可燃物な日々

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10月31日(月)

 日曜日はまた早朝出勤だったので、起きてまずテレビをつけたら、「韓国イテウォンで146人が死亡」ってニュースやっていて「えええええ?どういうこと?」と眠気が一気に吹っ飛んだ。
 どうやらハロウィンの雑踏で群衆なだれが起きたようだが、それにしても死者が多過ぎないか?

 土地勘も無いし(韓国には行ったことがない)詳細がわからないまま仕事場に向かったが、電車の中でツイッター読んでいたら、この間日本でもリメイクされた「梨泰院クラス」でハロウィンのシーンがとても印象的だったらしく、聖地として訪れた人が多かったことが推測されていた。
 てゆーか「梨泰院クラス」のファンたちは「もう、あのドラマを前と同じ気持ちで見られない」と嘆いていた。

 その後の報道で、昼間の現場を見てみたら「あー、こりゃ、危ない」とわかった。日本だと明石の事故が有名だが、あの陸橋と同じように、横に全く逃げ場が無い。
 それに、けっこうな坂道だから、混雑していて足元が見えないと転倒しやすいっていうのもわかる。

 事故が起きる少し前の映像を見ていても、東京の朝のラッシュアワーの電車の中みたいに混んでいて、電車内はつり革や手すりがあるし、次の駅までの我慢だけど、あの状態がしばらく続いていたらそりゃ崩れるよ。

 そして、どこかで崩れていることがわかっても、周囲の人も身動きがとれないので、空間を空けられないのだ。それどころか、後ろに下がろうとして後ろの人に圧をかけても、その後ろも詰まっているから、後方に向かう力がまたどこかで跳ね返ってきて、波のように圧力が行き来するのである。

 私はグラストンベリー・フェスでそういう体験したことがある。
 広い会場でその日最後のライブが終わり、みんな自分のテントに戻るのだが、その途中の道を歩いていたら、急に前が動かなくなった。前方に合流地点があるから、そこが渋滞しているのかな、と思いながら、大人しく立っていたら、ジリジリと前が詰まってきたのである。

 どうやら、溝みたいなところに掛かっていた小さい橋が壊れて通れなくなったらしく、前方から「橋が落ちたから、バックしてくれー」って叫び声が伝言リレーで伝わってきた。

 ゾロゾロと歩いている時は、適度な間隔を保っていたけど、前が止まった時にたぶん、行列くらいの距離に詰めていたのだと思うが、それにしても、イギリス人であるから、日本人よりも人との間に距離をとっていたはずだが、前が下がってきたので、ちょこちょこと下がっていると、ほぼ密接する状態になり、「うわ、やだな」と思っていたら、後ろからガっと圧力がかかった。

 もう20年以上前の話なので、記憶が書き換えられているのかもしれないが、その時、なんか「ガっ」っていうラグビーのスクラム組む時のような音がしたのだ。
 前からも後ろからも圧を受けて、完全に身動きができないし、胸も圧迫するので呼吸が苦しかった。

 そこで、周囲のイギリス人たちも、事態の深刻さに気がつき、「後ろに下がれー」という怒鳴り声が響いたが、その小道はけっこう長かったし、ライブ終わりの人たちが次々と最後方に入ってくるので、急には後ろに下がれなかったようで、体感時間で10分以上はその状態が続いた。

 後ろの方からじょじょに緩んできて、やっと圧から解放された時は心底ホっとしたけど、身動きできなかった間はほんと「死ぬかも」と思ったよ。
 でも、あの場所は道の両端が植え込みだったので、いざとなったら植え込みを破壊して横に逃げ道を作ったんだろうけど。
 あと、野外フェスだから足腰には自信のある若者が多かったし、天気が悪かったので、ほぼ全員が長靴を履いていたので、踏ん張りが効いたのかもしれない。

 あの経験のせいか、私は電車が止まって駅の通路が混雑していたりすると、怖いので遠くに逃げるようにしている。

 それにしても、これまでは「ハロウィンの悲劇」というと、日本人留学生射殺事件だったけど、これ以降はこの事件になるんだろうなあ。
 警察の警備体制が批判されてるみたいだけど、主催者がいるイベントでもないし、ああいう雑踏警備は難しいよなあ。

 コロナで控えられていたこういうイベントがやっと復活してきたのに、こんな大惨事になるなんて、亡くなった方は本当にお気の毒だし、10代や20代の若者がほとんどだったそうだが、遊びたい盛りの年代の子たちが、コロナでずっと我慢してきて、やっと憧れの地でのお祭りに行ったら、そこで命を落とすなんて、若い頃、さんざんライブハウスやクラブのギュウギュウ詰めをエンジョイしていた私としては、なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいである。


10月28日(金)

●どうする?忘年会

 うちの会社は長年、ほぼ全社員出席の忘年会を開催していたのだが、コロナ下でここ2年は中止していた。

 今年も中止かな、って思っていたら、役員会で「今の雰囲気だとやれるんじゃね?」ってことになり、会場は抑えたんだけど、さて、コロナ前と同じような忘年会をやるとしたら、みんなフツーに参加するもの?

 その辺りの「空気」が全く読めないし、参加人数が大まかにでないとプランが立てられないので、上司にお願いして部署ごとに参加人数を出してもらうようにお願いした。

 持病があるから基本リモート勤務の人もいるし、普通に出勤している人でも、家族に基礎疾患があったり、医療従事者だったり、受験生がいたりして、「飲み会禁止」になってる人もいるだろうと思って。

 そんで、うちの部署でも、全員揃ってる時に部長が「忘年会やるけど、参加できない人は?」って言ったら、手を挙げたのは、私とM嬢だけだった。
 2名ほど「え?どういう意味?参加できないって、どういうこと?」と質問してきたので、「コロナ前の3年前と同じような宴会だったら参加できないという意味です」と説明しても、ピンと来ないみたいだった。

 そして、その他の数名は、だんまりを決め込んでいた。

 最近わかってきたことだが、多くの人は「自分に直接関係のないことに意見を言ってはいけない」と思ってるみたい?
 もしくは、上の決めたことには逆らわないというのか・・・

 それを痛感したのは2何前のコロナになって初めての年末に「忘年会、やれたらやればいいんじゃね?」ってノリで開催が決定したが、「いったい、どういうレベルでやれっていいんですか?」って私が役員に噛み付いたが、みんな「俺がやりたいって言ったんじゃない」と逃げるので、「なんなのそれ?」って私がギャースカ言ってる後ろで、みんなキャハハハハっと笑っていたのである。

 なぜ、そこで笑う?

 と謎だったが、たぶん、私が怖かったので、和らげようとしていたんだろう。
 「空気」を大事にする人たちは、「笑顔の絶えない明るい職場」作りに専念しているらしい。

 彼らにとって「笑い」は重要らしく、何気ない雑談でも手をパンパン叩きながら「あー、面白い」とウケるのが大事らしいが、コロナで大きい病院が受け入れ不可能みたいな事態になった時、私が「怪我で骨折して、救急搬送されても受け入れる病院が無いかもしれない」と心底怯えていたら、キャハハハハハと笑われたので、「いや、マジ笑い事じゃないから」と窘めたっけ。

 なぜ、私が「これ、マジにヤバい」って言ってるのに、笑い受けするのかマジわからん。

 で、忘年会の話ですが、「私は従来通りの宴会なら、参加しません」と、はっきり言ったのだが、他の人は無言だったので、「なんで、どーでもいーところでは、私を無駄に褒めるのに、こういう、味方が欲しい局面では、だんまりってなんなの?」って思いました。

 いや、別に味方が欲しいわけではない。
 従来通りの忘年会に全く抵抗がなければ、それはそれでいいのだ。
 「もう、元に戻っても大丈夫だと思います」って人がそれなりにいるんだったら、それで開催すればいい。私は出ないけど。

 さらに「前みたいのは嫌だけど、こういう対策とってくれるのなら」っていう意見があるのなら教えてほしいんだけど。

 でも、何も言ってくれないんだよな。完全に気配消してるし。

 こんだけ気配消す人が平気で「ミヤノさんって、落ち着いててすごーい」」って、なんで平気で言うのか、ほんと、わけわかんめー。
10月27日(木)

●人を褒めるのは難しい

 人の「いいところ」は積極的に褒めるのがいいとはわかっているんだけど、褒め言葉が全てオッケーというわけでもないよあなと思った話。

 私はなぜか他人から「真面目でちゃんとした人」と思われることが多くて、だから、他人からよく「ミヤノさんはちゃんとしてるねえ」って褒められることがあるんだけど、自分的には全然ちゃんとしてないので「はあああ?」ってなっちゃうのよね。

 そして、この間、久々に開催した会社の飲み会で、後輩女子に「ミヤノさんって、ほんと落ち着いてますよねえ。うらやましい。私なんて、ほんと、全然なんで」と言われて、「落ち着いてるって、褒め言葉なのか?」って思ってしまったので。

 言った本人は本気で褒めているつもりなのはわかるが、50代女子に「落ち着いてますよね」って、全然何にも褒めてなくね?

 しかも、それを言った女子は3人の子持ちなので、確かにまだ幼い子供らに振り回されて全然落ち着かない日々を送ってるのだろうけど、だから、世間的に言えば「30代で、結婚していて子供も3人いる女性」のほうが全然落ち着いてるわけで、「ヘラヘラ遊んでいたら、いつのまにか50代になってしまった」っていう先輩に向かって「落ち着いてて、うらやましい」って、なんかのマウントなのか?って思うよね。

 それに、「落ち着いてる」って褒め言葉のつもりなのはわかるけど、「暗い」の意味にも思えるので、確かに私はあんたらが「かわいー」「超ウケるー」ってキャピキャピしている時に「そのノリ、マジわからん」って無表情になってますが、それを「空気読まずに、一人で落ち着いてる」ってディスられてるんでしょうか?

 って、考え過ぎなのはわかってますが、やはり、なんか釈然としないのであった。

 それが例えば、職場の中間管理職である40代が、入社して間もない若い社員に「あなたはとても落ち着いてるから信頼できる。」とか言うのならわかるんだけど・・・

 ずいぶん前にうちの部署に異動してきた人(5歳くらい年下)が、私と打ち解けようとよく話かけてくれたのだが、それが「ミヤノさんは自炊してるの?」とかだったので、返事に困った。
 たぶん、向こうは私に料理上手のイメージがあったので、話のきっかけにしたんだろうけど、こっちは全く自炊などしてなかったので「いや、全然」って無愛想に答えるしかないし、それ以上話が膨らまないというか、「最近はスーパーの惣菜買ってるから」となんで「丁寧ではない生活」をしていることを親しくもない人に話さないといけないのかって、ちょっと苦痛だった。

 それ以降も給湯室でコーヒー汲んでいたら「家でもコーヒー派なの?」とか話しかけられたが、「あなたは、私が家でどんな生活しているのかなんて、全く興味ないだろ?」と思ってしまった。
 そして、暇だったから給湯室のシンクを磨いていたら「ミヤノさんはそういうとこマメだから、きっと家も綺麗なんでしょうね」って言われて、汚部屋の住人としては、やはり返事に困るというか、別に部屋が汚いことを自慢したいわけでもないので、綺麗好きと判定されて困るだけです。

 私と雑談したいんだったら、朝ドラ見てくれるだけでいいんだけどな。

 じゃあ、私はどう褒められればいいのかな?って考えると、「ちゃんとしている」とか「綺麗好き」とか、的外れなことばかり褒められていたことしか思い出せなくて、褒められて嬉しかったという記憶が無い。

 なので、あまり人を褒めることをしないのだが、服装でパっと目を引くというか、自分が「わー、それ素敵!」と思ったものは積極的に口に出すようにしている。
 でも、単純に「それ素敵だね」とは言えないので、「その模様、変わってるけど、どうなってんの?」みたいな変な聞き方になってしまうので、私の「褒めてるつもり」も通用してないのかもしれない。

 あと、私を褒めてくれる人は、「この人、褒められたい人なのかなあ?」と思ってしまい、女子高生の時は人から「ミヤノちゃんて可愛いよね」って言われたら、「そんなあ、●●ちゃんだって可愛いよ」と褒め返すのが正解だと誰かから教わったが、「そんなキモい会話、死んでもできない」(当時、キモい、という言葉はなかったけど)と思っていたので、「ミヤノさんって落ち着いてますよね」とか「ちゃんとしてますよね」とか言われたら、「私なんて、全然ダメだけど、あなたのほうが全然ちゃんとしてるじゃない?」って返せばいいんだろうけど、そういう返しができないので困る。

 そういや、「可愛い」で思い出したが、グループ会社の社長が会議に来ていて、会議後にうちの部署で電話していたんだが、彼の持ってきたペットボトルにカバーがかかっていて、それが何のキャラだか知らないが、50代オジサンの持ち物としてはラブリーだったので、「それ、カワイイですね」って言ったら、「え?カワイイ?いや、これは、なんかの景品で貰ったやつで、ペットボトルをカバンに入れると水滴がつくから、水滴防止で便利に使ってるだけで、可愛いとかそういうんじゃなくて、ただ、機能的だから使ってるだけで・・・:と早口でずっと弁解していたので、その様子が可愛かったので、「可愛いって言われて、ムキになってるのも可愛いですよ?」って恋愛ドラマのイケメンみたいなセリフ言ったら、「いや、可愛くないって」とさらにムキになってて面白かった。

 また、なんか可愛いアイテム持っていたら、からかおうと思っていたんだけど、さすが、そこそこ出世したオジサンである。その後、そういう時に、うちの部署に居座らなくなった(笑)

10月25日(火)

 10月期ドラマもほぼ出揃ったので、感想をメモ書きしておこう。

 この10月期の大まかな印象は「医療ドラマがコロナ下をやっと脱却して戻ってきた。っていうか戻って来すぎ」と「ジャニーズばっかじゃん」です。

●「PICU 小児集中治療室」月9

 大河ドラマの主演を経て、吉沢亮はもう28歳になったのか・・・

 吉沢亮は、仮面ライダー出身なのに、意外にもテレビドラマの出演が少なくて、私が彼の顔面偏差値の高さに気がついたのは、2017年の映画「斉木楠雄のΨ難」だったのです。
 そこで「わー、この子、23歳か、この美貌はあと数年だな」と思って、個人的に「吉沢亮スタンプラリー」を実施していたのですが、そしたら大河ドラマの主役になっちゃったので「なんか、もう、アガリだ」とスタンプラリーも終了しましたし、今後は熱心に追いかけるつもりもなかったのですが、今まで民放のプライムタイムであまり大きい役やってなかったので、「大河の後は月9?」ってことで一応見てみました。

 私は基本的には医療ドラマが苦手なんですが、このドラマは「小児集中治療室」なので、子供が辛い目に遭う描写になるわけで、しかも初回は「手のほどこしようがない」って死んじゃうわけで、「うわー、キッついな」と思っていたのですが、制作サイドもそれはよくわかってるようで、全力で吉沢亮を美しく撮影しているので、ついつい見ちゃうじゃん。

 そして、このドラマに好感が持てるのは、天才外科医が患者を救うような話ではなく、「システムさえ整えば、もっと助かる患者がいるのに」って話なところです。
 手術が成功しても、術後の管理が難しいとか、それはコロナでも「エクモの管理にどれだけ人手が必要か」って問題がありましたが、集中治療室を維持するのに、どれだけのスタッフが必要なのかって話なんですよね。

 そこに「今の日本経済を動かすシステムを作った渋沢栄一役をやった吉沢亮」が配置されているのが面白いですが、このドラマでの吉沢亮は医師としての経験も未熟な新米医師で、これからも、そう簡単には上手くいかないだろうし、母親は大竹しのぶだし、今後もどれだけ吉沢亮を追い詰めるのかわかりませんが、国宝級といわれる吉沢亮の美貌を今後も最大限に引き出してくれるのなら、ついつい見てしまうだろう。

 2番手としての立ち位置を着々を固めている高杉真宙も、いい仕事してます。

●「エルピス」月10

 長澤まさみ信者としては、あと2回くらい見てから、ちゃんと感想を書きたい。

●「君の花になる」火10


 しかし、私は本田翼が苦手で・・・

 いや、本田翼が悪いんじゃなくて、たぶん、本田翼にあてがわれるような役の子が苦手なのだ。

 だから、あれを「いい」という気持ちもわかるのよ?

 でも、実際、自分の実生活の中に、ああいうキャラがいたら「やっぱ好きになれない」って思うんだろうけど、50歳以上の人の本田翼の好感度ってどのくらいなんでしょうかね?

 まあそれは置いておいて、「崖っぷちアイドル」が男子7人グループっていうのをプライムタイムでやるのは画期的だとは思うけど、実際のパフォーマスがあまり趣味ではなかったので、ちょっとがっかり。

 つーか、やっぱり「寮母」は、ちょっとブスいオバサンか、けっこうイケてるオジサンの方が面白かったのでは?

 人生に疲れきった天海祐希が寮母になって、「おまえら、本気で踊ってないだろう?」ってゆーのが見たかったかも。あ、ブスいオバサンじゃなかった!

 でも、もしかすると、歌や踊りがイマイチなのは、「この先、もっと凄くなる」という伏線なのかも?
 だとしたら、彼らの本気(俳優たちの)を確認するためにもチェックしないといけないかしら?

 とりあえず、高橋文哉推しなので見るつもりではいるし、脚本が「チェリまほ」の吉田恵里香なので、頑張ってほしい。

 でも、リアルタイムではNHKがやっと地上波で放送してくれた「拾われた男」見てるけど(笑)

●「拾われた男」NHK 火10

 少し前にBSで放送していたが、動画配信がディズニー独占なので、見られなかったのである。
 井川遥の本人役が面白い。
 今週やっと伊藤沙莉が出てきたが、草なぎくんが登場してからさらに盛り上がるらしいので期待してます。

●「ファーストペンギン」水10

 なんといっても森下佳子脚本なので期待大だったが、女なのに井伊の領主になってしまった直虎みたいな話で、バラバラな家臣団をどう引っ張っていくか?・・・って、家臣団は今の大河ドラマで殺し屋役だった梶原善だったり、去年の大河ドラマで主人公を徳川にスカウトした重要な役の堤真一だったり、「おんな城主直虎」では政次の父親役だった吹越満だったり、さらに「直虎」からはロクザこと田中美央がいたり、なかなか遊びのあるキャスティングである。

 どうやら鈴木伸之がヒロイン・ポジらしいし、志田未来もママ友として地味に配置されているので、中盤以降の見せ場に期待。

●「親愛なる僕へ殺意を込めて」水10

 今年から新設された枠で、間宮祥太朗のヤンキーものの次が、町田啓太の自衛隊もので明らかに「若い男性向け」の枠なのだが、今度のはハングレ集団が出てくるので、暴力シーンが映画レベルになってしまい、ちょっとキツいです。
 桜井ユキのクールな刑事役は好きなんだけどなあ。
 さらに、主人公と関わる女子が門脇麦と川栄李奈っていうのも好みなんだけど、なんか、キャスティングむちゃ好みなのに、話についていけなかった「僕たちがやりました」を思い出した。あれの川栄ちゃんもムチャクチャ良かったのよお。

 あのドラマほんと全然楽しめなかったんだけど、電車内で男子高校生が話題にしていたらか耳をダンボにしていたら「あれ、ヤバいよ、先輩とかマジヤベー」とヤベーヤベーしか言ってなくて、彼らが何を楽しんでるのかが全然わからなかった。

 そういう意味では、「今回も超ヤバかった!」「ほんとヤベーよな」と感想語り合うのにはいいドラマなのかもしれない。

 ちなみに、会社のドラマ好きの同僚とドラマの話すると「あの子、かわいーよね」だけで終わることがある。
 たぶん、「silent見てる?」「うん、見てるよ、川口春奈やっぱ可愛いよねえ?」「うん、可愛いよねえ?」という会話が日本中のあちこちで成り立ってるんだろう。

 とりあえず、私はもう脱落してます。

●「トラベルナース」木9

 テレ朝のこの枠は、よほどのことが無ければ見ないのだが、岡田将生主演というのは「よほどのこと」のようです。
 スーパーナースが腐った病院を改革する話なのかと構えていたが、中井貴一がすっとぼけているし、岡田将生も技能はあるが性格が可愛くないようなので、このコンビが今後どう絡んでいくのかが楽しみになった。

 そして、私は岡田将生がギャースカ言ってるだけで満足してしまうのであった。チョロい。
 それにしても、中井貴一と岡田将生が相部屋って酷いよね(笑)

●「silent」木10

 朝ドラ出演を控えている目黒連がプライムタイムの恋愛ものの相手役ということで、注目作だったけど、鈴鹿央士の役が切なすぎて、ちょっと話に入り込めない。
 そして、どうしてもトヨエツの「愛していると言ってくれ」を思い出してしまうのだ。

 ただ、感情の機微をとても丁寧に描いている、イマドキ珍しい本格的恋愛ものなので「こういうの、もっと流行ってほしい」と思う反面、根がラブコメ好きなので、見てて辛いんですけど・・・

 目黒連に関していえば、深夜枠だったけど「消えた初恋」のラブコメ度がなかなか上等で、「こりゃ、主人公が恋に陥ちるよ」という説得力がものすごかったし、見ていてすごく楽しかったんだけど、「silent」は今後の展開にどう考えても楽しい要素が無いので、どうしましょう?

 でも演出に「チェリまほ」の風間監督がいるので、応援はしています。

●「クロサギ」金10

 ヤマP主演作は見てなかったが、けっこうそのままリメイクされてるらしい。

 それに、「詐欺師を騙す詐欺師」というと、どうしてもコンフィデンスマンを思い出してしまい、このドラマも初回は大量の「子猫ちゃん」たちが日雇いで仕事していたので、やはりどうしても「仕込みでした!ギャハハハハ!」って明るくやってほしいのだが・・・

 あと、数年前から平野紫耀が女子中高生からキャーキャー言われるイケメンだと認識していたが、なぜか私の趣味ではないのだ。
 誰も私の趣味なんて聞いてないと思うが、永瀬廉や目黒連は一応チェックするけど、平野紫耀は、まいっか・・・・って程度なのである。

 あと、朝ドラ明けの黒島結菜ちゃんが、朝ドラと同じく熱血ウザキャラなのがちょっと気の毒かなあ。

 もっと、クールな役でリセットしてほしかったかも。

●「霊媒探偵・城塚翡翠」日10

 そういう意味では、やはり朝ドラ明けの清原果耶主演のこれは、オカルトなのかミステリーなのかよくわからんが、圧倒的に清原果耶が美しいので、もう、それだけで見てしまう。
 さらに助演の瀬戸康史も美しすぎる。

 主人公が深窓のお嬢様なので、世間知らずなところがコメディ要素になってるし、瀬戸康史の方もまんざらではない感じにしているので、こういう匂わせラブコメな感じで進んでいってくれると、ビジュアルと相まって楽しめそう。
 しかし、小芝風花がなんで主人公の秘書的ポジになってるのか謎だけど(小芝風花はすでにプライムタイムの主演クラスなので、清原果耶の下に配置されるのは奇妙)、もしかすると中盤以降でなんかあるのかもしれない。

●「祈りのカルテ」土10

 順番前後してしまったが、これも医療ものだし、研修医が主人公というのもありがちな設定だが、指導医のメンツが豪華なので楽しい。
 精神科医の松雪さんや、産婦人科の斉藤由貴とか、ほんとハマり役である。

 玉森くんは、前クールはパイロット役だったが、恋愛話がこっぱずかしくて、2回くらいつまみ見したが、「無理!」って思ったけど、このドラマは今のところ恋愛要素が無いし、今後もそこを盛り上げる気がなさそうなのが見えるので安心して見ていられそうだ。
 それにしても、玉森くんは実年齢30歳過ぎてるんだけど、こういう頼りない新米モノの方が合ってるような気がする。

 あと、私は池田エライザが好きなので「医者役なんて初めて見た!」って感激しています。

●「アトムの童」日9

 大河ドラマにハマっていると、その直後にやる日曜劇場が全然頭に入ってこないので、前作の「オールドルーキー」もあまりちゃんと見てなかったのだが、山崎賢人がいよいよこの枠の主演ってことで初回を見てみたら・・・

 え?松下洸平が出るのは知っていたんだけど、柳俊太郎もその仲間なの?

 って驚いていたら、柳俊太郎はあっという間に遺影になっていた。

 でも、過去の重要な案件らしいので、回想シーンで出てくるよね?

 しかし、山崎賢人と松下洸平を従えて、全く自然体の岸井ゆきのが凄いなあ。
 だから、ヒロインを岸井ゆきのにした時点で成功しているし、香川照之が降板して、急遽オダジョーが入ったらしいが、ゲーム会社社長なのに、あまりゲームに興味が無い感じなのって、香川照之だと「そのまんま」だけど、オダジョーだと別の意味で闇が深くなるので、最初からオダジョーで良かったんじゃ?って出来になってます。

 山崎賢人と松下洸平がゲーセンでストリートファイターをプレイするシーンは、「あああ、これ、知ってる!」って大爆笑しました。
 自分ではプレイしたことないけど、連れがやっている時、「相手、どんな奴だか見てきて」って言われたことあるよ(笑)

 以上、プライムタイムのドラマの感想でした。

 深夜は何見てたっけ?「階段下のゴッホ」と「北欧こじらせ日記」は追いついてないんだけど、竹財輝之助と柳俊太郎が出ている「最果てまで徒歩5分」は追いかけてるし、「壁サー同人誌の猫屋敷くん」もなんとか拾えてますが、けっこうイケそうなのが「合コンに行ったら女がいなかった話」かなあ?

 その合間に「みなと商事コインランドリー」が再放送されてるので、けっこう忙しいです。


10月21日(金)

●映画「線は、僕を描く」

 今週はまた土日出勤で、次の休みも割引デーじゃなかったので、金曜日の初日に行ってみました。

 しかし、まだ無料ポイントが残っていたので「どんだけポイント貯めたんだよ」と驚く。
 6ポイントで1回無料なので、18ポイントも貯めていたんですね。いつから貯めていたんだろう?

 さて、この映画でのお目当は清原果耶です。
 彼女が大好きなのはもちろんのこと、まだ20歳になったばかりで、この映画だって10代の時に撮影したんだろうけど、10代ですでに、坂口健太郎・山崎賢人・間宮祥太朗・成田凌・町田啓太の「彼女役」(広い意味での)やってるんですよ。
 来年公開予定の映画の相手役は岡田将生だ!

 なので、今をトキメク横浜流星とどう絡むのか楽しみにしていたんですが、残念ながらというか、わかっていたんだけど恋愛要素はほぼゼロだった。
 それでも、水墨画の姉弟子なので「年下だけど目上」っていう感じがさすがでした。

 あと、水墨画の画家なので、要所要所でセンスのいい着物姿を披露してくれたので、清原果耶ファンとしては大満足だったんですが、ついでに映画も面白かった(笑)
 「絵」や「音楽」を題材にした映像作品って、作品内の「絵」や「音楽」が趣味に合わないとちょっとキツいのですが、この映画に出てくる水墨画はどれも好みだったし、揮毫会っていうデカい水墨画をライブで描くシーンも素晴らしかった。

 役者さんが描いているシーンと出来上がった水墨画を画面上で自然に見せるの大変だったろうと思うけど、本当に役者さんが描いているように見えて、全然違和感がなかった。

 そんで、なんで最初に主人公の横浜流星が水墨画の作品見て、泣いてるんだろう?と思っていたら、ちゃんと、後半でその理由がわかり、久々に映画見て泣きました。

 師匠になる三浦友和はもちろん、前半では有能な家政夫さんみたいだった江口洋介の見せ場もあったし、横浜流星の友人役の細田佳央太や河合優実も控えめながらも好演していて、ほんとバランスのいい青春映画だった。

 でも、天才画家とか、そういう派手な話ではないし、恋愛要素も無いので、横浜流星ファンと、清原果耶ファンと、水墨画関係の人しか見にこないだろうから、そんなにヒットしないと思うけど、「2時間の暇つぶし」としては極上の時間だったので、そこそこの数字残してほしいと思う、まさに佳作というか良作でした。


10月20日(木)

 帰宅しようと、会社を18時半くらいに出て、19時くらいにあざみ野駅についたら、「田園都市線は停電で止まってます」

 ぐあああああ、久しぶりだな。

 復旧未定とのことだったので、市営地下鉄で日吉まで出て、東横線に乗り換えたらすぐに急行が来たのだが、しばらくしたら「前を走っている電車が車両点検で停止中です」と停車してしまい、結局、車両故障だったらしく、30分くらい停止していた。

 渋谷駅は相当混乱していたでしょうね。

 そして、やっと都立大駅で降りて、バスに乗ろうとしたら「久しぶりだったから降りる駅間違えた!」
 三軒茶屋行きのバスが出ているのは、祐天寺でした。
 でも、都立大駅からも環七通るバスが出ていたので、それに乗ったのだが、246との交差点付近が工事していたので、えらい時間がかかってしまった。知ってたらあの交差点の手前のバス停で降りていたのに。

 そこから三茶まで歩くと、渋谷方面からみんなゾロゾロ歩いていた。
 震災の時を思い出す。
 みなさん、もう慣れたもんで、缶ビール片手に歓談しながら歩くグループもけっこういました。

 家に着いたら10時近かったので、3時間くらい旅してしまったらしい。

 それにしても、ああいう時に駅員に怒鳴り散らす人がいなくなったなあ。
 そういう世代のオッサンはもう通勤してないのかもしれない。


10月19日(水)

 10月は日曜出勤が多いので、平日に休みとることになり、水曜日の割引デーだったので、また「ヘルドッグス」見てしまった。
 4回目。
 だって、なんか、見るたびハマるんだもん。

 あんまヒットしていないが「ヘルドッグス沼」というハッシュタグが流れているくらい、沼る人には沼るのです。

 さて、世間では、ってゆーか、ネットニュースの一部では「椎名林檎のCDの付録がヘルプマークをもじったものだった」というのが話題になってましたが、その是非はともかく、ちらほらと「おかげで迷惑被った」という話が出てきた。
 実際にヘルプマークつけている人が、「それって、アレですよね?」って言われて、嫌だったっていう話。

 地域差があるのかもしれないが、私はヘルプマークつけている人をよく見かけるので、椎名林檎のそのニュースで初めてヘルプマークを認識して、興味津々の人がいるってことがよくわからないので「ほんとに、そんな人いるの?」って思ってしまうが、私の認識が世間の常識ではないのは、わかってるし、この間も「風疹の予防接種が女性だけだった理由を知らないのか?」って驚いたように、今までヘルプマークを意識したことが無かった人もある程度実在するんだろう。

 これも偏見かもしれないが、車移動が多い地域だと、あまり目にしないのかもしれない。

 ヘルプマークが登場してどのくらい経つのか知らないが、あれがけっこう有効だなと思ったのは、電車内で急に奇声を上げた中学生くらいの男子がいて、皆ギョっとして彼に注目したのだが、彼が燦然とぶら下げていたヘルプマークが目に入り、「あ、別にヤバい人じゃないんだな」と「生暖かくスルーしましょう」という空気が車内に流れたので「ヘルプマークいいじゃん」と思った。

 それほどじゃないけど、やはり電車乗っていたら、50歳くらいの女性の側に20歳くらいの立派な青年が並んで立っており、親子らしいけど、なんか距離感が近いな、と違和感を感じていた。
 成人した息子が母親が一緒にいることは珍しくないけど、電車降りる時に母親が息子の腕つかんだりしないでしょ?
 そしたら、その息子にヘルプマークがついていて、「あー、この子、けっこうキリっとしてるけど、中身はたぶん、10歳以下なんだろう」と理解した。
 今ってマスクしてるから、表情がよくわからないので、挙動が落ち着いてると、知的障害者だってわかりにくいのね。

 たぶん、彼みたいな「一見、普通の成人男性。しかも、背も高いしけっこうハンサム系な青年」が、親とはぐれてしまい、駅でオロオロしていても、誰も声かけたりしないと思うので、そういう時、ヘルプマークが役に立つのだろうし、だから親もあえてヘルプマークつけてさせているのだろう。

 道端でうずくまってる大学生男子みても「ただの酔っ払いだ」って思うだろうけど、ヘルプマークつけていたら声かけるかもしれない。

 それと同じで、全然元気そうな若い人がヘルプマークつけていると、「どんな持病があるのか知らないが、街中で発作が起きた時に救急搬送されやすくなるのかもしれない」とか思う。ヘルプマークの裏に持病を書いていることもあるらしいし。

 で、何が言いたいのかと言うと、もし、椎名林檎をディスるニュースでヘルプマークのことを知った人がいるのだったら、それはヘルプマークの周知に一役買っているわけで、そのチャンスを活かす方向に行けばいいのになあ。

 今のところ、マスゴミは「椎名林檎のせいで迷惑をかけられたヘルプマークの人」ばかり拾うが、それと同じくらい「あ、それってそういうマークだったんですね。知りませんでした。でも、椎名林檎のおかげで知ったので、これからは注意します」って人もいると思うんですよね。

 しかし、そのあたり本当に難しいと思うのだが、私もヘルプマークなんて完全に周知されてると思っていたので、それの「もじり」は「ヘルプマークを躊躇せずじゃんじゃんつけよう」という前向きなメッセージだと思ったのだが、なぜかそれが「けしからーん」になったのか、よくわからないのであった。


10月16日(日)

●映画「耳をすませば」実写版

 この映画の製作が発表された時、「なんで、アニメ版の10年後を実写化する?」と不思議だったが、そもそも私はアニメ版を見たのもつい最近でした。
 ジブリ作品あんまり好きじゃなくて、「耳をすませば」もちゃんと見たことなかったんだけどタカハシ沼に落ちた時に「あれは高橋一生の声変わり前」と知って、やっと見てみたんだが、あれは50歳過ぎてから初めて見ても楽しめるような映画じゃなかった。と、思う。知らんけど。
 たぶん、あれを初めて見たのが10代の頃だったら、自分の初恋の思い出と絡めてというか「混同して」、ずっと楽しめたのかもしれないけど。

 なので正直、どこが面白いのか全然わからなかったのだが、今さらあれを実写化するのって、そういうニーズあるのか?
 私が唯一、ジブリで大好きなのはトトロなんだけど、サツキとメイの10年後なんて別に見たいと思わないし。

 なので、私にとって、この映画は予告編の時点ですでに「脳死案件」だったのがが、なんで映画館で見たのかと言うと「松坂桃李がチェロ弾いてるのが見たいから」
 俳優の楽器弾く演技が好きなんです。
 松坂桃李がピアノ弾いてるのは見たことあるけど(蜜蜂と遠雷)、チェロだと彼の長い指が映えそうだし。
 あと、予告編で燕尾服着ていたので、それも見たい。

 というわけで、かなりフェチな動機で見てみたのですが・・・・

 だから、この映画が誰向けなのかわからないまま見てみたのですが、見終わった後の方が謎だった。

 だって、てっきり「大人になってからの二人」を描くのかと思いきや、原作というかアニメ版の時代もけっこう描いているというか、分量的には半々くらい?
 あの漫画チックな(原作は少女漫画だし)中学生時代のやりとりを実写で展開されて、ちょっとキツかった。

 あと、ちょっと気になったのは、大人になったとはいえ、10年後なので年齢設定が25歳くらいなのに、中学時代の同級生であるユウコと杉村が結婚するのって、ちょっと早くないか?
 でも、途中でやっと気がついたのだが、この二人が25歳の頃って、1998年で、だから雫が聖司に国際電話かける時に公衆電話でテレホンカード使っていた時は「うわあああ、懐かしい!」と思った。
 他にも、雫の上司が職場の机でタバコ吸っていたり、有給休暇が取りずらかったり、「10年後の二人」の世界が「25年くらい前の世界」なのがいろいろややこしい。

 話が逸れるが、聖司の留学先であるイタリアは、毎度おなじみのポルト・ヨーロッパで、我々映画ファンはコロナ下で何回ポルト・ヨーロッパ映画を見たのだろう?

 あと、気になったのは聖司が現地でカルテットを組む仲間たちと英語で会話していたことで、雫と一緒に入ったレストランではイタリア語を話していたから、きっとカルテットのメンバーもイタリア人では無いのかも、と無理やり納得した。
 松坂桃李は英語でもイタリア語でも苦労は同じだったと思うので、イタリア語を話せる外国人俳優を集めるのが難しかったのかな?

 って、どうでもいいことが気になってしまったが、とにかく私はこの映画が想定している客じゃないので、メタな目線になってしまうのはしょーがない。

 それでも、松坂桃李のチェロ演奏は期待以上に素晴らしく、あの長い指が弦の上を踊るのを見られて眼福でした。
 でも、燕尾服のシーンは予告編と同じく、ほんの一瞬で、「本編で、もうちょっと見せろや」と嘆きました。
 あと、イタリアに来た雫と食事していた時、「この後、うち来る?」って言う時の松坂桃李の芝居の巧さよ。絶妙な下心感に唸った。

 当たり前だが、この映画は全く性愛描写が全く無いので「15歳から25歳までの遠距離恋愛」っていうのが、どういうものなのか全く何の情報も無いんだが、必死の思いで有給休暇をとってイタリアに乗り込んだ雫が聖司に「うち来る?」って言われて、彼のアパートに行ったら、聖司のカルテット仲間の女がアポなし襲撃してきて、「私は聖司のことが好きなの!10年も遠距離恋愛なんて、そんなのありえない!もう聖司を自由にしてあげて!」

 ですよね〜?

 でも、こんなファンタジー展開に急にこんな重い女投下されても・・・

 で、雫はそれにびっくりして、外に飛び出してしまうのですが、「いや、東京だったら全然オッケーなんだけど、イタリアのどこの街だか知らないが、真夜中の女性の一人歩きはちょっと」と治安の心配してしまいました。まあ、ポルト・ヨーロッパだから、安全なんだけど。

 えーと、それで、聖司は「やっぱり自分には雫が必要だから、活動の拠点、日本にするよ」と戻ってくるのですが、だったらもっと早く戻って来いよ。

 というわけで、ほんとよくわからなかった映画でしたが、この「少年期パートと大人時代パートを絡ませる」という手法になんか心あたりあったので「なんだたっけ?」とちょっと考えていたら、「世界の中心で愛を叫ぶ」ですね。

 なんで、そういうことになるのか全然わからないんだけど、中高生パートだけでは映画にならないという考えがあるようで、「大人になった主人公が当時を振り返る」って設定にすると、大人パートには、それなりに人気俳優あてがうみたいなんですが、それ、いる?

 というわけで、「世界の中心で愛を叫ぶ」的な目論見で作られたと思しき「耳をすませば」でしたが、「これ、誰も喜ばないだろう」って感じだったので、逆に黒歴史にもならないんじゃないかなあ?

 つーか、なんでこんな企画が通ったのか、そっち知りたいです。

 あと、山田裕貴が出るのは知っていたが、雫が担当する児童文学作家役で田中圭が出てきたので、驚いた。雫の仕事に関わる重要な役なんだけど、田中圭クラスがやるような役じゃなかった。だって、あそこに田中圭が出てきたから「雫は遠距離の聖司よりも、こっちに惹かれてしまうっていう展開?」って思うよね?
 なのに、別にそういう要員がじゃなかったので、「なんだったんだ?」って思ったのですが、田中圭の衣装が絶妙に変で、変って言っても、そんなに変でもないんだけど「その服、どこで買ったんだ?」って感じが絶妙で、前に三茶の劇場付近で、舞台入り前らしきイキウメの看板役者である浜田信也の私服がやはり「その服、どこで買ったんだ?」という微妙にタダモノでは無い感じを醸し出していたので、あれを思い出したが、あの「カッコ悪くもダサくもないのだが、なんか独特な感じ」っていうのは、なかなか難しいと思うので、あの衣装を選んだスタイリストさんのセンスに拍手。


10月12日(水)

 コロナのワクチン4回目接種は、簡単に予約がとれたので、私はとっとと受けたが、3回目までは基礎疾患を理由に私より先に受けていた人たちが「4回目どーなんでしょー?」って躊躇している。
 みんな、発熱とか、そこそこの副反応があったので、あまり受けたくないらしいのはわかるが、うちの会社は3回目まで職域接種をしたので、4回目の案内の時に「インフルエンザと同時接種もアリです」って説明されたのが衝撃的だったらしい。

 「えええええ?同じ日に?」って驚いていたが、「小児の予防接種とか、3種混合とかあるじゃん。一回で済んで便利でしょ?」と私が言うと「だって、あれは、それで安全だからって話で」というが、だから今回は、コロナとインフルを同時にやっても安全ですって話では?

 そんなこんなで予防接種の話していたら、なぜか風疹の予防接種の話になっていて、それでわかったのだが、みなさん「はしか」と「三日はしか」の区別がついてないんですね。

 まあ、少し前に「はしか」というか麻疹の流行が若い人を中心にあって、麻疹の空白地帯があるらしいのだが、「三日はしか」こと風疹の空白期間は前から問題になっていたのです。

 私の時代は、中学生の時に女子だけ風疹の予防接種受けていたので、私と同世代のオジサンは風疹空白地帯なのだ。
 そしたら、40代後半のK嬢が「うちの旦那もやってない可能性があるけど、やったほうがいいかな?」と言うので、ちょっと言葉を選ぶ必要があった。Kさんご夫妻には子供がいないからである。
 なので「Kさんちもやっておいたほうがいいとは思うが、それよりも今のうちやっておいたほうがいいのは、T部長(私よりも学年一つ上)でしょう。息子さんが二人、もう結婚しているので、嫁が妊娠するからもしれないから」

 そしたら、3児の母であるE嬢が「妊婦だと、症状が重くなるから、女性だけしか打ってないんですか?」と言うので、「え?」ってなった。

 それ、知らないの?

 「いや、風疹は全然死ぬような病気じゃないんだけど、妊娠中にかかると胎児に影響が出るんです!」と説明したら「ああ、だから産婦人科で抗体検査するんだ」って納得してました。

 うーん、やっぱ学校で集団接種していた時は、教師が「何のために接種するのか」って説明してくれたのが良かったのかもなあ。
 今でも覚えているのは小学校低学年の時に破傷風の予防接種受ける前に担任の先生が破傷風の説明してくれて、「その患者さんが亡くなった時、歯が全部抜けていたそうです。痛みでずっと歯を食いしばっていたらか」って話にクラス全員が恐怖のズンドコに落ちたので、「そんな壮絶な病を防げるのなら、注射の痛みなぞ耐えてみせましょう」みたいな気合いに満ち満ちた。

 そして天然痘の恐ろしさは「ベルバラ」で学んだし、結核の恐ろしさは近代文学を読めが「ほぼ全員、結核で死んですじゃん」だったし、予防接種こそが今の長寿社会や子供の死亡率を下げたのだと信じているのだが・・・

 そもそも、私の時代には「水ぼうそう」や「おたふく風邪」のワクチンがなかったので、私はどっちも掛かったのだが、ほんと辛かったので「今は予防接種があってうらやましい」としか言いようがない。
 しかも、知らなかったんだけど「おたふく風邪」には難聴のリスクがあったらしい。
 さらに「水疱瘡」には将来にわたって帯状疱疹のリスクがあるのである。

 自分に子供がいたら、絶対に受けさせるよ。

 でも、おたふくにしても水疱瘡にしても、自分が感染したことが無い若い人が「昔はそういうの、友達から感染してもらいなさい、とか、やってたんでしょ?」って確かに「大人がかかると重症になるが、子供だと軽いから今のうちに」っていう話はあったけど、それは予防接種がなかったからなんだよ。

 水疱瘡とか「全身、あせもが出来て辛い」状態で、「痒いからってかくと跡が残る」と言われても、痒いものは痒かったし、全身にのし掛かる発疹による発熱感は非常に辛かった。
 それよりも、未だに記憶に残っているのが「おたふく風邪」で、とにかく顎が痛くで食事ができないのが辛かった。
 でもお腹は空くので、やっとの思いで卵ボーロを口に含んで、ゆっくり唾液でふやかして食べていたのだが、夕飯の普通の「ご飯」は全然食べられないので、母に「おやつは食べられたのに、なんでご飯は食べないの?」と叱られ「だって、卵ボーロは口の中で溶けるけど、お米は溶けないから」って説明したかったけど、そんな屁理屈言えるような年じゃなかったし、それよりも「なんで、こんなに具合悪いのに、おかーさんから叱られなきゃいけないの?」っていう理不尽に泣いていた。

 あの母も、たぶん「おたふく」の辛さを知らなかったのか、憶えてなかったのか、とにかく、幼い娘が、卵ボーロやゼリーといった「おやつ」は食べるのに、ちゃんとした食事は食べなくてイラっとした20代女子だったのだろう。
 ほんと、もう少し、こっちの辛い気持ちをわかって欲しかったが、あれから50年くらい経過したが、母はそういう人だったらしく「お父さんたら、旅行に行くと、すぐタクシーに乗りたがるのよ」って、歩くの辛くなってきたのを察してくれないらしい。

 でも、私はそういう「基準は私」って人は、嫌いではない。

 私がが苦手なのは、「どこかに何か基準があるらしいので、それに従ってるつもりな人」で、要するに他人に責任を押し付けようとする人たちである。

10月9日(日)

●映画「ヘルドッグス」3回目

 上映回数も少なくなってしまったので、割引の無い日曜日に貯めたポイントを使って見た。
 結局、せっせと溜め込んだ「6回見ると1回無料」のポイントをこの映画で2回使ってしまったのであった。

 さて、原作小説を読んだので、ヤクザ組織の抗争構図がスラスラとわかったのだが、やっぱ、この映画のキモは全然そこではなかった。
 主人公が突然口ずさむ詩(金枝篇らしい)や、「竹の家」(サミュエル・フラーの映画らしい)や、「地獄の黙示録」といったシネフィルなモチーフが散りばめられているところがキモというか、そこにハマるとけっこう深そう。

 それよりも、ストーリーもキャラ設定もわかった上で見てみると、けっこうBL要素が濃かった。てゆーか、私の性癖が暴走しただけなのかもしれないけど(笑)

 片腕である熊沢(吉原光夫)を銃撃戦失った十朱(MIYAVI)が血まみれの熊沢の亡骸を抱きしめるシーンで萌えたし、それを見て室岡(坂口健太郎)がアニキである兼高(岡田准一)に「俺たちもハグします?」ってサイコパスらしい全く空気読めてない冗談をかますのだが、熊沢の葬儀の時に、三神(金田哲)を殺してしまい、それに気が付いた部下たちに襲撃され、満身創痍の室岡の頭を抱いて兼高が「逃げろ」と言うシーンで、さらに萌えた。「さっきのセリフがここで回収!」って。

 なるほど、映画オリジナル設定である、室岡の「死刑囚の息子」というのがすごく効いてるんだなあ。

 室岡がいきなり三神を襲うのが、なんだかよくわからなかったのだが、親(直属の上司)である三神に自ら死刑を執行したのね。
 そう解釈すると、さらにその上の土岐(北村一輝)が愛人であるエミリ(松岡茉優)に殺された現場に居合わせたのは「親父にゴメンって言いにきたら、まさかの・・・」じゃなくて、親父を自分でヤろうとしたら、姐さんに先越されてた?って解釈もできるわな。

 って、いろいろ勝手に再構築していると、とっても切なくなってくるんだけど、室岡っていう男の子は、あ、「男の子」って呼び方は坂口健太郎がいつも、自分の演じている役を舞台挨拶などで「男の子」呼ばわりするからです。
 いつまで「男の子」呼ばわりするのか密かに注目している。

 室岡の「これまでの経歴」は原作でもあまり詳しく描かれていないのだが、親がカルト教団の出家信者だったため、カルト教団の施設内で「半年間、点滴だけで生きる実験させられた」とか、けっこう酷い扱いを受けていたため、一般社会で生きられないくらい壊れていたんだが、その上、父親は地下鉄サリン事件の実行犯がモデルになってるので、ヤクザ組織に堕ちても尚「死刑囚の息子」として認識されている。

 さらに、この映画の序盤では、(殺人マシーンとしての)能力は認められているが、人間が壊れているので、けっこうあからさまに邪険に扱われているというか、出世コースからは外れた存在として描かれている。

 そんな彼が偶然再会したカルト教団時代の幼馴染の女性と強引に誘って寝るのだが、「俺、射精しないから、タマが無いんだ」っていう謎のセリフがあったけど、それが医学的にどういう状況なのかわからないけど、生殖能力が無いらしいので、「親が死刑囚で、もし、他に親族がいても、とっくに崩壊しているだろうし、この先、家族を持つこともできない」という属性を強調しているように思えた。

 兼高と出会う前、彼がどういう経緯でヤクザ組織に入ったのかはわからないが、「カルト育ちで壊れてるから、殺人マシーンとしては上等だけど、壊れたオモチャなので取り扱い注意」で、シャブ中の鉄砲玉にみたいな扱いだった室岡が初めて「アニキ」と呼べる兼高に出会ったのが映画時間でたった1年前。

 主人公は、この室岡という「地獄の犬」を手なづけて、短期間に組織をのし上がったので、映画冒頭で語られる「相性が95パーセント」とかいう恋占い的な分析を誰がやったか知らないが、実に残酷な相性診断だったなあ。

 主人公は室岡に情が移ってしまい、それ故に苦しむのだが、室岡の方は、過酷な環境で生き延びるために封印していた感情が戻ってきてしまい、初めて知る「情」というか「愛」に無茶苦茶混乱しているのである。

 やっと本来の自分を取り戻したら・・・・って「ディア・ハンター」でしたっけ?あらすじ読んだだけで超辛かったので見たことないんだけど(笑)

 さて、ラスト間際で主人公が室岡に「俺にとって、お前は森の王だった」と言うのですが、フツーに考えると「森の王」は組織のトップだったMIYAVIなんだけど、なんで室岡?

 で、室岡が死んでから、「1年前の二人の出会い」になって、映画でも小説でも描かれていない「主人公と室岡が無敵のバディになるまで」を勝手に走馬灯のように心の中に描いて、「続編は、そこ下さい!」と血を吐きながら絶叫するのです。

 そんで、このラストを踏まえて、映画内での二人の見事なバディぶり見ると、ほんと萌えるのよ。
 「理性」の兼高と「本能」の室岡のバディ(やってることは、だたの人殺しだが)、だから、もっと見たいんですけど。

 あ、今すごいこと思いついてしまったのだが、兼高と室岡って、エドガーとアランっぽくね?

 なるほど、そう考えると、私がこれほどハマってしまったのもわかるわ。(個人の感想です)

 ちなみに、韓国映画に比べると残酷描写がヌルいという意見も多いようですが、「坂口健太郎がサイコパスですわよー」な私には、グロ描写がなくて、とっても見やすい映画でした。
 昔、ビョン様主演の「甘い人生」見て、「もう、許してください」とゼーゼーしていたが、ああいうの好きじゃないので。

 タランティーノが北限です。
 そっか、タランティーノとは別の方向だけど、この映画も適度な遊び心があるので、しっくり来るのかもしれない。

 そういや、多くの人が「そこは、ちょっと」と苦言を呈していた、「警察官が女子高生を映画に誘った」という話であるが、主人公が当時新米だったので、23歳くらいの設定だと、高三で18歳の女子高生を映画に誘うのはギリギリセーフかなあ?女子高生の年齢は映画ではわからないけど。
 けっこう可愛い女子高生が自分に気があるみたいなので、キープしておくかって感じで。

 だから、その女子高生が強盗に殺されたことが復讐の原動力というよりは、それを未然に防ぐチャンスがあったのに、そのチャンスを生かせなかった自分に対する怒りの方が強かったように描かれていた。

 そして、これは映画版でも原作でも、行間から浮き出てくるんだが「何の罪もない善良な市民が殺されるのは言語道断だが、じゃあ、悪いやつなら殺してもいいのか?」

 そこでまた「強盗殺人の犯人を復讐のため殺していった主人公」と「親が無差別テロの実行犯の死刑囚で、ヤクザの殺し屋やってる相棒」というバディの立ち位置の捉えどころのなさが際立ってくるし、さらにヤクザの情婦として組織に潜入しているエミリの「ヤクザの娘だったけど、獣医学部出て、アフリカの動物保護活動に参加したら、象牙ビジネスのためにアフリカゾウが殺されている!」って動機がけっこう明後日の方向だったけど、妙にバランスとれてる感じがしたんだよね。

 だとすると一番全うなのが「ヤクザに息子を殺されたから」っていう大竹しのぶなんだけど、なんで殺されたかっていうと「組長の娘に手をつけたから」で、それは大竹しのぶが言うとおり「組長の娘の方が、うちの息子に言い寄ったのでは?」なんだろうけど、組長が「あいつ、ちょっとシメておけ」っていうのを忖度っていうか、「あいつ調子に乗りやがって」と嫉妬した組員にリンチされて殺されちゃったんだろうから、誰に責任があるって話でもないし、そもそも「息子がグレてヤクザに入ったのがダメじゃん」って思うんだけどね。

 って語り出すとキリがないけど、とにかく、この全員なんかダメな世界観が気に入ったので、機会があれば、また見たい。


10月8日(土)

 ここんとこ、三連休といえば台風とセットだったが、やっと台風無しの三連休だし、急に気温は下がったが、そこそこ過ごしやすい行楽日和だからなのか、久々に週末の新宿に出たら、めちゃくちゃ混んでた。

 カーディガンを着ようとしたら「これ、コロナ前に買ったやつだな。袖もヨレているし、首のあたりが退色してる」と気がついて、MUJIで新しいのを買おうとしたら、レジに行列が出来ていて「みんな、同じこと考えてるw」と思った。
 オシャレ上級者は、とっくに秋冬に着替えているんだろうけど、私みたいな人たちは、気温が下がってから慌てて買いに行くのである。

●映画「よだかの片想い」

 島本理生原作小説で、名古屋テレビの(not) HEROINE movies企画の映画だが、(not) HEROINE moviesは「わたし達はおとな」で藤原季節のクズっぷりを堪能してしまったので「次は中島歩なの?」って、ヒロインよりも相手役の人選が素晴らしすぎる。
 中島歩は「偶然と想像」や「愛なのに」でも、持ち味の棒読みが素晴らしく、「変なイケメン」俳優として頭角を現わしつつあるので要注目なのだ。

 そしたら、主人公の松井玲奈が素晴らしかった。
 彼女のアイドル時代は全く存じ上げないのだが、女優として意識したのは、朝ドラ「エール」(2020年)だったかな?
 その前から、ちらほら見ていたけど顔をちゃんと覚えたのが「エール」だった。主人公のお堅い姉を公演しいた。ジャニーズもAKBも朝ドラに出てくれないと顔と名前が一致しないのである。
 最近だと「オクトー」で、主人公の姉役で、物語の発端となる殺人事件で一切の感情を失った人形みたいな役だった。

 「ザ・美人」みたいな輝くばかりの白石麻衣とか西野七瀬に比べると、地味な印象があったけど、この映画は「顔にアザがある女性」というか陰りのある役なので、ドンピシャでした。
 ほんと美しくて、「この人、顔にアザがあって丁度よかったっていい方はアレだけど、そういう欠点がなければ誰も近寄れなかっただろう」って思ったくらい。

 で、この話は「顔にアザ」ってわかりやすいけど、結局、人間誰だって何かしらコンプレックス持ってるわけで、なかなか素敵な青春映画だった。
 そんで、彼女を原作に映画を作ろうとしている中島歩の役は、映画だけだと彼の世間的なポジションはよくわからなかったのだが、たぶん、そこそこ認められてる若手監督で、CMとかMVの仕事もしているので「貧乏暇なし」状態なんだろうし、とにかく映画のことが一番なので、主人公をダマしているわけでもなく、ただ映画の素材としての彼女として惚れてるだけで、惚れてるのは事実なんだろう。

 っていう感じを中島歩は実にギリギリにダメな感じで演じるので、すごく面白かった。

 だから、主人公が「こりゃダメだ」と見切りつけるのも実に爽やかというか、「まあ、これは、そうだよね」としか言いようがない。
 それまで、中島歩の元カノである女優に嫉妬しまくっていたが、いったん「こりゃダメだ」と思ったら、「あの女と私、どっちが?」って問題じゃなくて、「私はこの男とずっと一緒にいたいのか?」って「わたし」の問題になったところが美しかった。

 そして、顔のアザも、「2年くらいかかりますけど治りますよ」と医者から言われて、「え?そうなの?」って脱力感もリアルだった。
 でも、もう20数年もアザと付き合ってきたので、今更「治りますよ」と言われても、困るよねえ?

 欠点と美点は紙一重というか、どっちが裏でどっちが表なのか、時々ひっくり返ることがあるけど、そんな風に思えるのは私がそれなりに年を重ねたからで、この映画を主人公と同じ年代の頃に見たら、素直に納得できなかったかもしれないなあ。


10月5日(水)

●小説「ヘルドッグス」

 映画版が面白くて、もう2回見たが、「かなり原作を改変している」という噂だったので、確認のため原作小説を読んでみた。

 そしたら、前半はほぼ原作通りで「どこを改変してるんじゃ?」って思っていたら、後半が全然映画と違う世界線で、「原作だと阿内(酒匂芳)が美味しいとこ全部持っていってるじゃん!」

 原作の阿内やってる酒匂芳もちょっと見てみたくなったが、そうなると、岡田准一主演映画ではなくなってしまうので、映画版の改変は正しかったと思う。

 でも、小説版は「主人公の正義感」が主軸にあったのだが、映画版は最初からそれを取っ払っていたので、描きたいテーマが全く異なる小説版と映画版ってことで、それは、けっこう面白かった。

 小説版の主人公はあくまでも警官として職務を全うしていて、だから、ヤクザ組織同士の抗争といえども人を殺すことにかなりの抵抗感があり、その感情と常に戦っているんだけど、映画版の主人公は、すでに自己責任で殺人という「報復」を実行しており、闇落ちどころか「もう人生これで終わりでいい」という段階で、阿内(酒匂芳)にリクルートされているので、立ち位置が全然違うのだ。

 小説版は連載小説だったからなのか、ヤクザの抗争の説明が繰り返されるので「単行本にする時、ちょっと整理しろよ」と思ったが、小説版の説明がけっこうクドいのと対照的に、映画版は「説明なさすぎ!」と、ほんと両極端な原作小説と映画だったが、最初に映画版を見た時に「ヤクザの抗争の話がよくわからんが、とにかく絵で見せる映画なんだな」と思ったが、画で見せることに徹底して作った脚本なんだよなあ、原作小説を読んであらためて感心した。

 映画版より原作小説の方がグロいのである。

 つーか、北野武の「アウトレイジ」が好きな上司に、この映画がオススメであることを説明していたら、「そういや、全然グロくなかった」と気がついたのである。

 原田眞人監督のことはよく知らないが、やっぱ、どっちかというと「おシャレ」の人なのかもしれない。

 つーか、確実に「メンクイ」だよね。

 だって、あの原作小説読んでみたら、「なんで、これが岡田准一と坂口健太郎のダークなバティものになるの? 」って思ったもん。

 あの原作をこんな映画にしてしまった原田監督の「二次創作」なオタク力に拍手だ。

 なによりも、ヤクザのトップをMIYAVIにしたところが偉い!
 原作のイメージ通りなんだもん。
 まるでロックスターみたいで、もし世間に顔が売れたら、女性ファンが付きそうっていう。

 あと、松岡茉優は映画オリジナルキャラだったのだが、小説と主人公の立ち位置を改変してしまったので、主人公がMIYAVIを殺す動機が薄くなってしまうところを松岡茉優を入れることで上手くカバーしていた。

 坂口健太郎が死刑囚の息子であるという設定も映画オリジナルだったが、それも映画版の主人公の正体を暴く流れに繋がっていたし、ただの「カルト教団の被害者」以上の属性を与えていたと思う。
 でも、小説版では「カルトに傾倒してしまった医者の息子」になっていて、そのカルト教団が明らかにオウム真理教がモデルなので、「そこは映画でも言及してほしかった」と思った。

 そしたら、きっと林死刑囚のことを思い出していたであろう。

 そういや、小説版でも主人公の人生に大きな影響を与え、映画版では直接的な動機となった「閉店後のスーパーに強盗が押し入り、パート主婦やアルバイト女子高生が射殺された事件も記憶に新しい。

 モデルとなった「八王子スーパー強盗殺人事件」は1995年かあ。未だ未解決なんだよね。

 なので、小説にしても映画にしても絵空事なんだけど、ベースになっている事件は本物をモデルにしているので、ある年齢以上の人は非常にリアリティを感じる設定になっているのが面白い。
 たぶん、若い人にはその設定すら絵空事なんだろうけど。

 少し前に海外の地下鉄でテロ事件が起こった時、会社の若い子たちが「えー、やっぱ、海外怖いですねえ?」とか言っていて、「おまえら、地下鉄サリン事件を忘れたのか?」って言ったら、「その頃、まだ子供だったので」と言われて、頭を抱えた。

 話が逸れてしまったが、原作の室岡(坂口健太郎)は見た目もヒョロっとした大学生みたいだし、顔もアイドル並に可愛いが、カルト教団育ちでまともな教育も受けてないし、ほぼ幼児虐待な環境で育ったので、後天的なサイコパスという設定だが、原作だとフォーカスが曖昧な人物だし、見せ場もあまりない。

 原作の室岡は、主人公が羨ましくなるくらいのナチュラル・ボーン・キラーなのである。
 凄惨な殺人を犯した後に、平然と焼肉平らげるような。

 で、原作を忠実に映画化しちゃうと、3時間半以上になってしまうので、岡田准一主演は決定事項だから、相方を坂口健太郎にして、わかりにくいブロマンスものにしたのがほんとよかった。

 だから、この映画は坂口健太郎目線の「初めて恋をした日に読む話」であり、その淡い初恋が無残に砕け散って、「この女と俺、どっちが大事なの?」っていう無様なセリフを言わせるまでが遠足です。

 いやー、やっぱり、岡田准一と坂口健太郎の蜜月時代で続編やってほしいなあ。

 そんで、コアな坂口健太郎ファンの解析によると、この映画の撮影は、朝ドラ「おかえりモネ」の登米編と東京編の合間だったらしく、「菅波、あんだけ人殺してから、東京のコインランドリーでモネと再会したたんかい!」って笑うわ。
10月4日(火)

 コロナ陽性者数がガクガクと減っているが、それが本当に減っているのか、全数把握やめたのからなのかよくわからないが、そもそも減っているといっても「日本全国で10万20万は当たり前!」って状態から「5万人弱になりました」って話で、何を基準に多い少ないを判断しているのか、判断に困る。

 でも、オミクロンが跋扈したこの数ヶ月は、社員数100人規模の我が社でも、数名の陽性者が出たので「はあ、こういう感じか」と思ったし、皆、隔離期間明けには元気に復活してきたので、「やっぱ、コロナがインフルエンザみたいなことになってるな」って実感した。

 もはや「死に至る病」をとっくに脱却して「隔離期間をどう過ごすか」って話になっている。

 そんな中、やっと一般の人が「4回目接種」を受けられるようになったので、さっそく予約枠を探したら「もう、明日でも受けられるじゃん」状態だった。

 職場でも、3回目接種までは基礎疾患アリで私よりも早く接種していた人たちが「4回目はねえ?」って躊躇してたので、「ミヤノ、4回目いきまーす」と、これまで、なかなか近場で予約がとれなかったのだが、やっと地元で予約がとれたので行ってみたが、空いてて、あっという間だった。

 今回も、「接種した部分が痛くて寝返りが打てない」以上の副反応は無くて、「この程度の副反応だと、インフルエンザより軽い」と思った。インフルエンザの方が、痒い。

 翌日、フツーに出社したら「昨日、4回目やったのに、すごい!」と言われたが、そんなんですごいと言われても・・・


10月1日(土)

 もう、10月か・・・

 うちのアパートの外廊下のクモの姉御は、二つ目の卵を産んでから姿が見えなくなったので「死んだの?それとも冬眠?」と、よく生態がわからないのだが、なんと、蛍光灯から移動して、外廊下の窓側に巣を張っていた。
 まだ、狩する気満々みたいです。
 でも、夫さんの姿は、二個目の卵を産みつけたあたりから見てない。

●小説「ペスト」カミュ

 部屋の掃除していたら発見して「たぶん、これ、コロナの最初の頃に買ったんだよなあ」と思った。
 何の用で通りがかったのか忘れたが、青山の青山ブックセンターの入り口付近に平積みになっていたので「今読むと面白いのかも」と思って買ったのだ。

 というわけで、たぶん2年くらい寝かせてからやっと読んでみたが、今読んで正解だったかも。緊急事態宣言下で読んでいたらけっこうキツかったと思う。
 カミュがどの程度、本当のペスト禍を参照して書いていたのか知らないし、そもそも「ペストはファシズムのメタファー」という説が定説になってるらしいが、コロナ下がやや下火になった今読むと「あー、コロナでもきっとこういう小説、後になって出てくるだろうなあ」と思った。

 テレビドラマはすっかりコロナを無かったことにしているが、NHKの夜ドラ「あなたのブツがここに」はコロナで職を失ったキャバ嬢が宅配業に鞍替えして、苦労しつつも自分の居場所を作っていく様子が丁寧に描かれていて、「あー、あの頃、終わりが見えなかったよなあ。って、今でも、どこが終わりなのかよーわからんが」って思った。

 それにしても、致死率が異常に高いペストに比べたら、コロナなんて、もはや「ちょっと上位のインフルエンザ」程度になっている。

 てゆーか、我々はそもそもインフルエンザが何なのか、よくわかってないのだが?

 とにかく「ペスト」は、当時ベストセラーになったらしいが、今読むと、けっこう難解な箇所も多いのだが、全般的にはバイオハザード物の元祖というか、治療の最先端に立った医師や、たまたま封鎖されてしまう街に滞在していたが、有志として患者の搬送や隔離に携わる人や、「とにかく、ここを脱出したい」と悪あがきする人など、役者は揃っていて、このままハリウッド映画にしてもいいというか、だから、きっとこの先、コロナのパンデミックと戦った人の映画ができるんだろうけど、この「ペスト」みたいな王道展開だと面白くないと思うけど・・・って、くらいの王道だったのだが、けっこう隙間に細かい哲学的描写が入るので、なーんか昔の小説ってズルいというか、夏目漱石とかほんとそうなんだけど「コッテコテの不倫モノじゃん?」とか思うんだけど、今読むと「それだけではございません」なところがズルいと思うのだが、そのあたりが「文芸作」の深いというか、よくわからないところなんだと思った。


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