禁断の愛に溺れて 第2話

2001年2月24日
 思ったよりも長編になってしまいました。

 さて、最初のヤマ場と目してした3日目も無事に乗り越えました。
 この段階でいろいろ考えたことをまとめてみましょう。
 

感情の起伏が激しくなった

 外見からはわからなかったと思いますし、別にイライラして他人に当たったりとかはしなかったのですが、頭の中では「禁断症状のジェットコースター」が富士急ハイランドのフジヤマ並みに乱高下したり、グルグル回転して暴れていましたので、それにつられるように、突然悲しくなったり、ものすごく嬉しくなったり、思うようにいかないとがっかりしたりと、いつもよりも起伏が激しくなりました。
 具体的には、独り言が多くなり、「お?」とか「おわ!」とか呟いていたようです。

 まだわかりませんが、ちょっと不安になったのは、「自分はずっとわりと感情表現が平坦な人だと思っていたが、実はそれはニコチンの沈静作用によって作られていた性格だったのかもしれない」となどと考えてしまい、「本当の自分って何?」にまた嵌まってしまいそうになりました。

 テレビによると、禁煙のテクニックとして「タバコに直結した生活習慣は変える」そして、「別の人間になるつもりで生活を改善する」というのが上げられていました。
 「別の人間になるつもり」でやるのならともかく「別の人間になってしまう」のには抵抗があるのですが・・・・どうなることやら。
 

依存症とは?

 知人が海外滞在中に大麻をたしなんでいたようで、日本に帰ってきてからもあの手この手で入手していました。一般的に大麻には常用性がないといわれていますが、そうでもないのかなあと本人も思っていたようです。しかし、彼はあるときハタと気がついたそうなのです。

 「僕が吸いたいのは大麻ではなくてタバコだ!」

 その後、無理に大麻を手に入れるのはやめて、おとなしくタバコを吸ってました。
 彼はそれまで喫煙者ではなかったのですが、いわゆる「ジョイント」という、タバコに大麻樹脂を混ぜて吸う方法を採用していたばかりに、いつのまにか「ニコチン中毒」になっていたという話です。

 その彼が、タバコからなんとか足を洗ったときに言ったセリフが、

 「だって、タバコ吸ってると、それだけで良くなって、一日中家に篭って、なにもしなくて、ただただひたすらタバコだけ吸ってるんだもん

 それを聞いていた、私ともう一人のやはり喫煙者の男の子は「その通りだ〜!完全にジャンキーだよね!」と大笑いしていたのですが、同時に「それは笑い事ではないな」とも思っていました。

 たしかに、今考えると、自分が週末などに「な〜んにもしないで、ゴ〜ロゴロしてた」のはタバコがあればこそなのかもしれません。「タバコさえあれば、他にはなにもいらない」という生活からタバコがなくなったら、いったいどうすればいいのでしょうか?何か他のものに依存してしまいそうです。それが、「健全なもの」だったらいいのですが、タバコよりもタチの悪いものだったらどうしよう・・・・
 

生活習慣の改善

 テレビで紹介されていたのは「車に乗るとタバコを吸う人は、電車を使うようにする」というかなり強引なものでした。
 しかし、たしかに私は、自宅でパソコンに向かっていると、ついついタバコに手が伸びていました。狭い部屋の中で一番タバコと縁が深いのがパソコンなのです。しばらく、パソコンを立ち上げられませんでした。前に座っただけで、えもいわれぬ悲しみが湧き起こってくるからでした。

 パソコンの置き場を少し変えるだけでもかなり違うと思いましたが、なにせ狭い部屋ですからそれもできないし、こうなったら部屋ごと引っ越しすればいいのではないか?とも思いました。
 

ニコチン中毒と恋愛依存症

 「恋煩い」に似ている。と前にも書きましたが、私はあまり壮絶な恋愛経験が無いので、今まで友達の「辛い恋の話」などを聞いても「ほお〜それは大変だに〜」と、聞き流してきました。話は面白いのですが、実感として具体的にどの程度辛いのかがよくわかっていませんでした。
 今回の「禁断症状体験」で、やっとわかりました。もう「恋愛相談」はまかしてください!親身になって拝聴させていただきます。

 「悪い男だとわかっていても、なかなか別れられない」
 「毎日電話をしないと気が済まない」
 「やっと別れられたと思ったが、すぐに淋しくなってよりを戻してしまった」
 「彼さえいれば、他には何もいらない」
 「ついついお金を渡してしまう」
 「彼がそばにいない人生なんて考えられない」

 諸々、よ〜くわかるようになってしまいました。いやあ、皆さん、こんな苦労をしていたんですねえ。
 昔聞いた話なのですが、知人の女性が若いときの友人に恋愛依存症というよりもセックス依存症というのでしょうか、知人は「色情狂」と表現していましたが、今だともっとしゃれた表現があったかなあ、ニンフォマニアとかそんなかんじのとにかく毎晩相手をとっかえひっかえする女性がいたようなのです。手当たりしだいなので、当然周囲には全員手がついていて、もちろん他人の彼にも手を出すのでトラブル続出だけど、喜んでお付き合いする方も多かったようですが、そのことを教えてくれた男性が「あいつは本当に病気だ。もう付合いきれない」とすっかり懲りて、その顛末を知人に暴露したようです。

 それを聞いた、当時まだ20歳そこそこだった知人はさっそく彼女にいろいろ話を聞いてみました。好奇心が強かったんですね。それに今でこそ、そういう話もあまり刺激的ではありませんが、30年前ですから、かなり珍しかったのではないでしょうか。
 それで彼女が言うには「とにかくウズウズしちゃってがまんできないの」という、まるでスポーツ新聞のエロ記事そのまんまなんですが、「へええ、そういう人ってホントにいるんですねえ。すげえなあ」と、その話は聞いていたのですが・・・・

 1時間おきにタバコを吸ってしまう自分と彼女のどこが違うのでしょうか?
 そして、それを我慢している今「もうウズウズしちゃう」というのが、やっとどういうことなのかわかりました。
 いや、一緒にしていいのかどうだかわからないけど、これは多分同じなんだと思います。
 もし、今目の前に彼女がいたら、二人で手を握らんばかりに熱くその思いを語りあったことでしょう。

 そもそも、私が今置かれている状況というのを「恋愛」に置き換えると、

 「最初に会ったときにはそれほど好きじゃなかったけど、付合っているうちに、だんだん好きになっていって、いつのまにかかけがえのない存在になっていた。それで10年くらい、付合ってたんだけど、将来のことを考えたらちょっと不安になったし、結局あの人はお金ばかり遣うし・・・・それで思いきって別れてみたんだけど、いなくなって始めてその存在が自分にとって大きかったかがかわかっちゃって・・・・もう、超つらいし・・・・淋しいし・・・・・このまま別れたままで我慢できるか・・・・・」

 てな具合でしょう。
 しかも、私のダーリン(笑)は一歩外に出れば260円で売ってるんですからね。どうしてくれるんですか!!!

 恋愛の場合は相手というのがあるわけですが、私の場合には、相手はなんの意思も持っていないので、決定権は全て私にあります。だから、相手が「僕を捨てないでくれ。もう一度やり直そう」とか言ってこないのは助かりますが、「他に好きな人ができたから、君とは終わりにしたい」とか「もう顔も見たくない」とか言ってくれたり、勝手に蒸発してくれたりという行為は望むべくもありませんから、「別れる」という重たい行為は自分ひとりで背負いこまなくてはならないのです。

 ある人の言葉ですが、「離婚するときには結婚するときの3倍以上のエネルギーを使う。だから皆、うっかりはずみで結婚するが、うっかりはずみでは離婚できない
 これは、もう本当ですね。わかっていたつもりですが、身に染みました。軽い気持で喫煙をはじめるけど、軽い気持で辞められる人はいないはずです。

 もっとも、私の場合はかなり「軽い気持」で禁煙を始めたのですが、おかげで「人生についていろいろ考える」羽目になってしまいました。すっかり重たいキモチです。

 しかし、どうしてもこの「恋愛に置き換える」という作業から離れられなくて、これはこれで問題です。

 「人生最大の大失恋のようだ」(最初、今世紀最大と書いたが、今世紀ってまだ3ヶ月しか経っていないことに気付いた)
 と、形容しましたが、こうなったらやはり「新しい恋」でも探したほうがいいのでしょうか?

 そんなトンチンカンな大混乱の中、日々は過ぎていきます。


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