可燃物な日々

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 日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました
1月15日(火)

 昨日は喪服を持って出勤して、夕方からS部長んちの通夜の受付を手伝う手はずであったが、出勤してメールを見ると「ありゃりゃ、I取締役んとこも・・・」

 年明け早々、どちらも「親が危篤状態で」と言っていたのだが、S部長のご母堂が亡くなったのは先週の頭だったけど、年末年始には葬儀できなかった人がいたので、斎場が空いてなかったのか、日取りがダメだったのか、やや日が空いてしまったのだが、金曜日になって取締役のほうのご尊父も亡くなり、取締役としては部長のほうの葬儀のことも知っていたので、日にちをずらしたかったようなのだが、どうにもならなかったらしい。

 それはしょうがないが、取締役のほうのお花の手配は済んでいたようだが、弔電がまだだったので、弔電をインターネットで打って、OKボタンを押してから「以上の内容で受け付けました」って画面を観ていたら、ふと「あれ?こっちはお父様だったよな?あたし、ひょっとしてご母堂って書いてなかったっけ?」と確認したら、やっぱ、そうだ〜〜〜〜。も〜、誰のせいでもないけれど、混乱するよ。
 慌てて、画面に書いてあったコールセンターに電話して「キャンセルしてください!」と言ったら、向こうもプロで、「取り消しですと、取り消し手数料がかかりますが、少しの変更ならすぐできます」と言ってくれたので「ご母堂とご尊父を間違えました」と言ったら、「亡くなられたのはお父様なんですね?」「はい、そうなんです」で、すぐに変更してくれた。

 電報なんてララ〜ラララララ〜ラ〜と「こんな習慣なぜ残る?」と悪口ばかり書いていたが、この対応はちょっと見直した。ま、よくある間違いなんだろうけど。

 でも、社葬のときに山のような「定型文電報だが、なぜか漆塗りとか七宝焼きだったりして重量だけは凄い」っていうにウンザリして「やはり、もっと、心のこもった弔電打つべきだろう」とは思うが、亡くなった人に会ったこともないので、どう心をこめていいのかさっぱりわからない。しょーがないから定型文から拾って、「ご家族の皆様の落胆はいかばかりかと・・・・」などと、「心よりご冥福をお祈りいたします」な定型とつぎはぎしてみたが、やっぱ、つまんねーなあ。

 話は先に飛ぶが、S部長のとこの告別式の際に、うちの系列の某地方にある会社の代表者名での弔電が読み上げられたが、無難に素晴らしく、「あの弔文、あとでコピーしてほしい」と思った。
 そこの会社には、どうやら総務的教養溢れる重鎮がいるらしく、社葬のときにも、そこの役員たちの香典袋は全部同じ人が書いていたのだが、見事な毛筆で、しかも、「御霊前」まで筆で書いてあったんですよ。今度、あそこの社員が出張に来たら、誰があの仕事をしているのか聞いてみよう。そんで、一週間くらい修行に行きたいものである。

 話は戻るが、せっかくの休日出勤で仕事を少しでも片付ける予定だったのに、「今日の手伝いは誰が行くんだ?」とか「花の手配は済んだのか?」とか「香典用意したいので、悪いけど両替して」だので、全然仕事にならず。

 そういえば、今年も新成人が花盛りでした。横浜市の新成人がアリーナに大集合するので。
 ほんと、若い子が似たようなカッコして、羊の群れのように粛々と群れているのって、なんてカワユイのでしょう。
 だいたい、午前の部なんて10時開始だから、振袖の子たちは早朝から美容院に出かけているはずで「成人式のために早起きするなんてエラいなあ」と、私は20年前から尊敬の念を送っております。だって、自分のときには行かなかったから(笑)
 いちおう、母は「成人式の着物どうする〜?」と聞いてくれましたが「面倒だからヤダ。それに、そのために早起きするなんて無理」と一蹴。母は「私も着物着なかったしねえ」と娘の好きなようにさせてくれました。
 で、成人式の前の日に「着物は着ないとしても、式典には行くの?」と聞かれて「市長の話聞くために、休日に午前中に起きる気は全く無い」と即答。それでも母の愛で、間に合う時間に「ど〜する〜?」と起こしてくれましたが、(後になって「おかーさんが起こしてくれないから」とか言われるかもしれないことを予想していたのかもしれません)「いい。寝てる。夕方の飲み会だけ行く」と昼まで寝てました。

 新成人女子は、今も昔も変わりませんが、男子は茶パツが減ったし、スーツも地味になってしまい「ホスト度」ががくりと減少しましたね。つーか、ただの就職活動にしか見えないんですが。(「シューカツ」という略語は私の時代にはなかったので馴染めない)

 で、昼に牛丼屋で弁当買うと、新成人男子がカウンターに並んで牛丼食っている姿も、新入社員の昼休みみたいでした。あと、ラーメン屋も混んでました。午前の部に割り振られた皆さんは、飲み会までの時間つぶしが大変ですよね。

 それにしても、みんな、なんで、ちゃんと誉めてあげないのでしょう?
 「イマドキの若者は、自分らと同じように、成人式に似たようなカッコして、羊のように群れて、たいへんけっこうである」って。
 今年はいろんな対策も万全だったのか「荒れた成人式」の報道を観ませんでしたが、あれですら私は「荒らす目的にしても、ちゃんと式場に行くだけ立派」と本気で思っていたのですが・・・・

 だって、皆が一番「こんな成人式嫌だ」と思うのは、誰も出席してない成人式じゃないですか。で、出席する人も、振袖やスーツや紋付袴(男子のこの服装もけっこう増えた)を着てなくて、それぞれバラバラなファッションだったら・・・・・そうなったら真剣に亡国について語ってください。

 話が逸れちゃった。
 役員氏と部長氏のダブル葬儀で、すっかり「また社葬かよ?」モードに突入した我が社ですが、私は部長のほうの受付担当というか「ごめん、香典やって」ということになりました。ほほほ、まっかせなさ〜い。
 斎場に着くと、葬儀屋さんから受付の簡単な説明を受けましたが「会計係りはどなたで?」「は〜い」と元気に挙手。

 ザっと説明してもらったが、私の自身満々な態度がわかったのか「もしかして、けっこう慣れてらっしゃいます?」と言われたので「最大、2千万円くらい香典あけたことありますね」と豪語。「それは凄いですねえ。どんな葬儀だったのでしょう?」「青山斎場で、社葬・・・とか?」「はあ、うちはあんまり社葬は扱わないので、でも、それだけ大きな葬儀だと会計係りも大勢いないとダメでしょう」なんて会話してしまいました。

 で、郊外の市民斎場での兄弟二人とも平凡なサラリーマン家庭の葬儀の香典など、ちょちょいのちょいよ、と思っていたのであるが、蓋を開けてみれば、役員氏のほうも重なったので、うちの社員や親会社や関連会社も「どっちも参列しなくちゃ。もしくは香典預けるとか」で盛り上がってしまったらしく、結果的に香典数が200弱になり、それを1人で全部開けて確認するのは大変でした。

 必死で開けていたら、ふと、香典袋に書かれた名前に見覚えが・・・・
 10年ちょっと前まで勤めていた、テレビ番組制作会社で製作していた、某有名時代劇シリーズで、メインだった脚本家S氏のお名前?
 でも、ここのご一家との繋がりがありそうにもないし、同姓同名かな・・・・と思ったのですが、お焼香が終ったあたりで、ちょっと受付からロビーを覗いてみると・・・・・

 「Sせんせ〜〜〜〜〜〜〜〜」

 同世代のジジイに囲まれ談笑していたS先生に向かってダッシュしてしまいました(笑)

 周りのジイサンらは「お、Sのこと先生って呼ぶ人がきたぞ?オレたちは誰もセンセー呼ばわりしたことないのにさあ」と冷やかしますが、S先生も突然のことでキョトンとしています。

 なにせ、10年以上ぶりだから、私の顔を覚えてなかったみたい。

 「Sせんせー、私です、ミヤノです、○○社で経理やってた、せんせー、私のこと、ノリピーって呼んでたじゃないですか!」

 そう説明してやっと「ああ、ミヤノちゃんか!」って気が着いてくれたようですが、なぜか周囲のオジサン方に「いやあ、この人はおっかない人だったんだよ」と言うし。「おっかない」?、あたしが先生の口座にいっぱい、いっぱい、原稿料お振込したんじゃあないですか!

 「先生はいったい、どういうご関係で?」と聞くと、S部長のお父様(喪主)と故郷の高校で同級生だったとか。
 「私は、こちらのご長男と同じ会社で働いていて、今日は受付のお手伝いしているんです」と説明したら「ふーん」と先生は私の顔をマジマジとご覧になって、「そーいや、顔が大人になったなあ」

 さすが、センセー、とっさに言葉を選び抜いてます。

 「やーだ、せんせー、あたし、もう40歳ですよお〜」と言うと、「ははは、そんなになったか。で、ご結婚は?」

 思わず先生の肩に顔を埋め、「まだ、なんです・・・・ってば・・・・」と言うと、周りのジイサンたちから「お前、なんとかしてやれ〜」と喝采を浴びてしまいました。

 この人見知りの私が、ここまで「お約束」なやりとりを活き活きと演じられたのも、脚本家がよかったからだと思います。

 で、互いに「奇遇だね〜」のエールを交わしてから、また受付の影に戻って、香典の金額をなんとか合わせ、弔問客がほとんどいなくなった頃やっと、御清めの食事をいただきました。

 S部長の奥様(私と同じ年で、元社員らしいのだが、初対面)と並んでいた、お父様がさっそく「Sと知り合いだったそうで」と話し掛けてくださったので、「もおお、そうなんですよ、びっくりしました。お父様も出身が某県だったんですね。そうそう、その訛り。前の会社で、S先生に散々、○○訛りを勉強させていただきましたよ」と、すきっ腹にビールを流しこんだ勢いで、お父様と共通の知人のことで楽しくお話できました。

 今日は早朝から告別式の手伝いに行ったのだが、部長から「昨日は、オヤジの話相手になってくれて、ありがとう。喜んでいたよ」と言われたので「いや〜、とんでもない。私こそ、興奮しちゃって、まくしたてちゃって。

 ほんと、嬉しかったんですよ。
 あの先生とは、よくお喋りしていたのですが、私が会社辞める当時で70歳くらいの人だったから「とっくにクタばったかな?」と思っていたので、ご健在だったのが嬉しかったです。

 ためしにウィキペディアでも検索してみたのですが、あの世代の裏方さんに関しては、ウィキペディアは全く機能してませんね。

 S部長のお父様の話によると「あいつも、10年前くらいに奥さん亡くしてね」と仰るので、「え?あのハイキング好きで、スイスやニュージーランドに行きまくっていた奥さんが?」って言ったら(S先生は奥様のことを「ハイキングおばさん」と言っていてた)、お父様に「よく知ってるねえ?」と驚かれましたが、そのくらいみんな仲よしだったんですよ。懐かしいなあ。
1月13日(日)

 なんとか1月前半は乗り切ったが、ぐったりですよ。

 結局、毎日2時間以上残業になってしまった。2時間くらい世間一般では「並」であるが、私には辛いし、それにだんだん慣れてくるも嫌だ。

 昨日の土曜日は休みにしたが(月曜は出勤&夕方から葬儀の手伝い)・・・・

 って、そうそう( )で閉じたあとに追加するのは、卵とじした最後にまた卵を足すみたいな行為ですが、他部署の部長のお母様がお亡くなりになったので、受付のお手伝いに行くのですが、それは、総務部的には普通の仕事なんですが、近年は「地味葬」ブームらしく、あんましそういう手伝いをした記憶もないくらいで、最後にやったのが、ってゆーか、私が今の会社で唯一葬儀の手伝いをしたのは、社員の家族ではなく、社員自身が亡くなった葬儀で、たしかその前に社員の奥様が亡くなったとき(まだ40代で喘息の発作で急死されたので、それなりにショックでした)には、私は契約社員の身の上だったので、駆り出されなかったんだっけなあ。

 そんなわけで、今回、お母様を亡くされた部長は、会社設立当時からバイトだったような古株だし、会社の近所に住んでいるので、葬儀場もわりかし近いので、社員も大勢弔問に行きそうなかんじです。
 それはいいのですが、なにせ去年、めったに経験しない社葬をやってしまった後なので、部長が「ミヤノさん、月曜日なんだけど、出勤?」「ええ、出勤なんで、喪服持ってきますから」「じゃあ、一緒に行こう。3時出発くらいかな?」

 斎場は会社から電車で30分くらい&徒歩20分くらいだから普通はタクシーって場所らしいので、小1時間みておけば絶対に着くところなのに「え?3時出発?4時に着いても、何やるんですか?その時間だと、ヘタすると葬儀屋さんも来てないかもしれませんよ?」って言った後に、ふと気がついて、「ぶちょ〜〜〜〜(普段は「○○さん」呼ばわりで、ときどき天然ボケをやらかすときには愛を込めて「○○ちゃん」とファーストネームで呼んでいる)、社葬と違うんですよ?」って言ったら、TK部長もハタと気が付いたみたいで、他の人もTK部長に「取引先には全部連絡したのか?準備は大丈夫か?手伝いはそれだけでいいのか?」って詰め寄ってきたので、今度は部長が「いえ、ですから、社葬じゃないんで・・・・」と説得していたのが可笑しかった。

 で、その鼻息は、お母さんを亡くしたS部長も感じたらしく、TK部長に「あの〜、社葬のノリはちょっと・・・・」と困っていたらしい。

 さて、話は戻って、土曜日は雨も降っていたし、寒かったので、ほとんど布団の中に篭って、引き篭もりよりワンランク上の「寝たきり」になっていました。早慶戦、寒そうでしたね。

 そーいや、ラグビーの大学決勝が早慶戦というのも、久々だったみたいですが、今年は駅伝でも、久々に早稲田が活躍してましたっけ。
 ダラダラとテレビを観ていたので、駅伝の裏側ドキュメントも観てしまったのですが、けっこう面白かった。今年は史上最悪のリタイア校続出だったし。

 低血糖と脱水症状でのブレーキと10位争いは箱根の華ですから、リタイア多いと盛り上がります。たいてい、1位なんて、ぶっち切りが多いので1位そっちのけで、テレビが10位争いばかり映すのも「観ている人が望んでいるもの」であるからで、今年なんて、テレビが「さーて、トップは決まっちゃったし、10位いくぜ」と中継をチェンジしたら、ちょうど10位が11位に抜かされそうな「わたしたち これから いいところ〜♪」なところだったのですが、東海大学が転んでしまい、ドラマが一瞬にして消失してしまいました。

 でも、その裏舞台ドキュメンタリー観て思ったんですが、我が家では昔から「正月は箱根駅伝をボーっと観る」のが習慣ですから、雑煮を食べるようなキモチで観ていたのですが、ここ数年、自分が年とったのか、20歳前後のイマドキの若者がタスキが繋がらなかったとか、予選オチとかで、ビービー泣いているのを見ると大変心が落ち着きます。

 しかし、そういうニーズが高いせいか、その後やっていた番組は「高校サッカーで負けた学校のロッカールームでビービー泣いている男子高校生を激写」で、ほんとに5分に1回くらい号泣シーンなので、それはさすがにやりすぎでは・・・・

 そーいや、昨日の夜は、フジテレビで映画「バブルへGO」を観てみた。
 予想通りにつまらなかったが、バブル時代の「ボディコン 眉太い ソバージュ」な風俗はそれなりに楽しめた。

 でも、せっかく「バック トゥ ザ フューチャー」をという元ネタがあるんだから、もう少し細部を練ればいいのにねえ?
 たとえば、元ネタでは、マイケルJフォックスのファッションがダウンジャケットで、50年代の人には「救命胴衣」にしか見えないというのは、今観ても笑えるところだが、ヒロスエのヘソだしジーンズファッションを90年の人たちが「ジーンズ下がってるぞ?」と指摘するあたり。
 それをやるんだったら、主人公を男子にして、「パンツ半分見えてるぞ?」ってやらないとねえ?

 たしかに、90年の人に見せたら理解不能な今ドキのファッションって難しいけど。ネイルアートのことは映画でもやっていたけど、映画的にわかりにくいし。たぶん、ヒロスエを女子高生にして、超ミニの制服で90年に現れたらビックリされるかなあ?制服の裾が短くなったのはいつだったっけ?

 あと、ヒロスエが90年の大学生の卒業パーティに乗り込んで、ダンスを披露して引かれるのだが、それも元ネタではJフォックスがプロムでギンギンなギターを弾いて、皆に引かれたが、たしかチャック・ベリーの知人がそこに居合わせて、電話で「すげーよ、聴けよ、チャック」って教えて、それがロケンロールの元祖になったというエピソードになっていたけど、「バブルへGO」のヒロスエのダンスのヘタさも相まって、なんだか意味のわからないシーンになっていた。

 話は前後するが、夕方にNHKの大河ドラマ観てしまったが、いやー、宮崎あおいちゃんの魅力で、引き込まれてしまったわい。今日も観ちゃおうかな(笑)
 大河ドラマの主演俳優がツボに入ると「ああ、わたしって普通の人」という安心感がえられるようだ。

 そういえば、この話はすでに書いたかもしれないが、帰省したときに妹に「わたし、最近のイケメン全然わからん。特にオグリシュンは全くわからん」と嘆いたら、「今のイケメンっていうのは、キモカワの要素がけっこうあるよ」と教えてもらってホっとしました。「美形」っていう意味とは、ズレてきているみたいなんですね。

 自分が全く趣味ではないタレントが「美形」もどきに持ち上げられていると、自分の美的感覚がゆらぎますが、予想以上に持ち上げられているのもちょっと、と複雑な気持ちになるのは、ここんところの玉木宏君のCM売れっ子ぶり。新年からユーキャンも始まったし、その前から読売新聞だかもやっているし、しばらく放映されてなかったミスドのも年末年始の需要を見込んでか、再放映(?)されてるし、いきなりCM露出量が増えて、まあ、そういうのって「契約金がお手ごろ」ってこともあるんだろうけど、年末年始にテレビをぼや〜っと観ていると、玉木君のCMが連続して流れていると、嬉しいような、悲しいような。
1月9日(水)

 昨日は休んで、今日は出勤。
 土日に頑張ったので「残業少なくてすむかも〜」と思っていたが、甘かった。
 今日は「じっくり新年のご挨拶を」という客が目白押しで、しかも担当者が上司をひきつれてやってくるから、こっちも役員揃えて応対するのはいいとしても、1時間おきに6人分のお茶出すのって、けっこう大変なんですよ。

 エビワカちゃんがいるから助かっているが、彼女も某新年会に向けた名簿データ整理を任されていて、それが慣れてないとけっこう大変だから、朝から黙々とやっていて、昼休みも削っているくらいだったので、お茶だしはしてくれても、客が帰ったのに着が付かなかったりするので、私が片付けて食器洗いしてました。
 でも、エビワカちゃんのいいところは、私が食器洗いしてても「ああ、すいません、すいません、後はやりますから」なんて言わないところです。そーゆーこと言われると「気にするんなら、もっと気を配れよ」と思ってしまいますし、「すいません、すいません」と駆け寄ってこられるのも面倒だから、あまり手を出したくなくなります。

 まあ、しかし、それでも姑っぽい不満はあります。食器洗いが得意ではないらしく、けっこう茶渋が残っていたりするので、「こんなことも教育的指導しなければいけないのか?」と悩みます。
 重要な仕事ではありますが、後輩に食器の洗い方や、フキンの畳み方を指導するのはちょっとなあ。
 それにエビワカちゃんは給湯室にかけてあるタオルを裏返しにかけていても気が付かないようなので、そっち方面の才能は無いようだし、で、そっち方面の才能なくても、「仕事ができない」というわけでもないし、女子の世界もなかなかややこしいのであった。

 まあ、自分がウエイトレスの経験があるので、そのときに厳しく躾られたため、人よりやや厳しいみたいなんですけどね。
 ウエイトレスのバイトはやっておいてよかったと思います。男子だと厨房バイトをやっておくといいかも。

 さて、昨日は年末にローストビーフ食べ放題ランチをご馳走してくれたM嬢と鮨屋で新年会。
 年末にまた実家からミカンが送られてきたので貰ってくれといわれたので、「じゃ、新年会しよ。ボーナス手付かずだから奢るよ」という成り行きになったわけです。

 ミカンで思い出したが、実家に帰省したときに、ふと温暖化の話題になって、誰かが「温暖化のせいで、東京でもミカンが鈴なりらしい」と言ったので、たいへんガッテんしました。
 日記に書こうと思っていても、あまりにも些細なことだったのでいつも書き忘れていたのですが、今年の冬は、散歩するたびに「こんなにミカンの木って多かったっけ?」と思っていたのです。

 その昔、高校の近所のお宅にあったミカンの木は、あまりにも見事に鈴なりだったので、背の高い男子に頼んで盗んでもらったら、近所の小学生に見つかって「ドロボー」呼ばわりされましたが、ダッシュして逃げて、部室で食べてみて「やっぱし〜」と納得しました。店ではもう売ってないような、立派な夏みかんで、すっぱいのなんのって。だから手の届く範囲でも、誰も取らないで残っているようでした。鳥さえもつつかない(笑)
 でも「罰ゲーム」というか「肝試し」にはいい「酸っぱさ」だったので、毎年盗みに行きましたけど。いや、そこのお宅に「くださいな」と声をかければ「好きなだけもいでいってください」と言ってくれただろうけど・・・・

 都心で見かけるミカンは、やはり、あの手の「観賞用」らしく、誰も取ろうとしませんが、それだけに鈴なりの豊作だと、「雛人形の飾りみたい」に美しい。暖冬からのプレゼントなのでしょうか?

 さて、昨日のM嬢との話題で盛り上がったのは、去年からM嬢に「ぜひ観てね」と言われていたのだが、土曜出勤になってしまったので見逃した「プロ野球オールスターのバラエティ番組」で、案の定、田中マー君が大活躍していたとか。オフのテレビ出演を球団がセーブしてしまったようで、あんまし出てくれないのが残念です。

 その番組の中で、田中君は「遠征のときには必ずシャンプーを持っていく」と語っていたらしい。ホテルの備え付けが合わないことが多いので、愛用の「TSUBAKI」を持っていくんだそうだ。

 「・・・・って、イガグリがちょっと伸びた程度のあの頭髪で?」

 と思ったが、それでも高校時代よりは伸ばしているわけだし、若い男子がヘアケアに気を使う気持ちはわからんでもないが、でも、「TSUBAKI」って?
 資生堂には恨みはないが、あのツバキ・シリーズは私はダメだった。
 「アジエンス」のヒットに対抗して、広告的にも莫大な予算をかけたツバキなんだろうけど、アジエンスはあのお香クサさがけっこう好きで愛用していたので、ツバキも使ってみたのだが、あの独特のツバキクサさがダメでした。

 ましてや、男子にはキツすぎる香りなのではないか?とも思ったけど、資生堂が社運をかけたかのような商品だったので、絶対の自信というか、相当の予算をつぎ込んでマーケティングしているはずで、だから、男子が自分で使うことも想定内なんだろうけど、「多くの人がいいと思うもの」がダメな自分っていうもなんかなあ。

 一昨年の紅白が仕掛けた「千の風になって」は妹と私は「きも〜」と思ったけど、「イマドキの若者はCDなんて買わないが、意外と中高年は買う」という時流に乗って、昨年ナンバーワンヒットだったけど、それは「おじさん、おばさんは、若者のズボンずり下げを理解できないが、若者だって、千の風になってのどこが癒しなのかさっぱりわからんだろーに。ちなみに、私はどっちもわかりません。中間の世代ですし」という解釈で済んだけど、資生堂のツバキは私だって購買層と見込まれていたであろう。

 ターゲットとして見込まれてはいないだろうけど、アンジェラ・アキとか全然どーでもいーしな。
 ただ、紅白観ながら妹が言ってたけど「アンジェラ・アキはどうでもいいが、この子を眼鏡っ子として売り出そうとしたプロデューサーは凄い」っていうのには同感。

 えーと、何の話してましたっけ?

 そんなわけで、鮨屋で大量に酒を飲み、今日は二日酔いでしたけど、忙しくって大変でした。酒臭くなければよかったのですが・・・・

 そーいや、部長から「また新たな仕事が増える」と宣告され、「それって、どのくらいのボリュームあるんすか?」
 いや、もう、ほんとにいっぱいいっぱいなのに、同僚M嬢はプロジェクト仕事で駆り出されてるし、同僚E嬢は計画的手術で入院(歯科手術なんで)で、そのフォローですら、ロクにやってないのに、さらにまた?
 もう人員増やしてもらわんと、絶対無理。

 だいたい、一般常識で考えても、他の部署よりも残業している総務部っていうのは、間違っているでしょう。

 その分、給与も安いわけだし。
 そりゃ、締め切り抱えた他部署みたいに、深夜残業は私はしてないし、する気もないので、できないことはできないで済ませることができるが、それでも「どーしてもやらないといけない」っていうのを優先させても、いっぱいいっぱいで「なんで、こんなに余裕がないんだろう?」と悲しくなってきます。

 余裕がないとさ。「社内サービス部門」としての役割が果たせない。
 社員が子供を保育園に入れてるから、去年の給与支給額証明書を作ってくれって言われても「ハンコだけ押すから、自分で全部記入してください」とつっけんどんな対応をせざるをえないのである。

 もっと「いつもニコニコ、くだらない仕事でも優雅にこなす、頼りになる経理のお局様」をやりたいのだが、そういう余裕がないのは、私が悪いんじゃないもん。と、自分に言い聞かせないと、自分が潰れちゃ、自分が一番困るからである。他の人だって、私が「鬱になりました〜、しばらく休職します〜」じゃ困るだろうからね。

 去年の始めにほっこり課長が鬱でダメだったときの仕事のフォローで、いまだにM嬢が大変です。
 事前申請が基本だったのに、事後申請になってしまったので、クレーム案件を抱えていて、今日も部長に相談というか愚痴ってまして部長も困っていた。  
1月7日(月)

 新年早々、馬車馬のように日記をガシガシ書いているようですね。(他人ごと?いや、だって日記の人格は「ほんとーのあたし」じゃないし。やたら夢を観るときと、全然観ないというか、覚えてないときがあるのとなんだか似ている)

 さて、「新年早々、涙の土日出勤」をして、今日から本格的に仕事始めっぽい雰囲気で、電話は鳴りまくるし、来客は多いし、心から「昨日、出勤してよかった」と思いました。だって、昨日なら5分で終ったことが、今日はやたらと中断されるので1時間もかかったんですよ。

 やっていたことは昨日やりのこした仕事の一部で、入金の付け合せだったのだが、「29万9千265円」という入金があり、暗算間違ってるかもしれないのは置いておいて、その入金は、得意先AとBの合算で、Aの売掛金が20万円でBが10万円で合計30万円から振込手数料735円が差し引かれているのはすぐにわかったが、入金伝票打つためのメモ書きとして「ええと、まず手数料が・・・」と○手の記号を書いたところで、税理士事務所から電話があり「おめでとーございます。ことよろ(略)」などと挨拶を交わして、年末に役員の任期が終了していたので、後任を選ぶか継続するのか返事くれとか、年末に私がFAXで送った資料が違っていたので、もう一度送りなおすとか、あとなんだったっけ?とにかく三つくらい用件をわーわー言われて、電話を切ると「ええと、手数料がいくらでしたっけ?」ともう一度電卓を叩くと、マスオさんが伝票仕訳について質問してきたので「ええと、こう修正するか、もしくは、ああ修正するか、ラクなほうでいいよ。でも、ああしたほうが後でわかりやすいかな?」と答えた後で、「ええと、あたし、なにやってましたっけ?」

 で、「そうだ、手数料は735円(消費税込み)なんだよな」とやっと「○手 735」と書いたところで、印刷会社の副社長が年始の挨拶にやってきたので、「ことよろ」と挨拶を交わしていたら、その次に出入りのビデオ撮影業者がやってきたので脊髄反射的に「ことよろ」していたら、「今日は、○○部長はいらっしゃいますか?」と言うので、他部署の○○部長に内線して、「じゃ、そっちのフロアに連れていきます」って言ったあとに「連れていきますじゃねーだろー、お連れします、でもねーし、ご案内いたします、くらい言えよ、あたし」と自己嫌悪に陥ること10分くらい経過した後、「ええと、あたし、なにやってましたっけ?」

 そーだ、そーだ、手数料が735円だから、A社の売掛金20万円から735円引いて、と電卓叩いていたら、エビワカちゃんが「TK部長にお客さんが見えたのですが、部長はどこに行ったのでしょうか?」「あれ、さっき、外出してなかったっけ?」なーんてドタバタしていると、また「ええと、あたし、なにやってましたっけ?」

 あ、そうそう、20万円から735円引いた金額を導き出そうとしていたのよ、と思い出すのに3分くらいかかり、「19万9千・・・」と書いている途中で「ミヤノさん、会計事務所からまたお電話です」で、「さっきの資料はもう送っていただけましたか?」って全然やってねーっていうか、忘れてましたよ!

 もう、仕事するのは土日だけにしようかな。そんで、自主的遅番にするとか・・・同僚M嬢はよく、この技を使う。うちの会社フレックスで遅番が1時出勤なんで、遅く来て、電話もかかってこない夜に仕事したほうが捗るのだ。その分、同僚としては午前中に彼女にかかってきた電話応対に忙しいのだが。

 まあ、年末年始に仕事が捗らないのも例年のことというか、前の職場でもそんなかんじだったので慣れているといえば慣れているのであるが・・・・

 さて、気をとりなおして、少しは心温まる話でも。

 私の初出勤は土曜日だったが、けっこう出勤している人も多くて、他部署の部長がなにやらケータイでひそひそ話したあと「おふくろがヤバいんで帰る」
 新年早々大変だな、と思ったけど、月曜日の今日、その部長はちゃんと来てたので、「大丈夫だったんですね?」と声をかけたら、「まあ、持ち直したっちゃあ、持ち直したんだけど・・・」と、ドバーっと話出した。

 その部長はけっこうお喋りな人だし、土日にずっと病院に詰めていたストレスもあったらしく、誰かに話を聞いてもらいたい気分だったようで、むくんだ顔も痛々しいが、それなりに「会社ではそれなりに仲よし」とはいえ、赤の他人の私に事細かい治療経過を話されても返事のしように困ったが、彼の母親はここ数年は体調も悪く、入退院を繰り返していたようだが、比較的元気な父親がそうとうショックを受けているようで、「日曜日の夕方にさあ、とりあえず帰ろうとしたんだけど、父親がまだ夕飯食べてないだろうから、なんか食べさせなくちゃって、病院の近所のファミレスに行ったんだよ」

 40代半ばの息子が、70代後半の老父を連れてファミレス。
 感受性豊かな私は、それだけでちょっとウルっときてしまいました。

 しかも、父は「ファミレスなんて、何十年ぶりだろう」と喜んでいたらしい。

 私が「たしかに、あの年代はあんましファミレスなんかには行きませんよね」と言おうとしたら、「母の介護もあったから、外食なんてほとんどしてないんだよなあ」

 うるるるる・・・・・・

 しかし、「オレはあんましお腹空いてなかったから、父親になんでも好きなもん食べなよ、って言ったら、かつ丼頼んでさあ」
 「かつ丼食べたんですか?」
 「おれは、ビール飲んでただけだけど、上手そうに食ってたよ」

 「男って、いくつになっても、かつ丼が好きなんですねえ?」

 って笑ってしまったけど、長年介護していた老妻が、いよいよ、って時で、お父様も相当落ち込んでいただろうけど、息子が息抜きに連れていってくれたファミレスで(その部長は、けっこう食通なので、そういう非常時でもなければ親をファミレスに連れていく人ではない)思わず「かつ丼」をオーダーしてしまうお父様って!

 いろんな意味で「かわゆすぎる」

 うちのパパンだったらねえ?
 5年後か、10年後かわからんが、私にもそういう局面が訪れるであろう。
 ママンが「もうダメかも」っていうことになって、しょんぼりして看病疲れのパパンを「まあ、とりあえず飯でも」と誘い出し、病院の近所には大した店もないから、居酒屋チェーン店に入ったら、パパンはきっと「とりあえず、ビール」

 で、あたしも「じゃあ、中ジョッキ二つ」

 で、親子して、突き出しの切干大根の小鉢をつつきながら「おかーさん、もうひとふんばりできるかねえ」なんて言いながら、中ジョッキをあっといマにあけた後には「じゃあ、焼酎ロックで」って、ひたすら飲んでそうだな。
 それで、ぼそぼそと病室に戻った、私とパパンが酒臭いのを感知して「あんたら、私が死にそうだっていうのに、酒飲んできたわね」って叱られるんだ、きっと。(号泣)

 この妄想は「いい未来」である。
 私は、いまだに独身で、当然のことながら子供もいないので、立派な親不孝娘ではあるが、できれば親の死に目には立ち会ってあげたい。
 親より長く生きるのが、せめてもの・・・・とは思うが、年始に老人ホームにいる祖母ツアーをしたけど、「この人たちより長生きできる確信が持てない」と弱気になった。

 とりあえず、どーしていいのかわからないので、祖母たちが死ぬまでは、親には生きていてもらいたいのだが、あと10年くらいは持ちそうな祖母たちを見るにつけ、とっても心配になる。
1月6日(日)

 年明け早々、土日出勤というのも悲しいものがあるが、サービス業だったら当たり前だのクラッカー。
 (ところで、前田のクラッカーって食べた記憶が無いんですが・・・)

 昨日は準備体操みたいなものだったので、今日こそ本格的に去年の伝票をガシガシ入力した。平日の三日分は捗った。やっぱ、日曜出勤はいいね。これで今週はそんなに残業しなくても済みそう。

 システム管理部署は、土日も当番があるのでチラホラと出勤しているのだが、我が総務部は当然のことながら無人君でしたが、昼過ぎに誰か来たので「他のフロアの人かな?」と振り向くと、元上司で現在は役員にご昇格のO氏でした。どうやら、今週の役員会にかける資料を作成しに来たらしい。

 O氏が「あれ?総務って日曜当番あるの?」と言うので「押せ押せだから、日曜出勤で追いつこうとしてるんですっ」
 も〜、O氏だって、元は経理課長で、年末は決算でいっぱいいっぱいで、年末年始の休みの後は一ヶ月分くらい溜まってしまうの経験してたはずなのに〜。あ、そっか、私が部下だったから、課長はそんなに忙しくなかったのよね〜(苦笑)

 さて、仕事が捗るのはいいんだが、私はあまり集中力がないし、パソコン画面を長時間にらんでいると、すぐに霞み目になるし(眼精疲労というよりも、老眼の兆しも?)国木田君に励ましてもらいながら、ときどき休憩して、給湯室を掃除してリフレッシュしてみたりしたけど、やっぱし4時くらいになったらポッキリと捗らなくなったのだが、6時まではちんたらやっていたが、ちょっと難しい伝票処理があって(親会社の担当者がやってくれている給与計算と年末調整にミスがあったので、修正につぐ修正でわけわかんなくなってきた)午前中にやれば、もう少しサクサクできたんだろうけど、電池切れ寸前の夕方にやると、電池切れ寸前のウォークマンみたいなことになる。(iPodなどは電池切れ直前の、あの感じにならないのだろうか?)

 6時には、とっとと帰りました。だって、アリーナでジャニーズやってて、6時ごろ終るという噂でしたので。NEWSのライブだったらしい。6時20分の電車に乗ったら、まだ空いていたので間に合ったみたい。

●のだめカンタービレ 新春特別編

 一昨日と昨日の合計4時間以上やっていましたが、「おもしろかった」というよりは「よくぞ、ここまで詰め込んだなあ」と感心した。
 前編のほうは、千秋様のコンクールだったので、そんなに詰め込んでいたようでもなかったが、昨日の後編は、ほんとバリバリと進行してて、「そっか、お城でのリサイタルまでやるんだもんなあ」と凝縮された内容にびっくり。

 そして、何よりも、連続ドラマのときにも「今まで観た、漫画原作のドラマの中でも、キャスティングが一番なんじゃない?」と思っていたが、そうそう、「のだめの続編やらないかなあ?」なんて友だちと酒飲み話していたときに「でも、舞台が欧州だからキャスティングがねえ?」ってことになり「でも、ウェンツとか使えばいいじゃん」「ああ、あとマリエとか」「私は梨花が太ってくれれば、ターニャにぴったりだと思うけど」なーんて話していたら、実際にウェンツが出ることになり「やっぱな」と思っていたけど、ベッキーっつうのは考えてなかったので「やられた」と思ったが、私は女性陣のことばかり考えていて、パリのアパートの管理人アンナさんは、どこの外人嫁オバサンがいいだろうか?なんて考えていたので(ロザンナは私も候補に挙げていた)、オジサンキャラのこと全然考えてなかったので、セイン・カミュが音楽院の先生で出てきたときには「こんな端役でもったいない!」と思ったが、極めつけがブノワさん=ダニエル・カールに、その執事=ジローラモ!

 いやもう、ブノワさんのダニエル・カールが、ほんと、漫画から抜け出してきたように、なんつーか、空気がぴったりで、東北弁そのままという荒業に感心したよ。
 ドラマだと駆け足すぎて、ブノワさんの見せ場(モーツアルトマニアなので、モーツァルトについて、延々と語る)が少なかったのが残念だが、原作を読んでいる人は、割愛されたシーンを脳内で勝手に演出していたことでしょう。ああ、惜しいなあ、あのキャストで欧州編も1クールやってくれれば・・・もったいない、とは、まさにこのこと。

 ユンロンは割愛されちゃったけど、リュカは出ていたけど、リュカとのだめの触れ合いはけっこう面白いので、もっとやってほしかったなあ。


 さて、話は変りまして、年末年始に帰省したときの話題。

 うちのママンが「そーいや、この間、バスツアーでヒルズに登ったのよ〜。イルミネーションを観るツアーで、六本木ヒルズと、あとなんだったっけ六本木の新しいやつ?」などと話始めたので「ああ、ミッドタウンも行ったんだ。そういうツアー客がいるから、私も12月に行ったけど、お母さんみたいな人がたくさんいて、ムードぶち壊しだったよ?」

 詳しく聞くと、そのバスツアーは六本木と汐留と恵比寿ガーデンプレイスを網羅して夜景を楽しむ豪華というか、忙しそうな企画だったらしい。

 しかも、さらに詳しく聞くと「クリスマスイブだったのよ〜〜〜」

 イブに六本木でデートしていた皆さん。申し訳ございません。

 「いや、私は12月前半に、美術館に用があって行ったんだけど、ほんと、オジサン、オバサンばっかでさあ。ほら、ヒルズって展望台と美術館がセットになっているから、展望台がメインのツアー客が美術館に流れ込むから台無しなのよ。しかも、あそこは現代美術だしさあ」
 「あら、そうなの?いっつもあんななの?」
 「そーなんだよ。最先端っぽいのやっているのに、客はオバサンばっかでさあ」

 自分のメインが「ウルトラマン博覧会」だったことは伏せておく。「あんたが、40歳過ぎても独身なのは、おたくだからなのね〜」という結論になってもややこしいからだ。

 で、ママンたちも当然のことながら「六本木クロッシング」を鑑賞したようだが、「まあ、面白いのもあったけど、大半がわけわかんなかった」そうで、「もしや、あれは?」と言おうとしたら・・・・・

 「なんか最初は、なんで新聞が並んでるんだろうと思ったんだけど、途中で気が付いたのよ。手書きだって。もう、凄いわよねえ?いったいなんであんなことを・・・・」

 やはり、私が観たときにも、オバサマ方に大人気だった例の新聞を丸々手書きでコピー作品である。

 「あら、やだ、これ手で書いているのよ、おとーさん、おとーさん、ちょっと、ちょっと、こっちこっち!これ、手で書いてるのよ?気が付いた?ほらー、おとーさんったら、ぼーっと通り過ぎてて気がつかないんだから、ほら、よく観て!全部手書きなのよ!もーおとーさんったら、目が悪いんだから、気が付かなかったでしょ」

 と、大声でまくしたてている母の姿がまざまざと想像できる。

 そーいや、妹はクリスマス頃に同居人の実家(富山)に一緒に帰省したようだが(妹の同居人は、祖母の具合が良くないためか、クリスマスに一度帰省してから、また戻ってきて年末年始にも帰省。1月末にも帰るつもりらしい)「男って、ほんとに気がきかねー」とぼやいていたのは、「お母さんにはクリスマスプレゼントを用意すればいいか」とアロマキャンドルを持っていったそうだが、富山に着いたら彼が「母の誕生日だし」と言ったので「だったら、もっといいプレゼントを用意したのに!」

 「そ、そーだよね、だったら花くらい持ってくよねえ?」
 「でしょ?全然そんなこと言わないんだもん」

 しかも、彼んちは、お父さんが早くに亡くなっているので、実家は祖母と母だけなのに、祖母は入院中で、3人でポツリと食事していると、彼はさっさと酔っ払って寝てしまい「しょーがないから、あたしがお母さんの女一代記を夜中まで拝聴した」
 「あー、でも、あそこんちは娘がいないから、娘未満が聞いてくれたから調子に乗ったんじゃないの?」

 うちの母が、隣の家の奥さんに「まあ、娘さんが二人もいらして、二人ともお正月には来てくれるの?うらやましいわあ。うちは男の子だけだから」と言われたそうで「30半ばと40歳の独身娘が揃ってもねえ?」などと言いやがるので、妹が「そういうことじゃないんだよ」と反論していた。
 妹は、つい最近、「実家に帰っても、食って寝るだけの息子」を目の当たりにしたので「息子なんてそんなもんだよ。つまんないよー、あれは」と力説していた。

 うちの妹だって、母の話を素直には聞かないけど、彼氏の母親の話だったらそれなりに大人しく耳を傾けるだろうから、そのお母さんも久々に調子に乗っちゃたらしい。「あんまし、聞きたくない話まで聞いてしまった」とか。

 ミヤノ家の正月は、姪っ子Nちゃんが3日まで宿泊したため、Nちゃん中心になっていたから、あんましママンの話を聴く時間がなかった。また、泊まりに行ってあげないとな。

 そーいや、やっぱし姪っ子Nちゃんは「でも、そんなのかんけーねー」をやっていたので、弟に「フジテレビの葛西アナが言っていたけど、これで全国の親御さんは苦労してるんだって?」と言うと「いや、親は別に気にしてないけど、幼稚園の先生は大変みたいだよ?」

 たしかに、あれを園児20名くらいが一斉にやったら、そうとうウザいだろうなあ。

 ええと、あとなんかあったっけ、正月に・・・・

 そうそう、元旦に府中の大国魂神社に行った後、「この後、どーする?」ってことになり「ちょっと歩くけど、向こうに義経ゆかりの神社だかお寺がある」と言うので「散歩がてら歩いてみよう」ということになり、その道が旧街道沿いらしく、古い家が残っていたりしてなかなかよかったが、ママンが「その神社には井戸があって、そこが筆洗いの井戸で、義経が頼朝に嫌われて、会ってもらえないから手紙を書いた筆を洗ったらしいとか」と言うので、「義経が頼朝に書いた手紙って・・・腰越状のこと?腰越って鎌倉じゃなかったっけ?」「あら、そうだったかしら?」

 なーんて会話しつつ歩いてその高安寺に着いたら、「弁慶硯の井」だった。

 義経じゃねーじゃんよ、ママン。つーか、ママンが勝手に「義経が頼朝に手紙を書いた」って腰越と混同していただけのようでした。

 ええと、あとね、正月にNHKの「プロフェッショナル」でイチローのをやっていたけど、犬がかわいかった。
 別に観るつもりもなく観ていたのだが、パパンがママンに「お風呂沸いたからお父さん先に入って」と言われていて、テレビの前でちんたらとストリップショーを開いていたので、やっとママンが気が着いて「オトーサン、それ観たいんだったら、お風呂は急がなくてもいいよの?どーせ、この人たち(私や妹)は夜中なんだから」と言うと、パパンは「まあ、もう、わかったし」と何がわかったのかわからないが、私が「たしかに、イチローがマジに喋ると、それなりに面白いんだけど、でも、15分くらい経つとだんだんムカついてくるんだよね(笑)」とフォローすると、妹が「たしかに〜」と乗ってくれたので、「でも、イチローは凄いよ。それが中田だと、5分と持たない」と言うと、妹が「中田だと、出てきた瞬間にムカつくから!」と姉妹で仲よく会話していたら、ママンが「え?なんで?どういうこと?」と絡んできたので、パパンはさっさとお風呂に入ってしまいました。

 かわいい犬といえば・・・・(イチローんとこの犬はほんとに賢そうで見目も麗しく、「ええ、ええ、あんたにぴったりな犬ですとも」となんだか面白くありません。たしかに尾も白い犬ではありませんでした)

 父と妹と私で、バアサン見舞いツアーをしていたとき、小平の老人ホームで母方の祖母を見舞い、また小平の駅に戻ると、私が思わず「あ、おとーさんが・・・・・」と駆け寄ると、父は「オレがなにか?」とキョトンとし、妹も「お父さんがなにか?」

 私が駆け寄ったのは、ソフトバンクの店頭に置いてあった「白い犬のお父さん」のカンバンが倒れていたからです。

 妹に「あんなのあったの、よくチェックしてたね」と言われましたが、私はあの白い犬が大好きなので、ソフトバンクの店を見つけると、心の中で「おとーさん、コンニチワ」をしているので、行きにはちゃんとしていたお父さんのカンバンを帰りに観たら、ぱったりと地面に伏せていたので「おとーさんが・・・」と駆け寄って、ちゃんと立たせてあげたのでした。

 以上、正月の思い出を書き出してみましたが、どーでもいいことばかりですね。平和です、といえなくもないが。
1月5日(土)

 初出勤。

 誰もいないかと思ったら、マスオさんも、M嬢もいた。部長も来ていたのだが、お付き合いで出初式に出席して戻ってきて「昨日、某役員にひっぱられて飲みに行ったらけっこう飲まされて、おかげで一睡もしてないから今日はもう帰る」って午前中に帰っちゃった。
 イマドキの出初式って、はしごでシルクドソレイユみたいなこと(なんて言うんだっけ?)やらないらしい。やってるところではやってるんだろうけど。

 さて「ええと、去年まで私、なにやってましたっけ?」と年が明けてもちっとも目出度くもないが、仕事が溜まりまくっているのはお約束。だから、よけーに目出度くないのである。

 今の会社は、10月決算だから、12月末は決算の大詰めでいろいろあるし、師走でただでさえドタバタしている最中というか、仕事納めギリギリに利益処分の配当金やら役員賞与だかを振り込んだり明細作ったりしないといけなくて「このクソ忙しいときに、金持ち連中に振込みする悲しさよ」と、ブルジョワ階級(ぷち・ぷち・ブルですが)にコブシを挙げながらも、ちゃんと仕事はいたしますが、そんなことやってると、通常の仕事が後回しになるというか、あー、もー、配当金とか役員賞与は源泉もあるので伝票打つのもめんどくせーんだよ。

 あと、年末にうちの部長が車買っちゃってさあ。
 前期にそこそこ利益出たから「買っちゃったほうが安いんじゃない?」ってことだったが「で〜すから〜、車両は一括で損金にならないんですってば〜〜〜〜」と絶叫した。

 リースだったら、月々で費用計上すればいいだけなのに、資産台帳に加えないといけないし、えーと、耐用年数6年ですかい。つーか、そもそも、うちの会社は昔から「車はリース」と決まっていたらしく、「車両運搬具」って科目無いんですけどお?

 部長が「買うとなんか不都合ある?」って聞くから、眉間をハンニャにして「会計処理が面倒です」と言ったんだけど、「だったら長期的に安いほうがいいよね?」って言われて、はんにゃ〜と負けました。般若と書くと強そうだけど「はんにゃ〜」は弱そうです。次回はハンニャはやめて、デーガンで戦います。デーガンのほうが、読み仮名もビジュアルも強そうです。

 で、今日の夕方、「ええと車両本体の金額と、保険と、登録手数料と」と仕訳伝票打ってたら、なにせ休み明けですから電池切れで、6時半にはギブアップしました。

 三茶から家に帰る途中に、私も時々いく「安い鮨屋」と「高い鮨屋」があるのですが、どっちも超満員でした。
 みなさん、お節にうんざりした頃なんでしょうね。

 私の少し前で、やはり「高い鮨屋」を覗き込んでいたオジサンがいたのですが、その人が私の気配に気が付いて振り向いたら「あ・・・」とおっさるので、「ん?」と思ったら、なんとお隣のご主人でした。
 このアパートに住んで10年以上経つので、お隣さんとは顔なじみですが、奥様のほうとはゴミ出しなどで顔を合わせると軽く挨拶する程度ですが、ご主人のほうは、私が最も得意とする60代のオジサンで、たぶん私のことを「美人」だと思ってます。

 挨拶だけのお付き合いなので、会話らしい会話をしたことは無いのですが、せっかくだから「お鮨屋さん混んでますねえ」と話かけたら、どうやらオジサマもどこかで新年会した帰りだったみたいで、適度に酔っ払ってらして「仕事帰りなんですか?」「職場はどちらで?」「帰省されたんですか?」と無難に話し掛けてくださったので、あれこれ世間話しながら並んで200メートルほど歩きました。

 オジサマは大変嬉しそうで、これで私が何か犯罪に巻き込まれたり、スポーツクラブで銃を乱射しても「きちんと挨拶する真面目そうな人でしたよ?人当たりもよかったし、美人だったし」ってワイドショーの取材で私を援護射撃してくれることでしょう。

 あ、のだめが始まったので、今日はここまで。千秋さま〜
1月4日(金)

 いつもなら、大晦日に帰省(ってゆーか、くどいようだが職場よりも実家の方が近い)して、3日には帰ってくるのだが、諸般の事情で珍しく4日まで滞在していました。

 あと、いつもなら、年末の日記に「よいお年を」程度のご挨拶は書くのだが、今年はそれも書かずに帰省してしまったのは、大晦日の午前中は「ごくせん」の一挙再放送を観て、午後は「華麗なる一族」を観てしまったからです。

 ええと、年末年始を振り返ってみると、28日が仕事納めで忘年会。
 忘年会の景品で一等賞品を当ててしまいました。ホテル宿泊&ディナー券・・・・・当たって嬉しいが、これで運が向いたのか、宝くじに向かって上昇させていた運気がこれで終ったのか・・・・。
 いつもは賞品の準備をする総務部は、あんまり当たらないんだけど、私は去年は国木田君をゲットし、今年は一等をゲットし、こんなところで運を使い果たしておりますが、部長もちゃっかりビデオ撮影機(・・・ええと、ハンディカムとかそーゆーやつ)を当てていた。

 そんなわけで、そのまま帰りづらくなり、二次会に突入して、終電で帰ろうとしたけど、珍しく酔っ払った部長が(飲めるけど弱いので記憶喪失を起こし、そのたびに深い自己嫌悪に陥るらしく、さらに、彼の父親が酒乱だったという幼少時のトラウマもあり、なるべく飲まないようにしているらしい)「だいじょーぶ、だいじょーぶ」と言うので、12時過ぎにタクシーに乗せてもらって帰宅。

 おかげですっかり飲みすぎて、翌30日はぐったりしていたが、午前中に給水と放水のために一旦起きたときにテレビをつけたら「ごくせん」の第一シーズンが再放送されていたので、「わー、松本潤君、ちょーカワい〜〜」と全部観る決意を固める。

 午後になって前夜から続いていた雨が止んだので、歩いてニコタマ。高島屋で帰省用のデパチカ製豪華酒のつまみを購入し、夕暮れの中、古奈屋でカレーうどんを食べ(高いけど、やっぱ上手いのであった)家に戻ったら7時で、「洗濯どーしよー」と思うが「いいや、明日やろう」と放置していたら、また夜中に雨が降っていたので、洗濯しなくてよかった、と思っていたら、友人Mから電話があり「あれ?帰省しないの?」と聞いたら「めんどくさくなってやめた」そうで、溜めたマイルを航空券にしようとしていたのだが、帰省を見送ったのでマイルを商品券に換えたのが余ってしまって、「その期限が月末なんだよね」って、「え?月末って・・・・明後日のこと?」

 日航ホテルでの食事を奢るというのだが、30日夜は他に約束があったし、夕飯を食べるには1万5千円では足りないし、結局30日の昼に豪華ランチを食べることにした。

 なので、翌30日の朝は8時に起床して、「ごくせん」を2話分だけ堪能して、11時過ぎにはお台場日航ホテルロビーで待ち合わせ。家族連れが多い。近所ではコミケも開催しているようだが、その時間だとコミケ客の姿は少なかった。

 ローストビーフ食べ放題ランチを食べたが、友人Mは本人が言わずともわかる立派な二日酔いで、隣の部屋が工事中で睡眠時間が狂いっぱなしのMは、酒が無いと眠れなくなっているらしく、「昨日、飲みすぎちゃって、それでたぶん(?)朝方にも飲んじゃったし」と、昼だというのに酒臭いし、そもそも30分も遅刻してきたのは「途中でキモチ悪くなって降りちゃった」
 「え?そんなんで食べ放題って、大丈夫なの?」
 「うーん、まだちょっと・・・・・まだお店開かないから、ちょっとトイレ行ってくる」

 15分くらいして戻ってきたら、真っ白な顔をしつつも「ちょっとよくなった」って・・・・

 まあ、私が無理やり誘ったわけでもないので、向こうがいいって言うからいいやと、開店してすぐに店に入った。
 私はローストビーフとローストポークとローストチキンの「コールドミート盛り合わせ」を2皿食べて「ほどよくお腹いっぱい」でストップしたが、Mもゆっくりなペースながらもお代わりしたところでピタっとブレーキ。
 しかし、食べ放題でお代わりしたものを手付かずで残すというのは重大なマナー違反なので、Mがギブアップできなくて、なんとか口に入れようとするが、一口食べてはまたストップを繰り返すこと30分したら、私も少し胃に隙間ができたので、7割くらい手伝ったので、私もパンパンになってしまった。

 腹ごなしに日航ホテルから、青海のほうまで散歩しようとしたら、「え?雨降ってんの?」

 全くの予想外。
 つーか、さっきまで、青空が広がってなかったっけ?
 空を見上げると、向こうのほうは青空で、ここの上空だけ雨という「にわか雨」状態だが、「こんな大晦日って・・・・」
 年末って、どんより灰色に雲っていることはあるけど、これではまるで初夏みたいな天気だ。異常である。

 でも、さっきのレストランで1人4千円くらいするランチを子連れで食べている人が多い光景も、かなり異常だと思ったけど・・・・子供にはハンバーグでも食わしておけばいいものを。

 だいたい、私が子供のころは、そりゃ、親戚んちに遊びにいって、そのままお年玉を抱えてゲーセン行ったりはしたけど、年末に出かける習慣なかったぞ?
 「みんな、年末は大掃除するんじゃないの?」と、自分が洗濯すらしてないのに、そんなことを小声で叫んだりしていた。
 いや、ほんとは朝、「ごくせん」を観ながら洗濯するつもりが、やっぱりやらなくて「ま、いっか」と思っていたのだが、また雨が降ったので「洗濯しなくてよかった」と己の不精を正当化していたとことなのだが。

 ヴィーナス・フォートをブラブラして、Mは大手町の日航のショップで残ったチケットを使えるかもしれないと、青海で逆方向になったのだが、やってきた電車は「コミケ帰り」でぎゅうぎゅう。
 「うわ、なにこれ?おたくクサ〜〜〜」とうるさかったギャルたちもコミケ帰りだった。

 次の予定は下北沢で6時待ち合わせだったので、乗換えの大崎駅の駅ナカでコーヒー飲んでいたら、そこで休憩しているコミケ帰りの30代腐女子2名が「雨降ってて、女の子が傘差して並んでいるというのに、誘導がなってない」とえらい剣幕で愚痴をこぼしあっていた。

 規模は違えども、私もイベント仕事では誘導係りをやることが多く、なんだか自分が文句言われているようで落ち着かない。どうやら、雨だから、急遽導線を変えたらしいのだが、自分らより後に並んだ人が先に入ることになったらしくてブーブー怒っていたようだが、そういうのって仕方ないことも多いし・・・・
 つーか、自分の友だちにもそういう言い方する人がいたけど「女性を優先させないのは、なってない」って言う文句言うのって、なんか好きくないんだけどな。
 なんか、いつでもどこでもタイタニック号のようなことになるのが当たり前だと思っているのだろうか?
 少なくともコミケ会場は鹿鳴館ではないわけですし。

 お昼を食べ終わったのは1時半くらいだったが、予想外に詰め込んでしまったので、全然お腹が空かず、5時に下北に着いたが、胃薬をコンビニで買った水で流し込んで、しばらく散策して、6時に駅前に戻ったが、やっぱり15分ほど待たされた。今日は合計45分も待ちぼうけである。

 昼に待ち合わせしたM嬢にしても、夜に待ち合わせした新井氏にしても、根は神経質なので、普通は遅刻しないらしいのだが、私が相手だと油断するらしく10分以内に来たためしがない。
 悪く考えれば「軽くみられている」のであるが、よく考えれば「私に気を許している」とも言えるわけで、後者だと思って耐えてます。

 そんで、恒例の「とぶさかな」に行ったのだが、1年くらい前にお向かいの広い場所に移転した「とぶさかな」が12月から旧店舗でも営業を始めたらしいのだが、そっちを覗いてみたら、店長の下のナンバー2として頑張っていた、顔見知りのお兄さんが、そっちの「帰ってきた とぶさかな」を任されているらしく、目があったら会釈してくれたので、そっちに入った。

 私はもう、あまりタンパク質が食べられそうにはなかったが「酒は別腹」だったらしく、つまみは食べられたので、万願寺とうがらし焼きとか、コノワタとかをつまみつつ、けっこう飲んで、その後、やはり行きつけの線路沿いの飲み屋街のバーで飲んで、11時前には解散。

 で、大晦日の朝も、きちんと8時に起きて、「ごくせん」を4回分、最終回まで堪能。第2シリーズはちょくちょく観ていたが、第1シリーズは一度も観たことがなかったので、まとめて観られて楽しかった。

 洗濯しつつ、ちょっとだけ掃除もしつつ、天気がいいから、午前中に干した洗濯が午後3時ごろにはすっかり乾いていたのでよかった。
 午後は「華麗なる一族」鑑賞。これも、一度も観たことがなかったが、あんまし面白くないのね。

 5時過ぎに支度して家を出て、7時前には実家に到着するが誰もいなくて、鍵を開けて入ったら、すぐに父ちゃんが帰ってきて「お母さんとY子(妹)は丸井の最後までいるらしい」とのこと。父ちゃんと先にビール開けて、紅白観ながら母と妹の帰宅を待ち、7時半くらいに帰ってきたので、戦利品を開けて乾杯。

 妹がリモコンを握って、紅白とK1と、あと、えーと、プライドじゃなくて、ハッスルを観て、ハッスルの「ケロロ軍曹対決」で失笑しているころには相当酒が回っていたが、「行く年くる年」が始まるころ「さ〜、例のアレを観ましょう!」

 去年、双子の乳飲み子を抱えた弟一家は、「とても外出できません」って年末年始に実家に来なかったが、今年は「日帰りならなんとか」と二日に来る予定だったので、妹から「小型のDVDプレーヤー買ったから、大人の年末年始っちゅうことで、例のあのDVD持っていきますから」と連絡があったのだ。

 もう、何年も前から「ねーちゃん、いーかげんにDVD観れる環境どうにかしてよ。あのDVD観てもらいたいんだから」と言われていた、「高慢と偏見」である。
 「ブリジットジョーンズの日記」の元ネタとして有名な、BBC製作の長時間ドラマ。

 何時間あるのかわからないが、妹が「ともかく、少しでも観ておかないと、時間かかるから」と年が明けてから深夜のジェーン・オースティン大会っていうのも、ミヤノ家の教養レベルの高さを自慢できる伝説になるであろう。

 妹は、たまたまテレビ放送でこれを観てハマって、DVDで買って「3回くらい集中的に観たら、やっとわかった」とのことで、その後に「BJの日記」を観てみたが「あれは、全然ダメ。それ以外にも、コリン・ファースが出てるのをあれこれ観てみたけど・・・」
 「わはは、ねーちゃんの世代だと、コリン・ファースといえば、アナザ・カントリーで完結ですから、BJなんて、モーリスのヒュー・グラントととっくみあいしているだけで、もう、そりゃ、うれしくて」
 「らしいね。あたし、そういうの興味なかったから。かろうじて、アナザ・カントリーはそこそこだったけど」

 で、年齢が6歳違うので、かなり「世代は違う」けど、頭のレベルはだいたいおんなじな姉妹は(テストの偏差値は私が10ほど上でしたけどね。社会に出ると、そんなの関係ねー)姉が「モーリス」「アナカン」な英国美青年ブームに20歳の頃ぞっこんで、10数年後に「BJの日記」を観て、まあ、それなりに楽しんで、「せっかくだから、ジェーン・オースティンでも読んでみるか」と読破。
 妹は、BBCドラマ「高慢と偏見」にハマって、今さらながら「モーリス」とか「アナカン」観てみて、さらに「原作本も読んだから、それで細かい描写もわかったけど、ジェーン・オースティンのって他のも面白いの?」ってあたり。

 で、私が「高慢と偏見」を読んだのも、ずいぶん前だし、オースティンのほかの作品とゴッチャになっているから「えーと、えーと」だったけど「あ、この変な牧師を主人公はあっけなく振るんだけど、そしたら、あのブスい親友が結婚しちゃうんだっけ?そうだ、そうだ」とだんだん思い出してきて、そうなると、妹と「この辺の描写は原作読まないとわかんないよね」なんて語り合っていると、横では父ちゃんがブツブツと英語の言い回しをなぞっているし(父ちゃんは「英語でしゃべらないと」が大好きだが、旅行中、外人さんに会っても、まっさきにアタックするのは私で、お父さんは全然ダメなのよ、と母が口を挟む)、ママンは「え?ビングリーさんって誰?」「だ〜か〜ら〜、このコの美人のネーサンのお相手!」・・・・・・20分後「え?ビングリーさんって誰?」「だ〜か〜ら〜、さっきも説明したけど、このコの美人のネーサンのお相手の、ちょっと頭悪そうだけど、いい人っぽい金持ちのボっちゃん」・・・・・・15分後「え?この、ビングリーさんって誰?」「だ〜か〜ら〜!」(マジに10回くらい説明した)

 大晦日はお風呂タイムも入れて、午前3時まで観てました。もう目が疲れた。

 でも「高慢と偏見」の前半は、小説もそうなんだけど、コリン・ファース演じるダーシー氏は、徹底的に「嫌味なヤツ」として描かれており、それはほんとは主人公の偏見だったのだが、小説だと、主人公の視点に頼るしかないけど、映像でもコリン・ファースは前半はずっと同じ表情しかしていなくて、その表情のコリンが出てくるたびに妹と「これで、実は好きでした、って言われてもねえ〜」と盛り上がる。

 元旦の朝、昼前に叩き起こされて、父母姉妹の四人で渋くお節料理を食べてから、ほかにやることもないから初詣。府中の大国魂神社に行ったが物足りず、高幡不動まで行って、そこで父姉妹はカップ酒でご機嫌でした。

 で、帰ってきてから、また日本酒の古酒っていう「それ何?なんか琥珀色しているけど?」っていうのを飲み捲くる。あと、ワインを2本空けたかな?
 父譲りの飲酒遺伝子を持つ、姉娘と妹娘が豪快に飲み捲くるので、父のペースが速くても、母がぐっと堪えて「え?まだ飲むの?」と文句言いたいが、我慢している様子が可愛い。ま、父はたいてい先に沈没しているが。椅子に頭を預けて、口半開きにして微動だにしないので、「死んだか?」と心配になって口に手を当てると呼吸はしているみたい。というか、自然と「気道確保」のポーズになっているのが面白い。

 で、元旦の夜になったらまた「さーて、続きいきましょう!」
 と、横では気道確保のポーズのまま仮死状態の父と、「ええと、ビングリーさんって誰?」を繰り返す母を適当にあしらいながら、姉妹で「で、このお屋敷見ちゃったら、プロポーズ拒否したこと、マジに後悔してるんだよね」「やっぱねえ、フッた男が、すげえいい車乗ってたら、ちょっと心が揺らぐよなあ」「あ、そんで、この叔父夫婦がポイントなんだよね」「そうそう、意外と使えてさあ」「ああ、原作だと、このあたりの心の襞がもっとネチネチ描写されてんだけどさあ」
 で、姉妹で古酒を空けていたので、すっかり酔っ払っていたので、急に「いい人」になったダーシー氏に大爆笑して、2時には終ったので、さっくりと寝た。


 さて、年末年始のどうでもいいできごとをこんな詳細に振り返っているのは「すてきな年末年始」だったからではなく、今日の9時から「のだめ パリ編」が放送されるので、それまでの時間つぶしです。まだ8時です。


 2日の朝、私は実家の居間の隣の和室で寝ていたので、駅伝中継の音で目が覚める。
 たぶん、10時ごろおきて、「正月だけど、まだ餅食べてない」ということで、先に起きて駅伝中継を観ていた両親とお雑煮で朝食をとっていたら「あれ?車の音がした?もう来た?」と言っていたら♪ピンポーンと呼び鈴が鳴り、真っ先に姪っ子Nちゃん乱入。

 1年ぶりに会ったので、すっかりオネーサンになっていた。5歳。身長110センチ。体重22キロの怪獣。

 続いて、体重10キロの1歳4ヶ月(誕生日は9.11)の双子もやってきた、でけー。つーか、もう歩いてるし。

 でも、やっぱ女の子はラクですねえ〜〜〜

 弟の嫁が、私の知人には絶対にいないような、ほんとおっとりしたいい人で、その血を受け継いでいるというか、嫁の育て方がいいせいもあるんだろうけど、やんちゃ盛りが3匹もいても、そんなに荒れないところが凄い。

 双子たちも、ちょうど人見知りしない狭間だったようで、お宮参りで会っただけの私や、なぜかそれが初対面だった妹にも大人しく抱かれていたので手がかからなかった。
 それに、もう大人の食べ物でもバクバク食べるから、どんどん巨大化しそうだ。

 で、3年間、一人っ子生活でさんざん甘やかされていたNちゃんも、ジジババもびっくりするくらい「大人」になったみたいで、すでに「こいつらがいるからママを独り占めできない」という嫉妬期間は抜けて、諦念期間になったらしく、ジジババが遊びに行ったときにも、自分がせっかく積み上げた積み木を双子の怪獣が破壊するのを「しょーがねーな」と暖かい目で見守っていたらしい。

 それでも、こうして大人に囲まれると、やはり一番人気は「人格」がきちんとでてきたNちゃんで、弟曰く「Nちゃんは、ねーちゃんやY子をオレの友だちかなんかだと思っているらしい」けど、ASIMOより下等動物な双子よりも、ついつい日本語通じるNちゃんと喋りたくなるので、Nちゃんのプライドはけっこう満たされるようで。

 最初から「Nちゃんさえよければ、Nちゃんだけ泊まっていきなさい」という計画だったようだが、弟夫婦と双子が帰るときにも、Nちゃんは「私は泊まっていくも〜ん」と平然としていた。

 妹がしみじみと「私は、おねえちゃんもSちゃん(私の弟。妹の兄)がいたから、一人でおばーちゃんちに泊まるなんてことなかったな〜、そんなの考えもしなかった」

 ふふふ、そう、長子はねえ、そういう局面あるのよね。
 で、ほんとは「下の子は手がかかるけど、上の子はもう大丈夫だから」って、こうして祖父母のところに預けられたりするのよ。で「もう、大丈夫よね?」って期待されてるというか、まだ、おっぱい飲んでいる下の子に比べれて自分は断然大人って思っているから、ママと離れてもへっちゃらっていうか、普段は下の子中心に物事が進むけど、弟や妹がいないと、ジジババやオジオバは私を可愛がってくれるから、けっこう居心地がいいのだ。なんか、「大人の一員」って認められたような気がするし。

 そんなわけで、Nちゃんも平然として「あたし、1人でも、おじいちゃんちでお泊りできるのよ」と堂々とふるまっていた。そして、気ままにお絵かきしていても怪獣な妹たちに邪魔されない自由な時間を楽しんでいたようだ。

 うちの母としては「双子だけでも大変だから、たまにNちゃんを預ってあげると、あっちも少し息抜きできるでしょ?」だったけど、でも、弟の嫁も本音としては「Nちゃんがいないと寂しい」というのも理解しているようで、目の前でそういうやりとりがあると、「その当時」から35年くらい経っているけど、このワタクシが「あたし、おばーちゃんちで1人で泊まってもヘーキだもん」っていうアタシを置いていくと、オカーサンも少しは寂しいと思ってくれたのね。

 なので、5歳のNちゃんが目一杯、こまっしゃくれているのも、なんだか35年前の自分を観ているようで、酒が進むわ・・・・・・(なんでも、酒のつまみにするこの癖は、Nちゃんも受け継ぐのだろうか?だったら20年後に、一緒に「高慢と偏見」観ようね)

 3日。母はNちゃんと「映画観ようね」って約束していた。
 Nちゃんが観たい映画は「たまごっち」のなんちゃら。
 母は「私は、マリと子犬が観たい」とダダをこねるが、Nちゃん、さすがオネーサン、「おばーちゃん、そしたら、マリと子犬はわたしが7歳になったら一緒に行ってあげる。だから、今日はたまごっち」

 横で41歳の姉娘が、「ごら〜、おがーざん、5歳の子がこんな理詰めで説得してるんだから、いいじゃん、も〜」と「たまごっちなんて観たくない〜」とムズがる母を説得して、ネットで上映時間も調べてやり「1時半が最終回だから早く行け」と12時には蹴りだした。

 ババと孫がいなくなり、父と「駅伝がゴールしたら、ババあ見舞いツアーに行こう」としていたのだが、妹がなかなか起きなくて、やっと12時半頃おきてきたので「あんた、まだ餅食ってないだろう」とお雑煮を作ってやってから、妹は支度に時間かかるのだが、やっと駒大がゴールしたころに「あと何分くらい〜?」「シード争いがもう少し」ってなかんじで、妹の支度が終ったのと箱根駅伝のシード争いに決着ついたのが同じくらいで、2時頃にやっと出発できました。

 小平の老人ホームにいる母方の祖母は元気でしたが、どこから吹き込まれたのか、ビミョーなシモネタ話が気に入ってるらしく、それを何度も聞かされた上、母がいると、初孫の私くらいは認識するのだが、今回は妄想話しか聞けませんでした。父のことはわかったみたいだけど。

 で、移動して父方の祖母。
 前回、母が「あっちのおばーさん、ちょっとヤバい」と言うので緊急見舞いしたときには、かなりクリアで、祖母の実家の話もいろいろしてくれたのですが、今回は「あー、もー、頭悪くなっちゃって、全然わかんない!」と、実の息子である、パパンにすら「あんたは誰?」とか言うので、「うちらのことわかんなくてもいいから、この人のことは覚えてあげてよ!」

 全然ボケない父方の祖母ですが、さすがに今年97歳で、ホーム暮らしで刺激がないこともあり、頭クリアなときが少なくなっているようですが、それでも「今日は3日だったっけ?」とか言いやがり、でも「のんちゃん」って誰だかわかんないようですが「あーら、のんちゃん?ええ?もう1人はYちゃん、あら、あら〜〜〜〜」ってやったあとに、どうやら必死に「誰だったっけ?」と考えるくらいの「知恵」は回るようで、考えても思い出せないので「 〜、あたしったら、もう、全然なんにもわかんな〜い」とかわいこぶるだけマシなようです。

 母方のバアサンは、もっと完全ボケているので、「ああ、鎌倉からいらっしゃったのよねえ?」とか、デタラメいいますから。(うちの親戚で鎌倉に住んでる人なんていないんですけど・・・・


 あとで母にそう報告すると「ああ、Aばあさん(父方の祖母)が調子悪いとああなるのよ。前のときも、ああだっから心配になって、あんたたちを召集したら、そんときはクリアだったんで、波があるのね」

 まあ、どっちも頭には問題ありですが、帰り道に妹が「でも、どっちも体には全く問題ないようで、元気だね」

 ええ、どっちも、あのまま100歳まで生きるでしょうね。なにごともなければ。新型インフルエンザが猛威を振るったら、私とか両親とかが先にやられそうです。もう、どっちも頭は怪しいが、ほっぺたプリプリしてましたもん。

 バアサンツアーを済まして、家に帰る途中、父に「そーいや、プレミアム・モルツ全部飲んじゃったから、ビールが無いんじゃない?」と言うと「まだ沢山他にもあるから」と言うから、まーいーや、と思っていたら、先に家についた母から「発泡酒しかない」と指令が下り、「やっぱし〜?」

 妹は「発泡酒でもなんでもいいよ」というが、義理の弟未満という、妹の同居人が富山に帰省していて、3日の夜のこっちに寄るというので、私はその義理の弟未満のお土産の「ます寿司」食べたさに3日夜も実家に宿泊することに決めたのだが、母としては「義理の息子未満」がいらっしゃるから、ビールくらいは揃えておきたかったらしい。

 7時前にその義理の弟未満が富山土産と共にやってきたのだが、すでにかなり酔っ払っているのは、「ここに来る前に、行きつけの飲み屋に寄ってきたんだ、あーあ」と妹はウザがっていたが、マス寿司とか、昆布ジメとか酒のつまみに地酒も持ってきてくれたので、パパンはあっという間に酔っ払ってしまったが、義理の弟未満もあんまり強くないのに下地ができたいたので、あっという間にダウンして、姪っ子Nちゃんが寝るはずの居間横の和室の布団で仮眠してしまった。

 Nちゃんを風呂に入れて寝かそうとしても、そいつが邪魔だったが、「まあまあ、実家帰って、気が張っていたんだろうから、休ませてあげなさい」と私と母が連呼して、(父はすでにまた気道確保状態で沈没)、妹の同居人が潰れている横に子供用布団を用意して(布団は腐るほどある)、姪っ子Nちゃん、私や妹のことも「パパのともだち?」程度の認識なのに、このオニーチャンのことなんてどう認識しているのかわからないが、子供なんて、眠くなったらひたすら寝るので、母が添い寝する横で、酔っ払いの知らないおじちゃんがいてて、全然気にしてなかった。

 妹の同居人が潰れてから、1時間後くらいに、父が気道確保状態から覚醒したの「うちのお父さんは酒が強いから、もう目が覚めたけど、MNちゃん(妹の同居人)はあと1時間くらいかかるだろうから、寝させておきなさい」と「も〜、いいかげん起こす」と息巻く妹を私と母でドードーとセーブし、11時ごろ、やっぱりムクりとおきだしたので、妹が「もう、帰ろう」と引きずって帰っちゃいました。

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