可燃物な日々

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日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました

10月31日(水)

 「僕キセ」ほんとジワジワ面白いなあ。
 自分が高橋一生ファン過ぎるので「これ、他の俳優がやっていたら観ていただろうか?」って考えると、たぶん観てないと思うので、他人に「面白いよね」って話しにくいのだが、コンニャクをあれだけ絶賛しておいて、すき焼きでは当然のように肉から先に食べるとか、コンニャク屋の息子に「先生だったら、コンニャク作りたいと思いますか?」って言われて「いえ、僕なら作りません」って断言したりと「え?フツーそういう反応しないでしょ?」っていうのをボカボカとブッこんでくるけど、だから、けっこうエグい脚本なんだけど、そこは話の核心じゃないし、そもそも核心なんて無い話みたいだし、この「自己啓発っぽい話だけど、安易にそうしない」って作りって、映画「億男」にも似たところがあり、私はどうやらそういうのが好きなようだ。

 さて、またそういうわけで、高橋一生でテンションあがりまくっているのですが、最近の私の朝は「ハセヒロで朝食を」になっている。
 今朝なんて「風呂に入ってるハセヒロ」が投下されて「ほんと、NHKったらハセヒロ信者をどうするつもりなの?」としか言いようがなかった。
 一部では「せっかく安藤サクラが主演なのに福子ちゃんが真ん中にいない」ということが問題視されているが、私はもう最初から「いちめんのハセヒロ いちめんのハセヒロ いちめんのハセヒロ」でお腹いっぱい(まんぷく)になっているので不満は無いというより、だからお腹いっぱい(だから「まんぷく」)

 ただ、話を展開させているのが、松坂慶子になっているので「義母と息子のブルース?」になっていたり、夫の帰還を待つ松下奈緒が妙に美しく撮影されているので「あれ?こっちのほうが朝ドラ・ヒロインじゃ?」って思ったりするから、「これって、朝ドラヒロイン属性を母や姉や夫に分散してるなあ?」って思うけど、だからこその安藤サクラ起用なんだと納得してます。
 あと、私は本当に松坂慶子が大好きで(笑)
 「篤姫」の時も「ゲゲゲの女房」の時も、あのとことん健康で健全な感じにヤラれていた。
 私の世代だと、松坂慶子といえば「愛の水中花」なんですが(笑)、だから子供時代には「お色気女優」だと思っていたのに、こんなに大人になってから「お色気女優」の健全さに持ってかれるなんて想像もしてなかったので、ほんとびっくりする。
 美保純とか風吹ジュンなんかも、そんな感じになってるので、なんなんでしょうね?

 さて、今日はとうとう頭の中を「美しき青きドナウ」ではなくて、「自転車に跨った高橋一生が宇宙空間をデイジーデイジー歌いながら楽しそうにクルクル回っている」っていうのに支配されて、そんで今更ながら「美しき青きドナウ」も「デイジーベル」も三拍子の曲であるということに気がついて、一人楽しくズンチャッチャしていたのであった。

 で、今日も仕事が暇だったし、社長や上司も出張中であったので、気まぐれに「みんな、パンナムって知ってる?」って同僚たちに質問してみた。
 「パンナム?なんですかそれ?」

 45歳以下、全滅でした。
 そーでしょーねえ?そうだと思っていたけど、やっぱりそうだったか。

 と、がっかりしていたところに、相談役というか元役員の非常勤のじいさん70歳がやってきたので「せんぱーい、もう私より年下の人たちはパンナム知らないんですぅ」って話したらジジイも「なんで、またそんな話に?」と聞いてきたので「古い映画見たら、出てきたんです」

 って「2001年宇宙の旅」の話したら「オレ、キューブリックは好きだった」と言い出し、公開時に見ていたらしい。ああ、やっとお友達に会えた?

爺「あれって、どういう話だったっけ?」
私「ストーリーは明確じゃないんですけど、有名なのは猿が骨持って武器にするっていう(腕を振り上げる)」
爺「ああ、宇宙空間に放り投げるんだ」
私「いや、そうじゃないんだど、そうなんです!」(この人、ちゃんとわかってる!!!)

私「あと、有名なのがコンピュータが人間を裏切るところで」
爺「ああ、ハルだな」

 そ、そ、そ、相談役!好きになってもいいですか?(笑)

 いやもう「そりゃ、もう、みんなパンナムなんて知らないよね」って思っていたら、「ああ、HALね」って言われたら恋に落ちますわよ。

 しかし、「そんな古い映画、どこでやってるんだ?」って言われたので「あちこちのシネコンで」って言ったら「シネコン?なにそれ?」って、あんた、ここ20年くらい映画見てないわね。

 あんまし話噛み合わなかったんだけど、最低限レベルの「2001年宇宙の旅」での世間話ができたので、嬉しさのあまり、歩いているとつい鼻歌でデイジーデイジー歌うようになってしまった。

10月30日(火)

 久々にママンから電話があったんだけど、やっぱ予想通りにテンパってるな。
 まあ、相続は大変だからしょーがないんだけど、まだどこにお願いするのかも決まってないようだ。
 でも、近所の銀行に相談しようとしてるみたいだけど「権利書は全部T叔父さんが持ってるから、それが揃わないと相談できないんだって!」って、いいからちゃんと叔父と二人でどっかに相談に行ってこいって思うのだが、「Tが自分ちの銀行が言いって言うなら、埼玉の方でもいいのよ」と言うので「えーと、あのー、二人でちゃんと話し出来てます?」って段階のようだ。

 あの姉弟は幼い頃からとても仲が良かったようだが、そのためか姉は弟を立てようとするし、弟は姉に譲るというかどっちかというと優柔不断というか、良くも悪くも俗世間のことに疎いので(教頭にもならずに中学校教員人生を終えた)姉が主導権握って進めればいいと思うのだが、しっかり者の弟嫁にも気を使ってしまうし、とにかく、なんかキビキビと物事が進まないのである。

 ママンが密かに頼りにしていた、叔父の息子で大手の弁護士事務所に勤めていた私の従兄弟は「今は転職して一般企業にいるからお役に立てません」って、とっくに逃げた。
 うん、よくわかるよ、自分の両親だけでも面倒くさいのに、あの伯母が「お任せするわあ」ってやってきたら超面倒だもんね。
 つーか、誰が処理しても、ぜってー悪く言われるのわかってるから(笑)
 うかつに、自分の知り合いも紹介できない。

 でも、ママンが「あんたの知ってる税理士さんとかいないの?」って聞いてきたので「会社でお願いしてる税理士さんしか知らない。まあ相続もやってるはずだけど」って答えたら、「会社の仕事やってる人は相続の専門家じゃないだろうから、ちゃんとそういうのが専門の人がいいけど、ネットでは信頼できないし、どこでそういう信頼できるプロを探したらいいの?」って、まあ、確かにそう思うだろうけど、そりゃちょっとばっかしややこしいケースではあるが、金額的には大したことないし、よくあるケースだと思うし、誰にお願いしても結果は一緒だと思うんだけどな。

 大事なのは、ママンが納得するまでちゃんと説明してくれる根気強さというか、要は「話しの相性」なんだと思う。
 ただ、そんな人材なかなかいないので、困ったねえ?

 さて、そっちも困るが、こっちも、先週「2001年宇宙の旅」を大画面高音質で鑑賞してから、ふと気がつくと常に頭の中で「美しき青きドナウ」が流れている状態になっていた。
 イマドキの映画だと、いろんな音楽が流れるけど「2001年宇宙の旅」は、ひたすら延々と「青きドナウ」だったでしょ。
 あの無重力状態のもどかしい映像と「青きドナウ」のシンクロぶりを延々と聞かされて、もう、いつも心にゆったりとしたワルツ状態なんです。

 そして、同じ時期に「億男」を2回も見たので、そのうち「美しき青きドナウ」の音楽に合わせて、自転車に乗った高橋一生が宇宙空間に放たれたあの宇宙飛行士のように、自転車に乗ったままゆったり回転しはじめた。( 「僕キセ」も混じっている)

 「2001年宇宙の旅」では、宇宙空間を漂う宇宙飛行士の映像はドキドキハラハラな映像だったけど、私の頭の中で展開している映像は、「口角を上げて楽しそうに微笑む高橋一生が無重力空間でクルクル回転している」っていう平和的な画だったので、しばらくその画で遊んでいたのだが(火の鳥のムーピーゲームみたい)、ふと、遊び心で、いやそもそも最初から一人遊びなんだけど、「美しき青きドナウ」の音楽に合わせて優雅に回転する高橋一生に「デイジー・ベル」を歌わせてみたら、何かが致死量に達した。

 「あ、脳内でヤバいもの合成してしまった」と宙を見つめた私の表情は、はたから見たら「あれ?帳尻が3億円合わないけど、なんで?」って感じで、薄く見開いた瞳の瞳孔は怪しく開ききっていて、だらしなく開いた唇は・・・って「開いた」「開いた」って超悪文ですが、目も鼻の穴も口も全部、だらしなくホワンって開いてたんですよ。

 なんじゃそりゃ?って感じだけど、こういうのも更年期の症状なんでしょうかね?
 あまりよく覚えていないけど、思春期の時のわけわからなさに似てるような感じだけど、思春期が「私の宇宙」のど真ん中にいたとしたら、更年期は「私の宇宙」を俯瞰で見てるような感じ?


10月28日(日)

 映画「億男」にすっかり取り憑かれてしまっていたが、今週のドラマの感想も書いてみよう。

 「僕キセ」は、とうとう教え子の女子大生に「サルの求愛行動」を実演してみせるという、わかりやすいシーンがあって「違う演出でやったら激萌えなセリフなのに!」っていうのをやっぱり意図的にやってるみたいだ。
 あと、主人公の一輝は、榮倉奈々演じる歯科医を最初は「ああいう人は苦手です」って言っていたけど、3話では、道で偶然会ったらすごく嬉しそうな顔をしていて「気になるメスに昇格したな」と確信したんだけど、わかりやすい恋愛展開にはしないっぽいドラマなので、どうなるんでしょうね?

 高橋一生ファンとしては非常に立ち位置が難しいドラマで、教え子の女子大生みたいに「あれ?なんかキュンとする?」で、いいんだろうけど、榮倉奈々目線もあるので「すごくシンプルな話なんだけど、いろいろややこしいな」というのが今のところの感想ですが、まあ、このドラマを観ていると、なんか幸せな気分になるので、もうそれでいいです。

 そんで、水曜日の「けもなれ」が偶然にも「僕きせ」と補完関係になってしまっていて、「けもなれ」の松田龍平も最初の頃はガッキーのことを「タイプじゃない女。むしろ嫌い」って言っていたのが、今週は「人気モノの兄貴に似ているから嫌いだった」とか言い始め、その兄貴役が安井順平だったので「きゃっ?」ってなりましたが、「僕きせ」と「けもなれ」が「えー、何、これってどうなるの?」ってところでシンクロしてるし、恋も仕事もどん詰まりな「けもなれ」主人公のアキラのところに「僕キセ」の主人公カズキがやってきて「それって、やりたくない仕事なんですよね?」って言ってほしい。

 「けもなれ」の田中圭に一撃を与えていたのは菊地凛子だったけど、そのポジションは「僕キセ」のカズキにやってほしかった(笑)

 というわけで、「僕キセ」と「けもなれ」の期せずしてなんかコラボしてる感がたまらんのですが、今期の大目玉は、金曜10時の「大恋愛」で、もう決まりでしょう。

 「おっさんずラブ」が「月9を男性キャストだけで大真面目にやってみた」っていうコロンブスの卵だったとしたら、「大恋愛」も月9をムロツヨシで大真面目にやってみた、っていう「その発想は無かった!」ですよ。

 そして、未だに私は「なんでムロが・・・・」って納得してない(笑)
 違和感ありまくり、なんだけど、なんか力技でねじ伏せられてるのが気持ちよくなってきた(笑)

 こういう、脚本にねじ伏せられてる感、私も大好きだけど、ドラマ好きの人たちはほんと、こういうの大好きですよね。
 今回も秀逸だったのは、ムロが、恋人の戸田恵梨香の元婚約者である松岡昌宏と会うシーン。松岡はよくムロの二番手なんて引き受けたな、って思っていたのだが、「ぜったい俺よりカッコよくて、医者だから年収もオレよりずっとよくて」って月とスッポン的な画が非常にわかりやすく、ムロのコンプレックスがわかりやすく発動されるのが心地よかった。

 そして、エリート医師である松岡の見せ場もちゃんと用意されていて、戸田恵梨香とは破談になって、また別の見合い相手と見合いするのだが、その残念さ具合が絶妙で(笑)
 「結婚相手なんて、知的で常識があって健康ならそれでいい」ってこと言っていたけど、そんな女性、意外といないんだ、ってことにやっと気がつく。

 フレンチ・レストランで鹿肉食べてるのに「鹿がかわいそうで」って泣かれてドン引きしてるインサートで、オクトーバーフェス会場でソーセージを「おいしーーー」って頬張ってる戸田恵梨香が被っているのって、ほんとベタなんだけど、「おいしーーーー」って女性が実は希少種であることをやっとわかって、そういう女性をあっさりと手放してしまった自分はこれでよかったのか?って松岡くん、良かったですよ。

 なるほど、この役は、そこそこのステイタスないと成り立たないからなあ。
 そして、松岡くんのエリート医師キャラが立ってくると、ますます面白くなりそうなので楽しみです。

 あとムロの同僚に杉野遥亮が「チャラい若者」として配置されているのでそこも注目です。
 トップコートの菅田将暉の後輩なので、絶賛売り出し中だし、こういうドラマの中でのあのポジションって、まさに売り出し中の若手イケメンのポジだし、けっこう出番多いのに全然イケメンっぽく撮影されてないので、もしかしたら3年後くらいに「あのムロの後輩男子が杉野くんだったの?」って言われそうな感じなので要注目です。
10月27日(土)

 昨日の休みの日は「2001年宇宙の旅」を観たんだけど、その前にとうとう文庫本の「億男」を買って読み始めてしまった。
 映画「億男」は大作のわりには、とってもわかりにくい映画で、だからネットで感想あさっても「お金について考えるいいきっかけになる」っていうのと「つまらなかった」っていうのと「極上のBLじゃあないですか!」っていうのに分かれてるんだけど、私はその「極上のBLじゃあないですか!」派だったので、「これ、映画のシナリオなの?それとも原作がそうなの?」って確認しないと気が済まなかったのである。

 そして、原作読んで判明した。
 あの映画の萌え要素は原作には書かれて無いので、あんな萌え映画にしたのは映画スタッフ、だと。

 私はあまり日本の現代小説読まないので、原作がある映画も「映画が初見」ってことがほとんどで、たまに映画がツボに入ると「これは原作がいいのか?それともシナリオがいいのか?」ってことを確認したくて原作小説を買ってみたりするが、直近だと「娼年」です(笑)

 「娼年」は先に舞台化されているので「あれを舞台でやろうとして、しかも松坂桃李主演って、どんなんだったの?」と想像もできませんが、そこで満足せずにさらに映画化して、それも松坂桃李主演って凄いですが、原作読んでみたら、映画はほぼ原作通りで、いろんな意味で「すげーな」としか言いようがなかったです。

 あと「嘘を愛する女」も映画観た後に小説本読んだんだけど、あれはノベライズなので、小説本は非常によく出来ていたんだけど「すごくよく出来た二次創作モノ」だったんですよね。
 そこ勘違いした人は「原作の方は丁寧で面白かった」とか言ってましたけど。

 「嘘を愛する女」も「思ってたのと違った」っていう評価が多くて、確かに宣伝や予告編では「ラブ・サスペンス」みたいだったので、違ったんでしょうね。
 でも、私は「物語内でほとんど詳しい描写の無い高橋一生の役の心境が、最後の方でグワっとわかって世界観がひっくり返る」って体験を非常に楽しんで、それでノベライズ本を読んでみたのですが、そこには「最後にグワっとわかった高橋一生の役のこれまで」が、私の想像を上回る濃い密度で妄想されてしっかり構築されていて、「プロの薄い本の作者マジすげえ」ってなりました。

 あれは、「ノベライズ本が原作」と勘違いする気持ちもわかる。
 映画で「そのあたりはご想像にお任せします」っていうのを完璧に補完していたから。

 で、「億男」に関しては、小説本が原作で、それをどう映像化したのかって思って読んでみたのですが、うーん、よくこれを映画化しようと思ったなあ。
 あらすじだけを完全になぞってるんですよね。つーか、それ以外は「映画オリジナル」だと言ってもいいかも。

 映画では、三億円を持ち逃げした九十九(高橋一生)の行方を追って、一男(佐藤健)は、九十九の会社の元同僚たちと次々と会うのですが、小説はその「元同僚たち」について、映画よりももっと詳細に「その人となり」を書いてあった。
 最初に小説読んでいたら、その物語にも感心するところあったのかもしれないけど、「あー、映画でこれやっちちゃうと、2時間ではとても収まらないから、バッサバサ切ったんだな」とわかった。

 映画では沢尻エリカが演じた十和子の物語とか、小説版では「その母の話」から始まってましたからね。
 映画でも十和子のエピソードは「西麻布のクラブで金持ち達にチヤホヤされて、美貌に値段つけられる苦痛」って、よくわからないエピソードだったし、それを遠目で眺める九十九の立ち位置もよくわからなかったんだけど、小説版では「九十九と十和子は付き合ってた」ってことになっていたけど、映画ではそこ削除していました。

 そこに踏み込むと2時間じゃ収まらないから。

 あ、そうそう、これ面白いな、って思ったんだんけど「億男」の小説って、2時間くらいで読めてしまうようなボリュームだったんですけど、じゃあ、これを映画化するとなると、このままやると、たぶん、5時間くらいかかるんですよね。
 では、どこを切って、どこを生かすかって話なんだけど、映画は「九十九と一男の友情」に絞ったので結果的にBLみたいなことになって、私がすっかり沼ってます。

 そんで、原作ではもっと濃厚に描かれていた「九十九が興した会社のメンツ」である、百瀬(北村一輝)や千住(藤原竜也)の「狂った億万長者ぶり」は、この映画のキモでもあるのですが、そのあたりの描きかたの違いは「映像と小説の違い」のお手本的な描写で、「なるほど、こうまとめたか」って思ったのですが、私が一番知りたかったのは映画版でどうにも納得がいかななった一男の妻役の黒木華の役所で、もしかしたら原作ではもっとわかりやすかったのかもしれないなあ?って思ったんですけど・・・

 原作でも、わかりにくかった。
 この妻は、「欲がなく、それが不安」っていうわかりにくキャラだった。
 百貨店の店員として日々、客の物欲と付き合っていたが、自分にはそういう欲が無かったので、図書館でデタラメに本を借りて、どこかにあるかもしれない自分の欲を探していた。
 そこに興味を持った佐藤健演じる図書館司書が、彼女の欲を探すべく、いろいろな本を黒木華に提示していたら、黒木華はそういう佐藤健を欲したので結婚した。

 そして、娘が生まれたんだけど、その娘が「バレエ習いたい」という欲求を示したことが欲とは無縁だった黒木華にとっては、ものすごい大事なことだったんだけど、それを「借金背負ってて金がないから」って言う夫に潰されそうになり「あなたは借金のせいで変わってしまった」って、は?

 ただ小説版では、黒木華が「なんで私の実家の援助を断ったの?」って実家がそこそこ太いことも言及していて、佐藤健が陥った借金地獄は、全く回避不可能なことではなかったのに、ある意味、本人が望んでそうなったことが小説版では描かれていたんだけど、でも、やっぱ、小説版にしても映画版にしても、一番そこが謎だった。

 なので、あれを映画化するにあたっては、黒木華の妻役をもっと「金が無くて生活疲れしているんだけど、娘にだけはそう思わせたくないと思って、必死に取り繕っている」ってシーンが欲しかったが、もしかしたら、そういうシーン撮影してても尺の都合で切っていたのかもしれない。
 そういうのって、例えば北川悦吏子だったら、すごく上手くやるんだろうけど・・・

 ただ、「金で家族は取り戻せなかった」って話だけど、「でも、この先、また取り戻すことができるかもしれない」って希望を持たせるラストだったので、どうすればもっと説得力のある設定にできるのか、少し考えてみたのだが、そんなの考えて、いい設定が思いつくのなら、私が脚本家目指すよ(笑)
 まあ、この映画で脚本的に不満があるのは、そこだけかな?あの黒木華が演じていても、あの妻に全く共感も反発も出来なかったので、もったいなかったけど。

 そんで、もしかすると、妻のキャラ設定を小説のままにしたのは、「芝浜の妻のポジションは九十九だから」ってことで、だから一部の「お金の話かと思っていたら、そっちかよ!」って頭腐ってる人たちだけがツボってるわけです。

 でも、私が萌えたハイヒールで兄弟杯のシーンも、「この先なにがあるかわからないから」と靴底にお金を隠すシーンも原作にはなくて、もちろん冒頭のパーティーシーンをモロッコ旅行と重ねる描写も原作には無いので、たぶん、監督が一番表現したかったのって、あそこなのかなあ?

 そういや、冒頭のパーティーの後、ガランとした部屋で一人目を覚ます一男の下に絨毯が広がっていたので「これ、モロッコ製って意味なのかな?」って思っていたら、公式サイトのプロダクトノートに「部屋の絨毯や照明器具はモロッコで買ったという設定」とちゃんと書いてありました。

 他人の感想読んでみると「これ、モロッコまで行かなくても、鳥取砂丘でよかったのでは?」って意見がけっこう多いんだけど、だから、モロッコが超重要なんだから!(笑)
 しかし、4日間でよくあれだけのシーン撮ったなあ。想像するだけでも超ハード。屋内シーンはセットなのかもしれないけど。

 というわけで、ほんと素晴らしい映画なんだけど、スッキリしない話なので、他人に胸を張って勧められないのが残念である。ただ、「三月のライオン」にしても、この「億男」にしても、大友監督の映像で魅せる力は存分に楽しませていただいたし、高橋一生にまた新たに「九十九」という極上キャラを与えてくれたし、同世代の監督だし、今後のご活躍を期待しております。またタカハシ使ってね。

 でも正直、「億男」は興行収入10億超えられそうにもないというか、公開後の週末ランキングで2週目の幸福の科学映画に負けてるんですよ。
 「佐藤健と高橋一生という、私の今のツートップが、二大教祖様が・・・負けた」という敗北感でいっぱいです。
 あ、正確には朝ドラ・ヒロインの長谷川博己も加えてスリートップ状態なんですが、って、そんな話はどうでもいい(笑)

 すごいね、幸福の科学・・・どんだけ動員するんだよ・・・・って思ったけど、もしかしたら、みんな映画館で5枚くらいチケット買って一人で観てたりするのかなあ?
 「億男」はそれなりに集客していたので、あれに勝つには、信者一人当たりどのくらい課金しているのか気になりますね。

 で、タカハシ信者の方も強者はすでに4回目に突入しているようなので、私も、もう1回は行けそうかな?
 なにせ「おんな城主直虎」も「カルテット」も各話最低でも3回はリピートして観ていて、直虎の気に入った回とか10回くらい観てますし、例の33話とか20回以上リピートしてますからね。
 あの頃は・・・・って、去年の今頃ですけど、酔っ払って暇な時に気軽に再生して、オンオン泣くのが趣味でした。

 「億男」も結末わかった上で二回目に観たら「九十九が登場した瞬間からすでに泣いている」ような状態になり、「うわー、もう、全ての言動が、ア・イ・シ・テ・ルじゃん!」ってなってしまったので、これは癖になりますわ。
 そう考えると、佐藤健的には「半分、青い。のスズメとリツの精神的双子状態」だったり、高橋一生的には「政次と直虎の比翼の鳥状態」だったりするので・・・ああ、そっか直虎で解釈すると「味方を欺く戦法もあるのじゃな?」ってことで、そういう視点で「億男」を鑑賞すると、「一男はどこで九十九が自分を裏切ったふりをしたのに気がついたのか?」ってことになり、そこに拘ってしまうと、この映画は本当に沼なのだろう。


10月26日(金)

●「2001年宇宙の旅」IMAX上映

 昨日、「億男」のチケットとった時「そうだ、これも観なくちゃ」って土曜日出勤になったので金曜日が休みだったからチケットとったのです。
 「2001年宇宙の旅」は私が物心付く前に公開された映画だが(1968年)、私が映画的に物心がついた中高生の頃にはすでに「不朽の名作」というか「オールタイムベスト映画」的なポジションだった。

 「いつか観てみたいなあ」と思ってたけど、家庭用ビデオが普及したのって私が大学生になった頃だから、最初に観たのって、高校生の時にテレビで観たんだっけなあ?
 家庭用ビデオの普及と共に、あの頃は深夜枠でよく「録画用名作映画」を放送してたんですよ。SONYがスポンサーとかで。

 だから、あの映画を私は「ブラウン管のテレビ」でしか観ていない。
 それでも、あの当時はそうやってよくテレビで「難解な普及の名作」を観ていたらか「なーるほどー、映像はすごいが話さっぱりわからんなあ。でも、これスター・ウォーズよりも10年くらい早い映画なんでしょ?スゲーなあ」って思いつつ観ていて、「これで名作ひとつ抑えました」って満足していたんだと思う。

 なので、今頃になってこの映画を「大画面で最高の音響で」観ることになるなんて感無量だったけど、それよりも何よりも「2001年宇宙の旅」というタイトルが現れた瞬間、「うっわ、2001年って、この映画の存在を知った頃(1978年頃?)には確かに遠い未来だったはずが・・・・あの頃には20年も先だったはずなのに、もはやすっかり20年くらい前に・・・」

 客席には若い客も多かったが、私と同世代のアラフィフ客も多かったので、私と同じように「10代の頃は、30歳になった自分なんて想像もできなかったけど、なんとなく50歳になってしまった」と、がっかりしていたのかもしれない(笑)

 で、記憶が曖昧だが、たぶん1回しか観てないんだけど、もしかしたらもう1回くらい観てるのかなあ?けっこう覚えてたんだよね。
 つーか、こういう作品って観てなくても「作品について語られている文章」を目にする機会が多いから「人類の祖先が初めて武器を持った瞬間」とか「コンピュータHALの暴走」とか「デイジーデイジー歌いまーす」とか、映像だけではなくて「概念」として覚えてしまってるからなのかなあ?
 それとも、やはり映像のインパクトが強すぎて、30年前くらいに一度観ただけなのに、これだけ覚えていたのかなあ?

 確かに、改めて観ると、すっごいシンプルなんですよね。
 猿が骨持ってボコボコして、そこにモノリスが・・・
 月にもモノリスが・・・
 木星探査機でHALと人間のドキドキハラハラの攻防。
 そして、意味不明の光の洪水が延々と・・・

 それにしても、ほとんど古くなっていないことに逆に驚いた。
 あと、スターウォーズとか飛行体が狭い隙間を凄いスピードで抜けていく所が苦手なんですが、2001年は全体的に映像がゆったりしてるので、大画面でも動体視力試されないのでいいね!

 ただ、スチュワーデスとか受付嬢が女性なのって、あれだけコンピュータ画面がギリギリで古くなっていないのに(今風ではないが、古さが気にならない程度に)、スチュワーデスとか受付嬢という存在が妙に古臭くなってるのって、なんつーか、想像力の限界がわかって興味深い。
 あと、月に向かう宇宙旅客機がパンナムだったのに泣けた。宇宙ステーションにあるヒルトンは今も健在だったので安心した(笑)
 あと、科学者の会議には女性も混じっていたし、ロシア人科学者(ソ連かwww)は女性の方が多いっていうのも興味深いけど、そういや、アフリカ系やアジア系が出てなかった???

 「今との違い」で気になったのはそれくらいっていうのほんと凄いっす。
 あ、そういや、一箇所、木星探査機の中だったか、クリップボード抱えて点検してるシーンがあって「そりゃ、タブレットなんて想像も出来なかったよねえ?」と微笑ましかったです。
 パンナム機の中の描写で前のシートの裏にモニターが着いてるっていうのちゃんとやってるのだけでも凄いです。若い人には、あれが当たり前だろうけど、あれが普通になったのって20年前くらいなので。

 この映画、途中で休憩が入るんだけど、その時に前の席に座っていたオジサマ二人組が「体験型映画の走りなのかもな」って喋っていたのですが、確かに、ストーリーがどうのっていう前に、ゆったりしたクラシックの名曲が流れる中、ゆったりと宇宙空間を旅する前半、HALに裏切られて(?)宇宙空間に放り出されてドキドキハラハラの中盤(ゼーハーな呼吸音がBGM)、延々と光の洪水を進むスペースマウンテンみたいな後半、なわけで、ひたすら2時間くらい、無重力空間を漂う気分を堪能するって映画なんだよな。

 だから見所って「あり?さっきまでこっちが上だったのに、クルっと回転して、あっちが上になった?」っていう映像が楽しくて、それをキャハハオホホでも別にいいんだと思った。
 今だったらCGでフツーに出来ることなのかもしれないし、あの時代は、ああいう映像作るのが非常に大変だったのかもしれないけど、観てるシロートはそんなんわからないから、ただひたすら「自分が絶対に体験しそうも無いこと」を映画館で体験して楽しんでいればいいのだろうし、50年前の映像で、それを堪能できるのって凄いことだけど、それはまあ、もし死後の世界があるのなら、私が死んだ後に、もしキューブリックさんと死後の世界で出会ったら「私、2018年にあの映画観たんですけど、超すごかったです!」って言ってあげればいいだけの話だし、その頃には「俺、2050年にあの映画観たんすけど、超すげかったです!」っていう人もいるのかもしれないなあ?

 けっこう若い男子も見ていたのだが、終映後に「んんん?何これ?」って雰囲気だったので、思っていたのと違かったのかもしれないけど、私も10代の時にはそう思ったので、皆また30年後に見てみたらいいよ。
 その頃には、月への旅行が現実になってるだろうし、今とはまた違う「ここは合ってたなあ」ってポイントがあるのかもしれない。いや、もしかしたら、本当にインナースペースが開いて、あの光の洪水の終盤が「ああ、ちょっと惜しかったなあ」ってなるかもしれないし(笑)

 というわけで、30年後にまた観たいと思いました。


10月25日(木)

●映画「億男」 二回目

 ですから、「なんで映画の宣伝活動で、高橋一生は佐藤健と過剰にイチャイチャしてるんだ?」って思っていたら、「そーゆー映画でした」ってことがわかり「だったら、そーゆーつもりで最初から観ないとダメじゃん!」ってことで、また観に行ってしまいました。

 泣いた・・・

 初回の時には「あれ?ここ泣くとこ?」って感じでジワっとしていただけだが、結末踏まえて観てみたら、ちゃんと泣くとこだった。
 いや、この映画は、全然そーゆーんじゃない視点で観る人も多いのだろうし、だからちょっとわかりにくいというかスカっとしない作品なので、たぶん大ヒットにはならないんだろうけど、ツボる人には滅茶苦茶ツボなんですよね。
 って、そこを監督が意識していたのかどうかは知らんけど。

 ただ、この大友監督って細かい演出しないで、何度も同じシーンを役者にやらせて、そこでフィードバックされてから編集するようで、最初から絵をがっちり作らない監督らしいので、もしかしたら、タカハシがまたやりすぎてしまったのかもしれないけど、監督の深層心理に「そーゆーの」があったからこその完成作でもあるわけだし、ドラマにしても映画にしても、こういう映像作品って「企画段階とは違うものができてしまう」っていうのは、よくあることだということを最近学んだので、この映画も東宝の大作映画の部類なんだろうけど、その割には観る人に委ねられてる部分が非常に多い感じがした。

 「お金とは?」って部分には目新しさは無いのだが、それは宝くじが当たって三億円を手にした主人公も、ITベンチャー企業を成功させ億万長者になった登場人物も誰もお金を手にすることで幸せになっていないという、ありきたりな展開だからね。

 それでも、「愛情を向ける妻や娘はいるけど、お金がマイナスだから(借金3千万円)、家族に愛情を注げなくなった主人公・一男(たけるん)」と「資産100億円だが、愛情を向ける対象がいない九十九(イッセイ)」が交わる短い期間の話なんだと思うんだけど、その「交わり」がほんと切なくてさ・・・

 九十九にとっては、一男は絶対的なミューズで、だからこそ、一男が大学卒業して数年後に結婚して子供も生まれたら、意図的に疎遠になっていたんだろうけど、「億万長者になったけど、夢も希望も失っていた」ってタイミングで、その永遠のミューズが「借金3千万円あって苦労して、妻からは三行半つきつけられていたんだけど、宝くじ当たって、これで全てうまくいきそうだ!」って血相変えて駆け寄ってきたんですよ。

 初見の時には、一男と九十九が元々どういう友人関係だったのかわからなかったので「なんで、高橋一生はこんな切なそうな演技するんだろう?」と思っていたのですが、「俺のミューズがこんなんなってるけど、どうしよう?どうすんのが正解?」って短時間でグルグル考えて、速攻行動する「悲しいほど頭のいい人」なんですよね。

 で、この映画の欠点は、友情の描きかたとして「高橋一生→佐藤健」は「これ、友情じゃなくて、もろ愛情、BLだ、BLだああああああ」って、ちょっと過剰になっているのに、「主人公・佐藤健→妻・黒木華や娘」が比較的薄い?

 でも、主人公と妻の関係は異常に性愛描写が乏しいし、妻の造形も異常に生活感が省かれているので、そこはなるべくしてなったというか、意図的なんでしょうね。フツー、そっちのほう膨らませようよ、って思ったのですが、大変残酷なことに「妻は変わってしまった夫をもう受け入れられない」のです。
 しかし、親友のほうは「ボクらは、あの時と同じだね。ずっと変わらないよ」って、あああああああ。

 いかん、少し冷静になろう(笑)

 それにしても、この映画は2回観ないとちゃんとわからないというか、ほんと不親切な作りだった。
 初見の時も冒頭のパーティーシーンは「モロッコと被せてるんだよな」ってわかっていたけど、2回目鑑賞で「これ、もろ、モロッコ旅行の再現じゃん」ってわかった。
 だから初見では、ただ「エロっ」と思っただけのシャンパン飲むシーンも、二回目だと泣いてしまったのだ。

 同じ杯でシャンパンを飲むのではなく「僕らは二つで一つだから」ってルブタン(だよね)のハイヒールでそれぞれ飲むのだが、この「九十九と一男の二人で100点」っていうのがこの映画のサブテーマ(メインはお金)なんだけど冒頭ですでにドドーンとサブテーマ打ち上げてるんですね。
 そして後半になって学生時代のモロッコ旅行が回想シーンで出てくるのだが、旅先でトラブルに遭った二人は「これから何があるかわからないから」って靴底にそれぞれお金を隠すのだが、それが冒頭の靴からシャンパン飲むシーンに繋がって「ああ、あの時、未来のために隠しておいた友情貯金をここで使うんだ」ってうううううう(泣)

 だからこの話って、学生時代のモロッコ旅行でコンビ解消した二人が、30代半ばで(年齢設定不明なんだが、一男の娘が小学校低学年みたいだから)、互いに大事なものを失ったタイミングでモロッコ旅行を再現し、九十九の十八番である「芝浜」をロールプレイすることで「うん、やっぱ二人は二つで一つだ」って再確認して、また別々の人生を歩みだすって話なんですよね。ううううう(泣)

 これは二度目で気がついたんだけど、モロッコ旅行でトラブルに遭った時、九十九は一男を救出するために35万円くらい払ったのですが、その金額の微妙な大金具合が面白いなあって初回の時には思ったのです。大学生にとっては大金でしょう。それこそ月収の3ヶ月分くらいの(笑)。バイト代だと半年分か。

 その後、一男が妻と上手く行かなくなった描写として「娘のバレエ代が高いので、バレエやめさせたい」と言うシーンがあるのですが、それが「月1万2千円のレッスン代と、年に一度の発表会が15万円」と具体的な金額を言っていたのが気になっていたのですが、それって計算するとちょうど年額30万円くらいで、学生時代のモロッコ旅行で九十九が支払った三十数万円で救われた一男は、「え?そんなに支払ってくれたの?」って戸惑ってましたが、同じくらいの金額を娘のために使うことを渋ったことで妻からの愛も信頼も失ってしまうわけです。

 万札が派手に舞う(画としてもストーリーとしても)映画の中で、この「30万円くらい」って妙に現実味のある金額が実は人生の大事な局面を支配しているっていうのが非常に面白かった。
 そして、九十九が起業を決意するのも、その30万円くらいの支払からで、そこから九十九の「お金について考える旅」が始まり、その十数年後に「30万円で家族を失った親友」が3億円背負って飛び込んでくるわけです。

 というわけで期せずして「億男」にズッパまってるのですが、この映画の好きなところは佐藤健を「平凡な男」に描きつつも、その湧き出る美しさを隠そうともせず・・・ってゆーか、「隠そうとするからより美しい」って手法をとってるのだと思いますが、高橋一生に関しては「イケメンなの?エロいの?」っていうことに全く関心が無いようになってるところ。
 要するにちゃんと正しく「個性派脇役俳優」として使っているので、それが心底嬉しかった。

10月22日(月)

 昨日は、「イベント仕事でクタクタになっていて、さらに酒飲みながら映画の感想書いても大丈夫だろうか?」と思いつつ「今日から俺は」まで暇だったので(大河も下町ロケットも観てません)ツラツラ書いていたのですが、さっき読んでみたら、意外とちゃんとしてた。

 要するに言いたかったのは「お金について考えさせられる話だと思って見に行ったら、高橋一生が佐藤健に純愛を捧げている話だった!なんだよ、そんなの聞いてねーよ・・・・ハ!!!! そっか、だからタカハシは宣伝行脚であんなにタケルんにしつこく迫っていたんだ!!!」と気がついて(いや、ほんとのとこ知らんけど)、「またやってくれたな!タ・カ・ハ・シーーーーーーーーーっ」って、なりました。ってことです。それだけです。

 なのでこの映画に対する唯一の不満は、全てを終えて、また新しい一歩を踏み出すべく空港から旅立とうとする九十九(イッセイ)を追って、トレンディドラマみたいに一男(タケル)が走ってきて、ガッツリ抱き合ってキスしてるところをカメラがグルグル回るシーンが無かったことです。
 っていうのは冗談だとしても、終盤の電車の中のシーンの九十九の去り際にチウして欲しかった。替わりに「芝浜」の落ちを呟いたんだけど・・・

 いや、いいんです。そういう映画じゃないのはわかってます。でも、私がどう感じるかは自由なので、放っておいてください。
 あと、ハイヒールに注いだシャンパンを飲むタカハシが超エロかったので、ハイヒールでシャンパン飲む予定のある人は参考にしたらいいと思いました。

 さて、夏クールは「見なければいけないドラマが多すぎて忙しい」と嬉しい悲鳴をあげてましたが・・・・そうそう、それで「面白いから見てるんじゃなくて、推しが出ているからしょーがないっていうのが辛い」と思っていたので「こんなに拘束されるのなら、腹筋でもしながら見よう」と思って久々に腹筋したら、太鼓腹があっという間に引っ込んだのである。
 腹出てるなあ、とは思っていたが、腹筋が全く退化していたので、引っ込めようもなかったんですね。
 なので、「お、これならやっとTシャツが着られる」と思っていた程度に「少し元に戻った」という認識だったのですが、日曜日のイベント仕事で半年ぶりに会った人に「びっくりするくらい痩せましたねえ」って言われて「いや、びっくりするくらい太っていただけで」ってなった。

 たぶん、今の状態でギリギリ、メタボ診断ギリギリなんだろうけど・・・・
 だから、あの人の中では「デブ」ってイメージだったのが「ぽっちゃり」になっていたので驚かれただけだろう。
 そういや20代後半の時に少し痩せた時にも、たまに会う学生時代の友人に「怖いくらい痩せちゃって」と心配されたが、「元が体重60キロ超えそうなほど太っていただけで、やっと身長160センチ、体重52キロの健康体重になっただけなんだけど?」って思った。
 美容的には50キロ切らないとダメだろう。
 私も一瞬「このペースで落とせば、憧れの40キロ代に行けるか?」って思ったけど、全然無理でした。

 それで、ドラマの話に戻るが、今クールはあまり詰め込みたくないと思っていたのだが、なかなかそうも行かなくて。つーか、推しが増えすぎなんだよなあ?

 救いは月9が「やっぱ、あたし、織田裕二全然ダメだ」ってわかって、あっさり切れたことだけど、小手さんとか磯村君が出ているので、「暇だったら見よう」という程度。

 火9「僕らは奇跡でできている」は、ヘラヘラ眺めている高橋一生ファンたちの足並みが揃わないんだけど、今後の展開によっては「政次解析班」的な、行間に命かける視聴者が増える可能性があるので、みぞみぞしてます。そう、これは「カルテット」に無駄な情報分析能力を思う存分無駄に使った人のための餌が撒き散らされてるドラマだ、と今のところ私は思っているのだが。

 水10「けもなれ」は、ラブコメ臭を振りまきながらの重い設定に戸惑うけど、松田龍平と田中圭の造形はすごくいいと思うし、まだ何かがハマらないのだが、安易にハマらないところが凄いと思う。個人的には吉村界人が出てきたので星一つ増やしましたって感じ。

 木曜日は月曜日同様、お休みすることにした。

 金曜日。前クールは「チアダン」が「やっぱ学園モノ、もう無理。タオちゃんだし、オダギリジョーも出てるんだけどやっぱ無理」ってことでNHKの「透明なゆりかご」を観ていたのだが、毎回ボロボロに泣いていて、すでに「透明なゆりかご」は一部では名作扱いになってるけど、たぶんこれ、5年後、10年後にまた蒸し返される本当の名作だったのだと思う。
 瀬戸康史の産科医も素晴らしかったが、個人的には淵上泰史の医者役が出番少なかったけど超萌えたし、岡部たかしの精神科役とか激萌えでしたわよ。

 というわけで、金曜10時はいつも、NHKとTBSが重なって、どっちも良くって困るんだけど、このクールは「はあ?ムロツヨシが戸田恵梨香相手に純愛難病モノ?」っていうのと「オカダマとイックンで落語?」っていうのが重なって「ああああああああ」ってなりました。

 山崎育三郎が大好きなので、私はNHKを選びました。
 あと、岡田将生にヨロめいたことなかったので、「オカダマの魅力を拝見させていただきまひょ」って思ってさ。そんな気持ちで観ていた松坂桃李にまさかの「娼年」で崖から突き落とされてるのにね(笑)

 松坂桃李は、「高級エステ店で!!!」って週刊誌記事出てましたね。
 「男性向けエステ店だけど、そういうんじゃない店」で、ちょいエロ発揮してるので店員に警戒されてるとかなんとか。
 ちょっと意味わからないというか、「何をどうしたいんだ?」って記事でしたが、重度の松坂桃李ファンになりかけの私は「ちょっと、トーリはそういう子じゃないから!」って思いました。



 「トーリは女性にサービスされる側じゃなくて、サービスする方なの!!!」

 (ここで後輩芸人たちから羽交い締めにされて止められる)

 松坂桃李もほんとわけわからんよなあ。菅田将暉のオールナイトニッポンに中村倫也が出た回で「松坂桃李、ほんとわけわかんねー」って絶賛されていたので、ついうっかり松坂桃李のゲスト回も聞いてみたのだが、「合コンでこんな男子いたら、マジ、どん引きするわ」って出来でした。
 つーか、自分が興味のあることだけ「そんで、そんで」と興奮状態で喋る男子って「ほぼ、うちの弟」

 酒飲めないのに、酔っ払いよりもテンション高くて、自説の正しさを証明するためにベラッベラ喋り倒しますからね、あいつは。
 なので、オールナイトニッポンで「遊戯王」について熱く語る松坂桃李は、「ポケモンGO」とか「どうぶつの森」について熱く語る、うちの弟とほぼ同じでした。

 話を戻す。
 だから、金曜10時は被ってしまうのだがNHKの「昭和元禄落語心中」を観ていたら、初回は「竜星涼が全部持っていった?」って感じだったのだが、2回目で、オカダマ演じる八雲と、山崎育三郎演じる助六の青春時代になって「なんだ、この極上BLわあああああああ」になった。

 すみませんでした。オカダマは美しい子だとわかっていたけど「その美しさを私はまだよく知らない」と思っていたのですが、本当に美しいのがよくわかりました。そして、そのオカダマとイックンが布団並べて寝ていたり、一緒に風呂入るの、これNHKで放送してもいいんですか?

 ってNHKで相当心掻き乱されているのに、TBSの方は、ほんと正統派の難病恋愛モノやっており、「戸田恵梨香がムロに夢中っていうのがまずあり得ないんだけど、なんか、ありえてるんだけど、なんで?」って戸惑いつつ「この展開だと、後々、ムロで大号泣する展開になるんだが?」

 金曜日の被りで苦笑しているところに、土曜10時の「ドロ刑」が全くノーマークで、「中村倫也出てるから、しゃーねーな」と思っていたら、これが、けっこうちゃんと練られてる話で、この枠の軽さがあまり好きじゃなかったんだけど、この脚本だったら真剣に見てまうわ、ってダークホースの出現に喜んでいたのだが、やっと話が戻って日曜10時の「今日から俺は」ですよ。

 私のケントこと賀来賢人が主演なのですが、天敵である福田監督作品なので警戒していたら「やっぱ、このノリだった」ってキツいです。なんで今更、80年代ヤンキー文化なんですか?
 聖子ちゃんカットの橋本環奈とか・・・・って、福田監督は橋本環奈をどうしたいんですか?

 ただ、清野菜名が得意のアクションをビシバシ決めており、そこは見応えがあるんだが、佐藤二朗とムロツヨシのアドリブシーンみたいなのが延々続き、そういうの嫌いじゃないんだけど、1時間ずっと見てるのキツい。

 まあでも、「銀魂」もそうだけど、ほんとくっだらねえ少年漫画を読んでる気持ちにはなるので、嫌いじゃないんだけど、ハマらないというか・・・・
 まあね、少女漫画の実写化も「はああああ?」っていうの多いので、男性が好きな女性タレント出てるからって少女漫画映画見たら、こういう「ついてけねえ」って気持ちになるのかもね。

 それでも、賀来賢人が主演なので、我慢して見ますとも。

 それにしても、私の高校生時代のヤンキー描写なので、私には懐かしいファッションだけど、ああいう文化を知らない若い子が見たら、どういう印象を受けるのだろうか?もはや時代劇?「お侍さんだから髪型は月代で着物着てます」的な?
 月代も「なんであの髪型が流行っていたんだろう?」ってよく考えると不思議ですが、逆モヒカンだと思うと「いつの時代も・・・」って思うし、「今日から俺は」で健太郎がやってる髪型なんて、ビジュアル系黎明期はもっと凄い人いっぱいいたじゃないですか。
 ダイエースプレーだとか洗濯ノリだとか、皆様、あのスタイリングには苦労されていたようですが。

 そっか、朝ドラ「半分、青い。」は「今後、80年代や90年代をドラマが描いていく上での、一つの土台になるだろう」と思ったのですが「今日から俺は」も昭和後期の描きかたというか、平成が終わろうとする今だから、昭和の時代を「戦前/戦後」だけではなく、今の50代の青春時代である昭和から平成にかかる時代の描きかたを置いておきたかったのかもなあ。

 そして、この先、10年後、20年後にはまた、昭和後期や平成前期の描かれかたはいろんなバリエーションが出てくるのかもしれないし、「バブルといえばジュリ扇」っていうのがやっぱし残るのかもしれないし、ヤンキー高校生の制服の着こなしが、ツイッギーの頃のミニスカブームみたいに「あの時代」の絵になるのかもしれないし、うーん、なんて言うのか「こうして歴史は作られていく」っていう過程を眺めていると「うわー、ほんと自分、年取ったんだなあ」っていうか、大河ドラマってせいぜい「平清盛」くらいからなので、1000年くらいの間を行ったり来たりしているのだが、その1000年の間の50年間生きているって、こういうことなんか?

 ってゆーこと、ずっと私は主張しているのですが、だからこそ、「これが常識」っていうのも、けっこう短いスパンでひっくり返ったりしているわけで、「今日から俺は」だって女子高生の髪型とか「ああいう子、本当にいっぱいいた」としか言いようがないわけで、ほんとに、あと10年後はいったいどうなってんのかさっぱりわかんないから人生は面白いのかもしれない、って無理やりまとめてみた。
10月21日(日)

 昨日は「億男」の感想書くかどうか迷ってて、でも書こうかなと思っていたら、NHKで「フェイクニュース」始まっちゃったので中断。
 今日は早朝出勤だったので、「フェイクニュース」終わってから、「ドロ刑」途中で寝てしまったのである。

 さーて、外仕事だったので相当疲れてるが「億男」の感想書いてみようかね?

 去年、ブレイクした高橋一生は映画の宣伝にも引っ張りだこになったけど、「三月のライオン」にしても「リミット・オブ・スリーピングビューティ」にしても、ちょっとしか出ていなかった。「嘘を愛する女」だって、役柄的には大きかったけど、回想シーンがほとんどで、現在シーンは意識不明で寝てるだけだったし。
 「空飛ぶタイヤ」なんて、長瀬智也とディーン・フジオカと並ぶような役じゃなかったし、あれはそもそも「シン・ゴジラ」的なキャスティングだったのかもしれない。「シン・ゴジラ」に高橋一生出てるなんて知らないで観てたもんな。そして「え?これ、超美味しい役じゃん!!!」って興奮していた。

 そういう意味では、たぶん、初めて「売れっ子の高橋一生を大きい役に抜擢した」っていう映画なんじゃないだろうか、「億男」は?
 でも、私はとても疑り深いので、映画ってドラマよりも企画の期間長いみたいだし、だから、その期間に「いい脇役」だったはずの俳優が「想定よりも育ってしまった」ってことあるんだと思うし、だから「億男」って、もしかしたら大友監督的には高橋一生をスターにするための映画だったのかもしれないけど、撮影始まった時点ですでにスターになっちゃってましたって感じの映画だったのかも?

 ほんとのところどうなのか私には知る由もないが、ここ1年くらい「はい、タカハシが出てるのなら課金しますよ、映画観ますよ」って感じだったので、正直、この「億男」にもあまり期待はしてなかった。「三月のライオンよりは出番多いんですよね?ね?」って程度で。

 それでも、公開前の宣伝活動で、北村一輝よりも藤原竜也よりもタカハシの扱いが大きいことに、勝手に泣きそうになっていた。
 でも、やっぱ疑り深いので「どーせ、藤原竜也や北村一輝の方が目立ってるんだろ?」って思って、この映画を観ました。

 公開翌日の土曜日のニコタマのシネコンで、1時の回もあったけど、3時の回のほうが大きい劇場で、たぶん私はニコタマのシネコンのあの一番大きいシアターに入ったことなかった。
 12時頃にチケットとった時には「なんだガラガラじゃん」って思ったけど、多摩川の川べりを往復2時間ウォーキングして戻ってきて席についたら・・・・いや、席に着く前にロビーでスマホの電源切ったりと準備していたのだが、ロビーに高校生男子が数名たむろしいていて「こいつらは何目当てなんだ?」って思っていたら、私が席に着いた後、ゾロゾロとその高校生集団が入ってきて「え?これなの?」って感激した。

 高校生男子集団、初老の夫婦、20代カップル、佐藤健や高橋一生目当てと思しき私と同じような30代から50代女性ぼっちと、よくわからん構成の客席・・・・てゆーか、ニコタマのシネコンの一番大きなシアターで、前の方とか横の方とか見ずらい席を覗いて、そこそこ見やすそうな席が8割埋まっている光景に泣いた。

 しかし、あまりにも宣伝頑張りすぎて、映画の見どころほとんど説明しすぎたのでは?って感じの映画だったのだが、始まってすぐに、私の心に何が別のスイッチが入ったのである。

 どの瞬間に入ったのか、もう思い出せないのだが、「あ、これ、思ったのと違う」って、いい意味で持っていかれた。
 それは、たぶん「どーせ、佐藤健主演映画でしょ?」って思っていたのが、「あり?これ、そういう作りだけど、影の主演っていうか、もはや、佐藤健と高橋一生のダブル主演って言ってもいいのでは?」

 映画のあらすじとしては「お金に囚われた佐藤健が、お金を巡っての冒険に出かける」って感じだったのですが、高橋一生ファンとしては「佐藤健が親友の高橋一生を探す旅」だったんですよ。

 で、たぶん、制作サイドはあくまでも「佐藤健の冒険」で描いてるんでしょうけど、いやほんと佐藤健の「冴えない男」の描写は素晴らしかったんですけど「自分を見下していた時のタケルも、自分を持ち上げてくれている時のタケルも、どっちもボクは大好きだ・・・愛してるよ」ってイッセイがマジヤバい!!!

 この人、ほんと「着地点がまったくわからない愛」を演じさせると、ほんと逸品ですね。

 よくわからないけど、ほんと好き(笑)

 そういう目線で観てしまうと、この映画って、とにかくひたすら「九十九がどれだけ一男のことを愛していたのか」って話で、私はひたすら「ラブシーン全然ないのに、なんでこんなにエモい」と脳内純愛展開に泣いてました。

 制作側はシンプルに「芝浜」やりたかっただけかもしれないけど、でも、「芝浜」の女房役は、やっぱ高橋一生だったでしょ?佐藤健の妻役黒木華ちゃんだったけど、「借金背負った男に愛想つかした妻役としては、ずいぶん生活感ないなあ」って思ったけど、佐藤健に三行半つきつけるために、朝ドラ「半分、青い」では石橋静河が好演していたけど、映画だと黒木華なんですよねえ。

 この映画で一番よくわからなかったのは黒木華がなんであれほど佐藤健と離婚したかったのかっていうところなんですが、親友役の高橋一生も「3000万くらいなら助けてあげたのに」って呟いてましたが、妻役の黒木華も、もしかして実家が太い設定で「なんで3000万くらいで、こんなことに?」って思っていたのかなあ?

 で、この映画「億男」は10億、100億が当たり前の世界において、「家族は金では買えない」って話だったのかもしれないけど「友達も金では買えない」って話で、だからこその映画宣伝でのタカハシのタケルとの過剰ないちゃいちゃだったのだと気がつき、「尊い」としか言いようがなかったです。
10月20日(土)

 昨日のタケル×イッセイは朝から日テレの情報番組に生出演して、午後は初日舞台あいさつ、夜はミュージック・ステーション生出演というハードスケジュールでした。
 俳優の動向にこれだけ注目したことなかったので、今更ですが「はあ・・・大変なんですね」って感心します。

10月19日(金)

 ドラマ「僕らは奇跡でできている」を「なんか評価難しいな」ってぼんやり観ていたわけですが、少し心の中で寝かせていたら「あ、これ、もしかして凄いことやってるのかも」って気がついた。

 高橋一生演じる主人公の「これ、どう見ても発達障害だよね」に惑わされていたのだが、「障害者を主人公にして、感動をありがとうって話じゃないようだ」って気がついたんだけど「じゃあ、何やろうとしてるんだ?」っていうのが見えないので戸惑っていたのですが・・・・

 2話の最後の方の高橋一生と榮倉奈々の焼肉屋のシーン。最初に観た時も「なんかメタっぽい」と思ったのですが、あれって、高橋一生の役柄の変人度を落として・・・そう、要潤の役柄が榮倉奈々の目を見てあのセリフ言っていたら、もろ、あからさまに口説いてるじゃん(笑)

 野外授業でのバードコールを使って「鳥と会話した」と言い張るタカハシに榮倉奈々は「そんなの思い込みでしょ?」って言うのだが、その二人の噛み合わないトークがまさに「鳥との会話」で、「会話が通じていると思っているのは、人間同士であっても常に思い込みである」という真実を浮き上がらせていて、ちょっとゾっとした。

 さらに、タカハシは自分の興味のあることしか話さないので、観察しているリスの生息地の話をするのだが、「道路を隔てて、リスが生息する場所と生息してない場所がある。リスは道路の向こうに行けないのか?それとも行こうとしないのか?」
 って話を焼肉屋でたまたま隣り合って・・・・でも、席一つ空いた男女が話しているわけです。
 「この空いた席の先に美しい女性がいるのを男は知らないのか、知ってても口説く気はないのか?」って。

 そして女性は言います「リスにそこを渡ってほしいんですか?」
 「それはリスの自由です。でも、渡ってくれたら、ボクは嬉しいです」

 だから、これ、要潤の役が真顔で語っていたら、絶対に口説いてるじゃないですか。
 いや、タカハシも、ああいう役作りじゃなくて「ちょっと変人」くらいだったら「変人の分かりにくい口説き文句」って思うでしょうよ。

 だから、よく考えると「超エモい」のですが、全くそういう演技や演出じゃないので、なんか見ていてモヤモヤするのですが、タカハシはたぶんそういうのわかった上であの演技だと思うし、それを踏まえての榮倉奈々のあの態度って素晴らしいと思う。
 松潤の「99.9」のシーズン1はけっこう見ていたのに、シーズン2はほとんど見てなかったのは、この榮倉奈々の「変人を真顔でスルー力」が無かったなからだと密かに気がついていたのだが、「僕キセ」でまたそういう役をやってくれたので、やっと確信した。
 さすがわ、「私のケント(賀来賢人)」と結婚しただけある(笑)

 高橋一生ファンとして、この役が好きかというと、正直ちょっと微妙なんだけど、ドラマの作りの「行間読みたい人はどーぞ。でも、そこに正解は無いんだけどね」っていうところは、すっごくハマりそうな感じなんだけど、2話で私が何度も再生してしまったシーンは「幼稚園の頃、おじいちゃんが教えてくれたから」って寝る前にイーってやるところだった。

 なんかそこに引っかかって「なんだこれ?」ってリピートしていたんだけど、これも今日になってやっと気がついた。「死ぬ直前のナツに膝枕してもらっていた時の政次だ」
 「なんで、ここで子供みたいになってるんだ、政次は???」って、あの時は大変揺さぶられたのですが、あのシーンと同じ顔を展開してましたね。
 「心から気を許した人にしか見せない顔」をここでやるのか・・・・

 というわけで、制作側は単に緩い雰囲気のドラマ作ろうとしているだけかもしれませんが、どうもタカハシが絡むと「また、なんか変な実験やろうとしてるんじゃないか?」って、つい深読みしちゃうんですよね。


10月17日(水)

 なーんかやっぱ調子ワリぃのですが、なので朝ドラのハセヒロの拷問・牢獄シーンも「ふーん?」って感じで眺めてます。

 本当です。

 まあ、こっちの心が死んでるだけかもしれませんが「もうちょっとエグくてもよくってよ、うふ?」って思うので、もし、もっと元気だったら、これで十分だったのか「もっと血ぃ滴るようなのくれよ!!!」って思っていたのか、今の段階ではわかりかねます。

 そうそう、「なんか心が死んでるな?」って根拠の一つに、一部で話題の映画「若女将は小学生」を見に行ったのですが、確かに面白かったんだけど、全然泣けなかったので「この泣き上戸のワタクシが?」ってびっくりしたのです。

 心のリハビリのために、ちょっと豪快に泣きたいんですけどね。

 あ、でも、月曜日の「しゃべくり007」のタケル×イッセイには萌えました。
 久々にテンション上がったよ。
 タケル×イッセイにはけっこう期待していたのだが、期待を遥かに上回る出来でした。

 タクミ×イッセイもマサミ×イッセイも良かったけど、斎藤工は監督だし同世代だから、そこそこハシャギつつも上品にまとめようとしていたので「天然年上彼女」みたいになっていたし、長澤まさみの時は、主演女優の引き立て役としてわきまえていたし、「空飛ぶタイヤ」の時は大御所・長瀬とディーン様の横でチャラチャラしているだけだったが、そういう経験を踏まえた上での満を持しての「メジャー作品で、大スター佐藤健の二番手」ですもの。

 年下イケメン俳優を漏れなくバックハグすることで一部では有名ですから「たけるンをどうするつもりだろう?」と手に汗握って期待していたら、完成披露試写会(私はハズれました)では期待通りにバックハグしてて、「お、これで、たけるンが触っていい生き物だと認識というか強引に意思疎通したな」と。

 で、長年(でもない)観察していて、だんだんパターンわかってきたんだけど、この人、「今演じてるキャラ」に引き寄せられるようで、映画「億男」の宣伝も佳境ですが、ドラマ「僕らは奇跡でできている」の撮影中だからイケメンモードじゃなくて変人モードに入っているようなのです。
 そういう中での「億男」の宣伝では、横にドドーンと佐藤健がいるわけだし、散々受けてるインタビューでも「初共演ですが、お互いの印象は?」っていうのが繰り返されているわけで、芸人さんが揃ったバラエティー番組では、そこを突き抜けてイチャイチャぶりを見せたほうがいいという方向になったのではないでしょうか?

 番組的には、タカハシが暴走して、芸人さんたちがそこにノって、バラエティ慣れしたタケルもちゃんと乗っかったように見えるが、私は高橋一生ファンだから「もう、最高!」って思いましたけど、よくよく考えるとやっぱ佐藤健上手いなあ、と。

 だから、月曜の「しゃべくり」は私が「こいつら上手いなあ」って思う役者二人による極上のワークショップみたいな出来でした。
 そして、高橋一生があれを出来たのは、やはり相手が「出来る子」だとわかっているから、というか、佐藤健のアドリブを引き出して、またそこに乗っかるっていうのを楽しそうにやっていたので、ほんと見ていて幸せでした。

 今週末公開なので、あと3つくらい番宣番組あるので、それも楽しみです。そうそう、ミュージック・ステーションに出るらしいので、タモさんどう絡んでくれるかしら?

 えっと、それで月曜夜はテンション上がって、火曜日は朝から「菅田将暉のオールナイトニッポン」をスマホのラジコで聴きながら出勤した。中村倫也がゲストだったので。

 電車の中で笑い堪えるの必死だった。
 中村倫也は、高橋一生とはまた違う感じでサービス精神旺盛だし・・・てゆーか、もし高橋一生が31歳の時にブレイクしてたら、こんな感じになったんじゃないかなあ?

 中村倫也にしても高橋一生にしても、ドラマ好きにはすでに高い支持を受けていた脇役俳優だし、充分に売れっ子だったけど、そういうのを脇目にガガガっとスターダムに躍り出た菅田将暉に対しては「尊敬と憧れと、でも自分のほうが先輩」っていう複雑な感情が絶対にあるんだろうし、中村倫也としては所属事務所的にも「直近に松坂桃李、その下が菅田将暉」っていうのにここ数年甘んじてきたんだろうと思う。

 それが、今年になって、朝ドラの「まあくん」ですよ、「まあくんロス」ですよ、同僚M嬢は未だに「中村ミチヤ」って言いますが「ともや」ですから!
 そういう状態でバラエティ番組にも引っ張りだこになって、とうとう菅田将暉のオールナイトニッポンのゲストになった中村倫也だったが、きちんと冷静に先輩風吹かしていて、きちんと冷静に「この番組のコアリスナーは朝ドラなんて見てないし」ってわかっていた。

 そして「ここは男子校ノリ」ってわかった上で、後輩の菅田将暉と視聴者投稿のミニ・ラジオ・ドラマを読み上げたのだが、菅田将暉も上手いんだけど、中村倫也のカメレオン俳優的な声の使い分けスゲーなやっぱ。

 おばさんな私は「ああ、超売れっ子の菅田将暉と、売り出し中の中村倫也がシロートが書いた、しょーもないミニドラマを極上に彩る・・・・」って感動した。
 「名優が読み上げれば、それが電話帳でも皆涙する」って話あるけど、31歳売り出し中と25歳大スターが読み上げる視聴者投稿は本当に素晴らしかった。
 そして「マサキが相手だから本気出した」っていうトモヤと「トモヤさん相手だからこっちも本気でやるしかないじゃないですか?」ってマサキのコラボにマジ胸が熱くなりました。

●「僕らは奇跡でできている」2話

 1話目は「主人公の発達障害具合がけっこう気になるなあ」って評価保留にしてましたが、2話もあんまテンポ変わらず、「ああ、このままやるのか」って思ったんだけど、「これ、まさにカメの歩みだな」って思った瞬間、ボワっとなった。

 泣けないんです。
 1話の時にも「あ、なんかここで泣きそう」と思ったんだけど、泣けなかった。

 そのあたりがスッキリしなかったんだけど、2話見て「安易に感動させようという話じゃないんだ」ってわかった。
 主人公は明らかに発達障害なんだけど、「そこはキモではありません」と。
 障害者が健常者に感動を与えます的な展開にはしないぞ、という意気込みはわかった。

 榮倉奈々ちゃんがよく機能してると思う。榮倉奈々を褒めるコメントが少ないが、今後の展開で、すでに「高橋一生と共演した女優には漏れなく落る気満々」な私と同じマインドのイセクラさんたちが大勢待機してます。

 そして初回では「ふーん、どうすんだ、これ?」って冷静だったんだけど、2話目ですでに主人公にガッツリ持って行かれてしまい、なんだこれ、全般的に愛おしい感じって、「カルテット」みたいだし・・・いや、「僕キセ」はそんなややこしい話では・・・って、火曜日の僕キセと水曜日の「けもなれ」って表裏一体というか、「けもなれ」は松田龍平だし、「カルテット」を因数分解した感じなのでは?

 家森はより面倒くさくなり、別府くんはよりクールになった的な?

 「けもなれ」も初回は「えええ?思ってたのと違う?」って思ったのですが、TVerでもう一度見てみたら、すごく丁寧な作りで「ラブコメ要素バラ撒いてるのに、他の社会問題的な要素が重すぎて、どう展開すんの、これ?」って感じで「僕キセ」は「感動しそうな要素を分散しすぎで、どこで泣いていいのかわからん」って感じで、前クールも視聴に忙しかったけど、今クールも問題作揃いで大変ですわ。

 ノーマークだった「ドロ刑」にうっかりハマってしまったのと、金曜日は山崎育三郎ファンだからNHkのを観ていたら、テレ朝のムロツヨシの恋愛モノが「戸田恵梨香にグイグイ迫られるムロとかコントかよ!」なんだけど、すごくうまく出来ていて、「ああ、もしかして、この先、ムロの演技で号泣しないといけないのかい?」って、ムロで泣きたくないけど、これ泣くんだろうなあ。ヤだなあ。

 というわけで、鬱鬱しているわりには私は元気です。


10月14日(日)

 昨日帰宅したら、「ドロ刑」の途中だったのだが、「わー、ジャニーズの中島健人が、ゆとり世代的な若者振り切ってやってるなあ」って思っていたのです。

 中島健人はバラエティー番組で見てると、どうってことないのですが、24時間テレビの石森章太郎役で、ドラマファン達が「お?」ってなってたので、私も少しだけ注目していたのですが、この「ドロ刑」で私もわかったよ。この子、できる!

 雰囲気的にはエグザイルのガンちゃんに似てるけど、私はガンちゃんがイマイチ何がいいのかわからないのだが、中島健人は、わかるよ!!!

10月13日(土)

 ダメだ。
 休みの日だと、朝起きても、全然なんもヤル気しねえ。
 一応朝ドラは見たが、しばらくして「そっか、健全な皆さんは、来週ハセヒロが拷問されるのに恥ずかしながら萌えてるんだ!」って気がついたくらいだ。
 確かに、そうだ!

 というわけで、ハセヒロ拷問展開への期待に乗り遅れているくらいプチ鬱のようです。

 それにしても、大事なことなので何回も書くけど、朝ドラのハセヒロはシャブすぎて、ほんと半年後の禁断症状が心配である。
 安藤サクラも確かにいいんだけど、まだ実年齢よりかなり下の年齢を演じていることもあり、照明の当て方が明るすぎるというか、陰影つけられないんだけど(いわゆる、トバす的な)、替わりなのかなんなのか、ハセヒロのほうがドアップで毛穴まで写していて、陰影つけまくってるので、だから「おんな城主直虎」の時の高橋一生もカメラワークというかライトワークかなり凝っていたんだけど、あれが週1でも相当ハマっていたのに、朝ドラは毎日やるからホントもう。

 こうなったら、ゴロゴロしながら、朝ドラのハセヒロ撮影テクニックの検証でもしてやろーかって本気で思ったのだが、「いけない、私にはどーしてもやらないといけないことがある」と己を必死に奮い立たせて、なんとか午後はお出かけしました。

●映画「あのコの、トリコ。」

 自分でも何を目指してるのかわからないけど、とにかく、意地でやってる「吉沢亮スタンプラリー」も今年はこれで最後なのかね?
 少女漫画原作で、吉沢亮が「冴えないメガネ男子」役らしいが「そんな無理設定成り立つのだろうか?」と半信半疑だった。

 そして「これ、ニコタマでやってないけど、新宿とか渋谷に出るの?」って考えて、「調布でもやってる。調布なら適度に地味そう」と、たぶん初めて調布の駅で降りた。ほら、鬱鬱してる時には旅っていうか、「知らない土地」に行くといいらしいって言うし。
 イオンシネマだから、駅に着けば自動的にたどり着くと思っていたのだが、駅前広場から見えない位置にあったので、「え?うそ?あれ?映画館どこにあるの?」って少しだけ慌てましたわよ。ほら、アタシって都会人だから、東京メトロだと改札口に周辺地図あるじゃん?ああいうもんだと思って調布の駅に降り立ったら、そういうの無かったんで「無いんか?」って驚いたわよ。

 だいたい、調布のくせに駅が地下にあるなんて生意気!
 そんなの下北沢とか成城とかに許されてることなんじゃないの?

 あと、調布駅からちょっと歩くと電通大とか「実家がある国分寺の農工大よりアクセスいいじゃん」って思ったのだが、農工大も知名度低いけど、電通大とかもっと知名度低いので「え?こんないい場所にあるの?」って今更ながら気がついて超複雑な気分になった。

 また話が逸れた。

 ユーウツな気分の、曇天の土曜日に、私は推しの映画を見るために、未踏の地だった調布に行ってみたわけです。
 午後3時の回でした。
 チケット買う段階で「あんまり混んでないな」ってわかっていたのですが、場内に入ると、続々と「学校帰りの制服姿の女子高生」が入ってきて「ああ、やっぱ、そういう感じの映画なんだ」って思ったのですが、高校生だけじゃなくて、女子中学生もいるし、女子小学生らしき姿も・・・

 こんだけ制服率高い客席も久々でした。
 なので「あー、私は何やってるんだろう?」って相当期待値が低くなったのもあるんだろうけど、映画はちゃんと面白かったです。

 原作はどうなのか知らないけど、「王子様に恋したメガネ女子が、最後はハッピーエンド」っていう定型を「お姫様に恋したメガネ男子」に置き換えていて、だから原作もその「メガネ男子」が中心なのかわからないけど、映画は吉沢亮主演でそう作っており、その「イケてない吉沢亮」が意外とよかった。

 つーか、私はそりゃ、吉沢亮の美貌に夢中なのだが、「だからってイケメン王子扱いするとつまらない」って思ってるし、「顔面は国宝級なんだけど、この超絶美しい顔面をどう料理するのがいいのか?」っていうのが凄く難しいと思っているので、「そこに正解はあるのか?」ってテーマを見出して、その研究に没頭しているわけです。

 そして、この「あのコの、トリコ。」には吉沢亮の正しい使い方の片鱗が散りばめられていたというか、「ほぼ正解」があった。
 イケてない役の方が断然映えるね。
 つーか、この映画のビジュアル(髪型と服装)は、ほぼ「僕らは奇跡でできている」の高橋一生で、「ちょwww、もしかして、僕キセを吉沢亮でやったら最強だったのでは?」って思った。

 原作が少女漫画だから「いくら、幼馴染だからって、女子高生モデルの女子に同級生男子を付き人にしないだろう?」とか、「高校生キャストで、舞台のロミオとジュリエットって?」とか突っ込みどころはけっこうあったけど、高校生設定は原作通りだから外せないとして、主要キャストが23歳くらいの芸能人だと考えると、ありそうな話になるので、細かいことには目をツブって恋する吉沢亮が地味男子と超絶美青年を行き来する展開を心から楽しみました。

 この映画で、吉沢亮のライバルとして立ちはだかる人気俳優役が杉野遥亮だったのだが、この子に見覚えがなくて「誰?」って検索したら、トップコートの若手俳優なんですね。そう言われれば「民王」のスピンオフにちょい役で出てたな。(無名のちょい役をちゃんと覚えているくらい激しく再生しているわけです)
 その割には、あんましカッコ良く撮ってもらえてないような気がしたが、まあ二番手男子ってそれが定石みたいだからなあ?

 少し前までは、そういう二番手男子って「売り出し中の若手イケメンがやることが多く、だからちょっと演技がイマイチ」なんだと思っていたんだけど、ドラマ・オタク度が上がってきたら「そもそも、そういう演出になってるのではないか?」と思うようになってきた。
 今やってる深夜ドラマの「文学処女」の二番手男子の中尾暢樹なんか、まさにそれなんじゃ?いや、本当に下手なのかもしれないけど(笑)、いい意味で絶妙な下手さ加減がすごく好きなので「これ、わざとやってるんじゃ?」って本気で思っているわけです。

 話逸れたけど、この間までやっていたドラマ「サバイバル・ウェディング」の吉沢亮が王子様役というか一番手だったんだけど、「うわー、王子様ダメだなこりゃ」って思ったし、同時にやっていた深夜ドラマ「GIVER」は低予算ながらも「狂った凶器な吉沢亮」だったので、たいへん美しく撮影されてて、「深夜ドラマの方がわかってるって、昔の高橋一生もそうだったなあ」って思ったのですが、「GIVER」の終盤とか血みどろの吉沢亮が己の精神世界を彷徨う展開になって「久々にこういう目指せ!ツイン・ピークス!みたいなの見たな」って思ったんですが、あれはやりすぎだとしても、中村倫也が散々やったような狂犬みたいな役やったほうが面白いと思うなあ。

 でも、事務所がアミューズだからなあ、っていう安心感はある(笑)
 あまりテレビドラマ出演してなかった佐藤健をこのタイミングでNHKと民放ドラマ掛け持ちさせて、私みたいな中高年ドラマ好きに「佐藤健の演技が凄い」って浸透させたし、そのタイミングで「億男」って、アイドル俳優を実力派30代俳優に持ってく流れが完璧すぎる。

 そんで、次のAK朝ドラが吉沢亮なんですから、「大手が本気で売り出している物件」なんですよね。

 しかし、これも何度も書いているけど「BKのハセヒロが凄すぎて、これで来年の4月からAKで吉沢亮だったら、朝ドラファンにボコボコにされそう」って今から心配しているのですが、「まれ」の時の山崎賢人とか、ほんと大根呼ばわりされてたからなあ・・・

 でも、この映画見て「美青年だけど変人っていう設定だったらけっこうイケるぞ?」と確信したし、「半分、青い。」も佐藤健の真骨頂は後半の「岐阜弁丸出しで三日間風呂に入らないようなイケメン」だったので、来年の朝ドラスタッフの皆様におかれましては、ぜひ吉沢亮を「顔しか、いいところが無いが、その顔がときどき神がかってるから許す」的な感じで美味しく料理していただけたら嬉しいかと。

10月11日(木)

 すこし前に「お?やっと更年期鬱抜けた?」って小躍りしていたのだが、またちょっと後退したらしい。

 味覚障害と右肘の違和感がバロメーターのようだ。あと、財布にレシートが溜まるとか。

 ただ、イライラしないのは助かるけど、そう思ってるのは自分だけかもしれない(笑)
 あと、八つ当たりする家人がいないだけかもしれない(笑えない)

●「獣になれない私たち」水10 日テレ

 「逃げ恥」の脚本家と主演女優のコンビなので、世間的にも個人的にも今期一番の目玉だったはずだが、「ええええ?ラブコメじゃないの?」という衝撃の第一回だった。

 ガッキーの追い詰められ方というか、社長役を山内圭哉が演じているからギリギリにコミカルなんだけど、機関銃のようにガッキーになんでも押しつける描写に「水曜日の夜にこれ観るのきっつぅぅぅ」ってなった。

 そして、私は何人か、ああいう感じになってしまった人を知っている・・・
 優秀な人もいれば、そうでもない人もいた。
 ああいうの、なんだったんだろう?

 ある、優秀だった男性Aさんのケース。

 Aさんは、若い頃から成績優秀な営業マンで、すぐに支店長を任されて、その支店もずっと売上がトップクラスで、40代で役員になった。
 この人が社長の片腕となって会社を引っ張っていくのだろう、と誰もが思っていた。

 しかし、その社長は、少しでも面白くないことが起こると「Aがちゃんとしてないからだ」と攻撃するようになり、Aさんは子会社であるうちに避難してきたのだが、電話攻撃凄かった。
 横で聞いても、ゾっとするくらいの、まるで「メンヘラ彼女からの電話攻撃」みたいで、優秀な営業マンだから適度に鈍感だったAさんは「なにこれ?」って素直に困っていたけど、横でそのやりとりを聞いていた私は「うわ、これ業が深い・・・愛だ・・・・歪んだ愛だ・・・・」と思っていた。

 あの社長はたぶん、自分より優秀なAさんを憎み、そして愛していて、Aさんの忠誠心を試していたんだと思う。「あの人は私と結婚したのだから、私のことを一番愛さなければいけないのよ」と言って、自殺未遂を繰り返していた私の友人みたいに。

 だから、あの社長も「あなたはなんで私の意図をちゃんと汲んで行動してくれないの?私をこんなに絶望させるの?あなたは本当は私のことを一番愛しているはずだし、そうしなくてはいけない人のはずなのに、なんで、そうしないの?」って、常に捲し立てていた。と、私は思った。

 「うわ、なんか萌えるな、これ」と私は密かに思っていたのだが、Aさんは優秀な営業マンであると同時に、私の知る限りでは指折の愛妻家というか、会社の全員が見られる予定表に「結婚記念日」とか「娘の誕生日」と書き込むような心底リア充だったので、その社長の歪んだ愛情を理解することはなかった。

 あの社長、それでもギリギリまでAさんを崖っぷちまで追い詰めて、私は「ああこれ、自分の足に縋り付いて、ごめん、俺にはお前しかいないんだ、ってやってほしーんだろーなあ」って思ったんだけど、優秀でリア充なAさんには、フツーにフォローしてくれる偉い人がいっぱいいたので、その人たちがAさんをもっと遠くに逃がした。
 だって、フツーの偉い人にとっては、Aさんはただの「ちゃんと稼ぐ、優秀な人材」なんですもん。


 あまり優秀じゃなかった女性Bさんのケース。

 私の人生の時系列ではBさんの方が先でした。
 Bさんは、容姿も凡庸で目立つタイプの女性じゃなかったし、とある中小企業に就職してもパっとしなかったけど、「なんか、もうちょっとこう・・・派手なことをしてみたい」という欲のある人だった。

 Bさんが勤めていた地味な会社に「なんちゃらコンサルタント」的に関わってきた「起業してる社長」に惚れ込んで、Bさんはその社長の下で働くことにした。ベンチャー企業に飛び込んだわけです。
 しかし、その会社はあまり上手く行ってなかった。
 バブルの頃はチャラチャラしてても何となくお金が回っていたのかもしれないが、リーマンショックでそういうお金の流れは途絶えた。

 しかし、その社長は根っからのハッタリ屋だったし、「俺は企画屋で、これで生きてきたし、この俺様の頭脳に金を払う人はいっぱいいる」って自信満々だったし、私には「その自信の根拠は?」って思えたんだけど、どうやらその根拠は、その社長に心酔するBさんの存在だったんですね。

 なんか、ほんと意味不明の共依存の世界を垣間見ました。

 今考えると、あの社長が本格的にダメになってしまったのはBさんという存在がいたからなのかも。

 私はフツーに「それ無理です、できません」って言ってましたが、Bさんには「それ無理です」って概念がなかったからなあ。
 その社長は頭良かったので、ちゃんと最初から自分でも無理だとわかっていることをBさんに押し付けて「ほーら、お前はだからダメなんだ」ってやってるの眺めてるの辛かった。

 そんで、Bさんは本気で「ちゃんとやれないのは、私に実力が無いから」ってマジで凹んでいたけど、あのクズ社長とBさんの関係性も、今だとフツーに面白いけど、当事者だった当時は「なにこれ、この子、完全に洗脳されてるけど、これどうすればいいの?」って本当に悩んだなあ。結果、逃げたけど。


10月10日(水)

 ここんとこ、すっかり窓際族な心地になっていて「なんかヤリガイねーな」ってヘコんでみたり、「こんなにラクして、これだけの給料貰っちゃって申し訳ねーな」ってヘコんでみたり、「忙しいよりヒマな方がいいに決まってるし」と強がってみたり、思春期の頃とはまた雰囲気の違う違和感?不安感?
 うまく言葉にできないけれど、少女から大人になる時もいろいろあったが、大人から老人になるのもいろいろ大変らしいと「長生きするといろいろあるな」って思うわけです。

 それでも、朝起きると、映画的クオリティーのハセヒロが展開しているわけで、今朝も「うわああ、松坂慶子がゴジラみたいに立ちはだかってる!!!」っていうのを「ここで逃げるか・・・・いや、福子さんは自分に逃げてほしく無いと思ってるらしい」という心情をアップで延々と表現して、そして「ハセヒロがゴジラに勝った!!!」っていう男気見せて歩き出すハセヒロの後ろ姿の素晴らしさよ。

 歩き方って、タカハシも上手いと思うのだが、ハセヒロの方が圧倒的にスタイルがいいので「なにこれ、完璧、完璧!!!」って朝からほんとテンション上がるので、本当にありがたいです。
 だから、この前も書いたけど、こんなハセヒロを毎朝摂取していると、半年後に全国のハセヒロ・ファンはマジで禁断症状でウツになったりするんじゃないでしょうか?

 って、仕事の話を書こうと思っていたんだ。

 「あたしなんて、元々トロかったのに、比較的役に立っていた記憶力も年々衰えてきて、もう存在価値ないのかも」とヘコんでいたのですが、次のイベント仕事の配置が発表されたのだが「え?こんな大変なパートに?」って驚いた。
 駅で言うなら東京駅だし、デパートだったら銀座店に配置されていたのです。
 その会場は一番の花形だし、数年前、総務部長がその会場のサブ・リーダーだった時に「子飼」として配置されたことがあるが、それ以降、入ったことなかった。

 しかも、前回、その会場では大きなトラブルがあり、今回は「絶対に失敗できない」って気合い入ってるんですよ。そして、リーダーは絶対に私のこと嫌いなはずなのに?
 嫌いでは無いのかもしれないけど、ほぼ存在を無視されていて、挨拶もしてくれないのに?
 いや、うちの会社は「挨拶もちゃんとできない人」はちらほらいるので、そのリーダー氏もそういう人なんだろうと思っていたら、つい最近、私のことはいつも通り無視したのに、私の後からやってきた人には「おはよ」と挨拶していたので「え?そういう人だったの?」と驚いたのだ。

 それで、その花形会場の大事な部署に配置されたのは、そのリーダー氏が所属する部署の「そういう会場で絶対に失敗しない信頼できる、デキる女子」が2名でした。なんだっけ?コミケの時にシャノワールに店長クラスが大集合するっていうアレですよ。
 そして、総務部からは、私とK嬢だった。
 K嬢も、元々そっちの部署にいた子だし、マニュアル通りにキチっとやる人で信頼が厚いのはよーくわかるが、そこになぜ私が????

 大抜擢なのか、ババアへの嫌がらせなのか判断に迷うというか、喜んでいいのか悲しんでいいのかわからないけど、前回失敗しているので、今回は絶対に失敗できないわけで、そういう意味では選ばれて大変光栄なのだが、「うっわーーー、私ってメンタル強いと思われてるのか?」って、そこも喜んでいいのか、悲しんでいいのかわからないけど、よくわからないんだけど、もしかしたら、もう少し「ヤバい人」演出しておいたほうがラクなのかもしれないなあ、でも「扱いにくい人」だと思われてないらしいのはちょっと嬉しいんだけど、でもなあ、って、いろいろ複雑なのであった。


10月9日(火)

●「僕らは奇跡でできている」フジ 火9

 これ、ほぼ「グッド・ドクター」だよね?
 予告観てても「発達障害なの?」って思っていたけど、本編見たらやっぱりかなりそうだった。
 でも「グッド・ドクター」も山崎賢人が可愛すぎてほぼ全話観てしまったが、こっちの高橋一生も時々ギョっとするほど可愛いし、話のベースは、ちょっとほのぼのすぎて好みではないのだが、緩くキツイところが散りばめられているので、たぶんそのキツい設定を徐々にまとめていくだろうから、2回目が楽しみというか、次回にならないと本当のトーンがわからないと思った。

 あと、好感を持ったのは、美人歯科医の榮倉奈々、大学の同僚の要潤、そして西畑くんなどの「ヤル気の無い大学生」が、ベタなキャラ設定だけど、全体的に嫌味っぽさが控えめというか、意図的に緩々の演出にしているらしいところである。
 あ、事務長の阿南さんはベタベタにやっていたけど、あれも口うるさいだけで悪役じゃないし。

 そういや「グッド・ドクター」では医者の同僚たちが自閉症スペクトラムの主人公に非常に辛く当たっていたので「医者なのに?」「いくらなんでもど突いたりするのはちょっと・・・」と、その部分が不評だったけど、中盤以降は次々と陥落されていったので暴力的な描写が減ってホっとしたんだけど、この「僕キセ」は「発達障害者を差別しない設定のグッド・ドクター」みたいなことになっているのはちょっと興味深い。同じフジテレビだし。まあ、「僕キセ」は関テレなんだけど。

 そして脚本的にも、主人公は「天使」じゃなくて、自分勝手でズルいところもあるし、すぐ逃げるし、とても子供っぽいのだが、大人としてちゃんとしている部分もあるので、このグレーな発達障害描写と変人のバランスがきちんとエピソードに絡んでまとめられたら、中盤から化けるのではないだろうか?

 脚本家の橋部敦子は草なぎ君の「僕シリーズ」の人なので、もしかしたらこの企画も最初は草なぎ君だったのかもしれない。草なぎ君がこの役やっていたら、もっと「ピュア」(ドラマの題名。和久井映見、堤真一主演で、私はこれがメチャ好きだった)っぽくなっていたのかもしれないけど、タカハシがやると、なんかちょっとズレてるというか得体がしれない感が増しているようなので、今後の展開が楽しみである。

 あと大学の研究室がかなりショボいのだが、そういとこをあまりリアルにやらない方針なのかもしれないし、主人公の自宅や部屋も、歯科医の診察室もオシャレ感を意図的に抑えてあり、屋内セットはダサくて狭いという貧乏感がどことなく漂っているのも面白い。
 都心の審美歯科で週2で勤務し、一流レストランに出入りし、宝飾店で高価なネックレスを衝動買いして、ファッション誌に取材されるという、華やかな世界に片足突っ込んでいるのは榮倉奈々だけで、その彼女にしても「父から継いだ街の歯科医」を背負っているわけで、彼女もまたボーダーにいるわけだ。

 今後はもしかしたら「狭くてダサい室内での人間模様」とロケの対比が生きてくるのかもしれないし、なによりも自転車を楽しそうに漕ぐタカハシの画がファンには嬉しいわけです。萌えポイントの手の血管もしっかり撮影しているし、「うむ、腕毛も毛穴もちゃんとしている」と(笑)

 そして、私も含め、一部の「おんな城主直虎」ファンは、「転生した政次が亀と同棲している」ってだけで泣くし、井伊のために政次を利用した南渓和尚(小林薫)が「すっかり惚けた政次」を優しく見守っているだけで泣く。

 一つだけ気になったのが、主人公の祖父役の田中泯がドラマでの「現在の時間軸」の中に本当に存在しているのか?ってことです。公式のキャラ設定では、そうじゃないらしいことが書いてあるんだけど、初回のラストシーンで主人公が祖父の窯小屋を訪れて風通ししていたので「あれ?もう死んでるんじゃね?」って思ったんだけど、あれはそういう伏線じゃないのかね?深読みしすぎかね?

 そんな深読みするドラマでもないような気がするけど、「けっこうギリギリ感狙ってるような?」って感じもするドラマだったので、そういう意味でも「2話あたりで方向性わかってきて、素直に楽しめるといいな」って思うけど、「住み込みのお手伝いさんと二人暮らし」って時点で、なんか不穏なんですよね。不穏大好きだからいいんだけど(笑)


10月8日(月)

 昨日は出勤だったので、今日は休みにしたんだけど、明日は朝からずっとフジテレビの情報番組にタカハシが生出演だったーーーーーーー、明日休みにすればよかったーーーーーーー!!!

 さて、10月期のドラマのスケジュールがどうなっているのか、まだちゃんと把握してないんだけど、とりあえず火9はタカハシ初主演(ゴールデンタイムは)で、どうやら面倒臭いキャラのようなので楽しみだが、要潤がいてくれるので安心感がある。朝ドラ「まんぷく」でも安定の要潤ですからね。

 そういや、「要潤って朝ドラで観たことなかったな」って思ったんだけど、2002年の「まんてん」に出ていたらしい。観てないので知らんけど、要潤がそれだけ朝ドラに出てなかったってことがけっこう意外だ。
 過去出演作をざっと眺めてみても、NHKドラマにはあまり出演してないのね。

 で、「まんぷく」ですが、高橋一生と並ぶ「NHKが発掘して育てましたwww」な長谷川博己が満を持してヒロイン役なんですが、今日なんか、ホテルのロビーで転ぶは、雑踏で叫ぶは、「さすがNHK。ハセヒロの料理法をわかりすぎている」と悶絶。これは、再来年の大河ドラマも期待できますわ。
 朝ドラのくせに、ハセヒロのシーンは映画のロケみたいに撮影されてるので「朝から、こんな贅沢な・・・」って感激してますが、大丈夫なのかBKは、予算大丈夫なのか?

 それにしても、「半分、青い」でドンパチした後に「どストレートに恋する長谷川博己」っていう「想像すらしてなかったもの」を投げられて、MOZUクラスタやシンゴジ・クラスタが激しく戸惑いながらもズブズブと沼に沈んでおりますが、これから戦争に突入するのもわかっているのですが「あれ?ハセヒロと戦争って、もしかして初めてじゃね?」って、ゴジラが襲ってきたり都庁爆破されてるハセヒロですが、30代になってから映像作品に出始めた人なので、意外と出演作少なくて、時代モノも「八重の桜」とか「夏目漱石の妻」とか、かろうじて太平洋戦争にちょっと絡んでいるのは「獄門島」くらいなのか?

 でも「まんぷく」では、安藤サクラはまだまだ実年齢よりも相当若い年齢設定なので、かなり作って20歳そこそこの女子を演じてますが、ハセヒロの役の年齢設定が不明なんだけど、20代半ばくらいの設定なのかね?
 でも、理系童貞感それほど出してないんだけど、「付き合ってください」って勢いで言っちゃってからの「俺、なんでこんなこと言ってるんだろう」的な戸惑い感、めちゃくちゃ上手くて、そしてハセヒロの凄いところは、めちゃくちゃ上手いんだけど「ほら、上手でしょ?」って感じが全然しないところだ。

 ああ、今から心配だ、次のAK朝ドラが。
 こんなハセヒロを毎日供給された後に吉沢亮が出てきたら、ボッコボコに言われそう(笑)

 あの佐藤健ですら、ドライブするのが難しかった朝ドラで、吉沢亮大丈夫なんかと、ハセヒロ先輩(41歳)は華麗にドライブしているようですが、20代の山田裕貴や吉沢亮には苦重いよなあ。主人公の兄役のオカダマが引っ張ってくれるのかもしれないけど、そのオカダマもNHKの「昭和元禄落語心中」がけっこう難しそうな作品だし、いい意味で「代表作って何?」って感じの子なので、「半分、青い」でも永野芽郁と佐藤健という20代受けしそうなキャスティングで「若者の視聴率ゲット」ってやったAKやけど、次のも、ほんとそういう感じでドキドキしてまうけど、今のところ、安定のハセヒロにドキドキしているので、しばらくこの沼にヌクヌクと浸かっていたいです。


10月7日(日)

 半分青いロスに浸っていたので、ついうっかり初回からまた見てしまったのだが、やっぱりこれすごいね。

 放送当時にも思っていたのだが「スズメとリツは10歳でトレンディードラマの山場をすべてやってしまってる」って。
 川を挟んで糸電話で名前呼び合うとか、水落して背負って歩くとか、難病に冒されてどーのこーのとか。

 「おっさんずラブ」は月9設定をすべて男性キャストでやってみたら超絶面白かったという話だったが、半分、青いは月9設定の逆回転というか、あれを逆回転すると「職場で出会った男女。しかし別れて、女性が職場を辞めて夢(この場合は漫画家)を目指す。そして再会するが、難病に冒されて・・・」ってけっこうありがちな話だったんだよなあ。

 なので半青は、「トレンディドラマ的には詰んだカップル」をどうくっつけるかって話だったんだよね。
 ただ、死生観はけっこう生々しくて、それは脚本家の闘病生活がどうしても出てしまうので、「医者に言われて、ちゃんとわかってはいるんだけど、つい代替医療にも手を出してしまう」っていうののリアリティとか、ほんと、生々しかった。

 だから、この「朝ドラでトレンディドラマやりますよ」って軽い感じと、妙に生々しい「病気になることも、死ぬこともありますよね?」の塩梅に耐えられなかった人が多かったのも頷けるなあ。
 ただ、そういうセンシティブな話に過剰に攻撃的になる気持ちはやっぱりよくわからないんだけど、精神病んだ友人が過剰に攻撃的になっていたのも見ていたので「攻撃は最大の防御なり」って気持ちはなんとなくわかる。

 わかるけど、何を守っていたのかは、よくわからないんだけど。


10月5日(金)

 月曜日にやっていたフジテレビの「これから始まるドラマのキャスト大集合」番組は、3時間生放送という苦行でしたし、「全然面白くないんだけど、こういうの誰が観るんだろう・・・・って私か?」って推しが生放送で出ているから「なんかあるのではないか?」ってハラハラと見守ってるんだけど、NHK紅白歌合戦を安定の笑顔で演じきったタカハシですから、この程度ではボロは出さないのわかってるのに、つーか、あそこに出るレベルの芸能人はみんなそれくらいちゃんとやるんですよね。

 で、「はい、じゃあ次」って昨日の嵐の番組は収録だったし、タカハシ座長として出ていたので、けっこうちゃんとしていたが、いつもは見ないこういう番組を真剣に見ているのもけっこう辛い。野球選手が出ていたりすると、けっこうグダグダになったり「お?こいつはセンス(バラエティーの)あるぞ?」と野球以外の才能が見え隠れしてけっこう楽しいんだけどね。

 野球といえば「中日の浅尾きゅん引退」のニュースには電車の中でマジ泣きそうになったが、それ以降も私が好きだった選手の引退が続々と発表されて、私がうっかり野球ファンに返り咲いてから早10年経ったが、30代半ばで引退してしまう選手生命の短さに改めて目眩がする。
 これ、何度も書いているが、「遅咲きブレイクした星野源とディーン・フジオカと高橋一生は同じ年」ってことを知った時に「・・・・・え?松坂世代じゃん?」って驚いた。
 当の松坂は辛くも最後の輝きを見せたけど、「松坂世代」の他の選手はほとんど引退したというのに、芸能界では「ここでブレイクして、キャリアハイはまだ先か?」っていう、なんて表現すればいいのだろう、時間軸の違いというか、時空が歪んでいないか?

 時空の歪みといえば、少し前に私が抱いた素朴な疑問に「岡田准一が好きだったので、大河ドラマの軍師官兵衛はけっこう見ていたはずなのに、家臣役で出ていたはずの高橋一生を観た記憶が全くない」というのがあったのだけど、「これはそのうち検証しよう」と思いつつも、なかなか出来てなかったのだが、先日やっとDVDを借りて見てみた。

●大河ドラマ「軍師官兵衛」2014年

 高橋一生が登場する4話から8話まで観てみた。
 そしたら、やっぱし「けっこう観ていたな」って思い出したよ。中谷美紀が演じる官兵衛の妻に、叔父が「二人目の子はまだか。じゃあ、精が出るように、うなぎの差し入れしよう」って、とてもウザいシーンとか、官兵衛と秀吉が仲良く虫を食べてるシーンとか。

 で、官兵衛の家臣である永井大が、中川翔子に「この戦争終わったら一緒になろう」って「これで死ななかったら逆にすごいな」っていう盛大なフラグ立てて、きちんと討ち死にしたのも覚えていたのだが、その戦で主要家臣がほとんど戦死したので新規加入したのが、速水もこみちと高橋一生だったのか!
 って、やっと「高橋一生の記憶が全然ない」という理由がわかった。
 速水もこみちのインパクトが大きかったし、前からいた濱田岳とのデコボココンビの印象も強かったから、これじゃあ、全然覚えてないのも然りというか、今観ると「後ろの方で細かい芝居してんなあ」ってわかるのだが、なにせあんまり真剣に観てなかったし、そもそも好きなタイプの顔でも無かったので完全にスルーしていたらしい。

 すっかり「ドラマおたく」というか、「ネクストブレイクを探せ!」にハマってる今だったら「おや、この子はきっと、そのうち出てきそうね」とチェックするだろうけど、あの当時はそういうマインドもなく「岡田准一も中谷美紀も大好きなのに、なんかこの大河ドラマ、イマイチだなあ」って思いながら観ていたので、脇役まで気い回りませんでした。

 つーか、いまさら鑑賞してみると「おんな城主直虎」では、異常なほど美しく撮影されていた高橋一生が、「軍師官兵衛」ではフツーに雑に撮影されているので、その落差に軽くショックを受けるっていうか、「カメラの嘘」っていうか。

 幼少期こそ家のテレビは白黒だったけど、物ごころついてすぐにカラーテレビを観て育ったので「映像こそ真実だ」みたいに思っていたのですよ。
 まあ、今どきの4Kだ8Kだっていうのでも「解像度を上げていけば、さらに真実に近ずく」って感じじゃないですか。

 ところが、10年前くらいに野球観戦して「あ?」って思ったんですよね。
 野球場で野球観ると、野球っていうのは投手のアップや、捕手のサインに首振るとかの「あの映像が全てではないんだ」って。
 そして、打者が凡打して「ああ、ゲッツーだ」って思ったら、「はい、ショートがとって、セカンドに送球して、ファーストに・・・・ってその間にもう投手はマウンドからベンチに歩き始めてました」っていうの、テレビだとフツーに流れますが、現地で見てると「あ、そっか、その視線のスイッチングも自分でやらないといけないんだ」って、なんてことのないプレーの流れも「次の動きを予想した撮影チームの華麗な連携」の元に放送されたるということがよーくわかって、「ドラマやバラエティには演出の意図があることがわかっていたが、スポーツ中継もそうだったんだ」ってことが、やっとわかったのでした。

 だから「軍師官兵衛」は主演の岡田准一をいかに魅力的に撮影するかに重点を置いているから、脇役の高橋一生は全然目立ってないんだけど、「映像作品」っていうのは、ドラマにしてもニュースにしても、こういうものなんだよね。

 どこにも「真実」なんて無いんだ。
 現地にいたって、例えば内野ゴロでゲッツーとった時に、私は内野しか見ていないが、その時外野手や、ブルペンがどういう動きしたのか私には全部把握できないし、じゃあ全部カメラに収めればいいのかもしれないけど、あらゆる事象を24時間365日360度撮影したものを全部観ろと?

 それまで「真実」っていうのは、どこかにちゃんとあるものだと思っていたのだが、年とってきてわかってきたのは「そんなものはどこにもない」ということで、それはとても恐ろしい発見だったが、その逃げ道が映画だったりドラマだったりする「フィクション」の世界だったし、「どこにも本当の高橋一生なんていないよ」って感じの高橋一生に夢中になってみたりしたし、「どこにも本当のカメラなんてないよ」って感じの「カメラを止めるな!」にびっくりしていたりするのだが・・・・

 ああ、そうか、「半分、青い」は、「そもそも作り物ですから」感を撒き散らしながら、どこか真実を探しているようなドラマだったから夢中になってしまったのかも。

 次の「まんぷく」は、きちんと作為が見えるというか、「痛い」ところも「ほら、ここが痛いでしょ?」っていうか、だいたい「恋に落ちる瞬間のハセヒロ」っていう「なにこれ?フツーに落ちるんですけど」っていうのも見せ付けられて、そもそもAK朝ドラに比べるとBK朝ドラは予算落ちてる感じがずっとあったのに、「なにこれ、1週目から贅沢に主演クラスの役者投入してて」って感じで、さらに出だしだけかもしれないけど、大急デパートとか(べっぴんさん)、北村笑店とか(わろてんか)、洋装店(カーネーション)、地下鉄の入り口(ごちそうさん)、酒屋(マッサン)などが背景で出てくるので「平成最後の作品だから、なんか大集合させているのか?」って感じです。

 それにしても、いきなりツイッターが落ち着いたね(笑)
 まだ、あからさまに前作をあてこすりする呟きも目に入ってくるけど、ほとんどが「面白そうで良かった」って純粋に楽しんでいる感じだが、でも、なんか勝手に「息子が変な嫁とやっと離縁して、次の嫁を過剰にほめちぎってるみたい」な気配を感じて複雑な気分なのだが、自分も早く気持ちを切り替えていきたいところではあるが、やっとノベライズ本の下巻買って読み始めて、改めて「こんなセリフを朝ドラでよくやったなあ」なんて感心しているので、毒抜きにはまだ時間かかるのかもしれない。

 それにしても、始まる前から「え?毎朝ハセヒロが見られるんですか?そんな幸せなことがあっていいの?」って思っていたけど、1週目からじゃんじゃん出てくるので、すでに半年後のハセヒロ・ロスが心配である(笑←半分、真顔)

10月4日(木)

●前の改元の話

 この話まだ書いてなかった。
 会社で作成している顧客に配るカレンダーの手配は同僚M嬢がやってるのだが、この間「そういや来年、元号変わるんだっけ?」と言っていたので「そうだけど、直前にならないとわからないんだってwww」と答えたら「みんな、どうしてるんだろう?」って言うから、「カレンダーは元号放棄するしかないよね。カレンダーじゃないけど、役所は事業計画なんかを平成35年度とかフツーに表記してるみたい。」と雑談していた。

 それでふと、私のスイッチが入って「平成になる時は大変だったなあ」って言ったら「印刷物とか、システム関係でもけっこういろいろあるもんね」とM嬢が言うので「それもあるけど、あの時はいつ昭和が終わるのかわからなかったから、もうずっと、どうなんの、どうなんのだったし」と遠い目で語ったら、M嬢が「そうだったっけ?」と言うので「自粛とか自粛とか自粛とかすごかったじゃん」って言ったら「????」

 私 「え?私はもう働いていたけど、Mさん何歳だった?」
 M 「高校生・・・・」

 22歳の社会人と(当時はアルバイトみたいなもんだったが)、17歳の高校生だと、これだけ記憶に落差あるもんなのでしょうか?
 「テレビで、毎日、天気予報みたいに、昭和天皇の本日の血圧とか発表されてたじゃん?」
 「お笑い番組まで自粛になっちゃったし、歌舞音曲の類ってワードを初めて認識したよ?」
 と、私が思い出すまま言っても、M嬢は「全然記憶にない」

 まあねえ、高校生は自分の身近なことだけで精一杯だったりするから、私だってたまに思い出すけど、手塚治虫の「火の鳥」みたいな人類が三回くらい滅亡したかのような濃厚な時間だったので、その頃、銀河系の外では?みたいなこと言われてもねえ?

 私が未だに覚えているのは、テレビ局・・・たぶん、赤坂のTBSにお使いに行った時のことだ。
 CM制作部のパシリだった私は、出来上がったCMの納品でよく電通とか博報堂にパシったけど・・・そう、納品スケジュールがタイトだと、まずタクシーで「イマジカ」まで行って、って当時は「イマジカ」って言うと「え?」っていう運転手さんがけっこういたので「東洋現像所です」って言い直すと「ああ、そっか、名前変わったんだっけ」ってことよくあった時代。
 そして「すぐ戻るから待っていてください」ってタクシー待たせてイマジカで受け取ったCMのフィルムだったかビデオだったか、あの頃過渡期で納品形態まちまちだったんだけど、とにかくそれを広告代理店のラテ局や、ほんとにギリギリの時にはテレビ局に納品に行っていた。お昼ご飯食べる時間なくて、タクシーの中でサンドイッチ頬張っていたこともあった。

 えっと、そう、テレビ局の話。
 よく覚えてないけど、CMを納品するような部署は報道や制作などの花形部署ではなく、比較的お役所的な管理部門ぽかったが、部署名覚えていないんだけど、そこに昭和63年の暮れ頃に行ったら、よく目立つ場所に手書きの「天皇陛下の今日のご体調」みたいな掲示があって「血圧○○、心拍数○○」って、その当時の看板番組の視聴率みたいに張り出してあって「はあ、なんじゃそりゃ?」と思ったのであった。

 私と同世代かそれより上の世代は、東日本大震災の時の自粛モードに「ああ、昭和の終わりも」って思い出したはずだし、昭和天皇が「生きてるけど、天皇退位してもいいですよね?」って「お気持ち」を表明した時には「ああああ、ほんと、あの時は大変でしたが、よくわかってらしたんですね?」って、私はどっちかというと「濡れた靴も汁気の多い弁当も全て朝日新聞で包んだ」っていう、やや左巻きのアンチ保守育ちで「天皇陛下万歳」には眉をひそめるタイプなんだけど、天皇陛下の「あん時みたいなの、ヤなんだよね」って話にはガッツり膝寄せましたよ。

私 「なので、昭和から平成になる時は、ほんとマジでスットコドッコイだったので、あんなのマジでやめてほしいから、今回は事前に改元スケジュール作ろうぜ、という話でこうなったのかと・・・」
M嬢「え?そうだったの?」

 よく、10歳年が違うと、そういう話が通じなくなるといいますけど、ああ、そういや私はずっと「年ごまかしてるんじゃない?」って言われていたなあ。
 けっこうきちんと朝日新聞を読み、テレビニュースも見ていたので、10歳くらいからの時事ニュースの話にガッツリついていけたので、20歳くらいの時にも、年上の人たちの「あの頃は」って話についていけてたらしいです。
 その頃は「は?なんでそんなこと言われるの?」って思っていたけど、こうして自分が立派なオバサンになってみると、「え?たった5歳下でも、もう30年前の時事ニュースの話通じないの?」ってびっくりするので、「こういうことだったんだ」って今さらやっとわかってきました。

 これは、会社で誰にも言わなかったんだけど、FAX広告で「ベルリンの壁崩壊以来の衝撃!」っていう宣伝文句があって、「この言い回し、久しぶりに見たわ」と、しばらく一人で笑っていた。

 「ベルリンの壁」って、どのくらい下の世代に通用するんだろう?
 私がドイツに旅行した頃は、もはや歴史遺産になっていたけど、大学の先輩達が卒業旅行に行った頃は実際にあって、「東ベルリンまで行ってみた」っていうのはけっこう武勇伝だったんだよね。

 私が生まれる前からあったので、少女漫画でもベルリンの壁を題材にした作品があったのだが、たぶん、今の30代以下の人たちには、全然エモくないんだろう。
 つーか、なんか、私の世代だと「ベルリン」って特別なものだったし、だからスネークマンショーで伊武雅刀が「ベルリンで録音した」って言うのも特別だったんだけど、「スネークマンショー」もどのくらい通用するのだろうか?

 私にとって伊武雅刀といえば「ヤマトの諸君」のデスラーなんだけどさ(笑)


10月3日(水)

 おっと、もう10月だ。

 「半分、青い」が終わったので、皆様の総括感想文読みふけったり、台風の日には「律ロス予防のために」と佐藤健主演映画のDVD観ていたり、ついでに借りてみた「夜のせんせい」と「軍師官兵衛」で高橋一生と田中圭のダブル攻撃で頭ぐちゃぐちゃになっていたのでなんだか忙しかった。

 そして昨日はまた芝居を観に行ったのだが、初日が金曜日だったので芸能ニュースでは「小泉今日子と豊原功補がツーショットで公の場に」という記事が上がっていたけど、「あ・・・そうなんですか」と多少覚悟して行ったのだが、やっぱし二人ともいたよ(笑)
 (10年後の自分用に補足。少し前に小泉今日子が女優業を休業してプロデュース業やることなり、そんで離婚が成立していないので不倫関係になる豊原功補との交際も認めてた)

●舞台「またここか」DDD青山クロスシアター

 それよりも、まず、劇場外で満島ひかりと坂元裕二が立ち話しているという光景に目眩がしたが、坂元裕二は物販コーナーで自分の本を手売りしてました(笑)
 (満島ひかりも、事務所やめたとか少しネガティブな報道されてたので元気そうで良かった)
 つーか、劇場が「定員180名」らしいが、そんな規模なのでロビーもすごく狭くて入場する客と物販に並ぶ客とトイレに並ぶ客でわちゃわちゃしてたんだけど、そこに演出の豊原功補と脚本の坂元裕二と制作会社の小泉今日子が存在してるって密度が濃すぎて「なんじゃこりゃ?」でした。
 あと、坂元裕二っていつも出てくる写真そのままの人だったんですね。けっこうイケメンな写真なので「選ばれた写真」だと思い込んでいたのですが、実物もフツーにイケメンでした。大変失礼いたしました。

 というわけで、私は「吉村界人くんの初舞台!しかも共演が岡部たかし?これは絶対に行かなくては!」ってことでチケット買ったので、想定以上の豪華なロビーにドギマギしてしまいましたぜよ。

 さて、舞台の内容は感想書くのすごく難しいんだけど、吉村くんがガソリンスタンドの若い店長で、すごくヤル気の無いバイトの小園茉奈(ナイロン100℃)と噛み合わない会話をしてるところに吉村くんの腹違いの兄を名乗る岡部たかしが木下あかり(「ああ、荒野」で菅田将暉の恋人役)を連れてやってくる。という話で、最初の方は、けっこう直球で笑いとってきたので「コメディなのか?」って思ったんだけど、全然違った。
 「あ、そっか、坂元裕二脚本だった」って。

 雰囲気的には「カルテット」で、ドタバタと笑える会話劇やってるんだけど、けっこうキツい展開になってくる感じで、そう考えると「余命短い父親」とか「妻に愛想つかされて離婚した男」とか「もしかして殺した?」とか「カルテット」と同じ要素が散りばめられていたけど、テレビドラマとは違って、限られた人しか相手にしてないから、キツさのレベルが違った。
 そっか、坂元裕二が「しばらく連ドラは書かない」と宣言したのって、こういうことやりたかったからなのか。

 私は坂元裕二のドラマでも、その「徹底的に容赦しない」ってところが少し苦手なんだけど、そういえばやはりキツい話ばかり書いていた野島伸司が先日の「高嶺の花」では、まさかのお花畑ハッピーエンドを書いたので「え?全員涅槃に落ちたのか?」って戸惑ったのだが、坂元裕二は「カルテット」の最終回みたいな「このまま全員で排ガス自殺でもするんじゃね?」みたいな、「回収はしません。キリっ」みたいな路線を突き進んでいくのだろうか?

 劇中で吉村界人は、「それをやってはいけないとわかっているのに、どうしてもやってしまう」と言っていたし、作家役の岡部たかしは、自分の小説を真似て自殺した少女に「俺は関係ない。迷惑している。こっちが被害者だ」と言ってしまうし、そういう痛いセリフの中に坂元裕二のメッセージが込められていたような気がしたが、セリフそのままのメッセージでも無いような?

 というわけで、いろいろ深読みポイントがあるのも坂元裕二っぽいんだけど、後半ほんとにシリアスになってきたので「どうまとめるのだろう?」とドキドキしていたら、表面的にはすごく救いのあるラストで、「でも、よく考えると、これ、何も救ってねーぞ」なんだけど、じわっとなった。

 この感じ、なんだったっけ?ってずっと考えていたんだけど、あれだ、ジーン・ウルフの「デス博士の島」だ。
 いや、ストーリーは全然似てないんだけど、「なんだこりゃ?」感がフワっと着地する感じが。

 これが映画ならもう一度観てしまうところだが、演劇はそう簡単にはいかないところが辛いな。
 映画でも、どうしても最初はストーリー追うのに必死で、演技だの演出だの美術だの細かいところまでチェックできないから、展開わかった上でもう一度見るのが好きなんだけどなあ。ドラマだと好きなのは3回くらい観るし。
 そして、演劇は毎回全く同じではないのだろうし。

 それでもやはりお気に入りの俳優が、目の前で演じているのを観るのは楽しい。
 吉村界人くんは、けっこうテレビドラマそのまんまだった。
 初舞台だけど、舞台俳優としての出来はどうだったのか、シロートの私にはよくわかりませんが、悪くはなかったと思う。
 もっと追い詰められた感出しても良かったのでは?とも思ったけど、あれは演技というよりも演出の趣味だろうし。
 そんで、顔がわりと大きいし、造作も大きいから舞台映えしてたんじゃないかなあ?私は前の方の席だったので、後ろの方だとどう見えたのかわからないけど。席によって見え方が違うのも舞台のいいところでもあり、微妙なところでもあるよなあ。

 あと、岡部たかしの出る舞台観るのは二度目だが、テレビの方が声が良く聞こえるような気がする。テレビドラマだとちょっとしか出てこないからインパクトあるだけかもしれないけど。

 って、相変わらずまとまらない感想文で気に入らないが、まあいいや。
 「つまらない」だと悪口ダーダー出てくるのに、こういう単純な話じゃなくてジワジワ面白いのって、感想書くのむずかしいね。
 うん、でもジーン・ウルフ思い出したのって自分的には最大限の褒め言葉ですから。


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