可燃物な日々

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日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました

4月30日(火)

 くすん、また私の岩隈さんは、無失点で好投したのに勝ちつかなかった。

 防御率はダルと同じくらいなのに・・・・・

 そして、昨日の横浜×ヤクルト戦は、ヤクルトの先発が松岡で、「松岡???」って予告先発を二度見しちゃったんだけど、まあ、リアル「グラゼニ」で、GWの連戦で先発足りないから、中継ぎに谷間の先発任せたらしい。

 しかし、結果的には「バレンティンが場外ホームランを含めて3連発」というのが大きく取り上げられ、私のマツケンが「2007年来の先発勝利」ということは、とても小さい扱いというか、ほぼ無視でした。

 今日はニコ動で昨日の試合を眺めていたが、マツケンは決して状態良くなかったけど、早い回に横浜打線が早打ちしてくれていたのに助けられたかね。まあ、なにより、味方が大量得点してくれたからラクに投げられたんだろうけど。

 松岡が先発しているのなんて観たことなかったので、「うわ、すげー、1回も2回も3回も・・・6回までマツケンが投げてるなんて・・・・なんという金太郎飴状態」と狂喜いたしました。

 中継ぎで登場するマツケンは、実年齢よりも老けて観えるのだが、先発する時には意図的に「緩めた」ようで、実年齢に相応しいチャラチャラした雰囲気で投げていて、「あー、久々の先発でそうとう緊張しているだろうけど、その緊張感をいい意味で解放できてるなあ」と思いました。

 マツケンの先発が次もあるのかわかりませんが、次はたぶん派手に炎上しそうです。乞うご期待!

 しっかし、今年はマジに「統一球を飛ぶボールにしただろう!」ってことになっていて、ほんと、ちょっと投手の調子が悪いと大量失点するので、「これって、どーよ」と思いますが、公式的には「今年は少しは飛ぶようにします」という発表もなく、たぶん、統一球を導入してから、あまりにも貧打線が多くなり、「これじゃあ、ちょっと・・・・じゃあ、今年は少し打者有利にしておきましょうか」って水面下でやってみたら、あまりにもボコスカホームランが量産されるようになったので、関係者もびっくりなんでしょうね。

 ああいうのの調整って難しいだろうからなあ。お察ししますが、今シーズンは「10点差で負けてても、フツー」ってことに慣れないといけないらしく、私はまだ慣れてないので辛いのですが、逆に「5点差で負けてても、一瞬で挽回する可能性もある」ってあたりに慣れてくれば、いいようですが、えーと、野球ってそういうゲームだったっけ?


4月29日(月)

 GWとはいえ、私は例のごとく、前半は土日だけ休み(今日は出勤)で、後半は3・4・5の三連休の予定です。これでもけっこうマシな部類。

 なので、先日、実家に行った時に母が「次はGWね?S(弟)のところはどうなるか連絡ないけど、Y(妹)の方は、前半か後半のどっちかに来るって」と言うので、えーと、それって要するに何も決まってないってことね・・・・と思いつつ、こっちから特に「GWどうでしょう?」とも確認しないまま、金曜日になったので「土日は衣替えがんばろう。そんで後半に誰か実家に来るなら行こう」と思っていたら、土曜日の朝、目が覚めてケータイチェックしたら「今日からS一家もY一家も来るけど、あんたどうする?」ってメッセージ入ってて、時刻確認したら金曜日の23時58分とかに入ってて「もー、とっくに寝てたよー」とムクれたが、先に連絡しない無精モノの私が悪いんだし・・・・

 「そっか、今日からか」と思いつつも、まだ朝の6時だったので二度寝した。
 下の部屋に工事が入っており、土曜日までやるとお知らせがあったので、「どーせ、8時半から騒音で起きるだろう」と思っていたのだが、昨日までは朝からガーガーガリガリと盛大にやっていたけど昨日で終わってしまったらしく、次に目が覚めたら「げ?11時?」でした。

 こんな時間まで惰眠を貪れたのも久々である。
 「休日だからたっぷり寝よう」と思っても、もうたっぷり寝られなくなったのだが、「あと2時間くらいで騒音で寝られなくなるから、それまで寝てよう」って気構えだと、出来るもんなんですね。メンタルって難しい。

 で、ほぼ12時間寝たら、なんだか気がすんだというか、「衣替えは全然やってないけど、まあ、そんなのいーじゃん」って気分になったので、実家に電話して「みんな来るんなら、私も行くー」と告げて、さっさと洗濯だけ済まして、午後3時くらいに実家に着いたのだが、母が「あーら、あんたが一番乗り?」と苦笑していた。

 三人娘引き連れた弟は「昼ごろ行きます」と言っていたらしいが、予定通りには進まなかったらしい。

 テレビで野球中継を眺めていたら、4時過ぎにやっと弟一家がやってきて、しばらくしたら妹一家も到着した。

 今年から小学生になった双子に「学校どうよ?」と聞いてみたら、どうやら先生のことがあまり好きになれないようで、「なーんか、先生がバカっぽいの」みたいなこと言っていたが「バカみたい」とか「バカっぽい」という言葉じゃなかったけど、なんだったっけ?

 えーと、たしか「先生が、バカらしいの」って言っていた。
 「アホらしい」のアクセントで「バカらしい」って言うので非常に違和感があった。

 それ以上、学校のこと聞いても、無視するので、会話にならなかったが、後で弟から、「双子の片方は先生と上手くいっているようだが、もう片方は、イマイチらしい」と聞いて「ああ、先生のことをバカらしいって言っていたのは後者の方だったんだろうな」とわかった。

 双子は、最近になって顔が似てきたので、どっちがどっちだか見分けがつきにくくなってきたのよ。
 性格はかなり違ってきたようなのだが、一日や半日のお付き合いだとその差もよくわからなかったりする。

 彼女らの父である弟は「前は長女のNちゃんだけ意地悪だったけど、双子も立派な意地悪になりました」と言うが、うちの家系には「気立てのいい女子」なんていないからな(笑)

 特に弟は母方の性格が強いので、母は強情だし、祖母も強情だったし、弟も素直に「ごめんなさい」するキャラでは無いので、弟の娘たちが揃って「自分の都合の悪いことは無視」っていうのは遺伝ですね。

 でも、ふとした会話で、口の悪い双子が「おばーちゃんはケチー」と言うので「どの、おばあちゃんのこと?」と確認すると、「長野のおばーちゃん(弟嫁の母)は何でも買ってくれるけど、国分寺のおばーちゃん(私の母)は何も買ってくれないから、ケチー」と言うので、ぷすすすす・・・・・

 うちの母がケチなのは「事実」であるが、一応それなりに「嫁の教育方針」を尊重というか遠慮して「ジュースやお菓子をあまり与えてはいけない」とこころがけているようだが、嫁の実母はそんなの気にしてないので、そーゆーことになる、という事情もあるが、孫達にそんな「大人の事情」なんてわかるはずもないし。

 さらにうちの母の立場を援護すると、嫁が双子を妊娠中に周産期医療センターに長期入院になってしまったので、母が弟宅でしばらく家政婦さんしたのだ。
 普通だったら、嫁の実母が手伝ったんだろうけど、その当時、あちらのお父様は難病で介護が必要だったので。

 まだ幼稚園児だった孫の世話(と、弟の世話)を任された嫁に気を使って、なるべく嫁の教育方針(おやつの与え方など)を尊重したし、長期で世話をしたので「実の母親と同じように厳しく」と心がけたので、祖母として、めったに会わない孫をめいっぱい甘やかすということをしなくなったのである。

 逆に向こうのお母さんは、自宅介護した夫を看取るまで、なかなか孫と接する機会が少なかったので、今では悠々自適の身分になり(けっこう資産家らしいし)、月に一度くらい弟宅に滞在しているようだが、今は思いっきり孫を甘やかしているようです。

 「国分寺のおばーちゃんはケチ」と言われて、うちのママンはけっこうムっとしているが(弟宅で家政婦していた時の食費はほとんどママンの持ち出しだったらしいから。つーか、「実費は負担しろ」って弟に言えばいいのに、そう言わなかっただけだと思うが)、ママンがあまり気にしてないのは、その続きがあるからだ。

 「長野のおばーちゃんは何でも買ってくれるのに、国分寺のおばーちゃんは何も買ってくれなくてケチ」に続くのは「おじーちゃん(長野のは亡くなってるので、自動的に国分寺の我が父)はポップコーン全部食べちゃうの!」

 たまに孫達が襲撃してくると、近所のシネコンに連れていくようだが、父が一緒に行くと、孫達のために買ったはずのポップコーンをいっぱい食べちゃうらしい。

 それが、よほど悔しいというか「大人が子供のおやつ先に食べちゃうなんて信じられない」と思ってる姪っ子たちには深い印象を残しているようで、何度も「おじーちゃんは、ポップコーン食べちゃうの!」とリピートされていた。

 父との付き合いでは大先輩の私が「ああ、ごめんね、うちのお父さん、そういのダメだから・・・・私とか、みんなのお父さんも子供の時に冷蔵庫に大事にとっておいたつもりのプリンとか、お父さんに食べられて、よく泣いたものよ?」と語り聞かせても、双子はただ「おじーちゃんにポップコーンを食べられた!」という恨みを繰り返し叫ぶだけでした。

 そう詰られても、父は全然気にしてない。
 気にするような人だったら、私らが自衛策として、プリンに自分の名前をマジックで書いてあっても、平気で食べなかっただろう。
 それで、うちらが「お父さんが、プリン食べちゃったーーーーーー!!!!」ってビービー抗議しても「それがなにか?」って態度だったしな。

 父はたぶん、目の前にあって、食べたら美味しいものがあったら、「配分」とか「所有権」を全く考えずに食べるし、逆に自分の好物が他の人に食べられてしまっても、あまりに気しないようだ。

 例えば、私が実家で父が温存していた日本酒を全部飲んじゃっても「日本酒無くなったのか?じゃあ、次はこっち開けるか」と焼酎を開けるっていう感じ。
 で、ビールなんていつもは飲まないのに、私がビール飲んでると(母は娘はいつも安い発泡酒飲んでると思い込んでいるため、実家にはエビスとかモルツが私のために揃っている)「ちょっと、ちょうだい」とコップ一杯分だけ飲んだりするのだが、母が「ああああ、それはミヤノ用の高いビールなのに!」と絶叫しても、父は「いいじゃん、いいじゃん」と何が問題なのか気にしてない。

 よく揉めるのは、母は子供の好物を把握しているので(それが勘違いの時もあるけど)「これはミヤノの大好物だから」と大皿でドーンと出したら、何も考えてない父が先にバクバク食べてしまい「これは、おとーさんのための料理じゃないのにーーー!!!」って母が怒っても、父は何で母が怒っているのかさっぱりわからないようなのだ。

 さすがの父だって「ひとりずつ小分けされた皿」の他人分までは手をつけないので、「だったら、最初から分けておけばいい」と思うようだが、「ふつー、大皿で出たものをバクバクと半分も食べるのか?」って思う母と、目の前に置かれたものは自由気ままに好きなように食べる父では、どっちもどっちというか・・・・

 で、シネコンで孫達に買ってあげたはずのポップコーンもバクバク食べてしまい、孫たちから「おじーちゃんは、ポップコーン食べちゃうの!」って非難されても、「だから?何が?オレが買ったポップコーンなんだし、もっと食べたければ、もっと買うけど?」ってシレっとしている父なのでありました。

 妹は、甥っ子T君が相変わらず食が細く、妹が頑張らないとロクに食べてくれないことを嘆いていましたが・・・・・

 妹には面と向かって言えなかったので、日記さんに吐き出すが、妹の旦那ははっきり言って「食べ過ぎ」だし、その食道楽の旦那に付き合ってる妹も太りすぎである。
 なので、傍観者の私としては、二人の子であるTちゃんがバクバクご飯食べていたら「あー、健康優良児まっしぐらになるのでは・・・」と心配しただろうけど、なぜか、あんまし食べないので、「脂肪細胞が育たなくて、いいのでは?」と思うのだが・・・・

 つーか、妹は自分の食欲を基準に「子供が食べない」と嘆いてるようだが、うちの母が揚げた油っぽい天ぷらを3つも食べたのなら、私は「ほー、よく食べたな」って思っていたのである。だって、昼食が軽すぎて小腹が空いたので、母の揚げた天ぷらをつまみ食いしたのだが、3つも食べたら「もういいや」って思ったから。

 でも、小学校1年生の双子と5年生の長女と、その父である40代前半元体育会系の弟と、どっちも食道楽ででっぷりな妹夫妻にかかったら、天ぷらはあっという間に消費されていた。
 妹が「でも、Tちゃんはあまり食べてない」と言うが、かぼちゃの天ぷら二切れ食べてたから、それでもういいじゃん。

 妹、変なところで完璧主義でね。
 つーか、長年、私も母も「妹のこだわり」が理解不能だったので、それが今に至るってかんじです。

 妹の変なこだわりとは、「部屋をディズニーランドみたいにする!」という意気込みはいいんだけど、ミッキーグッズが部屋に飾られて、それも別に好きにすればいいのだが、「飾りはいいとしても、このゴミ溜めみたいなのも飾りの一部なの?」ということが多かった。

 そういう妹の「よくわからない変なこだわり」が育児にも発揮されており、母も私も「???」なんだが、まあ、好きなようにやればいいじゃんと生暖かく見守っております。


4月26日(金)

 ちんたら読んでる「言語都市」ですが、半分過ぎたら大炎上しまくってて、1イニング8失点みたいなことになっています。中継ぎ投手がみんな炎上しちゃうので、とうとう野手にピッチャーやらせないと・・・・って感じ。
 どう収拾するのかねえ?この作者だとハッピーエンドは期待できないので、24−0くらいは覚悟しておきましょう。

 さて、自分の老化は着々と進行してますが、前にも日記に書いたが、正月に弟と会ったら、三歳下の弟がすっかり「あれあれトーク」になっていたのに驚きました。
 人名や地名などの固有名詞がすぐに出てこないので、会話の中に「あれ」とか「それ」とか「あそこ」が多発するんですよね。

 会社のアラフォーの皆様もすっかりそんな感じになりましたが、最近気がついたのは、アラフィフの先輩達(50代前半)は、もはや「えーと、あの俳優が・・・・何て名前だっけ?CMによく出ている・・・・」という領域は通り越して、普通に「あれ」で押し通すようです。

 「あれって、どうなった?」と前置き無しに上司に言われて「あれって・・・・・?」となった経験ある人は多いのでしょう。

 個人的な経験値から、堂々と「あれって、どうなった?」って言うのは男性に多いような気がします。女性だと「この間お願いしたアレ・・・・って、ええと、捺印お願いした・・・」とか言うので「契約書のことですか?」「ああ、そう(笑)、契約書出来てます?」なーんて、同じ「あれあれトーク」でも、自分が「あれあれ」言ってる自覚がある場合が多いのですが、男性の場合には「あれ」で通じてると自信満々に会話してくる人がけっこういらっしゃいます。

 S氏がその典型的タイプで、元々彼は、会話のペースが自分中心というか、世間話でゴルフの話題をベラベラと語るので「女性はゴルフの話題に疎いということは、全く念頭にないんだな」と思ったりしましたが、それで別に不愉快に思うってこともなかったし、逆に「相手のレベルに合わせて喋らない」というあたりには好感を持っていました。

 そんなS氏は、老化が進んでくると、堂々と「あれってどうなった?」って言うようになりましたが、先日は、休日出勤して、翌日の出張に持っていく備品の準備に来るというので、総務部は「その備品が置いてある倉庫を開ける」という連絡を受けていたので、S氏が来ると「あら?予定の時間よりも早いですね」と声をかけたら・・・・S氏はいきなり「あいつ、来てる?」

 S氏のために倉庫の鍵を開ける指令は受けていたけど、あいつって誰?

 なので、さっそく「あいつって?」と聞き返すと、S氏は照れるそぶりも見せずに「えーと、あいつだよ、あいつ・・・・・・えーと」と真面目な顔して十数秒かけて、「えーと・・・・Yだよ!」と言うので、「Yさんは、まだ姿観てないですねえ」と言うと「あ、そう」と平然としてました。

 アラフォーくらいだと「あいつって・・・・やーだ、私ったら、ほんと最近、人の名前がすぐ出てこなくってwww」と言い訳しそうですが、アラフィフになると「ん?あいつじゃ通じないの?しょーがないなあ、時間かかるけど思い出してやるか」って態度になるんですね(笑)

 そういや、60代半ばになったうちの母も「やーだ、私ったら」って言わなくなったような・・・・
 数年前までは、父の老化をいろいろ私に報告してくれたのだが、そういうことも言わなくなったな。先日の「おとーさんったら、北の国からをすぐ口ずさめないのよwww」っていうのは、父がいかに一般常識というか、俗世間的な常識に欠けているかってことをイジっていたわけだし。

 私もそのうち、そのステージに上るのかね?

 「あいつ来てる?」って言われたら、平然と「来てませんよ」って答えられたり、「あれはどうなってる?」って聞かれたら、それは自分に向けられた問ではないと平然と無視できたり。

 先日も「会社の近所にほっともっとがあればいいのに」と嘆く同僚に「あー、それ系ってなかなか出店してくれないよね、あと、ほっともっとみたいだけど、もっと女性が店員の手作りの・・・」と言ったら「オリジン?」と言ってくれたので、「そう、オリジンも無いよねえ」なんて会話していたが、あと数年したら・・・・

 「会社の近所にほっともっとがあればいいのに」
 「あー、それ系ってなかなか出店してくれないよね、あと、アレも」

 って感じになるんでしょうか?

 要観察事項です。

 って、もうそうなりかかってるのかもしれないけど、自覚症状が出てないだけなのかもしれませんが。


4月25日(木)

●謎の言葉

 エビワカちゃんがコーヒー豆の発注をしていたら、マスオさんが「あー、ドリンクスってあれでしょ?」と言うので、エビワカちゃんが「はあ?」と戸惑っていた。
 エビワカちゃんが持っていたカタログには確かに「DRINKS」って書かれていたが、「ドリンクの複数形なだけで、これが何か?」とエビワカちゃんが言うと、マスオさんが「ドリンクスっていうのあるじゃん」

 エビワカちゃんは意味がわからず、困っていたので、私が「ドリンクスっていう単語に他に意味ってあるの?」と聞いてみると「確か、独身がどうのこうのって奴ですよ。ニートとかそんな感じの」と言うので、私が「それはディンクスでは?」と言ってみたら、「ディンクスって何?」とエビワカちゃんもマスオさんも知らないようだった。

 そーいや、DINKSって言葉が流行ったのは、私が20代の頃だったし、最近は耳にしないよなあ。
 しかし、マスオさんはきっぱりと、「いや、ディンクスでもなくて、なんか、ドリンクスだった」と譲らないので、ネットで調べてみたんだけど、出てくるのはやっぱし、ニートとかパラサイト・シングルくらいだし、そもそも「独身がどうのこうの」と言われても・・・・

 と、雑談していたら(今日の総務部は全員暇だった)、M嬢が、「ニートじゃなくて、完全無所属みたいなのが最近出てきたでしょ」と話に入ってきたのだが、えーと、ニートも無所属だと思うのですが・・・・

 でも、そっちのほうが、調べたらすぐに出てきた。「SNEP」らしい。ソロで、ノット・エンプロイーなパーソンとかで(孤立無業者)、要するに「無職で引きこもりの独身者」なのだが、ニートが「学校を卒業して、無職なままの若者」だとしたらスネップは中高年まで含まれているようだ。
 最近、どっかの学者さんが言い出したようで、たぶん、テレビなどても「次はスネップらしい」と取り上げられていたのでしょう。
 別に「中高年ニート」でもよくね?って思いますし、あまり定着しなさそうですが、それはいいとして、「ドリンクス」とは語感も違うので、これもマスオさんが「あれでしょ?」っていうのとは違うだろう。

 いったい、マスオさんの言う「ドリンクス」とは何だろうと、暇だったからマスオさんが帰った後も検索していたのだが、やっと「DEWKS」っていうのを発見したが、これはDINKSに子供がいるバージョンで、double employed with kidsなんだって。
 DINKSが、Double Income No Kidsなんだから、Double Income With Kidsじゃダメなの?と思ったが、それだとDIWKSになっちゃって発音しにくいのか、みんなよく考えますねえ。

 というわけで、やっぱしマスオさんが「ドリンクスって独身がどうのこうのっていうやつでしょ?」っていうのが何なのか、わからなかったのですが、んー?でも、やっぱしDINKSにSがついているのは「夫婦者なんだぜ」っていう複数形を表現しているのだと思うので、「独身がどうのこうの」だと、Sつけないような気がするなあ。

 あ、でも、どうやら英語だと「DINK」って表記が一般的なの?

 なんだかわからなくなってきたが、謎の「ドリンクス?」の正体が明らかになる日は来るのだろうか?

 おい、もしかして、これのことか?
http://greendrinks.jp/

 おい、木佐貫が9回裏に出てきたぞ!
 しばし、木佐貫の「完封勝利か?」を見守りましょう。

 ひょえー、やっと9回で100球目なんだ、なにこの滅多に見られない神ピッチは!

 あはは、やっぱし、先頭打者の長谷川が二塁打。完封意識しすぎでしょう。でも、5点差だから替えないだろうなあ。完封はいいから、完投を目指すでしょう。
 あー、次もヒットで無死1・3塁。
 解説者は「ここは木佐貫も割りきってるでしょう。3塁ランナーはいいから、アウトとろうと」って言うけど、木佐貫がそんな投手なら、もっと活躍しているというか、今も巨人のローテ投手だったでしょうよ。

 しかしこれ、替えるに替えられないね。後ろも準備してないだろうし。

 でも、替えるんだったら、まだランナー二人しかいない今のほうが、まだマシなんだが・・・(一発くらっても、まだ1点差で勝ってるから)

 あらー、満塁になっちゃった。

 これだから、木佐貫はやめられない(笑)

 無死満塁のしびれる場面で、石井裕也が出てきました。がんばれ裕也!

 あーん、もったいない、ダブルプレーならず!
 これで、3点差。
 また満塁!!!

 すごいね、9回裏で5点差なんで、絶望的な状況なのに、盛り上げるなあ。

 おや、ロッテもいつのまにか西武に逆転しているではないか。

 えーと、私は見事完封勝利した木佐貫を鑑賞しようとしたのに(笑)、なにこの絶体絶命のピンチ状態って。

 楽天の6点差っていうのも全然安心できなくなったので、楽天戦に戻りました。

 あ、西武が9回裏にランナー出した。慌てて移動。
 と思ったらダブルプレーで終了だった。

 なんだか今日は忙しい(笑)

 また日ハムの大ピンチに戻りました。武田久が出てました。二死満塁で、3点差。
 さすが、武田久!
 木佐貫がすっかり「ほえーーー」って顔になってます。
 いやこれ、木佐貫ヒロインは無いでしょう。やっぱし、中田でした。

 他が終了したので、ほっともっと神戸に戻ると、またオリックス平井が登板!

 しかし、平日のホモ神戸は実に閑散としていて、いいなあ。
 この球場でヤジりまくって、帰宅したら録画で自分のヤジ音声チェックしたら、私も少しは大きな声出るようになるかしら?

 でも、テレビで観ても、ほんと天然芝が美しい球場である。また行きたいなあ。
 関東にも、こんな美しい球場があればいいのに。
 いつもボヤいているけど、神宮球場は、こうあるべきじゃないんですか?アマチュアの聖地なんだし。西の甲子園、東の神宮ってことで。


4月24日(水)

 久々に仕事の愚痴でも書こう。(楽天の試合が雨で中止になっちゃったので)

 春先は、なにせ新年度ですから、新規案件や大きく変更する案件がけっこうあるのですが、事前に具体的な内容(事務処理的に)が全然説明されないので、こっちから「これって、どうなるんでしょう?」って確認しに行っても、誰もよくわかっていなかったりする。

 うちの会社は事務処理のことに全く関心が無い人が多いので、こういう事は多いのだが、先日マスオさんが営業担当者と言い合いになっていたのだが、経理が「あの件の請求明細はどうなりました?」って言っても、「どうすればいいんでしょう?」って逆に聞かれても・・・・

 で、マスオさんはその件で関わる他部署の担当者から「あっちの部署の担当者から、こういう明細が来るから、それで得意先に請求書作ってね」って言われていただけで、具体的な内容を知らないから「そちらの上司に確認してみれば?」としか言いようが無いのだが、その担当者はやっとあちこちに確認して、なんとか明細書を作ったのだが、それをマスオさんに「これでいいですか?」っていちいち確認してくるので、マスオさんはその度に「いや、ボクに確認されても困ります」っていうのを繰り返してました。
 結局、その書類が出来上がるまでなんと三ヶ月もかかったのであった。グループ向けの請求だったので、別に構わなかったのだが(私が得意先に事情を説明すると「請求が遅い分には全然オッケーです」と笑われただけ)、いくらなんでも時間がかかり過ぎである。

 そして、私が 先日やられたのは、ある案件は「売上は一括で立てるが、仕入れは3年間分割になる」と言われたので「うーん、どう会計処理しよう?」としばらく考えて、売上の方を前受金として処理して、3年間に渡って、伝票処理することにしたのだが、しばらくしたら、仕入先からも一括の請求書が届いた。
 「話が違うじゃないですか!」と詰め寄ったら、「ああ、これ、最初の契約とちょっと違っちゃって・・・」と言い訳されたが、変更されたなら私にも教えてよ!!!

 そして、子会社の社長が、とあるプロジェクト専用の通帳を作れと言うので「そんなの無意味でしょ?」と散々ゴネたのだが、ゴネるのにも疲れたし、「作りゃいいんでしょ、作りゃ。別に経費はかからないし、私の手間が増えるだけだけどね」とキレながらも通帳作って、その担当者に「新しい通帳できました」って報告したら「え?作ったの?」と驚いていた。
 どうやら彼女も「そんなの無意味です」と意見したところ、その社長もなんだか面倒になったらしく(そもそも無意味な思いつきだったし)「じゃあ、いいや」って言っていたらしいのだが、それが私に伝わってなかったのである。

 みんな、テキトーに仕事しすぎだよ・・・・・

 いや、いいんですけどね、別に、私に迷惑かけるだけだったら、それも仕事の内だと思って我慢しますから。

 つーか、「きちんと先回りして準備するのが大事」って思っていたけど、ここんとこ、そういう準備がほとんど無駄になってるので、今日もエビワカちゃんに「これって今後どうなるのでしょう?」って聞かれたのだが、「あー、それ、今確認しても多分意味ないから、後で書類が来てから考えましょうって、気分なのよ、アタシはwww」って高笑いしたら、エビワカちゃんもわかってくれたようである。

 そんな最中、季節の風物詩である「残高確認書」が沢山舞い込んできているのであるが、「残高確認書」とは、決算期に「売掛金残高」や「買掛金残高」が合ってるかどうか、企業や監査法人が送りつけてくる書類である。

 なんで、他所の会社の決算のために、私がせっせと書類に捺印して返送しないといけないのかってボヤきたくもなるが、これも仕事の内なのでせっせと返信していたら、子会社から「Nって取引先から残高確認書っていうのがうちに届いたんだけど、なにこれ?」と連絡があり、「はあ?なんで、そっちに????」

 そこへの売掛金は、3年ほど前に子会社からうちに営業譲渡した仕事だったので、売掛金も移行したので、去年はちゃんとうちに届いていたのに?

 そして、その時もちょっと騒動になったのだ。
 なぜなら、そのNという会社は、2年間くらい一度も入金がなかったのに、届いた「残高確認書」には、一ヶ月分の未収金金額が記入されていたからだ。

 そんなもんに「これで合ってます」って捺印したら、そういう効力のある書類なのかどうかは知らないけど(残高確認書は督促状では無いので)、事実上の債権放棄みたいなことになってしまいそうだったので、営業担当者に「こんなん来ましたけど、どうなってんですか?」って突き出すと「おかしいですね、調べてみます」

 しばらくすると、こういう言い訳を説明された。

 そのNという得意先は、2年くらい前に経営者が替わったのか、どっかに吸収されたのか知らないが、経理業務が他に委託されることになったのだが、それまで未払いだった金額が経理業務担当部署に伝わってなかった上に、それ以降の請求書の処理にも行き違いがあって、未払金がきちんと計上されてなかった。
 って?はあ?
 要するに「そういうつもりはなかったのだが、社内の連絡ミスで、ずっと未払いだったようです」って、えーと、未収金300万円くらいあるんですけど?

 300万円も未収というか、一度も支払われてないのに、発注されれば納品だけはしてましたっていううちの担当部署もお人好しすぎるが、でも、それはけっこうよくあることなので、「みんな自分の金じゃないからって・・・・」と嘆くしかないが(もちろん、ガーガー言ってるけど、不思議と改善されない。最近やっと「そういう得意先はバシバシ切る」という普通の人が現れて、少し改善されてきたけど)、よくわかんないけど、そのN社の担当者が超いい加減でズルいんだろうけど、「ちゃんと払いますから、いったいどれだけ未払金があるのか、過去の請求履歴をお浚いしたい」とか言い出し、私は2年間分の請求書を再発行したりしたんだけど、結局、支払われたのは1年分だけで、うちの担当者に「残りはどうするって?」と聞いてみたら「それもちゃんと支払うって言ってます」と言っていたけど、未だに入金が無いまま1年経ち、そしたら、また不思議な「残高確認書」が来たから「あーーーーーーー」と遠い目になったが、なんかもう、この程度ではムカつかないくらい、よく訓練されてしまったらしい自分が可哀想である。

 横浜ベイスターズも、10年間くらいこんな感じなのかもしれないなあ。あはははは。

 で、その謎の「残高確認書」は担当者に直接渡さず(ちょうど、出張中だったし、あいつ、いつも出張しているけど、いったい何しに行ってるのだろう?)、そこの部長に「こういうの来たんですけど」と渡すと「えー、また、あそこ?」と、やっぱし覚えていた。

 その部長が「ふー、なんでこういうことになるんだろうね?」とボヤいたので「あっちの担当者も相当いい加減なんだろうとけど、うちの担当者も輪をかけていい加減ですからねえ」って私が言うと、「ふー」と苦笑しながら、その書類持って行きましたけど、どうなりますかね?

 最近、「ほー、そうだったんだ、なんかそれで納得した」と思ったのは、うちの親会社の経営方針が長年、私にとっては不思議だったのですが、先日、部長と話をしていて「親会社が目指しているのはこうこうこういうことで」と説明された時にやっとわかりました。
 「マーケティングって概念が無いんだ!」

 客のニーズを探るのではなく、「新しいニーズを開拓する」っていうのでもなく、「とにかく、ニーズは無視して、崇高な理念に基いて驀進」っていう方向性のようです。

 パンク魂っつーか・・・・・

 私には「型にハマらないという、型にハマっいる」って思えるのですが・・・・

 親会社のトップは、ほんとローリング・ストーンズ魂というか「転がる石はコケむさない」の思想があるようで、社員がルーティンにハマるのを極端に嫌うようだ。
 で、ルーティン的な仕事は「そんなの外注すればいいだろう」と子会社のうちに押し付けてくるので、親会社の方は「やる気満々で、いろいろ提案してくるけど、その提案から発生するコストや事務処理にはちゃんちゃら疎い」という社員を量産しており、しかも、そういう人達「思いつき」だけを部下というか、子会社に丸投げするので、「えええ?これ、具体的にはどう運用するんですか?相当、スキルのある人材がいないと無理なんすけど」ってことになりがちである。

 親会社のトップが入れ込んでるとあるプログラムは、無茶苦茶手間暇がかかるけど、「モノ」してはけっこう上質なプログラムで、親会社的には「集客」の目玉として活用してきたし、そういう「売上につながるから」という大義名分の元に、優秀な社員をインストラクターとして教育して、なかなか人気のプログラムに仕上げたのだが、費用対効果的には「大赤字」の、ほぼボランティア活動みたいなことになっていた。

 でも、品質はいいので、外の業者が「うちでも、それ使いたい」という要望があったので、親会社の担当者というか、そのプロジェクトの責任者は「よっしゃー、外に売れたぜ!」と喜んで、トップにその報告したのだが、そしたら「じゃあ、それはうちのブランドとしては売れないから、子会社に委託しろ」と、うちで扱うことになったのですけど、形のある商品ではないので、人材の派遣とか育成とか、どーすればいーのでしょー?

 たぶん、親会社的には、他所から「これっていいですね、ぜひ、うちでも導入したいのですが」って言われた時点で「やりましたー!」って業務終了なので、後の「契約だとか、代金だとか」っていう実務をやるのは子会社に丸投げっていう雰囲気らしい。

 せめて、どういうフランチャイズ契約したいのかってあたりは決めてもらいたいのだが、「契約書?はあ?そういのは下々にお任せします」って丸投げされても・・・・

 『言語都市」っていうSF小説は、けっこう難解ですが、「理解不能の現住民のエイリアンがああ」って話読んでいると、「ちょっと待て、私は同じ人間で、しかも同じ日本で生まれ育った人達がやらかす理解不能の行動に振り回されてるんですど?」と、そうそう、楽天の投手が炎上して5失点で惨敗してても、他のチームも8失点とか10失点とか・・・・・あああ、今日の巨人×横浜なんて、17-1って・・・・・・

 こうして、他人にはわかりくい仕事の愚痴書いてる自分は実に小さいなあ。せいぜい、9ー5で負けた程度の話であり、17-1なんかには、ほんとにもう、全然及びません。

 どうでもいいようなことで愚痴ってすいませんでした!


4月23日(火)

 おや、昨日、オリの平井投手について書いたら、今日なんと一軍に上がってきたわ。
 がんばれ平井!!!!(って相手は楽天だが、敗戦処理のロングリリーフで回数稼いでもらえば全然おっけーっす!)

 昨日はつい「1000投球回とは?」ということにハマってしまったが、元々は「吉見ったらせっかくの記録達成の日なのに、うちの外国人に3本もホームラン打たれるって????」ということを嘆きたかったのです。
 いやあ、久々に吉見が「飛ぶピッチャー」(飛ばないボールの対義語)であることを思い出しましたが、その直後にうちの菊池が炎上しちゃったので、結局「吉見に勝ちはつかず、楽天は惨敗」という、とほほなことに・・・・・

 でも、他のパ・リーグの試合はもっと大差がついていたんですけどね。

 そうそう、「吉見登板だ」とパ・リーグTVでロッテ戦観てたら、なんと解説は清水直行こと「地味様」であった。元ロッテのエースだもんね。
 現役引退してしまったのは非常に残念だったが、さっそく解説に就いていたのは知りませんでした。
 清水は関西人なので、標準語で喋ろうとすると、ややイントネーションが不安定だし、声質もいいとは言えないが、逆にかしこまった感じではなく、たまたま隣にいる友人に説明しているかのような気軽な感じになっていたし、しゃべること自体は得意そうだったし、なかなか聴き心地がいいというか、面白かったです。

 特に、吉見については、横浜時代のチームメイトだったこともあり、「けっこうカっとなるとムキになるタイプ」と説明していたので、「ふーん、そうなんだ」と興味深かった。変化球でかわしておけばいい場面でもムキになってストレート投げるから、一発食らっちゃうのかあ・・・・

 と、地味様の解説を楽しんでいたのだが、「おっと、また復刻ユニのコスプレ試合もチェックしなくちゃ」と、近鉄と南海の試合に移動すると、「この投手誰?」と一瞬戸惑った。
 南海の地味な色のせいで、すっごく地味で華奢で弱々しく見えたのですが、顔見たら、武田だったwwwwwwwwwww

 そして、こちらも、OBとして始球式を勤めた吉井がゲスト解説者(メイン解説者は別にいた)として、奥床しく時々「こういう時の投手の心理」などを語っていたのだが、吉井らしいディープな解説で、大変楽しゅうございました。

●建前

 昨日、営業担当者から「●●から入金あった?」と確認されたので、「ああ、もう入ってますよ」と言ったら「何日付けだった?」と言うので、「えっと、今調べますから・・・・・18日でした」と言ったら「木曜日だよね?」と言われたので、こっちは通帳で確認しているのでとっさに曜日がわからなかったので「ええと・・・・」と口ごもっていたら、「大安の日だよね?」って、そっちのほうがさらにわからん(笑)

 まあ、記念すべき第一歩みたいな、その商品での初めての大口案件の入金だったので、そんなこと言ったのか、単に向こうはカレンダー眺めていたので、目についたものを読み上げただけだったのかわかりませんが。

 それで、また記憶が横道に逸れて「大安とか仏滅といえば・・・」と思い出したことがあった。

 私が直接体験したことではなく、ずいぶん経ってから母が「私ってそういの疎くてwww」と語っていた話である。

 私が育った千葉の家は、私が幼稚園くらいまでは平屋だった。
 今思い出すと、当時としてはモダンなデザインだったと思う。
 だって、1LDKというか、リビングとダイニングにも仕切りがなかったんだもん。
 ただ、リビングは蛇腹で区切られるようになっていたが、ほとんど区切ることはなかった。あれって、どのくらいの広さだったのかなあ?6畳間が2つ繋がってるくらい?そして、襖で区切られた和室の寝室があっただけ。要するに、ほぼ広い1ルーム状態の、アメリカの独身者が住むような平屋の家でした。

 そんな間取りだったから、子供が私一人だけの時は良かったが、弟が生まれたら「これでは将来部屋が足りない」ということになり、1階に一部屋、2階に3部屋増築することになった。
 その当時、父方の祖母が住んでた箱崎町の貸家が立ち退きになったので、2階に祖母を同居させることにもなったし。

 私が小学校に入ったか、入る前だったのか忘れたが、とにかく大規模増築が始まり、両親はそのまま住みながらの増築であったが、私は自宅近くにあった父親の会社の社宅に先に引っ越してきた祖母宅によく預けられていたっけ。

 増築だったけど、どうやら建前の儀式はやったそうで、そういや、私は「たてまえ」って言葉に馴染んでいたのだが、大人になったら「棟上げ」って言う人が多いことに気がついたっけ。

 工務店の人に「建前はいつやりましょうか?」って言われて、母は「はあ?なにそれ?」と思ったようだが、地鎮祭のようなものらしいが、もっと内輪っぽい儀式であることはわかったので、たぶん、父のスケジュールを確認して、「じゃあ、この日でどうでしょう?」と工務店に連絡したら、「え?その日でいいんですか?」と言われたので、「主人がその日しか休めないので」と言うと「・・・・・はい、じゃあその日で」と、なんだか変な対応されたので「もしかして、向こうは都合悪かったのかしら?」と思ったが、都合悪いだったらそう言うだろうな、と思い直し、これで日程は決まったので、次は近所の酒屋に「建前やるんで、お酒をお願いします」と注文したら(当時は酒屋さんが配達してくれるのがフツーでした)、馴染みの酒屋さんが「え?◯日ですか?・・・・・はい・・・・ええ、そうですか、わかりました」と、なんだかやっぱし不思議な対応されたので、「なんか変だ」と母は思ったらしい。

 そして、自分の実家の母に「◯日に建前やるから、よかった来てよ」と声をかけたら、「◯日?えー、あんた、その日は仏滅よ!!!!」と言われてから、やっと工務店や酒屋が「ほんとにその日ですか?」って確認してきた意味がわかったらしい。

 結局、仏滅にやったんだっけ?
 そこは忘れたが、たぶん、超現実主義者の父に確認しても「オレはそーゆーの気にしてないから、別にどーでもいーよ」と言っただろうし、予定を組み替えるのも面倒だから、そのままやったんだろうな。

 その当時だって、気にしない人は気にしなかっただろうしね。
 つーか、仏滅とか大安とかって、宗教的なようで、あんま関係ないというか、「厄年」と似たような俗習というか・・・・

 私は「厄祓い」に興味無かったので、気がついたら厄年が終わっていたけど、若い子でも「厄祓いに行かなくちゃ」なんて言ってますからね。

 でも慶事は仏滅を避けるという風習はけっこう弱まっているような・・・・
 それよりも、地味だったはずの「友引」のほうが、葬儀の日程に未だに影響力が強いのは「葬儀業者の休日だから」って事情があるんですかね?

 えーと、今日の楽天は今のところ8−3で勝っているようですが、まだ7回なので、マー君が降板した後に何が起こるのかわかりません(笑)
 他はなあ、またハムとロッテが負けたか・・・・・ハムはねえ?どーしちゃったんだろう?って感じで痛々しい。つーか、ハムさんが仲良く付き合ってくれてるので、嬉しいよ!

 わーん、オリックスのラッキーセブンの歌が流れているが、「ここ数年、ずっと弱い」というオリックスを支えるファンの脳天気さに癒される。まさに「癒される」という言葉は、こういう時に使う言葉なのではないか?

 「癒される」という言葉は、平日のオリックス主催試合に行った人しか使っちゃいけないんじゃないかと、マジ思った。

●「言語都市」

 やっと半分まで読んだ。
 やっと「こういう世界なんだ」ってことがわかったので、最初からお浚いしてみたら、最初に読んだ時にはさっぱりわけわからなかったことが「ほお、なるほど」と納得。

 「こんなん、ありえねー」と描写されていた事の何が「ありえねー」のかさっぱりわからなかったのだが、半分まで読んだら「ああ、この世界ではこういうのありえねーかったのね」と理解することができました。

 まったくもって、面倒くさい本だが、手間がかかる子ほど可愛いっていうお手本のような。

 しかし「本当のことしか語れない」というホストの言語は「ありえねー」らしいが、ホスト達が「平日のオリックス主催試合」を観てくれたら、それを「直喩」としてすぐに採用してくれそうだ。

 ふーん、野球の世界はけっこう直喩で満ち溢れてますね。
 「江夏の21球」って直喩ですよね?

 「新井が悪い」も?

 まあ、この小説の中での、原住民異星人の特殊な言語という設定自体が「知的ゲーム」の一種で、「私は嘘つきです」みたいなパラドックスを楽しむみたいな話みたいなのかもしれません。

 おおおお!9回表にやっと平井でたー!

 そして、森山が打った!

 ふーん、なるほど、この小説でのエイリアンの言語の雰囲気がやっとわかってきたぞ。「平井が登板した」「森山が打った」っていうのは単なる事実ではあるが、そこに異星人は何の意味も感じてないらしくて、でも「話し手」の「気持ち」が重要らしく、だから「平井でたー」の意味は、その言葉を発声する人の精神が・・・・・って、よくよく考えたら、「平井でたー」ってオリックス・ファンも楽天・ファンも、中日ファンも、みんなほぼ同じ気持ちでしょうよ。

 だとすると?
 私が明日会社で全く野球に興味の無い人に「昨日、平井が登板したの」って言っても「誰が当番ですって?」と聞き直されるのかもしれないけど、「精神」が大事なエイリアンにとっては「それって、江夏の21球より重要ですか?」「やめてwwww、それは悪い夢wwwより重要ですか?」「星野が11年ぶりに退場と比較できますか?」ということになるのかね?

 ああ、なんだかますますわからんようになった。 

 おい!今日のヒロイン、鉄平なんだ!

 っていう直喩はどうしましょうかね?

4月22日(月)

 昨日の日曜日は寒いし、雨降ってるしで、部屋に閉じこもってふてくされておりました。
 もおおおおー、お天気良ければ絶対マリスタに行ってたのに!(楽天戦で、ロッテ先発は吉見だった)
 そりゃ、神宮くらいだったら「雨で中止かもしれないけど、ダメ元で」って行くのもアリだけど、マリスタにせっかく行っても中止だったらどこに八つ当たりしていかわからない。

 でも、結局、試合開始の1時頃には小雨だったので強行してましたが、試合の中盤過ぎてもお客さん達は雨合羽や傘が手放せなかったようなので、あの寒さの中ご苦労様でした。

 さて、ロッテの吉見投手はこの試合で「1000投球回」を達成したようだが、100試合完投したら900投球回になるのだから、そこそこプロで活躍しないと達成できない記録ではあるが、「大記録」ってことでもないのでビミョー。
 ちなみに、今年、「1000投球回」に達しそうなのは、木佐貫がシーズン当初で「あと37回」だから、6試合くらい先発で勤めを果たせば達成するだろう。
 その次が岸ってwww、あのくらいの投手だと、さすがにペース早いですね。(もちろん、涌井やマー君はとっくに達成している)
 次に続くのが新垣と寺原っていうのも・・・・・えーと、まあ、木佐貫と同じで「毎年安定した成績を残せてない」ような投手が並んでいて、次がミンチェっていうのはなんだか納得だが、次が金子千尋っていうのは当たり前で、残り128回らしいが、故障しなければ楽勝でしょうけど、苦笑するのは「あと182回」というオリックス平井で、「オリックスの平井って誰?」と思ったのだが、そっか、中日の平井じゃん。

 金子千尋の「残り128回」は「フツーにやってれば今年中に達成するだろうし、彼にとっては通過点」であるが、平井の「残り182回」は・・・・・・あと5年くらいバリバリ活躍しないと・・・・・

 というわけで、1000投球回ってビミョーな記録であるからして、過去に330人しか達成していないのだから、それなりの立派な成績なのはわかるけど、5年くらいでスっと成し遂げてしまう先発投手もいれば、10年かけて、あともう少しという先発投手もいれば、20年かけて、「あと少し」にランクインしちゃったけど、「もう絶対無理っす」な中継投手もいれば・・・・ってけっこうバラエティ豊かなのようです。

 うーん、やっぱ大投手って言えるのは「1500投球回」なのかなあ?そーいや、岩隈さんも何年か前に達成してたよなあ。

 なんと、1500回が「あと少し」なのは、ロッテの小野だった。残り75回くらいだが、今の小野の状態だと、けっこう難しいかも。
 次が巨人の内海で、残り87回っていうのは、やはり故障さえしなければフツーに達成だろうなあ。

 現役トップは、もちろん、山本昌の3200回超えなのだが、第二位が、ばんてふ三浦の2900回超えというのも感慨深いし、今年は比較的調子良さそうなので、3000回いけるんじゃないの?
 意外にも西武の西口はまだ2500を超えたばかりだった。石井一久が2100超え、ヤクルトの石川がなんと1900!
 江川の1857をあっさり抜いてました。

 へー、あんまし記録には興味ないんだけど、あらためて眺めてみると面白いな。

 中継ぎや抑え投手は「投球回」をなかなか稼げませんが、先日、前人未到の「350セーブ」を記録した岩瀬は、登板数(出場試合数)でも、806回と江夏の829回に継ぐ、歴代6位でした。

 投球回数だと、上位10位で稲尾の3499回とか、今の野球ではありえない数字が並んでいるので、21世紀の選手が入り込むのは無理ですけど、登板数だって、鹿取がかろうじて756回で9位だったのをあっさり抜いちゃったんですからねえ。江夏が829回だから、それは抜けそうですしね。

 ところで、私はいまだに岩瀬が登板するところを生で見たことがないのだが、やっぱし、岩瀬が積み重ねた登板回数記録を見るにつけ「ありえねー」のだが、中日戦を神宮で観ても、横浜スタジアムで観ても、西武ドームで観ても、「ほとんど中日が大差で勝ってしまい、守護神が出てこない」展開になり、当時は「落合は私を全試合無料招待すべき」と思ったが、その後、「中日が大差で負ける試合」も何度か観たので、無料招待はご辞退申し上げますが、去年くらいから「岩瀬は・・・・もういいや」と諦めモードになりました。

 もう、こうなったら「あんなにムキになって中日戦観に行ったのに、とうとう岩瀬は登板しませんでした」ってほうが、思い出に残るかなあって思ってさ。

4月20日(土)

 はーい、今日も楽天は負けましたわよ。

 なーんか中継ぎ陣の炎上癖が治らないようです。

 今日はデイゲームばかりなので、ナイトゲームはバファローズ戦だけなのだが、昨日からこのカード、コスプレやってるんです。

 復刻ユニフォームはここ数年の流行ですが、このカードは気合入ってますよ。なんせ、ホームのオリックスは近鉄バファローズのユニで、対するホークスは南海ホークスユニなので、「私が小学生の頃」の再現のようです。

 しかし、岡本太郎デザインで有名ですが、近鉄ユニやっぱいいわ。
 全然古臭くないのね。
 先発投手の西君は立派な「パ顔」ですので、似合いすぎというか、「鈴木啓示の若い頃か?」って感じでしたが、後藤も坂口も糸井も、そしてイ・デホも、とても似あってました。バルディリスとか外人選手も、こっちのユニのほうがいいんじゃね?って思った。

 オリックスの森脇監督は男前なので、何着ても男前なのだが、笑ったのはホークスの秋山監督が南海ユニって新鮮でした。

 でも、南海のあのグリーンって地味過ぎるのかと思いきや、実に上品で渋い色なんですね。
 本多が一番しっくり来たけど、内川や松田でも、けっこうしっくりきて、寒色系が好きな私は「ホークス、こっちにすれば?」って思いました。

 近鉄ユニは、岸田も平野もいい感じだし、岸田なんて、ほんとずっとこれでしたってくらい違和感無かった。

 ただ、秋山のホークスユニの違和感を超える、最も違和感あった人は、ホークスユニ着た大石コーチだった。
 解説者も「大石コーチは、あっちのユニ着てもらわないとwww」って言っていたけど、もう、どーせ、コスプレ祭りなんだから、大石だけ近鉄ユニ着て、ホークスベンチに神妙な表情で立ってればよかったのに。つーか、ついでに、秋山にはライオンズユニ着せておけ(笑)

 近鉄の帽子欲しいかも。
 つーか、この復刻ユニのコスプレ試合が関東でやっていたら、絶対に観に行ったのに。

 オリックスというか、近鉄が勝ちました。あー、古久保コーチがチラっと写ったけど、もっと見せて(笑)

 デザインを勉強している人には、ぜひ見てもらいたいカードだなあ。

 西君の笑顔は、「平成」だけど、被ってる帽子は「昭和」っていうギャップが楽しすぎる。

 でも、実は一番似あってたのって、パ顔のバイト君だったんですどねwwww


4月19日(金)

 ありゃりゃ?星野監督が退場くらっちゃた。

 ジョーンズが三振したら、主審に猛抗議したので退場になったのだが、「猛抗議するような場面?」と不思議だったが、解説者が言ったように「不振の外国人に喝入れる意味もあったんじゃ?」っていうのは私も同感です。

 ああ、ロッテに追加点入っちゃった。きっと星野監督は、ふがいない打線に腹が立ったので、こういう流れになるのを予想して、退場くらって流れ変えようとしたんだけど、やっぱダメでしたね。

 さて、昨日は成田まで、きょうみさんちのお通夜の手伝いに行ったのだが、結局、会計係したので「定位置」であった。
 高校の時からよくお宅に遊びに行っていたので、微力ながらお役に立てて良かったです。

 しかし、つい先日、きょうみさんと会った時、父上の世話がけっこう大変だ、というエピソードを沢山聞いたのだが、ご遺体と対面してみたら「ふえ?最後にお会いしたのがいつだか忘れたが、まだ元気に犬の散歩していた頃で、10年前くらい?その頃と全然変わってないじゃん?」とびっくり。

 葬儀屋さんがキレイにしてくれたようだが、髪の毛なんて白髪が少なくて、全然ハゲてなくて、頭髪だけ観たら、50代・・・・・いや、40代でも通用するけど?

 ご遺体と対面したら、泣いちゃうかも、と覚悟していたのだが、「え?これで70代なの?なんか、50代後半の定年間際のおっさんにしか見えない」ということに驚いて、泣くの忘れちゃいました。

 受付メンバーは、きょうみさんにとっての叔父(母上の弟さん)と、妹の旦那(母上目線だと娘婿)と、きょうみさんちのご長男だったので「おや、ご親族が?」と思ったが、そーいや、うちの祖父の葬儀も、祖父の甥と孫である私でやったんだっけ(笑)

 ご長男と会うのは久しぶりだったが、何年ぶりなのか二人とも思い出せなかった。
 なんか、話だけは聞いていたし、もう、高校生過ぎると劇的に容姿が変化することもないからね。

 しかし、彼が生まれた時には成田の実家に観に行ったし、千葉からモノレールで行く辺鄙なところに住んでいた頃は、奴は歩行器でドタバタ夜中まで走り回っていたなあ。「下の住民から苦情来ない?」と心配したら「下の部屋空いてる」とのことだった。

 北京に転勤の時が、3歳だか4歳くらいだっけ?
 幼稚園に通ってなかったし、他の子と遊ぶ機会も少ないようで、「へー、だから言葉が遅いんだ」と怪獣語しか喋らないのでちょっと心配になったが、帰国してしばらくしてから尋ねたら、フツーの幼児と同じに喋っていたので「こーゆーもんね」と勉強になった。
 その後「うちの子、言葉が遅くて」と悩む人には「私の友人の子はこんなだったよ」と説明すると、みんな「そういうこともあるんだ」と少しホッとしてくれたような気がする。

 その後も年に一度くらいは会っていたので、「他人の子は成長が早い」と思ったが、彼が高校生の時は全寮制の学校だったから、会ってなかったのかもねえ。

 自分の弟や妹の子どもたちも、きっとそうなるんだろうな。
 今は年に一度くらいのペースで会ってるけど、中学・高校になると、なかなか会えなくて、いつのまにか「え?もう20歳?」って大人になっているわけだ。

 そして、前にきょうみさんちに遊びに行ったときに「ちょっと買い物行きたいから、妹の子見てて」と、1時間くらい必死で子守した時には3歳くらいで、一緒に「迷子のこねこちゃん」を歌ったり、同じ絵本を20回くらい繰り返し読んであげた姪っ子が、制服着てて、立派な女子中学生になってたwww

 もちろん、私の事なんて全く覚えてない。
 私にとっては、「ほんの最近の出来事」なのだが、向こうにとっては遠い昔ですしね。
 私にとっての10年って、人生の5分の1だけど・・・・・
 あの子にとっての10年って、人生の5分の4なんだから・・・・
 私側に変換すると、私が10歳の時に一度会っただけけの、伯母の友人なんて覚えてるわけないよな。

 でも、やっぱし子供が沢山いる葬式っていいよなあ。

 お手伝いがあるので、普通の勤め人よりは葬儀経験が多いと思うのですが、複数の葬儀が同時に行われる会場だと、小さい子が大勢いる葬儀のほうが、賑やかで和やかな雰囲気になるものです。

 きょうみさん姉妹の子供たちは、上は大学生から下は三歳児まで、7人いたので、じゃれあう従姉妹たちの様子が微笑ましかった。
 さて、そんなわけでお浄めの席も家族然として座っていたのだが、9時半頃に斎場を後にしたが、来た電車が各駅電車だったが、「後から急行が来るだろう」と乗っていたのだが、前にもしくじったのだが、私が京成線沿線住民だった頃には、急行の追い越しは「待ち合わせ」しかなかったので、「次の駅で通過待ちです」っていうのがわからなくて、うっかり乗り換えしそこない、押上までほぼ各駅で行ったので、帰宅したら12時過ぎてました。長かった。

 「言語都市」がブ厚すぎて、葬祭用のハンドバッグに入らなかったので、前に買って積んでおいたケストナーの「雪の中の三人男」を持って行ったのですが、電車の往復で8割くらい読んじゃったぜ。


4月17日(水)

 今週は土曜日出勤なので、「水曜日(今日)か木曜日あたりに休みをとろう」と思っていたら、水曜日に銀行の新しい担当者(前任者は仙台に転勤。ちょっと羨ましい)が挨拶に来るというので「じゃ、木曜日にすっか」(金曜日は会議の予定が入っていた)と「さーて、何すっかね?衣替え?」と思っていたら、友人の父上が急逝されたので、お通夜に行くことになりました。

 「もしかして、受付もお願いするかも」と言われたので「総務部ですもん、まっかせなさい!」だったのですが、受付よりも香典集計の方が得意なのですが(最大で2000万円くらいの香典集計したことあるのが密かな自慢。もちろん、青山斎場よ、セレブだろwwww)、実は苦手としているのが「お焼香」である。

 えーと、まず焼香台の中に座ってる親族に右と左に会釈してから、祭壇に向かって一礼して・・・・いや合掌だったっけ?そんで、お香を摘んでから、また合掌?そんで、また親族に会釈してから退散・・・・だったっけ?

 苦手なのは、葬儀の時のお焼香だけではなく、仏壇にお焼香するのも「どのタイミングでチーンするんだっけ?」とわからなくなる。

 ええ、ミヤノ家は父方の祖母の姉が寺に嫁いだので、父の従兄弟が現住職ということで、寺には深い関わりがあるし、父は趣味で禅寺に坐禅組みに行ったり、仏教書を読んだり、たぶん、哲学書かぶれみたいな感じで仏教を捉えているし、母方の方は、祖父母が農家の食い扶持減らすために田舎から出てきた人達だったので、仏教儀式にはあまり関心が無く、法事とかほとんど無い家で育っちゃったんで・・・・

 私が唯一参加した法事って、私と入れ替わりに無くなった(母が私を妊娠中というか、妊娠初期すぎて気がついてなかったらしい)祖父の法事で、あれって、何回忌だったんだろう?私が中学生で弟が小学生だったから、十四回来・・・・・って、あり?変換されないということは違うか・・・・(法事ってなんだか7の倍数って固定観念が)・・・・ああ、十三回忌でしたか。

 たしか「十三回忌やったら、後はいいでしょう」という雰囲気でした。
 父方の祖母は、私と容姿もクリソツだったが、性格も似ていたようで、宗教行事にはいたってドライでした。

 で、仏教を「哲学の一種」と捉えているうちの父とはちょっと違いますが、私は「仏教と仏式葬式は別モンだろう」と思っています。

 クリスチャンでも無い人が、教会で結婚式挙げるようなもんなのかと思ってます。

 だってさ、葬式になると急に「うちの宗派、なんだったっけ?」って確認すること自体がちゃんちゃらオカシイじゃないですか。

 もっと言ってしまえば、「新興宗教ってなんだか怖いよねー」って言う人ほど、葬式仏教の格式というかマナーにこだわっているような気がしなくもない。

 よくあるのが「数珠は必需品か?」という論争である。
 私は持って無いし、親から持たされたことも無いので、「持ちたい人は持てば?」と思っていたのだが、多くの人は「普通、持つものだと思っていた」らしい。

 葬儀用の衣装の中の一つとして、「当たり前」として持ってるらしいのだ。

 私も社会人になってから、「数珠持ってる人多いんだな」と気がついたが、葬式に参列する際に絶対に必要な物だと思ってなかったし、「キリスト教のお葬式に、わざわざロザリオ持っていくか?」っていうのと同じ程度に、「なくてもいいや」って思っていたのだ。

 私が数珠持って拝まないと故人が成仏できないということもないだろうし。

 でも、ネットで検索すると「持ってないなんて、ありえない!」「非常識!」な意見も多くて、そう思う人にとっては「礼装なのに、ネクタイしてないってありえない!」くらいのことなんだろう。

 ただ、社会人になって20数年経ち、いろんな葬儀に関わって来たが、誰も「他人が数珠を持ってるかどうか」なんて気にしてなかった。
 でも、「あー、数珠忘れた、どーしよー」と困ってる人には「私は無宗教を気取っているので、数珠なんか一度も持ったことないけど、それでなんか言われたこと、一度もないよ?」と言うと「数珠を持ってないと失礼だ」ということでは無いのだと、理解してくれるようだ。

 つーか、みんな、そんなのチェックしてないし(笑)

4月16日(火)

 立派な中年になり、もうアラフィフなので、そろそろオバサンというより、オバーサンにメタモルフォーゼという日々を観察中であるが、最近は「ガスが多くなった」という現象が頻繁に観察できます。

 会社にいる時はそうでもないのだが、自宅にいると緩みっぱなしというか、帰宅途中ですでに気が緩むのか、ブーブー鳴らしながら歩いていることも多い。

 祖父が存命の頃、遊びに行くと、ほんとブーブー鳴らしていたので「ふーん、老人ってこうなのか?」って思ったけど、老人がみんなそうなのか、遺伝なのかはわからない。
 元々私は、若い頃から、けっこうおならする方だったし。

 まあ、とにかく、いつも帰り道の遊歩道で、前後に人がいないのを確認して、ブーブー鳴らしながら歩いているのだが、先日、いつのもように「よし、今だ!」と弁を解放すると、ブーーーーっと盛大に出たのだが、そしたら、すぐにジョギングしていた細身で白髪の中年男性が私を追い抜いたので「うわ、もしかして聞こえちゃったかしら?」と思ったのだが、そしたら、その男性は私を追い抜いた直後に「ぶっ」と一発かまして颯爽と走り去って行ったのでした。

 道を譲ってもらった車が「プっ」とクラクション鳴らしたみたいだった・・・・

 それよりも、私に向かって「ドンマイ!」って「プっ」してくれたような気がして、嬉しかった。
 惚れそうになりました(笑)

 さて、屁の話題はこれで終わりにしておいて、去年、コニー・ウィリスの「ブラック・アウト」っていう分厚い本を夢中になって読んだが、やっと続編が出たのだが、それがなんと上下巻で、下巻は6月発行予定だとか・・・・

 「ブラック・アウト」も全然途中で終わっている本で、別の題名だけれども、続編の「オール・クリア」が下巻みたいなもので「うわー、失敗した。こういのは全部出てから読まないといけなかった」と後悔したが、下巻がさらに上下巻ってもーーーーーーーー

 なので、「オール・クリアー 上」は届いたが、「なるべく読むのを引き延ばそう」として、先に買った、チャイナ・ミエヴィルの「言語都市」をできるだけゆっくり読もうという作戦にした。

 作戦通りというか、「言語都市」は序盤は「辺境の植民地惑星」の話で、そこで生まれ育った主人公が自分が成人するまでのエピソードを語るのだが、あまりにも異世界すぎて、何の話をしているのかさっぱりわからんのだ。

 大使だとか、ホストだとかという名称の人が出てくるけど、それがどういうものなのかよくわからないし、そもそも、その辺境の惑星が、どういう位置(距離的にも、文化的にも、経済的にも)にあるのかもわからない。

 我慢して読んでいれば、そのうちに大体の世界観がわかるようになるのだろう、ということはわかるけど、よくわからないエピソードばかり連なるので、なかなか読み進まないが、「それを期待して読んでるのだから、これでいいのだ」と、通勤電車の中でちんたら読みながら、ちょっと疲れるとスマホでツイッター眺めて時間潰しというか、時間引き伸ばし作戦。

 しかし、その努力も虚しく、全部で500ページ弱の本なのだが、昨日、100ページ付近に入ったら「この辺境の惑星の様子がなんとなくわかってきた!」ので、100ページにたどり着くまで一週間くらいかかったのに、うっかりすると、残りは一週間持たないぞ?

 私の采配では、「言語都市」を読み終えるのが、GW突入直前くらいで、休みの間はあんまし本読まないから、GW後に「オール・クリアー 上」にとりかかり「あれ?これって、そうだったっけ?」と、また前編の「ブラック・アウト」をお浚いしていれば、「オール・クリアー 下」が出るだろうという予定だったのだが、そう上手くはいかないようだ。

 おや、楽天も、マー君が1点差で降板したのだが、抑えの青山が同点にされちゃって延長戦?
 今年からやっと3時間半ルールが無くなったので、「加古川の人帰られへん」が復活したんでしたっけ。

 そっか、西武ドームでの延長戦が12時過ぎちゃって、千葉に戻れないロッテ・ファンが・・・・っていうのも、震災前の話なんだよね。

 なんか、猪瀬都知事が、ニューヨークの24時間運行地下鉄を視察して「東京も24時間営業だ!」と息巻いているようなので、タクシー業界がロビー活動がんばらないかんと思うのですが、都営バスや都営地下鉄が24時間運行しても、西武ドームには関係ないしなあ。

 ただ、ふと思い出すのは、バブルの前に「内需拡大策」として深夜バスの運行っていうのがあったんですよ。
 都内のバスを午前1時くらいまで走らせたからって、消費拡大しないだろ、と思ったのですが、それからしばらくして、「土地が高いから、一軒家は無理だけど、そこそこお金はあるから、高級外車買っちゃいまいした」みたいな話がちらほら出てきて、その後、「土地が高いから、広い家に住めないから、別荘買っちゃいました」みたいな話が出てきて、そうこうしているうちに「アパート住まいだけど、カバンだけはいい物買っちゃいました」って雰囲気になり、一気にバブルに進んでいったような・・・・

 でも、地下鉄の24時間運行なんて、なんでバブルの時にそうならなかったのか逆に不思議です。あんなに、みんなタクシー難民だったんだから。

 ほんと、何度も日記に書いているけど、あの当時、いかにタクシーがつかまらなかったか、って話を若者に語り聞かせていると、まるで戦争体験語ってる老人みたいな心地になったもんだ。

 迎車呼ぼうと、タクシー会社に電話しても、かつての「チケットぴあ」みたいに、話し中で電話が繋がらなかったのだ。
 バブル期伝説として「一万円札を振って、タクシーを呼び寄せた」っていうのがあるが、私は実際にそういうのは目撃していないが、小学校だか中学校の歴史の教科書に、大正時代だか昭和初期だか忘れたが「成金ブーム」の時期があり、料亭の暗い玄関で靴を探す仲居さんに、「これで明るくなるだろう」とお札に灯をともす成金を描いた風刺画が載っていたけど、昔もそういうバブル時代ってあったんだよね。

 先日、実家に帰った時に、両親の過去の旅行話を拝聴していたら「瀬戸内海にすごいのがあった」と語っていたのが「耕三寺」という寺で、昭和初期に軍需産業で成功した成金が「亡き母のために」と、故郷の島に日本中の名建築を再現しちゃったらしい。東照宮とか、平等院鳳凰堂とかの派手なやつを。

 今ではそういうバブリーな建造物も文化財扱いされているようだが、うちの両親が現地で鑑賞した限りでは「どんだけ、バブリーやねん!」って感じだったようだ。

 でも、結局、美術史って成金に支えられてたんだろうしな。

 ガウディなんて、モロそうですよね。新興成金は、代々受け継いできたお屋敷を持ってないので、「金にいとめはつけんから、お貴族さん達に負けんような、派手なの作ってなあ」ってガウディに発注したから、ああいう奇抜なのが残っているわけで・・・

 するってーと、私が100歳近くなった、40年後には、都庁なんて、「由緒正しい平成初期の建築物」ってことになっており、今で言うところの「あの、フランク・ロイド・ライトがっ」っていうのと同じくらいありがたがられるようになるのだろうか?

 それよりも先に、同潤会アパートが神格化したみたいに、私にとっては「ただのダサい団地」が歴史的建造物として「老朽化による取り壊しが惜しまれます」なんてことになるのだろうか?

 えーと、何の話していたのか忘れましたが、その最中に、楽天はやっぱし負けたようです。

 勝つって難しいんですねえ。
 金つぎ込めば勝てるってわけでもないけど、やっぱ金は大事だしなあ。

 こういう時代だからこそ、広島にひょっこり優勝して欲しいんだけどなあ。


4月15日(月)

 夕方、今日振込処理した書類をファイリングしていたら「あ・・・」と自分のミスを発見してしまったので、その振込依頼を出した田中さん(仮称)にすぐに内線して「ミヤノです。田中さんごめんなさーい。ちょっとやらかしてしまいましたー」と言うつもりだったのだが、実際に声に出たのは・・・・

 「ミヤノさん・・・・・・・」

 ミスに動揺して、ずいぶん短縮されてしまいました(笑)

 私が「ミヤノさん・・・・・・あれ?じゃなくて、田中さんだ!」と言ったので、田中さんは「そうですけど?」と笑っていました。
 そのおかげで、ミスのお詫びと報告も笑いながらになってしまった。

 田中さんも、確かに私のミスだけど、それ以前に彼の部下のミスだったので、半笑いしながら「あー、わかりました」と言ってくれたのでよかったんだけどね。

 いったいどういうミスだったかというと、そこの部署からの、その仕事についての支払依頼は、たまに金額が間違っているので、金額の根拠になっているファイルで再度確認しているのだ。
 その書類は先週の木曜日に回ってきたのだが、木曜、金曜と忙しかったので「来週ゆっくりやろう」と置いておいたのだが(だいたい一週間以内に処理すれば大丈夫だったし)、今日になってそこの部署から「支払がまだですか?って問い合わせがあったので調べてほしい」という内線が入ったので「あー、あの書類か」と取り出してみたら、確かに先方の作った書類は2月の日付だったので、1か月以上もどこかで放置されていたようだ。
 先方は遅くても3月末だと思っていたのに、まだ入金が無いので電話してきたらしい。

 その担当者は「私によく迷惑かける人」だったので、たぶんまた彼がやらかしたんだろうけど、お客さんに迷惑かかって申し訳なかったから、「じゃあ、すぐ処理します」ってすぐに振り込み手続きをしたのだ。

 慌てて処理したので、「この書類は処理する前に入念にチェックしないと信用できない」ということをすっかり忘れていたのだが、ファイリングしようとしたら「あ、そうだ、確認してなかった」思い出し、チェックしてみたら、催促のあった方の書類はちゃんと金額が合っていたけど、もう一枚の方が多く振り込んでいたのである。

 普通の取引先だったら「金額間違っちゃいました、すいません!」で返金してもらえるが、その仕事の得意先はちょっと特殊だし(個人事業主がほとんど)、うちの担当者もいいかげんな奴なので、いいかげんに営業していたらしく、ほんと、何もかもいいかげんなので、ちゃんと返金してもらえるか心配なのです。

 だから、いつもその担当者が作った書類は入念にチェックしていたのに・・・・・うっかりスルーしちゃった時に、金額相違が大当たりしちゃって、超がっかり。

 いつもなら、そこの部署の事務担当の優秀な女性がチェックしているはずなのだが、なんらかの事情でそこもスルーしちゃったらしい。
 ミスってそういうもんよね。
 起こる時には、あっさりとチェック網をスルーしてしまう。

 また、気を引き締めて、チェックは忘れないようにしないと。

●蓼食う虫も好き好き

 ところで「蓼」って何?
 ヤナギタデっていう植物のことらしく、苦いらしい。

 週末は実家に帰り、古いレコードの整理をしたが、古い油絵も納戸から取り出して、確認してみた。
 母が「あんたの絵もあるから、どうする?」って言うのだが「私の絵なんて、ほとんど無いでしょ?」と言った通り、高校の授業で描いた縦1メートルくらいある絵が一番デカくて、後は大学のサークル活動で描いた、せいぜい20インチモニタくらいの大きさが3枚あるだけだった。(もう、ああいうのを見ても、何号くらいと表現できるのか、とっさにわからない)

 なので、天袋に押し込まれたキャンバスの9割が、母の絵であった。

 それでも、千葉から国分寺に引っ越してくる時にかなり処分したのだと言う。
 たしかに、ざっと見る限り、わりと出来のいい絵ばかりだったが、それでも30枚くらいあり、天袋を占領していた。

 でも、母の絵はほとんど「会社の絵画クラブで旅行した時に描いたもの」だったから、スケッチブック程度のサイズだったので、やっぱし一番大きいのはその「私が高校の授業で描いた絵」だった。

 しかもキャンバス地ではなく、板張りなのだ。
 キャンバス地っていうのは、板組みにキャンバスを貼ってあるのだが、板張りっていうのはキャンバスの代わりに薄いベニヤ板みたいのが貼ってあるので、ちょとした板製の扉くらいの重量になる。

 よっこらしょ、と母が天袋から引き出したその板張りの絵を下でキャッチして床に立てかけようとしたら「あ、これ、虫食ってる!」と気がついた。
 だって、裏側の木枠におが屑があったし、それで板を打ち付けているネジが浮いていたのだ。

 母は「ああ、それ、釘が緩んで飛び出てるだけじゃない?」と言うが、「いや、こういうのテレビで・・・ビフォー・アフターで見たことあるもん。キクイムシにやられてるよ!」と言い返し、母に「ほら、ここ・・・・・・・」と指差すと、木枠は二重になっているのだが、内側の一片だけがキレイに消失していた。

 しばし、母娘で「これは、どうなってるんだ?」と観察したのだが、やはり「あるはずの一片」が消えているし、その跡地にはおが屑が残っているので、母もやっと「あらー、これは見事に食われたのねえ」と理解した・・・・・・「ということは?」と慌てて、納戸の中を確認したが、他の絵の枠になってる木の部分も、納戸の中も食われた形跡は見つからなかった。

 公立高校の授業で使用した画材だから、廃材利用したような、複数種類の木材を継ぎ合わせて作った木枠だったのだが、その中のたった一本だけが「蓼」だったらしい。
 いや、逆か、その一本だけが、「ご馳走」で、そのキクイムシは他の木材には一切手を出さなかったようだ。

 ただ、いつからこうなっていたのかは不明なので、もしかしたら、千葉の家は木造家屋だったので、あっちには「これなら食べられる」と好みに合った木があったのかもしれない(実際、けっこうキクイムシの跡は見つかったようだし)
 あの絵は千葉の家で10年くらい埋蔵されていたので、千葉の家に巣食っていたムシが食べた可能性の方が高いだろう。

 しかし、キクイムシというものはそういう生態らしいが(後で、ググってみたら、栄養価の高い木しか食わないらしい)、好きな食べ物だけキレイに食べ尽くしているのに、他の食べ物には全く手をつけないというのは、生物としてどうなの?って思うけど、ああ、こういうのが多様性がどうのこうのって話になるのか、とも思う。

 もし、あの木のキャンバスが、全部同じ木材で作られていたら、全部消滅しちゃっていたはずだが、キクイムシが美味しいところしか食わなかったので、他は残ったのだ。
 あの時、同じ業者から納入された画材の中には「キクイムシの好物が半分使われていた」っていうのもあっただろう。

 もしかしたら、当時の業者はそういうこともわかっていて「あえて、バラバラな木材を使用する」って心がけていたのかもしれない。

 いや?もしかしたら、そのキクイムシの好物の木材が「やばい」ということを知っていたけど、だから安価だったので、4辺中、一辺だけ混ぜる、ということをやっていたのかもしれない?

 と、いろいろ想像を刺激する「キクイムシにちょっとやられた絵」であるが、どこかに飾るようないい絵じゃないし、私としては処分しちゃって構わないのだが、私よりもずっと画家度が高い母は「えー、捨てていいの?自分ちに飾れば?」と言うが、あんなデカイの狭い部屋のどこに置くのよ!

 というわけで「収納場所があるのなら、とっておいてください」ということになった。

 私の他の3枚の絵も、大して気に入ってなかったので、「これも要らないんだけどなあ」って言うと、母は「ええ!そんな!」とビビっていたが、母は自分が描いた絵に思い入れあるようで「ああ、これは蓼科に行った時の絵」とか「ああ、これは先生に褒められたの」と言うけど、私の絵なんて、雑誌の気に入った写真をモデルにした絵ばかりで、どっちかというと思い出すのは「元ネタになった写真」の方だ。

 そもそも、そのキクイムシの餌食になった高校の授業の絵も、高橋幸宏のレコードのジャケットをモデルにしている。
 あと、ジャパンのスティーブ・ジャンセンの写真をモデルにした絵とか。

 その他、二枚の絵は、象やキリンが歩いているアフリカのサバンナの中心に、ヒョロっとした男性が佇んでる絵なのだが、それは当時、大好きだったギタリストの窪田晴男がモデルなのだ。

 描いた記憶の無い未完成の絵もあって、そっちは、窪田晴男がモデルになってる男性が象にまたがって幻想的な世界を闊歩している絵だった。

 私には、すぐに「あー、この頃、窪田晴男のあの雰囲気が大好きだったんだよなあ」と懐かしく思い出したが、横にいた母が「あー、この絵とこの絵も同じような男の人が中心なのね、なんだかヒョロっとした・・・・あんた、こういう人好きなのね」と見破ったので、四半世紀も前の男の趣味を今さら親に冷静に解明されてしまう、アラフィフ独身娘の複雑な心境といったら・・・・・

 そして「どーせ、岩隈さんだって、その系統ですよ」と思いついて、けっこうヘコんだ、というか、これは「蓼食う虫」じゃなくて「スズメ百まで」の世界であろう。

 そうそう、土曜日の夜、親とスポーツニュース見ていたら「ダルビッシュ負けちゃったのね」と言うので、「ダルが負けたんじゃなくて、岩隈が勝ったの!!!」と訂正させました。

 くそー、みんなダルダル言いやがって(うちの母ですら「ダルビッシュはこの間惜しかったわよねえ」とか言いやがる)、悔しいから、岩隈さんに先にサイ・ヤング賞もぎとっていただきたいものだ。

 岩隈が先発ローテに順調に乗ったら、またシアトルに行きたくなりそうだが、そういや、私にとって追い風が吹いている。「休暇でシアトル行ってきまーす」「シアトル?何しに?もうイチローはいないじゃん?」「そりゃ・・・ぐふふ、大麻解禁が・・・ぐふふ」って言っておけば「岩隈さんの追っかけです」って説明するよりもラクそうだから。


4月14日(日)

 週末は実家に帰った。

 実家がそろそろリフォームか改築する予定なので、実家に残してある本やレコードの中で不要な物があったら整理してくれ、と正月の頃に言われていたのだが、前回、実家に帰った時には姪っ子甥っ子の相手でそれどころじゃなかったので「また近々・・・」と言うわけで、今回は、私一人でひっそり行きました。

 レコードなんて、いくら「それなりにレア物」があったとしても、もうプレーヤーが無いんだから全部捨ててもいいのだが、中古屋が引き取ってくれるのなら「需要があるのなら、その人に渡れば」って思うだけで、引き取り価格なんてどーせ二束三文だろうけど、念のため、ヤクオクなどで市場価格を調べてみたら、1000円くらいで売られているものもけっこうあったので、捨てるよりも、中古屋に持ち込んだほうがいいのかね?

 Pモデルのレコードは、たぶんレア物なので残しておくことにして、あと、DNAのミニアルバムみたいなのが、ヤフオクで5000円近い値段で出ていたので「これももったいないから保留」とか選別していたら、結局10枚くらい残しただけになった。

 ママンが「じゃあ、捨てるのは、近所の中古店に持って行ってみる」と言っていたので「全部で1000円の値が付けば御の字って程度の品物だから」と念を押しておいた。

●似たもの同士

 土曜日の夜、父が就寝した後、母と喋っていたら、「あんた、北の国からの歌って歌える?」と聞いてきたので、「もちろん、歌えるよ?」と♪ららーらららら らーら とハミングしたら、母が大爆笑しながら「あんた、まだお父さん寝てないから、枕元で歌ってあげなさいよ」と言うので「なんで????」

 長年、合唱が趣味で、会社員時代も会社の合唱サークルで熱心に活動していた父は、リタイアしてから、近所の複数の合唱サークルに所属し、年に何度も発表会をやっているのだが、今度の発表会で「北の国から」を歌うことなったのだが、母が「じゃあ、お父さん、ちょっと歌ってみて」と言ったら、すぐに歌えなかったようで「楽譜が無いと歌えない」と言ったそうだ。

 母は「はあ?そんな難しい歌じゃないだろう?」と思ったので、私で試してみたら、すぐに「ららー♪」と歌ったので、「フツーそうでしょ?なのに、お父さんったらwww」と言うので、私が「まあ、たしかにお父さんは、あんましあのドラマ観てなかったから、馴染みが無いのかね?」(サラリーマン時代の父は終電間際に帰宅することが多かったので、平日のドラマを一緒に観ることはほとんどなかった)と私が言うと「それにしたって・・・・」と母は面白がっていた。

 昔から母は、父が「普通の人が普通に出来ることが、出来ない」と、執拗にからかうので、私はテキトーに聞き流しておこうと、「そういや、北の国からのテーマと言えば・・・」と、あの曲がなぜか日ハムの応援歌になっており、ある時、さだまさしが福岡でソフトバンク戦を観戦していたら、その勇壮にアレンジされた応援歌を聴いて、びっくりした。らしい、というエピソードを語ったら・・・・

 母 「北の国からって、さだまさしの曲なの?」
 私 「え?・・・・・・・」

 それって、「北の国からのテーマなんて、誰でも歌えるじゃん」っていうのが一般常識だと定義するのなら、「さだまさしの曲である」っていうのも、一般常識なのでは・・・・

 と、「それじゃ、お父さんと同じようなもんじゃん」と私が言うと、母は「私はあのドラマほどんど観ていない」と言い切る。
 確かに、中期や後期はあまり一緒に観た記憶もないし、私もほとんど観ていないのだが、初期というか「最初の」を私が観ていたのは、母が夢中になっていたからでは?と言ってみたのだが「そんなはずはない。あの頃私は家事が忙しくて、皆と一緒にドラマなんて観る暇がなかった」と言う。

 あー、そういう言い方、亡き祖母にクリソツなんですけど(笑)

 というわけで「楽譜見ないと歌えないし、自分のパートは主旋律ではない」と言い訳する父と、「私はあのドラマあまり観てないし、歌番組なんて見ないので、あれが、さだまさしの歌だなんて知らなくて当然である」と言い張る母の、どっちもどっちである。

 翌朝、母が父に「ミヤノはちゃんと、楽譜無しでも歌えたわよー」とまた煽るので、父は楽譜取り出して「ド ミー ソラシド ラー ソー」とか(音符はデタラメです)歌っていたが、ちゃんとメロディー追えていたので、本当に父は「楽譜がないと、どういう曲だかよくわかってない」ようだった。

 その後、母と納戸の中の物ひっぱり出していたら、ある箱の中から通知表が出てきて「あ、これお父さんのだ!」
 前にも父の通知表は見たことがあり「お父さんの通知表って、オール5って感じでムカつくんだよねwww」と言いながら、眺めてみたのだが、やっぱしほぼオール5だったのだが、よく見ると3も混じっていたので、「何が苦手だったのだろう?」と見てみたら、「音楽が3だったwwwwwwwwwwwwww」
 図工も4か3で、「勉強は出来るけど、日曜大工はからっきしな父」に相応しい成績表だが、音楽が3っていうのは意外だった。

 さっそく父に「さっき、お父さんの小学校の時の成績表が出てきて、国算社理はオール5なのに、音楽だけが3だったwww」と笑いながら報告すると「それは何年生の時のだ?」

 「ああ、学年までは見てなかったけど、数字で評価じゃなかったから、低学年なのかなあ、後で見てみる」と言ったら、「疎開先から帰ってきて、地元(中央区の下町)の小学校に戻ったら、音楽の授業がいきなりドイツ語で苦労したのだ」と言う。

 「ドイツ語って?」と思ったが、どうやら当時の音楽教育はアーゲーセーベーのドイツ語音階でやっていたらしく、聴音で先生がドミソでバーンとやると「ベー セー デー」とかで解答しなければいけなくて、それが難しかったと言うのだが、疎開先の富山ではどういう音楽教育だったのだろうか?

 そもそも、今は合唱が一番の趣味である父が「小学校の頃は音楽が苦手科目だった」ということが面白かっただけで、ちょっとからかってみただけなのだが、そうきっぱりと「50数年前に音楽の授業で成績が良くなかった理由」を語られても・・・・

 と、戸惑っていたら、父は真面目な顔で「しかも、うちのクラスは後に芸大に進んだ子が何人もいたので、そういう子が5や4を独占していたのだろう」と言うから「へー、そうだったんだ。芸大に入るなんてすごいね」と言ったら、「中谷と、山田と、杉山と・・・」と芸大に進学した同級生の名前を上げ始めたので「はあ、そうなんですか・・・・」

 土曜日の夜、母が夕飯の支度している間に父が「そういや、パソコンのことで教えてほしいことがある」と言うので、「何がわかんないの?」とパソコン開いてみたら「メールに添付ファイルを時々するのだが、ファイルを1つしか付けられない。でも、他人から来るメールには複数ファイルが付いている」と言うので、「こうすれば、いくらでも添付できるけど?」と「添付」のところをポチっとしたら「そうやるのか!!!!」って、今までどうやっていたんですか?

 その後、母が「写真の整理で、一個一個、引っ張って(ドラッグして)移動させるんじゃなくて、まとめて移動させたい」と言うので、「少しむずかしいけど、全部選択して、こうすれば?」と説明していたら、母が「わー、すぐ忘れそう」と言うので、私が「メモっておけば?」と言ったら、父が「週に一回くらいやれば大丈夫だ」とか言うので、そういや父もメモをとってなかったが、まあ、忘れたらすぐ聞いてくれればいいだけだが、どうして互いに「自分に甘く、相手に厳しい」のか、ほんとにもー(笑)

 ま、どこの老親もこんなもんなんでしょうけど、明日は我が身というか、すでに足半分突っ込んでいるので、けっこう親身になって助言できるから、両親も私には安心していろいろパソコンのこと聞けるみたいで(弟や妹はまだそういう境地に達してないので)、そう、妹なんかは両親のパソコンにグーグル・クローム設定して「IEじゃなくて、こっち使えばいい」とアドバイスしたようで、使い勝手がわからない母が「お気に入りはどうやればいいの?」と戸惑っていたので「別に前ので不自由ないなら、慣れてるの使えばいいじゃん」と言ったら安心してました。

 母のネット検索を眺めていると、ほんと、要領悪くてイライラするのですが、時間かかってもちゃんと用事は済んでいるので、どーせ時間たっぷりあるんだから、あれでいいと思うんですけどね。
 で、母にとって問題なのは、父はメールくらいしか使わないので、ネット検索の苦労をせず、「お父さんは調べ物なんてしないのよ」と「うまく使いこなせないのは、お父さんだって同じなのに、私ばかりが苦労している」のが面白くないようで・・・・・

 で、アナログ人間の父は、フリーマーケットで100円で買った、厚さ10センチくらいある新品同様の「ヘリテイジ英語辞典」で調べ物していました。
 なんかの会話で、私が「唐辛子って、南米から入ってくるまで中国や韓国にはなかったから、それまではどうしてたんだろうね?」って話をしたら、父が「そうだったんだっけ?ああ、そういうのはこの辞典引くと面白いんだ」って嬉しそうに取り出してきて、ついでに「トマト」や「ナス」や「ジャガイモ」の起源も英語辞典で調べていました。

 父はたぶん「ググる」ということを全くしないまま生涯を終えると思います。

 そして、両親とも、だいぶボケてきましたが、認知症ってほどでもないし、膝が悪かったり、肩が上がんなかったりする程度で、今んとこけっこう健康なので、パソコンが上手く使えなくても、「北の国からのテーマが」歌えなくても、どーでもいーわけです。

 さーて、次回はGWあたりに、また訪問しないとな。

 つーか、肝心の家の改装だか改築は、主導権握っている母が(父は何言ってもどーせ文句言われるのがわかっているから静観を決め込んでいる)あーでもない、こーでもないで、もう2年くらい経っているので、どうなるのかわかりませんが、台所やお風呂の水回りというか「火回り」だけは安全のためなんとかしてほしいのだが(台所のコンロとか平気でつけっぱなしにするので、ほんと危ない)母が納得しないとどーしよーもないのだが、さて、どうなることでしょう?


4月12日(金)

 テレビがすでに北朝鮮に飽きちゃったみたい。って全部のチャンネル観られてないのだが、今朝少し観た限りでは。
 たぶん「10にミサイル発射か?」という予想だったので、10日と11日にはゲストに専門家を招いてジャンジャンバリバリ煽ってみたが、今日はもう終わっている予定だったのか、ディズニーランド30周年を特集していたりしました。

 さて、昨日、給食の話を書いてて思い出したのだが、うちの兄弟は給食で育ったのであった。って、フツーそうですけど、昼食以外にも給食食べていたのです。

 この話も何度か日記に書いていると思うけど、うちの母は給食のパートやっていたのだ。
 いわゆる「給食のオバサン」なのだが、作っていたわけではない。母が勤務していたのは、私らが通った小学校の隣の学区の小学校で、給食は給食センターで作ったものが運び込まれていた。
 私が通った小学校や中学校は、給食センターから搬入された物が、リフトで各階に上げられて、それを給食当番がリフト前のスペースから教室まで運んだのだが、母が勤務していた小学校では給食のオバサンが各教室前まで運んでいたようだ。

 私は「ずいぶん過保護だな」と思ったが、体育教育モデル校だったうちの小学校と違い、隣の学区の小学校は理科教育モデル校だったので、体育会系と対照的な校風というか、軍国主義とリベラルな雰囲気の差というか、母から聞いたその学校のエピソードは、とっても緩い感じで、当時私が通っていた高校みたいな雰囲気だったようだ。

 なので、母の仕事といえば、給食をクラスごとに運んでから、自分らも給食食べながら休憩して、食後にまた食器や鍋を下げるのが主な仕事で、だから、勤務時間が10時くらいから2時くらいだった。
 朝、家族の朝食を作り、後片付けしながら洗濯して干してから、自転車でパート先に出かけて、仕事して給食食べるので昼食が浮くし、それから帰宅して、ちょこっと家事してから洗濯物を取り込み、買い物に行って夕飯の支度、という時間割が気に入ってずいぶん長い間やっていたのだと思う。
 妹が小学校に上がってしばらくしてから始めたんだっけなあ?だから、私が中学生の頃から、二十代前半の頃までやっていたと記憶しているから、10年くらいやっていたと思う。

 その給食のオバサンの仕事は、運ぶだけではなく「何かトラブルがあった時の対処」も含まれていた。
 牛乳やパンやデザートなど、一人一個と決まっている物は、たまに「足りませーん」ってことが起こるので、予備として用意されている物を渡したり、カレーやシチューなどの大鍋に入った物も配膳中にぶちまけたりすることがあるので、予備が用意されていたらしい。給食のオバサンはその予備から食べていたのかもしれないけど、何事もなかった日には(そういう日がほとんどだろうけど)、けっこうな分量が手付かずで余っていたらしい。

 そのパートは母を含めて3人のオバサンでやっていたのだが、みんな子持ちだったので「もったいない」とそういう余った食材を家に持って帰っていた。
 今だと完全アウトだけど、食べ残した給食のパンを持って帰ったり、休みの子に持って行ったりしていた時代だったので、見逃されていたのである。

 つーか、時給も安いし、拘束時間も短いので、月に3、4万円くらいのパートだったんだろうけど、「お持ち帰り」が許されていたので、あっちは金額に換算するとどのくらい家計を助けていたのだろうか?
 今の私だったら電卓叩いていただろう。
 だって、食べ盛りの中学高校時代に、学校から帰って真っ先に冷蔵庫を開けると、中にはびっしりと給食の牛乳が押し込まれていたのだ。
 暑い時期は小学生もよく牛乳を飲むようで、中には給食室に予備があることに気がついた児童が「おばさん、おかわり!」と貰いに来てしまって、ほとんど余らなかったが、寒い時期は、うちの牛乳はほぼ給食の残りで賄われていた。

 あと、よく大量にあったのがカットされたリンゴ。
 プリンやゼリーなどのデザートは余りが少なかったが、リンゴはよく余るようで、我が家でも食べきれなくて、そのまま冷凍庫で凍らせると、りんごシャーベットになったので、よくおやつに食べたっけ。

 あと、もちろん、パンね。
 これは、普通に冷凍保存できるから、あの当時、我が家の食パンはほぼ給食のパンだった。
 たまに「やっぱ、美味しいのが食べたい」と、焼きたてパン屋で買ったイギリスパンを買っていたけど、たまに高級パンを買えたのも、普段は給食パンで節約していたからだったのだろう。
 給食の食パンは、やっぱしイマイチだったので、ピザトーストにしたり、フレンチトーストにしたり、いろいろアレンジしてよく食べたっけなあ。
 コッペパンを揚げパンにしてもらって、揚げたてを食べた時にはほんとうに美味しかったっけ。

 というわけで、牛乳やパンやデザートは、まあ、余ったのを持って帰ってくるのはわかるが、今思い出しても「すごいな」と思うのは、おかずもかなり持って帰っていたことである。
 カレーみたいな人気メニューは余らなかったが、今でもよく思い出すのは「スパゲティ・ナポリタン」
 ジップロックなんて無かったし、あってもコストかかるから使わなかっただろうけど、自宅から持ち込んだビニル袋に小分けして持ち帰り、冷蔵庫に詰まっていたので、高校生の頃の「なんか、小腹空いた」って時のおやつや夜食は、いつも「小学校の給食www」だったのである。

 ほんと、「給食で育った」としか言いようが無いほど深くお世話になりました。


4月11日(木)

 北朝鮮、なかなかミサイル発射しませんねえ。

 ところで、スカイツリー試験放送では6と8と7がダメで、1と4と5しか映らないことが判明したのだが、ここ数日、試験放送やってなくても6と8が映らなくなり、試験放送始まると、1は大丈夫だけど4の画像が不安定になるという、なんだかよくわからんテレビ環境になってます。

 まあ、どうせ地デジ化の時に「しばらくテレビ無しでもいっか」と思ったので、いいんですけどね。
 あの当時は実際、数日間はテレビ無し生活になったので「朝はラジオをBGMにしよう」としばらくラジオ聞いていたのだが(朝の支度のタイミングや天気予報や交通情報は必要なので)、パソコンのモニターがなぜかテレビの後を追って死んでしまったので、新しいモニタを探していたら「テレビも映るモニタ買えばいいんじゃね?」と気がついてしまい、「地デジ難民」からあっさり足抜けしてしまったのである。

 なので、しばらくはスカイツリー難民になってみましょう。集合住宅だから、そのうち大家さんがなんとかするのだろうし。
 しかし、報道によると、スカイツリー放送試験で支障が出ているのは数万世帯らしいのだが、その少ない数字の中に選ばれたというのは複雑な気分である。会社で「うちのテレビがスカイツリーだとダメみたい」と語ってみても、同じような状況の人はいませんでした。

 今日はフロアの皆が超ヒマで、マスオさんもHさんも休みだったし、部長が会議で席を外すと女子(?)だけで、お喋りばかりしていたのだ、ふと給食の話になり(エビワカちゃんちの小学生のお子さんの給食が今日からだとか)、30代後半のM嬢が「くじらの竜田揚げはホントに苦手だった」なんて話をするので「ああ、みんなそう言うけど、私の地域では出なかったので食べたことないんだよ」なんて話していた。

 くじらの竜田揚げを初めて食べたのは、30歳過ぎてからこの会社に入った後で、当時の社長に連れて行かれた、そこそこ上級の和食店のメニューにあったので、「へえ、これが噂の・・・つーか、美味しいじゃん」って思ったっけ。給食で竜田揚げを経験していた人達も「これだったら、美味しいと思える」と、社員の間でも必ず頼む人気メニューでした。
 くじらのベーコンは家の食卓によく並んだんだけどなあ。
 オイルショック時代の我が家の生活費はカツカツだったはずなので、きっと当時は肉よりもずっと安価だったのだろう。

 で、給食の話をしていたら・・・・・あ、ちがった。最初は「連絡帳」の話をしていたんだ。子供を休ませる時には電話だけじゃダメで、近所の子に連絡帳を託さないといけないという話をエビワカちゃんがしていたので、30代後半のE嬢が「ああ、あった、あった。あれ、面倒で嫌いだった」というので、何が面倒だったのか問い詰めたら、E嬢の学校では、その日配ったプリントなどを休みだった近所の子に持っていくことになっており、クラスメートだったらいいが、学年が違う子のところにまで持っていかないといけなくて、「親しくもしてない子の家にそういうの持っていくのが苦痛だった」らしい。

 ふーん、私はクラスや学年が違う子のところに届けた記憶はないなあ・・・・と思っていたら、ふと「そういや、クラスでも近所の子が学校休むと、連絡帳を返しに行く時に給食のパンを持っていった」と私が言うと、みんな「えーーー?そんなのやったことがない!」

 私も小学校6年間ずっとやった記憶が無いけど、低学年の頃までだったかなあ?

 なんで、「休みの子にはパンだけでも届ける」って習慣があったのだろうか?
 そういや、小食な子はパンを食べきれないので、よく残りを持って帰っていたよなあ?
 ランドセルの横に専用の「パン持ち帰り巾着」をぶら下げている子もいたような・・・・

 エビワカちゃんが「なんで、パンなんて持ち帰ってたんですか?」と不思議そうにしているので「うーん、私もよく覚えてないけど、あの当時、パンはけっこう高かったのかもしれない?」

 うーん、でも我が家の朝食は食パンだったので、そうでもなかったんだっけ?自分の金で買ったことないからわからないけど、でも、当時はまだ「店で焼いているパン屋」なんて無くて、食パンだけ近所のヤマザキパン系列の小売店で買っていたけど、そのうち、食パンがスーパーの目玉商品になってきて・・・・「焼きたてパン」が売られるようになったのは、私が高学年か中学校に入る頃だったような。あまりにも美味しいので、繁盛してましたけどね。

 とにかく、おかずは無理だけど、せめてパンでもって感じだったのかも。

 ネットで調べてみたら、給食で残したパンを持って帰る習慣が絶滅したのはO-157の流行がきっかけだったらしい。
 「ああ、O-157・・・・あったね」と頷くアラフォーの皆様だったが、「あれって、いつ頃だったっけ?」と言うので、私がきっぱりと「20年くらい前?私が、飲み締めに友人達とラーメン屋に入っていた頃だったから」と言うと、みんなに大爆笑されちゃいました。

 ネットで調べてみたら、1996年だったので、20年は経っていなかったが、それほど記憶はズレていなかった。あの時はカイワレ大根が感染源として疑われたので、友人と桂花ラーメン食べに行ったら(渋谷プライムのラーメン横丁www)「カイワレは諸事情により入れてません」みたいなコメントがメニューに貼ってあり、「ああ、カイワレ気の毒に」とか会話した記憶がある。

 なるほど、1996年だと、今アラフォーの皆様もほとんど成人していてから、あの騒動は記憶に新しいのだろうね。まあO-157はけっこう頻繁にニュースになるので、それと混同しているのかもしれないけど。


4月10日(水)

 きゃはは、明日は日ハムの大谷くんが二軍で先発予定らしいのだが、「ロッテ浦和球場じゃパニック状態になったちゃうかも」と急遽、幕張のえーっと、QVCマリン球場で試合やることになったらしい。

 しかし、ロッテ浦和球場は、イースタン・リーグの球場としては5球場中の第3位の設備がある所なんだが・・・・つーことは、ヤクルトの戸田も西武の第二球場なんてもっとダメダメなわけで(戸田は意外と土手のキャパがあるけど)、日ハムも最初から鎌ヶ谷かジャイアンツ球場で試合やるときに調整すりゃいいじゃんねえ?

 それよりも、すっかり商売に目覚めたパリーグTVったら、明日の二軍の試合を緊急中継ってwwww
 つーか、パ・リーグTVは独自で中継しているわけではないので、どっかの局が放送することになったので、それに乗ったんですよね。

 ああ、日本は平和でいいなあ(笑)

 ところで、北朝鮮はまたミサイル打ち上げる予定らしいですが、この時期、いろいろな記念日が重なってるらしいけど、ずいぶん高価な花火代だよな。
 三代目キム君がどういう心境なのかインタビューというか、飲み会で語り合いたいものだ。
 三代目キム君がきちんとわかってやってるのかどうかはわからないけど、うちの会社も三代目なので、「あー、おじさん達に好き勝手されてるなあ」って感じはよーくわかるので、なんとなく他人事とは思えません。

 北朝鮮のミサイルの話していたら、エビワカちゃんが「アメリカがガツンと潰してくれませんかね(笑)」と言うので「そんなことしたら、本当にヤケっぱちになって何やるかわからないから怖いでしょ!」と窘めた。

 アメリカがイラクにガツンとやっても「遠い所の出来事」なので、自分ところにお釣りが来ることは全く想定してなかったが、北朝鮮なんて、東京からの距離は九州や北海道とあまり変わらない、ほぼ国内っていう位置なので・・・

 さて、我が楽天は今日は5-0で日ハムに負けてますが、8回裏に見慣れぬ左投手が出てきたのだが、「うわー、片山君だ!!!!」
 坊主頭に、オールドスタイルという「二軍で修行しました」って感じだが、なんだか怪僧っぽいけど、アブレイユに一発浴びました。

 いやあ、この間の大荒れの天気の時に、楽天の二軍は仙台に向かっていたのだが、東北新幹線が強風のため停止しちゃって、片山と永井(私が沖縄遠征した時にゆいレールで遭遇した投手)がずっとツイッターで「また新幹線停まった」「いったいいつ仙台に着くのでしょう」と実況していたので笑ったけど、どういう事情か知らないけど、二軍調整中だった片山は星野と入れ替えで一軍に上がって、今日はお試し登板だったはず。

 なので、この場面はビシっと敗戦処理したかったはずだが、一発浴びちゃったけど、意外と堂々としてたな。ふてぶてしい感じで。
 片山くんの欠点は、見かけのふてぶてしさ(とにかく体がデカいし、顔もやんちゃそう)とは裏腹に、けっこう気が細かいというか、神経質なところだと思うのだが(試合前の練習風景の観察から)、年々「外見に見合うような精神力ありそうな雰囲気を漂わせる」ということができるようになってきたと思うので、こういう子は30歳過ぎたあたりで、もしかしたら大成するかもしれないなあ。

 吉井も著書の中で「投手は30歳過ぎてから」と語っていたが、20代男子はやっぱしまだまだ子供でね。
 そりゃ、女子だって大したもんでもないが、女子の方が「ギャルだからこのくらい許されるだろう」って計算が働いているように思えることが多い。

 そういや、もう10数年前の話しになるけど、当時、この会社に入った頃、まだ20歳くらいだったが、私よりも職場では少しだけ先輩だった「10歳年下のギャル」と仲良くできなくて困ったが、私が経理に入ったことで、彼女は「志望したわけでもない経理の仕事」とおさらばできて異動して、今ではWEB制作の部署で着々と出世している。

 でも、やっぱし、未だに私のことは苦手らしい。
 機嫌のいい時には、すれ違う時に挨拶くらいしてくれるが、機嫌悪いと挨拶もしてくれない程度には。

 彼女の場合、「態度が悪い」というよりは、根が極端な人見知りさんなので、気を許せる人にはデレデレするけど、そうじゃない人にはツンツンするので、内と外で態度が極端に変わるあたりが本当にギャルっぽかったが、彼女は30歳過ぎてもそういうところが丸くならないまま、アラフォーになってしまった。

 ほんと、見事なものである。
 例えば、私が一人でエレベータに乗っていて、彼女が途中階から乗ってきても「私に話しかけるな」オーラが凄いので、こっちが「お疲れ様です」と挨拶しても、ガン無視なのだが、私が彼女の「内側」の人間と一緒にいると全然態度が違い、ニコニコと挨拶してくれるのだ。

 30代半ばになっても、ああいうやり方がまるで17歳のギャルなことに、不愉快を通り越して尊敬の念が沸くレベルである。
 技術系のオジサン達には「まともに挨拶しない」人も多いが、彼らは誰彼かまわず挨拶しないけけど、少し雑談するとフツーに話をするので、要するに相手を選ばず平等に無愛想なだけなのだが、「人によって態度が全然違う」ということを30代半ばになっても律儀にやってる旧ギャルさんには、40歳になっても、50歳になってもその「男には愛想いいって何よ?裏表ありすぎ!」って態度を貫いてもらいたいものだ。

 そして、もし、その旧ギャルが、私に対する態度を軟化させたら、その時こそ、私が「オバサンじゃなくて、おばあちゃん枠に入った?」という重大な局面なのだろう。

 ああ、そっか、ここ数年は「あー、私、おねーさんじゃなくて本格的にオバサンに進化したな」というのを経験したが、しばらくはオバサン・ライフを堪能することにして、10年くらいしたら「あー、私、オバサンじゃなくて、おばあちゃんだと思われてる?」というのを経験するんだな。

 「ぐえ、マジ席譲られた」っていうのを経験するまで長生きしないといけなのでしょうか?最近の老人は元気なので、けっこう難しそうです。


4月9日(火)

 今日は部長がハイテンションというか、子会社の社長があれこれ言うのに憑依されちゃって、その勢いであれこれ言ってくるのに振り回されて自分の仕事が全然手につかなかったが、ちょうど、私に回ってくるはずの書類が滞っていたので手が空いていたからよかった。

 しかし、子会社の社長も「会計上はこれで問題ないか?」ってことは私に直接聞いてくれればいいものを部長を挟むからややこしくなる。
 まあ、あの社長は頭いいので、私に聞くと「そんなのダメです」って即答されるのがわかっているのだろう。

 で、部長が私に「これってどうよ?」と確認してきて、私が「そんなのダメです」って言っても、「きちんと納得できるように裏付けが必要だ!」とワーワー言うので、うまく丸めるのに時間がかかる。
 まあ、慣れているのでわかっているのだが、部長も概ね「それはダメだろう」とわかっているのだが、「ありとあらゆる可能性を考えてから」っていう時間が大事なわけで、私も時間に余裕あったので、じっくりお付き合いできました。

 例えば部長が「あの社長はこういうイメージなんだと思うんだよね」と、とある非営利団体がやっていることの資料持ちだしてきたので、「そりゃ、非営利団体ならそういうの普通ですから」としか言いようがないが、「だから、そういうのがどうにか出来ないか考えてほしいんだよ!」と言うので、「そりゃ、取引先の某社はそういうことするために、NPO立ち上げましたから、そういうのはアリですよね?」

 結局、部長とは途切れ途切れに3時間くらい討論したのだが、そしたらまた部長がそっちの社長と話をして私が問題視している部分も遠回しに言っていたようだが、そしたら、社長も「じゃあ、それでいいや」ってことになったらしい。

 たぶん、社長も部長も「それは無理だろう」とわかっていたのだろうけど、「どうしても、絶対無理」ってことを納得するのに、「時間」が必要だったのだろう。あー、めんどくさ。

 さて、今日はなんと、マリスタ(えーと、また忘れた、Cだっけ?Qだっけ・・・・QVCでした)では、私の吉見が今期初先発で、対するは私の牧田であった。

 帰宅して試合経過をチェックすると、我が楽天は東京ドームの日ハム戦で、嶋と銀次がホームランという馬鹿試合になっており、「昨日打て」としか言いようがなかったが、昨日、試合を壊した星野オジサンの抹消は当然としても(開幕から楽天ファンに「西武の中継ぎ」の底力を魅せつけてくれた)、その後のロングリリーフで敗戦処理させられた大加藤様も抹消か・・・・そこは観てなかったのだが、少し経って暇になったら鑑賞してみようかしら?

 で、QVCでの試合観てみたら、1-1で私の吉見が強風の中頑張っていた。

 吉見は今期3試合目らしいが、その前は敗戦処理で踏ん張っていて、時期はやや早いけど、いつもの「敗戦処理のロングリリーフで結果出して先発」という流れに乗ったようだ。

 しかし、6回途中で降板になり、悔しそうにベンチの壁に頭頂を押し付けていた。わー、悔しそうな吉見に萌えたわ。

 まあ、今日は楽天が勝ちそうなので、ロッテさんに頑張ってもられると、また首位奪還だったのか?(笑)

 そういや、野球ネタと言えば、ヤクルトの館山が靭帯移植手術で1年離脱というニュースは悲しかったし、由規もダメなんですよねえ。

 あと、西武球団が売却の危機とか・・・・・私もどこかでデモ行進しないといけないのだろうか?でも、どっちかというとレオ・ライナーこと山口線の廃線の方が衝撃的だったのだが(笑)
 山口線を愛してやまない人は多いと思うんだけどなあ。

 つーか、ライオンズやレオ・ライナーがなかったら西武電鉄の魅力は半減以下だと思うのだが、どうなるんでしょうね。

 今日はやっと帰りの電車で「老人と宇宙」シリーズ4作目の「ゾーイの物語」を読み終えた。
 ヒッコリーとディッコリーに歌の練習させていたあたりで「この、あざとい作者なら、これをいいシーンで使うな」と予想はしていたのだが、やっぱし、ここしかないところで、大合唱が始まり、事前に書評では「オービン族が泣ける」と書いてあったので、「おお、来た来た」と思ったのだが、久々に電車の中で号泣しちゃいました。

 なんつーか、ロッテファンが、自軍の大ピンチの時にいきなり第九を朗々合唱しはじめたかのような。(やってみてほすぃ)

 チャンネルを楽天に移動すると、ハウザーさんが、ワンポイント・フォアボーラーに昇格されてました。ハウザーさん、顔は超一流なので、もっと頑張っていただきたいのですが・・・・

 去年のマリスタの最終戦の試合前、丁寧にファンサービスするハウザーとダックワースさんを観て「あー、この人達には来年が約束されてないしなあ」と、日本球界での微かな成功を骨の髄までしゃぶろうとするその姿に魅了されましたが、ああいうけなげな外人助っ人さん達には、うっかり巨人に強奪されてウハウハっていうのも、是非やってほしいんですけどね。

 
4月8日(月)

 週末は荒れたお天気でございました。

 土曜の夜から風雨が激しくなる予報だったけど、久々にきょうみさんと飲む約束だったので「帰りの電車が心配だが、まあ京葉線意外はなんとかなるだろう」と楽観して千葉駅に向かった。

 夕方はまだそんなに荒れてなかったけど、ダイヤが乱れる可能性も考慮して30分くらい早めに家を出たのだが、全然なんともなくて、かなり早めに千葉駅に着いたのだが、駅について改札口に向かっていると胸ポケットに入れてあったスマホがブルブルしたような気がしたが、スマホを携帯しているときにブルブルしたことがなかったので「気のせい?」と思ったが、改札出る前に念のためチェックしてみたら、わーお、きょうみさんから「ごめん、30分ほど遅刻だ」というメッセージが入っていた。

 スマホを手に入れて1か月半くらい経ったが、やっと仕事した(笑)

 しかし、メッセージ機能は、前にもママンから来ていたので「ふーん、こう表示されるのか」って知っていたけど、返信したことがなかったので「どーやるんだろう?」
 立ってやるのも落ち着かなかったので、改札出て、商業施設の中をうろついて椅子を探し、結局トイレの前だったのだが、そこで「んーと、ここに入力すればいいのかな?」とメッセージを書いて、えいやっと送信してみたら、ちゃんと送れたようだ。

 やっぱ、こういう待ち合わせには便利よねー。

 まあ、今さら滅多に待ち合わせなどしないので、必要なのは年に数回くらいだが、まあ、こうして外出していてても「楽天勝ったかしら?」とか確認できるし。

 Yも来るはずだったが、喘息の発作が起きてダウンしちゃったらしい。

 つーわけで、久々にサシで話して、お互いの近況というか、私はほぼ近況に目ぼしいものが無いので、きょうみさんの家族の近況を主に拝聴したが、ほー、いろいろ劇的なことがあって面白かった。

 特に親の介護問題は、彼女のほうが一歩先を行っているので、「明日は我が身」と真剣に拝聴しちゃいました。
 まあ、他は「仕事の愚痴」だったりしたが、自分の上司の愚痴はしょっちゅう聞いてるけど、他の職場の人の愚痴を最近聞いてなかったので、なんだかとっても新鮮でした。

 10時に閉店だったので、三茶に着いたのが12時近かったけど、駅を出たらけっこう雨がザーザーで「やっとゴア合羽が役にたった」とご満悦で帰宅したが、帰宅してテレビ観てたら、あちこちの川で危険水位になっているようで、「どうなるんだろう?」と思ったけど、思ったより被害出なかったようだ。

 日曜日は雨は上がったけど、強風がすごくて、夕方まで引きこもってました。

 なんだか運動不足である。

 部屋でゴロゴロしながら、吉井理人(元、日ハム投手コーチ)が書いた新書「投手論」を読んでいた。

 ここ最近はずっと「老人と宇宙」シリーズを読んでいて、3作目まで読み終わって、今はややスピンオフ系な4作目を読んでいるんだけど、前に読んだ「アンドロイドの夢の羊」は、かなりのドタバタSFコメディだったけど、「老人と宇宙」も3作目の後半は「わー、すごいご都合主義」と思ったが、でもほんと楽しく読めるのでハマってしまう。

 特に、登場するエイリアン達が、ご都合主義的に人間臭いのであるが、けっこうぶっ飛んだ設定なので。
 まあ、本だとエイリアンの容姿がよくわからないのだが、3作目から活躍するゾーイという少女にいつも張り付いているオービン族っていうのが、けっこう愛すべきキャラなのだが(名前もヒッコリーとディッコリーって可愛いし)、どうやら奴らの容姿は「蜘蛛をキリンを足して2で割ったかんじ」らしく、普通の人間には激しい生理的嫌悪感を与えるようだが、私、蜘蛛もキリンも可愛い異形だと思っているので、わりとイケるかもしれない?

 ゾーイという少女は、SFの名作の一つになっているらしい「たったひとつの冴えたやりかた」の主人公の少女みたいに賢いようなので、やっぱ、賢い子供とエイリアンの交流って鉄板だわね。そう、「E.T」くらい鉄板。

 で、「老人と宇宙」シリーズの合間に「投手論」を読んでみたのが、吉井のブログは欠かさず読んでいるので「わしは若い頃、もっと手に負えないやんちゃな投手だった」みたいな話はよく書いてあったが、この本では具体的な「やんちゃ逸話」が載っていて、「こ、これは酷いwww」

 そんな気性の荒いというか、自制が難しかった投手が、トレードされてあちこちの球団を渡り歩き、「野村の教え」にびっくりしたりして、その後アメリカに渡り、野茂や伊良部と交流しつつ、メジャーリーガーからも色々学び、日本に戻って現役を引退したら、うっかり投手コーチになってしまい、コーチ術なんてなーんもわからんまま、「自分がコーチにこう言われたら、やだったなあ」なんて体験を元に、コーチ術を独自で紡いできた様子も面白かったが、「アメリカかぶれ」な論拠も丁寧に語っていたので「ふーん、日本の中6日で完投ペースよりも、アメリカ式の中4日とか5日でじゃんじゃん回していったほうが、やりやすいんだね」とメジャー方式の雰囲気が理解できたのはよかったです。

 この間のダルビッシュの「完全試合未遂」でも、さっそく張本さんは「なぜ、完投させない!」と噛み付いてましたが、「完投こそ投手の美学」っていうのもわかるが、私自身はあんまし完投にこだわっていないので、それよりも中継ぎ陣の適度なリズムのほうが大事だと思うし、美学だけじゃ長いシーズン戦えないと思うのだが。

 それは、数年前に我が社が不祥事を起こした時に、役員連中が皆、不眠まではいかないけど、ほぼ不休で対応したために、みんなヘロヘロになってしまい、まともな判断できる上司がいなくなってしまい、「あのー、偉い人達も交代で少しは休まないと」と小声で意見したのだが、「そーゆーわけにはいかないのだ」ときっぱり否定されて、「ああ、日本はこうやって戦争に負けたのだな」とよーくわかりました。

 メジャー式が完璧だとは思いませんが、「チームでやってるんだから、もうちょっと分業してみない?」って時々思うのですが「完投=玉砕こそ美学」な人達とはなかなかうまく意思疎通できなくてね。

 まあ、吉井は、考え方に共感することが多かったが、この本読んで「ああー、こういうことなんだろうな」ってますます共感しました。私が愛する武田勝に関する記述とかね。完全ネコ型なあたりが、羨ましいんだろうね。


4月4日(木)

 明日はエビワカちゃんの次女の小学校の入学式なので、お休みするという話をしていたので「お天気良さそうで良かったじゃない?桜もチビっとだけ残ってるし(笑)」なんて話していたら、部長が「アメリカシロシトリがいるかも」と呟くので、「エビワカさんは、アメリカシロヒトリって言われてもなんだかわかりませんよ!(笑)」

 もちろん20代後半のエビワカちゃんは「アメリカ何?何のこと?」と目をぱちくりしていたのだが、そしたら30代半ばのE嬢も「私だって知りませんよっ!」と言うので「ああ、その世代でも聞き覚えがないかあ・・・」と思ったんだけど、私が「アメリカシロシトリって毛虫でね、桜の木にびっしりついていたのよ昔・・・・」と説明するとE嬢は「そーいや、桜の木に毛虫いましたよね?」と言い出した。

 私もそれで記憶が蘇ってきたのだが、通っていた小学校の校門脇には桜が数本植わっていたのだが、時期になるとまず、路上に黒い小さな粒があって、それが毛虫の糞だったので、それが現れると桜の下を通れなくなった。

 だって、頭上を見上げると、毛虫がミノムシみたいに糸でぶら下がっていたんだもん。

 桜の花が散って、緑の葉が美しくなる桜の下は御用心であった。
 そうそう、だから、私はずっと桜並木の下を通るのを避けていたのだ。というか、糞の痕跡ないか注意していたのだと思う。

 いつのまにか、桜の木を「毛虫の成る木」として警戒しなくなったなあ。猛威をふるったアメリカシロヒトリであるが、いつのまにか地味に同化したのだろうか?と、ネットで調べようとしたら、もれなく毛虫さんの写真付きなので、怖くて調べられませんでした。

 ゴキブリが苦手な人も、こんな感じなんだろうか?
 そう配慮したので、その昔、ペットとして飼っていたゴキブリの写真を載せる時には「写真載せますので、苦手な人はご注意ください」と入念に警告したっけね。

 私が子供の頃、小学館の図鑑が流行り、我が家も何冊か買っていたが(動物図鑑や植物図鑑など)、ある時は「庭で見つける虫が調べられるから」と昆虫図鑑を買ってくれたのだが、蝶の絵の横にはもれなくお子様の絵も載っていて、毛虫が苦手な私も母も「ぎゃーーーーー、これ怖くて開けない」と、困ってしまいました。

 お寿司に「サビ抜き」があるように、昆虫図鑑にも「幼虫抜き」が欲しかったです。

 ネットでも、幼虫画像はフィルタリングしてもらえないかなあ?
 「アメリカシロヒトリ」でググっただけで、けっこう写真出てきてしまうので。

 たまに、「毛虫は苦手だけど、カイコとアゲハの幼虫は大丈夫」という人いましたけど(どっちも教材として使われていたので、ある意味優等生的である)私はどっちも苦手だったので、カイコの飼育とかマジ勘弁してほしかったし、「アゲハの幼虫の観察」もやりたくありませんでした。

 アゲハってサンショの木によくついてなかったっけ?
 近所の幼馴染の家の生垣にサンショが植わっていたので、山椒の芽を時々摘ませていただいたのだが、ときどきアゲハのお子様がコンニチワするので、ドキドキハラハラでした。

 そんな毛虫恐怖症の私ですが、(ゴキは手で掴めるのによ)毛虫を目撃する機会がめっきり少なくなってしまったので、たまに道路を必死に横切るケムケムを目撃すると「ほーー、珍しいなあ、頑張れー」と声援送ってしまいます。

 意外と速いんですよね、奴らは。
 見惚れるくらいにね。

 でも、子供の頃は本気で「蝶は好きだけど、毛虫嫌いだから絶滅させよう」と殺しまくっていたのですが(笑)
 そして、蝶の幼虫よりも、徹底的に憎んでいたのは、巨大な蛾の幼虫でした。これはもう、恐ろしすぎて検索する気にもなりませんが、ここ20年くらい出会った記憶が全く無いので、あれもたまに観たら「ほー、超レアじゃん」って気持ちになるのでしょうか?いやあ、ならないだろうなあ、ダッシュで逃げますね。

 あんなのが台所を横切っていたら絶叫する気持ちはわかるので、自分はゴキブリが平気でよかった。なので、ゴキが出て阿鼻叫喚状態になると、気持ちはわかるので、ささっと退治してあげるのです。
 だって、私がもしも、頭に毛虫が落ちてきてパニクっていたら、毛虫が平気な誰かがササっと冷静にとってくれたら本当に感謝するでしょうから。

 苦手なものも人それぞれなので上手く共存して心地よく生活したいものです。

 さすがに部長が「テントウムシが会社内にいる・・・・」って呟いた時には、それが苦手だとはわからず「そうですね、春ですよねえ」なんて言っちゃいましたけど。


4月3日(水)

 ダルビッシュさんは、あと一人で完全試合を逃したらしい。

 まあ、完全試合なんて、運の要素も大きいから滅多にできるもんじゃないけど、ある程度の実力がなければ「運試し」のスタートラインにも立てないわけで、WBC蹴って調整に励んだ成果が出たのかね?まだ、わかんないけど。

 さて、我らがTK部長は恒例の「季節の替わり目で体調イマイチ」に加え、仕事でちょっと頑張って営業かけたのだが、それが空振りに終わって、本人的には精神的ダメージが大きかったようだが、いつもの体調不良でここ最近はムッツリしていたのに(その営業の準備に集中していたこともあり)、仕事が空振りに終わったので、なにかが壊れたらしく、ふと呟くおやじギャグが妙に冴え渡り、エビワカちゃんがその度にツボにはまって大爆笑していたくらいだ。(エビワカちゃんは、クール系だし、一般常識度が低いので、普段はあまりそういうギャグには反応しなくて、どっちかというと私の反応を伺うタイプなのに)

 今日は、ギャグというよりも、私とマスオさんが「ダル惜しかったねえ」なんて会話していたら、部長が「みんな、ガラケーの意味って知ってた?」

 総務部の皆が「?????」となっていたので、私が堂々と「知ってます」と言うと、「え?ガラって何の略かってことも?」と言うので「ガラパゴスでしょ?もう、ずいぶん前に調べて知ってました」と言うと「ガラパゴスがどういう意味だかも?」

 実は私、ガラケーのことを柄の携帯だと思ってて、丁度そのころ、ソフトバンクがスマップ起用したCMで「いろんな柄の携帯」をアピールしていたので、そう思い込んでいたのだが、そのわりに「ガラケー」って頻繁に耳にしたので「たかが柄入りでそんな固有名称にされても」と思っていた。要するに「デコったケータイ」みたいなもんなのかと思っていたのである。
 その間違いに気がついたのは、知人が「携帯電話を新しくしようとして、だったらスマホかなって思ったんだけど、料金高いし、結局ガラケーにした」と言うので「スマホか、ガラケーかっていう話なの?」と、やっと「柄」じゃないらしいことに気が付いたのである。

 その後も時々、会社での雑談で「ガラケーって何の略だっけ?」なんて話になっていたので、もしかしたら、ガラパゴスの意味をよくわかってない人もいるんじゃないかもと思ったりもしたが、「スマホかガラケーか」という対立図式はほとんどの人がなんとなく馴染んでいるように思えた。

 そして、部長は皆が知ってるのに、自分だけ知らなかったのが悔しかったらしく「なんで、ガラパゴスって・・・・」と呟くので、それは「おめーら、だからってガラパゴスわかってんのか?」って挑発だと思ったから「上手いネーミングですよね、ガラパゴス諸島みたいに閉じたところで独自に進化しちゃったウミガメみたいな、ってことで」と私が言うと、すぐに「ゾウガメだ!」って、きっぱりと突っ込まれた。

 はあ、すいません、間違えました(笑)

 私がガラパゴス関連でよく言い間違えていたというか混同していたのは、部長とアウトドア・ブランドの話をする時で、私はモンベラーズですから「モンベル」はすぐに出てくるのですが、いつも「えーと、あのモンベル系で、ガラパゴスみたいな名前のブランド」と言うと、部長はすぐにわかってくれて「それは、パタゴニア!」

 最近やっとパタゴニアってすぐに言葉に出るようになったのですが、ほんとずっと「ガラパゴスみたいな名前のアウトドア系ブランド」って言っていたのです。まあ、部長だけじゃなくて、多くの人はそれで「もしかして、パタゴニアのこと?」って気がついてくれたので、パタゴニアとガラパゴスってみんなの脳内地図的にはわりとご近所にあるようです。行ったことの無い遠いところという意味で。


4月2日(火)

 エイプリル・フールに日記サボっていたのは、電撃入籍していたわけでもなく(懲りずに言ってる)、酷い腰痛に襲われたからでした。

 ぎっくり腰ってわけでもなく、「骨盤が安定しなくて、鈍い痛み」だったので、たぶん、土曜日に掃除頑張りすぎた後遺症だろう。
 だって、痛くなったのは日曜の朝からだったから。

 日曜日、寝てても座っててても歩いていても痛かったのだが、楽天の勝利を確信した午後3時頃に「何か栄養をつけないと」と商店街に繰り出して、まず肉屋で肉を買っていたら、横から「すいません、ひとつお尋ねしたいのですが、下北沢行きのバスはどこから出ているのでしょう?」という老婦人が現れて肉屋の店員に聞いていた。

 昔からある肉屋で、おじちゃんとおばちゃんと長男で家族経営って感じの店だが、おばちゃんが対応して「今日は、バス来ないんですよ」
 下北沢に通じる茶沢通りは、下北沢行きのバスが頻繁に走っているが、日曜日は三茶付近が歩行者天国になるので、バスは来ないのである。
 でも、その老婦人もとっさに納得できなかったようで「ですから、どこからバスが出ているのでしょう?」と繰り返すが、肉屋のおばちゃんも「バス来ないんですよ」と繰り返すだけだ。

 私はとっさに「この道ずっと200メートルかなあ?もっとかもしれないけど、ずっと行くと歩行者天国が終わって、その先まではバス来てますよ」と言うと、老婦人は「あっちですか?ありがとうございます」と下北沢方向に向かって歩きはじめた。

 私が注文した肉を用意してくれていた若旦那(?)が「そうなんですか?」と不思議そうな顔をするので、「サミットのあたり(代沢十字路)で折り返し運転しているはずなんです」と私が言うと「へー、初めて知った」と言うので、急に不安になった。

 私だって三茶でもう20年くらい暮らしているけど、この肉屋のご一家はもしかすると戦前から暮らしているのかもしれない・・・・・

 でも、なんか、代沢十字路までバス来てたのを観た記憶があるんだけどなあ・・・・
 でも、自分では利用しないので(たいてい歩くから)なんか自信がなくなってきた・・・・・

 と不安を抱えつつも、肉を買った後、八百屋で野菜を買って(そこの八百屋はスーパーよりも野菜の種類が多いし、関東産を並べているのでよく利用している)、「やっぱ、あたし、あのオバサンに嘘教えちゃった?」と頭グルグルしながら帰宅。

 まあ、あそこまで歩いて、通りすがりの人に「下北沢行きのバスがこのあたりから出ていると聞いたのですが?」って聞いてみて、もしバスがなかったら、「歩いても行けますよ?」って教えてもらったかもしれないし、タクシーに乗っても800円くらいだろう。
 どっちにしろ、あのご婦人は下北沢まで行く用事があったのだから、歩行者天国が終わった地点まで行かないとどーしよーもなかったわけで、そりゃ、電車で遠回りする手段もあったけど、それよりも歩いちゃったほうが早かっただろう・・・・あの人にそれだけの脚力があれば・・・・・・

 家に戻ると、楽天は大量得点していたが、それよりもネットでバスのこと調べたら「やっぱ、あそこで折り返し運転してた!!!!!!」

 あー、良かった。やっぱし、あの肉屋一家は、歩行者天国の時にバスを利用することなんて無いから、「日曜日はバスは運休」って思い込んでただけだったのです。

 ああ、でも、よかった、嘘教えてなくて。

 というのが、3月31日のお話で、翌日はエイプリル・フールでした(笑)

 「長島と松井が国民栄誉賞」というが高度なエイプリル・フールねたなのかと思って、パソコンの前でしばらく固まってしまったが、こんなネタはありえないということにすぐに気が付きましたが「なにも、こんな日に発表しなくても・・・・」と会社でボヤきまくりました。

 どなたかが「大鵬、巨人の次には卵焼きにも」と呟いていたが(「国民栄養賞?」というオチ付きで)、国民栄誉賞って、話題的には大きいけど、政府の気まぐれ大衆賞というか、賞金や年金が付随してないので、4月1日発表するくらいで丁度いいのかも。

 えーと、あとなんかあったかな?

 そうそう、昨日はほんと腰痛が辛くて、マスオさんが先に帰る時に「ごめん、金庫(小口現金)締まってくれる?私、腰が痛くて」とお願いしたら、もちろん心よくやってくれたが、今日はそんなことすっかり忘れていたらしく、さっさと帰ってしまった。
 今日はそんなでもなかったから大丈夫だったし、もしダメだったら他の人にお願いすればいいだけだけど、「ちっ、だからおめーは」と思った。
 いや、別にそんなことで私の心を掴まなくてもいいけど、「いい人」なのに「アラフォーで独身」っていうのはそういうところに見え隠れするのではないかと心配しているわけです。って、私に心配されてもねって話ですが。

 そーだ、結婚で思い出したが、先週、エビワカちゃんが「中国人って夫婦別姓が普通なんですか?」と聞いてきたので「あー、たしかにけっこう多かったかも」と思って調べてみたら、わりと最近法整備されいたみたいですね。

 エビワカちゃんの娘さんの小学校の同級生に中国人の子がいて、両親の苗字が違っていたので「んん?なんかややこしいな」と思ったらしいです。(よく保護者会に出てくるお母さんの苗字が、その娘の苗字と違うので、誰のお母さんなのかすぐにわからなかったとか)

 私がふと「日本は未だに夫婦別姓法案通りませんけどね」と呟くと、エビワカちゃんが、「そんなの必要あるんですか?いらないでしょ?」って言うのでびっくりした。

 へー、別姓反対論者は、なかなか頑固だと聞いたことがあるが、こういう盤石な地盤持ってるなら、そりゃー、強気になりますよね。

 さらに「どういう場合に別姓が必要なのか、全然わからない」とまで言われたので、「ううーんと、一人っ子同士の結婚とか?」って言ってみたら、エビワカちゃんちも二人姉妹で、エビワカちゃんはとっくに夫姓になっているが、姉はまだ独身だけど、両親は「うちは本家でもないから、好きに嫁に行っていい」と言ってるのだとか。

 すると、急にE嬢が会話に入ってきて「ああ、うちの姉はとっくに嫁に行って、私しか残ってないけど、まだ独身だからねえ、このままだとE姓が途絶えちゃう」
 E嬢には父の弟である叔父がいるのだが、その叔父も独身だそうで、このままE嬢が独身だったり、嫁に行ったりしたらお家断絶が確実らしい。

 そしたら、S嬢も「あ、うちもヤバいのー」と、S嬢には兄がいるが、その兄も40過ぎて独身で、S嬢も独身だから「このままだと途絶えちゃう(笑)」
 「でも、S姓は、日本でも指折りの姓名だから、少し減っても大勢に影響は・・・」と私が言うと、「ま、そうかもね」

 独身アフラフォー揃いの総務部がそういう話になると、「もー、やーね」って感じになるのだが、エビワカちゃんには、少しだけ「夫婦別姓が必要な人もいるのかもしれないな」ってことがわかってもらえたかしら。

 「別姓なんて、ややこしいじゃないですか」と言っていたけど、日本でも芸能人は別姓で仕事していたりするわけで、そんなにややこしいですかね?
 私は同僚が結婚して苗字が変わったほうが「ややこしい」と思うので、どっちにしてもややこしいんだから、好きに選べばって思うのです。

 それに、自分がもし結婚しても長続きする自信がなく(という若い頃の予想を上回る長続きのしなさのおかげで未だに独身ですが)「もし、結婚しても、最低5年くらいは姓を変えないで済ませたい」と思っていたので、20代後半から30代前半にかけては「夫婦別姓法案が通らないから、私は結婚できない」と転嫁していたのである。

 だって、預金名義とかパスポートとか変更するの、超面倒くさいだろう。
 「でも、みんなやってるんですから」と言われれば、多少は我慢するが、多くの男性がやってないのなら・・・・

 で、それでも頑張って全部変更手続きした頃に「やっぱ離婚」になったら、どこに八つ当たりしていいのかわからないから、「そもそも別姓という選択肢もあった」っていうほうが、たとえそれを選択しなくても、気持的にラクになる、というか・・・・・

 私は「選択肢は多ければ多いほどいい」とは思ってないけど、「ビーフ オア チキン?」程度には選べた方が心地いいと思うので、そりゃ、実際に運用してみたら、別姓選ぶ人は少ないのかもしれないけど、うちみたいなショボい会社でも、結婚後に旧姓のままで名刺作る人の方が多くなっているので、「子供できるまでは戸籍上も別姓でもいいかな」なんて思ってる人けっこういると思うんだけどな。

 まあ、でも、別姓法案を阻止しているのは「そんなことが野放しになったら日本の家庭が崩壊する!」みたいな極端な人達なのかもしれないが、家庭が崩壊するのは法制度とは別の問題だろうけど、そういう極端な人達を支えているのは、エビワカちゃんみたいな善良な市民がボソっと呟く「夫婦別姓なんて必要ないじゃないですか、ややこしいし」っていう一言なんだろうなあ、ってことを実感したってことだけです。

 楽天はマー君先発の開幕戦に勝利しました。
 こんな寒いのに、観戦しに集まったお客さんたちに拍手です。

 ところで、楽天戦中継のハイライトシーンに流れるBGMの同定に皆さん苦心されてるようです。「エレルガーデン?」「いや、モンキーマジックらしい」
 私にはどれも一緒なんで、どーでもーのですが、ニコ生住民がこぞって「これ、誰の曲?」っていうのがメインBGMでいいのでしょうか?



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