可燃物な日々

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日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました

6月30日(火)

 新幹線が小田原駅付近で火災という速報が飛び込んできたのでネットで確認していたら、箱根山の警戒レベルも3になっていて「最近私が行った辺りがぁぁぁぁ」と嘆いていたのですが、そういや、少し前に箱根新道でトラックが道路から転落っていう惨事もあったけど・・・ええと、これ本人に言うとマジへこみそうなので黙ってましたが、6月に箱根に車で行って箱根新道通ったのも、6月に2回仕事で小田原まで新幹線で行ったのも我が上司TK部長なので、箱根小田原あたりの呪いではなく、TK部長の呪いなのかも・・・

 しかし事件のあった「のぞみ」は乗客が1000人くらい乗っていたらしいので「報道関係者や芸能人がきっと混じっているはず」と会社で言っていたのだが、やはりJNN系列の記者が乗りあわせていたらしい。

 昨日今日と台湾でのカラーパウダー火災がメインだったニュースショーが「それどこじゃないよ、我が国の、普通の人々が普通に利用している東海道新幹線だよ?」ってことでヘアピンカーブ曲がってドカドカと戻ってくるのでしょう。

 あと、ギリシャのデフォルト問題ですが、あれはシロートには何がどの程度問題だかわからないのですが、あのニュースを見ていて思ったのは、「ドイツが中心になってギリシャを責め立てているが(でも援助しているので、イジメているわけではないんだが)、ほんの2000年前くらいは、ドイツなんて文明国ギリシャからすれば野蛮人の住む土地であり、その野蛮人に援助受けて、金なら返せんって開き直ってるギリシャか・・・」

 日本だって、100年後には・・・・いや、もっと近い未来かもしれないけど、東南アジア諸国から援助されてるかもしれませんわよ。

 さて、日曜日は終日外イベント仕事で疲れ果てていたのだが、月曜日は休みで、「今日はゴロゴロして休もう」と思ったのですが、「梅雨の晴れ間で湿度も低くて快適」と言うので、当初から「行けたら行こう」と思っていた神宮球場まで散歩しました。

 六大学野球を観戦していたら、「大学代表とプロ野球若手の練習試合がある」ってことを知ったのです。
 前に、多分、菅野あたりが学生だった頃、その「大学代表とプロの壮行試合」が地上波テレビ中継されたことがあった。それをテレビで見ていて「あ、こういう試合は鳴り物が無いんだ」と気がついたので、機会があったら生観戦したいと思っていたのである。

 斎藤佑樹だとか菅野がいる時だったらともかく、今の大学野球には一般的知名度の高い選手がいるわけでもないので(つーか、普通そうだろう)、そんなに集客するはずもないと思っていた。そんなに派手に宣伝もしてなかったし。

 しかし、試合開始が6時半だったが、6時くらいに外苑前に到着すると、246から神宮に向かう道にゾロゾロと人が歩いていて「ヤクルト戦の時より人が多いぞ?」と思ったのだが、チケット売り場も、いつものヤクルト戦の3倍くらい混んでいた。

 内野指定席を買って、テキトーに上段の空席に移動しようと思っていたのだが、「そういう雰囲気ではない」と判断して(並んでる間に他の客達の席の買い方を観察して)外野自由席1000円のチケットを書い、外野に向かった。

 中に入ると、外野はまだ3割くらいの客の入りだったが、内野を見ると中段まで埋まっていて、「わー、試合開始前にこんな状態の神宮球場初めて見た」と驚くと同時に「ああ、やっぱ、大学野球といえども日本代表試合って舐めたらあかんのね」と深く反省した。

 でも、よく考えてみたら、学生野球関係者は来るだろうし、首都圏だけでも六大学とか東都とか、他にも東海大がいる首都大学連盟とか創価大がいる東京新大学連盟とかいろいろあるんですよね。

 久々に野球の底力を感じられた「あんな地味な試合で、あんな集客」でした。
 だってさ。そりゃ大学生の方はオールスターかもしれないけど、プロ側は楽天の安楽が一番有名な選手って程度だったんですよ?

 6時半の試合開始の頃になると、もう内野席は上から下までびっちり満員状態だったし、まだ余裕のあった外野席にもじゃんじゃん人が入ってきて、公式観客数は2万人程度だったが、シーズンシートが無かったので、あんなに内野席が埋まっている神宮球場を観たのは初めてだった。
 外野席はまあ、「そこそこ入ってる時」と同じ程度だったけど、内野席の満席ぶりがほんと・・・・

 そして、主催者側も前売り券の売れいきなどから判断して、「外野席はそれほど埋まらない」と判断したのか、外野席の売店がほとんど閉まっていたのです。
 「これは、行列ができる」と6時に入場した時点で思ったのですが、どうやらピザーラは急遽開ける準備していた。内野席側にも店舗があるし、食材が冷凍だからなんとか対応できそうだったのだろう。

 バックネット裏の焼き鳥などを売る店と、ドリンクや菓子を売る店と、うどんなどの麺類を売る店しか開いてなかったのだが、それにピザーラが急遽加わっても、全然足りなくて、7回くらいに通路を観察してみたが、どの店も行列が出来ていて「神宮外野でこの行列ありえない」と驚きました。

 9時くらいの試合終了間際に焼き鳥さんの店舗の中で、従業員総出で必死に売上金数えている姿を見かけましたが、神宮名物のソーセージ盛りなどの他の店舗が閉まっている中、唯一のおつまみ系として営業していたあの店の売上は今期最大だったのかも。

 なんであんなに客入ってしまったかというと、まず、天気が良かったってことがあったのかと。外野のポール際がいつも空いているのでそこに座っていたら、周囲はビアガーデン気分で来た野球観戦になんて滅多に来ないサラリーマンで賑わってました。入場料1000円だから、気軽に来てもらえたのでしょう。
 そいつらが、ビール2杯くらい飲んだら、風俗の話を始めたので、オバサンしっかり聞かせていただきましたとも。

 試合の方は、初回にプロ側が連打して、2点入れていたので「やっぱプロすげーな」って雰囲気でしたが、この間、西武第二球場で見た「ポストおかわり君みたいな、サード山川くん」がホームラン打って、「ああ、張り切ってるな」と思った。

 プロ側が集めた選手は、イースタン・リーグの選手が主体となるので、ヤクルト・西武・日ハムの選手が多かったが、高卒の選手の方が多い感じで「大学生と釣り合うレベルの選手を選んだな」って感じだった。
 甲子園を経験している選手は、あのくらいの観客の前でプレーしたことがあるだろうけど、そうじゃない選手はもしかしたら初めての経験だったかもしれない。

 初回にプロが連打していたので、「これは大差つくかも」と思っていたのだが、大学側の投手が創価大の田中になると、150キロを超える速球と変化球の混ぜ具合が絶妙で、バッタバッタと三振とるので、鳴り物の無い球場が「おおおおおお」と自然な歓声でうめつくされた。

 鳴り物無いの、いいね。
 投手が打者の体に近い球投げて、打者がのけぞるだけで「おおおおおおお」とどよめきが起こるし、野手がファインプレーすると「おおおおおお」とどよめいた後、自然と拍手が湧き上がって「ああ、これが本当の野球の音だ」と感激しました。

 プロ野球がお休みの月曜日だったから(東京ドームではソフトバンク主催の西武戦やってましたが)、暇なプロ野球ファンも来ていたらしく、ヤクルトファンは本拠地だったから、イケメンの谷地君には黄色い歓声あがってましたけど、外野の一角で、プロ野球式の応援している数人がいたのは気がついていたんですが、5回くらいになったら、酔っ払って参加した人も増えてきたのか、「オールスターゲーム恒例の贔屓チームの垣根を越えた応援合戦」という雰囲気になってきて、ロッテの選手が出てくると「おーおおー」って縦ノリして、西武の選手が出てくると左右に走り、日ハムの選手が出てくると「おーおーおおおお おーお」って北の国からチャンテを歌ってました。

 いつも感心するのですが、私は楽天の応援歌にも全然ついていけないので、手拍子を打つことすら諦めているのですが、みんなライバルチームの応援歌でも実にノリノリでできるんですよねえ。
 外野席の客達は、そういう一部の過激な(?)たぶんパ・リーグファンを「あいつら、またなんか人数増えたぞ?」と生暖かく見守っていたのも、いとおかし。

 で、レフト側はそんな感じで、実に緩い雰囲気を醸し出していましたが、大学野球ホーム側の外野席には清く正しい野球少年が多く存在したため、追い上げる大学野球側を応援するため、そういう小学生達が「バッチこーい」と掛け声をかけると、20年前や30年前にそういう掛け声した記憶のある酔っぱらい達が懐かしさのあまり連動してしまい「ばっちこーい」が連呼される不気味なライト側外野スタンドでした。

 あー、すごく面白かった。

 次回は「大学選抜VS高校選抜」っていう、周囲の客達(大学選抜VSプロ二軍選抜に来た客)が「こっちのほうが面白そうじゃん」試合が行われるようですが、それは関東じゃなくて甲子園なんだよね。

 ただ、最近はプロとアマの壁がだんだん低くなってきたので、日本代表の頂点はプロ野球の侍ジャパンですが、ユニバーシアードの大学代表や高校生代表にも「侍ジャパン」の冠かぶせるようになってきたらしく、そういうのはもっとやれと思います。

 しかし、ホントに創価大田中投手の好投で、引き締まった好ゲームになりましたし、絶好の天候の下で(座って観てる客は肌寒いくらいだった)満員の球場という、ほんとに素晴らしい環境で、二軍で頑張ってる若手プロ野球選手達も、これからドラフトにかかる可能性が高い大学野球のスター選手達も「いつか、こんな環境で大声援を浴びるオレ」を具体的に想像することができて、これからの練習の励みになるのではないかと期待します。


6月27日(土)

 昨日は、「夕方から、梅雨前線だから、弱い雨」っていう予報だったから「こーいう予報の日じゃないと二軍のデーゲーム無理だから」と熟考の末、久々に西武第二球場に行きましたが、試合開始前から弱雨がしとしと降っていて、午後1時に試合が始まってもずっとしとしと降ってました。

 ただでさえ、まともな客席も無く、試合を見づらい球場なのに、客が傘差してるからほんと見づらかった。

 ただ、一軍でも活躍している森君が親子ゲームだったので(ナイターは西武ドームで日ハム戦)DHのスタメンに入っていたので間近で見られたのと、森本ひちょりがファーストに入っていたので、久々にひちょりのことを思い出せたことが良かったです。

 西武はねえ、どういうチーム事情なのかよくわかりませんが、元楽天の渡辺が「左投手の時はショートでスタメン」になっていたので、「若手のショートいないのか?」って心配になりましたが、同じくらいのベテランのひちょりは普通に塩漬けになっているようだ。
 ファーストひちょりっていうのも、なんだかもったいない気がするが、そういや日ハムの稲葉もライトからいつのまにかファーストに固定されていく過程を見ていたので、「ひちょりもそういうお年ごろなんだ」とがっかりしてしまいますが、ちょうど、ネット裏からライト線を正面の角度で見ていた時に、何か猛烈に美しいものがダッシュしてくるのを感じて、「あ、ランナーが出てバントで送ろうとしてるから、ファーストがダッシュしてきてるんだ」とわかりました。

 1アウトだったっけ。
 ランナーが出たので、ファーストは牽制球受けるために1塁に張り付いているけど、投手が投球動作に入ると、パっと1塁から足を離して、バント処理のためにダッシュしてくるのですが、自分に向かって真正面にダッシュしてくるひちょりの姿の美しいこと。

 そうだ、ランナー1・3塁だったんだっけ?
 だから、あの場面のバントは「送りバント」じゃなくて「スクイズ」だったんだけど、ひちょりがバントの打球処理して本塁にトスしたんだけど、その華麗な動きを裏切る「山なりのトス」」だったので、3塁ランナーは生還して、1塁もセーフという最悪の展開になった。

 「なんだ、ひちょり、ダメじゃん」と思ったのだが、外野手はあんなトスなんてしないから、上手くないのはしょーがないし、そういうの練習するのが二軍の試合なのだが、ひちょりは悔しがる素振りも見せず、「ふーん、このタイミングじゃダメだったか」と冷静な顔していたが、その後、投手の佐藤君は1アウトのまま連打を浴びて、さらに楽天の外人に満塁ホームランまで浴びて、その回9失点していたが、あの流れを作ったが、ひちょりだったような気がする。

 スター選手だったし、新庄の跡継ぎとして、非常に雰囲気作りの能力が高い選手だったと思っていたが、どっか故障しているんだろうか?

 でも、やっぱ、ファースト稲葉は違和感なかったけど、ファーストひちょりって違和感あるなあ。そのうち、ファースト糸井っていうのもあるのだろうか?

 デーゲームで二軍の試合見て、気が向いたら一軍のナイターも観ようかと思っていたけど、ずっと雨の中、傘して立ちっぱなしだったので、ナイター鑑賞はやめて帰りました。日ハム先発が有原だったので「またフルボッコされそう」と思っていたのだが、帰宅して速報みたら、やっぱフルボッコでした。

 そうそう、二軍の試合で初めて片山君の打席観ました。
 楽天の大型左腕だったのですが、投手としては致命的な故障があったようで、野手転向したのですが、20代前半で投手が野手転向するケースはけっこうあるけど、片山くんの場合はすでに27歳だったので「難しんじゃない?」と思ってました。

 しかし、途中交代で打席に立ったのですが「190センチの左打者って、無茶苦茶雰囲気があるwww」って編成が彼を野手転向させた気持ちがわかりました。
 打撃に関しては、けっこうイケそうな気がしたが、課題は守備ですかね?
 彼がファーストに入ると、かなりシロート臭いというか、「ファーストって守備的な華があまりないけど、無難にこなしている強打者達ってちゃんとやってんたんだな」って、清原とかの「ここしか守備で置いておく場所がない強打者」が、いかにちゃんとやっていたたがよーくわかった片山くんのファーストでした。


6月24日(水)

 今日は休みだったので、箱根駅伝復路の続きを歩いてみた。

 でも、今日は暑かったので「何も、8区を全部歩かなくたっていいんだよな」と正気になったので「藤沢までを目標にしよう」(約15キロ)という現実的な目標を立てました。

 暑かったです。
 朝は晴れていたけど、曇予報になっていたから少しは雲出てくるかと予想していたのだが、私の上空には全く雲が発生しませんでした。遠くに見える積乱雲が羨ましかった(笑)

 前回、大磯で国道1号から134号に入るのを忘れていて、違うルートで平塚入りしてしまったので、今回は平塚駅から海沿いの134号線にまず出ました。
 平塚駅から真っ直ぐ南下した先には、ビーチ施設があるらしく、そこに向かっている男性が上半身裸で歩いていたし、早くもそこから戻ってきた青年二人の上半身は鍛えぬかれていたのでビーチバレーの選手だったのかも。

 海水浴シーズンや休日だったらわかるけど、6月の平日の昼間に裸の男性がうろうろしていることに驚いたが、「これぞ湘南」ってことなんだろう。
 しかし、そもそも湘南に行くことがめったにないけど(最後に平塚に行ったのは2,3年前に二軍の試合を観に平塚球場に行った時)、平日の湘南なんて、たぶん初めてだろう。

 134号は海岸沿いの防砂林の真ん中を走る道路で、近年4車線化されたようで新しいキレイな道路でした。
 ただ「小田原−平塚間に比べたら都会だろう」とコンビニやファミレスが点在していることを期待していたのですが、防砂林に囲まれているので店舗がほとんどなかった。

 でも、海浜公園みたいのはいっぱいあったので、休憩には困らなかったので助かりました。
 相模川超えて、大きな歩道橋渡っていたら、その歩道橋からそのまま入れる公園みたいなのかあったので、いきなり広大な芝生の公園が出現したので驚いた。だって、道路側から見ると立体駐車場みたいな建物の屋上みたいな場所なのに?
 さっき地図で確認したんだけど、その近辺にそういう公園は見つからなかったんだけど航空写真に切り替えてみたら「あ、これだ!」って地図上では下水処理場になってますが、処理上の屋上を公園にしちゃったのか?
 でも、テニスコート8面と、サッカー場まであったし、それ以外にもガラーンとした芝生の広場はかなり広かったのに?400メートルトラックが余裕で入るくらいの広さがあった。

 テニスコートは賑わっていたけど、芝生広場の方は、オジサンたちが3人くらいバラバラに(仲間ではなさそう)ひたすら走ってました。たぶん、マラソンとかトライアスロンとかやってそうな上半身ハダカで真っ黒のオジちゃんもいた。
 そのおじちゃんたちが広い広場を黙々と走っていて、テニス客の歓声が時折あがるけど、その声も遠くて、ものすごい静寂に包まれたストイックな空間になってました。児童遊具の一角もあるんだけど、12時くらいだったので子供の姿もなく、なんだかヤバい雰囲気の空間になってました。

 トイレ借りようとテニスコートに近づいたら、管理事務所があって、そこにはまた大勢の農作業ルックのおじちゃんおばちゃんが休憩していて驚いた。メンテナンススタッフが昼休憩してたんです。

 で、広場の方にはポツリポツリと屋根が付いたベンチがあり、私はその一つを陣取ってストレッチしてたんですけど、そーいや、そのベンチが人が二人寝転がれるくらいのサイズだった。私は靴脱いで、そこでストレッチしていたけど、30メートルくらい離れた他のベンチでは、メンテナンススタッフのオジちゃんが昼寝していた。すげー気持ちよさそうだった。

 トイレも新しかったので、ほんと、最近できたばかりの公園なのかもしれないけど、穴場すぎる。
 で、その下水処理場を越えたら、本格的な湘南の砂浜が続くようで、砂浜沿いにはサイクリングロードが整備されていたが、そっちは全く日差しを遮るものが無いし、私はそもそも箱根駅伝の研究に来ているので、自動車道路の歩道を歩いていましたが、ところどころでビーチに出られるので、久々に江ノ島とか烏帽子岩とか見ちゃったよ。

 で、もちろん、釣り竿持った大学生風男子とか、スポーツ自転車をかっとばす若い男性の姿も多かったけど、何しろ平日ですから、やはり多いのは「おじちゃん」である。
 定年退職した暇なおじちゃん達のやることは色々あると思うが、湘南のおじちゃん達は、とにかく海辺をうろうろしているようなので、みんなもう真っ黒だった。

 なんか、やっぱ湘南ってそういう文化っていうか、行ったことないけどアメリカ西海岸みたいですね。オジサンが上半身ハダカで走り回ってる感じが。

 箱根駅伝のコース的には、辻堂から平塚まではほとんど松林の中の道なので、ランナーは橋を渡る時しか海は見えないようです。中継ではよく江ノ島が写りますけど、あれは浜に出ないと見えない。
 江ノ島と茅ヶ崎の間で、コースは藤沢に向かって内陸部の30号線になります。
 30号線もなかなか整備された道路でした。

 そのまま北上して、大船あたりでまた国道1号に戻るらしい。

 さて、だんだん暑くなってきたので、次回はいつになるかわかりませんが、藤沢から戸塚中継所を通過して、横浜まで行くとまた15キロくらいなのかなあ?

 今日は日差しは強烈だったけど、ほとんど海沿いの道だったので、海風が心地良かったし日陰だと涼しいくらいでしたが、7月になるとだんだん湿度も上がってくるだろうし、藤沢から横浜ルートは内陸部ですからね。

 というわけで、万歩計の新たな一日目は、3万歩という貯金2万スタートです。巨人軍よりも貯金が多いのであった。えへん。

 さて、けっこう疲れてはいるけど、S氏の愚痴の続き書いてみるか。
 歩いていても、なんだかふつふつと思い出してきちゃってね(笑)

 木嶋佳苗がカルピスバター愛を語っていたという記事を読んで「そういや、S氏もカルピスバターだった!」と思い出したのだ。

 会社にほとんど金が無いのにも関わらず、S氏は「ちょっと打ち合わせしましょう」って時でも、しゃぶしゃぶ屋に入ったりするような人だった。
 一度、S氏と私だけで昼食時に打ち合わせすることになったのだが、S氏は迷わず「銀座アスター」を選んだ。私はあの時初めて銀座アスターに入ったよ。

 カルピスバターの話しは、S氏から直接聞いたわけでもなく、秘書役のA嬢の話しだったと思う。
 会社に金が無いから社員の給与もまともに支払えない状態をA嬢に相談すると、「Sさんは生活費として奥さんに月50万円渡してるらしい」と言うので「え?そんなに?」と驚いた。
 S氏は他の会社の役員をしていたけど、あのポジションだと月50万円も貰ってなかったと思う。ベンチャー企業の非常勤役員だったから。あの会社自体も赤字続きだったわけだし。

 せいぜい、月20万とか25万円くらいだったんじゃないだろうか?
 それに加えて、自分で設立した会社に入った資本金総額600万円プラス、組合サラリーマンが入れてくれた400万円などを自分や社員の給与に回していたのだと思う。

 バブル期には、月50万円を妻に渡せるような収入があったのかもしれないけど、その当時はギリギリの生活費しか渡せてなかったはずだ。

 それは置いておいて「え?50万円も?子供もいないのに?」って驚いていたら、A嬢が「Sさんちでは、バターはカルピスバターじゃないとダメなんだって」と言うので「なんじゃそりゃ?」とカルピスバターという存在を初めて耳にした。

 どうやらS氏にとって、その5歳くらい年上の奥さんは「自分を捨てた母親の替り」になっているようで、「成功して金持ちになったボク」を常に見せつけないといけないようだった。
 そして、その捌け口として、世間知らずのA嬢には「お前は全く物を知らない。勉強不足だ」と、いつもくどくどと説教していた。

 そしてS氏はそういうのを扱うのがとても上手くて、わざとそういう能力の無い人に難しい案件を丸投げして「ほーら、できないのはお前が至らないからだ」と言うと、言われた方は「自分がダメだからお役に立てなかったんだ」と思うようである。

 たぶん、そういうのが天才的に上手かったのは麻原彰晃で、彼は自分よりもずっと高学歴相手にそれをやってみせたので、「すごいな、どうやったんだ?」って思いましたが、S氏はもっと小物だったので、バカを取り込んでいるだけでした。

 時系列忘れちゃったけど、あのアーチストの話しもいきなり飛び込んできて、「この間、とあるパーティーに行ったら、なかなか凄い人とお知り合いになった」と自慢していたので、また新たなカモを見つけたのかなあ、と思っていたら、「ずっと個人で(インディーズで)やっていたアーティストが大手と契約することになった」って話しだったのです。

 で、S氏としては、なんとしてでも、そのアーティストと大手レコード会社の間に食い込みたかったようですが、さすがに個人でそこそこ(てゆーか、年商数億円あったらしい)やってきたアーティストサイドには「女帝」みたいなマネージャーがいて、群がってくる魑魅魍魎を暖かく迎えて、もてなして、いい気持ちにさせて、そのまま東京に返してました。
 要するに「おもてなし」はするけど、金が絡むような話しは一切しなかったのです。
 あの女帝さんは「私は子供もいるし、この仕事は腰掛け」みたいな雰囲気漂わせていましたが、只者ではなかったと思います。
 いや、ちょっとだけ、「私、この人の下で働いてもいいかも」って思ったので。でも、向こうは私のこと全く無視していたので「経理の人材は足りてるんだ」と諦めましたけど(笑)

 えーと、何の話し書こうとしてたんだっけ?

 そうそう、S氏がそのアーティストのメジャーデビューに食い込もうとしながら、もう一方でやっていたのは、あるコンビニの端末開発だった。
 今だとローソンのロッピとか、あんな感じで「コンビニの端末で何でも買える」ってことになってますが、あの時は確か、音楽ソフトのダウンロードがどうのこうのだったはず。

 今だと、そんなもん直接ダウンロードサイトで出来ますが、あの当時は「コンビニでMDとかに落として購入できないか?」とかいう話しになっていたのです。

 で、コンビニ側も「音楽も書籍もコンビニで買う時代が来るかも?」ってことで、大手シンクタンクと提携して、そういうシステムの開発準備をしていたらしい。
 で、S氏のパトロンの一人が、その大手コンビニのお偉いさんにコネがあったので「そういう案件だったら、オレの子分が得意だから」と紹介して、大手シンクタンク側としては、クライアント側の紹介で「優秀な企画屋です」っていう人が来たので「ぜひ、一緒にいろいろやりましょう」って話しになった。たぶん。

 で、S氏的にその話を変換すると「大手コンビニが大手シンクタンクにビッグ・ビジネスを依頼して、オレもその一員になった」って話しになっていて「え?コンビニ側もシンクタンク側もそう思ってないんじゃ?」って私は思っていたのだが、S氏から「契約書作ってくれ」って言われても、えーと、S氏に金払うのはコンビニ側なの?シンクタンク側なの?つーか、どういう仕事するの?つーか、どういう仕事してもらうか決めるのは、こっちじゃなくて、大手側なのでは?って思ったんだけど「向こうがオレの頭脳に金出すって言ってんだらさ」と言われても・・・・

 しょーがないから、一般的な業務委託契約書を探して、テキトーにざっくり作った。
 ワードで作った契約書をS氏にメールしたら「オレ、しばらくあのアーティストの件で出張するから携帯メールの方に送ってくれ」って言うので「ワードで作った契約書なんて携帯で見るの無理じゃん」と思ったけど、言われた通りにしました。

 で「そのアーティストの件で出張」っていうのに、なぜか私も同行することになった。
 そのアーティストがスタジオ件自宅として構えている長野の避暑地に、今度契約することになる大手レコード会社の人が来るので、なんでか知らないが、うちらもそこに同席することになったらしい。

 そのアーティストさんは、「音楽で人を癒やす」って活動以外にもメンタルトレーング(主にアスリート向け)をやってたみたいで、そのメンタルトレーニングを営業していたフリーの人ともS氏はいつのまにか仲良くなっていたようだ。

 もう一人、そのメンタルトレーニング業をしている男性の友達なのか「FMラジオのDJをとりまとめてます」っていう、よくわからない仕事をしているが、よくわからないやる気まんまんの女性がついてきた。
 彼女がなんでついてきたのか、未だによくわからないのだが、たぶん、仕事で親しくしていたメンタルトレーニングの営業マンが、「ちょっと、このビジネス、いけそうかも?」と抱えていたアーティストがメジャーデビューすることに浮足立っていたので、その予熱でついてきただけなのかも。

 で、はっきり言うと、そのアーティストのメジャーデビューに、そのメンタルトレーニング業の男性も、FM関係の女性も全く何の関係も無い。
 さらに言えば、S氏も秘書のA嬢も、私も全く何の関係も無い。

 ただ「大手レコード会社の社員が行くんですってね。じゃあ、オレ達も行きます」と行ったら女帝さんが「どーぞー」と言ったから長野まで車で向かっているだけである。

 メンタルトレーニング氏とFM嬢が「ああ、S氏の魔法にかかってるんだな」と気がついたのは、メンタルトレーニング氏が運転する車が長野に入って、いよいよアーティスト氏のスタジオがある高原に入る道路に入る頃に、S氏が「そういや、メールチェックしないと」と言い出した。

 そして、私が送った「大手シンクタンクとの契約書」のメールを開いて、添付されたワード文書が携帯では全く読めない状態だったので「うわー、無理だー」と爆笑していた。
 だから、無理だって・・・・
 と思っていたのだが「●●総研との契約書がwww」

 ああ、そういう使い方するのか。

 たぶん、その大手シンクタンクには「今度メジャーデビューする大物アーティストのプロデュースも頼まれてるんです」って言うんだろうし、アーティスト周辺の人には「大手コンビニとの契約で大手シンクタンクと」って言うんでしょうね。

 そして、その大手シンクタンクとの契約に関しては「今、契約書の準備している」っていうのは嘘じゃないけど、本当でもない。
 私に「契約書作れ」って命令したことが、「契約段階に入った」ってことになってるだけで。

 さらに凄いのは、S氏に大手コンビニを紹介したカモな社長に「おかげさまで、大手コンビニと契約段階まで進みました」って報告したところでしょう。だから、私が「え?こんなんでいいんですか?」っていい加減な契約書を作成した段階なだけなのに?

 それで、カモ社長が「じゃあお祝いしないとな」と一席設けてくれて、「S君が大手コンビニと大手シンクタンクと契約したお祝い」の席に私も同席したのですが、そこが麻布の店内に滝が流れてるような超バブリーな店で、給仕するスタッフもホストみたいだったし、「契約なんて成立してないのに、成立したのように言いふらすS氏って?」ってことよりも「それを祝うカモ社長のこの店のセレクトって?」、ってもう、木嶋佳苗VS木嶋佳苗的な展開で、しかも料理は高いだけで不味くて、ほんとヘコみました。

 そこで展開された雑談だったと思うけど、広島の軍艦商人の娘が東京の大学出て、お父さんに「IT関係の仕事したいんだよね」と言ったら、お父さん、娘のために青山にIT企業ひとつ作って娘を社長にしたって話し・・・

 「なにそれ?ウケるwww」って雰囲気だったが、その娘は父親に集っただけかもしれないが、おめーら全員、赤の他人に集って、全く今現在回収の見込みが無いのわかって言ってるのかなあ?
6月23日(火)

 やったー
 万歩計が95日で100万歩達成です。

 ここまで継続できたのは初めてです。今まで何度も途中で挫折しちゃったから。
 なんで続けられたかというと、「最近、ポケット付のスカートが入手できるようになった」からです。
 通勤服にポケットが付いてないと、つい万歩計忘れて出勤してしまうので、なかなか継続できなかったのです。

 昔は女性用の服にも必ずポケットついていたのですが、20年前くらいからポケットが付いている服のほうが珍しいくらいになった。たぶん、最初は「シルエットのため」だったんんだろうけど、そっちのほうがコストかからないに決まっているので、安物の服にもポケットつかなくなりました。
 ハンカチすら携帯できないのでホントに不便だったけど、最近またカジュアル服ではポケットが復活してきたので、喜ばしい。

 さて、昨日の続きのS氏への愚痴です。
 思い出すと芋づる式でだんだん腹立ってきたんだけどさ(笑)

 S氏の下で働いていたのは、3ヶ月くらいだったんだけど、ほんと濃密な時間でした。
 S氏の会社から声が掛かった時に、ちょうど派遣会社から「有名監査法人での経理事務」って仕事を紹介されて、ほぼ採用が決まっていたのに、それを蹴ってS氏の会社を手伝うことにしたので、あれは私の人生の大きな分岐点でしたね。
 結果的に今勤めている会社も、かつてS氏が迷惑をかけた会社で、そのツテというか、S氏の秘書役だったA嬢が元々そこの社員だったので、その紹介で今の会社に就職したので。

 あの時、監査法人に派遣スタッフとして行っていれば、今頃、公認会計士の妻になって専業主婦になっていたかもしれない(笑)
 そして、今の会社に入って超ヒマだったので、この日記を始めたので、あの監査法人で働いていたら、こんな日記書き綴ってなかったかも。

 さて、S氏の悪行ですが、会社の事業が事業の体をなしてないにも関わらず、S氏が「保険証欲しいんだよね」と言うので、社会保険の加入手続きをしていました。
 たぶん、S氏はちゃんと国民年金の手続きとかしてなかったので、保険証持って無かったんでしょうね。社会保険事務所に行ったら、担当者がS氏のデータ見て、「うーん、なるほど」を何か言いたそうだったし。
 社会保険事務所の担当者が何て言ったのか憶えていないが、ニュアンスとしては「あまりちゃんとした働き方をしてこなかった人なんだろうってことはだいたい想像できます」ってことを言ったと思う。
 それは私もわかっていたので「たぶん、そうなんでしょうね。どういうデータで、そういうのがわかるのか、わかりませんが」とか言ったら、担当者は「もちろんお見せすることはできませんが」とか言ったので、「もちろん、見せていただけるとは思っていません」とか会話したような。

 ただ、さすがわ、お役所なので、そんな社会保険履歴的には真っ黒な奴が社長の会社でも、書類さえ揃えば大丈夫ということなので、昨日書いたように「所在地に本当に会社が存在するという確認のため、賃貸契約書が必要」と教えてくれました。

 そうだ、話が逸れるけど、S氏が「とにかく超急いで社会保険に加入してくれ」と言っていたので、それは多分、彼の妻が早急に病院に行きたいという事情があったのだと思いますが(私は会ったことが無いけど、かなり年上の奥さんがいたらしい)、それでドタバタと役所周りをしている時に、携帯に電話があり「今の会社は有限会社だけど、それを株式会社にしたい」と言うので「はああああ?」と絶句してしまった。

 「あの、今、バスの中で、これから社会保険事務所に書類提出するところなんですけど」と言ったら、「そっちは後でいい。これは決定事項なので、今すぐ、有限会社を株式会社にする手続きをしてほしい」って言われたので、「はあ、わかりました」とバスを途中で降りて、法務局に向かった。

 あんな赤字会社が増資するなんて無茶な話だが、私が「無理です」って言っても通らないと思ったので、プロに確認しに行ったのである。
 あの当時の有限会社や株式会社の最低資本金額がどうだったのか忘れたが、法務局の相談窓口では「資本金300万円の有限会社を株式会社にする場合には、700万円の追加資本金が必要です。会社が現在赤字の場合には、さらにそれを補填する必要があるので、そちらの会社の現状では1千7百万円必要です」とか言われた。(数字の詳細は忘れたが)

 そーだろーよ。

 わかっていたけど、プロにきっぱり言われたので、私もきっぱりとS氏に「結論から申し上げますと、1千7百万円あればできます」と電話したら、「うん、わかった、ありがとう」と言われて、その後、増資の話は一切出てこなかった。
 どーせまた、どっかのカモ候補に名刺出したら「なんで有限なの?株式にすればいいじゃん?」とか言われて、「これでまた100万円くらい引っ張ってこれるかな?」って思ったんだろうけど、桁一つ違ったのですぐに諦めたのだろう。

 あの頃、よく「なんで有限会社なの?株式会社の方が上じゃん」みたいなこと言われたけど、私にはなぜそんなこと言うのかさっぱりわからなかった。
 たぶん、S氏がカモろうとしていたような人は、そんな事しかアドバイスすることが無かったような人が多かったんだろうね。
 なんちゃってセレブなママ友達のやりとりで「あら、国産車に乗ってるんですか?」みたいな?

 そんなアホらしい横槍で半日潰したりしていたが、やっと社会保険に加入できたと思ったら、今度はもっと凄いこと言ってきた。
 カモった会社の社長の奥さんをうちの社員にしろと。
 その見返りとして、その会社から月100万円入ると。

 その社長はオーナー社長じゃなくて、雇われ社長なんですよ。
 噂では愛人に関連会社の経営させてるとのことで、私はその愛人社長がやってる会社にもお邪魔したことがあるのですが、その女性社長もバブルの残り香がぷんぷんするようなボデコンスーツ着た私と同世代の女性でした。

 たぶん、S氏はそのあたりにつけ込んだようで、煙たくなった妻とはすぐ離婚できないかもしれないけど、妻をうちの社員ということにすれば、会社の経費から慰謝料もどきを払えますよってことにしたのかも。

 そんなん通るのかよ、と思ったけど、全く収入の無い会社なので、月100万円はありがたいというか、それでやっと私を含めた社員3名の給料が払えるわけだ。その架空社員の某社長の妻を含めて4人で100万円ってほんとギリギリです。

 しかし、第一回目の100万円の入金は、S氏に「こういうコンテンツを企画しているのですが作画をする人が必要で、Sさんの豊富な人脈で漫画家さんを紹介してください」と言ってきた、まともな製作会社から借りた、先月分の給料を払うための100万円の短期融資の返済に充てないといけなかった。
 あそこは、ほんとにまともな会社だった。作ってきた企画書が、ちゃんとしていたし。
 そんで、なんかの集まりでS氏が「オレって漫画家の知り合い、いっぱいいるんだ」とフカして、いったいどういう魔法を使ったのか「ちょっと資金が短期でショートしちゃって」と1ヶ月の約束で100万円貸してくれたのである。

 向こうの会社が求める絵師のレベルは「松本大洋とか」だった。
 これ、前に日記に書いた記憶があるが、その要求を聞いた秘書のA嬢は「松本太陽」ってメモしていたので、「その字じゃない、つーか、松本大洋って知らない?」って聞いたら、ほんとに知らなかったらしい。

 彼女もね、元、今の会社の社員だったが、「普通のOLつまんない」と思って、出入りしていたS氏の華麗な業界風(ぎょうかいかぜ)にあてられて、S氏の元で働くようになったらしいが、全くサブカルな知識の無い子で、「それで、なんで、ギョーカイ目指そうかと血迷ったんだ?」と超ふしぎでした。
 これも日記に書いたことあるけど、S氏がとあるアンビエント系アーチストと知り合いになって「オレってギョーカイにコネがあるから、売り出しに一役買いますよ」とフカして、さっそくJ-WAVEに売り込みに行くことになったのだが、当日になって「オレ他に用事があるからお前だけで行け」とA嬢に丸投げしたので、困ったA嬢が私に同行を頼んできた。

 私は売り込みに来たマネージャーさんを見たことは多数あるけど、自分でそういうことやったことないし、そもそも、そのアーティストが何者なのかも知らないし、「それに、J−WAVEって言ったら、クリス・ペプラーくらいしかわからないよー」と言ったら、A嬢に「クリス・ペプラーって誰?」と言われたので、「クリス・ペプラーも知らない子を一人でJ-WAVEに行かせれない」と観念して一緒に行きました。

 アホらしい売り込みの場だった。
 私もA嬢も売りたい商品のことよくわかってないし、相手も「紹介でやってきた売り込みの客だから、紹介者のメンツ潰さない程度に、30分くらい笑顔で聞き流せばいいかなあ」と慣れた感じだったので、お互いに時間の無駄でした。
 ただ、相手が「まあ、せめて企画書でも持ってきていただかないと、こちらとしてもどう対応していいか」と遠回しに真っ当な皮肉を言っていたことをS氏に伝えると、S氏はそのアーティスト側に「J-WAVEは、ぜひ企画書持ってきてくださいと言っていたそうです」と言っていたので、ほんと、物は言いようなんだけどさ。

 話が逸れた。
 「松本大洋クラスの漫画家を紹介してくれ」と言ってきて、その対価として、100万円貸してくれた会社を裏切りたくなかったので、私は期限内にその借金を返すつもりでいた。S氏は「あそこは余裕あるから、別にいいんだよ」と言っていたけど、なんでそう上から目線でせっかくの信頼関係を簡単に潰すかね?

 ところが、S氏がカモった会社から、予定日になっても100万円が振り込まれてこないので、S氏に電話したら、「あそこの経理のJ君には言ってあるから、ミヤノさんから直接J君に言ってくれ」と丸投げされて、しょーがないから、J君に電話したら「え?今日中に必要なんですか?」と驚かれた。

 J君とは面識があった。
 S氏が「今後は経理同士でいろいろあるだろうから」と一席設けてくれたのである。
 J君はバルブ末期に就職したようだが、今まで勤めた3社が倒産しているという、疫病神伝説を持っていたが、彼が会社選びに失敗したというよりも、長髪でアキバ系な香りのするJ君を雇う会社がそもそもヤバいような印象だった。

 そこでもS氏は「Jはオタクだから、ミヤノさんの魅力でイチコロだよ?」とか言っていたが、なんで私が取引先の経理担当者に枕営業しないといけないのか、わけわからん。

 さらにJ君と直接話してわかったのだが、その100万円の支払いのことは聞いていたが、雇われ社長が好き放題していたので、オーナーが監視役としてバブル崩壊で行き場所がなくなった元都市銀行の支店長を監査役として配置していたので、J君だけでは、その会社の資金を動かせなくなっているらしい。

 ただ、J君もS氏の魔法にかかっているらしく「なんとかします」と言ってくれて、午後になって振込してくれたので、私もギリギリ、借入金を期日に返済することができた。ATMに並んでやっていたので、ほんと「残り1分」くらいの作業でした。

 まあでも、せっかくそこの社長が「うちの妻への慰謝料として」と苦心して用意したお金を借金返済に充ててしまったので、その奥様への給料支払う残高はなかったので、あっちの社長が「話しが違う」とごちゃごちゃ言ってきたようで、私はその頃には「これ以上、もう無理」と詐欺の片棒担がされることが限界だったので、きっぱり足抜けしました。

 謎だったのは、私は最初からS氏のことを全く信用できませんでしたが、秘書役のA嬢みたいに「この人の下で働いていると、なんかカッコいい仕事ができそう」と勘違いする人がいることで、それはA嬢がバカだからと思っていたのですが、私が辞めた後に、S氏がやはり出入りしていた会社のOLさんが「Sさんの会社で働きたい」とやってきたようで「えー、あの惨状見てるのに?」と驚きましたよ。

 ほんと、バカは釣れるんですよ。
 思えば、私にS氏を紹介した友人も、バカでした。
 米国留学経験もあって英語も出来るし、ITスキルもあるのに、大手でやれる仕事といったら「カスタマーサポート」だったようで、ちょっと腐っていたんでしょうね。なので「お前にもっと重要な仕事を任せる」って言ってくれたS氏にコロっと騙されていたようです。

 どの程度のバカだったかと言うと、某大企業の社員名簿をデータベース化する仕事を請け負っていました。400万円くらいだったかな?
 私には、その仕事の原価がさっぱりわからなかったんですが、原価は私の友人のちょっとした手間だけだったようなので「え?それで400万円?」って思ったのですが、S氏が「これはコネでゲットした仕事だから」と説明するので、「ふーん?そういうもんなの?」と思っていたら・・・・・

 そのデータベースソフトのライセンスは「データベース・サーバごと」っていうことだったことが後で判明して、そのサーバ・ライセンス代がほとんどという見積で400万円だったのです。
 で、S氏と私の友人は揃って「そんなの、後から言われても困るよね」って態度だったのですが、ホントに「コネでゲットした仕事だから、ちゃちゃっとやって400万円」だと思っていたのでしょうか?

 その後も、「知り合いの会社が審査するコンペだから楽勝。これで1千万は固い」とか言われていた仕事があって、その時も私は「え?そういうもん?」と思っていたのですが、実際そのコンペが行われてみたら、知り合いの会社は確かに審査する側でしたが、そんな甘いコンペじゃなかったので、ばっさり落とされました。

 私はそのあたりで「S氏が豪語するコネなんてないじゃん」って気が付きましたけど、友人は「あの人にはコネがあるから」としがみついてそうな感じだったので、私が抜ける時に「申し訳ないけど、私はもう無理。私は自分の退職手続きを真っ当にやるつもりだが、あなたが残るのならその後の責任は持てないけど、もし、今抜けるのなら、一緒に退職手続きすることはできる」と言ったら「オレも抜ける」と言ってくれたので、S氏より私のことを信用してくれたのは有りがたかったです。

 ただ、「辞めてもその後の生活費が」とか言うので、「辞めなくても給料払えるような状態じゃないんだよ?」と思ったけど、2ヶ月分くらいの給料を貸しました。
 貸す時に「私、何度もこういうので痛い目にあってるんだよね」と言うと「オレはそんな不義理はしない」と言ってましたが・・・・やっぱし、返してくれなかった。

 でも、数年後に「もし、余裕があるなら返して」と申し出たら、月10万円くらいのペースで返済してくれたので「そんな無理しなくても」と思っていたのですが、全額返済してもらってからしばらくして、彼が自殺したと・・・・・・

 それなりに能力あった子だったんだろうけど、そもそも、あのS氏に取り込まれた時点で、ほんとの意味で「ぴゅあ」だったんだろうなあ。
 裏表の無い人柄だったので、ほんと皆に好かれたが、大人になっても「子供のよう」だった彼に、なんか言ってやりたいことだらけだった。

 自殺しちゃうなんて、ほんと大馬鹿ヤローである。


6月22日(月)

 長いプチ鬱を抜けたら、けっこう体調が良くなりました。

 一番感じるのは「歩いていて歩幅が出るようになってきた」ってことで、広い歩幅でガシガシ歩いていると「歩いてるの超たのしー」ってイケイケになります。(ランナーズハイ?)
 それに伴い、ずっと下痢気味だったのが治ったようだ。それも箱根に行った時期が境目だったので、「もしかしたら温泉療法?」と勘違いしてしまいそうだが、「箱根に行ったら体調がよくなった」と言いふらしても、火山活動の風評被害でプラマイゼロでいいでしょう。

 しかし、プチ鬱で失敗したのは、東京六大学野球で久々に東大が勝利した日は休みだったので、前日に「明日起きて天気が良かったら神宮行こうかな」と思っていたのですが、結局、部屋に引き篭もってしまって、夜のニュースで「東大、何年ぶりかの勝利!」ってやっていたので「あああああああ」とがっかりしたのでした。

 今日は、ホントは休みの予定だったので、「神宮に東都大学リーグの入れ替え戦観に行っちゃおうかな」って計画していたのですが、職場で緊急シフトが発令されたので、休み変更して出勤になってしまい、ちょっと残念でした。
 東都リーグの入替え戦って行っても一部と二部の入替え戦は先週やっていたので(日大と拓大。日大が昇格)、今日明日は二部三部と三部四部の入替え戦です。

 二部三部の東農大と順大あたりは、まあ、なんとなく想像つきますが、三部四部なんて、一橋大VS上智大っていう、おハイソな感じの組み合わせです。だいたい、そんな組み合わせの試合が神宮球場でやるなんて?と、スケジュールを二度見三度見しました。いや、神宮第二球場の間違いじゃないかと思って。

 一橋や上智で体育会系野球部に所属している学生さんが、どういう雰囲気なのか観てみたかったけど、それは今後のお楽しみということで。

 さて、前にも日記に書いた「2ちゃんによる木嶋佳苗関連スレのまとめ記事」を読んでいて、「友人Nなんかは、一歩間違えるとこの系統だったよなあ」なんて思ってましたが、私の知り合いで一番近い人は15年前に少しだけ関わった会社の社長であるS氏だなあって気がついた。

 あの人、ほんとに嘘ばかりだったもん。
 彼は男だったから、高い知能を武器に「オレって優秀なのさ」と、なぜかお金をそれなりに集めていたけど、彼がもし女性だったら・・・・と想像すると、かなり木嶋佳苗に近い感じになりそうだ。

 S氏が自称する経歴がどこまで本当だったかわからないけど、某有名私立大医学部中退で日銀にいたこともある、と言っていたけど、そう言われても「凄いですね」とは思えず「え?いったい、なんでそんなことに?」って戸惑った。
 つーか、たぶん「日銀にいた」っていうあたりがミソで、それはたぶん「日銀の職員ではなかった」ってことなのかと・・・・

 例えば、日銀の庭木の管理とか、警備などは日銀職員がやる仕事じゃないような気がするので、「日銀で働いていた」って言っても、色んなパターンがありそうです。

 あと、「電通◯◯社の名刺持っていたこともある」と言ってましたが、たぶん下請けとして働いていたので便宜上そういう名刺を作ってもらっていたのでしょう。私が働いていたテレビ番組制作会社でも、たとえばドラマ制作を受注すると、ADはほとんど外注でしたので、そういう彼らはうちの会社の名刺を持って、ロケ現場の確保やらロケ弁の発注を行うわけです。
 今の会社でも、受注した開発案件のために、外注さんを雇うことがたまにあり、そういう人はやはりうちの会社の名刺を作ります。

 どれだけの人がS氏の振りかざす微妙な経歴をマジ受けしていたのかわかりませんが、彼が20代の頃は、若さと才気と景気の良さで、けっこう羽振りが良かったらしいです。

 でも、私が出会った頃の彼は、思うようにお金が回らなくなっていた印象でした。

 世の中には野心のある若者を面白がって、そこそこ金を出すオジサンがけっこういるようですが、大金は出さないんだよね。いや、ほとんどの人が面白がって手下として可愛がるけど、ほとんど金は出さなかったりする。ごちそうする程度。

 その当時、友人だったある女性は、大学出ても定職に就かなかったが、なにやら野望はあったらしい。小説書いたりもしていたけど、本気で小説家になりたい感じでもなく「何かになりたい自分」に酔っていたような感じだった。
 その彼女が知り合いのつてで水商売の仕事を始めたのだが、本人的には生活のためじゃなく「いろいろな人との出会いを大事にしたい」という目的になっていた。

 若かったし、可愛かったし、そういう「私、なんかやりたいことがあるんです」って意味不明の上昇志向を持ったホステスさんを支援したいと思うカタカナ職業人はけっこういたようで、デザイン事務所や広告事務所を経営する社長さんたちのアフターの焼き肉をよくごちそうになっていたようだ。

 私は、彼女が何を目指しているのかさっぱりわからなかったので、そのうち交流が途絶えてしまったが、「向上心の強い若者を酒の肴にする」っていう人がいるということはなんとなく学んだ。

 で、S氏の話に戻ると、フリーの企画屋としてバブル期にはそこそこ上手く立ちまわっていたS氏だが、2000年頃になると、そういう美味しい話もなくなり、それでもまだバブルの予熱のある資産家のオジさんたちから可愛がられていたので、「お前、もういい年なんだから自分で会社やれ」と、取り巻きのジジイ達が50万円づつくらいのポケットマネーを出資して、会社を起こした。

 しかし、会社だけ立ち上げても事業が上手くいくわけでもなく、あっという間に出資者が出してくれた総額数百万を食い尽くし、すぐに他の出資者を見つけて、また会社設立。しかし、そこも自分の給料だけですぐに資本金が底をついていた。

 って状態で、私が「パトロンが会社作れっていうから会社作ったけど、経理やる人がいないからさ」って言われて、2つの会社の通帳を渡されたのだが、「どっちも、なんも仕事してないじゃないですか!」って状態だった。

 で、パトロン達はいいよ。
 せいぜい、50万から100万円くらいしか出資してないから。
 虚言癖のある優秀な男ホステスにちょっと散財しちゃった程度のことで、銀座のホステスに貢ぐよりずっと安価だったのかもしれない。

 可愛そうだったのは、自分ところのボスが、S氏に出資するのを眺めていたら、S氏から「君もどお?」って誘われた下っ端だった。

 岐阜だか三重だかあたりの大地主の資産家に気に入られていたらしく、その大地主にとって、S氏はパチンコで遊ぶ程度のことだったかもしれないけど、その大地主の子分に、地方の農協っていうか、「さくらんぼ組合」みたいな組織のサラリーマンがいたのだが、その人が何を血迷ったのか、S氏の会社に400万円も出資していた。(実際には単なる個人からの借り入れ)

 私がその会社に関わる時に「個人から出資されているが、そういうのも不健全だし、公共のっていうか、商工中金とかの融資に振り替えたいから、そういうのの準備もしてほしい」って言われていたので、「はあ、そうですか」って思っていたのだが、現実はそんな呑気なものではなかった。

 たぶんその「さくらんぼ組合」の職員は「ちょっと資金がショートしちゃったので一時的に融資して、利息で儲かるよ」と言われて、自分の親分が見込んだ若者だから信用して、なけなしの貯金をつぎ込んだのだろう。
 しかし、それが半年経っても返済されず、不安になってきたので「銀行から借りれば」と持ちかけたらしい。

 それで、彼が地方から東京に出張してくるタイミングで、彼が手配した商工中金だかその系統の銀行の融資担当者と会った場面にいきなり私も入ったのだが、商工中金だかの担当者は「S君はなかなか見込みのある青年のようですね。ぜひ、頑張ってください」と言っていた。

 銀行員が、そんな突き放したセリフ言うのを初めて観たというのも衝撃だったが、その後、S氏が持ってきた、その会社の決算書を見せてもらったら、資本金300万円で、初年度700万円の赤字という、すごい決算書だった。

 いや、それ見る前に何度もS氏は「初年度は赤字でいいと言われていたので、意図的に赤字にした」と言うので「意味わからんけど、意図的にそうしたんだ」と思っていたが、結局、金持ちオジサンを騙して出資させた資本金300万円じゃ足りずに、その子分の平凡なサラリーマンが出した400万円分が丸々赤字だったのだ。

 あの決算書を見た瞬間、私は「ひでぇぇぇ」と思ったが、地方農産物組合の40歳くらいの独身でイケてない感じの地味な男性は「なんとかしなければ」と思ったらしく、頑張っていたが、もう、これ、ダメでしょ。

 あの地方組合のサラリーマンがもし、木嶋佳苗に出会っていたら消されていたと思う。

 彼はほんと気の毒だった、その後も「経理担当者」の私に電話してきて「あの銀行の担当者にも、S君は優秀だからって言われていたでしょ?だから、大丈夫ですよ、書類揃えてなんとか融資とりつけてください」と言ってきたので、私がS氏に「あの人、そんなこと言ってきましたよ?」と言ったら、「彼、独身だから、ミヤノちゃんの魅力でなんとかしてよ」と言われて、びっくりしたが、その後も似たような借金取りケースでは毎回「ミヤノちゃんが、色気で迫れば大丈夫だって」とか言われて「なに、この人?」と思ったけど、S氏がもし女性だったら、自分でお色気攻撃していたと思う。

 で、S氏がその地方組合リーマン氏に対して「私を援助してくださるっていうから、お願いしたのに、なんで今頃になって返せと言うのでしょう?」と見下す感じがほんとに木嶋佳苗っぽかった。

 あのS氏と木嶋佳苗とは共通点があって、それは「北海道の僻地出身」ってことだった。

 それも、どこまで本当だからわからない。

 ただ、S氏本人も「有名私大医学部中退」って華麗な学歴ちらつかせながらも、「育った北海道の家は一番近い隣が数キロ離れていた」って僻地出身を自慢していたこともあった。

 S氏と関わって3ヶ月後くらいに、私は「もう無理、ダメ」と辞める決意をしたのだが、その時、S氏と共依存関係ぽくなっていた秘書役のA嬢が「あの人、可哀想な人なんだよ」とS氏の出自を語り始めた。
 北海道の僻地を飛び出したS氏の母は、東京で未婚のまま妊娠して、実家の北海道に戻って出産したが、生まれたS氏を両親に預けて、そのままほぼ行方不明になった。
 祖父母に育てられたS氏は、成績優秀だったので、東京の大学に進んだが、その家庭環境だと私大医学部はフカしの可能性が高いけど、なんでやたらと医学部連呼していたのかは謎だ。

 もしかしたら、医学部に合格したのはホントだったのかもしれない。
 本人は「2年生くらいの頃、中国にバックパッカー旅行に出かけて、戻ってきたら医学部の教授会で除籍になっていたので、オレはあそこの大学ってキラい」って言っていたけど、結局、学費払えなかったって話じゃん?(さらに除籍ということで調べても記録が残ってないだろうし)

 おやじ転がしの上手さ程度も木嶋佳苗と同じレベルで、私が彼が作った会社の経理担当になると「社会保険に入りたい」」と言われて手続きを始めた。
 その会社は彼のパトロンの会社に住所を置いていたのだが、社会保険事務所で「事務所の賃貸契約書類が必要」と言われたので、手続きに急いでいた私が、直接その会社の社長に「そういう書類が必要なんですが」と電話したら「はあ?おめーは誰だ?そーゆー用件だったらSが自分で言ってくるのが常識だろ?」と凄まれて、「なんだかわかんないけど、ここの関係もややこしそう」と思った。

 S氏に無断で、そっちに連絡しちゃって、なんかコジれてるようだったので、私は素直に「なんか勝手に動いていたら、先方がお怒りのようで、なんかすいません」とフツーに謝ったのだが、こっちが下手に出ると上手になる人の典型例のようで、「ミヤノちゃんのせいじゃないよ、ここはオレがなんとかするから」と頼もしいお返事でした。いや、私はただ「これじゃ、普通に社会保険加入できないです」って言ってるだけなんですが。

 で、後日、S氏と一緒に、そのパトロンの事務所に乗り込んでいったのだが、ヤクザの親分みたいな70歳くらいのギラギラしたオジサンと、その子分の60歳くらいのギラギラしたオジサンが二人いて「おー、Sよ、久しぶりだな」とその不義理を暖かく出迎えてくれてました。

 Vシネマティックな二人でしたが、実は慶應閥なおぼっちゃまだったらしく、バブルの頃手に入れちゃったリゾート施設がにっちもさっちも行かなくなった頃、「いい若いもんがいる」とS氏を紹介されたので、「うちらんとこの焦げ付いた資産活用してくれたらいいな」ってS氏が立ち上げた会社に出資していたようですが、数百万を出資したらS氏がさっぱり寄り就かなくなっていたので「ふざけんな、ごりゃー」と怒り心頭だったようです。

 結局、その怖いルックスのオジサンたちは、S氏が頭下げてくれればいいだけだったようで、すぐに賃貸契約書に捺印してくれたのですが、私は小一時間くらいVシネマの世界をリアルに体験してたので、「今のなんだったん?」と小首を傾げてました。

 あの事務所もねえ。
 その後、S氏の援助をきっぱりやめてしまって、「夢見がちなオジサンっていうプレイやってる状態じゃなくなったのかな?」って思っていたら、本格的に姿消したので、マジ破綻したのかもしれませんけど、そんな過程知りたくもなかったので、「友人の紹介でS氏の元で働くことになったが、どんだけ勉強させられるの?」とユーウツになりました。


6月18日(木)

●野球脳が混乱する

 芸能ニュースで「国生さゆりの新恋人のメッセ黒田」っていうフレーズをあちこちで見かけるのですが、「メッセンジャー黒田」っていうのはお笑い芸人なのはわかってますけど、野球脳的にはメッセンジャーと言えば阪神のメッセンジャーで、黒田と言ったら広島の黒田なので、「メッセ黒田」という表記にいちいち野球脳が反応してしまうのがウザいです。

 熊切・愛之助問題はその字面に野球要素全く無いからスルーできるのに。

6月17日(水)

 サカキバラ君が書いた本が物議を醸していますが、なんだか私にはピンと来ないのであった。
 マスコミが大々的に取り上げたことが、炎上商法になってしまったのか、結果、けっこう売れてしまい、出版社の思う壺感もあるし、そしてテレビだってきっと「独占インタビューとれた!」ってことになったらさあ、やりそうじゃん?いや、絶対にやるでしょ。

 そもそも、何がダメなのか、よくわからない。
 そりゃ、被害者のご遺族が非常に不愉快な思いをしているご心情はお察ししますが、「だからダメ」って雰囲気でもないような?

 犯罪を犯したことをネタに金儲けを狙ったことがムカつくのかな?

 償いきれないほどの重大犯罪を犯しておきながら、少年法の庇護の元で、ちゃっかり匿名のまま出所しただけでもムカつくが、大人しく地味に生活していればいいものを本なんか出して目立ちやがって、ってことなのかな?

 遺族に許可とって、印税は遺族にお渡しするという手続きとってなかったところなのかな?

 まあ、いろんな意見が出てくるのは興味深いのだが、「怒り」が全面に出ているのが不思議なだけなんですが、そーいや、最近こういうこと多いような。
 この間の中1の少年が殺された事件でも、妙な怒りのパワーが渦巻いていた。

 これって、たぶん、ネットのせい?

 そして「あまりこの件に関心が無いというか、その本の出版に特に心を動かされなかった人」は沈黙しているが、何か思う所のある人がワーワーと騒ぐので、なんだか大問題になっているかのように錯覚するが、実際はそうでもないのかもね。うちの会社でもそんなん話題になったシーンを見たことないし。

 そもそも私は少年法に批判的じゃないという立場ですから、「一生罪を背負え」っていう感覚が無いらしい。

 前にも書いたが、サカキバラ事件の時にうちの母が「昔、やっぱし少年が同級生を惨殺した事件があったんだって」と週刊誌だかで読んだ話しをしたことがあった。
 サレジオ事件のことだったんだけど、あの話しもサカキバラの時に掘り返されて有名になったように記憶しているが、その時の少年Aは出所してから勉強して、なんと今では弁護士になっているらしい。

 って、話しを母から聞いて、私は「ああ、だから少年法って必要なんだね」って言ったら、母は「え?・・・・・」と絶句してしまった。

 私はそのエピソードを「少年法、いい話」だと思っていたのだが、母は「そんな犯罪犯したというのに、出世して今はいい生活してるなんて。少年法って何?」と思っていたらしい。

 もちろん私だって、たぶん、自分の家族や友人が少年犯罪に巻き込まれて命を失ったとかいうんだったら「一生許さん、一生償え、てゆーか、なんで死刑にならないんじゃ」って言うと思いますが、少年法っていうのは「子供がやったことだから」ってことなんだと。

 アメリカでは時々「銃をイジっていた子供がうっかり他人を射殺」なんて事件がありますけど、ああいうのがホントの少年法の適用なんでしょう。

 ただ、中学生や高校生くらいになると、それなりに「やってはいけないこと」はわかっているはずなので「子供がやったことだから」っていうのは通用しなくなるけど、でも、自分が思春期の頃は相当不安定だったから、あの頃やらかしてしまったことを一生憶えていろって言われても「そ、そんなwww」ってこといっぱいありそうですが、けっこう都合良く忘れてるんですよね。

 って話が逸れましたが、サカキバラ本出版騒動で「ああ、なるほど」と思った御意見は、「そもそも、ほんとに本人が書いたの?」っていうものでした。
 少年法に守られて個人が特定できないようになっているはずだから、「オレは元少年Aです」って名乗りでた人物が本物なのか証明する手段が無いのだ。

 まあ、全く無いわけでもないだろうから、ニセモノが書いた可能性は低いと思うけど、逆に「これは偽物だ」って証明する手段も限られているだろうから、なんだかややこしい。

 しかし、最近だと市橋被告の手記が出版されたりしてたけど、あれもマスコミの紹介ではあんま面白くなさそうだったが、木嶋佳苗の獄中日記とかほんとつまらないからなあ。
 三浦和義なんかもわけわかんなかったし、麻原彰晃もそんな感じだし。

 結局、報道で騒がれても、私はその人物に会ったことが無いので、よくわからないのです。

 さらには「ヒトラーは極悪」と言われていても、ほんとにどの程度極悪だったのかわからない。楊貴妃がホントに美人だったのかわからない程度に。
 さらに言うなら、最近の歴史認識騒動では、中国や韓国は「日本はかつて東洋のナチスだった」ように言いますが、「日本は反省しろ」と言われても、うちの祖父はフィリピンに兵隊で行ったけど、相当下っ端だったらしいし・・・・

 そういう話もメディアでは出てくるけど、実際はねえ?
 南京虐殺の犠牲者の数字も諸説ありますが、戦後70年たって「日本はその事実を認めろ」と言われても、それはもはや、修学旅行で広島・長崎を訪れたアメリカの学生さんに「アメリカがやったことをちゃんと認めろ」って言ってるようなもんで。

 ただ、もし可能なら、東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を指示した人の「当時の心境」って手記があったら読んでみたいですね。まあ、そのあたりはボツボツと出てきてるけど。

 そして、意外と無いのが「ナチスの元でユダヤ人虐殺してました」って人の手記。
 ユダヤ人側の生き残りは当時の惨状を語っているけど、加害者側の証言ってほとんど読んだことがない。
 そっちの心境のほうが知りたいんだけどね。
 だって、被害者になることは避けられないけど、加害者になることは自分でなんとかなりそうじゃん?

 そうなのだ、ナチスにしても大日本帝国にしても、今では「加害者」とされる人々って、たぶん、別にそんなサイコパスとかじゃなくて、「普通の人々」が粛々と業務をこなしていた結果なんだと思う。
 今で言うところのブラック企業的なものだと思うけど、アウシュビッツとかだと、看守は直接手を下さなくても、ユダヤ人から選んだ下っ端にガス室送りとかやらせていて、死体処理とかもユダヤ人にやらせて、その仕事しているユダヤ人は自分が生き残るために必死なだけで・・・


6月16日(火)

●箱根駅伝 復路7区の研究

 今月は土日出勤ばかりなので、昨日の月曜日に休みをとったのですが、日記に書いていた「小田原中継所から平塚中継所を歩く」をついに実行しました。
 晴天の予報だったので、やや躊躇したのですが、「西から東に歩くから太陽を背にするし、今の時期だと気温高くても湿度が低いからなんとかなるかなあ」と。

 しかし小田原は遠いね。下北沢から急行で1時間半くらいかかる。

 朝10時に家を出て、下北沢の松屋で朝食を食べてから小田原に向かったので、小田原に着いたのが12時20分くらいだった。平日とはいえ、昼時の小田原はサラリーマンや観光客のランチタイムで賑わってました。

 小田原城の横を通り、国道1号に出ると道路標識では「平塚 21キロ」になっていて、「えー、この区間って18キロじゃなかったの?」と思うが、平塚中継所は平塚市街よりも少し手前だからかな?

 しかし、この辺りに土地勘が無いし、あえて漠然と歩いてみようと思ってちゃんとした地図も持たずに「とにかく国道1号をひたすら歩けばいいんでしょ。そんで大磯越えたら、平塚らしい」って感じで歩き始めました。
 トイレもコンビニで借りればいいだろうし。まあ、なんとかなるでしょ。

 予想通り、かなり暑かったが、海に近い道なので海風が吹き付けるのか体感温度はそれほど高く感じなかったし、日陰だと涼しいくらいだった。これならいけそう。

 意外と手こずったのはメンタル面というか、歩いても歩いても、道路標識が「平塚 19キロ」「平塚 18キロ」「平塚 17キロ」という感じで「うわー、こりゃなかなか半分まで辿り着かない」と挫けそうになりました。
 あと、座って休めるような場所がなかなか見つからなくて、1時間くらい歩いたら、大型スーパーやマクドナルドがある場所があって(酒匂橋付近)、スーパーの外にベンチがあったので少し休憩できたけど、「まだお腹空いてないし、あと1時間くらいしたら食事休憩しよう」と思っていたのですが、9キロ地点の国府津駅付近はしっかり鄙びてました。

 そこから二宮駅あたりまで途中にコンビニも無かったので、「さすがに朝食から5時間くらい経過しているから、水分補給は自販機で済むけど、塩分補給ができてない」と焦りはじめましたが、二宮と大磯の間くらいだったかなあ?やっとコンビニがあったので、そこで梅干しオニギリを買って頬張りました。
 学生の自転車同好会らしき人達もそこで溜まって休憩していた。

 二宮に入ったあたりから道路標識が「↑横浜 平塚」だけになってしまい、距離を表示しなくなったので、どこで10キロ越えたのかわかりませんでしたが、大磯に入り、少しリゾートめいてきたので、やっと気持ちが立ち直りました。
 二宮駅から大磯ロングビーチまでがわりと近かったので「おお、もう大磯だ」って、大磯がどこにあるのかよくわかってないというか、大磯に行ったこと無いのですが、大磯ロングビーチから大磯駅までは日も傾いてきたこともあり、けっこうイケイケでガシガシ歩いたのですが、けっこう長かった。

 でも途中でやっと「平塚 8キロ」と表示が出てきたので「うわー、やっと半分越えた」と気持ちが上がったし、大磯駅を過ぎると「平塚 3キロ」になったので「3キロなんていつも余裕で歩いてるじゃん!」と足は重くなっていたけど、気持ちはキープできました。
 あと、歩いているルートがバスルートでもあるので、「平塚駅行き」のバスに何度も追い越されましたので「いざとなったらあれに乗ればいい」っていうのも気持ちをラクにしたと思う。

 さて、私がいかにこのあたりの地理に疎いかっていうと、途中で「鎌倉や江ノ島はこっち」って標識が出ても地図上での三浦半島の位置がイマイチ漠然としてるところでした。

 これ、たぶん私だけじゃなくて、神奈川県民以外の人は東海道線と三浦半島の位置関係よくわかってないと思うな。いや、職場の神奈川の人達も、この間、「小田原と熱海ってどっちが横浜寄りだったっけ?」「あれ?じゃあ鎌倉って小田原の手前?」とか、話していたので、藤沢市民や茅ヶ崎市民や平塚市民ならちゃんとわかってると思うけど、横浜市民も実は平塚がどこにあるのかよくわかってないのかもしれない。

 さらに私は戸塚と平塚が「塚」が同じなので混同しがちなのだが、戸塚は横浜のすぐ隣なんだけど平塚は茅ヶ崎の向こうなんですよね。

 というわけで、歩いてみて良かったのは、逗子・葉山・鎌倉・江ノ島という「湘南」ってイメージの地域と「大磯」の間には「平塚」っていうのがデーンと横たわっていたということが体感としてわかったことでした。「大磯」って「鎌倉」の隣くらいのイメージがありますからね。

 一つミスってしまったのは、駅伝のコースは大磯と平塚の間で、国道1号を外れて海沿いの道を通るのですが、それを忘れていて平塚中継所ではないコースで平塚入りしてしまったことでした。
 それにしても、花水川を超えてから平塚駅まではほんと、歩いても歩いても・・・・って感じでキツかったなあ。

 というわけで、箱根駅伝コース「小田原から平塚」の印象は、小田原と平塚周辺はそれなりに賑わってましたが、二宮や大磯のあたりの沿道は一戸建てが並ぶ住宅地で「あー、この辺りの人は箱根駅伝を昔から、正月に自宅前をランナーが走る行事として楽しんでいたんだ」と実感しました。旧街道沿いに多い、「道路から家屋が引っ込んだところに建っている」って光景がずっと続いてました。

 ところどころ「旧東海道の松並木」みたいのも現れたので、なかなかいいお散歩ができました。あと、国道1号は、西湘バイパスと平行しているので、平日は思ったより交通量が少なかったので、わりと静かにお散歩できました。自転車野郎が多かったのも納得。

 久々に20キロ以上歩いて、万歩計も3万5千歩くらい稼いだのでけっこう自信がつきました。
 平塚駅の近くにある「太古の湯」っていう温泉施設で一風呂浴びたのだが、近隣で水商売やってるらしきアジア系の若い女性が多かったけど、皆さん常連のようでマナーもよく、ゆったりと足の疲れを癒やした。
 でも、手がパンパンに浮腫んでいるのは解消できなかったけど(笑)

 そんで、結局、12時半ごろ小田原を出発して、18時に平塚に着いて、温泉浸かって軽食とって、8時過ぎに平塚駅から家へ戻ったのだが、平塚から三軒茶屋までやっぱり1時間半くらいかかったので、脳内地図が「小田原、大磯、平塚」って書き換わりました。

 さあ、次回はいよいよ「平塚中継所→戸塚中継所」です。
 このコースはたぶん、茅ヶ崎の海辺を駆け抜けた後、三浦半島の付け根部分の藤沢から戸塚までじんわりと内陸部を北上していくなにやらアップダウンがありそうな予感。
 いつやるか決めてませんが、まあお天気次第かな?

 あと、なぜか右足首がズボンの裾で擦れたのか、真っ赤かになってしまったので、その他、足の指のマメとか関節痛が癒えるのに10日間くらいはかかるのかなあ?

 でもね、やっぱ現場歩いてみるのって楽しいね。

 
6月11日(木)

 やっとプチ鬱から抜けたようだ。
 箱根の温泉が良かったのかもね(笑)

 そういや部長もずっと引っ込まないガングリオンを見せびらかしていたが(毎年、冬にできて春になると引っ込むようだが、今年は全然引っ込まないと)、箱根でゴルフして温泉入ったせいかのか、ふと気がついたらピンポン球くらいあったガングリオンが言われないと気がつかないくらい引っ込んでいたので、また盛大に見せびらかしてくれました。

 鬱の時は休日になかなか外出できなかったのだが、昨日は休みだったので、朝の10時に家を飛び出しました。(今月は土日出勤が多く、平日休みばかりなる予定)
 六大学野球は終わりましたが、秋は「神宮野球大会」っていう全国大会があるのは知っていたし、行ったことあるけど、春は「全日本大学野球選手権」っていうのがあることを知りませんでした。

 しかも、この大会は神宮と東京ドームで開催されるので「東京ドームで学生野球って珍しい」と思って、当初、昨日は雨の予報でしたから「じゃ、東京ドーム行ってみるか」と思っていたのですが予報が替わって「熱中症注意」くらいの晴れ予報になったので「じゃ、やっぱし東京ドームに涼みに行くか」にしたのです。

 久々のハードおサンパー魂が炸裂したので、東京ドームまで歩いて行く意気込みだったのですが、11時半くらいにやっと神宮球場あたりまで歩いていたので「このままドームまで歩くと試合終わってしまう」と気が付き、信濃町から電車に乗りました。
 なので、東京ドームに入ったのが12時くらいだったかなあ?第二試合の専修大学と京都学園大学の試合の中盤前くらいでした。

 平日なのにけっこう客席が埋まっていた。
 ほとんどが、おじーちゃんだったけど(笑)
 3試合やって6校出てくるので、在京OBなのか、ただの暇を持て余しているアマ野球ファンなのかよーわからんかったです。

 社会人野球大会を東京ドームでやると、OBの客がいっぱい集まってきて、妙な熱気というか「高度成長期の予熱」みたいなものを感じたのですが、そういう昭和な香りは強くなかったです。
 でも、普段は暑かったり寒かったりする大学野球を涼しい東京ドームで優雅に眺めているのも珍しいことなので、なかなかいい休日の過ごし方だと思いました。

 専修大×京都学園大の試合は後半、どっちもチャンス作るけどなかなか得点できなくて、序盤の2-1のまま専修大の勝利。
 後ろに座っていたオジちゃんが「なんだ、専修も大したことないなあ」ってボヤいていましたけど、ほんとそんな感じでした。

 第三試合は、早稲田と東海大北海道。

 東海大北海道のスタメンの半分は東海大四校出身者でした。春の甲子園で準優勝してます。
 なので、けっこう期待していたのですが、先発投手の投球が高めに浮いちゃったらしく、初回からボコボコに連打されてました。

 ところで、一つ気になったのは、継投の投手がベンチ前で強めのキャッチボールして肩作ってることでした。
 ひょっとして、ブルペン使えないの?
 東京ドームのブルペンがどこにあるのか知りませんが、グラウンド内ではなくて、ベンチの奥の方のどっかにあるのでしょうけど、継投の投手が試合中にベンチ前でキャッチボールすることなんて普通ありえないので、ブルペンが使えてない可能性が高い。

 もし、本当にそうだとしたら「そんなのアリ?」って驚きです。

 さて、試合途中まで気が付かなかったのだが、早稲田の先発投手は大竹で、この間、六大学野球のリーグ戦で初めて観て「変わった投手だなあ」と思った子でした。
 なんで気が付かなかったかというと、前に観た時には、すごーく気だるそうに投げているように見えたのですが、今回はそんなでもなかったからです。

 大竹だと気がついたのは、味方の攻撃中にベンチ前でキャッチボールしていた時で、山なりのボールばかり放っていたので「あ!」と気がついたのです。

 そして、大竹だと気が付かなかったのは多分、序盤に大量リード貰っていたので、変化球を多用してジャンケンみたいな投球するのではなく、ストレートを多く投げていたからのようでした。
 自分のストレートの威力というか「ストレートのコントロールだけだと、どこまで通用するか」を試していたようで、そうするとやはりヒットを連打されていたのですが、するとまたヘロっとした変化球投げて相手を戸惑わせてから、いいコースのストレートで凡打に打ちとっていました。

 うーん、大竹投手、面白いぞ。
 元々、左の軟投派は大好きなので(武田勝とか吉見とか)「まだ2年生なのにこの技巧派ぶり」にすっかり惚れてしまった。
 まだ、遠目で見るとストレートと変化球のフォームが違いすぎると思うのですが、バッターはあれでも苦戦しているので、この先、武田勝みたいに化ける可能性があるでしょう。

 さて、試合の方は、東海大の投手が連打されまくって5回コールドになってしまい、3時半くらいには終わってしまいました。
 しょーがないから、歩けるだけ歩いて帰ろうと、外苑前まで歩いたらけっこう疲れたので、いつも神宮帰りに寄るシャノワールに行こうとしたら、神宮の第三試合が終わったばかりのようで大勢人が歩いていました。

 そこで一休みして、さすがに三茶まで歩くのは無理だったので(あまり張り切りすぎると足にマメができるし)渋谷まで歩いてからバスで帰りました。
 2万五千歩歩いたので、万歩計に久々に貯金ができた。
 ずっと借金生活だったのです。

 愛用している万歩計のエドガー君は累積表示ができるので、「10日間で9万歩」などと表示するので、「一日平均一万歩」を目指しているのですが、平日、普通に出勤するだけだとなかなか1万歩に届かないのです。
 なので、休日に2万歩くらい歩いて貯金するのですが、プチ鬱の時期は、休日に引きこもっていたので、あっという間に3万歩くらい借金してました。

 箱根で少し盛り返して、その後も頑張ったら「借金1万歩」くらいになりまして、現在やっと「貯蓄1万歩」に逆転しました。
 箱根の5区をバスで走ったことで「箱根駅伝スイッチ」が入ったようで、今度、お天気が悪い時に休日だったら、ぜひ「小田原中継所から平塚中継所」のコースを歩いてみたいです。約18キロなので、休み休み歩けばいけそうです。いや、20キロくらいなら歩けるのだが、足のマメとか膝の状態とかをなんとかキープできるのが15キロから20キロで、それ以上になると、もうボロボロになるので3.11以来やってないのですが・・・(あれは25キロくらいだった。後半5キロはかなり朦朧としてた)

6月5日(金)

●箱根駅伝5区の研究

 今回、社員旅行のコースを箱根にしたのは、「この日程しか仕事の都合上無理」という消去法でした。温泉宿で夕食事に宴会する以外はフリープランになっていて、ゴルフ組や芦ノ湖遊覧船組など有志が作ったプランもあったけど、私は「箱根といえば駅伝」だったので、「バスで箱根駅伝ルート登ってゴール地点を視察します」と一人で自由行動しました。

 それにしても、小田原駅からバスで箱根芦ノ湖のゴール地点まで1時間弱かかるのだが、「山の神」のタイムって1時間15分くらいって、凄いですね。
 もっとも、バスは客の乗り降りや精算などに時間とられるから1時間くらいかかるけど、自家用車だったらノンストップで40分くらいで登っちゃうのかな?

 ただ、ずっと登りでもなくて、山道だからたまに下るところもあったけど、箱根湯本から宮ノ下を通って湯の花温泉あたりまでは、ほぼキツい上り坂でした。
 ただ、ゴール地点が芦ノ湖ですから、湯の花温泉を過ぎると下りになるので、登り坂でパンパンになった足が下り坂でもつれそうだと思いました。

 箱根町で駅伝ミュージアム入って、元箱根まで歩いてからバスに乗って宮ノ下まで戻り、宮ノ下温泉から徒歩5分くらいのところにある底倉温泉にある立ち寄り湯に寄ってみた。底倉の湯 函嶺

 ここを紹介する温泉マニアが皆「素晴らしい温泉なので教えたいけど、混んじゃうとヤなので教えたくない」という穴場らしいのだが、なにせ湯船が一つしかないので、「1時間貸し切りで一人700円」という不思議な運営をしているらしいのだ。

 ここの母屋は(風呂は離れにある)、古い洋館なのだが、昔は病院だったらしい。
 温泉地として栄えてきた箱根に病院が無かったので、地元の名士が病院を作ったとか。

 ほんと、富士屋ホテルから徒歩10分くらいなのだが、蛇骨川が崖を形成しているので、川というか谷を越える橋が高所恐怖症の私には滅茶苦茶恐ろしかった。

 橋を越えるとすぐに底倉温泉になり、左手斜面には大型立ち寄り温泉施設があるのだが、函嶺は右手に小さい看板が出ているだけで、確かに車で通過する人は気がつかないだろう。
 看板を頼りに小道を下ると、木造の洋館が現れた。
 ボロボロじゃん・・・・
 私が通った高校も歴史的建造物として保護されているこんな雰囲気の旧館があったが、あれを風化させたような感じだった。

 人の気配が全くしないが、勇気を出して玄関のドアを開けてみたが、シーンとしてて、全然人の気配がしない。
 「ごめんくださーい」と声を出してみたら、玄関横の事務所スペースにいたオバサンがハっとして動く気配がして、「うわ、人がいた」と、こっちもびっくりしてしまった。

 このオバサマがとてもシロート臭く、客が入ってきたというのに「いらっしゃいませ」と言うわけでもなく、何て言ったのか忘れたが「あ、はい、なんでしょう?」って感じだった。
 私が「あのー、今って空いてます?」って言ったら、「え?ああ、はい・・・えーと、1時間でお願いします」って言い方もシロートっぽくて、ほんと変な立ち寄り湯だ。

 700円を支払って、離に向かうと地味な平屋の小屋があって、玄関を入ると、何の変哲もない脱衣所があって、服脱ぐ前に浴室の戸を開けてみたら、「ぎえええええ、これは凄い」という露天風呂がありました。

 蛇骨川の崖っぷちにあるらしく、目の前は竹林になっているので川は見えないけど、都心の銭湯くらいの浴槽からは掛け流しのお湯がコンコンと溢れていて、温めのお湯と渓谷の風で何時間でも入ってられそうな温泉でした。

 ボロい洋館、シロートっぽい受付のオバサン(町内会の当番でやっているかのような雰囲気。商売ッケを全く感じないだけで、別に不愉快な接客というわけではない)、絶景の露天風呂に極上のお湯質という、「温泉マニア大絶賛」の評価も納得でした。

 30分くらい入ったら大満足したので、また宮ノ下に戻って「どうしよっかなあ?」と思ったけど、宿まで試しに歩いてみた。
 宿は、富士屋ホテルのちょっと上にあるらしかったので、ちょっとだけ坂道を登ってみようと思ったのである。
 いい温泉で温まったので、少しハイになっていたのだ。
 宿はそれなりの高級旅館だったので、電話して「富士屋ホテルまで迎えにきて」って言えば良かったのだが、ハードおさんパーとしてはやっぱしちょっと「山の神が走った道」を歩きたくなってね。

 宿の案内では、「登山鉄道の宮ノ下駅から徒歩25分ですが、けっこうあるので、送迎車で迎えに行きますよ」ってことだったが、宮ノ下駅から富士屋ホテルまで10分くらいありそうだったので「15分くらい歩くよ」と思ったのである。

 山道の地図ほど、あてにならないものはない。
 距離はわかるけど、高低差がわからないから。

 私が富士屋ホテル前から宿まで歩いた時間は、たった15分くらいだったのかもしれないが、傾斜のキツさと、よろよろ歩いていると蛇行している道で後ろから来る自動車に轢かれそうになる心配しながら、さっきせっかく極上の露天風呂入ったのに、全部汗で流れちゃったじゃない!!!

 で、やっと、道路から宿への案内板が出たので「もう少し」と思ったのだが、そっからの脇道がまた急坂で、ゼーゼーハーハーでした。

 宮ノ下から登山鉄道で一駅分も歩いてないのに、この体たらく。
 私が歩いた行程の何十倍、いや何百倍も走って登る山の神って、マジ神。

 その後、とっくにチェックインしていた同僚達がまったりくつろいでいる部屋で30分くらいゼーゼーいってました。
 太ももの筋肉破壊されて、翌日はずっと足ひきずって歩いていたくらい。

 しかし「箱根の山」の恐ろしさを知ったのは翌日、宮ノ下からバスで小田原まで下った時でした。雨だったので「スリップしたら谷底に転落じゃん?」という下り坂でした。あの道を箱根6区のランナーは50分くらいで駆け下りるらしい。

 帰り道、風祭で下車して、小田原までの3キロくらいをのんびり歩きましたが、あの壮絶な下りを駆け下りてきたランナーには、こんな道のりが過酷な上り坂のように感じるんだろうなあ。

 というわけで、箱根の5区と6区の「だいたいの距離感とか高低差」を知ることができたので、これで来年の箱根駅伝は三倍くらい楽しめることでしょう。

 なにごとも現場を歩くことが大事です。

 それにしても、自分が20代の頃は海外旅行に夢中で、国内旅行なんてほとんどしたことがなくて、修学旅行や家族旅行の経験しかなかったのですが、10年前くらいから「日本は観光立国を目指す」なんて言われていたのは知っていたけど、それほど観光的な魅力を感じてなかったのですが、社員旅行で去年は日光、今年は箱根に行ってみたら「東京、観光地資源けっこうすごい?」って気が付きました。

 東京を拠点に、鎌倉や高尾山っていう日帰りスポットがあり、さらに「西は箱根、東は日光」ってどちらも交通アクセスが非常に良くて、そういうのもあっての「観光都市・東京」なのかなあって。
 でも、海外旅行ばかりしていた経験から、「こんな交通の便のいいエリアに極上観光スポットが密集するエリアなんて他には無いよ?」って今さらながら気がつくと、「東京オリンピックまでに外国人観光客を今の2倍にする」っていう目標も、それほど無茶な目標でもなくて、上手く広報すれば達成できそうな気がしてきた。

 そういや、ホテル・オークラが改築しちゃうというニュースがあったけど、富士屋ホテルのあの雰囲気を味わってみると、オークラのあの味わいも残した方がいいじゃないかなあ?(オークラでは、その昔、友人が職場でゲットした宿泊券で一泊&メインダイニングでお食事したことがあります)


6月4日(木)

●箱根行ってきました

 ある報道で「大涌谷の警戒レベルの風評被害で観光客が減っているが、外国人観光客の数はあまり減っていないので、外人ばかりが目立つようになっている」と言っていたけど、本当でした。

 まず新宿からロマンスカーに乗ったのだが、20代から30代の乗客はほぼ中国人か韓国人で、日本人客は老人ばっか。平日だから日本人客が中高年なのは普通かもしれないけど、それにしても乗客の半数が外国人って雰囲気だった。

 そして、箱根湯本までロマンスカーに乗らないで、小田原で各駅停車の登山鉄道に乗換えたのだが、20代西洋人カップル二組(他人同士らしい)に中国人男性二人組の他は観光客じゃない感じの日本人が数人で、「ああ、若い外国人旅行者はロマンスカー乗らずに来てるんだなあ」と思ったが、外人率高い登山列車に乗り込むと「スイスの登山鉄道か?」って気分になる。

 登山鉄道で途中下車して、鄙びた立ち寄り湯に浸かってから(お湯質最高でした)、今度は芦ノ湖までバスに乗ったが、そっちも箱根湯本で登山鉄道から乗り換えてくる外国人ばかりで、みんなフリーパスかパスモやスイカでした。

 そう、箱根の「よかったこと」は、パスモやスイカが普通に使えるから、地方のバスにありがちな「整理券もらって、刻々と変化する金額とにらめっこして、支払い時は小銭に苦戦」っていうことが全くないのがイイネ!
 それに、バスの運行間隔も多い時間だと15分おきくらいなので、待ち時間を気にするストレスもほとんどなかった。公共交通機関を利用する旅行者にとっては、ほんと便利だったです。

 で、そんなですから、バスの運転手さんも、主要バス停での案内係も、みんな英語で対応してました。片言ですけど、最低限はクリアっていう感じで、まさに習うより慣れろってことでしょう。

 元箱根で外国人たちゾロゾロ降りていきましたが、みんな芦ノ湖の遊覧船に乗るのでしょうね、と思いつつ、私はもう少し先の箱根町というか「駅伝往路ゴール地点」まで乗ったのですが、そこも遊覧船の港があるので、外国人がいっぱいいて「どこのエッフェル塔の下ですか?」って雰囲気でした。

 個人旅行の西洋人老夫婦がいて、西洋人バックパッカーみたいな若者もいて、中国人の団体客がいて、韓国人のグループがいて、とにかく日本語よりも外国語が飛び交っていました。

 そこで軽く昼食を食べようとしたのだが、レイクビューなレストラン(っていうか、昭和な香りのする食堂って感じだったが)は、どこも西洋人に占拠されていたので、誰も客が入っていなかった一番港から遠い道路沿いの食堂で駅ソバみたいな「山菜ソバ」を食べたが、750円っていう観光地値段でした。

 駅伝ミュージアムを見学してから、元箱根まで歩いてみたいんだけど、元箱根港はもっと外国人で賑わっていて「どこのバッキンガム宮殿前ですか?」って感じでした。
 天気良かったので富士山がくっきり見えたので、個人旅行の西洋人中高年旅行者はのんびり湖畔のベンチに座って、その絶景を眺めていました。

 二日目の昼は富士屋ホテルで昼食を食べたのだが、そこも外国人旅行客で賑わっており、まるで都内の高級ホテルのロビーみたいでした。
 そんで、私は富士屋ホテルの中に入るのも初めてだったのだが、外見はやっぱし「変な竜宮城みたいwww」だったのですが、内装がシックで素晴らしく、今まで入ったことのある「老舗ホテル」の中では一番感激したかも。

 つーか、平日なのにあの繁盛ぶりって「風評被害が無かったら、どうなってたんですか?」ってくらいだが、もしかしたら日本人客が減っている今ごろの平日はめったにない「いい雰囲気」だったのかもしれない。6割くらいの客の入りで、西洋人よりもアジア系の外国人が多かったが、お値段が高いのでアッパーなアジア人しか来ないのだ。

 日本人ジジババの団体客が「かつて海外の有名観光地を荒らしまわった日本人」みたいに思えるくらい。でも、そのジジババ達も「風評被害に惑わされない」というレベルの人が残ったのか、実に品が良かった。

 そんで、富士屋ホテル名物のカレーを食べたのだが、食べログで下調べしたら「そりゃ2500円もするんだから、美味しいに決まってんだろ」なレビューが多かったけど、「別にこんな値段払ってまで食べる味でもない」という意見もあったので、特に期待はしてなかった。

 自腹じゃないから、5000円以上するスープとサラダとデザートとコーヒーが付くコースにしたのだが、スープが2種類、サラダのドレッシングが5種類、デザートが2種類で、コーヒーか紅茶を選ぶのだが、オーダーとってくれた若い女性スタッフの対応が素晴らしく、アラカルトを注文する人もいたけど、10人のオーダーを実にスムーズにとっていた。

 スープは「当店のコンソメスープは三日間かけて・・・」と薀蓄された自慢のコンソメスープにしたのだが、そんなに自慢ゲに語ってないところも好感が持てた。
 で、こういう老舗レストランのコンソメスープの味は、ある程度想像できていたが、やっぱし一口目は全然美味しくない。てゆーか味がしない(笑)。科学調味料使用しない無化調ラーメン食べると、だいたいこんな感じである。
 無化調でも、昆布やカツオの出汁が効いていれば、だんだん舌が慣れてくるのだが、「昔ながらの本格的コンソメスープ」は、和食の出汁とはちょっと風味が違うので、なかなか「旨味」を感じられなかったのだが、半分くらい飲んでいたら、やっと「この上品なお出しでリゾットにしてみてほしい」ってくらいは美味しさを感じてきたのだが、このスープの原価考えると「すごい無駄な贅沢」とも言える。

 でも、もしかしたら、あのコンソメで舌がリセットしたのかもしれないが、メインのビーフカレーを食べた瞬間「おいしい!」って感激してしまった。

 富士屋ホテルのカレーは当時の洋食の作法にのっとって、フォークで食べるのが推奨されているというか、頼まないとスプーンは出て来ないようなので、「えー?フォークでカレー?」って戸惑うのだが、それで皿に盛られて出てきたのが、もっさりした感じのご飯で、「これって、ダメな安食堂のご飯だろう」って見かけでした。
 今風だと、カレーに合わせるご飯って固めに炊いたご飯ですからね。

 そしてご飯の量が少し多めに思えたし、カレーを最初にかけてみたら「この、もっちりしたご飯にこのカレーの量じゃ足りなくない?」って思ったのです。

 しかし食べ始めてみたら、「ここのカレーはご飯にガッツリ絡めて食べるタイプではなく、海苔の佃煮みたいに、ご飯に載せて食べるタイプなんだ」とわかってきた。だから、西洋風にライスを食べる流儀でフォーク使うんですね。

 温泉旅館の朝食をガッツリ食べてから、まだそれほど時間が経ってなかったので「あんまお腹すいてない」と思っていたのだが、6種類の多彩な薬味と供に食べるカレーは、なんだかとても美味しくて、みんな夢中になってバクバク食べていた。

 でも、あの味が都心のカレー屋だったら、別にそれほどのもんでも・・・・って思うけど、あの建物の雰囲気と、あのサービスで食べるものだから、「こういうのがホントの一流っていうもんかも」っていう、ある意味、ディズニーランド的なことなんでしょうね。

 ディズニーランドを思い出したのは、若いスタッフが凄く誇りを持ってキビキビとサービスしている姿が印象的だったからです。
 ディズニーランドみたいな「ここで働くのが夢です」みたいなスタッフがいて、建物はハリボテじゃなくて本当の歴史的建造物で、料理は「昔ながらの調理法をきっちり守ってます」っていう本格的洋食っていうバランスが素晴らしかったです。

 以上、ちょろっと一泊しただけですが、国内旅行経験があまり無いけど、今まで行ったことのある日本の観光地の中でも箱根は抜群だったと思います。
 都心からのアクセスの良さと、バスなどの移動手段の充実ぶりと、あとお湯の良さ。
 温泉リゾート地としては、世界でも指折りのレベルだと思いましたので、そりゃ外国人観光客来るわ。あれで大涌谷に入れれば(そして黒タマゴ食べれば)、完璧でしょう。

 唯一残念なのは、箱根駅伝ルートでもある主要道というか、それしか道が無いのですが、そのルートのほとんどに歩道が無いところ。
 それでも、徒歩や自転車で箱根超えに挑戦している人と何人もバスで追い越しましたけど、「箱根超え」の徒歩自転車ルートが確保していたら、もっと多くの観光客が押し寄せたでしょうに。

 平日でしたけど、バイカーのグループを2つくらい見かけたので、箱根の峠はバイカーには定番コースなのかな?

 今回、富士屋ホテルから徒歩10分くらいの所にある「温泉マニアには有名だけど、あまり有名になっても困る」っていう立ち寄り湯に行ってみたのですが、そこがあまりにも素晴らしぎたので、「箱根にはまだ、こういう秘湯みたいのがいっぱい埋没してそう」と確信したのでした。

 ただ、温泉地の欠点として「一人旅が難しい」っていうのがあるのですが、箱根はすでに「お一人様ブーム」に気がついているようで、なんと、富士屋ホテルが「お一人様プラン」を掲げているのです。2万円弱の金額だったけど、予約でびっしり埋まってました。

 そりゃ、都心の一流ホテルだって、一人で宿泊するとそれくらいしますからね。

 そういや、富士屋ホテルでは平日だっていうのに結婚式やってる人がいましたが、帝国ホテルでやるつもりなら、箱根の富士屋ホテルでも同じくらいの金額かもしれないけど、宿泊する親族がゆっくり温泉につかれるっていうのはいいなって思いました。


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