可燃物な日々

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日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました

11月30(月)

 明日から12月ですか・・・

 また、もやもやする仕事の愚痴でも。
 前にも書いたけど、育成選手Hさんの暇アピールが私にはキツくて、小さな悩みだったのですが、少し前に「やらなくてもいいかもしれないけど、やった方がいいかもしれないデータ入力」という事案が発生した。

 ただ、当初そのデータが何件くらいあるのか不明で、同僚K嬢がその管理を任されていたので「じゃあ、様子見ながら私が入力してみます」とのことだったので「あのー、Hさんも超ヒマだからお願いしていいから」と言っていたのだが、K嬢もそれほど忙しくなかったらしく、一人でちゃちゃっと30分くらいで入力してしていた。

 えーと、そのデータって例えて言うなら「応募はがき」みたいなもので、どのくらいの応募総数があるかわからないけど、初日には200通来たので、今後増えたら手分けして入力しようって感じの案件なのです。
 で、初日と2日目はそんなもんだったので、K嬢が自分でやってしまったので、「ああ、その仕事、少しでいいからHさんに渡して・・・」と思ったので、K嬢がいない時に部長に「Hさんほんと暇で可哀想なんです!」と訴えたら、その翌日、部長からK嬢に「その仕事、H君にもお願いして」と指令を出してくれたので、K嬢がHさんに入力方法を指示してくれた。

 あー、よかった、これでやっと電波が消えた!

 電波っていうか、彼の「暇アピール」はかなりノイジーであったことがわかった。
 あっちの引き出し開けては閉めて、なんか書類を出してはガサゴソしてまた仕舞って、ガタンと立ち上がってはうろうろ歩き、そしてこれは私の思い込みかもしれないけど、何度も私の方に視線を寄越して「今暇なんですけど、なんか無いですかねえ?」って電波を送ってくるのである。

 そりゃそうだよなあ。
 彼が暇そうだと、見るに見かねて、なんとか仕事を捻出してきたのは私だし、今回の件みたいに、彼が暇オーラ出しまくっていると、私がどっかで察知した「この仕事超面倒だけど、どうしよう?」って話しに首突っ込んで、陰ながらHさんの営業マンになっているのだから、「ミヤノさんにアピールすればなんとかしてくれる」って学習するよなあ。

 それは、彼が何度か後輩の実習生(養護学校の高校生が職場実習するのを受け入れた)を事実上丸投げされた時にも「明日、お願いする仕事が無いんですが?」って部長に訴えると「うー、じゃあ、なんか用意する」って、なんとかしてるのって私だけだったし。

 仕事を指示しながら、実習生にあれこれ話しかけてるのも私だけだったし・・・って、「私っていい人」自慢みたいになってしまうが、他の人はたぶん冷たいのではなく「世話するよう指示されてないから」っていう意識が強いし、受け入れた実習生は主にアスペ系だったのだが「障害のある人に頼まれもしないのに関わって、何か落ち度があった方が怖い。自分はそういう人の扱いを全くわからないから」って気持だったのだろう。

 いつも書いているけど、うちの部署はみんな「善良な人々」なのである。
 そして、その善良な人々が本気で無関心になると、けっこう凄いということをこの会社で学んだ。
 無関心と差別って、遠いようでけっこう近いということを。

 で、実習生を世話するのに私が無い袖振って「やらなくてもいい仕事」をひねり出していたのは、「たったの一週間だけど、17歳の若者がたった一人でこんな事務所に送り込まれたら、相当緊張しているだろう。でも、学校卒業したら、就労することになるんだろうし、それがどんな職場かわからないけど、会社で仕事することは、楽しいことだってあることを知ってもらいたい」という気持からだった。

 そして、私もいろいろ勉強になった。
 アスペの人も、人によって全然性格が違うのである。
 私が「これをこうやって」と教えて、上手く出来ないとムキになってしまう子もいれば、その時はボヤーンとしていたけど、最終日の感想をインタビューした部長が「ミヤノさんがやらせた、あの仕事のこと言っていたよwww」ってこともあった。

 って話しが逸れたが、今日げんなりしてしまったのは、Hさんが終業前に「これ、途中になったの、どうすればいいんでしょうか?」って私に聞いてきたことである。

 それ、K嬢から依頼された仕事なんだから、K嬢に聞けよ、もーーーーーーー

 しょーがないから私がK嬢に「Kさん、あれってどうすればいいの?」って言ったら、K嬢がHさんの席に寄っていって「ああ、こうしてね」と指示していた。

 同僚M嬢は、年に数回だが、Hさんに頼んでいる仕事がある。
 それも、Hさんが最初に来た頃は、M嬢が私に「Hさんにこういう仕事頼んでも大丈夫かな?」っていちいち確認してくるので「それは本人に聞いてください」ときっぱり言ったら次回からそうしてくれたんだけど、(まあ、私が部の連絡会で「Hさん手が空いているようなので、なんかあったらお願いしてあげてください」って発言したからなんだろうけど)その時も、Hさんは度々私に「これ、こういう時はどうすればいいんでしょう?」と私に確認しに来たので「Mさんの仕事は私にはよくわからないので、Mさんに直接聞いてください」と繰り返したら、それは学習してくれた。

 ただ、今まであまり指示をされたことのないK嬢の発注した仕事だと、また私に確認してくるって、ほんと、パターン化できてないのか、それともK嬢が自分のことを完全に無視している状態なので苦手なのか・・・・

 ああ、めんどくせー。だけど、これも重要な仕事なんだと思って苦手ながらも頑張っております。

 
11月27(金)

●「ああ、そうだったんだ」って話

 三軒茶屋には、「ビルの上にあるバッティングセンター」とか「昭和の香りを残す古い映画館」に並ぶ「ちょいと微妙な観光スポット」として、かつて「釣り堀」があった。  (参考資料)デイリーポータル:釣り堀巡り

 映画館ももう閉館しちゃったんだけど、それよりもずっと前に釣り堀が閉店していた。何年前くらいだっけ?
 けっこう流行っていたので、一度も入ったことないけど「残念だなあ」と思ったのだが、駅にも近い立地だったので「ビルでも建つのかなあ」と思っていたら、意外にもきれいに改装して「立ち飲みバル」になった。

 「三茶にこんな流行りものが?」と驚いたが、古びた屋根と内装のシンプルなおシャレさがいい雰囲気だったこともあり、そのバルもけっこう流行っていた。私は「飲むなら座りたい」と思うので、一度も入ったこと無かったけど。

 そして、一ヶ月くらい前からかなあ?
 その「富士屋本店」というバルに連日行列が出来るようになったのである。
 「どーしたんだろ?テレビで紹介されたのか?」って思っていた。

 それにしても、今までも給料日後の金曜日などには、ほぼ満席状態でぎっしり人が詰まっていたこともあったけど、外で待っている客を見かけることはほとんど無かったので、「どーしちゃったのだろう?」と思っていた。

 そして、二日前くらいかな?また前を通りがかったら「あら、今日は定休日かしら」と店が閉まっていたのだが、入り口に何やら張り紙が出ていたので、立ち止まって読んでみたら「閉店しました」

 ええええええええ?
 そっか、だから常連客が最後を惜しんで詰めかけていたのか。少し前、冷たい雨がふっていた時も外で20人くらい並んでいたので「ばっかみたい」と思っていたのだが、そういうことだったんですね。バカにしてすいませんでした。

 今日通ったら、閉店のお知らせ(他の場所で新しい店やるらしい)も外されていたが、店の看板も撤去されていたのだが、なんだろう?いよいよ取り壊されるのかね?

 ネットで調べてみたら、やはり「建物の老朽化で」となっていた。
 そして、今さらどーでもいいが「バル」じゃなくて、「フレンチ」だったらしい。

 三茶からまた一つ、昭和の香りが失われるようだ。


11月26(木)

 最近いろいろ老化現象が激しくて、「信長が、人間50年って言ったのもわかるなあ」って気分になっています。

 まず目が悪い。老眼が絶賛進行中。
 そして、たぶん視界が狭くなっているらしく、歩道のちょっとした段差でよく躓く。
 階段降りるとき、よく踏み外しそうになる。
 口の中が急にネバネバするようになった。(たぶん更年期障害の初期症状)
 記憶力がつるべ落とし。(自分が持つ能力ではもっとも仕事で役に立っていた武器なので、これは本当に痛い)

 それに加えて、ここ最近感じているのは「読解力というか理解力も落ちている?」ってことでした。

 今日はヤフーニュースで久々に「林昌勇」って文字が飛び込んできたのですが、なんと「賭博容疑」とは????

 そこで該当の記事を読んでみたのですが・・・・
 韓国検察「林昌勇選手、マカオで4000万ウォン賭博認める」

 ん?問題なのは公営カジノじゃなくて私設賭場ってことらしいが、「しかし検察は林昌勇の供述の信憑性が低いとみて真偽検証を行っている。検察は林昌勇の賭博額が娯楽レベルを越えるとみて司法処理する方向を決めた。現在では在宅起訴が検討されているという。これに先立ち賭博容疑で拘束、起訴された企業関係者と比べて金額が少ないという判断からだ。」って記述が全然頭に染みこんでこない。

 たぶん、元の原稿を日本語訳してるからなんだろうけど。
 要するにイムさんが「300万円くらい賭博やった」と認めたが、司法当局は「そんなもんじゃないでしょ?」とさらに追求する姿勢らしい。

 全然知らなかったのだが、ほんとはイムさんもプレミア12の韓国代表に選ばれるはずだったが、この疑惑でぼしゃっていたらしい。つーか、そもそもサムソンにいたのも知りませんでした。教えてくれたら、韓国遠征してたかも?(笑)

 それはいいとして(ちっともいくないけど)、昔の私は自分がすんなり読めない文章に出会うと「悪文だ!」って断定できていたけど、今の私には「私の頭がボケたせい?」って思えてしまうあたりが、老化だなあ、と。

 少し前に、仕事でもそういうことがあり、アップルの「Volume Purchase Program」つーのを購入した請求書が回ってきたのだが、それが消費税非課税だったので「なんで?」と思って、ホームページ見てみました。http://www.apple.com/jp/business/programs/

 これ読んでも、そのプロブラムって奴が、いったい何をするものなのか全然わからなかった。
 「多くのユーザーに利用されているアプリケーションや、魅力あふれるインタラクティブな本を一括購入して、あなたの組織全体に革新性をもたらしましょう。VPPストアではMacとiOSのためのアプリケーションを、iBooks Storeからは本を購入できます。サードパーティデベロッパがあなたのビジネス専用に開発したカスタムB2Bアプリケーションを、VPPストアからプライベートな方法で届けられるので、あなたのビジネスのニーズにぴったり合うものが手に入ります。」

 発注した担当者に「これっていったい何?」って聞いても、発注した社員は「さあ?」だったし、発注を依頼した社員に聞いたが「ああ、あれって非課税でいいんですよ」で終わり。

 いや、こっちは非課税の理由を知りたいのだが・・・「非課税だから非課税です」って言われても・・・・

 って話しをあちこちとしていたら、さすがわ我が部長、私が何をしたいのかわかったようで「それって、組織向けの要するにi-tunesカードだから!」って教えてくれました。

 あ、そういうこと?
 で、そうわかった上で、またサイトを読み直してみたら「あー、なるほど」とやっと意味わかったけど、それでも、やっぱわかりにくいサイトだ。これも、そのまま翻訳しただけだからなのかね?

 こういうIT系の記述って「そもそも、それがどういう機能なのかわかってる人向け」に書かれているので、たまに「これって資産計上しないといけないのかなあ?」って調べても、それがソフトなのかハードなのかも全くわからなかったりするわけです。

 それにしても、思考力が低下しているのはわかっているので、「私がバカなのか、これを書いた人がアホなのか?」っていうのが、よくわからなくなってきたのが、もどかしい。
 うーん、でも20代、30代、40代と、体力と入れ替わるように経験を積んできたので、そこそこのピークは築いできたつもりだが、これからは下降する一方なのか。

 ただ、昔は「人間 50年」だったり、55歳が定年だったりしたけど、今の時代だと、この状態でゆるやかに下降して、70歳くらいがゴールなのかもね。

 幸いにも、現在70代になったうちの両親は、それなりに頭が劣化しているけど、わりと私の許容範囲なので、未来に希望が持てる。祖父母も晩年に粗暴なところはなかったし。

 最近、粗暴な老人が起こしたニュースが多かったので、「ああなりたくないなあ」ってつくずく思うのだが、ああいう気質的なことでも、本人の意思でどうのこうのなるものでもないだろうし。
 前に勤めていた会社の社長は60歳を超えてから、急に怒りっぽくなっていた。
 それまでは、全然そんな人じゃなかったのに・・・
 その社長の父親は、その数年前に亡くなっていたが、社員が社長の自宅で宴会開いていた時に、妻を怒鳴り散らしていて、社長が「お客さん来てるんだぞ!」と自分の父親を叱っていた。
 その時、40代の上司が「ああいうの、怒りボケって言うんだって」と言っていたので「ああ、そういう人っていうよりも、ボケの症状なんだ」と思っていたが、その父親も亡くなって数年後、その息子も怒鳴り始めたのであった。

 そういや、この間、うちのママンと喋っていた時、なんの話しの流れだか「戦争のPTSD」の話になって、ママンが「あんたは知らないだろうけど、おじいちゃんも若い頃はかなりのDVだった」と言っていた。
 孫の私が生まれた頃には随分穏やかになって、「優しいお爺ちゃん」として生涯を終えたが、「若い頃は穏やかだったのに、年とって粗暴になった」よりも「若い頃は粗暴だったが、年取って丸くなった」方がいいよなあ。

 いや、全く粗暴にならない人の方が多いんだろうけど。

 って、何の話、してましたっけ?(笑)

 うん、人生折り返し地点なのかもしれないけど、今後も「他人を攻撃」することよりも「好きな物を追いかける」という人生を送りたいものである。

 って、私が大好きだったイムさんがあぁぁぁぁぁぁ


11月25(水)

 部長に「ちょっと・・・」と呼ばれて、別室で相談されたのだが、また子会社で事務仕事を一手に引き受けているK嬢から「もう限界です。経理事務に専念したい」ってメールが来たようだ。

 過去にも何度かそういう訴えを聞いているのだが、「この会社の経理を全部自分がやれば、他の雑用はしなくてもいい」って本気で考えてるわけじゃないだろうって思うし、部長もそう思っているので、「あー」って感じなのだが、今回はどうしましょうかね?

 前にも彼女がそういうモードになった時にメールで「ミヤノさんは経理の仕事に専念できて羨ましい」と書いてきたが、専念?いやいや、経理以外の仕事もいっぱいやってますよ?イベント仕事の手伝いとか支店の手伝いとか、あと「トイレの電球切れたんですけどー」とか。私がトイレに脚立持って行って交換しますけど?

 だいたい、過去にも「もっと経理やりたい」と言い出したので「じゃあ、私が担当している伝票処理やってね」とお願いしたのだが、最近、また雑用で忙殺されているようで、その処理も遅れていることが多くて、今月も先週半ばに「あれはまだですか?」と催促したら「いつまでにやればいい?」って言うので「なるべく早くに」と言ったら「今週末には送るから」といいつつ、送付されたのは火曜日で、どうやら月曜日に出勤して入力して郵送してくれたらしい。
 しかも、チェックしたらけっこう間違っていた。

 そういう状態だからこそ「経理を全部任されて、経理専門で仕事をしたい」と言うのだろうけど、前にも同時にやっていた、とある制作進行の仕事が無理だと言い出し、その仕事は他の人に引き継いだのだが、結局、その隙間に新しい「経理以外の仕事」が入ってくるので、どっちかと言ったら「経理事務でミヤノさんにお願いできるところはお願いしたい」にした方が現実的なんだろうに。

 ただ、その彼女からのメールをよく読んでみると、最近、グループ企業から天下りというか、たぶん追い出されたオジサンがK嬢を秘書代わりというか、ほぼ丸投げしてくるので、それでテンパっているらしい。

 私もそのオジサンが、かつていた部署で相当評判が悪いのを知っていたので「うーん、あの人の術中にハマるとキツんだろうなあ」って同情はするけど、「はあ?それ、自分でやれば?」って投げ返せないK嬢の立場も多少わかる。
 K嬢は数年前、うつ病で休職していたこともあり、根が真面目すぎるのだ。

 でも、「経理に専念したい」というK嬢の訴えを知る度に、私は少し傷つく。

 「ミヤノさんは経理という専門性の高い業務をしているから、ああして、のんびりと偉そうに仕事しているのだろう」って言われてるようで(笑)

 そんで、K嬢が大きく誤解しているのは「経理」ってそんなに専門性の高い仕事ではないのだ。いや、業種にもよるけど、うちの場合は、そんな大層なことしてないので。

 まあ、ただ「経理は専門職だから」と言い出す時のK嬢はビョーキの初期症状なんだろうとは思う。
 自分の友人でも後にちょっと調子がおかしくなった人は、精神的にキツい仕事をしていても「この仕事を覚えれば、どこでも通用するから」とか言っていた。

 ある友人は失業手当の給付手続きで職安に通っていたら、生保会社にスカウトされて「ファイナンシャル・プランナーの資格とれるし、それ持っていれば有利だから」と頑張っていたが、数ヶ月で離脱。(優秀な人だったので、かなりハードな営業現場に投入されたらしい)

 しばらくして、大手商社傘下の金融系の会社に派遣で働いていたが、ファンドを動かす事務らしき「アドミニストレータ」になっていて、「この業界ではアドミって凄いんだよ。この職歴があればどこでも通用する」って言っていたが、タックスヘイブンなケイマン諸島などに、数百億円送金するような仕事は相当な精神的負担だったろうし、「ファンドの現状」を投資家に知らせる決算書(?)は絶対にミスが許されないのに、投資を受けているベンチャー企業に「直近の試算表を送ってくれ」と依頼すると「試算表って何ですか?」って言われたこともあるらしく、あの当時はよく仕事の愚痴を聞いたっけ。

 それが「侵入犯が自分が不在の時を狙って部屋に何か悪さしている」と訴えて、私が無理やり実家まで送っていったM嬢である。そーいや、今年の2月くらいからメールが途絶えていたので、1ヶ月前くらいに「マー君とこ、やっと子供ができてよかったですね」とメール送ってみたのだが、返事がありません。

 あと、やはり親交が途絶えてしまったA嬢は、某プロバイダーでサポートの仕事していた時に「私の担当は、ダイアルアップ接続なんだけど、これをちゃんとこなせるようになれば、どこでも通用する」と言っていて「そのセリフどっかで聞いたなあ」って遠い目になりました。てゆーか、その当時から「ダイアルアップは過去の遺物」的なところがあったので、「そのスキル、10年後には確かに希少価値が上がるのかもしれないけど・・・・」って思いましたが・・・・

 A嬢には前科(?)があって、別の友人が高卒でフラフラ2年くらい遊んでいたのですが、ある時、意外にも看護師養成の公立学校を受験して「元々理系科目が得意だったんだ」と合格して、数年後に看護師になってしまったのです。

 それに刺激を受けたA嬢も「私も看護師になる」と言い始めたので、「25歳で受験するの難しいよ?」と言っても、「女一人で生きていくのには専門資格が必要だ。もう自分が生きていく道はこれしかない」と言うので、「ああ、まあ頑張ってよ」と応援していたのですが、やはり高卒レベルの理系問題の壁は厚く、とうとう受験しませんでした。

 「この資格を身に付ければいいのだっ」って自信はどっから沸いてくるのでしょうね。

 医師や弁護士の資格を持っていても、冴えない人いっぱいいそうなのにね。
 まあ、医師免許持っててダメな人ってあまり知らないけど、弁護士で薄給な人って時々テレビでも紹介してますし。

 何度か日記に書いているけど、私が今の会社に入る前のダメなベンチャー企業の経理をやっていた時にお世話になった税理士事務所では、若い税理士先生が私の愚痴を丁寧に拝聴してくれたので「惚れそうだ」と思っていたのですが、途中で電話が入り、その若手税理士さんが「社長、もう勘弁してくださいよ、しゃちょー」と連呼しており、どうやら直近のゴルフコンペで散々の成績だったらしいが、さっきまでクールに私の愚痴を聞いてくれていた税理士先生が電話で「しゃちょー、しゃちょー」と連呼するのを聞いて、「あー、みんな大変なんだな」と悟った。

 私がドカっと構えているのは「経理の専門家」だからでは無い。
 実際、簿記の資格なんて持ってないし。

 そこを読み取れずに「専門職になれば、雑用しなくてもいいんでしょ?」って言われると、「あんた、そういう浅い考えだから」とため息が出るけど・・・・

 それにしても、K嬢は何度もそういうことを繰り返しているけど、「辞める」って選択肢が無いのが不思議だ。
 結婚してるが子供もいないし、ご主人は大手製造業の社員らしいので、住宅ローンを抱えているにせよ、今の収入が無いと困るほどのことでは無さそうなので、もっと気楽な仕事すればいいのになあ、って思う。
 優秀な人なので、ついつい仕事が集中しちゃうのだから、今後もどーせそういうことになるだろうから、うちみたいな会社なんて見切っちゃえばいいのにって。

 まあ、もしかしたら、そういう訴えを繰り返すことで「私は大変なんだ!」ってアピールするだけで満足しているのかもしれないしなあ。

 ほんと、よーわからんです。


11月23(月)

 天気がどんよりしているので、それに連動してやや欝気味です。

 つーか、少し前までは「紫外線ブロックーーーー!」って超戦っていたのに、そのライバルがこつ然と姿を消してしまったので、「あれ?私、なんのために生きているんでしたっけ?」って感じ。
 敵って必要なんですね。
 と昨今の国際情勢と照らしてみても、「地球上が全て平和になったら、そっちのほうがもしかしたら怖いのかも」って思ってしまいました。

 テレビで「一番お金を使う観光客は中国人じゃなくて、ベトナム人でした」って紹介していた。ベトナム人はどうやら爆買いではなく「爆食い」に走っているらしい。
 神戸牛のステーキ食べて「生焼け苦手」と焼き足させたあげく「今度は最初からしっかり焼いてもらおう」っておかわりしていたり。

 へー、ベトナムってフランス領だった影響で「飯が美味い国」だと思っていたのだが、どうやら元々そういう国民性だったの?
 そんで、ベトナム人旅行者は食事する時に魚醤を持ち込んでいて、何でもそれをかけていたのだが、テレビの中の人が「少し前の日本人も海外旅行に醤油持っていってましたよね」と言ってくれたので、「そーだ、そーだ」と和んだ。

 かたくなに母国の味付けにこだわる人もいるだろうし、「現地では現地人と同じものを食べたい」という人だっているだろう。
 取材されてたベトナム人ご一行は、しゃぶしゃぶに唐辛子投入して激辛鍋にしていたり、「生の魚は食べないから」とライムを要求して「ライムで消毒すればOK」とか、かなりフリーダムだったが、「自分が美味しく頂くためには、我儘言っても全然オッケー」っていう雰囲気が食べ物にうるさいフランスと息が合ったのかなあ?

 でも、「食事にあまり関心がなかった」イギリスもインドではいい仕事したと思うんだけどなあ。
 今のインド料理にはイギリスの影響ってほとんど感じないので。
 逆にというか、インド料理の影響がイギリス経由で日本をカレーの国にしたけど。

 インド料理が凄いなあ、と思うのは中華料理の影響がほとんど無いところだ。
 東南アジアだと、タイにしてもベトナムにしても中華料理っぽいメニューが多いのだが、インド料理には中華の影響がほとんど見られない。そもそも麺が無いし。

 今はどうだか知らないけど、20年前にインドに行った時には、「いんちき中華」を出すレストランがあった。
 スプリングロールこと春巻は、インドでもサモサとか「皮で包んで揚げる料理」があるので、まあまあだったが、「チャウメン」っていう麺料理がデタラメでした。

 たぶん、当時のインドに伝わる「中華風料理」ってネパール経由らしいので、「チャウメン」っていうのもネパール風焼きそばの変形だと思うのだが、その店で出てきたチャウメンは、とろみのついたスープに2センチくらいの長さの極細麺がいっぱい入っているという「中華風卵スープ」の卵の代わりに麺って感じだった。

 「ふえー、麺料理を知らない人が、なんらかの少ない情報から麺料理を作ろうとすると、こういうことになるんだ」と驚いた。
 あれって、どこの町だったっけなあ?
 デリーとかムンバイとかの大都市じゃなかったような気がする。
 「地球の歩き方」に載っていたのかなあ?「インド料理に飽きたらどーぞ」って感じで?

 全然憶えてないけど、そーいやイギリスで入った中華料理屋もたいていあまり美味しくなかったが、インドのあれは、美味しいとか不味いとか以前の問題だったので、その衝撃だけを憶えているようです。

 そういえば、先日、会社の近所の路上で「インドカレー弁当」を売っているインド人がいたので、試しに買ってみたのですが、それを会社で言うと「えー、インド人?私はちょっと無理」って言われて、「何がダメなんだろう?」とそれ以上突っ込めなかったが、なんだろう?不衛生っぽい印象とかなんだろうか?それとも「本格的なカレーは苦手」とか?

 でもなんだか差別っぽい発言だったので、身近にいる善良な人々が平気でそういう事を言うと、ちょっとヘコんでしまう。
 そういう人はほとんど海外旅行もしたことが無いし、ましてや「かつての日本人旅行者がいかに海外を荒らしまわっていたか」ってことも知らないので、「私が20代の頃は、日本人がパリのブランド店で爆買いしていて呆れられていたんだよ」と教育的指導しているけど、どれだけ伝わってるかなあ。

 最近だと「日本人観光客はマナーがいいから、世界中の観光地で評価されてる」とか平気でマスコミが言うからなあ。
 「買春ツアー」とか「エコノミック・アニマル」なんて遠い昔のことなんだろうなあ。

 さらにもっと遡ると「メイド・イン・ジャパンは粗悪品」っていう時代もあったようで、この間、久々に大河ドラマ観ていたら、富岡製糸場が作られる以前の頃の話しをやっていて「日本製は粗悪品が多いから、なんとかしないと!」ってところでした。

 その日本製もねえ、ここ10年くらいの製品は7年くらいでダメになることが目立つようになった。
 それで普通というか、それで上等なのかもしれないけど、自分が子供の頃は「小学生の頃からある家電が、大学生になっても現役」っていうのが当たり前で、15年くらい平気で持つもんだと思い込んでいるから、10年経たずに壊れると「ああ、日本製なのに」ってがっかりしてしまう自分の方が希少種になってきたのかも。

 あと、これは先日、友人にも愚痴ったのだが、「昔の家電は古くなってあちこち不具合があっても、自分さえそれでよければ、騙し騙し使えていた」
 音の煩い掃除機とか、製氷機が壊れた冷蔵庫とか、タイマーが壊れたトースターとか。

 しかし、今のIT機器って「サポートが終了しました」が寿命になってしまうので、オバさん着いていけません。

11月21(土)

 昨日は久々にライブハウスに行きました。

 実はそういう予定があったので、パリの連続テロ事件でライブハウスが襲撃されたことに過敏になっていたのです。

 さて、少し前に友人T嬢から「David J が来日するって」と情報を頂いたので、「ええ、それは私がいかないで誰が行く?」と驚いたのですが、それよりも、招聘したのが「VYNIL JAPAN」ってことの方が驚いた。
 申し訳ないですけど「まだ、あったんか」と思ったのです。

 西新宿の大久保に向かう通りが「中古レコード屋ストリート」だったのは、もう20年くらい前の話し?その中心にあった新宿ロフトもとっくに無いし。

 で、そのチケット買うために久々にあの地域に行ってみたら、「かつての、みうらじゅん的な地域」(ボブ・ディランのブートレグ収集のため)は、今は新宿駅周辺では最も平凡な雰囲気になっており、行列のできるラーメン屋があっただけだった。

 そうそう、そのチケット買いに行った時、「すわ!大竹君が先発だ!」って神宮にダッシュしたんでしたっけ。
 そういや、私はプレミア12にあまり熱心ではなかったこともあり、「準決勝とか決勝は週末にやるんだろう」と思い込んでいたので、金曜日の朝のニュースショーで「日本は韓国に負けました」ってニュース観て「ああ、木曜日にやってたんだー」って拍子抜けしてしまった。

 「あ、そう・・・・あちゃー、うちの(楽天の)則本が炎上しちゃったのかー、すいませんね」程度だったのだが、これ、世間での関心は意外に高かったようで、その後、「小久保采配は?」と話してるサラリーマンを3組くらい目撃したのだが・・・

 でも、雰囲気的に、20代のサラリーマンが40代上司に「この話題振っておくと、上司が勝手に熱く語るので、ふむふむと聞いてればいいからラク」って感じだったので、若者コミュニティーの中の誰かが「今週はこの話題でオッケー」って拡散したのかもね?

 そんで、プレミア12での日本の敗退よりも、ずっとショックだった神宮大会の早稲田の決勝戦での敗けでしたが、早稲田の大竹投手のツイッターを読んだら、延長13回で降板したのが悔しかったということが書いてあり、「右打者だったか替えられた」ことを「これが今の実力」と。
 本人も後で付け足していたが「よく心配されるが、故障で降板したわけではない」と強調していたので、うん、よかったよかった。

 それで、昨日の話しに戻るが、David Jのライブ会場は「新宿MARZ」っていう聞いたことも無いハコだったが、西武線新宿駅から大久保方面に行って、ちょっとの所だった。
 そうそう、もうけっこう経つけどコマ劇場広場の少し奥に「ハイジア」って東京都の健康管理施設が出来ていて「なんでこんな不健康そうなところに?」って思っていたけど、あれの隣でした。

 事前にホームーページでチェックして「キャパ300人かあ」って思っていたんだけど、実際中に入ってみたら「ここに300人入れたら、相当ギューギューだろう」っていう小さいハコだった。

 しかも、なぜかフランス語を話す長身のスーツ姿の男性が私の横に二人いて、またパリのテロを思い出してヘコんでしまう。つーか、200人くらいの客の内、外人はそのフランス人二名と、もう一人何人か知らないけど白人の「BAUHAUS」のTシャツ着てた20代の若者だけでした。
 他はもう、カオスでしたわよ。
 背広姿のオッサンとか、私くらいのオバサンとか(笑)

 しかし、David Jはそのバウハウスのメンバーでしたが、バウハウス時代は、ピーター・マーフィーとダニエル・アッシュがメインで、デイビッド・Jと、その弟のケヴィン・ハスキンスは「バウハウスのその他二人(ジ・アザー・ツーwww)」という扱いであった。(ジ・アザー・ツー呼ばわりはニュー・オーダーの話しなんですが、そんなオタク話で勝手にウケてても)

 私はバウハウスはそれほど好きじゃなかったので、ピーター・マーフィーとダニエル・アッシュのグラム系ファッションにはそれなりに注目しているくらいだった。後の日本のビジュアル系バンドに多大な影響を与えたとこととか。

 その後、ピーター・マフィーを抜いた3人は「ラブ&ロケッツ」を結成したのだが、それが超かっこよくて夢中になっていたら、なんと、アメリカでもカレッジ・チャートを起点に大成功しちゃって「え?」って感じでしたが、1996年にやっと来日公演してくれました。

 えっと、20年前か。
 その頃、もうすでにケヴィン君は劣化していたのですが、兄のJは別に美少年でも美青年でもなかったので、「アラフォーのかっこいいオジサン」でした。

 ユーチューブでラブロケの昔のプロモーションビデオお浚いしてみましたが、この薄情そうな顔って、そっか、ティルダ・スウィントンに似てるなあ。私、趣味が一貫してるなあ。

 そんで、バウハウスはピーターがフロントマンだったし、ラブロケはダニエル・アッシュだったし、どっちにしろグラム・ロックというかゴス系の流れだったので、ライブもほぼMC無しだったんですよ。

 つーか20年前のラブロケの初来日の時に、クラブイベントで「今ロンドンで一番熱いDJ」が来日していて、プロモーターが同じだったので、「これは絶対に来る」と確信していたのです。

 だって、きゃりーぱみゅぱみゅとかパフィがベルリンで公演している時に、電気グルーヴの卓球がベルリンのクラブでDJしてたら、遊びに行くでしょ?(時系列ちょっと狂ってるけど)

 で、私の予想は大当たりして、ディヴィッドとケヴィン兄弟がまんまと遊びに来ていたのです。
 わたしゃ、そりゃタイミングを見計らってというか、彼らが「そろそろ帰ろうか」ってロビーに出たところに突進していって「私、ラブロケのファンで、昨日、渋谷クワトロでライブ観てたんです!ほら、これがチケット。これにサインしてください!」って英語でまくしたてました。

 その時、「ああ、しくじったなあ」と思ったのは、私はその当時、地味に発表されていた、ディヴィッドのソロ・アルバムも全部買っていたので、そっち持っていけばよかった。

 でも、ディヴィッドは無言で、サラっとサインしてくれました。

 それから20年。

 VYNIL JAPANが仕切るDavid Jのライブっていう、ほんと「知る人ぞ知る」的な空間で、還暦に近くなった彼は、「黒いスーツに赤いシャツ。ソフト帽」っていう「コステロ?」な衣装で登場して、コステロの30倍くらい喋り倒しました。

 いや、べらべら喋るの嬉しいんだけど、ネイティブが友達に話す感じで話されても日本人は3分の1くらいしか理解できないんだけど、そういうことも全然気にしない感じで、べらべら喋っていた。べらべら喋るDavid Jっていうのが素直に認識できなくて。

 へー、昔のプロモビデオ観ていたら、Lollapalooza 2008に出ているのが見つかった。
 Jさんは、この時よりもかなり老けていたが、50歳でこれだったら全然イケてますよね?
 2008年時点では、ダニエルもケヴィンも「想定内」というか、「想定をかなり上回っている」というか、比較的保存状態がいい部類ではないでしょうか?
 つーか、ダニエルとか昔は痩せすぎに見えていたので、やっと普通になった感じというか。

 ちなみに、日本語ウィキペディアの「ラヴ・アンド・ロケッツ」は誰も記事を書いてなかった(泣)バウハウスのリンク先としてだけ存在してました。


11月19(木)

 最寄り駅からの帰り道、なんか頭頂部にチクリと痛みが走ったので「ん?やだ、なんだろう?」と不安に思ったら、足に力が入らないというか、足元がフワフワしてきたので「ヤバい、これは、くも膜下出血とか、そういう類ではないか?」とさらに不安になったが、しばらく歩いていたら、というか外に出たら症状が治まった。

 ああ、この通路と相性悪いんだよなあ。

 三軒茶屋で世田谷線に乗換える時に通る通路なんだけど、40歳過ぎた頃から、たびたびこの通路で「謎の不調」が起きるのだ。軽い目眩とか。
 そういうのにも慣れてきたのか、あまり感じることが無かったのだが、久々にガツンと来たようです。

 たぶん、この通路が、東急ストアに面して作られた地下広場から田園都市線の改札のあるフロアに向かって緩い傾斜があるのが原因だと思う。
 朝の出勤時、その傾斜を下る時にはあまり影響無いのだが、帰りにその傾斜を上がる時にいつも脳内がもやーーーっとするようです。
 自分が霊感が強いと思ってる人だったら、ああいう感覚を「あそこは何かある」って思うのでしょうけど、私は霊感が全く無いのが自慢ですので(?)、「すわ、脳の血管が切れたか?」って不安になってしまうのでした。

 あの通路の傾斜って、下る時には「ああ、傾斜してるな」って感じるのですが、上る時には身体的に傾斜を意識することが無いので、なんか妙な圧迫感を感じるみたいです。
 どれくらいの人が私と同じような症状になってるのかわかりませんが、もしかしたら、遊園地のアトラクションを設計している人にはお馴染みの構造だったりして。

 いや、それよりも、もし、ああいう条件の場所で、私みたいな症状になる人が他にもいるとしたら、自動車のトンネル事故の原因になってるかもしれないので、そういうのの専門家の方が詳しいかなあ。テレビなどでたまに「実際は上がってないのに、登り傾斜に見えてしまう所で、不要なアクセルを踏んでしまう道路」なんてスポットが紹介されてますが、あの通路もたぶん、視覚的に登りになってると認識しないまま、平面を歩いているつもりでいると、微妙に足にかかった負荷をどう処理していいのかわからなくて、今日みたいに、ピシっと一瞬だけ頭痛がしたり、目眩がしたり、足の感覚を失ったりするのでしょう。

 そーいや、さっき「霊感が無い」と断言しましたが、私は自分のことを「全般的に鈍い人」だと思っていますし、ましてや「女の勘」も霊感以上に無縁だと思ってます。

 そういう経験無いんですが、「自分の彼氏が浮気しても、たぶん気がつかないままじゃないのかなあ?」って思っていましたが、それが、ほんとに鈍感だったから気がつかないだけだったのか、本当にそういう機会に恵まれなかったのかはわかりません。

 
11月18(水)

 しくしくしくしく・・・・

 今日は神宮大会の決勝でしたが、(注釈:日本全国の大学野球リーグの優勝校が集まって日本一を決める大会)休もうと思えば休めたが(ほんとは忙しい時期なのだが、私の手前でいろいろ滞っているのでピークは来週になる予想)、「雨予報だし?」と今日中止になったら、また考えようと思っていたら、昼頃はまだ降ってなかったので試合やってました。

 早稲田大×亜細亜大で、早稲田の先発はエース大竹きゅん。
 仕事の合間にネットで速報を眺めていたのだが、中盤は早稲田が1点リードしていたし、大竹君も好投していたので「このまま逃げ切るか?」と思っていたのだが、しばらくして「そろそろ終わったかな?」と思っていたら、亜細亜大が7回にスクイズ失敗するも捕手が取りそこねて、記録はホームスールで同点になっていた。

 そこから大竹君のスイッチが入ったのか、13回まで三者凡退の力投を続けたのだが、14回で力尽きた所で(牽制球悪送球でランナー進めてしまった)、おっと、今、テキスト速報を読み直してみたら「大竹、自ら降板」となっていた。

 163球も投げているのだから、もう限界だったのでしょうけど、どっか故障してないといいんだが。
 そして、継投した、こちらも私のお気に入りである長身アンダースローの吉野投手は暴投で得点されてしまい、それが決勝点になり早稲田が敗けてしまいました。

 うーん、けっこう雨降ってただろうし、雨だとわりと打者に不利だったりするらしいから、こういう死闘になってしまったのかも。

 それにしても、早稲田が秋季リーグ優勝したのは、優勝まであと1勝だった明治が、やはりこういう展開の延長戦で負けたための棚ボタだったので、「明治の柳の呪いか?」って思ってしまいました。

 エースが好投してると替えられないんだよねえ。
 それはプロ野球でもよくあって、マー君は楽天でよくそんなことになっていたっけ。

 というわけで、我が大竹君は悔し涙を流していたようですが、「史上初の四冠」はまた来年目指せばいいじゃん。・・・・・って「四冠」って何?
 たぶん、春季も秋季も名前は違うけど「大学リーグ優勝校の決戦大会」があるので、それを春夏連覇した六大学野球のチームは今までなかったってことらしいです。「六大学の史上初」と書いてあるから、他のリーグでは達成した大学があったんでしょうね。

 でも、神宮大会って「おまけ」って感じがするのだが、「おまけ」っていうよりも「勝ち残ったチームにだけ許されたご褒美」かなあ?

 少し前に「この時期に野球の国際試合って?」っていうことを書きましたが、プロ野球選手も秋季キャンプしてるんですよね。全員じゃないんですけど。(ベテランは省かれる)

 だから学生野球も11月までは「シーズン」って認識だけど、リーグ戦で優勝できなかったチームは最上級生がもう試合に出ることは無いのですが、優勝したチームだけが、公式戦があるという「ご褒美」なわけです。

 すでにプロに指名された投手がこの大会で酷使されると、関係各位(私みたいなファンも含む)は心配しちゃいますが、今回、早稲田で指名されていたのは野手ばかりだったし、けっこう活躍していたので、いい練習になったのではないでしょうか?

 そんで、大竹君はねえ?そんな13回も力投するタイプの投手じゃないんですよ。
 日ハムの武田勝はたまに完投勝利すると「疲れたー」と盛大にボヤいてましたが、彼は「球数じゃなくて回数で」とよく言っていた。
 ああいう軟投派の投手って、たぶん体力よりも頭というか「駆け引き」で打者を打ち取っているので、7回くらいが限界なんだと思う。

 ただ、7回を70球くらいで完封している投手を降板させられないから、たまに100球くらいで9回まで完封しちゃうこともあったが、「マジ超疲れた」ってことになるのでしょう。

 大竹君はまだ若いし、去年と比べるとストレートの球速上げているので、(1年生の小島君の影響もあるのか?)つい無理したくなる気持もわかるが、「君の目指す道はそこじゃない」と思うけど、うーん、でもまだ、20歳なので、この先、どういう投手になるのか、私みたいなシロートにはよくわからないけど、うん、来年もきっと試合観に行くよ!


11月17(火)

 今朝の出来事。

 出勤のため駅に向かっていると、近所の家から小型犬が飛び出してきた。小型犬といえどもコードレスは久々に観たが、飼い主が追って出てきたので、「脱走か?」と思っていたら、30代後半くらいのサラリーマンでは無い感じの飼い主男性が(平日休みだからそう思っただけかもしれないけど、髪型がリーマン風ではなかった。あー、もしかしたら、ボサボサ頭だったけど美容師さんだったのかも。火曜日だし)「ひろみ!」と叫んだ。

 「ひろみ」は飼い主の方を振り向くと「ワン!」と吠えたのだが、飼い主は「わん・・・じゃないよ」と真面目な顔で語りかけていた。

 散歩行こうとしてリードつけようとしたら飛び出しちゃったんでしょうかね?
 「わん、じゃないよ」ってセリフがツボでしたが、そう言われたひろみちゃんは、朝の住宅街に響き渡るような音量で吠えまくっていたのが、微笑ましかったです。

 そして電車に乗ったのだが、途中で急行に乗換えたのだが、乗換のアナウンスした車掌さんが見事な応援団発音で、これって文章で表現できないけど、「みなさまー、たいへんながらくおまたせいたしましたー、ただいまよりー」ってあの独特の節回しで、「ご乗客のみなさまーにおしらせしまーす、この電車、あとからまいりまーす急行電車の!まちあわせをいたしまーす」って語るので「この車掌さん、絶対、応援団出身だwww」と笑いが止まりませんでした。

 ちょっと疲れている時って、こういう些細なことに心を動かされるようですが、別に仕事が特に忙しいわけでもないので(やや忙しくなってるが毎日ほぼ定時帰宅)、やっぱ世界情勢に不安があるからでしょうかね?


11月16(月)

 今日、会社でノロウィルスの話しになった。うちの会社では子供向けのサービスもやっていて、子供の集団を扱うこともあるので、この時期になるとノロ対策の話しになるのだが、世間ではけっこう流行しているという話しをしていたので、私が「ああ、けっこう前から今年は新種が出てきてるから要警戒って言ってましたよ?」って言ったら「えええ?そうなの?」っていうのは、別にいい。

 しかし同僚K嬢が「そもそも、ノロなんて昔は無かったのに、なんで最近になって時々そういう騒ぎになるの?」と言うので、「ノロって言葉が普及してなかっただけで、そりゃ胃腸炎の原因はノロだけじゃなかったけど、昔からそういう症状あったよ?うちだってよく一家全滅していたもん」と言うと、「うちはそういう事なかった」と言うが、一人っ子だったK嬢の家と三人兄弟だったうちとじゃ、感染機会が相当違っただろうからなあ。

 あと、みんな憶えてないだけじゃないのかなあ?

 これも何度か日記に書いているが、私が小中学生の頃って、インフルエンザの予防接種はしていたが、「この症状は風邪だ」「この症状はインフルエンザだ」とあまり区別してなかった。「今年の風邪は高熱が出るね」って時は、たぶんインフルエンザが流行していたんだと思うけど、確証は無い。

 他には「嘔吐する風邪」とか「下痢する風邪」とかが流行って、そっちが多分、今で言うところのノロとかロタだったのだろう。
 胃腸に来る感染症は感染力が強く、子供の一人が感染すると、順番に他の兄弟に感染して、深夜に子供の嘔吐の処理に追われる両親も体力消耗してくるし、当時は感染を防ぐ知識も普及してなかったから、食器やタオルを別にするっていうこともしてなくて、子供らに感染が一巡すると、母が倒れ、父が倒れってことも何度かあった。

 うちの父は、高度成長期のサラリーマンだったから、多少の発熱では会社休まなかったんだけど、私が小学生だった頃、たぶんインフルエンザで高熱が出た時と、ロタにやられて下痢ピーピーで動けなかった時は、母が会社に「今日休みます」って電話していたくらいだった。

 たぶんロタらしき症状で全滅した時には、子供らは、あまりの下痢症状にトイレに間に合わず、母が子供らのパンツを風呂場で洗っていたけど、子供らが回復した後、感染してしまった父がある朝、パジャマの下は剥き出しの足という姿で、洗面台でパンツとパジャマのズボンを洗っている後ろ姿を観た時は「大人でもやっちゃうんだ」と感慨深かったし、洗面所の脇にあるトイレに行こうとしたのだが、粗相したパンツを手洗いする父の背中が悲しすぎて、トイレを少し我慢した。

 前に日記にも書いたが、姪っ子Nちゃんがまだ幼い頃、実家で急にゲボったことがある。
 その前に、弟嫁が「ちょっと具合が悪くて」と臥せっていたのだが、そんなこと考慮しないNちゃんは「ママー!」って絡んでいたのだが、しばらくして弟嫁が「少し良くなってきました」と起き上がってきたら、いきなりNちゃんがゲボーっと吐き出したのだ。

 具合悪そうなママに妙に執拗に絡むなと思っていたが、Nちゃん自身も違和感感じていたのだろう。その時は「わー、小さい子って、いきなり吐くね!」って、私もゲロリストだったので懐かしさを感じながら、掃除を手伝っていたのだが・・・・

 三日後くらいかなあ?
 実家の母から電話があって「あんた、あの後、具合悪くならなかった?」って言われたので「ああ、昨日、久しぶりに夜中に何度も吐いた」と言ったら「それ、たぶん、ノロよーーーー。私もお父さんもそうなったの」って言われて「あー、これかあ」ってわかった。

 たぶん、あの時の弟嫁は耐性があったので、半日寝込んだだけだったが、免疫なかった両親や私はゲロゲロげろっぴーになってしまったようです。
 それで、昔から何度も経験していた「夜中にふと胃が痛くて目がさめる」「何時間か胃の膨満感に苦しむ」「明け方の一番寒い時間にトイレでやっと吐ける」「布団に戻るがまだ膨満感がある」「悪寒で全身が震えている」「しばらくしてやっと吐けそうになるが、あの寒いトイレに行く勇気がない」「なんとかトイレに向かって、またしばらく冷たい床に座り込みながら冷たい便器を抱えてゲーゲーする」「なに、この拷問、ほんと辛いし、鼻水出るし、涙も出るし、勘弁してください!」「やっと布団に戻る」「うわ・・・・まだ胃が痛い。これ3セット目あるな」「3セット目キター!!!!」っていうのは、食べ過ぎでも、風邪でもなく、胃腸炎だったんだなあって気がついた。

 あと、これは自分だけかもしれないけど、あの夜中に何度も吐くタイプの胃腸炎の時って、その直前の食事で大食いするんですよ。
 高校の時だったか、年末に大掃除していて、それでお腹が空いたのか、昼食のうどんをいくら食べても満腹にならず「こういう感覚、成長期だった小学校や中学校の時以来だな?」って不思議に思いつつ、せっせとお替わりしてた。

 ものすごく大量に食べていたので、吐く量も半端じゃなかったですよ。
 あれも、ウィルスが拡散するための戦略だったのかなあ?潜伏期に満腹感を麻痺させるという。

 で、話し逸れたが、今日会社でそんな「ノロの思い出」を披露したら、「ミヤノさんって物知りねえ」って言われたのだが、いや、たまたま衛生観念の低い家に育ち、よく感染していただけだし・・・・
 そして誰かが「そんな怖い病気が蔓延しててもいいの?」って言っていたが、インフルエンザもそうだけど、ノロだって普通は死ぬような病気ではない。
 病院とか介護施設で集団感染すると死者が出るのは、元々弱っている人は嘔吐する力が無いというか、吐瀉物が肺に入って窒息とか肺炎になるからだと推測される。

 で、「怖い病気」というが、ウィルスや細菌には貴賎は無いのだ。
 人の体の中には、もの凄い数の細菌がいるのである。

 ウィルスや細菌にとっては、人体は「畑」であり、「乗り物」であり、「互いにいい関係」を築いている場合も多い。
 ただ、人体以外を宿主にしている細菌が、うっかり人体に寄生しようとすると、予期せぬトラブルが起こることもある。

 細菌じゃないけど、鳥インフルエンザとかそういうのを繰り返しているっぽい。
 細菌だとエボラ出血熱とか、コウモリが感染源という説もあるが、エボラとコウモリは長年「風邪ひいちゃった」程度で共存していたのかもしれないが、人間に感染したら致死率高くて、「撲滅すべし!」って叩かれている最中です。

 人間界でかなり適応しているのが「鼻水があ」とか「咳があ」程度の風邪の細菌でしょう。死ぬような症状でもないので、対抗する薬が開発されないのだろう。
 たぶん、ノロとかも、ほとんどの感染者が「一晩便器抱いてゲーゲーしたらそれで終わり」なので、医者にかかるまでもない症状だから、製薬会社としては開発する意味が無い。
 ワクチンが開発されれば、需要はあると思うが。

 なので、今日会社で誰かが「ノロがこんなに流行ってるのに、薬が無いの?」って言っていたけど、たぶんそういうわけで薬は開発されてません。

 私が製薬会社なら、ノロの特効薬開発するよりも、高血圧とか糖尿病とか向精神薬とかそっちを頑張りますとも。

 昔、インド旅行した時に、あるインド人からこう言われた。
 「日本人は蚊に刺されるのを極端に嫌うけど、そんなにマラリアを恐れているのか?」

 え?って思った。
 というのも私は別にマラリアの心配はしてなかったからだ。
 ただ、部屋中に蚊が飛んでいると不愉快だから蚊取り線香炊いていただけだ。

 でも、気がついていたんだけど、インドの蚊は日本の蚊に比べて刺されてもあまり痒くなかったのだが、それでも蚊を見ると皆殺ししたくなっただけである。

 さらにそのインド人はこう言った。
 「日本人はマラリヤを恐れているみたいだけど、マラリヤなんてたまに熱出るだけで、大したことが無い。オレ達インド人は、それよりも地震の方がよっぽど怖い」

 地震は防ぐことが出来ないけど、マラリヤ予防は蚊取り線香で蚊を退治すればかなり予防できるので、比較するようなことでは無いと思ったけど、インド人にとってマラリヤは頑張って予防するような病気じゃないらしい、ってことが意外だった。

 まあ、痒くないってことが重要でしょう。
 日本の蚊はほんと痒いから、感染症の心配しなくても、とにかく刺されたくないのだ。

 これも何度か日記に書いているけど「蚊に刺されても痒くないのなら、こんなにムキになって対処しないので、蚊は進化の方向を間違っているのではないか?」
 インドの蚊を見習って、痒くない蚊になることを目指してほしい。


11月15(日)

 パリのテロの件の話しをあまりテレビで観たくなかったのだが、いつもの癖でサンデーモーニングを後半だけ観てしまったのだが、あの番組のコメンテーターのいつも通りの「なんか大事なこと言っているようで、大したこと言ってないような?」感が炸裂していたが、「日本は宗教的に寛容というか大雑把なので、イスラム圏には親日国が多いんだから、その特性を活かせる何か出来ないか?」っていうのが連呼されていた。

 うーん、まあ日本は今のアフリカや中東の国家が出来た過程にノータッチな先進国だから、「イスラムには親日が多い」というよりは、「憎悪の対象になる要素が少ない」ってだけだと思うが、「それを活かして何か」と言われても、その「何か」が何なのかっていうことが重要だと思うんだけどね。

 私が思うのは、日本が「自爆テロ発祥の地」ってことである。
 発祥かどうかはわからないけど、70年前の日本人は戦争で負けそうになって追い詰められて特攻隊作戦をやっていたが、もし、今の世の中でああいう状況になっていたら、9.11みたいなこと出来ていたと思う。

 何度も書いているけど、かつては「ならず者国家」だった日本をあっけなく手懐けてしまったことがアメリカにとっては「成功体験」としてマイナスになっているような・・・

 まあ、それで今のイスラム過激派って、特攻隊的なところもあるし、ヤクザ的な「タマとったるわ!」なところもあるし、「リア充死ね」的なところもあるし、テレビでは「パリでこういうことがありましたが、日本でも対岸の火事ではありません」って言うけど、そっち目線じゃなくて、テロリスト目線になってみると「あれ?」って思うわけです。

 「天皇陛下のために」っていうのと「アラーは偉大なり」っていうの同じ感じだし。

 でも「日本もかつてそうでしたが、今は世界でも指折りの治安がいい国で、経済発展しました」て彼らに説明しても、「はあ?」って感じでしょう。
 なにせ日本なんて主要都市のほとんどを空爆され、焼け野原になったあげく、原子爆弾まで投下されるまで投降しなかったんですからねえ。

 って、私はその時代のこと、よくわかっているわけではありませんが・・・

 そういや、日本が中東に比較的好意を持たれているのは、「かつてアメリカや欧米諸国にボコボコにされた」ってことも大きいのかもね。
 そして、中東の人々は昔は文明の中心であったこともあり、日本なんて辺境の島国だと思ってるのかもしれない。実際、そう書いている本を読んだことがあったし、私が会ったことのある数少ない中東の人々はそんな雰囲気だった。
 「辺境のちっぽけな国がアメリカに原爆まで落とされて可哀想だったが、今は元気になっていて良かった。おや、車とかテレビを作って売っているのかね?じゃあ、買ってやろうか」って感じ。

 私が一時期、コーヒー豆専門店でつい東ティモール産のコーヒー豆買っていたのと同じ心境か?(笑)

 そういえば、ドイツが難民に人気があるのは、ドイツが「ナチのトラウマ」を抱えているので、そこに付け入っているんだろうなあ。

 というわけで、よくわかんないけど、今回のテロがISの空爆に対する反撃だとしたら、「美味しんぼ」じゃないけど「本当の空爆をお見せしましょう」って「東京大空襲」とか広島とか長崎の惨状を盛大にアピールするとか?
 そして特攻隊もアピールして「それ、70年前にうちもやってみたんですけど、後悔しか無いですわ」とか?

 うん、テレビのコメンテーターが言ってることもよーわからんけど、自分が言ってることもよーわからんな。


11月14(土)

 ふー・・・・、昨日「13日の金曜日が最近地味過ぎる」とボヤいたが、朝起きてみたら、パリで大惨事が起こったらしい。

 同時多発テロらしいが、一番被害が大きかったのは「バタクラン劇場」ということだったが、朝の時点ではそこがどんな劇場なのかわからなかった。
 しかし、通勤途中にネットを眺めていたら「パヒュームもそこで公演した」という情報もあり、どうやら100年以上の歴史ある劇場だけど、今はロック系というか、死語かもしれないけどオルタナ系のライブハウスになっているようだ。

 東京で言えば、歴史的には新宿ロフトで、キャパや立地的には今は恵比寿にあるリキッドルームって感じ?

 私は災害でも、こういうテロ事件でも、自分に土地勘の無い場所で起こると、わりと「ふーん?」って流せるのだが、一度でも行ったことのある場所だと、かなり動揺してしまう。
 パリは二度しか行ったことないけど、生まれて初めて海外旅行した時にはパリに入って一ヶ月くらい欧州を周り、パリから帰ってきたので、宿泊した日数はけっこう多い。(10日には満たないけど)

 テロの現場が街のどの辺りなのか調べてみたら、その最初にパリで宿泊した時に、なぜかそこを選んだ「北駅」と「東駅」から程近かった。
 なんで、あそこにしたんだっけなあ?
 大きい駅に近いからホテルの数は多いけど、高級ホテルがあまり無い地域なので、お値段が手頃だからだったのだろうか?
 でも、今から思うと「パリのアパルトマンをそのままホテルに転用した」って感じのホテルだったので、面白かった。

 もう30年も前の話しなので、今はどうなってるのか知らないけど、あの当時は「移民が目立つ地域」と言われていた。ホテルの部屋の向かいは、普通のアパルトマンで、庶民の暮らしが丸見えになっているのも「裏窓」状態で楽しかった。黒人子沢山の一家がわいわい暮らしている下の階では独り暮らしの老人が暗くて広い部屋をランブ型の電灯を手に持って移動していた。

 観光の中心街に比べると、下町の住宅街という雰囲気だったし、ちょっと煤けた感じが味わい深かった。治安的には不安があったが、夏に行ったので、「あー、疲れた」と部屋に帰ってもまだ明るかったのである。
 そんなことを思い出しながら、パリの地図を眺めていた。

 それにしても、パリで大惨事っていうのもショックだったが、犠牲者を最も多く出したのが、そのライブハウスだったということで「滞在したことのある街で、私のお友達が・・・」とほんと切ない。
 もし、私が今、パリ在住の25歳だったら、バタクラン劇場に年に数回は通っていただろう。新宿ロフトとか川崎クラブチッタとか渋谷クワトロとか新宿リキッドルームみたいに。

 そんな場所でまさかテロリストに襲撃されるなんて・・・・
 かなりの警戒態勢が敷かれていたらしいが、そういう場所はマークが緩かったのかなあ。

 そういや、パリでライブハウスに行った事は無いけど、ロンドンのライブハウスは手荷物チェックあったなあ。
 ラブパレでベルリンに行った時も、けっこう入念にボディチェックしていたので入場に時間かかったけど、あれは大会場だけで、クラブに入るときはそれほどでもなかったかも。
 でもさすがに金属探知機は無かったので、そういうところが狙われたのかなあ。

 というわけで、多くのお友達の死に動揺してしまったので、しばらくニュース観たくない気持ですが、野球のプレミア12は米国戦。
 中盤まで0−2で敗けていたが、前回ポロリした筒香の活躍で逆転している。

 それよりも台湾の球場が天然芝が美しい球場なので心癒されます。

 平和ボケした私の個人的な意見ですが、サッカー場で自爆テロするくらいなら、サッカーで勝負しようよ、と思う。
 今回のラグビーW杯での日本の活躍が実際のところ海外でどう評価されたのか知らないけど、海外のラクビーファンにはインパクトが大きかったのは間違いないでしょう。前にも書いたが、野球の国際試合でフィリピン代表が日本代表を破るくらいのことだから。高校野球の東京大会で開成が早稲田実業に勝ったくらいのことだから。(よく知らないけど、たぶんその組み合わせは東西分けで公式には無いと思うけど)

 うん、もし今後、サッカーのW杯で日本がフランスを破ったら、パリで暴動が起きるかもしれない。暴動っていうか、荒れたファンが路駐してる車を破壊くらいのことだけど。
 そういうこと、たまに起こるし、日本だって今は渋谷のスクランブル交差点で盛り上がる程度だが、あれだって何かのきっかけで暴徒化してもおかしくない。

 まあそういう問題じゃないのはよくわかっているつもりだが、それにしたって、1000人規模のライブハウスを襲撃って、アメリカの大学で銃乱射みたいな「コミュ障がリア充に恨みを抱いて」(とは限らないけど)って感じがするので、なんだかカッコ悪いじゃん。

 仮面ライダーのショッカーが幼稚園のバスを襲撃して、みたいな。

 最近のイスラム過激派は、中二病をこじらせすぎてるようにしか思えない。
 でも、こっちにとってはテロ行為だが、あっちは真剣に戦争しているはずなので、またこういうことはあるんだろうなあ。
 東京だっていつ標的になるかわからないけど、今のところ日本はイスラム過激派が活動するためには人種の壁があるんだろうけど(目立っちゃうから)

 欧州でこうしたテロ事件があると、難民問題にも影響するしなあ。

 って、全くまとまりませんが、まあ、しょーがない、そーゆーもんでしょう。

 日本とアメリカの野球の試合は、日本が10−2で勝ってますが、いいなあ外国での国際試合って静かで。暇だったら台湾に観戦しに行きたかったくらい。心の中にメモしておこう。「台湾での国際試合、日本代表はプロ野球ベストナインクラスだけど、六大学の早慶戦以下の客入りで、鳴り物応援無し」


11月13(金)

 それにしても、最近の13日の金曜日の存在感の無さって、ほんとねえ?

 有吉がツイッターで、厚切りジェイソンに「今日はキャンプ場にいるんだろ?」と絡んでいたけど、私もそれ読んで「???」って思ったもん。

 ちなみにホラーやスプラッタが苦手だった私は、「13日の金曜日」の映画を全く観たことがない。つーか、あの映画がヒットする前から「ノストラダムスの大予言」と同じくらい「13日の金曜日」っていうのは有名だったんだけどなあ。

 さて、昨日の夕方、経理でとあるミスが発覚した。
 発覚の経緯は他人に語っても全く意味不明なので省くけど、すごく意外な所でその事案が問題になり、私が「これって具体的にはどういうことでしたっけ?」と担当部署に確認しに行こうとしたら、傍らでその様子を聞いていた部長の顔が青ざめたのだった。

 簡単に言うと「同じサービス」で2つの部署から別々に請求が上がってきたのに気付かず、私がそのまま親会社に請求していたのである。
 最初、そのサービスは定額制でやっていた。そして、そのサービスが展開されているハードの管理をしていた部署の担当者がそのサービスの請求を上げてきていたのである。

 ところが今年になって、そのサービスが拡大することになり、課金の方法が変わって「実際の利用者数」で計算することになった。
 なので、そのサービスを実際に運用している部署から利用者数明細のついた請求が上がってくるようになったのである。

 ところが、ハードの管理部門にそのことがちゃんと伝わってなかったし、ハード管理部門は「この請求、そっちに入れておいてよ」って感じで載せていただけだったので、その内容についてちゃんと引き継がれないまま担当者のルーティンになっていたので、その変更に全く気が付かなかったのである。

 どうやらその変更を金額設定の面からも指揮したのは部長だったらしく、だから真っ青になってしまったようだった。

 部長はあれこれ喋りながら対策を構築していくタイプなので、それに1時間くらいみっちり付き合った。というか、気が付かずに二重に請求していたのは私のミスでもある。IT関係のことってよくわからないし、違う部署からの請求だと、違う仕事だと思って全然気が付かなかった。

 二人で「親会社にどう話すか?」「どう解決するか?」ということを自由連想的にずっと話していた。役者の演技レッスンみたいだった(笑)

 それで明日、部長が親会社の担当者に「こういう感じで、こう話しを持っていって」というストーリーと演技プランは出来上がったので「まあ、明日話してみた手応えでまた考えましょう」という結論に至った。

 が、たぶん、部長はかなりテンパっているので、今、脳みそフル回転してるんだろうなあ、と、ふと思ったので、その前に部長と某社員が雑談していた話しが私にはよくわかない話しだったので「さっきSさんと話していた◯◯って何ですか?」って話しふってみた。

 あーでもない、こーでもない、と部長の頭の中で渦巻いていた何かが、そこで見事に放流され、私は濁流に飲み込まれ、2時間に渡り、「部長が小学生だったころの少年野球チーム」の話しを聴くはめになったのである。なんでそんな話になったのか、流れをさっぱり憶えてないんだけど(笑)

 昔話スイッチの入った部長の話しは固有名詞も鮮やかで、「A町一丁目チームと二丁目チームと三丁目チームがあって、オレが入ったのは二丁目チームで」とか、40年前くらいの少年野球チームのことを語るので、「話しの本筋とは離れますけど、そもそも、一丁目、二丁目、三丁目にそれぞれチームがあったって、そっちが凄いですよねえ、当時って」と合いの手入れたら、「それだけあの頃の小学生って皆野球やりたがったよなあ」って話しで盛り上がりました。

 部長の育った地域は、都心から近いため、官僚向けの社宅や、大企業の社宅が多く建てられたので、そういうエリート階級と地元民の間に溝があったらしい。
 ただ、エリート階級の子女が多く流入していたから、中学校のレベルは近隣でも群を抜いていたとか。

 部長の家は、地元商店街の一員で裕福では無かったが、頭が良かった部長はエリート組からもチンピラ寸前組からも受け入れられていたので、双方のご家庭に遊びに行く機会に恵まれたらしい。そしてエリート家庭では「あの子と遊んじゃだめよ」って母親が言っているのを目の当たりにして「オレだって、そっちの仲間なのになあ」と思っていたとか。

 で、そういうエリートサラリーマン家庭の子も、地元商店街の子も、工場労働者の子も、とにかく野球チームに入るのだが、監督はやはり金持ちに弱いので、「あいつ下手くそなのに、なんでレギュラー?」ってことがよくあったらしい。

 小学生でも、だんだん「大人の都合」がわかってきたので、ある時、商店街の悪ガキ連中で「自分らでチームつくろうぜ」ってことになった。
 もちろん、大人が関わってないチームであるから、大会には出られないのだが、他の少年野球チームが練習している所に「試合やろうぜ」って乗り込むと、みんな練習試合はしたいから受け入れられたようだ。そうなると、その野良猫チームがその地域で最強チームになり、オリジナルで揃いの帽子作ったら、その帽子が小学校で大流行してしまい、「その帽子被ってないと仲間はずれになるから」って禁止される事態になったとか。

 ドラマかよwwwww

 部長の話しはさらに続き「小学校の頃までは、家のレベルでランク付けされてる感じだったが、中学校に上がったら、いきなりフラットになった」そうだ。
 あー、それはわかるなあ。
 中学だと、「勉強ができる」とか「運動ができる」とか、実力がはっきりするからねえ。

 小学校の頃は「うちの父親は◯◯省の役人だからエラいんだ」って威張っていた子らは、中学校に進学するといきなり地味になっていたらしい。
 部長の記憶によると、特に防衛庁のエリートさんのご子息が、「もやしっ子のくせに口だけは達者で、そんなんじゃイジめられるぞ、ってハラハラした」そうである。
 たぶん、当時の防衛庁のエリートさんたちは、今で言うところの「意識高い系」だったようで、小学生の息子らがそういう言動を真似してしまっていたようだ。

 って話しを受けて私は、「うちの近所は、防衛庁の制服組じゃなくて、もっと凄かったですよ。だって、落下傘部隊で、空挺団ですもん」と胸を張ると、さすが同年代の部長は「ある意味、人間を超えた存在www」とバカ受けしてくれました。

 ええ、うちの両親はどっちかというと左系というか、アンチ自民党でしたけど「習志野の空挺団はマジ、エリート」ってわかっていたので、うちのママンとか保護者会でご一緒した「空挺団の妻達」に「ご主人ってどんな感じなの?」ってインタビューしまくって、「もう、もの凄くゴチゴチの憂国の士で、オレが国を守るって本気で思ってるみたいで、やんなっちゃーう」みたいな奥様達の本音を収集して満足そうでした。

 って話し逸れたけど、部長のああいう話しを2時間も聴くのは大変だったけど、それで少しでも心が落ち着いて、明日ちゃんと交渉してくれれば、いいんですよ。
 最も、嫌なのは、上司が「オレは知らん、お前が交渉してこい」ですから。
 いや、実はそれでもいいんですけどね、でも、上司がわけわからなくテンパりながらも、「これは自分でやるんだ」って調整しているのなら、その調整にじっくり付き合いますとも。

 「あたし、いい部下じゃん」って満足感も得られますし。

 それにしても、落下傘部隊のことを思い出すと、「ふーん、私も実は基地の街で育ったんだ」って思います。
 ただ、前にも書いたけど、子供の頃から毎日、落下傘が降りてくる光景を当たり前だと思っていたので、それが特殊な環境だということを知ったのはずいぶん後だった。

 20代の時、相模原の友人の家を訪ねたら、轟音と共に戦闘機が飛んで行くのを観て「かっけー」って思ってしまった。でも、かなりの轟音だったので、友人にそう言うと「そお?子供の頃からそうだから慣れっこになってるのかも」と言っていた。

 成田の友人宅に遊びに行った時にも、真上に大きなジャンボ飛行機が見えて、音もうるさく「わー、迫力あるなあ」って言っても、友人はやはり慣れっこになっているようだった。

 沖縄に初めて行った時も、名護行きの高速バスに乗っていると、上空によく戦闘機が飛んでいて、「わー、さすが沖縄」って思ったっけ。

 私は「自衛隊って憲法違反じゃない?」って教育を受けてきたのだが、飛行機大好きだったので、戦闘機の美しさにはうっとりしていたのである。
 なので、今の沖縄問題に関しては複雑な心境だ。
 自分が落下傘と共に過ごしたことに疑問を抱かなかったし、今仕事している神奈川も戦闘機が飛び交ってるけど、「まあ、そういうもんだ」と受け入れているので、沖縄の米軍基地が問題だと言うのなら、もしかして、こっちも問題なの?

 よくわからないけど、沖縄県民も、ずっと「こういうもんだ」と思っていたど、ある時に「もしかして、自分らだけ損してる?」って気がついちゃったのかなあ?

11月11(水)

 オフィスマナーへの愚痴が続くが、会社で使用しているグループウェアで、掲示板形式で仕事のやりとりを複数でできる機能があるんだけど、それは2ちゃんのスレッドみたいに新しいコメントが入るとフラグが立つのでコメントを自分で確認にに行くのだが、誰かが「◯◯さん、このファイルの作成をお願いします」と依頼すると、◯◯さんが「出来ましたので添付します」ってやりとりを眺めている分にはいいのだが、すると依頼した人が最後に「ご対応ありがとうございました」って書いているだけなのに、新着メッセージ扱いになるから、フラグが上がっているのでスレッドを開くと「ご対応ありがとうございました」っていうのだけだと、すごく時間の無駄のように思ってしまう。

 礼を言うのは廊下ですれ違った時でもいいのでは?

 つーか、休み明けとか延々とお礼コメントばかり読まされて「くだらないスレッド読んでるだけで午前中が終わってしまう」ってこともよくあるし。
 マスオさんとか、そういうマナーに熱心で、他部署から経理資料になるファイルが添付されてくると、いちいち「ありがとうございました」ってコメントするので、こっちは添付されたファイルを確認した後に、お礼コメントもわざわざ見ることになるので、それがわかっているから放置していると、「訂正が入りました」なんていう重要なお知らせが入っていたりするので困る。

 メールでも、頼まれた資料を送ると「ありがとうございました」って返信してくる人が多いので、そっちが主流なんだろうけど、外部だったらともかく、社内でそういうやりとり面倒だと私は思うんだろうけどなあ。
 「ちゃんと届きました」って意味もあるんだろうけど・・・それって必要?

 あと前にも書いたけど、そういうスレッド上で他の人が作成したファイルにミスをみつけたら、「ここが違うと思います」ってコメントすると雰囲気悪くなることがあるので、それがスレを共有する全員が把握しておいたほうがいいミスだったらいいけど、そうじゃないような小さなミスは内線で「ここが違うよ」って囁いてくれればいいのにって思う時も多い。

 全員が共有すべき内容でも、前にある仕事をB嬢から引き継いだA嬢が、その仕事に関する資料をスレッドに上げたら、B嬢が「これが違う」と指摘したのだが、A嬢が「いえ、これでいいんです」と応戦したため、しばらく二人であーだこーだとスレッドで議論しはじめたので「そーゆーのは内線で済ませて、結果だけ上げてくれ」って思ったっけ。
 二人にはそういうつもりはなかったのかもしれないけど、そのスレッドを眺めていると、中年女性社員が互いに絶対に譲らないバトル繰り広げているように見えて、読んでてげんなりしちゃったから。

 さて、プロ野球はプレミア12っていうのやってますが、かねやんが「この時期は休むべきだ」とどっかのメディアで持論を述べていましたが、私もほんとそう思います。

 でも、連日ラグビー日本代表選手がバラエティーで頑張ってるのを観るにつけ「今の時代、国際大会で活躍しないとファンが増えない」っていう切実な問題があるんですよね。

 興行収入的には野球は日本最大のスポーツなんだろうけど、体操の内村やレスリングの吉田くらい知名度の高いプロ野球選手ってほとんどいないわけで。マー君とダルがここ最近の最高峰かなあ・・・、ハンカチ王子君が一時期は凄かったがすっかり地味になってしまったし、大谷くんの知名度は意外と低いと思う。

 なので、こうして地上波で放送される国際試合っていうのが重要なんだと思います。

 ただ、野球の性質として、国際試合って難しいんだよなあ。
 逆にサッカーはなんで出来たんだろう?って不思議に思うくらいですが、あっちは元々欧州内で競ってきた歴史があるのでしょうね。

 さて、自分史上最大に六大学野球に夢中だった1年でしたが、ベストナインの投手が明大の柳君だったので「やっぱり?」って思ったのと、ファンが選ぶMVPに東大の宮台投手が選ばれていたので「へー」って思った。

 東京六大学野球のサイトが素晴らしいのは、どんな記録でも10年くらいの履歴を遡れるところなんですが、「ファンが選ぶMVP」も「過去のMVP一覧」をクリックすると・・・・「2003年は鳥谷wwwww」って鳥谷、10年前と顔が全然変わってないんだなあ。

 2004年は一場と慶應の加藤っていうのは泣けますが、その後、現ヤクルトの大引を経て、斎藤佑樹連発www

 六大学の応援団が面白すぎて、ネットで検索していると、前にテレビで観た「明治大付属中高の応援団」のドキュメンタリーが見つかって、再度お浚いしていたのだが、あれって「偶然が生んだ奇跡のドキュメンタリー」って出来なんだよね。

 まず、最初に取材を始めた頃(8年前くらい?)、すでに応援団なんて遺物は絶滅寸前だったんだけど、うっかり入部した中一の二人が、ジャガイモ君とモヤシ君だったんだけど、5年後、ジャガイモ君は立派なジャガイモに成長したが、モヤシ君の方はまさかのイケメンになった。

 その絵にびっくりしたが、さらに、やっと入部した高松君という新入生が「これ、絶対無理じゃん」っていうモヤシ以下っていうか、発達障害あるんじゃね?ってレベルだったんだけど、応援団の伝統を維持するために上級生はその「ちょっと無理じゃね?」って下級生を大事に育てる。

 そして、男子応援団は毎年入部者がいないという危機的状況なのに、男女共学になって女子のチア部は人気があるので部員数が増えて、とうとう、「団長が女子」っていう事態を迎える。

 「伝統」がわりとあっさりと覆されたのが興味深い。
 だって、男子いないんだもん、女子がやるしかないじゃん、って感じ?

 その代わり、女子に「応援団としての伝統」を押し付けるので、女子は戸惑うが、ってゆーか「無理、無理、私には無理」って逃げるが、そういう局面で何故か、男子よりも男気あふれる素晴らしい女子団員がいて、「応援団の伝統は継承されました」とさ。

 「応援団の伝統ってそんなに大事なの?」って素朴な疑問を抱くが、体育会系の競技は昔に比べると随分「精神論」からは脱却してきたけど、応援団って国際試合も無いから「伝統をくつがえすきっかけ」っていうのが無いんだよなあ。科学的トレーニングがどうのって世界じゃないし・・・

 そもそも結果っていうのが曖昧だし。
 野球部とかサッカー部だったら「先輩に服従しなかった奴」が結果残すどころか、世界的なスター選手になることで「服従って必要ですか?」ってことになるけど、応援団の場合にはそういうケースが無いので、伝統が粛々と受け継がれてしまうのだろう。

 「2時間正座して校歌斉唱」の地獄の特訓とか、ぎりぎりで「イジメやシゴキじゃない」って感じだが、アホな伝統行事である。
 ただ、その無意味な苦行をやっている若者を観ていると、「荒行やりたいって人っているんだよなあ」ってことも思う。ほんと、オウム真理教とか、そういう若者を集めたので「体育会系が崩壊するとこんな弊害が!」って思ったのだが、ああいうのを本当に必要としている人はいるのに、それを必要とする人達に与えられてないよなあ。

 でもテレビ的にはその荒行は、長時間の正座で立ち上がれないし、手の平をつくのは禁じられているので(相撲での土が着く的な発想らしい)、学ランを着た学生達が高校生の団長でも「生まれたての子鹿」のようになるので、絵としては大変面白いのである。
 アホらしい修行だが、本人達もそれを見守るお目付け役のOB達も全員真剣なのだ。

 もしかしたら昔は、立てない部員に対して、OBが暴力行為で制裁を与えていたこともあったのかもしれないけど、今はテレビが入っているのもあるが、OBが学生の体に手を触れることが無く「気合入れろ!」などと喝入れてるだけなので、ある意味「ギリギリの線で残った昭和の負の遺産」として、無形文化財クラスである。

 明治大学の応援団は何年か前に不祥事で解散しており、そういう事もあるから上級生の横暴には過敏になっているのだろうけど、それ以前に志願者が圧倒的に少なくなっている現状で、「前時代的な苦行」と「伝統の継承」のバランスに苦心しているのだろうけど・・・

 その明治大学の応援団も名前を変えて、いつの間にか活動していて、この付属中高のドキュメンタリーに脇役として登場していた上級生の渡辺海翔君は、今年の大学のリーダーだった。

 いずれ、ジャガイモ君やいけめん君が団長に・・・と思って、調べてみたら、いけめん君のフェイスブックを発見し「え?もう今年卒業してたの?」と驚いた。
 そっか、高松くんが中1の時に高3だった渡邉くんが今年の団長だったので、その時にはあの二人はもう大学1年生だったんだ。

 いけめん君は大学でも応援部員を続け、団長にはならなかったようだが、10年間に渡る応援団生活を全うしたようだが、ジャガイモ君の消息は不明である。
 しかし凄い時代になったものだ。
 明治付属中高応援団のフェイスブックをチェックしたら、今年の夏合宿で頑張っている高松君の姿が確認できたので、「つーことは、もう高校生なのか?」って思ったけど、写真観る限り、男子部員数はさらに減っているようだった。1学年に一人いるかいないかくらい。

 3年後、あの高松君は六大学野球の応援の舞台に立つことになるのだろうか?
 そういう事態になったら、見学しに応援席に入ってみたくなるかもしれない。(今のところ未踏の地である。応援に参加しないといけないので私には超ハードルが高い)


11月10(火)

 そろそろ仕事が忙しい時期になってきて、しかめっ面でけっこう集中している時も多くなってきたが、「今、話しかけても大丈夫ですか?」って言われるのは、暇な時は嫌味に感じるし、忙しい時には「大丈夫じゃないって言ったら出直すの?」って思ってしまう。

 そりゃ、経理にだってたまに「あと5分でデータ送信の締め切りだ!」ってピンチの時はあるけど、そんな切羽詰まった状況って3年か5年に一度くらいなので、「今話しかけんな!」ってほどの時ってほとんど無いんだよね。

 他の部署だと、そういう状況になることが多いのだろうか?
 この間なんて「今、大丈夫ですか?」って言われたので「何でしょう?」って振り向いたら「何かやってる最中だったのでは?」って言われたので「そう言われましても、いつも何かやってるので・・・」っていうやりとりの時間の方が無駄じゃんって思った。

 私がいつも思うのは「今、質問してもいいですか?」っていう同じ時間で「これ確認したいんですけど」って言えるじゃん、ってこと。
 その回答をすぐに出来るのか「今ちょっと立て込んでるので後でいい?」って言うのは自分の判断だし、先に「この件で確認が・・・」って言われれば、その件の優先順位を判断して「それ、後でもいいよね?今、忙しから」って言えるけど、「今、話しかけても大丈夫ですか?」って言われても、その用件の重要度は聞いてみないとわからないじゃないの。

 少し前によく「一つお伺いしてもよろしいでしょうか」って言う人が複数いて、どの人もそれが口癖のようだったが、「はい、なんでしょう?」って言うと「文具のストックの中でポスト・イットはどこにありますか?」だったりして、そんな用件だったら「一つお伺いしてもよろしいでしょうか」って言う時間に「ポスト・イットってどこですか?」って言えよと思った。

 「一つお伺いしてもよろしいでしょうか」なんて言うから、身構えちゃったじゃん。その時間が私には無駄に感じたのだが?

 他にもやはり「一つお伺いしてもよろしいでしょうか」と言われたので「なーに?」って顔を向けたら「今、◯◯の用件で電話を受けたのですが、これはどこにお繋ぎすればいいでしょうか?」って言われて、「長々と電話保留してるの失礼だろうが」と呆れた。

 ただ、そういう人達は他人に過剰に気を使っているように見せかけているだけで、実際はドカドカ踏み込んでくるのである。
 わかりやすいのが、こっちが机の上に弁当広げて「昼休憩」している時に「あ、昼食中でしね、失礼します」って言いながらも「出直します」って人は少ない。いや、たぶん、こっちが昼食中だとわかったら普通の社員は黙って出直すと思うのだが、「お時間よろしいでしょうか?」って言うタイプの社員は「あ、すいません、昼食中でしたね、申し訳ない」と言いながら、自分の言いたいことだけ主張して去って行くのである。

 いや、別にいいんだけど「気遣ったふり」だけされるのがちょっと苦手。

 「あ、昼食中でしたか、ごめんなさい、今大丈夫ですか?」って、5メートル先からでも私が弁当食べてるのわかってるでしょーに、それを押して来てるんだから、「ごめんなさい」 連呼されてもなあ。

 「私は空気読めてます」ってアピールされても、全然空気読めてないんだから、だったら「お取り込み中にすいません」ってセリフ要らないよって思う。

 たぶん、自分がそれほど忙しくない人ほど勝手に空気読んで「お忙しい人の邪魔をしてはいけない」って思うようだけど、ほんとに忙しい人は「今、大丈夫ですか?」なんて言わないので、対応がラクだったりするし、こっちも、ほんとに忙しい人に対してのメールは「お疲れ様です」なんて書かないで用件だけ凝縮してメールしてたりするんだけどなあ。


11月9(月)

 えーと、土曜日は「せっかくだから高校野球の春季大会の準決勝観に行って、ついでに東都リーグの入替え戦見ちゃおうかな」と午後に神宮球場に行ったのですが、丁度第二試合の帝京と関東一の試合開始の頃だったので、席が8割方埋まっていたので「うわ、高校野球なめちゃあかんかった」と驚いた。
 外野席は開放してないとはいえ、あんなに内野席が混むのって大学野球だと早慶戦くらいですから。

 久々に「前失礼します」って中の席に通してもらいました(笑)
 それでも、しばらくすると「第一試合目当て」だった客が帰り始めたので、席にゆとりができてきたのだが、けっこう寒かったので「これは4時開始の入替え戦観るには装備が整ってないなあ」と思っていたら、まさかの降雨で傘差して頑張って観ていたのだが、関東一5−0帝京って感じで7回を迎えたのだが、関東一の攻撃で、ランナー二人出てて帝京がまたピンチだったのだが、そしたら、スコーンとホームランで「あーあ」と思っていたら、ベンチから両チームの選手が出てきたので「ん?なに?乱闘?」って一瞬本気で思ったのだが、なんとコールドゲームでした(笑)

 なので、2時ちょっとで試合終了してしまい「寒いし雨降ってるし、4時からの入替え戦なんてもう絶対無理」と諦めて帰りました。

 甲子園以外で高校野球を観るのは神宮大会を除いては、自分が高校生だった時以来ですが(どうせ一回戦で負けるだろう母校の応援に行った。相手は習志野高校で、もうそりゃボッコボコでしたわよ。習志野高校に進学した中学校の同級生に会えたりして、楽しかったけど)、帝京とか関東一とか、どちらも名門校ですが、普段、六大学野球の応援を見慣れているので、「吹奏楽もイマイチだし、チアのレベルも・・・」と思ってしまった。

 夏の大会の頃だと、応援も仕上げてくるんだろうけど、秋季は応援部も幹部が交代するのかもしれないし、吹奏楽部も本業のコンクールが忙しく応援の演奏をあまり練習できてないのかもしれない。

 ただ、観客に関しては、大学野球の観客はOBのおじちゃんたちが主力だけど、高校野球にはやはり「高校野球マニア」が多く存在するんだなあってことがよーくわかりました。
 六大学野球なんて早慶戦しか地上波放送しないけど、高校野球なんて、地方大会の決勝も放送するし、全国大会なんてNHKが大きく編成を変えて全試合地上波放送なんだもんなあ。

 今も昔も、そんなスポーツって高校野球だけだよなあ。
 ほんと、化け物コンテンツである。

 さて、昨日は予報通りに一日中雨だったので、部屋でちんたらテレビ観ていたのだが、「サンデーモーニング」で最近の台湾の動向を取り上げていたのだが、その冒頭に街頭で若者に「台湾の歴史って?」と質問してみたら、散々たる結果だった。

 先日、会社で「あの中華料理屋は台湾系だから」と言ったら、エビワカちゃんに「へー、中国じゃないんだ」と言われて驚いたのだが、やっぱし若い人の多くがそんな感じらしい。
 私と同年代くらいの人の認識はどうなんだろう?

 私もそれほど歴史の教科書で台湾のことを習った記憶が無いのだけれど、台湾が「国家」としてはビミョーな位置にいることは長年の報道などで知っている程度で、「サンデーモーニング」で語られていた「かつての国連では中国と言ったら中華民国である台湾のことだった」ってことは知らなかった。

 20年前くらいに、北京駐在している友人宅に遊びに行って、紫禁城を見学した時に「これだけの宮殿なのに宝物殿が無い?」って気がついて初めて「お宝は全部、台湾の故宮博物館にあったんだ!」って気がついたくらいだし。

 西洋美術ファンだったので、東洋美術にはフツーに疎くて「故宮博物館」っていうのはてっきり「故宮」にあると思っていたんですよ。
 それでやっと初めて台湾に行って故宮博物館を見学しましたが「この大量のお宝、よくぞ守ったなあ」って感心しました。

 元々、侵攻してきた日本軍から守るために北京から避難させた美術品だったのかもしれないけど、結果的に文化大革命を逃れたらしい。

 大英博物館も「略奪品だ!」って言われることがあるけど、私も大英博物館を見学した時は「あー、あー、全部持ってきちゃって」と呆れたが、あの時代に収集してなかったら、貧乏人に略奪されてもっと分散しちゃっていただろうから、「あの当時、お宝収集に励んだ貴族さん達グッジョブ」とも思った。

 収集するにはデカすぎた、バーミヤンの石仏とかタリバンに破壊されちゃったしなあ。
 ほんと、なんであんたもったいないことを・・・・
 世界遺産としては、エジプトのスフィンクス級だったのに。

 ドイツのノイシュバンシュタイン城とか、当時の市民たちはあの城建設のための重税に苦しんでいたらしいが、100年後にはその観光収入で子孫が生活できているわけで。

 バーミヤンだって周辺の治安が改善すれば、大観光地になれる可能性が高かったし、そうなれば周辺住民は観光業で潤って、もっといい生活できたかもしれないのに。

 って当時「タリバンだって、バーミヤンが観光地として発展したら利益あっただろうに」と嘆いたら、友人に「イスラム原理主義者にとっては、そういう発想がそもそも絶対ダメだったんだろうね」と言われて、確かに文化財に経済効果を期待するのは全人類共通の意識では無いんだろうけど、「文化財はみんなの宝」っていうのって、自分にとっては大事な事だったんだけど、そういう意識が無い人達がいるってことが衝撃的だったが、それは教育の欠如なのか、でもある程度の経済が回ってないと教育なんて後回しだろうし・・・


11月6(金)


 そろそろ年末調整の書類を提出してもらう時期だが、この間、ある社員が「マイナンバー制度が始まったら、こういうの不要になるんじゃなかったの?」と言ってきたので「どーゆーのが不要になるの?」と逆に質問したら「保険のとか」

 保険?社会保険の金額は会社で控除しているからそもそも社員各自の記入は不要じゃん?と思ったが、「ああ、生命保険の控除証明書のこと?」って言ったら「そう、それ」

私 「えっとぉ・・・・、年末調整って会社でやってるんですけど?」
某 「え?そうなの?」

 って、おい!
 私は担当者じゃないけど、その仕事、かなり大変なんだからね!

私 「要するに個人が確定申告すべきところを会社が代行してやってるんです」
某 「そっか、じゃあ、会社は社員がどんな保険入ってるかなんて知らないもんね。なるほど」

 へー、でも、多くの人が「マイナンバーで収入や資産が政府に丸裸にされるのは嫌だ」と言う中で、こういう人もいるんですねえ。
 マイナンバーで収入が自動で集約されてきて、そこに生命保険会社から保険控除額のデータが加わり、配偶者や子供の情報も自動的に算出されて、ついでに病院からも診療データが集まるので自動的に医療費控除もできちゃうみたいな?

 そういうの、その気になれば出来そうだけど・・・

 そういえば、マイナンバー制度も土壇場でドタバタしていて、例の漏洩騒動で社会保険の導入が見送られたし、私がずっと「本人に渡す源泉徴収票にマイナンバー記載してあると、郵送が普通郵便では出来なくなるって、マジ無理じゃん」って叫んでいたことが、やっぱし皆さんそう思ったらしく、10月になって「本人に交付する源泉徴収票にマイナンバーの記載無し」になっていた。

 そうなると、税務署に提出する分だけマイナンバー集めれば事足りてしまう。
 給与の源泉徴収票って、役員じゃない平社員(部長や課長も含む)の場合は、500万円以下は提出しないんだもん。
 これ、知らない人が多いと思うが、税務署は年収500万円に満たないサラリーマン(会社で年末調整をしてもらってる)個々の収入を把握していないのだ。

 ただ、たまに、扶養控除扱いになっている家族に所得があることがわかり、確認と訂正を求められることがあるが、あれはどういうチェック機能にひっかかったのかよくわからないことが多い。
 嫁が親から相続したアパートの家賃収入をちゃんと確定申告していたため「配偶者控除受けられないのでは?」ってケースが過去にあり「税務署よく調べてるなあ」って感心したが、それよりも、うちの社員であるご主人が奥さんのそういう収入を把握してなかったことの方が驚きだったけど(笑)

 この間あったケースでは、妻がパート先で重宝されすぎちゃって、3年前くらいに一時的に200万円くらい収入があったらしいという話しで、たぶんそれが発覚したのは市民税の方だと思うのだが(市民税は国税と違い、少額でも全員出せって感じ)、それが国税の扶養控除とどうマッチングさせているかは私にはよくわからない。

 実は私も、大学辞めて専門学校に通いながらバイトしていた先での収入が発覚して、父親の扶養控除に問い合わせが入り、父が「おまえ・・・・そんなに働いていたんだ」と溜息をついていたことがあった。3年遡られたそうで。って、父ちゃん、私が何していたのか知らなかったの?
 まあ、父には申し訳ないことしたと反省している。
 だって、うちの父も経理部門で仕事していたので、社員のそういう「扶養控除の訂正」には多数関わっていたはずなのに、自分がやらかしちゃったらカッコ悪いこと、この上なかったことでしょう。

 そういうことが多いので、ここ10年くらい、アルバイト学生がこの時期になると「収入見込み証明書」を発行してほしいという依頼が多くなってきた。
 会社が社員に「家族がパートやアルバイトで働いている場合は、今年度の給与が103万円未満であるという証明書を添付すること」って言ってるのでしょうね。

 そんなもん、103万以下が見込まれるのなら「うちの息子はバイトしてないでーす」で済むのだが、皆さん、そんなこと知らないし、真面目ですから、そういう書類の依頼が経理にいっぱい来て、ほんと面倒くさい。

 それこそ、マイナンバー管理で、どっかで徹底してよ、と思う。

 つーか、昔は学生バイトが100万円超えてても、けっこうスルーしていたんですよ。
 だって、学生がそれだけ稼げるのって、教養課程が終了して、就職活動に入る前のせいぜい1年だけだったから。
 なので、妻のパート収入とか、扶養に入れてるはずの親の収入とかには気を使っていたが、子供のバイト収入を気にする人はほとんどいなかったし、そんなものがバレることもほとんどなかった。

 しかし、近年の「大学生の息子の収入を気にする親」の増加からすると、マイナンバー導入で、さらに敏感になり、「12月の繁忙期なのに、バイトが入ってくれねー」って困る会社が増えそうな予感。

 もー、ほんと、学生バイトは学費を控除すればいいのに。
 って言うと、「学校休んでまでブラックバイト」も増長させちゃうので難しいところだが。
 バブルの頃なんて、みんなジャンジャン100万円以上稼いでいたのになあ。
 それどころか、文系学生男子なんて、深夜の仕事で月収20万円稼いでいる人も珍しくなく、特に就職決まってからは、バイトに専念していたので、「社会人になったら月収が激減してしまった!」と嘆いている人もいたくらいだ。
 当時の大学卒の新入社員の月収は16万円程度だったので、そこから保険や年金を引かれると、手取りが学生バイト時代よりも圧倒的に少なかったのである。

 それが、「フリーター」を沢山育成してしまったのだと記憶している。
 就職するより、バイトの方が自由じゃん?って雰囲気はあった。

 あの頃、ほんといい加減だったよなあ。
 学生バイトで喫茶店でウエイトレスしていた時は、きっちり時給で、でも残業手当って概念はなかったけど、夏休みとか月10万円以上の収入があって、それを2年貯金したら100万円近くなったので、20歳の時に初めての欧州旅行したけど、大学辞めてバイトで入った会社は「月額定額制」で、月収12万円から税金や保険を引かれたので、「え?10万円未満?」って収入に驚いたが、私が自宅通いだったので、それでも生活できたが、アパート借りて独り暮らししていた先輩は「親に借金したよ」とボヤいていた。

 まあ、じょじょに給料が上がって、賞与も出て年収200万円くらいになったけどさ(笑)
 年収が200万円超えたので「よし、独り暮らしするぜ」って家出したなあ。でも、背中押してくれたのは年収よりも「貯金が200万円になった」ってことだったんだけど。どんだけ貯金好きだったのか(笑)

 いや、同級生が大学卒業したら、とたんに遊び仲間がいなくなってしまい、全然お金使わなくなったので、あっという間に貯金が増えました。
 その後、独り暮らし初めて、夜遊びが自由になったら新しい友だちが増えて、楽しかったんだけど。

 あの頃のことで思い出すのは、私が年収200万円の会社員だった時に創刊されたのが「Hanako」で、あの雑誌は当初「自宅暮らしの20代の多くが年収300万円」っていうのをターゲットにしていたんですよ。

 当時の私は「年収300万円?けっ!」って思ってました。

 大企業のエリートOLの世界だと思っていたわけですよ、年収300万円って。

 それが中小企業に勤めている私でも、月収20万円に賞与を加えると400万円近い年収にになったきた頃「年収300万円の独身OL」っていうのが、それほど華やかなものでもないとわかってきました。

 でも、自宅暮らしだったら、全部小遣いみたいなものだから、貯金や親に払う食費やランチ代などを差し引いても「月に自由に使えるお金が10万円」ってけっこう優雅だったよなあ。

11月1(日)


 今日は朝7時集合のイベント仕事に行ったため、渋谷での乗換の時に「始発で帰るハロウィーン仮装の人々」と同じ電車になり、なんだか脳内にNHK-FMの名番組「クロスオーバー イレブン」のナレーションが鳴り響きました。「今日と明日が出会う時、クロスオーバーイレブン」

 実際、くたびれきった魔界的服装の方々と、スーツ着てこれから仕事な私みたいな人と、ユニフォーム着てこれから部活だったり少年野球だったりするが人々がすれ違うという、不思議な空間が形成されていた。

 さて、イベント仕事も終わったのが1時少し前で、慌ててスマホで六大学野球速報をチェックすると、やっぱし早稲田は大竹君先発だ!
 いいなあ、昨日は寒かったけど、今日は日差しもあって暑いくらいだろう。

 さーて、帰ってテレビつけるまで大竹君はマウンドにいてくれるだろうか?とドキドキしながら帰宅したが、2時に帰宅してダッシュでテレビつけたら、2−0で早稲田がリードしてて、大竹君は当然のことながらマウンドにいました。

 慶應の加嶋君も左投手なんだけど、へー、ずいぶん可愛い顔してるなあ。
 そういうのって球場ではよくわからないから新鮮である。
 つーか、甘いマスクの慶應の投手とか、立ってるだけでモテまくりそうなので、「ボッコボコにしてやりなさい」って思ってしまうのよね(笑)

 で、慶應は継投でまた加藤を出してきたんだけど、加藤のジャガイモぶりに逆に癒やされました。昨日、遠目で観た相変わらずガッツガツしたマウンド捌きがテレビで観られて面白かったです。

 大竹君のことをこんなにじっくりテレビで観るのも初めてだったが、球場で遠目で観てても「肩に力入らないので、ヤル気なさそうに見えるんだけど、やっぱしテレビで観てても、独特の冷静さがあるんだよなあ」ってわかった。
 ただ、シルエットは飄々としているのだが、テレビで顔がアップになると「すっごい悪そう」に見えるのだ。

 インテリやくざの若頭的な腹黒い表情であった。

 ただ、昨日、ブルペンで入念に投球練習しているのを眺めていたが、ストレートと緩い変化球を交互に投げる練習を延々とやっていたので、順調に仕上がっているっぽかったが、今日はほんと、久々に変化球のコントロールが安定していて、見事な投球だったと思う。
 もっといい時もあるのだが、今日はまあ、8割くらいの出来だったけど、あの表情からも「絶対に優勝」って気持は誰よりも強いが、なぜか体の動きは脱力系という類まれな才能を見せつけた。解説者達(元早慶の監督アンド青木)も「冷静な投手ですねえ」って感心していたくらい。

 昨日のブルペンでの投球練習観てて、あたらめて思ったのは、大竹投手はストレートが130キロ台なんだけど、たまに試合で140キロ台も投げるので、球速が遅いからああなってるのではなく、「変化球と同じフォームで投げられるストレート」を目指すと、ああなっちゃうんだろうなあ。
 だから、140キロのストレート投げる時は本調子じゃないんだと思う。球速差でかわそうとしているから。

 ただ、今後、ストライクをとれるスローカーブと140キロ台のコントロールされたストレートを要所で投げられると、もっと凄い投手になると思う。

 というわけで、ずっと悪人顔で投げていた大竹君であったが、完封勝利した瞬間の弾ける笑顔が可愛らしかったです。

 これで、六大学の秋季は終了したけど、なんと今日の好投でも、大竹君の防御率は僅差で東大の宮台投手に負けた。
 1位が慶應・加藤、2位が明治・柳、3位が立教・澤田で、4位が東大・宮台、5位が早稲田・大竹という結果だった。
 宮台、頑張ったなあ。
 このメンツの中で、4位ってマジ凄い。

 そして、私が生観戦して感激した明大・柳投手の力投が報われず残念でしたが、来年は是非優勝して、堂々とドラフト指名を勝ち取ってほしいものである。

 あと、やっぱりテレビだと早慶戦の応援合戦の特殊性はわかり難かったが、昨日ちゃんと現地取材していたので、テレビで映らない所が脳内補完できたため、「テレビ映像って、嘘ついてるわけでもないが、実際の雰囲気を全て伝えられてるわけでもない」という事がまたよーくわかった。

 それでも、今日の試合の後、選手が応戦席に挨拶に行く時とか、大竹君はさっきまでの悪人顔から「疲れきって魂抜けてる顔」に変貌しており、「東京ディズニーランドから帰宅する家族連れの3歳児」みたいな顔になっていたが、ああいう細かい表情ってやっぱテレビならではなので、テレビ映像にもいいところ沢山あるんだけどね。

 そういや、明治が法政に負けた試合の時、勝てば明治優勝だったから、明治ベンチの優勝の瞬間を撮影するために、大勢のカメラマンが法政ベンチ横のカメラマン席に陣取っていたのです。
 スポーツ紙専属カメラマンもいたんだろうけど、たぶん、彼らの多くはフリーで「そういう素材写真を通信社などに売っている」のだと思うのですが、結局、明治が優勝を決められなかったので、彼らの一日の仕事がパーになったんだと思う。

 大変な仕事だよなあ。
 自分の努力とは無関係なことで報酬が決まってしまうから。

 逆にこの早慶戦の時期に思い出すのは、ハンカチフィーバーだった年に週末のサンデーモーニングの「今日の一枚」で取り上げられた写真で、ヘリから撮った上空からの写真だったが、Jリーグの決勝戦やっていた国立競技場も、早慶戦やっていた神宮球場も、そして何でだか秩父宮ラグビー場も満員になっているという、「スポーツの秋の神宮外苑にこんなに観客が!」って凄い写真で、コメンテーターの先生方も「なにこれ、凄い!」と驚いていた。

 あの写真も狙って撮ったのかわからないが、神宮が満員になるのはわかっていたので、上空写真狙ってみたら「おお、国立も秩父宮も満員で凄いことに!」っていう写真になったのかもね。あちこちに配信されたので、飛行機代を差し引いても儲けになっただろう。


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