初めてのフジロックーFuji Rock Fes'01


2001年8月5日
 けっこう野外レイブにも行ったし、ラブパレやグランストンベリーなどの海外のメジャーなフェスティバルは行ったことのある私ですが、フジロックには行ったことがなかったのでした。
 今回は「ニューオーダーが来る!」ということで盛り上がり、ついに初参加と相成りました。老齢と清貧を考慮して、1日だけの参加でしたが、それなりに楽しめました。

 というわけで、その体験記をここに綴ることにいたします。


出発

 いろいろ揉めたのですが、出発は結局、28日土曜日の朝になりました。MG氏が早朝、車で自宅(自称:神奈川の山奥)を出発し、相模原のA嬢を拾い、8時に三軒茶屋に到着するという計画でした。
 苗場に到着予定時刻が11時。そして、MG氏は12時半から始まるJunoReactorが観たいという希望でした。

 結局、三軒茶屋までの道路がけっこう混んでいたようで、到着したのが、9時近く。誰もまだ朝食を食べていなかったので、マクドナルドで朝食を調達。私はなんと、プレステ2のオリジナルソフトが当たってしまいました。(プレステなど所有していないので、Aに献上した)幸先のよいスタートなのか、それで運を使い果たしたのかよくわかりません。

 車の中で朝食をとり、いざ関越自動車道の入り口、練馬を目指します。道路の混雑状況は思ったほどではなく、かと言って空いているわけでもないというかんじでした。車の中ではさっそく「ニューオーダーの予習」が始まりました。

 「行きはニューオーダー以外を聴くのは禁止」

と、Aが息巻いていて、持ち寄ったCDをかけていました。私が持っていったRegretをかけると、いきなりMG氏が

 「おお!俺のところにも、今やっとニューオーダーが来た!」

と、なにやら憑依してしまったようでした。
 いっしょに歌って練習していると、MG氏が、

 「でもさ、俺たちのほうがきっとバーニーよりも、歌うまいよ

などと、言います。たしかにそれはありうる。それ以外にも、

 「ライブ始まったら、バーニーじゃなくてバーナード犬がボーカルだったらどうしよう?そんでバーニーよりも歌が上手かったりして・・・」
 「演奏もきっと下手だろうから、うちらが演奏したほうがマシじゃない?ギターもベースも弾けないけど、私が今から練習したほうがマシというか・・・」
 「全部、DATでクチパクなんだよ」
 「そのほうがよくない?」
 「てゆーか、誰かがDJやってレコードかけっぱなしのほうがよくないか?」

 こんなことばかり話している私たちは、本当にニューオーダーのファンなのでしょうか?平均年齢33歳。皆ニューオーダーはリアルタイムなのでいいのです。

 関越に入ったのが10時近かったのだと思います。飛ばしていけば湯沢ICまで1時間半の距離なのですが、さすがに夏休み中の土曜日だけあってほどよく混んでました。でも、そこそこスピードは出たので、2回ほどトイレ休憩をとりながらも12時くらいには、長い関越トンネルを越えて湯沢ICに到着。そこから国道に入り、15分ほどで「田代駐車場」に到着しました。

 3日間通しの駐車券だと、会場から歩いていける距離の駐車場が割り当てられますが、一日券の場合は、苗場近隣のスキー場の駐車場になってしまいます。そこから会場と越後湯沢駅をピストン輸送しているバス(入場券を持っている人は乗り放題)で会場に運んでもらいます。重い荷物だとけっこう辛いです。
 開演は11時なので、もうバスは空いていて、座れるほどでした。10分程度で苗場着。途中の道路から会場が見下ろせて、「おおお!」と気分が盛り上がります。
 

苗場到着

 バスが止まるのは、会場入り口から数百メートル離れたところで、苗場プリンスの脇くらいです。すでにそのあたりは、バスで来た人や、苗場の宿に宿泊している人たちが会場を目指してゾロゾロと歩いていました。
 苗場プリンスと会場の間がテントサイトです。入り口でリストバンドをしてもらい、中に入りましたが、すでにいい場所はぎっちりとテントが立ち並び、かなり奥に行かないと場所が確保できないようでした。テントサイトはゴルフ場なので、平らで芝生の美しいところはグリーンなのでロープが張り巡らされて守られています。

 「グリーンを荒らすと、バンカーからヌっと管理人が出現してきて、処刑されちゃうんだよ」

 などと、喋りながら場所を探しますが、斜面の急なところしか空いていません。あまり奥に行くと入り口やトイレが遠くて不便です。ところがウロウロしていたら、それほど遠くないところに絶好の場所が見つかりました。傾斜もきつくなくてほぼ平ら。なんて運がいい私たち!

 そそくさとテントを張っているバックには、会場の音が流れています。すでにJunoReactorのライブは中盤。ドンドコとあのアフリカンビートが聴こえます。「やっぱ間に合わなかったね」「まあ、いいじゃん」
 MG氏は再来週の「武尊祭」に行く予定になっているので、そこでもJunoが出演するからいいみたいでした。
 テントの上には私がゴアで買った星型の飾りを置きました。目印用。会場内でも同じものがグリーンステージとホワイトステージの間の道に照明として使われてました。

 準備ができたので、昼食をとるために早速会場に向かいました。

 ゲートに入るとまず簡易トイレがたくさんあって、すでにけっこう行列していました。野外イベントはトイレが難点です。
 左手に「オアシス」という屋台ブースがたくさんあるところがあり、昼時なのでかなり込み合っていて盆踊り会場のようでした。その向こうに見える大きな赤い屋根の建物が「レッドマーキー」のようです。「なんだ、屋根があるんだ。じゃあ、夜は雨が降っても大丈夫だね」

 この日は曇りで、けっこう黒い雲が山を覆っていました。ただ、時折日も差すので、雨が降ったとしてもそれほどではないだろうと思いましたが、空模様は気になります。しかし、場内は土ぼこりが上がっていて、「昼間の暑いうちに少し雨が降ってもいいかもね。」とも思いました。でも、神様はそんな我がままなお願いは聞き入れてくれなかったようです。

 一番大きいグリーンステージを通り抜けている途中で、Hさんに遭遇。一番奥のフィールド・オブ・ヘブンで演奏するのだそうです。(「渋さ知らず」らしい)でも、「ニール・ヤング観たいんだよね〜」と自分の出番より、そっちのほうが気になっている様子でした。さらに歩いて、憩いの場所になっている川を渡り、日陰で涼しい山道を延々と歩くとホワイトステージが現れました。(写真参照:左端で立っているのがMG氏。足が細い!顔はわからないようにしてあります。)
 そこからさらに歩くと、アバロン・フィールド。そこにはNGOなどがブースを開いています。屋台もたくさんあったので、そこで食事をしました。私が食べたのはタイ・カレー。斜面の草に腰をおろして食べていると汗が滴ってきました。

 すぐ近くで「ほ〜ほけきょ」と、うぐいすの鳴き声が聴こえます。最初は、どこかのブースのスピーカーで流れているのかと思いましたが、どうやら本物みたいです。

 「へ〜、うぐいすって春にしか鳴かないのかと思った。ほら、東京だと梅とうぐいすってかんじじゃん?」

 と、私が言うと、山に近いところに住んでいるMG氏は

 「おれんちの庭にもいるよ、うぐいす。ずっと鳴いてるよ。けっこう仲良しなんだ」

 と、言ってました。いいな〜うぐいすが定住しているなんて。そういえば、某知人の家の庭には大きなカエルが定住していて、夜中に帰宅すると、玄関の側で「ゲコ?」と鳴いてお出迎え(?)してくれるそうです。庭のあるうちっていいですよね。
 ちなみに、MG氏が「うぐいすと仲良し」だと言い張る根拠は、自分がかける大音量のテクノ/トランス音楽とうぐいすが合唱してくれるということらしいです。MIXがうまくいくと、かなりすばらしい状態になるようです。・・・・と彼は自慢げでしたが、私もちょっとうらやましかったのですが、そのうちその周辺のうぐいすは変な鳴き方になってしまうのではないかと、ちょっと心配です。

 話が脱線しましたが、とにかくうぐいすの歌を拝聴しながらカレーを食べるというゴージャスな昼食でした。
 アバロンの奥にAが事前にお手伝いした会場のデコレーションスタッフの拠点テントがあるようなので、Aが覗きにいきましたが、そこのボスである友達は不在だったようです。

 食事も終わり、せっかくだから、一番奥のフィールド・オブ・ヘブンに行ってみると「ヘンプ・ショップ」などもあって、ちょっとヒッピー村ってかんじ。
 そうして、会場を全部回って、だいたいの広さを把握したので、またチンタラとテントに戻りました。私たちがほっつき歩いている時間はちょうどライブの谷間になってしまい、あまり演奏は観られませんでした。

 テントに戻ると、どうやらパティ・スミスが始まったようですが、夜に備えてお昼ねをすることにしました。時間も4時近くなって日も傾いてきたので、斜面がちょうどいい日陰を作っていたので外にシートを敷いて川の字になって寝転んでいました。
 腰痛のAが「マッサージして」と頼んでくるので、腰や足裏を揉みながら、「なんか、やっぱパティ・スミスは暗いね」「でも、明るいうちだからいいんじゃない?暗くなってからこんな暗いのやだから」など話ていると、パティの演奏の向こうから、違う音も聴こえてきました。

 「電撃ネットワークだ!」

 なにやらドコドコと重たいビートの音楽に載って、「それでは、これから点火しまーす!」などというMCが風に乗って運ばれてきました。

 「うう、観たいね」
 「でも、今から行ったらもう終わってるよ」

 というわけで、心躍るMCとパティのどんよりした歌声と重たいギターサウンドのチャンポンを子守唄に、「夜が本番」な年配クラバー3名は、しばしの惰眠をむさぼったのでありました。(下の写真:テントサイトで準備体操する私・右とA・左。足が太い!顔はのっぺらぼうにしてあります)

 寒気を感じて目が覚めると、またなにやら重たいギターサウンドとけだるい歌が耳に入ってきました。すでにステレオフォニックスの演奏が始まっていました。日も山に隠れてしまい、あたりはかなり薄暗くなっていました。
 テントサイトにあったラーメン屋(冬はスキー客で賑わうのであろう)で、しっかり夕食を食べてから、もう戻らないつもりで支度をして、再度会場へ。

 ちょうど、トイレの脇を通っていると、Mちゃん発見。同行のTさんもいました。二人とも大学時代の先輩で、去年も参加していました。Mちゃんの「楽しかったよ〜」という演説にあおられて、私もここまで来てしまったというわけです。
 「ステレオフォニックスでバク睡しててさ〜これからトイレに行くところ〜」
 「ニューオーダーは観るでしょ?」
 「うん、またそこで会えるといいね〜」
と、エールを交換して、私たちはホワイト・ステージに向かいました。
 

MOGWAI → ALEC EMPIRE


 途中のグリーンステージではアラニス・モリセットが始まっていましたので、ちょこっとだけ観て、また長い道のりを歩きます。
 ホワイト・ステージではすでにMOGWAIが始まっていました。人気バンドだけに、人が溢れんばかりです。後ろのほうの「エコロジー関係のブース」が閉まったところの前にシートを広げてそこで横になって重低音ギターを堪能しました。

 フジロックはさすがに回数を重ねたイベントでもあり、なんかやたらとPAがよかったです。後ろのほうにいてもかなり大きい音が楽しめるし、音質もクリアでした。ですから、どの場所に陣取っても音が悪いということはなくて、ストレスはありませんでした。それって、こういう大きな会場では珍しいと思います。

 さて、MOGWAIも終わって、会場から一瞬人ごみが消えました。

 「どうしよう、演奏が始まるとこんなに混むっていうことは、ニューオーダーのときもあらかじめ前のほうに陣どっておかないとねえ」

 という作戦会議をして、次のアレック・エンパイヤのときにも前のほうにいることにしました。

 「アレック・エンパイヤなんてマイナーだからそんなに混まないよ」

 と、思っていたのですが、たしかにDJとしてのアレックはそんなに有名ではなかもしれませんが、ロックな人たちの間では「ATAR TEENAGE RIOTのアレック・エンパイヤ」はそれなりにメジャーなのでしょうか?(その昔はもっと音響系のDJだった。エイフェックスみたいなかんじ)
 開演時間が迫ってくると、あたりは若い男の子でいっぱいになりました。

 「え?アレック・エンパイヤってDJやるんじゃないの?」と、MG氏。
 「たぶん、ここでは、ライブでしょう。でも、前はDJのときには個人名で、ライブはATRでやってたんだけど、最近は統合しちゃたのかなあ?」

 私たち、最近のロック流行事情をよく知らないのであった。なにせ80年代が未だにリアルで90年代はクラブばっか行っていたので(笑)

 「でも、ライブなら多分、かなりパンクだよ。ATRも『デストロ〜い!!!』だったもん。もう何年か前だけど、私リキッドに観にいったもん」

 などと解説しているうちに、ライブが始まりました、

 ドガガガガガガガガ!

 すごい爆音。そして、ジュリアン・コープ(生協の回し者ではありません)みたいな黒いピチピチな服装の痩せてて強面のフロントマンが、

 デストロ〜〜〜〜イ!!!

 と、叫ぶと、前のほうに詰め寄った若者たちも「うぉおおおおお!」と縦ノリ。
 悪いけど、私は爆笑してしまいました。MG氏も「やっぱ、ですとろい〜なんだね」と笑ってます。

 しかし、笑いながらもタテノリの群集とドカドカビートによって私の心は10年前にトリップしてしまいついつい体が縦に動いてしまいます。

 すずめ百まで踊り忘れず

 の、法則に則って、ついつい若者に混じってこぶしを振り上げてしまったのでした。前のほうでは、ダイブなども行われていて、なかなかいい目の保養になりました。うんうん、若者はこういうところで発散して、街に帰ったら年寄りには優しくしようね。
 

NEW ORDER


 というわけで、準備運動も適度に済ませ、いよいよニューオーダーの出番です。
 アレック・エンパイヤのライブが終わってから30分ほどその場でゴミ袋を敷いて座っていたのですが、10時を過ぎると人がかなり多くなってきました。レッド・マーキーでエコ・バニを観終わった人たちも戻ってきたようです。(オヤジになったイアンをあまり観たくなかったので行かなかった)

 なんか、若い客が多くて

 「こいつら、ニューオーダー観たくて来てるのかなあ?」
 「でも、裏がニール・ヤングだから、そっちよりもってかんじなんじゃないの?」
 「ビリー目当ての人も多いよね」
 「たしかに、スマ・パンのファンだったらビリーを間近で観たいよね」
 「こうなったら、ビリーにドタキャンしてもらったほうが、私たちにとっては都合がいいよね」

 などと、愚痴ってました。
 私たちより少し前のほうに、「マンチェスター・ユナイテッド」の旗を持っている人がいました。けっこう目立っていたのですが、後で会った知人から、

 「ニューオーダーのときに旗振ってたのが、Sさんだよ

 と衝撃の事実を教わりました。いやあ、一生の不覚。「S氏はマラカス振っているはずだが・・・来てないのかなあ?」と話していたのでした。まさか、そっちの線で攻めてくるとは!Sさんは、私がマンチェスターどっぷりだったときの人気DJで、数年前家業を継ぐために地方に帰ってしまったのでした。親しかったわけでもないのですが、「ニューオーダーだからぜったい奴は来ているはずだ」と半ば冗談、半ば本気に語っていたのに〜〜〜〜話し掛けられなくて残念!

 開始予定の10時20分になっても、なかなかライブは始まりません。

 「なんか、お腹が痛い」
 
 極度の緊張のためか、Aが弱音を吐きはじめました。あまりにも期待が高まってしまい、体の不調を訴えているようです。ああ、君はなんでいつも本番に弱いんだい?

 「ちょっと腰も痛くなってきて辛いから、隅のほうで座ってる」

 そう言ってAは人ごみを抜けていってしまいました。取り残された私とMG氏も気分はかなり高揚していて、客音のなかなかうがったテクノでひゃらひゃらと踊ってました。
 「まだかな〜」
 「もしかして、バーニーが出るのを嫌がっているとか?」
 「まだ会場に着いてないとか?(彼らはとてもルーズなのであり得る)」
 「客がビリー目当てなので、ふてくされているとか?」

 などと、お馬鹿な心配をして気を紛らわしていたら、やっと10時半を回ってからメンバー登場。
 

 やはり全員オヤジでした(ビリーを除く)

 しかも、全員、コンビニに買い物に行くお父さんのようないい加減な服装。(ビリーを除く)
 
ニューオーダーのメンバー全員に告ぐ。

君たち、帰りには是非ユニクロに寄って、
ちゃんとした衣装を購入してください!

 
 しかも、一曲目が始まったとたん、

 うわ〜思ったよりも全然下手〜

 かなり予想はしていたのですが、演奏も歌もこれ以上ないくらいショボイ!それなのに、バーニーは「いえぃ!」とか言ってノリノリです。

 なんか、学校の同窓会で集まったおじさんたちが、「俺ら昔バンドやってたよな」「おお、ここに楽器があるではないか」「ちょっと弾いてみようか、バーニー歌ってみろよ」というノリでやっているみたいです。
 しかもバーニーが時々踊るのですが、それが「その場でスキップ」みたいなダサダサな踊りで、「あちゃ〜」というかんじでした。

 3曲目くらいに、

 ジャラ〜ン じゃ・・・・ジャ〜ン!

 と、変なギターの音が鳴り「?」と思った5秒後くらいに、それがかの名曲「Regret」であることに気が付きました。

 「これの出だしトチっちゃだめじゃん!」

 MG氏も笑っています。もう二人で腰砕け。でも、♪Have a conversation on the telephone〜と、サビを合唱しましたけどねっ。ちなみに、私の後ろに立っていた方が歌詞を完璧に覚えていたので「どんなやつなんだろう?」と振り向いてみたら、三木道山みたいな青年でした。(笑)
 

 「Aもきっと座りながら泣いてるよね」
 「それにしても、このアレンジなに?サイテー」
 「このショボさは凄いよね」
 「うん、もうここまでショボいと逆に感動ものだよ。すごい、すごすぎるぞニューオーダー!」
 

 しかし、前半はビリーの出番ほとんど無し。なんか浮かれてる酔っ払いオヤジの同窓会の中で一人で「プロ」やってて気の毒です。リハーサルの時とか「しまった」と後悔しただろうなあ。いったい、どんな弱みを握られてここまでつれてこられてしまったのでしょうか?
 バーニーの姪っ子に手をつけて孕ませて一族に殺されそうになったのをバーニーにとりなしてもらったとか・・・・・そのくらいの理由がないと、彼がこの場にいる理由が説明できない。

 にもかかわらず、バーニーはビリーと仲よしなのをどうやかアピールしたい様子です。

 「きっと、ギャルをナンパして、『俺ってビリーのマブダチなのさ。ホテルの部屋は隣なんだせ!遊び来ないか?』って言うつもりなんだ!」

 と、私の「深読み心」が暴走します。

 とかなんとか悪口ばかり書いていますが、ニューオーダーというのはかなりひねくれたバンドなので(ジョイ・ディビジョンという前身バンドのボーカルが自殺して死んじゃったので、バーニーが歌うことになったけど、「俺は別にボーカルやりたかったわけじゃないんだぜ」という態度であった)、正しいファンも相当ひねくれているのです。(本当)

 それになんだかんだ言っても、私は演奏の合間にずっと「ば〜に〜ぃ!」と叫んでいたのでありました。おかげで翌日は声が枯れていました。

 さて、予習していた「Regret」「Bizarre Love Triangle」などは、きっちりと変なアレンジ(笑)で演奏してくれたし、ジョイ・ディビジョン時代の名曲Love will tear us apartもやってくれました。(余談ですが、この曲にインスパイヤされてしまった香港の新進監督がいるみたいで、「天上の恋」の予告編でこの曲が流れたときにはのけぞりました。しかも、英題はそのまんま、Love Will Tear Us Apartだったのでした。)

 Love Will Tear Us Apart(ちなみにこの曲名はイアンの墓標になっています。バーチャル墓参りもできます)はノーマークだったので意外でしたが、「あとはもう、ブルーマンデーやってくれればわたしゃ満足」ってなかんじで、余裕を持って新曲を聴いていました。けっこう新曲もやったみたいです。その時はさすがにビリーのギターもきちんと聴こえて「フジロックに来てやっとまともなギターサウンドを聴いたな」と思いました。

 「でも、ビリーがちゃんと弾くとニューオーダーの音ではなくなっちゃうんだよね」byMG氏

 「若いやつらは皆ビリー目当てだ」と決め付けていたのですが、けっこう皆、サビをいっしょに歌っていたりしていたので、わりとちゃんとしたファンも多かったようです。なんたって「元祖エレクトロ」ですからね。やっぱりチープなシンセの音を鳴らしてくれないとねえ。いやいや、あのチープな音をピコピコ出すのはけっこうお金かかるんですよ。昔のシンセは今では高額で売買されてますので。でも、彼らは昔持っていた機材を倉庫から引っ張り出せば済むからいいですよね。

 新曲が続くので、MG氏が「ちょっとAちゃんを探してみよう」と言い出し、二人で脇に出たら、柵に寄りかかってちょこんと座ってました。そばにいた親切な人たちが「大丈夫?」と話し掛けてくれたので、うれしかったそうです。
 それに、その場所はやや小高くなっていたし、人もまばらで、

 「なんだ、早く移動すればよかった」

 と、広い場所でまたガンガン踊る私でありました。
 などと、やっているうちに、時間はとうに11時半も回り、「何時までやるんだ?」って感じになってきました。曲の合間もし〜んとしているので、グリーンステージのニール・ヤングはとっくに終了したらしいのです。

 両方のサイトで同時に終わると人が集中するので、時間をずらしているのだろうと思いました。会場からバスでしか帰れないところに宿をとっている人もいるはずですが、最終バスは25時なので、たぶんもうそろそろ終了のはず。と、思っていたら、最後の曲も終わり、すぐにアンコール。やっぱりBlue Monday(笑)もちろん一番有名な曲なのだが、土曜日の最後を飾るのにこれほどふさわしくない曲もめったにないでしょう。

 気持ちよく合唱して、ライブ終了。
 後ろのほうに置いてあった荷物のところに戻り、シートに座って人込みがひくまで待っていました。途中の橋のところで渋滞するのです。

 さあ、一休みして、道も空いてきので、レッド・マーキーでの夜の部へGO!
 

 これを書いたあとに、ロッキン・オンの今月号を立ち読みしたら、ピーター・フックのインタビューが掲載されてました。
「フジは楽しみにしてるんだ!(富士山と混同してなかったでしょうねえ)でも、始まったとたんお客さんたちが、帰っちゃうんじゃないかと心配だよ!(帰りたくても、脱力感からの腰砕けで帰れませんでしたよ)ライブではシャウトするぜ!(してましたね。シャウトはいいからちゃんと手元みて演奏しろって思いましたです)」
 とのことでした。

夜の部-電音部の夜は更けて


 祭りのあとの寂しさを引きずる雑踏を抜けて、すでに清掃に入っていグリーンステージを通過すると、レッド・マーキーからはドラムン・ベースが鳴り響いている。
 DJ WagonChystだ。

 レッド・マーキーは大きな倉庫のようだった。遠めで見るよりもかなり巨大。たぶんスキーシーズンには、休憩所に利用されているのだろうか?下はコンクリが敷いてあって、砂埃が立たなくて快適。屋根はあるが側面は大きく開いているので、適度に熱気をかきまぜる風が入ってくるので「天然エアコンも快適な巨大クラブ」になっていた。

 その付近は朝の5時まで開放されているので、宿泊手段をとらなかった人たちはその辺で寝転んでいる。小さな林の中は難民キャンプ状態。そこにまた荷物置き場をつくり、AとMGは一旦テントに戻り、私は中に入ってDubSqadのライブを聴いていたのだが、本命は3時半からのRichieHawtinなので「少し休んでおかないとな」と思い、荷物置き場のシートで少し横になる。
 少し、うとうとしていたら、音が変わっていた。ReiHarakami。これがけっこうきれいなインテリジェント・テクノで、もっとちゃんと聴きたくなったので会場の中に入ってユラユラと踊っていた。
 2時から田中フミヤ。去年聴いたときには、なんか気の抜けたハウスっちいのをかけていて「中途半端でつまんない」と思っていたのだが、今回はけっこう本気出したのか、まあ大会場だし、なにせ次はリッチーだしで、わりと硬派なテクノをかけてくれた。これなら許せるというか、けっこう踊れた。

 3時くらいになって、また荷物置き場に戻ると、AとMGが転がっていた。しばし、休息したあとに、さあ本命のリッチーだ!と出動した。

 なんとそこで、いきなりMHちゃん登場。びっくり。「Khuvもいるよ〜」と探してきてくれた。あとは運転できるカイ君という子が同行の3人組。宿泊無しの3日間滞在。会場を出される時間は車の中で寝ているのだろうだ。
 意外な人たちに会ったので、気分も盛り上がっているうちに、いよいよリッチー登場。

 リッチーは前日の金曜の夜にもリキッドでプレイしている。Eちゃんがその前にマニアックのリブートに行っていたら、とある事情通に「リッチーは2時から6時までプレイするんだ」と教わったのでそれを信じて2時半にリキッドに到着したら、「20分で終わっちゃった〜」と嘆いていたらしい。どうやら、今日のフジロックのために、出演時間を前倒しすることになったらしく、11時から3時までやったらしいのだ。
 でも、MG氏の得た情報によると「今回も最高のプレイだった」らしい。

 レッド・マーキーもPAはとてもよく、「ああ、こんな大バコ、都心にもあればなあ」ってかんじであった。幕張のときにはPAに不満があったからね。
 リッチーはここでも、きっちりクールにやってくれた。

 腰痛のAも腰に気をつかいながら、おとなしく体を揺らしていたが、途中でやはり疲れが出たのか座り込んでしまった。Aの隣に私も座ってぼんやりしていると、後ろから「やっぱりいた」と声をかける人がいたので、振り向くと、AS君だった。
 彼もきっと「リッチーがやってるところには知人が集合してるはず」と思っていたようで、私たちを発見して嬉しそうでした。
 久しぶりに会ったAS君ですが、髪の毛が金髪になっていて「今は外人ハウスに住んでいるんだ」とか「最近は海ばかり行っているから、すっかり日に焼けちゃって」と健康そうなんだか不健康なんだかよくわかりませんが、元気そうでした。

 私はその後、会場の一番前に行ってみて、「リッチー最高!」とか叫んだりしてましたが、だんだん外は明るくなってきて、山の緑が美しいので外を一周してみると、夜中は人がたくさんいたオアシスもすでにひっそりとして、椅子に座ったまま寝ている人もいました。

 5時を回ったあたりで、リッチーのプレイは終了。一回だけアンコールをやってくれました。ゲートが閉まるので、全員外に出なくてはなりません。(9時にまた開場する)
 「さあ、テントに戻るぞ」と、AとMGに声をかけると、二人とも、「まだ、やってほしい〜リッチー短いよ〜やっぱ、4時間はやってくれないと〜」とゴネています。
 私は、幕張のときもそうだったのですが、2時間くらいが限界です。それ以上になるともう踊れないよ。

 「なんでもそうだけどさ〜、あともうちょっと食べたいとかくらいでやめとくのが正しい楽しみ方なんだよ、それを超えるとお腹いっぱいになってもたれちゃうじゃない?」
 でも、腰痛であまり踊れなかったAにしてみれば、腹八分には達していないようなのです。

 Aはさらに、「AS君とももっと話しがしたかった。Khuvとももっと話がしたかった。MHちゃんとも全然喋ってないし・・・・コミュニケーションが不足している!そして、一番足りないのはリッチーとのコミュニケーションだ!時間が足りなかった!」などと言ってごねるのを無理やりテントまで引きずっていきました。
 私がさっさと、コンタクトもはずして横になっていると、「もう、寝ちゃうの?」とか言われましたが、だって、もう時間がないし、9時にはここを引き払わないと駐車場の門限に間に合わないし・・・・

 などと、ごそごそやっていたら、「あの〜」とテントの外に女の子が立ってました。
 Aがニューオーダーのときに座っていたら話し掛けてくれた子でした。Aがテントの大まかな場所と目印の星飾りを説明したら、探してきてくれたのです。「おお、星が役に立ってよかった」と私も喜びました。そのあとも、彼女の連れの男の子も来てくれて、Aとメールアドレスを交換していました。

 「よかったじゃん、友達ができて」

 私たちの仲間うちでは、このような「今日ともだちになったの〜」という状態を「きょうとも」と呼ぶことになったらしいです(笑)
 

帰路

 結局、寝られたのが6時くらいでしたが、うとうとする間もなく、暑くて目が覚めました。
 空を見上げると雲ひとつない晴天で、日差しがダイレクトにテントに照り付けます。汗だらだらになりながら、それでも横になっていましたが、8時半くらいにはもう寝てられなくなって、「時間だし、もうテントは退散しよう」と、疲れた体にムチ打ちながらテントをたたんで、会場を後にしました。
 バスでまた田代駐車場に戻ったときには、もう9時40分くらいになっていました。でも車はまだ10台くらい残っていました。

 とにかく、とっとと高速に乗ってしまおうということになり、リッチーのCDをかけっぱなしにしながら、疲れきった目には強烈だった関越トンネルを抜け、道路はかなり空いていたので、快調に飛ばしていました。30分くらい走ったところで、トイレ休憩をしていたら、運転手のMG氏は、そのまま死んだように眠ってしまったので、私もエアコンの効いた車内でうとうとしていました。

 ふうと気がついたら、もうお昼近くになっていました。MG氏も仮眠して少しすっきりしたようですので、一気に練馬を目指しました、途中で「ああ、出口だ」と気がついたのですが、私もまた眠ってしまいました。
 いつもは、私はあまり車の中で寝られないのです。特に自分も眠いときはドライバーも寝てしまうのではないかと心配になって、目が冴えてしまったりするのですが、MG氏はさすがに「中堅レイバー、いっつも車で参加」なので安心感がありましたので、けっこう寝てられました。慣れていない人だと、寝不足での帰路でピリピリしていたりするので気を遣うのですが、さすが大人です。

 というわけで、ふと気が付いたら。もう杉並に入っていました。練馬を出たあたりではいつも流れが悪い環八もあまり混んでいなかったようで、都内は意外とスムーズでした。時刻はもう2時近くになっており、お腹も空いたので、三宿のデニーズまで行って、昼食+清算をすることにしました。Khuvに電話をかけてみて「今は、三宿だよ」と言ったら最初は信じてくれなかったようです。

 「エミネムとタイマン張って半殺しの目に遭ってきて」と、お願いしておきました。

 その後、なんだかんだ反省会を開いているうちに、もう4時。クラバーはデニーズに入ると長いのです(笑)
 家までまた車で送ってもらい、MG氏はAを乗せて、また長い家路に着きました。おかげで快適なドライブになりました、ありがとう!

 早速、MSNがフジロックのライブをストリーミング中継しているサイトにアクセスしてみたら・・・・グリーン・ステージでは昨日観た、アレック・エンパイヤが白昼堂々と、

ですとろ〜〜〜〜〜い!
 
 と、やってました。ふ・・・・・・(声にならない笑いがこみあげた)

 ホワイト・ステージでは、Squarepusherがまた小難しい音を出してましたが、その後がAutechre、Coldcutという豪華な出演者だったので、そのままにしておいて、「9時半になったらEMINEMも観ようっと」などと考えていたのですが、ふと意識が戻ったら、夜中の12時で、ストリーミング中継もとっくに終了していて、パソコンのファンの音がむなしく響いていました。

 パソコンの電源を落として、また再び眠りに就きました。私のフジロックはそこでやっと終わりました。


付記
 

 ウェットテイッシュ (いちいち水道まで洗いに行くのは面倒。屋台ものを食べるとけっこうべとべとするし)
 ゴミ袋 (ポケットの中に入れておけば、いつでも座れる。持参しなくても入り口のところで配ってました)
 スポーツタオル (昼は日よけに、夜は首に巻いておくと暖かい。もちろん汗ふき、手拭にも活用)

 また来年も行くかどうかって?
 観たいバンドがあれば行くかもしれませね。
 スミス再結成とか?(笑)
 
 ジュニア・バスケスがレッド・マーキーでプレイするとか?(爆) ←ハウス好きの人にこれ言ったらウケるだろうな。NYの人気DJで大の飛行機嫌い。日本に来るときには法外なギャラをとるらしい。


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