可燃物な日々

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日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました

11月30日(金)

●舞台「豊饒の海」紀伊国屋サザンシアター(2回目)

 日曜日に観に行って、その美しさに打ちのめされたので「これは、ぜひもう一度観たい」と思っていたら、当日券あるようだったので、急遽、水曜日に有休とって昼公演に行ってきました。

 開演の1時間前から当日券が販売されるそうなので、「13時開演だから、12時か。その30分くらい前に着けば大丈夫だろう」と思っていたが、11時前に着いてしまい、「当日券をお求めの方はこちらにお並びください」という位置だけ確認したのだが、そこでわかった衝撃の事実は「今日は13時半開演だった!」ってことでした。
 夜公演もある日は、マチネは13時開演だったけど、この日はマチネだけだったので開演が30分遅かったらしい。

 「うわー、早く来すぎた!どうやって時間潰そう」とがっかりしていたんだけど、スタッフの入り時間と重なったので、至近距離で私服で共演者と雑談している東出くんと遭遇してしまった。
 つーか、最初に「あ、大鶴佐助だ」って気がついて「てゆーことは、この横にいるデカい人は東出くん???」とわかったんだけど、びっくりしすぎて顔上げられなかったので、煽りで一瞬だけ観ただけだった。

 でも、あの特徴のある声で、フツーに雑談してるのを傍受できたので「早く来て良かった」と大感激でした。
 とにかくデカかった。一時期、プロ野球の二軍の試合をよく観に行って、ガタイのいいプロ野球選手を間近で鑑賞してましたが、ああいうのとはまた違う質感のデカさだった。

 さて、当日券が12時半からということで、12時過ぎに劇場窓口に戻ると、もう2名並んでいたので「あ、そんな感じですか」と次に並んで12時半になったら、私の前に並んでいた2名で当日券の販売は終了になった。
 「え?」って呆然としていたら「キャンセル待ちになります」と整理券を渡された。
 電話での予約販売のキャンセル待ちってことらしいが「え?会社休んで来たのに、大丈夫なのか?」って不安になったけど係員の態度からキャンセルは普通は出るものらしく「たぶん、大丈夫だろう」と開演10分前に再集合したら、ちゃんと当日券買えました。つーか、それ知ってたら、自分も電話予約しておけば良かったってだけの話。

 というわけで、劇場入りする前の東出くんを目撃してしまったり「え?キャンセル待ち?」だったり、いろいろありましたが、無事開演して、「ああ、そう、この導入部をもう一度見たかったの」

 この舞台の幕開けは、滝の前に佇む東出くんが「また会おう、滝の下で」って言って、他の役者と「入れ替わり立ち替わり」みたいに怪しく絡む振り付けだったのだが、初回は「ああ、転生の話だから、そういうことか」ってボンヤリ見ていたんだけど、後になって「転生した役の人たちと最初から濃密に絡んでいたんだ」ってわかったので、それをわかった上でもう一度見たかったんだけど、ああ、やっぱそうでしたか。

 そしてこの舞台は、役者が自分の役じゃない時には黒子になったり、ガヤになったりしていて初見の時にも「着替えが大変そう」と思っていましたが、二回目だと話の筋追うことにばかり集中しなくてもよかったので、全体がよく見られたから、剣道のシーンでは防具着けてて顔が見えないけど「あ、やっぱあのデカい人は東出くんだった」ってわかった。主役もちゃんとガヤやってました。

 あと、神野三鈴が上杉柊平と向かい合っても釣り合う身長だったので、後で調べてみたら、168センチあるんだ。ヒール履いていたから175センチくらいになっていたのかもね。この舞台は、東出くん演じる主人公が転生した役を宮沢氷魚と上杉柊平という180センチ越えが演じて、主人公の親友である本多を3人の170センチそこそこの役者で揃えたので、登場人物が多いわりに、視覚的にわかりやすかったんだけど、あんだけデカいの揃えると女優さんが小さく見えちゃうから、女優さんも背のある人にしていたんでしょうね。
 東出くんの悲恋相手のお嬢様役だった初音映莉子も身長170センチらしいが、あれでギリギリだったよなあ。あれより小さいと舞台だとラブシーンが難しいから。

 なので、160センチくらいあるタイのお姫様役の田中美甫が相対的にすっごい小柄に見えていたが、あの役はあれで良かったのだと思う。中年の本多を魅了する妖艶な若い女性であり、本多が生涯捉われる東出くんの生れ変わりの一人であるから。

 って役者の身長についてつらつら書いたのは、この芝居の企画がどう進んだのかわからないけど、キャスティングに関しては「芝居が上手いか」ということよりも、ビジュアル優先になっていて、身長の高いモデル組と、ダンスが上手い組と、そして、それだけだと本当に人形劇になってしまうから、ベテラン俳優をトッピングして見事に構築してることに感心したからだ。

 「#豊饒の海」でツイッター検索したら、案の定「東出の棒演技」みたいなのが流れていて「そんなの最初からわかってるじゃん」と思ったので、ベタ褒め感想を置いておいたら、東出ファンの方々が「いいね」してくれたので嬉しかった。
 わかるよ。推しのファンじゃない人から褒められると超嬉しいんだよね(笑)
 私も「シン・ゴジラ」の時に、安田役が大人気だったので浮かれてました。

 さて、この舞台は、もし映画監督とか製作者が見ていたら「めぐりあう時間たち」みたいな映画作りたくなるんじゃないかなあ?
 その時は、どういうキャスティングになるのか考えてみるとまた楽しいけど、舞台のイメージだと、あのタイの姫君は土屋タオちゃんだな。がっつり踊ってほしい。

 ところで、この舞台はチケット代が9000円だったので、二回観たから「げ、18000円」と思ったが、「ホストクラブで遊ぶよりは全然安いだろう」と自分を納得させたのだが、だったら、東出くんと遭遇した時に「きゃーーー、握手してくださーーーい」って駆け寄れば良かった・・・・あの時一瞬そう思ったんだが・・・・「2回も来たんだから、ファンサービスしてもらってもいいのでは?」って・・・・でも、突然のことだったので、こっちがフリーズしてしまったし、「あの極上の美しい2時間半を過ごせて9000円って、美容院に行ってカットして白髪染めしてセットしてもらう時間と同じくらいだが、美容院で2時間過ごしても、自分の美しさは大して変わらない」ってことを考えると、充分ペイするというか、そうだよ・・・・そもそも私が「もっと舞台観にいこう」と思ったのって、長年、他人の借金の保証人になったばかりに、毎月16000円払っていたことからやっと解放されたので、「今後はこの金額を自分が本当に好きなことのために使おう」と思ったからなので、これでいいのです。

 あと、東出くんに「きゃーーー、握手してくださーーーい」攻撃が出来なかったのは、「猫のホテル」で客演していた水間ロンくんに「握手してくださーーーい」アタックしたら、その後、3時間くらい気が動転してしてしまったので「せっかく9000円も払って舞台観にきたのに、ここで気が動転してしまったら、台無しだ」と思ったので自制したのです。

 そもそも、まだ自分が「東出ファン」だということを認めてないのであるが(笑)、「豊饒の海」を二回見て、「東出くん、素材としてやっぱし面白いな」って思ったので、あれをまた舞台で使うのすっごく難しそうだけど、またそういう機会あったら是非観てみたいです。

 あー、やっぱし、舞台でもテレビドラマでも映画でも、なんでもいいから、高橋一生と共演してみてほしいなあ。だから、やっぱし、石油掘り当てたいなあ。


11月29日(木)

 「ボヘミアン・ラプソディ」が未だに混雑しているのでなかなか観に行けない。しかし、まさか、こんなに大ヒットするとは思ってなかった。「へー、せっかくだからIMAXで観ちゃおうかな」って思ってたのに、そんなのすぐ満席になっちゃうし。

 ヒットすると思ってなかったのは、子供連れてく映画じゃないし、若者向けでも無いし、世代的には中高年向きなので、映画館に足を運ぶ層のどれくらいがクイーンの映画を観に行くもんだろうか?って思っていたのである。でも、やっぱ「クチコミ」かね?
 同僚M嬢は、「最近はそういう気力が無い」とほとんど映画館に行かない40代女性で、コナン映画だけは観に行ってるみたいだが、「カメラを止めるな」はさすがに周囲から勧められて観に行った程度の「年に1本くらいしか映画館に行かない人」である。
 その彼女が「ミヤノさんはもう観た?」って言ってきたので、「混んでそうだから、まだなんだよ」と言ったら「友達が観て、もし観るなら絶対に発声?応援上映っていうの?それで観た方がいいって言われて・・・」って、おい、観に行く気満々じゃん(笑)

 なので私が、「後半はライブエイドの再現らしいからねえ。それで、10万人の大観衆の前で、うぃーうぃーるうぃーうぃーるロックユー!(拳を振り上げる私)って、ジャジャーンって(エアギターする私)、ドンドンパって(拍手して足を踏み鳴らしまた拳を振り上げる私)」やってみせたら「確かに、それはじっと座って観てられないね」って、おお、わかってるじゃん!やっぱクイーンって凄いな(笑)

●「僕らは奇跡でできている」8話

 先週の7話も「神回だ!」でしたが、今週の脚本も素晴らしかった。
 7話で展開した「勉強出来ないし、悪目立ちする我が子に手を焼いて自分を追い詰める母親」を救うヒントを「自分の辛い小学生時代」を涙ながらに語ることで与えた一輝(高橋一生)が、今回は「育児ノイローゼになって自分を捨てた母親と対峙する」ってブーメラン!?

 そもそも6話までは、育実ちゃん(榮倉奈々)に「フツーって誰が決めたんですか?」「なんで泣いてるんですか?」ってズカズカ突っ込んでいた一輝が7話では「相河さんはウサギじゃないからわからないんですよ」って言われて「そうでもないです」って言った瞬間「あ、これ他人には言いたくない話なのに、うっかり言ってしまった」って顔をして、そしてその辛いトラウマ話を「目の前で今苦しんでいる虹一くんのお母さん」を説得するために、泣きながら披露したのです。

 育実ちゃんに「人前で泣くとなんで恥ずかしいんですか?」って言ってけど、その言葉通りにアカの他人の前で涙を隠さない一輝を見て、育実ちゃんがボロボロ流す涙がとても美しかった。榮倉奈々って、美人ってわけでも無いし、美人女優的な華があるタイプじゃないし、スタイルは抜群だが、その反面、背が高すぎるので安易に投入できないタイプの女優さんだと思うんだけど、逆にだからこそ持っている絶対的な魅力というか、男ウケよりも女ウケするタイプっていうか、ええ、なんたって、私のケントの妻ですからね(笑)
 その賀来賢人は今、福田作品でツッパリやってるんですが・・・・

 それはいいとして、ほんと上手い脚本で、だから、これまで「フツーって何ですか?誰が決めたんですか?」って言っていた一輝が、家政婦の山田さんとギクシャクしてしまい、ついうっかり育実ちゃんに助言求めたら「家族なんだから、フツーにしてればそのうち元どおりになります」って言われて「フツーってどうすればいいんですか?」って悩む展開が秀逸すぎる。

 そして要潤をこれまで散々「なんで離婚したんですか?」で攻撃していたが、もうそれは言わない約束になったのだが、そしたら、樫の木先生(要潤)の元妻が再婚するかもしれないって時に「なんで再婚しないんですか?」とか凄すぎる。
 それも、これは一つの解釈だが、一輝が離婚や再婚にこだわるのは、「幼い頃にいなくなった母親が15歳の時に戻ってきたのは何故?」という疑問を抱えていたので「もしかして、離婚して再婚してまた離婚したから戻ってきたのか?」という仮説を立てたので、ただ単に「なんで離婚したり再婚したりするのだろう?」とずっと考えていたのかもしれない。

 って、私がツラツラ書いていても、この脚本の良さが伝わらないと思うけど、ドラマの構成として、後々、教科書的な存在になるような脚本なんじゃないのかなあ?逆に嫌味にもなるような完璧さがあるんだけど、演出とキャストの抜け具合が絶妙で、ギリギリ説教臭くなってないことも含めて。

 主人公の一輝が「タコが嫌い」っていうのは、ずっと描いてきたけど、ここに来て、居酒屋でタコ好きの沼袋先生がタコ料理ばかり頼むシーンが描かれて、それを受けた高橋一生の演技が「ぐえー」っていうMr.ビーン的な演技で「なにやってんの?」って思ったけど、「なんでそこまでタコが嫌いなのか?」って謎の答えは、けっこうシリアスだった。

 ここも凄いなって思ったんだけど、実母が育児ノイローゼで逃げ出すほどに手のかかった主人公の幼少時代を祖父(田中泯)は「探究心や好奇心は旺盛だったな」って、「いいこと」として淡々と語るのだ。「蟻の行列をずっと眺めてみたり、ドングリが気に入って、よほど気に入ったんだろうな、毎日拾っていた」って短いセリフからも、「そういう子」を少しでも知ってる人には「ああ・・・」ってわかるんだけど、この祖父は、そういうので疲弊した母親の気持ちも理解して、「少し温泉にでも行ってリフレッシュしてくれば」って言ったら、母親はそのまま戻ってこなかった、っていうけっこうエグい話なのに、なんでほんわかと「いい話」になってんの?

 そうそう、二人がギクシャクしている描写で、出勤前の支度で一輝がモタモタしているシーンがあって「あ、初回に戻った」と思った。きっと「山田さんとどうしたらまたフツーに戻れるんだろう」って考えに夢中で、今まで出来ていたことが出来なくなる描写が上手い、と思った。
 そして、遅刻しそうな一輝がそれなのに急ぎではないゴミ捨てをしようとしているので「それは私がやります!」ってゴミ箱を奪おうとしたら、ゴミが散乱してしまい、「いいから一輝さんは仕事に行ってください!」って声を荒げてしまい、30年前の二人がこういう日々を過ごしていたことが再現されたかのようだった。

 で、物心ついた頃からなぜかタコが嫌いで、一度も食べたことのなかった主人公は気がつくのだ。
 タコが嫌いだったのではなく、タコが好きだったから興味持って「生きて丸ごとのタコって?」と毎日毎日執拗に繰り返したので、「じゃあ、お前に本当の丸ごとのタコをお見せしましょう」とタコを買いにいった母親がそのまま失踪してしまったので、タコはそれ以降、忌まわしい存在になってしまったのだが、それは「それだけタコが大好きだったし、それ以上に母親のことが大好きだった」ってことで、「嫌いになったっていうのは、それだけ好きだったからだ」っていうシーンは本当に泣けた。

 そうなんですよね。ほんと、愛と憎しみは紙一重というか背中合わせで、ドラマで言うなら「なんじゃこりゃ!」って悪口書き連ねてるのって、そういうことで、本当の嫌いっていうか、最もそのコンテンツを軽んじているのって「観てない」というか無関心ってことだと思う。

 僕キセの8話の脚本が素晴らしいと思うのは、「一度は子供を捨てた母親」である家政婦の山田さんが「一度は逃げたが、家政婦として戻ってきた」っていう経緯を涙ながらに語るが、主人公は発達障害気味なので、「あ、そうだったんですか」ってそっけなかったんだけど(でも、自分の部屋では涙ぐんでいたのだが)、その後になって「タコが嫌いだったのは、それだけお母さんのことが好きだったから」って、理屈で証明したところです。

 そんで、フツーだったら、そこで「お母さん!」ってガシっと抱き合うシーンなのに「山田さんから生まれてよかったです」って、呼び方が「お母さん」でも「山田さん」でもどっちでもいいじゃないですか、だってあなたのこと大好きなのは同じなんですから。

 って文章で書くのすごく難しいんだけど、とにかく「7話すげー」と思っていたら「8話もっとすげー」って、素直に感動していたのですが・・・・いきなりプールで泳ぐ高橋一生という「は????」なシーンが投入されて、「だ、だから、超痩せてるんだから安易に脱がすな」と思っていたら、ゆるゆるとクロールで泳ぎだし、「わ、脇毛が・・・・」

 今まで散々、「腕毛が・・・」とか、体格が中学生なのに部分的にオスなのでギョっとさせられていたのですが、なにこの、いきなりなんの脈絡なく出てきたプールで泳ぐのって・・・いや、最近、中の人(?)は「プールで延々と泳ぐのが好き」とか言っていて「おめー、前まで登山だとかスケボーだとか言っていたのに、なぜ急に水泳?」って思っていたら「僕キセの役としてプールで泳ぐ高橋一生」っていうのが投下されて、「そういうことだったの???」

 ほんと、よくわからねー役者である。

 しかし、ほんとにこの「僕キセ」は、「見る人に解釈を委ねる」演技が得意な高橋一生を使って「見る人に解釈を委ねる」物語を作っているので、すごく楽しいんだけど、だから何度も書いているが、あらすじだけ追うと大した話じゃないんだよね。
 まあ、今回は「11年も失踪していた母親が、家政婦として戻ってきて、主人公が15歳の時から20年経った今でも家政婦として主人公と暮らしている」って、けっこう凄い話だったわけですが、それをミニマル小説みたいにミニマルにまとめたなあ、と。

 残り2話みたいで、次回は恋愛話になるようだが、最終回はどうなるのか、お手並み拝見である。


11月25日(日)

 昨日は「平成元禄落語心中」の感想文書こうと思っていたのに、また40年以上前の思い出に浸ってしまった(笑)
 ああいう古い記憶って、たまに虫干ししないと、どんどん改変されちゃうからね。ってすでにもう相当改変されてるんだろうけど。
 小学校低学年の頃を思い出すと、いっぱいあった空き地の存在が懐かしい。
 空き地も多かったけど、昨日書いた広い丘も数年後には宅地になってしまったし、男子がよくザリガニとっていた沼地もいつのまにか宅地になっていて「あんな湿地に?」って思ったっけ。
 その湿地帯の奥は雑木林があったのだが、あの雑木林はグーグルマップで確認するとまだ一部だけ残っているようだ。

●舞台「豊饒の海」紀伊国屋サザンシアター

 東出昌大主演で三島由紀夫の「豊饒の海」を舞台化するということを知って「え?東出くんって舞台の主演とか出来るの?」って思ったのだが、映画「寝てもさめても」を見て「やっぱ東出くん面白いな、じゃあ、舞台でも見てみよう」と速効でチケット買ったのである。
 そういや、映画の「ビブリア書店の事件手帖」も「昭和パートの東出昌大と夏帆」目当てで観に行ってしまったのだ。だってその組み合わせって私が熱狂した「散歩する侵略者」のスピンオフ「予兆」だから。

 というわけで、「あれ?わたし、もしかして、かなりの東出昌大ファン?」って思うのだが、なにせメーターが高橋一生で振り切ってしまっているので、高速道路を120キロで走っていても、自分ではそんなにスピード出してる自覚が無いみたいな?

 あと、この舞台に興味持ったのは、宮沢氷魚と上杉柊平が名を連ねていることで、その二人も身長185センチ級のモデル体型なので「高身長集めて何する気なんだろう?」と思ったのである。

 さて、私は「豊饒の海」の四部作って、たぶん最初の「春の雪」しか読んでないはず。
 「仮面の告白」「禁色」「金閣寺」「美徳のよろめき」「永すぎた春」「美しい星」「音楽」など、主要作品は一通り読んでいたのだが、「豊饒の海」の四部作は「遺作」だったので、「大事にとっておこう」と思っていたら、大事にしすぎて30年経過。

 この間、久々に夏目漱石を読んでみて「なんか感想書きづらいな」って思ったけど、三島由紀夫も今読んでみるとどうなんだろう?
 高校生の時の私は、三島作品のその完璧なところと耽美なところに心酔していたんだけど。
 脳内ではビスコンディ監督作品と三島文学が同じところに収まっている。

 というわけで、「たぶん、東出くん演じる華族の青年が、捻れた恋心抱いていた令嬢が宮様と婚約することになって、すったもんだして悲恋展開になって死んじゃって、転生していく話」程度の前知識で観に行ったので、ほぼ予習ゼロ状態でした。

 そしてこの舞台はイギリス人の演出だったんだけど、開演前の舞台セットというか「舞台の3分の2くらい板張りがあるだけ」ってセットで、「なにこの能舞台みたいなの?」って思っていたら、黒子というか、黒シャツに黒パンツのカッコいい人たち(主要人物では無い出演者)が次々と簡易な小道具みたいなセットを運び込んできて場面転換するという、「和室は、ちゃぶ台置けば居間に、布団敷けば寝室になる」的な日本文化をよーくわかっている西洋人による、とても緻密な演出だった。

 なにが緻密って、その黒子たちの動きがとにかく美しいというか、全部ダンスみたいに振り付けされていて、圧巻だったのは、東出くんと、相手のご令嬢のラブシーンが、役者を人形扱いして、黒子たちが操作したところ。
 東出くん持ち上げるの大変だったと思うけど、文楽人形演出は本当に美しかった。

 後ろの方の席だったので、表情の細かいところはわからなかったけど、生で見る東出くんは、とにかくデカいので舞台映えして、「立ってるだけで美しい」ことに関しては圧巻だった。
 ただ、歩いているだけで、もうパリコレですよ、パリコレ。
 だから、映画「予兆」では、黒沢清監督が、ひたすら廊下をズンズン歩いてくる東出くんを撮影していましたが、私は「わかる。わかるよ、これだけで映画作ってしまうの、超わかる」と思っていましたが、この舞台も「歩けばパリコレ、床に座るとメンズノンノ」な東出くんの身体的な美しさを存分に堪能できました。

 テレビでよく見る俳優さんって、生で見ると「痩せてるなあ」って思うことが多いのですが、東出くんは、この舞台に合わせて体作っていたのかもしれないけど、思っていたよりもガッシリしてて、でも、ギリギリで線が細くて、ほんと絶妙でしたね。

 で、原作小説では、第二部の「憂国青年」と第四部の「悪魔みたいな青年」という東出くんが転生したと思われる青年役をそれぞれ宮沢氷魚と上杉柊平が演じていて「あー、だから、高身長集めたんだ」って納得。
 しかし、東出くんがデカすぎて、宮沢氷魚も上杉柊平もテレビドラマでは「デカすぎ」と思っていたのに、すっかり普通の人くらいに見える(笑)

 それでも宮沢氷魚は、やたらと上半身裸になっていたので体作っていたのか、けっこう見栄えしていたのだが、上杉柊平は悪役的な立ち回りだったせいか、すごい華奢に見えて、なんだかもったいないように思えたが、「そういう役」だったので、あれはあれでちゃんと役を全うしたのだろう。
 ちなみに上杉柊平は私が勝手に「ポスト綾野剛」として目を付けてるだけです(笑)。ブレイク前の綾野剛はよくこういう「暗くて悪い役」やっていたので。

 この舞台の主役は東出くんだったのだが、狂言回しというか、「若くして非業の死を遂げた美しい友人に生涯とらわれてしまう」という役回りの「本多」の役は、20代、40代、老人と三人の役者が演じており、20代を唐十郎の息子って大鶴義丹の異母兄弟っていうか、すげーな大鶴義丹と25歳違いって、親子ほども年が違う兄弟っていろいろお察ししますな大鶴佐助が演じていて、中年期はダンサーの首藤康之、けっこうダンサー的な動きの見せ場もあったんだけど、圧巻は老年期の笈田ヨシだった。

 さっきインタビュー映像見たら、85歳の笈田ヨシは三島とも親交があったようで、「三島先生がなりたくなかった醜い老人をやります」って泣けるな。

 それにしても、こんなに場面転換の多い芝居も初めて見たような気がする。
 脚本家もずいぶん挑戦的な脚本書いたなあ。だって、まるで映画みたいだったもん。
 ああいう時空が交錯する映画何かあったな・・・・ええと、ニコール・キッドマンの・・・「めぐりあう時間たち」だ!
 時代の違う女性3名の物語が交錯する話だった。
 ああいう展開を舞台でやっていたわけです。

 ずいぶん前に観た・・・調べてみたら、2011年に観た「チェーホフ!?」っていう篠井英介主演の舞台のことを思い出した。あの舞台は映画と言うよりも「大人の紙芝居」というのか、舞台という三次元空間をあえて二次元的に見せていたのが印象に残っているが、「豊饒の海」にしても「チェーホフ!?」にしても、芝居というよりも、ひたすら絵を見せていく演劇って私はとても好きだけど、「チェーホフ!?」の時には誘ってくれた友人が「ごめん、外したね」って謝ってきたので「え?」って思ったし、「豊饒の海」は隣に座っていたオバちゃん二人が「わかった?」「よくわからない」って話についてこれてなかった。

 そんで繰り返すが、東出くんの役は「恵まれた華族の青年なんだけど、プライドが高すぎて、好きな女子を素直に好きだと認められないまま、どんどん自分を追い詰めて行って、ついには禁断の恋みたいなことになったら、やっとノリノリになっていく、破滅願望の強い、面倒臭い美青年」なんだが、東出くんの天性のデクノボーぶりと非常にマッチしていたし、演技がどうのこうのという前に動きが完璧に振り付けられていたので、だから「チェーホフ!?」が大人の紙芝居だとしたら、「豊饒の海」はモデル系イケメン揃えた大人の人形劇だったと思う。だから「人間が人形やってる文楽」

 その中で「本多役」の三人は、ちゃんと人間だったっけど、さらに素晴らしかったのがベテラン女優さんたちだ。
 特に中年期以降の本多の友人役である神野三鈴が魅力的で、「上手いなあ」って唸った。
 松坂桃李の舞台観に行った時にも「高橋恵子すげーな」って感心したのだが、ベテラン女優の真の魅力を堪能できるのはテレビや映画よりも舞台なのかもね。
 いや、もちろん、テレビや映画でも堪能できてるんだろうけど、舞台だと顔のシワとかよく見えないから、動きの美しさとセリフ回しだけで、引き込まれる快感があった。「ああ、この女優が動いて喋ってるのをずっと聞いていたい」って思うような。
 落語の名人が演じる女性キャラみたいな・・・っていうと失礼なのかもしれないけど、高橋恵子にしても神野三鈴にしても「舞台の上だけで存在するコケティッシュ」っていうのか、極上のプロの仕事を見せていただいたように思う。

 それにしても、2時間半を超える長い舞台で、しかもあれだけの場面変換があり、役者もスタッフも大変だろうなあ(衣装替えも多かった)。
 「2001年宇宙の旅」を舞台で演じてるような緊張感があった。

 流れを踏まえた上で、もう一度観てみたい舞台だったけど、ほんと映画と違って気軽にリピートできないのが舞台の欠点だよねえ。

11月24日(土)

 「小学校低学年の頃の私は、ちょっと難しい子で、それで母親を苦しめていた」という話を書いたが、全然ダメってわかでもなくて、ちゃんと友達もいたし、概ね順調だったのだが、時々妙にダメだったことがあったんだよね。
 今と違って、習い事で予定が埋まってなくて、放課後はめいめい誘い合って遊んでいたのだが、私はそれが苦手で、ぽつねんと帰宅して、一人で何をしていたんだろう?よく覚えてないけど、母から「遊びに行かないの?」って言われて、しょーがないから近所の友達の家を訪ねると、その子は他の友達のところに遊びに行っていて不在で、とぼとぼ帰ってきて「いなかった」って言うと、母はとても心配そうにしていた。

 その頃、なぜか私は男子と一緒に遊んでいた時期がある。
 なんで、そうなったのかは覚えていないのだが、ずいぶん後になって母から「あんたはなぜか男の子と一緒に野球をやっていた」って言われて「あ、そういえば、そうだった」って思い出した。
 私は知らなかったが、その光景を目撃したご近所さんから「男の子に混じって野球してましたよ?」と報告されて、「うちの子、大丈夫なのか?なんか変なのか?でも、それのどこが変なの?」って考えたが、考えてもよくわからなかったので「ま、いいか」で済ませたらしい。

 あと、これは何故かちゃんと覚えているのだが、百目鬼と書いて「どうめき」と読む凄い名字の同級生がいて、確か幼稚園も一緒だったのだが、それほど仲良しでもなかったんだけど、ある時学校で「今日、放課後にあっちの原っぱに行くんだけど一緒に行かない?」って誘われたので、断る理由もなく、一緒に放課後を過ごしたことがある。
 その原っぱは大きな丘みたいな傾斜地で、近所の子供のいい遊び場になっていたから、他の子も来ていたので「なんでドウメキとミヤノが一緒にいるの?」って不思議がられた。
 男子と女子はあまり一緒に遊ばないものだったので。
 もう少し学年が行っていれば、恋愛関係(笑)を疑われただろうけど、何せ、小学校2年くらいの時の話である、出会った同級生男子は「ミヤノはエンガチョだぞ?そんなのと一緒にいると、お前までエンガチョになるぞ?」ってドウメキくんに言ったら、ドウメキくんは「じゃあ、エンガチョ解除ビーム」みたいなのを発動してくれて「これで大丈夫」

 この記憶はほんと謎で、ドウメキくんとは小学校もずっと一緒で、たぶん中学校も一緒だと思うのだが、それ以降のドウメキくんの記憶が全く無いのだ。
 つーか、「あの時、なんで一緒に遊んだんだろう?」って小学校高学年の頃にも不思議だったし、その後も特にドウメキ君と仲良かったということもなかった。

 一つの仮説として、「エンガチョ」って言われたことからも、私はもしかしたら当時のクラスでは「ちょっと不潔な子」としてハブられてて、親からは「イジメはダメだ、そういう子にこそ優しくしなさい」と指導されていたドウメキ君は、幼稚園から一緒だった私に声かけてくれたのかもしれない。

 ドラマだと、そういう幼馴染の男女は・・・・って展開になるけど、私に関していえば、近所に同世代の男子ワラワラ居たけど、全然そういうのなかったな(笑)

11月22日(木)

 今週の「僕らは奇跡でできている」も最高というか「神回」でした。

 「誰でも出来ることは、出来ても凄くないんですか?」とか「あなたの凄いところ100個言えます」などのジワジワ来る名言が生まれたけど、面白かったのは、朝ドラも観てる人が「鈴さん(松坂慶子)のいい所も100個言ってあげようよ」と言いだしたことである。

 火9の「僕キセ」と水10の「けもなれ」が補完関係になっていることは私もそう思っていたけど、ネット記事などでもそういう意見が散見できたが、今週になって朝ドラ「まんぷく」が「過重労働に堪え兼ねた鈴さんが家出」という展開になったので、「けもなれの晶(ガッキー)と、まんぷくの鈴さんは同じじゃね?」と思う人が出てきた。

 そこで前から「ガッキーの所に僕キセの一輝(高橋一生)が行けばいいのに」って言われていたけど、今度は「朝ドラの鈴さんの所に一輝を!」って言っていたら、今朝の朝ドラ「まんぷく」は、なんと要潤が鈴さんに「鈴さんのことずっとモデルにしたかったんですよ」って鈴さんの魅力を歯の浮くようなセリフでベラベラと!

 大爆笑したよ。
 「僕キセ」で高橋一生のライバル役みたいな立ち位置にいる要潤が、時空というか番組枠を超えて、「鈴さんの凄いところを100個言えます」ってやってくれたので。

 こういう「奇跡」は時々起こるけど(去年の「おんな城主直虎」と「カルテット」の高橋一生の役のシンクロとか)、ドラマ好きにはほんと堪らないのであった。
 そして、こういう奇跡をリアルな友人や同僚とはなかなか共有できないのだが、「たまたま観ているドラマが一緒な人たち」がネットで集えるのって、ほんと、いい時代に生まれて良かったと思う。

 「僕キセ」の主人公は、発達障害っぽいんだけど、そう名言しない作りになっているのが好感持てるけど、そもそも「発達障害」って診断も曖昧というか、血液検査みたいに数値が出るものでもないし、血液検査だって、例えば尿酸値が高くても痛風の症状出なければ「病気」とは言えないわけだし。

 完璧な人なんていないんだから、ってゆーか、何を基準に「普通」というのかも曖昧だし、皆んな、何かしら「できること/できないこと」があるんだと思う。
 私は部屋が汚いけど、自分では特に気にしてないからそれでいいけど、妹の場合は家族がいるから、見かねたうちの母が時々片付けに行っているけど、妹は「私は発達障害だからしょーがないの」って開き直ってるけど、「できないこと」と「できないことで支障があること」は別の話なんだと思う。

 そんで「僕キセ」観ていて、ついつい思い出してしまうのは、この主人公は小学校の頃「人と同じにできないことが多い」ということで、学校に行くのが辛くなっていたみたいだが、「あー、私も辛い小学校時代だった」って思い出しちゃって。
 うちの母からもよく「なんで、あんたはフツーにできないの?」って言われたなあ。
 母は「自分はフツー」ということに絶対的な自信を持っている人だったし、フツーに社交的で、家族や友人からは「優しい人」と評価されていたようで、内向的な私のことが全く理解不能だったようだ。

 でも、面白いことに、母は私が幼少期にけっこう難しい子だったことをすっかり忘れているようで、弟のところの娘が「けっこう難しい子」なことを「ちょっとねえ?」って私に言うので、嫌味な言い方をすれば「自分はフツーだと思ってる人って、他人をフツーじゃないと非難したことなんてすぐ忘れてしまうんだな」って感心した。

 私がいくら「それって、私が子供の頃とそっくりじゃ?」って言っても「そおだったっけ?」って言いますから。

 子供の頃の記憶もだいぶ薄くなってきたんだけど、なんとなく「どうすれば大人受けするんだろう?」ってことをよく考えていた自分を思い出す。
 3歳の頃から一緒に育った幼馴染が大人受けのいい「素直ないい子」だったので、その子と比べられてイジけていたんだけど、いったい自分の何がダメなのかさっぱりわからなかった。

 ただ、私の場合は、小学校高学年で急に勉強の成績が良くなり、ってゆーか、それ以前は「勉強の評価」って実に曖昧だったのが、「結果だけで評価」されるようになったら妙にテストの成績が良かったのです。
 そしたら急に「学級委員」とかに持ち上げられてたので、いつのまにか「クラスの中心人物」みたいなことになっていたけど、私としては、「自分は何も変わってないのに、なんで周囲の評価が激変?」って凄く戸惑ったのでよく覚えているのだが、母からすれば、それまで目立たなくて難しい子だった私という存在の評価があそこで書き換わってしまったのでしょうね。一人っ子だったらまた違ったかもしれないけど、弟も妹もいたから、私だけに構っていたわけじゃないし。

 母親が幼い頃の私を理解してくれなかったことを恨んでいるわけでもなく、それでも絶対的な愛情を注いでくれていたことは今になってみるとよくわかるので、だから、こういう「母親が子供のことをちゃんと理解できてなくて苦しむ話」をフィクションでも観ていると、なんかちょっと「ああ、8歳くらいの時の自分、おかーさんを同じように苦しめていたなあ」って思い出して切ないです。

 ただ、うちの母は私の精神構造は全く理解しませんでしたが、外見に関してはベタ誉めしてくれてたんですよ。
 長女だったし、中学生の頃は「いつ生理が来るらしら?」って楽しみにしてくれたし、胸が膨らんできたら「そろそろブラジャーかな?」ってほんと嬉しそうだったし、高校生の思春期マックスだった頃は「ほんと、この年頃の女の子って、ほんと可愛いのよねえ」って言われて、当時は「ウザっ」って思ったけど、「ぽっちゃりしてて本当に可愛い」って本気で言われたことのありがたさは20歳くらいの頃やっとわかった。

 私は、そうやって母親から、「あーら、あんた、なんか可愛くなったわね」って言われて「何が?どこが?マジうざいんですけど?」って思っていたんだけど、大学の同級生の、特に地方出身の女子たちは「親から可愛いって言われたことなんかなかった」と言う子がけっこういたのである。

 そもそも「女子は短大」っていうのが主流の時期で、容姿も性格もいいとされる女性の最高学歴は短大で、そこから一流企業に就職して、一流企業のダンナと結婚して専業主婦になるっていうのが「フツー」とされた時代だったので、「四年生大学に進学した女子」はすでに傷モノ扱いでした。

 特に地方から上京してきた女子たちは「このまま田舎にいても、どうにもならんから」って扱いで東京の大学に進学してきていたので、親からは「器量が悪いから、もう勉強させるしかない」って言われていた子が多かった。

 そういう女子達との酒の席で「私にもし、将来子供ができたら、かわいい、かわいいと言って可愛がる」って愚痴られた時は「あ、すいません、私、親から可愛い可愛いと言われてました」って言えませんでした。
 「わたし、親から一度も可愛いって言われたことないんだよね」って酔っ払って呟く友人の方が私よりもずっとずっと美人で、だから、自分のことを「綺麗ですね」っていう男についついガード甘くなってしまい、後々ストーカー騒動みたいなことになってしまうような事例もあったっけ。

 話は戻るが、母は私の「ちょっとコミュ障気味」なところを全く理解できなかったが、数年前、妹が乳児抱えて育児ノイローゼ気味だった時に「児童館で他のママさんと愚痴大会やるのが息抜き」と言っていて、「あまり深入りというか、ママ友っていうのも作りたくないけど、とにかく喋りたいから、公園で一緒にピクニックくらいだったらオッケー。自宅に来られるのは嫌だし、LINEで拘束されるのも嫌なのでガラケーだからって逃げてる」って世渡り上手な末っ子気質なので、「ママ友未満」でキープしているようだった。

 ある時、その児童館に新顔のママさんがいたので、「良かったら一緒におしゃべりしませんか?」って声かけたのだが、「お気持ちは嬉しいのですが・・・」とやんわりと断られたらしい。
 そのママさんは、そのまま誰とも交流せずに、その児童館に来ていたので「あの人、ヤバいんじゃない?」と心配になって、間を置いて何回か「今度、みんなで公園に行くのですが、よかったら」とか声かけたんだけど、頑なに拒まれたらしい。

 私が「そういう人もいるんじゃない?他人と話すのがストレスになる人。それに、ママ友のトラブルなんかも世間では出回ってるから、あんたみたいに上手く加減できる自信がある人はいいだろうけど、そういうの得意じゃない人は警戒するでしょうよ」って言っても「でも、絶対にストレス溜まってるんだから、喋って発散するのは大事だよ?」って反論された。

 私もお喋り人間だが、ガールズトークは苦手で、そういう流れになると発散できるストレスよりも、受けるストレスの方が大きいから、その孤独なママさんの気持ち、わかるんだけどなあ。(本当にそういう理由で交流を拒んでるのかはわからないけど)

 そういえば、会社でたまに「ドラマの話」を振ってくれた同僚は最近全然ドラマの話してくれなくなった。
 「今は何観てるの?」
 「過保護のカホ子かなあ?」
 「ああ、私も観てる、カホコちゃん可愛いよね?」
 「え?・・・・可愛い?まあ、確かに可愛いけど、あれが、遊川和彦脚本だってことが・・・ベラベラ(略)・・・」

 っていうのがダメだったかね(笑)
 たぶん、「かわいいよね?」って言われたら「うん、かわいいよね」って言うのが正解なのかもしれないですが、私そういうの出来ないので。

 そういや、最後に彼女から「今やってるので一番面白いのは何?」って言われた時に、キリっと「おっさんずラブ」と返事したら、リアクションが全く無かったので、単に彼女が観てないだけかと思っていたけど、そういや、もし全然知らなかったら「えー、それって面白いの?」とか言ってくるはずで、完全スルーされたのは「この人、まじオタクだからヤバい」と判断されたのかもしれないし、その後、ドラマの話は一切してこなくなった。

 ああ、思い出してしまった彼女に「高橋一生が好き」って言ったら、「ああいう美形タイプが好きなんだ」と言われたので、「いや、私は高橋一生を美形だとは全く思ってないのですが?」って言ったら、話はそこで終わってしまった。いや、そこから「なぜ高橋一生は美形ではないのか。そして、私はどういう俳優を美形だと認識しているか」ってテーマで30分くらい演説する気満々だったんですけど(笑)

 そう思い出してみると「いえ、私はそう思ってません」って言う私って怖いのかしら?

 私がガールズトークを破壊しているだけなんだろうけど、でも、私はただ知りたいだけなのである。
 エグザイルがどうしてあんなに人気があるの?とかを(笑)
 でも、私が「ガンちゃんのどこがいいのかわからないんだけど、どうして人気あるの?」って言ってしまうと、「ワシはあいつが嫌いなんだが、好きなやつがいるなら、その理由を挙げてみて、ワシを論破してみやがれ!」っていう感じになってしまうのかね?

 そのあたりは本当によくわからない。

 そういえば、社交的なうちの母は「ご近所さんとの立ち話で平気で1時間」って人で、私が実家にいる時も、回覧板だかなんかの用事で訪ねてきた近隣の奥さんと玄関の外で1時間くらいよく喋っている。
 「僕キセ」で言えば、「楽しいからやってる」ようで、そうやって仕入れたご近所情報を、その後で延々と私や父に説明してくれるのだ。だからお向かいの家が二世帯住宅にしたけど、孫の世話を押し付けられたから祖母が家出してしまったとか、隣の家の次男は結婚して子供が出来たけど、離婚されて孫の顔も見られないとか、私もテレビドラマのあらすじ程度にはご近所の動向を知っているのである。

 ほんと週刊誌の記者みたいな情報収集能力なんだけど、たぶん、うちの母が「楽しんで」そういうご近所さんたちの話を聞くから、みんな、余計なことまで喋っちゃうんでしょうね。
 よくわからないんだけど、20年くらい前にそこに引っ越してきた時、その近隣はご近所同士で挨拶もしない地域だったらしい。
 私の育った千葉のベッドタウンは同じ時期に大量に移住してきたこともあり、同世代の子育て家庭ばかりだったので、ご近所付き合いも深かった。
 しかし、今のご近所さんたちは、そうじゃなかったらしく、母が庭で洗濯を干していると、隣の家の住民も庭に出ていたので「こんにちは」って挨拶すると、最初の頃は目を逸らされたらしい。

 母も最初は戸惑ったようだが、「これはフツーではない。私がフツー」と、隣近所の人と会うと執拗にきちんと挨拶していたら、そのうちにちゃんと挨拶してくれるようになり、立ち話するようになり、そうなると「え?そんなことまで?」っていう家族の個人事情まで聞いてくるようになったのである。

 すごく笑ったのは、隣の家は次男と同居していたが、長男の姿を一度も見たことがなくて、その家の祖父が亡くなった時も長男は現れなかったので、「ご長男さんは、葬儀に来られないんですか?」って話になったらしい。別にうちの母がそれを問い詰めたわけでもなく、何気なく聞いてみただけだったが、隣家の奥さんは「長男はインド旅行中なので連絡が取れなくて」って言ったので、フツーならそれで「あ、察し」ってことなんだろうけど、うちの母は「あー、うちの娘も何年か前、インドに何ヶ月も行ってたんです!確かにどこにいるのかわからなくてこっちからは連絡できなかった!たまに電話かかってきましたけど!」

 隣の奥さんは苦笑していたらしい。「こいつには敵わん」と思ったのか、嘘臭いこと言ったのに、マジ受けされてホっとしたのかはわからない。


11月19日(月)

 一週間空いてしまった。
 あたし、何してたんだっけ?

 「けもなれ」で吉村界人がけっこうウザく活躍していて、「狂ったお茶会」みたいになった懇親会が楽しすぎて何度もリピートしていたり・・・
 あ、そうそう、月曜日はNHKの「プロフェッショナル」が坂元裕二で、私が観た「またここか」という舞台の脚本執筆過程が密着されていたのだが、途中まで「え?全然プロット違うじゃん」で、「最初の構想と出来上がりはあんなに違うんだ」って凄く驚いたんだけど、あの舞台観てない人(小さい劇場で10日間くらいしか上演してないから、観客は述べ数千人しかいない)には、わからなかったと思うし、「兄と弟の話を書きたかっただけ」ってまとめられていたので「え?そんな話じゃなかったぞ?」ってさらに驚いたけど、まあ、よく考えてみれば、確かに兄と弟の話だったけど、「自分がいいお兄ちゃんじゃなかったから」っていう動機で、あんだけエグい話によく出来るよなあ・・・

 北川悦吏子の「半分、青い。」でも思ったけど、ああいうタイプの脚本家って、無意識的にというか「作ったキャラがそうしたから」って感じで、自分では決して真面目に発表することのない「魂の叫び」というのか、なんか「魂の叫び」って言ってしまうと恥ずかしいが、ええと、何て表現すればいいのかわからないけど・・・・だから、それが文字で表現できるのなら、私も作家目指してました(笑)

●「僕らは奇跡でできている」

 先週はこれを激しくリピートしていたなあ。
 このドラマは最初は「発達障害モノなの?」って思ったのだが、高橋一生演じる主人公が「発達障害だけど、いい人」じゃなくて、「お前、いい性格してんな?」になってきたので俄然面白くなってきた。

 観る人によって解釈が異なるように作ってる話だと思うけど、普通、こういう話だと、主人公が1話ごとに周囲の誰かを陥落していくんだろうけど、「グッド・ドクター」がそういう作りで「わー、今回はこの人がデレた!」って主人公が難敵を次々と攻略するのを楽しむのが定番だが、このドラマは中盤になっても誰も攻略してなくて、でも、ジワジワと「あれ?」って感じで主人公のペースに巻き込んでいくことを「自分が楽しいと思ってると、心の中の光が広がっていく。その光が大きくなると、そこに他の人が入ってくる」って表現するのが素敵すぎて、そのジワジワ感に泣けてきたので、久々にテレビ局に感想メール送りましたわよ。

 高橋一生と要潤の絡みも素晴らしい。
 要潤は今の朝ドラでは「浮世離れした人」を演じているけど、こっちでは「浮世離れした高橋一生の受け」としてガッツリ機能しているので、要潤の正しい使い方が広がった今クールだと思う。
 高橋一生の役は、要潤の役の行動パターンをすっかり把握して「それが楽しいから」って要潤を操作するんだけど、それは決して要潤に対してマウントとろうとしてるわけではなく、「同じ生き物」として尊重しているんだよね。そして「ここから先は踏み込むな」って線引きにはきちんと従う。

 そっか、要潤に対しては、あっちからマウント取りに来たからプロレスごっこしてみただけで、榮倉奈々の方はメスだから「謎です」って本能的に気になってしまうのかね?
 だから、最初の方から言ってるけど、このドラマが面白いのは、フツーだったら榮倉奈々の役がだんだん高橋一生の役に惹かれていくっていう話にするんだろうけど、表面的というか行動的には、どう考えたってガッツリ口説いてる絵なのに、全然そうなってないところが面白い。

 先週だって「リスが橋を渡った!」って感動のシーンなのに、高橋一生は榮倉奈々の腕掴んで喜んでるだけで「女子か????」ってイセクラさんたち総ツッコミ状態でした。
 我らが教祖、高橋一生が女子と腕組んでピョンピョンしているのに、全く萌えない・・・・いや、ある意味萌えるけど、「どこにも推しCPがいない」という大変珍しいドラマです。

●「昭和元禄落語心中」NHK 金曜10時

 金曜日は「大恋愛」も話題だし、先週は小池徹平で阿鼻叫喚でしたが、SNSで「小池徹平はリバースで戸田恵梨香と付き合っていたのに!」ってコメント読んで「ああああ、そうだった!!!」って思い出しました。「リバース」の小池徹平見て「20歳の役やっても何の違和感もないなあ、可愛いなあ」って感心していたんだけど、まさかその1年半後にこんなサイコパス役で同じ時間帯のドラマに出てくるとは・・・しかも、結婚報道あった直後じゃん?

 火事とケンカとサイコパス役は江戸の華なわけで、それを「ムロツヨシが月9みたいな話で主演?」っていうコロンブスの卵的なドラマに「はーい、みなさん、こういう小池徹平観てみたかったでしょ?」的に投入されて「え?ああ・・・はい・・・ありがとう、ございま・・・・す?」みたいな感じになってるのですが、私は金曜日のリアルタイムは「昭和元禄落語心中」を見ているのです。

 山崎育三郎目当てで(笑)

 岡田将生は好きでも嫌いでもないというか、今までちゃんと見たことがなかった。
 だから、このドラマでも初回は「老けメイクしたオカダマ」がよくわからなくて、与太郎役の竜星涼の出来のほうが良かったと思った。

 でも、先週でやっとオカダマ演じる八雲師匠の青春時代というか、「謎の心中事件」の真相が明らかになったので、もう一度初回を見てみたら、「うわー、なんじゃこの伏線バリバリは?」って、原作漫画やアニメをみていた人にも違和感ありまくりだったらしい初回だったけど、私は漫画もアニメも見ていないので、このドラマを「漫画を最初から読み返すように」観てみたら、「これは何度も読み返すわ」と確信した。

 原作の漫画をネットで試し読みしてみたけど、漫画のほうが雰囲気軽かったけど、ドラマがほぼ原作に忠実なのもわかった。
 そんで、ドラマで初見だったので初回は「オカダマが老けメイクで嫌味なジジイ」って思っていたんだけど、オカダマの役が子供時代に弟子入りして、助六と兄弟のように育ち、って過程見てたら、「ああ、このドラマ化はオカダマじゃないとできなかった」ってよーくわかったし、初回のオカダマの「八雲師匠」って杖ついて歩いていたからもっとジジイなのかと思っていたのだが、子供時代に足に怪我をしたのがわかったし、初回の時にはまだ50代の今の私と同じ年頃だったんですね。

 与太郎に対して、すごくわかりにくい愛情を注いで、そして初回の最後には、とてもわかりにくく「落語界の未来はお前が背負え。そして、絶対に私を捨てるな(先に死ぬな)」って親に捨てられ、親友には裏切られ・・・・裏切られても求めたら先に死なれ、師匠にも先立たれて「もう捨てられたくないから、もう人を愛さない」と他人を拒絶していた八雲のところにかつての親友と似た「愛情表現は常にシッポ万ぶり」な与太郎を試して、試して、試して、それでも食らいついてくる与太郎に全てを託す・・・・って、いい話だなあ。

 映画「億男」は芝浜の話で、そこに「死神」がトッピングされてましたが、「昭和元禄落語心中」は芝浜に死神に品川心中に野ざらしと、いろいろな落語が伏線として彩られているので「主人公二人が落語をやってて、ほぼBL」というのは同じなんだけど、「昭和元禄落語心中」の方がより複雑で奥行きが深いので、ズッパまってます。
 あと、「昭和元禄落語心中」は原作がそうなのかもしれないけど、オカダマを風呂に入れすぎだ(笑)
 しかも、毎回、山崎育三郎と一緒に入浴タイムなので、心の中で「きゃーきゃーきゃー」って叫んでます。

 そういや、NHKは朝ドラでも「由美かおるか?」ってくらい、ハセヒロを風呂に入れているので、なんか風呂ノルマみたいなのがあるんですかね?
 ハセヒロ・ファンは「由美かおるの重要性が今になってやっと理解できた」って謎の納得感に苛まれてますが(笑)


11月11日(日)

 いろいろ書きたいことあるのだが、またプチ鬱期に突入しているので、この土日もほぼゴロゴロしていた。

 でも土曜日はニコタマのシネコンの割引デーだったので頑張ってまた「億男」観に行った。4回目(笑)
 「やっぱ、この映画、万人受しないよなあ」って思った。
 しかし、一つ発見があった。
 主人公は学生時代に落語研究会に所属していて、御茶ノ水にある実在の居酒屋(私も多分何回か行ったことがある)で新歓コンパしているシーンと、落語会で実際に落語を演じているシーンがあるのだが、その落語研究会のメンバーに尾上寛之と大窪人衛がいるのは初回で気がついてて「出番ちょっとなのに妙に豪華だな」と思っていた。

 尾上寛之は少し前まで夕方再放送していた朝ドラ「カーネーション」で戦争帰りで抑鬱状態になる幼馴染役をやっていたので朝ドラクラスタ的には「勘助」なのだが、「ひよっこ」では陽気な村の兄ちゃん役をやっていたんだけど、なんと言っても今年は「アンナチュラル」でシリアルキラー役を演じて「勘助が24人も殺したの?」と話題になっていた。
 しかも、「アンナチュラル」の直後に始まった「シグナル」でも連続殺人犯役で「勘助ったら、今年だけで30人以上殺してる?」と一部では話題になっていた。
 さらに、その後の「モンテ・クリスト伯」では人を殺すつもりで乗り込んで言ったので「また勘助が殺人?いったい、今年はどうしちゃったの?」と驚いていたら、逆に毒殺されてしまったので、もう何がなんだかわからない(笑)

 ちなみに尾上寛之は、今の大河ドラマでは大隈重信です。
 「西郷どん」も凄いよね。尾上寛之が大隈重信で、ハマケンが伊藤博文で、方言指導の迫田孝也が江藤新平、山県有朋が村上新悟、井上馨が忍成修吾で、トドメが渋川清彦の板垣退助!
 「なにこの渋いキャスティング」って大爆笑ですよ。
 私はそれなりにオタクだから、このメンツが並んでると「違う意味で豪華www」って思いますが、脇役チェックなんてしない人にはモブが並んでるようにしか思えないのでは?会社で同僚に聞いてみたら、やっぱりハマケン以外は認識できてなかった。「勘助までいたwww」って説明したらやっとわかってくれたし、「渋川清彦ってゲスい役ばっかやってるのに、あそこで澄ました顔して座ってるだけで笑えるwww」って言ったら、さっそくググってくれて「あ、この間観たドラマではゲスい新聞記者役だった。あの人かあ」って言ってた。

 大窪人衛も「西郷どん」に出てたよね。この人の場合、声ですぐわかるんだけど、朝どら「まんぷく」にもちょっとだけ出ていた。萬平さんが腹痛起こした時に呼ばれた村の青年役で。
 劇団イキウメの役者さんなんだけど、「散歩する侵略者」では映画版では高杉真宙くんがやっていた役を演じていて注目を浴びたようで、この先もっとテレビドラマにも出てくるのでしょうか?

 で、話長くなってるけど、「億男」の落語研究会のシーンで、もう一人「お?」っていうのが出ているのを4回目で発見した。
 水曜日放送の「獣になれない私たち」で田中圭の父母の出会いから結婚までが、けっこうしっかりと描かれていたんだけど、その若かりし頃の田中圭の父親を演じていたのが前原滉。どっかで観たことあったなあ、と思ったら「おんな城主直虎」にも出てた。
 そんで「まんぷく」にも、ちょうど塩作りで集められた14人の中の一人として出てるんですよね。
 前原滉、25歳、キャリアはまだ短いけど、大河ドラマと朝ドラに「役名のある役」で出ているだけでも凄いけど、「獣になれない私たち」のあの役でさらにばっちり覚えました。って思っていたら、だからなんと、「億男」の落語研究会のメンバーとして出ていたんですよ。

 そして、この前原滉の何が凄いって、事務所がトライストーンwwwwwww
 小栗旬、綾野剛、坂口健太郎所属事務所として有名ですが(調べてみたら間宮翔太郎もここだった)、最近、小栗旬の舎弟的存在だった田中圭まで「主演級」にブレイクしてるけど、イケメンじゃないのもちゃんと育ててるんですね。

 あともう一人「どっかで観たことのある子が・・・」と思って調べたら、藤原季節だった。
 「カルテット」でMummy-Dの部下役だった子。オフィス作の吉村界人くんと同期?

 他にもこんな人たちが出ていたようです。

先日公開となった『億男』にちらっと出演しています!落語研究会のメンバーとして佐藤健さんと高橋一生さんの落語を現場で見ることが出来ました!

落研メンバーには尾上寛之さん、ビジランテの大津尋葵、あゝ荒野の前原滉、イキウメの大窪人衛、トゥーヤングの船崎良など俺得メンバーがいます。是非!

— 藤原季節 Kisetsu Fujiwara (@kisetsufujiwara) 2018年10月23日


 映画では、尾上寛之はけっこうセリフあったけど、他の人たちはほんの一瞬だったので、でも、これだけのメンバーを集めたってことは、撮影したシーンはけっこう多かったのかもしれない。

 そういえば、金曜日の「大恋愛」では、主役の二人が何度か訪れていた居酒屋の店長と店員がいきなり大浮上してきて、メインの話そっちのけで、「え?え?え?」って食いついてしまった(笑)
 この店長と店員のやりとりは、ムロが勝手にアテレコして戸田恵梨香の笑いとっていたのですが、その設定が「店長と店員がデキてて、店員が妊娠したかも」っていうベタなやつだったんですが、そしたら今回、店長が店員に「もしかして妊娠してる?」って問いただすシーンがあって「なにこの展開?」って思っていたら、主人公二人が再会するという大事なシーンで、あの店員が赤ん坊背負って接客してる(爆笑)

 「なにこれ、凄い」と思っていたら、二人の結婚式にあの店長と店員が呼ばれてる!!!!
 ちなみに、店員を妊娠させたのは店長じゃなかったみたいですが、それまでモブ扱いだった店長と店員の大抜擢に感動したのですが、店長役の人って「劇団 ヨーロッパ企画」の永野宗典だそうです。
 「ヨーロッパ企画」っていうのも、よく目にする劇団名だなあ。

 高橋一生がブレイクしてから、「ネクストブレイク予想」を積極的にやっているのですが、「次は田中圭かなあ」って言っていたらその通りになり「じゃあ、そろそろ中村倫也?」って言っていたら、それもその通りになったので、「言うのはタダ」を胸にってゆーか、偉大な預言者は外れてる予言も大量にばらまいているらしいので、あやかりたいものですが、俳優に関して言うなら田中圭は前からけっこう知名度高かったけど、中村倫也がカメレオン系だった故に知名度低すぎただけですよね。

 かくいう私も、マニアの間では前から評価高かった中村倫也が全然同定できなくて戸惑っていたんですが、今年になってから「やっと顔覚えた」って思ったら・・・てゆーか、朝ドラに出ることわかっていたので予習していただけです。

 だから、私が「お?次はこの子か?」って思った時点で、もう十分露出しているし、すでに人気作品にキャスティグされてたりしますからね。だから、野球選手のブレイクとはちょっと違うんだよなあ、って野球選手はドラフトにかかった時点ですでにブレイクしてるからな(笑)

 ただ、「いい線」まで行っていても、なかなか弾けない人もけっこう多い。
 「大恋愛」で松岡昌宏の新たな見合い相手として登場した桜井ユキも、そういう感じだ。
 会社の同僚に「あの女優さん知ってる?」ってリサーチしたら「なんか、どっかで観たことある感じだけど?」って言われたが、世間一般的にはそんな感じなんだろう。
 私の中では、「ここ1年の公開作で、高橋一生とベッドシーンの次は、松坂桃李とベッドシーンで、その次はディーン・フジオカとラブシーンは無かったけど、デキてます設定で絡んでいた」ってことで「前世でどんな徳を積めば」な女優さんなんだけど、「大恋愛」では松岡昌宏とのキスシーンがあったので、「ユキちゃん、とうとうジャニーズ攻略した!」って一人で興奮していたんだが、あれだけの出演なのかなあ?

 高橋一生ファンのサガとして、「お手つきまで応援する」ってことで、「お手つき」には斎藤工とか佐藤健も含まれているのですが(笑)、だから桜井ユキちゃんには、連ドラでもっと大きい役ゲットしてほしいな、と思ってるわけです。けっこう、あちこち出てるんだけどね。
 事務所はユニマテなんで、これって朝ドラ主演の安藤サクラ所属事務所!
 同じく朝ドラで目立った役やってる岸井ゆきのも所属してるし「王道美人じゃない女優さんが多く所属してる」ってイメージです。門脇麦ちゃんとか。満島ひかりも今はフリーになったけど、ここ所属でした。
 あと、ここは東出くんや井之脇海くんもいるんですね。あと岡山天音も。

 あちこちゲストで出ているといえば、私が応援している吉村界人も「けもなれ」でけっこう登場シーンが多かったので「来年あたり来るな」って期待しているし、ドラマでのゲスト出演が印象に残ったのでついつい出演舞台まで観に行ってしまった岡部たかしも順調にあちこち出まくってて、大河ドラマにまで出ていたけど、他にも今年になって「またお前か」って俳優さんがいました。

 ウィキペディアによると、彼の今年の出演ドラマはこんな感じ。
 「コンフィデンスマンJP」「世にも奇妙な物語」「正義のセ」「絶対零度」「満願」「ヒモメン」「グッド・ドクター」「獣になれない私たち」

 NHKの「満願」で西島秀俊に殺される役やっていたので初めて「この人、最近すっごいよく見るけど誰?」って調べたら「大人計画」の近藤公園だった。
 そしたら「ヒモメン」にも「グッド・ドクター」にも出てきて「ほんとうに凄い勢いで出てるな」って思っていたら、「獣になれない私たち」では、けっこう重要なレギュラー役で、会社の同僚も「あの人が会社辞めちゃうと大変じゃん」って言ったので「ああ、近藤公園」って言ったら「コーエン?」って戸惑っていた。

 よし、「けもなれ」を見ている「脇役の顔なんてそう簡単には覚えない」ような人までその存在に注目し始めたよ、来るよ、来るよ、来年は大河ドラマ「いだてん」に出演するんだよ。

 オタクな話が興に乗ってきたので(でも、私のドラマオタク度は、野球オタク度と同じ程度。中の上くらい。もしくは上の下?まあ、だいたい私の人生はどこに行っても偏差値60くらいらしい)、もう一人、最近やっと顔覚えたのが高橋洋である。
 近藤公園が大人計画なら、高橋洋は10年前まで蜷川舞台の俳優さんだったらしい。

 高橋洋はルックスにあまり特徴が無いので、あちこち出ていても、あまり「あ、またこの人だ」って意識なかったんだが、最近やっと顔覚えてきた。「僕らは奇跡でできている」でも西畑くんの父親役のコンニャク屋さんでした。そして、最近観た映画の「ビブリア古書店の事件手帖」でも、東出くんに間男されちゃう中華料理屋の店主役で出ていて、「あ、高橋洋だ!」って気がついたけど、出番少なかったけど印象的な役でした。

 この人も機関銃のように医療ドラマや警察ドラマに1話ゲスト出演しているんだけど、やはり来年の「いだてん」に出演が決まっているので、もう少し顔が売れれば、もっと主要な役が付くと思うんだけどなあ。「ブラックペアン」ではけっこういい役だったけど。(私はあんま見てないけど)

 そんで、僕キセで高橋一生と高橋洋がけっこうじっくり絡んでいたのでマニアとしては超嬉しかったんですよ。

 それでふと思ったのだが、野球ファンの遊びとして「なんかの設定でオーダー組む」っていうのがあって、私が好きだったのは「誠って名前でオーダー組む」っていうので、島田誠、小坂誠、今岡誠、金子誠などで1チーム作るのです。

 高橋一生と高橋洋が並ぶとあんなに嬉しかったので、いっそ高橋だけでドラマ作ってみたら?
 高橋英樹、高橋恵子、高橋克典、高橋克実、高橋昌也、俳優じゃないけど高橋優。あと、高橋ひとみ・・・あ!高橋メアリージュンもいる!若手の高橋ひかりもいるし、高橋だけでけっこうやれますね。  
11月9日(金)

 なんか「小さな願い」が叶ったようだ。

 何度も書いているけど、ツイッターは閲覧目的でアカウント持ってるだけで、他にも「写真あげて絵日記代わり」っていう目的もあって、だからあまり呟いてないんだけど、たまにドラマのハッシュタグで呟いているのは「視聴率が低くてもネットでは盛り上がってます」っていう動きに加担したいからである。

 去年の大河ドラマ「おんな城主直虎」が視聴率的にはイマイチだったのだが、ツイッターでは大変盛り上がっていたので、そこにガシガシ乗っかったのである。その前の「真田丸」もそんな感じだったけど。
 推しが出ている映画観に行くのも応援している気持ちは同じだが、映画に「課金よ、課金なのよ」っていうのは、それなりに金も時間もかかるし、「ああ、興行収入10億円いってほしかった」と思っても、そこで私が10回観ようが、100回観ようが「焼け石に水」・・・?・・・じゃないな、大河の一滴???でもなくて、ハチドリ運動って大事なのかもしれないけど、一滴って、ほんと一滴なんだなって思うわけですよ。

 選挙の時でも同じなんだけど、東京だと何万票単位で動くので「私が投票しても、しなくても結果は同じ」って気持ちになってしまう。

 でも、ツイッターがちょっと違うのは、一人で何票も入れられるところで、あれは時差の関係だろうけど、日本で瞬間的に盛り上がるとトレンドワードの世界ランクのトップとれるところで、しかも無料だし、だったら、感想が一言で済むとことを三つも五つも書いてしまいますわよね。

 あと、ツイッターは解析機能があるので、ツイッター界での人気ドラマだと閲覧数が1,000以上になるけど、そうじゃないと100くらいだったりするので、そういう温度差がはっきりわかるのも興味深い。

 それで、私もけっこうやるんだけど、自分でつぶやくよりも、流れの中で「それな」って思うのをリツイートするほうが手っ取り早いし、そういう人は多いらしく、私が呟いたのを「いいね」して流用してくれる人もけっこういるし、「まとめスレ」っていうの?together?そういうのに拾われると、さらに閲覧数増えるので「へー」って思っていた。

 そういうことをここ2、3年やっていて、ネットニュースでは「SNSで大反響」なんていう記事があると、私も観たツイートが取り上げられていたので、「そっか、これは新橋のサラリーマンみたいなもので、いつか自分も新橋駅前でコメント求められるのかもしれないなあ」と思っていた。

 30年くらい前に、仕事帰りに六本木を歩いていたら(職場が六本木だった)マイク持った取材スタッフにつかまり「え?何?」って思っていたら、「アン・ルイスさんについてどう思いますか?」みたいなこと聞かれて、カメラは無くてマイクだけだったので、なんかのラジオの収録だった思うんだけど、私が「え?アン・ルイス?いや、あまり興味なくて」と正直に言ったら、すごくがっかりした顔されて、「あ、すいません」と思ってなんかすごいテキトーに「同じ女性として、すごく輝いてる憧れの存在です」みたいな、すっげーどうでもいいこと言ってしまったよ。

 その直後に「あ・・・」って思い出したんだけど、私は「六本木心中」の頃のアン・ルイスには全く興味がなかったけど、子供の頃、なんかのテレビで「アイドル歌手目指してるアン・ルイス」のアメリカ人父を取材した番組観てたんだよね。
 その記憶があったので、80年代にブイブイ言わせていたアン・ルイスの活躍に「あのアメリカ人のパパ喜んでるんだろうな」って思っていたので、そういう話すればよかったんだけど、いきなりマイク向けられてもそんな「いい話」思い出さないよ。

 あ、また話逸れたね。
 火曜日の「僕らは奇跡でできている」がエンジンかかってきて「これは面白い!」とホクホクしていたら、「僕キセ」と偶然にも補完関係になっている(と、私が思っている)水曜日の「けもなれ」も面白くなってきたのだが、展開がキツすぎて「ごふっ」となったので呟いたことが、ネットニュースの「視聴者も阿鼻叫喚」みたいなのに拾われていた。

 そんなわけで「お、やったじゃん」って小さい満足感に浸っているのでありましたとさ。


11月7日(水)

 イベント仕事でやらかした。

 正確に言うと、やらかしたのは私ではなく、私の下についたバイトさんである。

 しかし、私にも反省点はあった。
 私がレストランの配膳係りのチーフだったとする。
 シェフの指示で、「この料理は、あと1分待ってから出してくれ」と言われていたので、配膳バイトにも「1分後に出して」と指示したのだが、人の話を全然聞いてない天然バイトさんが私が目を離した隙にテーブルに出してしまったのである。
 びっくりした私は、思わずそのバイトに「え?ちょっと、1分後って言ったじゃない!」って言ってしまったのだ。言った後に「しまった!」って思った。客の前でそんなこと言ってはいけなかった。知らん顔して、お客様には「この料理は1分お待ちいただけるとより美味しくなります」とかなんとか言えばよかったのだ。

 で、やっぱり、後でお客様から「配膳に不手際があった」と言われてしまった。
 あー、私があのバイトをその場で叱責しなければ、何事もなかったのに・・・

 普段だったら、私もその程度のことでは動揺しなかったんだけど、なにせ前回、バイトさんのチョンボで大事になっていたのと同じ現場だったので、ものすごーく慎重になってたし、バイトさんにもすごーく細かく指示を出していたのに、あっさり突破されたので、思わずその場で「え?なんで?」ってなっちゃったのである。

 もちろん、自分のせいだと思っているわけではないけど、「冷静に対応してればクレームにはならなかったかもしれない」と反省はしたので、責任者にはそう説明したら「いや、あのバイトがダメでしょう」ってことで、そりゃそうなんだけど、昨今の人手不足ゆえに、どうしても熟練度の低い・・・・というか、その日限りの日雇いバイトを使うしかないので「バイトがダメ」って言っててもしょうがないので、バイトがミスらないような運用とか、ミスっても何事もなかったかのようにフォローする手法の方が大事だと思って「私の反省点」として述べたのだが、そしたら同じポジションをやった同僚たちからは「いや、もう、そういうバイトがやらかしたことまでこっちの責任ってことになるって、やってらんないじゃん?」みたいな、励ましとも自己防衛ともとれることを言われて、嬉しいやら「いや、改善策提案したつもりなんだけど」やら。

 人を使うのって難しいね。
 でも、今回のケースでも、私が「え?なんで?」って問い詰めたら、意外な理屈が返ってきて「え?そう解釈したの?」ってさらに驚いた。
 高橋一生のドラマ「僕らは奇跡でできている」では、時間を守らない主人公に歯科医師の榮倉奈々ちゃんが「時間を守るのって常識でしょ?」って詰め寄っていたが、期せずして、私がすっかり榮倉奈々ちゃん役でしたわよ。

●「僕らは奇跡でできている」

 だから、このドラマの榮倉奈々の役はほんと難しい役で、「美人で歯科医で向上心も高いのだが、なんか幸せそうじゃない」って役で、自分の興味のあることしかやらない高橋一生に振り回されているのだが、それでも、最初の頃から「これ、高橋一生は榮倉奈々のこと好きじゃん」って思っていたのだが、今週、ちょっと弾けましたね。

 自分の世界に他人を入れてもいいのかなあ、って思い始めたカズキ(高橋一生)は、リスの研究のための設営を手伝ってくれないかと学生に声をかけてみるが「プライベートで学生と行動しちゃダメ」って学校側から却下されてしまい、研究室の同僚たちも手伝ってくれない。

 そこにイライラしている育美先生(榮倉奈々)が現れて、「あ、この人だ」って森に誘うのだが、最初観た時はそこまでの流れがゴツゴツしていたように感じたが、二回目観たら「うわ、完璧じゃん、すごいなこの脚本」って感心した。
 つーか、手練のホストかって感じで、「この間はありがとうございまいした」って自分からお礼に言って、相手が「いえ、こちらのほうが助けていただいて」ってお礼を返したら「じゃあ、今度の日曜日、オレに1日付き合ってよ」「は?」「お礼がしたいんでしょ?だから、お礼に手伝ってよ」(意訳)

 なにこれ(笑)萌える。
 自分が20代とか30代の男子だったら、絶対これやってみたい(笑)

 そんで、まんまと森に誘い込んだら、にわか雨が降ってきて、小屋で雨宿りしたら、手際よく簡易コーヒードリップでコーヒーいれてくれるとか、天然キャラを装おって、相当綿密に落としにかかってるじゃないですか!
 来週は一樹の家に色んな人がやってくるようなので、どうなるのかホント楽しみ。


11月3日(土)

 うわ、また「億男」について熱く語ってしまったが、あれねえ、好事家には本当にハマる映画なんですよ(笑)
 あと、けっこう嬉しいのが主題歌というかエンドロールに流れるVAMPファンの人たちが見にきてくれてること。「映画の内容はちょっと難しかったけど、VAMPの曲でめっちゃ泣けた」とかいうツイートが流れてくると「え?難しい???」ってちょっと思いますけど、「かわええなあ、お前」って頭なでなでしたくなる。
 宣伝行脚でのタケルんとイッセイのイチャイチャぶりに両ファンは激萌えしてましたが、タケルんファンは「イッセイさん絡んでくれてありがとう!」だったし、イッセイ側は「タケルんが絶対的イケメンとして安定感抜群だからうちのイッセイの自由度が上がって最高!」というエール交換がほんと楽しかったので、また是非共演してほしいものである。

 そしてまた書くが、私はとにかく九十九が一男と別れる時に呟く「また夢になるといけねえ」ってセリフが大好きなので、あれこれ深読みしてしまいますが、原作小説では、あのシーンでは「また会おう」って平凡なセリフなんです。
 それを芝浜のオチのセリフにした映画版がやっぱり好きだ。

 フツーに考えると、あの「また夢になるといけねえ」ってセリフは「九十九による芝浜の演目はこれで終わり」ってことなんですよね。
 それでエンディングにVAMPの「話がしたいよ」が流れて、私は正直、VAMPあんまピンと来ないんだけど、でも高校の後輩なんだけど(笑)、この話も何度か書いているが長らく「有名な卒業生は長嶋茂雄です」で自分より上の世代には通用してたんだけど、この間、美容師さんに「うちの高校ってナガシマがOBなんですが」って言ったら「一茂ですか?」って言われたので、ヘコんだぜ。
 そんで、「いや、長嶋茂雄なんですけど、それもう通用しなくなったと思っていたら、藤木直人が出てきて、へー、ありがたいなあって思っていたら、最近になってVAMPが出てきたんですよ」って美容師さんに説明したら「え?それ凄いじゃないですか」って言われたので、向こう10年くらい高校の説明はVAMPさんでやっていきたい。

 で、VAMPファンさんたちは、最後に「話がしたいよ」が流れると、それを「一男目線」だと思うみたいだけど、「でも、曲をよく聞いてみると、これ九十九目線じゃね?」とか考えてくれることが愛おしい。
 解釈は人それぞれでいいじゃないですか。正解なんてどこにもない。

 そして、私はあれから旅に出た九十九が1年後くらいに日本に戻ってきて「自宅マンションも売却しちゃったらか帰るところないんで、しばらく寄せて。って、あれ?家族は?一緒に住んでないの?」って、ボロ・アパートで一男が図書館の仕事に出ている間、ずっと猫(原作小説ではザッカーバーグという名前)と遊んでいて、猫を相手に延々と古典落語を演じていたり、一男の娘に「落語のオジサン」って言われたりしているうちに、「やっぱ、落語家になる」って八雲師匠のところに・・・・

 ええ、金曜10時は「大恋愛」じゃなくて「昭和元禄落語心中」の方を見ているのですが、このタイミングでオカダマが死神やってくれたので、私のローソクの火が消えそうになりました。
 あの役、オカダマのキャパを完全に超えてると思うんだけど、なんだろう、超えてはいるんだけど、全体的な美しさで強引にまとめてる感じがたまらんのである。

 同世代の知性派な佐藤健の計算され尽くされたイケメンぶりと比較すると、岡田将生は素材が抜群にいいだけに、知性じゃなくて本能的にやってるというか、撮影スタッフが「全然わかってないオカダマ」をひたすら自分が目指す映像に落とし込むために利用しているというか、佐藤健だって、相当素材として利用されてるのだと思いますが、佐藤健の凄いところは「撮影班の想像を上回ることをしてやろう」って本人が思ってるかどうかは知りませんが、オカダマはその「考えてなさすぎ」なところが逆に凄いなと。

11月2日(金)

 季節が秋から冬に変わりつつありますが、我が社のメンタルに病を抱えている社員たちが、次々とダウンしていて「わかりやすいなあ」って感心しております。

●教養と「いいまつがい」の狭間で

 最近私もびっくりするくらい短期記憶がヤバくなってますが、会社の人たちもそんな感じなので「前にやってもらったアレってどうなってたっけ?」「え?そんなの頼まれてましたっけ?」・・・・しばらく確認してみて・・・・「あ、なんかやってありました。私、いつやったんだろう?」なんてやりとりは日常茶飯事になりました。

 私もつい先日、上司から「あの預かって貰ってる書類出して」って言われて「そんなの預かってないでーす」って言ったけど、結局、私が持っていた事件をやらかし「あー、10年前だったら絶対にこんなことなかったのになあ」と嘆きましたが、そういう「ありえない自分」を嘆くよりも「すぐ忘れちゃう方がラクなことも多いよ」って前向きに考えていきたいと思います。

 そんな中、「短期記憶を鍛える方法っていうのをテレビかなんかでやっていた」という雑談に移行し、「昨日の食事を思い出してメモする」って私が言ったら、同僚が「一昨日の食事じゃなかったっけ?」と言い出し・・・・・「一昨日食べたもの?」・・・・って二人で遠い目になっていた。

 「これ短期記憶の訓練っていうか、そもそも無理なんじゃ?」と思い始めた頃、同僚が「あ、一昨日は、半生のふりかけでご飯食べたんだ」と思い出したのだが「半生のふりかけって何?」
 どうやら普通のふりかけみたいに完全に乾燥させたものではなく、魚はシャケフレークみたいだし、野菜はタクアンみたいな感じだったらしい。ああ、なんかそれ、確かに美味しそうだ。

 それとは違うかもしれないけど、昔、頂き物で「佃煮みたいな、ふりかけみたいな」っていうのあったよなあ。子供が好きな要素なくて人気なかったけど、大人は「高級品なのよ」って喜んでいたような・・・あれって、あれって、えーと、えーと・・・・

私 「そうだ、きんぺいばい(金瓶梅)だ!」
同僚「きんぺいばい?ああ、なんか、そんな感じのあったねえ?佃煮みたいなやつでしょ?」
私 「・・・あれ?きんぺいばいじゃないな、それなんか違うけど、似てるけど」

 慌てて検索したら「ああああ、そうだ金瓶梅は中国古典の官能小説だったあああああああああ」とわかり、その後どうやったのか忘れましたが「金瓶梅 ふりかけ」だかで検索したら、ちゃんと出てきまいした。

私 「あ、間違ってた、ごめん、きんぺいばいじゃなくて錦松梅だった!」
同僚「そうそう、きんしょうばいだ!」

 それで思い出したが、長い人生の中で、私は過去2回くらい「錦松梅と言おうとして、金瓶梅と言ってしまう」というミスをしているが、その過去2回の時には年長者から「ふ・・・言いたいことはよーくわかったが、金瓶梅ではない。しかし、金瓶梅ってうっかり言ってしまうお主はなかなか面白いぞ」と労われたと思う。

 しかし、私は「金瓶梅」を読んだことないんだけど、なんで知ってるんだろう?教科書に載ってました?
 「水滸伝」も名前しか知らないんだが、ググってみると、水滸伝、金瓶梅、三国志、西遊記が「四大奇書」になっていたので、三国志・西遊記・水滸伝のメジャーぶりを考えると金瓶梅の名前だけ知ってるのも、私の世代以上だとフツーなんだろうか?

●映画「億男」三回目

 昨日の1日が休みだったので、割引デーだったし、また観てきた。
 どんだけハマってるんじゃ、って感じだが、この映画はあまり評判良くないけど、私も最初に観た時は「あれ?宣伝と違うじゃん?」って思ったし、もっとドタバタ・エンターテイメントかと思っていたら「しっとり、じんわり、とにかく尊い。ひたすら尊い」という変な映画でした。

 そんで、最初に観た時には「主人公の年齢設定がはっきりしてない」と思ったんだけど、三回目でやっとわかりました(笑)
 いや、ちゃんと文字で書いてあったんですね、「14年前」に出会ったって。大学1年の春に。
 だから、二人が再会して「10年ぶり?」って会話を交わしていたので、18歳の時に出会って、大学4年の時のモロッコ旅行を最後に会ってなかったってことで、32歳か33歳くらいの設定だった。
 どうでもいいんだけど、再会時の2年前って時系列もあって、そこには「バイカム社8周年パーティー」の飾り付けがあって、九十九がモロッコ旅行から帰って起業したバイカムが8周年になった直後に売却してしまったという設定だった。

 主演の佐藤健の実年齢に寄せて、きっちり設定していたのがよーくわかった。

 あと、三回目で気がついたというか、二回目でもちょっと気がついていたんだけど、この映画は「芝浜」なんだけど、それは九十九が劇中でも何度か演じているので「芝浜」を知ってる人には早々にネタバレする作りになっているが、そこがキモの映画ではないのでそれでいいんだけど(って、そういうサスペンス的なことを期待して観ていた人はどっちらけだったと思うが、この映画のキモは繰り返されるモチーフの波状攻撃をただ楽しむことだったと思うので)、九十九の造形って、一男(佐藤健)が学生時代に披露していた「死神」だったんですね。

 「死神」だと思っていたら「芝浜」だった。っていう作りの映画だったようです。

 それはいいとして(個人の解釈ですし)、私が「へえー」って思ったのは、「芝浜」を知らない人がけっこう多かったことだ。
 そういう私も最後の方まで「これは芝浜じゃん」って思ってなかったので(別の次元に頭がぶっとんでたので)、最後の方で一男が「芝浜なんだろ?」って言ってはじめて「ああ、そっか、芝浜じゃん」って思ったのであるが、あそこで「ああ、そっか」と思えた人と「ん?どういう意味?」ってなった人に、どういう差があったのか私にはわからない。

 ただ、最後に九十九が「また夢になるといけねえ」って呟くシーンで毎回泣いちゃうんんだけど(笑)

 九十九にとって、一男こそが「酒」で、それに気がついた九十九は10年前に一男からあえて離れたんだけど、互いに大事なものを失った時点で再会して、一男の方が「もしかして、妻や娘よりも大事なのは、九十九だったんじゃ?」って気がつきそうになった瞬間に「また夢になるといけねえ」って立ち去るの超エモいんですけど。

 私が高橋一生ファンすぎるのでこんなことになってるだけかもしれませんが、「億男」は半分青い的解釈しても「佐藤健の運命の幼馴染が、秋風羽織先生のような風貌で降臨した」ってことなので、そこに気がつくと「うわああああああ」ってなりますが、「億男」で九十九の部屋に「半分、青い」のモデルになってバルミューダの扇風機がけっこう目立つところに置いてあるので、さらに「うわあああああああ」なんです。

 あと、高橋一生の「吃音演技」が好きすぎる。
 「吃音」で思い出したのは「英国王のスピーチ」で、コリン・ファース演じる英国王は「くっそ、ファッキン!」みたいな罵倒語はスラスら言えるのに、ちゃんと喋ろうとすると吃音になってしまうって設定だったけど、「億男」の九十九も「本当に言いたいこと」を喋ろうとすると吃ってしまう加減が絶妙で、九十九が吃れば吃るだけ私が泣くという・・・

 月9でも吃音設定やってたな、そういえば。
 福山主演で、ヒロインが「喋ると吃音だけど、歌うと女神」って設定で。
 あのトラマは時々観ていたけど、ちょっと吃音が痛々しすぎて、観ていて疲れましたが、「億男」の吃音設定は「英国王のスピーチ」的なノリで心地良かったです。




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