可燃物な日々

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日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました

1月13日(金)

●フジロックへの道

 ローゼス再結成だっていうから、今年は何年かぶりに参加するぞと張り切っていたのだが、そしたらT嬢からメールが来て「なんと、レディへも決定です」って・・・・うーむ、もっとのんびり行きたかったのだが、こりゃ、混むぞ?と、年始早々挫けそうになる。

 私、あんましレディへ好きじゃないんだよねえ。なので、コールドプレイもレディへと同じ感じがして、あんま好きじゃないのだが、それはT嬢も同じなのである。T嬢は確か「ああいう壮大な叙情派が苦手」とか言ってたっけ。そりゃ、好きな曲もあるんですが、ライブで観たいと思ったことはないのです。

 なので、自分があまり興味の無い大物に来られても、正直迷惑なのであるが(まだ、同じレディならガガ様だったら大爆笑の上、喜んで受け入れたかもしれない。と実に日本人的なLとRの混同ネタでした)まあ、なんとか宿とチケット確保できればいいんですけどね。

●私ってもしかして怖い人?

 先日、部長が会計事務所に確認してほしいことがあると私に言うので「それ、担当者よりも先生に直接、部長からお話したほうが話早いと思いますよ?」と、たぶん、その話で私が間に入ると、また部長から質問攻めに遭い「だったら直接お話してくださーい」という事態になりそうだったので予防線張ったのだが、部長も先生に直接言うのも気が引けたみたいで「あの担当者じゃダメなの?」と食い下がってきたのである。

 別にダメではないのだが、あの手の個人経営の会計事務所にありがちなことらしいが(前の会社でお願いしていた税理士さんもそうだった)「簿記の勉強してます!税理士を目指してます!」っていう初心者を雇うより、「IT企業で挫折したSEさんを拾う」傾向があるようなのだ。

 イマドキは会計ソフトや電子申告などで、会計事務所はパソコンが無いと仕事にならないけど、税理士先生にはそういうスキルが無いので、サーバの管理やメールの設定とか顧客の会計データの管理とか、そういうのをすでに全部出来る人に会計を教えたほうが早いというか、税理士先生は税務処理は教えることができても、パソコンの扱いは教えることできないからねえ。

 そこの会計事務所のうちの担当者は2名いて、一人はやはりIT関連から転職してきた人で、ちょっと細かくてクドいところはあるが、普通に会話できる人で・・・・てゆーか、普通以上にクドクド食い下がってくるので、長電話になりがちなのだが、2年前に新会社作った時には、その人じゃなくて違う人が担当者になったので「おや、新顔ですか?」と言ったら「いや、前からいたんです」とのことで、今まで接点がなかっただけらしい。

 その人もIT関連出身だと聞いたのだが、ややコミュニケーション能力が低いようで、「細かくてクドいのは、前の人と同じだが、こっちはちょっと暗いな」とは思っていたのだが、でも仕事に支障があるわけでもなかったので、普通にやりとりしていたつもりだったのだが・・・

 最初の1年は電話で時々話していたのだが、ここしばらくは全く電話してくれなくなった。全てメールで済まそうとするのである。

 しかも、質問が5コくらいテンコ盛のメールを寄越したりするので、私はメール書くのが面倒な件は「だから、これはこーゆーわけでして」と電話で説明するのだが、またその後すぐにメールで確認されたりして「これも口頭で説明したほうが早いんだけどなあ」と思って、また私から電話することになるのである。

 私が外出が多いとかならしょーがないのですが、ほとんど会社にいますし、電話頂いて質問されても即答できないことだったら、調べてまた折り返しますし、それに、ほとんど顔を合わせる機会が無いのですから、3回に一度くらい電話してくれたっていいのになあ、って思うけど、うちの会社でも、システム系の社員は「言葉を発したら負け」とばかりに、なんでもメールでやろうとするので「そういうもんかね?」と諦めておりました。

 って、話を部長相手にしていたら、近くの席にいるE嬢がギャハハハと笑い出し「それって、F社の営業担当と私みたいwwっw」

 F社の営業担当者は去年替わったのですが、前任者は長年うちの担当だったので、うちの名誉社員みたいな雰囲気になってましたが(私も休日に一緒に競輪に行ったことがあるくらい。飲み会でもよくご一緒した)、その彼が本社栄転になり、後任が来たのですが、その人がいわゆる「不思議ちゃん系」でして、でも、それを言うなら前任者は「不思議ちゃん」ではなかったですが「のび太系」というのか、いい意味での「いじられ系」でしたから、その後任の不思議ちゃんな担当者も「そのうち馴染むだろう」と思っていたのです。

 ところが、最初の頃は受注書などを前任者と同じように持ってきていたのですが、ここ最近姿を見ないと思っていたら、E嬢によると「連絡は全てメールだし、書類は郵送なのwww、あたし、どんだけ怖がられてる?www」

 E嬢を怖がる理由が思い当たらない。そりゃ、アラフォーの仲間入りをしたばかりですが、まだ「生意気な小娘」の雰囲気のほうが強いので、そりゃ、たまに若気のいたりで業者さんとブツかることもあるけど、「怖い人」ではないよなあ。

 逆に得意先の変な人が、妙にE嬢に絡むケースはあったけど。
 私にはその理由がわからないのだが、どーも、下っ端に八つ当たりする気満々な人にはE嬢は標的になりやすところがあるらしい。

 するってーと「心に歪みの無い人」はE嬢と普通に、いや普通以上にざっくばらんと話せるけど、「いじめっこ」とか「いじめられっこ」は何かがE嬢に感応するのでしょうね。

 というわけで、E嬢と私は「やーね、わたしたち、全然怖くないのにねー」と傷を舐めあっていたのでした。

 ここまでが例によって前フリです。

 今日はHさんがお休みでした。
 朝、電話があって「携帯を落としたのか盗まれたのか、とにかく紛失してしまったので、その届出をするために今日はお休みします」と連絡があったらしい。

 そして、私が朝のメールチェックをすると、昨日来ていたのに見落としていたメールがあった。
 Hさんからで「入力終わりました。ご迷惑おかけしてすいませんでした。」とか、なんとか。

 えーと・・・・・

 そう、先日「この表のフォーマット、変えちゃだめじゃん」と突っ返した入力の話なのだが、その指導したのが彼の就業時間間際だったので「じゃあ、明日、ゆっくり直してね」と言ったのである。

 そしたら、昨日の午前中に私がトイレだか給湯室だか喫煙所だか忘れたが、ちょっと席を外して戻ってきたら、机の上にその書類が置いてあったので「ああ、終わったってこと?でも、私が社内にいるんだから、席戻るの待ってから置いてもよかったんじゃ?」って思ったけど、なんかもう面倒になり、こっちも特に何も言葉をかけなかったのである。

 そしたら、今日になって、その書類を私の席に置いた後、「入力終わりました」というメールを書いたことがわかったのである。

 自分の胸の内で処理しようかと思ったが、もうネタにしてしまえと「うわー、私マジやべーかも!」と「こんなメールが来てしまった」と大声で表明すると、E嬢とエビワカ嬢が大爆笑してくれました。

 特にエビワカ嬢は、私が昨日、ほとんど席にいたことをわかっているので「え?昨日の話ですか?」と驚いてた。私が「あたしって、そんな怖いですかね?」とヘコんでいると「忙しいオーラ出まくってたとか?」ってウケてくれたけど、私けっこう気をつけてるつもりなんだけどなあ。

 でも、ここんとこHさんに対して、イラっとしていたことは事実なので「相性悪いのかなあ」としか言いようがない。

 まあ、私の持論といか「お気楽な人生を送るために大切なこと」の一つに「どーしても、相性の悪い人がいて、思い悩んだりすることもあるが、全員と仲良くするのは不可能だし、身の回りに一人や二人、どーしてもウマが合わない人というか、苦手な人がいるのが当たり前」ということリフレインして乗り切ります。

 苦手な人とか、嫌いな人のほうが、人生のスパイスとしては極上品ですしね。

 大学生の頃、よく飲み会で話題に出たのは「みんな大好き!」っていうセリフって実は「みんな大嫌い!」と同じ意味であるという話だった。そーゆー人、時々いましたから。「誰が好き?」とか「誰が苦手?」っていう話になると「みんな好き!」って言う人。

 優等生的返答でもあるんだけど、そういうのでもなく、真面目に「その質問の意味がよくわからないけど、みんないい人だし、好きに決まってる」という返事する人って、要するに他人に全然興味ないようだった。

 さて、Hさんは、ほんとに、なんていうのか、私の理解を超えているあたりが、私とリズムが合わないあたりなんだろうけど、今日の夕方、M嬢が電話をとった後、「Hさんが、携帯電話の届出が完了しましたって、さっき電話あったけど、ケータイ失くしたの?」と私に言うので「ああ、それで今日はお休みだったんだよ」と言うと「ああ・・・そうだったんだ・・・」

 M嬢は午前中は他部署にいたので、その話を知らなかったから、Hさんからの報告を聞いても「はあ?」って感じだったらしい。

 つーか、会社で契約している携帯電話ならまだしも、個人の携帯電話なんだから、いちいちそんな報告してくれても・・・・と、思ったのだが、私が意地悪なだけかと思い、後でエビワカちゃんが戻ってきたときに「さっき、Hさんからそういう電話があったそうです」と教えるとエビワカちゃんも「ぷぷぷぷ」と笑ったあと「ええと、なんていうのか、かわいいですよね?」

 うん、かわいいっちゃ、かわいいが、アラフォー男子のかわゆさってそこか?

 ただ、私がふと気づいたのは、確かに先日も社用携帯を紛失した社員がいて、しかもその社員が「いつ無くなったのかもわからない」とか言うので、担当者のK嬢が「いったい、なんなんだよ」と大声で愚痴言いながら対処していたりしたので、「携帯電話を紛失したら、会社に報告しましょう」と、Hさんとしては憶えてしまったのかね?

 もちろん、「通勤途中で倒れて救急搬送されたので、今日は会社を休みます」って連絡だったら、夕方になって「入院は必要なかったので、大丈夫でした」って事後報告してくれたほうが安心するけど、「個人所有のケータイ失くしたのでその手続で休みます」って連絡の事後報告はせいぜい来週になってからでも充分では?夕方になって「手続き全て終わりました」って会社に電話してくる気持ちが全然わかりません。

 つーか、「ケータイ会社で電話止めて、警察に届出出すのに、こんなに時間かかるもの?」と思ってしまったし。

 まあ、今現在、私とHさんのバイオリズム(死語?つーか久々に思い出した単語だ)は、かなり遠く離れてますね。

 「そういう報告は不要だよ」って教えてあげようかと思いましたが「ああ、またそういう教育的指導すると、怖がられちゃうな」と思ったのでヤメておきます。

 「かまってオーラ」が出ていたように感じたので、それも仕事の内だと思って、私なりにかまっていたつもりでしたが、向こうは怖がってるようだし、私も楽しくないので、しばらく自粛しておきましょう。


1月12日(木)

 日記書いてるのに、なかなかアップしてないなあ。
 なんか書いてても尻切れトンボになっているような気がして、アップする区切りがつかないのである。

 それに、これはここ数年に度々あるのだが「別に自分用に書いているんだから、いっか」とアップする必要性を感じなくなるのだが、たまに「ちゃんとバックアップしておかなないと」って思うので、渋々アップしているようです。

 気持ちの上では充実しているのですけれどもね。
 ここんとこ、インプットを楽しむことが多く、アウトプットが上手くいかない(文章に上手くノレない)ようです。

●人間って太ましい

 今日は久々に会社で、緊急地震速報が鳴りましたが、私は丁度、ファックスを送ろうとして相手のファックス番号入力中だったし、大事な書類だったので「送り間違えは絶対に許されない」と気合入れて番号を打っていたら、ぎゅんぎゅんと電子音が鳴り響いたので「あれ?私なんか変なとこ押した?」ってギョっとしました。

 会社のみんなも、一瞬「なんの音?」と固まった後「わー、地震速報だ!」とドタバタしはじめていた。

 去年、あんだけ世間を騒がせた緊急地震速報の「ぎゅんぎゅん」ですが、最近はとんと鳴らなくなったので、久々に鳴り響いても「この音、なんだったっけ?」って本気で思う、人間の図太さに感心しました。すごいですね、忘却力って。

 幸せを左右するのは「記憶力」よりも断然「忘却力」ですよね。

 加齢のため、自慢の記憶力(どうでもいいことばかり憶えていることが多いが)が衰えてきていることに悲しみを覚えることも多いですけど、忘れちゃうのってこんなにラクなんだ、ってこともけっこうあります。
 ムっとしたり、カっとなったりしても、若い時みたいに引き摺らないのね。
 こりゃラクだわ。そっか、だから、私が何度も同じことで説教しても、平然として翌月に同じことやらかすんだ。ってゆー、「向こうの立場の気分」がやっとわかるようになった。昔は頭で理解してるだけだったんだけど、今は体で理解しているっていう感じです。

●電車の中で久々に泣いた話

 しばらく本が読めなくて(多忙のため眼精疲労らしい)、そのリハビリにまた軽い野球本を読んでいたのですが、その「打撃投手」を読み終わって、また去年から読んでいたSFの短篇集読み始めたら、ディレイニーの「コロナ」が始まった。

 「あれ?この話、知ってる?」とすぐに気がついた。去年読んでいた若島正の「乱視読者のSF講義」で取り上げられていたのである。
 その本の中でも「ふーん、きっと面白いんだろうなあ」と思っていたが、運命のお導きで今さら偶然引当てました。だったら宝くじ当りたいのだが(笑)

 そしたらさ・・・・
 行きの電車の中で号泣しちゃいましたわよ。

 いや、若島正先生が「オールタイムベスト短編」と持ち上げるほどの大傑作って風情でもないし、わりとさらりと書かれた「まあ、ありがちな話」っていうか、口当たり的には「ねずみーらんど泣ける話」みたいな軽さがあるので、スラスラと通勤途中で読んでいたのだが、「乱視読者・・・」でも取り上げられていたセリフでガツンときちゃいました。

 「ファウストの音楽って、とっても、生命の息吹に満ちあふれているのよ!そこにあるのは、こういうふうだったらいいなっていう生。苦しみがないわけじゃないけど、それは控えめで秩序だっていて、形と意味が与えられた苦しみ。それに触れることで、もう大丈夫だっていう気分になってくる。そんな感じ、しない?」

 これだけ読んでいても、どうってことないけど(私も若島センセの記述読んでた時には別にどうってことなかった。まあ、いいセリフだなあ、って程度で)、この読書体験で面白いのは、このセリフを言う少女はテレパスで他人の思考に感応してしまうことで苦しんでいるから「形と意味が与えられた苦しみ」と彼女が言うところがとても切なくて、思わず泣いてしまうのですが、あれ?

 小説の中の架空の人物が「形と意味が無い苦しみ」に苦しんでいるのを読んで、感動している私は、それを「形と意味が与えられた苦しみ」と解釈しているわけで、あれ?

 現実の生活において「控えめで秩序だっていて、形と意味が与えられた苦しみ」なんて、無いわけですよ。
 って、帰りの電車でもう一度読み返してみたら、やっぱり同じ所で泣いてしまったのですが、こうして書いてみるとアホらしいですよね。自分の友人がいきなりそんなこと言い出したら、真剣に心配すると思います。

 こういう短編で読書会すると楽しそうですね。

 なんか、やっぱまとまらないけどいーや。行き帰りの電車の中で流した涙は楽しかったと日記には書いておこう。

 そうそう、さっきも書いた「打撃投手」って本ですが、本の出来としてはイマイチなところもあったのですが、打撃投手のお仕事紹介としては秀逸でした。へー、へー、へーって感じ。

 そして、私は思った。
 「ありゃー、私も、もしかして打撃投手が天職だったのでは?」

 「自分に妙に自信満々だけど、裏方気質も満々」っていうのが打撃投手向きの性格のようで、今現在の私の仕事ぶりをそのまま球場に移行すると、まさに打撃投手でしょう。ストライク入らないと仕事にならないけど、ボール球投げても全然気にしてない感じが。

 打撃投手の最大の壁がイップスらしく、ほとんどの人が最初は「軽く投げるだけのラクな仕事だ」と思うようですが、ちょっとしたことで、普通に投げられなくなるらしい。

 私のシゲル(小林繁)は、敬遠で暴投した珍プレーでも有名ですが、軽く投げるのって実はとっても難しく、それで精神的な要因でフォーム崩すと、ほんと立ち直れなくなるらしい。
 打撃投手はどうしても「打者のリズム」を気にしてしまうので、それで自分のリズムを崩すようだが、成功した打撃投手は自分のリズムに打者が合わせるようにしていたらしい。

 って、あたりも「私だったら、できるじゃん」である。
 私は自分のリズム至上主義者なので、他人に合わせるフリしながらも、絶対に自分のリズムは守ろうとするし。

 私が心がけていることは「急ぎの仕事はすぐにやらない」ということである。
 まあ、ほんとに火急の件だったらしょーがないけど、ほんとに火急のことって実はほとんどなかったりする。多くが「なるべく早くにお願いします」程度のことだ。
 それも、その振込依頼を私が今日やらないと、向こうの会社が倒産するということだったら最優先でやるけど、多くは「私が請求書を隠し持ってしまい、催促の電話が来たので、なるべく早く処理してください」ってだけなのである。

 その程度の「なるべく早くお願いします」に、いちいち最速で対応していると、余裕のある時には充分対応できるが、それやってるとそれが当たり前になり、余裕の無い時の自分を苦しめるから、わざとさっさとやらないのである。

 要するに「ミヤノさんに、急ぎだからと仕事を頼むと、2日後くらいになる」っていう意識を植えつけておけば、すげー忙しくてテンパってる時でも、2日くらいの猶予があれば、気楽に優先順位つけられるので、意外とテンパらないでやれるのである。

 このワタクシの「常に全力投球するのなんてまっぴらごめんです」なマインドって、実に打撃投手向きじゃないですか!

 実戦向け投手は「しびれる場面」が大好きだが、私は大嫌いです。
 ノーアウト満塁の場面で登板とか絶対無理です。

 しびれなくて全然いいから、毎日普通に仕事したいだけなので、ほんと実に打撃投手向きだなあ。なんだ、そんないい仕事があるって若い頃に知っていたら、真剣に目指していたのになあ・・・・・って、打撃投手になるには、まずプロ野球選手にならないといけないらしいので、女子の私には「叶わぬ夢」でしたけど、今度生まれ変わったときには時代が変わってて、プロ野球にも裏方女子がいる時代になってるかもしれないから、がんばろー(何を?)

 はあ、今日もなんだかすっきりしませんが、そろそろアップしてみるかね。

 ええ、明日からも打撃投手みたいな事務仕事がんばりますとも。大事なのはなんでしたっけ?秩序と控えめと?えーっと、もう忘れてるし(笑)


1月11日(水)

 ふー、今日も二件ほど重たい仕事をやるつもりだったのに、なんか他から横槍が入ってしまって、なかなか自分の仕事が進まず、かなり不機嫌になりそうでしたが「忙しくて、焦ってる時ほど、笑顔でのんびりと」と、必死に踏ん張りました。

 でも、私はそんなに出来た人間ではないので、夜は日記さんに黒い愚痴を吐かせていただきます。デトックス?

 ここんとこ、また育成選手のHさんと呼吸が合わなくてねー。って、要するにちょっとイラっとしちゃうんですよ。

 先日、法務局に会社の謄本取りに行ってもらったのだが、暇そうだからお願いしたので、汗だくで戻ってくるのもイマイチ私のハートに届かないどころか逆効果なのであるが、「ああ、ご苦労様」と書類を受け取ろうとすると「それが、取れませんでした!」

 「え?なんで?」と驚いていたら「えーと、なんだかボクもよく意味がわからなかったんですが・・・」と意味不明のことを羅列するので、こっちも全然なんのことかわからなかったのだが、申請書に「登記中」というハンコが押してあったので「あ、そうか、役員変更中だったんだ」と気がついた。(再任だったからすっかり忘れてました。ごめんね)

 いいんだけどさ・・・・・そりゃ、差し戻された申請書を見れば、わかりましたけど、Hさんも当然そのつもりで、役所の人の説明をちゃんと聞いて来ていないことにムっとしてしまった。ガキの使いじゃないんだからさあ・・・用語がわからなければメモをとってくるとか、窓口の人に説明口上を紙に書いてもらうとか・・・・

 それが、「ガキの使い以上のことをヤル気無い人」だったら、それでいいんだけど、「もっと仕事を憶えたい。一般常識も覚えたい」という気持ちは強いみたいなのになあ。

 私が「そういう時は、メモとったら?」って呆れ顔で言うと「ハイ!今度からそうします!」って嬉しそうに言うけど、教育的指導をするとエラい嬉しそうな態度になるのも私にとってはマイナス要因なんだが、まあそれは私の個人的趣味だからいいんだけどさ。

 そんで今日は、ある表への入力をお願いしていたのだが、ちょっとイレギュラーな部分もあったので「これはどうしたらいいでしょう?」と聞かれたので、私なりに説明したつもりだったのだが、入力終わった後に確認してみたら「えええ?表のフォーマットを変えちゃった?」と超びっくりした。

 その部分の入力は初めてだったが、他のシートにはもう2年間ずっと入力してもらっていて「このファイルって、便宜上シートごとに分かれているけど、後で全部くっつけて巨大な一つの表になる」って説明はしていたはずだし、その内の4シートくらいは彼に入力を任せていたので表のフォーマットが全部同じってことはわかっていると思っていたのに・・・・

 そりゃ、私の説明も悪かったとは思うが、まさか「いつも縦方向にだけ増やしていたはずの表」なのに、いきなり横に伸ばすとは、ほんと驚いた。つーか、それやる前に「これでいいんですよね?」って確認してくれないのかねえ?

 この間、マスオさんが頼んでいたある会合の出欠リストでも、マスオさんが要求していたのは「○か×か無印(無回答)」の区別だったのだが、勝手に意味不明のオリジナルな記号を入れていたので、マスオさんも少しイラっとした声で「この記号どういう意味ですか?」と確認していた。
 あれもきっと、例えば「出席だけど代理人が出席」なんてケースはどう入力すればいいのか?って、いちいち確認すればいいだけなのに、なぜかそうしてくれないんだよね。

 そして、もし私が新人だったら「なぜ、出席の返事に代理人の名前が入っていても、それを普通の出席者と区別する必要が無いのですか?」って先輩に確認すると思う。

 もちろん、会合の種類によっても、代理人の扱いは違うだろうけど、そのパターンを学ぶのが勉強じゃん。

 そうやって失敗しながらも「へえ、そうなんですか」と学んでくれる人だったら、こっちも余計なことまで色々教えたくなるけど、そういう吸収力の無い人だと「言われたことだけきっちりとやってくれるだけマシか」と諦めてしまうというか、正直言って、仕事頼むのも面倒になってくる。

 でも、Hさんのヤル気が空回りしない時もあった。
 去年、研修生を受け入れた時に、私は「悪いな」と思いながらも、いつもはHさんにやってもらっているシール貼りの仕事を研修生君にお願いしてしまった。
 そしたら、研修生君のシール貼りの出来が大変美しく、研修生君は「こんだけ時間かかっちゃったのに、キレいだって褒められても」と不満そうだったが「いや、これ全然急ぎじゃないので、スピードよりも美しさが求められていたのですが、予想以上の美しい仕上がり!」と私は大絶賛したのだ。

 その後、Hさんがまた暇そうだったので「そうだ、あの研修生君がやり残した分があったので・・・」とお願いしたのだが、そしたら、いきなり「美しさ」が追求されてました(笑)
 今までは「片手がかなり不自由なので、この程度はしょーがないか」と思って、多少のブサイクさは見逃していたのですが(私の趣味の問題なので仕事上には全く問題ないし)「なんだ、やればできるじゃん」と感激したけど、でもやっぱ「やればできるのに、なんでやらなかったんだろう?」と思ってしまった。

 Hさんも、もう3年目くらいだったっけ?
 新卒社員たちが中堅色を帯びてくる時期である。
 後輩が「これってどうするのですか?」と聞いてくるばかりか、自分に仕事を教えてくれた先輩が「これって、どうやってたっけ?」と逆に聞きにくるような時期である。

 エビワカちゃんが丁度その壁を抜けたあたり。自分の判断にけっこう自信が持てるようになってきた。そうなると、ずっと「全知全能」だと思っていた上司や先輩だって、絶対的な自信持ってやっていたわけではなくて、経験積んだ上で判断してきたってことがわかってくるのだと思う。
 エビワカちゃんも、少し前までは他の社員が「これはどうすれば?」と相談に来ると、私やマスオさんに丸投げしていたけど、だんだん質問パターンがわかってきたので「自分でわかることは自分で答えよう。そうすると、ミヤノさんやマスオさんは仕事に集中できるんだし」ってあたりができるようになってから、グンと伸びたと思います。

 エビワカちゃんではわからなかったことを私が説明していると、前までは「私の仕事じゃない」とばかりに無関心だったのだが、最近は一緒に聞いてくれてるようだし。
 あと、エビワカちゃんの場合は、お子さんが小学校に上がったのも影響してるかも(笑)

 マイペースな長女は、今のところ学校の成績がイマイチなようで、そのことで軽く思い悩んでみたら「あれ?自分もそうじゃん?」って気がついたような気がする。「ちゃんとアピールしないと、わかってもらえないらしい」ということに。  
1月10日(火)

 先週は曜日感覚が狂いっぱなしだった。
 5,6、7日と普通に仕事して、7日の土曜日は仕事が終わってから六本木のビルボードでマシュー・スウィートのライブ。の後、友人と居酒屋で打ち上げ(?)。
 8日の日曜日は他部署の応援仕事。(学生バイトが集まらないので社員がお手伝い)
 で、昨日はやっと休めたんだけど、正月休み明け疲れというのか正月ボケなのにスタートダッシュでドタバタと仕事したので、いつもの倍くらい消耗したのか、一日中ぐったりでした。

 8日が出勤だったので、毎年恒例の「プロ野球 スポーツフェスティバル(ダイワハウス提供)」が観られなかったのだが(いい加減、録画機材買えよな)「きっといつか王子様がゆーちゅーぶに」と違法なものに乙女チックな夢を託したのであるのだが、今年はどうやら監視が厳しくなったようで、番組の予告CMですら削除されていたのだが、やっとAKBオタ様が上げてくれたのを見つけ(AKBも出てるから)たんだけど、ダイジェスト版になってるし(当たり前だが、AKBが出てるコーナーだけだった)・・・・そして、それすらも半日後には削除されていたので「今年はもうダメかも。でも、しばらくしたら出てくるかなあ」と虚しくあれこれ検索していたら、ハンカチ王子ファンがものすごーくわかりにくい題名つけて上げているのを発見!

 おかげで高画質で全編観ることができました。

 いやあ、ダイワハウスのCMって面白いですよねー(CM抜きの動画を観てしまったので、すいません。でも心の中で何度もリプレイしているので許してください。ダイワニャンとダイワワン大好きです!)

 今年のスポフェス(ぷれぜんてっどばい ダイワハウス)は、ここ数年のパターンを変えていたので新鮮でした。

 楽天ファン的には「嶋がパン食い競争みたいな競技でフライングしてイジられた」ってゆーのと「黄金世代の座談会で塩見が喋ったところがオンエアされた」で充分でした。マー君が別格なのはいつものことだし、今年はそれにハンカチ君が絡みましたからねえ。いやー、ハンカチも頑張っていたよ。

 一番おいしいところ持って言ったのが、ヤクルトの畠山だったことも感激でしたし、ロッテ岡田も地味ながらよく見切れていて頑張ってました。

 そして、わたくし的には西武の牧田がカッコ良く目立ったことが何よりも嬉しかったです。

 さーて、野球の話題と言えば、西武のナカジが去年の岩隈さんパターンに陥り「ポスティングでメジャー入り」のはずが、破談になって出戻ってきたりしましたが、もう1月も中旬になりましたし、あっとう間にキャンプ入りですわね。

 「今年こそ、キャンプ見学」と思っているのですが、いざとなるとやっぱし飛行機の予約したりするのが面倒になるのであった。けっこうなお値段しますし。
 だったら、3月にガツンと休みとって、オープン戦鑑賞三昧のほうがいいかなって思ってしまうのであった。

 それに、毎年この時期はほんとにやってもやっても仕事が片付かない状態に陥るので2月後半の休暇の計画を練る気力がないのです。

 いや、気力というか・・・・・・ほんとはわかってるんです。

 私は、国内線の予約を自分でしたことが無いのです。

 なにせ、初めて国内線に乗ったのが30歳過ぎてからでしたからね。それも社員旅行で・・・・

 新幹線もずっと乗ってなかったんだけど、フジロックのために上越新幹線に乗るうちに「新幹線に乗るのと山手線に乗るのと、ほとんど違いは無いのだな」と学習したのはいいけど、上越新幹線に大宮から飛び乗るのには慣れましたが、東海道新幹線はまた別物でして、「名古屋とか神戸に野球見にいきたいなあ」というのはやはり「いつか王子様が」枠になっていたのですが、ビョーキの友人を関西の実家近くまで送っていったら「えー?のぞみってこんな速いの?」とやっと気がついて、その後、一人でゆっくりと関西野球ツアーしてご満悦でしたし「やーだ、これなら広島なんて余裕じゃん」と思ったのですが、また出不精の壁が再構築されてしまったようです。

 そうはいいつつも、日ハム鎌ケ谷球場や、ヤクルト戸田球場には行っているのだから、なんかねー?

 マシュー・スウィートの後の飲み会で、川崎在住の友人T嬢は「幕張は遠い」と言っていたけど、確かに友人T嬢はサマソニの時はいつも幕張のホテルに宿泊しているが、私としては「西武ドームの方が時間かかったりするんだよな」って印象なので、幕張は日帰り圏内なのです。
 海浜幕張駅からマリスタ・・・じゃないけど、元マリスタまでの距離ってちょうどいい散歩になりますし。

 そういや、西武ドームの話がでたら「がんばれタブチ君」の話題になり、「うちらの世代の一部の人にとっては、所沢って聖地だよね」という話で盛り上がった。所沢っていうか、小手指wwwww

 そんで、友人も「リアル広岡達朗」と「いしいひさいちの漫画のキャラの広岡」の区別がつかなくなっているらしい。

 そんな会話していたので、私が「でもさ、私、中学生の時、なぜか毎年ちゃんと映画館で観てたんだよね」と言うと、T嬢も「私もwwwwwww」

 「類は友を呼ぶ」の法則でそうなっているのか、それとも「がんばれタブチ君」がそれだけ当時はメジャーだったのかよくわかりません。

 ただ、ふと思いだしてみれば、毎年一緒に「がんばれタブチ君」の映画を映画館に観に行っていた幼馴染のヨっちゃんは、そーいや、野球にはほとんど興味なかったような?

 ヨっちゃん元気かなあ?
 全然会ってないや。
 ちょっと気難しい子で、というか当時の私はよくヨっちゃんとつるんでいたので、全然そう思ってなかったのだが、うちのママンがあまりヨっちゃんのことを好きじゃなかったのは感じていたので「ふーん?こういうのって大人受けしないんだ?」と漠然と思っていた。

 自分も「あまり大人受けしないんだろうな」と思っていたので、「ふーん?私もこんななのかね?」と思ったっけなあ。
 ただ、私のほうが成績が良かったし、学級委員だったりして、ヨっちゃんより「ステイタス」は高かったのは明らかだったのだが、私は優等生の自分が嫌いだったし、学級委員は面倒なだけで辛かったし、「ヨっちゃんみたいな、気楽な立場のオタク系でいたかった」と羨ましく思っていたのだった。

 ヨっちゃんのお母さんもちょっと浮いてたみたいだしな。

 ヨっちゃんによく似てて、ふっくらとした優しいオバサンだったんだけど、ね。

 よく憶えているのが、うちらが小学校6年生くらいの時、年末の30日くらいにヨっちゃんがうちに遊びに来たのである。当時の小学生であるからして、ノーアポです、もちろん。

 私は、友人が遊びに来たので「ちゃんと相手しなくちゃ」と思ったのだが、ママンが大激怒していて「この忙しい時期に、子供を寄越すなんて!非常識よ!」とブチブチ言っていた。

 たしかに、我が家でも学校が終わってクリスマスも終わると、「さあ、大掃除のお手伝いよ!」というモードになっているので、その時期に「友達と遊んできまーす」という選択肢は全くなかったのに、あっちから来てしまったので、「お客さんはおもてなししないと」ってことになり、今から考えると、自分ちをなぜか追い出されて(どっかに遊びに行ってらっしゃいって?)うちに彷徨いついたヨっちゃんにも大掃除手伝わせればよかっただけだと思うのだが、当時30代前半だったうちのママンにそういう豪胆さを求めてるのも無理な話である。

 ですから、今から思えば、あのヨっちゃんのお母さんにもいろいろ問題があり、私はそれを知るよしもなかったが、ご近所の噂的にはいろいろあったのでしょうね。

 そういや、他人の悪口ネタとして、久々に個人的に盛り上がったのは、日曜日に他部署の応援に行ったときに、子会社の事務担当のK嬢の隣の席になったので、昼食も二人で出かけて雑談していたのだが・・・・

 イニシャルが同じなので、そこの事務担当である私より年齢は下だが、会社での職歴としては先輩のY嬢ということにしておいて、そのY嬢との雑談で話題になったのが、私の天敵であるハイテンションが怖いKさんの話。

 そっちの会社には、総務の契約社員であるCさんを手伝いに派遣したのだが、総務としては「Cさん返してよ」だったし、Cさんも「もう戻りたい」と言っていたので、Y嬢に「Cさん戻してほしいな」と言ってみたところ、「まあ、Cさんも戻りたいだろうから、しょーがないよね」と同意してくれたのだが、「でも、そうなると、またKさんに手伝い頼むっていうのは、ちょっと勘弁」と言うので「え?そんなにダメなの?」

 私はKさんは苦手だったが、実際に同じ仕事をしたことがなかったので、「事務仕事くらいはそこそこやるんだろう」と思っていたのですが、Y嬢によると「請求書の発送で、なぜか全然違う得意先に送付したりして・・・・」と相当困ったミスをやらかす人だったようです。

 そして、「そういうのは重大なミスだから、気をつけてください」と普通に教育的指導すると、「誰だって完璧ではない、だから、私だって完璧ではないのだ!」と歯向かってくるのだとか・・・・

 へー、あのKさんのキャラだと「申し訳ありません、以降、気をつけます」って謝るのかと思ったけど、そうなんだ?
 私を相手にすると、Kさんは私を持ち上げるばかりなので、それは知らんかったと、私が言うと、Y嬢は「たしかに、上司の前だと絶対そういうこと言わないんだよねー」

 ああ、そうそう、上司から「これやって」と言われても、「できません」って絶対に言わなくて、「私はそういうのやった経験がないので全然わかりませんが、教えていただいたらできると思いますけど、どなたに確認すればいいのでしょう?」ってクドクド言ったあげく、「じゃあ、私が教えますからやってね?」と言っても、なんだかクドクドクドクド逃げまくって、結局、私が全部やってあげると「おかげ様で助かりましたー」とか「私ったら、ほんとにダメな人間ですが、皆様にこうして助けていただいてー」とか、感謝の気持ちの表明はいいけど、おめー、最初から自分でヤル気全然ねーだろ?

 すごいと思うのは、最初のうちは「教えていただければできると思います」と上司には「できる私」をアピールするところである。なので、その上司は「Kが自分でやると言うので、教えてやって」と私に依頼が来るし、私も「ああ、これ、見た目はちょっとややこしそうだけど、普通の人だったら出来るし、ましてや優秀なKさんだったら楽勝でしょう」と、普通に教えようとすると、なんだか急にワーワーとよく意味のわからん言い訳メールがドカドカと来るのである。

 意味わかんなくて、三回くらい読み返すのだが、どーも要約すると「上司がミヤノさんに教えてもらってこの仕事しろと言われましたが、私には無理です」ってことらしい。だったら、最初から「私では無理ですので、ミヤノさんにお願いしてください」って言えよと思うのだが・・・

 そんで、もはや今では「Kさんが自分でやるって言ってるけど、無理だろうから、ミヤノさんお願いね」と、ほぼ全員がKさんの「ちゃんと教えていただければ私でもできると思います」っていうのが社交辞令だとわかってスルーしているのに、本人だけがそれに気がついていないという切なさよ。
1月6日(金)

 今日の残業は7時半でギブアップ。すでに疲れが溜まっているようで、頭全然働かないんだもん。
 でも、取り急ぎの仕事は片付けたし、あとは来週以降にまたヒーヒー言いながら時間に追われることでしょう。

 そういや、朝のテレビ(とくだね)を観ていたら大爆笑しちゃった。
 だって、トップニュースが「たべログにやらせ業者が!」だったんだもん。

 そんな大ニュースか?

 でも、「たべログ」を参考にしている人って多いんですね。
 確かに、消息不明のM嬢も、「グルーポン」信者のC嬢も(さすがに、グルーポンへの盲信は解けたようだが)、たべログ大好きだったからなあ。

 C嬢が「三茶で、たべログで凄い評判のいいカフェレストランがあるので、そこに付き合って」と言うので、なかなか予約が取れなかったらしいが、やっと行ってみたら、駅から離れた住宅街の民家を改造したような店で、料理はまあまあでしたが、内装というかテーブルや机がアンティーク趣味過ぎて・・・・

 私らが座ったテーブルは、アンティークの学習机で、引き出しがついてるので、なんか邪魔だし、「食卓用」ではない机なので落ち着かなかったです。料理のレベルはビストロレベルとしては上等だったので、それだったら普通のビストロ風内装の店で食べたいなあ、と思った。

 あと、Cちゃんがマークしていたけど、まだ行ってない店は、私が何度か行ったことのある近所のビストロっていうかフレンチ食堂みたいな店で、そこも一軒家改装系なのですが、あの店はたしかに「いい店」だと思う。
 だって、ファミレスみたいな値段で、手作りフレンチ風の料理が食べられるのだ。ハウスワインをデキャンターで頼んで飲み食いしても、一人3000円くらいだったので、「近所にあるフレンチ居酒屋」としても、家族での外食にしても、使い勝手がいい店だが、わざわざ電車に乗ってまで食べに行く店ではない。

 どちらの店にしても、ご近所の常連客が投稿して高評価を出すので、ランクの上位にいるのだろうけど、だから、遠方の人がわざわざ来ても「がっかり」するとは思うが、そもそも飲食店の評価ってものがねえ?

 M嬢と何度か行ったことのあるエスニック料理店は「インド料理とタイ料理」の店で、怪しさ満点であったが、案の定「インド料理はまあまあだが、インド人コックが作っているタイ料理は注文してはいけない」という店だった。
 でも、その後も何度か行ったのだ。
 だって、空いてて、落ち着いて座れる広々とした席があって、店員がいい加減でほったらかしてくれるから、とことんお喋りしたい時にはとてもいい店だったのである。あと、ビールがジョッキで出てきて安かったのも大きい。(エスニック店だと、ビールが高かったりするが、その店は居酒屋みたいなビールの出し方だったのだ)

 私らは看板まで長居していたけど(歩いて帰れるし)、他の客は「おひとり様」が夕飯食べて帰るって人ばかりで、テーブル席を占領していても、全然問題なくて、ほんと居心地のいい店だった。

 M嬢も、リサーチ好きだったから、札幌に行く前には「たべログ」に相当ハマっていたようで、行きの飛行機でずっとその話をされたのだが、ラーメン屋やスープカレー屋や回転寿司屋などの評価を漁ったあげく、M嬢が出した結論は「店の好みって人によって分かれる」という、とても当たり前のことで、例えばラーメン屋だと、ファミリー向けにサービスする店(子供用の椅子が用意されていたり、子供用の取り皿を当たり前のように出してきたり、ミニサイズがあったり)はファミリーには高評価だが、ラーメン通の独身男性には全く評価されないのである。

 もう無い店だが、私は下北沢にあった熊本ラーメン屋が大好きで、よく食べていたのだが、あそこの店もネットでの評価だと「あれは、熊本ラーメンではない」という意見が多かったが、私は本当の熊本ラーメンを知らないけど、あそこのラーメンは美味しかったんだけどな?

 私が愛する桂花ラーメンにしたって、あの味が好きではない人も大勢いるだろう。

 まあ、ラーメンなんてほんと好みがあるので、行列が出来る店でも、食べてみないとわからない。
 で、結局さ、自分がいいと思う店に、年に数回くらいしか行かないけど、その店がずっとあるということが幸せなのである。つーか、そういう店に久々に行こうとしたら、閉店していた時のショックときたら・・・・・

 明日も出勤なのだが、夜は六本木にライブを見に行くので、「明後日も仕事だけど、ライブがひけた後、友人と一杯ひっかける時間はあるな」と思って、さっき軽くリサーチしてみたら、私が昔愛用していた店が、全然残ってないし・・・・

 特にショックだったのは、六本木勤務時代に「昼食ローテ」に入っていた防衛庁のお向かい(今風に言うとミッドタウンのお向かい、です)のビルの中にあったインド料理屋が無い!

 あの店、「ミヤノ家御用達」でもあったのにーーーーー!

 ほんと、美味しかったので、家族で行ったことが何回かあったのだ。祖父が無くなる前に、病院へのお見舞いで久々に兄弟揃った時には「六本木までけっこう歩くけど、あそこのインド料理屋で食べてから帰ろう」って寄ったっけな。

 私の六本木ランチローテで、未だに生き残ってるのって、モティくらいなのかね?

 そう考えると、もう20年前の六本木のランチ、それなりのお値段もしたけど、ほんと、美味しかったよなー。

 エスニック老舗だった「ブンガワンソロ」のインドネシア風、なんでもぶっかけ飯。(焼き鳥とかビーフンなどが盛られていた)
 あそこの「インドネシア風コーヒー」は、話のネタだし、それに、ターメリックたっぷりの黄色いスープは大好きだった。

 青山ブックセンター並びの「香妃苑」だったっけ「こーひーえん」って名前の中華料理店の「トリそば」は、土鍋みたいなので出てきて、みんなでつつくのだが、最初の1、2杯はそのまま食べて、次はお酢を数滴垂らすと、鶏肉の獣臭さが消えて、また違う味わいになって美味しかったなあ。一人1200円くらいしたけど、仕事が忙しくて疲れていたり、風邪気味だったりすると上司が連れて行ってくれて奢ってくれました。

 裏通り入った墓場のとなりにあったタイ料理屋にも、月イチくらいで行ったなあ。グリーンカレーがほんと美味しかった。

 そうそう、「香妃苑」は業界でも有名店でしたけど、そのお向かいの明治屋の上にあった、「四川飯店」はよく社長に連れていってもらいました。麻婆豆腐超うまかった。私は食べるのが遅かったので、みんなが「もうお腹いっぱい」とお茶を飲んでいる中、一人でいつまでもご飯の上に麻婆豆腐載せて食べていたっけ。

 ううう、亡くなった人の思い出話してるみたいに切なくなってきた。

 芋洗坂の途中に、北海道居酒屋みたいな店がありまして、店名は忘れたが、そこのランチの「イクラ丼」が絶品で、そこも1200円くらいだったと思うが、月イチか月2くらいのローテでしたね。

 あと、やはり芋洗坂の途中に小さな北欧レストランがあって、そこのチーズオムレツにはみんな夢中でした。夜はそこそこの値段したんだけど、先輩たちがCM制作費から捻出してくれて、時々ごちそうしてくれたっけ。なんかの肉のピカタみたいなのも美味しかったなあ。

 あ、そうだ、思い出は芋づる式で、大御所を思い出した!
 会社の隣に「羽衣」っていう中華屋があったのですが、そこがよく雑誌などで紹介される店で、一番人気はワンタンだったか餃子だったのですが、うちの社員はほぼ毎日のように、その隣の店に昼食を食べに行っていて、「我が社の社員食堂」と呼ばれていました。うん、何頼んでも普通に美味しかったです。あの店も「電車乗って、わざわざ食べに行く店」ではなかったけど、会社の隣にあったら「毎日行っても飽きない店」として重宝いたしました。

 あの店がなぜか閉店したときには、心底がっかりしたもんなあ。

 あと、どこがあったかなあ?六本木で好きだった店。

 防衛庁お向かいのラーメン屋「天鳳」は、まだありますよね?

 あー、そうだ、ハードロック・カフェのランチもけっこう通ったなあ。ブルーチーズのドレッシングが好きだったし、スープにクラッカートッピングするのも感激でした。

 私が六本木勤務していた20年前は、バブル時代だったし、私も業界人の端くれでしたし、みんな「美味しい店を新規開拓」に意欲満々でしたからねえ。

 もう大御所の脚本家さんのお爺ちゃんたちは、馴染みの店を確保してましたが、当時40代のプロデューサーさん達は、「接待用にいい店探してるんだけど、あの店どうかな?」って、ロケハンによく連れていってくれました。事務方への配慮もありーの。

 でも、そうやって「お試し」で連れていかれた店って、ハズれないのですよね。あの業界でそれなりに出世した彼らの嗅覚は凄かった。

 今でも憶えているのが、その上司が「西麻布の裏道に、こじんまりした、カウンターしかないフレンチがあるんだけど、リサーチ付き合って」っと一緒に行ってみたら、20代半ばの小娘だった私は、前菜のサラダでノックアウトされてしまいました。

 店主とういかシェフに「なに、この野菜、まじヤバいっす」という意味のことを当時のギャル言葉で大絶賛してみたところ、やはり契約農家から取り寄せた野菜らしい。

 ほんと、どの料理も素材重視で美味しかったんですけど、そこの店主はそれをさらりと嫌味なく自慢できる人だったようで、オジサンに連れられた愛人みたいな田舎者の私が「わー、おいしー、おいしー」と大絶賛するのをニコニコ見守りながらも、さりげなく素材自慢していたので、上司は「ここは使える店だ」と判断して、その後、食にうるさい大物芸能人を連れていっても大満足されたようです。
 あそこはほんとにいい店だった。客が「きゃー、おいしいー!」ってノってくると、シェフ店長も張り切って「じゃあ、これはどうだ!」って、さらに美味しいの出してくれる感じが。

 今考えると、かなり贅沢させていただいたなあ。
 ほんと、感謝しております。
 小娘の私が「フグ?フグなんて食べたことありません」と正直に言うと、「それはいかん」と脚本家のオジサマがさっそく馴染みの店を予約してくれて、「ほーら、これがヒレ酒だぞ!」って、生まれて初めて飲んだヒレ酒、「なにこれ?」ってくらい美味しくて、自分がオバサンになってみてわかるのだが、若者が無邪気に「なにこれ、超おいしー」って笑顔になるのを眺めるのって、美味しいんでしょうね。

 あの先生は、私にフグを伝授してくれましたが、その後も「ハモ?なんですかそれ?」と言ったら、「それはいかん」と西麻布の名店に連れていってくれまして、土鍋で炊いたハモご飯なんて、あれから一度も観たことがありません。

 ああ、麗しのバブル時代。

 書いていても遠い目になります。

 私にごちそうしてくれたオジサマたちはご健在なのでしょうか?
 もし、鬼籍に入られていても、こーして、私に「あのオジサンがごちそうしてくたご飯、美味しかったな」と、思い出すことが供養かと(笑)

 あー、そっか、あの当時はほんとにクチコミというか、みんなで必死に開拓した店っていうのがあったので、だから私は「たべログで上位だったから」って友達が言うと「それがなにか?」ってゆーか、だって、あーた、そんなシロートのクチコミなんてwww

 貧乏人は「失敗したくないから」ってクチコミを信用するのかもしれないけど、セレブは「店の外観でほぼ目星をつける」し、そもそも、ケチらないから、それなりに「できる店」だと、そういう社用族を絶対に見落とさないので(当時の私みたいな小娘にも、きちんと接客)、つーか、そこそこの地位のある男性が遊びで連れていった若い女子にきちんと接客できる店はやっぱ一流だったな。

 学生時代に、仲間と神田の老舗に行ったことがあったけど、学生さんだとバカにすることなく、きちんと接客してもらって、「あそこはほんと一流だ」とみんなで感動したっけな。

 えっと、何の話でしたっけ?
 「たべログ」の話ね?

 私はあれで店を選んだことはなくて、ただ「行ってみようか」って店を検索したことはありますが、だいたいのメニューとか価格帯を調べるくらいで「評価」は全然気にしていなかった。

 でも、「自分の行ったことある店」の評価は気にしてみたりしましたが、けっこうバラけていたり、私が「いい店」と思っていてもやはり「近所だから行くけど、遠くから来る価値はないかも」ってことで低評価だったりと、そういうもんです。

 そもそも、自分ちの近所にあって、自分は週に一回くらい行ってしまう店に抜群の高評価つけませんって。だって、そんなんで行列できちゃったら、自分が食べられなくなっちゃうじゃん(笑)

 なので「たべログ」での影の高評価っていうのは「自分は近場だから行くけど、遠方から来る店ではない」という評価ではないでしょうか?そーゆー店に「ハズレ」は無い。「アタリ」も無いけど。

 でも、観光地で食べたものには、たいてい「アタリ」って無いんですよね。

 今回のたべログ騒動でも、ターゲットになっていたのは「月島のもんじゃ」らしく、たしかに店がひしめいている、中華街みたいなエリアなので、クチコミを頼りに店を探したいのだろうけど、そもそも、「もんじゃ焼き」という食べ物自体が「ここの店は美味しいけど、ここはダメ」っていうもんじゃないし。


1月5日(木)

 初出勤でございますー。

 昨日は久々に新井君と飲んだのだが、初めて行くメキシコ料理屋でした。
 店に入ると、メキシコ人らしき人たちが数名いて、氷川きよしの「情熱のマリアッチ」の録画を観ていたので「ふーん、メキシコ音楽系だから?ってゆーか、なんちゃってメキシコ音楽だから面白いのかね?」なんて思っていたのですが、後で店の人が「彼らは、紅白で氷川きよしの横で踊っていたんですよ」と説明してくれたので「えーーーー!それはすごい!」

 その後も、後から遅れてきたメンバーが来るたびに、紅白の時の動画が再生されていたので、何度聴いただろう(笑)

 いやー、そりゃ、なにせ紅白に出たんですから、何度でも再生しますわよね。

 メキシコ料理はとても美味しかったです。

 さて、初出勤でありますが、毎年恒例ではありますが、仕事が死ぬほど溜まっているので、さっそく8時まで残業してしまいました。
 でも、去年の10月から始まった新規仕事は、昨日すでにデータが担当部署から届いていたそうで、エビワカちゃんが勝手に進めていてくれたので助かりました。ほんと、入力速いから助かるわ。

 他にも毎月10日に振込しないといけない仕事があって「三連休挟むから、今月は10日は無理かも」と担当者に去年の内に言ったら「少し遅くなっても大丈夫です」って言われていたんだけど、あれも、今日送信できたので、余裕で10日振込できました。

 件数が100件くらいあるんだけど、Hさんが昨年のうちにマスター登録してくれて、今日エビワカちゃんが金額入力してくれたので、「私一人じゃ絶対無理だけど、みんなが助けてくれた」と感謝感激です。

 感謝の気持ちは大切ですよね。
 つーか、心の中で思っているだけでは通じないので、もっとわかりやすく表現したいんですが、私ってシャイな人ですから(笑)

 そーいや、正月の帰省中に母に説教したのだが、ワガママンも60代半ばを過ぎて、緩やかに「オバサン」から「オバーサン」へのメタモルフォーゼの最中でありまして、年々少しづつ「いじわる」になってきているんだけど、それが最も顕著にわかるのが、やっぱり、やっぱり、「嫁への態度」なんですよー。

 しかし、うちの弟の奥さんは、ほんとーに、おっとりと気立てがいい人で、欠点見つけるのが難しい人なので、結婚当初からママンは「自分の友人達は子供が男の子が多いので、集まると嫁の悪口大会になるんだけど、私はそれについていけないから黙っちゃうのよねー」とか言っていた。

 これはいつも私が自信を持って自慢していることであるが、我が家では、姉娘と妹娘がそろって、どーしよーもない部類なので、それを基準にしてしまうと、弟嫁は「輝くばかりのよく教育されたお嬢さん」ってことになるのである。

 まあ、自分ちが息子ばかりだと、女の子に夢を見てしまいがちなので、嫁がその「夢」から少しでも外れていると、「こんなはずじゃなかった」と不平不満に繋がるのかもしれないが、ですから我が家の場合は「娘が二人いても、夢も希望もない」という状態だったのに、いきなり「普通の・・・・いや、普通以上の女の子」が弟の嫁という形で舞い込んできたのである。

 弟嫁の雰囲気は、私の幼馴染のSちゃんに似ている。
 乳児の頃から姉妹のように一緒に遊んでいた私とSちゃんであるが、頭は私のほうが断然よかったけど(うちより裕福だったSちゃんちには、幼児向け学習玩具がいっぱいあったけど、それで遊びながらテキパキと文字などを憶えてしまうのは私だったので、Sちゃんのお母さん目線だと、また違う物語があったのだと思う)、幼少時の私はかなーり捻くれたガキだったので、母はいつも「あんたは、なんでそんな意地悪言うの?Sちゃんみたいに優しくなれないの?」とコボしていたが、当時の私は「優しい」っていう意味が全然わからなかったのである。

 これは、40年後の今になってみれば、ある意味真理でもあると思えるのだが、当時の私は「やさしいって、ボーっとして何も考えてなくて、ただニコニコしてるだけじゃん」って思っていた。

 そうしていると、何がいいのか、さっぱりわからなかったのである。

 ただ、母に「やさしい女の子のところには王子様が迎えにくるのよ」と言われると「うーむ、そうなのか」と真剣に思い悩んだのだが、しかし、私が考えたのは「表面的だけでもいいから優しい子を演じよう」という方向ではなく、「ん?てゆーことは、王子様ってその辺にいるの?じゃあ、どこにいるの?そもそも、王子様って何?」ということだったので、近所でも豪邸というか建築家に設計を頼んだようなデザインがステキな邸宅を見かけると「こういう家に王子様が住んでるのかなあ?」と、しつこく聞いていた記憶がある。

 前にも日記に書いたことがあるが、うちの母はいつも「そんなんじゃ王子様が迎えに来てくれないよ?」と言っていたので「この昭和40年代の日本において、リアルに存在している王子様って何?」と常に悩んでいた私にとって、オランダだかベルギーの王室で皇太子の結婚式があり、それをテレビで観ていたら、頭髪が薄いオッサンみたいな王子様が登場していたので「え・・・・・・?こ、これがリアル王子様なの?あたし、こんな小太りでハゲのおっさんのために、いい子にしなきゃって悩んでいたの?」と幼心にも非常にショックを受けたのである。

 これも前に日記に書いたが、母とネズミーランドに行ったら、母は心底「王子様キャラ」が大好きだということに気がついた。
 私は「いつか王子様が」教育を受けた当時も「王子様」っていうものが何なのかわからなくて困っていたのだが、母にはその当時からきっちり固定された王子様のイメージがあったようだ。
 ネズミーランドのパレードでお姫様と王子様たちにキャーキャーと手を振る母の横で「あいつら、きっと休日は六本木あたりでナンパしまくってますぜ?」と言っていたのだが、「そんなはずはない」と一蹴されてしまいました。

 で、私にはとうとう王子様は現れませんでしたけど、ほんとにネズミーランドにいる王子様みたいのが寄ってきたら飛び蹴りしてましたね。

 いかん、幼少時のトラウマを語ると毎回熱くなってしまいます。

 で、ママンとしては、自分の娘と比較して「ほんと、女の子らしくて」と褒めていたSちゃんみたいな女の子が弟の嫁に来ちゃったわけです。
 悪く言えるわけがない。

 弟嫁の意向で、今回は「一泊はするけど、二泊目はホテル」ってことになっても「そりゃ、たぶん、Mさん(弟嫁)が泊まるの嫌なんだろうけど、でも、Y子(妹)だって、毎回、旦那さんの実家に帰るのあんなに嫌がってるんだからねえ?」って程度の愚痴しか言えません。

 今年も沢山おみやげを持ってきてくれたんだけど、お土産攻撃が弟の趣味なのか(けっこうお土産好きだった。海外旅行に行けば免税店で香水買ってきたりとか)嫁の気配りなのかもよくわからないのです。

 ただ、弟が下戸なのに、いつも酒屋で相談して選んでのであろう、美味しいお酒を持ってきてくれるのだ。
 しかし、ほんとは「お酒の好きなお義父様に」と持ってくるのだろうけど、なぜか母はそれを真っ先に開けずに、保存しておいて、私が訪問すると「これ、Mさんが持ってきてくれたやつ」と私が頂いているのである。

 今年も日本酒と焼酎とスパークリングワインを持ってきてくれていたのに、母はそれを出さなかった。やっと、私や妹が気がついて、弟一家がホテルに移動してから、「こんなものあるじゃん!」って開けたのである。

 弟夫妻が持ってきた酒にたどり着く前には、妹の旦那が持ち込んだ八海山を空けたのだが(ほぼ、二人で。父もけっこうアシストしたかも)、妹旦那はずーずーしいので、「オレが持ってきた酒を!」と、とっとと自分で開けるのだが、弟嫁は来てすぐに台所の隅に「よろしければ」と置いていってしまうので、誰が他の人が気がつくまで放置されてしまうのである。

 なので私は母に説教したのだ。
 「こういう頂き物はご本人がいる前で開けて、おいしいね、とみんなで頂くのが礼儀であろう。ましてや、嫁が持ってきたものなんだし、なんで放置しておくの?」と。

 そしたら、うちのママンったら、シレっとして「だって、私は食事の支度やらでテンパってたんだもん、忘れちゃったのよー」と開き直っていた。

 そうだね、うちのママンがこういう性格だったから、私も「やさしい、いい子」じゃなかったんだよね。王子様なんて一生迎えにこねーよな。うん。すごい納得した。

 弟一家がいない時に空けた、弟夫妻が持ってきてくれた酒は、私と父と妹(授乳してるのにいいのか?)と妹夫であっという間に2本空けて、残りの焼酎は私が持って帰ったが、えーと、もう、ほとんど飲みきりました(笑)

 うん、母の態度はよーくわかったし、来年は私も気をつけます。弟夫妻が持ってきてくれた酒から先に開けようと決意しました。

 でも、私がそんなんでちょっとピリピリしていると、3日の夕方くらいかなあ、私や妹夫妻も早い夕飯食べたらもう帰るって間際になったら、いや、先に妹夫妻が帰って、また老父母と私だけになった頃だったっけ、母がボツリと「ほんと、Sちゃん(弟)のところには、ほんともったいないくらいの人が(嫁に)来てくれたし、Y子(妹)の旦那は、そんな完璧な人ではないにせよ、ほんとうちであんなにくつろいでくれて、ほんとは帰省して戻ったら家でのんびりしたいはずなのに、こうして寄ってくれて・・・うちはほんとに、(子供の配偶者には)恵まれてるわよねえ?」と言うので「そーゆー気持ちはとても大切です」と、ここぞとばかりに「我が家はほんとに恵まれてるんだよ?」と大演説してしまいました。

 ほらー、「小町」なんて読んでいると、「嫁が気に入らない」なんてーの、ほんとなのか作り話なのか知らんが(小町には絶対にプロの釣り職人がいっぱいいると思っているのだが)、「うちの息子はいい子なのに、嫁が最悪」って思ってる人がけっこういることを知りますが、私の友人もリアル小町的な義母に悩まされていた経験談を話してくれてましたので、ああいう鬼義母ってほんとにいるんですよね。

 友人の場合には「うちの息子は三高だったのに、なんでこんな嫁が」とか目の前で言われたそうです。大学時代に知りあって結婚したので、「高学歴」は夫妻で同じっていうのが、まず面白くなかったらしい。

 旧帝大に入学した息子は、そりゃ自慢の息子だったのかもしれませんが、同じ旧帝大クラスの嫁が来ちゃったら、自慢のしようがないですもんね?

 で、さらに、旧帝大卒で誰もが知ってる一流企業に就職した息子が自慢だったのに、嫁が就職してた企業のほうがさらに有名企業だったし・・・・

 でも、笑ってしまったのは、そこのお母さんは「自慢の息子よりも出来がいい嫁」に我慢がならなかったようですが、「うちの子は三高だったのに・・・・」っていうのは、確かに誰もが「ほお」と言うような有名大学を出て、誰もが「ほお」と言うような有名企業に就職して、学歴と収入は申し分なかったとは思うのですが「え?でも身長は普通よりも低くなかった?」

 バブル時代でしたからねえ。
 女子はみんな高いヒールで闊歩していた時代でしたから、その友人の旦那は、ヒール履いたイケイケ女子には身長の低さでひっかからなかったでしょうね。175センチくらいないと、バブル時代はキツかったんすよ。

 私のその友人って、かなりの秀才女子だったのですが、身長が150センチくらいのミニサイズだったので・・・でも、学歴と年収では旦那と同等だったので、そりゃ、向こうのお母さんは面白くなかったでしょうね。

 逆にうちの愚弟が超ラッキーだったのは、学歴と年収は微妙だが、とにかく背丈だけは高かったので、たぶん、弟嫁は165センチ以上はあるので、背丈の釣り合い的には難しかったので、あのバブル時代にうっかり売れ残ってしまったのが、親戚の紹介でお見合いしてみたら「あ、この人と並ぶと、私、小柄に見える」っていうのが大きなポイントだったのかも。

 今でも憶えています。弟の結婚式で軽井沢に行った時のこと。
 私は東京駅で、まだ健在だった祖父母と同居している伯父と新幹線で合流して、軽井沢でお迎えのバスに乗ると、新婦の友人たちも同じバスで、式場の教会に着いたら、そこに新郎新婦が立っており、新婦の友人達が「きゃーーーーー、M、きれーーーーーーーーー!」と絶叫してました。

 弟嫁に会うのはそれが初めてでしたが、ほんと、結婚式場パンフのモデルさんのように、すらりと背が高くて美しいお嫁さんでしたが、それを引き立てていたのが、無駄に身長の高い我が愚弟・・・・・なのに、新婦の友人達が無邪気に「わー、旦那さんが背高いから、映えるねー」と大絶賛で、同じバスに乗っていた愚姉は「Sちゃん、身長だけは高くてよかったねー」と涙ぐみました。

 弟が無駄にデカくても、私にはなんのメリットもなかったので、実家のテレビの前の四畳半の居間に弟が斜めに横たわっていると、なんだかすげー邪魔で目障りだったので、横切るときにわざと踏んづけて「ぐえー」とか言わせたりしていた「デクノボー」でしたが、新婦の友人達が「M、背高いし、スラっとしてるからドレス似合うし、旦那さんがもっと背高いから映えるじゃん」って興奮して口調で言うので、その後ろで「邪魔くさいから、さんざん踏みつけたのですが、愚弟の背の高さが、なにかお役に立てたようで・・・・うるるる」しちゃいました。

 ほんと、いいお嫁さんです。

 私も妹も彼女が大好きなので、母がちょっと意地悪と言うと徹底攻撃するし、妹は「向こうの親にしてみれば、私なんか鬼嫁だよ」と言うので、母も「うちの娘みたいな嫁だったらヤダな」と一瞬だけ反省するようです。だってさ、自分で育てた娘が他所で「えー、それはないでしょ?」ってことを平然とやってるのに、他所から来たお嫁さんは・・・・・

 結婚って大変なのねー

 あたし、絶対、無理無理

 ってKYじゃなくて、空気読みまくりの私は、逆に「しょーもない独身の長女」キャラを演じてしまうので(孫が多少ワガママを言うのが可愛いくらいの、「あたしが長女じゃ」キャラ)、なんかエラく疲れましたが、ママンが嫁に文句言う隙が無いくらいの「実の娘がこれじゃねえ」っていうのやるのも大変なんです。って胸張って言うことでもないのですが、これくらいやらないとママンにはわからないと思うので、私はグータラで頑張りました、と、日記には書いておこう。


1月3日(火)

 あけましておめでとうございます。

 今年のお正月は天候に恵まれたいいお正月でした。(他の地域のことは知りませんが)

 大晦日は老父母と私だけの、久々の寂しいというか「まったりとした年越し」でありました。
 やっと地デジ化した実家のテレビは大画面で二画面同時に観られれたので、パパンが紅白とタケシのスポーツ番組のボクシングの試合を交互に見ていたが、井岡の試合で大爆笑しました。(1ラウンド半ばであっけなくKO勝ち)
 しかし、今年の年末って、やたらとタケシが出てなかったか?あんまし真面目にテレビ観てないのだが、なんかチャンネル回していると、「あれ?またタケシ?」って思ったんだけど、いつもあんなに出てたっけ?

 あんなに出てると「金に困っているのか?」って思ってしまいます。あと、上原(元・巨人)も出すぎだったので、やはり「お金に?」疑惑が・・・・

 行く年来る年を観てから寝たのですが、どうやら弟一家は元旦からやってくるらしい。「あれ?いつもは2日じゃなかったっけ?」と思ったのですが、母がつけてる「10年日記」によると去年も元旦に来ていたそうです。(弟の妻の実家は雪が積もる地域なので正月には帰省しない)

 そして妹一家は、夫の実家が北陸地方なのですが、去年は妹が妊娠中だったので夫だけで帰省したけど、今年は7ヶ月の息子連れて飛行機で帰省していて、2日にこっちに戻ってきて、そのまま羽田から直行する予定らしい。

 皆様、帰省大変ですよね。

 元旦の夕方、弟一家が到着すると、さっきまで静かだった我が家がいきなり小学生女子1名と幼稚園女子2名の喧騒で雰囲気がガラリと・・・

 年々、姦しさがグレードアップしているようです。
 つーか、小学生長女はかなり落ち着いてきて、黙って漫画読んでいたりするのですが、幼稚園双子女子は二人でテンション上げ合うので、ほんと騒がしい。9時頃、そろそろ寝かそうと思って、私が布団に連れていったのですが、寝かしつけスキルの全く無い私は完全にナメられており、どーしていーのかわからないまま、なぜか枕投げ阿鼻叫喚状態に・・・・少し暴れさせれば疲れて寝るだろうと思って静観・・・いや、一緒にはしゃいでいたのですが、疲れて寝そうになったのは私だけでした。

 30分ほど布団の上で大運動会をして「喉乾いた」と居間に戻って給水してから、また布団に戻ってもまた大運動会でまた給水していたら、私も「喉乾いた」とビール飲んでぐったりしていたら、やっとプロ(弟嫁)が登場して、あっさり20分ほどで寝かしつけていました。さすがです。

 その後、老父母も寝てから、私と弟夫妻でしばらく雑談して(姉は日本酒飲みながらで酔っぱらいモード、弟は下戸だが酔っぱらいに負けないハイテンショントーク、それにつられて普段は控えめな弟嫁もけっこう本音トークしていたような微かな記憶があるが、あんま憶えてない。)午前2時頃、床につきましたが、翌朝目覚めてみたら、私は服のまま寝てました(笑)。つーか、ジーパンだけ脱いだつもりが、パンツ(下着)まで一緒に脱いでいて、朝目覚めたらノーパンだったぜ!(最低)

 2日。
 姪っ子達が「鬼ごっこしよう、のんちゃんが鬼ね」と誘ってくれたので「だったら公園でやろう」と外出しましたが、もー、奴らったら、鬼ごっこで鬼役やる気全然ないので、私がひたすら鬼やっていたので、膝の後ろの筋が痛くなるくらい走り回りましたとも。

 私としては、年に一回、正月くらいしか姪っ子達と合わないので、一緒に遊ぶのを楽しみにしておりますし、幼稚園児くらいの子が一番遊んでくれるのは経験的に知っているし、「こういう時間もあとわずか」と全力投球しておりましたが、独身の姉娘としては、少し気を使う意味もあったのです。

 今までは弟のところにしか孫がいなかったので、うちの母はそこに夢中でしたし、双子出産前には上の子をずっと子守していたこともあるので、かなり親密に行き来していたのですが、最近は妹が出産したばかりなので、ミヤノ家の主役はその男児になってしまいました。

 そして、「息子の嫁が産んだ子」よりも、「実の娘が産んだ子」のほうが、気使わないし、妹もあれこれ甘えるし、その温度差は弟嫁も感じていると思いますし、なによりも、地方のそれなりの家育ちの弟嫁には「跡取り」って概念は私なんかよりもずっとあると思うし(ミヤノ家が無さすぎなだけかも)、長男のところに娘3人っていうのは、けっこう気にしてるような気がします。

 そこに、ミヤノ家の跡取りじゃないけど、うちの妹が夫の家にしてみれば「跡取りの男子」を産んだし、うちのママンも育児をかなり手伝っているしで、まあ高貴な某家に例えてみれば弟嫁が雅子様で・・・・っていう空気を勝手に感じてしまったバカ姉としては、王子が登場する前に、姫様達と全力で遊ぶのが勤めかと・・・・

 しかし、私の遊び方って乱暴だし、言葉使いも悪いので「私が本気だすと教育上よろしくないのでは?」という気配りはしていたのですが、幼稚園年中組で人間語がかなり堪能になった双子に久々に会って驚いたのは、女子なのに、しっかり「シモネタ期」だったのです。
 弟嫁も「長女はそうじゃなかったのに」と苦笑してましたが、双子ったらもう、「おならプーーーーーー」連発で(笑)、あと、「おっぱいタッチ」とかもするのです。

 ママが必死に「エッチなこと、ダメでしょー!」と言っていても、全然聞きません。

 ママはちょっと恥ずかしそうでしたが、私はこういうのなぜか慣れてますから(笑)。だって、あんたの旦那が幼稚園の頃はもっと酷かったですぜ?

 おかげで私も「人んちのお子様だし、行儀良く接しないといけないわね」と遠慮することなく、素で一緒に遊べました。

 小3の長女は、少し前は「なぞなぞ」が大好きだったのに、今年は「私は科学問題ならなんでも解けるから問題出して」とか言いやがるので、年末にやっていた「超難問クイズ大会」(京大医学部と東大医学部の学生さんが決勝で対戦していた)を思い出し、「じゃあ、アスピリンの化学式は?」って言ってやったら「そーゆーのじゃなくて!」っていうので、「じゃあ、どーゆーのよ!」ってマジで言い合いしていたら、うちのパパンが「じゃあ、惑星を大きい順に並べてください」という問題出したら、どうやら天文学には自信があるようで「えっと、木星と・・・・木星と・・・・土星?」とかしらばく考えていた。

 しっかし、大変心配なことに、どうやら弟のとこの長女は、容姿が祖母(ワガママン)にクリソツなのだが、性格もそうらしく、それって、ワガママン→我が弟に似てるってことで、母は自分に一番似ている弟といつもネチネチ言い合いしているのですが、弟も自分の娘にネチネチと屁理屈説教するのです。

 私やパパンは、あのネチネチ一族を適当にスルーできるのですが、ネチネチ一族は絶対に同族を許さないんですよね。
 まだ、姪っ子N嬢はそこまでの教養がないので、パパに叱られるとツーンとしてますが、あれでもう少し会話能力が上がると・・・・3年後くらいには、祖母、長男、孫娘の似たもの同士三人による、もの凄く不毛でネチっこい屁理屈合戦が繰り広げられそうで、とても楽しみです。

 あと、一卵性の双子の性格がずいぶん分かれてきたようです。
 Mちゃんは活発で運動神経が良く、発音もしっかりしてきましたが、Yちゃんのほうは運動神経が悪く滑舌も悪く、行動もマイペースで、なにかに集中すると没頭する感じみたい。

 それでも、2日の夕方に妹夫妻が到着すると、姪っ子たちが、赤ちゃんを可愛がる様子がほんと可愛かった。

 赤ちゃんを前にして興奮しすぎだろ、と思ったのですが、妹夫婦によると、そっちの実家にいた妹旦那の弟の子達がもっとハイテンションで、それにびっくりして赤ちゃんはビービー泣いていたらしいのですが、こっちの娘三人のハイテンションは「普通」だったらしく、授乳の最中にずっと横で幼稚園児が飛び跳ねていても、赤ちゃんは平然としていたらしいです。あまりにドシドシ飛び跳ねているので、邪魔になっているのではないかと様子見に別室に行ったのですが、妹が平然としていたし、妹夫も平然と昼寝していました。

 北陸の夫実家にいたときには、赤ちゃんが全然ウンチしなくて「初めての便秘かも」と妹が心配していたのですが、こっちの実家に戻って、妹がリラックスしたのも大きいと思いますが、赤ちゃんも出産後1ヶ月はこの家で過ごしたのを憶えているのか、女性だとこういう経験ある人多いと思いますが「旅先や親戚宅で全然出なくて」と気にしていんだけど、自宅に帰ったとたんにドドドっと・・・・っていう現象と同じで、乳児のTちゃんは、それから1時間おきぐらいに、ドバドバと、オシメからあふれるくらい出しまくってました。

 2日は妹夫妻が来るのを知っていたので、弟夫妻は近隣のホテルに退避してしまいました(笑)
 母は「みんな泊まれるよう準備していたのに」と愚痴っていましたが、嫁としては「ご迷惑でしょうし、自分も落ち着かないし」というところでしょう。
 それに、ミヤノ家としては、妹が「夫の実家になんてほんとは行きたくない!」って大きな声で豪語しているし、ママンにしたって、姑との同居で苦労した人ですから、弟嫁がそんな素振りを全く見せなくても「夫の実家にはできるだけ行きたくない」って本音を絶対に抱えているのは承知しておりますが、わかっているからって、素直に納得し難いところはあるのですが、何度も「そりゃ、そうよね、私だって・・・・」っていう話のループ(声に出して自分で納得しようとする過程)に「ほんと、来てくれるだけで嬉しいよねー、ほんと大変だよねー」って声に出して昇華させないといけないので、けっこう疲れますが、親のこういう「わかってるんだけど、つい言いたくなる不満」をきちんと聞いてあげられる余裕がある(酒瓶抱えてると、なんでも上機嫌で聞いてあげられる)、ほんとは一番しょーがない独身姉の存在って貴重ですよね?ね?

 3日。
 「おねーちゃんも、赤ちゃん抱っこしたいでしょ?」と言われて、ずっと赤ちゃん抱っこしてました。
 たまに、ぐずると、ずっと高い高いしていたので、すでに姪っ子の相手で全身筋肉痛だったのに、もう老姉は慣れない子供の世話でボロボロですが、私が「もう無理、疲れた、腰が痛い」とヘバっているのを観ると、子育て真っ盛りの人たちは深い満足感を得るようなので、がんばりました。

 甥っ子Tちゃんは、初めての飛行機では平然としていたらしい。
 どうなるのかわからなかったので、周囲に子連れが多い席を選んだらしいが、他の子が泣き叫ぶ中、こっちは安泰だったので、ラクだったみたい。

 私はそういう苦労してないけど、たまに会う、姪っ子や甥っ子たちのおかげなのか、公共の場面で泣き叫ぶ子供観ても「おー、泣いてる、泣いてる、もっと泣けー!」ってけっこう寛容なつもりです。

 そんでさ。
 ドドドドっと通りすぎる、孫を抱えた弟一家や妹一家が、そりゃあ派手に砂埃上げて我が実家を通過するのは、ある意味「幸せの光景」でありますし、私の両親もそりゃ大変ではありますが「みんなが来てくれて、大変だけどうれしいのよー」というのは本音でありますが、てゆーことは、もしかして、一番扱いが難しいのは、実は私なのではないか?

 弟嫁にも、実妹にも、実は一番気を使ってもらってるのは、私なのではないか?

 と、思うところはあるが、ねーちゃん、意外とけっこう子供好きなので(不本意ながら)、そうやってみんなに気を使ってもらって、姪っ子相手では、ずっと鬼役でも、甥っ子相手に慣れない「高い、高い」で「やべ、二の腕もうダメだ」という弱音でも、弟や妹は「正月はねーちゃん子供相手に楽しそうでよかった」ってことになっていたのなら、私も嬉しいです。

 子供がキーキー騒げる環境って楽しいですもんね。

 ほんと、超音波で元気もらいました。

 前にもそんなこと書いたけど、そりゃ、友人の子供が私と真剣に遊んでくれると、とても嬉しいのですが、姪っ子や甥っ子は「どっかで見たことある子」というか、やっぱし相手の血統も濃いのですが、こっちが目につくのは「自分の家系の遺伝子」というか、「こーゆー子、いたな」っていう、かつての自分の子供時代を思い出させるような子供が多いので、やっぱ、なんだか別格なんですよね。


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