可燃物な日々

表紙に戻る/過去の日記

ご意見・ご感想・誹謗中傷などございましたら、感情廃棄物再利用所までどうそお気軽に書き込んでください(でも、現在書き込みが出来ないようです)

日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました

5月29日(金)

 そういや、昨日の夜、キムタク主演のドラマ「アイムホーム」を観ていたのだが、キムタクの行方不明だった父親が北大路欣也で、キムタクの妻役の上戸彩が北大路欣也の事を「お父さん」って言うのは「なにこのプレイは?」って戸惑ってしまって、全然ドラマの流れについていけませんでした。

 (10年後の自分に向けての解説。ソフトバンクのCMで白い犬がお父さんでしたが、あの声は北大路欣也の声で、娘役が上戸彩でした。思い出した?もしかして10年後もまだあのCMやってたりしてwww)

 さて、今日は涼しくなったけど、昨日一昨日は真夏日だったので、まだ冷房を使っていない総務部はいつものように窓開けでしのいでいたんだけど、午後になると西日の当たる窓側にいる社員が「なんか、暑いよね?暑くない?私だけ?」と呟くので、いいから冷房入れればいいじゃんと思っていたのですが、ここ数年、総務部では「暑い暑いとボヤきつつも、誰も率先して冷房入れようとしないという我慢大会」が開催されているのです。

 私は寒いのが苦手だから冬はさっさと暖房入れるのですが、暑いのはけっこう平気なので見守っているのですが、「暑くない?暑くない?」って連呼されるほうが暑苦しい。
 しかし、よくわかんないのですが、「暑くない?」「暑いね」「暑いよね」ってそれぞれの意見を確認しあってから、「じゃあ、冷房入れれば?」っていう総意が巻き起こってからーの冷房オンという儀式が重要らしい。

 ところが昨日、業者さんがちょっとした工事にやってきて、私の近くで作業着着たオジサンが3人くらいで作業していたので、その体温が暑苦しく感じられたし「長袖作業着着ていたら暑いだろうから」と思ったので、私がさっさと冷房入れてしまいました。

 そしたら今度は、「冷房の風が当たって寒い」という連呼が・・・・
 しかし、窓際にいる人は「これくらいで丁度いい」と言うのですが、どうも、どーしても寒いという人がいて、とうとう部長が出動してエアコンの吹き出し口を調整してみたのですが、風向きを変えると、今後は別の人が「こっちに風が当たって寒い」と言い出すので、もう煩いのなんの。

 「あー、総務部も高齢化が着々と進んでるなあ」って感じたのでした。
 みんな、オバサン化しているので、ああいう時、ワーワー言うんですよね。
 そして、その雰囲気に不機嫌になってる私とマスオさんはオジサン化でしょう(笑)

 同僚達のオバサン・オジサン化を客観的に観察しつつ「私も外からはこう見えてるんだろうなあ」と反省するのも大事ですが、私はちょっと別の方向に行ってるような気がします。

 老害のカテゴリーとしては内田裕也寄りというか・・・・

 最近、よく心の中で「私、パンクスなんで、そーゆーの興味ないんです」って呟くようになった。
 箱根の社員旅行でも、オプションとして「希望者は陶芸体験できます」って募集が来たが、そーゆーの微塵も興味ないんですけど・・・
 あー、でもテレビの旅番組でも「和紙でうちわ作れます」とか「手作りガラスのコップが作れます」とかよく紹介しているけど、そいうい体験型ってニーズがあるから紹介されてるんですよねえ。

 パンクスな私はそういう、ちんまりした作業が苦手なので、「旅先でちょこっとこんなの作っちゃいましたー」っていうノリが全く理解できないのであった。

 私の苦手な単語は「ワークショップ」である。
 ワークショップっていうのが実際何を意味するのかわかってないのだが、ワークショップって単語を耳にすると、心の中で緊急地震速報がギュンギュンと鳴り響くのだ。

 そういう経験は無いが「ミヤノさんも、ワークショップに参加しませんか?」なんて素敵な笑顔で誘われたら、サバイバルナイフとか振り回して逃げようとしてしまうかも。

 今朝だったかな?NHKの朝の情報番組で「農業に取り組んでいる若者が、馬を使った耕作に挑戦中で、ワークショップもやってます」っていうのが紹介されていた。
 普通はトラクターでやる作業だけど「エコ」の意識が高い若者は「動物使って耕せたら、持続可能ななんちゃらかんちゃら」と語っていたので「うわ、持続可能な、っていう用語はこういう場面で使用するんだ!」と、意識高い系に反発するパンク魂がバクバクしました。

 えーと、私はどうでもいいんですが、水族館でイルカ飼育することもNGなイギリスとかでは、農耕に馬を使用するのはオッケーなんですかね?
 あ、でもイギリスでも競走馬はいるし、たぶん馬車だってオッケーなんですよね。

 サラブレッドの家系に生まれた馬が競走馬になることはオッケーだし、馬車馬の子供がまた馬車をひくのも大丈夫なのかな?
 でも、野生の馬を捕獲して、今から馬車馬や農耕馬にするのはダメなんでしょうね。


5月28日(木)

 平山亜佐子さんのブログ「JURNAL」で連載中の木嶋佳苗関連記事に夢中になってしまった。

 このブログ、どうリンク張っていいのかわからないけど、5月18日から一ヶ月くらい連載予定らしい。

 http://asakojournal.blogspot.jp/2015_05_01_archive.html

 木嶋佳苗については一時期興味が湧いて、ドキュメンタリ本も読んでみたが、けっこうキツかったので卒業したつもりだけど、やっぱしなんか引き寄せられる。
 そして、この「JURNAL」でまとめられているのは「まだ、この事件が裁判前にワイドショーで取りざたされてた頃、2ちゃんで木嶋佳苗が残したネット上の過去ログを捜索していた過程」なので、当時の皆様の祭りの盛り上がり具合がよーくわかるし、まだ逮捕される前の木嶋佳苗という漠然としたモンスター象にじわじわとせまっている様子がまさに発掘調査なのでスリリングです。

 私が木嶋佳苗のことを「自分からそれほど距離のある人物ではないのかも」と思ったのは、「ネット美人」的な側面でした。
 友人や知人がやっているブログなどを読んでいると、ほとんどが「実物よりも美人がやってる感じ」になることに気がついたのはずいぶん前ですが、自分の日記にもある程度そういう効果があるらしいことも感じてました。

 一番、実物と乖離があったのはC嬢のツイッターだったな。
 「好きなお取り寄せ食材」とか「高級デリが好きなのに、近所にないのが辛い」とか、食い意地全開だったが、全体的な雰囲気は「セレブな有閑マダム」になっていることに驚いた。「近所で出前してくれる、いい寿司屋がない」とか「放射能の影響が心配だから米はミネラルウォーターで炊いている」とか、書いてあることは実にどーでもいーことなのだが、なぜか女性は食い物の話ばかり書けば書くほど、書いている人がなんとなく意識高い美人系に思えてくるのである。

 逆に、ほとんど食い意地を書かない「ちきりん」みたいな人を美人だと妄想する人は少ないのでは?私も彼女に美人を思い描かない。

 友人C嬢なんかは、ほとんど自炊しなくてデリバリーと外食ばかりに拘っていたのだけれど。
 そして、C嬢は「ココ壱がデリバリーやっているので、カレーはお気に入りのカフェでレトルトを大量に買っているのだが、ココ壱でご飯だけ欲しくて電話したら、ご飯だけではデリバリーできませんっていうので、食い下がったのだが、ダメだった」とか言う人だったのです。ご飯くらい自分で炊けよと思ったのですが、しぶといC嬢は後日またココ壱に電話してご飯だけのオーダーをしたら、店長が出てきて「配達最低金額に達すれば」と譲歩したらしい。

 そりゃココ壱だって利益は欲しいから、飯だけでも1000円とか1500円買ってくれるのならデリバリーするだろう。そして、配達された大量の飯をせっせと冷凍したんだとか。
 まあ、言ってみるもんであるが、ココ壱に普通「ご飯だけお願いします」って言えます?

 で、そういう経緯は当然、ツイッターには書いてなくて「中目黒のカフェがお取り寄せで売ってるカレーがお気に入りなので、いつも大量注文してるの」っていうことだけ書いてあって、そのカレーに添えるご飯がココ壱だってことは書いてないわけです。

 C嬢マジ凄いなあって感心したのは、震災後しばらくしてから、「NOBU」に行くことになり、ひと通り食事したら「お持ち帰りで作って」とオーダーしていたことだ。明日の昼食の準備だったらしい。
 初めて行く(C嬢はアメリカで系列店に入ったことあったらしいが)高級店で「お土産作って」っていう発想は私にはなかったし、それを堂々とオーダーするC嬢にびっくりしたが、それをネットに書くと「昨日は友人とNOBUで会食、今日の昼食用にお土産までオーダーしちゃった」ていうことになり、「誰ですか、このセレブな奥様わ?」って感じでした。

 C嬢は完全に天然でそれをやっており、結果的に「誰これ?」って書き込みになっているけど、本人はセレブ気取るつもりは全くない。
 しかし、それでも、ああなっちゃうんだから、「セレブ気取りしたい」って欲求のある人が踏み込んだら、その先にあるのは木嶋佳苗ってことですよね?

 で、C嬢との共通の友人である、N嬢がまさに「木嶋佳苗的メンタリティー」を持った女子で、だけど残念ながらN嬢にはブログとかツイッターする程度のIT力が無いんですよ。だから、私に向けて細々と携帯メールで「私は着物が好き、和食器が好き、クラシックが好き」ってアピールしてくるのでウザいのです。

 C嬢のずーずーしさとN嬢のプライドを足して二で割って10?いや、100くらい掛けると木嶋佳苗になるんじゃないかなあ。

 しばらくメールが途絶えていたN嬢ですが、少しペースを戻してきたようで「ゴールデンウィーク休み取れた?何してますか?」というメールが来たので「衣替えしてます」と返したら「衣替えと言えば伯母が着物をたくさん残してなくなって、前は着物大好きだったんだけど、付き物が落ちたように興味がなくなってしまって。お茶でも習えば着る機会もあるんでしょうけどね。」

 私が朝ドラに夢中だとメールしたら「花子とアンの着物は素敵ですね」ってずっと着物アピールしていたのだが、急に興味なくなったのか?

 そしたら次のメールが、「明らかに私にはもう派手な着物もあって。小物にでも作り替えるしかなくて。ミヤノちゃんはまだ野球が趣味なの?」

 古い着物の活用方法については何度か相談されていて、私は「母のお金持ちの友人は、そういうのを巾着とかにして配っているらしい」って返事したら「そういう平凡な対処法なら、うんざりするほど聞かされてます」みたいな返事来たので、「あー、着物に詳しくない私を落とそうとしているだけなんですね」ってスルーしていた。
 野球に興味の無い人に「横浜ベイスターズが優勝するためには先発ローテはどう組めばいいでしょう?」的なこと聞いて、どうすんの?って。


5月27日(水)

 そういや、数日前のNHKのニュースで「議員の資産公開」を報道していた。

 あ、検索したら、そのままの文面がありました。衆院議員の資産公開 平均3464万円

 この制度って始まった時から「配偶者や親族の資産は公開されないから無意味」とか言われてましたが、まだやっていたんですね。
 で、475人いる議員の平均資産額が約3500万円っていうのは、実にビミョーな数字です。
 だって、持ち家や持ちマンションがあれば、そんな金額じゃ収まらないでしょう。
 あ、でも、それは都市部の話であって、地方都市だったらそんなもんか・・・
 あと、不動産の評価額は課税標準額なので、実勢価格(って言うのか?)より安いはずだし・・・

 トップが鳩山邦夫氏っていうのは「ああ、はい、知ってます」って話だが、30億円ってそんなもん?と思っていたが、この記事を読み直してみたら「株式を除く有価証券」になっていたので納得。

 しかも、鳩山氏は前回の公表の時より土地の相続で資産を10億円増やしているそうで、それが前回平均を200万円押し上げた大きな要因らしい。

 「平均」を算出する意味の無さのお手本のようなデータである。

 謎なのは「ゼロ」と申告した議員が74名もいたことだ。
 不動産を持ってないというのはあるだろうけど、預金もゼロなの?と思ったが、これも「定期性の預金」を抽出しているので、普通預金は計算されてないらしい。

 低金利ですから、1000万円くらいなら定期預金と普通預金の利息の差なんて、微々たるもんですから、あえて定期預金にしない議員もいるのかも。
 素朴な疑問として、5000万円のマンションに住んでいるけど、住宅ローンがまだ3000万円残っているって場合はどう算出するんでしょうね?借金も資産の内って無視するのだろうか?それとも「定期性の負の預金」としてマイナスするのだろうか?

 そんで、無意味な平均値ですが、自民党が5000万円くらいで、共産党が500万円くらいと、「共産党、なんだか無意味に頑張っているな」って思いましたが、爆笑してしまったのだ生活の党と山本太郎となかまたちが1億円超えってことでした。人数少ないのに、その中に小沢氏が混入していたので、こんな数字になってしまったのです。

 この数字、都内の一軒家に住む両親がいる私にしてみれば、自民党議員平均5000万円が「まあ、フツー」って感じです。両親の家の固定資産評価額は知らないけど、今売ったら土地だけでも3千万円はしそうです。
 その視点で考えると、共産党の平均500万円っていうのは、「無理して清貧装わなくても」って数字です。数字調整するのなら、せめて850万円程度にしておいたほうがリアルな感じになるのに。

 この間、21歳の水商売らしき美人女性の殺人事件がありましたが、どうやら800万円の預金が引き出されたようで「21歳で800万円の預金ってすごいなあ」って感心しましたが、思い起こしてみたら私だって23歳の頃、200万円の預金があったので、その資金を元に独り暮らし始めたのでした。
 私の場合は、喫茶店での時給700円くらいのバイトで貯めたお金と、就職してから月給15万円くらいと、ボーナス年40万という「年収200万円」のほとんどを預金した結果でしたが、美人ホステスさんだったら、その何倍も収入あっただろうから、800万円くらいの預金は出来たでしょう。まあ、普通は、そのくらい収入あるとそれだけ使ってしまうようですが、「いつか自分で店を持ちたい」という目標があったようなので、生活費や服飾費や美容院代などは最低限押さえてコツコツ地道に貯めていたのだと想像できます。

 さて、資産数億円を公表した議員のほとんどが、たぶん相続資産なんですよね。
 よく言われますが「鳩山兄弟の議員としての利点は、ありあまる資産があるので、賄賂や裏金作りをしない所」というのは、「そうだよなあ」って思います。
 由紀夫氏の方でしたっけ?ママから多額の援助受けていたらしく「それは贈与税の脱税だろう」って指摘されてたのは。

 月1000万円のお小遣いだったとか・・・・

 でも、擁護するつもりもないけど、「悪気なかったんだろうなあ」とは思いました。
 鳩山家にとっては1000万っていうのは、まさに「お小遣い」だったのでしょう。

 私の知人で、40歳になって妻子もいるのに、母親から毎月数万円の仕送り貰ってる人がいます。たぶん、学生時代の仕送りが「社会人になっても最初は薄給だから」と金額減らしても、そもままダラダラと続いてしまったのでしょう。
 その母親は贈与税の限度額を熟知しているようで、年額100万円を超えない程度の仕送りのようですが、同世代のサラリーマンが「小遣いが月3万円」が平均なのに、彼はそれプラス8万円の小遣いを貰っているのですから、サラリーマンのお父さん社会では相当羽振りがいいわけです。

 その母親は地方都市でそこそこ商売で成功した人なので、「息子への小遣い年100万円」っていうのは、そんなに負担になる金額じゃないし、息子はそれに恩義を感じてしょっちゅう孫連れて帰省するので(つーか、帰省の旅費は母親持ち)母親的には、小金で息子をコントロールしてる感じでしょうか?
 それよりも「家の跡取り」っていう気持ちが強いのかも。だから母からの小遣いというよりは「家長としての当然の取り分」っていう感じかな?たぶん、鳩山家の場合も「ファミリービジネス」という感覚の上での月1000万円支給だったんだろうし。

 親からの小遣いといえば、私は30歳過ぎても正月にお年玉貰ってました。
 6歳下の妹がいたので、私が成人してからも「ついで」というか「末娘にはあげるのに、姉娘にあげないのもなんだか・・・」っていう両親のノリで貰っていたのですが、末娘が学校出ても定職に就かなかったので、両親としてはいつお年玉終了していいのかわからなくなり、妹25歳、姉31歳という頃も、お年玉支給されていたのです。

 あれって、いつまで支給されていたのかなあ?
 たぶん、姉妹の中間にいた弟が30歳くらいで結婚した時くらいに「我が家のこの変な習慣を嫁が目撃したら気味悪がられるから」って理由でやっと廃止したのかも。

 その後、ちゃんとした嫁の指導により、弟は正月に両親にお年玉を渡す立場に変更になった。

 それでやっと、私も両親からお年玉貰うプレイから開放されたのだが、弟の所に子供が生まれて、アパート暮らしが手狭になったので中古住宅を購入する時に、うちの両親も贈与税限度額を払ったらしいし、その後、妹が結婚して子供が生まれて、やはり中古住宅購入の時に両親はまた300万円贈与したらしい。

 母からその話を聞いても、普段、総額2億や3億の総合振込を無表情に承認ボタン押している経理の私は「300万円は大金」という気持ちは全く無いので、「300万円出してあげたんだ、あ、そう」って本気でどーでもよかったんだが、親としては長男にも次女にも住宅購入の頭金を援助したのに、長女に何もしてないのが気になったらしく、しきりに「あんたもマンション買う?」と言われたが「今の賃貸アパートが気に入ってるからいい」ときっぱり断っていたのだが、どーしても兄弟平等に出資したくなったらしく、とうとう、100万円振り込んできた。

 数年に分けて段階的にとうとう300万円の預金残高になってしまいました。

 「うちの親、意外と現金持っている」と気がついたのですが、それで思ったのですが「うちの親がこの程度だとしたら、もっと凄いのいっぱいいるぞ?」ということです。

 私の父が勤めていた会社は、高度成長期の後半には失速していた重工業系の会社で、バブル期にも全然恩恵受けていなかったのです。
 だから、ずっと母がパート仕事で家計を支えていたイメージがありました。

 大学時代の友人で、お父さんが金融系の子は、けっこう贅沢していたので、「ああ、うちは清貧だなあ」と思っていたのですが、うちの両親はバブルの恩恵受けなかっただけ、コツコツと貯蓄していたらしい。あ、でも、夫婦で株式投資は趣味でやってましたけどね。
 バブルの頃はその株式投資でびっくりするくらい利益が上がってしまったらしく、浮かれた母親が「臨時こずかい」として1万円づつ頂きました。

 えっと、そんで何が言いたいかというと、バブルを超えて、氷河期を超えて、アベノミクスな今の時点で、格差社会だと言いますが、実は日本の高額所得者1%って年収1500万円くらいらしい、って現状で、私がいるクラスって「資産500万円の共産党」じゃなくて、「資産5000万円の自民党」もしくは「成人した子供にお小遣いあげる鳩山家」なの?

 そんな感じ全然無いんだけどなあ。
 千葉の実家近辺でも、今の東京都下近辺でも、周囲の家よりも明らかにボロ屋だし、今はリフォームしたから少しマシになったけど、家電製品が常に10年以上遅れてる感じだし。テレビは地デジ化の時にシャープの亀山モデルの大画面になりましたけどね。

 そういや、母が10年くらい前までやっていたパート仕事で、職場の全員から煙たがられていた凄いオバサンがいたのだが、八方美人の母はその手強いオバサンを自宅にお茶に招待したことがあったらしい。
 そのオバサンは、「配偶者控除限度内でパートする主婦」を毛嫌いしたらしく、なぜかというとオバサンは生活費のために真剣に働かないという人だったからだ。
 賃貸アパート暮らしのオバサンは、一軒家持ちのサラリーマンの妻を毛嫌いしていたので、母にもキツくあたっていたので、「いや、そんな優雅な暮らししてませんよ」というアピールのつもりで自宅に招いたらしい。

 そしたら、築30年くらいの昭和な住宅は外装もボロだったが、内装もボロだったし、トイレはウォシュレットじゃないし、テレビは旧型だし、台所の設備も築年数と同じくらいの昭和な設備だったので、その怖いオバサンはすっかり我が家を気に入ったらしく、何度か訪れることになり、ある時は昼過ぎに来て、7時間も居座ったらしい。

 その話を聞いて「すごいね、本当の貧乏人であるそのオバサンの高いプライドを全く傷つけない我が家なんだね」と感心した。
 そのオバサンのプライドとは「自分にはクラシックの教養があるし、息子は音楽で留学もさせた」ってことで、夫の稼ぎは平凡かそれ以下だったので、金銭的には相当苦労しただろうけど、「うちは音楽的教養は高い」っていうことで「サラリーマンと専業主婦が築いた平凡な家庭」を見下していたようだ。

 たぶん、我が家はそのオバサンと生活レベルは同じくらいで、「もし息子の音楽教育にあれだけつぎ込まなければ、うちだってこのくらいのボロ屋は買えていただろう」って感じだっただろうし、うちの父の趣味がコーラスなので「そこそこ音楽の教養がある」ってことで、「ちょっと仲間」として認められたらしい。

 認められても複雑な心境だが、清貧暮らしがそのオバサンに認められたので、母はパート先でもそのオバサンにいじめられることは少なくなったようだ。
 それどころか、ペアを組む人が他のオバサンになったら、下ネタばかり言う下品なオバサンだったらしく「意地悪も嫌だったけど、下品なのはもっと嫌だった」と気がついたらしい。
 ある時、福祉施設の遠足の送迎バスで(そのパート仕事は福祉バスの添乗員)、2時間くらい公園みたいなところで時間を潰すことになり、その同僚の下品なオバサンが「あー、なんか暇だ」と嘆いていたので、母が「ここの墓地は有名人の墓が多いですよ?すぐそこに森鴎外の墓もあるし」と教えたら「もり?おーがい?なにそれ?」と言われてヘコんだらしい。

 だったら教養をひけらかすプライドの高い意地悪オバサンに「あなた、森鴎外の何を知ってるっていうの?著書は読んだことがあるの?」ってイジメられたほうがマシだと母はこぼしてましたっけ。

 下品なオバサンはほんとに酷かったようで、例えば、バス内で粗相が発生したので、添乗員が掃除していて、うちの母が「ああ、これじゃ雑巾がすぐビシャビシャになっちゃう」と嘆いていると「ビシャビシャになっちゃうだってwww」と揚げ足とられて、男性運転手のおじちゃんにウケていたようで、女子校育ちの母はドン引きしてしまっていたようです。


5月26日(火)

 しばらくプチ鬱になっていたので、日記書いてなかった。

 たぶん、これって更年期障害なのかも。
 月経のサイクルが不安定なことに加えて、この間は久々に力強く出血していたのだが、ピーク時が過ぎて1週間も、ちょろちょろと微出血が止まらなくてユーウツになってしまったり、それに加えて、持病のヂも悪化して、後ろから前から出血という惨状で、鬱にならないほうが変だろう。

 さらに先週末、母親から電話があり「お父さんやっぱりガンだった」と言うのでガーン・・・・とトドメを刺されました。

 しかし、父が検査していたのは甲状腺なのでした。
 なんと、泥酔して救急搬送された時に「甲状腺が腫れているようなので、専門医に行ったほうがいい」と言われたらしい。
 その説明された時には、母が「ほら、そう言われてみると、なんかクビのあたりが左右対称じゃないでしょ?」って言うのだが、70代の老人のクビなんてシワシワのタルタルなので、じっと観察しても全然違和感がなかったのだが、プロの医者はさすがにすぐ気がついたらしい。

 それで専門医に何度か通って検査したら、「悪性腫瘍です」って診断になったらしいのだが、「ガーン!」と思った後、30分後に「待てよ?」と気がついた。

 甲状腺ガンで死んだって話、聞いたことないんですよね。
 もっとも、有名人の死亡記事ではガンそのものよりも心不全とか発表したりするので、統計的にはどうなのかも知らないのだけど、そういや、父が甲状腺の専門医に通っていて「もしかしてガンかも」って話を聞いた時に「えー、もしそうだったら、放射能信者の友人に喜ばれてしまう」って思ったんだっけ。

 チェルノブイリ原発事故での健康被害の全容はよくわからないのですが、わりと公式にちゃんとデータがある健康被害は小児甲状腺ガンだったのです。
 それを踏まえて、福島でも子供の甲状腺の検査が行われたようですが、今のところ、発症例とかは報告されてないのかな?

 で、震災後の原発事故の時、放射能信者の友人が「ガン患者が増えるのだ!」ってアジっていたけど、その時に見た「チェルノブイリでの健康被害」を報告するサイトでは、「確かに小児甲状腺がんは増えたけど、甲状腺がんって予後がいいので、それで死んだ人数は少なかった」という話でした。

 というわけで、うちの父親の甲状腺がんと原発事故の因果関係はあまり無いように思うが、そもそも甲状腺の病気って女性が多いイメージがあるので「は?70歳のおじいちゃんが?」って戸惑ってしまいます。

 さて、原発事故による小児甲状腺がんと、ジジイの甲状腺ガンにどんな違いがあるのかわかりませんが、私が色々調べたからってどうにかなるものでもないので、「甲状腺ガンは死亡率が低い」って、いいとこだけチェックしておこうと思ったのですが、「こりゃ、たぶん大丈夫だ」と確信したのは、「手術予定日が12月」って母親から告げられた時でした。

 母は当然「なんでそんな先なの?」と戸惑っていましたが、甲状腺じゃないけどリンパ腺に腫瘍が発見された知人達は「お仕事の都合に合わせていつでもどーぞ、って言われた」と言ってました。まあ、良性腫瘍だったってこともあったんだろうけど、「急いで手術する必要もないけど、念のため摘出したほうがいいと思うが、半年後でも1年後でも同じ」ってことだったらしい。

 たぶん、父の手術がその時期なのは「サラリーマンや学生は多忙な時期」だからなのかもしれない。「年金暮らしのご老人しか入院できないような時期」を割り振られたってことは、緊急性が低いっていう解釈でいいんじゃないかなあ。

 さて、今年も社員旅行に行くことになり、それもユーウツだったのだが、来週、私は箱根に行きます。
 いや別に「火山活動に警戒中の箱根に行くことがユーウツ」なのではなく、ほんと、心底、団体行動が苦手なので・・・あと、そもそも観光旅行っていうのが苦手で。

 しかし、箱根について調べてみたら「えーと、中学校の修学旅行で行ったような気がするが、どこで宿泊したんだ?」って全然思い出せない。あの時は、土肥金山とか登呂遺跡も行っていたので伊豆箱根コースだったのかなあ?
 よく憶えているのは、天気が悪くて、あれだけ富士山周辺をうろうろしていたのに、一度も富士山の姿を見ることがなかったことだ。

 ただ、彫刻の森美術館には寄ったので、箱根でたぶん一泊しているはず。でも、芦ノ湖の遊覧船には乗ってないと思う。でも、伊豆のあたりで、船に乗ったはずだ。丁度、「裕次郎が退院」とかいう芸能ニュースが観光フェリーの中のテレビで流れていたような。天候悪かったのでデッキに出ていたら気分が悪くなっていたので、船内でぼんやりとワイドショー観ていたのだ。

 もしかして、それ以來、箱根に行ったことなかったのかなあ?と思い出してみたら、前の職場の社員旅行で一泊していたのを思い出した。
 でも、あの時は夕方会社を出て、ミニバスみたいなので豪華宿に直行して、ガーっと宴会して温泉つかって、またガーっと帰ってきたので、全然箱根を観光してなかったはず。

 というわけで、今回の箱根旅行のテーマは「箱根駅伝の往路五区を研究」に決めました。ちゃんと肉眼で道路の傾斜とか確認しておこうと思う。来年の正月の駅伝が10倍くらい楽しめるだろう。

5月19日(火)

 数年前に職場体験実習生を受け入れた養護学校から、「またお願いしたいんですけど」という打診があった。

 そしたら部長が「前の時ってどうだったんだっけ?」と言うので「あの時は、ほぼHさん(障害者雇用枠の社員)に丸投げで面倒みてもらってました」と答えたら「え?H君いたんだっけ?」と言うから、びっくり。

 そーよ、そーよ、部長は実習生とほとんど絡まなくて、なんだか逃げまわっていて、私に実習日誌のコメント書かせたりしてたのよ。
 と、部長本人に愚痴ると、「えー、全然憶えてない」というからさらにびっくり。

 そして私が「でも、最終日近くに某事業所の倉庫やコールセンター見学に連れていきましたけど?」と言ったら「ああ、だから養護学校の先生が『あの時は車で連れていっていただいて』とか言ってたんだ!」って、ほんときれいさっぱり記憶が消去されてるんですね。

 私が「あれって、2年か3年前でしたっけ?」と言うと「4年前なんだって」とのことだったが、4年前って震災の年じゃん?そうだったっけ?と、さっきまた自分の日記を「養護学校 実習生」でググってみたら、2011年の9月でした。

 あー、フェスティバル東京で、飴屋の野外のやつを観たりとか、二軍の試合で今岡観たりとかしてた時期だったんだ。昨日も書いたが、個々のイベントの記憶はあるが、時系列になってないんだよなあ。

 それにしても、記憶ってほんと、「自分はよく憶えているのに、他人はさっぱり憶えてない」ってこと多いけど、部長が前回の実習生の世話をHさんや私に押しつけたことすら、きれいさっぱり憶えていないことに衝撃を受けてしまいました。

 で、受け入れるのは全然構わないし、私はアスペな人を観察するの好きですから、大歓迎なんですが、総務に置いておいても、仕事が無いんですよ。
 つーか、今いるHさんだって、月の半分くらいド暇にさせてるんだし。
 でも、前回は実習生のお世話を張り切ってやってくれたHさんですから、今回もきっと張り切ってやってくれるだろうけど、そもそも手が空きまくっている彼には、実習生に教える仕事のネタも少ないので、どうしても持て余す時間があったので、私が、本来ならHさんにお願いするような仕事を無理やり捻出して、実習生にやってもらったのだが、そうなるとHさんが余計に暇になるという悪循環になり、私はHさんにホントに申し訳ない気持ちになったのだが、そんな気苦労を部長が全く記憶してないっていうのがわかって、ほんとがっかりというか、いや、私の気苦労なんてどうでもいんですけど、あの時、Hさんに丸投げしたってことすら全然憶えてないって・・・・


5月18日(月)

 大阪都構想選挙は、関東人には全く事前の雰囲気がつかめなかったけど、結果はかなり拮抗していたんですね。
 事前より事後のほうが、いろいろ結果分析されてて興味深いですが(高齢者や低所得者層が反対が多かったらしいとか)、これで橋下氏が政界から引退を表明したというのも、「ああ、そうなんだ」となんだか遠い目になってしまう。

 弁護士タレントから政界に転身して7年ですか。
 長いような短いような。

 私は「行列のできる・・」をあまり熱心に観てなかったし、橋下弁護士のファンでも無かったので、政治家になった時には「?????」って感じだったが、その戸惑いの気持ちよりも「あの戸惑った時が7年前?」っていう時間の流れの曖昧さに戸惑っているわけです。

 30歳の頃って「10年前は大学生、20年前は小学生、30年前の記憶は無い」って感じだったんだけど、40歳になったら、そこに「10年前に転職」っていう区切りがあったけど、もう50歳近くになると「30代の頃の出来事と40代の頃の出来事の時系列が整理しきれない」という感覚になった。

 さて、話は変わるが、今使用しているマックミニであるが、購入してからほとんど何も手をつけていないので、OSが古くなっていて、フラッシュのバージョンアップが出来ないのは知っていたが、そのままにしていたら、ニコ生などに対応しなくなってしまった。

 調べてみたら、2000円くらい払えば、OSがバージョンアップできて、フラッシュも最新のにできるらしいが、OSのバージョンアップなんて自分でやったことが無いので「あー、めんどくせ」と放置。

 そうこうしているうちに2年前に買った、アイフォンも「バージョン古いから、もう、ダメなんだからね」ってことになったが、ツイッターに写真が添付できなくなったという実害しかないので「別にいいや」と放置。

 ほんとに、いつも言っているけど、古くなった家電って、だましだまし使えるけど、IT機器ってハードに問題なくてもソフトがねえ?
 自分の余生が残り30年くらいだとすると、あと何回くらい「機械はこわれてないのに・・・・」って、泣く泣くバージョンアップすることになるのだろう?

 しかし、そーいえば、もうこのマックミニ自体がかなりのご高齢なのでは?
 去年あたりから「そろそろ寿命かなあ」って思っていたが、それなりに動いてくれているので「まだ行けそうかなあ?」と楽観していたけど、たしか、これ買った時には載ってるOSは最新版だったので、それがもう村八分状態ってことは、ハードの寿命も近いのかも・・・でも、いつ買ったのか全然思い出せないので、自分の日記をググったら、2008年の春に買っていたので、ちょうど7歳くらいらしい。

 7年前は「フジロックにマイブラがクルー!」って盛り上がっていたようだ。へー。
 そして、のちに発病した友人Mが丁度、「長年住んでいた気に入っていた部屋が立退きで引っ越したが、その部屋の隣の住民がうるさくて悩んでいる」って最中でした。
 そして、渋谷のサムラートでドサを食べたり、三茶のネパール料理店に行ったこともよく憶えているけど、それぞれの出来事の記憶が7年前という土台に収まってないなあ。

 なるほど、年寄りが昔話ばかり繰り返すのはこういうことなのかもしれない。
 10歳の頃の記憶、20歳の頃の記憶、30歳の頃の記憶っていうのは、それなりに時系列で整理できるんだけど、30歳以降の記憶って、てんでばらばらに浮遊している感じでまとまらない。
 子供がいる人は、子供の節目に紐づけて記憶しているのだろうけど、そういう人も、子供が成人してしまうと曖昧になっちゃうんでしょうね。

 しかし、うちのパソコンの年齢と橋下氏の政治年齢がほぼ同じということに驚いたが、つーことはやっぱりバージョンアップよりも買い替えたほうがいいかなあ?

 7年前、安い方が8万円で高い方が10万円だったが、当時、母が「おじいちゃんが残した預金の一部を孫(うちと叔父のところで計5人)に分配」したので、その10万円の臨時小遣いで買ったので「いーよ、10万円でも」と高い方を買ったのだが、やっぱりとうとう一度もDVDなんて焼かなかったので、要らん機能に無駄使いしてしまいました。


5月15日(金)

 夕方、会社の雑談で「朝のテレビに松田翔太が出ていたが、今度の映画は80年台が舞台らしくて、電話ボックスから彼女の家電に電話してるシーンが紹介されてた」なんて話を私がしたら、若手俳優の話題になり、そうしたら部長が「今どきの若い俳優さんは凄いよ」と言うので「何が?」と確認したら「あまちゃんに出ていた福士君だったっけ?彼なんて海外の映画祭で英語ですらすらとインタビューに答えていたし」と言うので、その話前にも部長から聞いたなあと思った。

 さらに部長は「彼は留学経験も無くて、独学らしいんだよ」と続けるので、いや別に留学してなくてもあれくらい(って私は喋ってるところを観たことないんだけど)、って思っていたら、「あんな英語教育なのにさあ、よく喋れるようになるよね」とか言い出すので、要するに日本の学校の英語教育では普通は英会話なんて出来ないはずって言いたいんですかね?

 部長によると「他にも若手俳優で何人か英語堪能な子がいた」ということですが、「だから?」って思ってしまいました。「そりゃ、いるでしょうよ」としか言いようがない。

 昔から秀才な役者さんなんていっぱいいたし。東大出身の野球選手は片手で数えるほどしかいないけど、俳優さんなら大勢いるじゃん?今でも、「インテリ芸能人クイズ大会」みたいな企画は人気あるし。

 それに、今どきのジャニーズには慶應出身の桜井君を筆頭にMARCHクラス出身は珍しくもなくなってきたので、逆にM大出身の私からすれば「あのダサさがスクールカラーだった我が母校からジャニーズが?」ってことに驚いているのだが。

 ジャニーズに関して言えば、光ゲンジくらいまでの時代は、息子をジャニーズに入れるっていうのは「サーカスに売り飛ばす感」があったのだが、SMAPの出現により、サーカス度が著しく下がったので、お堅い家のご子息が入りやすくなったのだと思われる。
 大衆芸能だった猿楽が権力者の寵愛を得て、能や狂言になったように。

 って話が逸れたけど、そりゃ部長は英語がからっきしなのかもしれないけど、部長と同世代の私が学校教育で学んだ英語でも「一人で海外旅行できる最低レベル」の英語力を身につけたわけだし、同級生でもっと意識高かった子は帰国子女に負けないくらい英会話力あったはず。

 で、私は英語ペラペラは別に目指してなかったが、海外旅行に強烈にあこがれていたので、中学校の頃から英語は「教科」といよりも「実用的な技術」として熱心に勉強しました。家庭科の調理実習みたいな?
 家庭科でも「パジャマを縫う」という課題に対しては「パジャマなんて、この先一生縫うことはないだろう」と思ったのでテキトーにやりましたけど、調理実習は真面目にやりました。

 そんで、語学って「学」ってなってるから偉そうだけど、日常会話程度だったら別に大層なことじゃなくて、よく言うけど「アメリカの子供だって英語喋ってる」ってわけで、普通の人が普通に使用しているツールなわけで、料理だったら家庭料理なわけです。

 料理を全くしたことがないし、ヤル気も無い人は「へー、ダシからちゃんと作るんだ」って思うのかもしれないけど、そこそこの家庭料理を作ろうと思う人は冷凍食品や出汁の元使わなくても、そこそこの家庭料理作れるわけだし、(あ、だジャレになっちゃった)、そこそこの家庭料理作も作れないような人は「日本の家庭科授業がよくないから料理が作れない」なんて言わないよね?

 そうか・・・速水もこみちが、今では俳優というよりも「料理タレント」になっていることを「もこみち、料理うまくて凄い」ってあんま言われないのに、福士蒼汰は「英語うまくて凄い」って言われるのも、なんだかちょっとなあ。同じじゃんね?


5月14日(木)

 今日は木曜日だったが、体感的に「あれ?金曜日じゃないの?」っていう人が多発。

 サンプル数は総務部の数人だったけど、たぶんそう感じていた人が日本全体でも圧倒的多数だったことでしょう。

 ゴールデンウィウークを暦通りに休んでなかった私でもそうだったんだから、暦通りに休んだエビワカちゃんが「なんででしょ?」とか言うので「先週、エビワカさんは2日間しか出勤してませんでしたが、今週は5日出勤なので、2.5倍も働いているからです」と解説したら「あ、あ・・・・・・」と非常に納得してましたが、先日の「台風の速度は新幹線の2分の1以下ですから」に続く、「そんな小学生レベルの計算で、感心されても・・・」って感じの出来事でした。


5月12日(火)

 5月に台風接近なんて記憶に無いのだが、当初は「日本列島をかすめるくらいかね?」だった予報が、だんだん進路が北上してきて「もろ直撃の可能性が高いじゃん」ってことになった。

 それほど気象予報に詳しいわけでもないけど、なにせフロアの他の社員の気象知識のレベルが低すぎるので、例えば「なんで台風の進路予想はこんなに刻々と変わるのだ?」っていう人には「台風って沖縄あたりでモジモジ北上している時は、本土へのルートが定まらないんだけど、カクンと東側に折り返したら、その後の予想はけっこう正確です。どこが折り返しポイントになるのかがなかなか予想が難しいみたい」などと、クドクド語ってしまいます。

 さて、今回の台風は沖縄付近でモジモジせずにあっさりと西に向きを替えたので、その後の予想は進路というよりも進行スピードのようでしたが、概ね「関東の大雨強風は12時深夜」っていう予報は変わらなかったし、当たったようです。

 会社で夕方になってきたら「どれくらいから雨降るのかなあ」って話になりましたが、私がレーダーの雨情報をチェックしてみたら「うわ、関東だけすっぽり雨降ってない!」と呟くとエビワカちゃんも「私もチェックしてました。ということは、もうすぐ関東も降りますね」

 私が長年にわたり、地道に教育したので、エビワカちゃんは「台風の進路側の方が雨が多いいんですよね?」と言うので、「その通りです、だから今は本体は四国にあるけど、関西や東海が大雨になっているのです」と満足気に答えた。
 そしたら「じゃあ、あと1時間くらいですかねえ?」と言うので、「時速250キロの新幹線でも、名古屋から2時間くらいかかるのに?」と言ったら「え?ああ・・・・」

 つーか、今の東海道新幹線の平均速度ってどれくらいなんだろう?
 「時速250キロ」という根拠は、新幹線開業当時の歌の歌詞なので、今の最高スピードはそんなもんじゃないだろうけど、よく知らない。

 そして、台風情報の台風の移動スピードを調べたら、その時は時速75キロになっていた。
 高速道路を走る車より遅いけど、台風は線路や高速道路の上を走るわけではないので、直線距離に換算すると、高速道路を安全運転で快走している自動車が名古屋から何時間で東京に着くのかってことだろう。

 おおまかに「新幹線で名古屋まで2時間弱」「新幹線の半分くらいの速度の車だと4時間くらい」という結論になったが、さっき帰宅途中に急に雨脚が強まってきたので、ほぼ計算通りでした。(台風による風雨がいつ関東を襲うのか、って話をしていたのが4時ごろ。実際に雨脚が強くなってきたのが8時ごろ)

 しかし、こんなに条件もあいまいなおおざっぱな小学生レベルの計算して「さすがに1時間じゃ来ないだろう」って話をしていただけだが、「ああ、なるほど」と感心されてしまうと、なんだかヘコみますわ。

 なんだかこんなレベルなのに知識ひけらかしてる感じがしちゃってさ。

 それにしても、外はゴーゴーいってるので、電車とか大丈夫なんだろうか?
 レーダーで確認すると雨のピークは静岡あたりにあるようなので、今、居酒屋にいて後悔している人も、慌てて帰らずにあと2時間くらい居座って終電間近になったら落ち着くかもしれない。

 そういや夕方、台風情報をチェックしていたら「ネパールでM7の地震」ってニュースにびっくりしたよ。余震なんだろうけど、本震で傾いた建物付近にいた人は生きた心地しなかったでしょう。
 東日本大震災の後、それほど被害に遭わなかった東京でも余震には怯えたからなあ。


5月11日(月)

 土曜日は久々の完璧な曇天で、午後には雨のリスクもあったけど、降っても小雨のようだったから「絶好のデイゲーム日和!」と午前中から張り切って神宮球場に向かいました。

 土曜日の朝10時に遊歩道を渋谷方面に歩いている人って、私の仲間が多いようで、「渋谷くらいなら徒歩で」って人がけっこういて、しかも自分よりもずっと年上の老夫婦などに平気で追い抜かれるので「ぬ・・・できるな、お主」と健脚自慢な方々の実力に押されておりました。
 渋谷に近づいてきて、246と旧山手通が交差する「神泉町」の信号のところを歩いていたら、旧山手通りから左折する車が通り抜けるレーンによって中央分離帯みたいな場所があるのですが、その歩道に何やら踏み潰されて黒くへばりついた物が点在していたので、「木の実かなんか?」と思いつつ歩いていたら、ぎええええええええええ、踏み潰されてないのは、まだ生きてて動いているケムンパだった!!!

 踏み潰された痕跡はその歩道いっぱいに100や200どころの数じゃないんですよ、ほんと、イチョウの銀杏みたいな感じにいっぱい落ちてるんです。そして、まだ生きてるのがいるってことは、今も落下中なわけで、駆け足で通り抜けました。

 うわー、久々にケムンパ地獄に遭遇してしまった。ドキドキ・・・・・ああ、こういう気持ちは大切にしよう。ゴ◯ブリが嫌いな人も、きっとこういう気持ちなんだって。だから、ゴキの恐怖におののいている人を小馬鹿にすることなく、さりげなく処分してあげよう。

 通りすぎてから「ここにある木って、なんだったっけ?」と見上げてみたら、大きな松の木だった。マツクイムシにやられたらしい。もうすでに緑の部分はわずかで、立ち枯れ状態でした。餌が無くなったヤツらは、地上に降りてディアスポラしてたみたいですが、ほとんどが歩道で踏みつぶされていて、歩道を抜けても交通量の多い車道を超えるのは不可能に近いし、その付近には他に松の木なんて無いので、あの一族の繁栄は難しいでしょう。

 しかし都心の街路樹があんなにやられているのを見るのは20年ぶりくらいだ。
 前に見たのは六本木通りを歩いていたらイチョウの街路樹が並んでいたのだが、地面にフンがたくさん落ちているのを発見し(天敵の気配には妙に敏感)「え?イチョウに虫なんてつくの?」と上を見上げてみたら、ムクムクと太ったケムンパさんたちがバリバリとイチョウの葉を召し上がっていました。

 「うわーん、こんなん流行ったら東京中のイチョウの街路樹があああ!」と思ったけど、その後、あんなマルハゲになったイチョウを見たことがない。

 さて、10時に家を出て、途中で朝食に立ち食いそばを食べて、12時には神宮球場に到着。予定通りである。第一試合は11時からの早稲田と法政の試合だったのだが、私のお目当ては去年見初めた早稲田の中継ぎ投手である吉野君だったからである。

 190センチ近い長身でありながら、なぜかアンダースローという珍品。
 丁度、5回裏に法政が2点得点して2−2になった所で、ブルペンで準備する吉野君眺めて「今日は出番あるかなあ」と楽しみにしていた。

 早稲田の先発だった大竹投手は、ボークでランナー進めてからタイムリー打たれていたので、早々に降板するかと思っていたのである。

 でも、大竹君は不思議な感じの投手だった。
 左投げで、ストレートは130キロくらいで、スローカーブが98キロという技巧派なのはわかったが、マウンド上の雰囲気がものすごーくヤル気なさそうな感じなのだ。
 ヤル気ないというか、実にかったるそうに球を放るのである。
 たぶん、変化球投手なので、少し腕の振りを抑えたフォームだからああいう感じになるのかも。

 ジャンル的には、私の大好きな武田勝と似たタイプである。球威は無いけど、変化球のバリエーションとコントロールで勝負というあたりが、しかも左だし。さらに、スローカーブを多用するあたりが、横浜の三浦とか、あと、そうだ、左の軟投派と言ったら、私の大好きだった吉見も思い出させる。

 でも、武田勝にしても吉見にしても、もっと気が強そうな雰囲気があるのだが、大竹くんは終始ちんたらした雰囲気をまとい、味方が攻撃中のベンチ前のキャッチボールでもずっと山なりの球投げていて、それはちゃんと変化球の練習してるのはわかるのですが、あんな気だるそうな雰囲気の投手は珍しいと思った。
 カーブが指にかかる感じなどを何度も確かめていたり、とても頭のいい投手なんだと思いましたけど。球威よりも全体のバランス重視という感じも。

 そして、同点にされた早稲田がその後着々と得点を重ねて、8−2になったもんだから、9回も大竹君がマウンドに上がったのですが、さすがにバテてきたのかヒット打たれていたけど、なんとか無失点で切り抜け、見事に完投していました。

 まだ2年生だし、エース候補なんだろうけど(去年もけっこう登板しているらしい)、それにしてもジジくさい投球する投手だった。でも、弱冠20歳であの投球スタイルって、ほんと頭いいんだろうなあ。ああいう投手こそ東大にいて欲しいタイプの技巧派でありました。

 第二試合は東大と立教大だったが、東大のエース山本君が立教の一番打者の大城君にいきなりホームラン打たれた。100安打目だったらしい。後でスポーツ紙サイト観たら、史上31人目の偉業だったらしい。

 それでペース崩したのか、東大の山本投手は全然ストライクが入らなくなり、フォアボールでランナー溜めてはヒット打たれて、「わー、まだノーアウトなんですけど」という絶望的な状態が続き、「この回、いつ終わるのでしょう?」って感じでしたが、そーいや、この間、巨人の杉内が「初回に10失点」って実に珍しいことやらかしましたが、東大の失点は4点で終わったので「杉内は本当に凄いことをやらかしたんだなあ」と思い知らされました。

 つーか、さっきの試合の早稲田の先発投手が超軟投派なのに、東大の先発投手がパワーピッチャーっていうのも、妙な話です。
 山本君はストレートが140キロ代という、私が今まで観たことのある東大の投手とは全く違うタイプでした。
 そして、対する立教の先発はアンコ型というのか、四番打者みたいなガッチりした体型っていうのも「スクールカラーに合ってない」って思いました。

 立教の澤田投手は大阪桐蔭出身の立教のエースのようですが、この日は球が浮くのか、東大打線につかまり・・・・いや、守備のエラーに足引っ張られたのもあったんだけど、3回で5-2になり、7回で5-4にまで追いつかれてしまいました。

 初回4失点の絶望感を払拭する東大の反撃に、盛り上がる客席であった。
 私は前にも「東大が途中までリードしていた」という貴重な試合を観たことがありますが、あの時も異様な雰囲気になりましたが、今回は「一点差まで詰め寄った」ということで「もしかして?」というムードになり、さらに継投した投手が全員、妙に好投するもんだから「流れは東大に来てるぞ?」という雰囲気になってました。

 しかし、立教のエース澤田が降板して、4年生の小林って投手が出てきたら、この人がもう全身に「東大相手に何グダグダやってんだ、ごりゃああ」な感じの、実に投手らしい「おらが大将」って感じの投手で、「うぉらー、東大、ナメんなよ!」ってケンカしているみたいな投球でした。

 印象的だったのは、7回2アウト、ランナー有りの場面で登場したのですが、たしか初球で内野フライに打ち取り、かなり打球が高く上がったのですが、ショートの捕球する姿を確認もせず、すたすたとベンチに戻る小林先輩でした。
 プロだと、ああいうのが普通ですが、学生野球ではあそこまではやらないような・・・そんで、遠くから観ているから違うのかもしれないけど、念のため、落球に備えて、きちんとホームベース守っている捕手に「なにやっとんじゃ、ワレ」みたいなこと呟いていたような気がしました。

 立教の小林先輩は投球フォームも豪快だし、ほんとケンカ投法で面白かったです。豪快なフォームのわりには球速が平凡(130キロ代)っていうのも好感度高かったです。

 それにしても、この試合は東大のリリーフ陣が完璧な出来でした。
 6回を1安打で抑えたのですよ、3人で。
 特に三木投手はアンダースローでしたけど、すごく低めに制球できてて、いい時の西武牧田みたいでした。

 相手投手がちょっと調子悪いのと、こっちの投手が今日みたいな出来だったら、東大は今年中に勝てるチャンスあるんじゃないかなあ。
 それに野手のエラーがびっくりするくらい減ったし、土曜日なんて東大の捕手が立教の盗塁を二本も刺していたので「東大の盗塁阻止なんて初めて観たような気がする」ってびっくりしました。

 立教がヘボかっただけかもしれませんが、なにせ、絶賛連敗中でそろそろ100連敗に近づいている東大が最後に勝ったのは、斉藤ゆうちゃんが先発だった早稲田だったので、やっぱ、どうせ久々に勝利するなら、そのくらいの大物喰いしてほしいなあ。

5月8日(金)

 箱根がゴールデンウィーク真っ最中に「小規模噴火の恐れあり」と観光名所の大涌谷が閉鎖されちゃって観光業に大打撃のようですが、私が一番心配したのは「大型連休だから、いつもの何倍も卵仕入れてただろうに、どう処分したんだろう?」ってことでした。

 せめて、あの名物の黒タマゴだけでも販売されてれば大涌谷に入れなくてもタマゴだけ食べてく人は多かっただろうに。

 しばらくは警戒状態が続きそうで、観光客激減は仕方ないだろうけど、箱根は外国人観光客にも人気が高いので、我慢できる体力はありそうなのかな?

 温泉の湯量が豊富なのは火山活動が活発ということでもあるので、日本って地震大国でもあるけど火山の国でもあるんだなあ、と御嶽山の噴火や蔵王の警戒レベルや箱根の現状をニュースで見ると今更ながら思い知らされます。
 つーか日本列島って火山が作った島なんですよね、たぶん。

 火山が作った島といえば、今だとハワイとかアイスランドがそんな感じだけど、あちらは溶岩がビシバシ流れでているような比較的若い火山島で、日本は私くらいの微妙なお年ごろでしょうか?「かなり落ち着いちゃったけど、まだひょっとしたらやんちゃするかもよ?」って感じで。

 そういや少し前にハワイで「住宅街に溶岩流が」ってニュースがありましたが、粘度が高い溶岩がジワジワと進んでいたようなので、どっかのニュース・ショーで「この溶岩流を土木工事で進路変更させたりしないんでしょうか?」って素朴な疑問が上げられていたが、ハワイの事情通が「火山島であるハワイでは、火山活動は神格化されているので、人の手を加えることを良しとしない」と解説していたので「にゃるほどー」っと納得してしまいました。

 自然との共存って難しいもので、先の大震災でも東北の沿岸部は甚大な津波被害を受けましたが、でも漁業で暮らすなら海に近い少ない平地に住むのが一番便利なわけで、1000年に一度の津波のために高台に住むっていうほうが不便です。

 山津波も同じで、山間の川沿いの平野部に住みたがるのは自然なことで、でも何で山間にわずかな平野部があるかっていうと「たまに山津波で土砂がそこに貯まるから」ってことでしょう。
 日本のこの山あり谷ありの地形って、地震による隆起と雨による侵食を繰り返したから出来ているわけで、そういう災害がたまに起こっても「しょーがねーなー」って話なんでしょうけど・・・


5月7日(木)

 やっと連休が終わりました。

 一昨日、昨日と自宅から駅へ向かう道の静寂さに戸惑っていたのですが、今日は工事現場の重機の音が鳴り響いていて嬉しかったです。
 近所の小学校が建て替え中だったり、取り壊し中の住宅があったりと、いつも工事の音で賑やかな通勤路が静まり返っていて寂しかったようです。

 あと、近所の保育園の子供の泣き声!
 去年オープンしたばかりの保育園なので(児童園って書いてある。世田谷区も待機児童解消が課題なのでいろいろ規制緩和しているみたい)、去年は途中で入る人も少なかったのか閑散としていましたが、4月からけっこう入園する児童がいたようで、4月前半の頃は、この世の終わりのような泣き叫び声が鳴り響いていたのです。

 私がその横を通るのがちょうど9時前くらいなので、「ママと別れたばかり」の幼児達がギャンギャン泣きわめいていました。
 「あー、慣れるまで大変だなあ」と思っていたけど、4月後半になると静かになっていたので「泣く子いなくなったな」と思っていたのですが、連休で保育園も休みだったので、今日は久々の保育園だったから、また盛大にギャン泣きしていたらしい。

 そういや、最近はそうやって新規保育園が開園しているようですが、近隣住民から反対運動されるケースもあるようで、まあ、そりゃうるさいだろうし、自転車や自動車での送迎のこともあるので、不安も大きいのはわかる。
 昔「完全自殺マニュアル」の著者である鶴見済が「近所の小学校の運動会の練習の音がうるさい!」と戦っていたが、確かに自宅で仕事する人には保育園とか小学校の騒音は問題だろう。

 でも、そういう人はそういう所に住まなければいいのに、とも思った。
 まあ、鶴見済の主張は、単に「うるせー」ってだけではなく「こんなに外に向かってスピーカーの大音量で音楽流さなくても運動会の練習はできるはず」という、けっこう真っ当なことでしたが、学校側の対応もイマイチだったので、余計こじれてしまったというありがちな事案でした。

 普通の勤め人だったら、保育園やら小学校が賑やかな時間は家にいないので、あまり問題にならないだろう。
 そして子育て現役世代だったら、自分ちの子供の出す音のほうがよっぽどうるさいので、「多少、外がうるさいくらいで丁度いい」って思う人のほうが多いと思う。

 テレビの取材で「保育園建設反対」を訴えていたのは、閑静な住宅街で静かに暮らしていた老夫婦だった。
 あれも多分、テレビの先走りで「保育園建設に反対する住民がいる」ってことだけで取材したんだろうけど、老夫婦の主張は「いきなりこの区画に保育園ができるってびっくり」ってことと「ここ住宅地だし、道路も狭いのに、安全が確保できるのか?」っていうことで、要するに「保育所が足りないからといって、不適合な場所にも建てていいのか?」と思ったらしいので「うるさくなるから絶対反対」って感じではなかった。

 あの頃「子供の声は騒音なのか?」ってトピックがちょっと盛り上がったので、その実例を取材したつもりだったようだが、そういう感じでもなかったのである。

 この話も何度も日記に書いているが、私が今のアパートに越すことになり、不動産屋さんに連れられて大家さんの自宅に契約書を作成しに行ったら、けっこうなご高齢だった大家さんは「上の階には息子夫婦が住んでいて、子供が5人いますから、うるさかったら言ってください。私から注意しますから」と言うので「えー、そんなん聞いてねー」と天を仰いだ。

 そーゆー、大事なことは契約前に教えてくらさいよ・・・・

 引っ越ししてすぐに、「うわー、天井からドカドカと・・・」ってマジうるさかった。
 だって小学校低学年を頭に5人いて、たぶん一番下の子はハイハイしてましたから。

 「これは、凄い所に越してしまったなあ」と嘆いていたのだが、3日で慣れた。
 そして、わかったのだが、「ちゃんとしたご家庭」なら、いくら子供が走り回っていても、9時くらいには静かになるのだ。

 道路の騒音みたいに深夜まで引きずらないのが「いい点」だと気がついたし、夜8時頃、ドカドカと盛大にうるさくても、どーせこっちも在宅時にはテレビ観てたり、音楽聞いていたりしたので、気にならなかった。

 遊びに来た友人らには「ここ、凄いね」って驚かれたけど、「夜は静かだし、逆にこっちが深夜に多少うるさくしても、あっちは熟睡しているだろうし」ということで、何だか「お互い様」な感じが心地よくて、20年も住んでおります。
 最近はもう、ほとんど足音も聴こえなくて、お子様が何人残っているのかもわからない。一時期はすげー茶髪コギャルみたいなのが出入りしていたが、最近見かけないのでもう独立しちゃったかね?

 で、20年間の家賃を総計すると2000万円くらい払ってしまったわけで、うちの妹にも「もったいなかったね。家買えたじゃん」とか言われたが、私が払った家賃で、大家さんちの子がいい教育受けられたのならそれでいいじゃん、って思う。まさに「わしが育てた」ってことで。

 話が逸れたけど、騒音問題で思い出すのは、うちの実家がリフォーム中に短期間賃貸で住んでいたアパートのこと。
 実家から100メートルと離れてないアパートで、間取りは1LDKというか、昔の2Kだったから単身者向けとしてはけっこう広くて、夫婦で住むにはかなり手狭だった。
 両親はそのアパート暮らしをけっこう気に入っていた。
 「間取りもシンプルだし、静かだし、もう、これでいいじゃないかってwww」って言っていたのだが、ある日、そこに宿泊してみたら「全然静かじゃないじゃん」って気がついた。

 上の階の住民の足音は響くし、隣や上のドアの開け閉めの音もけっこう響いていた。
 男性単身者が多いアパートだったので、けっこうそういう生活音が響いていたのだが、両親は全然気にしていなかった。
 「耳が遠くなってるんだ・・・・」って気がついた。
 その前から「テレビの音量が大きいな」って思っていたのだが、そのアパートでも両親はその音量でテレビ観ていて「防音なってないアパートではちょっと迷惑では?」と思ったのだが、周囲の部屋の生活音を聞いて「この物件にはそういう神経質そうな人は住んでいないようだ」と確信できたので、両親には「住み心地のいい仮住まいが見つかってよかったね」と言っておいた。

 実家のお向かいには、バンドやってて部屋にドラムセットがあるドラ息子がいて(ダジャレです)、窓を開ける夏の季節にはそうとう賑やかだったし、息子の友人が夜中にも出入りするので騒々しかったが、私が実家で宿泊する部屋には冷房がなかったので(両親の寝室にはエアコンが設置)、母は「お向かいのお兄ちゃんのところに出入りがあるから、こっちは窓開けてても大丈夫よ」と言っていた。

 うちの妹が6月に出産して、しばらく実家に滞在していたけど、その時、隣のお兄ちゃんはなんとウクレレにハマっていたので、妹は「窓開けて昼寝してるとウクレレが流れてきて、けっこう気持ちよくてよかった」と言っていた。

 ここ数年、もうお向かいのお兄ちゃんの音楽活動は落ち着いてしまったのか、実家に泊まってもその気配を感じることがなくなってしまいました。

 うちの実家の騒音問題は「お向かい」から「裏側」に移行していたのである。
 裏側には長年、廃墟となった古いアパートが放置されていたのですが、我が家がそこに通じる私道の権利を譲渡したので、それまで法律的に「死んだ土地」だったのだ、子供二人いる若夫婦の新居に蘇ったのです。

 そこに至るまでもすったもんだしたが、うちの実家としては「裏がデッドエンド」でもよかったんです。
 でも、私はなんだか朽ち果てたアパートが裏側にあるのって風水的に良くないんじゃと思っていたし、治安的にもちょっとなあ、って思っていたので、やっと優秀な不動産屋が現れて「私道の権利と敷地の権利をバーターしましょう」って提案してくれたので、我が家の敷地は裏側に広がったのでありました。(うちは公道に面しているので私道の権利は不要だった)

 裏の廃墟が新築物件に蘇ったし、子供のいる若夫婦の家だったので、私は「すげー、風通しが一気によくなったし、子供がいるから活気が出てきた」と喜んだのですが、母は不満気だった。
 幼い子供の出す声は全然気にならないし、定番の黄昏泣きも「ああ、もうそんな時間だな」と時計替りにしていたようですが、「裏の奥さんのキーキー声が一番うるさい」んだそうです。

 お向かいのお兄ちゃんのドラム練習をスルーしていたのに?

 まだ姪っ子達が小さかった頃、姪っ子が私とバトルする気満々だったので、こっちも調子にのって夜8時くらいに「ちょー・・・・あちょぉぉぉぉ!」ってデタラメカンフーごっこして姪っ子達が蹴り入れてくるのをこっちもケリで応酬してキャーキャー奇声あげあってバトルしていたら、母が「ちょwww,もしかして、今、うちがご近所で一番うるさい?」とセコンド・ストップしてきました。

 「え?この時間にこの程度で?」と思いましたが、隣の家の黄昏泣きがひどいって愚痴っていた手前、自分ちからそれを上回る騒音出すのが恥ずかしかったらしいです。

 騒音問題って、ほんと単純じゃないから難しいですよね。


5月6日(水)

 「今、自分が若者だったらどうしていたんだろう?」って話に刺激されたのか、ふとまた去年の年末のレコード大賞を思い出した。
 たまたまテレビのチャンネルを変えていたら、レコード大賞のクライマックスで、エグザイル一味が大賞を受賞して受賞曲を披露するところだった。

 始まった受賞曲のイントロを聴いても「全然知らねー」はお約束なのだが、サビの部分と思しきパートに入っても全然聞き覚えが無かったのである。
 今どきのヒット曲の全曲を知らなくても、サビだけは「ああ、あのCMで」とか「あの、ドラマで」とか、それなりに思い当たる節があるのだが、三代目Jソールブラザーズの「流星」(って表記じゃないです)って曲に全く心当たりが無かったことに驚いた。

 しかもサビがどこだかも不明瞭だし、歌詞も何だか全然聞き取れないし、いつもウザいと思っている「一人じゃないよー」みたいな曲のほうが「歌詞がウザい」と思えるだけマシだということに気付かされた。

 さっき、もう一度確認するために、ユーチューブで視聴してみたら、再生数が4千3百万回もあったので、げんなりしたけど、やっぱ普通に人気あるんですかね?

 でも、CDなどの売上の総数自体が20年前と全然違うので、「エグザイルを支持する人」っていうのがどの程度のボリュームがあるのかも全くわからない。

 この話も何度か日記に書いているが、20代後半の頃、テクノ仲間で雑談していて「ビーズのCDって何百万枚も売れているらしいが、ビーズのファンっていうのに合ったことがない」って話題になったら、ある女子が「私もずっとそう思っていたんだけど・・・」

 彼女はその当時、外資系の企業で派遣社員として働いていて、その会社では派遣社員は会議室に集まって弁当を広げていたらしい。その時も、15人くらいの20代女性がその会議室で昼食をとりながら雑談していたのだが、ある社員が「そうだ、今日はビーズのCDの発売日だ」と言い出したら、3名くらいが「あ、そうだ、会社帰りに買わなくちゃ」と言っていたので、「おお、ビーズのファンって、こういう所にいたんだ」とその実在が確認できてけっこう感動したらしい。

 うんうん、あれから20年。
 ビーズなんて超ウザかったけど、今となってみればツェッペリンをパクったりしていた、洋楽素養にあふれた人達でしたよね。ウルトラソウル!とか、私でもわかるわかりやすいサビだったし。

 アイドル系では、モー娘のつんくも、おニャン子やAKBの秋元康も「キャッチーなメロディー」って基本は外してないので、私でも自然とサビを歌えるような曲がレコード大賞っていうのはいいんだけど、「何、この曲、全然知らない」っていうのがレコード大賞って・・・てゆーか「よくぞ、ここまで私の耳に入らないようなヒット曲っていうものが出来たなあ?」って感心してしまったくらい。

 そもそも、その「RYUSEI」って曲が音楽として耳に入ってこなかっただけかもしれないが、私が中学生の頃に流行ったYMOなんかも、当時の50歳の人には音楽には思えなかったかもしれない。
 でも、YMOがヒットする前には冨田勲とか喜多郎がNHK的に活躍していたので、「シンセサイザーのインスト曲なんて!!!」って批判するような大人はいなかったような・・・

 てゆーか、YMOはレコード大賞とかとらなかったし・・・

 YMOがメジャーになっていく頃って、トシちゃんマッチ、聖子ちゃん明菜の時代ですからね。

 しかし、ほんと、あの「Jソールブラザーズ」の不毛さ加減を鑑賞すると、「なんか昔もこういうのあったような・・・」って必死に記憶を辿ったところ「インダストリアル・ノイズ」のことを思い出しました。

 私が18歳くらいの頃、ピストルズ亡き後のパンク系の人たちが「アイドル不在」に耐え切れずに袋小路に迷い込み、「シンセ使ったポップな音楽なんて、耐えられん」ということで、楽器の代わりに金属叩き始めたのです。

 あー、そういや、ノイバウテンとJソールブラザーズってなんだか同じ感じかも?

 ノイバウテンはまだ「前衛」って風情がありましたが、その後、出てきたノイズ系はもはや「工場の金属ノイズを録音しただけじゃ?」って殺伐としたのがいっぱいありました。

 そっか。
 いや、先日、友人T嬢と飲んだ時に、T嬢が酔っ払って「エグザイルとか全くわからん」と嘆いていたので、「いや、あれ、今凄いことになってますよ。もはや音楽じゃないってゆーか」と必死に説明したのですが、そんな説明じゃ伝わらなかったんですが、そっか「ノイバウテンがレコード大賞とったような感じ」って言えば伝わったのかもしれない。

 「一緒にすんな!」って自分でも思いますけど、「雰囲気重視」なあたりはやっぱ同じなのかも。

 それにしても、エクザイルの出現で「ビーズのほうがまだ理解できる範疇だった」と気が付きましたが、10年後、20年後にまた「エグザイルのほうがまだマシだった」という未来が来るのでしょうか?

 よくわからないのは、ジャニーズ好きの人とエグザイル好きの人は被っているのか、反発しあっているのかです。世界観けっこう違うから、どっちも好きって人は少ないと想像するのですが、どうなんでしょ?

 しっかし、ほんとエグザイル文化が理解不能で、元々ヤンキー文化が苦手なので、ほんとわけわかりませんが、そういう多様性は尊重したいけど、これがもし宗教的な話だったら、ほんと血を見る戦いになりそうだな・・・・というあたりを少し想像できるので、エグザイルをキリスト教とかイスラム教に置き換えてみると、世界がいつまでも平和にならない理由の片鱗を少しだけ感じることができるような気がしなくもないわけです。


5月5日(火)

 土日月だけ休んで、今日は出勤。

 (土日は予定通りに夏物の服出すのに費やし、月曜日は親と松蔭神社に行った。大河観てたら行きたくなったんですって。うちにあまりにも近いから「ついでに、ミヤノの部屋に行ってみようか?」って提案されたが、「うちには現在、客が座るようなスペースはございません」と断固拒否しました)

 朝、9時頃の三軒茶屋駅の閑散さ加減に驚いた。
 下りホームには私以外の人影が無く、上りホームですら10数人しかいなかった。
 休日でも、この時間だと外出する人や部活に向かう学生さんが多く乗っていたりするのに・・・てゆーか、下り電車は休日の方がそういう人達で混んでいたりするのに。

 あんなに閑散とした三軒茶屋駅を見るのは初めてでした。写真撮ろうとしたけど、ホームは広いし柱が邪魔なので上手く撮影できなかったので残念。
 たぶん、普段の休日でも「朝から元気に外出だー」って人達は泊まりがけでもっと遠い所に出掛けてしまったのでしょう。
 駅に向かう住宅街もほぼ無人だったので、「休日は朝寝坊して家でゴロゴロ」な人達はまだ寝てたんでしょうね。

 会社に着くとけっこう出勤している人がいたんだけど、午後になって部長が出勤してきて、なんとなく雑談していたんだけど、なんとなく部長の息子さんたちのクラブ活動の話しになって、ご長男が所属する準体育会系なサークルの話になったので、そのサークル名を検索したらホームページが出てきたけど、いい加減な造りだったが、ツイッターもあったので、そっち覗いたらそっちのほうがリアルな活動を追っていた。

 そんで、そのサークル公式ツイッターのフォロワーが300人くらいいたのだが、部長が「そん中に息子も入ってるんだろう」と言うので、仕事サボって、というか、あまりの連休モードに午後3時くらいで仕事やる気全くなかったので、部長のご長男のアカウント探しに励んだ。

 けっこうあっさり見つかった。
 部長にはそれは告げずに現役大学生のツイートをこっそり眺めておりました。

 そんなあっさり見つかるくらいだから、親が観ても別に・・・って感じの無難な内容でしたが、自分で呟くよりも、友人のツイにマメにリプライしている様子が伺えました。

 たぶん、ツイッターだからあんな感じなだけで、LINEの方がもっと密度が高いのかもね。

 こういうのって、もし自分が大学生の時にあったら、どうなってたんでしょう?
 全く想像ができない。
 だって、私が大学生の頃は携帯電話すらなかったんだから。

 家電と留守電と連絡網で部活の連絡回してましたからね。
 ポケベルが出回ったのは、私が就職してからでした。ポケベルが出来たからねえ、外回り社員は数時間おきに会社に電話して「◯◯社の訪問が終わって移動しますけど、何か連絡ありますか?」と確認しなくてもよくなったんだよなあ。

 その後、パソコンが普及しはじめて、若者は「電話番号交換」よりも「メアド交換」するようになった。でも、メールって結局、電話の代用というか、「留守電より正確に情報がやりとりできる」って感じだった。
 なので、当時は家電と同じように携帯で長電話して、高額な通信費請求に親が激怒とか、そういうことが多かったんだと思う。

 自分が20代の頃、SNSがあったなら、あっという間に「オルタナ系クラスタ」が出来ていただろうなあ。
 クラブとかライブハウスでよく合う人とは、よっぽど仲良くならないと電話番号とか教え合わなかったけど、アカウントだったら気軽に交換していたはずだ。そして、電話やメールだと「なんか用がないと発信しない」けど、SNSだと、どーでもいーような事でも全員に発信されるので、それほど親しくもない友人というか知人が「今日は◯◯のライブに行きました」なんて発信していたら、「いいなあ、それ私も行きたかったなあ」なんてリプライしていたかも。

 クラブで夜遊び三昧だった頃は、明け方にクラブが閉まると、よく誰かの部屋に流れ込んでいたけど、そういうのはケータイのやりとりなどで、把握されていたけど、今だったら「イエローでガルニエ終了、これからミヤノちゃんち」「ミヤノちゃんちなう。メンバーはTにQにAにG、作りおきのカレーで朝ごはん」「Qは仕事に行ったけど、Rが参上」「みんなで昼寝していたら、もう夜じゃん。今夜はオートマ!」なんて感じに、ダラダラと不特定多数に向けて実況していたんだろうなあ。

 で、部長の大学生のご子息はフォロー300人くらいで、フォロワーも同じくらいだったが、私も20代の頃やっていたら、そんな感じになっていたことでしょう。
 そうなるとタイムラインが忙しくなるので、マメにチェックしないといけないでしょうし、若者が暇さえあれば熱心にスマホチェックしているのもわかります。

 でもなあ。
 あんだけかたくなに携帯電話持つことを拒否していた私ですから、もしかしたら、今学生だったら、持ち前のパンク魂発揮して「そーゆーの私、苦手だから」ってすっぱり拒否していた可能性もありますが、そもそもパンク魂っていうのが無い時代ですから、自前でそれを開発している自信は全くなく、これはいつも考えてしまう問題ですが「私はいつの時代に生まれていても、きっとアングラ系に引き寄せられていた」という確信があるので、もし安保闘争の時に学生だったら堂々と「ノンポリ」やっていて、その後、実存主義だのやっていただろうし、・・・・戦前だったらどうしてたのかね?

 今の時代って、私が今若者だったら、けっこうキツかったなと想像しちゃいます。
 でも、過去の歴史の中にあった「影」は知っていても、今進行中の若者文化の中にある影がどこにあるのかわからないのは、もしかして、いつの時代でもあったことかもしれないし、現在は私には想像もつかない形でのアングラが存在しているのかもしれないし、ほんと、全然わかりませんが、「今どきの若者はなっとらん」っていう切り口ではなく、「今、自分が若者だったらどうしていたんだろう?」って視点は、けっこう面白いよな。

 あ、そーいえば、英国の王室にプリンセスが誕生しましたが、「アン王女以來」って知って、「おおおお」と思いました。
 そーいや、そーだな。
 それにしても、ブックメイカーでは「アリス」や「シャーロット」が人気だったらしいけど、「ダイアナ」っていうのも人気高かったけど「さすがにダイアナは無理だろ」と思っていたら「シャーロット・エリザベス・ダイアナ」って命名されたことを知り、「ウィリアム王子って、王室にいるのが勿体ないくらいの世渡り上手だなあ」と本気で感心しました。

 ダイアナは微妙でも、その前に堂々のエリザベス入れたら、エリザベス女王も「あら・・・まあ、しょーがないわね」って認めるしなかいでしょう。
 そもそも長男にジョージって名前つけたことで、エリザベス女王的には「あら、私のパパの名前」って上機嫌になったはずで、映画「英国王のスピーチ」でも描かれましたが、エリザベス女王の父上であったジョージさんは、とても家族を大事にする人で、エリザベス女王のファザコン心を心地よく刺激する曾孫の「ジョージ命名」だったはず。

 で、次に生まれた長女には「ファーストネームは被るとややこしので、先祖の偉大なお妃の名前にしましたが、ミドルネームでおばーちゃまの名前いただきます!」ってご機嫌とってから、「ボクの素敵なおばーちゃまはエリザベスですが、この子のおばーちゃんはダイアナなんで」って言われたら、「おー、ほほほほ、この子の祖母ってダイアナなのね、あはは?」って、もー、それで盛り上がるのなら、お好きにしなさいって気持ち、勝手に理解してしまいます。

 別にエリザベス女王がダイアナ妃をイビって追いだしたわけでもないしね。
 でも、かつのダイアナ妃のインタビュー映像観ても、顔は大人びて美しかったが、「この人、中身はただのコギャルだな」って感じはあったので、若い頃から女王としての責務を負ってきたエリザベス女王からしたら「イマイチ意思疎通不可能」って感じはあっただろう。

 でも「若いし美人だし、家柄もいいし、いい嫁じゃない」と思っていたのだが、息子のチャールズはその嫁をあまり大事にしないので「うーむ、どげんしたらよかとじゃろ?」と思っていたら、ダイアナ妃は若くして事故死しちゃってマリリン・モンローとかジェームス・ディーンの仲間入り。

 さらにバカ息子は「ぼく、これでやっとカミラと再婚できます」って、そんなオバサンとマジ再婚?え?ダイアナが産んだ息子の立場は?

 その流れで、孫のウィリアムが「娘のミドル・ネームはエリザベス・ダイアナにしたいです」って言ってきたら「ああ、これで一区切りだな」ってホっとするんじゃないでしょうか?
 もうかなりのご高齢なんだし、ここらでダイアナという名前を「わけあり」ではなく、「王室に正式に嫁いだ女性」として名前を残したことは、後世にもきっと「いい話」として残るでしょう。

 以上、勝手にエリザベスたんの気持ちを想像してしまいました。

 それと、ウィリアム王子がダイアナの血を引くイケメンさんなのは認めますし、キャサリン妃がモデルさんのように完璧に美しいのも認めますし、その理想のカップルに「一男一女」って、もう、あまりにも出来過ぎてて目眩がしますけど、ウィリアム王子の頭髪の寂しさがとてもいい緩和剤になっているような気がする。あれで、頭髪まで完璧だったら、嫌味なレベルだったと思う。
 欧米人はあまりハゲを気にしないらしいが、日本人からすると「この頭髪の残念さ加減も実は巧妙なメークアップなのではないか?」と疑いたくなるくらい絶妙に残念なレベルである。


5月1日(金)

 総務部で基礎研修していた新人君1名は、連休明けから他部署に配属されることになったが、今日会話していてちょっと気になることがあった。

 とある取引先から「経理のご担当者をお願いします」という電話を取って「経理のご担当者と言われたのですが、それはミヤノさんで間違いないでしょうか?」と言うので「ああ、いいですよー」と電話を取った。

 郵便物仕分け担当のHさんがお休みだったので新人君が替りにやったのだが、「ミヤノさん宛ての郵便物はこれで間違いがないでしょうか?」と言うので「えーと、この郵便物は私じゃなくてEさん宛てだ」と教えたり。

 なんか違和感あるなーと思っていたのだが、普通は「これでよろしいでしょうか?」って言う所を「これで間違ってないでしょうか?」って言っていることに気がついた。

 うーん、教育的指導してやったほうがいいんだろうか?
 でも、すごーく間違ってるわけでもないし。

 前に軽く指導したのは、新人君が電話をとって「Eさんお願いします」って相手が言うのでEさんの席を見ると「あれ?いない?」と動揺してしまい、ものすごーく深刻な声で「あ、いいえ、Eは今、ちちち、ちょっとせ、席を外しておりまして、た、大変申し訳ございません」なんて言っていたので、電話の後で「トイレとかで、たまたま席を外してるっていうのはよくあることだし、別に席外している人に落ち度は無いので、そんな大事のように説明しなくていいんだよ?」と解説したら「あ、それもそうですね」と軽く納得してくれた。

 デフォルトで暗い感じに喋る子だったけど、少し指導すると、彼なりに明るい感じで「ただいま席を外しておりますが、いかがいたしましょうか?」って少し高いトーンで話せるようになったので、「お、少しよくなってきたな」って思ったけど、あんまりこと細かくあれこれ言っても、じゃんじゃん吸収するようなタイプでもなかったので、加減が難しい。

 それに「間違ってないでしょうか?」って聞き方がイマイチな理由ってなんだろう?

 そっか、その意味は「自分の判断は間違ってないですか?」ってことなのはわかるけど、「間違っている」っていう言葉にネガティブな響きがあるので、そう言われたこっちは軽く身構えちゃうんだよね。

 それに「私、間違ってましたか?」って、けっこう重い言葉だし。
 お詫びとしては「私が間違っておりました」って言うのは自分の非を素直に認める、けっこう出来そうで出来ない最上級のお詫びなので「間違ってないでしょうか?」っていうセリフが「これでいいでしょうか?」と同じ意味だってことはわかるのだが、「あ、これは違うね」と言うと「お前は間違ったのだ」って断定することになるので、なんかちょっと重い。

 って考えていたら、新人君に「間違ってないでしょうか?」って言い回しはちょっとなあ、って説明するのが面倒になり、どーせ正式配属された部署では「間違ってないかって?全部間違ってるぞ、ゴラー」ってなるんだろうから、いいや、放っておこうってことにしました。
 それに、彼が配属される部署は「難しい人」がいない部署だったので、たぶん大丈夫でしょう。

 そういや先日「難しい人」ばかりがなぜか吹き溜まる某部署で長年私の天敵だった「サイコパス野郎」がフツーはありえないようなミスをして、私の上司がその事情聴取をしたのですが、サイコパス野郎君は自分がやらかした事に全く気がついてなくて、部長が「おめー、これ、こういう対応したんだって?」と詰め寄ったら「ええ、やりましたけど、それが何か?」と胸を張っていたらしいが、部長が「でも、これちょっと・・・・」と、その対応が「ありえねー」モノだと説明しつつ「この対応のマニュアルってどうなってるの?」って言ったら、サイコパス君は事の重大さに気がついてシドロモドロになり、つーか、自己防衛に突っ走ったので、部長は「今回の事は特に大事ではなかったが、こんな運営していたら将来的な心配があったので、そこんとこ確認したかったのに、あいつったら『オレは悪くない』の一点張りで、なんなんだ?」とボヤいていましたが、そっか、私も散々、サイコパス君には苦労しましたが、部長はそれに気がついてなかったんですね。



表紙に戻る / 過去の日記を読む