可燃物な日々

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日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました

6月29日(月)

 なんか、週末の三軒茶屋を歩いていても、飲食店とかコロナ前にすっかり戻っているようなんだが、大丈夫なのか?
 すでに、東京では「ホストがあああ」になってるけど、それも、なんでなんだろう?
 まあ、ああいう店は窓が開かないような作りになっているのかなあ?ホストクラブなんてドラマでしか見たことがないので、よーわからん。

 しかし、狭いカウンターに客がびっしり座っている飲食店の様子を見るにつけ「エンタメ界はなんでまだ我慢しえいるんだろう」と不思議になる。
 映画館は市松模様方式で営業しているが、まあ、それでも満席には程遠いのでしばらくはあれでやるしかないのかもしれないが、演劇がねえ?

 だから、前から言っているけど、宝塚とか、「大劇場での感染リスクがあるのか、実験してみましょう」ってテイでやってもいいと思うのだが、まあ、お客様第一だからやらないのはわかるけど、外野からすれば、ぜひやってほしいものである。

 私は「このままではマジに映画がヤバい」と心配しているのだが、日本人のほとんどが「年に一回くらい映画館に行く」程度なので、私が「とうとう、映画館でジブリ作品やりはじめた!」と絶叫しても、「へー、平和でいいですね」と言われる始末。
 だから、私の周囲では演劇の心配している人なんていないわけです。

 私は全く興味がないけど、劇団四季の心配する人はいないのだろうか?

 まあ、宝塚とか帝劇とか「東宝系」はしばらくは大丈夫だろうし、私が銀行マンだったら、宝塚には積極的に融資するよ。だって絶対に回収できるから。ディズニーランドにも同じ理由で融資する。

 そして、主演級の俳優は大丈夫なんだけど、モブの人たちは生きていますか?

 商業演劇で食ってる俳優さんて、けっこういるんですよね。
 そして、音響スタッフとか照明スタッフとか・・・それよりも、派遣社員的な「劇場案内スタッフ」とか、いったいどうしてるんだろうか?
 照明機材会社とかも壊滅的被害ですよねえ?


6月25日(木)

●ドラマ「スイッチ」

 2018年の「anone」以来、「テレビドラマは書かない」と宣言した坂元裕二だったが、NHKのリモートドラマで復活して「さすがだな」と思っていたら、なぜかテレ朝の「2時間サスペンス枠」で民放復活。

 これが、非常に出来がよかった。

 すでに3回リピートした。

 まず、岡部たかしが重要な役で出ているのが素晴らしい。
 岡部たかしといえば、朝ドラ「エール」でも主人公の伯父である風間杜夫のカバン持ちみたいな役で出ていたので「なんか、あるのかな?」と期待していたのだが、何もなかった(笑)
 朝ドラでは「ひよっこ」とか「なつぞら」とか、出番は少ないけど重要な役で出ていたのになあ?

 坂元裕二作品では、「カルテット」でやはり出番は一瞬だったが重要な役である「駅前のたこ焼き屋さん」で出ていたが、その後、キョンキョン初プロデュースの舞台に抜擢されたので、すっかり坂元組の一員である。
 私はその小泉今日子プロデュースの舞台を「ちょwwww、岡部たかしと吉村界人ですって?」と張り切って優先予約でチケットとったら一番前の席になってしまい、なんだか照れ臭かったが、ロビーで坂元裕二と立ち話する満島ひかるや、並んで挨拶している演出家の豊原功補と制作の小泉今日子という、「小劇場の狭いロビーが有名芸能人で高密度」というのを経験してご満悦だったが、それからしばらくして岡部たかしが出る下北沢スズナリの舞台の外で、岡部たかしに挨拶している豊原功補と小泉今日子も目撃したのであった。

 話が逸れたが、「スイッチ」は2時間ドラマなんだけど、坂元裕二の作風が凝縮した傑作だった。
 けっこう意外な展開だったんだけど、そうやって中盤で「あれれ?」って転調するのも坂元作品の魅力の一つである。

 だから、この間見た「水曜日が消えた」も、そういのやりたかったのはわかるが、こういう「あれ?想像してたのと違う」っていうのをちゃんと面白くするのって難しいんだよねえ。

 「スイッチ」のそういうところ、「カルテット」と似ていて、「カルテット」の終盤はまさかの「松たか子は義父を殺害したのか?」って話になってびっくりしたけど、ラブコメとサスペンスの混ぜ具合が絶妙でした。
 で、「スイッチ」は、20代の頃付き合ってた二人が・・・・つーか、それが「東京ラブストーリー」の元ネタだったという、もの凄いセルフ・パロディという序盤のインパクトだった。

 そして、「カルテット」と同じ男女4人の食事シーン。
 「あー、これ、阿部サダヲじゃなくて高橋一生だったら・・・」と一瞬思ったんだけど、そんなこと思ったのはほんと最初だけでした。
 これ、誰かも言っていたけど「ツイッター民VSインスタ民」みたいな話で、主人公二人のそれぞれの恋人がなぜか強烈なキラキラさんなのだ。
 眞島秀和が「最高の夜にしましょう!」って言ったら、中村アンが「出会いに感謝!」って続くとか、もう、笑えてしょーがなかったが、その後も、この二人の大真面目なキラキラ演技が続くのだ。
 坂元裕二の容赦のない描写も凄かったが、それをさらりと自然に、カッコいいけど(美男美女だし)ギリギリ滑稽に演じる眞島秀和と中村アンがほんとうに素晴らしかった。

 つーか、フツーだと、こういう「俗物」は、終始「俗物」として描かれるものだが、複雑な背景を抱えた松たか子と阿部サダヲがなぜ、こんなキラキラ・インスタ民と付き合っているのか・・・ってあたりを最後まで見ると考えさせられる。
 だから「眞島秀和と中村アンが付き合えばいいのでは?」と誰しも思うが、それは松たか子と阿部サダヲが一緒になれないのと同じで、そう考えると「東京ラブストーリー」から30年経ち、ちょうど令和版の「東京ラブストーリー」が動画配信されているタイミングで、男女4人モノを得意とする坂元裕二が現時点でたどり着いた境地みたいな感じだった。

 そして、「スイッチ」という題名が「敏腕弁護士である松たか子が、罪を犯しても裁かれない犯人を自ら殺しに行く」という行動に「スイッチ」が入ってしまうことであり、出世コースから外れた三流検事の阿部サダヲが毎回、松たか子の「必殺仕事人モード」を阻止して、松たか子のターゲットになった人を別件でも起訴していたとか、インスタ野郎の眞島秀和は自分のことを「いい人ぶってて、つまらない奴」だと自覚しているとか、前半と後半でいろいろスイッチしていて、だからこそ、3回見ても毎回面白かった。

 「カルテット」とか、ほんと毎回、3回以上リピートしていたけど、この「スイッチ」で久々にそういう感じ思い出した。
 そして、元々坂元裕二脚本のドラマって演劇的要素が濃いのだが(食事シーンとか特に)、こういう2時間ドラマだと、その演劇チックなところがより際立つので、連ドラよりも、いいのかもなあ。次は、菅田将暉と有村架純主演映画の「花束みたいな恋をした」なので、そっちはどういう出来になっているのか期待が高まる。

 そういえば「スイッチ」はキャスティングも凄かった。
 検事の阿部サダヲの事務官が井之脇海って、「おんな城主直虎」の家康と万福である。「万福・・・、転生しても徳川に仕えてるんだ・・・・井伊直政(菅田将暉)はどこに行った?」ってマジ思った。
 ところが、徳川の重臣役だった尾美としのりが、阿部サダヲと対立しているとか、ややこしい。

 そして、松たか子が勤める弁護士事務所の上司が「真田丸」の真田幸村の母(高畠淳子)で、後輩が真田幸村の三番目の妻だった岸井ゆきの!「真田丸」では二人の共演シーンはなかったが、このドラマでは嫁と姑みたいな掛け合いしていて、「・・・で?真田幸村(堺雅人)はどこに?」
 そう思った私のような人へのサービスなのか、刑事役で真田幸村の幼馴染家臣役だった迫田孝也が配置されていた。
 あと、悪徳政治家役だった嶋田久作も直虎組だし、それを言うなら岡部たかしは1シーンだけだけど真田丸に出ていたので、キャストのほとんどが「真田丸」か「直虎」に出ているという「これ、ぜったいに意識してやってるよね?」なキャスティングでした。


6月22日(月)

●映画「水曜日が消えた」

 やっと映画館が再開したけど、いわゆる「話題作」は公開延期になっているので、「新作」として上映されているのは地味な作品ばかりなので、土日でもびっくりするくらい空いていてホントに心配だ。
 そして、数少ないというか、もしかして、これが邦画で唯一の新作なのかな?人気急上昇中で、民放プライムタイムでも初主演ドラマが放送中(美食探偵)の中村倫也の主演映画だが、やっぱし、あんまり客入ってなかった。

 でも、この映画ってシネコンで1日に4回も上映されるような映画なのか?
 去年の春に、中村倫也と田中圭が一人の女を取り合う(わけじゃないんだけど)「美人が婚活してみたら」って映画は大ブレイク中の二人が共演ってことで(絡みは無かったと思うけど)話題になったけど、テアトル系の単館上映だったので、平日でも大盛況だったが、中村倫也主演で「一人7役」の映画も、その規模だろう、普通?

 まあ、シネコンでもこういう映画やることは多いけど、この規模で上映されるような映画ではないと思うので、「コロナ禍で上映規模が拡大してしまった」という、ラッキーな映画だったのかもしれない。

 私も、この映画を積極的に見たいと思ってなかったが、「他に見たいのないから」って消極的な理由で公開翌週に見に行ったのである。

 感想は・・・・うううううーーーーーん・・・・

 いや、中村倫也ファンとしては、主役だし、ずっと出ずっぱりだし、それをシネコンの大劇場で見られて嬉しかったのですが、「話」がなあ?
 曜日ごとに人格が入れ替わるって設定は面白いと思ったし、それがこの映画では「性格も服や身の回りの小物の趣味も仕事も違う7人」という設定で、一つの家で7人が同居しているような状態なのです。
 だから、服のクローゼットも7つあるし、歯ブラシも7つあるし、楽器スペースとか絵を描くスペースとか、仕切りの無いシェアハウスみたいになっている設定は面白かった。

 そして、フツーだったら、この「7人の人格」による、不思議なシェアハウス人生が描かれると思うのですが、そういう第三者的視点ではなくて、「火曜日」の人格目線での構成も、なかなか面白いと思った。
 「火曜日」は火曜日しか意識が無いので、他の曜日の人格には会ったことがなく、「申し送りのメモ書き」でしか交流がないのです。

 ところが、ある日、目が覚めたら水曜日で、火曜日は休館だったから一度も入ったことのない図書館で司書の女性に恋をして・・・
 って、あたりまでは、良かったんですよ、ラブコメ好きですから。

 昔のLALAで連載していた成田美名子の「サイファ」を思い出した。
 イケメンの双子が「売れっ子モデルの高校生」というキャラを二人でシェアしていた話。
 それを無難にこなしていたんだけど、一人の「本当に自分に興味のある一人の少女に見破られる」っていう話。

 しかし、この「水曜日が消えた」には、最初から7人の別人格を知っている幼馴染がいて、それが石橋菜津美なんだから、そりゃフツー、中村倫也と石橋菜津美のほろ苦系なラブコメだと思いますよね?

 ところが、なんか「そう単純にするもんか!」って感じで、なんか違う方向に・・・

 まあ、主人公がこうなったのは、小学生の時の交通事故が原因らしく、そのシーンが執拗に何度も出てくるので、やーな予感してたんですよ。「いや、それ、もうわかってるから、何度も繰り返さなくても」って。

 そしたら、後半は医療サスペンスになってきて、ずっと親身になって担当してくれていた、きたろう医師が、なにやら医療倫理に反することしていたみたいで、それを調査していた中島歩医師によって失脚。

 いや、だからフツーは、きたろうが中島歩に蹴落とされるが、中島歩の方が「悪い方」でした、でしょうよ。
 そこ、全然わからなかった。
 きたろう医師が何をしたかったのか、中島歩医師が何をしたかったのか・・・

 私、中島歩推しなので、けっこう重要な役で出てくれるのは嬉しいのですが、中島歩を不穏枠で使うのなら、きっちり見せ場作ってほしかったです。
 つーか、医療サスペンス展開はいらなかったのでは?

 火曜日が水曜日に進出して、とうとう木曜日まで制覇して戸惑っていたら、実は宿敵である月曜日(奔放な月曜日が女連れ込むので、火曜日は翌朝の対処に困っていたら、なんと月曜日は男まで連れ込んでいた!)が金土日月と週末を制覇していたのだ。

 ここで、話は「火曜日」VS「月曜日」の、ただの二重人格モノになってしまった。
 地味で常識人の火曜日と派手で破天荒な月曜日の戦い・・・えーと、こういうの、昔、トヨエツ主演映画で見たなあ。

 というわけで、そろそろ「で?この物語の核は?」と思っていたところで、「この物語の発端の交通事故に遭う直前に好きだった女の子は石橋菜津美でした!」って、えー、そこ?
 いや、石橋菜津美の存在って、そもそも「7重人格になる前からの幼馴染」なんだと思っていたんだけど、「実はそうでした」って、そういう話だったの?

 というわけで、いろいろ突っ込みどころ満載の話でしたが、そもそもファンタジー設定なので整合性は求めていないんだけど、ここまで「どこがキモなの?」と、とっちらかったあげくに「7人で仲良くシェアする生活に戻りました」っていうのをハッピーエンドにされても、ちょっと・・・綾瀬はるかがスクリーンから出てきた「今夜、ロマンス劇場で」も、トンデモ結末に「え?これって、いい話なの?」と戸惑ったが、この映画もそんな感じ。

 そこでやっと「7人の別人格の中村倫也」が出てきても・・・そこが話のキモじゃなかったんかい!

 うーん、つまらなかったわけではないが、詰め込みすぎだったと思う。
 監督としては、やりたいこと、いろいろ出来て面白かったんだろうと思うし、その才能が優れていることは感じられたが、詰め込みすぎだった。引き算の美学も学んでください。

●映画「レオン」

 ですから、現在、シネコンは名画座状態になっているので、「シン・ゴジラ」も映画館でまた見てしまったが、「水曜日が消えた」は見る前から「たぶん、消化によくないだろう」と予感していたので、同じ日に「レオン」のチケットも買っていたのでした。

 日本公開が1995年で、もう四半世紀前の映画なんですね。
 もちろん公開時に映画館で見たのですが、シビれました。

 そして、いまさらまた映画館で見て、ハラハラドキドキ、結末わかっていても、ハラハラドキドキして、ほんと面白かったのですが・・・おい、もう、自分はとっくに、この頃のジャン・レノよりも年上だよ・・・という事実にがっかりしちゃいました(笑)

 この映画は、幼女のナタリー・ポートマンが、おっさんのジャン・レノに恋心を抱く描写が「今だと、どーよ?」って言われていましたけど、ジャン・レノは幼女ナタリー・ポートマンに全くそういう感情抱いてなかったのが改めてわかり、「でも、酒飲ませるのはね?」って程度だったのでよかったです。

 ただ、ナタリー・ポートマンがジャン・レノに「抱いて」って迫るシーンとか、今だと無いなあ。

 まあ、そういう「時代的なこと」を差し引いても、ジャン・レノのイケおやじとナタリー・ポートマンの完成された美少女ぶりは、100年後も「名画」として残るクオリティーだった。

 そして、何よりも衝撃的だったのは、この映画で最高にイカれたサイコパス役だったゲイリー・オールドマンを見て「なにこの、若手の可愛い子」って思ってしまったことだ。

 年齢的にも、「美形じゃないけど、でも」って感じも、今の中村倫也みたいじゃないですか。

 逆に、私はあの頃のゲイリー・オールドマンがほんと好きだったので、「あー、だから私は、高橋一生とか中村倫也が好きなのね」って再確認した。
 高橋一生も中村倫也も、けっこうできる子なので、「レオン」のゲイリー・オールドマンみたいな役をぜひ与えてもらいたいものである。


6月19日(金)

 まあ、わかってはいたけど、東京都知事選が公示されたけど、ほんと悲惨なラインナップですね。

 でも、都知事選がまともだったことなんてあるんだろうか?

 私が子供の頃は美濃部知事だった。その頃、私は千葉県民だったが。
 美濃部さんは社会党系だったんだよね。

 お、記憶を辿るためにググってみたら、1975年の都知事選で、すでに石原慎太郎が美濃部亮吉に迫る得票数で次点だったんだ!
 いやあ、でも、この当時の都知事選のラインナップ見てると、赤尾敏の名前が懐かしいなあ。
 で、その後、鈴木俊一の時代が長いのだ。私が10代、20代の頃の都知事といえば鈴木さんだった。

 鈴木都知事の記憶って、前屈して健康をアピールしていたくらいだった。

 そして、次が青島幸男。
 なんだっけ?バブル崩壊しているのに、万博やろうとしてたのに不満を抱く人が多かったので、そこが争点となり、青島さんが当選したことで万博が中止になったんだっけ?
 ただ、それ以降、なんかどんどん顔色が・・・修辞的な意味ではなく、本当にビジュアル的に顔色が悪くなっていた記憶がある。エンタメ界ではすでに成功を収めたスターだったので「こういう人を政治家にしてもいいんだろうか」って思ったっけ。
 つーか、なぜ、そもそも青島幸男が政界に進出したんだろう?

 そして、その後が、10年の長きに渡る石原慎太郎の時代。
 私は本当に政治家としての石原慎太郎が嫌いで、ほんとどうにかしてほしいと思っていたが、人気あったんだよね。
 身近な「いい人」でも、当時の中国や韓国の躍進に不満を抱いているような人は明確に石原支持者だった。

 私には、パワハラでモラハラなジジイにしか見えなかったんだけどなあ。
 確かに裕次郎の兄弟だから、独特の愛嬌があったし、私もたぶん、慎太郎がただの友達だったら好きだったのかもしれないが、都知事としての慎太郎はほんと生理的にダメでした。
 でも、もし裕次郎が長生きしていれば、慎太郎はもっとちゃんとした政治家になっていたような気がする。

 いや、「ちゃんとした政治家」って私の基準でってだけのことですが。

 そもそも「東京五輪」を目指したのって慎太郎でしょ?
 私は「まーた、慎太郎が変なことやってる」って思っていたけど、落選して「やれやれ」と思っていたが、それが次の猪瀬知事の時代にまさかの実現・・・

 なんで猪瀬が都知事になってしまったのか、全然覚えてないんだけど、「青島幸男→石原慎太郎→猪瀬直樹って、文筆家として。かなりの成功を収めた人が都知事って流れ、なんなの?」って思った。
 三島由紀夫も自決してないで、都知事になれば良かったのでは?

 そして、猪瀬都知事の時に2020年東京五輪が決まり、「石原慎太郎が文人なのに体育会系なのはわかるが、猪瀬直樹もそうだったのか?」と、自分より上の世代の文化系は隠れ体育会系なこと気がついた。
 まあ、だから三島由紀夫もそうだったんだけど。

 でも、三谷幸喜や宮藤官九郎は、ぜったいにオリンピック誘致しないよね。

 それで、なんとなくイメージ的に猪瀬直樹は硬派だと思っていたら、5千万円がカバンに入るとか入らないとかで失脚した。
 あれって、なんだったんでしょうね?
 売れっ子作家で、テレビ出演も多く、階層的には「セレブ」だった猪瀬直樹が、たった五千万円で失脚っていうの、よくわからなかった。50億くらいだったら、少し納得したかもしれないけど。

 私は年収600万円の会社員ですが、5000万円は受け取らないわ。
 せめて、5億ですわ。

 とは思うんだど、年商数十億円の中小企業で経理の仕事している私にとっては、数千万円って「小金」なんですが、「大金」の基準って人によってほんとに違うから、例えば、「急に50万円の支払いが発生してしまい、着金が確認できないと発送してくれなくて・・・それって可能でしょうか?」って本気で確認してくる社員にとっては、50万円は「大金」なんだろう。

 そういう人もいれば、しれっと三千万円の請求書を「月末払いの契約なんで」と20日くらいに提出してくる社員もいるわけで・・・

 そんで、猪瀬直樹があっという間に失脚しちゃって、次が舛添要一だった。
 なんだか、「朝まで生テレビ」をリアルでやってる感覚。

 ここ最近だと「サンデーモーニング」が、「ある程度頭のいい識者が」なんか適度に政権批判しているけど、「だったら、お前がやれ」ってほどでもなく、でも、そっか、猪瀬直樹とか舛添要一とかは、「だったら、お前がやれ」っていうことなんだよな。

 今となっては「舛添要一都知事はけっこうマシだったのでは?」と一部では評価されてますが、たしかに舛添が失脚したのって「公用車で別荘まで送ってもらっていた」っていう微妙案件だったんですよね。

 厳密に考えると公私混同しているが、「このくらいの公私混同は許容範囲では?」って思ったけど、そこをバッシングされたたら、別に金が欲しくてやっていたわけではないので、あっさり辞めるよね。

 そして、次に降臨してきたのが小池百合子だった。

 女性の社会進出は大歓迎ではあるが、最初に出てくるのが、たいてい「超性格の悪い女」というのは問題ではあるが、性格悪くないと男社会突破できないからな。

 だから、小池百合子のことは好きじゃないけど、ひとつだけ評価できることがあった。

 東京五輪の時に「東京のトップは女性である」ってアピールできることである。

 ある程度、日本に興味のある外国人だったら「日本は女性政治家が非常に少ない」ということを知ってるかもしれないし、もし、そんなこと知らなかったとしても、都知事が女性であることは「東京がまともな多様性を持った都市である」ってことのアピールになるのでは?って。
 そして、ビジュアル的には非常に得点が高いし。
 美人だし、服の趣味も悪くない。

 それはすでにリオ五輪の閉会式に着物姿で登場した時に「百合子ちゃんで良かった!」って思った。
 あの着物良かったなあ。最初は「ずいぶん地味な色の着物だなあ」って思ったんだけど、すぐにそれが上等の生地で出来ていることがわかったし、そういのって、着物のこと知らない人でもわかると思うんだよね。

 カースト無関係の外国人特権を利用して、「日本ではただの普段着」でインドの高級ホテルのカフェに潜り込んだことがあったけど、そこにいるインド人女性のサリーの生地が街中で見るのと全然違うのがすぐにわかったもん。あと、男たちが着ている背広も明らかに高級テーラードで、映画の中の世界だった。

 それこそ芸者のイメージの海外から見た「キモノ」ではなくて、京都のお茶会に出ても遜色のない着物で登場したのは好感が持てたし、あんな色味をきっちり着こなせるのは、そんじょそこらの小娘には無理で、だから「成熟した大人の女性」感がしっかり出ていて、もちろん、そんなもん日本には無いんだけど、まるでそういう文化がきちんとあるかのように振る舞う小池百合子に東京五輪は任せようと思った。

 私はそもそも東京五輪反対派なんだけど、どーせやるなら「東京ってステキな街なんですね」って思われたいわけで・・・
 そして、日本が製造業から観光業にシフトしているらしいので、私の老後の年金のためにも、「ステキな日本」というイメージ戦略は大事だ。

 って、小池百合子の「ビジュアルだけは最高」ってことで、他のしょーもないところは目をつぶっていたのに、コロナで延期って・・・しかも「夜の街で感染拡大してるので、気をつけてちょーだいねー。自粛から自衛です」とか、下々の庶民を完全に見下してる感じが、もう無理。

 てゆーか、コロナ禍が無くて、東京五輪が予定通り開催する「もう一つの世界」でも、今のタイミングで都知事選だったのか!
 たぶん、その「もう一つの世界」では、「オッサンよりも百合子ちゃんの方が五輪開催地の首長としてはマシ」と小池百合子を選んでいたかもしれないし、「超どーでもいーよ」と棄権していたかもしれない。

 さて、私はどうするのかまだわからないけど、どうなるんでしょうね?
 私の予想だと、百合子ちゃんが勝ちそうな気がするんだけど・・・(他がダメすぎるし、ダメなモノに吸い寄せられる人が分散しそうだし、ダメなモノを必死にブロックしようとして高年齢保守層の投票率が上がりそうだし)

6月18日(木)

●映画「凱里ブルース」@イメージ・フォーラム

 コロナ禍で「ミニシアターが存続の危機」と映画ファンの間で問題になり、支援活動が立ち上がっていましたが、何事にもトロい私は寄付もせず傍観していただけですが、そんな私でも先の震災の時には楽天の選手が募金箱持って立っていたので、張り切って万札ねじ込みましたわよ。
 だから、井浦新あたりが募金箱持っていたら、「3万・・・じゃ失礼か・・・5万?7万?」とか真剣に考えるのだろうけど、まあ冗談です。

 つーか、映画館がやっと開いても、大手シネコンであの惨状じゃあ、「大手はさすがに潰れないだろうけど、先の予算に相当影響があるだろうなあ」って思います。
 この間のゴールデンウィークに公開する予定だった作品が、来年に延期されるのって「来年公開予定だった映画の撮影がストップしている」ってこともあるだろうけど、コナンとかドラえもんみたいな「ドル箱」が後ろ倒しになってしまうのって、キャッシュ的にキツいだろうなあって。

 自分が経理を担当する小さな会社でも、「稼ぎ頭」的な業務があって、それがあるからこそ、不採算でも研究開発的に挑戦できる業務が維持できるんですが、もし、うちの会社で、そういう「絶対に安定して稼げる事業」が無くなったら、不採算事業からリストラするだろうからなあ。

 それでも、例えばネズミ王国みたいに、「フツーに営業すれば絶対に利益でる企業」が、もし、「しばらく経営苦しいので、お金貨してください」って言ってきたら「コロナに有効なワクチン開発されて、前みたいな営業できたら、絶対にペイする」と判断して投資するだろう。
 つーか、ねずみ王国は「入場客数に制限かけるので、一人3万円です」ってやっても、しばらくはそれで回るのでは?(ずっと、それでやれるとは思わないが)

 演劇界だったら、宝塚が「席を間引きするので、一人3万円です」ってやっても、たぶん全然大丈夫だと思うし、万が一、それでチケットが売れ残るのだったら、私が買う(笑)

 ですから、私は20代の頃の「単館」ブームに乗って、シネ・ヴィヴァンだのシネ・セゾンだのに足繁く通ったので、そーゆーのは永遠にあるものだと思っていたら、なんかそういう「アート系の時代」が終わっていて、そう思っていたら、「カメラを止めるな」の大ヒットとか、「パラサイト」とか「新聞記者」のメジャー展開とか「あ、なんか、まだまだイケるかも」と思っていた最中での、このコロナのパンデミック。

 ここ最近、ずっと欠かさず見ていた、劇団「イキウメ」の公演も中止になってしまったが、あの劇団は、それこそ「こういうパンデミックで変容する世界」をずっと描いていたので、「とうとう時代がイキウメに追いつきましたね」的なことをよく言われてるらしい。

 それで、話を戻すと「ミニシアターがああああ」って心配していたら、アップリンクの代表がパワハラで訴えられる案件が発生して、ほんと、もう「事実は小説より」案件。
 訴えた方も「実名も顔も出して訴える」って覚悟決めていたみたいなのに、まさかのマスク会見とか笑っていいのか困る。

 まあでも、アップリンクとか確かに「意識高い系の若者ホイホイ」だよなあ、と納得してどうするって思うけど、私が若者だったバブル時代でも、そういう「やりがい搾取」は横行していたからなあ。
 青山の有名美容院のシャンプーボーイとか、原宿の人気アパレル店の売り子とか。

 私が20代の頃働いていた「ドラマ業界」でも、「将来、演出家になりたい若者」を「授業料込み」で安くコキ使っていたもの。
 さらには「映画業界」から、「ドラマ業界」に出稼ぎに来る人がけっこういた。
 そういう人のわかりやす特徴は「ボクはADじゃなくて助監督です」って言うところだった。
 彼らは、年に1度あるかないかの映画の撮影が「本業」なのだが、それだけではとうてい生活できないので、テレビドラマ界に「出稼ぎ」にきていたのである。

 盛大に話が逸れまくった。

 「凱里ブルース」の話でした。
 「ロングデイズ・ジャーニー」っていう映画で、すでに高い評価を得ていたビー・ガン監督のデビュー作というか、「ロングデイズ・ジャーニー」のプロトタイプ的な作品らしい。
 なんかもの凄い長回しが一部で話題になっていたので、「お、ミニシアター応援にはいい機会だ」とイメージフォーラムに行ってみたのです。10年以上ぶりである。
 最近、ユーロスペースにはちょこちょこ行くようになったが、イメージフォーラムには昔それほど通ってなかったので、ここで何の映画見たことあるのがさっぱり記憶にないくらいだ。

 それで、こういう海外の文芸映画を見るのが久しぶりだったけど、時系列がシャッフルしているので、話についていけない、という感覚も久しぶりだった。
 そして、後半になって、やっと噂の超長回しが始まったのだが、走ってるバイクをずっと正面から追っていて、想像してたのと違う!

 と思っていたら、バイクから降りてもそのままカメラで追っていて、なんか延々と移動していくのを追っていくんだけど、全部追っているのに、位置関係がこれだけ混乱するのって何?
 そういや「カメラを止めるな」でも思ったけど、ワンカットであれだけ移動されると、場面ごとの距離感とか位置関係が逆にわからなくなるんだよね。

 「カメラに映った映像は何なのか?」って感覚は、野球を球場で見るとよくわかる。
 テレビ中継はあくまでも「映像作品」なのだ。

 だから、きっと「ニュース映像」だって「映像作品」だと思って見ないといけないのだ。

 それはいいとして、ちょっと斬新だと思ったのは、その「長回し」でリアルタイム感覚で撮られた映像部分が、この映画の物語としては「夢」だったこと。

 あれ?でも、もしかしたら、あの長回し部分がリアルで、それ以外のパートが「夢」って解釈もできる?
 まあ、なんか、すっきりしないタイプの映画ではありましたが、中国の田舎の風景が、日本の鄙びた温泉街の周辺みたいな感じで「ああ、どこの世界でも、人間っていうのは同じなんだなあ」いう意味では非常に心地のよい映画だった。

 そういえば、この映画で「●●に行きたいんだけど?」って言ったら、「あのトラックが近くまで行くから」って相乗りしていく感じ、インドで経験したことがあるなあ。
 インドでは、もちろん観光客向けの有料サービスだったのだが、「ここで降りろ」と言われても、その先どーすんの?と戸惑ったが、飲み物売ってる雑貨店があったので、そこでコーラ買って飲んでいたら、「●●に行くんだろ?」って通りがかった別のトラックの荷台に乗せられた。
 ちゃんと目的地に着いたが、まさに映画みたいな体験だった。

 でもあれって、たぶん、本当は直通バスがあるのに、「●●行きですか?」って聞いたら「そうでーす」って答えて、途中の分岐点で「ここで降りろ」って降ろして、そこに別の短距離乗合トラックがやってくるっていうシステムだとは思ったけど。だって、絶対に直通バスがあるような有名観光地間の移動だったもん。

 映画みたいな経験といえば、もう20年くらい前に、福岡に出張した時(あれが最初で最後の飛行機での出張だった)、帰りの飛行機の時間の2時間前くらいに福岡空港に着いてしまい(私の出張先は空港からバスで1時間くらいのところだったので、余裕を持って空港に向かったのである)、しょーがないから、隅から隅まで探検したのだが、第二ターミナルは奄美大島などの離島に行く便が発着するようで、東京便が発着する第一ターミナルとは全く雰囲気が違っていた。

 閑散としたロビーの床で寝ている若者がいて、「離島への乗り継ぎまで3時間」とかだから、爆睡しているのだろう。
 せっかくだから、こっちの展望フロアにも行ってみようとしたら、途中にゲーセンコーナーがあった。
 そこにいた若者たちが「君たちは飛行機の乗り継ぎでここにいるんじゃないよね?」って感じの子たちで、とてもつまらなそうにゲーム機で遊んでいたので、「欧州映画の片田舎のパブみたいなところに集っている若者か?」って思った。

 あと、20歳の頃、ドイツに行って、やはりバスの乗り換えをしたのだが、それが、なーんもない田舎町だったけど、1時間くらい時間があったので、バス停にほど近いカフェに入ったら・・・・常連の年寄りたちが、一日中トランプゲームして過ごすようなカフェで、やはり「欧州映画の片田舎のパブみたいなところに集っている年寄りか?」って感じだった。

 
6月16日(火)

 そういや、これは日記には書いてなかったと思うが、コロナがアジアだけじゃなく欧米諸国でもパンデミクってたので(つーか、そういうのがパンデミック)「ああ、これコロナが沈静化しても、その後に治安が悪くなりそうだな」と漠然と想像していた。

 アメリカとか絶対に失業者激増するだろうし、日本だって非正規の人から切られるだろうから、強盗とかひったくりとか増えそうだと思っていたのだ。

 そしたら、警察官による黒人容疑者殺害事件での抗議デモからの破壊活動って流れに「まあ、そうなるわな」
 コロナの影響で貧困に陥った人たちよりも、「健全なストレス発散手段」を失った人たちの方が大暴れしそう。
 それは日本でも、この間の黒川検事長騒動でのツイッターのデモ行進でも「みんな、ストレス溜まってるなあ」って思った。
 平時だったら、あんなに盛り上がらなかったと思う。
 みんな、自分の仕事や、自分の好きなことに忙しく、政府が多少ダメなことやっていても、それが直接自分に被害がなければスルーするものだ。
 消費税率が上がるのはイヤだったけど、「まあ、しゃーねーな」って感じだったように。

 しかし、こういう事態になって、「こんだけ税金払ってたのに、イザとなったらすんなり還元されないの?」っていうことに驚いて、今まで政治的発言を「はしたないこと」と思っていた、大河や朝ドラのクラスタが政治的発言するようになったのである。

 特に大河クラスタは、スポーツ紙などに「低視聴率」をネタにされることに不満を抱いていたので、「実弾送るのだ」とばかりに、公式サイトに「面白かったです」って感想を積極的に送ってきた。
 そういうの、漫画雑誌のアンケートハガキがどれだけ重要かってことで、よく知ってたはずなのに、テレビドラマに関しては長年「視聴率」っていうものが指標になっていたので、わざわざファンレター送るってことをしてなかったのだが、昔ながらの「視聴率」が意味をなさなくなった時代においても、「視聴率」が「質を判断するもの」として重要視されてしまうのだとしたら、ファンレター攻撃するしかない。

 ただ、「声を上げる」って諸刃の剣的に扱いが難しい。

 ダメなものに対して「それはダメだ」と声を上げるのは、それなりにカタルシスのある行為らしくて、「過度な誹謗中傷」になりやすい。

 それは、アメリカの「黒人差別反対」ってデモから、破壊行為始める人が出て来るのと同じことなんだろう。
 だからって、「黒人差別反対」ってデモが無意味だとは思わない。
 でも、暴走しないようにコントロールするのってけっこう難しいことだと思う。

 話が逸れるけど、日本人は「人種差別」っていうのに疎い人がほんと多いので、たまにはもっと喝入れておかないとなあ、って思う。
 「中国人旅行者とかウザいですよね」って軽く言うけど、それはかつての海外での日本人旅行者の扱いじゃ・・・って思うんだけど、そういう時代を彼らは知らないのだ。

 私は、「あーら、やだ、どこ行っても日本人ばかりねえ?」って嫌味をよく聞いていたので「あれから30年、予想していたけど、それが中国人になった」って思うんだけど、日本人が世界の観光地を荒らし回っていた時代を知らないとねえ?
 ちなみに、日本人の前はアメリカ人観光客だったのですよ。

 だから30年前は「日本人ばかり」と言われていたのが、それを言う方の立場になったことが、けっこう嬉しかったりする。「ああ、パリやロンドンの人ってこういう心境だったのか」って。

6月15日(月)

 ふと、思い出した。

 あの時、アンジャッシュ見たなって。

 (恒例の10年後の自分向け解説:アンジャッシュ渡部が不倫を文春砲された。詳細知らないが、不特定多数っぽい。「佐々木希ちゃんかわいそう」っていう世間の空気である。これに比べたら、我が東出くんの不倫騒動は、まだマシって扱いにならないかね?)

 去年だか一昨年だか(短期記憶が本当にダメになっている)、親に付き合って「笑点」の公開録画に参加したのだが、その時に漫才コーナーで出てきたのがアンジャッシュだったので「おお、贅沢だ」と思ったのだ。
 でも、うちの親はナイツを「若手」と言うくらいだから、たぶん、アンジャッシュ知らなかったと思う。
 公開収録終わった後に「あんな売れっ子のアンジャッシュ見られてラッキーだよね、ちなみに佐々木希のダンナだよ?」と振ってみたけど無反応だったような・・・

 って思い出したら、「あんな中高年で溢れかえった公開収録なんて、もう、しばらく再開できないんだろうなあ」と気がついて悲しくなってしまった。

 そう考えると、もし、まだ「笑っていいとも」が放送していたら、あれも「無観客」になっていたんだろうなあ。

 それとは話が違うけど、今日、会社にいたら、なんか音を鳴らした車が外を通って「聞いたことがない音楽だね?」って話していたんだけど、「そういえば、最近、バニラバニラ高収入が来てないね」って気がついた。

 そもそも「バニラバニラ高収入」がなんで新横浜に頻繁に来るのかよくわからない。
 たぶん、ラブホ街が近いので、デリヘルの拠点があるからなのか?
 一時期、うちの会社の隣の雑居ビルにそういう拠点があって、「今日は昼間からお盛んだぞ?ああ、給料日か」とか、社会勉強させていただきました。夜勤明けの人が利用するのか、午前中にもけっこう出動してるんですよね。

 デリヘルでは、いろいろ笑い話があるんだけど、うちの会社は遅番があるので、夜の9時くらいに会社を出た女子社員がデリヘル送迎の車に寄せられて「むきーーーーーーっ」ってなる事案が多発していたはよくあることだったが、社用車で出かけた社員が、ラブホ街の交差点を信号待ちしていたら、いきなり知らない女性が乗り込んできて、互いにビックリって事件もあったらしい。(助手席にスーツ着た若手社員が座っていたので、その女性も間違いに気がついたらしい)

 あのデリヘル事務所、いつのまにかいなくなっていたけど、「このコロナの時期というか、緊急事態宣言下におけるデリヘルの稼働率、というか動向」を観察したかったなあ。

 というのも、目下の東京都の敵は「ホストクラブ・クラスター」なんだけど、そもそも東京ディズニーランドも宝塚劇場も閉まったままなのに、なんでキャバクラやホストクラブは営業しているの?
 いや、水商売がズルいと言いたいわけではなくて、「個人情報提供してもいいから、演劇などを再開してほしい」と思っているのです。

 ほんと、宝塚で実験してみてほしいよ。「クラスター追跡アプリ入ってる人だけ入場可」にして、劇場内で感染する可能性がどれだけあるのか検証してみてほしい。

 そういや、嵐のツアーとか、どうなったの?
 あれも、来場者全員に抗体検査して、アプリで追跡とかすればいいのに。

 話が逸れたが、最近「バニラバニラ高収入」が来ないのは「不謹慎だから」って自粛しているのだろう。
 渋谷でも見かけなかったなあ。あの手のトラック広告に従事する人も仕事失ってるのか、それとも物資輸送のトラック運転手に転職しているのか・・・

 てゆーか、「バーニラバニラ高収入」の車があれだけ走り回っていたのは、「こういう事態のため」とも言える・・・と、ひねくれ者の私は思った。
 岡村隆史が深夜ラジオで「こういう事態になると、風俗に上物がいっぱい集まりまっせ」的なことを言って炎上したが、まあ、アレはね?昔は深夜ラジオで男子校的な発言してても、そこだけのノリだったのが、ネットというかSNS時代だから、深夜ラジオのリスナー以外にも拡散されちゃってってことで、「今の芸能人は大変だなー」ってだけの話だと思ったのですが・・・・

 その件について、個人的にびっくりしたのは、岡村隆史の失言云々じゃなく、相方の矢部が速攻で回収しにきたことである。
 私はバラエティ番組ほとんど見てないので、矢部の存在をほとんど忘れていたのだ。
 岡村といえば「チコちゃん」であり、大河ドラマ「麒麟が来る」では重要な隠密役で「オカムラ、NHKに寵愛されてるなあ」って思っていたけど、相方がいることを完全に忘れていたので。

 つーか、あんましヤベッチ好きじゃないのよね。
 オカムラに比べたら、フツーにモテ系っぽいけど、まあ、やべっちに「付き合ってください」言われたら付き合うけど(笑)

 よくわからないけど、世間的にはオカムラの方が断然売れっ子みたいなことになっていて、それがちょっとつまづいたら、ちょっと格下扱いになっていた相方の矢部がドワーっとフォローしに来たのが、二次創作的な男の友情みたいで、ちょっと面白かった。

 オカムラをどう着地させるのが正解かわからないけど、私のお気に入り女優を差し出してもよくてよ。
 まあ、それこそ「麒麟が来る」で共演している門脇麦ちゃんあたりに手を出したら、殺すけど(笑)
 そして、たぶん「門脇麦が妻なのに、浮気したの?」ってあたりまで織り込み済みです。

6月13日(土)

●映画「死神遣いの事件帖」

 少し前に渋谷TOEIの前を通ったら、この映画の看板がビルに掛かっていて「鈴木拡樹じゃね?」と気がついた。
 最近「公開延期になりました」って情報は入ってくるが、新作の情報は全然入ってこないので、この映画のことも全然知らなかった。どうやら、2.5次元舞台と映画のメディアミックス(死語?)みたいで、舞台の方は中止になってしまい、映画だけがポツネンと上演しているようだ。

 しかし、事態は深刻である。
 公開直後の週末だというのに、客はまばらだ。
 いや、渋谷TOEIは市松模様の上を行く客席間引きをしているので満席になっても、普段の4分の1しか入れないのだが、それが半分も埋まってないので、平時だったら「大コケ」レベル。

 根強い固定客がいるはずのジャンルなんだが、舞台を観に来た遠征客が映画館にも寄ることを想定している企画だとしたら、こういう惨状になってしまうのだろうか?よくわからない。
 だから、映画版「刀剣乱舞」で鈴木拡樹デビューしたニワカな私には、何がどうなってるのかさっぱりわからないが、他の客も「男一人」「年季の入ったオバサンオタクの二人組」「英語で喋っている若い白人女性の二人組」とか、つかみどころがなかった。
 まあ、渋谷TOEIって、いつもこんな感じなんだけど。(東映ヒーローモノやアニメ系を除く)
 東宝と比較すると、東映が未だにこういう場末感を維持しているのは昭和女としては好感が持てるんだけど、映画「刀剣乱舞」のキャピキャピ感がすごかったので、「コンセプト的にはたぶん同じなはずなのに?」と戸惑った。

 さて、映画の方は、「江戸時代のへっぽこ探偵役」である鈴木拡樹のビジュアルが趣味ではなかったし、「スマホを落としただけなのに2」での鈴木拡樹も痩せすぎだと思ったけど、「刀剣乱舞」の三日月みたいに、コッテコテに盛らないとなあ。

 あと、全体的に序盤は「映像作品としては、ちょっと平たいなあ」って思ったけど、舞台とのバランスとってるのかなあ?そう考えると、舞台的な演出みたいな感じだった。
 それがどういう感じなのか、具体的にはわからないんだけど、「たぶん、こういう舞台なんだろうなあ」って想像できたので。

 ただ、興味深かったのが、映画「刀剣乱舞」が「新解釈・本能寺の変」だったように、この「死神遣いの事件帖」は徳川家光の時代に、豊臣の生き残りの姫が、って話で、徳川から豊臣に嫁いだ千姫が重要人物だったのだ。

 あー、「真田丸」で永野芽郁ちゃんが演じた役・・・
 徳川秀忠が星野源で、その娘なんですよね。そして、「真田丸」での豊臣秀頼は中川大志なわけで・・・

 そして、映画のネタバレになりますが、「真田丸」では最終回で「よく考えてみたらこのドラマのヒロインは長澤まさみだった」っていうキリちゃんの活躍で豊臣滅亡から脱出した千姫は徳川に出戻りして、出家した身だが、亡き夫である豊臣秀頼の娘が生きていることを知り・・・・

 う・・・・・時代劇音痴なので、「豊臣滅亡」というか「大坂夏の陣」と「徳川家光の時代」の時間感覚がよくわからない。
 えーと「真田丸」の最終回の20年後くらいの世界なんだよね?
 家康が長生きして、秀忠は早くに死んじゃったのでこういうことになったのか?

 ググりました。
 秀忠は早々に隠居して、家光に将軍を譲ったらしい。

 それにしても、この映画では家光の義弟である保科正之が「ちょっとしか出てこないけど重要な役」で登場しており、その辺も時代劇音痴としてはついていくの大変だった。だって、保科正之はそこそこ有名だけど「そっか、千姫の弟なんだ」って初めて認識したし。

 というわけで、「真田丸」の予習があったから、なんとか付いていけたけど、けっこう難易度高い話だったと思うのだが、2.5次元なお嬢様方には「こんなの常識」なんですか?

 大河ドラマ「麒麟が来る」でも、信長が染谷将太で、家康がカザポンなのに、なぜ秀吉が蔵之介?っていう、いわゆる三英傑はかろうじてわかりますが、吉田鋼太郎とか谷原章介とか眞島秀和とか金子ノブアキなどの役が、その後どうなるのか知らないんだけど、知ってる人たちはいろいろ考察しているので「楽しそうで、羨ましいなあ」って思いますが、もちろん歴史上の人物のキャラ設定知らないからこその面白さもあるわけで。

 それはさておき、「うーむ、この鈴木拡樹じゃ、ちょっと物足りないなあ」って思って観ていて、でも、死神の安井謙太郎はコテコテに盛っていて、羽飾りとか超キュートだったので「こっち系のヒロキがよかった」と思っていたら、終盤になって、死神使いが死神と合体変身的な最終形態になったら、「羽飾りに赤いカラコンの全部盛りの鈴木拡樹キターーーーーー!!!」って心の中で万歳三唱した。

 鈴木拡樹の出る舞台もほとんど中止になっているし、そもそもチケット取るのが難しいので、「一年に一回くらい、このレベルの鈴木拡樹を映画で観られればいいや」って思った。

●映画「シン・ゴジラ」

 日曜日は出勤だったので、「死神使い」が終わったら、ニコタマまで移動して、「シン・ゴジラ」を観た。
 シネコンの名画座状態がいつまで続くのかわからないが、この機会に映画館でまた観たかったし、あの「震災映画」が、このコロナ時代にも効くと思ったんだよね。

 だから、想定はしていたんだけど、カマタくんが第一波で「うわああああ、大変だったけど、海に戻って一安心」だったところに、デデーンと第二波のカマクラさんが登場する流れ、ほんとコロナじゃん!
 政府の対応が後手後手になるところとか、もはやリアルタイム感覚だし、「これ、今こそ地上波でやろうよ」と思ったが、ピエール瀧登場シーンで「あ・・・」

 しかし、もやはピエール瀧がやらかしたことなんて、どーでもよくね?

 そして、もう何回も見てるのに、京急せんぱいが吹っ飛ばされるところで泣く。
 そして、クライマックスで京急せんぱいの仇を新幹線様が討ちに来てくれるところで泣く。
 さらに、トドメを在来線が討ちに来るところで号泣。

 うちの妹は、鉄オタな息子にこの映画を見せたいのだが「ビビリなんで、まだ無理」と言っていたが、ほんと、いつか甥っ子と一緒に見て泣きたい。

 この映画が公開されていた当時、この「普段使いの電車の大活躍」に、「平時は乗客の安全だけを考えていた整備士たちが、電車を武器として使用するという非常事態に、涙ながら車両に爆弾積む作業しているんだ」というサイドストーリーを考えている人がいて、「うわ、それだけで映画一本できるじゃん」と思った。
 もはや、鉄道版特攻隊物語である。超泣ける。

 あと、やはり、ゴジラが米軍の超お高い爆撃受けて、ビムビムビームになってしまうシーンは、何度見ても「ああ、痛いよね、辛いよね」とゴジラ目線。
 なんか昔あったよなあ、何度か痴漢被害にあっていた女性が、過剰反応して相手を線路に突き落としてしまった、っていう事件。
 殺意があったのか、正当防衛なのか?ってことが争点だったような?

 だから、あのビムビムビームのシーンは何度見ても美しい。

 自分の命を守ることの正当性と残酷性が同時にあるから。

 あの経験を経て、ゴジラは自分の周囲を飛ぶものを全てビームで撃ち落とすようになっちゃうんだよね。
 こういう、無差別な恐怖心というか防衛本能って、今流行り(って言うな)の黒人差別問題でもあると思うんだけど・・・

 それにしても「コロナ禍での、シン・ゴジラ」は、ほんと面白かった。
 ヤシオリ作戦っていうのは、「ワクチン開発」になるのだろうか?

 そして、ちょうど主演大河ドラマが中断している最中での長谷川博己も堪能できるが、なんといっても、この時期の「ブレイク直前」の高橋一生がほんと大好きで、「もう、しばらくは、こういう脇役の中でも三番手みたいなのは無いかもしれないなあ」と残念に思うけど、私は高橋一生に近藤正臣みたいなポジションになってほしいと思っているので、朝ドラでおじいちゃん役やってる高橋一生が見たいなあ。長生きせねば(笑)

6月11日(木)

 東京アラート解除なんだ、へー。

 つーか、緊急事態宣言もそうだったけど、「おかーさんの言うことちゃんと聞かないとバチがあたるわよ!」みたいな感じですよね。
 他の国がどういう制限しているのかよくわからないが、今の日本のこの感じって、「みなさんの自己責任にかかってます」って行政は責任とりませんよ、って感じに思えてしまう。

 まあ、それでも検査体制は拡充されたので、ジャンジャンバリバリ検査しているから、これだけ感染者出ているとも言えるのかも。

6月7日(日)

●映画「一度死んでみた」

 週末の日比谷でも、あれだけ映画館がガラガラなんだから郊外のシネコンとかもっと悲惨だろうと思って、あまり積極的に見るつもりじゃなかったこの作品も見て見た。
 不幸にも3月上旬に公開してしまった作品である。
 その前から散々予告編は見ていたのだが「広瀬すず主演で、吉沢亮が相手役?なのかはよーわからんが、とにかく、朝ドラでは悲恋的に扱われた二人がラブコメに転生?」というあたりは心惹かれたが、予告編では「これ、きっと私好みじゃないわねえ」って感じだったし、ここ数年続けていた謎の「吉沢亮スタンプラリー」も、そろそろ卒業しようと思っていたし。

 「吉沢亮スタンプラリー」とは。
 よく「ネクストブレイク イケメン ランキング」みたいな企画があり、吉沢亮はそういうランキングで常にトップクラスだったが、私は彼をちゃんと見たことがなかった。
 そしたら、賀来賢人目当てで見に行った「斉木楠雄のΨ難」で重度の中二病キャラを演じた吉沢亮の美しさにびっくりして、それと同時に「現在23歳か・・・ということはこの美貌もあと2年くらいしか持たないかもしれない」と思って、それ以来、吉沢亮が出ている映画は可能な限り映画館で見ているのである。

 しかし、あれから3年くらい経って、朝ドラ「なつぞら」で一般的知名度が爆上がりし、さらに来年の大河ドラマの主演と大出世してしまったし、同じくアミューズの佐藤健が30歳になってギアチェンジしてブイブイ言わせているので「あー、たぶん吉沢亮もしばらくは大丈夫だな」と思ったので、「吉沢亮の美しさを見守り隊」活動も、もういいかな、と・・・

 話が逸れるが、佐藤健に関しては、私はもはや「俳優」としてではなく「アスリート」だと思って見ている。
 この間、話題になった「恋つづ」もラブコメとしては、まあまあな作品だったと思うが、佐藤健が次々と必殺胸キュンシーンを決めるのをまるで「羽生結弦が4回転ジャンプを決めた!」っていうのを見守るような気持ちで見ていた。
 そう、私は羽生結弦にもそれほど思入れがないので、羽生結弦の「演技」と佐藤健の「演技」は私の中では丁度同じくらい刺さる。「うわー、すげーな、美しいな」って感じで。

 えーと、それでちょうど、TVerで2017年のドラマ「ぼくは麻里のなか」が配信されて、「あー、これずっと見たかったやつ」と飛びついたのだが、池田エライザと吉沢亮の入れ替わりモノという凄い設定なんです。
 しかも、吉沢亮が童貞ニート的な役。

 吉沢亮は、こういう「非モテ」な役けっこうやっていて、たぶんけっこう得意としている。
 昔の少女漫画の「メガネとったら美少女だった」的な。
 こういう役をルックス的にキモい系にやらせると、本当にキモい話になってしまうけど(それはそれで面白いのだが)、「ぼくは麻里のなか」は「君の名は」みたいな男女入れ替わりモノではないオチがある話なので、あの役が吉沢亮だというのは最高のキャスティングであろう。
 あと、吉沢亮は声優としての技術もすごく高いんだよね。

 よく言われているのだが「もしかして、吉沢亮の欠点って、顔が良すぎることなのでは?」って。

 でも「もし、吉沢亮の顔が10人並みだったら?」ってポジションには森永悠希とかがデーンといるわけですが(笑)

 さて、そんなわけで、かなり軽い気持ちで見に行った「一度死んでみた」ですが、意外と面白かった。

 私が予告編で一番ひっかかっていたのは、「反抗期の娘が大学生って?」ってことだったのですが、本編見ても、そこはやっぱし違和感があったのだが、もはや、そんなことはどーでもいー話だった。
 ストーリー的には、高校生くらいまで堤真一演じる「理系オヤジ」にスポイルされていた娘の広瀬すずだったが、母が病気で危篤状態になっても、仕事優先で見舞いに来なかった父に腹を立てて、大学生になってからグレちゃったというか、デス・メタルで発散していたらしい。

 だから、予告編では「デス・メタルで反抗期?」ってよくわからなかったんだけど、本編見てみたら、とにかく「・・・・です!」を連呼する、「いや、逆に丁寧なんじゃ?」っていう設定でした。
 面白い設定だけど、そこまで映画では描き切れてないような気もしてけど、とにかく、堅物理系オヤジに育てられた娘もちょっとネジ飛んでて、「よーし、グレてやる」って先が「なんちゃってデス・メタル」だったって話なので、これはけっこう面白い。

 そんで、そんな「ですとろーーーーい」な女子大生を演じる広瀬すずが、やっぱりちゃんとまとめていて、ほんとすげーなって思った。

 で、この映画、誰が何のために作ったのかさっぱりわからないけど、脚本は「伏線回収の鬼」だし、「超豪華カメオ出演」が凄くて、コロナ騒動がなければもうちょっと話題になってかもしれなくて、ほんともったいなかったなあ。
 カメオ出演は、それこそ佐藤健がクラブのボーイ役でチョロっとだけ出てくるとか、ほんと贅沢だった。
 監督も脚本もCMで活躍している人たちらしいけど、あまり映像に拘りがない感じだし、だから誰が何のために作った映画なのか、やっぱりわからないんだけど、なんか間違った方向の「面白いことやりましょう」感が、一周回ってちゃんと面白いという・・・

 褒めてんのか貶してんのか自分でもよくわからないが、まず「存在感が全くない吉沢亮」という設定が出落ち的で笑えるが、その無理な設定が物語の展開に重要な意味を持ってて・・・いいのか?
 あと、宇宙飛行士マニアな堤真一とか、崎陽軒のシウマイ弁当の食べ方に独特の拘りがある広瀬すずとか、そういういちいち「なんじゃそりゃ?」なことが、重要な伏線、というか、なんだか華麗に回収されるので「ほんと伏線回収だけに命賭けたな」って感じ。

 一番凄いと思ったのは、「二日間だけ死ぬ、ジュリエットっていう新薬」を自ら治験している研究員が松田翔太で、それも豪華カメオ出演の一つだと思っていたら、それが一番の伏線回収だった。てゆーか、「なんか、ここに松田翔太あてるとか、なんかありそう」って思ってたんだけどね。

 ホテルマンの妻夫木聡も素晴らしかった。
 あと、リリー・フランキーが「日野の2トン」なネタを振りまくのだが、現時点で効果が薄れているんだから(堤真一と共演したCMネタ)10年後には元ネタを全然思い出せないと思うのだが、執拗に繰り返すんだよね。
 ですから、とにかく豪華なカメオ出演陣なのに、話の根幹的にはスベりまくりなんだけど、ストーリー云々よりも伏線回収という、よくわからない映画なのだが、さらに「この時期に広瀬すずと吉沢亮を揃えたら、もっと、ちゃんとラブコメ展開にしたくなるもんじゃないの?」という期待を裏切るが、ちょびっとだけラブコメ要素も入れました・・・・つーか、最後の最後でよくわからんキスシーン入れるのって・・・

 というわけで、たぶん「高度なおふざけ」なんだろうけど、これだけのキャスト使ってふざけられても困るというか、だから半周回って「けっこう凄い作品なんじゃ」とか思ってしまい、「いやいやいやいや」と首を振るという、けっこう珍しい食感の映画でした。

 雰囲気的には、たぶん、三谷幸喜作品みたいなの狙ったんじゃないかな?
 それが奇跡的に別の方向にスベって、結果的に「記憶にございません」よりちょっと面白い作品になってしまった・・・のかも。そんな感じ。


6月6日(土)

●映画「E.T.」

 映画館がやっと開いたのでさっそくET見てしまった。
 これ、緊急事態宣言前にもTOHOシネマズがヤケクソみたいな名画座状態になってて(新作が続々と公開延期になったため)「うっわ、E.T.とか映画館で超みてー」と思ってたんだけど、あの時は土日が自粛になっていたので、見にいくチャンスを逃したのだ。つーか、それ以前に新宿とか日比谷の都心に行ってる場合かっていう問題もあったんだけど。

 そうこうしているうちに、映画館は完全クローズになってしまったので「また再開したら、きっと名画座モードになるだろう」と、それだけを楽しみに生きていたのである。
 なので、やっと願いが叶ったが、やはり「週末に日比谷なんて行っちゃっていいのだろうか?」って思ったが、週末の都心はそれなりに人出はあったけど、「かつての週末」の半分くらいなんじゃないかなあ?

 特に日比谷なんて、劇場が全部閉まってるから、上演前後にブラブラする客が数千人いないわけだし、あと、やっぱり外国人観光客がいないんだよね。
 そして、日比谷の映画館もまるで平日みたいだった。いや、「かつての平日」の方が客入っていたよ。

 さて、新型コロナで何もいいことなんてないけど、「E.T.」を映画館で見ることができたのは、数少ない「良かったこと」だろう。
 公開当時、私は高校生だったが、中学生の弟と小学生の妹と両親と・・・たぶん、家族全員で見に行った最後の映画かもしれない。

 テアトル東京だったかなあ?とにかく、銀座付近の大きな映画館で見た。めっちゃ混んでいたっけ。あの頃は指定席でも入れ替え制でもなかったから、家族で並んで座席確保するの大変だった。まあ、うちのママンはそれが得意だったんだけど(笑)

 あと、よく覚えているのが、高校の部活の先輩が先に見ていて、なにやら熱く語っていたこと。
 「・・・から逃げてて、ああ、自転車ごと翔ぶなあ、翔ぶよなあって、わかってるのに、ブワーっと翔んだ瞬間にドワーーーっと涙が出てきて・・・」
 そう語っていた先輩が、いわゆる大衆映画を絶賛するタイプの人ではなく、いわゆる「斜に構えた」タイプの人だったので、そんな男子高校生が今でいうところの「あー、あれはヤバい、マジやばい」って感じで熱く語っていたのが記憶に残っている。

 あんな感じで、みんなで「あれはヤバい、マジやばい」と語り合ったのって、大友克洋の「童夢」の単行本が出た時だったかな?あれも「翔ぶ」話でしたね。

 で、私は最初に見た時も、「凄い映画」とは思ってなくて、とにかく子役が可愛いのとE.T.が可愛い映画だった。
 なので、同じカテゴリーとして「トトロ」がいます。トトロもE.T.も、テレビで放送されると「はうん・・・かわいい」って毎回泣きながら見ている。

 というわけで、30数年ぶりに映画館で集中して見たE.T.ですが、「アメリカ人って、いい生活してんなあ」っていうファーストインプレッションは、今見ても感じるなあ。
 広い家、豊富なおもちゃ、カッコいい自転車・・・
 たぶん、この映画で日本人は「宅配ピザ」とか「ハロウィーンの仮装」っていうのを学んだはずですが、その描写は古臭くなってないというか、「宅配ピザもハロウィーンも日本でもフツーになったが、この世界観にはなってねーよ」的な。

 そっか、今書いてて気がついたが、E.T.ってたぶん、白人しか出てないよね?
 都会ではない郊外が舞台の話だけど、今の日本人にとっても「憧れのアメリカの最後の光景」って感じだが、(そういうの「ホーム・アローン」とか「スノーマン」あたりまで生きていたと思うけど)ハリウッド映画的にも「そんな配慮がいらなかった時代」だったんだろうね。

 で、この映画はスピルバーグ映画なので、けっこう最初から「不穏」だということにも気がついた。
 E.T.を追う謎の組織の男たちの描写が、ほんとスピルバーグ。
 さらに、その謎の組織がNASAでしたーーーーって、すげーな。NASAがこんなに悪役の映画って、あったっけ?

 つーか、このコロナなご時世に、「ハイレベルの感染防御の医療スタッフ」っていう描写がなんか笑えた。

 うん、楽しかったよ。
 自転車の疾走シーンとか、ほんと素晴らしかった。どうやって撮影したんだ?って思った。

 そして、自転車が飛ぶシーンが近くなると、「あのテーマ曲」を匂わせる旋律が小出しにされるので、確かに「来るよ、来るよ、そろそろ来るよ」となって、バーーーっとあのテーマ曲が流れた瞬間翔ぶシーンでは、30数年の時を経て、きもちよーく泣きました。

 しかし、ツッコミどころも多かった。
 そもそも、E.T.達は植物採集にきた異星人らしいが、「なぜ、あんな街に近いところで採取していた?」

 もっと人里離れた山奥に着陸してれば、あんなことにならなかったのに。

 そんで、そのE.T.を追うNASAも、あんなガキ供を追跡してないで「最初に着陸したところで待ち伏せ」してればよかっただけでは?
 って、思ったんだけど、まあ、それはいいとして、私はこの映画を「シングルマザーの家庭」の話だと思っていたのだが、あらためて見てみると、別居中なだけで、まだ離婚は成立してないんですね。
 つーか、旦那が愛人とメキシコに行ってしまって・・・てゆー設定が、今更ながら一番よくわからなかった。
 だから、そもそも私の記憶では、この映画は「心が不安定なシングルマザーの家庭に起きた奇跡」みたいな話だったのだが、30数年後にちゃんと見てみたら、あの母親の不安定な心境は子供達に特に影響を与えてなくて、だったら、離婚してもバリキャリで仕事優先の母親みたいな描写でも良かったのでは?
 その方が「自宅にE.T.がいるのに、それに気がつかない母親」っていう設定もよーくわかる。

 でも、そういう設定になってないのは「そういう時代だったから」なのかね?
 そのあたりは、ちょっとよく覚えてない。
 ただ、今だったら、こういう設定にはしないだろうなあ。と思うし、公開当時はあの母親の設定に特に疑問も抱かなかったので、なんだったんでしょうかね?

6月4日(木)

 今週は電車こそまだけっこう空いているけど、私の最寄り駅と職場のあたりの光景は「コロナ前」とほぼ同じに戻ったように見えた。
 5月と一番違うのは、若者の姿が増えたことだろうか?
 制服姿の高校生も増えたし、大学生くらいの若者が群れているのもよく見かけるようになった。

 これまでは自宅でネット環境を使って集まっていたり、もしかしたら、ひっそり自宅に集まっていたのかもしれない。そりゃ、前にも自転車で連んで走ってる男子中学生などはいたけど、それほど目立つわけでもなかったから、若者たちも相当自粛していたんだなあ。
 でも、まだ電車に子供連れで乗ってくる人をほとんど見ないので、これでもまだ、外出自粛モードなんだと思う。

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