「タケ君が、また、私とミヤノさんに遊びに来てほしいって」と、ユミが電話をしてきた。
タケ君の家には一年くらい前にも二人で遊びに行ったことがある。両親は留守だったが、夕方になると母親が帰ってきて、息子が連れてきた女友達を嬉しそうに眺めていた。「私たち、御子息のガールフレンドにしてはずいぶんとトウがたってるって、不審に思わなかったかなあ」
タケ君は私たちの友人にいつもくっついて来ていて、DJとしてそこそこ有名な友人の「自称弟子」だった。知合ったころは通信制の高校に通う19歳で、もともとは普通の高校に行っていたらしいのだが、生まれつきと本人が言う睡眠障害とその他の精神的なトラブルで、普通に登校することができなかったらしい。
高校は卒業したものの、その後の進路がなかなか決まらなかった。予備校には通っていたが、それも気まぐれに通っていた。
浪人生活を何年かしていたが、実際に大学受験はしたことがなかったようだ。「私にも来てほしいって?そうは言ってないでしょう。彼はあんたに会いたいんでしょう。」
「そんなイジワル言わないでよ」私のことは完全に「アネゴ」扱いだったが、外見が「コギャル」で中身も幼いユミに、タケ君は姉以上の感情を持っているようだった。
「いいよ、行っても。どうせその日は暇だし。でも、この間みたいに、ミニスカートとか履いてくんのよしなさいよ。若い男の子にナマ足なんて見せちゃだめだからね。」
ユミは二人だけで行くのも気がすすまなかったらしく、タケ君の家から近いところに住んでいる山下君のことも誘った。山下君は、そのころしきりにユミに会いたがっていたのだ。
そして、久内君にも声をかけた。ユミは、そのころしきりに久内君に会いたがっていたのだ。
ユミは単純なことを複雑にするのが好きだった。タケ君の家はなかなか立派なマンションで、町医者をしているお父さんは、そこから数駅離れたところにある一戸建ての家で開業しているらしいが、家族は普段、マンションの方に住んでいるらしい。
その日も家族の姿はなかった。「行けたら行く」という久内君のことは当てにしていなかったが、「少し遅れるかもしれないけど行く」と言っていたらしい山下君がいつ来るのかわからなかった。
リビングで座りながら、さあ何をして時間を潰そうかと三人で途方に暮れた。
私とユミだけだったら、お茶でも飲みながら何時間でもお喋りに興じられる。でも、タケ君は「何かしないといけない」と思っているようだった。若い男の子にとって「お喋り」は「何もしていない」のと同じことなのだろうか。「ゲームでもしますか。」
「あたし、ゲーム得意じゃないんだけど」
「まあ、そう言わずに」
バーチャ・ファイターをやった。でも私はコントローラーの使い方もよくわからない。少しやってみたが、あまりおもしろくなかった。「じゃあ、ビデオでもみますか」
「何があるの」
所蔵ビデオは、これといったものがなかった。なぜか黒木瞳が主演しているものがあった。「なにこれ。お父さんの趣味?」
「ぼくの趣味です」
「黒木瞳が好きなの?」
「いけませんか?」黒木瞳もあまり観たくはなかった。
「山下は連絡ないし、久内はやっぱ来ないかねえ・・・」
二人に電話してみた。久内の携帯は留守電。山下はまだ家にいた。「もう少ししたら家を出られると思う」「ああ、退屈。なんかもっと面白いビデオないの?アダルトビデオとか」
私がふと冗談でそんなことを言うと、タケ君がまじめな顔になった。
「ありますけど・・・」
「あるんなら見せてよ」
困っているタケ君を見て、少し意地悪が言いたくなっただけだった。遠いところをわざわざ訪ねてきてあげてるのだから、少しはもてなして欲しいと思った。「でも、おねえちゃんいるし」
「え、お姉さんが家にいるの?」タケ君には二つ年上の美大生の姉がいる。
その日は誰もいないと思っていたのだが、姉は自室にいたのだ。
「なんだ、おねえちゃんいるなら、リビングに来ればいいのに」
「おねえちゃんは、布団にくるまって寝ています」
「あら、病気なの?」もう午後の三時だった。
だが姉は、病気ではなくて、最近テニス・サークルでいじめにあって落ち込んでいて、部屋に篭っているという。「大学のサークルでいじめって、どういうこと?そんなもん辞めちゃえばいいじゃない。テニスサークルなんてたくさんあるんだから」
外の社会でうまく生きられないのは弟だけなのかと思っていたが、姉もそうなのか、と私は少しうんざりした。「あの家は金持ちだから」という誰かが言っていたその言葉の含む毒がそのときになって私の心に染込んできた。
「じゃあ、退屈だからやっぱりアダルト・ビデオ見ようよ」
「ほんとに見たいんですか?」ユミはちょっと及び腰の様子であるが、勘のいい彼女は私の苛立ちを感じているようだし、それに彼女はアダルト・ビデオなど見たことがないらしく、好奇心は湧いているようだ。
「じゃあ、ここじゃだめだけど、僕の部屋ならいいです」
シンセサイザーやその他の器材とレコードで埋め尽くされたタケ君の部屋に移動する。前に来たときはこの部屋でさんざんリストの「超絶技巧」を聴かされた。私が彼の知人の中ではもっともクラシックに造詣の深い人間だったからである。でも私はクラシック・マニアなのではなくて単なる「グレン・グールドのファン」なんだけど。だぶって購入してしまった「ブラームス ピアノ協奏曲#1」をあげたのが運のつき。リストは私には重たすぎた。
始まったビデオを観て、さすがの私も驚いた。それは無修正の洋モノだったのである。もっとおとなしいものを想像していたのだ。
画面いっぱいに映し出された性器を見ても、最初はなんだかよくわからなかった。「どこでこんなもん手に入れたの?」
「いや、まあ、通販とかいろいろ方法はあるんですよ」と、しどろもどろしながらタケ君は真面目に答える。「僕はちょっと一緒に観てるのつらいんで、退散します」
狭い部屋に私とユミだけが取り残された。
「あ、タケ君行っちゃったよ」とユミ。
「そりゃあ、こんなもん女性と一緒に観られるくらいキモが座ってりゃあ、あいつも薬なんて飲んでないでしょ」タケ君は肝機能に異常が出るほどたくさん薬を飲んでいた。一日に飲まなくてはならない薬は10種類を超えていた。軽度のナルコプレシーなのか、ときどき突然眠気が襲ってくるらしく、そういうときには「眠気覚まし」の薬を目の前で得意げに飲む。合法の覚醒剤みたいなものらしい。「すぐに目が覚めますから、ちょっと待っててください」と明るく言うのだが、初対面の人はかなり脅える。
「こ、これ、何人でやってるの?」とユミ。
「う〜ん、3人以上はからんでるみたいだねえ」
画面がひくと4人でやってた。そのビデオはただひたすら「やってる」場面を繋ぎあわせたもので、なんのストーリー性もない。
「こんなもの観てみんな楽しいの?」とユミ。
「楽しいとか、そういう問題じゃないと思うよ。多分。でも、男っていうもんは、こういうもんを見たがる生き物だっていうことは知っておいて損ではないんじゃないかなあ」
「でも、でも、でも、これじゃあ、あんまりあからさまというか・・・」
「う〜ん、確かに夢もロマンもないよなあ・・・」立派なイチモツを持った黒人男性にズコズコ突かれ、恍惚の表情を浮かべる白人のネーチャンはかなりの美人だった。
「あんなにキレイなのに、もっと他にいい仕事あるでしょう?」と、ユミ。
「まあねえ。ハリウッドはそんなに甘くないからねえ。」と、私の答えも意味不明。恐れおののくユミと一応冷静な私とで、しばらく観ていると、
「あの〜まだ観ますか?」
と、タケ君が部屋のドアを小さく開けて聞いてきた。「うん。なかなか興味深いよ。でも、欲をいうなら音声もほしいかな。これ、音出したら、喘ぎ声とか獣なみですごいでしょ」
音声無しで今まで観ていたのだ。だから冷静に鑑賞できたとも言える。音の無いオカルト映画も間抜けだが、アダルトビデオもかなり気が抜けている。
「でもお、隣の部屋にねえちゃんがいるんでそれはまずいかと・・・・」
「じゃあ、ねえちゃんも叩き起こして一緒に観よう!これ観たら、いじけてる心もふっとぶよ!」
「むちゃいわないでくださ〜い」困っているタケ君に向かって、「ほらほら、私らこれ見ていろいろ勉強になってるんだから、あっち行って!」と、追い出した。
そうしてまたしばらく鑑賞していたのだが、またタケ君がやって来て、「山下さんが駅に着いたそうです。これから迎えに行きます」とのことだったので、「なんだ、いいとこだったのにい」とビデオを止めてリビングに戻った。山下に「アダルト・ビデオを観ていた」なんて知れたら、また説教されてしまう。彼は男兄弟に囲まれて育っているので女の子に勝手な夢を抱いているのだ。
何も知らない山下君とそのあと宅配ピザを食べた。「タケ君は、もっと外を散歩すればいいんだよ。外に出たほうがきもちいいよ」と山下君がいつものように語っていた。
そのうちに両親も帰ってきた。
息子のところに大勢の友人が来ていたので、また嬉しそうだった。
「どうも、おじゃましてま〜す」
と、私とユミは甲高い声でかわいらしく挨拶した。夜になると、タケ君はまた眠たくなってしまった。
「でも、せっかくみんなが来てるから、薬飲みます。ちょっと待っててください」
という彼に、
「もういいよ。もう帰るから、眠かったら寝なさい。もう夜なんだから」
と言って、本当に帰った。久内は結局来なかった。
「あいつは、いい加減だから」
と、ユミがぼそりとつぶやいた。
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