可燃物な日々

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日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました

1月30日(木)

 昨日はジェイミー・カラム君のライブを観に行った。

 オーチャード・ホールの上の階の席だったんだけど、最前列だったからゆっくり座れて観られたのがよかったです。
 相変わらず「音楽の神様に愛されてるなあ」って感じのジェイミー君でしたが、オーチャードホールなのに、途中で「みんな前へ!」と煽って、警備側も了承済だったのか、困ったのか知りませんが客層がかなり上だったので、みんなモソモソと前の方へ詰めていて、一階席前方がスタンディングのライブハウス状態になっていました。

 それにしても、ジェイミー君ももうあまり若くはないので(34歳だって)、あんなにピアノの上からジャンプしたら足を傷めないだろうか、と心配になったのですが、帰りに友人T嬢にそう言うと、「でも、そもそも、あんな身軽にピアノに飛び乗れないでしょ」と言うので「そりゃそうだ」と納得。

 まあ、あれだけ小柄だし、後ろ姿は中学生みたいですから、あんな少年のような動作ができるのでしょうね。つーか、イギリスでは酒購入時に身分証明書の提示求められているのでは?

 というわけで、とても楽しんだのでありますが、今日、とある社員が経費精算のお金を受け取りに来たので渡そうとすると「あと、ミヤノさんに聞きたいことがあるんですけど」と言うので「なんでしょう?」と言うと、彼女がその場にあったメモ用紙に何やら書き始めたので「え?口頭ではいい難いこと?なんだ?私のスカートのチャックが開いてるとか?」と一瞬ビビりましたが、「昨日、文化村にいました?」って書いたので「えー?いたけど、Nさんはどこにいたの?」と言うと「オーチャードホールの中」と言うので、「おお、同志だったんだ!!!」と嬉しい驚きでした。

 彼女は一階席だったので、上階への階段を上がる私を目撃したんだけど「開演間近だったから追いかけられなくて」と言ってました。

 会社で同じ趣味の人を見つけたことがなかったので、嬉しかったです。

   
1月27日(月)

 そういえば、マー君のヤンキース入りが決まったけど、その事よりも「マーヲタのM嬢からメール来ないな」って事の方が気になっていたのだが、25日になってやっと「ヤンキースで良かった」とメールが来たので、「ずいぶんタイムラグあるけど、本人的にはこういうペースなんだろう」とホっとしました。

 しかし、えらい大型契約だったので「これで松坂みたいに故障したらどうしよう・・・・それよりも井川みたいに・・・」と不安になりますが、それよりも野球大喜利で展開された「明日、マー君がいない」「あだ名はポスティング」っていうのに大爆笑してしまいました。

 10年後の自分のために解説しておくと、芦田愛菜ちゃんという天才子役が主演の「明日、ママがいない」という児童養護施設にいる子供達のドラマが物議を醸しているのです。
 私は野島伸司のドラマがあまり好きではないので観てませんし、「あー、また野島伸司がやりやがったwww」って程度なのですが、野島伸司ってもしかしらた後世で見直されて神格化されるのかもしれないね。

 野球関連話としては、ズムサタの巨人選手インタビューコーナーが自主トレ期間特別企画で「内海投手持ち込み企画 英語クイズ」をやっていた。

 途中から見たんだけど、やはり現役(高校生)に一番近い宮國がまあまあ健闘していただけで、後はもー・・・・
 でも、牛のイラスト観せて「英単語を書け」って言われて、MILKとかBEEFってつい書きたくなる気持はわかる。

 で、興味深かったのは「馬のイラスト」で確か2選手が「FORSE」みたいな、後ろの綴りも間違っていたかもしれないけど、とにかくFを頭にしていたので「おい、それはスター・ウォーズのフォースだろうwww」と思ったけど、後で考えてみたら「今どきの野球選手は競馬やらないんだな」という解釈もできるのかもね。

●初アクアライン

 先週、上司が仕事で早朝から千葉に行ったのだが、その仕事が空振りに終わり「今日良かったのって、朝のアクアライン走っていたら地平線から上がる太陽がキレイだったことだけだ」と語っていたので、私が「千葉のあの辺って平野じゃないから、地平線?」と言ったら「橋の上は高いから、地平線みたいに見えたんだよ」と言うので、ふーん、なるほど、というか、そういえば自分は一度もアクアライン通ったことが無いことに気がついた。

 職場のある神奈川の人たちは、主にゴルフ行くときに通るらしいんだけど、私はゴルフもやらないし車も持っていないし、自分がアクアラインを通る状況を全く想像できない。

 だが、「一生、通らないかもしれないな」と思ったのだが、土曜日は出勤していたのだが、夕方、ママンから携帯にメッセージが入っていることに気がついた。「明日アクアラインの海蛍に行ってみたいんだけど、行ったことある?木更津まで行って、夕日頃また海蛍に戻る」って途中で切れていたのだが、えーと、これは「お父さんとお母さんは明日アクアラインで海蛍に行くつもりだが、あんたも行きたいか?」という意味なんでしょうね。

 それで「行ったことないけど、何で行くの?ツアー?それとも路線バス?」と返事したら「明日天気悪そうだから中止」と返ってきたので「なんだったんだよ、もー」と思っていたのだが、日曜の朝、8時くらいに電話があり、「なんとか晴れそうだから行くことにした!川崎からバスだから!」と、やはり私も行くことになっていたらしい。

 アクアラインを通る路線バスはけっこうあるようで、横浜駅や品川駅や新宿駅からも出ているようだ。
 でも、一番本数が多いのは、川崎駅からで、多い時には30分間隔くらい出ている。
 料金も川崎駅から木更津駅までで1400円と意外と安かった。

 ママンの当初の計画では、「12時頃川崎駅を出発して、海ホタルで降りて昼食食べて、木更津まで行って、夕暮れの頃、海ほたるに戻って夕暮れから夜景鑑賞」だったのだが、「なんで木更津まで行かないといけないの?」と確認したら「だって、海ほたるまでは海底トンネルだから景色を楽しめない」とのことだった。

 で、11時50分くらいのバスに乗ったのだが、ママンが途中で「海ホタルで昼食はやめて、木更津まで行っちゃう?」と言うので「別にいいけど、木更津駅周辺ってご飯食べるとこあるかなあ?」と言ったら「大丈夫よ、なんかあるわよ」と言うので、「じゃあ、そうすれば?」とそのまま木更津駅まで行ったのだが・・・・・やっぱし、なんもねー!!!

 だから、観光地でもない地方の駅周辺はこうなんだって・・・・・

 平日だったら官公庁が集中しているようなので、食堂も開店しているのだろうけど、日曜日だから閉まってる店ばかりだった。
 しょーがないから駅前にあった観光案内所で聞いてみたら、駅のすぐ近くに「あさり弁当」が人気の店があって、駅から徒歩5分くらいのところに人気の寿司屋があるようだったが、「でも、寿司屋のコースは2000くらいなんだって、ちょっと高いわよねえ」と言うので、じゃあ、お弁当にしましょうと、750円くらいのアサリ弁当を買ったのはいいが、食べる場所が無い!

 駅前に商業施設があったけど、すっかり寂れて1階と2階しか営業してなくて、1階の空きスペースにはベンチがパラパラ置いてあったので、そこに期待したのだが、弁当を買って戻ってみたら、5個くらいあるベンチには、どれも一人づつくらい座っていた。

 しょーがないから、また駅前のバス停に戻って、そこのベンチでお弁当食べました。
 まあ、こういうのが後々まで語り継がれる旅の思い出になるのでしょう。

 お弁当食べながら、ママンが告白したのだが、川崎からアクアラインを通る路線バスには「木更津アウトレット行き」もあるので、ママンの頭の中では「木更津=アウトレット」になってしまったようで、「アウトレットで夕陽の時間まで買い物しててもいいと思ったのよ」と言うから、はあ・・・・

 それを最初に行ってくれれば、「アウトレットはJR駅と反対方向にある」ってことを教えてあげられたのに・・・・
 ほんと、老人っていったん思い込むとこうなんだからね。

 そんで、また川崎駅行きのバスに乗り込んで、やっと海ほたるで下車したが、天気は曇りだし、風は強いしで、とりあえず、フードコートに逃げ込んで、窓際の席に座って、300円のドリンクバーで粘ることにした。

 着いたのが3時前だったかな。
 千葉や東京湾上空は曇っていたけど、時折、東京のビル郡に日光が差して輝くので、ママンは「ほーら、天気予報では3時から晴れるのよ」と言うが、思うように雲が移動してくれない。

 それでも時々晴れ間が見えるので「ああ、やっと新宿が見えた」とか父の元職場だった市原の工場が見えたとかでお茶をにごしていたのだが、やはり風が強く波も高いし、時折雨も降っていたので、どうやら「寒冷前線直下」で成り行きを見守っていたようだ。

 しかし、5時近くなったら奇跡が起きた。
 今までずっと「あの千葉方面のビル郡のシルエットは千葉か?幕張か?」と言っていたのだが、双眼鏡を覗いていた父が「あれは、TDLの山なんじゃないか?」と言い出し、私も覗いてみたら「あー、あの富士山みたいなシルエットはビッグサンダー・マウンテン?」と言うと「いや、あれはシーの山でしょ」と言われて、その横に視線を移すと「ああ、こっちの無骨な山がビッグサンダー・マウンテンだ!」とわかった。

 その後は芋づる式というか「その左側には葛西臨海公園の観覧車があるはず」と探してみたら、すぐ見つかったし「つーことは、あそこが舞浜なら、次のビル郡は?」と右側に移動したら、「メッセとマリスタ観えた!!!!!」とあっちが幕張で、もっと左が千葉だということがわかった。

 「ちょwwwwww、こんだけ視界が良くなってきたってことは、富士山も?」と反対側(フードコートから出て、反対側の外)に行ってみたら、さっきまで雲に隠れていた富士山がくっきりと!!!!

 「ほーら、今日来て正解でしょ?」とママンが大満足だったのでよかったです。
 どうやらパパンに「海ほたる行きたい」と言ったところ「オレは仕事やゴルフでけっこう通った」と乗り気じゃなかったようなので「じゃあ、ミヤノが行ったことなかったらミヤノと行くから」という流れになって、結局父も着いてきたようですが、ママンが「お父さん、海ほたるでこんなにいい景色見たことある?」って聞いたら父は「こんなに長く滞在したことがないよ」と苦笑しておりました。

 4時間くらい居座ってましたからね。

 なんか300円で居座ったのが申し訳なくなり、それに昼があっさりしたお弁当だったので、日が沈み始めた5時頃に「私、小腹空いた」と申し出たら、両親も「たしかにちょっと食べたいね」と言い出したので、私と父はラーメンをママンは「アサリ飯(小)」を食べたので、サービスエリア利用料は払ったことになりました。

 帰り際、展望デッキを一周すると、富士山が夕焼けにほんのり浮かんでとても美しかったです。東京の夜景は横からだとイマイチでした。
 ただ、昼間は「スカイツリーは肉眼でも見えるが、東京タワーどこ?」って散々探したんだけど、夜になると、スカイツリーよりも東京タワーのほうが断然目立ってました。

 というわけで、なんだかドタバタでしたけど、「一生行くことないのかもしれないなあ」と思っていた海ほたるを堪能できて嬉しかったです。
 ママンも大満足していたので、親孝行ポイントも上げたようだし(笑)


1月23日(木)

 この話しも何度か日記に書いているが、千葉に住んでいた時のご近所さんだったYさんの奥さんは大の猫好きだったので、時々「猫害」が話題に登ると、こんなことを言っていたらしい。

 「野良猫だって立派な野生動物なんだから、イリオモテヤマネコばっかり保護してないで、野良猫だって大事にしてもいいじゃない!」

 うちの母はYさんちの飼猫がうちの庭でウンチするのに困っていたけど、それは黙っていたので、Yさんは「自分ちの猫が迷惑かけたからっていいじゃない!」と個人的な事を言っているわけでもなく、当時からあった「野良猫を餌付けして繁殖させるのは無責任だ!」みたいな話しに反応していたようだ。

 なので、「野良猫だってイリオモテヤマネコだって同じネコじゃない!」というYさんの主張に賛同することは出来なかったし、それ以外にも、自己中心的でマイペースなYさんは、我が家に時々軽い迷惑をかけていたので、そのイリオモテヤマネコ発言を母から教えて貰った時には「いかにもYさんが言いそうな(笑)」と思ったが、でも、30年以上経った今でも覚えているのは、それなりに説得力があったからだろう。

 で、最近朝テレビをつけると、他にめぼしいニュース無いのと「人気コンテンツ」だからなのか、ノロ対策ばかりやってます。
 しっかし、ノロって最強ですね(笑)

 もちろん、きちんと対策を学んで感染防止に務めるのはいいと思うし、食品業に携わる人たちは気を引き締めないといけないとは思うが、テレビでノロ・キャンペーンをやりすぎているので、一般の人たちが過剰反応するようになってるのがねえ?

 会社で一件、そういう案件が飛び込んできまして・・・・
 話はだいぶ変えてしまいますが、例えば、我が社の担当営業マンが契約書を持って帰ったのだが、その後ノロを発症したので「あの契約書も触ってしまったので、新しいのと差し替えしたい」と言ってきたのです。

 えーー?書類を介して感染するもの?
 その書類に吐瀉物がかかったとかならわかるけど・・・・・

 でもそう報告されてしまうと「書類から感染なんてしないでしょう」とも断言できないし、「はあ、じゃあ、念のため再発行しましょう」ってことになったが、アホらしいっちゃ、アホらしい。
 だって、そんなんで感染するなら、日本国民全員が感染してもおかしくないだろう。

 そもそも、ノロの病状なんて、たしかにゲーゲーピーピーで苦しいけど、ほとんどの人が翌日くらいにはケロリと治ってしまうような病気なんだし、確かに「鼻水が咳が」っていう風邪よりも辛いので「集団食中毒」ということになるようだが、医者に掛かるような病気でもないだろうに。

 もちろん、老人ホームや病院などの「体の自由がきかない高齢者」が多い所では、感染すると死者が複数以上出たりするので、注意が必要だけど、「フツーに生活している人」にとってはそんなに怯える病気では無いでしょう。

 今でこそ、ノロだロタだインフルエンザだと分類されてますが、私が10代の頃までは、全部「風邪」扱いだったんです。「今年はお腹に来る風邪が流行ってる」って時は、たぶん、ノロだかロタが流行っていたらしいです。「今年の風邪は高熱が出る」って時はインフルエンザだったのかな?

 お腹ピーピーになる風邪では、ミヤノ家では家族が順番にやられて「ほぼ一家全滅」みたいな時もあった。あれはロタだったと思うが、父親までがパンツ汚して洗面台でパンツ洗っていたけど、ああいう行為で感染しちゃったんだろうね。

 で、何が言いたいかと言うと、ノロだってインフルエンザだって、同じ生きてる仲間じゃん!ってことです。

 「お腹にいい乳酸菌」は生きたまま腸に届けようとしているんだから、ノロが生きたまま腸に届くのはしょうがないじゃん。
 あいつらだって、必死に生きてるんだよ。
 それに感染しても発症率は3分の1くらいらしいので、多くのノロが人間と共存しながら繁栄しているけど、たまに人間の体調が悪かったりすると劇症になってゲーゲーピーピーしちゃうけど、あいつらに悪気は無いんだよ。

 そういうSFの名作あったね。「たったひとつの冴えたやり方」だったっけ。
 宿主に寄生して生きる細菌がいるんだけど、その細菌は宿主を殺さないよう自分をコントロールする技を身につけてから寄生する文化なんだけど(長い修行期間が必要)、若い細菌が外の世界に憧れて、うっかり宇宙旅行中の少女に寄生しちゃったのだが、コントロールできなくて少女を殺すことになってしまった。
 それだけだったらまだいいが、細菌はもう増殖しはじめていたので、少女が他の人間に接触したら自己コントロールできない教育されてない細菌があっという間に人類を絶滅させるだろうって危機に陥って。という話だったっけ。

 鳥インフルエンザだって、養鶏場を丸焼けにするくらいの劇症になってしまうこともあるが(丸焼けにするのは人間だが)、群れの集団の大半を殺すことになると、ウィルスも生き残れないから、症状が軽いウィルスが生き残って、「ゴホっ、ゴホっ、わー咳が数日間とまらないけど、別に熱もないし出勤しないと」っていう方が繁殖できるわけで、だから、ウィルスっていうのは「凶悪犯罪者」じゃないと思うのです。

1月21日(火)

 久々に育成選手のHさんが「はあ?」なこと言ったので書き残しておく。

 Hさんの朝のお仕事は社長室にある新聞ラックに新聞をセットするのと、社長室のテーブルを拭くのと、あと社長が一日に数本のペットボトルを消費するので、そのゴミを片付けることである。

 片手がほとんど不自由な彼にやらせるのは、ちょっと大変な仕事なんだけど、正直言うと「時間潰し」の仕事である。だって、彼の一番の仕事は「会社に存在すること」なわけで(育成枠が必要だから)、仕事上必要な人材じゃないのが前提なわけで・・・・

 それでも、暇にさせてるのは気の毒なので、いろいろ仕事してもらっているが、頭が悪いというのがネックになって、そういう仕事が増やせないのが現状である。マスオさんは頑張って経理の仕事も手伝ってもらってるようだが、結局エビワカちゃんがチェックして修正しているようで、ある程度の応用力が必要な仕事は難しいと思う。

 さて、社長室回りの仕事が終わったら、Hさんがマスオさんに「社長室の机の上にあるインクの蓋が無いんです」と報告していた。
 「インク?」と戸惑うマスオさん。

Hさん「あの・・・ハンコの横にあるインクです」
マスオ「ああ、スタンプ台のこと?」
私  「スタンプのフタって外れるもの?」
Hさん「あ・・・でも、無いんです」

 よく意味がわからないマスオさんと私であったが、マスオさんが「もしかして、赤いやつ?」と言うので、私は心の中で「赤いやつって朱肉のことかwww」と想ったのだが、Hさんは「えっと、そうですね、赤い・・・・インクのです」と「インク」を繰り返す。

 その後、マスオさんが金庫室から印鑑セットを社長室に置きに行って戻ってきたので、「フタ、あったの?」と聞いてみた。だって、黒いスタンプ台やら朱肉やらのフタが無かったら、それこそ「インク」も乾くし、触ったら汚れちゃうのでなんとかしないといけないじゃん。

 そしたら、マスオさんが「それはあったみたいなんですけど・・・たぶん、ハンコを掃除する剣山みたいなやつ?のフタが無かったから、それですかね?」と言うので「ああ、あれはフタなくても別にいいや」と納得していたのだが、私が確認したことで、マスオさんがHさんに「さっき無いって言っていたフタって、ハンコを拭くブラシみたいなやつのことですよね?」と言うと、Hさんは「そうです、インクのやつです」と繰り返した。

 確かによく印鑑セットにもついている「ハンコを掃除するためのブラシ」の名称など誰も知らないけど、「インクのやつ」って言い方もしないよなあ。

 で、私が不思議なのは、もし自分が「インクのやつ」って説明しても通じなくて、後で「あれはインクじゃないでしょう」と言われたら「じゃあ、なんて言ったら良かったんでしょう?」って会話になると思うんだけどなあ。

 インク連呼しても、マスオさんや私が「何のこと?」と首を傾げていたのだから、「どう言えば通じたんだろうか?」って思わなかったのだろうか?まあ、あれが「ハンコを掃除する用具」ということも思いつかなかったのかもしれないけど・・・・スタンプ台の一種だと思い込んでいたのかしら?

 ほんと、他人の思考って不思議だなあ。

 それとは関係ないかもしれないが、私はついとっさに出てこない固有名詞を無理やり言い換えてしまうことがあり、自分の中でのナンバー1は「ガラパゴスみたいな名前のモンベルみたいなアウトドア・ショップ」である。

 そう言うと、みんなに「はあ?」って言われるが、3人中1人くらいが「もしかして、パタゴニア?」って正解を言ってくれるので、「あ、通じるんだ」といい気になってしまい、長年「ガラパゴスみたいな」で通していたのだが、最近になってやっとパタゴニアとすっと言えるようになった。練習って大事ですね。

 その前までは「ロシナンテみたいな名前のボディショップみたいな自然派化粧品の店」と言ったら、女性のほとんどが「ロシナンテwwwwwつーか、気持はわかるんだけど、ロクシタンでしょ!」わかってくれたので、それで通しても良かったのだが、そのうちに「ロシナンテ」が通じなくなり(基礎教養的には「ドン・キホーテ」が乗っていた馬の名前だが、20年くらい前までは「電波少年」での無茶な海外旅行企画で登場したロバの名前として有名だった)しょうがないから「ロクシタン」と言えるよう頑張った。

 今日は言い間違いネタをもう一つ。

 同僚K嬢が内線で「違う、青春のホロ苦じゃなくて、大人のホロ苦だから!」と叫んでいたので、電話が終わった後、「何がほろ苦いのさ」と質問したら、こういう話だった。

 別の建物に一室だけ我が社の部屋があるのだが、常駐人数は少ないし、給湯設備も無いので、ジャーポットでお湯沸かしているだけで、コーヒーメーカーも無いようだ。
 でも、コーヒーが飲みたいという社員というか、役員様の要望で、スティックタイプのインスタントコーヒーを置いておいたのだが、そのストックが無くなりそうだったので「発注しておいて」という依頼がK嬢に来ていた。

 本社ではあまり発注しないような物なので、K嬢が「どこで発注してたっけ?」とエビワカちゃんに確認しつつ探したのだが、やっと同じ物を見つけたのだが「在庫がありません」とのこと。在庫が無いというか、その商品はもう生産中止になっていたらしい。

 で、K嬢が似たような商品を見つけて「甘さ控えめがいいのなら、この『大人のほろ苦』ですかねえ?」と確認していたら、その役員氏が「じゃあ、その『青春のほろ苦』でいいや」と言うので「青春のホロ苦じゃなくて、大人のホロ苦だから!」と叫んでいたらしい。

 ははは、その人にとっては「ほろ苦」と言えば青春なんでしょうねえ?
 いったん「青春のほろ苦」で書き込んじゃったから、いくらK嬢に「違います、大人のほろ苦です」って言われても、もはや上書き不能という気持はよくわかります。

 いったい、どんなほろ苦い青春時代を送られたんでしょうかね?


1月19日(日)

 夕方部屋でゴロゴロしていたら、日曜ドラマが再放送されていたのでつい観てしまった。いや、綾野剛の狙撃手役がツボだったので(笑)

 ドラマの内容的には、凶悪犯が銃撃ちまくるリアリティの欠片もない展開でしたが「ああ、SPと同じだなあ」と思って眺めていたのですが、「主人公が子供の頃、凶悪犯の犯罪に巻き込まれたことがある」とか「SF的な特殊能力があるらしい」とか、ほんとSPとそっくりだった。

 SPは、岡田准一君目当てで(その当時のイチオシだった)観ていたが、ストーリーの非現実的さについて行けず脱落したが、(テロリストが何やりたいのか意味不明だったし、警察組織の中に黒幕が・・・っていうのもわけわかんなかったし)、このドラマ「S 最後の警官」も、綾野剛の狙撃してるシーンくらいしか見どころが無さそうである。でも、これくらい現実離れしていたほうが漫画っぽくていいのかもね。漫画っていうよりも時代劇っぽかったし。

 しかし、向井理も綾野剛もNHKの朝ドラで人気が急上昇したように記憶しているが、影の仕掛け人的な役で近藤正臣が出ているのね。現朝ドラのお父さん役である。来週で死んじゃうらしいから正蔵さんが恋しくなったらこっち観てしまうかも(笑)

 それにしても、綾野剛が人気出てきた頃は「なんだ、この剛力彩芽のもっと凄いのみたいな俳優さんは?」と驚いたのだが、剛力彩芽も最初は違和感あったんだけど、だんだん可愛く思えてきたが、綾野剛も今ではフツーにイケメンに思えるので不思議である。

 うちの母は前の大河ドラマで初めて綾野剛を観たらしく、「なんかあの人、キモい」みたいなことを言っていたので(キモいという言葉は使わなかったが)「最近、凄く人気なんだよ」と「世間ではアレがイケメンということになっている」ということを丁寧に説明したのだが、「ふーん?でもやっぱキモい」という反応だった。

 日曜ドラマは「半沢直樹」が凄い視聴率だったけど(私はチラチラしか観てなかったし、「なんだか時代劇っぽすぎ」とあまりハマらなかった)その後のキムタクの「安堂ロイド」が大コケしたので(やっぱしちょっとしか観てないけど、話しについて行けなかった)、今回はかなり力入ってそうだけど、初回は視聴率20%くらい出たようなので視聴者の期待は大きいのだろう。

 私はここしばらくは朝ドラと大河ドラマしかまともに観ていないのだが、「八重の桜」は楽しみにしていたけど、次の「軍師官兵衛」はどうかなあ?「江」の時も女性が主人公だったけど、信長や秀吉の戦国時代だったので早々に脱落してしまったので、ダメかもなあ。

 「八重の桜」でも会津での戦争シーンの時はパスしていたくらいだし。

 それにしても、昔はけっこうドラマ観るの好きだったのだが、自分が年とったせいなのか、いや絶対にそのせいだが20代男女の恋愛ドラマが全く面白くなくなってしまったし、医療モノは昔からそんなに好きじゃなかったし、刑事モノも「古畑任三郎」がまあまあだったくらいだしなあ。

 ただ、古畑形式の毎回犯人が違うドラマはたまに観ると、犯人役の大物役者さんが楽しそうに悪役を演じているのがけっこう面白かったりする。

 そういえば、少し前に「のだめカンタービレ」をネット動画で観ていたら(たまたまひかかってきたのでつい懐かしくて)、チェロの菊池くん役だったのが向井理だったことに気がついて「出世したなあ」と思った。私はオーボエの黒木くん役が「漫画のイメージとそっくり!」と大好きだったんだが、黒木君を演じた役者さんは、あまり出世してなかった。

 昔のドラマを観ていると、今では主役級の俳優さんが「バーテンその2」みたいな端役やってるのを発見するのが楽しいよな。そっか、今度暇だったら、昔のドラマのDVDでも見てりゃいいんだね。

 と思いつつ、さっき「軍師官兵衛」観てみたら、やっぱり戦うシーンがダメで「ビフォー・アフター@おフランス」を眺めていたんだけど、(おフランスの職人さんが生唐辛子と生にんにくと生タマネギかじりながら、おフランスパンを食べてる映像が一番衝撃的だった)その後「最後の警察」観てみたら、愉快犯中の愉快犯としか言いようがない「だって世間が悪いんじゃん?」な犯人が大活躍していたが、「まあ、こういうドラマの犯人はこのくらい浮世離れしてないとな」となんだか納得している自分がいました。

 最近のドラマはこのくらい強引じゃないと視聴率とれないようだが、どんなに強引にやっても数字とれないドラマもあるので「強引さのベクトル」が大事なようです。ドクターXも、ごちそうさんも。

 いったん視聴者を「こんなん、ありえん!」って崖っぷちに追い込んでから、「でも、これでもいいかも」と這い上がってくる視聴者だけを相手にするっていう・・・・・

 でも、考えてみれば、水戸黄門だってそんなドラマだったよな。

 そして「向田邦子とか、昔はよかった」と言う人もいるが、向田邦子のドラマってリアルすぎて焼け野原っていうか、怪談と紙一重だったような。


1月17日(金)

 なかなか仕事が予定通りに進まないので、キリキリしそうになるが、今日もあるデータの処理を先に進めようとしたら、「あれ?なんか微妙に総額が違う?」と気がついた。
 その仕事は、月火水しか出勤しないパート社員の仕事なのだが、年に一度集計するので、去年までは私が手取り足取りやっていたのだが、今年は「出来るだけ自分でやってみます」と言うので、たまにエクセル進捗具合を確認していただけで、「ああ、ちゃんと出来てるじゃん」と思っていたのだが・・・・

 おかしい・・・・元の表を並べ替えて客別に金額集計したはずなのに、その集計と元の金額の集計が数千円という微妙な金額合わないのだ。

 しょうがないから、エビワカちゃんにチェックさせたら、1時間くらいかかったけど「ここと、ここと、ここが合わない」と、なんと3箇所も金額が違っていた。
 てゆーことは?元の数字を集計してコピーしたのではなく、集計した数字を別シートに入力し直してたってこと?

 うわー、エクセルの操作に慣れてないのはわかっていたが、まさかの手入力とは・・・
 わからなきゃ、聞いてくれればよかったのに!

 他のことについては「これとこれはまとめてもいいんでしょうか?」とか、いちいち確認してきたので、まさか、あんなところでやらなくてもいい面倒なことやってるとは想像してなかったです。

 まあ、Hさんもそういうところあるしなあ。
 この間も、全然必要の無いことを一生懸命やっていたことに後で気がついて、なんか言おうかと思ったが、もうやってしまったことだったので、面倒だから言わなかったんだけど、人に指示するのって難しいなあ、ほんとにもー。

 でも、エビワカちゃんがミスを発見してくれたし、ほんとはそのパートさんにやってもらう入力をエビワカちゃんに「出来るところまでやっておいて」とお願いしたら、ほとんど出来ちゃったみたいで怪我の功名であった。
 これで来週あたまには、出力して発送までできるだろう。

 後は、それらをまた集計して、私が税務署への提出書類作るだけだ。(源泉徴収票の申告です)

 なんか、先が見えてきたので、少しだけホっとしました。

 でも来週は、他にもけっこう面倒な仕事が2つあるので、なんとか来週中に終わらせたいんだけどなあ。まあ、頑張ります。


1月16日(木)

 私が長年密かに楽しみにしているのは小学生のランドセルの色である。

 ちゃんとリサーチしているわけでもないが、小学生の登下校風景とすれ違うと、なんとなく注目しています。

 私の子供時代は「男子は黒、女子は赤」っていうのが、普通というか「当たり前」だったが、そういえば転校生の女子が黒いランドセルだったので驚いたことがあったけど、その子が通っていた地域では「全員黒」が普通というか規則だったようだ。

 ランドセルの色が多様化してきたのは、いつからなのか覚えていないけど、今だと茶色や緑色のランドセルも普通に見かけるようになったけど、やっぱし、男子はほとんど黒のままですね。女子は水色や青の子がけっこういるけど。

 私は寒色系の方が好きなので、青や緑のランドセル背負ってる女子を見かけると「仲間だ」と微笑んでしまいます。前に濃い緑色のランドセルの女子を見かけたのだが、「なんだかすげー頭良さそうでいいね」と思ってしまいました。

 男子が黒ばかりっていうのは、男子は女子ほど色の好みを言わないのか、それとも親が「やっぱり黒でしょ」と思うのかよくわからないけど、こうしてだんだんと「寒色系は男子」「暖色系は女子」っていう思い込みから脱却していくと、そのうち、男子も赤いランドセルを選んで、親もそれを認めるようになるのかね?

 だって、男子の方が赤が好きって人多いような気がするし・・・・赤いスポーツカーみたいなイメージで・・・・
 うーん、でもやっぱし、ベビー用品だと「水色が男子でピンクが女子」って傾向が強いから、就学前の子供はそれに引きづられるかもなあ。

 この「性別で色分け」っていうのは、どうやら日本独特の文化らしいのですが(アジア圏は知らないけど欧米ではそういうの無いらしい)、男女差別に敏感な人は「水色が男子でピンクが女子」って色分けにも敏感に反応しますが、私は「まあ、それほど目くじら立てんでも」と思ってます。

 自分の経験だと、「女子は赤やピンク」という定説からの脱却が「大人への一歩」だったように思うからです。

 それでも「そのうち、色で性別分けるのなくならないかな」とも思ってますけど、トイレとか色分けされてる所が多いので、なかなか難しいのかもね。ソフトだけのことだったら、劇的に変わることもあるけど、ハードがそうなってるとなかなかね?

 でも、この先20年くらいしたら、また世代が入れ替わっていて、水色の服着た赤ちゃんが男の子だとは限らない日本社会になってるのかもしれないし、なってないのかもしれないので、要観察です。


1月15日(水)

 1月はいつもそうだけど、正月休みで書類が揃うのが遅くなり、どうしても仕事が溜まってしまうし、1月末までに役所に提出する書類もあるので、どうしても押せ押せになってしまいます。

 昨日から「片付ける仕事量」よりも「舞い込む仕事量」の方が多いという状態になり「やってもやっても仕事が増えていく・・・・」と嘆いていたのですが、そしたら、最近ちょっと私のペースを乱すY嬢がやらかしてくれた。

 未収になっている得意先へ請求書を再発行したいのだが、できないと言ってきたのだ。

 「私にはいろいろ権限が成約されてるから、なんか制限されてるのか?」って電話(別事務所だから)で言ってこられても「えー、そんな現象は初めてなんだけど、なんでだろう?」としか言いようがなかった。

 私が苦手とする人のタイプの一つに「他人をまるで全知全能のように扱う」ということがある。
 「自分は末端ユーザーだからわからないけど、あなたは管理者なんだから、全部わかってるはずだろう」という態度でソフトの不具合を言ってくるのだが、私だってわからんもんは、わからんのです!!!!!

 たぶん、この世で「専門家」と言われてる人達は、ああいう人達に苦労してるんだろうなあ。私みたいな「多少は専門ですけど?」程度な人でも「経理の専門家なんだから、わかるはずだろう?」みたいな態度に時々ヘコみますから。

 で、その「過去の請求書が発行できない!」って件は、どうしてそうなってるのかわからなくて困っていたら「とにかく、ミヤノさんは発行できるのなら、PDFにして送ってくれ」って言われたので、私が出力して、PDFにしてY嬢にメールで送りました。

 ええと、私、今日はいろいろやることが・・・・さっきまで何やってたんだっけ?そうだ、クレジット集金の集計だった・・・・と、自分の仕事に戻ったのですが、そしたらまたY嬢から電話があり「また過去の請求書を再発行したいのだが、できない」とのこと。

 しかし、さっきの件は2年前の話しだったので「なんか制限かかってるのだろうか?」と思っていたが、今度の件は昨年の件だったので「そんなはずないんだけどなあ?」と溜息をつくとY嬢は「なんか制限かかってるのではないか?」とまた言うけど、そんな制限ないんだけどなあ。

 つーか、月末で一旦締めると、過去の伝票を修正できないようにブロックかけるが、修正はできないけど出力はできるはずで、そういう「3ヶ月前のが未収になってたから再発行」なんて話しはよくあることなのに、今まで再発行ができないっていう苦情を受けたことがないのだ。

 しかしY嬢は「請求書を発行するボタンが出てこない」と言う。
 無いものは、無いからしょーがないのだが、私は管理者権限を持っているのでどういう状況かわからないから、後でエビワカちゃんに同じ画面を操作してもらって確認してみようと思いつつも「今日中は無理」と告げて、急ぎの仕事に戻った。

 急ぎの仕事が終わったら、Y嬢の言う不具合について考えてみたが、やはりそういう制限する操作は無くて、「なんなんだ?」と思っていたら、ふと「あ??????」と思いついた。このソフトの仕様で、元帳から伝票立ち上げると、「伝票発行」ができないのだ。

 私はマスオさんやエビワカちゃんは、その方法で請求書を発行していないのだが、Y嬢の部署だけが、その方式で請求書を出している。なので、たまにそっちの部署の請求書発行担当者が休みだと、こっちで出しているのだが「あ、この方法じゃ出なかった」と戸惑っていたことを思い出した。

 そっかー、あれって前までは退職したCさんがやっていたので、Y嬢はまだ慣れてなかったのかも?と、さっそく電話して「もしかして、元帳から伝票呼び出してない?」と言ったら「そうだけど?」と言うので「そっちからだと出力できないの」と言うと「ああ、じゃあ、伝票検索でやらないとダメってこと?」って、わかってるじゃん・・・・・・

 「それを知っていながら、なぜ、出来ない出来ないと言ってきたのだ?」

 と、がっかりした。

 しかも、私に何度も「できない、なぜだ?」と電話してきたくせに「これは、こうじゃないでしょうか?」と解決策を言ってみたら「ああ、なんだ、そっか」で終わり?

 こっちはクソ忙しいのに、あんたの「できない、なぜだ?なんか管理者が邪魔してるのでは?」って妄想に付き合ってやったのに・・・・・・
 なんでいつもは「私ってバカだから」みたいにへりくだるのに、こういう場面で「ごめーん、私がよくわかってなくて迷惑かけた」と謝らないのだ?

 まあねえ、自分が本当にドジった時にこそ、ちゃんと謝れない人はけっこう多いですからね。マスオさんもそういうとこあるし・・・・・
 私だって、そういうとこあるし・・・・

 でも「いつも出来ることができない、なんか変だ」と言ってきたのに、結局、本人の操作ミスだったってことなので、そういう時こそ「ごめん、無駄に騒いで」って言ってほしかったなあ。
 なんか、「もしかして、わざと?」って勘ぐりたくなってしまう。

 そう思うのも、彼女が数年前、うつ病でしばらく休職したのを知っているから、たまにこういうチグハグなことやらかすと、心配になってしまうので。

1月14日(火)

 昨日は仕事で吉祥寺に行ったのですが、帰りに井の頭公園に寄ったら、池の周囲が低い幕で囲われていたり、ホースが積んであったりしたので「なんのメンテするのかな?」と思っていたら、中央の掲示板のところで「かいぼり」というのをやると掲示してあった。

 どのくらいの周期でやっているのか知りませんが、池の水を抜いて底をお掃除するらしい。へー、観てみたいなあ。

 「千と千尋の神かくし」で、ヘドロやゴミでドロドロだった神様がキレイになったようなシーンが展開されるのでしょうか?

 さて、今日の帰り、駅の階段の上で、腰が曲がったお婆さんがショッピングカーをひょいと持ち上げて階段を降りようとする場面に出くわした。
 「あー、持ってあげようかな」と思ったけど、そのお婆さんは腰は曲がっていたけど、歩行に不自由はない雰囲気で、しかも顔は60代くらいと若く見えたので、「ヨボヨボで腰の曲がったお婆さん」ではなかったから、とっさに声を掛けられなかった。

 それに、私みたいなオバさんが「荷物持ちましょうか?」って言うのも気が引ける。
 私が20代のイケメンだったらなあ・・・・・・
 颯爽と手助けできるし、相手も気持くお願いできるんだろうけど・・・・・

 と思ったのは私だけじゃなかったようで、私の後ろを歩いていた中年男性二人組も「ああ、こういう時、どうして『下までお持ちしましょう』って声かけられないんだよ、オレらは」と軽い口調で嘆いていた。
 そしたら片方が「でもさ、あれがエクササイズになってるのかもしれないから、そういう機会を奪うのはよくないのかもよ?」と言うので片方が「そういうこともあるな。いろいろ難しいね、高齢化社会も」と会話していました。

 確かに、手助けは不要という人もいるでしょうけど、手助けしてくれたほうが嬉しいという人や、本当は手助けしてほしかった、という人もいるでしょう。

 「お腹に赤ちゃんがいます」の札だったり、車に「赤ちゃんが乗ってます」って貼ってあったりするのに批判的な人もいますが、ああいうのって「配慮して」と自ら申告してくれるので、わかりやすくていいのかも。
 ああいうノリで「できれば荷物持ってほしいです」ってプレートつけてくれたら、声かけやすいのに。

 私は、20代まではなかなか高齢者に席を譲れなかったのだが、今はけっこう頻繁に譲っています。他人に声かけられるくらい図太くなったのもあるが、まだ元気だった頃の祖父母と一緒に電車に乗ったら、席を譲ってくれる方がほとんどで「ありがたいなあ」と思ったことがきっかけだったのかもしれない。
 今では両親も「席譲ってもらえると助かる」と言ってますし。

 でも、「よろしかったら、どうぞ?」と声を掛けても「いえ、大丈夫です」と断られることも多い。1駅や2駅くらいしか乗らない人は、座ってまた立つのが億劫なんだろう。
 せっかく「どうぞ?」と声を掛けても、断られるとがっかりするけど、だからって「こっちがせっかく勇気をふりしぼって声掛けたのに無下にすんなよ!」と思わないように気持を切り替えている。

 つーか、別にプロポーズしているわけでもないんだから、「いえ、結構です」って言われることも想定しつつ、一応、声かけてみました(そういうマニュアルだから)、っていうことでいいんじゃないか?

 そうそう、アレですよ、コンビニで「温めますか?」とか「ストローはお使いですか?」みたいな。
 コンビニの店員は「温めますか?」と言って「いえ、結構です」って言われても「あ、そう」っただけだろう。
 そして客の方も「いちいち聞くなよ。温めて欲しかったらこっちからお願いするから」と思う人は少ないだろう。

 そういう感じで「お手伝いしましょうか?」って言えたらいいよね。
 断る方も、「いえ、お箸はいりません」くらいの軽いノリで。

1月11日(土)

 そういや、最近ツイッターで「電車で子供がビービー泣いていると、周囲の人に舌打ちをされることがあって、辛い」みたいな話しでちょっと盛り上がっていたのだが、私はそういう場面に出くわしたことがないのだが、もし、そういうことがあるとしたら、確かに辛いなあ、って思う。

 私は公共の場で子供がビービー泣いていると「うふふ、泣いてる泣いてる、がんばれー」ってテンション上がってしまうので・・・・
 そりゃ、クラシックコンサート会場で子供が泣いてるのが放置されてたら「ちっ、うるさいな」って思いますけど、電車の中だったら、別に気にしません。今朝も通勤途中の電車で、ベビーカーに乗った幼児が「きえええええええええ」と奇声上げたので、「お、久々の超音波攻撃」とにっこりと注目してしまいました。

 先日、近所のスーパーで買い物していた時に、エスカレーターに乗っていたら、下りだったのですが、私の前を幼稚園児くらいのお兄ちゃんと3歳児くらいの弟が二人でエスカレーターに乗っていて、その弟の方の足元がおぼつかなかったので「ひえー、こんな小さいのに二人だけでエスカレーターに乗ってる!」と驚きましたが、お兄ちゃんが弟をアシストして、無事に乗り切った。
 私は「これ、転んだら、どう助けよう」とドキドキしていたのですが、「親は何してんだ?」という気持よりも「もし、転んだら、おばちゃんが助けたる」と緊張していただけです。

 子供の躾に厳しかった友人Mだったら、絶対に怒り出す場面だよなー、なんて懐かしく思い出してみたりして(笑)

 正月に会った育児ノイローゼ真っ最中のうちの妹も「日本は幼児連れて外出できる環境にない!」と嘆いていました。
 幼児連れて公共の場に出ると、気をつかうばかりで肩身が狭く楽しめないようです。

 でも、妹の話を聞いてて思ったのは、妹には「本当に自分が行きたい場所」が無いようでした。
 私が「でも、野球観に行くと、赤ちゃん連れの人けっこう多いんだよ。でも、打球飛んでくるから危ないと思うんだけど、みんな、自分が行きたいから平然と連れて来るんだよね」と言うと、妹は「えー、野球場ってそうなの、いいいなあ」って言うけど、あんた別に野球に興味ないでしょ。

 フジロックだって乳児や幼児連れの人が多いし、そりゃ、いろいろ大変かもしれないけど、「自分のやりたいことはやる」という気概を感じるし、野球場やフジロックで「子供連れてくるな、うざい」という光景を観たことが無いので、私は経験ないけど、例えばフジロックでトイレに並んでいたら「自分がトイレに入るのでちょっとベビーカー観ていてもらえませんか?」なんて言われたら、喜んでお手伝いするんだけどな。

 妹にしても、友人Mにしても、ネットの主流意見に影響されているのではないだろうか?

 ネットでは「私はそんなの気にしてません」って人よりも「そんなのダメに決まってるだろう」って人のほうが投稿する傾向にあるので、実社会よりも神経質になる傾向があるように思う。

 友人Mだって、20代後半から30代前半の頃は「私は子供に好かれるらしい」と「飛行機の中で泣いてる子を後ろから目線だけであやした」とか自慢していたのに、子供への興味がいつしか育児板に移行してからは「泣いてる子を放置している親を手助けしてなるものか」みたいな方向になってしまった。

 たしかに、ネットで晒されている「ひどい親」は酷いですからね。
 私もなぜかM嬢と行動を共にしていると「酷いなこりゃ」な親子連れによく遭遇したので、ダメ親がいるのはわかりますが、不思議とM嬢がいないところでは遭遇しないのです。

 UFOを目撃するのは、一種の超能力だという説がありましたが、虐待まがいの育児放棄か、みたいなのを目撃するのもそうなのかもしれません。

 私がフツーなのか鈍感なのかわかりませんが、ダメ親に遭遇した経験もほとんどないので、たぶん、自分一人で行動している時には気にならないのでしょう。
 そして、M嬢はよく「電車や飛行機では、具合の悪い人だっているでしょうに」と言ってましたが、病院内じゃないんですから、発熱して頭痛がしている人にまで配慮しないといけないんですかね?つーか、私も経験がありますが、発熱して飛行機に長時間乗るのは辛かったですが、何をどうやっても辛かったので、泣いてる子供がどうのこうのという状態ではなかったです。

 何年か前にアパートの上の階が大々的リフォームをしたことがあって、大家さんが菓子折り持って「しばらく工事でうるさくなりますけど」と説明してくれていた。
 ところが、工事がドリルでガガガガな時期に、風邪で発熱して寝込んでしまったのだが、工事の音がうるさくて「うわー、困ったなあ」と思ったけど、工事の人が悪いわけでも、私が悪いわけでもなく、ただタイミングが悪かっただけで、ドリルの音が響き渡る中、それでも熱が少し下がると昏々と寝ていたっけ。
1月10日(金)

 今週は他部署の手伝いに行ったり、親会社の手伝いに行ったりと、慌ただしかったが、自分の仕事も溜まっているので、優先順位が上位の仕事だけなんとか片付けていたのだが、私が放置していた仕事について「あれがまだ未完成だ」と指摘してきた他部署の社員がいてカチンときた。

 いや、わかるのよ。
 いつもだと、その仕事は第一週目で終わらせているから・・・・
 でも、仕事始めが5日からだったんだから、いつも通りに出来てないのも理解してくれればいいのに・・・・つーか、それをメールで言って来ないでよ・・・・
 せめて内線で「あの数字、まだ出来てませんが?」って言ってくれれば「ごめーん、今月押してて」って言えるのに・・・・

 それに、その仕事、そんなに急ぎじゃないでしょ?そりゃ、私がその数字作らないと、あなたが次のステップに進めないのはわかっているけど、社内的にも社内的にも期限のある仕事ではないじゃん。

 いや、わかってるのよ。
 私が去年、その仕事の最終的な数字の件で「これとこれがあわなくなってますがどうしましょ?」と指摘して、整理しちゃったから、「そうなる前にマメに合わせておかなきゃ」って思ったんだよね。こっちは責めてるつもりなかったのだが・・・・

 そんで、その数字のことで私にあれこれ言われたくないから、自分で全部やりたいんだよね?だから、私の作業がちょっと遅れると、「まだ未入力になっていますので、よろしくお願いいたします」とメールしてくるんだよね?

 だ・か・ら、確かに去年から「それは私がやってもいいんですが」って要望は聞いているけど、年末にそんなこと言われても、こっちもそれどころじゃなかったので「その件は、年明けにゆっくり相談しましょう」って言ったじゃない。

 たまたま、そっちが暇だったからって、激しくつついてくるのもなあ。
 こっちは、そっちが忙しい時は、2ヶ月間放置でも我慢していたのに・・・・いや、私は放置されてても構わなかったのだが、細かいことばかり気にする税理士事務所の担当者が「あの数字が合わない」と毎月言ってくるので「それはあっちの担当者がやっているのですが、最近忙しいようで、滞っているのです。それに、その数字が合わなくても試算表的には問題無いじゃないですし」と毎月言い訳していたのに。

 以上、数カ月後に自分で読んでも意味不明だと思う愚痴を連ねてみましたが、今日はいいこともありました。

 3月でサポートが切れるので(ウィンドウズと連動)、それまでにバージョンアップしないといけないソフトがあるのだが、去年の夏頃、そのソフト会社の営業マンと話をしたのだが、「まだ時間あるし」と放置していたら、年末になって「そろそろ、やらないと」と気がついた。ってゆーか、その会社から「来年3月でサポート切れます」というメールや郵便がドカドカ届くようになったのである。

 で、年末には部長に「あれ、年明けにはやらないといけませんね」と話をしたのだが、部長は今日になって「そういや、あれはどうなった?」と聞いてきたので「今忙しいのでそれどころではありませんから、来週になったらやります」と言ったのだが、一度、思考がそっちに向くとそっちしか見えなくなる性格の部長は「前に営業マンと話した時は、どういう話になったんだっけ?」と質問が止まらないので「実は、私もよく覚えてなくて・・・」と言うと、部長も全然覚えていないらしく「うーん、これはまたあの営業に来てもらわないといけないかなあ」と言うので「そうですねえ」と流しておいた。

 そしたらしばらくして、またそのソフトのことで質問してきたので「私もあっちの会社に確認しないと、なんとも言えません」と言っていたら「じゃあ、オレが電話しちゃっていい?」と言うので「そうですねえ、サーバのバージョンがどうのこうのって話になると、私が間に入ってもわけわかりませんから直接お話ししてもらったほうが早いかと・・・・」と言ったら、ちゃっちゃと電話して、営業マンとあーだこーだ話してくれていたので「よかった!」とホっとしました。

 ソフトのバージョンがどうのこうのっていうのは、私があまり得意としない仕事なので、直接話してもらえば、私の仕事が一つ減るので、ほんと助かります。

 まあ、1月はしばらくこんな感じかな。


1月6日(月)

 初出勤。
 6日にもなると、もう「おめでとうございます」って言うのも面倒ですね。

 仕事は予想どおりにダルダルでしたが、仕事溜まっているけど、「えーと、どこから手をつけたらいいんだろう」と遠い目になってばかりで、捗らなかったし、年始挨拶の来客も多くて落ち着かなかったし、まあ、明日からがんばります。

 ところで、前にふと「私の育った家って変わった家だった」ということを思い出し、3日にやっと私と両親だけになったので「そういや、あの家って、なんであんなにベランダ広かったの?」と聞いてみた。

 そしたら、母の機嫌が急激に悪くなり「あの家については、私は一切関与してない」と言うし、父は無言。

 しかし、それでも頑張って聞き出したのだが、あの家が建売ではなく、建築士に頼んだ家であることがわかった。
 前にも聞いたことがあるけど、父方の祖父が誰にも相談せずに勝手に手配した家だったらしい。祖父は私と入れ替わりに亡くなっているので、どんな人だったのかよく知らないのだが、亡くなる直前までは下町で自動車修理をしていたようだが、職人気質というよりは、あれこれ儲け話に手を出しては借金抱えるような、イマイチ堅実な人ではなかったようだ。

 そっちの親類は、お寺の縁者なので、母方の「農村出身」の一族とは違い、ちょっと浮ついた感じの人が多いようだが、中には商売で成功した人もいるんだけど、「成績は良かったんだけどねー」な人も多く、イメージが固定しないのだが、そうだ、祖父の兄弟とはお会いしたことがあるが、けっこう人懐っこい爺さんだったけど、うちの父によると「外面はいいんだけど・・・」という面もあったらしいので、ほんとよくわからない。それに、祖父の子供は父だけなので、サンプル数が少なすぎる。

 まあ、ただ、けっこう新しもの好きではあったようで、息子が結婚したら「新居は用意するぜ!」と張り切って、新興分譲地に土地買って、自分の好きなように家を建ててしまったようだ。

 で、母の記憶によると、設計士が「こんな家は珍しい。まるで軽井沢の別荘のようだ」と自慢ともとれるが「ほんと、これでよかったのでしょうか?」ともとれるようなことを言っていたらしい。
 確かに、私が「今にして思えば、米軍住宅みたいだった」と思うように、あれは別荘というか「コテージ」みたいな家だったなあ。

 そして、「思い出したくもない」と不機嫌な母に「でも、あのベランダ、裏まであって、凄い広かったでしょう?」と言うと「あのベランダ、ヒノキだったのよ!!!」と言うので「ええええ?そんな高級素材だったんすか?」

 当時は檜が高級だったのかはわからないが、子供がドタバタ走り回っててもビクともしない丈夫な作りだったなあ。私が高校生の頃、雨があたる端の方は傷んできたので、ベランダを削ったのだが、それでも半分以上は残っていた。

 でも、私がこれだけ懐かしく思い出しても、両親がアレじゃ・・・・・

 まあ、その変にモダンな家を張り切って建てちゃった祖父は、自分でローン組んだのに、私と入れ違いでさっさと死んじゃったので、そのローンは父が背負ったようで、母曰く「あの当時の月3万円って、ほんと大変だったよ!」だったそうで、ほんと、いろいろ不満だらけのマイホームだったのでしょう。母も図画工作は得意なので、もっと自分で家造りに参加したかったのでしょうし。

 そうか、そういう意味では、今回の実家のリフォームは、母があれこれ自分で指図できたので、やっと念願のマイホームになったのかもしれません。

 私は造作はどうでもいいのですが、お風呂が自動炊きになったのと、ガスコンロが「ピピっと」になったので、父が追い焚きしたまま寝てしまい、ゆでダコになったり、母が煮物を忘れて火事になったりする心配が激減したので、ほっとしています。ほんと、ここ最近、台所でお湯が沸かしっぱなしになっていたり、煮物を焦がしたりしている場面によく遭遇していたので、ほんと心配だったのです。


1月5日(日)

 あけましておめでとうございます。

 ミヤノ家のお正月は史上最大に賑やかでございました。

 まず、30日の夜に実家に電話して「いつもどおり、大晦日の夕方に帰るけど、他の人はどんな予定?」と確認していると、電話の向こうで子供の奇声が響き渡っていた。
 すでに、妹と甥っ子がいるらしい。

 妹はいつも正月は夫の実家(富山)に行っているはずなのだが、今年は富山には行かなかったようだ。
 その顛末は、後から妹にじっくりじっくり愚痴られたのであるが、昨年の正月に富山に行くと、夫は自分を置いて地元の友人と遊びまわっていたらしく(地元の年越しライブに行ったりとか)ただでさえ「育児で思うように外出できない」という妹のストレスが爆発し、「来年は絶対に富山に行かない」と決めたらしい。「帰るなら、一人で帰って!」

 それに、富山のお義母さんは豊富な資金力と「シルバーパス」の割引力を利用して、2ヶ月に一度くらい上京して妹宅に宿泊しているので「充分会ってるじゃん!」と思っているのだが、それでも正月に富山に行かない理由にはならないので、替りに11月頃に伊豆の温泉旅館のコテージに夫一族(富山の義母と、東京在住の夫の弟一家。子供が二人いる)と滞在したらしい。

 いとこ同士の子供達はコテージの回りを走り回って楽しんでいたそうだが、妹曰く「あっちのお義母さんと、弟君とその奥さんが一緒で、くつろげると思う?」と言われると、まあ、たしかにそーだよね。

 で、妹としては、その伊豆旅行で「正月の替り」と思っていたのだが、年末差し迫ってから、富山のお義母さんが「やっぱし、私がそっちに行く」と言い出したので、「私の一年がかりの工作が水の泡に・・・・」と、いう状態になっていたようである。

 そこで、年末の28日と29日は、夫と子供を実家に送り込んで、お義母さんをお迎えするために掃除していたらしい。そして夫は30日は仕事に行ったので、妹と子供は30日から実家滞在という流れになったようだ。富山のお義母さんが来るのは2日。

 というわけで、妹の「リアル小町」みたいな愚痴をずっと聞いていたので、紅白見終わって、ゆく年くる年も見終わって、さだまさし眺めながらお風呂に交代で入っていたので、寝たのは朝の4時くらいだった。

 弟一家が元日の昼に到着予定とは聞いていたが、11時に「もうすぐ来るわよ」と母に起こされて、二日酔い&寝不足のまま料理の支度を手伝っていたら、千葉在住の弟一家(長女は5年生、双子の姉妹は1年生)が到着。

 我が家はいきなり戦場と化した。

 それでも、長女のNちゃんは、少しずつ子供っぽさが抜けてきているので、妹達と絡むより、大人に自分の話しを聞いてもらうほうが楽しいようだった。
 あまり学校の友人と遊ばないタイプの子のようだし、弟(私の)とはよく「宿題しろ」と喧嘩していたので、勉強苦手なのかと思っていたが、学校の成績はいいらしい。

 そういや、前にも私や父に「私、科学の問題は得意なの!」と科学系クイズ「小舟と大船の高さの差が2メートルあったので、乗り移れなかったが、水位が2メートル上がりました!どうなったでしょう?」などを自慢気に披露して、ホロ酔の私と父に「水位が10メートル上がろうが、差は2メートルでしょ?」とバッサリ言われて、残念そうだったっけ。

 頭はいいらしいが、同世代とのコミュニケーションが苦手で、自分の話しをちゃんと聞いてくれる大人には積極的というか、自信たっぷりに自分の話しばかりする姪っ子N嬢に私は昔から親近感を抱いているのである。

 双子も、去年会った時には、ずっと取っ組み合いの喧嘩ばかりしていたが、ずいぶん大人しくなったし、それに前は交互にイジけていたんだけど、それもほとんどしなくなった。
 成長したなあ。

 そして、弟のところの三姉妹がとても囂しかったので「男の子っておとなしいね」と言われていた甥っ子T君が、2歳半になってフツーに「イヤイヤ期」になっていて、奇声は上げるし、おもちゃ放り投げるしで、すっかり暴れん坊になっていたのにも「成長したなあ」と感慨深い。

 弟の嫁は去年の正月は来なかったので(つーか、娘の内の誰かが水疱瘡だかで正月は一家で欠席だった。その後、その穴埋めとして春休みくらいに弟と娘たちだけで滞在していた)、国分寺の実家でお会いするのも久々だったが、お元気そうでよかった。

 つーか、うちの妹が「義母がやってくるーーー」と嘆いている横で、どういう顔していればいいのか困ったでしょうね(笑)

 元日の夜は、弟一家を両親の寝室になってる和室に寝かせて、妹は居間の隣の和室、私と両親は2階の前は洋間だった部屋をリフォームで和室にしたので、布団三組敷くといっぱいいっぱいだったがそこで寝ることになった。

 ところが三姉妹が、従兄弟であるTちゃんと一緒に寝るといってきかないので、みんな寝るまでT君も2階で寝かせたのだが、興奮した三姉妹が全然寝ないので、T君もなかなか眠れず、母や妹や弟嫁が交互で寝かしつけて、10時ごろやっと寝てくれました。

 その日は近所の神社に初詣に行って帰ってきたら、双子が昼寝してしまったので、なかなか寝てくれなかったようです。

 やっと子供が寝てくれたので、その後は、両親が床に着いたあと、私や弟や妹でワーワー喋っていて、弟嫁もそれに付き合ってくれて、2時前には就寝。

 あり?そういや、妹の夫はいつ登場したんだっけ?
 確か、元日の夕方だったっけ?
 年越しライブに行っていて、帰宅して一眠りしたので、こっちに来たようだが、そのまま、またずっと昼寝していて、夜になったらまた起きてきて話しに加わっていたんだっけ?

 そして、どうやら、「明日は富山のお義母さんも一度こちらに挨拶に見えるらしい」ということと、「弟一家も一緒に来るらしい」ということが曖昧に発表されていて、妹はまた激怒していたのであった。

 話を整理しよう。妹目線で。

 正月に夫の実家に行きたくなかった妹はその替りに伊豆旅行で弟一家とも勢揃いしたので、それでもう勤めは果たしたつもりだったのだが、やっぱり義母は上京してくることになった。
 弟一家は富山に行っていたが、義母と一緒に東京に戻って来るし、義母が国分寺に寄るのなら「うちの子達もT君に会いたいけど、国分寺の家におじゃましたら迷惑だから、どっか外で食事でも」と提案したらしい。

 と、妹の旦那が妹にそう説明したようなのだが、妹は「こんな大勢で、2日に入れる店なんて無いでしょ!!!!!」と激怒していたけど、えーと、あのー、ミヤノ家も全員っていう話じゃないと思うんだけど・・・・と私は思ったが、もはや、そういう理論的な話は通用しなかった。

 妹はもう、なにもかも面白くないのである。

 で、妹の夫もそれはわかっているので、自分で捌くこともせず、はっきり説明もしないので、外野のうちら(ミヤノ両親やミヤノ弟一家)はどう対処していいのかわからない。

 私が善意で解釈すると、弟くん一家は富山で年越ししたけど、嫁はスッチーさんなので、先に仕事に向かったので、弟一家とお母さんが一緒に東京への飛行機に乗ることになった。
 そして、品川在住の弟君は、車で羽田に来ていたので、どーせ嫁も仕事で不在だし、そのまま母を乗せて国分寺まで送っていくついでに「子供も会いたがってるし、外で食事でもどう?」っていうのは、妹宅にそのままお母さん連れていくよりも、夕飯だけでもみんなで外食したほうがお義姉さんラクじゃない?という気遣いがあったのだと思う。

 しかし、うちの妹は「お義母さんが来るだけでもイライラするのに、なんで弟一家まで来て、それも外食しようだなんて、私は外出する気ないからね!!!!」と噴火しまくりだった。

 もお、どうなるんだろう?と心配していたが、1日の時点では「富山を昼ごろの便で出るから、国分寺着は3時過ぎだろう」と言われていたのだが、それより早い便に乗ったらしく、また朝になったら母に「あと、1時間くらいで到着よ!」と叩き起こされた。

 昼頃到着するなら、みんなの昼食どうする?という話になり、うちの母が「コンビニ弁当でいいじゃない!ここでみんなで食べればいいのよ!」と鶴の一声で、母と妹の旦那がコンビニに買い出しに行って、弟嫁には「子供用にはパスタ茹でるから」と台所を指示したので、「この緊迫した状況で立ち位置がわからない」と気配を消していた弟嫁も台所でせっせと自分の娘と、他の子たち用の食事を作ってくれました。

 というわけで、2日の昼。
 ミヤノ家の両親、私、弟一家5名、妹一家3名に加えて、富山のお義母さんと、そちらの弟さんと娘と息子(上が小1,下が幼稚園)で、何人いたんだ?15人?????

 内、子供が6人。もはや、小規模の保育園みたいなことになっていた。

 富山の弟君一家(品川区在住)は、T君が夕方疲れて(そりゃ、両いとこに散々遊んでもらったのでぐったりですわ)昼寝に入ると、帰ったが、その後がまた、意外な展開になった。

 妹が朝から「慣れない布団で寝たので、腰が痛い」と言っていたのだが、だんだん腰痛が酷くなってきたのである。

 仮病っぽかったが、私は仮病じゃないと思った。
 ストレスだろう。
 てゆーか、合わない布団でちょっと腰が痛くなったのを幸いと、自分の気持で悪化させてるようだった。

 誰も言葉にはしなかったが、雰囲気的に「これは、家に戻るの無理じゃない?」ということになった。
 そうなると、富山のお義母さんも「ご挨拶だけ」じゃ済まなくなり、うちに一泊することになる。

 そうなると、うちの弟一家は、もともと一泊しかしない予定だったろうけど、長女のNちゃんはもう一泊したそうな雰囲気だったが、「申し訳ないけど、そっちは帰って」という雰囲気だったので、弟嫁としては「緊急時代ですので、空気読んで帰ります」という運びになり、うちの母が「Mさん(弟嫁)は、いつも我慢してうちに泊まりに来てくれてるのよねえ」という軽い嫌味言うこともできないくらいの流れでした。

 つーか、うちのママンは、あちらのお母さんに気を使いまくりだったので、弟の嫁なんて完全に眼中になかった。

 えーと、ですから2日の昼間に富山のお母さんが来て、夕飯食べてから弟一家が千葉に帰り、富山のお母さんが一泊して、3日の昼食後にやっと妹一家がいなくなりました。

 そして、私の両親と私が残った。

 そこでやっと「あけまして おめでとう!」と労いました。
 2日は一歩も外出しなかったので、私はさっそく「散歩がしたい、外の空気が吸いたい!」と言って、3日の午後は両親と近所の殿ヶ谷戸庭園から東京経済大あたりまでお散歩してから、「あー、なんかやっとお腹空いてきた」と帰宅したら、正月料理の残り物を片っ端から始末しました。

 ママンは「あの子の腰痛大丈夫かしら?」と心配してましたが、私が「お義母さんが富山に帰ったらケロりと治るよ」と行ったら「それも、そーね」と納得していた。

 前にも日記に書いたが、弟一家は、娘たちを「合宿」と称して、数日滞在させたりするし、妹は育児に疲れると実家に逃げ込んでくるので、ここ数年のママンは「孫の世話」に食傷気味なので、「いかに孫の世話が大変か」という話を「ほー、へー」と聞いてくれる私の地位が比較的に上昇してしまったようで、説明が難しいけど「弟一家」「妹一家」みたいなくくりで考えると「長女一家」というのは私しかいないので、なんだか私のことを孫の一人みたいに認識するようになってしまい、妙に甘やかすんですよ。

 つーか、弟一家の七五三に参加したら「食事代はこっちで払った」ってことになるし、妹一家をサポートしたら、やっぱし「食事代は全部こっち持ち」ってことになるので、「あら、のんちゃんには全然お金使ってない」と気がつくと「かわいそう」って思うようで、ここ数年、実家に行く度に帰りに1万円くれるのです。

 アラフィフなのに、お小遣い貰うのって超複雑な心境なのですが、それで親の気が済むなら、と受け取ってますが、これって介護が必要になったら、倍返しどころじゃないと思うのですが(笑)

 4日なんてさ。
 父は、早くもサークルの句会はじめがあるようで、昼過ぎに外出してしまったので、「私も今日は帰るけど、インドカレー食べたいな」とカレー食べてから、駅ビルのデパートを腹ごなしにひやかしていたら「あんた、洋服ほしい?」と母が言うので「全然足りてないんだけど、なかなか欲しいものが見つからなくて」と言ったら、ママンが俄然張り切ってしまい、結局、部屋着みたいなワンピースと仕事にも着られるスカートを買ってもらったのに、さらに帰り際、「交通費かかるでしょう」と1万円渡された。いや・・・・往復でも1000円くらいなんですけど。

 たしかに、正月のあの雑然とした雰囲気の中で、妹は「あっちのお義母さんには自分の親みたいに接することにしてるの!じゃなきゃ、私の精神が持たないじゃない!でも、あっちのお義母さんは、私が変に気を使わないから嬉しい。だから訪問しやすいって言うのよーーーーー」って嘆いていましたが、そこで、おっとりした弟嫁を含めて「みんな実母にはビシバシ言うよね」って話で盛り上がったのですが、そしたら妹が「おねーちゃんは、あんましお母さんにビシバシ言わないね?」と言うので、「あんたや、Sちゃん(弟)があまりにもビシバシ言うので、かわいそうになっちゃって擁護に回ってしまうのです!」と言ったら、次女である弟嫁が「うちも長女はそんな感じです」と笑っていた。

 私が擁護するのは母だけではなく、父のほうが母から攻撃されるので、そうそう、2日の寄るも、すっかり夕飯の支度が整ったのに、子供の世話で皆それどころじゃなくて、なかなか食べようとしないので、父が「もういいよな」と食べ始めたので、私が「ほら、Mちゃんも!」と妹の旦那にも食べるよう促した。

 そうじゃないと、主賓である富山のお義母さんがまだ孫と遊んでいるのに、うちの父が先に食べていてら、「おとーさんたら!!!!!」が始まると思ったので、「手が空いた人は父の援軍になって食べるように」と指揮したのである。

 ほんと、独身の長女も大変なんです。

 って気づかれで痩せることもなく、たぶん、また正月太りしたんでしょうけどね。

 5日の今日、「独居の幸せ」を満喫しつつ、掃除洗濯していたら、ものみの塔の人がやってきて「苦しみはいつか終わると思いますか?」って言われたけど「それは苦しみの種類にもよるんじゃないでしょうか?」としか言いようがなく、つーか、あんな地獄のようなお正月を過ごした私にこれ以上の苦しみなんてあるんですか?

 風邪はそのうち治るし、ぎっくり腰も3日も寝てれば治ります。
 実家に押し寄せた親戚もそのうち帰りますし、仕事が忙しいのも1週間くらい毎日残業すればなんとかなるし・・・・・

 終わらない苦しみってなんですか?

 というわけで、ほんと、今年の正月はまさかの富山乱入でわけわかんなかったですが、もしかしたら何年も語りぐさになるような正月だったのかもしれませんね。

 あ、そーだ、大晦日に大滝詠一氏の訃報で軽く落ち込んでいたんだけど(紅白でみんな喪章つけろ、と思ったくらい)、そんなことすっかり忘れていたからなあ。

 まあ、ミヤノ家もいろいろありますが、なんか、申し訳ないほど幸せな一家だと自覚しています。



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