可燃物な日々
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5月31日(火)
●\「モンテ・クリスト伯」動画配信再開/
ドラマ「シャーロック」が始まった時、「世が世なら、モンクリがTVerでやっていたはずなのに」とホゾを噛んでいたので、その「シャーロック」の映画化に関連して、やっと動画配信が始まって、万歳万歳万歳!である。
しかし、見るのがリアタイ以来だったので、「うわ、あの漁船の社長が木下ほうかだったんだ!」ということをすっかり忘れていて、「新井浩文と木下ほうかの絡みがけっこうあって、気が散るwww」と思った。
というわけで、いろいろミソがついてしまった本作であるが、やっぱ凄いよこれ。
いきなり「愛は勝つ」のフラッシュモブが始まった時は、リアタイ時も「なんじゃこりゃ?」って思ったけど、この「なんじゃこりゃ?」な気持ちが回収されるのがわかっているので、「ああああああああ」って唸った。
そして、ディーンさまが「バカで気のいい若者」を頑張ってんのよ。
全然違和感ありまくりなんだけど、彼女役の山本美月のチャキチャキっぷりもなんか違和感があるので、この「事件の発端になった15年前パート」は、いい意味で学芸会感があってよかったと思う。
リアタイの時には辛かった拷問シーンも、主人公の変容のためには必要なシーンだとよーくわかる。
あと、船が遭難した時、星の位置から航路を示したり、壊れた冷却装置をなんとか修復したりと、この主人公が「地頭はいい」ということを説明していたんだね。
主人公が牢獄の中で、田中泯に教育を受ける場面は記憶よりも、ずっと、あっさりしていたのも意外だったが、そこをさらりとやったのも今見ると良かったと思う。
そして、このドラマ放送時に散々ツッコまれていた「なんで、誰も主人公のことに気がつかないの?」だったが、主人公は最初はちゃんと「やっと帰ってきたよ」と思っているのだが、社長の木下ほうかが自分に全然気がつかないので「あれ?」って思い、それで長年の牢獄生活で自分の風貌がすっかり変わってしまったことに気がつくのだ。
絵的には変わってないんだけど、かつて親しくしていた人たちが自分だと全くわかってないという態度で、そういうことなんだとわかる、けっこう演劇的な作りになっているというか、あえて、ディーン様のビジュアルに手を入れてないところがいいんだよね。
そして、リアタイの時は「大倉忠義って、こんな出来る子だったの?」って、すごい驚いたのが、その後のご活躍もあり、今見ると「フツーに大倉忠義」になってるところに苦笑する。
脇役もほんと良くてさ。
桜井ユキは当時は大抜擢だと思ったけど、今見ても、桜井ユキの暗めの美貌とディーン様の釣り合いが絶品だし、土屋役の三浦誠己はこのドラマで初めて認識したので、今でも出てくると「土屋」だと思うし、牛山役の久保田悠来もこれが最初だったなあ。地声より、ずいぶん高い声でやっていたのね。
まだ中盤までしか見てないけど、放送時も思ったが、高杉真宙と岸井ゆきのの純愛パートがほんと癒しで、葉山奨之の地獄パートとの対比も素晴らしい。放送時、最初に出てきた葉山奨之の大根演技に衝撃を受けたけど、「育ちの悪いクズが青年実業家を装ってる」って展開知って見るとフツーなんだけどね。
とにかく、これでもか、これでもかと、みんなキャラが濃くて、特に最初からブッ壊れてる稲森いずみは、当時でも格上だったけど、だんだん壊れているのがわかる山口紗弥加はこういう役にシフト中だったので、ほんと、劇中のキャラと役者としての格付けがいろいろワチャワチャする面白い作品でした。
今でもよく覚えているけど「アンナチュラル」でシリアル・キラーやった尾上寛之が、「シグナル」でも何人も殺していて、この「モンテ・クリスト伯」でもディーン様に「ヤっちゃってください」とそそのかされていて「お前、今年何人殺すんだ?」って思っていたら、殺されてしまったので「え?ええええええ?」ってなったの懐かしいな。
って、まだ半分しか見てないけど、チョイ役で岡部たかしも出てるし、柳俊太郎も出てるし、キャスティングが最高で、ダーク・ヒーローなディーン様がほんと素敵だし、そして、やっぱし新井浩文が替えの効かない役者だったことを再認識して、いろんな意味でほんと名作なんだよなあ。
まあ、いろいろ突っ込みどころはあるんだけど、それよりも、この世界観にどっぷり浸って楽しむのが正解なんだろう。
5月29日(日)
ユーチューブ見ていたら、偶然「シネマサロン」っていう酒匂暢彦と竹内伸治という二人の「業界のオジサン」が映画のネタバレ感想を語るチャンネルを発見して、そこに「流浪の月」があったので見てみたら、二人とも原作未読で映画だけ見ていたので「そうよ、それが知りたかったのよ」と感激。
「いい映画だけど見てて辛かった」という感想だったので、ああ、やっぱ映画だけだとそうなるよなあ。
私がよく覗いている映画評サイトでは「原作はライトノベルすぎて好みじゃなかったけど、映画はどんぴしゃだった」という意見もあって、そういう趣味の人もいるのね、と思ったけど、映画は原作の「ライト」な部分をばっさり削ったというか、同じ話だけど描き方が真逆だったので、「同じ話だけど全く別の作品」なのよね。
で、この原作未読組のオジサンたちの一番の疑問は「フミ(松坂桃李)は、いったいどういう病気だったのか?」だった。
そして、それをあの映像だけで説明するのは不親切だし、自分らは性的不能なんだと理解したけど、あれじゃ全然わからなかった人もいただろうし、実際、あの映画を見た知人が全然わかってなかったと。
原作でも明確には書いてないんだけど、第二次性徴が来ない病気なんだけど、あまりメジャーな病気じゃないから、映画だけではわからないよなあ。
そして「ああ、映画だけだとそう思うんだ」と思ったのは、「フミが諦念の人になってしまったのは、母親が原因」と解釈していたことで、映画だけ見た人は「あの母は、フミが出来損ないだから愛せなかった」って思うんだ。
だから、フミが幼女を匿ったのも、「幼女行方不明事件」とテレビで話題になっているのに、外に遊びに連れていったのも「基本が諦念だから、自分のことはどうでもよくて、相手のことしか考えてないから」と解釈していた。
その延長で、大人パートでフミが谷さん(多部未華子)と付き合っているのも、谷さんから寄ってきたからで、谷さんが、フミがロリコン犯罪者だと知って罵倒したら、彼女がすっきり自分と決別できるように、それを否定しないと。
ああ、なるほどー。
ちゃんと原作の設定を読めている部分もあるし、「原作知らないと、そう思うんだ」っていう驚きというか納得もあり、なかなか面白いオジさんトークだった。
一番「そこな!」と思ったのは「あの柄本明なに?」
意味ありげに骨董店の店主として出てきて、主人公にバカラのグラス包んでいたけど、「あれ、あげたの?なんだったの?」って原作未読だったら私もきっとそう思っただろう。
原作でも出番は少なかったが、「世間の噂よりも、自分の見た範囲で物事を判断する」という稀少な人物として物語に厚みを加えていたので、映画でもつい出してしまったんだと思うけど、たぶん、たぶんだけど、他のシーンも撮っていたけど切っちゃったが、さすがに柄本明を全部なかったことにはできなかったので、あのシーンだけ残しちゃったというか、そもそも設定が「1階がアンティーク店で、2階がカフェ」なので切れなかったんだろう。
あと、リョウ(横浜流星)については、オジさん二人も大絶賛で「なんか賞あげてもいいレベルだったけど、ファンの人たちは、あんな横浜流星見たくなかったのでは?」って言っていて、俳優オタをわかってないなあ、サイコパスとDV野郎は役者の華なんだよ、と思った。
そして、原作未読の人には「リョウ(横浜流星)は、なんであんなDV野郎になったのか」がちゃんと伝わってなかった。
従姉妹が「リョウくんは、いつもそういう子を彼女にする」って「家庭環境が複雑で、簡単に逃げられない子」を選ぶっていうことは印象に残ってるようだったが、「そういう子なら、母親みたいに自分を捨てないと思ってるんだよ」っていうセリフは残ってないみたいだった。
ああ、そっか、今気がついたけど、フミもサラサもリョウも「母親から見捨てられた子供」だったんだ。
だから、映画ではより強く「フミの母親が悪の根源」みたいに感じるんだろうなあ。しかも、樹木希林にクリソツな内田也哉子だし。
そして、映画版だけしか見ていないオジさんの感想は「これって、ハッピーエンドなの?」だった。
ああ、そう思うんだ?いや、確かに映画だけだとそういう感じなのかも。
この話は、というか原作は「いつか王子様が」の話であり、「10歳で両親からの庇護を失った少女」が偶然出会った王子様がフミで、でもすぐに引き離されてしまって、一人で生きていくために本来の性格を封印して成人したら結局、10歳の頃の「伯母に引き取られたが従兄弟から性的な接触されてるのを我慢している」のと似たような「経済力のある男と同棲していて生活は守られているが、性行為が苦痛」という状況にあり、そこでまたフミ王子と再会して、我儘プリンセスだった自分を取り戻す話なんだよなあ。
映画では、サラサの両親との幸せな頃は描かれていなかったし、フミがなぜサラサを家に連れて行ったかも、なんで無防備に外に連れ出したのかも説明がなかったし、フミがなんで谷さんと付き合っていたのかもよくわらかなかったので、そこがモヤった人は原作読めばいいし、「文芸作品」として捉えた人はあの映画の中でだけ好きに解釈すればいいわけだ。
この「シネマサロン」のオジさんたち、「女子高生に殺されたい」はベタ褒めしてるし、「ハケンアニメ」は「アニメファン向けじゃないのに、アニメにすごいお金かけててもったいないというか、誰をターゲットにしたの?」って言ってるし、だいたい私と同じような感想なんだけど、時々違うこと言うから、面白くてけっこう見てしまった。
そうそう「女子高生に殺されたい」では、霊感少女?の河合優実のキャラ設定が「なんか浮いてるんじゃ?」って言っていたけど、私はあのキャラがあの映画の世界観をまとめていたと思うんだけどなあ。
でも「もっと男子高校生が出ててもよかったのでは?」という意見には賛成。細田佳央太はよく機能していてさすがだったけど、細田佳央太の友達男子がいてもよかったと思った。
5月28日(土)
●映画「大河への道」
小学生二人連れて見に来てる人もいたし、全体的にあまり映画を見ない人が多そうな客席であった。
老夫婦なんかはきっと原作者である志の輔のファンなんだろう。
というわけで新作落語が原作という珍しい映画だったが、落語ファンが多いせいか、どーってことない場面でもみんなドッカンドッカン笑うので楽しかった。
でも、時代劇パートになると、なにせ「伊能忠敬の死を隠せ」という話だし「バレたら死罪かも」とけっこうシリアスな話なので場内の笑いも消えてしまった。
元ネタを知らないのでよくわからないけど、かなり人気のある噺らしいので、「きっと、この映画よりも面白いんだろうなあ」という意味では、いつか元ネタも聞いてみたくなったのでいいんだけど、志の輔の噺を知ってる人はどう思ったんだろう?
地図製作の描写はなかなか良かったので、噺では想像するしかなかったことが映像化されて楽しかったのかもしれない。
というわけで、娯楽作として楽しかったが、森下佳子脚本だから期待しすぎてしまって、ちょっと肩透かしだった。
そもそも、「伊能忠敬を大河ドラマにしたい」と市役所職員が企画に奔走する話なんだが、キャストの大河ドラマ度が高くて、メタ的には「もう、実質大河じゃん」って思うのだ。
だって「武田信玄」中井貴一と、「平清盛」の松山ケンイチがメインなんですよ?
大河ドラマの主役を二人も投入してるんですよ?
さらに「西郷どん」では篤姫だった北川景子、「真田丸」から草刈正雄、西村まさ彦、岸井ゆきの、そして「女城主直虎」から和田正人と田中美央で、さらにもはやどの大河ドラマに出ていたのかすぐに思い出せないくらい、いっぱい出ている橋爪功と平田満ですよ。
個人的には森下脚本作でブレイクした「ごちそうさん」のゲンちゃんこと和田正人と「女城主直虎」のロクザこと田中美央がいることが嬉しかったです。
だから、大河ドラマのタイトルロールである中井貴一と松山ケンイチがシロートだから「大河ドラマの企画ってどうするの?」ってワチャワチャやってるのはとても楽しかったです。
ああ、そうか・・・・これだけのキャストで時代劇やるなら、時代劇パートはもっと重厚でもよかったのかもしれない。
でも、この映画のキモは現代パートと時代劇パートは同じ役者が出ているということで、それなら、現代パートと時代劇パートでキャラをもっと統一させておくべきだったのでは?
そうすると、原作から外れてしまうか・・・
でも、もう少し、和田正人や岸井ゆきのの現代パートでの役割が欲しかったかなあ?
この映画は落語に感激した中井貴一が立案したらしく、「もっと気軽に見られる時代劇映画を作りたい」と思ったそうなので、家族で見に行ける時代劇映画としては、ほんとよく出来てるし、実際、子供連れの客もいたので、そこそこ数字出してほしいなあ、と思ったけど、リピートするほど面白かったわけではないので、そこがちょっと不満だったかな。
ちなみに木下グループが幹事になっていたので、「木下グループ絡みの映画って、目のつけどころもいいし、なかなか良く出来ているのだが、あとなんか、もう一味足りない」っていうのが多いんだよなあ。
5月27日(金)
えー、テレビ版の初代ウルトラマンを庵野セレクトで映画館で上映するの?
それは是非見てみたい。そして、また「シン・ウルトラマン」見たら面白そう。
「あさイチ」に斎藤工が出ていて、メイキング映像も流れていたけど、役者がスマホで撮影していたりして面白かった。これはまたメイキング目当てにブルーレイ買ってしまいそう(笑)
そして、朝ドラ内の映画であった「追憶のかたつむり」まで紹介されてて、「そうだ、あれの監督もやってたんだっけ」と懐く思い出した。
5月24日(火)
●舞台 イキウメ「関数ドミノ」
ぽつりぽつりと観劇するようになったけど、どこかの舞台やライブがコロナで中止になったなんてニュース見るたびにドキドキしてしまう。
というわけで、久々のイキウメ公演である。
この「関数ドミノ」は何度も上演されているイキウメの代表作らしい。
過去の上演を見たことないからわからないけど、舞台美術は四角いプールみたいな凹みが真ん中にあるシンプルなセットで、役者はそれを囲むように喋るので「コロナ下で工夫された演出だなあ」と思った。
四角を囲むので、自然とソーシャルディスタンスになってるのだ。
先日、劇団ロロの公演を見た時には「この距離感でずっとワチャワチャやっていたら、誰かが感染してたら、あっという間に感染が拡大しちゃうなあ」って思っていたので、そういう余計な心配しなくていい演出だった。
でも、中盤になったら、役者同士の距離がけっこう縮まってきたんだけど、ギリギリ濃厚接触者にならないラインだったのかもしれない。
さて、人外を演じさせたら右に出るものがいない浜田信也・・・と、言いたいところだが、鈴木拡樹も人外度高いからなあ・・・
いつか、二人の人外対決が見てみたいものである。
この舞台では、浜田信也はちょっとチャラい予備校教師役で、でも「ドミノという特殊能力の持ち主かもしれない」という設定で、怪しげに弥勒菩薩ポーズする浜田信也を見て「こういう浜田信也からしか摂取できない栄養素あるなあ」って思った。
特別に美男でも、特別にスタイルがいいわけでもないんだけど、浜田信也は本当に舞台では、ただ歩いているだけで魅力的で、こういう感覚、他だと奥田洋平くらいかな?
奥田洋平は「スズナリ」で一番前で見たことがあるんだけど「この人、同じ次元に生きてる人?」って、けっこう衝撃を受けた。
「関数ドミノ」は今まで見た中で一番SFっぽくない作品で、いろいろな解釈が出来そうだし、いろいろ考えさせられる話だった。
「超人=スーパーマン」の話でもあるので、「シン・ウルトラマン」を見た後だから、余計にいろいろ考えてしまった。
超人はなんでも出来るんだけど、「本心で思ったことしか実現できない」という話で、「じゃあ、本心って何?」ということでもある。
そして、人は本気で何かを目指せば、そこそこ実現できるものだし、「自分はダメだ」と思っていたら、当然ながら何も成し遂げないわけだし、例えば「ダイエットしなきゃ」と思っても全然できないのは本気でそう思ってないからなのかもしれない。
そして、本当に超人がいたら、超人は何をするのだろうか?
ウクライナへの侵攻を阻止するために、プーチンを殺す?
それではロシアの内政が混乱して、余計に国際情勢が悪化するだけかもしれない。
「世界が平和でありますように」と心から思っていても、それは具体的にはどういうことなのか?
そもそも「なんでも自分の思い通りになる」なら、それはどういう世界なのか?
昔、会社にすっごく嫌いな奴がいて、その人の実家は事業をしていたので「早く家業を継げ」と思っていたのだが、次男だったのでなかなか家業にシフトしてくれなかったのだが(あの性格だとたぶん長男と仲が良くない)、性格悪いのは皆わかっていたので出世もしなかったから、「ちゃんと評価されない」って本人も会社に嫌気がさしたみたいで、やっと辞めた時に「やったーっ!」って思ったし、今でも、あの人が私の前から消えたことを感謝しているけど、もし私が「超人」だったら、あの人の子供が交通事故にあって死んでいたかもしれない。
そんなこと本気で望むはずはないけど、あの人が「うちの息子が・・・」って話していた時にイラっとしたことは何度かあったので。
イキウメの舞台は、毎回こんな感じで「モヤっ」といろいろ考えてしまうところが好きです。
そして、映画やドラマとは全く違う、舞台ならではの空間の重ね方が好きだ。
●映画「チェリまほ」
イキウメの開演が19時だったので、昼間は新宿のTOHOで「チェリまほ」見たのだが、平日の昼の回だというのに、9割くらい埋まっていて凄かった。
新宿TOHOは26日で終了する予定だったので、駆け込みというか「そうはさせまい」という強い意志を感じた。
客層は、平日の昼間に出歩ける中高年女性が多かったけど、男子一人客や女子高生もいたので「さすがわ新宿」と思った。
しかし、もう3回目だったけど、やっぱ楽しくない映画だなあ。
原作通りだから、しょーがないんだけどさ。
ドラマが面白かったのは、ラブコメだったからで、特に2話や3話はヒーヒー笑いながら見ていたのよ。
後半でシリアスになってしまい、「おい!ラブコメじゃなかったんかい!」って思ったけど、後から発売された原作もコメディから外れていたんだよね。
なので、映画版「チェリまほ」は同性婚というか「家族にカミングアウト」の話なので、もはや黒沢の妄想で笑う余地が無く、雰囲気的には「余命10年」と同じなんですよ。
そもそもBL作品というのはジェンダー・フリーの思想とは相容れないので、「腐女子×フェミ」みたいなことになってしまうので、そっちに進んでしまった原作漫画を「どうするんだこれ?」と生暖かく見守っていたんですが、ドラマ版は元々原作とは違う「優しい世界」を描いていたのに、原作がリアルにシフトしてしまったため、映画版もそっちに引きずられてしまった。
映画版はそこの覚悟はちゃんとしていて「おとぎ話のハッピーエンドのその先」を描いているのですが、「白雪姫やシンデレラは、王子様と結婚した後はどうだったか?」って突きつけられるラストというか、「家族や同僚や友人には祝福された同性婚だが、世間はそれをどう捉えるか?」って、男二人で手を繋いで遊歩道歩く二人のラストが切ない。
だって、たぶん私は、近所の遊歩道で手を繋いで歩く男性カップル見たら、二度見しちゃうだろうから。
ここんとこBLドラマにハマりまくっているけど、じゃあ現実に会社の同僚が「俺たち付き合ってるんです」って言ったら、私はどう思うんだろう?
まあ、誰が誰と付き合おうと正直どうでもいいのだが、「チェリまほ」で違和感感じたのは結婚式なんですよねえ。
自分が結婚式に憧れたことなかったので、今の地味婚の風潮を好ましく思っているので、「結婚式挙げて、皆から祝福されたい」って気持ちが、わかるんだけど、わかるんだけど、わからないんです。
まあ、同性カップルの場合は婚姻制度が無いから、結婚式がより重要なのかもしれない。
「チェリまほ」の場合は社内恋愛だし。
というわけで、まだ細々と上映が続くようだが、もう3回見たからいいかなあ。
5月22日(日)
●映画「ハケンアニメ」
アニメ制作の話なので、あまり趣味じゃなさそうだが、柄本佑と中村倫也の2枚出してきたので、見ないという選択肢は無かった。
しかし、これはどこをターゲットにした映画なんだろう?
辻村深月のファン向け?
辻村深月って名前はよく見るけど、小説もドラマや映画化された作品も見てないので、よくわからん。
で、話はちゃんと予告編通りで、吉岡里帆がテレビアニメの新人監督で、ライバルというか「天才」が中村倫也で、新人だから、最初はなかなか上手く行かないが、スタッフたちに揉まれて成長していく、という話。
とても王道な話だったので、気軽に楽しめました。劇中アニメの出来も良かった。
そんで、「型に嵌らない天才」という逆に型通りにクセのある役を楽しそうに演じている中村倫也を見るのが楽しかったし、「あー、こういう業界人いそう!」っていうクセの強いプロデューサー役の柄本佑が、私の中での柄本佑史上、1位を争うくらい素晴らしかった。
こういう、柄本佑をもっとくれ!
というわけで大変満足したんだが、土曜5時のテレビアニメの戦いが視聴率争いになってることにちょっと古さを感じたというか、私の認識では最近のテレビアニメの主流は深夜枠なので、そもそも視聴率争いなんてしてないと思っていたので。
もはや、10時代のテレビドラマですら、視聴率で評価する時代じゃないのだが、今クールのドラマが軒並み視聴率が一桁に落ち込んでいるのをまるで「劣化」のように報じるメディアが多いが、コロナ下の時、びっくりするくらい視聴率が上がっただけだろが。
「在宅率が高いと、視聴率こんだけ上がるんだな」って私も感心したもん。
まあ、そのあたりはこの映画でも「視聴率で勝った方が覇権ではない」って描いていたので、よくまとまっていたけど、私はだから柄本佑と中村倫也で大満足したが、やはり「この映画、どこがターゲットだったの?」と見終わった後でも思った。
東映はこういう謎企画が多すぎると思う。
たぶん、この「ハケンアニメ」という映画自体が東映アニメの自虐的作品になってるんだよなあ。
「大手」だから、正社員スタッフを抱えて育ててるんだけど、育つとみんな独立しちゃうみたいな。
東映の今の立ち位置がよくわからないが、なんとなく東映映画けっこう見ているので、今の東映の醸し出す謎の多様性がけっこう好きなんだと思う。
そういや、この映画の冒頭で水間ロンがチョイ役だけど、けっこう重要な役をやっていて、「あ、こういう役をやるようになると、そろそろ確変あるぞ?」と思ったけど、そういや、やはり東映配給の「Pure Japanese」でも、こういう感じの「映画のカラーを示す役」をやっていたなあ・・・
少し前は、桜井ユキの出世を見守っていたけど、水間ロンもちょっと似たコースを歩んでいるので、生暖かく見守っています。
5月20日(金)
●NHKよるドラ「カナカナ」
4月から毎日15分の朝ドラならぬ「よるドラ」が始まっていたが、その「卒業タイムリミット」は時々見ても、キャストに馴染みが薄いのと、全体の話の流れがわからなかったので、結局、3回くらいしか見てなかったのだが、今週から始まった「カナカナ」は1話だけ見ても楽しめる、まるで新聞の4コマ漫画みたいなドラマで、見やすいし、面白い。
主演が眞栄田郷敦で、舎弟が前田旺志郎って、なにげに「まえだまえだ」である(笑)
人の心が読めるテレパスの話だけど、テレパスが幼女っていうのが新しいのかな?
テレパスなので人間不信気味の幼女が、元ヤンの主人公に惹かれるのは「なんも考えてないから」っていうのが笑えた。
最高なのが、幼女がテレパスだと気がついて、賭けポーカーで利用するクソ叔父が武田真治ってことで「貴様はその昔、同じ能力を持っていて散々苦しんだだろが!」って「NIGHT HEAD」ファンとしては盛大に突っ込まずにはいられないところだ。
って、会社のドラマ好きの同僚にも「今度のよるドラ面白いよ。子役かわいいし」って勧めていたのだが、今朝の「あさイチ」は眞栄田郷敦だったので、NHK的にも推してるんだろう。
ゴードンが吹奏楽部だったっていうのは、なんとなく知っていたんだけど、全国大会に出るような高校でガチでやってたんですね。そういや、サックスって、武田真治がそりゃ前のめりになるさ。
芸大の入試に失敗して、映画出演の話が来たので、なんとなくそっちに流れたっぽいけど、そっか映画「小さな恋のうた」(2019年)がデビューだったんだ。あれ、映画館で見たなあ。
確かに「マッケンの弟がデビュー」って騒がれてたっけ。
「マッケンの弟、ゴードンちゅうんだ?」って思ったなあ。
あれからまだ3年なのか・・・
駆け上がったなあ。
2020年「私の家政婦ナギサさん」では、主人公の後輩男子、2021年春「レンアイ漫画家」で主人公行きつけの店の店員でスピンオフ要員やってて、「このポジやってるってことは、10代女子に凄く人気があるってデータ出てるんだろうな」と思っていたら、去年の「プロミス・シンデレラ」で二階堂ふみの相手役をやっていたので、「出世はやっ」って思った。
出世街道を驀進しているのは高橋文哉だけど、彼は仮面ライダーから順調に階段を上がっていってる感じだが、ゴードンはホップ・ステップ・ジャンプな勢いなので、本当に凄いと思うが、そもそも最近のドラマが若者向けに舵切ったことの象徴みたいだよなあ。
5月18日(水)
●「インビジブル」5話
先週の金曜日の回だけど、柴咲コウの弟役で永山絢斗が登場した。
「弟なの!」
・・・ですよねー?と永山絢斗から溢れ出る弟感に心の中でツッコミを入れていたが、そういや実兄の瑛太もついこの間、月9でこんなポジションで出ていたなあ。
最近、ミステリものが多いので、なんか頭が混乱する。
それよりも「また桐谷健太と永山絢斗が共演?」って思った。
この二人はキャラが被っているから、なかなか共演しないはずと思っていたら、そういや、そういうの少し前にあったな・・・と調べたら、去年の長瀬智也ファイナルだった「俺の家の話」だった。
プロデューサーが同じなので、その人の趣味なのか?
インビジブルは話にはノレないけど、タカハシが珍しい役だし、柴咲コウとの絡みは嬉しいので、メタ視線でそれなりに楽しんでいます。
あと、平埜生成はアミューズやめてからの方がいい役ついてるなあ、とか。
●映画「シン・ウルトラマン」2回目
美容院に行こうと思って休みにしていたんだけど、「早くタカハシの声を確認せねば」と思い、昼間のIMAXに行くことにした。
わかっていたけど、やはり2回目のほうが、心に余裕があるし、「シン・ゴジラっぽいけど、あれとは全然別ベクトル」ということがわかっていたので、単純に楽しかった。
それにしても、「セクハラだ」という感想を目にしたが、どこがセクハラなんだろう?
長澤まさみのパンツが見えそうで見えないとこ?
すみません、私はそのカットの直後の長澤まさみが足を蹴り上げるカットで「あ、あっち側にいる人、絶対にパンツ丸見えだよね、うらやましい」とか思ってしまいました。
一番エロいと思ったのは、長澤まさみが「恥ずかしくて言えないようなも検査もされたわよ!」とコミカルに嘆いている時、長澤まさみの下腹部を映していたところで、「あー、全ての穴になんか入れられるよね」と思ったが、あれが男だとしても、「あー、全ての穴になんか入れられるよね」と思っただろうしなあ。
というわけで、セクハラ描写云々は私にはよくわからなかったが、ウルトラマンおたくが「長澤まさみでは明るすぎ」と不満を抱く気持ちのほうがよくわかる。
昭和のウルトラマン・シリーズに出てくる女性隊員はもっと湿った感じのお色気があったよなあ。
まあ、令和の今だと、長澤まさみみたいなキャラはパンツスーツが主流なんだろうけど、あえて、スカートにハイヒールにしているあたりが不自然なんだけど、あれだけの最先端技術があるのに、お役所仕事は紙ベースで(西島秀俊のデスクには「既決箱」が置いてあるし、なんか謎の文書ファイルのカットもあった)、女性エリートはハイヒール履いてるのが当たり前の世界観をあえて置いてるのだと思った。
女性の描き方として、面白いなと思ったのは、現東宝看板娘である長澤まさみが、お色気要員のようで、全然お色気発動してないので、二番手の早見あかりがなんかやるのかと思っていたのだが、そっちはもっと何もしてなかったので、(一番の見せ場がスナック菓子のヤケ食い)「おめーら、まじで女にキョーミないんだな?」
私が20代の頃、どこかの映画評論家が「最近の映画監督が女性をちゃんと描かないのは、みんなゲイだからだ!」と言っていて、なんか納得したんだけど、まあ、今にして思えばヒッチコックみたいなフェチの方が異常だったんだけどさ。
なので、「東宝から長澤まさみ様をお借りしたので、精一杯セクシーにしてみました」というオタクの限界みたいなこと、わざとやってんだろ?と思った。
こっちは「長澤まさみの無駄遣い」のプロなので、「マスカレード・ホテルより、数万倍マシだ!」って喜んでおります。
で、「シン・ウルトラマン」への不満も二回見てなんとなくわかった。
これは俳優オタからの視点だけど、カット割が多すぎて、役者の演技がもったいないんだよなあ。
画面上で、役者が決め台詞言ったあとに「はい、カット!」っていう演出部の声が聞こえてしまった。
「シン・ゴジラ」では、気にならなかったところなんだけどなあ。
シンゴジはそこそこ長回ししていて、そこがすごくアクセントになったんだよなあ。
でも、ウルトラマンとメフィラスの会話はすっごい良かったんだけど、あそこだけだったからなあ。
そうそう、タカハシの声が思っていたより早く鳴り響いたので「え?ここもだったの?」って驚いた。
あんだけ鳴り響いていたのに、気がつかなかったなんて・・・
少しエフェクトかかっていたから、違和感なかったんだよね。
でも、ってゆーことは、タカハシがタイトルロールってこと?
シンゴジが野村萬斎だったみたいに。
さて、これって、きっと続編あるよね?
その時は、ぜひぜひ、山本耕史ポジでタカハシ使ってくださいよ。人間じゃないタカハシをプリーズ。
あと「シン仮面ライダー」の予告編の浜辺美波ちゃんが良すぎて死ぬ。
若い頃の野際陽子とか梶芽衣子とか、そういう感じだった。
仮面ライダーはたぶんリアルタイムで観てるんだよなあ。
仮面ライダーごっこして「あたし、ハチ女!」とかやっていた記憶がある。
「アマゾン」までちゃんと観てました。
もう、こうなったら、「シン・キカイダー」とか「シン・ミラーマン」とか「シン・レインボーマン」とかもやって欲しい。
5月17日(火)
●映画「流浪の月」2回目
もう一度見ようとは思っていたが、2週目からニコタマではレイトショーやらないとわかったので、慌てて今日のレイトショーで見に行った。(火曜日は割引デーなので)
初見では、原作を読んだ自分のイメージと映画のすり合わせに気を取られてしまったので、2回目の方が、けっこう真っさらな気持ちで見られたので面白かった。
原作は主人公サラサの目線の物語なのだが、映画だとモノローグが無いので、サラサとフミのダブル主演になってるんだよね。
原作読んでいる時も思ったけど、けっこう「美しい彼」と設定が似ており、映画の方が二人の入れ小細工のような関係というか、「割れ鍋に綴じ蓋」な関係をより強調しているのかもしれない。
それで思い出したのだが、「流浪の月」を読んでいる時に「このフミはまるで、美彼のヒラみたいだ」と思っていたので、私が妄想で「30歳のヒラをやるなら松坂桃李とか」って思ったのを映像化してくれるのが「流浪の月」だと期待していたんだ!
そう考えると、「流浪の月」の松坂桃李の前髪はもうちょっと長いほうが良かったけど、適度にダサい髪型だし、キモさは極上だ!ウザ要素は無かったけど。
サラサの顔に恐る恐る触れるフミはかなりヒラだったし、終盤で警察に連行されそうになって暴れるフミは、そのまんまヒラだった。トーリ先輩さすがです!(萩原利久目線)
そして、極め付けが全裸で膝抱えて座るフミは、「悩ましい彼」のヒラじゃないか!
なるほど、そう考えると、「流浪の月」も陰キャラのフミと陽キャラのサラサの物語で、ほんと構造が「美しい彼」のヒラとキヨイと同じなんだよなあ。
男なのに「フミ(文)」って名前不自然だと思っていたけど、ヒラの類型だと考えると自然である。
そう考えると(今日はこればかり連発)、原作ではフミが「少年事件なのにネットで晒されている」という、どこまで確かなのかわからない情報だけど、当事者だから自分に関する情報の精度から「被害女児は現在、某市で就職している」という書き込みを頼りに某市でカフェを経営して、数年後についにサラサが店に現れた、っていうのが最大のハイライトだと思ったんだけど、(それはフミの人生を破壊したと思っているサラサにとっても最大の救いだから)そこは映画では、やらなかったんだよな。
だから、映画版は「二人の物語」になっているので、中盤までは広瀬すずの見せ場だったけど、後半は松坂桃李のターンになってしまい、もちろん松坂桃李は素晴らしかったんだけど、広瀬すず主演作にするんだったら、それこそフミを萩原利久にやらせても面白かったのかもしれない、というか原作に近かったのかも。
って、フミ役は杉野遥亮でもよかったのでは?とか、萩原利久もアリだったのでは?とか、なにげにトップコートの掌の上なんですけど(笑)
そういや、予告編で「耳をすませば」が流れて、あれも、今さらなんで実写化するのか謎だし、「大人版があるなら、高橋一生が!」って散々イセクラが妄想していたのに、本当に大人になってから版の企画が出来て驚いたが、それを松坂桃李がやるって???
しかも、なぜかバイオリンじゃなくてチェロ?
私は「耳をすませば」にあまり思い入れがないので、あの声がタカハシだと知っても「ふーん?」って感じだったので、それを知った後にテレビで見て「へー、声変わり前の声ですか」ってだけだったのですが、役者が楽器弾く役やるのは大好物なんですよ。
なので、「耳をすませば」の予告編で松坂桃李がチェロ抱いてる映像見ただけで「これは見ちゃうかもな」と思いました。
その前に町田啓太がトランペットを吹く「太陽とボレロ」もあるし。
え?
「美しい彼」映画化決定って、マジ?
私の脳内ではすでに映画化決定していたが、マジ?
「チェリまほ」の時、「あー、私けっこう札束溶かしたからなあ」と「課金大事」と思ったので、もちろん「美しい彼」もブルーレイ買いましたけど、わー、選挙よりもやりがいあるなあ。
札束ちらつかせると、てゆーか、ちゃんと課金すると、こうしてリターンがあるんだ。
あ、そうだ、映画「流浪の月」にもアヒル隊長出ていて、「あー、そこにも美彼要素が!」とか思ってたんだけど、まさか、美彼も映画になるとは。
「憎らしい彼」をやるんですかね?
まだ、わかんないけど、ええええ?どうしよう?
5月14日(土)
●映画「流浪の月」
原作小説のファンなので、正直「シン・ウルトラマン」よりもこっちを楽しみにしていた。
ただ、監督が李相日なので、「重たい話になりそうだなあ」と思っていたんだが(って、李監督の作品って見たことないんだけど)、想像以上に重たくなっていた。
それよりも、原作読んでいるから、この映画の余白の部分が全部わかってしまうので、モノローグ無しであの話を描き切った素晴らしさが全然わからなくて残念だった。
原作は時系列通りに話が進むけど、映画は過去と現在を行き来しながら、情報を小出しにしていく手法だったので、映画だけを見た人はちゃんと話がわかったんだろうか?
って、原作未読の人の感想探してみたら、やっぱ肝心のところがわかってなかった。
まず、二人の出会いが唐突なんだよね。いきなり「うち来る?」で始まってるから、「なんでいきなり知らない男についていく?」って思うよなあ。
子供達が遊んでいる公園で、じっと子供を見つめている若い男がいて、子供からは「ロリコン」って呼ばれていたんだけど、主人公が公園に一人で残っている時は、男はただ本を読んでいるだけなので、主人公は「きっと自分のことは好みじゃないんだ」って判断したんだけど、映画ではそれが描かれていなかった。
そして、この小説の面白みは、主人公は男のことを成人してからもロリコンだと思っているし、成人して再会したら「元々好みじゃない上に、成人しちゃったから完全にアウトオブ眼中(死語)」だと思い込んでいるので、男が深い闇をずっと抱えていることに気がつかないし、「今は彼女がいてよかった」って能天気に喜んでいるところだ。
あと、男が「性犯罪者」になってしまったのは、主人公が引き取られた家の息子(中学生)から体を触られる性的被害を受けており、それを誰にも言えなかったが、性的被害を受けている兆候をプロが見抜いたので、クロになってしまったのだ。
男は、逮捕されたら身体検査を受けることがわかっており、「ずっと誰にも言えなかったこと」が明るみになったら、他はもうどうでも良かったので、警察の尋問通りの供述をしてしまった。
さらに、これは少年犯罪だったので、事件の詳細は公表されず、ネットで個人情報を晒されたため、歪んだ情報だけが世に広まってしまった、という話でもある。
そのあたりの詳しいことが映画では描写されなかったので、映画だけしか見てない人は戸惑う部分だったと思う。あと、多部未華子の役は乳がんで乳房切除して鬱になっていた時に松坂桃李と出会った設定が省かれていたので「なんで、付き合ってたんだ?」って思うよね。
と、原作未読の人には不親切設計で、原作既読だと「あれ?そこ省くの?いや、私は知ってるからいいんだけど」と戸惑う映画でした。
ただ、映像はほんと素晴らしかったし、ちょっと生々しい部分もあったけど、「こういう話だし、映像化すると、どうしても重くなるよなあ」って思ったけど、広瀬すずの「作り笑い」とか小説読んでて想像していたのをはるかに上回っていたので、「やっぱ広瀬すず凄い」と感心した。
「ロリコンに誘拐されて、酷いことをされた可哀想な子」というレッテルを貼られたまま生きる辛さを小説以上に感じられて、痛かった。
松坂桃李も適度に気色悪くて大変良かったけど、上手すぎて重くなってしまったので、やっぱ杉野遥亮くらいの方が良かったんじゃないか?
でも、小説だと、圧倒的に主人公のパートが多くて、男の物語は最後にほんのちょっとだけ描かれているのだが、映画では両方に重きを置いているので、この描き方だとやはり松坂桃李クラスじゃないとって思ったけど。
で、小説読みながら「これを横浜流星がやるのか!」って超期待していたDV彼氏の横浜流星ですが、映画冒頭でズボン脱いだらスネ毛がボーボーで「イケメンのスネ毛にピントを合わせる映画はいい映画」の仮説が発動されたが、あの横浜流星見ただけでも映画代の元は取った。いや、スネ毛のことじゃないよ。
広瀬すずと横浜流星のベッドシーンは、けっこう際どいのに、でもR15にはならない描写をしているので(PG12にもなっていない)、あれはびっくりした。
横浜流星が指に唾液つけるとか、マジでエロいんですけど。
横浜流星が演じた役が、一番原作通りだったな。
小説だと主人公目線で描かれているので、こういう役の方がそのまま映像化しやすいんだな。
そして、原作の亮くんの性質や事情も最低限の所作やセリフで伝えていたので、「さすがです」って感じだった。
本屋大賞絡みとしては「そして、バトンは渡された」ほどではなかったけど、けっこうお客さん入っていて、本屋大賞映画としての期待は高いんだと思う。
でも、けっこう辛い話だし、何より、松坂桃李がラストで全裸になったのは意外すぎるというか、「娼年」で「松坂桃李の尻は一生分見た」んだけど、つい、映画館でもう一回見てしまい「松坂桃李の尻は来世分まで見てしまった」のであるが、その後、動画配信で何度も見て、松坂桃李が結婚した時に「今後、もし、松坂桃李が何かやらかしたら凍結されてしまう」と怯えて、円盤まで買ってしまったのよ。
なので、「松坂桃李の尻を知らない己の転生」が先か、弥勒菩薩が現れるのが先か、現在ビミョーなのですが、「また、松坂桃李の尻を見ることになるの?」って超絶戸惑ったが、さすがに「前」は映さないで誤魔化すと思ったのに、この話の答え合わせ、というか全ての元凶である「男の下半身が子供のままだった」っていうの映像で見せられて、「いや、たしかに、これがオチなんだけど、えええええ?」って思った。
良くも悪くも、女性作家が書いた小説を男性監督が映画化しました、って感じなのかな。
そう考えると、同じ作家原作の「美しい彼」は女性脚本家と女性監督が、原作の世界観をそのまま映像化してくれてドラマ化でやった改変すら原作を上回る出来栄えだったので、あれはやっぱ奇跡的な作品だったんだなあ。
でも、この「流浪の月」も、解釈違いはけっこうあったが、少女時代を演じた白鳥玉季は素晴らしかったし、映画としてはとても好きだ。シングルマザー役の趣里もすごく良かったし。
だから、映画としてすごく良かっただけに「原作既読の自分は、素直に絶賛できない」というか「原作既読者はこの映画を映画単体で評価できない」っていうことが、少し苦痛なのであります。
「そしてバトンは渡された」の時は、原作読んでいた時にも「この養父ちょっと気色わる」と思っていて、映画化で田中圭がやることになり「田中圭じゃ余計気色悪いだろ」と思っていたら、やっぱり気色悪かったので「思った通りだった」と、なんとなく満足しましたが(つーか岡田健史がピアノ弾くのが目当てだった)、「流浪の月」は原作小説何度もリピートするくらいハマっていたので、思い入れが強すぎて、でも「コレじゃない」てほどでもなくて、いや、俳優部の演技は最高だったし、演出も素晴らしかったんだけどなあ。
ただ、松坂桃李の「文」がちょっと解釈違いだったかなあ。
もっと飄々とした植物みたいなイメージだったので。
ふと思ったんだけど、この映画、いっそ亮くん(横浜流星)目線で再構築したほうが面白かったのでは?
仕事で知り合った可愛い子が、かつての誘拐事件の被害者だと知り「俺が守ってあげなくちゃ」って付き合い初めて同棲して数年たち、「そろそろ結婚かな?」と思っていたら、彼女の様子がなんか変なので、後をつけたらカフェに入ったので「浮気か?」と思いきや、誰かと待ち合わせしているわけでもなく、「もしかして、あのイケメンの店長に?」と調べたら、誘拐の犯人?
っていうのを軸にしたら、原作ファンも楽しめたと思う。
そのくらい、横浜流星は良かったです。
あと、松本でロケしてるらしいが、こういう地方都市ロケ映画って好きなんだよなあ。
あと、松坂桃李の母役で内田也哉子が出てくるのだが、樹木希林度がまた上がっていて、小説だとけっこう細かく描かれている母の設定を短い出番で表現しきれているのか、私にはよくわからないが「元凶はこの母である」という存在感はさすがであった。
というわけで、いい映画だったと思うのだが、繰り返すけど原作既読者には不親切な作品だったので、「小説を映画にするのって難しいな」と再確認した。
私は、あまり日本の小説読まないので、先に映画を見てから、原作読むことが多くて「あそこの展開よくわからなかったけど、そーゆーことか」って納得したり「映画でもわからんかったが、原作読んでもさらにわからん」ってなったりするけど、映画が先のほうが外れが少ないかもなあ。
ただ、映画が先だと、キャラ設定や展開がわかった上で小説を読むので、読書というよりも解説本というかパンフレット読んでるみたいな感じになってしまうけど。
そういう意味では、この間のNHKBSの「雪国」は先に原作読んでみたが、余白が多すぎて「え?こんな話なんだっけ?」って思ったけど、ドラマ版は、脚本家の解釈が大胆に展開されてて、「いや、謎解きじゃないんだけど、確かにこれは、小説があえて書かなかった余白だ」って、かなり面白かった。
やっぱ純文学の方が映画と相性がいいかも。
「流浪の月」みたいな、ライトノベル系の小説は、原作があまり余白を作らないので、映画化しようとすると、削る部分が多すぎるのだ。
映画「嘘を愛する女」の時、映画見たあとにノベライズを読んで、映画と小説の表現の違いに震えたんだが、ああいう「映像と文章が違いを補完し合う」っていう作品はなかなか無いのかもしれない。
5月13日(金)
●映画「シン・ウルトラマン」
「シン・ゴジラ」の時は、事前にそれほど興味が無かったんだけど「ハセヒロ主演のゴジラ映画か・・・まあ、時間があったら見てみようかな?」程度に思っていたら、ウォッチしている朝ドラや大河クラスタの皆様がこぞって大絶賛していたので、慌てて見に行ったら、ズっぱまって、結果、映画館で3回見て、円盤まで所有している。
なので、ウルトラマンは真っ先に見てやろうと、初日で見てしまった。IMAXにしようか迷ったが、どうせ1回で消化できる内容じゃないと思ったので、初回は通常上映で、面白かったら次はIMAXにする予定だった。だって、IMAXだと、音響や映像の情報量がさらに上がるのでストーリー追えなくなりそうだし。
金曜初日の二子玉川でのレイトショーは、女性客もそこそこいて、「シン・ゴジラ」が開拓した客の幅広さが伺えました。私もその一人だけど(笑)だって、エヴァなんて見たことないし。
そういう意味では、ゴジラ映画だってちゃんと見たことがなかったので、「シン・ゴジラ」のエヴァ要素が全く気にならないというか、どこがエヴァっぽかったのかもわからなかった。
というわけで、もちろんウルトラマンの映画なんて見たことがなかったのですが、映画始まって気がついたのは「ゴジラやエヴァに関してはドシロートだったが、ウルトラマンはテレビで散々見ていた」ってことです。
確か、タロウまで真面目に見ていたような。
「ウルトラマンタロウ」は1973年なので、私は小学校低学年か・・・だったら、レオくらいまではリアルタイムで観ていたはずだ。弟がいたし。
つーことは、「ウルトラマン」とか「ウルトラセブン」は再放送で見ていたんだろうなあ。
私が中学生くらいの頃にも、日曜の早朝にウルトラマンシリーズの再放送があり、当時小学生だった弟や妹が早起きして観ていたような気がする。
で、何が言いたいかというと、「テレビで見たウルトラマンがそのまま映画になってる?」ということでした。「シン・ゴジラ」はゴジラが街を破壊する様子がけっこうリアルだったけど、「シン・ウルトラマン」はリアリティより、昭和の特撮のテイストを追求しているみたいで、えーと、なんと表現すればいいのか難しいが、ウルトラマンも怪獣も「着ぐるみ」ではないんだけど、逆に着ぐるみじゃないところに違和感感じるっていうか・・・
何より一番違和感感じるのは「なんでアタシ、ウルトラマンと怪獣が戦ってるのを映画館で真面目に見ているんだろう?」ということでした(笑)
ゴジラ映画は大人向けってイメージだったけど、ウルトラマン映画って子供向けのイメージしかなかったから。
それでも、人間パートは「シン・ゴジラ」の世界観を引き継いでいて、政治家の面子が微妙に被っていたりするのですが、何よりも、この世界観が「ゴジラの出現で巨大不明生物と遭遇した後、次々と別の巨大不明生物が現れて、すっかりそれに慣れてしまった日本」になっていて、「シン・ゴジラ」では未曾有の事態にドタバタしていたが「シン・ウルトラマン」では、もはやルーティン・ワークになってるのに苦笑した。
(阪神大震災では自衛隊の出動でゴタついていたが、今じゃ災害派遣は当たり前になってるのと同じだ)
あと、前半で「後処理がやっかいな怪獣」をウルトラマンが死体処理までちゃんとやってくれたので「よかったー!」ってあたり、少し前に公開されて炎上していた「大怪獣のあとしまつ」を見事に回収していて、「なにこの、見事な連携は?」って驚いた。
偶然なんだろうか?どっちにも岩松了が出ているあたり、なんか裏で密約がありそう(笑)
えーと、だんだん何書いているのかわからなくなってきましたが、この映画がどう評価されるのかわからないけど、長澤まさみ信者のワタクシとしては「極上のまさみ様をありがとうございました」としか言いようがない。
あと、ジャニーズの有岡大貴って、つい最近までその存在を知らなかったのが、この映画での大抜擢って、「シン・ゴジラ」の高橋一生クラスだし、そう考えると「高橋一生と市川実日子はほんと最高だったな」と思い出してしまうけど、あのポジにジャニーズ投入したのって、ジャニオタのお財布目当て?
「大怪獣」の山田涼介は全然悪くなかったけど、「え?あ?ウルトラマンだったの?」ってオチで、「え?だったら、最初からそれで良かったじゃん」っていうのは、本人もそう思ったらしいが、「シン・ウルトラマン」では同僚の有岡大貴が「全然天才科学者に見えないが、なんか最後で急に帳尻合わせてきたし、全然天才に見えないところが逆に新鮮というか、それももしかして高度な演技プラン?」って上手いのか下手なのか全然わからなかったところが逆に凄いと思った。
つーか、これが計算だったらすごいと思うけど、劇中での有岡大貴の役って、かなりの重要ポジなんだけど、その演技力はそれほど重要じゃなくて、演技力合戦で言うなら山本耕史が全部持っていったし、ヒロインの長澤まさみは東宝シンデレラにあるまじきビームを120パー使い切ったので、有岡大貴の役って実はラスボスなんだけど、小物感が重要で、「ジャニーズだけど超小物」を見事に演じたと思うのです。
全然褒めてないんだけど、貶す要素もないので、ジャニオタ界隈では「有岡くんのお芝居が素晴らしい」と盛り上がってるようで、それが「シン・ウルトラマン」の感想を拾うノイズになってるのだが、このノイズで5億円くらいプラスで稼いでくれるんなら全然オッケーでしょ。
そういや、「大怪獣・・・」では「ジャニ使うんだったら、ちゃんと見せ場作ってやれよ」と思ったけど、「シン・ウルトラマン」は有岡大貴が英語をベラベラ喋る見せ場があって、「おおー、こういうの、こういうの」と思ったけど、フツーだったらああいう場面は学会みたいなカッコいい会場で行われるはずだが、バーチャル会議になっているので、見かけが超カッコ悪くなってるのが絶妙でした。
他にもストロング・ゼロ飲んでヤサグレていたり、けっこう丁寧に「ジャニタレ臭」を封印しているので、特撮オタクの反発買わないようになってるんだろうなあ。
なので、シンゴジの時みたいな「一般大衆」まで巻き込まないのかもしれないけど、有岡大貴がジャニーズ票を集めてくれるのかもしれない。
って、なぜか有岡大貴の話ばかりしているが、あの役やるのは神木隆之介でも染谷将太でも良かったのに、ジャニーズなのはなんでなのかなあ?と、俳優オタとしてはついつい考えてしまうのでした。
というわけで、映画としての出来はやはり「シン・ゴジラ」には及ばないけど、あえて敵というか怪獣を一つの組織だかに絞らないで作ったのは良かったと思う。
フツーに考えたら、メフィラスの山本耕史が全てを操っているラスボスみたいにしたほうが話がまとまると思うのだが、「外は外で、それぞれの思惑がある」っていう世界観にしているから、「国内政治」と「国際政治」と「外星世界」がそれぞれバラバラにワチャワチャしていて、単純に善悪で割り切れない。
そこが単純じゃないから、スッキリしない話なんだけど、だったら、もっとウルトラマンの心情にフォーカスすればって思うけど、それやっちゃうと一般受けはするけど、「初代感」が薄くなっちゃうからなあ。
さて、どのくらい興収いきますかねえ?(誰目線だよ)
個人的には和田聰宏がすっごいいい役だったので感激したが、エンドロール眺めていたら、村上新悟とか平原テツの名前を見つけて「えええええ?気がつかなかった!」
シンゴジの時は、一瞬しか出てこない俳優さんもほとんど見つけられたんだけどなあ。
あとですね、私はこの映画がそこそこ面白ければ「唯一不満だったのは高橋一生が出てこないところだった」と言うつもりだったのです。
でも、心のどこかでサプライズ出演があるんじゃないかと思っていたのですが・・・・エンドロールの最後の方で「声」で出てきた時、「やられた」と思いました。
全然気がつかなかったよ。
それが無くても「次はIMAXで見てみよう」と思っていたのですが、タカハシの声を確認するために速攻でまた見に行きます。
5月11日(水)
次の次の大河ドラマが「吉高由里子主演で紫式部」キターーーーーーーーーっ!
「いつか紫式部で大河ドラマやってほしい」というのは、そっち方面のオタクの漠然とした希望だったんだけど、それが実現しちゃったから、しばらく「虚構新聞か?」って呆然と眺めちゃったよ。
もしかしたら「いいね!光源氏くん」が、評判良かったから?
それにしても、思い切った企画だなあ。
思いつきとしては上等だけど、実際に「1年間の長丁場」をやるの難しいと思う。
でも「いだてん」で「アスリート大河」をやって「青天を衝け」で「経済人大河」をやったので、これは満を持しての「宮中物大河」なのかもしれない。
「宮中物」としての最高傑作は「篤姫」で、あれは先に韓国ドラマの「チャングム」があって「NHKも大河でこれくらいやってみてよ」と思っていたら「篤姫」が出てきたので「主人公がずっと大奥にいるのに、これだけ面白いの出来るんだ」って感動した。
紫式部も外には出られないけど、政治的には藤原道長がいるし、安倍晴明も出演可能らしいから、そっちの絡みと「劇中劇」になると思うが、源氏物語を同時進行させたら、面白くなるかも。
早くも俳優オタたちが「我が推しに烏帽子を!」と立ち上がってます。
光源氏役が誰になるのか、早くも漲ってきました。
それよりも、清少納言は誰になるんだろう?フカキョンとか?(絵面だけでも、もうバッチバチである)
あと、柄本佑は絶対何かで出てきそうだ。
そして、そろそろタカハシも出番あるかも?
5月9日(月)
少し前から「今の若者はドラマや映画を倍速で再生する」っていうのが話題になっていたが、今度は「ネタばれを好む」ということが朝のニュースショーでも取り上げられていた。
でも、それって「イマドキ」の話?
ビデオの時代にはテープが傷むし画像も荒かったのであまりやらなかったけど、DVDレンタルしたら、4倍速くらいでガンガン飛ばしてたけど?
高橋一生の過去作漁っていた時なんて、タカハシ出るまで早送りしていたよ?
あと、映画で風景が延々と流れるところなんかも、よくスキップしていた。
少し前だけど、「悪の教典」を動画で見た時は伊藤英明の筋トレシーンは全部倍速で飛ばしたし(笑)
あと、ネタバレについては、ニュースショーのコメンテーターにも「だいたいどういう話なのかわかってから見たい」という人がいたけど、私もそうなんだよなあ。
結末まで知りたいとは思わないけど、どういうジャンルなのかは、明確にしてほしいと思う。
一番びっくりしたのは「屍人荘の殺人」だな。
原作読んでいた人々が「アレの場合、どこからがネタバレなのか?」と呟いていたので、「ん?ミステリでネタバレとかどういう意味?」って思っていたら・・・・
洋館を舞台にしたホームズ系だと思いきや、ゾンビが出てきてびっくりしました。
予告編は全然そんなんじゃなかったじゃん!
いや、「洋館に閉じ込められる」っていう古典的設定を「ゾンビが外を囲んでいるから出られない」にしたの、すごく面白いと思ったけど、あまりにも思っていたのと違ったので、しばらくドン引きしちゃったよ。
あと、主要登場人物が死ぬ話は、あらかじめそれを匂わせておいてほしい。
コメディ系の話だと思っていたら、突然人が死ぬのでびっくりするというか、頭が切り替わらないので。
ただ、制作側は、そういうのを「良し」としているようで、「ネタバレ厳禁」とか言うのだが、私だってそりゃ「シックス・センス」みたいなのは、「最初から教えろ」なんて思わないけど、例えばR指定をつけるのなら、それがエロなのかグロなのか事前に教えてほしいわけです。
そういう意味では「コンフィデンスマンJP」みたいな、「絶対に人が死なない話」は安心して見られるので大好きだ。(なのに、主要出演者は二人も死んだけど・・・・泣)
少し前に海外のサイコ・スリラーみたいな映画の予告編で、犯人が次々と人を殺していく映像の中で犬がチョロチョロしていたので「犬は?犬も?」と不安になった人が多かったようで、「みなさん、安心してください。犬は無事です」という別の予告編が流れて、たぶん製作者としては「犬は?犬も?」の不安感も盛り込んでいたんだろうけど、その不安を楽しめない人の方が多かったということに気がついたんじゃないかな?
なので、こういうのは「世代間ギャップ」というよりも、個人の趣味の問題なんだろう。
テレビを録画できなかった時代は、全員がリアタイするしかなかったが、今だとたぶん全世代が録画や動画をスキップしまくってるんだと思う。
そういや、時々、映画館で「あー、早送りしてえ」って思うもんね。
この「若者の動画の見方」の話題の時に「イマドキの音楽はイントロが無いのが多い」って話になって、それは少し前から「サブスク時代の音楽のあり方」として知っていたけど、そしたら、コメンテーターが「ビートルズの曲もそうだった。サビから入るのが新鮮だった」って言ったので、「あああああ、確かに!」
それに、今の音楽のことはよく知らないけど、ドラマの「アンナチュラル」では米津玄師の「♪夢なーらば」が印象的だったけど、同じチームの「MIU404」では、イントロの♪チャラララ チャーララララに痺れたし、さらに「最愛」では、宇多田ヒカルの「君に夢中」のイントロがデロデロデロデロ流れるのに超ハマったので、「イントロが好き」っていうのは今でもあると思う。
えーと、最近だと、朝ドラ主題歌で星野源の「アイデア」とか、毎朝あのイントロ聴くとアガったもん。
確かに番組でも「昭和ではこんなイントロの曲がありました」って「ルビーの指環」を流していて、「ここまで長いのはさすがに今はあまりないなあ」って思ったけど、私がもし、今の音楽クリエーターだったら、ああいう「イントロを聴いて、みんなが来るぞ来るぞと待ち構える楽曲」をあえて作りたくなるんじゃないかなあ。
だから、テクノロジーの進化で多少「流行りのスタイル」は変わっても、根本的なことはあまり変わらないんじゃないかと思う。
もはや、今の高齢者にもゲーム中毒の人が多いだろうし、この間、実家帰ったら母がスマホでずっとゲームしていたので苦笑したけど、母もそれを自覚しているので、孫がずっとゲームしててもスルーしている。
父はゲームには疎いけど、日曜日の午前中はずっと囲碁や将棋の番組見てるし、夕方になるとずっと相撲見てて、あれはあれで今で言うところの「ゲーム実況をずっと見てる人」だよね。
5月8日(日)
●映画「MIRRORLIAR FILMS Season3」
短編映画って、1作品ごとに気合が入りまくってるから、何本も見ると疲れるんだけど、藤原季節とか吉村界人が出ているので、頑張って見てきました。
名前を知らない監督も多かったので、備忘録として書いておく。(つーか、ウィキペディアの記事が無い!)
「可愛かった犬、あんこ」
監督 井樫彩(ドラマ「荒ぶる季節の乙女どもよ」)
奈緒と優希美青(「マッサン」の娘エマらしいが覚えてない)が姉妹。走る二人は美しかった。
脚本は映画監督の首藤凜。
「INTELLIGENTIA」
監督 KEN SHINOZAKI
全編英語のAIモノ。SFファンなら、展開読めちゃうような話だったので、もうちょっと演出にひねりが欲しかったが、アナログでやりきったところがちょっと面白かった。
「絶滅危惧種」
監督 野崎浩貴(ツイッターのアカウントだけ見つけたが、なぜか「ゆうたろう」君がフォローしていた)
どっかで絶対に見たことのある、子役の平野虎冴くん主演。(映画「望み」やドラマ「シェフは名探偵」に出ていたらしい)
ゾンビものだけど、ゾンビ以外にも吸血鬼が出てていたが、これって感染症のメタファーなんだろうか?って思ったけど、そこまで深い話ではないというか、多数派が少数派に転落する悲哀をポップに描いたようだ。
「そこにいようとおもう」
監督 林隆行(ツイッターのみ)
タクシーに乗っている吉村界人の顔をひたすら長回ししていて、吉村界人の演技力をひたすら堪能できて素晴らしかった。
でも、あまり画面には映らないが、隣でずっとベラベラ喋ってる友人役が自然で上手いなあ、と思っていたら、それは須賀健太でした。
「サウネ」
監督 松居大悟(「くれなずめ」)
最近、サウナのドラマは流行りだけど、映画だとなんてゆーのか「ケツ多め」で目のやり場に困った。
松居大悟の盟友である目次立樹も出演していたけど、なんと言っても「サウナにはやっぱりこの人でしょ?」的に磯村勇斗がチョイ役で出てきて、それは事前に知っていたんだけど、やっぱし豪華である。
「家族送」
監督 村岡哲至(「いだてん」に出ていたらしいが覚えてない)
祖母の葬儀を全て自前でやった実話をその家族で再現ドラマ化した話。
普通に撮影していたら、どうってことの無い話なんだけど、この映画の撮影自体も「自前」になっており(本当の家族が自宅で撮影)コロナ下での創意工夫の面白さがあった。
でも、ついつい伊丹十三の「お葬式」を思い出してしまって、「あれは面白かったなあ」とか考えてしまった。
「沙良ちゃんの休日」
たぶん、この企画の目玉なんだろう、山田孝之が監督で、紀里谷和明が俳優という珍作。
題名がまるで「南沙良の撮休」みたいだが、そういうのじゃなくて、かなりブッ飛んでいて、シュールな話だった。
紀里谷監督の映画って見たこと無いんだけど、役者の方がイケるんじゃね?
そういや、ずいぶん前だが、どっかの映画館のロビーで紀里谷監督がイベントをやっていて、間近で見たことがあるが、すげえカッコ良かった。つーか、「このカッコいい人誰?」と思って、何のイベントなのか確認したら「ああ、これが噂のキリキリなんだ」ってわかったんだけど。
「ママ イン ザ ミラー」
監督 李闘士男(「デトロイト・メタル・シティ」)
夫のDVで離婚したシングルマザーが、ラップで辛い心情を発散する話。
最近、「オカンがラップバトルで才能を見せる」って小説読んでいたので、ちょっとそれを思い出してしまった。
「Good News,」
監督 渡辺大知
山田孝之監督作が「よく、こんな話思いつくな」ってくらいシュールだったので、渡辺大知監督作に身構えたが、これはけっこうフツーだった。
でも、遠藤雄弥と藤原季節が、警察の扮装して「オレオレ詐欺」やるのは、なかなか良かった。
渡辺大知のキャスティングのセンスの良さはよーくわかりました。
以上です。
この企画、私は今回初めて見たけど、今までも俳優が監督するのやっていたんですね。
誰が何のためにやってるのかよくわからないけど、今回が3回目らしいので、それなりに持続可能なプロジェクトみたいで、どうやら4回目までやるらしい。
どこが資金源なのか気になる。
ああ、そうか「ゾッキ」の人たちなのね。私は「ゾッキ」をコロナ下で見逃したんだけど。
同じく、短編映画集だった「DIVOC-12」も、このチームだったんだ。
「DIVOC-12」は、どれも気合入り過ぎていてけっこう疲れたんだけど、この「MIRRORLIAR FILMS」は、いい感じに気が抜けていて、2時間越えが苦痛ではなかった。
そして、こんなゆるい企画をちゃんと上映する東映系シネコンって、もしかして貴重なのかもしれない。
最近なんだか足繁く、品川のTジョイに通っているのだが、それって、そういうこと?
5月4日(水)
●「パンドラの果実」土10
この枠はあんまり好きじゃないんだけど、前作の「逃亡医F」はトンデモ設定ながら、成田凌と森七菜の魅力でなんとなく見てしまったし、今回はディーン様だし。
しかも、インテリ捜査官がディーン様で、天才科学者が岸井ゆきので、泥臭い刑事がユースケ・サンタマリアっていうの超バランス感覚に優れたキャスティングだと唸ったのだ・が・・・・・
誰も何も悪くないけど、このユースケと金曜日のタカハシをチェンジしてほしかった!
インテリ捜査官のディーン様と「足で稼ぐ」タイプのタカハシに天才科学者岸井ゆきのチームに立ちはだかるのが、悪の天才科学者・安藤政信っていうのが見たかったです。
「パンドラの果実」は生命科学と倫理とか、ハードSFでお馴染みの「人間を電脳空間に再現する」っていう設定がけっこう面白いのだが、うーん、やっぱり雰囲気が「逃亡医F」というか「ボイス」で、でもこの枠って「コントが始まる」とか「俺の話は長い」って私好みの会話劇もやってくれてる枠なので、けっこう内容にバラつきがあるのだが・・・・って、そうなのよ、今クールって、ミステリものが多すぎて、会話劇が全然無いから「私好みのが全然無い!」ってストレスたまるので、困っているのでした。
5月3日(火)
●朝ドラ「ちむどんどん」
開始から4週目に入ったが、なんかなあ?
私はAKこと東京制作の朝ドラのほうがハマるので、これも楽しみにしていたのだが、なんだかツッコミどころが多すぎて、ネットに大勢生息する「文句ばかり言ってるなら見なければいいのでは?」の人に近づいている。
つーか、私の観測範囲では「露骨に悪口言わない良識を持ってる人たち」までもが、やんわりと批判的なつぶやきを書くようになっているので、ハッシュタグだと悪口ばかりになってるし、これだけ擁護派が見当たらない朝ドラも逆に珍しい。
こうなってくると、炎上商法というか、「とことん炎上させてみたい」という意思を感じてしまう。
まず「へー、大森南朋が朝ドラのお父さんかあ」って、最近の朝ドラって、朝ドラにふさわしくない感じの役者をわざと投入している感じが好きで、「半分、青い。」の滝藤賢一とか、「なつぞら」の浅野忠信とか、若い頃、クセの強い役ばかりやっていた役者さんが朝ドラの父親役になると「あー、私も年取ったなあ」って遠い目になって楽しい。
と、思っていたら、大森南朋があっという間に死んじゃって「ええええええ?」って思っていたら、主人公が口減らしのため、東京の親戚のところに行くと思いきや「やっぱ、だめええええええ」って、ええええええ?東京で主人公を迎えるために準備していた遠い親戚のおばさんの立場は?
そもそも、借金どうするの?
と、思っていたら、数年後、長女は短大出て、教師になっていて「あの借金は?」は問題は消えていた。
そこんとこ、朝ドラ民がどうしてもひっかかるところで、だって、あれは「おしん」の今だに語り継がれる名シーンのオマージュでしょうに、「やっぱ、無理ぃぃぃ」って?
いや、貧しさを描くのであれば、ちゃんとやってよ、と思うのですが、大人になったら、兄はプー太郎って?
沖縄県民の方が「沖縄では、女が働きづめで、男は飲み歩いてるの、けっこうフツーです」ってコメントしていたので、「まあ、朝ドラでは、酷い父親はフツーなので、それが兄になっただけか」と思っていたけど、ヒロインが「私はどんな仕事がしたいんだろう?」っていうの辛い。
ここ、中高年の朝ドラファンの多くが引っかかってるところで、「当時の女子は、仕事にやりがいなんて求めてないのがフツーだったろが!」
嫌味な御曹司が「おまえ、うちの会社で旦那探しに来てるんだろ」と言っていて、それが時任三郎の息子っていうことはいいとして、ちげーよ、あの頃の「会社」っていうのは、社員の嫁候補として、身元の確かな、いいとこのお嬢さんを採用していたんだって。
というわけで、毎日、心の中でツッコミながら見てるのが辛くなってきたのでなんとかしてほしい。
そして、どうやら、この4人きょうだいの全員が主役というか「若草物語」をベースにしているみたいなので、前作が三世代のヒロイン・リレーだったけど、今作は4人兄弟の群像劇になるっぽいけど、そのため、それぞれのエピソードが浅いから、登場人物が動く動機がちゃんと説明されてなくて、なんかコントみたいになっている。
一番謎なのが渡辺大知のキャラで、川口春奈に執拗にアタックしているのだが、ただ気持ち悪いだけだし、小学校教員である川口春奈の職場に何度も押しかけているのだが、周囲の大人の先生たちがそれをスルーしているのがほんとムカつく。
そして、片桐はいりは何故あんなに上白石萌歌に執着してるんだろう?
ほんと、いろいろわからないのだが、唯一の救いが、豆腐屋の前田公輝がけっこう出番が多かったことだ。
今のところ、山田裕貴よりもセリフが多いのでは?
それに、このドラマの中で唯一の「まともな人」っていうか地に足がついてるので、とてもいい役なのだが、せっかくの「朝ドラヒロインの幼馴染」なのに、他がこの惨状だとブレイクできないじゃん!
沖縄はもういいから、ってゆーか、「返還前の沖縄」が描かれるのかと思いきや、貨幣がドルだってこと以外は特に何も無いので、そこも期待はずれだったが、ヒロインはとっとと東京に出てほしい。
まあ、演出の雰囲気からも「細かいことはどーでもよくて、とにかく楽しくコミカルに!」ってことみたいで、このノリについていけるのか心配なのだが、とりあえず宮沢氷魚が出てくるまでは我慢します。
あと、山田裕貴に何やら仕掛けがあるっぽいし。なかったら盛大に怒り狂うよ(笑)
うちの母は早々にリタイアしたみたいです。父が見てるから録画はされてたけど。
そしたら、この間会った時に「最近の若い俳優さんは、ほんと可愛いわねえ」って言うので「例えば、どの子?」って問い詰めたら、「朝ドラの豆腐屋さんの子」
「ほんと、キラッキラでツヤッツヤで完璧に可愛い」とか言うので、「あんた、朝ドラ見てないって言ってたじゃん」って言ったら「お父さんが見てるから、たまに目に入るから」って程度の「ながら見」で?
つーか、私はそりゃ前田公輝のことを「なかなかドラマで大きい役つかないなあ」と思って見守っていたけど、イケメンだとは思ってなかったので、母が「極上のかわい子ちゃん」的に絶賛するので驚いた。
そう思って見てみると、確かに母の好みの歌舞伎役者みたいな顔立ちなのかも。
5月2日(月)
そういえば、この間、「美しい彼」の原作者である凪良ゆうとドラマの脚本家の坪田文の対談が掲載されている「小説現代」を買って読んだ。
こういう文芸誌買うのなんて、超久しぶりである。
そして、凪良ゆうの新作も読んだのだが、冒頭に「今」を小出しにしてからの、十数年前の高校時代に遡っての主人公男女のそれぞれの視点が描かれていて、恋愛模様にミステリ要素が加わる「流浪の月」と似た味わいのある話で、後半も楽しみだ。
他にも、今月号のテーマが「開かれた扉」でBL作家の描く文芸作が他にも並んでいたのだが、BLもライトノベルの一種だろうから、「純文学」に比べると説明が細かいから、そこはもっと削ってもいいじゃないかなあ、と思う部分はあれど、人物の背景をきちんと説明してくれるとラクはラクだ。
そうやって、自分が全然知らない作家の小説を読むのはなかなか新鮮でした。
今時の作家の小説をほとんど読んでこなかったので、こういう雑誌読んで、お気に入りの作家を見つけるのも楽しいのかもしれない。
漫画ではずっとやってきたことだけど、最近は漫画雑誌も買わなくなったしなあ。
つーか、本自体を老眼が進んでから読まなくなっていたけど、「美しい彼」でちょっとだけ読書の習慣が戻ってきたことは喜ばしい。
でも、他のBL小説にもチャレンジしようと思ったけど、やっぱちょっと趣味じゃない感じで、てゆーか、やっぱ、ヒラとキヨイのキャラというか「俺様」が入れ小細工になってる設定が素晴らしすぎて、これを上回るものにはなかなか出会えないんじゃないかと思っている。
続編もあるみたいなので、首を長くしてお待ちしております。
5月1日(日)
少し前に母が「やっと上野動物園でゾウの赤ちゃんのアルンちゃん見てきた」ってLINEしてきたので「へー、かわいいねえ、よかったねえ」って返事したのだが、それでネット予約を覚えた母が「また行きたくなったので、今度は日曜日に予約してみた」と、誘われた。
パンダの赤ちゃんは抽選みたいだけど、入園だけななら朝イチにやれば大丈夫みたいだ。
せっかく予約してくれたし、私が象好きだから、きっと私にも見せたいと思って予約してくれたのだろう。
というわけで、土曜日から実家に泊まって一緒に上野動物園に行った。前回同行した父は留守番。(父は最近益々遠出を嫌がるようになった。そろそろヤバいかも)
11時半の予約だったのだが、夕方から雨予報なのは覚悟していたが、昼過ぎになると霧雨が降ってきた。
でも、園内は予約で人数が制限されているので、混雑していないから傘差していても不便を感じなかった。
そして、上野動物園なんて何十年ぶりだが(大学生の時に行った記憶があるが、その後行ったか記憶が無い)、私の記憶だとゾウは掘りを挟んでもっと遠かったのだが、それは多摩動物公園と混同しているのかもしれない。
それくらいゾウは近かった。
母はアルンちゃんに夢中で、それだけのために来ているので、ゾウの前から離れないから、二人でゾウの前をあちこち移動しながら1時間くらい眺めていた。
私が「せっかくだからハシビロコウも見たい」と行ったら、渋々ついてきたけど、ハシビロコウを見て「なんだ、動くじゃない」って言われたが、「いや、基本静止しているだけで、全く動かないわけじゃ・・・」
あと、何見たかなあ?母が「ヒグマがすごく怖いかったのよ」と言うので、見に行ったが、「こ・・・・これと北海道で出くわしたら、もう何やっても無理だ」というくらい怖かった。なんか、横綱4人掛かりでも無理って感じ。ラグビーチームが総がかりでも、あっけなくトライされそう。
園内でなんか食べようとしたが、カレーか焼きそばって感じでイマイチだったので、もう疲れたし、最後にまたアルンちゃん見てから、3時くらいに園を出て、上野公園付近で食事できるところを探したが、どこも混んでいたので、昔の聚楽?あたりの焼肉屋で石焼ビビンバを食べた。仕切りのある店だったのでゆっくりできた。
その後、甘いものが食べたいというので、また探したけど、夕方だったからどこも混んでいて、もう諦めようかというところに、目立たないところにある店を見つけて入ったら、ちょうど喫茶タイムの終了間近で、でも、バー時間には早かったため、他に客が入ってこなくて、そこでもゆっくりできたのでよかった。
母も最近物忘れがひどくなってきて、煮物を焦がしたり、洗濯物を干し忘れたりしているようだが、話はちゃんとしているし、こうやって動物園をパソコンで予約できたりするので、この感じでキープしていてほしいが、父の方がハシビロコウ化してきているので、ちょっと心配。
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