可燃物な日々

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日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました

12月27日(日)

 午前中、テレビをうろうろしていたら(特番モードでいつも観ている番組がやってなかったから)「NHKスペシャル 腰痛治療革命」っていうのやっていたので、「ふーん?」と思いながら観てみた。
 「ふーん?」と思ったのは、冒頭で取り上げられていたのは長期に渡って腰痛に悩む人だったから。私も腰痛持ちであるが、数年に一度ぎっくり腰に見舞われるけど、慢性的に痛みがあるわけではない。たまに軽い痛みがしばらく続いて「また、ぎっくりになったらヤダなあ」ってことはあるけど。

 ところが番組内で「腰痛に効く体操」として紹介されていた体操が「あ!これ知ってる!これだったのか!」と気がついた。
 真っ直ぐ立って手を腰に当てて、ぐっと反らすという簡単な動作だが、この動作を秋に母親から「テレビでやってた」って教わったのだ。

 母曰く「こんな簡単な体操で、どっかの国では・・・・どこだっけ?ベルギーとかデンマークだったかな?とにかくどっかの国では腰痛患者が激減したんだって」

 へーっと思ったが、後でネットで調べてみたけど、母の漠然とした話をキーワードにしてもそれらしきものがヒットしなかったのだが、たまに腰の調子が悪い時にはエレベータ待ちの時間に反り返ってみたりしていた。
 そして、そんな動作のこともすっかり忘れた今頃になって、やっと母の話のソースを偶然観たわけです。

 結論として「おがーさんの話、全然ちげーじゃん」でした。

 この番組が最初に放送されたのは7月だったらしいので、私がその話を母から聞いたのが9月だったから、2ヶ月経つと親の脳内ではかなり違う話になってしまうらしい、ということを勉強しました。

 まず、その腰反らす体操は、いわゆる腰痛体操ではなかったのです。
 この番組の趣旨は「慢性腰痛の原因は腰じゃなくて脳にある」ってことでした。ぎっくり腰の激痛を経験すると、その後、体を動かすことが怖くなってしまいますが、その恐怖心が強い人は脳のある部分の働きが鈍くなり、そうなると脳内の痛みの信号が暴走したまま止まらないとかなんとか。

 なので、東大医学部の専門医が考案したのが「まず知識で不安を取り除く」って方法で、「椎間板ヘルニアも、多くは自然に治ります。安静にしているよりも、動いた方がいいです。」などと専門家が説明するビデオを見てもらう方法。なんと、それで実験に参加した人の3分の1が「やや改善した」を含めて、症状が軽くなったらしい。

 高野秀行氏も腰痛で本を一冊書いているが、腰痛がなかなか治らずドクターショッピングした記録なのだが、1年くらい悩んでいて、ある時、父親に「父さんも一時期腰痛が酷いって言っていたけど、どうやって治したの?」って相談したら、「あれは、いつの間にか治った。自分の友人らも、たいていしばらくすると治ってるし、ずっと腰が痛いやつなんかいない」って言ったそうで、それで「ああ、ずっと痛い人なんていないんだ。そっか、じゃあ、そのうち治るんだ」と思っていたら、高野氏の腰痛もそのうちなんとなく治ったらしい。
 その高野氏の腰痛本でも「整形外科医や鍼灸院に通っても治らない腰痛患者が最後にたどり着くのは精神科」と書いてあって、「へー、そうなんだー」と少し驚いたけど、それが脳の問題だったら、そのルートもあながち変なルートじゃなかったのね。

 ってまた話が逸れたが、腰反らす動作は、「脳に、こういう体制とっても大丈夫だよ」って指令を送るための動作なので、いわゆる体操ではないのです。
 腰を反らす動作しても、なんともなければ、腰に関する不安や恐怖心が減るので、脳の暴走による痛みを感じにくくなるっていう作用。

 そして番組では「とある外国では」ってさらなる取組を紹介していたので「これが、母が言っていたベルギーだかデンマークだ!」って注目したら、なんとオーストラリアだった!
 北欧じゃなくて、南半球でしたよ、お母さん!
 まあね、そういう医療福祉系に手厚いのは北欧ってイメージで書き換わっちゃったんでしょうね。

 で、「ある外国では、その動作で腰痛患者が激減した」っていうのも違っていて、オーストラリアでは3週間にも渡る認知行動療法をやっていたのでした。カウンセリングと運動を繰り返し、「体を動かしても大丈夫だよ」と脳を安心させるようですが、3週間毎日病院通うのも大変そう。

 でも、私自身は、自然とそうしていたなあ。
 ぎっくり腰もなった直後は「この痛みが永遠に続くのかも」という絶望感に見舞われますが、過去の経験から「まともに寝てられないくらい酷いのはせいぜい三日間」と学習しているので、胃腸炎で夜中にゲーゲー吐いてる辛さと同じくらい「もう、勘弁してよー」って思うけど、なんとか耐えている。

 鍼灸や整体が腰痛にどれだけ効果があるか、っていうことよりも「心の安心」を求めてるんでしょうね。あと、ぎっくりやった直後は、その痛みを庇うためなのか他の部位がかなりガッチガチになるので、それをほぐしてもらうと、腰の違和感も少なくなるような感じがするので、そうイメージすることが脳にいい影響をもたらすのかも。


12月25日(金)

 あー、今年は我が人生で一番、クリスマスに全く興味が無かったなあ。

 去年くらいまでは、まだ1%くらいあったような気がするけど、今年はそれが一挙に0.1%くらいに下がった感じ。預金の低金利と同じような感じの「ほぼゼロ」

 んー、でも、クリスマス感が全く無くなっても、何も困らないなあ(笑)

 こんな私でも、幼稚園児の頃は「うちには、人が通れるような煙突が無い」って本気で悩んでました。風呂釜が旧式だったので、風呂釜の煙突はあったのですが、直径がせいぜい15センチくらいだったので・・・
 そんな疑問を親に言ったら「サンタさんはちゃんと玄関から来る」と言われたような?
 子供が寝た後の深夜に来るんだそうです。で、両親は遅くまで起きているから、宅配便みたいに受け取っていると。

 「サンタさんは本当はいない」って知ったのは、いつだったんでしょうね?
 でも、それを知った時に、なんとなく心の中でシュルシュルと「納得」っていうか、「だからあんな無理っぽい設定だったんだ」って逆にホっとしたような微かな記憶がある。

 6歳下の妹もサンタさんの本当がわかった頃から、我が家のクリスマスは創意溢れる母が主役のイベントになり、ある年は「さあ、この宝探しのヒントを元に、家のどこかに隠されてるプレゼントをさがしてください!」って、宝探しゲームで盛り上がった。

 そして、何よりも楽しかったのは、自分らでケーキ作ることだったなあ。
 スポンジを焼いたことも多かったが、母が手抜きしてスポンジだけ買ってきたこともあったが、とにかく皆で生クリーム泡立ててから、こってり塗りたくってイチゴで飾って、という作業がほんとに楽しかった。
 余った生クリームを舐めるのもね。

 コーヒーが飲める年頃になったら、余った生クリームでウィンナー・コーヒー作るのが好きだった。ウィンナー・コーヒーっていうのも、もう死語の世界ですかね?

 そういえば、古舘伊知郎がとうとう、ニュース・ステーション降りるんですってね。
 あり?「報道ステーション」でしたっけ?(笑)

 「ニュース・ステーション」の久米宏は、それまでの華麗なるバラエティー経歴があっても、けっこうすんなり受け入れられたのですが、古舘伊知郎は12年経っても未だに違和感感じていました。
 古舘はやっぱ「作り物」の実況が良かったよなあ、って思って。(プロレスとか)
 で、彼がニュース読むと、やっぱ作り物感が出てしまうのですが、ややこしいことに、「報道ステーション」は朝日新聞色が強く、他の立ち位置の人からすればやはり「作り物」っぽく感じられるので、そのマッチングにどうしても馴染めなくて。

 逆に古舘がその違和感を醸しだしたので「久米宏って凄かったんだな」って感心したくらい。
 久米宏こそ、本当の意味での「現代の茶坊主」だったのでは?ってくらい。(今で言うところの茶坊主とは違う意味でって意味・・・って何言ってんのかわからないが)

 古舘はその喋りでどうしても、「本当は無いもの」を構築しちゃうから、ニュースに合わないというか、あれだけ合わない人も珍しいのでは?古舘と比較するとミヤネとか、すごくフツーの人に見えるもん。

 そっか、そう考えると、ミヤネは久米宏的なのかもね。

 これは古舘のせいではなく、やっぱ、私の世代だとプロレス中継なんて観てなかったけど、古舘の「おっっっと!」な語り口があまりにも有名だったため、例えばこの間のパリのテロ事件でも、古舘が冷静にニュース読んでいても「「おーーーーーっと!ここで、ISが反撃した!パリは燃えているのか!パリは燃えているのか!」とか脳内変換しちゃうんだよね。


12月24日(木)

●オフィスでの嫁姑問題

 毎年クリスマスイブに業者さんがクリスマス・ケーキを差し入れしてくださる。

 今日はちょうど私がお弁当を食べてる時に来たので、業者さんは同僚M嬢にケーキを渡していた。(私の方が年上だが、M嬢の方この会社での勤続年数は長いので、外部から見たらツートップって感じらしい)
 箱の大きさから「ああ、今年も二段のやつか」と推測できた。去年も2段のを頂いて、切り分けるのに苦労したのである。で、うっかり私が「それ、冷蔵庫に入るかなあwww」と言ったのが悪かった。

 M嬢は「え?入らないかも?そしたら、どーしよー。すぐに切ったほうがいいのかな?えーと、えーと」と独り語っていうか、私が無視したから結果的に独り言を言って、今日は休みだったエビワカちゃんの席にひっそりとケーキの箱を放置した。

 私が「冷蔵庫に入るか確認しろ」と言えば、そうしてくれたはずだが、私がうっかり「冷蔵庫に入るかなあ?」って呟いたため、よくわからないけど、そのケーキをどう処理するか、なんとなーく、私に委任されたらしい。

 M嬢とは付き合いが長いので、よーくわかっているけど、彼女がああして「どうすんの?どうすんの?」と遠回しに私に問いかけしている時って、要するに「これは私の仕事じゃありません」って意味らしいのです。
 つーか、「やれって言われればヤルけど、私がその担当になるからには、きちんと仕事の手順説明していただかないと」って感じか?

 で、過去に何度かM嬢と「ケーキの切り分け」をやったことがあるが、彼女は「まず何等分にすべきか?」とか「公平平等にやらないと」とか、具体的に言うと、私がざっくり八等分くらいに切ると「あー、これ小さくなっちゃった。これが一番大きい」とか、私の仕事に文句つけてくる意図が無いのはわかるが、M嬢の中では「ホールケーキを切り分ける時の完璧な出来栄えは、ケーキ屋さんで切り分けて売られてるケーキ」なんだろう。

 前にも社長宅で大人数のホームパーティーやっていたら、ある社員が「ワインとチーズ」を持ってきて、チーズはカマンベールなど数種類入っていたが、M嬢はカマンベールを前にして「えーと、今日って全部で何人いるんだっけ?」と悩んでいたが、少なく見積もっても30人くらいいたので、全員にこの一個のカマンベールを配るためには、ものすごーく細かくしないといけないし、そんなん無理でしょ。カマンベールなんて、せいぜい8等分が限界だ。

 と私が言うと「でも、でも」と悩んでいるので、「カマンベール・チーズを食べられなかったと言って文句言う人もいないでしょ」と言ったのだが、「でも、でも」と言うから、「好きにすれば?」と思って、その場を離れた。

 わかっているのさ。
 「わー、チーズ頂いたから切り分けよう」
 「あれ?でも、どう切ればいいのかな」
 「普通、こう切るもんじゃない?」
 「でも、それじゃ、みんなに行き渡らないじゃない?」
 「そうだねー、じゃあ、ケーキみたいじゃなくて升目みたいに切る?」
 「えー、それじゃ、上手く切れないじゃん」
 「そうだねー、たぶん、小さすぎてくっついちゃうよね」
 「どうしよー?」
 「うーん、だったら、やっぱし、オーソドックスに6等分にするしかないかなあ?」
 「それで、しょうがないかなあ?」
 「でも、ほら、この大きさでも、パンにつけるなら、どーせ皿の上でデローンってなっちゃうし、パンで掬えばいいんじゃない?」
 「そうだよねえ、そうすれば皆食べられるよねえ」
 「そうだよ、そうしようよ」
 「うん、そうしよう」

 って、これくらいちゃんと話し合わないと、カマンベール・チーズを普通に六等分できないってことは。
 それはわかっているのだが、「男前」な私には、カマンベール・チーズを人数分に切り分けることは不可能という最初からわかっている結論に至るまでの長い会話が苦手なだけだ。

 で、M嬢はそんなだから「切り分ける」という作業が苦手だから、なるべく自分が主体でやりたくないらしいのはわかる。
 だったら、はっきりと「ミヤノねーさん、デカいケーキ貰っちゃったからヨロシク」と丸投げしてくれればいいのだが、「あら、私が受け取っちゃったけど、これ私苦手だし、こういうのはお義母様がお得意でしたわよね?」って雰囲気で私の目の届く所にそっと放置していくらしい。

 私がお弁当食べ終わると、冷蔵庫の中身をちゃちゃっと整理して、棚をつけかえたら、なんとかケーキの箱が入りそうだったので、やってみたら、すっぽり収まった。
 M嬢はそれを見て、「冷蔵庫に入れてくれたんだ、ありがとう」と言うが、おめーは冷蔵庫に入るか挑戦することもなく、こっちに丸投げしてるくせに、「礼だけ言っておけば、オッケー」が見え見えだぞ。

 いや、私も重い荷物を運ぶ時とか、高い場所の電球交換とかは、男子に助け求めますけど、素直に「私には無理だから、手伝ってください」って言いますよ。

 で「ホールケーキ切り分けるのも自分の大事な仕事」と割りきって、3時のおやつタイムに自分一人で切り分けようと準備していたら、M嬢が「お義母様、お手伝いいたしますー」と飛んできた。

 うぜー、と思ったけど、私が包丁を3本も用意していたので「なんで、そんなに包丁がいるの?」って、こんな難易度が高いケーキを切るのに、どれが便利か試してるんダロウ。
 で「キレイに切れたのを社長に持っていけばいいかな?」って言うけど、あのメタボな社長にケーキなんてあげるの?つーか、アラフォー男子な社長に「ケーキのキレイな所」なんてあげる必要あるの?
 つーか、「キレイに切れたのを社長に」って、キレイじゃないところがいっぱいあるって、言ってるわけで、確かにそーですよ。

 わかってます。
 「うわーん、こんなケーキ切るの超むずかしい!やーだ、こんなになっちゃった」
 「大丈夫だよ、味は同じだよ」
 「そうだよね、へへ?」
 「うふ?」
 「でも、その中でもキレいなの社長に持っていこうか?」
 「キレいなのって・・・全部ダメじゃん?」
 「そんなことないよー、これなんて良くない?」
 「うーん、それだったらマシかなあ?」
 「ほんと、ケーキ切るのって難しいよねえ?」
 「ほんと、超難しいよー」

 っていうような、やり取りが必須だってこと。

 たまに、私が関わらないと、他の2人か3人で、こういう会話でキャーキャー盛り上がってるってことはわかっているのですが、「男前」の私はそういう会話が苦手です。

 そもそも、それが仕事だったら別ですが、たまに頂くケーキの切り方なんて上手いわけがない。でも、最初はわけがわからず、ぐしゃぐしゃになるのですが、後半はコツをつかんできて、けっこうキレいに出来るのですが、年に一度のことだと、またそのコツをすっかり忘れてしまい、毎回ぐしゃるのです。

 で、私は「これは私の仕事ではないし、顧客に提供するってことでもないので、ダメな出来でも気にしない」ので、堂々たる態度で切り分けるので、総務部内ではなんとなく「ホールケーキ切るのはミヤノさん」になってしまっているだけです。

 で、そんなことで「うわー、キレいに切れたねえ」なんて褒められたくもない。
 だって、ただ単に他の人がやりたくない仕事やって、持ち上げられてるだけじゃないですか。

 というわけで、M嬢のことが嫌いではないけど、時々やってくれる「お義母様、これどうしましょう、てへ?」って感じにはイラっとしますが、私も他人にそうやって仕事押し付けてることもあるかもなあ、って反省しつつ、M嬢の手のひらに操られてるフリをして、「ほら、お義母様は、こういうの仕切るのお好きなんでしょう?」って態度に出られると、心底イラっとしますが、あっちはあっちで「女子トーク」というか「オバサントーク」を封じられているので、イラっとしているのかもね。

 オバサンと言えば、23日の祝日は外イベント仕事だったのだが、屋外での客誘導を派遣会社に外注したら、私よりも年上のオバサンが配置されてた。
 その屋外での誘導のチーフがうちの部長だったのだが、「ずっと外に立ってろっていう仕事に自分よりも年配の女性が来たのが辛かった」というのは私も同じ意見だったが、部長がさらに気にしていたのは「お客さんの動線が、この線から出ないようにしてください」って指示をその派遣社員に出したら、実にオバサンっぽく、「この線から出ないでください!」ってガミガミ言っていたのが、部長には少々キツかったらしい。

 私が「え?あの程度だったら、まあ、フツーにオバサンがガミガミって程度でしたけど?」と言ったら、「言動が柔らかいミヤノさんみたいなのだったらいいけど、あの人たち、けっこうキツかったよ?」と言うので、「私は言動が柔らかいのではなく、普段、声張り上げる仕事してないので、声が通らないだけです」と思った。

 うーん、でも、私は女子トークやおばさんトークがただ単に面倒くさいだけだが、男性目線だと、オバサン達がワシャワシャ言ってるのがキツく感じるのかもねえ?

12月21日(月)

 高校で同じ部活だった友人3名が、フェイスブックで「私(A)とBは時々会ってるし、私とCも数年に1度くらい会っているが、そういやBとCって随分会ってないんじゃない?」ということになり、「じゃあ、久々に集まろう」ということで、私も誘ってくれたので「おお、私もCとは20代半ばが最後だと思う!」と参加することにしていたのだが・・・・

 フェイスブック恐るべし。
 その話が「元同級生」にあっという間に広まって、「クラス会」になってしまったのである。
 私はフェイスブックに登録はしているけど、それは「どんなもんだかちょっと研究」程度だったので、コメント入れたのは最初の1ヶ月くらいだけで、その後放置している。ミクシィもそんな感じ。

 で、クラス会のことで盛り上がってるから、フェイスブック見ろと言われて、久々にログインしても、慣れない私には使い方もよくわからないし、友達申請は押し寄せてくるし、何をどうしたらいいのかわからなくて、困りました。

 クラス会と言っても、10数名らしいし、毎年クラス替えしていたので、卒業時に誰と同じクラスなのかも思い出せないが、どうやらその10数名の中で一番人数が多いのは、私が1年の時のクラスメイトだったようだ。
 「1年の時って何組だったか憶えてる?」って聞かれても、思い出せるか、そんなもん!(笑)

 で、結局14人が集まった。
 年に1度くらい会ってる部活仲間の2名の他は数年に一度くらい・・・つまり卒業後に3回くらい会っている子が1名で、他は全員「卒業以来?いや、一回だけ大学生の頃、クラス会やったような気がするので、そこに参加している人がいれば、それ以来」でした。

 顔わかるかなあ、と心配していたが、会ってみれば、みんなあんまり変わってないのね(笑)
 そして、隣に座った人にも「ミヤノさんも全然変わらないねえ」としみじみ言われたので「うーん、20代後半にはずいぶん痩せた時もあったんだけど、また元に戻ったからねえ」と言ったが、まあねえ、体型はともかく、ずっと独身だしなあ。他にもどうやら独身の女性もいたが、やはりそういう人たちは「そのまんま老化」って雰囲気がある。

 店は忘年会シーズンなので満席状態で、どの席も大人数で大変ガヤガヤしていたので、あまりスムーズに会話できなかったのがちょっと残念だったが、私が一番ウケたのがこんな話。

 彼女はこの夏、珍しいバイトをしたそうだ。
 「王さん、王監督?・・・もう監督じゃないかwww」
 王さんが会長みたいな役職をしている「少年野球の世界大会」が千葉で開催されたらしい。その大会には、なんと韓国とか台湾みたいな野球が盛んな国だけではなく、東南アジアや欧州からも参加して、野球教室が開かれるらしい。

 子供達は、近隣自治体の「少年の家」などに宿泊しながら、一週間合宿するのだが、彼女の仕事は要するに野球以外の子供達の世話だった。
 英会話と「子供に接するスキル持った人」が募集されたようだ。

 「へー、王さん、そんなことやってるんだ」と野球ファンとしては興味深い話だったし、王さんは現地にも来ていたようで「ツーショット写真も撮ったよー」と言うのは、なかなか羨ましではないか。

 「じゃあ、他にもプロ野球選手が手伝いに来てたのかなあ?」

 と言ってみたが、彼女はさすがに王さんは知っているし、たぶん長島も知ってるだろうけど、その次は松井・イチロー程度かもしれないので、彼女がかろうじて知ってるクラスの選手なんて、来てそうにもないなあ、と思っていた。そしたら・・・・

 「うん、元プロ野球の人、いたよ」と言うので、「へー、誰だったんだろう」と言うと、「えっと、なんて名前だっけ」と言うので、「やっぱし」と思っていたら・・・

 「ええと、そうだ、アーロンさんって人!」

 ・・・・・おい!!!!!!

 まさに想定外というか、まさに斜め上からというか、斜め上すぎて大気圏突き抜けてるよ!
 つーか、ハンク・アーロン氏を「元プロ野球選手の人」って言わないし!

 私が唖然としていたら、彼女は「そんな誰でも知ってるような有名な人なの?」って言うけど、私は逆に「自分と同世代でも、ハンク・アーロンの知名度ってこんなもんなのか?」ってことに驚いていた。

 やはり野球に関連する話になってしまうが、会話の中で一番盛り上がったのは「あの先生お元気かしら?」という話題で、生存が確認されてる先生や、「もう10年も前に・・・」って先生のことが報告された。

 誰かが「そういや、イッチーは?」って言い出した。
 イッチーとは、とても気難しいことで生徒に人気が無かった英語教師である。
 私は授業で教わったことなかったのだが、イッチーに教わっていた友人達からはいろいろ話を聞いていた。
 私は「もしかしたらこの人、対人関係にすごく不器用なだけで、根は悪い人ではないのかも」と感じたこともあったのだが、そう考えると、今の世の中だとああいうタイプの人は「発達障害のアスペでコミュ障」という扱いを受けるのかもしれない。
 無表情の強面で、雑談スキル低いけど、やる時は徹底的にやるみたいな。

 で、誰かが「イッチーはもう亡くなってるよ」と言ったので、私も「私はそれ、ウィキペディアで知った」と言ったら「なんでウィキペディアに?」って数名が驚いたので、「え、だってイッチーは、習志野高校を甲子園で優勝させた監督だったんだもん」って言ったら、数名はウンウン頷いていたが、数名が「ええええええ!」って驚いていたから「え?有名な話だったよ」と逆に驚いた。

 学校中誰でも知ってる話だと思っていたが、全く知らなかったのか、それとも野球に興味ないから聞き流していたのか・・・

 あ、それで思い出したが、私の小学校からの同級生で、中学高校と同じ学校に進学した親友(諸般の事情で現在疎遠)は英語が苦手だったが、英語担任がイッチーだったので、余計に苦しんでいたが、ある日の授業の時、イッチーはラジカセを持ってきて、いきなりカセットテープに録音された音声を流したらしい。

 それは、古いラジオ音源で(イッチーが習志野を優勝させたのは、私らが生まれた翌年)、習志野高校優勝の瞬間のラジオ実況だったらしい。
 生徒達は、それがどういう音声か理解はしたけど、「でも、なんで授業でいきなり?」って戸惑ったらしいが、イッチーはそれについては何も説明せず、テープが終わると「それでは授業を始めます」って、いつも通りに授業を始めたらしい。

 親友に「今日のアレなんだったんだろう?」と言われて「さあ?誰か、イッチーの偉業を疑う発言した生徒でもいたのかね?」としか答えようがなかったが、今から考えると貴重な音源だったなあ。
 私はイッチーに関しては勘違いしていて、自分が小学生の頃、習志野が優勝した時の監督だと思っていたのだが(昭和50年)、もっと前だったということはつい最近知ったのである。

 どっちにしろ、私は野球に大変興味があったので「甲子園優勝監督」というものが、どんなに凄いことであるかわかっていたので、「そういう人が、今は全く野球に関わってないって・・・」と色々想像したけど、野球に興味の無い人にはどーでもいーことだったのでしょう。

 って思っていたら、野球に興味無さそうな女子が「イッチーは優勝した時にビッグマウス的な失言して、それが高野連とか学校長から嫌われて、高野連破門されたんでしょ?」という話をもっと詳細にベラベラ喋りはじめたので「◯◯ちゃん、なんで妙に詳しいの?」って皆で驚いていたのだが、ああ、そうだった。

 彼女の叔父は、うちの高校の美術教師だったのである。
 だから、イッチーの醜聞はそういうルートだったのだろう。よくよく聞けば、叔父さんの妻も高校教師だったそうだ。

 それで、私はその美術の先生に大変お世話になったので「ところで、叔父さんのS先生はお元気なの?」と聞いたら、同じ美術選択だった人が「え?どういうこと?」って言うので、「Sちゃんの叔父さんがS先生じゃん」って言ったら「えええええええ!知らなかった!」って言うので、こっちが、えええええ?だよ。

 美術じゃなくて音楽を選択した人は「その先生憶えてない」と言うのならわかるが、美術選択した人が知らないってあり得ない。

 それも多分「知らなかった」じゃなくて「忘れてた」んでしょうねえ。つーか、思春期のうちらにとって「教師が親戚」っていうのは重いことでしたが、その教師が美術担当だったため、受験に関係ない(美大受験する一部の生徒を除く)ってことが事態を軽くしていたように記憶している。

 で、その「SちゃんとS先生って親戚だったの知らなかった」という彼女が、「うちは引っ越しが多かった」という話をしたので、私が「ああ、憶えてる、Nちゃんが高校の時(N嬢とは中学から同じ)花見川団地に引っ越して、弟さんはそこの中学校に通っていたけど、当時の花見川中は荒れてて、生徒の半分は教室の後ろでボール遊びしてるって話聞いたことがある」って言ったら、N嬢は「えー?そんなの全然憶えてない」と言う。

 N嬢の弟さんは、N嬢と同じく秀才だったので、荒れてる中学校の中でも真面目に勉強していた、というエピソードを私は未だに憶えているというのに(笑)
 当時のN嬢の話から、弟さんはN嬢以上に勉強熱心だった記憶があったので、「Nちゃんの弟さんに会ったこともないけどさあ、よく話は聞いていたから、あの弟さん、今なにやってるの?」

 「うちの弟、ほんと勉強が好きでさあ・・・今はねえ、化学系の製品開発で、某外資系の会社で・・・」って、その会社名や研究内容を忘れてしまったが、なんか凄そうなことやってそうな感じだったので、「ところで、弟さんはどこの大学に進学したの?」って聞いたら「京都大学」

 ・・・・お、おう!

 ちょうどさっきまで「うちらの代の生徒会長は成績もトップで現役で京大に入った」って話していたんだけど、N嬢の弟さんの経歴のほうが凄かったです。


12月18日(金)

 昨日の「夫婦別姓」の話だが、私が「別にいいじゃん」って思う理由の一つに、「正月などで家族が集まると、みんな苗字が違うじゃん」ってのがある。

 うちが「田中さん」だとすると、母の兄弟である叔父一家は「鈴木さん」で、私の妹は「林さん」で、従姉妹(叔父の娘)が「伊藤さん」だったりするわけで、「名前が同じじゃないと家族じゃない!」ってことでもないのがフツーでしょう。

 うちの近所は二世帯住宅がとても多く、表札が2つ出ていて、苗字が違う家も多い。娘夫婦と同居しているとそうなるのだが、ご近所ではたぶん「お爺ちゃん夫妻が田中さんで、娘さん夫婦が鈴木さん」と認識されてるだけで、特に不便も無いでしょう。

 もし、そういう家に「まだ離婚してないけど、夫婦が不仲になって別居中の妹娘が子供連れて戻ってきた」っていうことになったら、同じ家なのに「田中・鈴木・佐藤」が同居することになるわけだし。

 まあ、あと、昨日も書いたが「娘ばかりで跡継ぎがいない!」っていうのの解消がやはり大きいなあ。
 私の妹の夫の母親は、二人姉妹だったので、長女である妹の義母が婿養子とったらしい。
 家の格というよりも「少しめずらしい苗字だったので残したかった」らしい。確かに、目立つような珍名じゃないのだが、私は他にその苗字の人を知らない程度にレアな苗字である。
 姉が苗字継いでくれたので、妹は夫の姓になったのだが、妹さんが嫁いだ先も事業をやっていて、そこそこ成功していたようだが、子供が出来なかった。なので、姉には二人の息子がいたので、弟を妹の戸籍上の養子にしたのである。

 ところが、養子に出した弟は、20代後半でスッチーさんに逆ナンされて結婚して、すぐに長男と長女を授かったが、「珍しい名字継承者」であった妹の夫である長男は、うちの妹が「えー、結婚したら責任重いじゃん」って十数年も入籍せず、同棲生活を続けた。「それ、もはや事実婚だから」と私も呆れたが、妹も30半ばにしてやっと諦めて入籍して、そして妊娠して男の子が生まれたものだから、義母の喜びようが凄まじかったのは言うまでもない。

 で、この話も何度も日記に書いているが、私が少し心配になったのは「この状態を弟嫁はどう思ってるのだろう?」ってことである。
 私の弟の嫁のことです。
 ミヤノ家は、長女の私、長男の弟、末っ子の妹という構成であるが、一番先に結婚して両親に孫をプレゼントしたのは弟でした。

 当時は独身であった私と妹は「わー、これでしばらく、うちらに早く結婚しろってプレッシャーかからないね」と大変喜びました。第一子は女の子でしたが、しばらくして「どうやら弟嫁が双子を身ごもったらしい」と聞いた時には、「きゃー、双子なんて超萌えええ」と喜びました。
 そして、その双子も女の子だったので、弟家族はまさに「女三人いると姦しい」を高画質と高音質で表現することになったのです。

 うちは、家名が大事っていうクラスの家じゃないので、「跡継ぎの男子がいないと」って発想全くないから、弟の嫁に「次は男の子がいいわね」というプレッシャーかけることは無かったはずですが、弟嫁は勝手に気にしてるかもなあ、って心配はしてました。
 弟嫁の実家は、地元の名士って感じの家みたいだし、弟の結婚式は嫁の地元でかなり派手にやっていたし、その時に見た、弟嫁の弟である長男さんは「この人、いずれ県会議員くらいはやるんだろうなあ」って感じだっし、地元の同級生らしいその長男さんの妻は、着物をビシっと着た「長男の嫁になる覚悟を持って、この人と結婚いたしました」って感じの人だった。

 たぶん、ああいう「跡取り」がいて当たり前の家のほうが多いのかもしれない。
 うちが、いい加減すぎるだけかも・・・と思ったのですが、弟嫁がどう考えてるのかわかりませんが、長らく子供達が未婚だった暗黒のミヤノ家にも、やっと子供が登場したので、みんな「わーい、孫だ、姪だ!」と無邪気に喜んでいるのは本当のことだったので、弟嫁も「よかったー」と思ってくれたと思うし「この家は、男の子産まないとダメな家じゃなかったんだ」とホっとしてくれたのかもしれないと思うんだけど、そしたら、私の妹が「長年の事実婚生活に終止符売って、妊娠出産したら、男子を出産」ってことで、そっちの義母が「でかした!跡取が!」って大騒ぎするものだから、そういう雰囲気を弟嫁が感じていたら、ちょっと可哀想かなあと。

 で、もし「夫婦別姓」があれば、「男の子を産まないと嫁として失格」っていう雰囲気が減るのかなあって思ってさ。

 10年後、いや、姪っ子の長女はまだ中学生なので、15年後くらいに「私、結婚するけど、別姓選択して、ミヤノ姓名乗るから」って言われたら「いや、そんな必要ないよ?」って言うけど、そう言われたとしたら、たぶん、ちょっとだけ嬉しいだろうな。

 で、そういう事態になった時に「いや、そんなの絶対ダメだから、旦那さんと同じ苗字にしなさい」っていうのなら、わかる。

 苗字なんて、アカウントとかドメインみたいなもんで、ツイッターの世界では有名人に「氏ね」と言うだけのアカウントをすぐ消去しちゃう人もいるわけで、そんなもんだろう。
 と、祖父母の代が田舎の土地の相続権が無いから、東京に丁稚奉公や女中奉公で出てきた末裔である私はそう思うのだが、私みたいな人はどうやら少数派のようだ。

 それにしても、現代でも、戸籍制度が整ってきた明治時代みたいに「自分で苗字を決めましょう」ってことにしたら、キラキラネームみたいな、キラキラ苗字が量産されて楽しいかも。

12月17日(木)

 最近また「夫婦別姓」とか「同性婚」の話題がよくニュースに上がるけど、ああいうのって「絶対反対!」って言う人の声の方が通るから、そういう意見をよく耳にするだけかもしれないが、「そんなのダメに決まってるだろう!」って言う人の気持が私にはよくわかりません。

 「家族制度が崩壊するから」と言う人がいるけど、そもそも庶民が姓を名乗るようになったのはつい最近のことなのでは?
 結局、戸籍制度が出来てからの話しだろうから、そんな「絶対ダメ!」ってことなのかと思ってしまう。

 前に子供のいる友人に「学校の保護者会に行ったら、中国人の母親がいて、子供と苗字が違うから最初誰のお母さんだかわからなかった」って話しを聞いて、「へー、中国人ってそうなんだ」って知りましたが、確かに「ヤン・なんちゃら君」のお母さんが「ソン・なんとかさん」だと戸惑いますが、私はクラスに4人「田中」がいたこともあるので、「どの田中さんが、どの田中君のお母さんのか?」って言うこともあるでしょう。

 で、夫婦別姓だと何が困るのだろうか?
 そういや、私が20代の頃、「新婚旅行の前に入籍して、パスポートも変更しておいたほうがよい」という話しがあった。
 欧米に新婚旅行に行く場合、向こうのまともなホテルはちゃんとした夫婦じゃないと宿泊を断られることがあるから、って理由だった。
 その話しを聞いた時には「へー」って思ったけど、確かにホテルに宿泊する際にパスポートを提示したことあったけど、それ、代表者だけで良くなかったっけ?

 それって、現地旅行代理店がいい加減だったから、「苗字が違うので、シングル2名と勘違いして手配しちゃった」っていう残念エピソードから、そういう都市伝説になったのではないかと思いました。

 話しが逸れたが、たぶん今の状況だと、「夫婦別姓」とか「同性婚」が合法化しても、それを選択する人は圧倒的に少ないだろう。
 でも少子化の今だからこそ「夫婦別姓」が認められると救われる人はけっこういそうな気がする。「女の子の一人っ子だから、婿養子とれ」っていうケースはけっこうあるし。

 最近聞いた、ある三代続いた地元の名士の話しだが、三代目には娘が二人いたんだけど、長女の夫は「じゃあ、オレが苗字継ぐよ」と所謂、婿養子状態になったのだが、その長女の旦那は海外を拠点に仕事していたので「家業」は継げなかった。まあ、たぶん、そういう負い目もあったので「苗字だけは」ってことになったのかもしれない。

 そして、次女の夫は「じゃあ、家業はオレが継ぐ」と言ってくれた。「でも、やっぱり名士の苗字は受け継がないといけないから、いずれ長女の子供が継いでくれれば」と「繋ぎ役」を申し出てくれたらしい。
 そういう「家名が大事」な家こそ、「夫婦別姓」がいいと思うのですけどねえ?

 ああ、そう考えると、田中角栄の娘さんが田中真紀子を名乗れるのって、それを受け入れてくれた夫がいたわけだから、「オレは婿養子なんて絶対にやだ」とか「うちの息子も長男なんです!」ってことになっていたら、ややこしくなるわけで、「夫婦別姓反対」っていうのは「そう簡単に女子に家名継がせてなるものか」ってことなんですかね?

 ちょうど今やってる朝ドラが「嫁に来た女子が家を守るために大活躍」って話ですが、ドラマはコメディー調ですけど、あの時代に、大店の経営陣として女性が活躍するのって、かなり異端なことだったでしょう。

 そういや、少し前にNHKのファミリーヒストリーで中川翔子の先祖が紹介されてて、「江戸末期の祖先は勝海舟に信頼された土建屋で、その息子は北大の元になった学校でクラーク博士から直接指導を受けた」という華麗なる一族でした。
 でも、勝海舟時代の先祖と、クラーク博士世代の先祖は苗字が違っており、どうやら跡継ぎのいなかった家系の苗字に変更したらしい。

 そういうのって、よく歴史ドラマでもありますよね。
 父と息子の苗字が変わるのって。
 法的手続きはどうしていたのか知らないけど、「あ、あっちの家系が途絶えちゃったから、うちには息子がいるから養子に出そう」って話しは昔はありふれていたように思います。

 そもそも徳川家がそうやって400年続けていたような?

 で、そう考えると「家族内でも苗字が違う」って実に封建的な話だと思うのに、なんで「絶対にダメ!」っていう保守的な人がいるんだろう?「夫婦別姓」の方が、保守的な感じが私はするんですけど?

 あと、「同性婚なんて絶対ダメ」って言う人もねえ?
 結婚なんて書類上のことなんだから、書類上認めてあげてもいーじゃんって思います。
 つーか、テレビの報道で「ああ、だから同性婚制度が必要なんだ」と思ったのは、「生命保険の受取人になれない」とか「病気になった時」とか。

 重大な疾病になった時、医師が今後の治療方針を相談できるのは「家族」じゃないといけないので、同性カップルの場合には、パートナーは「単なる友達」扱いになってしまうらしい。

 そして最悪の場合、同性カップルの片割れが亡くなっても相続ができないんだよね。

 そう考えると「結婚制度」って、パートナーを「法的に決める」って手続きであって、だったら異性だろうが同性だろうがいいじゃんって思う。
 今のところ、同性の婚姻が認められていないけど、養子縁組って抜け道があるらしいし。

 養子縁組で「へー」って思った話しって日記に書いたっけ?
 もう書いたようなかすかな記憶があるけど、まあ、いいや、もう一度書いておこう。
 これ、該当するご家族には、「知らないと損する」っていう話しだから。

 うちの母は、今70歳くらいですけど、祖母の見栄っ張りのおかげ様で、中学から私立の女学校に入ったため、学校のお友達にはお金持ちが多いのです。
 その資産家一家の話なのですが、母親が先に亡くなって、父親が後妻さんを迎えたのですが、立派に仕事していた働き盛りの子供達は誰も父の遺産をあてにしてなかったので、「お父さんの好きなようにすればいい」とスルーしていたらしい。

 そして、後妻さんは献身的に父の世話をしてくれてたので、子供達も「超助かるー」と義母との関係は良好だったらしい。
 そして、父が亡くなったのだが、裕福な子供達は「義母が父の遺産相続しても全然オッケー」という態度だったそうだ。
 ところが、少し前にその義母が亡くなり、「持ち家と、そこそこ残った預金」が残されたのだが、子供達がそれを処分しようとしたら「義母さんと、あなたたちは親子じゃありませんでした」って法の裁きが!

 父が後妻に迎えた義母は自動的に「母」になるのかと思っていたけど、実は父の配偶者だけど、子供達とは「他人」になっていたのです。
 ほんとは、そこで「養子縁組」しておかないといけなかったらしいです。

 というわけで、父の遺産を相続した義母が亡くなったけど、その遺産を相続するためには「義母の法定相続人」を探して「相続放棄」させないといけないらしく、別に生活に困ってない裕福な兄弟たちは「そんなん超メンドー」って、放置しているらしい。
 だって、その義母が亡くなっても葬儀に来るような親類もいなかったらしいので、手間暇というかお金かけて法定相続人を探しても、その人が「えええ?私にはそれなりの遺産を遺した遠い親戚がいたんですか?超ラッキー」ってなったら、探し損ですからね。

 えーと、なんの話ししてましたっけ?


12月16日(水)

 そういや先日、日本語の「最後」と英語の「Last」はけっこう意味が違うと書いたが、日本語の「最後」には、英語の「一番近い過去」っていうニュアンスが無いんですよね。
 英語だと「前の日」とか「先月」とか「去年」っていう意味でLastを使うけど、日本語の「最後」って英語で言うところのファイナルに近いのかも。

 それでふと思い出したんだけど、中学校の時に英語を勉強しはじめて、まあ一番わかりやすいカルチャーショックとしては「英語って、Iしかないの?」って言うのがあって、日本語だと「私、ボク、オレ、拙者、自分、ワシ、わい、あたし、あたい・・・・」と、英語の「I」にあたる表現がたくさんあって、その使い分けで、会話のフォーマル度だったり個性だったりを盛り込むのですが、「英語にはそういうのが無い?」っていうことに、まず戸惑いました。

 そして、女言葉とか男言葉っていうのも無いらしいとか。

 「なんじゃそりゃ?」と思いましたけど、「This」と「That」の違いを習っている時に、先生が英語には「これ」と「あれ」はあるけど「それ」は無いと説明してくれた時に、やっと「変なのは日本語の方だったんだ」ってことに気がついた。

 いや、どっちが変でという比較ではなく、生まれて初めて「それ」という言葉の意味を再認識したので「えー、もし自分が英語圏で育って、ThisとThatしか知らなかったら、『それ』って単語に超戸惑うだろうなあ」と実感したのである。

 それまで「これ」と「あれ」と「それ」をきちんと位置関係で考えたことなんてなかったから。
 何も考えずにそれまで「あれ、とって」「それ捨てて」って言ってきたから。

 あと、やはり最初は戸惑ったのが「IT」で、「今日はいい天気ですね」っていう英語の主語が「IT」なことに、なかなか馴染めなかった。
 でも、30歳くらいの時、スティーブン・キングの「IT」を読んだ時に「ああ、なんかこう漠然としているけど、こういう存在に英語圏の人はITを使うんだ」と、なにやら納得したんだけど。

 他にも違和感感じたのは「東京って人が多すぎ」っていうような表現を「東京は人が多いと言われている」ってことで、英語だと「They say」を使うところでした。
 日本語だと「東京は人が多すぎる」で済むわけですが、英語だと「私は東京は人が多すぎると思う」って言うか「人々は東京は人が多すぎると思ってる」って「誰がそう思ってるのか」って表現するんですよね」。

 で、中学校の頃「英語の主語、きっついなあ」と思っていたら、同時に日本の古文も習っていたので「えー、こっちは主語が全然ない?」って、カルチャーショックに見舞われた。

 そこでかすかに気がついたのだが「私はこう思います」って文章がフツーになったのは、たぶん明治以降の英語が入ってきた以降なのかもなあ。
 まあ、今の日本語でも「これってアリでしょう」って言うのが「私はこれが好きです」なのか「法律上問題ないです」なのか「これは多くの人がいいと思うでしょう」なのか曖昧だよなあ。

12月15日(火)

 ミスチルの有名な曲の歌詞がパクられたというニュースが連日ニュースショーで報道されてますが、パクり疑惑の作詞家は「ミスチルの曲は知らなかった」と言っているらしいが、並べてみると「これが偶然というのはあり得ない」レベルでした。

 テレビの中の人達も「これほど有名な曲を知らないはずがない」と言ってましたけど、私は「抱きしめたい」って曲名聞いても「?????」だったし(沢田研二の曲?)、曲聞いても全く知らない曲でした。
 私ですら、そんなですから、うちの両親とかもそうでしょうね。っていうか「ミスチル」っていうのを知らないかもしれないし。

 なので、作詞家が故意でやったのか、記憶のどこかにあった歌詞をうっかり掘り起こしてしまったのかはわかりませんが、他のスタッフが歌手を含めてそれに全然気が付かなかったというのは大いに納得できます。
 同僚K嬢は「あの曲は知っていたけど、サビしか知らなかったから出だしのところの歌詞なんて知らなかった」と言ってました。

 逆に誰がどういうきっかけで気がついたのか、そっちを報道してもらいたいくらい(笑)

 つーか、会社でも「ミスチルの抱きしめたいって曲、私は知りませんでした」と話しても、イマイチ反応が薄かったので、ニュースショーで「あんな有名な曲を!」って言ってる事のほうがオカシイように思えてしまいました。

 そういや、それで思い出すのも変ですが、近所の西友で時々、スミスの「This charming man」が繰り返し流れていることがあるのですが、あれ、なんなんでしょう?
 ああいう商業施設では、BGMが「業務連絡」になってるって話はよく聞きます。「売上目標間近」とか「売上目標達成しました」とか「雨が降ってきたから傘袋の用意せよ」とか。

 その昔、百貨店勤務の友人に聞いた「売上達成間近だから、みんなあともうひと押し!」って曲は「君の瞳に恋してる」だったような・・・記憶違いかもしれないけど。売上達成した時にはロッキーのテーマとかだったっけ?

 よくそういう符牒として使われる曲のことは聞いたけど、西友のスミスは一般的知名度が低いはずなので謎である。
 まあ、アッパーな曲調なので、激安スーパーのBGMに合ってるんだけど、歌詞とかけっこうアレなので(自転車がパンクして困ってる少年を「魅力的な大人の男」が車に乗せるという話)あの曲がなんでたまにヘビーローテーションしているのかわからない。

 あ、でも、あの曲はたまたま私がよく知ってるから耳につくけど、他にどんな曲が流れてたっけ?

 私は所謂「あまり耳の良くない人」なので、これは朝ドラに関しての「2ちゃんの掲示板」にハマっていた時に、他の人は「今日の誰々が出てきた時の曲は、誰々のテーマのアレンジ」なんて書いていたのだが、私は物語に集中してしまうと全く音楽が聴こえてないらしく、そういうのに気がつかない、ということに気がついた。

 前にも「ジュラシック・ワールド 3D」を観ていたら、飛び出す画像を脳内で処理するのに忙しくなり「字幕もロクに読めないし、そもそも、セリフの英語がちゃんと聞き取れない!」って己の脳みそのスペックの低さに気が付きました。

 今は数年がかりで、「六大学の応援歌」を学習中です。
 慶応の「若き血」と早稲田の「紺碧の空」はだいたい憶えたのですが、法政の「若き日の誇り」と明治の「紫紺の歌」って題名が似すぎてないか?
 しかも、「紫紺の歌」の歌詞は「若き血に勇める猛き精鋭今ここに」なので、「また、若き血?つーか、どこも精鋭とか多すぎ!」って戸惑ってしまいます。

 でも、「歩きながら考えると痴呆予防によい」らしいので、お散歩しながら「えーと、次は東大!♪はえーある学府の出だしは?」とか眉間にシワよせながら頑張ってます。一番思い出せないのが、一応母校である明治と、立教の応援歌なんですけどね。

12月14日(月)

 帰宅してテレビつけたら「YOUは何しにニッポンへ?」をやっていたのだが、「日本に一人しかいないサントメ・プリンシペ出身のYOUを探せ」という企画を途中から見て「サントメ・プリンシペ?初耳じゃ」と思って、そのまま見ていたのだが、大阪教育大学の留学生だった。

 へー、大阪教育大学も、100人以上留学生受け入れてるんだ。
 前に千葉大に通ってる中国人留学生と知り合ったことがあるが、千葉大も大勢留学生いるようで、「日本の大学も頑張ってるじゃん」って思った。
 グローバルだ、グローバルだと、日本人学生を海外に留学させるのも大事だが、外国人を日本に留学させるのも同じくらい大事なことだろう。

 しかも、その中国人留学生は、浦安あたりの某大企業の独身寮に住んでいて、家賃はタダ同然だったらしく、どうやら企業が独身寮の空室を海外からの留学生に格安で提供しているらしかった。ほんと「なんだ、ちゃんとやってんじゃん」って思いました。
 そういうのって、一般にはあまり知られてないですからねえ。

 で、そのテレビで、サントメ・プリンシペからの留学生は「アフリカでもフランス語圏だけど、国が発展していくためには英語教育が今後必要だ」ということで、日本に英語教育を学びに来たのだそうです。
 日本の英語教育・・・・・ダメなんじゃ?・・・ってイメージ強いけど、あまり上手くいってないから、試行錯誤のノウハウが蓄積されているのかもしれませんね。

 ちなみに私は日本の英語教育がそんなにダメだとは思ってません。
 多くの人は英語を話す必要ないから話せないだけで、「微分積分わからなくても普通は生活に困らない」っていうのと同じことでしょう。ただ「グローバルな人材は英語を話すのが当たり前」と言われて、「そういう教育受けて無いから自分はしょーがない」って言ってるだけでしょう。

 それはいいとして、そのアフリカの聞いたこともない国から留学してきた青年は「国の発展のために、妻子を残して勉強しにきた」と紹介されてて、テレビの中の人たちは「うわー、偉いねー、すごいねー」って言っていたけど、明治時代の日本人だって、そうだったじゃん?

 もちろん日本政府が国費で留学させていたのだろうけど、受け入れる欧州やアメリカにも「そういう人材を育てるとこっちにも多いにメリットがある」って思って、せっせと受け入れてきたのでしょう。
 でも、今の日本人には「国の将来を背負って留学」っていう気持がわからなくなってるのかもなあ。

 だから「日本でこういう技術身につけて、母国でそれを広めたい」っていう志の留学生に会っても、「うわー、偉いね、凄いね」って思うだけで、「そういう志を持てることが羨ましい」って思わなくなってるのかも。
 そもそも、今の日本の社会が「一生懸命やれば絶対に報われる」っていう雰囲気じゃないし。

 どのあたりが境目なのかわかりませんが、最近の「格差社会」の問題でも、戦後の混乱期に子供だったり若者だったりした70歳過ぎの高齢者は「貧困は甘え」的なこと言いますよね。彼らは、貧しい生活から自分の努力でそこそこの生活を築いてきたという自負があるから、そう考えるのも仕方ありませんが、今の日本にある貧困って、昔の貧困と質が全く違うので、余計にわけわからなくなる。

 私が小学生だった頃が境目だったのかなあ。
 よく日記にも書いていますが、都心のサラリーマンが一戸建てを求めて移住してきた新興住宅街でしたが、アパート暮らしの人々の中には、今だったら貧困呼ばわりされていた人が住んでいたのです。
 母親が水商売してるシングルマザー家庭は、6畳一間のアパートに母親と子供2人で住んでいました。
 小学校の時の同級生で、父親が病気がちなため、6畳一間のアパートに両親と子供二人の家族もいました。

 でも、あの頃、うちの両親はそういうご家庭を貧困家庭とは全く思っていない様子でした。
 ほんとにそうだったのかはわかりませんが、でも「あそこの子と遊ぶな」とか言われたこともないし、うちの両親も似たような住環境で育っていたので、狭いアパート暮らしの人達を見下すような態度は見せなかった。子供ってそういう雰囲気に気が付きそうなもんだし。

 だから私が小学校の同級生の家に立派なオーディオセットがあっても、「あそこの家はお金持ちで、うちは貧乏なんだ」と思わなかったのは「あそこの家には大学生や高校生の兄弟がいるので、時間軸的にうちより先に進んでいるだけだから、うちだって6年後には父の給料が上がって、ああいう生活が出来るのだ」と本気で思っていたように、自分ちよりも条件が悪い家族が身近にいても「うちよりも5年くらい遅れているらしい」って捉えてました。

 「みんな、一生懸命働いていれば、そのうち一軒家に住めるようになるんだろう」って信じてました。

 それが崩壊したのが、バブル期だったんですかね?

 ってまた何の話しているのかわからなくなってきましたが、今の時代って「真面目にやっていれば、大丈夫」って雰囲気じゃないので、若い人は大変だと思います。

 そういや、水木しげる先生が亡くなったのでNHKが急遽「ゲゲゲの女房」の総集編を再放送していて、昨日は雨だったので引き篭もっていたらか、その放送を観たのですが、あれなんてまさしく「努力すれば報われる」っていう話でしょう。
 それよりも、放送当時も観ていたんだけど、水木プロのアシスタントがイケメン揃いで池上遼一がモデルの役は、その後の朝ドラ「花小とアン」でブレイクした窪田正孝だったのは「ああ・・・・そうだった」と思い出しましたが、つげ義春がモデルの役も「つげ先生ってイケメンだったんすか?」と放送当時に戸惑っていたのだが、なんと当時はほぼ無名だった斎藤工君が演じてました。

 私がもし、つげ義春の孫だったら、「うちの爺ちゃんの役、斉藤工がwww」って笑い死に寸前でしょう。

 5年くらい前のドラマって「おお、この子は今超売れっ子じゃないか」っていう驚きがあって面白いですね。


12月13日(日)

 ほんと、不動産って賃貸でいいのか、買った方が得なのか、わからないですよねえ。

 私は結果的に賃貸で30年近く家賃を払ってしまったので、「それがわかっていれば買っていればよかったかも」と言われますが、確かに30年で3千万円近く無駄に払ったのかもしれませんが、このあたりで新築のワンルーム物件だと3千万円じゃ済まないですからねえ。

 で、子供がいない私が不動産を遺してもねえ?
 私が死ぬか老人ホームに入る頃には老朽化が進んでいて、どーしよーもない物件なのに、管理費とか固定資産税ばかりかかって、相続人である姪や甥に逆に迷惑かけそうです。

 実家みたいに「中央線の急行停車駅から徒歩圏内」の一軒家だと、建物はゼロ査定でも、土地に価値がありますから、それほど値崩れしないはずですが。

●文系的知的好奇心

 いつの頃からか熱烈的に高野秀行ファンになって、著書はほぼ読破してますが、しばらく積ん読していたのが「世界の辺境とハードボイルド室町時代」だったのですが、この間、部屋を掃除していたら発見したので慌てて読み始めました。

 高野秀行が語るソマリアは面白くてねえ。
 なんて言うんだろう?私は薄々「日本って変じゃね?」って思っているけど、高野秀行がソマリア文化に戸惑ってる記述を読むと「あー、外国人も日本文化に同じように苦戦してるんだろうな」って想像できるところが楽しいのかも。

 で、その「世界の辺境とハードボイルド室町時代」という本は、辺境生活経験豊富な高野氏と、日本の中世史研究者の対談なのだが、「1000年前の日本と今の辺境社会って似てますよね?」って、まさかの中世史研究者がなんちゃってフィールドワーク的な展開になってて、荒削りながらも「ほー、おもろいな」って本です。

 まだ途中ですが、「へー」って思ったのが、日本の中世史研究者が「先輩の論文なんですが」と紹介していた「かつての日本人は過去が前で、未来が後ろだった」という話。

 現代の日本人は「未来を前、過去を後ろ」と捉えているけど、言葉上ではそうじゃない表現の方が多い。
 「後悔」とか「明後日」とか、未来を表すけど「後」を使うのだ。

 昔の人は「蓄積した過去は見えているので前にあって、まだ見ぬ未来は後ろにある」と捉えていたらしい。
 それがいつのまにか前後が逆転したので「先日」って言うと過去の事だけど「先のことはわからない」って言うと未来のことだったりと言語的に混乱している。
 ん?でも「後」を過去にしている用法はパっと思いつかないなあ。「後日」も「後世」も未来だし・・・

 でも、そう言われてみると、自分も時間軸の未来に向かって立っている認識だが、「後悔先に立たず」って言い回しは自然と受け入れていて、言語的には前後が逆なんだよなあ。
 そして、そういう入れ替えは多くの言語にあるらしい。

 あと、「先にこれをやってから後にこれをやりましょう」みたいな、「先」の使い方もあるし。
 手前の方が「先」で遠い方が「後」

 そういや英語の「LAST」の使い方で戸惑ったことあったなあ。
 「最近観た映画は、スターウォーズです」って時に、英語だとLAST TIMEを使うので、それは日本語的には「最後に」って意味になるので「最近→最後?」って戸惑ったのだ。

 「ラスト・エンペラー」とか「ラスト・サムライ」などもあったので、今だと「最後にお会いしたのいつでしたっけ?」みたいに日本語でも「最後」を使うようになっているけど、自分が中学生の頃はまだその用法が広まってなくて、「最後」っていうと、「終末」っていう意味が強かったのかもね。だから気軽に「LAST」を使うのに違和感を憶えたのだろう。


12月12日(土)

 木曜日の続きだけど、オフィスビルの部分所有ってホントどうなんでしょうかねえ?

 つーか、その子会社の社長はもう50代半ばなので、「10年後どうなってるかわからないじゃん」って私は思うのだが、部長は「社員の誰かが跡を継ぐから」と言うのだが、たぶん10年じゃ返済できないと思うんだよなあ。
 まあ仮に経営が順調で、10年で返済できたとしても、今でも「2年間借り手が無い」って物件なんだし、そんなだから所有者は手放そうとしているから、けっこう安いんだけど、10年後はもっと値が下がるだろう。

 私が今の会社に入社した頃、5件くらい居住マンション物件を所有していた。
 たぶん、業績が伸びて社員の人数が増えた頃、当時の経営者が「投資」と「社員の社宅にもなるし」とバブル崩壊後に安くなったマンション物件を買っていたらしい。

 その後、そういう社宅のニーズも減ってしまった。
 そういう物件って、駅から遠かったり、治安が悪かったり(2回も空き巣に入られた物件もあった)、上の階の人が騒音に敏感すぎて何度も怒鳴りこんできたりと「安かろう悪かろう」な物件だったので、社員もすぐ引っ越してしまうようになったからだ。

 そして、売却することにしたのだが、2000万円で買った物件が、400万円くらいでしか売れなかった。
 当時、その担当者が「あー、2階も空き巣に入られた物件、30代の独身女性が買ったらしい」と知って、心を痛めておりました。
 あと、その「上の階の人がよく怒鳴りこんでくる物件」を二束三文で売った時にも「キ◯ガイ付の物件、売り抜いちゃった」と苦笑してました。

 もちろん、そんな訳有り物件ばかりじゃないわけで、そうそう、その子会社の社長が「家賃払うよりも買ったほうが得だろ?」と言うのは、不動産経営で上手くいっているからなのでしょう。
 彼は結婚してマンション暮らしだったのですが、親が年老いたので、実家の一軒家で同居することになり、今まで住んでいたマンションを賃貸に出したのですが、会社が伸びていた時代に成績良かった支店長であった彼は、かなりいい給料貰っていたはずなので、条件のいいマンションに住んでいたはずです。
 それを「住宅ローンや固定資産税がまかなえればいいや」って金額で貸し出したから、入居者が途絶えることは無いようだし、賃貸に出す前にリフォームした費用は損金になったので「節税になった」ってイケイケになってしまったのです。

 これは日記にも書いたけど、あの頃「マンション経営」に目覚めた彼は「こういう物件買うのってどう思う?」って私に相談してくれたことがありました。
 それは、都心からの通勤通学には不便そうな駅から、バスを使わないといけないワンルームマンションだったけど、売値が400万円って格安でした。
 でも、間取りにも立地にも全く魅力が無く、「バブル時代にはこういう物件も需要があったんだろうけど」って感じ。

 なので、彼には「今、高校生のお嬢さんが大学生になった時に住まわせたいと思える物件ならいいと思いますけど?」と言ったら「うーん」って唸っていたので、「誰だってそう思うから借り手がなくて、売りにに出されてるんじゃないんですか?」って言ったら「まあ、そうかもなあ」って納得してくれたようだが、「でも、改修費が節税になるんだ」とか言っていたけど「その後、借り手がいなかったら、改修費も固定資産税も払い損ですけど?」って言ったら、「うーん、そっかー」とか言っていました。

 なので、さらに「400万円でも、買い手がなかなかいない物件、お嬢さんが相続しても困るだけですよ?」って言ったら「うーん」って唸ってました。

 少し前に、母から聞いたんだけど、父の従姉妹が「200万円のマンションを購入した」らしいです。
 父の従姉妹っていうのは、父方の一族に時々出る「頭はいいんだけどねえ」って人で、40年くらい前に「ホームステイでベビーシッターしながら英国や米国に語学留学」っていうのの先駆けで、いつまでも外国に居ていられなくなって帰国してからは「ネイティブが先生の幼稚園」で日本人先生として働いているらしい。

 得意の英語は活かせるが、あまり給料の良さそうな仕事でもないけど、老後の不安を感じたのか、「200万円のマンション」を購入したらしい。
 うちの母は、「あんたもそういうの買えば?」と言うのだが、「200万円のマンション」って相当怪しいでしょーが。

 元の所有者が「タダでもいいから手放したい。なんだったら売買手続きにかかる費用を負担してもいい」くらいじゃないと、そんな値段にならないと思う。

 ってまた話が逸れたが、オフィスを賃貸じゃなくて買うのって、リスクも大きいと思うんだけどなあ。
 あの会社も設備がいる業種じゃなくて、ただの「営業所」みたいなものだから、将来的にどういう人員構成になるのかわからないし、その時の人員によって「いい立地」って変わっていくと思うのです。

 そりゃ、賃貸だと、払うばかりで、全く資産にならないから「払い損だ」と思う気持もわかるけど・・・
 でも、中小企業の場合は、賃貸オフィスでその時々の規模に応じてっていうほうが、いいと思うんだけどなあ・・・って言っても、部長は「買ったほうがいいに決まってる」と言うので、何度も繰り返し言ってることをまた言ってみた。

 「うちの会社、社員100人規模で成長が止まってしまってますが、それって、この自社ビルのキャパに影響されてると思うのです。ワニは水槽の大きさよりも育たないって、ワニを飼ってる人に教わりましたが、会社もビルの大きさより大きくならないのです。だから、イマドキのITベンチャーなんかは賃貸でどんどん会社大きくしてるんじゃないですか?」

 部長は絶句してました。

 いや、ほんとそうで、うちの会社でも業績が伸びて人員が多い部署は、フロアにギューギューになっていて、職場環境的には最悪になってるので、「これ以上、人員増えたら、もう収まらない」っていう気持がブレーキになると思うのです。
 逆に「売上が縮小して、人員も減ってる」ってフロアはスカスカになっていて、社員のモチベーションもそりゃ下がるでしょう。

 ビルの大きさが決まっているから、そうなっちゃうのかと。
 私がもし経営者だったら、2フロアくらいで収まるオフィスビルに移転しますね。
 で、伸びてる部署と斜陽な部署を同じフロアにして、人員の配置転換を促します。

 ほんと枠が決まってると、いくら組織変更しても、ダメなんですよね。
 伸びてる部署は、前は2課だったのが3課になったのですが、フロアに2課しか収まらなかったので、3課は別フロアになったら、「それはうちの仕事じゃない」とか言い出しますから。

 一般家庭の住宅では、「子供に冷暖房完備の快適な個室を与えると、子供はそこに引きこもる」っていうことがあって、うちの母は先輩達からそういう事例を沢山学んでいたので、「子共が居間にいたくなる仕組み」を作ることに熱心で、子供の部屋にまともな冷暖房を入れなかったので、ってゆーか、冷房は全般的に無かったのですが、暖房は「湯たんぽ」だけだったりしてので、みんなテレビの前のコタツで宿題してました。

 「ここしか暖房が無いと、思春期の子供もここに集まるのよ」と母は得意げだったので、「くっそー」と思ったけど(笑)

 で、工場設備だったらわかりますが「ただのオフィス」だったら、賃貸の方がいいと思うんだけどなあ。
 いや、ご家庭だったら、子供が生まれたら20年くらいはその状態が維持されるので、マンション買っていいと思います。ローンを払い終わった頃には、子供らの今後の生活も確定してくるので、それから「今後どうする?」ってまた決めればいいだけだし。

 うちの会社で、それで失敗した人がいました。
 50歳くらいになった時、「もう子供も高校生だし、所有しているローン未返済のマンションを売って、公営住宅に入ったほうがお得」と計算したのですが、その計画は良かったと思うのですが、ご本人が心臓発作で急死しちゃって・・・・
 住宅ローン抱えてるままだったら、保険が聞いて、妻子は所有物件に住めたはずなのに・・・・

 ただ、ご主人の親が所有しているマンションが老親が老人ホームに入ってしまって空き家になったので、「そこまで計算してたのかなあ」とは思いましたけどね。

 逆に、30歳で結婚して35年の住宅ローンを組んだが、50代になっても給料が思ったように上がらず、自己破産、って社員もいました。
 あれは、うちの会社の給与体系のせいというより「その当時、どんだけ楽観的な返済計画建ててたんだよ」って感じでしたが、バブル期に住宅買った人には、ああいうケースけっこう多そうだなあ。

12月10日(木)

 100%子会社の社長が「事務所の家賃もったいないから事務所買う」と言い出して困ってます。
 いや、最初は「ビル買って、ビル経営すればいいじゃん」と言い出したので、「そんな金どこにあるんですか?」って言ったら諦めてくれたんだけど、そもそも今の世の中はビル持ってれば左団扇って時代じゃないじゃん?

 つーか、私には賃貸じゃないオフィス物件っていう経験が無いので、どういうリスクがあるのかわからないんだけど、住宅用マンションだと管理組合が結成されて、管理費とか修繕費などを管理していくんだろうけど、オフィスビルの部分所有ってどーなってんの?

 それに、居住用マンションだって、老朽化で建て替えるって物件がそろそろ出始めていて、テレビでも時々取り上げているが、入居者の足並みが揃わなかったり、建築基準法が変わっていて、同じ間取りで建て替えられないとか、「部分所有の物件っていろいろ面倒くさいな」と思ってしまう。

 不動産は財産であるが、負の財産になってしまう場合もあるわけで・・・
 最近また音沙汰が無いけど、友人C嬢が経営しているシェアハウスは彼女の伯母が所有している一軒家だが、渋谷から電車で5分の駅から徒歩10分以内という好立地の一軒家だけど、自動車が入れない狭い私道に面しているので、C嬢曰く「2000万円でも売れなかったらしい」

 私道に面しているので、もしかしたらビフォーアフター物件というか新築もできないのかも、と思った。建て替える場合には道路側をセットバックする必要があるのかも。
 で、売ろうとしても売れない一戸建てでも固定資産税はかかるので、姪のC嬢に固定資産税くらいの金額で貸して、シェアハウス経営させているようだった。

 一度その物件を見学したことがあるが、2階に個室が3部屋あり、1階はダイニング・キッチンと風呂とあと6畳の客間って間取りで、イマドキの狭小住宅に比べれば「両親に子供二人だったら、かなり広々とした家」だったが、あの物件が2000万円でも売れないって、ねえ?
 あの3分の2くらいの敷地の1階が駐車場になってるペンシルな狭小住宅がその近辺では6千万円くらいで売られているというのに。

 うちの近所でも、「今の建築基準法では、建て替えもできないので、にっちもさっちもいかなくて放置されている廃屋」がけっこうあるので、ああいうの、ほんとどうすればいいんだろう?って思う。
 最近、そういう空き家に対する法律が改正されたようで、危険な空き家には行政指導が入るらしいが、私がもしそんな家を相続していたら、「修繕しろって言われてもそんな金無いし」ってことになりそう。

 実家の裏にあった廃墟になってたアパートがそんな状態で、長い間放置されていたのだが、少し景気が良くなってきたら、ヤル気のある不動産屋が買い取って、実家に「敷地と引き換えに私道を譲ってください」と交渉しに来たらしい。

 実家は公道に面していたので、私道の権利は不要だったが、私道側に玄関があったので、母は「別に少し庭が広くなったからって」と渋っていたし、妹も「なんで他人のために、うちが譲歩しないといけないのだ」とか言っていたけど、私と父は「裏の土地が死んだままになってるの、なんか良くない」と判断して、なんだかんだで、やっと裏の土地が蘇って、子供がいる若夫婦が移り住んできてのだが、賑やかになったので私は気に入っている。

 そして、実家は裏側に土地を少しだけ拡大したので、建て替える場合は一回り大きい家にすることもできたのだが、「建て替えか、リフォームか」と消費税増税直前まで何年も悩んでいた母は、とうとうリフォームを選んだので、隣家と実家の間にはもったいないくらいのスペースが空いたままになっているので、裏の家は庭こそ狭くなったが、日当たりはキープされたし、イマドキ珍しいくらいの贅沢な「隣家との距離」になった。


12月9日(水)

 そいえば、少し前から、部屋に掃除機をかけてもすぐにホコリが湧き出すので「ん?なんだろう?」と思っていたのだが、特に考えずも答えは明白だった。
 部屋の一角に「ミヤノ家の九龍城」と呼ばれる、本や漫画や、ポストに入っているチラシや公共料金の検針票やダイレクトメールや、サイフから取り出したレシートや、健康診断の結果や、給与明細書や、どっかでもらった化粧品の試供品や、ドラッグストアで買った虫除けスプレーや痒み止めやハンドクリームや、未開封のパンストや、乾電池や、使用期限が過ぎたクレジットカードなどが、大きな街を形成していて、当然、その街の中には掃除機は介入できないので、その隙間にはホコリが堆積しているのである。

 そこに暖房のファンヒータの風が当たるので、ホコリが拡散しているだけであった。

 日曜日にやっと少しだけ九龍城に手をつけた。
 中からは、楽天が優勝した時の記事が載っていたフライデーなどが発見された。
 えーっと・・・・・楽天優勝したのって、2年前っすよね(笑)

 正確に言うと、2年前のフライデーが出てきたのは、アマゾンの空き箱で、とりあえずそれに何でも放り投げていたようだ。

 さらには未開封のアマゾンの箱も発見され、開封してみたら、それも2年くらい前に買った文庫本2冊だった。
 平均よりは本を買っているとは思うけど、「よく本を買う人」の中では少ない方だと思うのだが、床に置き始めるとこうなっちゃうんだよなあ。
 そして、「読み終わって放置している本」と「まだ読んでない本」の区別がつかないという情けない状態になっていた。

 もう一回端から読んでいって、「ああ、これ読んだ」っていうのから捨てればいっか。
 うーん、こういう状態になると「電子書籍にしようかなあ」と思うけど、CDにしても書籍にしても、現物が売ってる以上は現物買っちゃうんだよなあ。って、もはやCDなんて年に一枚買うか買わないかくらいだし。

 そういや、お散歩の供である国木田君(iPod)は意外に長持ちしたけど、そろそろ電池の持ちがヤバくなってきた。もう7歳は過ぎているだろうから、だいぶ頑張ってくれているけど。
 祖父が遺したお金を母が孫に配分した金で買った、祖父の名前をつけたMac miniも、意外と長持ちしているけど、そろそろ寿命だろう。

 ってスマホはアイフォンだし、なにげにマックユーザーになっているけど、次のスマホはアイホーンじゃなくてもいいと思っている。とうとう、何もアプリ入れなかったし、ネットが普通に使えればなんでもいい。それも、動画とかスマホでほとんど観ないので、もっと安いのでもいいのかもしれない。

 ああ、でも、そういう買い替えが超面倒で・・・


12月8日(火)

●プラセボは飲まなくても効く?

 ずいぶん前に、うっかり「フラワー・レメディ」をアマゾンで買ってしまった。
 レスキュー・レメディってやつを。

 そんなもん効くわけないよ、と思っていたのだが、「プラセボ的効果はあるのかも」と思って買ってしまいました。
 しかし、あまり日常生活で追い詰められない私はそれを試してみる機会もないまま放置していたのだが、部長が「ああ、やってしまった。どーしよー」とパニクってる時に「これ、心が落ち着くハーブみたいなものです」って説明したら、訝りながらも飲んでくれたけど、それが効果あったのかは不明。しばらくしたら落ち着いたが、そんなもん飲まなくても、1時間もすりゃ落ち着いていただろう。

 次に「裁判員制度に選ばれちゃったんです」と、ものすごーく動揺しているエビワカちゃんにも投与してみたが、やはりなんとなく落ち着いたように思えたが、それもレメディの効果なのかは全く不明であった。

 その後、やっと私も「うわー、どーしよー」って心境になった。
 うちの会社の売上は私とマスオさんだけでほぼ入力しているのだが、1件だけ過去の名残で、今は子会社に出向しているY嬢が売上入力して請求書も発行している得意先がある。
 その会社、入金が遅くて3ヶ月後くらいなのだが、1年に一回しか請求してないから、ずっと売掛金が残っているのを見落としていたのだ。
 つーか、過去何年も「ん?なんだこの入金?あー、そっか、Y嬢が入力してる所だ」って入金があってから、売上が上がっていることに気がついていたくらいだったので。

 で、またその得意先から入金があったので、消し込みしていたら「ん?残高が消えない?」って慌てて調べたら、なんと去年の請求分が未入金だったのである。

 もちろん、ちゃんと入金してこないその会社がダメなのだが、それに1年も気がついていないのは私の大チョンボであり、しかも、私が直接やりとりしている会社じゃないので、担当のY嬢にその事実を報告するのが超辛かった。

 「こういう時にレスキュー・レメディだ」と思ったので、さっそく自分に投与してみた。
 しばらくしたら「あー、やっちゃったー」っていう胸のモヤモヤがなんだか大きく感じられたが、30分くらいしたら消失した。そして、Y嬢に「ごめーーーん」って電話したら「ええええええ?」って言われたけど、「ほんと、私のミスで迷惑かけてごめんなさい」と気持よく平謝りすることができたけど、それがレメディの効果だったのかはわからない。

 で、先日「う、これが更年期の鬱症状か?」って妙な落ち込みを経験したのだが、「お?じゃあ、またレメディ試してみるか?」と思ったら、その後、全然落ちなくなった。

 ほんと、人間のメンタルって、おバカよねー(笑)

 というわけで、「とりあえず豆乳飲んでおこう」と、また毎日豆乳飲むことにしました。それがどのくらい効果あるのか知らんが、「たかが豆乳」ですし、安いし、それ飲むことで心が安定するなら、それでいーじゃん。

 うちの妹は、ある時期、月経痛に悩んでいたが、試しに豆乳飲んでみたら「月経が早く来るようになって症状も軽くなった」と言っていた。
 そして「豆乳って女性ホルモンと似た成分だからって話だけど、あんな効果あるとしたら、子供に与えていいものなのか?」と不安を訴えていたので「それ、気のせいだから」と心の中で思ったけど、「そこまで豆乳の効果を盲信しているのなら、それは維持すべき」と思ったので、黙っていましたけど。

 いや、それが1本千円もするような健康飲料だったら何か言いたくなりますけど、「牛乳じゃなくて豆乳飲むと身体的症状が軽くなる」んだったら、経済的負担はほとんど変わらないですから。

 それにしても老化現象の愚痴ばっかりですいませんが、自分に起こる症状って、だいたい「ああ、こういうの見たことある」って先輩達も通ってる道なんですよね。
 亡き祖父は、歩くたびにブーブーと楽器のように軽快に放屁していたけど、最近私もそういう状態になることがあり「爺ちゃんの体質を受け継いでいたか・・・」と笑ってしまいますし、ある取引先の60歳くらいのオジちゃんは、よく喋る人ですが、ワーワー喋っているとだんだん口角に泡が溜まっていくのが汚らしいのですが、「ああ、この人も唾液が粘ってしまうのだろうなあ」と興味深く観察してしまいました。

 そういや、この間、近所の世田谷線(2両編成のチンチン電車みたいな路線)の踏切を渡ろうとしたら遮断機が降りてきたので、私は立ち止まったのだが、前を歩いていた自転車を引いていたお爺ちゃんが急いで渡ろうとしていた。
 ところが、ノロノロと歩いているので、向こう側に着く前に遮断機が降りてしまい、自転車が引っかかって前に進めず、線路内に取り残された。

 「うわ、危ねーなー」と思ったが、そっち側は駅の手前なので、駅で停止した電車はそのお爺ちゃんがどかない限り発車しないはずなので、ハラハラしながら見守っていたら、そっち側に別のお爺ちゃんと息子夫婦と孫という家族連れが来て、線路内でオロオロするオジちゃんのために遮断棒を持ち上げて通してくれたので、自転車引いたお爺ちゃんは無事脱出できた。

 その様子を見守っていた運転士は、お爺ちゃんを救出してくれたご家族に窓から体を出してお礼を言っていて、なかなかいい光景だったけど、あの自転車引いた爺さん、あんなんじゃ心配だよ。遮断機降りそうになったら、ちゃんと待っててよ。
 世田谷線だったから、あれで済んだけど、中央線とかだったらマジ危ない。

 交差点でも、もう青信号が点滅してても果敢に歩き出す、よたよた歩きの老人は時々見るけど、「自分の歩く速度ちゃんと計算しなさい!」って思うけど、そういう計算できなくなるのが本当の老化なのかもね。

12月7日(月)

 先週、部長が「これくらい、いいじゃん」って言い出したことが「いやそれ、マジ犯罪ですから」って事案だったので、しばらく言い争いしてました。

 えーと、その事案を他に例えると、「マリファナちょっと吸うくらい、いいじゃん」程度かなあ?いや、私はどっちかというと開放論者なので、そう思うだけで、一般的には重犯罪か。(危険ドラッグが原因の事件が頻発していたので「いっそ、JTがマリファナ売ればいいじゃん」って本気で思っていた。ほら、禁酒法時代に変な密造酒が出回るよりは、由緒正しい効能がだいたいわかっている麻薬を流通させ、税金とればいいじゃないのよって)

 うーん、何に例えようか?
 トラックの過積載とか?
 って、その分野に詳しくないが、うちの会社が運送会社だとして、あるトラックの積み荷の限度が10トンだとして、「12トンになっちゃったけど、これくらい、いいじゃん」って言われたとする。

 確かに、「いいじゃん」って言いたい気持もわかる数字だが、万が一事故を起こしたらどーすんの?部長が責任とるの?

 そんで、この間の「マンションの杭がちゃんとしてませんでした」ってニュースでも、「たまたま、このマンションだけじゃないだろう?こういうの他にあるだろう?」って思いますよね?実際、他にもボロボロ発覚しているようだし。

 部長の言う「このくらい、いいじゃん」っていうのは、確かに小さい事なのですが、もしそれが検査で引っかかったら「この会社は日常的にこういうことを組織的にやっている」って思われるのですよ?

 で、他人がやらかした「このくらいいいじゃん」って事件に「そうだよねー、このくらい、別にいいよねー、マンションの杭なんてそんなもんでしょう」って思う人が「だから、これだっていいじゃん」って言うのなら、1000歩譲って、わからなくもない。
 「うちのマンションも杭がちゃんとしてなかったんだって!でも耐震構造上問題無いって説明されたので、だから安く買えたんだと納得した」って言う人が「これくらい、いいじゃん」って言うのなら、「うん、安かろう、悪かろうってことですね」と、ある程度納得できるかもしれない。

 でも、うちの部長は「悪い奴が金儲けのために悪魔に魂売ったのか!」って、普通の人より、他人の不正に敏感な人なのである。
 政治家のスキャンダルがニュースになる度に「なんでもっと聖人君子な人が政治家にならないのだ!」と言うので「聖人君子っていうの、実在するんですか?私は会ったことが無いのですが」って会話になる。

 「法令遵守」という意味では「聖人君子レベル」の人は実在する。
 同僚M嬢みたいな完璧主義者の人は、コンプライアンス違反を極端に嫌うので、ほんとの意味で「それ、どーでもいーじゃん」っていうことでも、「でも、法令では!」ってとことん拘るので、たまに面倒くさいが、「手順に従って完璧にやる」って心意気の強い、優秀な社員である。

 そうだ、思い出したけど、部長がやろうとしたことは、うちの母親の近所の大学のバザーでの「犯罪行為」みたいだ。
 実家近所の大学では秋の文化祭でバザーをやるのだが、うちの母ったら、「カバンを買う時に、その中に服を詰めると、カバンの代金だけで済む」とか言うのですよ。
 「おがーざん、それ万引きですよ」と指摘すると「だって、どーせ、元はゴミなんだし」って開き直るの、ほんと悲しいのですが。

 前にも何度か書きましたが、私が友人らとフリーマーケットに参加していた時にも、「どーせ、捨てる物なんだろう?」とばかりに平然と万引きする客がけっこういて、すごく驚いたし、気持が傷つきました。

 なので、部長にも「それって万引きですよ」と何度も言ったのだが、「これが万引き行為であるという法的根拠はあるのか?」と言われても・・・・「とにかく、万引きなんです」としか言いようがない。

 そして、今日になって、「先週言っていた万引きの件、ほんとにやるんですか?」って言ったら、部長も週末を経て、ちょっとトーンダウンしたらしく「いや、もういいよ。あんだけ脅されたから」って、私が何度も「万引きは犯罪です」と繰り返したことが、やっと効果あったらしい。

 でも、ちょっと悔しそうに「100円くらい、いいじゃん」とか言うので「駄菓子屋さんで10円の物盗んでも、万引きは万引きでしょ?」と言うと「もう、この話は終わり」ってモードになったので、わたくし的には「100円の万引きのことで二日間も上司と言い合いって、超体力使った」と、ぐったりですよ。

 えーと、それ以外でも仕事のストレスになったのは、またHさんのことで。
 健常者がやると5分で終わる、「フロアのゴミ収集」ですが、あまりにも暇だったHさんが自主的にやってくれるようになったのですが、先週はHさんも忙しく、彼の定時になったらタイムカード押して、それからゴミ収集やろうとしていたので、たまりかねて「それ、他の人がやるから、いいから」と止めました。

 タイムカード押してから、まだ仕事するなんて、うちの会社をブラック企業に陥れるつもり?って。

 そしたら、今日もまた、定時過ぎてからゴミ集取しはじめたので「仕事ある時はやらなくてもいいから、暇な時だけやってくれればいいから、とにかく定時過ぎたら仕事しちゃダメ」って、ああ面倒くせー。

 少し前のニュースで、「バイトが自分のミスをカバーしようと、サービス残業」っていうのがありましたが、「ああ、そういうことあるかも」ってブラック企業認定されてしまった会社にちょっとだけ同情してしまいました。

 「時間外に仕事しないでください」って言うのけっこう辛い。
 相手は、よかれと思ってやっているから。
 そこにダメ出しするの、ほんと辛いのですが、「勝手にサービス残業するのやめて」と言わないとわかってもらえないので、辛いけど頑張っているのですが、こういう頑張りって全く評価されないので、「あんま頑張りたくないんだけどなあ」っていうのが本音。

 そんで、やっぱりHさんのことが苦手なんだよなあ。結局。
 でも「いい人」だから、「いい人」が苦手なのって辛いんだよなあ。


12月5日(土)

 昨日はあんなに調子悪かったのに、今日は超すっきり!
 なんだろう?天候と連動しているのだろうか?
 ホルモンバランスってわけわかりません。

 まあ、今のところはまだ軽症ですので、こうやって客観視というか、「実験」みたいに多少楽しめていますが(昨日も気分は最悪だったが、機嫌は悪くなかった。と思う。他人から観たらどうだったのかわからないから)今後どう推移していくのか楽しみです。(今日は調子いいので妙に前向き。つーか、こういう晴れ間もあるのなら頑張れるかなあと)

 さて、電車内でツイッター眺めていたら「番組で山形浩生さんが銀スプレーをいきなり噴射する事案が発生」っていうのがあって、どんな番組か知らないけど、マッドマックスごっこしていたようです。
 どうやらニュースショーみたいなところで「経済格差問題の専門家」として出演していたらしい。ピケティ本の翻訳以来、そういう肩書になったのでしょうか?

 そういや、数日前に会社で何の雑談していたのか忘れたが、同僚K嬢が「なんかで見たんだけど、東京23区の平均所得が、1位の港区が1千万円くらいで、最下位が何区だか忘れたけど、東側の下町の方で300万くらいだった」と言っていた。

 K嬢が言いたかったのは「港区、平均1千万円ってすごーい」ってことだったようだが、私は「だって港区には、10億円クラスがいっぱいいるだろうから、そういうのが引き上げてるんじゃない?」と言ったら「ああ、そうかも」

 前に日記に書いたが「国会議員の資産公開」ってニュースで「自民党の平均が大幅に上がりましたが、それは鳩山弟議員が10億円の土地を相続した影響でしょう」と言っていて、100人単位の国会議員での平均値って、そういう1人突出した人がいると、平均金額が1000万円くらい上昇してしまうので「平均とる意味ねーじゃん」って思った。

 つーか、港区のイメージだと「平均1千万円」って逆に低すぎないか?

 うちの伯父は港区在住だが、国民年金受給者なので、所得はゼロでカウントされてるのかしら?それとも、カウントされてないのかしら?

 そういうデータが発表されると、「どういうデータの取り方してるんだ?」って確認したくなる。扶養控除に入っている人もカウントされているのか?年金生活の人は?って。

 でも、K嬢が見たと思われる記事を発見したのだが、「所得格差」になっていたので、どうやら納税している人の所得平均なのかね?
 つーか、私は自分の「所得」って憶えていないのだが・・・どーしても「額面」見ちゃうので。

 でも、私と同じ年収の人でも、妻子がいる人と比較すると、控除があるので所得はかなり違ってしまうはずだ。
 そして、比較的給与が低い単身者が多く住む地域では、平均所得は下がるのかもしれないし、30代子育て中のファミリー世代(妻はパートで100万以下だから所得無し)が多い地域でも下がってしまうのかもしれない。

 港区や千代田区は、比較的単身者向け物件が少ないだろうし、逆に「港区や千代田区に住む単身者は、仕事でかなり成功した人」ってことだろうから、それって、地域格差っていうよりも「成り上がりが多く住む地域」って情報になってしまうのでは。もしくは「元から資産家で不労所得がある人たち」とか。

 つーか、結局「地域のブランド力」ってだけの話みたいに感じてしまう。

 前に富豪ランキングに入るようなユニマットの社長が離島に住民票を移したことがあったが、そういう地域では下手すると、平均所得が港区を抜く可能性もあるわけで、そういう平均値に意味があるのかなあ、って思ったりする。

 それに「やはり東京23区は所得平均が高い」と言っても、家賃も高いしなあ。
 昔、田舎出身の友人が、家賃9万円の部屋に住んでいて、地元に帰省した時に旧友らに「家賃いくら払ってるの?」って聞かれて、正直に「9万円」って答えたら「え?何人で住んでるの?」と驚かれたらしい。
 その地域では家賃9万円なんて、立派な一軒家が借りられる金額だったから。

 私もインド旅行していた時に、好奇心旺盛なインド人にあれこれ質問されて「給料はいくら?」と言われて「えーと、月2千ドルくらい」と言うと、どひゃーって驚かれたが、「あ、でも、家賃が高いから、800ドルで、水道光熱費が100ドルだし、けっこうカツカツなのよ」と主張したけど、私が言ってる意味を彼らは理解してなかっただろう。

 「私、月収200万円なんだけどー、家賃が月80万円もしてぇ、けっこう大変なのよ」って言っても「はあ?」でしょ。

 あの時、「ああ、そっか」と気がついたのは、月収1万円の所で一生懸命働いても、せいぜい月に1000円くらいしか貯金できないので、1年がんばっても貯金が1万円くらいだが、月収10万円のところで、月1万円貯金できたら、1年で10万円くらい母国に仕送りができて、それは母国で家が建てられたり、弟が大学に行けるような金額なのだろうなあ。って。

 出稼ぎに行けば、そこそこ稼げるのって、ある意味羨ましいと思った。
 でも、日本も今の状態が続くと、そのうち、中国に出稼ぎに行くようになるかもしれない。「フィリピン人メイド」が世界的ブランドになっているように「日本人のメイドは礼儀がちゃんとしているし物を盗んだりしない」とか。
 日本で仕事してても、年収300万以下だけど、海外に行けば600万円だったら、そっち選ぶ人多いだろう。でも、それくらいだと、例えばシングルマザーが子供を両親や児童支援セ施設に預けて、海外で稼いで子供が大学行けるようにするっていう動機にはならないかな?

 東南アジアの国々も経済発展が進んで、日本に出稼ぎに来るメリットはあまり無くなってるように思えるけど、それでも近所の工事現場では、外国人労働者の姿が目立つし、「外国人研修生」の話題もテレビでよく取り上げるので、「東南アジアでは都市部の給与水準はかなり上がってるようだが、地方の人や低所得層は、まだまだ日本で働きたいのだろうな」と想像できるけど、こういう状況はいつまで続くものやら。


12月4日(金)

 やべー、歯のことをつらつら書いていたせいか、秋から感じているドライマウスがまた悪化してきた。
 まあ、乾燥も後押ししているんだけど、今日は朝電車に乗っていたら口が乾くのがほんと辛くなり、すごーく気落ちしてきて、そのせいか心臓もバクバクいってきた。

 うわ、これってモロ更年期障害じゃん?

 暗澹たる気分で出社すると、私の天敵である「元ほっこり課長」がやってきて、前から聞いていた請求書作成のやり方の変更について説明されたが、思っていたよりも難儀しそうだったので、また落ちる。

 ただ、実際にデータが上がってきたら「ええと、これをこうして、ああして、あー、こっちを先に変更しなくては」って、しゃかりきになっていたので、症状を忘れたんだけど(笑)

 しかし、これが更年期症状だとしたら、けっこうキツいなあ。
 なんて表現すればいいのか・・・
 人生でたまにある「あー、やっちゃった」って時に胸の痛みみたいな?

 仕事だと、自分のミスを自分で発見して「あー、これ公表すると、すごい大勢の人に迷惑かけるなあ。言いたくないなあ。でも、言わないとしょーがないよなあ」って思いやなむ時に感じる「きゅん」って感じ。(後日訂正「思い悩む」こういうタイプミスするあたりも症状の一つかと思って保存)
 そうそう、昔、初めて買ったノートパソコンを買ってすぐに踏み潰して液晶画面にヒビが入ってしまった時の「あー・・・・」って悲しさとか。

 ほんと、そういう嫌な感じの胸キュンが起きるんですよ。継続時間は短いんだけど。

 まあ、メンタルな部分も大きいとは思うが、今日はさらに「ん?もしかしてこれがホットフラッシュ?」っていう「ほてり」も数回起こった。まだ「あれ?なんか暑い?」ってくらいだけど。

 まだ、この程度では初期症状だと思うので、この先「本格的運用」が始まったら、どーしましょ?

 とりあえず、ドライマウスの悪化がストレスになっているので、病院に行くことを検討しているのだが、歯科と婦人科どっち先なんですかね?とりあえず、ほんとにドライマウスの症状なのか確認するために歯科なのかなあ?

 うーん、自宅近くの歯科に行くか、会社の近くの歯科に行くか、どっちがいいだろう?
 と、歯科医のホームーページ眺めていたのだが、「美容歯科」がメインになってる所が多いのね。そういう歯科が派手なホームページで宣伝しがちなんだろうけど。

 前に皮膚科を探していた時にも、会社の近所だと美容がメインのところしかなくて、結局、近所の普通の皮膚科に行ったけど、「次は三日後に来てください」と言われても、仕事の都合もあったので「え?」ってなったので、会社の近所の方が仕事抜けて通えるので便利だと思ったが、逆に休みとった時は遠いし・・・

 子供の頃は病弱だったし虫歯だらけだったので、内科や耳鼻科や歯科や眼科や皮膚科にしょっちゅう通ったが、大人になってから、ほとんど医者に通ってなかったので、なんだかどうしていいのかわからない。
 そして、そのことがストレスになって・・・・っていう悪循環真っ最中ってかんじ。

12月3日(木)

 昨日の続きだけど(こういうことばかりやっていると日記がなかなかアップできない)、子供の虫歯が減ったのって、テレビでは「歯磨き指導の成果」みたいに言っていたけど、私の時代だってけっこう歯磨き指導は頑張っていたから、それだけじゃないような気がしなくもない。

 妹が出産して、甥っ子と一緒に食事するようになってから知ったのだが、「今の育児は子供の食事を他人と共有しないのがジョーシキ」らしい。
 って、自分で書いてて意味不明だが、要するに「皿や箸を共有しない」ってこと。
 大人は自分の食べかけを子供に与えてはいけないし、自分が使ってる箸で子供に「あーん」してもいけないらしい。

 そういうことに気をつけていると、子供が虫歯にならないらしいのだ。
 虫歯って虫歯菌が原因なので、その感染を防げばいいのだろう。
 そういう知識がいつ頃から広まったのか知らないけど、「虫歯菌の感染を防ぐ」っていう知識と、フッ素が含まれた歯磨き粉の進化などが子供の虫歯を減らしたんですかね?

 そういや、私が30歳くらいの頃、20歳くらいだった歯科医の息子が知り合いにいたけど、「子供の頃、父親に歯が茶色になるくらいフッ素塗られた」と言っていた。そのためか、彼は虫歯になったことが無いらしい。
 その予防法がほんとに有効なら、はしかの予防接種みたいに全員がやればいいとは思うが、虫歯って死ぬような病気じゃないからなあ。

 それにしても、高度成長期には子供の虫歯って歯科医にとってはドル箱だったのかなあ?
 乳歯って虫歯になりやすいらしいし、子供は歯磨きもいい加減だったから、私も何本も虫歯にしました。その虫歯になった乳歯が抜けると「へー、こんな詰め物されてたんだ」とマジマジと眺めたっけ。
 だとすると、乳歯の虫歯の治療って「数年持てばいい」ってことなので、当時はけっこう、いい加減な治療していたのかもしれない。

 そういえば、もはや記憶も曖昧だが、小学生の頃に通っていた歯科医は「技術は高いのかもしれないけど、治療方針が微妙」って感じで、うちの親も「あの先生は、いいのか悪いのかよくわからない」と言っていた。

 私が乳歯の奥歯を虫歯にした時には、虫歯になったところを削って、何やらセメントみたいのを詰められたが、1年後くらいにまたその歯が痛んできたので、今度は別の歯科医に行ったら、「これ、すごくキレイに詰めてありますねえ」と褒められたが、「あまり、きっちり詰めているのもダメなんですよ」と今度はセメント部分をキレイに削られて、しばらく穴あきの奥歯で過ごした。あの診断は何だったんだろう?キレイに詰めすぎて神経に触ってるとかだったのかな?

 どっちにしろ、そんな奥歯の乳歯なんて、1年も経たずに生え変わったので、今となっては「アレは何がダメだったんだろう?」と不思議に思うだけですけど。

 そういえば「銀歯」っていうのも、もう死語の世界なのかなあ。
 私は銀歯治療されたこと無いけど、昔はけっこう普通にあったよなあ。同級生でも銀歯になってる子けっこういたよなあ。
 「差し歯」っていうのも、最近あまり聞かなくなった。
 20年くらい前までは「固い物食べたら、差し歯がぁぁぁぁぁ」ってよく聞いたんだけど。

 そして、20年くらい前はインプラントって、保険適用外で金持ちしかできないような技術だったけど、今は30代くらいの人も医療控除受けてできるような技術になってるみたいだし。

 ああ、でも、子供の虫歯も減ってるのかもしれないけど、大人の虫歯も減ってそうだなあ。
 20年前にいた職場では、たまに「うー歯が痛い。今日の午後、歯科医に予約とったんで」って氷で冷やしながら出勤している社員がいたけど、今の職場では「歯医者行くので休みます」って話をあまり聞かないし。

 そんなんじゃ、少子化もあるし、歯科医は失業してしまうだろうと思うが、高齢者が今の主な顧客なんだろうなあ。歯周病だとかで。
 あと、歯列矯正とかホワイトニングっていう「美容整形」みたいな分野は繁盛してそう。

 これも、もう20年以上前の話だが、美人だけど歯並びの悪かった同僚が歯の矯正始めたのだが、顎が小さいので歯列が収まらないので、矯正途中で「この歯が邪魔なので抜歯が必要」となったが、矯正歯科医は「ボク、抜くの出来ないので」と、抜いてくれる歯科医に紹介状書いたらしい。

 抜歯も出来ない歯科医とか、ニワトリ絞められない肉屋っぽくて、「そーゆー世の中よね」」って話ですが、抜歯が減って歯学部の練習台に困ってるって話もあったし、医学部の解剖実習用の献体は過剰気味らしいですが、「献歯」は増えないだろうなあ。


12月3日(水)

 昨日の話しの続きだけど、100年前にも鬱病があったかのかどうか知らないけど、もし当時の独居の人が鬱病になっていたとしたら、あっという間に衰弱死してしまっただろう。
 ただ、初期の段階で、なんとか井戸で水汲んだり、薪を炊いて煮炊きしたり、行商の野菜売りや魚売りから食材買っていたり、いや、それよりも自分の畑で野菜を作っていたりしたら、あまり重症化しなかったんじゃないのかなあ?って思っただけです。

 よく「戦時中は精神病患者が減る」って言うけど、それは「それどころではない」と通院しなくなるだけかもしれないが、軽度な患者だったら「それどころではない」ってことになりやすいのかもしれない。

 あと、フジロックに何度か行った経験から「自然との戦いって意外とストレスが少ない」と思ったり。雨が降っても傘させないから雨具着てずっと耐えているのだけど、「わーん、雨ばっかり」と嘆いてはいるが、「憂鬱」にはならないのが不思議だった。
 自宅にいて、外が雨だと憂鬱になったりするのにね。

 そして雲が切れて、日が差してきたり、また冷たい空気が流れてきて雷鳴が轟いたりするという天気の移り変わりも「舞台演出の一つ」みたいに楽しんでいた。
 己の持つ微かな野生を感じることができたのかもしれない。ほんと、「なんちゃって」程度ですけどね。
 いつかのフジロック日記にも書いたけど、昼間ずっとしとしと雨が続いて、ずっと霧のような雨に包まれて過ごしていた時、スポンサーのタバコ会社が設置していたパラソルのある喫煙所で雨宿りしたら、「うわ、何ここ、空気が乾いてる!」ってスゲー感激した。
 「傘って素晴らしい」と心底思わったわい。

 そうやって人間は雨風しのぐために家を作るようになったのだろうけど、現代の家は良く出来過ぎなので、中と外で落差ありすぎなのかも。
 高層マンションに住んでいる人が話してくれたのだが、「今、雨が降っていて傘が必要なのか窓から外を眺めてもわからないので、窓際に双眼鏡を置いて、地上を歩く人が傘を差しているのか確認するようになった」って、凄い話だなあ。

 まあ、今の私が住んでるアパートも、少しくらいの雨だったら雨音がしないので、朝起きて窓開けて確認したりするけど、高層マンションだと窓もほとんど開かないからなあ。
 ほんと、宇宙船の中で暮らしてるみたいな感じ?

 自然は大きいなストレスだったので、それをできるだけ排除しようとしているのかもしれないけど、それがいきすぎると「ずっと無菌状態でいると免疫力が低下する」みたいなことになりそうだ。

 野球ファンとしては、「東京ドーム」がイマドキの住宅で、「西武ドーム」が竪穴式住居なので、私は西武ドームの方が好きである。
 そして、我が愛しの神宮球場は、グラウンドから遠い上層客席から見えるアーバンな東京の風景を堪能できつつ、上空を飛び交う鳥たちも観察できて、たまに、上空を遊覧飛行する軽飛行機も観察できたりして、ほんとに素晴らしい場所である。

 とある人が呟いていたが「神宮球場は最高のビアガーデンである。しかも野球も見られる」っていうの、ほんとにそんな感じ。しかも私が最近ハマっている学生野球だと、現役女子大生の太ももまで鑑賞できますから、これ以上の極楽は無いでしょう。天気良ければ(笑)

 えっと、また何書いてるのかわからなくなりましたが、「ちょっと外の風にあたってくる」っていうの重要ですよね。
 でも、「エアコンの効いた部屋に帰れる」っていうのも重要で、そのバランスが大事のようで、ずっと「エアコンの効いた部屋」にいると、いろいろ不具合が起こるのかもしれません。

●歯のクリーニング

 そういや、ずいぶん前に「え?そうなの?」と思ったが、まだ日記に書いてないような気がする。

 親会社に出向しているO氏は、一応、総務部の社員ってことになっているのでよく顔を出してくれるのだが、あるとき「久々に歯医者で歯石とってもらったんだけど、一回じゃ終わらなくて、カルテ確認してもらったら、3年ぶりだったwww」って雑談していた。

 それで、他の社員も「ああ、歯石って溜まると一回じゃ済まないんですよねえ」なんて言っていて、さらに10年くらい前に、医療控除受けるくらい歯科でなんかやった同僚K嬢に至っては「私も最初はそれで苦労したので、今は月イチでクリーニングしてるよ」っていうので、それには他の人の「えー?月イチ?」と驚いていたけど・・・・

 私、もうすぐ「人生50年」になりますが、歯石とってもらったこと、一度もありません。

 つーか、最後に歯医者に行ったの、いつだったっけ?

 20歳くらいの頃、奥歯が虫歯になったので、近所の歯医者で治療してもらい、「あんま上手じゃないな」と思ったけど、あのちょっと詰め物がズレてる奥歯は多少磨きにくいだけで、ぴんぴんしてます。

 20代後半の頃、親知らずが伸びてきて、その圧力で犬歯が引っ込んでしまったので、少し悩んでいたのだが、当時の上司が「義父が裁判官」という人で、そのツテなのか「オレは議員会館の歯科医に通ってる。田中角栄の歯も診てた歯科医だ」と言うので、その上司がその「国会議員御用達」に行くときに着いていって、私の歯も看てもらった。

 その歯科医の見立てでは「ああ、立派な親知らずですねえ、もう、少し虫歯になっているけど、噛み合わせに参加しているので、しばらく抜かないで様子みたほうがいいでしょう」だった。

 「この親知らずのせいで、犬歯付近の歯並びが悪くなっているんですけど?」と言ったら「まあ、それも様子見ないとね」と言われるし、「親知らずがけっこう虫歯になりそうなんですけど?」って言っても「それは注意しないとねえ」とか言われ、「注意するって、何を?」って、その時には思った。

 あれから20年数年・・・様子見したままです。

 そういや、その後、上の親知らずが虫歯になり痛くなったので、会社の近所にある「すぐ抜く歯科医」に行ったら、評判通りにさっさと抜いてくれたので、すっきりした。まあ、あの歯は明後日の方向(歯茎の土手の中間みたいな所)に生えていたので、どんな歯科医でも抜歯してくれだろうけど。

 たぶん、あれ以降、歯科に行ったこと無いんだよなあ。
 健保組合が「歯科検診」をやっていたので、試しに一度行ってみたら、「歯石がかなりあるので取ったほうがいいですね」って指導されたのだが、虫歯でも無いのに歯科医に行くのは億劫だったので、行かなかった。

 うーむ、でも歯石は歯槽膿漏の原因になるらしいし、やっておいたほうがいいんだろうか?でも、「3年ぶりなので1回では終わらなかった」という話を聞くと「50年間一度もやったことがないと、何回かかるんだろう?」と思うと、歯科医に行くのは相当な勇気がいるようだ。それに、あちこち多少は虫喰っているので、その治療も始まったら「毎週通って半年」くらいかかりそうだし。

 歯医者といえば、最近のニュースで「子供の虫歯が昔に比べて激減」っていうのがあって、でも歯科医は増えているらしい。私が小学生くらいの頃って、歯科医がほんと少なくてどこも激混みだったので、歯科医養成頑張ったんだろうねえ。
 そういうのって、最近では「弁護士増やさないと」って法科大学院作って養成したけど、弁護士になっても仕事が無いって人を量産しちゃったように、需給バランスって難しいよなあ。


12月2日(火)

 なんと、来年春の総務部は退職者と休職者が出る予定だということが今日、部長の口から非公式に発表された。

 えええええ?マジっすか?
 ただでさえ、マイナンバー対応で仕事の分担に変更がある予定だったのが、その上に2名欠けるとなると、諸々大変革が必要になってしまう。

 ここ6年か7年くらいの間、総務部は非常に安定していた。
 その安定には「変化を好まない」という私の嗜好がずいぶん影響を与えていたように思う。
 それは「いいこと」でもあり、「悪いこと」でもあることは、よーくわかっていたけど、ついにその均衡が崩れる時が来たのかもしれない。

 まあねえ、私も、もう50歳になるわけだし、この先、普通のサラリーマンとしては「あと10年」なわけで、いつまでも今のままではいられないことは想像していたけど、うーん、そういう意味ではいい機会なのかも。

 さて、日曜の夜にNHK特集でまた「映像の100年」をやっていたので期待していたのだが、今回は「アメリカ資本主義を確立したビッグファミリー」がテーマだったので、あまり濃い内容ではなかったので、やや期待外れだった。
 それよりも、その番組が始まる前にザッピングしていたら、テレビ東京で「庶民の生活の昭和から平成の変化」みたいなバラエティーやっていて、「昔なつかし家庭の常備薬」とか「御用聞き」とか「物売り」などの映像が流れていて、そっちの方が面白かった。

 私が産まれる少し前に郵便物があまりにも増えすぎて配達遅延が社会問題になったことがあったんだ。とか。
 戦後の復興期で団地とか一斉に出来たので、配達が間に合わなくなっていたらしい。そして、団地の配達には若い局員が配属されたが、とにかくダッシュで団地の階段を駆け上がりながら配達していて、その映像のナレーションでは「この配達員は団地の階段の昇り降りでほぼ毎日、富士登山くらいの運動量」って、すごーい!

 そうそう、それも知らなかったのだが、戦後、自転車が登場した時には、今の自動車税みたいに「自転車税」があったようで、それが撤廃されたことで「自転車で配達」が爆発的に増えたらしい。家々を回るクリーニング屋さんとか、蕎麦屋の出前もその頃から流行っていたとか。

 昭和のパワーっていうか、あの頃の「労働」って、ほんと体力勝負だったんだよね。

 時々思うけど、「そりゃ、現代社会は鬱病になりやすいよなあ」って、ほんと体動かす仕事減ったもん。
 いや、私は現代的な生活に満足してますよ。冷蔵庫開ければ食料が保存されてて、電子レンジでチンすれば食べられて、ボタン一つで冷暖房が出来るし、蛇口捻ればお湯が出て、って生活に。

 100年前に、今と同じ生活しようとしたら、「まず朝起きたら、竈に薪をくべて、井戸から水を汲んで・・・」と、とでもじゃないけど「独り暮らししながら仕事に行く」なんて無理でしょう。
 私が子供の頃だって、独り暮らしは不便だったので、会社の独身寮だったり、学生向けの下宿屋さんが主流だったはず。

 そりゃ、スーパーはあったけど、あの当時のスーパーって6時くらいで閉店していたから、仕事帰りに寄れなかったのです。コンビニも無かったし。
 20年くらい前の、私が30歳の頃でも、スーパーは7時くらいまでしか営業してなかったので、残業が続くと夕食は「コンビニか吉野家」って感じになり、すごく辛かった。

 その頃かなあ?うちの母が「スーパーで買い物が全部済むので便利だけど、ふと気が付くと、一言も口きかなくて買い物ができちゃう」と言っていて、「あー、そうだなあ」と思った。
 商店街で買い物していると「豚コマ200グラムください」とか「どのスイカが甘いかしら?」とか、けっこう会話があるし、魚屋さんに行けば「奥さん、今日はカツオのいいのが入ってるよ?」などと声かけられるし、自然と何か喋るのだが、スーパーだとせいぜい会計の時に「あ、6円あります」って程度だったりする。

 独身の私にとって「誰にも会う予定の無い休日」は、ブラブラと散歩して、スーパーで買い物して終わると「あー、今日一日、一言も喋らなかった」ってこともよくある。
 あれは心の健康によくないよなあ。
 長らく無職で引きこもりの生活を続けた友人が精神を病んでしまったのも、よーくわかる。

 今の私らは100年前の貴族階級のような暮らしをしているが、昔の貴族は「このお茶はぬるい」とか指示していたんだろうけど、今の私らはそういうのを指先ピピッで好みの温度を調節しているので、「新しい小間使いが気が利かない」とかボヤけない。
 馬番の自動車とメイドの電子レンジが恋仲になることもない。
 執事のパソコンが急に辞めても、後任は金さえあればいつでも買える。

 うーん、何を得て、何を失ったんだろう?
 自由な時間が増えて、選択肢も多くなったが、選ぶ不自由さっていうの?「余暇をエンジョイできないのは、あなたがダメだからです」って感じ?

 ペットボトルの水を持って、遊歩道を延々とジョギングしている人と、水源まで2キロあるアフリカの村に住んでいる人が水瓶を頭に載せて一日2往復とか、やってることってあまり変わりなかったりするし。
 今の世の中、金さえあれば、家から一歩も出なくても、けっこう生活できるしなあ。
 私の父方の祖母は、目が悪かったこともあって、70歳を過ぎてから20数年間はほとんど外出しなかった。祖母が実家にいた頃は、一日中、ずっとラジオやテレビを聴いていた。

 その後「ひきこもり」って言葉が出てきた時、「うわー、うちの祖母とか、こういう時代だったら、まさに引きこもりだったわ」と思った。


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