可燃物な日々

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日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました

11月28日(金)

●へえーと思ったこと

 将棋の羽生名人がチェスの元世界王者と対戦したというニュースがあった。
 マスオさんが昼休みにそれを教えてくれたので、ニュースサイトに見に行ったのだが、そのサイトは私も少し前に眺めていたのに、全然目に止まらなかったのだが、「あ・・・」とその理由に気がついた。

 スケートの羽生君がNHK杯に出場することが話題になっていたので、「羽生」って字面をスルーしていたのである。私は田中マー君に興味があまり無いのと同じくらい羽生君にも興味が無いのである。ややこしい表現だが、「嫌いでもないが、それほど好きでもない」って感じなのです。

 で、そこでやっと「将棋は羽生でハブだけど、スケートは羽生でハニュウだった」ということに気が付きました。
 今まであまり同時にニュースになることが無かったので「同じ漢字」って思ったことが無かったんでしょうね。

 そういや前に勤めていた会社の社長の苗字も「羽生」みたいに違う読み方がある苗字で、うちの社長がハブさんだったとしたら、その当時の有名タレントは「ハニュウ」って読む人だったので、セールス電話掛けてくる人の多くは「ハニュウ社長いらっしゃいますか?」って間違った読み方してきたので、すぐに見分けがついて超便利でした。

●へえ?って思ったこと(逆へえー)

 同僚K嬢が、法人契約している携帯電話のパケット使用量について調べていた。
 そしたら、その表示には「2346バイト」などと書かれていたので、携帯利用料のデータを取り込んでいるエビワカ嬢に「これって、どういう意味だか知ってる?」と確認していたのだが、エビワカ嬢は「へ?バイト?バイトってなんでしょう?」って、発音が「アルバイト」のバイトだった。

 二人して「バイト?バイト?」と連呼しているので、「あのー発音違うと思います」と口を挟んで「ほらー、メールで添付ファイルとかする時に何バイトとか書いてあるでしょー、あと、メガバイトだとかギガバイトだとか」と言うと「あー、なんかそういうのありますね」って・・・・

 二人とも、そういうのに興味が無いんだろうけど、もう、今の30代の人達は、「データ容量」を気にしたことが無いんだろうね。
 フロッピーディスクの時代には「重くてこれには一度には入らない」なんて経験したことあったが、今はメール送る時も容量なんて考えないもんね。
 それでも、10年くらい前までは会社で利用しているメールでも「メール溜めすぎて制限オーバーしちゃった人にメールが届かない」なんて話よくあったんだけどなあ。

 それで、K嬢が調べていたのは、海外で利用する場合のパケット料金で、国内のパケット放題とは違って、上限があるらしいのだが、それが「◯◯パケットまで」と書いてあったので、「通常はどのくらいのパケット量なんだろうか?」と思って、社員のパケット利用料を確認してみたら、そっちは「バイト」で表示されていたので、「いったい、何なの?」と戸惑っていたらしい。

 そして、「1パケット」は「128バイト」だと言うことがわかったが、やはり二人して「128って?」と戸惑っていたので、「あー、そもそもバイトを知らない人たちに、2の倍数っていうか、2のなんちゃら乗っていうの知ってるわけないよなあ」と思ったので、それ以上口を挟むのはやめた。

 私にとっても苦手な分野だから(笑)

 K嬢は「だったら、なんでパケットなんて言うの?」と不思議がっていたが、落ち着いて調べればそのうちわかるでしょう。
 エビワカ嬢も「そういや、ケータイ契約するときによくパケットがどうのこうのって言いますよね?よく聞くけど、なんなんだろう?」とか言っていたけど、パケットが何だか知らなくても、今は普通はパケ放題になっているので、問題ないんですよね。

 彼らはもはや、インターネットを電話回線でやっていた時代を知らないので、ネットに夢中になった人が高い電話料金に嘆いたという話も知らないのだ。
 そもそも「電話料金が高い!」ってことすら経験が無いのでは?
 私が学生だった頃は、携帯なんか無かったし、もちろんメールも無かったから、高い市外料金が課金されることが多かった。

 うちの母が嘆いていたが、子供が小中学生の頃は電話しても市内料金ばかりだったのが、高校生になると市外料金になったし、大学に進学すると、私なんかは千葉から東京都下や神奈川の友人とも長電話していたので、年々電話料金が上昇していたらしい。

 今はメールだとかLINEですからねえ。

 とある友人は北海道の大学に進学したが、彼氏は関東にいたので、頻繁に電話していたら、ある時、電話会社から確認が入ったらしい。札幌でもなかったので、「お宅の電話料金がこの地域で2番目に高いのだが、それでお間違いないでしょうか?」とかなんとか。

 昔のことなので記憶も曖昧だが、6万円くらい課金されていたらしい。
 商業地域じゃなかったので、ダントツの電話料金だったらしく、電話会社も請求書送りつける前に念のために「お心あたりありますでしょうか?」って確認してきたようだ。
 水道料金とか電気料金もあまりにも突出していると「漏水とか漏電の可能性が無いか?」って確認してくるもんね。

 そうそう、学生時代にそういうバイトしていた子がいて、前の月よりも異常に電気使用料が多いと「お心あたりありますでしょうか?」って戸別訪問していたらしい。
 ある時、世田谷のとあるマンションの一室をピンポンしたら、中から子供を抱いた鮎川誠が出てきて「あー、先月はツアーに出とったけん」って言ったので「かっこ良すぎて超うれしかった」と言いふらしていた。

 えーと、何の話でしたっけ?
 子供が携帯電話持つようになった頃は、「子供の電話料金が!!!」なんて話もよく聞いたが、最近聞かないのは、やっぱし、LINEに置き換わっちゃったせいでしょうか?
 替りに「子供がオンラインゲームで高額課金が!」なんてことが話題になったりしましたが、「時代は変わっても変わらないものがある」ってことなんでしょうかね?

 そういや、私は今、月々のスマホ代を7000円くらい払っているので(半分は機体代)「高いな」と思いますが、かつて無職だった30歳くらいの時、暇だったからネットで掲示板とか眺めていたら、電話代の請求が1万円超えてしまい、「ひえー、これ続けるならテレ放題にしないとダメだな」と思いましたが、それからほどなくして、ADSLとかが出てきて固定料金になったなあ。

 ダイアルアップ時代だったのに、アホな友人が「このCDーROMが面白かったので、送るよ」って、えらい重いメール送りつけてきて、「ちょwww、これ受信するのに電話代いくらかかるの?」って途中で慌てて切ったことがありますが、共通の友人に「あれ、全部受信しても、こっちで開けるものなの?」って聞いてみたら「開けるわけないじゃない」って言われたので、本人は自覚してなかったが、立派なメール爆弾だった。

 だから、あの頃は、重いデータを送りつけることはマナー違反だったから、写真データもうっかりそのまま送ると重すぎて迷惑だったので、WEBサイトに貼り付けて「欲しい人は持っていってください」にしたりとか工夫したもんだけど、もう、今では写真データ添付して迷惑ってことないもんなあ。

 この間、メールを整理していたら、妹が結婚した頃のメールが出てきて「ドレス選びで悩んでます」って試着した写真を大量に送ってきて「ちょっと重いかもしれませんが」って書いてあったので、「あー、7年くらい前まではそういう気遣いしたんだよなあ」って思った。


11月26日(水)

 これはもう、ずいぶん前から「こういう傾向だな」って気がついていたけど、3連休の内の2日間をテレビ見ながらゴロゴロと過ごしていると、さらにキョーレツに感じますが、かつての・・・私が10代や20代の頃のテレビ番組って「世界まる見え」とか「世界まるごと」って感じで、「日本人には珍しい海外の風習を題材にしました」っていう番組が主流だったんだけど、いつのまにかそれが、たぶんここ10年くらいの流れだと思うのだが「日本は海外からどう思われているのか」とか「日本がどう世界に認められているか」っていう逆の方向になりました。

 テレビ東京の人気番組「YOUは何しに日本に?」っていうのが実に象徴的で、かつては「電波少年」とかで異国を旅する芸人が人気になりましたが、今では「変な目的で日本を旅する外国人」で番組できちゃんですからねー。

 その他にも、僻地で頑張ってる日本人っていうのは、まだ「電波少年」的な香りがありますが、最近ちょっと鼻につくのは「メイド・イン・ジャパンは海外でこんなに評価されてるんですよー」っていう番組の多さです。

 それが、20年前くらいの本当に世界中の人が日本の家電製品を欲しがっていた時代だったらわからなくもないのですが、日本製品のブランド力がすっかり凋落した今になって、「世界に誇る日本製品」って自分らでやってるのって、なんだか切ないと思うのですが、そういう番組多いですね。

 つーか、売れなくなったからやってるんだろうけどね。

 アメリカ人が「コーラは世界中に広まってる!」とか、フランス人が「フランスのブランドは世界中で高級品だ!」とか、イギリス人が「ほーら、英語は世界共通語だ!」って番組やらないでしょ・・・たぶん・・・・

 日本人だって「寿司は世界的に認められてる」って今さら言わないでしょう・・・つーか、海外で繁盛してるすし店の番組なんて、もうイマドキ流行らないでしょう。

 日曜日だったっけなあ?
 早く寝すぎて、夜中に目が覚めちゃってテレビつけたら、NHKが再放送で「これからは日本式サービスだ」っていう番組やっていて、「ほー、なるほど、そーだよね」と思ったのは、世界的に海外旅行というものが庶民にも浸透してきて、欧米人は「世界中どこに行っても同じサービス受けられる」っていうのを目指したわけです。

 なので、世界中どこに行っても西洋資本のホテル・チェーンでは、西洋と同じようなサービスを受けられることになった。

 そこに「日本式サービス」っていうのが入り込もうとしているらしく、日本式サービスの特徴は「脱・マニュアル」らしい。

 でもさ、脱マニュアルな「おもてなし」って言うのは簡単だけど、やるためには従業員の高いスキルが要求されるでしょ?

 欧米のホテルだって、高いスキル持ったホテルマン達はずっと昔から脱マニュアルなことやっていたんだけど、そういう人件費払えなくなったから、下っ端達にとりあえずマニュアルだけ叩き込んできたわけでしょ?

 しかしNHKのその番組的には「日本式」は外国のリゾートホテルなどで働く従業員には魅力的に映ったらしい。長年、姿も見えない経営者からマニュアルを押しつけられていたので「従業員の皆さんの意見も聞きながら、もっと魅力的なサービスを!」っていうのは、現地の職員にとってそれなりに魅力的なことのようだった。

 ほー、なるほど、だったら「日本式サービス」はちょっとは芽があるかもね。

 てゆーか、そういう芽があるから、今後の成長も期待できる日本式サービスなのかもしれないけど、「個々の努力」に依存しちゃうあたりが、「ブラック企業」を生む土壌でもあるんだけど。

 「日本の誇りである、職人さんのモノ作り技術」っていうのも考えようによっては、ブラック企業な話である。
 職人さんのモチベーションは高いが賃金は安いって意味で。

 で、日本の場合には「チェーン店の接客にも職人さん的技術が!」っていうを目指してしまって、バブルの時には、いっときだけそういう瞬間があったのかもれないけど、それがバラバラと崩れ去った後「何が標準なのか?」っていうのを見失ってしまったような気がする。
 つーか、下っ端として5年や10年修行すれば、かつてはそこから飛躍できたはずだが、もう今の時代は次のステージが用意されてないことが多いので、修行しようと思っていた人がずっとそのままになってしまうような・・・


11月24日(月)

 休みだったからまたゴロゴロしてしまっていたら、NHKで午後に「廃炉への道」とかいうのやっていたんだけど、「廃炉までの道のりはなんと40年!」って煽られたが、40年てそんな長い年月ではないと思うのは、自分が年とった証拠だろう。

 しかし、あくまでも「順調に計画通りに行って40年」であり、その番組観ていたら「とても40年じゃ無理だろうな」って思えた。

 それよりも、驚いたのは、スリーマイル島の廃炉作業の映像で、溶け落ちた核燃料の量が蓋を開けてみたら(まさに言葉通り!)想定よりずっと多かったようで、取り出し作業の予定年数を大幅に超えたらしいが、作業を難航させたのは、バクテリアが繁殖して冷却水が濁っていたという要因もあったらしいが「バクテリアが繁殖?????」って「そこ、もっと詳しく」と思った。

 だって、核燃料のゴミがゴロゴロしている水槽の中で繁殖できるバクテリアって凄くね?
 何を養分に繁殖してるの?放射能????
 そのバクテリアが下水の浄化槽みたいに放射能浄化してくれたらいいのに!!!

 ってナウシカ思い出してしまいましたが、高い放射線に晒されても元気に繁殖しているバクテリアって凄い突然変異とか起こしてそうで怖いですね。

 想像が膨らむ。
 放射線量の高い所でも繁殖するバクテリアが変異して、ほんとに放射性物質を養分に繁殖し、放射線量を下げることがわかり、そのバクテリアの発見のおかげで、原発の除染が進み、廃炉に成功する。

 ところが原発反対の盲信者がそのバクテリアを日本各地の原発に持ち込み、原発が使い物にならなくなり原発反対論者万歳!
 しかし、実はそのバクテリアは扱いが難しく、自然界に放たれると、放射性物質以外の物質も養分にするので、人類滅亡の危機に!!!

 とかなんとか・・・・

 話が逸れたが、「あと40年もかかる廃炉作業」にロマンを感じる若い人もいるんじゃないんでしょうかね?
 一生を捧げる仕事としては、実に後ろ向きな感じがいいじゃないですか。
 アングラ魂を持った若い人にはぜひ挑戦してほしいです。

 でも、番組でも紹介されていたロボット技術とか、失敗も多いみたいだけど、ああやって苦難を乗り越えてこその技術進歩であり、しかも「地球を救え」的なミッションでもあるので、ある意味、やりがいがありそうです。

 宇宙戦艦ヤマトが飛び立った理由は「放射能クリーナー」を手に入れるためだったように。

 「原子炉の埋葬」と思うと、生産的な雰囲気が無いけど、大昔にエジプトでピラミッド作ったようなもんだと思うと、ロマン度が上がります。

 そして、原子炉の事故は今後まだどこかで起こるかもしれないので、福島の廃炉作業で培った技術がどこかで活かされる時が来るかもしれません。

 というわけで、NHKは「40年以上に及ぶ長い時間」と言うけど、平凡な庶民が学校出てから退職するまでがだいたい40年くらいだし、廃炉という仕事に生涯を捧げることになる人も出てくるのだろうけど、サグラダ・ファミリアの建築に関わっていた人もそうだったってことで(笑)

 サグラダ・ファミリアなんて21世紀中にも完成しないなんて言われていたのが、ここ最近になって「2026年完成予定」なんてことになり、28年前に見た感じでは「これ、永遠に完成しないな」と確信していただけにびっくりしましたけど、福島廃炉計画もそういう心意気で頑張ってほしいと心から思いました。

 ちなみに、最近「11巻」が出て話題になった「ベルサイユのバラ」は40年ぶりに蘇ったそうです。
 それも日曜日にNHKアーカイブでやってた(笑)

 しかし、「ベルサイユのバラ」は不朽の名作であるし、私も小学生の頃から夢中になったけど、その後に「フランス革命で当たったから」って勢いでやっていたのか、「オスカル様のキャラが当たったから」ってノリでやっていたのか、ロシア革命を舞台にした「オルフェウスの窓」っていう長編があったのですが、そっちはあまり池田理代子の代表作として名前があがってこないのがちょっと不満だ。

 「オルフェウスの窓」の主人公はオスカル様の生まれ変わりみたいなユリウスという「男として育てられた女性」で、ベルバラファン的にパラレルワールドになっているのは、オスカルが思いを寄せたフェルゼンと同じ「白い髪」(白髪ではない。少女漫画では「ガラスの仮面」が有名だが、北島マヤは「黒い髪」で姫川亜弓は「白い髪」で描かれている。「エースを狙え」も岡ひろみが黒髪でお蝶夫人は白い髪)のシリアスキャラなクラウスと、アンドレと同じ黒髪系のイザークとの三角関係みたいなことになり、ユリウスはクラウスと結ばれることになるのだ。

 しかし、「ベルサイユのバラ」でもサブキャラの魅力は大きかったが、「オルフェウスの窓」は、もっと凄くて「これだけの多彩なキャラを動かせる池田理代子って?」と連載当時から絶賛されていたのだが、物語も「すごく濃い大河ドラマ」で、第一部がサスペンス風だったのだが(連続殺人事件的な)、第二部になったら天才ピアニストだったイザークの栄光と挫折になり、第三部はロシア革命が舞台で、そこを読んだ私や同級生達(学校に持っていら大人気だった)はもれなくレオニード様萌えになり、革命でボロボロになって心を閉ざしていた主人公ユリウスの元に、なんと最後の最後で第一部の真犯人が登場したので、もう「ええええええええ?」としか言いようがなかった。

 イザークが主人公だった第二部とか、かつて家柄が良すぎたので身分を隠して「天才少女ピアニスト」としてモーツァルトの再来みたいに活躍したとイザークが知り合うのだが、彼はかつて自分の才能が面白くて、当時のライバルであった新進ピアニストにある曲を提供したのだが、それはピアニストの指を故障させる「悪魔の曲」であった。
 そして、その曲のために、自分の指も痛めてしまったのだが、名門の家の跡継ぎだったので、別に構わなかったのだが、イザークが彼がその曲を演奏するのを聞いてしまい「どうしても弾きたい」というのを「やめたほうがいい」と説得するがイザークは言うことを聞かない。

 そうこうしていたら、そのかつての天才少女ピアニストだった美青年は、父親が再婚した義母とデキていて、それを知った義母を溺愛する美少年に銃殺されちゃうのである。
 義母と美青年の「いけない関係」を美少年にチクったのは、かつで美青年に婚約者を潰され、娼婦として生計を立てていた女性だった。

 って、自分であらすじ思いだしてみても「なんじゃこりゃ?」と思うが、ほんと昼ドラのドロドロよりもずっと濃かった。

 「オルフェウスの窓」は今は所有してないのだが(たしか、友人に譲ってしまったような・・・)、思い出してみるとちょっと懐かしいし、あのクオリティーは今でも充分に通用するというか、「ベルサイユのバラ」では、いろいろ制限があったらしいが(当時の少女漫画界では歴史物っていうだけで革新的だったので)、もっと大人向けに提供された「オルフェウスの窓」のほうが、池田理代子の才能が爆発していたような気がするので、機会があれば再読してみたい。

11月23日(日)

 昨日は自分が20歳そこそこの新米社会人の頃の話を書いたが、今思い出しても、あの頃の私は超つかえなかったなあ。

 だいたい、それ以前のバイトでも、すぐにちゃっちゃと気が回るタイプじゃなかったので、あまり活躍できなかった。
 ただ、大学時代に2年間ほど続けた喫茶店バイトでは慣れてきたらそこそこ仕事できるようになったし、経営者にもけっこう気に入られていたので、社会人として働く自信はあったんだけど、とにかく、慣れない職場ではどこか浮つくというか、初日にコーヒーをセットしようとして、ポット落として割ったりとか小さい失敗談はいろいろあった。

 ただ、自分がそうだった記憶が鮮明だから、わりと新人さんには甘い。

 つーか、他の人が新人さんに厳しすぎるといつも思う。
 新人っていうか、うちの会社では日雇いバイトを使うイベント仕事がよくあるが、慣れない人がとんでもないことをやらかすと、「あんなの二度と使うな」って言うのだが、初めてその現場に来る人は何もわかってないんだから、よほど常識外れなことではない限り、バイトに指示出した方の責任っていうか「わかりやすいようマニュアルに載せておこう」って方向になるのが普通だと思うのだが・・・

 ただ、そうやって過去の特殊事例までマニュアルに盛り込んでしまうと、逆に全部に目を通すのが大変になってしまい、今度は「マニュアルに書いてあるのに、マニュアル通りにやらないバイトがいた!」という話になるが、そりゃ見落とす人もいるでしょうよ。

 ただ、私もそれなりにそういうバイトさんと接してきて、扱いにくい人もそれなりにいたけど、たいていは初回で慣れなくて挙動が安定しないだけで、「二度と来るな」レベルには出会ったことが無いので、「二度と来ないでほしい」レベルというのが本当にどれだけ実在するのかがわからないのである。

 ただ、何年か前、うちの部長が責任者だった会場にいたバイトさんは、その後、部長のトラウマとして語り継がれているが「こっちも悪かったけどさ・・・でもさ・・・」ってレベルだった。

 全体的な昼休憩など無いので、順繰りに休憩に入るのだが、指示するこっちもドタバタしていたので、うっかり休憩を取らせていなかったバイトがいたらしい。それで、やっと4時頃業務が終了すると、そのバイトは部長に「契約違反です!」と訴えたらしい。

 つーか、もちろん昼食もとってなくて4時までそれを言うためにじっと我慢していたのなら、たぶんけっこうな人格障害系だったんだろうけど、なんで途中で「あのー、昼ゴハンまだなんですけど?」って言ってくれなかったのか?

 ブラック企業が流行語になってから、その手の人が散見されるようになって、他のケースでは、元々その派遣バイトさんにお願いする仕事ではない、他の業務をお願いしようとしたら「契約と違います!」と怒って帰っちゃったという話があったが、「他の業務」の方が全然ラクだったのに・・・・(ちなみに後で派遣会社に確認したら、「他の業務」もちゃんと契約に盛り込まれていたらしい)

 まあ、怒って帰っちゃったというか、その子が「契約と違う!」とか言い出したので、うちの社員がビビって帰しちゃったらしいが、もしかしたらちゃんと説明してあげればそのバイトもわかってくれたのかもしれないし、その現場を見たわけでもないからよくわからないのであった。

 そのくせ、よくわからないのが、コミュ障気味のバイトには厳しいのに、社員のコミュ障率の高さである。
 零細企業ゆえ、なかなかいい人材を新卒で採用できない事情もあるのだろうけど、それにしてもあれほど強力なキャラを何で採用したのか、配属された部署の教育係の人が不思議に思うほどの人材がこの10年で3名くらい入ってきた。

 一人の女子は元々学生バイトだったので、たとえ完全無表情でも、人柄はわかっていたので採用したのだが、そうじゃなきゃとてもうちの会社なんかには来ないような高学歴であった。本人も「自分は就活絶対無理」と思ったんだろうね。まともに挨拶もできないんだから。
 丁度、彼女が懐いていた古株というか「フリーター化」していた先輩バイト君が、とうとう正社員になったので、彼女は彼に付いてくるような形でうちに入社したらしい。

 去年、退職した20代半ばの男子は、そういう経緯もなく、全くの外部から採用したらしいが、やはりひどく無表情の若者だった。
 でも、自己主張だけは強かったらしく、配属された部署では煙たがられていたけど、でもまあ、そのくらいはしょーがないと私は思っていたのだが、どーもその彼はSNSに夢中らしく、頻繁にトイレに篭っていたらしい。

 それだけだったら、よくありそうな「イマドキの若者は」な話だが、彼は男子トイレの個室にケータイ持って篭もると、自分の存在をアピールするつもりなのかわからないけど、ウォシュレットの水流をずっと出しっぱなしにしているので、同じトイレを使う男性社員達が気味悪がっていた。

 私の印象では「悪い子でもなさそうなんだけど・・・」って感じだったが、じゃあ、何かいいところがあるのかって言われると、それも別に無い感じの不思議な子だったが、入社5年目くらいの査定面談の時、彼は上司に「そろそろ転職しようかなって思ってるんですよね」と言ったらしい。

 本人的には「そろそろ新人扱いじゃなくて中堅だろう」って思ったので、あまりにも低い待遇に嘆いて、「こんな安い給料だったら、オレだって考えますよ」ってアピールのつもりだったのかもしれないけど、上司はガッツリと「えー?辞めるんだったら、早い方がいいじゃん。つーか査定面談でそんなこと言われても、次は絶対に昇給しないよ?」って言ったら、本人はそれはそのとおりだと思ったらしく、あっさり退職して、その部署では万歳三唱されたのである。

 あの子、あの後、再就職できたかしら?
 うちの役員がアホだったから、うっかり採用したけど、あれは他じゃあ、なかなか採用されないぞ?
 しかも、先に述べた高学歴女子は「自分は就活とか無理」って自覚があるので、うちに入ったが、あの彼はそういう自覚なさそうだったからなあ。仕事できなくても、コミュニケーション能力も低くても、自信満々で基本無表情って人でした。

 今また問題になっているのは、やはり5年前くらいに採用した男子なんだけど、配属された部署で「こいつ、いらない。てゆーか邪魔」扱いされて、他部署に異動になったのだが、そこでも持て余していたけど、最近また「もう限界」って、うちの上司(総務部長だから人事の要)に訴えが来たらしいのです。

 その少し前に、私や部長がその部署の応援に行った時に、彼は部長の横に座っており、部長があれこれ質問するのを華麗に屁理屈をダーダーとまくしたててスルーしていたのですが、部長も時間が立つと彼の屁理屈攻撃にうんざりしてきたようで、私に「こいつちょっと」ってサイン送ってきたのですが、私の診断としてはやはり「悪い子じゃないんですけど、ちょっと、というか、かなりウザいですよねえ」でした。

 彼については、異動してしばらくして、その部署の女性社員が、うちの部署の親しい社員に彼の悪口を熱く語っており「へー、あの人が他人のこと悪く言うの初めて聞いた」と逆に感心したくらいなので、よっぽどなんだろうなあ、と思ったんだけど、彼女の話を鵜呑みにすると「できないなら、できないとか、ここがわからないから教えてくれって言えばいいのに、まだ出来てませんって先送りにするから、あれじゃ大事な仕事はとても怖くて任せられない」という感じだったので、そういうタイプは確かに扱いが難しいよなあ。


11月22日(土)

 変な夢を見た。

 六本木のテレ朝通り(今は六本木ヒルズのどこかに埋没しているけど)を六本木方面に歩いていたのだが、なぜか加山雄三と一緒に歩いていたのである。

 歩きながら、ふと「あれ?さっきまで私らタクシーに乗ってなかったっけ?」と思った。
 たぶん、タクシーに乗っていたのだが、渋滞がひどかったので次の予定に間に合わないから歩いていたようだ。

 しかし、やっと渋滞が緩和したので、なぜだか丁度やってきた都バスに乗った。
 周囲の客は加山雄三に気がつかないようだったので、私もなるべく会話に「加山さん」と言わないよう気を付けていたんだけど、「次の予定の場所には直接行きますか?それとも加山事務所に一旦寄っていきますか?」って言ってしまったので(夢の中で加山事務所は乃木坂にあることになっていたが、私の知る現実の加山事務所は銀座だった。今はどうだか知らないが)、横に座っていた女性が気がついて「あ・・・・」という顔になり、さらには運転手もチラチラと客席を映すミラーを覗くようになってしまった。

 あー、バレちゃったと思いながらも、加山さんの方を向くと、それは加山雄三じゃなくて、石原裕次郎だった。
 ただ、私は夢の中で裕次郎を再現できるほど、裕次郎通でもなかったので、目が覚めてすぐに「ずいぶん、ボンヤリした裕次郎だったな」と思った。

 なんだそりゃ、って夢だが、高倉健さんの訃報が160度くらい間違った角度で深層心理を刺激したのだろうか?

 ちなみに、裕次郎や健さんにお会いしたことは無いけど、加山雄三は実物に何度も接近しております。お茶出したこともあったのよー。

 ファースト・コンタクトは、私が前の会社でアルバイトとして働き出してすぐのことだった。
 加山さんが雑誌のインタビューを受けることになり、その場所として、うちの会社の社長が道楽でやっていたギャラリーを使うことになった。
 そもそも私がその会社に雇われたのは、そのギャラリーの店番のためである。上のフロアにある事務所にはすでに電話番女子がいたのだが、彼女と交代でギャラリーの店番をするために私が補充されたのである。

 私の先輩だった女子は、けっこうキリキリするタイプだったので「え?加山さんが来るの?飲み物とかどうすればいいの?」とテンパっていた。
 すると、加山さんのCM制作を何度かやったことのある先輩ADが(CM界では制作進行の略で「制作」と呼ばれていた)「アイスティー、それもレモンだよ。それが好きみたいで、それさえあれば大丈夫」と教えてくれた。

 楽屋に喫茶店から出前とる時は必ずそうなんだとか。

 今だったら、アイスティーなんてコンビニでも売ってるけど、当時はまだペットボトルの時代ではなかったので、アイスティーっていうのは喫茶店で飲むものだったんですね。

 なので、先輩は「ど、どうしよう」とビビってましたが、喫茶店バイト経験のあった私は「アイスティー?大丈夫、ガムシロも作れるよ」と、近所のスーパーでレモン買ってきてスライスにして、他は会社にあったティーバックで濃い紅茶入れて、冷凍庫で作った氷でアイスにして、シュガースティックは先にお湯で溶いてから冷やして「喫茶店仕様のアイスティー」をちゃんと作ったのでありました。

 今こうして書いてみても「20歳の頃の自分って、ずいぶん怖いもの知らずだったんだな」と思いますが、喫茶店で習得した技で、自宅で「アイスミルクティー」をよく作っていたので、安物の紅茶葉でも充分美味しいっていう自信があったんです。

 結果、加山氏は一滴も残らないくらい完食ならぬ完飲しておりまして、念のため「お替わり」として用意したポットのアイスティーまで飲みきってました。

 ただ単に長いインタビューに答えていたので喉が乾いていたのだと思いますが、準備した私と先輩は「やったー!」と大喜びでした。

 それまで慣れない職場でモタモタとあまり役に立たなかった私も「バイト時代に磨いた技術」で活躍できたので、「何事も無駄にはならないな」って実感した初めての経験でした。

 ただ、いいことばかりではなく、そのギャラリーは作られて間もなかったので家具も新しく、加山氏は足が長かったんでしょうけど、足を組んでインタビューを受けていたら、膝がテーブルの裏に当たって、白くなってしまったらしい。

 そして、彼はそれを面白おかしく話したと思うのだが(新築ってそういう落とし穴あるよね的に)、その話を人づてに聞いて、私の先輩は「あんなに準備して、掃除もきちんとやったのに」と、とても悔しそうだった。
 でも、私は「テーブルの裏なんて普通はチェックしないでしょ?つーか、その特注家具を納品した業者が悪い」と思ったのだが、先輩はその後もずっと「加山さんがうちの会社に来た話」と「テーブルの裏のホコリが」っていうのを引きずっていた。

 私はそのエピソードにおいて「私ったら、喫茶店勤務経験活かして、ガムシロまで作っちゃった」って自慢しか浮かんでこなかったので、「同じエピソードでも人によって違う話になるんだな」ってことを学んだような気がする。

11月21日(金)

●雨の夜の怪談

 昨日は寒かったのにさらに夕方からシトシト雨が続いて、帰り道も傘をさしながら早足で家に向かっていたのだが、遊歩道の脇の薄暗い道を歩いていたら、1台の乗用車が前から走ってきて、「パッパー」とクラクションを鳴らした。

 私は思わず後ろを振り返った。

 歩道の無い道だったが、道路には歩道を意味する白線が引かれていて、私はその白線内(外?)をきちんと歩いていたので、車にクラクションを鳴らされるはずは無いので、後方に道路の真ん中を歩いている人でもいるのかと思ったからである。

 ところが後ろには誰もいなかった。

 それなのにその乗用車は私とすれ違う時にも、クラクションを鳴らしっぱなしだったのである。
 なんか、ヤな感じだったが、そこはスクールゾーンの道であるから、今は小学校が建設中なのでスクルールゾーン指定は無意味だが、かつては暗くなった時間にも少年サッカーの練習後に児童や保護者がよくうろちょろしていたゾーンだったので、あの車はあの道では念のためクラクションを鳴らしていたのかもしれない、と無理やり解釈した。

 ところが、その先の比較的明るい道に出て、歩いていると、私を追い越していった別の車がスーッと停まったので「なにこれ?もしかして、私がなんか変なの?さっきの車ももしかして、何か私に言いたいからクラクション鳴らしたの?」と訝った。

 自分では運転したことないが、前に誰かの車に乗せてもらっていた時に、すれ違う車がパシパシとライトをウィンクさせるので「なんじゃこりゃ?」と思っていたら、しばらくして運転手が「ああ、なんちゃらライトがつけっぱなしだった」と気がついた。

 詳細忘れちゃったけど、トンネル入った時に付けていたライトだかがつけっぱなしだったらしく、すれ違う車もそういうのよくわかっていて、パチパチして知らせてくれていたらしい。

 車同士のそういうコミュニケーションは運転しない自分にはあまり馴染がないけど、道を譲ってくれた車に「フォ!」と短いクラクションを鳴らすのはお礼の意味があるらしいというのは経験的に学習したけど、あんま細かいニュアンスまではよくわからないのである。

 で、私を追い越していって、少し先でスーっと停まった車に違和感を覚えつつ、てゆーか、ウィンドウがスーっと下がり、中から運転手が「お嬢さん、スカート履いてませんよ?」とか驚愕の事実でも告げられるのかと思ってドキドキしていたら、すぐにその車がただ単に「住宅街の見通しの悪い交差点」で一旦停止したことがわかってホっとしたのだが、でも、どの車もあそこでスピードをゆるめてからまた進むけど、その車は私が近づいていっても停まったままだったので「道に迷ったのだろうか?」と思ったくらいだ。

 不審に思ったが、そのままその車を抜き去って、私がそのショボい交差点を渡り切ると、車はやっと左折していった。
 ウィンカー出ていたので「もしかして?」とは気がついていたが、その車は私に道を譲ったのである。

 そりゃ歩行者優先であるが、あのタイミングだったら、絶対にその車が先に左折しても、私の歩みだったら何の問題も無かったはずなのに・・・

 でも、その前の車は、派手にクラクション鳴らしていたし・・・・・なんだろう?もしかして何か憑いてる?

 霊感全く無いから全然わからないんだけど、車の不審な行動2件から憶測すると、「私の周りに今にも車道に飛び出しそうなほど落ち着きなく走り回っている子供の霊が!?つーか、車のあの態度だと、一人や二人じゃなくて集団下校レベル????」と結論したので、家に着くまでの短い距離を「ちょっと、ついて来ないでよ、うちには子供が喜ぶようなもの、何もないからね!」とシッシと追い払いながら歩きました。

 なんだろう?何の霊が憑いてきたのだろう?
 すっかりブームが過ぎ去ったボジョレー・ヌーボーを買って帰ったので、葡萄の精だったら別にいいんだけど(笑)

 バブルの頃はボジョレーなんて馬鹿にしまくってましたが、その裸の王様のごときのご威光がすっかり露わになってから、なんとなく、ボジョレー買ってしまう、心底判官贔屓の私であった。

 どーせ、ワインなんて安ワインしか飲まないので、ボジョレーの味って、「ちょっと面白い味の安ワイン」的な楽しみがあるのです。
 「今年の出来はどうか?」とかは全然わからないのですが、独特の味はあると思うで「季節もの」として、ここ数年は毎年飲んでいます。

 さて、ゲラゲラ笑いながら、「どくとるマンボウ医局記」を読んでますが、後半に入って、若き北杜夫医師が地方の精神科病院に飛ばされた(大学病院の若手医師の宿命)あたりで、昭和30年代の荒廃しきった統合失調症患者達の描写が当時のノートから蘇るのですが、書いている北杜夫氏も「若いころのオレ、がんばってるじゃん」と思わず泣いたようですが(執筆当時60代半ばだったようだ)、私も電車の中で目頭を抑えました。

 荒廃しきった患者ばかりが70名くらいいる病院で、院長は病気で入院中だし、一緒に派遣された同じ医局の先輩医師は結核でダウンしちゃって、20代半ばの若きマンボウ先生は、たった一人で、病院の当直室を宿にして半年間も頑張ったようです。

 って、その辛さと孤独感は、私には実際のところよくわかりませんが、同業者だったら「今だったら、とんだブラック企業だ!」って感じでしょうね。

 それにしても「昔の医者」って治療方法も限られていたので、白衣着て不眠不休で患者の臨終に立ち会うのが「いい医者」って時代も長かったようで、それは他の業種もそうだろう。

 だからねー、私と同じが上の世代には「睡眠時間を削ってでも職務を全うするのが誇り高き戦士としての当然の行動」みたいな精神論を言う人が多くて、でも睡眠時間削っていたのは飲み会とか麻雀だったりしたんですけど?みたいなwww

 で、私が大将だったら「睡眠充分とれてて、食事も充分にとれてます」って兵隊を前線に送りたいと思うのだが、「ブラックこそ我が国の旗の色!」と思い込んでる人達には、「欧米か?」ってマジに突っ込まれるのです。

 いや、私はコンディションのいい兵隊を使いたいだけなんですが・・・・って思うのですが、「人は追い詰められた後にこそ、真の能力を発揮する」って思ってる人に、納得してもらうの難しい。

 あの人達の扱いが難しいのは、精神病の人の「病識のなさ」と一緒で、「ブラック企業は悪だ!でも、自分がやってることはブラック企業とは違う!」って自信満々なところです。
 そういう人に「いや、うちの会社の待遇もちょっと」と言うと、「うちなんて全然ラクな部類だ、もっと大変なところはいっぱいあるのだ、うちの社員は甘えている」って倍返しされますし・・・

 ああ、なんか話が逸れてしまったが、マンボウ先生の本面白いです。超おすすめ。

11月20日(木)

 なぜか精神科医の書いたものに夢中なこの頃なのですが、やっと北杜夫の「どくとるマンボウ医局記」を読み始めました。

 北杜夫の著作なんて読むのは20年以上ぶりですが、「え?こんな面白いの?」って驚いた。どくとるマンボウシリーズは航海記ともう1冊くらい読んだ記憶があるけど、まさかこんなに電車の中で笑い堪えるのが大変だと想定してなかったのでした。

 中盤になったら、心のハードル(お笑いの)を上げたので、電車の中で「ぶほっ」ってならなくなりましたが、人気作家の実力を甘く見積もっており反省しています。

 なんつーか、超おぼっちゃま気質と、自虐と自尊の波状攻撃がとても心地いい。

 あれだね、鳩山由紀夫にもこういうエッセイ書いてもらいたいね。あの家系には作家魂の遺伝子が入ってないのかなあ?鳩山家版「楡家の人々」とか読んでみたかった。

 丁度、「どくとるマンボウ医局記」では「早慶戦の試合がある土日には慶應病院からほとんどの医師が目の前の神宮球場に出払ってしまっているので、救急搬送される患者は他の病院に行ったほうがいい」というくだりを読んで、「そーよねー」と、うんうん頷いていたのであるが、そーいや、神宮球場なんて慶應病院の敷地内みたいな場所だもんねえ。

 きっと当時の救急車はちゃんと早慶戦のスケジュール頭に入ってたと思うよ(笑)

 ただ、マニアとして気になったのは、「当時の早慶戦は人気があったので、チケット入手は困難だったが、外野の学生応援席の入り口で『自分は慶應病院の医師だ』と言うとすぐに入場させてくれた」とか書いてあったが、その当時の応援席って外野だったんですかね?

 神宮球場は何度も改修されているので、例えば私が中学校の頃はブルペンの前のあたりの席は「内野自由席」だったのだが、もしかしたら昔はあのあたりも「外野席」という扱いだったのもかも。

 それにしても、北杜夫が医局にいたのは私が生まれる少し前の話のようだが、その「いい加減さ」が古き良き昭和の香りが濃厚で、私はずっと「ああ、自分もきっと、かつての明治女みたいな言われ方をするのだろうけど、そのニュアンスは真逆なんだろうなあ」と思っているが、その「昭和って・・・・」ってイメージの醸造に多くの作家が加担しているだろうけど、明治のイメージを作ったのが漱石や鴎外だとしたら、平成の次の時代になったら、「昭和を代表する作家」は案外、北杜夫あたりなのかもしれない、って思った。

 昭和2年生まれで、思春期は戦争中で、戦後に社会人となり、まさに「戦後復興」を成人として体験して、不惑の頃に東京オリンピックだったわけで、今だと「昭和の人」っていうのは、70年代の学生運動の人が中心のような気がするけど、後世では「学生運動の時、すでに大人だった人」のほうが昭和の人呼ばわりされそうな気がする。

 だって、私なんてすでに、昭和を生きた年月よりも、平成の方が長くなってしまったし・・・
 少し前に「千葉の実家で過ごした年月よりも、一人暮らしして都内で過ごした年月の方が長くなってしまった」と気がついたが・・・・

 漠然とた明治のイメージとか、大正のイメージがあるが、昭和っていうのは64年もあったので、「イメージまとまるんかね?」と思っていたが、なんとなく「人情がまだあった時代」みたいなまとまり方しているようだが、今後どう展開するのかは乞うご期待って感じである。

 人情といえば、この間またふと思い出したのだが、「宅配便の不在通知」っていうのが当たり前になったのは、けっこう最近だったと思うのだが、いつ頃まで「お隣に預けるのが当たり前」だったんだっけ?

 今のアパートに越してすぐ、20年くらい前だが、「大家さんに預けました」って不在票が入ってて、上の階に住む大家さんところの呼び鈴鳴らして「すいませーん、宅配便預かってもらってるようで」と随分恐縮しながら受け取った微かな記憶がある。

 それ以降、他人に荷物を預かってもらったことはたぶん無いはず。

 不在票とういうのも(再配達依頼の紙と言うべきか)、東京で一人暮らしするようなって知ったというか、千葉の実家にいた頃は、たいてい隣近所の「専業主婦がいる家」が預かってくれていた。

 これも何度も日記に書いているが、我が家は母が専業主婦だった時代も長かったし、子供が3人いたので「家に誰かがいた期間」がけっこうあったので、隣近所の荷物を預ることのほうが多かった。

 特に多かったというか、ほとんどお隣のSさんの荷物を預かっていたのである。
 Sさんちは、お父さんが一部上場企業の重役さんで、たぶん、八千代市に工場がある企業で、そこの工場長だったらしい。
 なので、盆暮れにはドカドカとお歳暮お中元が届いたのだが、Sさんちのお嬢さんは私よりかなり年上だったし、奥様は平日もゴルフだ観劇だと外出されていたので、Sさんち宛ての荷物はほぼ、うちが預かっていたんだと思う。

 我が家も、それが当たり前だと思っていたし、いろいろ無駄に広かったボロ屋は玄関も無駄に広かったので、積み上がったお歳暮もそれほど邪魔だとは思わず、夜になってSさんの奥様が帰宅されて「すいませーん」とやってきたら、当時中学生だった弟に「ほら、あんた、お隣まで運んであげなさい」くらいのことはしていたと思う。

 で、あんまりおすそ分けしてもらった記憶も無いのよね。
 あんだけドカドカ預かっていたんだから、「お礼に」ってハムやら果物やらおすそ分けしてもらってもいいような気がするけど、あんま記憶にない。
 もしかしたら、子供らがいない日中などにこっそり主婦同士でやっていたのかもしれないけど。

 でも、うちとSさんちでは、子供の学校も被らなかったし、生活レベルは明らかに違っていたので、隣同士だったのに、あまり交流は深くなかった。

 記憶に残っているは、私が高校生の頃、夕方帰宅するとうちの玄関を半分くらい塞ぐような木箱が置いてあったことがある。
 海外からの船便で届いた荷物だということはわかったが、「なに、あれ?」と母に聞くと「隣のSさん夫婦がヨーロッパ旅行した時に買った、ロイヤル・コペンハーゲンのディナーセットらしい」とのことだった。

 まだ、海外旅行が高嶺の花だった時代である。
 うちの近隣でも、ちょこちょこと「ヨーロッパ行ってきちゃった」っていうことはあったが、土産はお菓子とか人形程度だったが、さすが、その地域ではセレブだったSさんちは、高級食器買い込んだらしい。

 今だったら、小町あたりで「なんでうちが隣の裕福な家の宅配便を預からないといけないんでしょうか?」って盛り上がりそうだが、70年代後半から80年代は、まだ「格差社会」が濃厚だったので、小中高と3人子供抱えて、海外旅行どころか、国内旅行にも滅多に行けないミヤノ家は、お隣の「一部上場企業の役員一家。お母さんは優雅にゴルフ三昧で、娘は女子大生」っていうのを妬みもせず、僻みもせず、ただ、宅配便業者が「すいませーん、Sさんがお留守なのでお荷物おねがいしまーす」と言うので、「はい、じゃあ」と受け取って玄関に置いていただけでした。

 別に大した手間でもなかったし、なによりも「それがフツー」だと思っていたので。

 ふと思ったのは、私ら子供には、別になんともなかったが、うちの母にはそれなりにストレスだったのかもしれない。

 私は大学生になって、勉強そっちのけでバイトに励み、40万円くらい貯金ができたので「わーい、この金で、憧れのヨーロッパ一周します」と宣言したら「え?女の子一人で一人旅?そんなの絶対許しません」と母が立ちはだかり、「ええ?」と思っていたら「私も一緒に行く」と言い出したので、しょーがないから母とのふたり旅になりましたが、あれって今から考えるとご近所の「ヨーロッパ旅行に行ってきたの」っていう人たちへの、かなりのリベンジでしたよね。

 だって、パックツアーじゃなくて、小娘だった私が頑張ってアレンジした個人旅行だったんですよ?
 パックツアーのご近所セレブさんたちは、夜行列車などに乗る機会無かったのに、うちのママンは寝台車に乗って、「同じ個室に乗っていたのはハンサムなスペイン人の若者で、一人はフランス語ができたからフランス人車掌さんの通訳になってくれて、もう一人は英語ができたので、うちの娘とよくお喋りしていたのよ」って、たぶん、私の知らないところで超自慢していたと思われる。

 しかも、バックパッカーな感じで、1ヶ月も欧州滞在したんだから、「ロンドン、パリ、ローマ5日間」な人たちには絶対に勝っていたはず。

 後年、けっこう効果的だったのは、あの時の旅程で、どうしてそうなったのか私はよく覚えていないのだが、スイスのインターラーケンにも立ち寄ったので、母が30歳くらいになった頃、ハイキング好きの友人らが「スイスの山行ってきたー」と自慢しても「あら、あのあたり、ほんといいわよね。私も10年前に通ったわ」と上から目線で対応できたので、母の精神衛生上、非常にいいことをしたらしい。

 ただ、そう思うと「なんで隣家の宅配便を快く受け入れていたのか」って話に戻りますが、あの頃の格差って「そのうち、自分の家もそのくらいの地位になるから」っていう後輩が先輩の指導に耐える感じに近いものがあったのかもしれません。

 それから20年くらい経ち、うちの父はそれなりに出世しませんでしたが、頼れる先輩が引っ張ってくれて、出向先で役員になることはできたのですが、そしたら盆暮れにドカドカお中元やお歳暮が届くようになり、それまでそういうのはせいぜい「仲人やった部下から」くらいしか来なかったので、母はとてもうんざりしていた。(礼状書きとか面倒だっただろう)

 「自分の家は商売人の家だったから、こういうサラリーマンの風習がよくわからないんだけど、うちの親戚には普通のサラリーマンな人がいないから、指南してくれる人もいない」と愚痴っていましたが、確かにうちの親戚は農家や教員やお寺関係ばかりだったのですが、よくよく考えてみれば、母が頻繁に会っている高校時代のご友人達には「大手企業の重役の娘さん」などもいらっしゃったので(祖母が見栄っ張りだったので、母はなぜかわりとそこそこお嬢さん私立学校を出ている)ご指南役には事欠かなかったはずだが、とにかく面倒臭かったんだろうね。

 で、私と言えば、実家の和室に積み上がる贈答品を見て、「あー、子供の頃、お隣のSさんちへの盆暮れの贈答品の多さを見て、『うちのお父さんだっていずれはそうなるのかも』って思っていたが、どうやらそれは本当にそうなったようだが、想像していた未来と少し違っているようだ」と思ったっけ。


11月19日(水)

 少し前に、「競輪や競艇はもっと外国人観光客誘致すればいいのに」って書いたが、私はニュージーランドに行った時にテレビでドッグレースを放送していて「時間があったら、こううの観てみたかったかなあ」と思ったことがある。
 その話を我が社の競輪の大御所である役員氏に話したら、「オレは香港で観たことがある」って言っていたので、やはりギャンブラーは海外に行ってもギャンブル場は押さえるらしい。

 そういや、ロンドンで競馬場に行った弟の話では、「ブックメーカーの国だから、日本と違って各ブックメーカーがそれぞれのオッズで馬券売ってた」らしい、そのオッズが店によってかなり違うので「あれって、じっくり研究すれば絶対損しない買い方ができるんじゃないか?って思ったくらい」だったらしい。

 で、昨日観に行ったようなアマチュア野球というか、特に六大学野球なんかは、外国人観光客受けしそうだなあ、と思った。
 神宮球場ではすでにヤクルトが外国人向け営業を頑張っているようで、けっこう見かけるが、大学野球では外人さんを見たことがない。もちろん、学生応援席には留学生が混じっているんだろうけど。

 プロ野球の応援スタイルは、外国人(てゆーか、ほぼアメリカ人だけど)には面白がられるらしいが、あの応援スタイルの元は大学野球らしい。
 野球に興味の無い人でも、お天気のいい日に球場でブラスバンドの音色とチアのダンスを鑑賞するのは楽しいと思う。

 さらに、選手もそうだけど、応援団達の体育会系な立ち居振る舞いが鑑賞できるのも「独特の日本文化」が味わえるだろう。第一試合が終わる前に通路をうろうろしていると、次の試合のために応援団が準備していて、下っ端達がずらりと並んで先輩たちに挨拶する様子とか、応援旗が物々しく運ばれていく様子なんかが観察できる。

 そして、応援旗やその他の応援道具の入れ物や、部員のカバンなどが積まれた一角にキリリと立っているチアは、「荷物番の下級生」らしい。1時間ごとくらいに交代するんだと思うけど、その立ち姿はバッキンガム宮殿の衛兵のようであり、衛兵さんと違うのは太ももが・・・

 ああいう光景を眺めていると「ああ、江戸時代の参勤交代とかも、きっとこんな感じだったんだろうなあ」思う。現代に受け継がれる、日本の様式美の片鱗って感じ。
 そう考えると、チアの本場はアメリカかもしれないが、古式ゆかしい学ラン男子の応援団の動きっていうのは、あれこそ日本独自の文化なのか?

 ラグビーのオールブラックスが・・・えーと、ハカって言うんだっけ?試合前に勇壮な踊りをやるのが有名だけど、あれはニュージーランド先住民の踊りで、高校の時にホームステイのニュージーランド人留学生を受け入れたが、その子はマオリ族の子で、たいそう美しい男子であったが、マオリ族の性質なのか、男子高校生なんて世界中どこでもあんな感じなのか、かなりシャイだったので、数日間過ごした我が家では借りてきた猫のようだったが、その高校生達が、千葉でホームステイしていから、京都などの観光地を巡ってから、また成田から帰国するというので見送りに行ったが、「お世話になったお礼に」と見送りにきたホスト・ファミリー達に空港のロビーでハカを踊ってくれたのだ。

 その中心になったのが、うちに滞在したマオリ族の男子で、マオリ族の子は彼しかいなかったため、他の白人の男子が「ほら、じゃあ、お礼にちょっとやろうぜ、ほら、じゃあ、お前が先頭ね」とAKBで言うところのセンターの位置に彼を置いて、マオリ族男子が威勢よく掛け声を掛けて踊り始めた。

 人数はそんなに多くなかったんだけど、空港ロビーは天井も高く、男子高校生が雄叫びを上げ、体をバシバシと叩く音がよく響き、周囲にいた通りすがりの人たちも思わず拍手喝采であった。

 日本の大学野球の応援団スタイルも、あれと同じくらい外国人受けすると思うなあ。

 もちろん、関西だったら絶対に甲子園だろう。
 まあ、甲子園での高校野球は日本人で大盛況なので、外国人観光客誘致する必要もないけど、外野席は無料だし、ぜひ外国人にも堪能してもらいたい。「え?高校生の大会なのに?なんてクレイジー」ってびっくりしてもらいたいなあ。

 アマチュア野球大会は甲子園にしても神宮にしても、外野席は無料だったり(六大学の場合は女性だけ無料です。でも女性客ほとんどいないんだけどさw)、内野席も映画館より安いので、美術館くらいのノリと値段でちょっと1、2時間くらい過ごすには丁度いいし、交通の便もいいので、超おすすめなんだけどなあ。

 というわけで、まだまだ日本の観光資源は発掘できそうですね。

 ニュージーランドに行った時に、ワゴン車バスに乗って田舎を移動していたら、(路線バスを予約したつもりだったが、ワゴン車が来た。少し大きい街でバスに乗り換えになった)羊の群れが道路を横切っていたので、私と友人が「羊だ!」と大騒ぎしていいても、運転手は「羊なんて珍しくもないぜ?」って態度だったんですが、私らがあまりにも興奮しているので、「おめーら、このバスは貸し切りみたいなもんなんだから、ちょっと停まりたいところがあったら言ってくれよ」と運転手が言うので、「羊の写真とるー」って停まってもらって、羊の集団追いかけてはしゃいでる私らを観て、運転手は呆れ顔だったが、「現地民と観光客の温度差」ってああいうことなんでしょうね。

 そう考えると「渋谷のスクランブル交差点」は、普段でも外人受けする観光スポットですが「サッカー日本代表の大事な試合の後では大変なことになる」っていうのも、あまり規制しないで重要な観光資源にしちゃえばいいのに。

 海外まで皆既日食観に行く人がいるのと同じに「試合後の渋谷のスクランブル交差点」を鑑賞に来る旅行客も出てくるかもよ?

 かかりつけの美容師さん(?)は、サッカーファンなのですが、いつも「だから、マスコミがあそこでカメラ構えてるからみんな集まってくるんでしょーよ」と嘆いてますが、それは本当だと思いますが、私が大学生だった頃は、ラグビーの早明戦の後、勝った方が歌舞伎町で大騒ぎしていいという「文化」がありまして、勝った時には盛大に練り歩いて大騒ぎしてました。

 別にテレビには取り上げられませんでしたし、一部の泥酔した学生が居酒屋の看板破壊したりとかやらかしていたようですが、そんなのも「旧制中学から続く伝統的な悪習」程度に思っていたようです。

 20歳の頃、初めて海外旅行して、最初にパリに宿泊したのですが、サンジェルマンあたりの学生街の夜が大騒ぎで、たぶん「学期末」だったようですが、広場の噴水に誰かが洗剤を入れたようで、盛大に泡だっており、「バカ学生のやることは世界中どこでも、こんなかんじ?」と微笑ましかったです。

 学生がバカなのって、平和の象徴でもありますし・・・・

 いかん、思い出してしまった「神宮競技場での雨の学徒出陣式」とか・・・・
 雨の中、行進する学生も、それをスタンドから見守る学生達も、みんな「マジ」でした。

 学生さん達にはいつの時代でも「ひゃっほー」って、おバカでいてほしい。
 江戸時代の知識人には、明治時代の学生はチャラチャラして見えたろうし、明治時代に教育を受けた人には、昭和の学生なんて、相当うすっぺらく思えたでしょう。大学生のくせにドイツ語よーわからんとか、理解不能でしたよね。
 そして昭和後期の大学生だった私からすれば、平成の大学生なんて、「ちょwww、おめーら記号論とか知らないわけ?」って思うのですが、今の大学は出席に厳しくて、うちらの頃みたいに授業に出なくて遊んでてもよかった時代と違うらしい。

11月18日(火)

明治神宮大会に行った 高校の部は仙台育英が優勝 写真はその表彰式 pic.twitter.com/cHHeCAAYNO

— のんちゃん (@limnonchang12) 2014, 11月 18
 今日はお休みだったし、天気も良かったのでまた神宮球場に行ってみた。明治神宮野球大会。今日は高校の決勝と大学の準決勝の3試合でした。

 高校の試合が10時半開始だったので、張り切って9時に家を出たのだが、北風が寒くて歩みがトロかったのと、途中で軽い朝食食べたりしたので、神宮に着いたのは11時くらいだった。
 中に入ってみてびっくり。平日とは思えないほど混んでいた。
 2年くらい前にも来たことあるけど、こんなに混んでたっけ?(明治のエースが野村だった時)それとも、あの時は決勝じゃなかったんだっけ?

 そうそう、あの時は愛工大名電が出ていたので「いっちょ、生メイデン観てみよう」という課題を自分に与えて観に行ったのだ。(メイデンとは2ちゃんの野球板で送りバントのこと。愛工大名電がかつてバント作戦で有名だったのでそういうことになったらしい)

 平日のアマチュア野球の試合は、「暇なオジサン」大集合になるので、なんだか居心地がいいのである。地味な年金生活の練習してるみたいでさ(笑)

●神宮大会決勝戦(高校の部)仙台育英×浦和学院

 高校野球だと、どんな名門チームでも「あまり守備の上手くない選手」がいるものだが、今日は風が強かったり、太陽が目に入ることあり、外野のミスが多かった。さすがにセンターは上手いんだけど、ライトとかレフトがフライを追い切れないようだった。

 プロの試合と比べると、同じ球場で高校生がやっていると「外野って広いなあ」って思いますね。
 外野にはロッテの岡田がみたいなのがいるような気分で外野フライを目で追うと「えー?これがヒット?」って逆に驚いてしまう。

 試合の方は、浦和学院が4人も投手出したのに、仙台育英はブルペンで投球練習する姿もなく、「名門校らしくないなあ」と思ったのですが、試合後の勝利監督インタビューで仙台育英の監督がまず「今日、自分の体調最悪だったのですが、自分が出るわけじゃないので・・・選手にも気を使われて申し訳なかった」と語っていて、たぶん風邪で発熱とかしていたのかもしれないのだが、その後「うちはセナが一人で投げていたのですが、他の投手がケガしていたのでしょうがなくて」と語っていたので、そういうことだったらしい。

 セナって佐藤世那っていうらしいですが、父ちゃん絶対に「アイルトン・セナ」のファンでしょ・・・と思って検索してみたら、やはり父・慎一さん(48)がセナにちなんで名づけたらしい。セナが亡くなったのが1994年らしから、20年前か・・・

 佐藤世那は2年生なので、このまま順当に行くと来年のドラフト候補になるようですが、もしそうなったら、私の世代の人たちが「セナ?・・・ああ、セナが亡くなった後に生まれた子がもうそんな年頃なのか」って遠い目になりそうです。

●明治大学×創価大学

 第二試合は13時半からでした。
 ダウンジャケットにひざ掛けとストールで武装していたんだけど、やっぱし寒かった。

 創価大野球部を観るのは初めてだと思うが、ユニフォームがなんだか大学チームっぽくなくて垢抜けた感じだった。

 それよりも創価大の応援団が応援席に入ってくると、吹奏楽器がけっこう多くて「六大学ではこんなにいないぞ?」と思ったのですが、彼らが選手の練習中に自分らも音出しを始めたのですが、「オケか?」って思うような音出ししていた。

 クラシックのコンサートに行くと、指揮者が入ってくる前にみんなバラバラに音出すじゃないですか、その後にシーンとなってからチューニングが始まるけど、ああいう感じの音出ししていたので「もしかしたら、創価大の演奏はかなりレベルが高いのかもしれない」(あそこの大学はある意味エリート育成機関なので、そういうニーズもあるのかな?創価専属オケとかありそうだし?)と思ったのですが、試合始まってみたら、まあ上手かったけど、異常に上手いわけでもなかったのでなんだかホっとした。

 ずっと創価側の三塁側に座っていたのですが、日が低くなってきたら「そっか、春先のオープ戦とかもそうだった」と思い出して(正午くらいは三塁側のほうが太陽を背に浴びるのでいいが、3時くらいになると日が影ってしまい、日が当たるのは一塁側だけになる)明治側に移動した。

 明治の先発の上原(広陵)っていう左投手も、なかなか良かったのだが、ブルペンで投げている左投手も良さそうだったのだが、それはもうドラフトでオリックスに指名されていた山崎(日大三)だった(笑)

 さらに、私の好みのタイプのスリークォーター気味の左投手がいたけど、それはまだ1年生の斉藤大将(桐蔭)でした。
 そしたら、がっちりした感じの右投手も出てきて、それは柳(横浜)という2年生だったのだが、柳もプロ注目の選手であるらしい。

 あらー、楽しみな投手がいっぱいいて、いいわねー。

 それにしても大学野球を観ているといつも思うのだが、チアやブラバンのレベルも高いけど、学生応援席に集まるフツーの大学生たちが実に熱心に楽しそうに応援している姿にちょっと感動する。

 イマドキの若者はツルまないとか言われているけど、「そういう傾向が強い」ってだけで、昔ながらの光景も根強く残っているんですよね。

 自分が学生だった時にはそういうのにほとんど参加しませんでしたが、今こうして眺めていると「楽しそうだなあ」と羨ましくなります。
 でも、生まれ変わってまた大学生になってもゼッテーやらないんだけどさ(笑)

 ただ、大学野球観戦の楽しみは、試合よりも応援団のほうがメインになりがちで、ブラスの演奏を外で聴くとなんであんなに幸せな気分になるのでしょうか?

 そして、年をとるほどに「チアの太もも」が眩しく感じるらしい。

 自分が彼女らの年齢に近い頃には、なんか素直な気持で受け入れられなかった「太もも」ですが、彼女らのお母さんの年になったら「あーら、ステキ」っていうか、太ももなんて減るもんじゃないんだからバンバン出して、バンバン足振ればいいって心底思えるようになりました。

 もちろん、私は生まれ変わっても絶対にチアなんてやりませんが・・・

 自分が若い頃には、同世代の若者が熱心に何かをやっていることが、なんだか気恥ずかしかったのですが、今だと大丈夫のようです。逆にアラフィフなマダームが気色悪いとか思うのかな?そういうのも無いような気がするけど・・・・

 あら、高倉健が亡くなったのですね。こりゃ、明日の朝のニュスショーは健さん一色になりそうだから、あまり観ないでおこう。(あと、放射能信者の友人のツイッターも。ぜったい「リンパ腫?放射能のせいだ!」って言ってるに違いない)

 そんで、安倍ちゃんはやっぱし解散するんですね。
 うーん、これはやはり解釈が難しい。

 麻雀パイの切り方が「えええ?」って時みたいに(って、麻雀出来ないんですけど)、これはすごい策略でこうしているのか、それとも何も考えてないのか・・・・

 普通に考えれば「アベノミクスが予想通りに上手くいかなかったので、消費税増税を先送りにしますが、このまま私の政策を貫いていいのか、国民の皆様に問いたい」ってことなんだろうけどさ。

 国政って、私には大きすぎて、よーわからんのが辛いね。


11月17日(月)

 日米野球ってけっこういっぱい試合するんですね。

 あんまちゃんと観てないんだけど(笑)
 でも、大阪→東京→札幌と移動するらしく、そりゃメジャーの選手にとっては「オフの日本旅行」って感じでしょうね、あ、最後は沖縄でシメなんだ!(親善試合らしいけど・・・公式と親善試合の区別がよくわからないなあ)

 プロ野球ファンとしては、今の時期、FA選手の動向とか、戦力外選手の動向とか、契約更改とか、ストーブリーグの話題に集中したいところですが、ストーブの隣で焚き火されてるような気がしなくもない。

 それに、日本人選手をメジャーにスカウトするための重要な見本市になっているような感じもあるし、まあ私はそれでもいいと思っているんだけど。やっぱメジャーは世界最高峰なので、あっちに行くのが「あがり」ですから。

 だから日本野球界が目指すべきは「優秀な育成機関」というか、マイナーとメジャーの中間みたいな感じ?
 実際、というか、たぶん、マイナーの選手にとって日本からオファー来るのは経済的にも相当美味しい話しだろうから。

 あと、広島にいたルイスとか、楽天にいたマギーみたいに、日本での活躍が認められてメジャーに戻り、より活躍した選手の例もあるし、特にマギーなんかは、日本に来るクラスの選手ではなかったが、たまたま各チームの編成上、しっくり来る所属チームが無かったという話しも聞いたが、そういう選手の受け入れ先として日本球界が活用されるのはいいことだと思う。

 要するに銭の問題であって、かつてJリーグに、サッカーファンがびっくりするくらいの「少し前の超大物選手」が大挙してやってきたみたいに。
 私はずっと「きっとアンリ様もそのうち日本のチームに移籍してくるに違いない。あと、ベッカムとか絶対に来るな」と思っていたのだが、その未来予想図は実現しなかった。

 景気といえば、「消費税増税は見送るのか?」って雰囲気の直後に、GDPだかのイマイチな数字が発表されて、株価は下落するは円安は進むわで、アベノミクスに暗雲がたちこめているようですが、政局にどう影響するんでしょうね?

 私が10代の頃のイギリスだって長い不況に苦しんでいたようですが、20代半ばで始めてイギリスに行った時も、ロンドンはそれなりに賑わってましたが、マンチェスターとかリバプールの地味さ加減は実感しましたが、その後、日本の地方都市の寂れ具合を目にすると「ああ、こんな感じ」と、かつてのイギリスの地方都市のどんより感を思い出します。

 今のイギリスはあの状態から脱却したらしいけど、その後行ってないから、何がどう景気良くなったのかよくわからない。

 そして、日本がどうなれば「景気がいい」って状態なのかも、よくわからない。
 だって、私が知る「景気が良かった状態」ってバブル時代なわけで、あれは相当狂っていたので「またあれになればいい」とは思わないから。

 そして、その後の不況が続く日本も、どこが不況なのかよくわからなかったりする。
 だって、都心のデパ地下に一歩足を踏み入れると、高級惣菜に群がってるマダム達の熱気が凄くて、「こんなの、世界中のどこでも観たことない光景だ」と思うから。

 日本はこれから観光立国を目指すようだが、それは正解だと思うよー。
 よく海外旅行していた時には、人から「海外旅行でカルチャーショック受けるんでしょ?」とか期待されたけど、一番カルチャーショックを受けるのは、日本に帰国した時だったし。

 日本人にとって、高いカルチャーショック度が期待されていたインドのバラナシだって、「渋谷をローテクにして、さらに小汚くした感じ」にしか思えなかった。
 いったい誰がバラナシを有難がっていたのか?って怒りがこみ上げてくるほどに。
 そりゃ、渋谷と違うのは「聖なる川が流れてる」ってことなのかもしれないけど、だったら浅草なら、隅田川が流れてるぞ?

 またなんの話をしているのかわからなくなってきたが、私は自分には消費についての一般論を語る資格が無いと思っている。
 だって、ネズミーランドとか好きじゃないしー。

 そういや、この間、もう眠くなった時間に「中森明菜の軌跡」みたいな番組やっていたので、「明菜かあ」と思って眠さをこらえて頑張って観てみた。

 前に尾崎豊のドキュメンタリー観たら、けっこう感動しちゃったりしたので。

 しかし、明菜の歌には全く何もひっかかるものがなかった。

 それは、前から不思議に思っていて、たしか「ミ・アモーレ」の頃、クラシック系の友人までが「明菜は特別だよ」と絶賛していたのだが、私にはその良さが全くわからなかった。

 山口百恵は好きだったし、松田聖子は楽曲の良さもあって、好きな曲も多いのだが、明菜は全然わからん。
 それは、私には日本独特なヤンキー文化へのレセプターが無いからなのかと思っていたのだが、矢沢永吉の良さはなんとなくわかるので、そんなにヤンキーアレルギーは無いと思うのだが、明菜には私が必要とする栄養素が全く無いようだ。

 歌が上手いと思ったことが一度も無いし。

 同じように「全く心の琴線が震えない」人気歌手に浜崎あゆみがいたが、あゆの場合は、私と同世代でハマってる人を知らないので、「世代間格差」だと思っている。
 でも、安室奈美恵がいいという同世代はいたけど、あれもなあ。
 ただ、私は世代的にはピンポイントだった渡辺美里などに全く興味なかったので、そういうことなんだろうと思っていた。

 とは言っても、実際は中森明菜に全く興味の無い同世代の人は多いのだと思う。

 明菜が順当に歌手生活を続けていたとしても、もはや彼女みたいな「歌手」の活躍できる場所は限られてる。松田聖子だって、CM以外に目にすることはほとんどない。

 明菜を持ち上げる人たちはきっと「SMAP以前」の芸能界を懐かしむ人たちでは無いのか?

 そのSMAPですら、最近は嵐への書き換えが順当に進んでいるが、SMAPという形態は維持されているので「このまま、どこへ行くのだろう」と興味深い。

 嵐は着実にSMAPの後継者になっているが、TOKIOが明後日の方向にまっすぐ進んでいるのも、着地点が見えないので面白いけど、結論としては「ジャニーズと吉本興業はやっぱ凄いね」ってことなんだろうか?(笑)

 さて、また友人N嬢からのメールがきて、ヘコんでおります。

 どうやら沈黙していたのは「伯母の法事で忙しかったから」だったようで、前から「うちは神道で私はクリスチャンなのに伯母の葬儀は浄土真宗だった?」ってことを書いていたのですが、法事の時にはもっと複雑になっていて「神道の家で神社祭ってるのにお墓がロシア正教なのに浄土宗で法事をしてるのでなんか混乱状態です。」

 ロシア正教?←new

 でも、笑ってしまったのは「弟さんの近況」についてはちゃんと返事してくれて「私と気の合わないイラストレーターの奥さんもらって、子供のいない夫婦です」って「私と気の合わない」って不要な記述だけど、溺愛というか「自分の子分」だと思っていた弟の嫁が気に入らないんだろうねえ。

 つーか、あんたとは誰も気が合わないよーって毒を日記に吐いておきます。


11月16日(日)

 ほんとに解散総選挙するんですかね?
 もし、ほんとにやるんなら、安倍ちゃんも策士だなあ。

 だって「消費税引き上げを見送るから」って言われたら、庶民としては「公約違反だ!」っていう気持になれないし、最近きな臭い法案が通っていてタカ派色が強まっているけど、「だったら民主党に任せよう」っていう気にもならない。

 民主党政権がいかにどーしよーもなかったかっていう印象がまだ強すぎるし、今の野党もまとまらないので、全然対抗できそうにもないし。

 ところで、日中首脳会談が2年ぶりくらいだそうで、大きいニュースになっていたが、そもそも何で冷え込んでいたんだっけ?尖閣諸島?

 中国への外交政策は「毅然とした態度」が求められているようだが(どこに対してもそうか)、中国人って非常に面子に拘るようなので、いっそのこと思いっきり下手に出ちゃえばいいのに。

 歴史認識がどーのこーのって話しも、韓国はまた違うけど、中国に対しては、ここ100年くらいのことを煙に巻いて「ここ2000年くらいの日中関係」っていう認識にしちゃえばいいのに。

 奈良や京都があるのも中国様のおかげですし、そもそも日本は文字が無かったのを中国様のおかげで文字を持った文明国になれましたし、ラーメンも餃子も中国様のおかげです。

 って、「本家はやはり中国で、日本なんて小さい分家ですから」ってゴマすっておけばいいのに。
 そんで、本家が弱体化した時に、分家は商売上手で栄えたので、その時には経済援助したけど、それは「本家あっての分家ですから、当然のことです。そして、本家が今はまた大国として蘇って、とてもうれしいです」って、ひたすらヨイショですよ。

 「日本なんてそもそも中国様の属国でしょ?」って態度をとっていれば、尖閣諸島だって、「まあ、長年、分家が守っていた田んぼなので、そのまま使わせてあげよう」ってことになるかもしれないし、小笠原近海のサンゴ密猟だって「なに?本家の使用人が分家の山で松茸とってる?」ってことで「本家の恥」になるので厳しく取り締まってくれるかもしれないし。

 そして、アジアの覇権問題ですが、日本が分家の分際でちょっとヤンチャしちゃったので、アメリカに占領されちゃったため、あんな新参者に基地まで作られちゃってサーセンなんだが、あれがなかったら、おロシアさんが抑えられなかったと思うので、結果的に本家様をお守りしたと思うんですよー。

 そんで、今後は中国とアメリカの間でコウモリみたいにどっちにもいい顔して「うちは小さい店なんで、大手さんには叶いませんなあ」って、やってけばいいのに。

 って、外交問題はそんな簡単なことじゃないんだろうけどさ。

 そういや、少し前に横浜アリーナで東方神起がライブをやっていたのだが、それが平日なのに2回公演していたのだ。
 平日の午後公演が成り立つというあたりに東方神起の客層が想像できたが(専業主婦客)、会社で「今日は東方神起なんですってねー」って言うと、オジサン達はもれなく「え?もう韓流ブームって終わったんじゃなかったの?」って驚いていたので、逆にこっちが驚いた。

 そりゃ、一時のブームは過ぎたと思うが、日韓関係が悪化したからって、好きなアーティストまで嫌いになるっていう人は少ないだろう。

 つーか、オジサン達はそもそも韓流ブームが理解できなかったので、そういう事言うのかもしれない。私は今だに会社のデスクトップにイム・チャンヨンの写真をそのまま飾っているのだが、前に上司が私のパソコンを覗きこだ時に「これ誰?」と言うので「ヤクルトのイム・チャンヨンです」と答えたら「ああ、韓流かあ」って言うので、ちょっとムっとした。

 ヤクルトがイムさんを守護神にしていたのは韓流ブームと関係無いし、私が熱烈なイムさんファンだったのも、別に韓国人だからっていうことではない。
 私はイ・ビョンホンが大好きだったが、それは日本人俳優だったら堤真一が好きっていうのと同じだろう。

 ちょっと飛躍した考えだけど、韓流ブームの時に、おじさま達が韓流に夢中になる自分の妻や世間一般の女性達に「なんなんだ?」と思ったのって、「自分のところの女を盗られる」って意識があったんでしょうね。
 終戦直後の日本でも、米軍相手に売春する女性は複雑な思いで捉えられていたようですが、「女性を抑えられる」って男性の本能的にすごい危機感感じるのかもしれない。

 それが、昔は「アラン・ドロンに夢中」とか、最近だと「レオ様ー(ディカプリオ)」っていうのは許せたようだが、その対象が韓国人だと、面白くなかったようだ。

 いい子ちゃんぶるわけでもないが、どうも昔から、中国人や韓国人差別っていうのがよくわからないのだ。
 そういう人達から迷惑を被ったこともないし。

 なので「韓国ちょっと嫌」とか「中国ってなんか・・・」って、私程度に中国や韓国との接点が無い人たちが、そう言うのが不思議でしょうがない。

 錦織君はジョコビッチに負けちゃったようですけど、今シーズンの錦織君の活躍は間違いなく、世界中のテニス・ファンに印象づけたでしょう。かつてのマイケル・チャンみたいに。

 日本人はなぜか「世界に通用する日本人」に注目しがちですが、前にオリンピックなどでの日本人の活躍にすごく注目している友人とそういう話しをしたら「日本人が外からどう思われてるのかすごく気になる」と言っていたので「へー、そういうもん?」って思った。

 つーか、「水泳の北島はすごい」と言っても、北島の名前がどれだけ世界に広まっているかは疑問である。だって、日本人だって、外国の水泳選手っていったら、イアン・ソープとか、マイケル・フェルプスくらいしか名前あがらないでしょ?

 平泳ぎでメダルとった選手の名前なんて、よほどの水泳ファンじゃないと知らないんですよ。じゃあ、背泳ぎとかバタフライの金メダリストが誰だったか知ってますか?って話しです。

 それに比べると体操の内村の方がまだ世界的な知名度がありそうですが、そもそも、水泳ファンとか体操ファンっていうのは、人数的にすごく少ないと思うのです。

 これは自分基準だけど、テニスとかサッカーとかフォギュアスケートみたいな人気競技は、日本人が出てない大会でもテレビ中継されていたので、世界的にも人気の高い競技で、そういう競技でトップに立つと「世界の羽生」とか言われるかもしれないけど、ハンマー投げの室伏が海外でどの程度知名度あるんだか・・・・だって、砲丸投げとかやり投げのメダリストが誰なのか知らないでしょ?

 そういう意味では錦織君みたいに「テニスのグランドスラム大会で決勝進出」っていうのは、凄いことで、日本の誇りと思うのかもしれないけど、まあ欧米でも東洋人選手の活躍は珍しいので注目されてるのかもしれないけど、じゃあ、フェデラーやナダルがどこの国の人だか知ってます?って思う。

 テニス・ファンは、たぶん、あんまり国籍意識しない人が多いと思う。
 グランドスタム大会で上位に進む常連の強豪選手の「個人としての技量」の凄まじさにひたすら敬意を表しているので、ボルグが凄い、マッケンローが凄い、アガシが、サンプラスが凄い!って個人名重視なので国籍ってどーでもいーんですよね。

 シャラポアが何人なのかよくわからないけど、ああいうロシア系というか、東欧系の選手ってアメリカ人になってしまう場合も多くて、国籍なんてどーでもよくなってしまいます。

 サッカーだと、欧州の主要リーグで戦ってる選手達が、W杯で国別に分けられるので、国籍の意味が深いですけど。

 野球もね、メジャーリーグの選手達が本気で「国別対抗」やろうとしたら、そういうのもできるんだと思うんですけど、メジャーリーガーとして稼げる金額がハンバないので、母国の名誉にその稼ぎを掛ける気持にならないでしょうね。

 サッカーの場合にはW杯で活躍した選手が、その後、高額で売買されるっていうことがありますけど、今やってる日米野球では、メジャーリーガーにはあまりメリットなくて、日本選手の方が「メジャーのスカウトの目にとまる」っていうメリットありまくりとか。

 と、何書いてるのかわからなくなりましたが、要するに「世界が平和でありますように」ってことです。
 ただ、「敵を明確にすることでアイデンテテーを維持する」って人も意外と多く、そういうう傾向が外交問題でも多数派なのかもしれないけど、なんか、そういう外交政策って、境界例の人みたいで、「なんで国家間のことって、女子同士の複雑な人間関係と男子のアホさの悪いところばかり出てくるんだろうか?」って思うのですが、そういえば、コニー・ウィルスの「女王様でも」って短編には、うざい姑みたいな人がなぜか「国家間に紛争調停人」として国際的に仕事しており、嫁は「なんでも口をつっこみ、人の話しを聴いてない姑がなんで?」と思うようだったが、やはり世界平和のためには「大阪のおばちゃん」が「あめちゃん」振り回すようなことが求められているのかもね。

 来る総選挙に向けて「大阪のおばちゃんアメちゃん党」とか立ち上げようか?

 勝てそうだ。


11月15日(土)

 錦織君が勝ち進んだので、またニュースショーには過去の名プレーヤーが多数招聘されているようだ。
 テニス界は「錦織バブル」でいい小遣い稼ぎになってるようだが、中でもやっぱし松岡修造はギャラの3割くらいを錦織君にキックバックしてもいいくらいだろう(笑)

 この間、青木が所属するチームがワールド・シリーズに勝ち進んだ時は、NHKが田口を現地に派遣しており、田口は野球に興味の無い一般人には知名度が低いと思うが、「ワールド・チャンピオン経験2回」という貴重な経歴を持っているので、後輩がワールド・シリーズに進出してくれると出番が増えるようだ。

 解説者を仕事にするなら、後輩の活躍が必須なので、そうじゃないと解説する場所が無いからねえ。

 それにしても錦織君が活躍すればするほど、修造の好感度も上がるというケースは珍しいような。男子テニス界では、福井烈や神和住純くらいしか解説者を思い出せないくらいなので、修造みたいな地位の元選手がカブらないんだよね。

 まあ、修造は錦織君がブレークしなくても、タレントとして充分やってきたけど、やっぱ本職に関してのほうが味があって面白いし。

 話は変わるが、今日は出勤してたんだけど、なんかの雑談で「楽して儲かる仕事はない」みたいな話になり、株でボロ儲けした人だって、ほんとに簡単にボロ儲けした人って宝くじに当たった人くらいの確率なのでは?なーんて話になったのだが、ふと、母が昔話してくれた「株で儲けた人の話」を思い出した。

 母が育った家の近所に、「未亡人が一人でやっている駄菓子屋」があったらしい。
 若くして夫を亡くし、当時は女性の働き口も少なかったし、子育てもあったので、家の間口を店舗にして細々とやっていたようだ。
 ずっと店番をしてないといけないので、たぶん店舗と続きの台所や居間で家事をしながら店をやっていたんだろうけど、その間、ずっとラジオをかけっぱなしにしていた。

 それで、ラジオでやってる株式市況を毎日聴いていたら、なんか勘がついたような気がしたので、少ない資金を手持ちに株式投資をしていたらしいのだが、筋がよかったようで、増やした資金で子供を上の学校にやり、ボロ屋も立派な家に立て直したという。

 その話を聴いた時は、単純に「いい話だね」と思ったのだが、今思い出してみると、けっこう裏というか、違う一面が透けて見えてくる。

 まず、戦後の復興期のあの時代に、「夫が亡くなっていても、駄菓子屋で細々と生活」っていうのは、たぶん、夫の年金だか、もしかしたら戦没者だったかもしれないので、それなりの年金は貰っていたのかもしれない。
 でも、本人はキャリア志向だったので、「ベビーブームで子供増えてるし、ガキ相手に駄菓子屋やってみようか?」って経営してみたのかも。

 だって、そういう志向が無いと、なんでラジオで株式市況なんて聴く?

 今はどうなのか知らないけど、私が子供の頃は、ラジオの周波数合わせていると、延々と「◯◯商事 286円 3円安 **工業 375円 2円高」とお経のように読み上げてるラジオ局があったんですけど、そういうのがあるのは皆知っていても、普通はずっとあれを流さないでしょ。

 だから「駄菓子屋のおばちゃんが、門前の小僧方式で株式相場に詳しくなってしまった」という話じゃなくて、そのおばちゃんは、駄菓子屋で儲けた僅かな利益を株式投資してみる、というビジネスモデルでやっていたと思うのです。

 そして、株で儲けられたのは、そのおばちゃんの目利きもあっただろうけど、戦後復興とか高度成長期っていう要因もあったことでしょう。

 ただ、「株は地道に勉強すれば、そうやっていい結果を出すこともある」っていうロマンを周辺住民には与えたようで、うちの母もバブルの少し前から始めて(資金は数十万だったようだが)バブルの頃はそこそこ景気良かったので、「臨時おこずかーい!」って子供に1万円くらいバラ撒いていた。
 大学生だった私には1万円くれたが、たぶん高校生だった弟や中学生だった妹には数千円だったはず。たぶん、30万円くらいで買った千株が、50万円くらいになっちゃったので、自分でも怖くなっちゃったんだろうね、「子供に還元すれば、あぶく銭感が薄まる」と思ったようでした。

 うちの母親があの当時、株でどのくらいの利益があったのかわかりませんが、「私のほうがお父さんより成績がいい」と自慢していたので、損はしてなかったような気がする。

 大学の先輩に「地元の不動産屋の息子」って感じの人がいて、その先輩自身が20歳くらいなのにヤクザ的な貫禄があったので、そのお父さんがどんなだかは大体想像できたのですが(私の地元にもそういう感じの地方の名士的なオジサンがいたので。その中でも一番羽振りが良かったのは私の同級生のお父さんで、土建屋さんでしたが、お相撲さんのタニマチやってました)その人に「うちの母は小遣いで株やってます」っていう話したら「株?うちのオヤジなんて、株とか相場なんてやってなけりゃ、もう一軒家建ってたよ」と言っていたので、資金も潤沢で、バクチ的取引に走りがちな自営業のオジサンは、妻子が「バクチしたかったら、競馬とかにすればいいのに」ってくらい豪快にスっていたのかもしれません。

 競馬で思い出したが、20代の頃勤めていた会社での同僚というかちょっとだけ先輩は、東京の大学出た後、しばらく実家に戻っていたようで、そのニート期間に札幌競馬場でバイトしていたらしい。

 まだ窓口が「人間」だった時代である。
 当時の札幌競馬場の窓口係の人の間で、有名だった人がいて、その人は、100万円単位で馬券を買っていたようだ。
 なので、当たると払戻金が数千万円になるので、奥の金庫からものものしく札束が運ばれていたらしい。

 ただ、当たった時には、庶民がショックを受けるような大金が運ばれる光景が展開されてたけど、200万円つぎ込んでも当たらない時もあったはずだ。

 なので、普通の人が「年間、50万円くらい馬券買って、30万円くらい勝った」というところをその人は「年間 5000万円くらい馬券勝って、3000万円くらい勝った」ということになり儲けも大きいが損の方がもっと大きい。

 最近、地方競馬は経営に苦しんでるようだが、高度成長期やバブル期にはそういう「競馬場に年間1千万円くらいの授業料を払う」ようなお客さんがけっこういたのかも。

 でも、私もオーナー企業で働いたことあるが、経営者がそうやってギャンブルで発散してくれたほうがいいと思えることも多かった。
 だって競走馬は「あんたが、あと1千万円馬券買ってくれれば、勝てる確率あがるんですけどねえ?」なんて相談に来ないから。

 一番怖いのはやはり人間で、「この事業にぜひ投資してください」と1千万円投資させると「もっと事業拡大できそうなので、さらなる出資を」ってオレオレ詐欺より簡単でしたからね?
 「もー、こんなの絶対に騙されてる」ってわかってるのに、その詐欺師に大金振り込む私のストレスは相当のもんです。

 今までそういう出資先の事業が成功したこと無いのですが、なんかお金出しちゃうんだよな。会社のお金を預かっている私の立場からすれば「わけわかんない事業に、こんな金額出資するなら、社員に10万円づつでもボーナス払ってやれば超よろこぶのに」って思うのですが、経営者ってやっぱチャレンジしたくなる人種のようです。

 なので、競馬につぎ込む経営者って、家族や従業員にとっては、そっちのほうがリスクは少ないのかも。(そもそも競馬に使う金はポケットマネーなので、何に使おうと勝手だが、投資資金は会社の金なので・・・・)


11月14日(金)

 友人N嬢からのメールがやっと途切れてほっとしていたタイミングで「境界例」についての話を読んじゃったもんだから、いろいろガッテンしすぎちゃいました。

 そんで、昨日は久々に旧友と長電話していたのですが、終わった後、昨日も書いたけど「あー、まともな人との会話ってこうだよね?」って実に清々しい気分になり、それで「やっぱN嬢変だよ」と気がついたのであった。

 そして、そういう夢まで見てしまった。
 実家にいる夢だったのだが、実家には姿は見えないけど、どうも心の病を抱えた謎の同居人がいるようだった。
 姿が見えないというのは透明人間と言うことではなく「たまたま不在」という雰囲気だった。
 具体的なことは忘れたが、家に置いてある物の気配から、そういう人がいるらしいことは感じるのだが、でも、その場にはいないので、私はその人がいる物証を探していたのだが、これと言って明確にはわからないのがもどかしかった。例えば、母が冷蔵庫に貼ったメモに「4人分の夕飯の材料」などが書かれていて「ん?私の他にもう一人いるの?」って気がつく程度。(夢の中では弟妹の存在は無視されていた)

 そういう曖昧な証拠を探しているうちに、ふと「もしかして、ビョーキなのは自分なのではないか?」って疑いに気がついた。自分に病識が無いから、「両親がなんだか腫れ物を扱うようにしている他のメンバーがいる?」って思っているのではないか?

 そうこうしているうちに(いろいろあったようだが・・・)我が家に勝手に上がり込み、布団の中でふざけている二人組の女子がいた。今考えると、双子の姪っ子のイメージが混ざっているが、夢の中の私には、N嬢とその友人であるH嬢に思えた。

 二人がキャッキャと我が家でふざけあってくつろいでいると、なぜか父が出てきて二人に怒鳴りつけて追い出した。

 以上、夢の断片であったが、「父が追い払ってくれた」ことにとても感謝しながら目が覚めた。悪夢系のわりには、けっこうぐっすり眠れた気分だったが、目が覚めたらまだ朝の5時だった。

 N嬢がほんとに境界例なのかはわからないけど、20年前のことを思い出すと、かなりそうだった気もするが、境界例って加齢と共に落ち着いてくるらしいので、N嬢もそういう状態であるのかもしれない。

 でも、やっぱし、毎日メールしてくるって変だよね?

 テキトーに返信していたつもりだったが、やはりじわじわ効いていたようだ。

 あらためてメールの履歴を確認してみたら、去年は週に2回くらいのペースだったが、今年の春からほぼ毎日になっていたようだ。
 急にガガガっと来たのではなかったので、わりとフツーに受け入れていたようだ。

 またメールが復活したら、今度はすぐに返事しないで、数日寝かせておくことにしよう。

 ちなみに、最後に私が送ったメールは「東京にいた頃はミヤノちゃんによく変な映画に付き合ってもらったね」というのに対して「一緒に映画観に行ったことあったっけ?ごめん、記憶にないや」っていうのと「うちは兄弟仲悪いんだけど、ミヤノちゃんちは仲いい?甥、姪がいるるのが羨ましい」とあったので、「ってゆーことは、N嬢の弟さん達にも子供いないのか?」って思ったので「そーいや、何度か会ったことのある下の弟さんは元気?今なにやってるの?」って書いただけです。

 「境界例」について、なんとなく調べてみると、そういう症状が病として定着したのはけっこう最近のことのようで、だから、80年代頃の精神科医はその対応に苦労したようだが、どなたかが「これって家が裕福じゃないと成り立たない症状では?」と書いていた。

 そう考えると、明治時代から戦前の富裕層の中にもそういう人はいたと容易に想像がつくが、臨床の現場にまで上がってくる人数は少なかったのかもしれないし、いたとしても、他の病気(統合失調症など)と診断されていたのかもしれない。

 80年代あたりに顕在化したのは、「家長制度の陳腐化」とか「女性の権利の向上」などが要因なのかも。そして、「国民総中流化」とかも。

 そもそも「私は病弱だから働けない」と言われると「そうなんだ」となんとなく納得してしまうが、よく考えると「実際にはそういう人、すごく稀なんじゃ?」って思う。

 もっと意地悪に考えてみると「貧富の格差の増大で、望む教育が受けられない若者が増加」とか言うのも眉唾だよな。

 私と同じ年の友人でもいたのよ。「うちの親が貧乏だったから大学に行けなかった。だったら子供なんて無計画に産むな」って親を憎んでいた人。
 私は親がかろうじて私立大学の学費は払ってくれたので、そういう話聞くと「あー、すんません」って思ったが、同じ仲間でつるんでいた北陸から出てきた男子は「新聞配達やって、自分で学費稼いで大学出た」って人で、そっちは別の意味で頭下がるけど、「あれ?やりようによっては、親に経済力なくてもなんとかなるんじゃ?」って思った。

 結局「親がちゃんとしてないから、私は進学できなかった」と、20代後半になっても言いふらしているような人は、本当に大学に進学したかったわけでもなくて、ただ親を批判したいのか、いまいちパっとしない自分の境遇を「大学に進学させられなかった親のせい」にしたかったのかよくわからなかった。

 つーか、私自身が、書類上は高卒だったのだが、バイト先から正社員になっていたので、「大手だったら難しいが、中小零細だと学歴よりも実力のようだ」と思っていたので、20代後半になって「大学進学できなかった恨みつらみ」を語られても・・・・と思った。

 N嬢も私が出会った20代半ばの頃は「私は大学院まで進みたかったのに、親に財力が無いので、無理だった」と愚痴っており、実家がもっと裕福だったら、海外留学でもしたかったようだが、そうできない環境に不満を抱えていたので、まさに「贅沢な悩み」としか思えなかった。

 たぶん、多くの若者は、実はあんまり勉強したくないのである。
 今朝のニュースショーでも京大の寮に警察が強制捜査という、ノスタルジー感じる全共闘世代的なニュースがあったけど、長島一茂が「オレのころもありましたけど、テスト受ける前にそーゆー人たちが乱入してきて、なんだかよくわからないけど、テストが中止になって、ヤッターって思ってました」と言っていたので、笑ってしまった。

 私の世代の学生運動のイメージってそうだったので。
 ただ、友人M嬢なんかは「やっとの思いで地方から上京して大学に入ったのに、学生運動ごっこしているバカどものせいで、授業が中止になり、おめーらが、私の貴重な学費返せーって思ったよ」と熱く語っていました。

 その気になれば、どんな環境にあっても、それなりに勉強はできるでしょう。
 つーか「勉強って何?」って、そもそも思うのですが・・・・

 「家が貧しかったので上の学校で学べなかった」という人は、いったい何を学びたかったのか?

 そう考えると、時代が「境界例」化してないか?

 「世の中が悪いから、私が不幸なんだ」って話けっこう目にすること多いので。

 まあ新卒の就職のタイミングの良し悪しはよくわかるので、「同じ実力の人でも、時期によって待遇が違う」っていうのはわかるのですが。

 N嬢の話に戻ると、「大学院とか留学とかしたかった」と思っているのなら、地方の実家で地道に研究でも続けているのなら評価するけど、それができる環境なのに、そういう「まっとうな方向」には進まないあたりがビョーキだったんだろう。

 彼女がかつて言っていた「大学院まで行きたかった」というのは「まともに就職しない理由が欲しかった」とうだけの話で、本気で研究者になりたかったのなら、いろいろやりようがあったと思うのです。文学部だったし。

 たぶん、そんなだったから、教授とのつながりも薄かったようで、そんな話聞いたこともなかったし。

 で、書いててまた思い出したんだけど、N嬢は私に「少しフランス文学に興味ある人は、マルグリットっていうとデュラスって言うんだけど、私にとっては、マルグリットといえば、ユルスナールなのよ」と語ったので、試しにユルスナールも図書館で借りて読んでみたが、今で言うところの「わー、中二病みたい」な小説だったので、デュラスと比較するようなものではないと思った。

 デュラスの小説家としての評価はよくわからないけど、「実体験」としての物語設定の世俗受けは評価できる。
 だって代表作だった「愛人」って、仏領インドシナなのに、貧乏フランス人一家に育った主人公が華僑の青年に体売って・・・・みたいな話だったから、そりゃ東洋人のオジサン達食いつきますわよ。

 映画化作品を映画館で観たが、スポーツ新聞愛読者なオジサン客ばかりでした。(R指定に反応したんだろうね)

 まあ、そんで、N嬢に「ユルスナール読んでみたよ」と言ってみたら(そのあたりが、20年の時を超えて気に入られてしまう要因なんだろうけど)、「ね?ユルスナールのほうがいいでしょ?」とか言われた記憶がある。

 で、とうとう、なんでN嬢が「ユルスナールのほうがいいのよ」って言うのか、その理由というか根拠は不明だった。彼女的には「ユルスナールのほうがいいに決まってる」ってだけだったような。

 また話を蒸し返すと、N嬢の空虚さは、「だって、こっちのほうが趣味がいいでしょ」という優越感と切りはなぜず、ここ数年頻繁に来るメールでも「陶器市に行くのが好き。お気に入りの窯があるんです」とか「古い着物ってやっぱりいいですよねえ」とか、「趣味がいい自分」をアピールするのはいいのだが、それだけで終わっており、それを人に伝えることができないというか、「趣味のいいものに浸ってる自分ってステキでしょ?」ってことに終わっていた。

 そして、「ミヤノちゃんだったら、こういうのどうします?」って下手な感じで聞いてくるのだが、そもそも「最近亡くなった伯母が大量に着物を残したんですが、どう有効活用するのがいいと思います?」って言われても、こっちは着物の趣味無いし、でも、母の友人がやはり資産家で古い着物の処分に困って、ポーチやらに加工して配ってくれるのを母は迷惑がっていたので、「私、こういうポーチけっこう使うから」と有りがたく引きとっていたのを思い出し、「うちの母のご友人はそう処分しています」と返事したら「古い着物の処分方法って、それくらいしかないんでしょうね。とりあえず、仕立て直せるものは自分のサイズにしてみて、自分で着てみます」とか返事が返ってきたのである。

 難しい質問を他人に投げて、他人が凡庸な返事を書くと「それって凡庸ですねえ」って話なのだが、これ、何度が繰り返されると、けっこうダメージ受けるようです。

 その合間に適度に「私は健康を害しているのですが、ミヤノちゃんは健康のようでうらやましい」とか持ち上げるので、「健康っていいな、健康ってうらやましい、もしかして、健康な人って病弱な私には思いつかない、画期的な古着の有効活用法を思いつくんじゃないでしょうか?」からーの「ああ、やっぱそういう凡庸な案しか出ないんですね」って落とすんだよね。

 たぶん、一ヶ月周期くらいで「持ち上げる」→「落とす」をやられていたみたいです。

 でも、これ、他人に説明するのも難しいな。
 そのあたりが境界例の扱いの難しさなのかもね。

 
11月13日(木)

 久々に精神がまともな友人から電話がかかってきて、2時間ばかし普通にトークしたけど、「まともな人、マジはんばねー」とそのありがたさに感謝した。と日記には書いておこう。
 (まともな人の自虐と自信の配分にフツーに感心した。まあ会社ではそういう会話しているんだけど、最近、フツーじゃないらしい友人とのメールのやりとりに苦心していたので)

 (つーか、あれを異常だとも思っていなかったのだが、そう思わせないあたりが「境界例」とやらのやっかいなところらしい)

 (「世に棲む患者」の境界例の話し読んで、「プロの精神科医でも境界例には振り回される。中には精神科医辞める人もいた」ということだったようで、それは80年代頃の話しだったようだが、私が今、なんとなく相手している人もたぶん、80年代に熟成された、軽度の境界例ってことなんだろう)

 (中井先生が挙げていた境界例の特徴として「治療者への賛美と突然の非難」っていうのは、ほんとそんな感じ。)

 (私は変に持ち上げられてもそれに乗らないけど、そこからバサりと落とされるとそれなりにヘコむ)

 (相手が何を求めてるのかわからないので、「私を持ち上げて何が楽しいんだろう?」とか「私を落として何が楽しんだろう?」とか思うが、相手だってどうしたいか明確にわかっているわけでもないんだろうね)

 

11月12日(水)

 「世に棲む患者」面白いですわ。

 医学雑誌に寄稿された文章や、講演録などの短篇集なので、重複する記述も多いけど、それがまるで変奏曲みたいで楽しいのだ。

 妄想症の章では「妄想症の患者さんに『あなたは実はお人好しなんでは?』って言ってみると、意外とすんなり受け入れられる」と書いてあり、「あー、なんかわかるー」と納得してしまった。
 なんつーか、妄想の人って「自分は善人である」って根拠不明の自信があるんだよね。
 そんで、善である自分を脅かす者への警戒心がハンパじゃないというか。


11月11日(火)

 精神科医のブログの過去ログも全部読み終わったので、また通勤のお供が本になりました。
 それで、読みかけだったコニー・ウィリスの短篇集を再開して、すぐ読み終わったので、今後は少し前に買った「世に棲む患者」という中井久夫という精神科医の著書を読み始めた。(ちくま学芸文庫)

 出だしが「患者を無理やり職場復帰させるのはよくないよー」って話しで、中小企業ではあるが労務管理をしている部署で働いているので、気持ち的に参考になりそうな話しだ。
 その中で「生産活動を再開するより前に、消費活動をさせたほうがいい」という記述があり、「そうよねー」とちょっと嬉しかった。

 友人M嬢が長らく無職でいたのだが、「いいから働け」とハッパかけにくかったし、元々は超働き者のM嬢であったから、無職を続けているのは「たぶん、うつ病なんだろう」と思ったので、「いいから働け」とは言わずに、マー君が出る試合に誘っていたのであった。
 金を使う目的ができれば、「少しバイトでもしてみようかなあ」って気持になるかと思ったからである。

 結果、M嬢はとうとう復活しないどころか、嫌いな球団や嫌いな選手や、球場でマナーのなってない客の悪口や過去のトラウマ的出来事などを私にまくしたてることばかりやっていたけど、後で思えば「私が球場に連れださなければ、5年もあの状態をキープできなかったよなあ」って思える。

 もっとも、中井久夫先生が語る「患者」って統合失調症の患者さんのことなんだけど。

 どうも、M嬢にしてもN嬢にしてもKM君にしても、統合失調症じゃないような気がするので、私は未だに統合失調症という病がよくわからないのであった。

 さて、数年前にうつ病で休職したが、無事復職して今は普通に働いているY嬢は、時々「私にケンカ売ってるの?」って雰囲気になることがあり、彼女にネチネチ絡まれると「こっちがウツになりそう」と思うことがたまにある。
 それが常にそうではないので、苦手な人でもないのだが、数ヶ月に一度くらい、苦手な人に昇進するのだが、今日がそういう日だった。

 一ヶ月前くらい(3週間くらいか?)、私が彼女に確認をお願いしたことがあった。

 取引先にA商店とB商店があり(どちらも個人事業主なので法人ではない)、B商店のオーナーが廃業することになり、店の権利をA商店のオーナーに譲ったのである。
 我が社(といういか、Y嬢が営業事務をやっている子会社。私は経理を請け負っている)は、A商店とB商店から10万円づつの保証金を預かっていたのだが、保証金は「支店数」ではなく、「1オーナーにつき」だったので、廃業するB商店に保証金を返却するのが普通だったが、売掛金を含めての営業譲渡とのことで、A商店がB商店の売掛金を支払う際に保証金は差し引くという話しだった。

 ところが、A商店は保証金分を差し引いてこなかったので、そのことをY嬢に確認したのだが、「え?あれはもう、とっくに清算されたでしょ?」と言うので「いや、されてないんですよ」と言っても「いや、もう済んだよ」「だから済んでないんだってば」と押し問答してもしょうがないので、私はエクセルの表に「A商店とB商店の売掛金と入金履歴」をまとめて、Y嬢にメールした。

 そしたらY嬢から電話があり「だって、あれはもう済んだでしょ?」ってまた言うので「だから、もし、そうだったとしたら私の認識が間違ってるんだろうから、それを確認してほしくて、エクセルで添付したんだけど?」って言ったら「添付?ああ、見落としてた、じゃあ、これで確認すればいいのね?」と言うので、「ええ、そうしてください」と言ったら「これ、急ぎなの?」って言ってきたので「いーえ、全然急いでません」で終了。

 Y嬢にとっては「とっくに済んだはずの話し」だったようだし、自分がそう思っていたことを私が「まだ済んでないので確認して」と言うタイミングも悪かったんだろうけど、そういう時、Y嬢は「これ急ぎ?」ってよく聞いてくるが、こっちが「いや、全然急いでないから」って言うと、本当に1ヶ月くらい平気で寝かすのである。

 気が小さいんだか気が強いんだか、よーわからんが、たぶん、気が小さくて気が強いんだろう。
 先制パンチは、私がお弁当を食べていた12時15分くらいにやってきた。
 「例のA商店の件、先方に確認したら、3月某日に20万円振り込んだはずって言うんだけど、入金伝票は10万円しか入ってなかったんだけど、なんでだろう?」

 えーっと、私が確認メール送ってからもうずいぶん経つのでとっさに詳細はわからないけd「だから、それはB商店の分も入っていたと思って、伝票分けたんだと思う」と答えたら、「うーん、とりあえず、確認してね」

 昼休みが終わってから対応しようかとも思ったが、私が「こういう経緯になっている」とまとめたファイルはいつでもすぐに開けるように、デスクトップに貼り付けていたことを思い出し、お弁当食べながら開いてみたら「やっぱしー」

 営業譲渡が決まった時点で、A商店には50万円、B商店には10万円の売掛金があった。(って例にするとB商店の売掛金と保証金がすぐに相殺できちゃうが、実際はもっと端数のある金額でした)

 まず、3月某日にA商店から20万円の入金があったので、私はそれを「A商店10万円、B商店10万円」に振り分けた。
 そして、それから2週間後くらいに、A商店から40万円の入金があったので「これで売掛は無くなったけど、あれ?保証金は?」と思ったので、Y嬢に確認してもらったら「引くの忘れてたらしいので次回の入金で引くって」と言っていたのだが、次回もちゃんと満額振り込まれたので「まだ引かれてないよ?」と言っていたのである。

 そのあたりで、私もいちいち確認するのを忘れていたのだが、9月頃「そういや、この保証金がまだ未処理だ」と気がついて、「どっかで引かれてないよね?」と再確認してみたら、なんと、ややこしいことに、A商店は、5月分を丸々支払ってなかった。

 なのでこれはもしや、Y嬢が5月頃に「保証金は次回のお振り込みから差し引いてください」っていうのを拡大解釈して「5月分は払わなくていいんだな」って思い込んでいたのでは?

 という私が覚えていた過去のやりとりをY嬢に電話で説明したのだが、Y嬢はそんなやりとり全然覚えてなかったようだし(実はメールでやりとりしていたので、私はそのメールをいつでもY嬢に見せられるように準備だけはしていた)、とにかく今になって少し暇が出来たので、A商店に確認してみたら「3月某日の入金の金額が向こうの認識と違うじゃん!」ってことで、かなり控えめではあったが(気が小さいから)、なんとなく鬼の首をとったような雰囲気で(気が強いから)私に「とにかく相手の言う数字と違うから確認よろしく」と言ってきたのである。

 というわけで、私も気が強いから、すぐにY嬢に電話して「だから、私が作ったファイルでそうなってるじゃん」と言うと「ファイル?」って言うので「そのファイルには入金履歴とどう振り分けたが書いていたんだけど?」と言うと、すぐに、しどろもどろになってしまった。

 あー、そのファイルをちゃんと確認しないまま、A商店に確認しちゃったんだろうね。

 こっちも得意先をまたぐ入金だと、会計ソフトじゃわかりにくから、わざわざエクセルにしたのにー。

 というか、Y嬢はそのファイルに目を通す気全くなかったのに(全てが私の勘違いだと思い込んでおり、だからA商店の言ってきた金額と私が入力した入金伝票の金額が違うことで、全てが解決すると思っていたようだ)私が「だから、Aからの入金は20万円でいいんです」と言ったら「ちょ、ちょっと確認するから」と電話を切ったが、しばらくしたらまたかかってきた。

 そしたら「あの入金伝票は間違ってる」と言い出すので「いや、3月に2回入金された金額はABの残金で合っていたから、あそこでゼロになっているという意味ではいいんです」と言ったら「でも、A商店はあの20万円はA商店の分だと言っている」と言うんですが、もはやそんなのどーでもいーんだけど「間違ってるから直せない?」ってY嬢は言うんだけど、もうチャラになってるんだからどーでもいーじゃん・・・・

 と思ったのだが、Y嬢としては、私が提示した資料をちゃんと確認せずに(その資料を作った意図もわからずに)普通に得意先元帳を参考にA商店とやりとりして恥をかいたので、「その恥の原因はミヤノさんが間違った割り振りをしたため」ということにしたいのだろう、と解釈して、「私がテキトーに割り振っちゃたのが間違ってって、ごめんさない」と謝ったら、なんだか納得したらしい。

 2時間後、Y嬢から「A商店は未払い分から保証金分を差し引いた金額を振り込むって」と連絡があり、私のモヤモヤは晴れたのだが、Y嬢がああやって仕事仲間を追い込む才能の確かさに1時間くらいモヤモヤしてしまいました。

 うすうす思っていたのだが、Y嬢のアシスタント的立場の人は長続きしないんだけど、それってやっぱ、こういうところが原因なのかもしれない。
 マスオさんもそういうところあるのだが、「気が小さくて、気が強い人」って時々他人をどん底に突き落とすんだよなあ。

 ただ、こっちがちゃんと理論的に「これはこーだから、こーなってるんです」って言うと納得してくれるのだが、その前の「これ間違ってません?」って態度がドス黒いのだ。
 たぶん、そのあたりが彼らの「気の小ささ」で、彼らは自分のミスを重大なことと考えてるので、他人のミスを指摘する時には「この世の終わり」みたいな雰囲気で言ってくるので、言われたこっちもビビるのである。

 で、そんな重大な雰囲気で他人のミスを指摘するのに、「え?それミスじゃないよ?」ってことになると、「えー、あ、っそうでしたか?」って軽い感じで逃げるので「それはないでしょ!」ってムっとするのだが、彼らは必要以上に他人をビビらせたという自覚はないようで、ただ、自分がミスをしたら死にそうになるので、他人のミスを宣告する時には同じように死にそうな雰囲気で言ってるだけで、それがミスではなかったとわかったら、たぶん、心から「ああ、ミスじゃなかった。よかったですね」と思ってるのかもしれないけど、ほんと「気が小さいけど、気の強い人」は扱いが難しい。

 (気が小さいのは自分だけって思ってるんだろうね)


11月9日(日)

 ここんとこ気候もいいので少しお散歩頑張っていたのだが、今日やっと「おお、これがお散歩のテンションだ!」と、おサンポーズ・ハイになることができた。

 腰痛や猛暑で控え気味だったので、やっとお散歩に必要な筋肉が復活したのかもしれない。

 あと、もしかしたら軽く欝気味だったのかも。
 鬱っていうか、これは30代後半くらいから時々あるんだけど、加齢による脳内分泌物の低下なのか、時々「すっげーつまらない」って感じになるのだ。
 同時に軽い目眩とか、地下通路みたいな空間を歩いていると軽い不安感があったりしたので「心の病かしら?」って思うのだが、しばらく(数日から数週間)立つと、その状態に慣れるようだった。

 これは中年太りも同じで、「またさらに太った!」と違和感を感じても、少しするとそれに慣れてしまうのである。入らなかったスカートを諦めて、新しいの買うのが辛いけどね。

 というわけで、いろいろ衰えて行くようですが、旅客機が着陸する時みたいに、徐々に高度を下げているので、それで体を慣らしている感じのようです。
 たまに、ガクンとエアポケットみたいに落ちると、目眩とか不安感を感じるようだが、最近はそういうのにも慣れてきたので「しばらくすれば大丈夫」と気にしないようになったので、自覚症状が少なくなったけど、今日みたいに「うわ、なんか歩いてるだけで超楽しい」っていう気分が回復すると「そっか、しばらくエアポケットに入っていたんだな」と気がつくようだ。

 それにしても、子供の頃は「歩けるようになった」「おむつが外れた」と「一人で出来ること」がだんだん増えて、さらに「一人でお使いに行けた」「一人で電車に乗れた」と成長を続けて「一人で映画に行った」「一人で海外旅行に行った」と大人の階段を登り、学校を卒業してからは「自分で稼いで生活できるようになった」わけで、その後は仕事で一人前になることを目指し、30代後半くらいで「自分の業務のだいたいのことは自分で判断できるようになった」程度にはなったと思うんだけど、40代になったら人生の折り返し地点に差し掛かったようで、だんだん下降気味になることに驚いたけど、「まあ、こうやってその内、歩けなくなったり、トイレに行けなくなったりするんだろう」って終着点がなんとなく見えてきたので、そういう過程は楽しくなさそうだけど、祖父母がもうやり遂げたことだし、今は両親がその道を邁進しているので、先輩の行く道を観察しつつ、「自分で体験すると、どんな感じなのかなあ」という好奇心はある。

 まず、私が乗らないといけない人気アトラクションは「更年期」ってやつでしょう。
 また先月くらいから不順になっているので、要観察です。

 これも個人差が大きいのでなんとも言えないが、閉経まではけっこう長い不順期間があるらしいので。

 うちの母に「どうだった?」って聞いてみたんだけど、喉元過ぎればなのか、母の場合は大したことなかったのかわからないけど、「自分もそうだったんだけど、友人もみんな言っていたのは・・・」って教えてくれたのが、たぶんホット・フラッシュっていうやつなんだろうけど、時々いきなりドバーっと発汗していたらしい。
 それは季節や場所を選ばないので、「電車乗ってて、あー、なんか来るなあって予感があるんだけど、そうなると、ドバーっと汗が止まらなくなり、一人でせっせと汗ふくのが恥ずかしかった」と言っていた。

 気になるのは「そうなりそうな時に先になにやら来るのがわかる」と言っていたこと。
 どういう「来るのがわかる」なんでしょうね?
 私は若い頃、時々貧血で倒れていたが、最初に耳鳴りというか、耳の奥がシャワシャワ言い出すと「やべー」って思いましたけど、あんな感じ?


11月8日(土)

 昨日、N嬢の悪口書いていたら、パソコンのコード蹴飛ばしてしまい、電源が切れてしまった。(接触悪いのでたまにあるのだが、最近は安定していたのに)

 しかも、日記のファイル壊れちゃって、昨日は復旧を諦め、今日なんとか復旧しました。
 もー、N嬢の呪いに違いない(笑)


●パラダイム・シフト

 今日は出勤していたんだけど、ふと、健康診断の請求書を入力していたら「この人だれ?」って名前があったが、「あー、そっかE嬢が結婚したので、この苗字になってるんだ」と気がついた。

 それでふと思ったのだが、うちの会社でここ数年結婚した女性社員で「氏名を変更してください」っていう人、全然いない?

 念のため同僚K嬢に確認してみたら「私の記憶ではY嬢が最後じゃね?」と言われて、それは私の記憶と一致したので、「結婚したので姓を変更します」ってやったのは、10年くらい前が最後のようだ。

 つーか、Y嬢が結婚した頃、我が社には「既婚の女性社員」が他にいなかったのである。
 一人だけいたけど、その人は40歳くらいで子持ち男性と再婚したという特殊ケースだった。

 それ以前はどうしていたかというと、社内結婚が多かったらしいのだが、「社内で結婚したら女性が辞める」という不文律があったらしい。

 そんな環境の中、10年くらい前に社外の男性と結婚したY嬢はそのまま仕事を続けることになった珍しいケースだったのだが、その当時の総務部では「じゃあ、Yの苗字は変わるんだよな」と話されていたので、私は「そういうのって、どっちにするか、本人に確認するのでは?」って言ったら、「いや、苗字変えるに決まってるでしょ」と当時の上司に言われて、「問答無用でそうなんだ?」と思ったが、友人に「そういうもん?」って言ってみたら「ダッサい会社だね」とばっさり言われたのであった。

 その当時の私の認識としては「変えたい人は変えればいいし、変えたくない人は旧姓のままでいいじゃん」だったのだが、大企業に努めていた友人は、結婚後も旧姓で仕事しようとしていたら、周囲のオジサンたちから壮絶なバッシングを受けたらいし。

 そりゃ、自分の旦那が「新しい姓で、仕事してほしい」って言うんならまだわかりますが、なんで、アカの他人から「なんで姓変えないの?」って問い詰められるのか不思議だったが、あの当時のオジサマにとっては、20代女性社員が結婚しても旧姓名乗ったままなのが、どーしても許せなかったようだ。

 そして、うちの会社でも「結婚して姓が変わったんだから、全部変えるのが当然でしょ?」っていう空気だったのが、10年後にはこの有り様である。

 逆に、結婚した女性職員に「今後の職場での名称どうします?」とも聞いてないようだ。
 なんか知らんが「結婚したら姓を変更するのが当たり前」から10年たって、また強引に「結婚しても旧姓で仕事するんが当たり前」になってしまったらしい。

 「夫婦別姓法案」に断固反対する人ってなんなんだろう?ってずっと思っていたけど、なるほどー、こういうことだったんですね。
 「好きに選べばいいじゃん」って思っていたけど、現実のこのクラスの人々は「前例に習う」に流れがちなので、明確な意思がないまま、劇的にパラダイム・シフトしちゃうようです。つーか、呼び名なんて、実はどーでもいーのかもしれないけど。

 たぶん晩婚化の影響もあるんだと思う。
 30代半ばまで働いていた女子を他の苗字で呼ぶ気が、保守的なオジサンにも、もはや無いんだろう。
 家の概念よりも日常の利便性の勝利っていう感じ?


11月7日(金)

 よし、N嬢が映画の話しをちょろっと書いてきたのだが、「レオス・カラックスが好き」とかやはり趣味が合わなかったので、その続きに唐突に出てきた「うちは兄弟仲最悪です。みやのちゃんは兄弟仲いい?」っていうのに食いついて「そーいや、下の弟さん元気?今なにやってるの?」って返事したら、今日は返事が無かった!!!

 やっと、ポイント・ゲット!

 って、いったい何やってんじゃって感じだが、ほんと、昔から趣味も合わず、話しも噛み合わなかったはずの彼女が、しつこく毎日メールしてくるのがほんと不思議だ。
 ただ、時々彼女のメールに「これ、私のことじゃないでしょ」な内容というか思い込みが混じることがあるので、もしかしたら、彼女は私に「あのまま東京にいられたら、こうなっていたかもしれない自分」を投影しているのかもしれない。

 前に「まだ、ベビーシッターやってますか?」っていうハガキが来たことがあり、「ベビーシッターやってたのは自分でしょ?」と呆れたこともありました。

 この話しも何度か日記に書いているが、まともに働けない彼女は唯一ベビーシッターのバイトだけは性に合っていたようで、「子供って純粋だからいいよ」とか言って、「はあ?純粋?何が?どこが?」と私を不機嫌にさせたが、ある時、「シッター先で叱られた」とヘコんでいた。

 預かってる子にエイフェックス・ツインを聞かせていたらしい。
 そして「子供って純粋だから、エイフェックスに合わせて、楽しそうに踊っていたの」ということだったが、その時に母親が帰ってきて、「あのー、こういう変な音楽聴かせるのはちょっと」と言われたらしい。
 私が「ああ、そりゃ、普通の人にしてみれば、まともな音楽じゃないから、そう言うわな」と言ったのだが、彼女は「でも、子供は楽しそうだったんだよ?」と釈然としないようだった。
 私が「他人の子供なんだから、クラシックの定番とかみんなの歌でも聞かせておけばいい」とアドバイスしても、当然彼女はそんな助言を素直に聞くような人ではなかった。

 その前にやっていたバイトは「クレジットカード会社の申し込みを受付ける派遣」で、今でも、デパートとかスーパーで自社系カードの申し込みブースが臨時に出来ていたりするが、20年前はもっとフォーマルな感じだったはず。
 たぶん、カード加盟店になったそこそこ高級店にカード会社から派遣されていたのだろう。

 ただ、その仕事では「あんなの寄越すな」ってクレームがけっこうあったようだ。
 N嬢の友人だった子が、一例を教えてくれたが「夜遊びして徹夜明けで行ったバイト先で貧血で倒れたから、みんな心配してくれたのに、『大丈夫です、昨日、クラブで徹夜しただけですので』って正直に言っちゃうから、あの子・・・・」

 そりゃ、私だって、遊びの徹夜明けでボロボロだった時に、職場で「夜遊びのせいで今日は体調悪いです」って堂々と言っていたけど、それは信頼関係築いてるから言えるわけで、スポット的な仕事では、そんなこと言わないと思う。

 ある時、N嬢から直接愚痴られたことがあった。
 私が一応「ちゃんと働いている人」であることを見込んで「こういうのってアリ?なんだか酷くない?」って意見を求めてきたのだが。

 そのカード会社の派遣先の店舗で、マネージャークラスのオジサンが、N嬢の履いていたドクター・マーチンの靴を「すごい靴だねえ」と言ったらしい。
 N嬢は、自慢の靴であったし、褒められたのだと解釈したようで「そうなんですよー、この靴、機能もすごくて鉄板が落ちても大丈夫なんです」と胸を張って答えたようだ。

 そしたら、その後、派遣会社から「派遣先に行くときには変な服装しないように」と指導されたので、N嬢はびっくりすると同時に「もし、私の服装が気に入らないのなら、その場で注意してくれればいいのに、どうして間接的に言うの?世の中って怖いよ」と嘆いていたので、私は「そのクレームの流れは普通」と言いつつも「まあ、確かに直接言ってくれないとヘコむ気持がわらからんでもないが」と言いつつも「そもそも、なんで短期派遣でドクター・マーチン履いていくのか理解不能。いいからパンプスくらい履いていけ」と教育的指導した。

 あの頃(私が30歳くらいで、N嬢が20代後半)は、N嬢がそういうのを「不思議ちゃんな自分」を演出するためにわざとやっているのかと思っていたが、今思い返してみると、本気でやっていたんだろうなあ、って思える。

 でも、バイト先で寝不足のためとはいえ貧血で倒れたり、安全靴履いていっても、受け入れられるタイプの子もいるんだと思う。実はN嬢と仲が良かったH嬢がそういうタイプだった。H嬢だったら、派遣先のオジサンは「ダメだよ、徹夜明けだって正直に言っちゃ」とか「その靴はちょっとゴツすぎるから、次はもっと大人しめの靴履いてきてよ」と言ってくれただろう。

 H嬢は、ほんと誰からも好かれる、おっとりとした優しい感じの子だった。
 あまり自己主張しないので、男性的には「オレが守ってあげたい」と思うと同時に「お母さんみたい」っていう印象もあるようで、H嬢に夢中になる男子は後を絶たなかった。

 なので、クラブのラウンジでN嬢とH嬢が座っていると、H嬢に話しかける男性がとても多かったので、N嬢は「日本の男はパーティーでの会話のマナーがなってない」と怒っていたので、N嬢が嫌いだった私は影で「ぷっ、そりゃそーだろーよ」と笑っていたのでした。

 二人は同じ大学のクラスメートだったので、N嬢の調子(頭の)がおかしくなってきて、実家に帰ることになった頃、H嬢は「Nちゃんは、頭いいし、エキセントリックな感じで大学の頃は人気があったんだよ」と言っていた。

 学生時代は、N嬢の方が目立つ子で、H嬢はその引き立て役というか子分的な扱いだったらしい。(たぶん、「変な映画」に連れ回させれていたのはH嬢だったのだろう)

 そして、卒業後も二人して定職につかず、そのカード会社のバイトなどをやっていたようだが、小田急線沿線の世田谷区の自宅に、のほほんと老親と暮らすH嬢(ずいぶん後になって知ったのだが、少し年の離れた兄がおり、東大卒で大企業に就職したけど、退職して自分で商売初めて、そこそこやっていたらしい)と、伯父宅で居候のN嬢では土台からして違うし、いつのまにやら男子からチヤホヤされるのはH嬢ばかりになってしまい、N嬢はプライドの置き場がなくなって、故郷に帰っていったのでありました。

 これも日記に書いたことあるが、N嬢のお別れ会をやったのだが、その場で、N嬢はH嬢への罵倒が止まらずに、参加した人を困らせたのであった。
 そうだ、N嬢がたとえビョーキだとしても、あの皆の前でのネチネチした罵倒は「絶対に許せない」と思ったのである。

 罵倒の内容は実にくだらないものだった。
 「Hは思いやりがない。なぜなら、私の作った料理を不味いとけなしたからだ。人が作ったものを堂々と不味いと言うなんて、そんな人の心を踏みにじる行為を私は許せない」とか言う話しで30分って感じに。
 詳しく聞いてみると、どっかで夜遊びした後、誰かんちに流れ込んで、「お腹すいたね」ってことになり、その家の冷蔵庫にあるありあわせで、N嬢がチャーハンだかを作ったのだが、H嬢が、「うーん、イマイチかな」とか言ったらしい。

 そんなこと、普通の人はその場では多少ムっとしても、後まで覚えているような事じゃないんだろうけど、ビョーキのN嬢はそういう感じの「Hがいかに私に酷いことをしたか」って些細な記憶をこれでもかこれでもかと思い出すので、ほんとあの時には困りました。

 って、逆にN嬢はそんなこと全く覚えてないんでしょうね。

 不思議なことに、あんだけ攻撃されたH嬢は、今でも時々N嬢が上京してくると、お茶したりしているようです。私はもうH嬢と交流が無いのだが、N嬢が「Hは旦那さんがニューヨーク勤務になったからHもニューヨークに転居した」とか「ニューヨークで出産した」だとか教えてくれるので、かろうじてH嬢の近況を知る程度です。

 
11月6日(木)

 N嬢の「マルロオの美術論」へのスマッシュとして「永山絢斗」を出したのですが、やっぱし華麗にスルーされて、「昔、よく変な映画観に付き合ってもらったよね」と映画の話しに戻った。

 しかし、私の記憶に間違いがなければ、一緒に映画観に行ったことは一度もないはず。
 そもそも、N嬢は私にとって「友達の友達」だったので、二人だけで出かけることなどほとんどなかったのだ。
 一回だけ家に泊めたことがあるが、どういう流れでそうなったのかは記憶が無いけど、あの頃は泊まりに来る友達多かったからなあ・・・・

 私は映画をよく観ていた頃でも、ほぼ一人で行っていた。
 六本木で働いていたので、会社帰りに六本木や渋谷の単館にはよく寄っていたが、休日などに友人と誘い合わせて一緒に行くことは数えるほどしかないのである。
 ただ、あの当時は会社で日比谷あたりの映画館の招待券をよく頂いていたので、ハリウッド大作映画は会社の同僚とよく観に行った。
 ジュラシック・パークは、恐竜仲間の友人を誘ったっけ。あと、「スピード」は「これ絶対うちの母が好きなタイプ」と思ったので、母を誘って一緒に行った。案の定大喜びだった。あの当時、うちの母の一番のお気に入りは「クリフハンガー」で「やっぱ映画は手に汗握るドキドキするようなのじゃなくちゃ」と言っていた。

 記憶に残る「友人と一緒に観た映画」は、大学入学してすぐに、サークルで知り合った女の子と話していたら、なかなか趣味が合いそうだったので、二人して六本木の俳優座に「アナザー・カントリー」を観に行った。
 映画館を出てから、喫茶店でお茶していたのだが、二人して「あー、なんか周囲の現実が、現実に思えない」とボヘーっと口半開きで宙を見つめていたっけ。美青年がうじゃうじゃいる映像世界いどっぷりハマってしまったので、ほんと、周りにいる「普通の人々」がカボチャにしか見えなかったのである。
 ちなみに、その子はサークルにあまり来なくなってしまったので、デート(?)したのもそれっきりであった。

 そういや、初めて男子と一緒に映画館に行ったのも、大学1年目の夏休みだった。
 やはりサークルの同級生だった男子が「暇だから映画でも行かない?」と誘ってくれたのである。その男子は女子達から「彼はモテそうだね」と言われていた子で、けっこうおぼっちゃまらしく、わりといいマンションに住んでいて、車はフェアレディーZでした(笑笑笑)

 なんで、私を誘うんだろうか?って思ったけど、たぶん彼みたいな「地元の高校でもそこそこモテていたようはタイプ」は、映画は女連れじゃないと行っちゃいけない、みたいな思い込みがあり、名簿片手に片っ端から電話したら、私が「いいよ?」って言っただけだと思っていた。

 そんで、確か、観た映画が「銀河鉄道の夜」だったはず(笑笑笑)
 ますむらひろしの描く猫のキャラのアニメだったので、向こうが「何か観たいのある?」って言うので「うーん、観ようと思ってたのはこれ」と言ったら、彼も特に観たい映画があるわけでもなかったようで、新宿の映画館の午後イチくらいの回のを観たのだが、周囲は子供連れが多く、隣に座ってた子供が「カンパネルラは死んじゃうんだよ!」と母親に大きな声で語っているような環境だったので、デート的な情緒に著しく欠けていた。

 それからしばらくして、銀河鉄道を一緒に観たモテ系男子の親友で、確か同郷で同じ高校から出てきたらしいが、Z乗り回している彼に比べると普通に「地方から出てきた男子学生」だった男子から電話があり「ミヤノさん、この間はあいつと一緒に映画観に行ったんだって?」と言うので「そうだけど?」って普通に返事したら「じゃあ、今度オレと一緒に行こう」と誘われた。

 この流れはなんなんだろう?とちょっと考えたが、これはもしかしたら、こっちの彼のほうのお相手として私が候補に上がっているので、モテ系の友人が私を下見してみたとか、そういうこと?と思ったような記憶があるが、あんまそういうの意識するのもなあ、って共学校の理科系部活で男子に囲まれていた私は、「男子意識しすぎるのもどーよ」的な意識が強かったので、またノコノコと出かけた。

 選ばれた映画は「スペース・バンパイヤ」であった(笑笑笑笑笑)

 ものすごーいB級SFでした。
 その男子とも映画が終わって軽くお茶してから、夕飯も食べずに家に帰った。

 あの子の記憶が曖昧なんだけど、「東京はやっぱ肌に合わない」とかで1年持たずに故郷に帰っちゃったんじゃなかったっけなあ?
 そうそう、すでに5月病みたいな状態だったので、親友のモテ系の子がいろいろ世話をやいていたので、だからその時の映画の誘いも「ふーん、そういうこと?」って思っていたような微かな記憶もあるが、もはや記憶も不鮮明である。

 でも「スペース・バンパイヤ」がどーしよーもない駄作だったことは確かだ。しかも、裸が多く出てきたので、「大学1年生の男女のデート」で選択すべき映画ではなかった。

 思えば男性と一緒に映画を観て、いいことなんて一つもなかった。

 あれも大学1年生の後半だったが、バイト先で親しくなった10歳くらい年上の男性と一緒に映画観に行ったのだが、あれはえーと「旅芸人の記録」で有名なテオ・アンゲロプロスの新作が六本木のシネ・ヴィヴァンで単館上映されているのを観に行ったのだが、実に地味な映画であったが、それよりも、帰りの電車で、近所のオバサンに目撃されてしまい、母に「男の人と映画観に行くなら、そう教えてよ」と小言を言われ「そんなんじゃないもん」とふてくされた思い出がある。

 あと記憶に新しいのは派遣社員として働いていた時に、なんとなく仲良くなった男性がいて、ある時「観たい映画があるんだけど、よかったら」と誘われたので「お、これはデートの誘いですか?」と、それほど気乗りしていたわけでもなかったんだけど、そういう正統派なデートのお誘いも珍しかったので、気負わずに行ってみたら・・・・

 「アルマゲドン」だった・・・・・

 あまりのつまらなさに、かなり不機嫌になってしまったのだが、誘った彼も見終わった後に「これはつまらない」と思ったらしく「いやー、知り合いが面白いって薦めてくれて、『タイタニックよりも面白い』って言ってたんですけどねえ」って言うから、よけい不機嫌になったじゃないの。

 というような経験をしたせいもあり、私は「映画は一人で観たほうが気楽でいい」というタイプです。
 他人と一緒に鑑賞したければ、自宅でワイワイとヤジりながら見ればいいし。昔、女友だち2名と一緒に「モーリス」の上映会をやったが、途中までみんなで「こっちから好きっていったのに、そういう関係にはなりたくないとかってヒドーい」(男同士の恋愛の話しです)なんて、みんな一度観ていたので、好き勝手にヤジっていたのですが、結末付近になったらみんなで「シーン」となってしまったほど、「モーリス」は深い映画でした。

 イマドキの若い腐女子に「モーリス」観せてみたら、どういう反応になるのかなあ?

 私の世代だと「アナザー・カントリー」とか「モーリス」はバイブル的な作品でしたが、今だと話題に登ることもなく、少し前に「ブリジット・ジョーンズの日記」が流行った頃でもすでに、私みたいに「ひえー、アナカンのジャドとモーリスのクライヴがブスい女を巡って争ってる?」と遠い目になってる人は少なかったようだ。


11月5日(水)

 休み。

 頭の中で運動会の音楽が鳴り響いているので「運動会に行きたい」と思うようになり、運動会とは全然雰囲気違うけど、東京六大学野球の秋の新人戦に行ってみた。

スポーツの秋なので神宮球場で六大学新人戦観戦 pic.twitter.com/K5jRxRfazi

— のんちゃん (@limnonchang12) 2014, 11月 5
 新人戦は応援団がいないので静かで野球の本当の音が聴くことができます。(最初に言ってたことと矛盾している)

 第一試合の後半に球場に入ったのだが、立教−東大で、東大の投手が好投していたので、1−0という結果でした。東大は去年も新人戦でうっかり勝利したんじゃなかったっけ?(軽くニュースになってたような)

 そして第二試合は早慶戦だったのだが・・・

ひょえー 早稲田の先発投手吉野は身長187センチの長身なのにまさかのアンダースロー 何でこうなった? pic.twitter.com/pGcXr9ICPW

— のんちゃん (@limnonchang12) 2014, 11月 5
 帰宅してからネットで調べてみたら、アンダースローマニアの間では去年から熱く注目されていたようだ。
 しかし、若い頃の岩隈みたいにヒョロりと線が細い投手であったが、187センチの投手をアンダースローにするなんて、思い切ったことするなあ。どういう経緯なのかは、彼が今後活躍したら取材されるかもしれない。

 さて、新人戦のお楽しみは実は客席の方である。
 上級生が客席で観てるから(笑)

 でも、私は最近全然、六大学観に行ってないので選手を知らないのだが、試合後にサイン攻めにあっていたのは多分、有原だったのかな?

 有名選手が客席にいるのはもちろん楽しいけど、六大学の野球部はそういう時も「公式活動」としているようで、制服着てくるのですが、ブレザーの大学もあるけど、早稲田や慶應や東大は学生服なので、「学ラン萌え」できるのです。

 身長高い子ばかりだから、見応えあります。

 ただ、顔がいい子ばかりではありませんので、少し距離を置いて眺めるのがいいでしょう。近づいてみるとニキビ面だったりするので。

 あと、東大の監督は学生コーチの子がやってましたが、その子が一番すらりと背が高い(186センチ)ので違和感ありまくりでした。
 別に背が高けりゃいいってもんでもないけど、「体格いいのに、もったいない」って思ってしまいます。

 以上、往復の徒歩10キロも含め、いいリフレッシュできましたので、明日からまた仕事頑張ります。

 足の関節を酷使したので、渋谷で桂花ラーメン食べてコンドロイチンを補給しました。
 (そんなもん経口摂取しても効果無いらしいですが、「いっぱい歩いたら、とんこつラーメン食べてもいい」という言い訳に都合がいいので)

11月4日(火)

 日曜日は朝はイベント会場の応援で、午後は他部署の内勤の応援だった。(学園祭シーズンで学生バイトが少ないため)
 慣れない仕事の上、朝7時から夕方6時まで働いていたので、さすがに疲れが出たのか、今日は朝起きるとまぶたがピクピク痙攣していた。

 たまにそうなることもあるが、今日のピクピクは夕方までずっと続いていたのが珍しかった。

 そしたら、他部署の社員が「妻が無事出産しました」と報告に来た。
 どうやらかなりの難産だったらしいが、詳しく聞くと、陣痛が始まって分娩室に入ってから24時間かかったらしい。ずっと分娩室にいたわけでなく、隣の準備室みたいな所と行き来していたようだが、フロアにいた出産経験のある女性2名は「24時間???」と非常に驚いていたので、普通はどれくらいなのか聞いてみたら、「私は早くて、5,6時間でした」と言うが、6時間でも長く感じるがねえ?

 私が真っ先に聞いたのは「それって、途中でご飯食べられるの?」ってことでした。
 そしたら出産経験のある人は「とても食べられる状態じゃないし、吐いちゃったり、肺に入っちゃったりする可能性もあるから、食事なんか出来ません」と言うが、24時間クラスになるとある程度の水分補給はされるんだろうけど、陣痛と戦いながらの24時間を食事無しで過ごすのって、相当体力消耗するんだろうなあ。

 私の「慣れない仕事で12時間」の比ではないだろう。

●いけすかない友人とのメールのやりとり

 相変わらず友人N嬢からはポツポツメールが来るのだが、返事に困る内容だと無視しているのだが、そうすると話題変えてまたメールが来る。
 今回は「私は新聞がやっとで、雑誌や本もあまり読まなくなっちゃった。誰か面白い作家います?」ってメールが来たので、確信犯的に「高野秀行」をあげて返事した。そしたら・・・

 「高野秀行は一冊も読んだことないですね。現時点では今年の私のベストはマルロオの東西美術論三巻全てですね。図書館が遠くて本買うお金もないので父の蔵書を読んでて読み終わったら掛かり付けの病院に寄付してます。映画は何か面白いのありましたか?」

 えーと「マルロオの東西美術論」っていうのは文脈からすると父の蔵書なんでしょうか?えーと、そんなもん(いや、どんな本なのか知らないけどさ)を病院に寄付しても・・・・何の病院か知りませんが、診療所じゃなくて、図書室もあるような大きい総合病院なんだろうか?

 おっと、「マルロオの東西美術論」で検索してみたら、1957年刊行ですって。

 ほんと、N嬢のこういうスノッブなところ、20代の頃から変わらないよなあ。
 あの頃もずっと「日本人は文化教養度が低い」と嘆いていたけど、その魂は不滅らしい。

 父の蔵書の古い美術書を読み、古い着物が大好きで、陶器も趣味のいいものを集めていて、パンを焼くのが趣味だが、パンを焼くのは買うより経済的なのです。などと、私にメールしてくるので、たぶん「趣味人」的なことをアピールしたいのだろうけど、そんなこと私にアピールされてもどう反応していいのか困るし、同時に将来の不安も混じってくるので、だた「へー、すごーい」と持ち上げるわけにもいかず、返事書きにくいのであった。

 まあ、たぶん、私が「へー、すごーい」って絶対に言わない(書かない)あたりが、気に入られてる理由なのかも。

 前に彼女のクリスチャンとしての活動について少し興味を示したら(教会から離脱した信者で通いの牧師を呼んで自宅で集会しているらしい)、しばらく詳細にその活動について語られたが、イマイチその説明がよくわからなかったので、「へえ、プロテスタントの宗派って多彩ですよねえ」程度に聞き流した。

 彼女の日々の生活はメールだといまいちその魅力が伝わらないけど、ブログで書いてみたら、「地方都市でひっそり生活する教養あふれる女性の日記」みたいな感じになりそうだけど、パソコン持ってないそうなので。

 ブログに写真付きで書けば「題名:父の蔵書 写真(古書) マルロオの東西美術論全三巻を読み終わりました。図書館が遠くて本買うお金もないので父の蔵書を読んでて読み終わったら掛かり付けの病院に寄付してます。」ってとても美しくまとまると思う。
 雰囲気的には白洲次郎と正子の子孫みたいな。

 うん、いいと思うよ、趣味の良さだけで生きていくのは。
 実際、趣味の良さだけで生きていた人ってほとんどいないと思うけどね。(千利休しかり、魯山人しかり、白洲夫妻にしたって、それだけで生活していたわけではないと思う。けっこう泥臭い現実と向い合っていた時間の方も長い)

 でも、たぶん、私にこれだけ頻繁にメールしてアピールしてくるっていうことは、彼女の周囲にその趣味の良さをわかってくれる人がほとんどいないってことだろう。
 で、私も全然わかってないし、それは彼女が東京にいた数年間でも散々言ったはずだが、なぜ彼女は未だに私にアピールし続けるのだろうか?

 こっちとしては、なんだか「お仲間」認定されてるようで、あんま嬉しくないんですけど。

 まあ、ただ、私はどっちかというと「趣味の悪さ」を変に自慢するところがあるので、そのあたりが居心地いいのかね?

 「趣味のいい人」で思い出したが、千葉に実家があった頃、近所の「趣味のいい」奥様方に慕われていた独身女性がいたという話しを母から聞いたことがある。

 その女性は山歩きが趣味で、山で採取してきた植物を庭で栽培していたようだ。(ホントは山で採取しちゃいけないらしいんだけど、そういう趣味の人はけっこうひっそりとやっていたようだ。高校の時の先輩にも、高山植物を自宅の庭で栽培するのが趣味の人がいた)

 その女性はお茶を習っていたようだが、茶会の席には草花をさりげなく活けるのが粋であるので、その女性はお茶の生徒さんから「お花の先生」扱いされて、彼女が行く植物採取の散策ハイキングみたいのに同行するようになり、そのうちお茶の世界だけでなく、ガーデニングが趣味の人も加わり、近所のそこそこ裕福で趣味のいい主婦達から慕われて、その女性が定年退職すると、一軒家だった自宅は毎日がサロン状態になっていたようだ。

 家庭菜園で無農薬野菜を作ったり、その野菜を加工したりする趣味も良かったらしく、「草花や野菜の知識豊富な人」として「ステキな奥様」達を惹きつける人だったようだ。

 独身だったけど、公務員だか一部上場企業だかを定年まで勤めた人だったので、老後の資金には不自由することなく、悠々自適のセカンドライフを謳歌していたらしいのだが、60代後半になって、自宅で突然死しているのが発見された。

 くも膜下出血だか心筋梗塞だか知らないけど、近所の奥様がいつものように彼女の自宅を訪問したが返事がなく、「あら、買い物にでも出掛けているのかしら?」とその時は思ったらしいが、翌日も応答が無いので「長期で不在になるのなら、絶対にそれを言うはず」と確信できたので、近所の交番のおまわりさんを呼んで、あれこれすったもんだしたあげくに、室内ですでに亡くなっているのを発見したらしい。

 彼女の取り巻きだった「すてきな奥様」連中は、教祖様を失って嘆き悲しんでいたという。

 ・・・という話しを、私が30代後半の頃、うちの母が「あんた、本当にこのまま結婚しないつもり?」っていう話しの延長で聞いた。
 母は「ずっと独身って寂しいわよ」と言いながら、その彼女の話しを思い出したようで、(うちの母は彼女の信者ではなかったが、仲が良かった人が信者だったので)「まあ、そういう人もいるけどね」と話してくれたのだが、「それって結婚するより難易度高いだろう」と思ったっけ。

 ああ、そっか、N嬢が私に執着するのは、私が独身だからだよね。

 たぶん、田舎で独身っていうのは、私の想像以上にキツいことなんだろう。

 そんな田舎じゃなかったけど、実家が千葉にあった頃は、うちの母は「なんでうちの子は誰も結婚しないの?」と嘆いていた。
 なので、中央線沿線に引っ越して「周囲の目」が無くなって、母が「ご近所はみんな孫が遊びに来て楽しそうなのに」とか言わなくなった頃、弟がやっと結婚したのである。

 今の実家のご近所さんが最高で、一番よく立ち話している隣の家の長男ったら、「ほぼ行方不明」なのである。
 長男の不在について、その家の奥さんは「あちこち放浪してるから」と、多分修辞的な言い訳をしたようだが、うちの母はその言い回しをそのまま受け取ってしまい「うちの娘も(私のこと)インド放浪してたことあったのよー」と言ったことで、向こうはそういう解釈を否定することもなかったので、なんだかそーゆーことで収まっていたのだが、隣の老人が亡くなった時に、ひょっこり長男が現れたので、うちの母は無邪気に「あら、アジア放浪の旅から戻ってきたの?」って聞いたら、隣の奥さんは「お宅はホントに長女が放浪しているのかもしれないけど、うちは実は違ったの」って白状したらしい。

 別に白状してくれなくてもよかったのだが、冗談で「うちの長男は放浪してて」って言ったら、「うちもよー」ってマジ受けされちゃったので、そういうことになっていたが、ご長男は放浪していたわけでもなく、単なる長期家出状態だったらしい。

 何が言いたいかというと、千葉に住んでいた時には近所の幼なじみは次々と結婚して孫が産まれていたのだが、中央線沿線に引っ越したら、お隣はうちより難儀していたので、大変助かってますってことだ。

 とりあえず、長期家出状態のあっちの長男に比べれば、ちゃんと仕事している私のほうがちゃんとしているに決まってるし、うちの妹と同じ時期にとなりの次男の嫁も妊娠していたのだが、隣は敷地内同居だったため、次男嫁は出産後は都内の実家に戻っていたが、そのままほとんど帰ってこないまま、2年ほど別居状態が続いていたけど、とうとう離婚してしまったらしい。

 で、お隣はせっかく孫が出来たのに、ほとんど会えない状態の最中、我が家は「あたし、育児ノイローゼになりそう」という妹が頻繁に実家に滞在していたので、それは自慢できるようなことではないのだが、「嫁が孫を産んだ後、実家から戻って来ないのです」ってお隣の事情と比べると、「うちの娘は孫連れてずっとこっち頼ってばかりで・・・」っていうのは自慢話にしかならない。

 で、隣のご夫婦も、それで卑屈になっているわけでもなく、他所と比べて自分の位置を確認するような人たちじゃないから、「嫁がとうとう帰ってこなくて離婚しちゃった」と報告してくれたんだろう。
 もしかしたら、隣家にとっては、うちの「産後実家にべったり」な妹の存在が「ああ、娘はやっぱし実家が一番なんだね」と嫁がこっちに居着かなかった理由を補填することになっていたのかもしれない。

 私は今住んでいる所で近所付き合いをほとんどしてないのですが、親の近所付き合いの話しを聞いていると、「ああ、職場の人間関係と似てるなあ」って思います。

 って長々と書いていたら、なんだか気が済んだので、N嬢に返事を送りました。「映画は観てませんが、最近エンタメ系で衝撃的だったのは、永山絢斗が瑛太の弟だったってことでした。それがわかって観てみると、話し方とかそっくりだった!顔は似てないと思うんだけど、鼻の感じとかやっぱ似てた。」

 マルロオのなんちゃらのお返しに永山絢斗って、実に気の利いた返事であると自画自賛。

(こーゆーところが、キ印の人に見放されない要因なんだろうか?)


11月3日(月)


 先日、運動会の定番BGMという記憶を掘り起こしたが、おかげで脳内BGMがそればっかりになってしまい、人生楽しくってしかたありません(笑)
 自殺の名所対策として、ああいう曲を流しておいたらどうでしょうか?でも、急かす曲が多いので背中押しちゃうかな?

 でも、複数の曲が同じダンゴ状態で記憶されているので、それを分離するのはけっこういい頭の体操になった。クシコスポストを脳内再生した後に、すぐ道化師のギャロップが思い浮かばなかったりするし、トランペット吹きの休日の次にウィリアム・テル序曲のファンファーレを思い出すのもけっこう難しい。

 私が音感が悪いせいもあるだろうけど。

 ただ、ほぼ一発で起動させられる曲もあり、それは「天国と地獄」であった。
 あれは、運動会よりも「フレンチ・カンカン」のイメージの方が強いようだ。

 横にズラっと並んで、スカート持ち上げながら踊ってるイメージを浮かべると自然と「天国と地獄」が再生されるらしい。・・・・・・と、思っていたら、そっか、それって「カステラ一番 電話は二番」の文明堂のCMじゃん!

 んー、でも、確かにあのCMもフレンチ・カンカンなんだけど、あれはもう「天国と地獄」の別バージョンみたいな扱いになっているので、曲の記憶の起動スイッチとしては、ムーラン・ルージュ的な映像だなあ。

 そういえば、やはりネットのどこかで「友人夫妻が披露宴の新郎新婦入場の時にドラクエのテーマ曲流したら、友人一同に非常にウケた」というエピソードを読み、やはり「ドラクエのテーマ曲?」と思って検索したら、さすがに私でもよく知ってるメロディーだった。
 ドラクエに馴染がある人達には「おお、これから二人で冒険に出るんだ!ぴったりじゃん」と好意的に受け取られたようだし、知らない人は「聴いたことのあるメロディーだけど、何の曲だったっけ?」程度なので、たぶん「不謹慎だ!」なんて言う人はいなかったのだろう。
 うちの親くらいの年代だと、ほんとに全然知らないだろうし。

 私はゲームをほとんどやらないので、ああいう世界のお約束事に疎くて時々苦労するが、そういうのはガンダムやエヴァンゲリオンでもあるし、村上春樹だってそんな感じである。
 昔に比べるといろいろ多様化してしまったので、「これさえ押さえておけば大丈夫」っていうコンテンツが少なくなってしまったが、まあ、ネットでいろいろ調べられるから、全然わからなくてもある程度はついていけるし。

 今だと、そういう「ほぼ全世代に通用するお約束」って、「なんでも鑑定団」と「ビフォー・アフター」くらいかな?
 あと「鉄腕DASH」も長寿番組だから、けっこう汎用性が高い。

 でもやっぱ「なんでも鑑定団」と「ビフォー・アフター」は、他の番組でそのBGMが流れても、「あー、それそれ!」ってシチュエーションが誰にでもわかる確率が高いような気がする。
 たとえば、社内システムが不具合起こして、「さあ、困ったね」って時に、システム部の大御所がノシノシとやってきたら「匠がキターーーー!」って盛り上がり、誰かが♪チャララララーンと匠登場のテーマ曲を口ずさんたら盛り上がるだろう。

 そして、無口なシステム部大御所が「どれどれ」と不具合を確認しているシーンでは、♪ちゃーら ちゃらららーら ちゃらっちゃちゃらっちゃらっちゃらーら と鑑定団の査定時のBGMがふさわしい。

 そして無事、不具合が修正されたら「なんということでしょう!」とか「いい仕事してますねえ」と褒め称えておけばオッケー。かも。

 


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