可燃物な日々

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 日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました

11月15日(土)

 暑くて目が覚めた。
 羽毛布団を蹴り上げて、寝直すが、やっぱ暑い。部屋の温度計を確認すると22度くらいになっていた。さーて、寝てる場合ではない、洗濯しなければ。

●世代ギャップ

 あれ?この話はもう書いたっけ?忘れた。いいや、何度でも書いておこう。書くたびに話大きくなってるかもしれないし。話がだんだん大きくなるのはO型の特徴であるらしいし。

 少し前の話だが、現在非常勤役員となった60うん歳のF氏が、例の事件が報道された日に出勤してきて「小室ヒトシもアレだなあ」と言った。

 わざと?と思ったが、いちおう軽く「コムロ ヒトシじゃないんですが・・・・」とツッコんでみたが、F氏は気がついてないみたいで「あいつも、しょーがないよなあ」と語っていて、周辺にいた20代後半から30代半ばの社員達は「そうですねえ」とテキトーに相づち打ってるだけだったので、しょーがないから「あの〜、コムロテツヤなんですけどお」と言ってみると「だからコムロヒトシだろう?」「いや、ですから、たしかにコムロですが、テツヤなんです」「コムロヒトシじゃないのか?」「テツヤです」

 「そうか、ははははは〜」
 どの段階で間違っていたのかわからなかった。テツヤとヒトシを言い間違えていただけなのか、ヒトシが詐欺容疑で逮捕されたと本気で思っていたのか。

 「それに、小室等なんて、若者は知らないんですから・・・」と言って、若手社員たちに「ねえ?」と問いかけてみると、みんなどう返事していいのかわからんという顔で、私とF氏を遠巻きにしている。

 「ミヤノは小室等、知ってるのか?」
 「まあ、名前だけは・・・・・てゆーか、10年前くらいは、小室哲哉と等を混同っていうネタもそこそこ通用したはずですけどねえ」
 「そっか、今の若いのは知らないのか。ははは、ミヤノはオレなんかと同世代のくくりなんだな」
 「あー・・・・・それには素直に同意しかねますけど、まあ、そうなんでしょうよ」

 実際、30歳前後の人たちよりも、50代、60代の人たちのほうが普通に話が合う。10歳年上の人に「ミヤノさん、年齢詐称してない?ホントはオレと同じ年なんでしょ?」ってよく言われたっけ。

 それからしばらくして、TK部長と雑談してたら「なんか、35歳くらいから下とはすごいギャップ感じるんだけど」って話になった。
 いくつか具体例が上げられたが、部長が一番驚いたのが「30歳男子の部下と会話していて、なぜかカルタ大会の話になったのだが、百人一首の話が全く通じなかった。蝉丸くらいおさえておけよ。あと天智天皇くらいは」だったそうだ。

 自分が中学生のときにも、カルタ大会が開催されて、盛り上がっていたけど、やっていたのは女子ばかりだったし、男子だとねえ。それに学校ごとの取り組みとしてもいろいろあると思うし・・・・と言うと、「でも、それ以外でも、なんか話が通じないこと多いんだよね。ミヤノさんだと全然そういうことないんだけど」

 「あの〜、ですから同い年なんですってば・・・」
 「あれ?そうだったっけ?」
 「何度もそう言ってるじゃないですか〜(笑)、たしか学年違いだったと思うけど」
 「え?そうだっけ?オレ、昭和41年の2月生まれなんだけど?」
 「ああ、早生まれで学年は一つ上ですね、私は9月生まれです」
 「じゃあ、半年くらいしか違わないんだ?」
 「だから、私だと話合うって、当たり前じゃないですか」

 そりゃ、10年くらい前は「ええ?30代なんですか?」ってよく言われたくらい、若く見られていたが、まあ化粧が薄かったり(というか、すっぴんに近い)、服装がいい加減だったりしたので年相応に見えなかったらしいのと、先日亡くなった祖母からの遺伝で、わりと小じわができにく体質らしいし、何よりも、所帯を持っていないので雰囲気的には20代後半と変わらぬ御気楽独身暮らしが所帯染みない空気を醸し出すためなのか、この間も、グループ会社のお嬢と飲んでいたときに、「ところで、ミヤノさんて何歳なんですか?」と不躾な質問をされたが「ええと、42歳ですけど」と言うと、「・・・・・・・」と絶句され「あ、ごめんなさい、タメ口で・・・・」とオロオロされたので、いったい私のこと何歳くらいだと思っていたのだろう、と不思議に思った。

 まあ、40代には見えないらしいが(前にエビワカちゃんにも年齢を教えたら驚かれたことがある)30歳にも見えんだろう。どう考えても35歳くらいが限界でしょ。

 話を戻すと、部長は「35歳くらいに、すごく壁があるような気がする」と言うので、ふと思いつきで「ああ、そのくらいんときが、親と一緒にテレビ観なくなった時代じゃないですか?テレビよりも、ゲームって世代でしょ」

 私が子供のころは、テレビゲームなんてなかったし、テレビも居間に一台あるだけだったので、一家団欒といえば、家族でテレビを囲む時間だった。そんで、テレビに加山雄三が出ていれば、母親が「この人の若いときは、そりゃあ、マッチやトシちゃんよりも凄かったのよ」なんて語り始めるので、自然と昔話が身に付いたもんだし、チャンネル権を握った親と一緒にNHK特集を観ていたりしたので、そもそも情報源といえば、テレビか新聞か雑誌に限られていたので、35歳以上の世代は同じものを観てきたわけだ。

 なので、40代の私と、60代の親の世代は普通に話が通じるが、その下の世代だと「え?」ってことになりがちらしい。

11月14日(金)

●自慢

 昨日は、アラ鍋を食べた♪

 魚のアラじゃないよ(>_<)

 アラっていう魚だよ。
 テレビのグルメ番組で、よく芸能人が食べてるやつだよ(^○^)

 初めて食べたけど、プルプル具合がほんとにプルプルでコラーゲンたっぷりっぽかった^^;

 これで今日は美肌かな?

 ここで本人の顔写真アップ。

 以上、ついつい気になってチェックしてしまう、藤井ブログ風に書いてみました。

 二岡とマイコー中村のトレードで「去年は藤井で、今年は二岡かよ!セ・リーグの問題児ばかり押し付けられてないか?」ってハム・ファンのお怒りごもっともですが、駆け落ちしたカップルや逃亡者はなぜか北に移動するという法則があるようで、そういう意味では北の大地はそういう役割を担う宿命なのでしょうから、我慢して暖かく迎えたってください。

 ワタクシ的には「なんだ、ハムの編成はハーフ収集が趣味だと思っていたのに、マイケル放出かよ」とガッカリしているのですが・・・・

 あと、ハムの投手陣で大流行した卓球キングがマイケルさんらしくて(藤井ブログで知った)、今年のファン感謝祭イベントでは卓球大会するというのに、卓球キング不在じゃなあ。そーか、ファン感で卓球大会するというのに、ハーフで日本人枠のくせに、日本語よう喋らんし(ひらがなは読めるとのことで、ブログのコメントが一瞬ひらがなばかりになったとか)シーズン終了後とっとと祖国に帰る助っ人みたいなマイケルはもういらんということか?

 私が二岡だったら、今頃、卓球の猛練習だ。

●今日は自分でワインディングロードをダッシュした

 いや〜、久々に忙しかった。

 朝からやること満載なことはわかっていたので、順調にダッシュしていたのだが、おかげでテンション上がっちゃって、シラフなのにベラベラと喋りまくる人になっていた。
 涼しげに相手してくれたエビワカちゃんに感謝、つーか、今日はアポナシ客がたてつづいて、接客スペースが満席になり、エビワカちゃんもお茶出しでドタバタしていたので、私のハイテンションと同調してくれたみたい。

 午後になって、「この仕事、5時までに終わらすど、どりゃ〜」と気合いを入れていたとき、目の前で信じられないような癒し系光景が展開されていた。

 昨日から「風邪気味です」とテンション低かったマスオさんは、今日はマスクをしていたのだが、マスクを外すとおもむろに、鼻の穴に・・・・・・(書いていると思い出して横隔膜が痙攣する)・・・・・両方の鼻の穴にグリグリとティッシュを詰めていたのだ。

 ・・・・いくらなんでも、人前でそれはないだろう?と呆然としたが、マスオさんは無表情のままその作業を終えると、マスクでそれを隠したので「まあ、マスクの下なら・・・・」と理解したのだが、すぐに内線がかかってきて、それに受け答えするときにはマスクを外すので「ええ、その件は○○さんに報告してあるので大丈夫です」とか超真面目に会話しているのだが、でも、鼻の穴にティッシュ詰まった顔で真面目に話してる画は、ヤバすぎでしょう?

 笑いこらえていたら涙でてきたので、自分だけではとうてい耐えられなくなり、エビワカちゃんに「マスオさん、強烈すぎるんですが・・・」と訴えると、不思議な顔されたので「顔、観てみ」と言うと、「ぶほっ・・・・・・くくく・・・・・・」

 「ね?あれで普通に仕事の話してるから、面白さ倍増で、とてもじゃないけど耐えられない・・・」とエビワカちゃんにバトンを渡し、私は親会社に書類を届けに逃げてしまった。

 5時からの会議になんとか間に合って、会議が終わったのが6時半。
 あれこれダッシュでやっていたので、机の上が一日で地層になったので、ゆっくりと片付けていたら、一番下に謎の封筒を発見。
 なんだろうと中を見ると「7905円」という、えらく半端な現金が入っていた。

 「私の机の上に、謎の現金がいつのまにか置いてある〜」と絶叫したら、同僚のH氏が「あ、オレです」と名乗りをあげた。
 事由を聞いて納得したけど「でも、ちゃんと封筒にそれを書いておいてよ」と噛み付くと「いや、午前中にそう声かけて置いたので、わかっていたのかな・・・・と」

 全然覚えてなかった。
 普段なら、そこそこ集中してても、周囲の気配には敏感なんだが、今日は一日みっちり集中が必要な局面なのもわかったいたので、ほんとに集中していたのだろう。「わたし、きっと、いっぱいいっぱいだったんだね」と言うと、H氏が「なんかエクセルの表眺めて考え込んでる最中でした」
 ああ、あれか。あの表を元に伝票打っても、なかなか貸借が合わないから、そうとうテンパってたんだろうなあ。

 そんなこんなで、中味の濃い一日だったが、夜になっての書類整理に手間取り、明日出勤すればいいだけだが、絶対に休みたかったので、久々に8時過ぎまで残業したら、久々の「ワーカホリック」状態に陥り、「あと3時間くらいノリノリで仕事できそう」なくらい元気になってきたので「これはヤバい」と仕事したい気分満々を自制して、9時前に上がった。

 それから溯ること8時くらいにTK部長が、とある社員の自宅に電話していた。
 その社員は、鬱で休職中なのである。
 うちの会社もほんと多くなった。現在2名休職中なんである。100人未満の会社なのに。

 しかも、その社員は、鬱というか、失踪中なんである。妻も連絡がとれてない状態らしい。

 部長はその奥様と何度か電話では話しているようだが、今日も現状の確認と「今後どうするか」の話で、かなりぐったりしていた。お察しします。と軽く労ってみたら、部長が私のそばに寄ってきて「オレさあ・・・・」と話始めるので、「私、今、超ハイテンションなんで、他人の話をちゃんと聞いてあげられる自信ないんだけど・・・」と思って構えていたら・・・・

 ああ、電池切れた。つづく・・・・かもしれない。
11月12日(水)

 あまりにも野球のことで頭いっぱいで、その他のことに異常に感心がなかったというか、まさにスルーでした。
 もちろん、仕事も祖母の葬儀(というか送別会みたいでしたけど)も一生懸命やりましたけど、ニュースに関してはほんとに完全スルーだった。

 なので、今さら書くのもこっぱずかしいが小浜市(こう変換されたので、ここままで)が大統領になったんですね。
 いや、蓋をあけてみれば、共和党・・・・の誰だっけ、マケイン氏が勝ってたりして、とけっこうマジで思っていたのです。
 別にマケインを応援していたわけでもないのですが、小浜市もなあ・・・・って。
 その、もやもやした気持ちはなんだろうって、考えもしなかったのですが、今日になって、脳内野球血糖値が少し下がって、少しだけ他のことを考えるようになって、なんとなくわかった。

 できすぎていて、なんか気味悪いというか不安なのだ。

 できすぎというか、小浜市はなんだかキレイすぎる。

 私の中では政治家っていうのは、顔は端正で物腰が柔らかくても、どっかに黒オーラというか、月並みな言葉で言うと「腹黒さ」を感じさせる存在なのだ。てゆーか、そうじゃないと、政治家になんてならんだろう。と言うと、言い過ぎかもしれないが、私の言いたい「腹黒さ」とは、すなわち「悪」ではなく、ええと・・・・

 言葉にするのは難しいけど、とにかく、人っていうか、あらゆる地球上の生き物は腹黒さを持っているはずだ。人間の赤ん坊を観察すると「無邪気」ってことよりも、「こいつは邪気100%でほんとに純粋って意味で、ピュアだ!」と感心することがある。

 そう、極端に悪い人と極端にいい人って、結局同じなんだよね。

 天使と悪魔の元が同じように。(じゃなかったっけ?)

 なので小浜市のルックス良し、演説すばらしい、頭もいいし性格も良さそう、妻や子供も幸せそう、というケチつけどころがないあたりに戸惑っていたのである。よく観察していたわけでもないが、腹黒さが全然見えない。黒いのは肌だけかよ?って。

 しかも、祖母はケニア人で、本人はインドネシアで少年時代を過ごし、黒人白人のハーフで、本人はキリスト教徒だが、親戚はイスラム教徒もいるってあたりも、なんだかSF漫画に出てきそうな救世主みたい。

 そう。
 世界を救うのはこういう人なのかもしれないが、世界を破滅させるのも、たぶんこういう人だって、ずいぶん昔に、ノストラダムス本を暇つぶしというかネタ話仕入れとして読んでいたときに、想像していたタイプの人物が小浜市だったのだ。

 早く「なーんだ、小浜って、イケてるように見えたけど、結局、ただのいけすかないエリート育ちじゃん」と私をホッとさせてほしい。

 ニュースねた、その2

 ニュースで「ばくりょうちょうが・・・」どうのこうのと言っていたけど、「スポーツ・コーナーまだ?」と聞き流していたので、「ばくりょうちょう」をテキトーに「爆料長」と脳内変換していたため、なんか勝手に「爆・料理長」→「ホテルの鉄板焼きでボワっと炎出して肉焼いてくれる、あのどういう意味があるのかわからんが天井に届きそうな細長いコック帽をかぶった料理長」というイメージが固定していたため、今朝になってやっと、問題の本質を理解した・・・・・ような気がする。

 まあ、かなり確信犯的にトボけたオッサンのようだが、政治家は腹黒くないと安心できないし、自衛隊高官はあのくらいじゃないと勤まらないと思ってる私は少数派なんだろうか?

 話がまた野球に傾いて恐縮ですが、内角攻めされて、ブチ切れるふりしないと(ナカジのはフリなのか天然なのかよくわからん)、四番打者なんて勤まらないわけで、そこで「過去の乱闘の反省をふまえて」なんて言ってもしょうがないし、投手の故意かノーコンかって検証しようもないし・・・・・って、ええと何の話でしたっけ?

 そうそう、小坂が楽天にトレードで来るってニュースがあって「小坂ってロッテじゃ?」と思ったんだが、そもそも、名前だけは知っているが、どんな選手だか全然知らない。私はどーせここ2年くらいの「にわか」ですから。

 いや、「にわか」ってゆーか、「ブランクありすぎ」というのか、このオフのワタクシ的最大のニュースは「日ハムの2軍投手コーチに小林繁氏が就任!」なんである。
 すでに、来年も鎌ヶ谷に行く気満々なのだが「それより、西武第二球場で、選手やコーチがその辺うろうろしているところに小林繁がいたら・・・・」と「どーしよ、30年の時を経て、今さらサインとかもらっちゃおうか」どうか、真剣に悩んでいる。

 去年の西武の試合や今年のヤクルトの試合を見に行っても、投手交代のたび「きゃー大ちゃん出てきた〜」と、荒木投手コーチの登場を愉しみにしていたが、2軍のあの環境で小林コーチ間近で観たら、自制できる自信が全くないのであった。
 
 で、話は戻るが「小坂って誰?どうやら守備の上手い人気選手だった(過去形?)らしい」と思って調べてみたら、すぐに発見したのがこれ。
 
   小坂ZONE
 


 なにこれ?

 てゆーか、なにこの眼鏡っ子?(そっちかよ) 

 ヤバいっしょこんなの生で観たら・・・・・
 しかも、3年くらい前は、この小坂ショートと初芝サードという「眼鏡っ子 三遊間」だったのか、ロッテ?

 ファンを魅了する守備の小坂と、「ある意味」ファンを魅了する守備だった初芝の?(初芝はたしか、ファールボール捕球時にベンチに飛び込んでしまった回数の記録を持っているはず)

 今の球場に来るロッテ・ファンは、近隣ファミリー層が主体だし、全体的に「にわか」な感じがするが、ネットで見かけるロッテファンには好感が持てる理由がやっとわかった。これは凄い。西岡がショートって時代の前は、こうだったんですねえ。

 ユーチューブの映像観て、小坂にすっかり心を奪われた。
 今年は巨人でも、ほとんど出番がなかったようだし、来年どの程度活躍してくれるかわからないが、楽天ファンが「ウッチーの完成系」と夢見る気持ちはよーくわかるというか、ほんと、あと数年後にウッチーがこうなってくれたら・・・・・

 それよりも、なによりも、小坂ってリアル好みのタイプですし(笑)

 岩隈さーん、キャーとか言っているけど、あれはベルバラのオスカル様みたいな扱いだし、岸きゅんかわゆす、っていうのもベルバラ魂的にはフェルゼン扱い。(ワタクシ的なベルバラ序列だと、オスカル>アンドレ>>>>>>>>>>>>フェルゼン)

 すでに、鷲ファンの間では「高須殿下と小坂の二遊間、超無表情で萌え〜」と期待は高まってますが、ワタクシ的に注目すべきは小坂の身長168センチでしょう。

 さっそく、友人M嬢からもメールが来ており「なんか金銭トレードでまたちっちゃい内野手とるみたいね。おっさんだけど。なんかもう、ちっちゃくないと物足りない。」

 言葉少ないながらも「ちっちゃいフェチ」心が染みてきます(笑)

 いやあ、これはぜひ、小坂ショート(168センチ)と内村セカンド(163センチ)の夢の「超ちっちゃい二遊間」でしょう。アライバに負けるな!

 いやあ、センターヒットになりそうな打球をちっちゃい二遊間がライバル意識丸出しで奪い合い、結果2ベースとかマジ観てみたいっす。でも、ウッチーはたぶん、あのプレースタイルからも、小坂をかなり意識していると思うので、譲るかな?

 まあとにかく、感動したのが、小坂の腹黒さだ。
 周囲の守備範囲浸食しまくりw
 こういう腹黒さは心地よい。楽天の内村もけっこう、こういう気質を持っているようなので、来年も頑張ってね。

 そして、2年前にアップされたこの映像を観て「わー、このBGM最高だけど、誰の曲だったっけ?」
 けっこうよく耳にした曲だが、誰の曲だかわからない。「ワインディング・ロード」で検索すると、ポール・マッカートニーばっかり引っかかってくるし・・・♪ろん あん わいでぃん ろー ちゃららら・・・・・、あれはもっとスローな曲だ。
 「らんにんぐ おん ざ わいんでぃんぐ ろーど」で検索したら、そっか「ケン ヨコヤマ」でしたか。
 よく耳にした曲だったし、こういう場面でのBGMにもよく使用されたと記憶しているが、今までそれほど「いい曲」と思ったこともなかったが、こういう場面で流されると、いきなり「心のベストテン」の第一位になってしまい、今日はずっと心の中で鳴り響いていたよ。

 いいプロモビデオ見させてもらった。

 この画像をぜひ国木田君に食わせて、辛いときや悲しいときに、そっと観て「勇気を貰いました」とか言ってみたいので、どうすれば画像をとりこめるのか研究中である。

 同じくユーチューブに上がっていた「いい人 小坂」も味わい深い。

 ついでに、初芝さんの癒しプレーも。初芝清 珍プレー特集

 はあ、私、また今日、仕事でちょっとヤなことがあったんですが、忘れましたわ。  
11月10日(月)

 よっしゃ〜、岸のMVPきた〜〜〜!

 昨日の最終戦は、西武先発・西口のまさかの・・・・・というか、やっぱりなグダグダで、まあ、それでもあんなグダグダで2失点で抑えたのは「さすが」と誉めるべきか?

 で、「あーあ、せっかく岸たんが、尊敬する先輩を登板させるために昨日は頑張ったっていうのに」とがっかりしていたら、西武がノーヒットで同点にし、元阪神の平尾で逆転し(デイリースポーツは平尾マンセー記事ばかり書いていて、全国の他球団ファンを呆れさせている)、西口が降板したあと、巨人は追加点を入れられず、西武が優勝。

 松坂が入る前も、松坂がいたときも「西武のエース」と認められていた西口だが、ネタきゃらとしても大人気ちゅーか、ノーノー未遂2度もやってたり、(一度目は9回2アウトまでいったのに・・・っていうのと、二度目は楽天相手に完全試合をしたものの、味方の援護がなく、延長までもつれて延長でヒット打たれて「参考記録」扱いらしい)、日本シリーズで5連敗中だったりしたのである。

 その西口を尊敬する岸が上げてくれたマウンドで、また伝説を作った。
 西口が降板したあと、なぜか地味にノーノーだったのである。石井も星野も涌井もグラマンもヒットを打たれなかったのだ。

 さて、試合後は、岸の胴上げで盛り上がっていた。

 すごいね、これ。こんな胴上げ初めて観た。
 つーか、トランポリンかよってかんじ。

 岸は身長180センチあるが、体重が68キロしかないらしく、軽いからうっかり高く上がっちゃったらしいけど、危ないよなあ。
 ちなみに、180センチ68キロがどれだけ華奢なのかと思って、身長183センチのマスオさんに「失礼ですが、体重はいかほどで?」と聞いてみたら、78キロとのこと。痩せて見えるが「脱ぐとけっこうメタボなんです」と気にしているマスオさんだが、でも、平均よりは痩せていると思うんだけどなあ。

 そんな会話していたら、部長が「68キロ?オレが一番スリムだったころの数字だ」とおっしゃる。今でも、羨ましいほどのスリム体型だが、往時はそんなに痩せてたらしい。てゆーか、部長は身長170センチくらいだから、岸はほんとに痩せてるんだなあ。

 それが、オリンピックのときの、ソフトボールの上野に負けないくらいの「中二日で約240球」投げたわけですから・・・・・

 よしよし。
 これで、全国的な地名度が上がったな。
 けっこう視聴率もよかったらしいし。

 ここまで書いておいて、言い訳するのもなんだが、私は別に岸のファンではありません。

 ただ、友人が「岸はフツーにイケてると思うし、もう少し有名になれば、芸能人嫁を狙えそうだ。ぜひ、エビちゃんクラスをゲットしてほしい」と言っていたので「ほお、そうなんですか」とあっさり洗脳されたのである。

 田中マー君には、大リーグ入りを視野に入れて、英語が堪能でしっかり者の女子アナをあてがいたいと思っているのだが(友人が)、岸はどーでもいーので(仙台っ子なのに、楽天拒否して西武入りしたとか、去年はマー君と新人王争いしたとか)「パ・リーグが注目を集めるために、頑張って、一般ニュースにも取り上げられるような嫁ゲットしてほしい」という構想を抱いていたのだが、ダルと涌井が岸のためにアイドルを紹介してくれるか・・・・

 それに、友人情報によると岸はたいそう地味な性格らしかった。

 このシリーズでの大活躍で、それが本当だということがよーくわかった。
 昨日の最終戦直前に、「今日はベンチ入りしない岸投手のコメントです」とラジオ中継で出てきたのだが、超テンション低い。淡々と「西口さんに出てもらいたかったので頑張りました」と語っていて、同じく出演していた他の選手が「いつも岸は試合以外のときにはテンション低いけど、昨日で燃え尽きたのか、今日は特にひどいです」と弁明(?)していたくらいだ。

 優勝決定後のインタビューでも淡々としてたしなあ。まあ、あれで最大限テンションなんだろう。せっかくの、もてかわスリムの好青年なのに・・・・・
 うちの会社の今年の新入社員も顔はともかくとして、雰囲気がああいうのが多いんだよなあ。なんか、ポーっとしてて、物腰が柔らかくて、ギラギラ感が全くないのだ。
 うちの新人たちがダメなわけじゃなくて、あの世代の特徴なんですかね?

 うーむ、だとすると、ナベQ監督の「ゆとり世代はホメて育てろ」っていう持論を参考にしないといけないのかな。(著書が出る予定らしい)

 でも、誉めるの苦手だから、いいや。(←自分大好きO型人間は迷わない)
11月9日(日)

 日本シリーズおわた。

 昨日は恒例のバーベキュー大会で、私は仕事が忙しかったので、準備要員は免除してもらって、仕事が終わってから参加したのだが、ベイ・ファンの親会社の経理の先輩も来てたので、うちのベイ・ファンのK役員も参加して野球話で盛り上がる。
 工藤の解説、神すぎますとか、鶴岡大活躍じゃないですか、とか。
 横浜ファンの2人は「ホームラン王と首位打者がいるのに、トホホ」というので「うち(楽天)だって、21勝の三冠で沢村賞投手と首位打者いたんですから」とトホホ反撃。

 3人で来年の社員旅行は仙台野球観戦ツアーを盛り込もうと盛り上がった。

 さて、BBQ大会ではいつも、酔っぱらって社員が連れてきたお子様に絡むことにしているのだが、私が大好きな双子の男子がいたけど(心底、双子好き)、タイガーとレオ(どういう字なのか知らんがそういう名前らしい。社員のご子息ではなく、社長んちの主治医のお孫さんなので・・・)は、私に見向きもせず、うちのI取締役の娘2人に「おねーちゃーん」と懐いていた。

 ふ・・・・女子高生と女子大生には負けるわな。つーか、タイガーとレオは弱冠5歳のくせして・・・・・、まあ男なんて、5歳も25歳も35歳も55歳も85歳も一緒か(笑)

 そんで私は、7時を過ぎたころ、日本シリーズの経過が気になって、リビングにあるテレビをつけると、どこからともなく、野球好き社員が集まってきた。

 「わー高橋尚、もう降板で、3回で代打・大道ってw」
 とフツーにっていうか、野球に興味の無い人が「あんたら、その体勢、めちゃフツーに自宅じゃん」って言ったくらいに、それぞれにテレビの前でラクな体勢でビール片手に盛り上がっていたのである。

 私もけっこう酔っぱらっていたので、ブルペンで大沼さんが投げてる映像観て「ああん、今日こそ大沼さん投げるかしら」と独り言言っていたら、横にいた自称・草野球エースに(そいつはずっと「ああ、オレが投げたい」と言っていた。うざい。しかも巨人ファン)「ミヤノさん、大沼が好きなんですか?」と言われたので「あったり前じゃん」と答えたら、周囲に「ミヤノさんったら、大沼ファンなんですって?」と言いふらされた。

 幸いなことに、日本シリーズ観たくて寄ってきた人たちはパ・リーグに普通に疎くて、「大沼好き」の意味がわからなくてスルーだった。(ちゃねらーがバレる)

 そんで、「ぎゃあああ、また岸が出てきた、どんだけ酷使?」とか騒いでいたら、女子高生と女子大生の姉妹が酔っぱらいの父ちゃんを回収して帰ってしまったので、しばらく、がっかりしていたタイガーとレオが「ええと、このオバちゃんも遊んでくれる人じゃなかったっけ?」と思い出したらしく「ねえ、ねえ、ドッヂボールしない?」

 オバちゃんそれどころじゃないんだが・・・・
 つーが世が世なら(?)、タイガーとレオが日本シリーズで対決していたはずなんですけど?タイガーはいいけど、レオは西武応援しろよ、と言ってみたが、当然のことながら全然通じなかったので(少なくとも、こんな名前つけるんだから親は巨人ファンではないだろうし、たぶん野球には興味ないんだろう。ちなみに、興味ある人はこういう写真にこういうコメントつけるらしい)、しょーがないから、別室のリビングで、5歳の双子兄弟とその妹(3歳未満?でも、活発な兄たちと遊んでいるので、かなり身体能力は高い)と、前から人見知りだったけど、なぜか私にだけ懐く某社員の娘5歳の4人を引き連れて、ドッヂボール大会していた。

 私がそれほど子供好きじゃないというか、子供の世話が苦手なのに、けっこう遊んでもらえるのは「酔っぱらって、子供相手になにか勝負すると、マジでやるから」ってあたりなんだろうけど、かな〜りマジにやりましたよ。

 おかげでまた今朝も筋肉痛だった(前にはマジでプロレスごっこやりすぎで、朝起きたらら筋肉痛と痣にびっくりした)

 「ミヤノさんって子供好きなんですね」とか言われることもあるが、子供がどうのというより、酔っぱらっていると小動物を虐待したくなるだけだ。
 で、それを喜んでくれるお子様がけっこういるというだけの話。手加減しないよ、あたしゃ。

 さて、私が1時間ほどたっぷりとドッヂボールの相手して(普通の大人だと10分で飽きるのだが、私は子供がネをあげるまでネバるので最後には子供に嫌われる。子供よりも先に飽きたら負けじゃん、ってどういう哲学ですか?)また日本シリーズ中継に戻ると「・・・・・・なにこの、岸のロングリリーフ・・・・・」

 さて、試合も決まったようだし、帰るかな、と思ったら、酒乱のお嬢が暴れていた。
 そのお嬢は、某グループ会社の社長の一人娘で、最近、親会社に修行に来ているんだが「あれは、なかなかのもんだな(笑)」とオジさんたちに人気があるのだが、どうやら飲むと「思ったこと全部言う」っていうタイプらしい。

 なんとかそのお嬢を回収したいようだったので「あの〜、私が連れて帰りましょうか?」と申し出てみた。
 今日はなんも手伝いしてなかったし(子守りはけっこうしたが)、ここで大物を回収しておけば、GJだろう。

 しかし、その26歳のお嬢は「あたしは、阿部が好き〜〜」と絶叫しているので、「はあ、阿部?どう考えたって、フツーはこの岸タンのほうがイケメンに決まってるだろが〜」と絡んでしまい、さっきまでのんびり野球観戦していた社員たちが笑いながら「いや、ミヤノさん、そういう問題じゃ」と乱闘のときみたいに押さえられてしまった。

 でも、私が「じゃあ、この酒乱の嬢ちゃん送っていきます」と申し出たことで、みんなホッとしたようだ。
 嬢ちゃんに「ブサイク好きなんですか?」って聞いてみると「いえ、私は美少女アニメ大好きですから」と言われても・・・・・まあいいや、とりあえずお前には岸タンはやらん。

 で、タクシーチケットもらって帰宅しようとするが、お嬢が「まだ飲み足りない。おなかすいた」と暴れるのでしょーがないから、三茶で降りて、飲み直した。

 差しでいろいろ語り合ったが、お嬢は高校のときにフランスに留学していて、フランス大好きらしい。
 「元々、自己主張強そうな娘をフランスに逝かすな」と思った。

 で、お嬢が焼き肉食べている間に、私はビール3杯くらい飲みながら、お嬢の酔っぱらいトークを堪能していたのだが、お腹がいっぱいになったら眠くなったようで「わたし、帰る」って子供かよ(笑)

 で、店の前の道路でタクシー拾わせようとしたら「あたし、ちゃんと1人で帰れますから」って送るつもりはさらさらないのだが、見送りくらいはさせてよ、と言おうとしたら「でも、タクシー来るまで一緒にいて」と腕をつかまれた。いいなあ、思ったこと全部口に出せて、人懐っこくて・・・・自分とは正反対の気質にかなり好感度アップ。こういう我がまま嬢王様タイプはほんと大好きなのだ。

 また一緒に飲もうね。でも、私のこと覚えてないかもしれないけど(笑)
11月7日(金)

●君の名は?

 それなりに年をとり、それなりに好奇心旺盛だけど、世の中まだまだ初耳の単語が存在します。
 かなりの専門用語だと、耳する機会が少ないのは当然だけど、例えば医療用具などは、テレビドラマなのでけっこう耳にしていて、それが何をするものかよく知らなくても「コッヘル鉗子」と聞けば・・・って音だけだと「こっへるかんし」ってなんだかわかりませんが、字で読めば「ああ、なんかお医者さんの道具」って想像がつきます。

 女性はわりと工具の名前に疎いけど、六角レンチくらいなら・・・・でも、いきなり「スパナってあったっけ?」と言われると、「スパナってどれ?」と戸惑うかも。あんまし使ったことがないから。

 さて、今日私が初めて出会った「物の名前」とは、・・・・・忘れました。

 でも、その物品の請求書が回ってきて、ちゃんと説明されたから、それがどういうものかは想像がついたのだが、「へえ?あれって、こういう名前だったのか」

 ええと、なんて言ったかなあ?最初に見た衝撃は「ヒンジ」に近かった。
 会社のフロアにあるドアが調子悪かったので修理を御願いしたら、後になって「ヒンジ交換」って書いてあって「ヒンジって何?」と思ったのである。

 そういや、子供のころ「なげし」って言葉を聞いたときにも「なにそれ?」って思ったっけなあ。まあ、ナゲシは「美しい日本語」の仲間なのかもしれないが、「ヒンジ」っていうのは、どういう立場なんだろうか?

 とにかく、今日出会った名称も「○○○」と3文字で、語感的には「ヒンジ」みたいだったが、「かぼす」のほうが近かったかなあ?それとも「てぐす」っぽかったかっけ?

 こりゃ、きっとまた覚えるのに2年はかかるなあ。なにせ「レギンス」とちゃんと言えるようになるまで2年かかったのである。それまでは「ええと、ビンギス(たべっこ動物。というお菓子があった。今もあるかどうか知らん)みたいな名前のスパッツみたいなもん」と言えば、通用したのである。
 だが、あるとき「レギンスっていうのは、レッグからきてるんだ」ということにやっと気がついて、「れ・・・・ぐィンス」と言えるようになった。今だにスラスラと発音できないけど。

 さて、マジに思い出せんなあ、今日のアレ。
 自分で使ったことはないが、よく見るものなのだ。
 いや、待てよ?体育の授業で使ったことあるかもしれない。でも、それを固有名詞で呼んだ記憶が全く無い。
 それに、よく部活で着ているのも見かけたが、そこの部員が「おーい、全員分の○○○を持ってこい!」なんて喋っているのも聞いたことがない。

 なので、あれに名前があることすら気がつかなかったし、知ろうともしなかった。

 アレとは、サッカーでよく使うモノなんだが、サッカー中継には登場しないので、アナウンサーも名前を読み上げてくれないのだ。

 ええと、なんだったっけ?とにかく、カタカナ3文字で何語だかよくわからん語感で、だから「かぼす?」「ひんじ?」「たすぽ?」とか明らかに違うのばかり思い浮かぶのだが、とにかくそんな語感で、なんとなくダサかったのである。

 比較的新しい名称でも「フリース」なんて一発で覚えたのになあ。

 まあいいや。ちょっと休憩して風呂に入ってこよう。

 風呂から上がりましたが、やっぱし思い出せないというか、たぶん、思い出しても、それが正解だともわかならいような・・・・

 ちなみに、我が社のフットサル部の重鎮であるマスオ氏に「へえ、これってアレでしょ?」と聴くと「ああ、たしかにそういう名前ですね」と言っていた。
 しかし、一般的にはどの程度の知名度があるのだろう?「くけ台」(和裁道具)とどっちが有名か世論調査してほしい。
 ちなみに、くけ台とは、くける時に使うのだが、くけるって何ですかと私に聞かないように。ちなみに「わあ、ミヤノさんって、クケるの上手いねえ」って言われても誉められてる気しないよな、きっと。

 そーいやその昔(久々の思い出は芋づる式に)、年末の頃、母に「あれ?お父さんは?」と聞くと「お父さんは、ホームセンターにゴトク買いに行った」と言われ「ゴトクって何?」と聞くと「ああ、やっぱあんたも知らなかった?お父さんも知らなかったのよ」と言われた。

 あれも、普通、あんま壊れないし、五徳について何か語る機会は少ないからねえ。ただのコンロの部品だ。じゃあ、ゴトクの下の受け皿の部分にも何か名前があるのかね?としか言いようがない。ガスコンロメーカーの人は普通に業界用語として名称で呼んでいるとは思うけど。

 さあて、そろそろちゃんと調べようか。

 でも、面白いから、このままにしておこうかな?

 そのうち思い出すかもしれないし、一生思い出さないかもしれない。でも、近所の小学校でやってる少年サッカーのコーチが「じゃあ、こっちは青い○○○で、こっちは赤い○○を着なさい」なんて言っているのを通りすがりに耳して「うおおおおおお!運命の再会!」と喜ぶのかもしれないが、でもたぶん「こっちは青チームで、こっちは赤な」ってしか言わないんだろうな、フツー。だから、私も初耳だったんだと思う。
11月6日(木)

 ほほほほほ。急いで帰宅してテレビにかじりつく幸せよ。

 やっぱ、ヤバいから、衛星放送など導入しないほうがいいのかも。

 でも、テレビつけたら「は?山口?上原はどーした?」
 4回で降板したらしい。石井も、そうだったけど、ベテランは西武ドームの底冷えで立ち上がりがダメなんだろうか?

 それにしても継投早すぎ。ただでさえ酷使されてる中継ぎ陣なのに・・・・・
 條辺・・・・・?(酷使されて20代で引退。四国で修行してから、うどん屋を開業した。2ちゃんの「條辺のうどん屋」スレが3つ目まで立ったのも記憶に新しい)

 さて、そうしたらなぜか西武・中島も途中交代。「もう守備固め?」のはずがない。
 どーしたんだろう?詳細が入ってこない。(後述 右の脇腹を痛めたそうです)

 中島にも、やっと「わしノートの呪い」が効いたのだろうか?(ナカジは天然だから、呪いを受けても気がついてないのかも・・・・との噂だったが)

 巨人の阿部も、今頃効いているのだが。

 結局、「わしノート」から逃れられたのは誰だったんだろう?

 上原は北京行ってから調子上げたけど・・・・って今日言っても説得力無し(笑)
 涌井もそれほど被害を受けてないけど・・・・・って、今KOされた直後にそう言っても説得力無し。

11月5日(水)

 さて、今日はお休み。
 私にはこうして1人で何もせずにボーっとする時間が必要なんである。

 さて、葬儀の合間に聞いた、おもしろ話でも。
 両親が事前に葬儀屋さんと打ち合わせしていたとき、その葬儀屋さんがたいそう話好きで、延々と喋り倒して行ったと母が言っていたが、その横で父が「だって、おかあさんがノリノリで聴くから・・・・」と突っ込み入れてたけど、「あら、へえ〜、そうなの!」とノリノリの母の様子は想像つくし、後で娘に「そんで、あの客は何時間も居座った」と愚痴るのも、長年の付き合いでよくわかってますって。

 で、その母が私に語った「へえ〜」な話とは、「棺に納めるモノ」の話だった。
 たぶん、母が葬儀屋さんに「どういうのもがダメなんでしょう?」とか質問したのかもしれない。
 母は棺桶が花だらけになるのには疑問を感じているらしく「私のときには花なんていいから、大好きな歴史小説詰めてほしいって、前にあんたに御願いしたわよね?」
 「・・・・・聞いてません」
 「あら、あんたに言ったんじゃなかったっけ?まあいいけど、そしたら大量の紙類はダメだって言うのよ」
 「ああ、灰が残るから?」
 「そうなの、そうなんだって!あんた、なんで知ってるの?」

 いや知りませんけど、頭いいから、話の流れで・・・・

 で、葬儀屋さんが「こういうのはほぼOK」と言ったのが「食べ物」だったらしい。それを聞いた母は「え?食べ物を入れているの観たことないんですけど?」

 私も見たことないなあ、食べ物。
 それほど出棺に立ち会ったこともないが・・・・

 亡くなったのが幼い子供だったら、お菓子とか入れるかもしれないけど、そんな辛い葬儀に立ち会ったこともない。
 でも、葬儀屋さんの話だと、食べ物入れるのはよくあることなんだそうだ。
 例えば、病床に伏していて、もう口から食べることが出来ない人が「ああ、寿司が食べたい」と言いつつ亡くなった場合とか、亡くなった人が若い男子だと「あの子は焼き肉が好きだったから」と特上カルビを棺に入れたりとか。

 そういう情況だと、故人の好物入れたくなる気持ちもよくわかる。

 私が死んだときには、スイカでも入れてもらおっかなあ。千疋屋のやつね(笑)

●姉がなにげに野球好きになっていることを知った弟が語り始めた川崎球場の思い出

 弟が川崎球場ファンだったとは知らなかった。
 つーか、弟の行動に興味なかったんで(笑)
 でも、やつはマジにスタジアム好きで、海外旅行に行っても、撮ってきた写真はアメフトやサッカーや野球のスタジアムの写真ばかりだったけど。

   「川崎球場といえば、流しそうめん伝説だしねえ」と言う姉に「オレも外野でマージャンしたことあるよ」と弟。
 あの当時の川崎球場の外野席は、大学生にとって、手近な「自己実現」の場だったよなあ。前にもスポーツ観戦オタの友人T嬢とそんな話になったが「大学のときの飲み会ではよく、川崎球場でどういうパフォーマンスをすれば、プロ野球珍プレーで放送されるかを熱く語り合った」とか。

 で、弟が語る川崎球場の思い出とは「とにかく、内野のヤジが凄くて・・・・てゆーか、100人くらいしかいなくて、そのうち80人は相手チームのファンで、残りの20人くらいがロッテファンなんだけど、今でいう超個人情報ネタがすごくてさ」

 「ねーちゃんネタなん?」(ノムさんは、ねーちゃんネタを銀座で収集して、ささやき戦術したという)
 「いや、その系統じゃなくて、もっとすごくて、たとえば、その選手の隣の家のゴミの出し方が悪くてモメてるとか・・・・」
 「その選手に関係ないじゃん(笑)」
 「関係ないけど、事実だから、選手もびっくりするし、なにより、主審がツボにハマちゃって、それでタイムとったりしてたんだよ」
 「それは凄い」

 弟が愉しみにしていたのは、「審判が笑いのツボにハマってタイム」とか、選手がマジ切れして「うっせー」と反撃する瞬間だったらしい。

 ああ、ねーちゃんもそういうの好き〜
 「この間、日ハムの鎌ヶ谷行ったけど、そんな感じだった」と言ったら「え?鎌ヶ谷行ったの?」「うん、来シーズンはイースタン球場制覇が目標だ」

 弟は船橋在住なので、鎌ヶ谷に行きたいと思っていたようで、嫁に「ねえ、ねえ、ママ、この人、鎌ヶ谷行ったんだって」と言いふらしてた。嫁は笑顔でスルーしていた。

 弟としては、娘がもう少し大きくなったら、マリーンズの試合に連れていきたいんだろう。「この子たち、普通にやれば、ロッテファンになりますから」と言うので「それだけは・・・・」と絶叫しそうになった。

 うちの可愛い姪っ子たちをあの指笛ヒューヒュー応援席に座らせたくない。
 それに、おっとりと品のよい、弟の嫁がうっかり西岡ユニとか着てしまったら・・・・ああ・・・・(妄想力)

 可愛い姪っ子が「おおまちゅー」とか言っていたら・・・・・(妄想力)

 とりあえず弟には「あんた、川崎球場知ってるなら、マリスタに行ったらびっくりするから・・・・」と言うだけにしておいた。幕張じゃなくて、鎌ヶ谷で野球デビューさせてほしい。

 さてと、そろそろ試合開始か。
 今日は岸たん先発ですよね?

 あ・・・パ専スレが無い・・・・(10分後にできました)

 試合終了。岸きゅん完封オメ。
 楽天的には微妙な選手なんだが(生粋の仙台っ子なのに、楽天を避けて西武入り。表沙汰にはなっていないがけっこうな栄養費が支給されてたと思われ)顔がいいので個人的には許す。性格が大人しいとの噂だが、ぜひとも、いい嫁貰ってほしい。
11月4日(火)

 今日は出勤。ぼえ〜ってかんじ。

 三連休は仕事と葬式とライブで埋まり、いつもよりも忙しかったので、ちゃんと休まないと仕事に集中できませんよ。
 明日は無理無理に休みます。
 金庫開かないので迷惑かけるかもしれないが、会社よりも自分が大事さ。
 つーか、経理もイベント仕事に駆り出すリスクは会社に負ってもらうべし。
 わたしのせいじゃないも〜ん。

 さて、やっと、ゆっくりテレビ観戦できた日本シリーズですが、巨人が勝ちました。
 ワタクシ的には、噂の谷中がテレビで観られてうれしかったです。(楽天を戦力外になった投手で、古巣の西武に拾ってもらったんだが、まさかの日シリ登板にパ専スレが・・・

 ちょwww谷中てwwww
 TNNKwwwwwww
 谷中かよwww
 谷中…だと!?
 TNNKキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!
 tnnkキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !!!!!

 と、たいへん盛り上がっていたのがとても嬉しかったです。

 CS放送では、どうやら「わたしのイワクマさん」が解説に呼ばれていたようですが、ほとんど喋らず、実況アナが大変だったようですが、私は地上波で、全選手を余裕で「○○君」呼ばわりする工藤と一緒に観戦してました。(後で岩隈が出ていたのはAMラジオだと知り、ちょっとがっかりしたが、別に喋りに興味ないし・・・と負け惜しみ)

 いいね、工藤。もしかして西武の渡辺監督のことも「渡辺君」呼ばわりできるのでは?(調べてみたけど、渡辺監督43歳。工藤は45歳なのか・・・・・余裕で「渡辺君」って言えますね。西武時代も仲良しだったし)

 もちろん、デーブ大久保のことも「大久保君」呼ばわり可能です。

 工藤をWBCの監督にしませんか?(笑)

 さて、怒濤の週末の話ですが、ええと、これは自分の記録に残しておくべきなんだろうか?

 なんだかすでに、遠い昔の出来事のような・・・・

 一応溯ってみると、役員のご尊父の通夜の手伝いをした翌朝、早朝6時頃、電話が鳴った。電話を予備目覚ましにしているので、「あ、朝か・・・」と目覚めたのだが、でも「あれ?今日は朝はゆっくりのハズなのに、もうそんな時間?」と思いつつ、受話器をとると、やっぱし目覚ましではなく電話らしい。

 深層意識では「これは訃報電話」とわかっていたのだが、体がゆーことを効かず、かろうじて「・・・・・はい?」と答えると、電話の向こうもしばらく無言だったんだが、「・・・・・S太郎ですけど」とかすれた低音の男性の声。寝起きの弟もハキハキと喋れなかったらしい。

 で、こっちも寝起き度では負けてないので、無言で続きを待つと「ええと、おばあさんが今朝亡くなったそうです」とやっと言うので「そうですか」
 「とりあえず、みんなに知らせておけって。お父さんとお母さんは現地に向かったようなので」
 「あっそ。てゆーか、わたし、今日はこれから会社の人の葬儀の手伝いなんだけど(笑)」
 「まあ、とりあえず、詳細はわからないけど、そーゆーことだから。後でまた詳細決まったら連絡するけど、ケータイでいい?」
 「ケータイ死んでるんで・・・・・とりあえず、葬式の手伝いに行ってるから午前中は連絡不能だと伝えておいて」
 「ん・・・・わかった。じゃ」
 「じゃ」

 低血圧の姉弟の連絡網はそんなもんだった。

 そんで、告別式の手伝いに行ったが、そこでふと冷静に考えてみると「他人の葬儀の手伝いしているバヤイではないのでは?」てゆーか、ただでさえ涙もろいのに、他人の出棺とか目の当たりにしたら親族の誰よりも号泣してしまいそうだ。(実際、何年か前、うちの役員の親の葬儀の受付してるとき、先に進行していた見ず知らずの隣の家の出棺ですでに泣いていた。花粉症を装ってごまかしたけど・・・・)やばい。と思って、上司に「あの〜、今朝、うちの祖母が亡くなったので」と言って、途中でとんずらさせてもらった。

 早退して、家に戻り、実家に帰った。
 電話で葬儀の日取りが日曜日・通夜、月曜日・告別式と知っていたのだが、いちおう先に焼香でもと思ったのだが、祖母の遺体は実家から徒歩10分の斎場に安置されているとのこと。母曰く「家に置いておくもの・・・・・狭いし・・・・」

 自分の親だったら、絶対にそんなことしないはずなのに、夫の母には冷たいのお。

 まあ、嫁姑の確執はけっこうあったので、こんなところで鬱憤晴らすのも大人げないと思うが、うちのママンもすでに還暦を過ぎているし「世間体よりも、鬱憤晴らし」が優先しているようである。

 そこでパパンが動けば情況も変わっただろうけど、ママン曰く「あの人、お爺さん(パパンの父。私と入れ替わりで癌で亡くなっている)のときにも涙ひとつ流さなかったのよ。なんかおかしいじゃなかろうか?」で、パパンは今回も、クールだったらしく、妻が「家に遺体置いておくのも・・・」っていうのに逆らわなかったようだ。

 そんで「今のとこ、お父さんが頑張って、親戚阻止してくれてるの」とママンの言葉通り、私がいる間も、親戚からじゃんじゃん電話が入ったが「いえ、家族だけでやるので、ええ、そうさせてください」とパパンが冷静に対処していた。

 ママンの言うこともごもっともなのだが、長年、老人ホーム暮らしだった祖母を見舞う親戚も少なく、というかほとんどいなくて、今年になって、「こりゃ、先が無いな」とママンが判断して、親戚には「最後の挨拶したいなら、今がラストチャンス」と報じたのだが、やっと長野から祖母の妹が来たくらい。

 生きているときに会いに来ない親戚を葬式だからと集めるのは、ママン的には阻止したかったし、パパンもそれには同意したみたい。

 なので、葬儀はほんとに近親者のみというか、父母と孫の私ら3人の家族っていうか、弟の嫁と子供3人と、妹の婚約者1名で、最大でも大人7人、子供3人という布陣。

 しかも、坊さん来ないって?
 「呼ばないんじゃないのよ。予定があって来れないって言うのよ」と弁解するママン。

 うちの菩提寺はいちおう遠い親戚なのだ。
 今回亡くなった祖母と、40数年前に亡くなった祖父の縁を取り持ったのが、祖父の叔父で当時、その寺の住職だった人だったとか。
 当時としては比較的インテリ一家に生まれた祖母は、女学校を出て(今でいう、短大みたいなもん)、その寺が経営する幼稚園の保母さんをしていて、その寺の住職が東京での後見人をしていた甥の嫁になったということらしい。

 さて、ママンの悲願だった「家族葬」であるが、前にママンの父が亡くなったときに、こういうのをやりたかったのが、ママンには兄と弟がいて、結局、普通の葬儀になってしまったのがかなり不満だったようなので、今回は父が一人っ子ということもあり、ずいぶん前から「おばあさんが亡くなったら、家族だけでひっそりやりましょう」と父を洗脳していたようだ。

 父は地方の親戚が亡くなったときけば、すぐに駆けつける人ではあるが、自分の番で親戚のケアするのは面倒だと思っていたらしく、母の案にはノッたようである。

 さて、金曜日の夜に実家に帰り、翌日の土曜日の午前中に、斎場に安置されてる祖母のところに焼香に行ったのだが、あまりにも安らかな寝顔を拝見するに、号泣。

 ここ10年?いや、20年?いや、私が物心ついてからずっと「早く死にたい」と言っていた祖母だった。
 目も不自由だったし、もうなんも、おもろいことなかったようだ。
 それなのに、頭ははっきりしていて、「つまんないから、もう死にたい」と本人は言うのだが、体は丈夫なので、なかなかお迎えが来なかったのである。

 その祖母の、眠るような、てゆーか、実際、ここ数ヶ月、軽い肺炎を起こして、老人ホームの隣にある病院に入院したりしていたが、回復したのでまたホームに戻されを繰り返して、最後はホームで寝ている間に息をひきとったらしい。新米の夜勤の介護ヘルパーの若い男子が、早朝の見回りで死んでいるのを発見して、慌てて遺体を清めてくれたらしい。

 ほんと、寝ているような死に顔だった。
 それを拝見したときに、私の涙腺は破壊されたようだ。

 家に戻り、寝ようとすると「あ、そうだ。ベッドの上にアルバムが置いてあるんで、のけといて。この間、Y子(妹)が結婚式用の写真選んでたで」

 たしかに、寝ようとしたら、ベッドの上にアルバムが置いてあったので、思わず捲ってみると・・・・・・ああ、これは私が育った家の写真、ああ、この壁紙、ああ、居間にはたしかにこんな棚が・・・・」で、壊れた涙腺がさらに破壊され、布団に入っても涙止まらず・・・・
 金曜日夜に実家に帰り、翌午前中に祖母の遺体と対面し、午後はママンが大好きな近所の大学の学園祭のバザーに出かけてから、自分ちに戻って着替えてから、恵比寿ガーデンプレイスにジェイミー・カラム君見に行きました。

 J-WAVEのショーケイスみたいなイベントで、私もジェイミー君の出番終わったら手持無沙汰だったのですが、ピーター・バラカン氏もロビーを暇そうにうろうろしてましたっけ。
 バンドが三つ出たのだが、ジェイミー君の後に出てきたバンドは、モンド系だった。退屈。
 いや、悪くはないのだが、超混みの中で立って聴くような音ではなかった。でも、我慢して、また次のセット替えの時間もロビーで座って過ごし(友人発見できずじまい)最後のバンドが始まったのだが、そっちはバカテク・フリージャズ系?
 いや、ですから、こういう音好きですが、超混みの中で立って聴くのはキツいし、時刻も8時半を周り、5時半開演だったからかなり疲れてきたし、明日は朝5時起きだし、途中で出てしまいました。

 そんで、翌朝は5時に起きて、7時に現地集合してイベント仕事。
 わりかしラクな会場だったし、トラブルもなく進行し、午後1時ごろ解散して、その会場の責任者だったTK部長(詐欺罪で逮捕された人とは関係ありません)と、もう1人、うちの社員とラーメン屋で食事して、部長に奢ってもらった。

 家に戻って、洗濯しながら少し昼寝していたら、けっこうぐっすり1時間くらい寝ちゃって、「わあ、ギリギリになってしまった」と家を出て、斎場に着いたのが6時きっかりだった。

 斎場っていうのか、どっかの寺が法事用に建てた別館みたいなもんで、1階では他の家が法事をしていた。
 「ふーん、じゃあ、うちは2階になったのか・・・・」
 それで、父と母がグチグチと揉めていたのである。1階のほうが広いので、2階のほうが料金が5万円安いし、家族だけなので2階で充分だったのだが、父が「1階でいい」と言ったので、母が不満を私にぶちまけてきたのだが、母が「だって人数少ないんだから、2階で充分じゃない。それなのにお父さんったら、葬儀屋さんの口車に乗っちゃって」と延々ネガるので、うんざりしてしまった。

 母の言うこともごもっともなのだが、ああいう言い方だと、素直に頷けないんだよなあ。
 まあ、しかし父と一緒に前日に会場を見に行ったときには、2階でも充分すぎるほど広くて、いちおう父にはやんわりと「1階は法事中で観られなかったけど、2階でも広いくらいじゃない?どっちかというと、親族控え室(20人くらいが食事できるくらいのテーブルが置いてあった)くらいで丁度いいかも」と言っておいた。母のあの言い方だと、父もムキになってるだろうから、娘が背中押しておいたほうがいいかと思って。だって、母の言うこと聞かないと一生言われるし(笑)

 結局、私が到着する前までゴタゴタしたようだし、家族が着く前に納棺されてたことで母が葬儀屋さんとケンカしたとか(母は、それを通夜のメーンイベントと考えていたようだが、そーゆーのは先に打ち合わせしとけって・・・・)、いろいろあったようだが、私が到着したときには、棺の前で家族みんなで和やかにお茶を飲んでいた。

 読経も無いし、どーすんだろ?と思っていたが、弟んとこの3人娘(5歳1名、2歳2名)が元気よく走り回ってくれて、たいそう賑やかでした。読経よりも、子供の声のほうがいいね。子供ってやっぱ凄い。
 弟の嫁さんのお父様も最近亡くなっていたので、姪っ子も葬式慣れしていたようである。祖母の遺体を面白そうに何度も覗き込んでいた。

 弟の嫁さんは、ちゃんとした家の人なので、このいい加減極まりない葬儀に戸惑っていたようだが(弟談)、母が賑やかにしようと孫たちを煽る様子を感じて、娘たちがドタバタと棺の周りを走り回り、焼香台のカーンって鳴るやつ(正式名称知らんわ)が気に入って、乱打しているのを黙って見守っていた。

 式次第もへったくりもないので、父がおもむろに「いちおう、おばあさんの生涯をお話します」と結婚式の仲人のように語り始めた。
 それを聞きながら、テーブルに散らばる祖母やその両親の写真や、昔の我が家の写真を見ていたら、千葉の家の庭で乳母車の側に立つ自分の写真を見つけてまた号泣する私。
 「・・・・・この隣の空き地・・・・それにこの乳母車・・・・・・」
 もう、破壊された涙腺は、ちょっとした懐かしいもの見ただけで、滝のような涙がとまらないのだ。「あー泣いてる?なんで?」と姪っ子にからかわれた。君も年とるとわかるかもしれないよ。

 というわけで、通夜は賑やかなお茶会という風情で終了。
 駅前の中華料理屋に移動して、たらふく食った。ショーコー酒の瓶2本も空けたので(ほぼ、父と私と妹で)かなり酔っぱらって帰宅したが、日本シリーズの結果が気になったのでスポーツニュースはチェックした。「いやーん、大沼さんが打たれた・・・・」とまた泣いてる私に、弟が「ねーちゃん、なんで急にそんな野球好きに?」と笑っていた。

 翌朝、8時に起きて、10時にまた会場入り。
 さっそく出棺の準備。私はオカダヤで買った縫い糸を入れてあげた。まだ元気だった頃の祖母の趣味は縫いものだったので。裁縫というレベルでもなく、雑巾縫いレベルでしたが。

 準備ができたので、出棺。両親が霊柩車に乗って、残りは弟の車で追いかける。多摩霊園の火葬場だったのだが、車で10分くらいだった。
 車を降りると、もう焼却機(?)の扉が開いて、待ち構えられていて、「ああ、待って、まだ車を駐車場に止めにいった弟が!」って感じで、とっとと進行。読経ないと、ほんとドライな感じだ。

 で、焼けるまで1時間ほど控え室でお茶していたのだが、同じ控え室にはもう一家族いて、その人たちが先に出ていったのだが、母が「あの家も家族葬ね、きっと」
 母の弁によると、隣の府中市には立派な市営の斎場があるのだが、最近そこを増築して、家族葬用の小さい会場を増やしたそうだ。
 まあ、たしかに弔問客に気を使うこともないから、ラクはラクだ。
 うちの祖母みたいに、老人ホーム歴20年ともなれば、友人もいなけりゃ、親族も少ないし、こういうかんじで家族だけで和やかに見送るのもありだと思う。

 お骨を拾って、家まで戻り、昼食は駅前の高級回転寿司屋。人気店らしいが、ほんとに満員だった。たまたま狭いけど大人8人用の個室がとれたので、子供連れでものんびりできた。
 さすがに人気店だけあって、安いのに美味しかった。「昨日の中華で食べても食べても次の皿が出てくる地獄になったから、今日はオーダーしすぎ自粛!」と宣言したのに、やっぱし、みんな後からオーダーを追加しまくりで、またパンパンになるまで食べた。

 3時前に店を出て、妹と婚約者(義理の弟未満が少し出世。今月末やっと挙式。バーサンそれまで持つかと心配されていたのだが、きっかり1ヶ月前に亡くなり、まさに最後のグッジョブだった。私の予定もクリアしてくれたし)は引き出物選びに都心に出る予定があるのでそこで帰ると言うので、「じゃ、私も」とトンズラした。

 で、帰宅して、下の記述を書いたのだが、疲れていたので、これだけ書くのが精一杯だったらしい。濃密な連休だった。    
11月3日(月)

 はあ、疲れた。 
 でも、祖母の葬儀も終了。

 これでまた1人、片付いた。
 ほんと、嫁にやる気分。

10月16日(木)

 やっと「素数の音楽」を読み終わった。
 終盤は、素数と量子力学が絡んできて、たいへん盛り上がっていたが、私には雰囲気だけしかわからんかった。
 わからんかったけど、面白い本だった。
 野球のルール知らなくても、球場の雰囲気は楽しかった、みたいな。

 そんで、数学のことはよーわからんが、ふと、自分でも最近、「うーむ、なんだこりゃ?難しいなあ、でも、絶対に自分にもわかるはず」と集中して取り組むこと1ヶ月くらい(一ヶ月ずっと集中していたわけでもなく、週に一時間くらい時間を割いていただけですが・・・)で、「おおおお!わかった〜〜!」と「難しい理論を自分のモノにした快感」を味わったことがあった、ということを思い出した。

 その難しい理論とは、税法が改正されて減価償却の方法が変わったことである。

 ほほほほほ、わかんない人には、相対性理論くらい遠巻きでしょう「減価償却」

 学生が就職活動のためにと、簿記を取得する際にも、けっこうハードルになるのが減価償却らしいが、たしかに、とっつきは悪いのだが、いったんわかれば、非常にシンプルなことなんだけど、自慢じゃないが、生まれつき「経理脳」を持っていたらしい私は減価償却で悩んだことなどなかった。
 定率法と定額法(だったっけ?用語は覚えれないんだけどw)も「あ、そう」って感じだったし、決算期の途中で取得した資産の場合には月割りっていうのも「まあ、そりゃそうだわね」って感じだったし。

 まあ、実際に計算すると計算ミスしたりするのは、数学者もそうらしいし(と「素数の音楽」に書いてあった。概念を理解しているのと計算ミスするのは別の話ですからね)

 さて、たぶん大企業だと、専用システムを用いてやっているはずの「減価償却」であるが、我が社は中小企業というか、零細企業であるからして、資産の件数もそれほどなく、エクセルの表で管理していた。

 つーか、私が入る前までは、自分で管理せずに、会計事務所にお任せだったらしく、当時の課長(その後、私の活躍もあり・・・自信家ですな、私って・・・・・部長に昇進され、今では役員だ。まあ、零細企業の話ではありますが)が「会計事務所のこの表をうちでエクセルで管理したいんだけど」と言うので、それまで私も償却資産の管理などやったことなかったのだが、仕組みはわかっていたので、どっちかというとエクセルの関数との格闘だったのだが、おかげでいろいろ勉強になったけど、ちゃんと管理表を作ることができた。

 それでしばらくやっていたんだけど、今年になって、親会社の経理部長が「減価償却のソフトほしいなあ」と言い出した。
 それで「へえ、親会社もエクセルでやっていたんだ」と知った。
 支店を複数抱える親会社はそれなりに減価償却資産を持っているはずだが、なんとかエクセルで頑張っていたらしいが、「今度の改正で、エクセルでやると、エラく面倒で」とのことだった。

 え?そんな大幅改正でしたっけ?と、慌てて国税庁のページでチェックすると「ぎえええ、知らんかった!」
 うちって、決算期が変態なので、税制改正のときにはタイムラグがあるんだが、それにしても、去年度の決算のときには、忙しくてそれどころじゃなくて完全に見落としていた。
 てゆーか、教えろよ、会計事務所(笑)
 ほんとに、あんだけ顧問料払ってるのに、無能なんだから!

 つーか、さっそく担当者に電話して「ほんとは去年から適用されてたこと、私全然知らなくて」と言うと「え?そうだったんですか?」って私が作った減価償却の表を全くチェックしていなかったらしい。

 まあね・・・・社内でもこういうことよくあるんですよ。
 どうやら私は、外から見ると「完璧」に見えるらしく、私が作った表を担当部署に「ご確認御願いします」と送っても、ノーチェックで通ってしまい、後でミスが発覚し「だから、自信がないからチェック御願いしたのに」と言っても「いや、ミヤノさんが、間違えるハズないと思って・・・・・」

 まあ、その会計事務所にしても、うちの担当者にしても、「ミヤノさんが作った表だから、大丈夫だろう」ってノーチェックなのは、私を信用しているってことよりも、「あいつら、ほんとにアホだなあ」ってだけのことなんであるが・・・・

 そういうのは私をリスペクトしているフリを装って、私を見殺しにしているだけだ。
 私だったら、リスペクトしている人からチェックを依頼されたら「この人がうっかりミスを外に出して恥をかかないよう、きちんとチェックしなくては」って張り切るんだけどさあ・・・・

 なんだか話が逸れたが、それで、やっと新しい減価償却の方式のガイドラインに目を通したのだが、「え?なにこれ?全然わかんねー

 「償却限度額」って何?
 を始めとして、もはや耳無しホーイチの背中に書かれたお経を漠然と読んでいるかのような気分だった。

 これが、フェルマーの最終定理の証明論文だったら「はは、わかるわけねーし」と投げ出すところだが、「経理の華(?)である、減価償却の改正なんだし、普通に理解できるはず」と、一度読んでもポイントを掴めず、でも、こういうのって間置くとわりと「ああ、なんだ」ってこともあるので、最初にざっと目を通してから、一週間後くらいにまた読んでみると、もやもやしながらも「ポイントはこのあたり?」ってゆーのがわかってきて、また潜在意識の理解力頼みで、一週間後に読んでみたら「あ、そーか、これは、残存価格を1円にすべく、という結論から過程を作った、どっかの頭のいい人が捻りだした、苦肉の策なんだな」という「概念」が先わかり、全体を把握すると、細部が理解しやすくなり、そっからは積み木崩しのようにワラワラとわかるようになり「いやー、わかりにくいから、解説書でも買おうと思ったが、いらんかったわ」と「私って、やっぱ天才!」と自画自賛であった。

 そもそも「新たな定率法は、減価償却資産の取得価額に、その償却費が毎年一定の割合で逓減する ように当該資産の耐用年数に応じた「定率法の償却率」(耐用年数省令別表第十に規定)を乗 じて計算した金額(調整前償却額)を事業供用1年目の償却度額として償却を行い、2年目 以後は、当該資産の期首帳簿価額(取得価額から既にした償却費の累積額を控除した後の金 額)に「定率法の償却率」を乗じて計算した金額(調整前償却額)を各事業年度の償却限度額と して償却を行います。 」という文章が理解できたのって、たぶん、ラマヌジャンの方程式が理解できたくらいの達成感アルジャン?(梨田さん、帰りますよ)

 勝てる・・・・私はこの分野だったら数学者に勝てる(たぶん)

 「その後、各事業年度の「調整前償却額」が、当該減価償却資産の取得価額に「保証率」(耐 用年数省令別表第十に規定)を乗じて計算した金額である「償却保証額」に満たない場合は、 原則として、その最初に満たないこととなる事業年度の期首帳簿価額(取得価額から既にした 償却費の累積額を控除した後の金額)である改定取得価額に、その償却費がその後毎年同一 となるように当該資産の耐用年数に応じた「改定償却率」(耐用年数省令別表第十に規定)を 乗じて計算した金額を、各事業年度の償却限度額として償却を行うもので、耐用年数経過時点 において残存簿価1円まで償却できます(令48の2@二)。」

 数学者はたぶん、この記述読んでも、ぽかーん、だろう。
 私だって、かなり、ぽかーん、だったんだから。
 つーか、日本国民の大多数が、ぽかーんだろう(笑)

 でも、あたしは、この数式をなんとか自力で解けた。
 やればできるらしい。
 総務省には、なんとしてでも、次の税制改正では、「リーマン予想のゼロ点を応用した減価償却法」あたりを開発してもらえば、「税制改正ごときが、私に理解できないはずはない」ってムキになって、自然とリーマン予想も理解できるかもしれないので、ぜひ、よろしゅう御願いいたします。  
 
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