可燃物な日々

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日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました

4月30日(木)

 もう4月も終わりか・・・・

 ほんと、つい先日まで「寒い」って言っていたのに、あっという間に春が過ぎて初夏の陽気になってしまったので、まだ服の準備が出来ていないのだ。いまだに冬服着てます。

 やろうとは思っていても「衣替えの前に、まず部屋の掃除をして衣装ケースを置く場所を作らなくちゃ」という汚部屋状態なので・・・

 ほんと年々「掃除の神様の降臨」が少なくなってきたので、ヤバいなあ。
 まあ、部屋の掃除や整理整頓が苦手なのは、子供の頃からのことなのですが。

 でも、会社ではちゃんとやっているというか、先日もフロアにある加湿器の店じまいをしてて、同僚に「あー、自宅のもやらなくちゃ」と言われたので「ちゃんと手入れしないと長持ちしないよー」なんて言いましたが、同僚は私のことをきっと「家でもしっかり掃除や片付けをしてる」って思っていることでしょう。

 会社でマメにそういうメンテナンスしているのは「暇潰し」なのです。
 あと手入れすることで、機器が長持ちするのなら、経費削減にもなるし。

 自宅だと暇だったら、暇のまま寝転んでテレビ観てればいいので、掃除なんかしないようです。

 さて、昨日は休みだったのですが、朝ドラの後に大河ドラマの総集編が始まったので「視聴率悪いようだが、どんな感じになってるのだろう?」と思って、暇だったから観ていたのですが、やっぱり私は伊勢谷友介が苦手なんだなあ。
 主人公が吉田松陰の妹なので、吉田松陰は重要なキャラというか前半戦ではほぼ主役なのですが、その魅力がとうとうわからなかった。

 何度も書いているが伊勢谷友介と大沢たかおが並んでいても、私にはイケメン・パラダイスに思えないのです。

 主人公の最初の夫となった東出君は、また「いい大根」ぶりを発揮してましたが、大根はおでんの中にいるといいけど、カレーに入れると、ちょっとね。

 そういや、なんかタイミングが合うようで、毎回観ている「ドクター倫太郎」は「これ、全然、精神科医じゃないじゃん」って思いますが、昔アメリカで流行った「精神分析医」の話だと思えば、毎回患者の心の病の原因を探って解決っていう、要するに刑事ドラマなんですね。

 でも、なんとなく観てしまうのは、やはり堺雅人だからかな?
 別に堺雅人がそんなに好きでもないし、半沢直樹とかとうとう観なかったのですが、堺雅人が面白いのは「違和感」を武器にしているところでしょうか?

 キムタクの「自然体」との対比として?
 そのキムタク主演の「アイムホーム」も観てみましたが、ええと「記憶を失った人が・・・過去の自分をだんだんと思い出してくる」って、けっこう昔にキムタクやってたじゃん?「ギフト」だったっけ?記憶を失った青年が松田優作の探偵物語のオマージュみたいな設定で、毎回何かを解決するのと同時にドラマ全体としては「主人公の抱える謎」が解けていくっていう話しで。
 あのドラマ、忌野清志郎が出てたっけなあ。


4月28日(火)

 つい先日まで「4月になっても寒いよー」って感じだったのに、急に暖かいを通り抜けて「暑い」になっていますが、人口密度が高いフロア(総務部以外の全フロアとも言える)から「夏の服装規定は5月からですか?もう、今日あたりで限界なんですけど?」という訴えが寄せられていた。

 いつも思うが、みんな真面目だなあ。

 学校の制服規定じゃないんだから、さっさとクールビスにすりゃいいのに。
 昨日、今日くらいの陽気で、ノーネクタイで半袖シャツ着ている人が来社しても、もう、なんとも思わないんだけどなあ。

 自分は夏でもネクタイと上着を着用しないと格好がつかないらしい部長も「来客がほとんど無い部署だったら、勝手にアロハでもなんでも着ればいい」と言い出すし。
 でも、その発言はやっぱり「来客があったら、ちゃんとした服装をせよ」ってことなんだろうけど、こんだけ長年クールビス政策に慣れてくると、秋になってサラリーマンがネクタイ締めだすと、そっちのほうに違和感感じるようになってるんだけどなあ。

 つーか服装規定を守りたいのなら、冷房入れればいいだけじゃないの?

 「冷房の設定温度」は発信されるけど「4月は冷房使用禁止」なんてどこにも書いてないと思うんだけどなあ。


4月27日(月)

 友人が東京に帰省していたので飲みに行くことになったのだが「池袋でディープ中華はどお?」って提案されて「ディープ中華って?」と興味を持ったのでそのプランにしたが、久々に池袋に行ったなあ。

 時間があったので、新宿から池袋まで歩いて行ったのだが、その途中で「この明治通り沿いのルートは前に池袋から歩いたことがあったな」と思い出した。
 数年前に、なんかの用事で池袋に行ったらしいが、なんの用事なのか思い出せない。

 芝居とかライブじゃなくて、なんか東口の区民センターみたいな所に行ったような気がするけど・・・・仕事?いや、仕事で池袋に行く機会なんて無かったはずだし。
 知り合いの誰かの発表会とか?
 うちの父のコーラスの発表会は池袋なんて使わないし、うーん、思い出せない。

 さて、いざ、ディープ中華を食べに池袋北口に潜入しましたが、ほんとだ、マニアックな四川料理屋というか「火鍋」が売りの店が点在してまいした。
 四川は内陸部なので、「川魚丸ごと一匹、辛く煮た料理」が有名らしく、それを看板に掲げた店多数。

 そんな料理のこと全く知らなかったので、「へー」と思いましたが、その中の一軒に入ってみると、「うわー、メニューが全然フツーの中華じゃない」と驚いた。担々麺とか麻婆豆腐じゃなくて、知らないメニューばかりでした。

 ただ、火鍋が流行っているので、他の地方の中華料理店も四川料理をやってるみたいです。

 うん、でも、たまたま入った店も、かなり美味しかったです。激戦区だから外れは少ないのかも。
 で、調子に乗って「激辛にはこれが合うんだよね」と中国のウォッカみたいな酒をボトルで頼んだのですが、度数60近いスピリッツを「おいしーねー」って二人であけちゃって「これヤベーよ」って私はほんとにベロンベロンになり、帰りはずっと友人の腕にしがみついていたくらいです。

 その後、下北沢でもう2軒寄り、帰りは徒歩だったけど、久しぶりに蛇行して歩きました。帰宅したらもう午前1時くらいだった。

 朝起きたら「これ、全然会社に行ける感じじゃない」ってほどの酷い二日酔いでしたが、今日はマスオさんが休みなので這うように出勤したけど、やっと酒が抜けたのは午後になってからでした。

 あんだけ飲んだのだから、いくらくらい散財したんだろう?と財布を確認したら、2万円くらいあったはずなのに、4千円しか残ってなくて「やっぱり?」と思ったのですが、後でよくよく確認するろ、1万円札がレシートの影に残っていたので逆に「え?そんだけ?」とびっくりしました。

 池袋の四川料理、辛いもの好きな人が4人くらい揃ったらいろんな料理が食べられて超おすすめです。

 
4月25日(土)

 最近見つけて、電車の中で読みふけっているのが「アメリカは今日もアレだった」という、アメリカ在住の日本人女性(夫はアメリカ人)のブログの「日本で独り暮らししていた80代の母が訪問販売で数千万円の被害に遭った」という顛末である。

 離れて住んでいるので、認知症であることがわからないでいたら、母の預金がごっそりと無くなっているのを知り、日本に何度も帰国しながら、後見人制度を利用したり、悪徳業者を起訴したりと、かなり読み応えがあります。

 認知症の症状は人によって違うのだろうけど、「日常生活は普通に営んでいるのに、ある時からお金の管理が全然できなくなる」っていうのは、けっこうあることらしい。

 失読症の話しなんかだと「人類の進化において、文字を読み書きするっていうのは、ごく最近になって獲得した機能なので、先天的にその能力が弱い人がいる」ってことになるんだろうけど、「お金の管理」なんて、文字よりもっと後になって必要になってきた機能なので、てゆーか、「正常な人」の中にもお金の管理が得意でない人があれだけいるのだから、認知症になった人が真っ先にその能力失うのも、なんだか納得してしまう。

 老人を狙った訪問販売とか不要なリフォームなどの事件はテレビでもよく紹介されているけど、実際に被害に遭った人の娘が、裁判で被告となった訪問販売業者の悪びれすることのない態度に激怒している記述を読むと「ほんとにこういう老人騙す人って実在するんだ」とグっと来ました。

 私の祖父母は、母方の祖母は脳梗塞系の認知症になったけど、歩けなくなってしまったから、逆にそれ以前の「ちょっと怪しい時期」に金遣いが荒かったという問題は解消されました。祖母のあの時期に訪問販売とかあったら、ヤバかったと思うけど、祖父もいたので自宅にいる限りは大丈夫だったんだけど、近所の商店街で買い物しまくっていたらしい。

 「近所の商店街」っていうのが麻布十番商店街だったため、近隣には本物のお金持ちの老人が多いので、そういう富裕層の接客に長けている店が多かったんだろうけど、うちの祖母はたぶん、そういう「奥様」扱いされるのが心地良かったのであろう。
 ただ、そういう店は、高額商品を売りつけるようなことはしないので、こちらの被害としては「老舗菓子店の和菓子を地方の親戚にいっぱい贈った」程度のことで、祖母が年金をそういう無駄遣いで散財しているのを黙認していた祖父は、預金だけは死守したようでした。

 その最後までボケなかった祖父が先に亡くなったので、介護が必要だった祖母は老人ホームに入り、祖父が死守した預金は大事に残されたようだ。

 父方の祖母は、早くから老人ホームに入っていたし、死ぬ直前まで頭はクリアだったし、そもそも、貯金もなく、年金もわずかしかなかったので、死後「預金も無く、所持品も修道女レベル」という清々しさであった。

 しかし、うちの両親はちょっと心配だなあ。
 うーん、このブログのお母さんも、ボケる前は年金からちゃんと預金できるくらいの清貧ぶりだったそうだが、うちの両親も清貧ぶりでは負けていないが、「認知症の最初の症状はお金の管理」と教わったので、注意しておきましょう。

 今のところ、うちの母親の「お金の心配」は、長男や次女が、孫を盾に小金をむしりとっていくことで、ほんと小金なのですが「孫の誕生会に呼ばれたら、それは子供連れに人気のレストランで、結局支払いはうちら持ちだった」って、弟夫妻は別に支払を期待して呼んでるんじゃないのもわかるし、でも、そういう場で両親が「じゃあ、支払いはこちらで」って言い出したら、「いやいや、そんな」と揉めるもの面倒だから、正月には両親へのお年玉とか、両親への誕生日プレゼントとかでちゃんとお返ししてくれているのです。

 でも孫の世話押しつけられると(押しつけてるんじゃなくて、両親が孫と楽しい時間過ごせるようにって思ってるんですてっば)、映画連れて行ったり、公園連れていってお弁当食べさせたりと、それなりに小金が飛ぶので、「ああ、なんだか孫にお金がけっこうかかる」って思うようで、私に愚痴るのですが、私が「孫の世話させてもらえるなんて幸せなことなんだよ!」って言うと、「おや、独身の不憫な長女には、ほとんど金使ってなかった?」と思うらしく、いつも日記に書いているけど、最近、帰省して姪っ子や甥っ子と遊んでやると、母から「はい、これ、子守代ね、手伝ってくれてありがとう」って1万円のチップくれるのです。

 そんな小金要らないというか、なんだかその小金で「老後の世話よろしくね」と言われているようで、受け取りに躊躇するのですが、あれこれ難しく考えてもしょーがないので「気持ち」として有りがたく受け取っています。

 なにせ、30歳くらいまでお年玉貰っていたし(笑)

 うちの家族って別に絵に描いたような「幸せ家族」でもなかったし、いろいろ問題はありましたが、今から考えると「小さな問題」ばかりだったし、「大問題」に直面したことなかったのかも。

 まあ、もしかすると、母方の祖父母がとっくに亡くなっているけど、うちの母とその兄の仲が悪くなって、未だに多分、ちゃんと相続手続きできてないのがけっこう大きな問題ですが・・・・


4月24日(金)

 今年は新入社員を1名だけ採用したのだが、4月の1ヶ月だけ総務部で基本修行させることになっていた。

 でも、総務部は今、忙しい時期でもないし、そもそもすでに2名も「必要だから置いているわけではないワケアリ社員」がいるので、彼らにちゃんと仕事を割り振るだけでも苦労しているのに、さらに1名増えても手伝ってもらう仕事のネタが無い。

 そして、今後も総務部にいるのなら引き継げる仕事はあるかもしれないけど「腰掛け」がわかっている新人君に「その場限りの仕事」を教えるのも手間である。
 でも、私は頭を絞って「彼が他の部署に配属された時に、ある程度、経理がどんな仕事しているのかわかっていたほうがいいだろう」と、例えば何十件もある総合振込の振込データをチェックさせてみたり、社員の交通費精算のデータを「金額合ってるか確認して」とお願いしてみたりした。

 しかしマスオさんは、部長から「新人になんか仕事ないか?」って言われたら「でも、彼は総務にいるわけではないので、説明しても無駄だし」ときっぱり言うので、その気持ちはわからんでもないが、でも他部署にいる人に「この程度は把握していてほしい経理の仕事」っていうことってけっこうあると思うんだけどなあ。

 私が振込データ確認の時に新人君に丁寧に説明したのは「口座番号と同じくらい口座名義も大事」ってことだった。
 そして「口座名義は漢字よりもカタカナが重要、というかぶっちゃけ漢字は要らない」ということだった。

 請求書が交わされるような取引だと、そういうことは滅多にないけど、たまに「金額間違って振り込まれたので、返金してください」なんて依頼があるけど、その情報がメールでやりとりされると、口座名義が漢字だったりするので「フリガナお願いします」と二度手間になってしまう。
 さらに、そういうやりとりが電話で行われていると、聞き間違いで振込エラーになったことも何度もあった。

 取引先と頻繁にやりとりしている担当者は、「株式会社 富士山」っていう表記に何の疑問も抱かないのだろうけど、書類だけ回ってきたこっちは、それが「カブ フジヤマ」なのか「カブ フジサン」なのか、全くわからないのである。

 なので、せっかく最初に総務部に配属された新人君には「振込データとは」って、5分くらい演説しておきました。正確には頭に残らなくても、後で、もしそういう局面が出てきたら「あー、なんかミヤノさんに説明されたなあ、なんだったっけ?」って思いだしてもらえるだけでもいいし。

 そして、総合振込データを確認させた他の理由としては「経理は毎月、全社から集まってきた請求書を集計して、こんだけの件数振込しています」ってことを見せたかったから。
 この請求書の束を見てもなお、「この間、オレがお願いした支払いって、やってもらえました?」とか聞いてきたら、アホである。

 わかってるのよ。
 その社員にとって、支払に回した請求書がその月はそれだけだってことは。
 でも、こっちはそういうの集約して、何十件も処理しているんだから「オレのやってくれました?」って言われても「オレのって、どれじゃ!!!」と思うわけです。

 あと、あまり支払依頼をしてこない部署だと、もっとピュアな質問が来て「業務上必要な機材があって、それを購入したのですが、支払は銀行振込ということなんですが、可能でしょうか?」なんて言われても「不可能だったら、どうするんでしょう?」って言いたくなるのを堪えてしまう。

 「着金後に納品なんで、急いで振込お願いしたいんですが、可能でしょうか?」っていうならわかるけど。

 あと、これもしょーがないと思っているが、たまにサーバの入れ替えとか大規模な支払が発生しそうだと「資金繰りの都合もあるから、あらかじめ支払予定を報告するように」って言ってるのは、数千万円とか、せいぜい数百万円のことを言っているのであって、「今月末までに、急に30万円の支払いが発生したんだけど、大丈夫?」って確認してくる社員がけっこういて、「あのー、あなたの家の資金繰りとは違うんですけど」としか言いようがない。

 「大きい金額の支払いがある場合には事前に報告しろ」って言うと「自分にとって大きい金額」って判断基準になる人って、けっこういるようです。もっとも、それは発信するこっちが「300万円以上」とか基準設ければいいだけですが、そもそも高額な出金が見込まれるような部署にはちゃんとそう伝わっているのですが、「そういう通達がある」っていうのを小耳にした人が自主的に「あのー、50万円の請求って、今月中に支払い可能ですか?」とか丁寧に確認しに来るから「その程度の金額が支払えないとなると、あなたの給料が心配ですよね?」とイジワル言うと、「え?」ってホントにビビったりするので、「いや、高額の支払予定は、っていうのは、あなたが所属している部署に向けた話ではなく、隣の部署の機器入れ替え費用の総額数千万円のことなんです」って説明すると「あ、ああ、そういうことだったんですか」って失笑してくれるんだけど。

 そういう気の小さい人が50万円を大金と認識して、丁寧に確認してくれるのは、可愛らしいことだし、実害は無いのでいいのだが、厄介なのは、それだけ告知しているのに、いきなり5千万円の支払を持ってくる豪胆な社員である。

 50万円でビビる人が社員100人中3人くらいいるけど、五千万円の請求書を全く普通に持ってくる社員も3名くらいいる。
 「なにこれ、聞いてないんだけど」と言うと、「もう得意先には請求書出してるんで、入金されるから大丈夫です」とか言うけど、「いつ入金されるの?」って聞くと「あ、それはわかりません」って、仕入れの支払いが先行するなら、短期借り入れしないといけないじゃないの・・・

 毎年この時期に「仕入れ金額が5千万円くらいだが、例年、得意先から入金してから支払いという合意がとれてる」っていう案件があるのですが、今年はいきなりドドーンと請求書が届いたので「え?まだ得意先に請求書出してないのに、支払が先行なんですか?」って担当者に確認したら、しばらくして「いつも処理してる支払先の担当者が体壊してたみたいで、フツーに回っちゃったみたいだったけど、連絡したらちゃんと大丈夫だったから」って言われたが、そういうのって発注した時にちゃんと支払予定も確認し合うものじゃないの?

 と、書きだしたらいろいろ愚痴がとまらなくなってきたが、こういうのは世間にありがちで、「マナー違反の人が最近多い」っていうニュースにビビってさらにちゃんとやろうとするのは、元々ちゃんとやっていた人達で、例えば電車でのベビーカー問題でも、通勤ラッシュ時に平気でベビーカー押し込もうとするような人には「ベビーカー論争」なんて届いてないっていうような。

 話変わるけど、先日、妹と話していたとき「おや?リアル小町的な?」と思ったことがある。
 幼稚園児未満で、保育園児でもなかった息子を遊ばせるために、妹は頻繁に近所の児童館に通っていて、ママ友との付き合いも無難にこなしているようです。近所の公園でみんなでお弁当広げてピクニックとか。
 でも、自宅に招き合うとか、ラインで交流などの付き合いはしてないようで、妹との雑談でも「ああ、友達の中国人の子もそんなこと言ってた」とか言うので、さらにその在日中国人の立ち位置を確認すると「いや、ただのママ友だから旦那さんの職業とかは知らない」などと言うので、広く浅く付き合ってるのは感じていた。

 その児童館に週に1回くらい来る親子がいるのだが、そのお母さんは全くママ達のおしゃべりに入ろうとしないらしい。
 そして「今週、みんなでお花見に行くけどどう?」って声かけても、児童館以外でのそういう付き合いにも全く参加しないらしい。

 って話しを妹から聞いたので「それは、たぶんネットとかで散々、ママ友トラブル知っちゃったので、相当警戒してるんでしょう」と言ったのだが、「うちらがそんなんじゃないの、見てたらわかるのに」と、小町的なことを言う。

 小町の定番相談で、マンションの住人やご近所で頻繁にママ友の集まりがあるのに、なぜか参加しない人のことを「なんでなんでしょう?」ってスレあげると、大勢から「ウザいのがなんでわからないんですか?」って総攻撃にあう。

 妹の言い分は「みんな、育児のストレス抱えていて、それをおしゃべりで発散してるんだよ、だから大事なことなんだよ」なんだが、そりゃ、妹は母や私にダーーーーーーっと愚痴るので、心に余裕ある時には真剣に拝聴しますが、世の中にはあんな好き勝手に愚痴る才能が無い人も多いんだと思います
 私もそういう「女子会トーク」が苦手ですし。
 私がもし出産して、児童館に通っていたら、ママが3人以上ツルンでるような場所には近寄りません。

 しかし、妹は「あくまでもママ付き合いを避ける人」が間違ってるというご意見で、さらに、その孤立しているママさんのご近所さんの証言によると、ほとんど外出している姿を観たことがなく、児童館に来る以外はほとんど引きこもっているらしいとか。

 私はそのママさんの姿を見てないのでなんとも言えませんが、週に1度でも児童館で子供遊ばせてるんだから、いいじゃん、がんばってるじゃんって思いますが、妹は「うちらだって別に表面的にストレス発散のおしゃべりしてるだけなんだから、ママ交流にも参加したほうがいい」と言うんですが、そんなん好きにすればいいじゃんと私は思うんだけど、妹目線だと「あの人、すごいストレス抱えっぱなしなので子供を虐待していたりしそう」って、まあ、そういう雰囲気があるから心配しておっせかいな気分抱いてるんだろうけど。

 妹は他人に愚痴ることでかなりストレス発散できるようだが、世の中そういう人ばかりではないと思うんだけど・・・・
 つーか、その全く交流しようとしないママが誰かに迷惑かけてるって話でもないし。
4月23日(木)

 休みでお天気も良かったので、数年ぶり2回目だと思うが東都大学野球を観に行った。

 土日にやってるから一般客も学生応援席もそこそこ埋まる六大学野球に比べると東都リーグは平日にやってるため、現役学生の数が圧倒的に少ないので応援席が寂しいのが特徴である。

 でも、定年退職した年頃のOBにとっては関係ないので、それなりにいるので、客席がおじちゃんばかりでマジで加齢臭漂う客席って感じでした。
 そういや六大学だと、私と同じくらいの世代の「ママさん応援団」がけっこういるのだが、今日観た限りではほとんど見かけなかったなあ。そういえば、選手の出身高校に首都圏の高校がほとんどなかったからそういう事情があるのかもしれない。

 第一試合は中央×国学院だったのだが、中央大OBがけっこうネット裏に多くて、7回の前に校歌歌う時に立ち上がって詠唱するおじちゃんが数名いたので微笑ましかった。

 第二試合は亜細亜大×駒沢大だったのだが、亜細亜大とかほとんど学生が来てなくて、応援団と野球部員が主で、十数人くらいOBと学生がいたくらいだった。
 亜細亜大は応援団の数も少なかったが、学ラン着たいわゆる「応援団」の学生が5人いただろうか?人数少ないので、団長みたいな子が目立っていて最初は団長ばかりが壇上でパフォーマンスしていたが、中盤になって他の団員に替わったのだが、「あ、やっぱ団長は上手かったんだ」と気がついた。

 いやあ、応援団なんかもね、自分が若い頃には全く興味が無かったのだが、今観ると「この動き、そうとう鍛錬しないと出来ないよな」とそのパフォーマンスのクオリティーに感心しちゃうんですよ。
 チアだと、その華麗なダンスと太ももの眩しさに幻惑されて、個々の技術の差が気にならないのですが、応援団はやっぱし上級生と下級生じゃ動きが全然違うのです。

 しかし、時代は変われど、応援団の動きって昔から引き継がれてきた伝統文化ですからねえ・・・あれも、世界文化遺産に登録されたりしないのだろうか?
 日本舞踊と同じくらい、日本独自のダンスだと思うし。

 チアが人気あるのはわかるけど、学ランの応援団を継承する若者が未だにいるっていうのが、ある意味凄いと思う。

 ただ、亜細亜大の応援団を観ていて気がついたのは「みんなチアくらいの背丈だ」ってことでした。男子としては小柄な子が多かったのです。それを大きな学ランを着て体格を誤魔化して、さらにあの動きで大きく見せているようだった。

 そう考えると「体育会系で活躍できるほどの体格や運動神経には恵まれなかったが、なんとかそっち方面で目立ちたい」と思った男子にとっては、いい部活なのかも。
 あと、もしかしたら「応援部はチアも含まれる」ってことに騙されて入部した学生もいるのかもしれない。ありそう、すごくありそう(笑)

 だって、チア達からも「先輩!」ってビシっと挨拶されちゃうんですよ。今ではほとんどの大学でチアの方が人数多いから、男子のほうが重宝されているのかも。
 そういや、前に明大明治中の応援部のドキュメンタリーやってたな。
 共学になってから、チアの人数は安定的に多くなったが、男子が滅亡の危機に立たされるほど希望者が少なくて、先輩が後輩をイジめるどころか、新入生のひ弱そうな男子が練習前の着替えに戸惑っているとそれを手伝っていたくらいだった。

 あのドキュメンタリー面白かったなあ。
 10年くらい前に取材した時は、「もう、少ない男子を大事に育てないと存亡の危機だ」ってことだったようですが、10年後にまた取材してみたら、ほとんど入部希望者がなくて、やっと入ってきたのが、新中1年の中でも一番小柄でひ弱そうな男の子。
 部員も、その男子の家族も「無理なんじゃ?」って戸惑うけど、本人は「もっと強くなりたいから頑張る」って入部するんだけど、基本練習でまず大きな声が全然出せなくて、悔しさでビービー泣きながら頑張ってる姿観てたら、こっちまで号泣してしまいました。

 さらに10年くらい前の取材の時に、入学したばかりの1年生部員だった、か弱そうな男子が、順当に大学に進学してそのまま応援部に入り、大学4年生の大先輩として付属中高の指導にも当たっていたので、「うわー、立派になって」と感激したりして。

 と話は逸れたが、応援団のあのスタイルっていつごろ確立されたんでしょうね?
 昔はチアなんていなかったし、野球部があるような学校はほとんど男子校だったので、その昔は「真っ当な男子が公の場で男性性を誇示して踊れる貴重な機会」だったのかも。
 「拙者、能を嗜んでおります」みたいな感じで。

 今だとバレエにしてもヒップホップにしても、男子がダンスの習い事することに抵抗ないけど、昔は能や歌舞伎などの古典芸能か、祭くらいしかなかったからなあ。まあ、社交ダンスは昔からあったけど、あれもちょっと特殊というか・・・・

 なので、現代にも引き継がれているあの応援団のダンスって、「踊りなんて踊ってるのはチャラい奴だが、オレ達のは違うぜ」っていう気持ちが長い年月をかけて進化というか磨きぬかれた、ちょっと珍しい感じの伝統芸能なので、もっと評価されてもいいのかも。

 つーか、いつも言っているけど、大学野球の応援ってほんと独特な雰囲気あるので、外国人向けのハトバスツアーに組み込んでもいいくらいだと思う。花魁ショーもいいけど、「応援団」の方が今だってフツーにやってる日本独自の芸能なんだもん。

 チアだけだったら、そりゃ本場アメリカのプロチームのチアのほうが凄いかもしれないけど、日本の場合は、そのチアと一緒に学ラン着た男子が外国人が観たこともない様式のダンス踊っているんだから、けっこう面白いと思うんだけどな。

 さて、東都リーグは六大学リーグと違って「二部落ち」とJリーグみたいな感じなのだが、今年はなんと青学、東洋、日大が二部になってました。青学・・・・、3年くらい前は「プロ野球選手出身大学1位」だったのに・・・・駅伝のスカウトに偏ってしまったのか?
 まあ、東都の1部と2部の入れ替えはけっこう熾烈なので、そのあたりも「人気の六大学、実力の東都」って感じなんですけどね。

 今日気がついたのだが、東都リーグはDH制だったので、そのあたりもパ・リーグっぽいようです。

 そういえば、先日、六大学と社会人野球のオープン戦を観に行っていた時に、OBのおじちゃん達が社会人野球の出身大学を眺めながら「最近の社会人は出身大学がちょっと・・・」と語ってました。

 今でも六大学出身者はそれなりにいるのですが、スポーツに特化したような大学出身者の方が多い感じでした。
 なので、その事情通らしき(六大学野球の選手だったおじちゃんと、元新聞記者だったらしいおじちゃんの雑談だった)おじちゃんによると、「だから、今の社会人の選手って選手を引退すると会社辞めちゃうことが多いらしい」

 社会人野球チームを持っているような会社は大企業が多いので、普通の社員達にはそれなりの学歴があるので、六大学だと、まあ最初からそこに就職したと思えば・・・って感じになるのですが、ランクの低い大学から社会人に進むと、引退して職場に戻ると学歴の差が歴然としてしまうので「このレベルでは無理」って辞めてしまう選手が多いらしい。

 ただ、企業にとっては、そっちのほうが都合いいので社会人チームのメンバーとして「野球やってる限りは社員扱い」ってことで採用しやすい面もあるらしい。

 野球に限らず、社会人チームは経営が厳しくなると真っ先にリストラされるからなあ。
 そんで、社会人チームがオリンピック代表選手を支えている競技も多いわけで。

 そういや、大学野球の観客の主力は「OBのおじちゃん達」ですが、前に東京ドームの都市対抗野球観に行ったら、それは社会人野球の甲子園ですから、企業OBのおじちゃん達の社交場でした。
 企業OBの世界のほうが濃い感じだったな。
 そりゃ、大学なんて4年間ですが、企業に在籍するのってその10倍の40年間くらいあるので、濃くなりますよね。
 さらに応援団も「地元のゆるキャラとコラボ」とか「地元の特産品や文化をアピール」ってことになり、肝心の試合よりも応援席の演出のほうが豪華だったり、客席やロビーは企業同窓会で盛り上がっており、ついテンションあがって飲み過ぎたおじちゃん達が客席に飲み物ぶちまけるので床がびちょびちょだったりして、都市対抗野球はねえ、ほんと、「古きよき、高度成長期の思い出」って感じが漂っていて、あれはあれで貴重な文化遺産って感じでしたね。


4月22日(水)

●長年の謎がとけた

 遡ること20年くらい前、今の会社に勤める前に、とあるITベンチャー企業に出入りしていたことがある。
 当時はまだ「IT」って言い回しが無くて、「マルチメディア」って用語が使われていた。

 その時に非常に理不尽な経験をいっぱいしたのだが、業務上守秘義務もあろうと、あまりちゃんと書いたことは無かったのだが、もうすっかり昔話になっているというか時効だろうか?
 まず、そのベンチャー企業になんで出入りしていたかって言うと、私が友人から「手伝ってよ」とお願いされた会社(社員は私を含めてたった3人)の社長がそこの役員で、うちの会社は事務所も無かったので、そのベンチャー企業の一角を勝手に使っていたのである。空いてる席でパソコンや電話をお借りしてました。毎日行ってたわけじゃないけど。

 そのベンチャー企業は、今思えば、10年早かった。
 まだインターネットへの接続がダイアルアップ主流の時代にネット生放送をしていたのである。
 90年代後半にそういう事業をやるからには、サーバの設備とかけっこう莫大な金かかっていたと思う。
 私が出入りしていたのは3ヶ月くらいの短い間だったが、最初の頃は「わー、イケイケな、いかにもベンチャー」って雰囲気で、私の社長を含めて役員は私と同世代(私は当時30歳くらい)かもっと若いくらいの「ベンチャーで当てるぜ!」って感じだったし、そこの社長(社長はギラギラした初老の男性だった)も元は大手コンピュータ系会社でそこそこの役職の人のようだった。

 でも、私がその会社のことをだんだんわかってきたからなのか、経営自体が行き詰まってきたのか、だんだん焦げ臭ささを感じるようになった。
 その会社の主要業務ではなかったけど、唯一利益上げていたらしい「エロ系コンテンツ」を担当していた部署の責任者が辞めてしまったり、財務部には元メガバンクの支店長が監査役として就任して、外様のお目付け役として、いつも所在なげに座っていたり・・・

 社員達や役員達の雑談から得られる断片的な情報から推測すると、「どうやって課金するかが問題だ」ってことだったらしい。
 当時、携帯電話のコンテンツは課金が容易だったが、インターネットではプロバイダや電話会社以外ではサービスに課金するのが難しかったのだ。

 それに、今で言うところのネットの動画に課金なんかしたら、視聴者は金払ってまで観てくれるのか?って問題も大きかったようだ。

 まあ、細かいことはわかってなかったが、要するにそのベンチャー企業は「どう収益を出すのか模索している」って段階で、だから維持費ばかりがかさんでいて、私が出入りしている最中にも出資者から「いつ収益が出るんだ?」とせっつかれていたらしい。

 ある時、その会社の主力役員氏が、私の社長である、どっちかというと外様的な「アイデア担当役員」みたいな立場の人を「ちょっと話があるんだけど」と会議室に呼び出した。
 なんでだか覚えてないけど、うちの社長が「ミヤノちゃんも同席してよ」とその話を傍聴させたのである。

 うちの社長が当時30代半ばで、その主力役員氏は20代後半くらいだったのかな?
 それまでに得た情報で、その主力役員氏はアメリカの大学を出ていて英語が堪能らしいことと、大手広告代理店の英語スキルが求められてるような部署に在籍していたらしいが、たぶん、「英文で契約書作るだけの仕事」が物足らなくて、ベンチャー企業に転職したようだった。

 私の印象としては、人当たりもいいし、押しも強いし、かなり仕事が出来そうな人だったので、それを見込まれて「出資者に業績を説明する大役」を任されていたようだった。たしかに他の役員は服装も好き勝手な「オレって目指せスティーブ・ジョブズ系」な感じだったが、その主力役員氏だけはいつもきっちりスーツ姿だった。

 で、なんでその主力役員氏が、私の上司である「オレってクリエイティブ系だから」っていう役員氏に愚痴を吐きたかったのわからないが、後でわかったのだが、私の上司はほんと詐欺師みたいな人で、自分を「もの凄く能力の高い人」に演出することが上手かったので、おぼっちゃま育ちの主力役員氏はその外見に騙されていたのだった。

 私の上司がその場に私を呼んだのも、ある意味、演出だった。
 彼は私に「凄い人なんぞオレは」とアピールし続けたが、私はそれまで「芸能界の大物」の世界にいたので、彼のアピールが全く理解できなかったのである。全然「ええ!!すっごーい」って言えなくてさ。

 当然、主力役員氏は「え?ミヤノさんも同席?」って戸惑っていたが、うちの社長が「この人、前職の芸能界ではけっこうディープな世界にいた人なんだよ」と軽くというか「かなり大げさ」に説明したら、「そういう濃い話に慣れてる人なら、まあ、いいや」という感じで話始めた。

 それでわかったのだが、その会社の出資者というか影のオーナーは、日本有数の大企業の創業者一族の誰かだったのである。
 その当時は「あの有名創業者の孫?」と思ったのだが、今から考えると息子だったのかもしれない。そのあたり、ちゃんと覚えてない。

 しばらくは、その主力役員氏から「あの坊っちゃんの相手が大変だ」という愚痴を聞かされた。
 でも、本当に大変なのは、その一族の資産管理している銀行の担当者などで、「こんだけ出資しても、いっこうに業績が上向かないのはなぜだ!」と厳しい追求を受けていたらしい。

 その時に、その主力役員氏が「会議室に入ったら、レイケイがずらりと並んでいて、みんなしてオレを攻め立てるんだぜ?」とか語っていたのだが、私はその時「レイケイ」っていうのは、そういう用語なのだとばかり思っていた。「提携」とか「メインバンク」とか、そんな感じの。

 しかし、その後、そんな用語に出会わなかったし、ネットで調べてみても、そんな用語が出てこなかった。
 私はてっきり「とある会社を一部上場させるまで主に世話する銀行」の名称なのかと思っていたけど、それは証券会社の仕事だったらしい。

 というわけで、20年くらいずっと、というか時々「あの時のレイケイ?みたいな言葉はなんだっただろうか?」と思い出していたのだが、先日、会社の休み時間にネットニュースをさまよっていたら、ソニー創業家・盛田家の没落と信用失墜 長男の事業ことごとく失敗で巨額損失という記事を見つけたので、なんとなく読んでいたら「げ、レイケイってこれだったんだ!」

 盛田家の資産管理会社だったんですかい。

 記事によると「93年、昭夫氏が病に倒れると、英夫氏は社長を務めるレイケイが保有するソニー株式を担保に、巨額の資金を調達し、さまざまな事業に注ぎ込んだ。だが、事業は失敗の繰り返しだった。」ってことだが、そっか、あの会社も失敗の一つだったんだろうね。
 まあ、他への投資の方が何百億とかなので、桁がかなり違うので、私が出入りしていた会社のことなんてどこにも名前が上がってなかったけど、そういうノリだったら他にもITベンチャー系に投資していたのかもしれないなあ。

 そう考えると、ほんと、あの事業、ちょっと早すぎただけで、もう少し遅く始めていればユーチューブとかニコニコ動画だったのに。

 私は自分の社長と早々にぶつかって(つーか、虚言ばかり吐いて全然金稼いでこないから)3ヶ月くらいでさっさと足抜けしてしまったので、その後どうなったのか知らないけど、いつの間にかそのベンチャー企業も無くなっていた。

 時折、思い出してはその時の社長の名前をググってみたら、相変わらずネット・ベンチャーみたいな所の役員に収まっていたりしたが、もうここ10年くらい検索しても名前が出てこない。別名でやってるだけかもしれないけど。

 あの時の、主力役員氏の名前は忘れちゃったので、ググることもできないけど、あの人はちゃんと頑張っていたから、そこそこ成功していてほしいな。

 そうそう、そんな私が耳にしてはいけないような話を上司が私に聞かせたのはきっと「ほーら、オレってこんな凄い会社で役員やってるんだぜ」ってアピールしたかったんだろうけど、残念ながら、私が前に働いていた会社の社長もソニーと肩を並べるような会社で出世して独立した人で、独立後もその会社のトップからの信頼も厚く、よく電話がかかってきたり、会食していたりしていたので、「えー、あの盛田家と関わりがあるんですか?すっごーい」とは思えず、逆にその話の本質である「この会社やばいじゃね?」ってことのほうが心に染みてしまったのであった。


4月21日(火)

●春への扉

 会社のゴミ集積所にゴミ捨てに行ったら、裏側の通用口の方から猫の鳴き声が聴こえたので「あ、また猫が出た!」(時々、出没する。去年だか一昨年は子猫が数匹出没した)と思ってドアを開けたら・・・・

 猫2匹が重なりあっていて「真っ最中」でした。

 私も「あ!」とフリーズしたが、猫二匹もギョっとして行為を中断して、私を丸い目を剥いて凝視しており、なんだか「夫と親友の浮気現場を偶然目撃してしまいました」な状況になった。

 けっこう距離があったので、猫は逃げずにいたのだが、彼女のほうが彼氏から離れようとするが、彼氏はそれを引き留めようとしつつも、私から目線外さずに警戒している様子が面白くて、スマホ持っていたら動画で撮影したかったが持ってなくて残念。

 そんで、そっと扉を閉めたのだが、すぐにニャニャニャとまた鳴き声がするので、もう一度開いてみたら、また二匹ともギョっとした顔をしてこちらを観るが、今度は体を離すことはしなかったので、「あ、ごめん、邪魔するつもりはなかったんだ」と、また扉をそっと閉じました。

 それにしても、あの二匹の「え?」って表情がかわゆすぎて、しばらくずっと思い出し笑いが止まらなかった。

4月20日(月)

 友人T嬢が「さすがにこの映画を一人で観に行くのはちょっとな気がするので、よかったら一緒に行かない?」と誘ってくれたのが、デュラン・デュランのライブをデヴィッド・リンチが監督したっていう映画でした。

 「なんだそりゃ?」と、どういう映画なのか全く想像できませんでしたが、「どの映画館でやっているのだろう」と調べてみても、映画館スケジュールに出てこないので「なんでじゃ?」と思ってさらに調べると、「TOHOシネマズ新宿」っていうのはなんと、コマ劇場跡地に出来る施設らしい。

 ぎょぎょぎょ、そんな映画がこけら落とし?って、まあ他はバードマンだとかコナンだとかドラゴンボールなのですが・・・・

 で、17日にオープンらしく、間近にならないとタイムスケジュールも出ないようだったので、その時は「この日とこの日なら」って空いてる日をT嬢に教えておいただけでしたが、それから2週間くらいしてT嬢から「土曜日の3時の回しか無理」とのメールが・・・
 「どういう意味?」と思って、私もスケジュール調べてみると、日によっても違うようなのですが、18日の土曜日は「午後3時 午後11時 午前1時」の三回だけしか上映しないって?

 午後11時と午前1時なんて、普通の人は帰宅できないじゃん。

 で、よくよく他の映画のスケジュール観てみたら、バードマンの24時間上映はいいとしても、コナンも夜中にやってるの?
 いくら不夜城歌舞伎町といえども、24時間営業のシネコンって需要あるんだろうか?
 入れ替えが無くて朝まで居られるなら「騒々しいカプセルホテル」な用途があるけど・・・・滞在時間が2時間程度だったらラブホ的な利用くらいしか思い浮かばないぞ?

 というわけで、土曜日に久々に歌舞伎町に行ったので、早めに行ってブラブラ散策したのだが、靖国通りには観光バスがずらりと並んで、旗持ったガイドさんの後ろをアジア系の外国人観光客がゾロゾロと歩いている光景に衝撃を受けた。
 まあ、ニューヨークに行ったらタイムズ・スクエアとか、アムスに行ったら飾り窓見物とかそういうノリなんだろうけど、昼間の歌舞伎町なんて面白いのかねえ?

 そういや私も福岡に行った時(日帰り野球観戦)、まだ明るい時間の中洲を通過してみたけど、昼間の中洲は間抜けな感じだったが、Vシネマに出てきそうな感じのギラギラしたスーツ着たコワモテのニーさんが道のど真ん中でべらんめー調の大声でケータイで電話していたので、「さすが中洲」という片鱗だけを感じることができました。

 歌舞伎町もコマ劇場より奥のキャバクラやホストクラブが立ち並ぶエリアでは「こーゆー人、こーゆーところにしか存在しない希少種だな」って感じの、真っ黒に日焼けしたホストとか、ケバい服装のキャバ嬢なのか風俗嬢なのか知らないけど、ともかくなんでそんな時間にいるのかわからないが(風俗店とかは今は昼間が主力なんだっけ?)、彼らのヤサグレ度合いは本物なので、そういう人達がちらほらと観光客に混じってというか違う次元にいるかのようにすれ違う昼間の歌舞伎町でした。

 あと、キャパクラの看板と同じくらいホストクラブの看板が並んでいたので、「へー」って思った。
 そして、「客引きは禁止です」という放送がずっと流れていて、煩かった。
 あと、コマ劇場跡地は、シネコンだけではなくパチンコ屋も入っていたので、そのオープンに負けじとなのか、いつもそうなのか、あちこちにあるパチンコ屋が集客に必死になっており、その呼び込みも煩かったが、前を歩いていたご夫婦はパチンコ屋が配るティッシュの品質を比較していたので笑った。

 それにしても、ほんとに久々の歌舞伎町だった。
 友人も「最後にいつ来たのか思い出せないけど、たぶん、リキッドルームがあった頃なんだよねえ」と言うので、私も20年くらい前は毎週のようにリキッドルームに行っていた時期があったよなあ、と懐かしく思い出す。

 コマ劇場もミラノ座も無くなったが、リキッドルームのあったその中間地点にあるビルはご健在でした。

 さてオープン直後のシネコンも混雑していましたが、私らが観たデュラン・デュランの映画も、8割くらい席が埋まっていたけど「この時間しか普通に観られる時間が無いんだから、そりゃ集中するよなあ」と。
 客層を眺めていても、若者はほとんど見かけなかったので、「深夜に映画観たがるような若者はそもそも、デュラン・デュランもデヴィッド・リンチも知らないだろう」とほんと不思議です。

 映画の方はね。
 ほんと、全然どういうものかわからずに観たのだが、てっきり、リンチ風に不気味に編集されてるのと思いきや、アメックスの企画で「ライブをネット中継して、それを有名監督が演出」っていうのだったらしく、実に真っ当なライブ映像でした。

 つーか、私が観た映像がそのままライブ中継されてたとしたら、凄いクオリティーだな。と感心した。(後からどの程度編集したのかわかりません)
 サイモン・ルボンが生であんなに上手く歌えるもんなの?

 私もT嬢もデュラン・デュランのライブに行ったことが無いので(T嬢はもしかしたら行ったことあるのかもしれないけど覚えてないらしい)、よーわからんかった。

 それに、こんなにデュラン・デュランばかり長時間聴いたこともなかったが、変な曲ばっかだなあ・・・・・あと、歌詞も変な歌詞ばっか。
 MTVの申し子っていうか、曲よりもプロモ・ビデオの印象が強いので、歌詞とか気にしたこと無かったんだなあ。

 友人T嬢が同世代の同僚に「こういう映画観に行くんだよ」と話したら、同僚が「デュラン・デュランってまだやってるの?」と言ったらしいが「そう言われてみると、デュラン・デュランって一度も辞めたことは無いんだよね」

 一時期、サイモン・ルボンは「デュラン・デュランの」っていうよりもスーパーモデルの旦那として有名だったりしたが・・・

 そして、ジョン・テイラーは相変わらず爽やかイケメンという感じで魅力的だったし、ニック・ローズはもはや「GACKTの理想的な着地点」としか言いようがない感じであった。で、ラストの曲「ガールズ・オン・フィルム」のイントロでサイモンが「気をつけろ!ニックが写真撮るぞ!」って言ったので、私と友人は大爆笑してしまったが、他にあまり笑う人がいなかったのが寂しかった。
 ニックが舞台の上から写真撮るのはかつては有名だったので。

 ジョン・テイラーは伊藤英明にしか見えなかったが、友人にそう言うと「理屈ではジョン・テイラーの方がいいのはわかってるんだけど、私は昔からサイモン派」と言うので、その話もずいぶん昔に語り合ったような記憶があるが(大学での飲み会の時とかに)、その時も今もやはり「日本ではジョン派が圧倒的だけど、欧米ではサイモンの方がいい男でしょ?」とか語ってるだけでもう、なんだか、20年?いや、30年くらいの時を駆け抜けているような変な心地。

 ほんと、「ガールズ・オン・フィルム」が「斬新なプロモ・ビデオ」として登場してから、30年経ってますからね。

 デュラン・デュランがこうやってマイペースというか実に平和な感じで活動を続けているのは、アーティスト・エゴが不思議と薄いのと、アメリカではそんなに大ヒット飛ばさなかったので、人生狂わなかったのかもしれないなあ。
 そして、昔のヒット曲も昔のアレンジのまんまでちゃんと演奏しているあたりが逆に凄いよなあ。

 さて、今日会社で「久々に歌舞伎町に行ったら、外国人旅行客がゾロゾロいて、ホストクラブが目立っていた」って話をしたら、「歌舞伎町ってそういうキャバクラとかが多い街なんですか?」って言われて「え?行った事ない?」って戸惑っていたら、神奈川生まれのお嬢さん方はほとんど行ったことないようで、ほんと「歌舞伎町って歌舞伎と関係あるんでしたっけ?」なノリでした。

 へー、そういうもんなんだ。
 そりゃ、私だってリキッドルームがなけりゃ、あんだけ頻繁に通わなかったけど、でも、その前は映画館目当てで行ったり、大学の飲み会とかもあったし・・・・でも、確かに神奈川県の大学に通っていたら、歌舞伎町なんて行かないのかもね。

 コマ劇場前の広場はなんの工事なのか柵で囲われていましたが、かつて・・・・30年ほど前、ラグビー早明戦で勝った方があそこで大騒ぎしていいというルールがあって、あたしら明大生はあそこに大集合して「天皇陛下万歳」って感じで旗降って「おーお、めーいじー」って校歌歌ってバカ騒ぎしておりました。

 かつてコマ劇場前には噴水があったんだけど、早明戦後のバカ騒ぎで破壊されたので、今は噴水は無い、と先輩に教えてもらった。

 かつて、慶應は勝つと銀座を荒らしていたという噂を聞いて「さすが慶應」と思ったのですが、早慶戦で勝ったら早稲田はどうしていたんでしょうね?

 そういう経験しているので、サッカーの日本代表の試合があると、渋谷のスクランブル交差点に大集合っていうのは「わー、懐かしい」って思っていたので、若者にはそういうバカやらせてあげようよ、って思うんですけどね。

 だって大昔の旧制中学の時代とかもっと酷かったらしいし。

 って話が逸れてきたが、そういや、歌舞伎町を一人でうろうろしていたら、私の父くらいの年齢のおじちゃんに「時間あったらお茶でもどお?」ってナンパされたwww
 歌舞伎町恐るべしwww

 そういや、20歳くらいの時も、昼間に一人で映画観に行くとよくナンパされたっけなあ。
 あれから30年、まさかナンパされるとは思っていなかったのでびっくりしたけど、「え?こんなお爺ちゃんが?」っていうのは、やっと日本もフランスとかスペインのレベルに到達したってことなんでしょうね。

 映画が終わったのが5時くらいで、それから居酒屋で飲んでいたので、10時まで5時間くらい居座っていたら、お会計が一人8000円くらいになってしまいました。(500円のサワーを30分おきにお替わりしていたらそうなりますよね)
 チェーン居酒屋で8000円って・・・普段だとコンサート終わりの9時から11時の2時間くらいしかいないから二人で1万円超えることもほとんどなく、たいていは二人で7000円くらいなので「映画が中途半端な時間にやるから、居酒屋で居座って散財しちゃったじゃないの」と私も友人も小金に困ってないから失笑しただけですけど、その居酒屋もけっこう混んでいたので、「世の中、なんだかやっぱし景気よくなってるの?」と、ちょびっとだけ思いました。


4月17日(金)

 今週は久々に仕事が忙しく、今日の午後にはすっかり電池切れでした。

 そんな最中、やっとニコ生で野球中継観ようとしたら「フラッシュのバージョンが古いから観られません」って言われて大ショック。
 いや、かなり前からバージョンアップしろしろ言われていたんですが、OSのバージョンが古いのでアップグレードできなくて・・・

 ええと、てゆーことは、まずOSのバージョン上げないといけないのだが、どうすりゃいいんだとアップルストアを訪れてみたら、2500円くらいで出来るようだったが、それを注文するためにはアップルのIDが必要らしく「なんだそりゃ?」と全く記憶になかったので、「ID忘れました」と言ったら「じゃあ、調べてあげるから氏名とメアド入力しろ」と言うので、その通りにしたところ「IDが登録されてないので、登録してください」と言われて・・・・何もかも面倒になったので放置。

 昭和女にはキツいなあ、こういうの。

 このパソコンも、もうかなりのご高齢なので、そろそろ買い替えも考えないといけないし・・・はあ・・・・めんどくせ


4月13日(月)

 大河ドラマ「花燃ゆ」の視聴率が一桁代になったそうで・・・

 私も全然観てないし。
 でも、女性が主役モノは「篤姫」や「八重の桜」はかなり熱心に観ていたので、「花燃ゆ」にも期待して初回は観たんですが、だんだん途中で「ビフォー・アフター」に替えてしまうようになり、今では最初から「ビフォー・アフター」です。

 前にも書いたが伊勢谷友介が苦手なのと、大沢たかおがそれほど好きではないのが大きいが、それよりも、井上真央に全く魅力を感じられなくてさ。そういえば、井上真央が出演しているドラマを観た記憶が全くないし。

 しかも「花燃ゆ」での井上真央の役柄は、控えめで地味な感じだったので(今はどうなってるのか知らないが)観ていて鬱陶しい気分になってしまったのであった。
 「篤姫」では宮崎あおいの笑顔にノックアウトされてたし、「八重の桜」では綾瀬はるかになんだか引き込まれてしまったし、綾瀬はるかに関しては「今日会社休みます」もチラっと観てみたら、なんだかずっと観てしまった。

 少し前まで「この女優が出てるとなんか観ちゃうな」っていうのは、深津絵里だったな。

 そういや女性主役の大河ドラマでも、やはり期待していたのに観なかったのは上野樹里の「江」だったなあ。
 あれは、トヨエツの信長が出てきたあたりで早々と脱落してしまった。

 私はどうやら信長や秀吉が出てくる時代劇が楽しめないらしい。「軍師官兵衛」もそれがダメだった。つーか、戦国時代が苦手なだけかも。

 「花燃ゆ」も、伊勢谷友介演じる吉田松陰役が沢村一樹で、大沢たかが演じている役が田辺誠一だったら、もうちょっと頑張って観ていたかもしれない。だったら主演は多部未華子ちゃんだ(笑)

 さて、逆に毎日ちゃんと観ている朝ドラ「まれ」の方は、かなり楽しんで観ています。
 「あまちゃん」以來の現代劇だし、設定もほぼ「あまちゃん」なんですが、クドカンほど悪ノリはしていないので、ある意味「クドカンがお手本にした王道」なんでしょうね。

 私のイチオシポイントは「主人公の恋人役の子がかわゆすぎる」でしょう。
 見覚えのある子だと思っていたら、「弱くても勝てます」で秀才野球部のキャプテン役の子でした。あのドラマ、あんま評判も視聴率も良くなかったけど、私は原作読んでいたので「原作のテイストをなんとか上手く落とし込んだなあ」って評価していたのですが、まあ、ニノがけっこう好きっていうのもありましたけど(笑)

 それよりも、ルーキーズもそうだったけど、ああいう「高校生役の若手俳優大集合」っていうドラマは後でブレイクする役者さんが出てくるので「青田買い」というか「この中から誰がブレイクするかなあ?」と自分では何もやらない育てゲーというか、野球の2軍の試合観に行くような楽しさがあるわけです。

 さっそく、ジャニーズの平成ジャンプ(そういう表記じゃないけど)の中島裕翔君が杏と長谷川博己主演の月9で三番手演じて、一歩リードしたけど、すかさず山崎賢人君が朝ドラのヒロイン相手役という福士蒼汰的ポジションをゲットしました。

 主人公の友人には、高畑淳子の息子も混じっているようですが、注目は日経新聞のCM「田中電子版」の田中君が今のところセリフがほとんどない役で伏兵として控えているところでしょう。(横浜編になったらハジけるらしい)

 そして、なんと言っても田中裕子が素晴らしい。
 田中裕子がおばあちゃん役っていうっていうのに少し驚いたけど「あー、こんな60歳になりたいなあ」って心底憧れてしまいます。

 その他、脇役の地元の人達も、塚地に篠井英介にガッツ石松と、「あまちゃん」を彷彿させるなんだか豪華なメンツだし、NHKドラマではなぜか輝く鈴木砂羽も出ているし、そこに加わるしょこたんもなかなかいい味出してます。

 あとNHKはいつも板尾創路の使い方が抜群に上手いので感心してしまいます。
 決して演技が上手いわけではないのですが、いつも妙にハマる役で出てくるような気がするし、今回は板尾の父親が中村敦夫っていうのも、すごいドンピシャ感ですが、その中村敦夫の同級生の爺役として田中泯が田中裕子の夫役っつーんですから「すごいよNHK」と、今までもずっとちゃんと受信料払ってきたけど、これからもちゃんと払う気満々なのでした。

 あとNHK信者としては「ブラタモリ」の復活も楽しんでます。
 タモリが「笑っていいとも」から開放されたので、地方ロケが可能になったのですが、地方都市いいですね!長崎編堪能いたしました。

 そのうち「世界ネコ歩き ミーツ ブラタモリ」なんて企画ありそうだにゃ(笑)


4月11日(土)

 中学校の元校長がフィリピンで児童買春していたというニュースがあった。

 最初そのニュースの見出しだけしか見てなかったので「1万2千」という数字はてっきり金額だと思っていたので、「フィリピンも経済発展してきたから、ずいぶん値上がりしてるなあ」と思いました。(笑)

 ところが、後でちゃんと見てみたら「1万2千人」っていうからびっくり!

 えーと?1日に1人としても、年300人?10年で3千人?としたら40年かければ1万2千人くらいになるが、それはあくまでも計算の話というか、まさに「机上の」ってやつでしょ?

 というわけで「教育者のくせにけしからん」という気持ちよりも、「その数字本当なんですか?」って気持ちの方が強かったのだが、さらに、その元校長が横浜市の教員だったことがわかったので、「こ、これは・・・」と思った。

 さっそく出勤するとエビワカちゃんに「うちの会社、横浜市出身者多いから、教え子がいる可能性あるよー」と語ると、エビワカちゃんは「でも、中学の校長の名前なんて覚えてます?」と言う。
 さらに、そばにいたM嬢も「たしかに、校長先生のことなんてあまり覚えてないなあ」と言うので、「えー?そう思うわけ?」とそっちのほうが驚いた。

 私が頭の回転がよくて、エビワカちゃんが普通なのか、それとも私が普通で、あっちがトロすぎるのかわからないけど、私が二人に向かって滔々と「元校長だからって、校長や教頭だった期間はせいぜい50歳から定年までで、その前までは普通の教師で担任持ってたりしてたはずで、教え子の数は膨大な人数になるはず」と説明したらやっと「ああ、なるほど」と納得してくれた。

 それに中学教師の場合、クラス担任とは別に教科の教師として何クラスも受け持ったり、部活動の顧問もやったりするからねえ?

 そんな話しをしていたら、他部署の部長が所用で総務にやってきて「そーいや、ニュースになってる元校長って、オレの中学校の時の担任だったんだよー!!!」って言うので、「いきなり、キターっっっ!!!」って私は大爆笑してしまいました。

 最初、テレビのニュースで観て「もしかして、この名前・・・」と記憶が蘇ったのだが、その後、中学校の同級生で今でもメール交換している友人からも「もしかして?」とメールが入り、「やっぱ、そうだよなあ?」と大盛り上がりしたらしい。

 その元校長が若手教師だった頃の教え子だったそうです。

 前に日記に書いたが、中学教師同士で結婚した私の叔父と叔母はどちらももう定年退職していますが、自宅をリフォームする際に「近所の業者に依頼すると教え子が出てきたりして面倒」というか、あまりキレイにしてないので、知り合いに見せたくないと思って、遠方の業者に依頼をしたのだが、工務店は遠方でも電気工事やら塗装工事やらの業者は地元から来ていたので、「なーんだ、◯◯先生じゃないですか!言ってくれれば安くしたのに。でも、だったら見積もりよりもいい材料使っておきますよ」と支払った金額よりもランクの高い素材でリフォームされてしまったらしい。

 夫婦で教師だったから、教え子も倍いたので、住宅リフォームに出入りしてくる業者の中での教え子ヒット率も高かったようだ。

 叔父達も潤沢な予算があって建て替えでもするのなら最初から教え子にお願いしたのだろうけど、「少ない予算で最低限のリフォーム」だったから知り合いを避けたのに、結果的に「ケチくさい予算が教え子にバレて、利益度外視のサービスしてもらっちゃって、教え子に迷惑かけた上に恥もかいた」ってことになってしまったようだ。

 まあ、叔父夫妻が「いい教師だった」っていう遠回しな自慢話でもあるんだけど。

 そんなわけで、他にも「あの人の教え子だった」っていう社員が名乗りでてこないか楽しみにしていたんだけど、今のところあの部長だけでした。

 しかし、日本人学校でフィリピンに赴任したのがきっかけだったらしいけど、その後も頻繁にフィリピンに行っていたらしいが、教員としての休みを利用して行っていたのだろうから、「みだらな行為」はともかく、写真撮るだけでも大忙しだったでしょうね。

 写真を番号で整理していたので「1万2千人」って数字出てきたのだと思いますが、1万達成した時は嬉しかったんだろうなあ。そんで、老後の楽しみは2万達成だったのかも。

 私が10代や20代前半の頃は、日本人のオジサンたちによる「東南アジア売春ツアー」がけっこう取り上げられていたので、そんなに目新しいニュースでもなかったのですが、今の20代や30代の人はそういう時代を知らないようだった。

 そういや、また増加してきた中国人観光客が日本で買い物三昧ってニュースもありましたが、私の世代だと「あー、日本人もかつてパリでブランド店を荒らしていたっけ」と遠い目になりますが、下の世代はそういう時代知らないので、そういうの語り継ぐべきことなのか迷いますが、おしゃべりなので「あの頃はさー」って聞かれてもないのに喋りますが、イマイチ伝わってないというか、例えば「友人が同行していた友達に付き合って、ミラノでアルマーニの店に行ったら、店員が『日本人はなんでネクタイばかり大量に買うのか?』って質問してきて困った」なんて話をしても、下の世代はアルマーニが当時どんだけ流行ったか知らないんですよね。

 逆に「なんでネクタイだったんですか?」って聞かれたので「ネクタイはサイズ選ばないから、ばら撒き用お土産として重宝された」って説明すると、「なるほどー」

 私が20歳の頃、初めて海外旅行してパリに行って、フォーション本店に行ったら、日本語で「アップルティー」って書いた案内板が出ていたので、どうやらフォーションのアップルティーが人気おみやげ品だったらしい。当時はフレバーティーなんて珍しかったんだろうね。

 大学生の頃、海外旅行に行った人のお土産の定番は「マルボロ・メンソール」だった。日本では販売してなかったので。

 社会人になってから、アニエス・ベーの化粧品がパリ土産として人気だった。日本では販売してなかったので。

 あの頃、円高もあってイギリスのボディーショップの店に入ると、日本よりも安かったので、いつも使っていた商品を買い溜めたりしたけど、重いわりには「このヘアクリーム1本が日本より100円安い」程度だったので、せいぜい2本くらいしか買わなかった。
 ただ、ボディーショップでも日本で売ってない商品がけっこうあったので、会社の同僚へのお土産に重宝したよ。

 30歳くらいになったら、「海外でしか手に入らない」っていうことがあまり話題にならなくなったし、有名ブランド店も経営が変わり、「アジアの富裕層に売らんかな」になってきたので、ヴィトンがグラフィティーシリーズ出したあたりなかあ?「なんか日和ったな」と思っていたら、コーチが定番路線を脱却して「ギャル受け」路線になったあたりで、なにがなんだかわからなくなりました。

 中国人観光客は日本で買い物を楽しんでるようですが、日本ではかつて「香港に買い物」が流行したことがあったので、そんなノリなんでしょうね。
 そして皆忘れかけているけど、「韓流ブーム」の少し前に「ソウルで買い物」っていうのが流行ったんですよ。

 そういや、この間、美容院に久しぶりに行って、馴染の美容師と喋っていたんですけど、韓流ブームの前には時々新大久保のコリアン街に遊びに行っていたそうなんですが、韓流ブームの時には原宿みたいになってしまったので避けていたのですが、「下火になったから空いてるよ」って聞いたので、行ってみたら「けっこう混んでました。予想以上に」と言っていた。

 「ブームは下火」と書き立てられているが、ブーム以前にまでは戻ってなかったようです。  
4月6日(月)

 朝のニュースで「こちらも新入社員です」ってノリで研修医の実習風景が紹介されていたが、それが自治医科大学だった。
 「へー、自治医科大かあ」って観ていたら、なんか急に昔のことを思い出した。

 前に勤めていた会社はオーナー社長の他に「社長」と呼ばれているオジサンが出入りしていた。
 それはただのアダ名ではなく、そのオジサンが本当に社長だった時期があったらしい。
 オーナー社長は元々は大企業の社員だったため、在職時には自分で会社を興せなかったので、そのAさん(ほんとにその頭文字)を雇われ社長にして会社を作ったらしい。

 Aさんと元々どういう繋がりだったかは知らないけど、信頼が厚かったことは間違いないだろう。
 Aさんがなんでその業界にいたのかも知らないけど、社長の座は退いても、東京に出てくるといつもうちの会社に寄って茶飲み話していた。彼は東京から2時間くらいの距離の田舎町が本拠地で、自分でも「オレは田舎の油屋だあ」って言っていたけど、ガソリンスタンド経営していたり地主だったりして、そこそこの資産家らしかった。
 まあ、そういう所も「雇われ社長」というか「お飾り社長」としては適任だったのだろう。社交的で気取ったところがなく(どっちかというと朴訥さを売りにした吉幾三系)、裕福な家で家業継いで金には困っていないのだから変な野心を抱く心配が無い好人物だったのだろう。

 そのAさんがよく自慢していたのが息子さんのことで、あの当時、Aさんは60歳くらいに見えたが、私が若かったからそう見えただけで、まだ55歳くらいだったのかなあ?でも、息子は高校生だったので、遅く出来た子だったのだろう。
 Aさん曰く「オレはこんな頭わりぃのに、息子はなんだか出来がよくってさあ」と周囲の人達からも「とんびがタカを産んだ」とよく言われていたらしいが、その秀才の息子がどーしても東京の高校に行きたいと言うので・・・・いや、違ったかも、もしかしたら地元のトップ校に不合格だったので、二次募集している私立高校を探したのだが、二次募集するような学校のレベルはそう高くなかったので、神奈川にある有名私立高校に入れたんだっけ?

 その高校は甲子園にも出場するが、東大合格も出すという表向きは文武両道な感じだが、実際は文担当生徒と武担当生徒がいるってだけの私立のマンモス校にありがちなスタイルの学校であった。(最近、ニュースになった大阪桐蔭もそいう学校モデルを構築してました・・・って、あ、ボカしたのに半分実名言っちゃったwww)

 まあともかく、寮に入れてまで有名校に入れたのだが、学校名を言うと皆「えー、名門校じゃないですか」と「すっごーい」って言ってくれるのでAさんは嬉しそうだった。
 ところが息子が大学受験の頃になると、Aさんの顔がちょっと曇った。
 「あいつ、自治医大受けるって言うんだよ」

 「えええええ?最難関じゃないですか?そこ受けるつもりだったら、別に他の医学部でもいいじゃないですか?」って聞いてる私達も驚いた。
 医学部に縁の無い私でも「自治医大や防衛医大は学費がタダなので超難関」ってことは知っているし、親がそこそこのサラリーマンだったら、その学力があるのなら他の国立医大を目指すだろう。

 それにAさんの経済力だったら、私立医大だって大丈夫なんである。
 だから逆に「資産家の家に生まれた息子さんがうっかり自治医大に受かってしまったら他の貧乏人の子のチャンスを奪ってしまうのでは?」とモノ申したくなるような話しだった。

 その後も時々Aさんの話しを聞いていると、息子さんには会ったことが無いけど、息子さんは「田舎の資産家」である父親から自立したくてあがいているようだった。
 その頃、25歳くらいだった私には、思春期の記憶も鮮明だったので、なんとなくその雰囲気が理解できるような気がした。

 Aさんは、私らからしてみれば気のいいオジサンであったが、その土地柄からしてみても家長制は強そうだったし、秀才の息子からしたら「ろくに教養もない親爺が先祖伝来の資産をバックに田舎の人付き合いの中で偉そうにしている」っていう呪縛から少しでも遠ざかりたかったのかもしれない。

 なので、本当に医者になりたかったのかどうか知らないけど、父親が属している世界とは真逆の「自治医大」という概念を発見してしまっただけではないか、と思った。

 父親を乗り越えるために、ものすごーく高いハードル置いたのだが、やっぱり受験は失敗して、浪人することになった。浪人は当時は当たり前だったのだが、息子さんはそこでも精一杯「父親離れ」を画策したらしく、代ゼミや駿台には入らず、少し格下の予備校に特待生として学費をかなり免除される待遇で入ったらしいが、その予備校は都内にあったので、下宿代は実費だったから、Aさんは「そんな特待生にならなくても、予備校代くらい払えるのに」と嘆いていた。

 そんで、予備校生活が始まったら、今度は「やっぱ医者はいいや」ってことになったらしく、Aさんは「わけがわからねえ」と愚痴っていたけど、その後どうなったんだっけなあ?たしか、一浪しても大学入れなかったような記憶があるけど・・・

 そうだ、当時私はこう解釈していたのだ。
 息子さんは小中学校で超成績が良かったので、父親も「なーんで、オレんちにこんな頭のいい子が?」って自慢しまくっていたので、本人もそのつもりでいたら、高校受験に失敗したことで、親を裏切ったことへの自責があったのだろう。
 それで高い金払ってもらって有名私立校に進むことになったので、「大学では一切負担かけないし、しかも超難関」って帳尻合わせるために自治医科大なんて言い出したのだろう。
 それが無謀な挑戦だったが、それも失敗したら、自分が何目指していたのかわかんなくなっちゃったんでしょうね。

 「家が貧乏だったから自分は思うように進学できなかった」という恨みを吐いていた友人はいましたが、親が裕福なのに、なんか上手く行かない人っていうもいるんですよね。

 その息子さんは「ゆくゆくは家業を継ぐ」っていうのが絶対に嫌だったのかもしれないけど、私の大学の先輩にも「地方都市でそこそこの事業やってる家の息子」っていうのが2名いて、バブル期就職でしたので、どっちもけっこう有名企業に就職したけど「就職活動の時に実家が会社やってるってわかると不利になるのかな?」とかちょびっとだけ悩んでいました。跡継ぎだってわかると会社に敬遠されるのかされないのか、よくわからなかったのです。

 そのうちの一人は、「オレは家業は継がない。メガバンクで重役目指す」と言っていましたが、お父様が亡くなったのか体調不良だったのかわかりませんが、せっかく入ったメガバンクを20代で辞めて家業継いだと風の噂で聞いた。銀行マンとしてそこそこ成功しそうな人だったが、温厚で堅実な人柄と「要所要所ではったりきかせられる」という滅多にいないタイプの人だったので、家業継いでも活躍していることと思います。メガバング勤務経験が経験にもなり勲章としても作用しただろうしね。

 もう一人は保険会社でかなり身を削って働いてましたが、彼は「会社勤めは修行。オヤジが衰えたら故郷に帰るから」と、いい意味で腰掛け社員になっていました。
 あっちも「大手保険会社で営業成績トップもとったことあるんですが、オヤジが病気になったので泣く泣くこっちに帰ってきました」って実績欲しかったんだろうね。

 そういや、その二人がなぜか記憶に残っているのは後輩にもエゲつなく営業していたからである。
 成績あげるために後輩に頭下げて(&けっこう奢って)、保険に入ってもらったり、銀行の口座やクレジットカード作ってもらったりしていた。
 そういう営業方法は長続きしないのだが、「いずれ家業を継ぐ」という彼らは、それでよかったみたいです。

 大事な跡継ぎを東京の大学に出すのなら、あのくらい洗脳しておかないとねえ。ってバブル期の話しなので、今だとどうなってるのかなあ?


4月4日(土)

 神宮球場で東京六大学と社会人野球のオープン戦があるので、土日のどちらかに行ってみようと思っていたが、日曜日は雨予報になっていたので、「じゃあ、今日行かないと」と朝準備していたら、なんか雨音がしているようなので窓を開けてみたら、けっこうちゃんと降っていたので「えええええ?」って驚いたが、レーダーで確認したら降っているのは都内のほんの一部だけだったので試合は中止にならないと踏んだ。

 試合開始は11時だったが、第一試合は東大だったので「投手炎上で長引きそう」と予想していたから「10時に家出て、11時半に神宮着けばいいか。10時半出発でもいい」と準備していたのだが、結局雨が上がったのが11時くらいだったので、神宮球場に着いたら12時半を回っていた。

 試合は5回くらいで、6−1で社会人のJFE東日本が勝っていたのは普通の経過だが、その後は東大が無失点に抑える回もあったり、1失点に抑える回もあったりで、それなりに順当に進んでいたのだが、9回にマウンドに上がった東大の投手が連打されて全然アウトがとれない状態になり「この試合、いつ終わるのだろう?」と遠い目になっていたら、監督も諦めたようで投手を交代させてやっと試合終了した。

 ちなみにその炎上しちゃった投手は早大本庄出身でしたので、早稲田のせいにしておこうか?(笑)

 しかし、今日は日も差さないし、風もかなり強かったのでほんと寒くて「念のため」と持っていったカイロが役にたちました。

 第二試合は富士重工業と明治。
 富士重工業の先発投手が西嶋で、明治出身なんですが、へー、ここにいたのか。
 西嶋が明治にいた時のエースが現在広島にいる野村なので、西嶋もドラフト候補には上がっていたが、指名は無かったんだよな、確か。

 ネットで調べてみたら、「そーだ、マイナーリーグに行ったんだ」と思い出した。
 その後どうなっているのか知らなかったが、2010年にドジャースとマイナー契約して、2011年からアメリカの独立リーグにいたらしい。
 そこもクビになって2013年に日本の社会人野球の熊本ゴールデンラークスに所属して、今年から富士重工業に移籍したらしい。

 西嶋は187センチの大型左腕だし、それなりにいい投手なんだが、「あと、もう一歩」って感じが大学時代からあったけど、今日も後輩達にポンポン打たれていたので、オープン戦といえどもイマイチ感が強かった。
 プロを目指しているのなら、今年あたりがラストチャンスだろうから、頑張ってね。

 明治の方は、去年の秋の試合観て「いい投手いっぱいいるじゃん」と思ったが、今日も柳が登板してきたので「そーそー、柳とか」って思いだしてきた。
 西嶋と同じく、柳も横浜高校出身の投手である。

 横浜高校って、松坂大輔を筆頭に、成瀬や涌井などのエースクラスの投手は高校からプロに進んでいるので、私はなんとなく横浜高校から大学野球っていうコースに違和感感じるのだが、現ベイスターズの後藤武敏は法政大からプロ入りしたらしい。

 でもやっぱし、多村も福田(中日)も筒香も高卒でプロ入りしているので、大学に進んでから成功した選手の方が少ないみたい。
 意外なことに、荒波って成瀬と同期だったけど、東海大学、トヨタ自動車を経てのベイスターズだったのね。

 で、横浜高校出身の柳投手であるが、うちの会社に横浜高校OBで「横浜高校至上主義者」である社員がいるのだが(野球部ではなかったらしいのだが)、彼は高校野球では横浜高校にしか興味が無いので、横浜高校が県予選で敗退すると自動的に彼の甲子園は終了するので、本大会の甲子園の話題降っても「はあ?なんの話しですか?甲子園?そんなのやってるんですか?」って本気ですっとぼけるのである。

 彼の野球の話題は横浜高校か、その出身者がプロで活躍した話しに限られているだが、去年、柳投手を神宮で観たので「明治に横浜高校の投手いるんだね」と話しかけたら「柳でしょ?彼は絶対にドラフトにかかりますよ」と自信満々だった。

 私は逆に横浜高校でそれだけの逸材だったら、なんで大学に進学したんだ?って思ったんだけどね。

 柳は去年観た時にも「投手にしてはガッチりしてるなあ」って思ったけど、今日観たらさらに下半身がガッチリしていてスラッガーみたいな太ももしてました。
 今日の出来はまあ、フツーでした。

 ところが柳の後に上原という投手が出てきて「あー、この子も去年観た。広陵の子だ」と、去年までのエースだった山崎はオリックスにドラフト1位で指名されましたが、次のエースが上原で、広陵出身ということで「野村と同じ」ということもあるし、広陵の先輩が去年のドラフトの目玉だった早稲田の有原だったりと雰囲気的にもいい感じなのですが、とにかく身長も190あるので目立ちます。

 しかし試合途中から出てきたこともあったのか、先頭打者にホームラン食らった後も球が高いのか簡単にヒットされていたので、「来週の六大学の開幕大丈夫なのか?」と心配になる投球内容でした。

 上原の前に出ていた斉藤という左投手が、スリークォーターでなかなかの技巧派のようだったので、地味ながらも光っていたのですが、桐蔭学園出身で、桐蔭が神奈川大会の決勝で惜しくも桐光に敗けた時の投手だったらしい。その時の桐光って言ったら、現楽天の松井君ですよ。

 4時くらいまで頑張って観ていたのだが、さすがに寒くなってきたので、上原が登板していた6回で退散しました。結果は5−1で富士重工の勝ちでした。まあ、練習試合だし先輩に花持たせないとね(笑)

 ところで神宮球場は客もまばらでシーンと静まり返っていましたが、お隣の秩父宮ラグビー場では7人制ラグビーの試合やっていたので、っていうかそっちは国際大会だったので頻繁に大歓声が上がっていたし、近所のHUB(老舗の英国パブ風居酒屋)も外人客で賑わってました。

 神宮外苑って、あっちでもこっちでも試合やっていたりするので、隣からの大歓声が聴こえてくるのもまた楽し。なんですよね。
 何年か前、ヤクルト戦観ていいたら、国立競技場から花火が上がってロックコンサートやってたんだ、って時もあったっけ。そっか・・・・もう国立とは被らないんだよな・・・・って思っていたら、なんと神宮球場もオリンピック後に建て替えするって発表があって、「えー?大学野球とスワローズはその間、どうすんの?」と不安です。

 計画案だと、まずラクビー場の方を壊して、そこに野球場を新設して、野球場の土地にラグビー場新設するらしいのですが、国立競技場を含めて、あちこちリニューアルされた神宮外苑の全貌を私は生きて目にすることができるのでしょうか?

 ところで今年はじめて神宮球場に入りましたが、あちこちにスワローズのポスターが貼ってるのですが、真中監督を中心にしたポスターに違和感というか「くそコラにしか見えない」と思いました。
 まだ実際には観てませんが、私のピロヤス君(田中浩康)がライトスタメンとかやってるらしい。今日はなんと横浜の山口に頭部危険球浴びたらしいですが。

 そういやオリックスもナカジがファーストだったので「えええええ?」って思ったりした。
 そもそも、オリックスについてはやっとセンター糸井が馴染んできたのに、今度はサード小谷野になったもんだから、「変化に弱い」私にはついていくのが大変です。

 しかし「今年こそ優勝だ!」って勢いだった広島やオリックスが最下位スタートっていうのもなんですが、まだまだこれからですからね。

 さて、そんな私はいつプロの公式戦観ようか、全くノープランですが、今日みたいなアマチュアのオープン戦なんて地味なもん観てしまうと、「応援の鳴り物無いから野球の本当の音が聴こえる」のが心地よくなってしまうので・・・・プロでもやっぱ1軍よりも2軍狙いになってしまいそう。


4月3日(金)

 春の陽気にボヘらーーーっとしているうちにいつの間にか4月。

 そういやカラスがすっかり活発になり、近所のゴミ捨て場を荒らし回っていて、ゴミ収集の人達が大変そうだが、「ネコの発情期がまだだな」と思っていたら、さっき隣の家の軒下で小汚いノラ二匹が赤ちゃんの鳴き声みたいな声を出しながら睨み合っていました。

 ネコの求愛行動ってなんであんなに可愛くないのでしょうか?

 恋愛関係以外のことは、何やってもたいてい可愛いのにね?

 そういや、他のネコ科の動物ってどうなんだろう?
 そう思って、ユーチューブでライオンの交尾の画像を見ていたら、オスが盛大に咆哮していたけど、わりと平和な感じで「なにこの、つまんないアダルトビデオみたいな」と思ったが、私はアダルトビデオには詳しくないのであった。(でも、その昔、深夜番組が超エロかった時期にはよくダイジェストというか紹介を観たけどね。黒木香の時代です)

 そういや(連呼)、昨日は「自閉症啓発デー」だったらしく、ピンクリボン活動みたいなノリでいろいろやっていたみたいだが、自閉症もねえ、私は多少というかけっこう興味あるからそれなりに知ってるつもりでいるけど、全然わかってない人は多いからなあ。

 うちの会社では障害者雇用で軽度の自閉症の子を雇っているけど、最初その子をお試しで配属した部署のベテラン女性社員が「ちょっと無理です」って言っていたらしいので、あれは偏見っていうよりも自閉症の人に全く接したことがなかったからどうしていいのかわからないし、相手は無表情で怖いし、ってだけだったのだと思う。

 先日、うちの妹と話していたら、妹達がよく行く児童館にもたぶん自閉症らしい子がいて、「他の子と遊ぼうとしないし、そもそも他人に全く興味なさそうなんだよね。まだ3歳くらいなのでわからないけど、あれは多分そうなんだと思う」と言っていた。

 さらに妹が言うには「自閉症って文明病らしい」

 それは私には初耳だったので「え?どういうこと?」ってさらに聞いてみたら、妹曰く「自閉症が発見されたのはごく最近のことで、どうやら出産を病院で行うような地域にしかいないらしい」

 でも、ほとんどの精神病なんて、ここ100年くらいに定義されていると思ったのだが、調べてみると自閉症っていうのが報告されたのが1943年というから、分裂病なんかに比べたら断然新しいのかもしれない。
 でも、発見というか「分類」されてないだけで、前からあったんだと思うんだけどなあ。

 ただ、大昔は全部「白痴」とか「キ◯ガイ」で括られていただけだろうさ。

 前にも書いたが、エビワカちゃんの娘さんは普通学級に馴染めず登校拒否気味だったので、支援学級にいるようだが、エビワカちゃんが「うちの子、きっと自閉症なんです」と嘆いていたが、「あー、昔ながらの間違った自閉症の用法が未だに引き継がれてるんだ」と思ったっけ。私が若かった頃は「自閉症」って今の「引き篭もり」だったり「コミュ障」って意味だったからね。
 分裂病と多重人格が混同されてたように。

 「アナと雪の女王」を私は観ていないが、友人にあらすじを説明してもらったら「それってレインマンじゃん」って思った。
 たぶん、私が自閉症の事を少しだけ知ったのは映画「レインマン」だったのだと思う。
 あれもちょっとサヴァン症候群入ってたけど、「自閉症入門」としてはいい映画だったのではないだろうか?

 会社で数名の自閉症スペクトラムの社員と接してわかったのだが、すごく当たり前のことだけど「自閉症の人もいろいろ性格違うね」ってことである。

 本で読んだアスペルガーの人達は食べ物の好き嫌いがはっきりしている人が多かったが、うちの社員であるS君は好き嫌いが多くて、ある時、会社の忘年会をビュッフェ式にしたら「好きなものだけ選べる」と大喜びしてはしゃいでいた。
 S君よりも2年下のO君は特に好き嫌いは無いようで、部署の飲み会の居酒屋で出てくるものは何でも食べるらしかった。

 S君とはあまり接点がないが、O君はこっちの事業所にいるので、たまに総務に提出する書類があるのでやってくるが、O君が提出する書類といったら扶養控除申告書とか健康診断の申し込みとか有給休暇の書類などで、その担当は全部M嬢なのだが、M嬢が「自主遅番」でフレックス制を活用した遅めの出勤が多く(午後1時ジャストに出勤してくることもしばしば)O君が書類を提出しに来てもM嬢がいないことが多い。

 ただ、O君は、書類を提出する際に伝えたい用件があると、それを伝えるべく相手が不在なので、私が「じゃあ、書類は預かっておくよ」と言っても一緒に伝えたかった用件を留めておくことができないようで、書類預かった私に「それでですね・・・」と延々と要領得ない話しを始めるので「あ、それはMさんに直接話せば?」って言っても途中で止まれないので、しょーがないから全部聴くが、O君はバカではないので、私がその担当はないのもわかってるし、私が「じゃあ、それMさんに伝えておくね」って言っても納得しないのだ。

 何回か繰り返したら私も慣れてきて、O君の話しをひと通り聞いた後で、「うん、わかった、じゃあこの書類Mさんに渡しておくからね」って言うと、また最初から説明されるのを黙って聞いて、3回めの説明が始まった頃「Mさんが来たら知らせるから」って言うと、O君もちょっと説明の繰り返しに疲れたのか「あ、じゃあお願いします」って引き下がるようになった。

 あれから3年?いや、もっとか・・・・O君はM嬢に提出する書類持ってきても、私に何度も説明しなくなりました。一回くらいするかな?でも、聴く方の私が「ああ、これはルーティンなんだ」ってわかっているので、「はい、わかりました。じゃ、後でMさんが来たら呼ぶからね」っていうと大人しく引き下がるようになった。

  

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