだけ緩めに装着して、またひたすら歩いて、3時前にはオアシス到着。

 さっそく、ワールドレストランで馴染みの(笑)イギリス屋台で生ビターを買う。去年はボディントンズだったり、その前はバースだったりしたが、今年は全然知らない銘柄だった。後でT嬢とその話題になったが、T嬢も「知らない名前だし、長いからさっぱり覚えられない」と言っていた。

JARVIS COCKER

 生ビター飲みながら、日焼け止めクリームを塗りなおしたり、虫除けスプレーふりかけて、15時50分のジャービス坊ちゃんのグリーン・ステージに移動。
 日差しの強さは、去年の日曜日並なので、木陰でなんとか居場所を探した。
 ふー、もう汗ダラダラなんだが、さすがわ、モンベルのUVカット&ドライTシャツ。どんなに汗をかいても、Tシャツが肌にまとわりつかないので快適だわ。2千円の価値はある。やっぱし大人は装備に金を惜しんではあかんと思った。

 元パルプの(ってゆーか、別に解散したわけでもなく、活動休止中なのか?)フロントマンである、ジャービス坊ちゃんは、けっこういい年なんだと思うが、全然太ってないんですね。でも、デビュー当初は、もっとグラマラスというか、「伊達男」って感じだったと思うが、チェックのシャツにジャケット姿で、縁の太い眼鏡をかけていて、「ややオシャレな大学の講師(しかし相当の変わり者)」っていうかんじでした。

 けっこうMCでベラベラ陽気に喋っていた。「公式スポンサーのポカリ・スエットっていうのを飲んでるんだけど・・・・スエットって・・・・・?いやいや、でもスポンサー様だし、これ最高にウマいっす!さあ、みんな汗をかいたら、ポカリ・スエットをじゃんじゃん飲もう!」と、日本滞在した外人の定番ギャグをかましたりしていた。まあ、たしかに、日本人が台湾旅行したら、コンビニで「男汁」っていう清涼飲料水が売ってたくらいの衝撃なんだろうけど。

 なかなか、まったりとよろしかったジャービス坊ちゃん(連呼したくなるのは、私の愛読書が「あしながおじさん」だからです)を最後まで観ずに奥地へ移動。

日野皓正

 大宮駅でオニギリを買って、新幹線の中で立食パーティーしていたのだが、さすがに5時を過ぎてお腹が空いてきたので「オレンジで去年食べたタイ飯」と計画していたのだが、タイ飯いませんでした。ロシア飯と台湾飯という選択肢で、台湾屋台のカレーを食べたのだが、600円のわりにはイマイチだった。

 例年だと、屋台飯の相場は500円だったのだが、今年は600円が多い。後で遭ったT嬢にそうこぼすと「原油高だしねえ」
 たしかに、原油の高騰はこんなところにも影響出るよねえ。激しく納得。
 で、PA卓横の日陰を選んで座って、カレー食べてるうちに日野皓正の演奏が始まった。

 カレーを食べ終わると、さすがに18時近くて、太陽が山にかかってきたので、後ろのほうに移動して、ゴロ寝していた。
 あー、カレー食って、ゴロ寝しながら日野皓正の演奏聴くなんて、なーんて贅沢なんでしょう。

 たしかに、金はけっこうかけてはいるが、でも「お金だけでは得られないゴージャスな時間」というのがフジロックのあちこちにある。
 日野皓正氏はMCで「一生に一度でいいから、フジロックに出たいという夢が叶いました」と言っていて、たしかに、ネームバリューに引き寄せられて、この時間に奥地にいる若者のほとんどが、日野皓正の生演奏なんて聴いたこともなく、そりゃ、私だって初めてですし。

 日野皓正のドラムス君は、弱冠16歳で、ついこの間まで中学生だったとか・・・・
 その若さで、インプロヴィゼーションもしっかりこなしていて「そんな若くして大成してしまって、この先どうするんだろう?」と余計な心配してしまった。

 オレンジ・ステージと、隣のヘヴン・ステージは距離が近いので、けっこう音が被るのだが、日野皓正よりも1時間早く始まった隣のステージの演奏がなかなか終らなかった。
 オレンジに行くのに通過したのだが、レイルロード・アースというカントリー調バンドが演奏中で、カントリーと言ってもけっこうアッパーなやつで、いわゆる「結婚式バンド」だった。結婚式とか、移動サーカスで演奏するタイプのバンドっていう意味。そういうバンドって、とにかく盛り上げるから、そのバンドのことなんて全く知らなくてもついうっかり踊りまくってしまったりするが(日本でいえば、スカパラみたいなもん)、まさにそんな感じで妙に盛り上がっていたけど、どうやらその後に出るはずだった人が急にキャンセルになっていたので、1時間半の予定を3時間近くやっていたようだ。
 そう「結婚式バンド」というのは、6時間くらい平気で演奏するので、そんなのへっちゃらなのである。

 日野皓正が終ったので、グリーンに戻ろうと通過したら、まだ最高潮に盛り上がっていた。でも、さすがに私が歩いている最中に終了したんだけど、客は「もっとやれ〜、永遠にやれ〜」と大盛り上がりしていた。
 こういう雰囲気もフジロックの魅力の一つである。

 踊りまくっていたらしき若い男子が、「ちょーよかったよ〜、さすがアイルランド!」と興奮して喋っていたので、「へ?アイルランドのバンドなの?ちっともケルト風ではないが?」と思ったが、その若者の連れの男子が「てゆーか、アイルランドじゃねーし」と冷静に突っ込んでいた。

 「ふつー、あの演奏だと、アメリカだろう?」と思って、後で調べてみたら、やっぱしアメリカでした、。あの子は、何を根拠にアイルランドだと思ったんだろう?

 さて、日野皓正が終ったのが6時半くらいで、ちんたら移動して、トイレに寄って、ちょうど6時50分のホワイトでのマニー・マーク開始に到着。
 ビースティの「モンド部隊」のマニー・マークであるが、やっぱし、ゆる〜い演奏でまったりとやってました。座って聴くのには丁度いいかんじ。
 30分ほど鑑賞していたが「ついでだから、7時20分からのMUSEでもちょっと観てみるか」と、ゆるゆるとグリーンへ移動。

 しかし、7時半になってもMUSE始まらず。
 「ぎえええ、ここで押すと、キュアも押してしまう」と心配しつつ、T嬢とは8時にグリーンとレッドの間にあるワールドレストランで待ち合わせしたので、ギリギリまで待ったが、MUSEが始まったのはほんとに8時近くなってからだった。40分は確実に押している。

 2ちゃんのフジロック・スレでは、ウザがられていたMUSE信者であるが、なんでなのかよくわからないんだけど、MUSEって、サイケデリックというか、「エピック・トランス」系っぽいのね。エピック・トランスとは、ビロビロと大袈裟に展開するトランスなので、テクノ界でもバカにする傾向にあるが、そういうことなのかなあ?

 まあ、ライブは派手だし、映像も派手だったし、いいんでねーかい?

 と思いつつ、8時を少し回ったところで集合場所に行くと、T嬢がすでにちょこんと座っていた。
 「いつ到着したの?」と聴くと、己を律するために、新幹線の指定席を予約して、きちんとジャービス・コッカーに間に合ったらしい。その後、奥地(ヘブン)に行ってレイルロード・アースの盛り上がりも鑑賞して、マニー・マークを最後まで観てから戻ってきたそうだ。今年のT嬢はなんだか活発だぞ。前々回は「大人はグリーンより奥に行ってはいけない」と奥地に行こうとしなかったし、観たいものが終ると早めに引き上げていたりしたのだが、去年は、ホワイトのトリのマッドネスを観た帰りが苦行だったし、トラキャンでさらに奥地に行ったので、少し慣れたのだろうか?

 そう、私らが恐れていたのは「キュアがホワイトのトリだと、また去年の悪夢が・・・・」だったのだが、まんまとグリーンのトリになってくれたので、「去年よりはサクサク帰れるね」と安心していたのだった。今年は、トリを最後まで観ないといけないのは、キュアだけだったので、これをなんとか乗り切れれば、他の日はどうでもよかったのである。

 しかーし、「ミューズが45分も押しちゃったよ〜、これじゃ絶対にキュアは9時半には始まらないよ〜」という緊急事態発生である。
 帰ってから知ったが、ミューズは機材到着(ギターとか?)がギリギリになり、キャンセルするかもという事態だったらしい。なんとかギリギリ間に合ったようだが、そうなると、トリのキュアの開始時間は必然的に遅くなるので、主催者側がキュアと「短めにプリーズ」と交渉したようだが、「フツーは3時間やるところを短めで承諾していたが、1時間半はゼッテー無理」ということで、なんとか2時間で値切ったようだ。

 そんな裏舞台の駆け引きなんて知るよしもないから、レッドでファウンテンズ・オブ・ウェインを鑑賞しながら、晩御飯を食べて休憩し、(私は舞たけ丼を食べた。T嬢によると舞タケ丼は「舞タケ少ね〜、これじゃシメジ丼じゃん」と評判悪かったらしいが、けっこう舞タケ入ってたし味は美味しかった。ご飯がアルデンテだったが、私は「パエリヤみたいなもん?」と思って平気だったけど、後で掲示板チェックしたら「ご飯に芯が残ってるじゃんか!」と評判悪かった。みんな繊細なんですね。オレンジで食べたカレーもイマイチだったけど、私は野外で食べると、なんでも美味しく感じてしまうようだ。サマソニのインドアで不味いカレーを食べされられたときには心底腹が立ったのにね)「さーて、時間どおりに始まるかどうかわかんないけど、グリーンに移動しましょう」

THE CURE

 やっぱし、9時半になっても始まらなかった。
 ひたすら待つこと30分くらい、10時くらいになって、やっと始まった。

 客の集まりは「まあまあ」って感じ。前の方はともかく、後ろで座ってられるあたりは「いちおう、トリだから」という雰囲気。
 T嬢も会社では、わかる人には「キュア観にフジロック行ってきます」と言えたが、その他大勢向けの公式目的は「MIKA観てきます」にしておいたそうだ。

 ロバート・スミスが登場。覚悟はしていたが、ほんとに着ぐるみのような人である。化粧が濃くて、モニターのアップが怖い。メイクの効果もあるけど、この人、黒目が小さくて、白目が妙に白いから、今だとドコモのCMで長瀬君がやっているけど「寝ている人の目蓋に目のイタズラ描きしました」って感じで、ほんとコワ面白いんですよね。

 待ち時間長くて、けっこう体が冷えてきたのだが、前が見えないからヨロヨロと立ち上がって観ていたんだけど、開始20分くらいは知らない曲をやられた。

 スタジアム級ビッグネームとなったキュアが、今現在、どんなセットでやっているのか全然予習しなかった。T嬢は予習したかな?と思って聞いてみたら、やっぱし、そういう気分にはならなかったらしい。

 そーいや、事前にチェックした2ちゃんでは「金曜日のライブだから、フライデー アイム イン ラブ やるんじゃね?」という書き込みがあったので、T嬢に「そういう説があった」と言ったら「でも、ロバート・スミスそういうノリかね?」と言われた。

 知ってるイントロが流れて、前のほうもけっこうノリノリになったかと思うと、また重くて暗い曲やられて、谷間から吹き上げてくる風の冷たさを感じつつ、しばらくしたらロバスミがMCで「今日は、この曲を演奏する、いいチャンスだ」と言うので、T嬢と「きゃーーーーー、きた〜〜〜〜〜」と思わずハイタッチ!

 ええ、けっこう盛り上がったんですけどねえ、またその後にまったりしたりするんですよ。
 ほんと、聞きたかった曲は結果的には全部やってくれたと思うんですが、T嬢曰く「キュアは、明るい曲と暗い曲の落差が激しすぎる」というのは本当で、普通のツアーみたく3時間やるとしたら、暗い曲をさぞかし延々とやるんでしょうなあ。

 もう、いいから、後半30分は、往年の名曲メドレーでガンガンやれ、と思ったのですが、そうしないんですよね〜
 1時間半経過したころ、疲れて座りこんでしまいました。はあ、体冷えたし・・・・

 わー、Why Can't I Be With Youきた〜〜〜〜、これ聴けたらもういいよ、わーん、もう12時じゃん、曲の合間のホワイトの音漏れもシーンとしている。やべー、これじゃ、帰りのバスは、ホワイトのトリまで観た客と一緒になっちゃうじゃん。

 アンコール1回目が終ったので、「じゃ、出発」と歩き出したら、2回目のアンコールが始まって、また暗い曲やりやがるし〜、と思いつつ、後ろのほうで見ていると、最後の最後で「わー、そっか、ボーイズ・ドント・クライはまだやってなかったか!」

 いや、ほんとに大御所らしい、いいライブでしたけど、ロバヲはヤル気満々だったし、なんであんな元気なんだかさっぱりわからんんが(ゴス系のはずだったのに・・・)、あの様子からも「いつもだったら3時間」っていうのはよーくわかったけど、でもやっぱ2時間でも長いって。私がよく知ってる曲だけ、ガンガンやってくれたら1時間で済んだのに・・・・・
 せめて、前半1時間は「よくわかんなーい」でまったりと座ってられて、後半1時間は無我夢中だったらねえ?

 ロバスミは最後に「じゃ、また23年後に会おう!」という自虐的MCをかましてくれた。T嬢は「おまえ、それまで生きてるんか!」と突っ込んでいたが、私は「やだな〜、自分が65歳になってて、『キュアがフジロックに来てからもう24年になるが、おかしいなあ、来ないね〜』って言ってるのって」と心配してみたりした。

 でも、私らも、人生経験それなりに積んでいるので「なかなか来ない」っていう外タレ(死語)が、1回来ると、はずみがついて(興業主も「あ、こいつら金になるんだ」と気が付いたりして)、それから2年おきくらいできっちり来日したりするんだよね。

 しかし、単独公演だと、こいつらこれで3時間やるんだよな、けっこうキツいっすよ。まあ、椅子のあるハコだったら座ってればいいんだけどね。

 さて、「グリーンのトリだから、早めに帰れるね」という目論見は見事に外れたけど、去年のマッドネスのときのように歩道が渋滞しなかったので、なんとか1時過ぎにはバスに乗れたけど、宿についたら2時を回っていて、風呂入ってビール飲んで、反省会開いていたら(やはり、押したミューズが悪いとか)もう4時。これじゃ、去年と同じじゃん(泣)


二日日 7月28日(土)

 今回は、公式ツアーセンターで「越後湯沢付近の温泉宿」という指定をしたのだが、NASPAニューオータニに割り振られた。
 駅からは徒歩20分くらいらしいが、山の中腹なので歩いて行く気がしない宿。
 でも、車だと3分くらいだし、フジロック期間中は夜中の12時から14時くらいまで、送迎車がピストン輸送してくれるので、けっこう便利だった。

 設備もさすが、バブル時代の設計なので、大浴場もイマドキのスパ施設っぽい。温泉宿の風情やお湯質は望めないけど。

 8時半に目覚ましをかけて、ノロノロと起き出して、大きなバンケットルームで展開される朝食バイキングに向かう。野菜、野菜、野菜を食わないと・・・・・
 さすが、ニューオータニ系、朝食は素晴らしかったです。いっぱい野菜や果物を食べられました。和食コーナーのご飯周りで、海苔や塩辛をせっせと収集している外人さんがいて、「チャレンジャーだな」と思いました。かと思えば、スクランブルエッグにソーセージにベーコンだけの、「完璧イングリッシュ・ブレクファースト」な外人さんご一行もいらして、T嬢と「でも、焼きトマトだけがどうして無いんだよね」と、勝手に「焼きトマトの無い日本」を憂いてあげたりしておりました。

 朝ご飯をたっぷり食べて、部屋で着替え&日焼け止め塗りをしてから、10時20分の駅までの送迎バスで越後湯沢駅到着。「今年の土曜日はどうかねえ」と言っていたのですが、やっぱし、駅の改札すぐに行列が!「がああ、これはバスまで1時間待ちのパターンだ」と瞬時に諦念。

 結局ね。駅についてからバスに乗るまで、たっぷり1時間半でした。
 もう、バスターミナルの日差しが強くて、日焼け止めは万全だったのですが、汗で塩分が失われるので「こんなことだったら、朝ご飯でもっと塩辛とか摂取しておくんだった」でした。

 「今年は土曜日も当日券出てるし」と余裕かましていたのですが、土曜日はやっぱり一番、一日券が売れる日なので、ナメてはいけません。
 結局、12時半ごろやっとバスに乗れて、苗場に着いたのが1時くらい。

 さー、今日のメインはドラゴンドラよ!

 そう考えたのは、私らだけじゃないよようで、えらい混んでた。
 相乗り推奨になっていたくらい。
 3年前に乗ったときには、二人づつくらいでゆったり乗れたんだけどな。

 でも、行きは丁度、前の席に座れたけど、後ろに座ったカップルは初めて乗るみたいで、彼女のほうが「わあ、景色がきれい・・・・ほんと、きれいね・・・・きれい」
 ごめん、前の席だと、断崖絶壁が楽しめて、高所恐怖症の私は「わーーーー、やっぱ、二度目でも怖いよ〜〜〜」と軽く絶叫していたんですが。で、T嬢と「この、途中のあたりは、どうやってメンテナンスしているんだろうか?」と技術的なあたりで話を煮詰めていたんですが、背中合わせの後ろのカップルは「わあ、キレいねえ」の真一辺で、「すまん、私らがいなければ、君らはここらへんでチューの一つもできただろう」と思いました。

 ドラゴンドラ乗る直前に、雨がサーっと降って、いきなり「さあさあ、皆様の雨装備チェック た〜いむ」になったのですが、すぐに雨は止んで、でも「ドラゴンドラ頂上は雨」となっていたのですが、タイミングよくけっこう晴れていた。

 頂上は、あいからわず、ゆる〜いパフォーマンスが展開されてた。
 パンダの気ぐるみ着たギター弾き語りとか・・・・・それが意外と人を寄せ集めるあたりが、さらに緩い。
 フジロックの「いいところ」だと思うのだが、地方から来た若者が多いので、大道芸的なものにわりと素直に吸い寄せられるのである。
 向こうではDJもやっている。DJメンツ的に「もしかしたら、知ってる人が仕切っているのかもしれない」と近寄ってみたが、その時はキャプテン・ファンク氏がプレイしていた。見回してみたけど、知ってる顔は見当たらなかったので、T嬢としばしまったりしてから、また下界に戻ることにした。

 グリーンではちょうど「!!!」演奏中。盛り上がってそう。レッドでは「少年ナイフ」の演奏が始まった。それ聴きながら、昼食を食べ(タイ飯屋のグリーンカレーにした。普通に美味しい)、さあ、雨もときおりパラつく程度の好天気の中、クーラだ!

クーラ・シェイカー

 クーラとは関係ないが、今年のフジロックは「長靴がデフォルト」の人が異様に多かった。夏フェスブーム(?)の後押しもあってなのか、たしかに、5年前にはフジロック行く前に長靴を買おうとして町を奔走したけど、今はちょっとした靴屋や雑貨店でも可愛いのいろいろあるしね。

 T嬢にそんな話をしたら「そーいや、ケイト・モスがグラストンで長靴履いていた写真がけっこう話題になったしね」
 さすが、ケイト嬢は超ミニで長靴履いていたそうです。
 後で、ネットで調べてみたら、ケイトがその時履いていたのは「ハンター」ってブランドのやつらしく、「ケイトと同じ長靴買っちゃいました〜」というブログもけっこう出てきた。

 たしかに、フジロックでも、あの手の「これだったらブーツみたいなもんじゃん?」っていうタイプはよく見かけました。あのタイプでよく見かけたのは「AIGLE」とかいうのだったんだけど、掲示板で「AIGLEの長靴なのに、100円雨合羽って(笑)」みたいなことが書いてあったので、「え?そんな高級ブランドなの?」と思って調べてみたら、なんと1万5千円くらいするんですね。ハンターのもそのくらいするらしい。ふー・・・・・・

 あと、圧倒的に多かったのが、クロックスのサンダル。街でも大流行していたけど、「多少の泥だったら、素足にサンダルで突っ込む」ことができる若者にはフジロックでも重宝されているようだったし、お子様なんて100%クロックス履いてましたよ。
 「クロックスは公式スポンサーになっていただかないとなあ、あと、コールマンにも!」と声を大にして言いたい。

 折りたたみ椅子は、去年くらいから流行していたが、今年は本格的にブレイクしていた。その8割くらいがコールマンの椅子。シートの敷きっぱなしもウザかったが、椅子の置きっぱなしもけっこう迷惑なんだが・・・・

 後方に椅子が乱立する風景は、欧米のフェスでは見られない光景だと思う。(たぶん、欧米だったら、放置されてる椅子にみんな勝手に座ると思うし、盗難も多いと思うし)フジロックが「クリーン・フェス」ではなく「椅子フェス」と呼ばれる日も近い。

 さて、雲がちらほら通過し、ときおり霧雨が降るけど、あんまりしっかり降らないから、地面が乾燥してホコリっぽくなっていたし、とにかく暑いので「少し、まとまった雨降ってもいいんだけど」と思ったくらいだったが、クーラ始まる直前くらいは、ほどよく雲がかかっていたので、木陰じゃなくても座っていられたのが幸い。

 15:50の定時ほぼぴったりで、クーラ登場!

 思えば、10年前の97年のグラストンでも、一番よかったのがクーラだった。あんときも、こんなかんじのメイン・ステージで演奏していた。あれから10年・・・・と思うと、熱いものがこみあげてくる。
 クリスピンは、この暑い中で、きっちりジャケットを着ていた。そーいや、ジャービス・コッカーもきちんと上着着ていたな。ほーんと、えげれす人ってヤツは(笑)

 去年、レッドでやったときには、開始15分後にHUSHを演奏して、「クーラちょい見してから、レッチリに移動」という人たちへの大サービスかと思ったんだが、今年はさすがにHUSH温存。
 クーラの演奏が40分くらい経過したら、私はレッドに移動。ついでにトイレに寄ったのだが、さすが土曜日、それなりに並んでいたけど、まあ、15分くらいで入れたのだが、まんまとトイレの前でHUSH鑑賞できました。なーなななー♪

リリー・アレン

   レッドに着くと、16:40からのライブはもう始まっていたが「なんで、こんなに混んでるの〜〜〜〜?」の「どんだけ〜〜」状態。
 後ろの木陰で聴いていたのだが、音小さいし。
 たぶん、客が入りすぎで音を吸収してしまうのだ。

 レッドのテントの外になる「土間」みたいなところまでギュウギュウなんだもん。
 しかも、なんだか異様に盛り上がってるし。
 たしかに、ホーン部隊もいるし、唄も予想以上に上手いし、かなりいいライブだ。

 しょーがないから、そろそろと前の方に行ってみました。前の方に陣取っていた人たちも、暑くて茹だってしまい、後半は続々と出てくるのである。それでも、フツーならPA卓横くらいまでは、スルスルといけるはずなのだが、そこに行くまでにずいぶん時間がかかったし、そこでは全然前が見えない。ルックス可愛いらしいので、もっと前で観たいんだが。

 終ったあと、前のほうから出てきた客の会話によると、リリー嬢はタバコふかしながら唄っていたそうです。「いまどき?」と、イマドキの若者が驚いていたよ。

 しかし、前のほうへジリジリと前進していくと、音は大きく聴こえたのだが、リリーちゃん、アイドル性も抜群だし、あれでレゲエ調でやっていると「インド歌謡曲っぽいイマドキのアメリカン・アイドル」にも負けない感じだったのだが、なによりも、この子「ディーバ声の持ち主だった?」ということが驚きだった。

 いや、CDはアイドル声っぽいし、レコーディングで作った声だと思っていたのですが、すいません。ライブの声のほうが素晴らしい。なんつーか、ジャネット・ジャクソンが一番可愛かったころの声の伸びというか、あの頃、「ジャクソン一家では、実はジャネットが一番、才能に恵まれたかも」と思ったものですが、ほんと、ああいう声だったんですよ。

 ああ、この声でいろいろ唄ってほしいな。♪らーヴぃんぐ ゆ〜 なんて唄われたら、失神者出そう。あと「君の瞳に恋してる」とかもリクエストしてもいいですか?

 いやー、お父さんは有名なコメディアンらしいし、久々に英国が輩出した「つっぱり女性ボーカル」っていうのが売りだと思っていたんですが、やりようによっては、すごいことになるぞ、この子。だって、マドンナよりも100倍も唄うまいんだもん。どーしましょう?

 ですから、クドいようですが、ジャネット・ジャクソンばりの歌唱力で、デビュー当時のマドンナを思い出させる「女性にウケるアイドル性」なんですよ。ほんと、どーすればいいんですか?

 さて、リリー・アレンでうっかり前のほうに行ってしまったので、心底疲れた。
 終るとまた林の中で敷物広げて、ちょい昼寝。グリーンからはカイザー・チーフの演奏が聴こえる。けっこう、よさそう。と思っていたら、昨日の疲れというか、睡眠不足もあったので、ぐっすり熟睡していたようで、ふと気が付いたら、周囲は気味悪いほどシーンとしていた。周りに人がいなかったのである。

 「わ、いま何時?」と飛び起きたが、レッドではG・ラブの演奏が始まっていたんだけど、リリー・アレンと同じくらい混んでいたし、G・ラブの演奏もまったり系だったので、昼寝のBGMには最適だったらしい。もう一眠りして、7時にT嬢と待ち合わせ。カイザー・チーフを観たT嬢は「ボーカルが、ほんと、だたの、パブのバーテンみたいな、ぽっちゃり系のオッサンだった」と評していた。

イギー&The Stooges

 「そーいや、私、イギーのライブって観たことないんだけど、けっこう盛り上げるもんなの?」とT嬢に聴いてみると「うーん、今回はストゥーージス名義だし、わりとタテノリのはずなんだけどな」 


 昨日は同じ時間のMUSEの開演が遅れて、キュアの開演まで押してしまったが、イギーはほぼ定刻に開始した。「時間に正確なイギー・ポップ」ちゅうのもなんだだが、「まあ、大人だからねえ」
 T嬢曰く「今回の出演者の中でも、上から指折りの年長さんですから」なんだけど、イギー登場したら、私はこう思った「年齢は上から数えてトップクラスだが、体脂肪率は下から数えたほうが圧倒的に・・・・」

 いや、ほんとに、あの年で、あの体を維持しているというのを観るだけでも価値がある。

 で、曲は、ただひたすらパンクで、若者たちも大喜びで盛り上がっている。

 私も「いやー、これは花火大会みたいに普通に楽しい」と喜んでいたら(座って観てたんだけど)、T嬢が「あ、儀式が始まった」と言うので「儀式?」
 「うん、客を舞台に上げるのがお約束なんで、2ちゃんでも、グリーンステージに上がるチャンスだ!って盛り上がっていたんだよ」

 どれどれ、と立って観てみたら、確かにモッシュピットの前方が決壊していて、興奮した客が次々と舞台に上がっている。「あーあ、セキュリティ大変だな」と思ったのだが、一度決壊した穴を塞ぐのは難しいので、ほんと、舞台上が大解放されており、舞台に上がってしまった客の数は100人近いくらい。
 「なんか諸星大二郎の漫画みたいなことに・・・・ぱらいそに行くだ〜〜〜〜って」とT嬢に言うと、「ほんと、そんな感じ」と大いにウケたが、ほんと、そんな感じだったんだってば。

 どう収拾するんだ?と思っていたが、収拾つかなくなったようで、いったん演奏を中断して、係員がマイクを握って「みなさん、下に降りてください。そーしてもらわないと、ライブが中止になっちゃいますよ?」と、柔らかい口調ながらも脅しにかかる。

 舞台に上がってしまった客の多くは、その指示に従う気があるようだったが、なにしろ人数が多いから、降りるにしても時間がかかるし、その間に、新たに舞台に上がってイギーに抱きつこうとする人もいるし。
 そういう場合、イギーがいったん、舞台の袖にひっこめば沈静化も早いと思ったのだが、イギーはその様子を面白そうに眺め、セキュリティにブロックされながらもイギーに触ろうとする客を相手しているんだから、興奮状態がなかなか収まらないというのに、「ていきっと いーじー」と呑気に言っている。

 やっと、舞台から降り始める客達に、ずっと「いーじー、いーじー」と声をかけていた。
 日本語訳すれば「さー、みなさん、落ち着いて、ゆっくりとね〜、はーい、ゆっくり、ゆっくり〜」と声掛けしてるんだろうが、おめーがそこにいるから、みんななかなかあっさりと降りられないんですけど?

 でも、そんな「儀式」を含めて楽しかったですよ。終ったのが8時半前で「え?もう終わり?わー楽しすぎて早かったなあ、っていうか早いんですけど(笑)」という、大変中味の濃かった1時間でありました。

 いや、ほんと、イギーは極上の芸人だったよ。江頭がマネするのもわかる(?)

ビースティ・ボーイズ

 イギーが定刻遵守だったので、ビースティも、きっちり定刻の21:30に始まった。

 ミックス・マスター・マイクが登場し、初っ端15分くらいはラップタイムで盛り上がった。

 が・・・・そのあと、バンドセット。

 T嬢と「ビースティが緩かったら、酒でもひっかけに行こう」と決めていたので、ワールド・レストランでオーガニック・ワインをちびりちびりと飲みながら、ビースティの演奏聴いていたが、やっぱし中盤もモンド系。T嬢が「どうやら、今のビースティは盛り上がる曲を終盤にやるらしいんだよね」と言うが、最後まで観る気もないので「じゃ、ビースティの演奏聴きながらバス停に向かいまひょ」ということにしたら、ほんとうに、トイレの前通って、ゲートを出るくらいのときに「ああ、やってる、やってる、知ってる曲」でした。

 結局、ビースティを1時間くらいは聴いたのかな?そんで、11時くらいにはバス停で並んでいて、12時くらいに越後湯沢駅について、すぐに宿の送迎バスも来たので、風呂入って部屋に戻ったら1時で、「昨日に比べると、全然まともな時間」とホッとした。2時前には就寝したはず。
 
三日日 7月29日(日)

 土曜日が想定外に混雑していたので「日曜はどうかな?」とかなり覚悟していたのだが、越後湯沢のバス停の行列はさすがに改札までは届いてなかったけど、その代わり、バスの間隔は空いていたので、結局1時間くらい待たされました。

 12時半くらいにオアシスに到着。さっそく、今日のメーンイベントである「プリンスの屋台でステーキを食べる」に取り掛かる。
 1200円のビフテキは、フジロックの屋台飯の中でも最高価格を誇る。(T嬢のリサーチによると、奥地でもっと高価なのがあったらしいんだけど、それがどういうものだが不明)

 前から「一度は食べてみたい」と思っていたのだが、どうやら昼飯時に食べないと、夜にはステーキ食べる気力が自分らは無いことに気がつき「よーし、今日こそ、到着してすぐに肉食うぞ」という計画だったのである。

 グリーンではフェルミン演奏中で、日が燦々と差すなか、ビフテキをもりもりと食べ、そのあと、レッド後方の林でしばし食休み「牛食べた直後に寝転がると、ほんとに、いい牛になれそうだね」

 2時を回ったので「さー、話題のミーカさん観にいきましょう」とグリーンに移動。
 
MIKA

 「ところで、ミーカって、どういう系なの?」と、今回のフジロックでもマストアイテムの1人だったが、どんな音なのかさっぱり知らなかったのでM嬢に聴いてみると「え?何に似てるかって意味?」「うん」 

 M嬢、なんだか「待ってました」とばかりに「フレディ・マーキュリー」と胸を張って言う。

 「へ?」と、ひるむ私に「後は、ペット・ショップとか・・・・」

 「え?ってことは、けっこうイロモノ系なの?」と言う私に「いや、そうじゃなくて、あえて日本で近いものを言えば、平井堅・・・・」

 「・・・・・・・?」
 「だから、平井堅をものすーく天才にした感じといえばいいのかどうか」

 わかるよーな、全然わかんないよーな・・・・と思っているうちにMIKA登場。

 す、すばらしい!

 つーか、T嬢の説明、ぜんぶ、そのとーりでした。

 声質はまさにフレディーで、楽曲はペット・ショップ・ボーイズで、さらにビーチ・ボーイズなテイストもふんだんで、でも本人の気持的には平井堅みたいな奥ゆかしさがある。

 モロ、ゲイサウンドなのだが、そーゆーのを超越したところにいるみたいで、つーかレバノン出身らしいから、「欧米の視点で語ると、ちょっと違うのではないかと思う」というT嬢の意見に賛成。この人がゲイだろうが、バイだろうが、ノーマルだろうが、どうでもいいし。

 とにかく、そのファルセットを自在に操る唄法に、ただただ魅了されるのみ。

 平井堅レベルだと「さて、この辺で裏声にしておいて・・・」という作為を感じるが、MIKAみたいな天才だと、そういう設計図の存在は観客には全くわからないが、構造計算なくして、いきなり巨大なビルがデーンと建ったかのような心地がする。そう、平井堅が「霞ヶ関ビル」だとしたら、MIKAは「ガウディの聖家族教会」みたいな。

 しかし、耳は「想像以上に素晴らしい!」と大絶賛しているが、お目メは「あれ?こういうルックスでしたっけ?」と戸惑っている。
 T嬢も「ルックスはモデル並って宣伝しているけど、それはちょっと無理が・・・」と言っていました。

 いや、けっしてブサイクなわけでもないのだが、プロモ写真だと、もっとクールな感じだったのですが、「特撮」だったようです。
 スタイルも決して悪くはないんですが、服装が「白のTシャツに、ストレッチ素材の水色のパンツ」っていうのが、なんだか体操のお兄さんっぽくて・・・
 ですから、顔立ちも悪くはないのですが、白い歯剥き出しにして、超笑顔って感じが、クルクルパーマ頭と相まって、どことなく70年代アイドルチック。

 「アイドル顔といえば、そうだけど、なんだかキース・ジャレットみたい」と呟いてしまいましたが、後でよく考えてみたら、キース・ジャレットはジャズの大御所で、私が言いたかったのは「レイフ・ギャレット」でした。わははははは!

 要するに、ベイ・シティ・ローラーズが大人気だったころの「私が小学生の頃の洋楽アイドル」みたいなルックスだったです。
 そのあたりも「うわー、この声でこの楽曲?フレディーの生まれ変わりか?」説の裏付けになります。(残念ながら、MIKAが生まれたのは1983年。フレディ没は91年)

 そして、何よりも動きが変。
 いや、けっこう西条秀樹っぽい動きをするのですが、それが、なんていうのか、ええと、SMAPのゴローちゃんがやってるみたいに、ちょっと不器用で・・・・

 というわけで、まとめてみますと、「クラシックも学んだ、超絶歌唱力」と「モデル並の肢体」と「70年アイドル系の顔」と「稲垣吾郎ばりの運動能力」を備えた・・・・・て、ちっともまとまりません。でも、ほんとーに、そんなんだったんですってば。

 最後の方になって、ノリノリの曲のときに、Tシャツ脱いだので、思わず立ち上がってじっくり鑑賞してしまったが、「えーと、水色の腰パンって、『水色のイギー』って呼んでもいいですか?」と言ったら、T嬢も「た、たしかに〜」と大爆笑していた。

 というわけで、大変素晴らしいライブで、いいもの観させていただきました。

 しかし、その後が大変だった。
 MIKAが始まる前、レッドの林の中で食休みしていたとき、周囲の若者が語る「今日のスケジュール」によく登場していたのが「クラムボン」だった。

 ステーキ食べた後に、林の木陰でうつらうつらしていると、横にいる若者6人組が「MIKAちょこっと見てから移動して、やっぱクラムボンでしょう」「そうだよね、クラムボンは観たいよね」「クラムボン観た後は・・・」「クラムボン・・・・」「・・・・・クラムボン」

 ミヤノさんが、「牛食った後に昼寝してるから、さぞかし立派な牛になれるだろう。立派な牛はビールを飲むらしい」と実に理論整然と寝転んでいる中での「クラムボン攻撃」は、ミヤノさんを「立派な牛」ではなく「川底のカニ」にいつのまにかパラダイム・シフトさせるに充分でした。

 T嬢にも「こっちがうつらうつらしている横で、クラムボン連発されるもんだから、もうすっかり『やまなし』の川底でしたよ」と訴えると、さすがT嬢は「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ?」と言ってくれました。

 なので、「クラムボン要注意」とマークしていたのだが、MIKAが終るのが15時半ごろで、クラムボンがホワイトでやるのが17時だったから、まさか、みなさんがMIKA終了後に一斉に奥地に向かうとは予想していなかったのであります。

 どうやら、15時40分から始まる「シンズ」というのがお目当てだったよう。
 「Tさん、シンズって日本のなんですか?それとも外人?」と言う私に、T嬢は「それは私に聴かれても・・・・」

 グリーンからホワイトへ向かう道は、まさかの大渋滞にみまわれました。
 急いでいるのか、ズル込み(途中のオフィシャルグッズ売り場の丘を抜ける)をする人も多数で「だったら、MIKA最後まで観るなよ」と思いますが、これも「MIKAちょい見でホワイト移動」の計画を台無しにするほど、MIKAのライブがよかったということなんでしょう。

 私らが観たかったのは、さらに奥地へブンでのジョナサン・リッチマンだったのに〜
 T嬢曰く「さすがに、他の人の会話でジョナサン・リッチマンというのは全く聴いたことがない」だったし、MIKA終ってから、のんびりと30分で到着するはずだったんですよ。

 くどいようだが、日曜の昼下がりにあれだけ集客して、かつ客を離さなかったMIKAが悪かったのであって、その後、一斉に「シンズ」に向かう客がほとんどだったが、最奥地での「上原ひろみ観たいよねえ」な客も多かった。上原ひろみって誰ですか?聴いたこともないのですが?

 あまりの混雑に「もういいよ、別にジョナサン・リッチマンが全部見たいわけでもないし」と、グリーンとホワイトの間のオフィシャル・グッズ売り場で、雑踏が収まるまで座って休んでました。原始人に襲撃された。(白人のパフォーマンス集団)

 雑踏が少し緩んできたので、「こんなんじゃ、ホワイト入場制限になってたりしない?つーか、こんなの日曜日の光景じゃないでしょ」とプンプンしながら、ホワイトから奥地までのショートカット木道入り口にたどり着くと、「シンズ」というのは、外人だった。アメリカの新人らしかったが、けっこうネオアコ調で「ふーん、こういうのもそれなりに人気あるんだ」と思いつつ、混雑する木道をちんたら歩いている途中、けっこう堪能できました。

ジョナサン・リッチマン

 16時半前くらいに、やっとヘブン到着。
 ジョナサンが期待通りにゆるーくやってました。

 しかし、ここでやっとまともな雨が降ってきた。
 この三日間、雨は時々降って、みんな一斉に自慢の雨具を取り出したけど、長くても20分くらいしか降らなかったので、またすぐに雨具をしまったのである。「まるで、避難訓練のように定期的に雨具のチェックされているようだ」と思った。
 MIKAのときには、やや雲が出たので、なんとか日陰じゃなくても座ってられたが、かなり暑かったので「雨降っくれたほうがマシかも」と思ったのだが、そしたらパラついてきたので「お、やった〜、これで場内の土ぼこりも解消するか?」と喜んで雨具を装着したのだが、やや強い霧雨が15分くらい降っただけで、少し涼しくなったけど、地面が水を吸うほどの雨量ではなく、太陽が現れるとあっという間にカラカラの土になってしまった。

 なので、ジョナサン・リッチマン演奏中だし、それは「めぐみの雨」だったのである。

 さて、こういう大御所というか「伝説の人」は、若者でも観たいと思うのか、それとも、MIKA終了後にグリーンから大量に人が流れてきたので、奥地にいた人たちはグリーンやレッドに戻る気になれず、そこでまったりしていただけだったのかもしれない。

 「弾き語りセットらしい」とT嬢に聞いていたが、いちおー、ドラムもいました。
 でも、路上で演奏しているストリートな人っぽかったけど。
 つーか、曲は全部「あむ〜る」全開っぽい。

 そして、ジョナサンは無意味にギターをクルクル回し、ときどき、よっこらしょとしゃがんで、えーと、なんか名前あったと思うが、「デカい鈴」をシャンシャンする。で、自分が納得するまで充分にシャンシャンすると、またよっこらしょとしゃがんで鈴を床に置き、ギターを回して、自分もターン。

 異常にラブリーであるが、もしかしたら本人は、本気でカッコつけているつもりなのかもしれないが、伝説の人の本気って「お笑い芸」に近くなるらしい。そーいや、イギーもそんな感じ。

 雨合羽に身を包んで、コールマンの椅子に座ってぼんやり眺めている後ろの方の客たちは「伝説の人」の究極の癒し系ぶりに、どう反応していいのかわからず、ひたすらぼんやり眺めていた。

 ジョナサン・リッチマンはフジロックでなぜか他に2箇所で出演しているのだが、土曜日は遅い時間の「苗場食堂」(ワールドレストランのすぐ側にある小さなステージ。ステージというか大道芸扱いっぽい)で、たぶん、ビースティが終ったあと、オアシスに流れてきた客を癒していたであろう。

 で、日曜日は23:30からパレス・オブ・ワンダー。(ゲート出たところにある。バイク芸みたいな本格的な見世物や、新人バンドのライブステージや、屋台や テント製のDJクラブがある深夜のまどろみスポット)
 日曜トリのケミブラを観た後の客が、ジョナサン・リッチマン観たら、その人間臭さに衝撃を受けるかもしれないなあ、と思った。ケミブラみたいな、ひたすらデジタルなものを観たあとで、あんなの観たら、「神だ・・・・」と激しい恋に落ちる危険がありそうだ。

 その落差を試してみたいけど(ドラゴンドラで断崖絶壁を楽しむのと同じ)、今日は早めに宿に戻る計画だし、そもそも、ジョナサン・リッチマンを30倍楽しむために、わざわざケミブラ観る気にもならない。

 さて、ジョナサンの演奏が終るころ、雨も止み、本来ならこの後、同じ場所で「ドルッティ・コラム」だったのだが、直前キャンセルだったので、しょーがないから「ファクトリー勢(?)なぜか時間がカブってますが?」だったハッピーマンデーズをグリーンで観るため移動。

 通過したホワイトステージでは、噂の「クラムボン」が始まっていた。すげく混んでいた。

 しかし、なんか音が「Mフロー」みたいで、「どこが、クラムボンなんじゃ〜」とブツブツ文句言いながら通り過ぎました。川底どころか、森の中も似合わないような、都会派でした。
 ああ、ヴィニが、あの森をバックに演奏してくれたら、そりゃもう、コアなミヤケン(?)ファンも納得してくれるくらいの「クラムボン」ぶりだったはずなのに〜〜〜〜〜〜〜〜(苗場の中心でI think so・・・と叫ぶ)

ハッピー・マンデーズ

 ヴィニのキャンセルで、T嬢から来たメールは「つーわけでこれはマンデーズを見ろというマンチェスターの神様の思し召しなんですね。でもそんな神様イヤ。」であった。 

 私らのように「マンデーズとヴィニが同じ時間だったら、迷わずヴィニ」という人がどれくらいいたのはわからないが、ヴィニが来なかったおかげもあったのか、意外とマンデーズに人が集まっていた。
 前の方で観る気にもならないので、PA卓テントのすぐ後ろくらいの、丘になったあたりの一番前くらいで座って観た。

 マンデーズは去年も来たけど、去年は日曜のクロージングで、演奏しているうちに「日付が変わって○日月曜日の午前0時のニュースです」とNHKのアナウンサーが淡々と言うように「そっか、マンデーズがクロージングというのは、そういう意味か」と思ったんだけど、去年の私らは、日曜は宿泊せず、T嬢は宿をチェックアウトすると、仕事があるから東京に戻り、私は会場に行って、3時くらいまでブラブラしてから、東京に帰ったので、マンデーズを観ることはなかった。無理して観るようなもんでもないし・・・・

 なので、クドいようだったが、今年も無理して観るつもりもなく「わはは、ヴィニと重なってるよ」と思っていたので、マンデーズを観ても、あまり素直に喜べない。
 まあ、思ったよりライブはちゃんとしていた。でも、私が「けっこう、ちゃんとしているけど、あのボーカルの黒人ネーチャンがいるから、なんとかなってるよーな」と言うと、T嬢も「たしかに、そーいや、プライマルも黒人ネーチャンが頑張ってる脇で、ボビーはマイクによりかかってユラユラしているだけだしねえ?」


 (さて、ここまではフジロック帰宅後すぐの8月に書いたのだが、ここで飽きてしまって、まさに「人を冷やすマンデーズ」であったが、年内には書き上げようと、クリスマスも過ぎてから重い筆を上げました)


 そうボヤきながら、マンデーズを座って眺めていたら、かなり体が冷えてしまったので、最後まで観ずにワールドレストランに移動して、ワインを飲んで体を温めていた。
 「もう帰ろうか?」な雰囲気になっていたが、「でも、マンデーズで冷え切っちゃったし、ちょっと熱いのも観てから」とレッドで始まったフリクションをBGMに晩御飯を食べつつ、スカパラが始まるのを待った。

 スカパラが開始してから、グリーンに戻ると、期待通りにホットであった。「ああ、こうでなくちゃ」とひたすら盛り上げるスカパラと、ひたすら盛り上がる観客の熱気で暖をとった。30分くらいは鑑賞しただろうか?またレッドのほうに戻って「じゃ、最後にクラップでもちょい観てから」と8時半に「Clap your hands・・・」が開演するのを待って、いよいよ始まると、なんか変な歌声。

 T嬢が「ね?変な声でしょ?」「うん」「この声のボーカルが作曲のほとんどを手がけてるらしくて、だから変態系になるんだよね」「うん、こりゃ変だ」と、大変納得したので、触りの10分ほどだけ聴いて、「さあ、満足したから帰ってポルトガルワイン飲も〜」

 と、トリのケミブラが始まるかなり前に帰路についたので、実にスムーズに下山できて、風呂に入って一息ついてもまだ11時前。
 T嬢が「ポルトガルのレストランでよく飲んだワインはこのタイプだったんだけど、日本では珍しくて」と、たまたま見つけて買ってきてくれたのは、微炭酸の白ワインで、安ワインらしいのだが輸送も問題もあるらしく、あまり日本まで輸出していないようなのであるが、軽い飲み口なので「これ、本格的に売れば、日本女性受けするでしょ?」っていうお味で、あっという間に一本開けて、他にもホテルの売店で買った、地ビールをたくさん開けて、ベロンベロンになって床につきました。それでも午前1時くらいには眠れたのかな?

帰り 7月30日(月)

 朝、目が覚めて、毎朝やっていたのは宿のカーテンを開けてのお天気チェックだった。
 越後湯沢と苗場とはバスでも40分はかかるし、高度もかなり違うので、天候は一致しないが、それでも、下で雲が多いときには、上では小雨がぱらついていたりするので、上の天気のおおまかな予想はできる。

 しかし、帰る日のその朝は、外を観ると見事なドシャ降りだった。
 「わー、すごい雨」と笑いがとまらない。
 パソコンのゲームであるじゃないですか、地雷をよけるやつ。あれをクリアしたみたいな気分。
 この日も晴天やら曇天だったら「天気まあまあでよかったね」という程度だが、「こんなドシャ降りの中で、野外にいる気力ゼロ」な私らにとっては、「見事に雨を避けた!」というか、「神様、ありがとー」と神を見た瞬間でした。

 T嬢は、帰りの指定席も予約していたので、最後の朝ご飯をたっぷり食べて、チェックインしてから送迎バスに乗って湯沢駅でちょうどいいくらいの時間でしたけど、私は「せっかく天気悪いから、これは、あの山の湯に行ける!」と駅で荷物をコインロッカーに預けて、自慢のゴア合羽で武装して、雨の中、15分くらいの道のりを楽しく散歩しました。

 炎天下であの距離を歩くのは大変ですが、雨だと快適。日焼け止めも塗らなくていいし(笑)
 何年かぶりで山の湯に行きましたが、温泉ブームもあってか、けっこうフジロック客も入っていました。5人もいれば「混んでる」っていうくらいの狭さなんですが、やはりお湯質は最高。そして、風呂上りに日焼け止め塗らなくていいのも助かります。

 またてくてくと駅まで戻って、切符買おうとすると、いつものことながら窓口は長蛇の列だったので、自動販売機で並ばずに買える自由席券を手に入れてホームに上がると、自由席待ちの行列が・・・・
 行きも自由席は混んでいたし、連結部分に立つ人も多かったことを思い出し、ふと、ズルを思いついた。「指定席車両の連結部分だったら空いてないか?」

 作戦はバッチリで、案の定、自由席から遠く離れた指定席のドア付近は誰も立っていなかったのだが、あまりにも誰もいないので、「もしかして、通りすぎる車掌さんに注意されたりするのかなあ?」と不安になったが、オバサンになったことによる数少ないご利益の一つとして、昔に比べると相当ズブとくなっているので、「そうなったら、そうなったで、あらあら、まあまあ攻撃で笑ってごまかして立ち去ろう」と決意するも、車掌さんではなくて、売り子さんが通るだけでもなんだか緊張しているあたり、気が小さいことこの上ない。

 そして、やっと検札で回っている車掌さんが横を通ったのだが、完全に無視されたので「ほほほ、これが小汚い若者の集団だったらダメだったかもしれないけど、あたくしみたいな、空席さえあればグリーン車に乗っていてもおかしくないような品のある中年女性がおとなしく隅で佇んでいるだけなんですから、そりゃOKざま〜すよね」と、自分に言い聞かせて気を緩めた。

 それでも、1時間も立っているのは退屈だったので、景色を眺めながら国木田君(愛用のiPod。国木田i独歩君)が口ずさむキュアの曲で復習に余念が無い。外はずっと大雨だったので「東京も雨だなあ。でも、雨対策ばっちしだもんね」と思いつつ、大宮に着くと都心で落雷があったらしく、その影響でダイヤが乱れていたが、私が着いたときにはちゃんと電車は動いていた。

 ことごとく天災を避けているので、「ああ、今年の運は使い果たしたなあ」と観念したが、渋谷に着くと雨雲もすでに通過していて、「ええ?ひょっとして日焼け止めが必要?そんな〜」という贅沢な悩みを堪能したのであった。

 というわけで、2007年のフジロックでしたが、なかなか最後まで書けずに年を越してしまいましたが、先日(2008年2月13日)にポリスの東京ドーム公演を観て、かなり感激して、その感想文をダラダラと書いていたら、やっと勢いがついて、やっと〆ることができました。
 まあ、いつもそう言っているけど、「自分用の心のアルバム(しかも画像無しで文章で表現)」なので、どーでもいーんだけどさ。
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