野ざらしの理由


 2000年9月6日
 以前にも書いていますが、私が生まれ育ったのは首都圏のベッドタウンです。ちょうど私が生まれた年に「市」になって、団地とともに一戸建ても次々と建てられていました。
 我が家がそこに越してきたときには、まだ宅地造成されたばかりでしたので、今では12軒の家が建っているその区画には、まだ3軒しか家が建てられていなくて、我が家(当時はまだ平屋建てでした)はススキ野原に囲まれていました。

 空き地が多かったので、遊ぶ場所には事欠きませんでした。
 近所には年上の男の子が多かったので、よく一緒に戦争ごっこなどをしたものです。そして一時期、ガキ共が夢中になったのが「基地作り」です。
 
 たいして広くもない空き地でしたが、ススキが生えている季節には目隠しになりましたので、そこに大きな穴を掘り、草で隠して立て篭もろうとしたのです。
 めいめいが家からスコップを持ち出し、毎日必死で掘りました。でも、なかなか思い通りの穴にはなりません。一個掘っては放置して、また別の場所で挑戦したりしていたので、かなり起伏の激しい空き地になってしまいました。

 そんな「子供の楽園」であった健全な空き地でしたが、ときおり「甚だしく不健全なもの」が発見されました。
 「有害図書」です。通称エロ本。
 
 男の子もいたとはいえ、まだそれを有効利用するのには幼すぎました。もっとも女の子がいないときには何やっていたのか知りませんが。
 とにかく、小学校低学年の女の子3人だけでそれを発見しても、いったいどうしたらいのかわかりませんでした。捨てるにしても、なんだか手で触るのが嫌だったのです。それに雨が降った翌日に発見されたりした場合、水を吸ってますます怪しげなオーラを放っていました。
 
 清く正しい小学生であった私たちは、その度に親に報告していました。
「また、隣の空き地にエッチな本が捨ててあったよ」
 そのことは、近隣の母親たちに多少の不安を与え、「そういえば、最近、不審な男を見掛けた」などの噂話が流行しました。
「暗くなると変な人がいるから、夕方はちゃんと早く家に帰ってらっしゃいよ」
 などと、よく言われましたが、それにしても、その「変な人」というのが一人いて、そういう本を定期的に捨てているのか、それとも「変な人」というのが大勢いるのかはよくわかりませんでした。

 それよりも私が恐れたのは、私たちが一生懸命作った基地に、その「変な人」が夜中にやってきて、そこでエッチな本を見ているのではないかということです。そんなことをされては神聖な基地が汚れてしまうわ。と、思ったものでした。

 さて、なぜか最近になって、「空き地にうち捨てられていたかわいそうな有害図書」のことを急に思い出してしまい、あれはなんだったんだろうと問いを投げたら、「気弱な青少年がやっとの思いで手に入れたのはいいけれど、処分に困り、自転車などで夜間徘徊しながら適当な空き地などに投げ捨てているのだろう」とのお答えが得られ、そうか「変な人」ではなくて「気弱な青少年」だったのか、それならそうと「すいません、捨てる場所がなかったので、ここに置かせていただきます。なんとか処分してやってください」と書き置きでも添えてもらえれば、失敗作の穴に人知れず埋葬してさしあげたのに・・・
 
 でも、それが「気弱な青少年たち」に口コミで広がって、毎日うず高くエロ本が積まれても困りますが。

 しかし、なんでわざわざ住宅街の空き地などに捨てるのでしょうか?
 最近は見かけないけど、昔はよく街中に「有害図書ボックス」という郵便ポストのようなものがあって、読み終えた「有害図書」はそこに入れてもよかったのではないでしょうか?
 (ところで、実際にあれを利用したことのある人はいるのでしょうか?「不要になった有害図書は必ずあそこに入れていた」という人がいたら、それはそれで武勇伝になりそうです。筋金入りの変態呼ばわりされる恐れも大きいですが。)

 あと、子供心にも不思議だったのは、「なぜエロ本はいつも剥き出しで捨ててあるのだろう?」ということでした。

 そこまでどうやって持ってきたのでしょうか?カバンに入れてきたにしても、カバンの中に剥き出しで入れておくのって危険ではないですか?

 そこで、私はある仮説を思い付きました。

 男の子が最初に「有害図書」と出会うのは、空き地だったのではないでしょうか?もちろん、お父様や兄上が立派なコレクターである場合や、素敵なお友達に恵まれている場合は別でしょうけど、そうでなくてもっと劣悪(?)な環境にいる場合には、空き地で最初に出会う人もいらしたことでしょう?

 それを自分一人で発見して、こっそりめくってみたりして、「いつかこういうものを自分の金で買い、鍵のかかった部屋でゆっくり読めるような、そんな立派な大人になりたい」と堅く誓ったことでしょう。

 しかし、悲しいかな、数年後には、どうしても「有害図書」が必要になってしまう年になってしまいます。まだ鍵のかかる部屋は手に入れてないけれど、数千円の金は手に入れました。
 なんとか冷や汗をかいて「有害図書」を手に入れますが、それをいつまでも持ち歩くわけにもいかず、家にも隠す場所はないし・・・・

 そこで彼の脳裏に空き地に放置されていたエロ本の映像が浮かびます。

 「そうだ、このまま公園のゴミ箱などに捨ててしまってはいけない・・・次の世代に残さなくては!」

 と、思い立ち、塾へ行くときのカバンに忍ばせ、帰り道で草むらに投げ捨てておきます。
 そして翌日、それを発見したガキ共は「すげえ!」と大喜びするという、「世代を超える有害図書の有効利用」の図式があるのではないでしょうか?
 もしくは・・・・

 「そうだ、このまま公園のゴミ箱などに捨ててしまってはいけない・・・僕はこんなに恵まれているけど、世の中には貧しい人もいて、買いたくても買えないのかもしれない!」

 翌日、買いたくても金がなかった、もしくは勇気がなかった方が発見して、「お、やった!」と大喜び。
 「地域を結ぶ有害図書のリサイクル運動」の図式です。

 昭和40年代後半にはまだ「リサイクル」などという言葉もありませんでしたが、私がこんな立派な大人になれたのも、そういう愛と環境対策に満ち溢れた空間で、せっせと土木事業に精を出したていたからなのかもしれません。

 それにしても、最近は空き地が少ないせいもあるけど、そういう光景は目にしなくなりました。そもそも「有害図書」よりも「有害サイト」のほうが問題になってるみたいだし・・・
 
 紙媒体にはそれなりの味がありました。触わるのはいやだったけど、風でふんわりページがめくれるのをじっと凝視していたりして、あのころのガキ共はそうやって感性を養っていったのだと思います。
 


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