可燃物な日々

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 日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました
6月29日(金)

 今日は夕方から少し雨が降ったけど、こんなんじゃね〜
 なんだか、雨っていうよりも、湿度があまりにも高いから、湿気が天上(天井?)結露して地上に落ちてきたみたい・・・・って、それが雨か(笑)

 しかし、日曜日は外仕事(おカクさまの案内誘導。オカク様とは三千人くらいの過客にして、てんでばらばらに行き交う、まるでハチコウ前交差点の旅人なり)だけど、そんときだけ「梅雨らしい降雨」だったら怒るよ〜

 でも、たぶん、外周りスタッフには安っちいビニル合羽が用意されているはずだが、前にも同じようなイベントで合羽を支給されたが、傘のほうがマシだったので、私は傘差して歩いていたけど、今回はゴアテックスのを持っていってみようか?

 さて、ここんとこ、けっこう買い物魂が炸裂していて(当社比)、モンベルで4万円くらい、クロックスで1万5千円くらい散財し、本も2万円くらい買い込んだし、今日はやっとグラサン2千円っていうのを買った。

 ずっと使ってたサングラスが行方不明なのよ。
 どこで紛失したのかもわからない。室内のどこかに埋没されている可能性も高いが、25平米弱のこの狭い部屋は、最近、行方不明者を多く出していて、体温計もとうとう見つからないので、この間の風邪で熱が出たときに、とうとう新しいのを買った。

 ああ、無駄使いも甚だしいが、でも、気が小さいので、「雨がちゃんと降らないと毛染めができない」と白髪が目立っているのに放置している。

 ほんとは、この勢いに乗じて、夏服や夏靴(サンダルとか?)も買いたいのだが、まだちゃんと衣替えをしていないので、衣装箱に眠っている夏服がどういうラインナップだかわからないまま、補強できないのである。夏服は、あんまし持たないので(洗濯回数が多いので、すぐにボロになるから)、かなりの補給が必要だとは思うのだが・・・・

 昨日の晩というか、たぶん3時だか4時くらいのウシミツ時にふと目が覚めてしまい、半分寝ぼけていたのだが、軽い金縛りと耳鳴りというか、幻聴みたいのに七転八倒した。

 そんときに、ふと「霊友会」のことを思い出してしまった。
 母方の実家が神谷町から麻布台を越えた下町(鰻の老舗「野田岩」があるあたりでした)にあったので、霊友会本部の側はよく通っていたのである。あれと、NOAビルが子供心には理解不能のミステリースポットだったな。

 霊友会も、私が物心つくかつかないかの時には、あんな立派な建物ではなかった。
 ちょうど、あの手前に小さな神社があって、うちの母が「お母さんはここで七五三やったのよ」と説明するような由緒正しい地味な神社だったが、その裏の山の上が建築中になってしばらくしてから、ダーンと現れたのが国技館をもっと壮麗にしたようなバケモノのような「釈迦殿」だったのである。昭和50年に建立らしいので、ちょうど私が9歳のとき。

 あれが出来てから、観光バスで地方からやってくる信者の姿もよく見かけた。たぶん、私が祖父母宅に行くのは、学校が休みのときだったから、地方からの信者だって家族連れで押し寄せていたのだろう。
 あの頃には、新興宗教というのもなんだかわからないし、高校野球で「PL教」だの「天理教」などの存在を知ったのはいつの頃だかわからないけど、でも、PL教とLPガスを混同していたりしていたから、なにがなんだかよくわかっていなかったのは確かだし、東京出身の無宗教に近い環境で育った両親は、新興宗教に対しての偏見もあまり持っていなかったようで「わー、すごい建物できたんだねえ」と、ただ感心してたっけ。

 なので、霊友会に対しては、「幼少のころ、いきなりあの凄い建物を見たショック」はあるけど、それ以外はどうでもいいと思っていたが、ふと「そういや、変な名前だとは思っていたんだよな」というのを思い出したのである。

 今にして思えば、「霊」がつく宗教団体はけっこう多いのはわかるが、小学校4年生にしてみれば「霊」といったら「心霊写真」であり「肝試し」であり、霊が怖くてトイレに行けないというのは非常に現実的な問題であったので、「霊友会」という字面は「降霊会」くらいゴチックでオカルトなものに思えた。

 しかし、子供にはオドロオドロしく思えた「霊友会」の看板が、それほど怖くなかったのは「いんなあとりっぷの霊友会」と書いてあったからである。

 「霊」=「幽霊」であり、霊というのが魂を意味することなんて考えつかない子供にとって「いんなあとりっぷ」というのが何を意味するかなんてわかるわけがない。

 たしか「インナートリップ」とカタカナ表記ではなく、「いんなあとりっぷ」と書いてあったはず。こういうときにはウィキペディアだよな。やっぱ、あった

 ウィキペディアによると、「1971年2月9日に小谷喜美死去後、久保角太郎の子息である久保継成が会長に就任。「いんなあとりっぷ」を提唱し若者をターゲットとした布教方針を掲げた。」とあるので、私が5歳くらいのときにできたキャッチフレーズだったらしいから、神谷町から麻布台に向かう道の途中に「いんなあとりっぷの霊友会」という看板があったこは記憶違いではないのだろう。

 「いんなあとりっぷ」というキャッチコピーが当時の大人にどういう印象を与えたのかはわからないが、10歳にも満たない私には、今でいう「癒し系の文字列」に見えた。たぶん「いいなあ、プリン」と看板に書いてあるくらいの衝撃だったのであろう。

 今から思えば、「いんなあとりっぷの霊友会」という文言に非常にオフビートで洗練された「笑い」を見出した幼心の、いい意味でのトラウマが、「ニューエージ・ブーム」をお笑いだと思っていたシニカルな自分を作り上げたのかもしれない。

 そういや、ケン・ラッセルの映画「アルタード・ステーツ」を観たときには、「あ、そうそうこんなかんじ!」と自分の無意識に眠っていた「いんなあとりっぷ」と非常に折り合いがよかったので、けっこう感動したっけ。(ケン・ラッセルが死んだって話も聞かないのですが、まだ生きてるんですかね?)

 今でも、スポーツ・クラブでの「なんちゃってヨガクラス」で、屍のポーズをとりながら「体が地面の中に沈みこんでいきま〜す」なんていわれると、心の片隅で「いんなあとりっぷ」って派手に点滅してしまいます。

 そういえば、ヨガクラスのインストラクターが中年の客と話しているときに「死体のポーズとか、屍のポーズというと、あまり評判がよくないので、シャバアーサナと言ってるんです」と説明していて、「へえ〜」と思ったのですが、その中年のオバサンは「でも、シャバなんちゃらって言われてもピンと来ないわ〜」と言っていた。

 たしかに「トルコ風呂」を「ソープランド」に変更したり、もっと最近だと「看護婦」が「看護師」になったりするのは、「真っ当な理由」があるから、「新しい名称になかなか馴染めない」と嘆く、頭の固いお年頃の人でも、それに不満を言ったりしないが、例えば私なんかは、「レインブーツ」という名称に馴染めないので、「長靴」と意固地に連呼したりするけど、私が意固地にならなくても「長靴をはいた猫」が「キャット・ザ・レインブーツ」になったりはしないだろうし(あんまし自信を持って断言できないが)、「長靴下のピッピ」が「ピッピ・ザ・アンダー・レインブーツ」にもならんだろう・・・・?
6月28日(木)

 そうそう、水曜日の交流戦での巨人戦で田中君が登板してしまい、せっかく金曜日登板に淡い期待を込めて残業までしたのに、無駄になってしまった。
 なので、火曜日の夜はM嬢に「残念〜」と電話していたら、また長電話になってしまった。

 結局、寝不足&二日酔いで(電話しながらワインをグビグビ飲んでいたから)、昼過ぎに下北沢の美容院に向かったのだが、また「梅雨はどこにいった?」な晴天で、歩いていたら汗だくになってしまった。
 でも、モンベルのUVカット帽子で武装していたのだが・・・(ほんとは、レインハットが欲しかったのだが、帽子売り場を眺めているうちに「雨よりも紫外線対策だろう」と考えが変わったのである。

 あと、今週の日曜日はやっとそれなりの雨が降ったので、さっそく、ゴアテックスのレインコートとクロックスの長靴に身を固め、傘を差さずにスーパーまで買い物に行った。
 その格好でアパートを出たら、お隣のご主人が車から出てきたので、いつものようにご挨拶したのだが、向こうは私が誰だか一瞬わからなかったようだ。たしかに、目立つ長靴をはいた巨大てるてる坊主のようでしたからね。
 つーか、あの程度の雨でレインコート着て、さらに長靴まで履いていると悪目立ちするというか、スーパーの中でも妙に視線を集めたけど、みなさんきっと「え?そんなに雨ふってるの?」と警戒されたことでしょう。

 さて、美容院に行くときには、やはりクロックスで試しに買ってみたトレッキング・シューズも履いてみた。通気穴が無いからムレそうだったけど、それは意外に大丈夫だったが、やっぱし踵がちょっと当たってしまった。もう少し履きならさないとね。

 話は変わるが、ここ数日、読んだ本に刺激されて環境問題のことをぼんやり考えていたので、それは日記にも多少書いてあるけど、書くたびに話が明後日のほうに行ってしまうので、「うー、まとまらん」と日記を放置して寝かしていたりしたんだけど、そんな気分の中、友人M嬢と長電話になり、互いにほどよく酔っ払ってきたころに「最近、そういう本読んで、ちょっと考えちゃってさあ」な話題を持ち出したのだが、私がうっかり「たとえば、ダイオキシンには害がないとかさ」と言ってしまったら、もの凄い勢いで反論されたというか「ええええええ〜〜〜〜、そんなのトンデモでしょ〜〜〜〜」と絶叫されてしまったのだが、私の言い方が悪うございました。

 まあ、彼女は環境問題に関しては「やらないより、少しでも効果があるのならやったほうがいい」という態度だし、ずいぶん前にもペットボトルのリサイクルの初期に「でも、回収しても有効にリサイクルされてないらしいし」と私が言ったら、「でも少しでもリサイクルされるのならいいじゃん」というような意見だった。
 その手の話をすると、いつも手痛い反撃に遭うので、怖いからあまりきちんと確認したことはないが、たぶん、京都議定書についても、「焼け石に水」説があるとしても、「でも、できるだけやったほうがいい」と言うだろう。

 彼女は闇雲なリサイクル礼賛者でもなく、こっちがきちんと理屈をつければ納得してくれる。
 前にも、「本を整理して、ゴミに出した」と言ったら、「ブックオフで売ればいいじゃん」と言われたのだが、「私もそれがベストセラー本だったら、ブックオフで売るかもしれないし、そもそもブックオフで買うかもしれないけど、私が買う本のほとんどがロクに売れない翻訳文学だったりするわけじゃん、昔は図書館で借りていたけど、今は経済的余裕があるから、著者にせめてもの著作権料を手にしてほしいし、それに、一冊でも多く売れないと、そういう本をそもそも出版してくれなくなっちゃうじゃん、だから貴重な一票なわけ」と言うと、それは当然のことながら(ブックオフに売ろうが、捨てようが個人の自由であるから「えー、もったいなーい」と言うようなM嬢ではない)すぐに納得してくれるのだが、でもはやり「捨てるんだったらリサイクルに出せばいいのに」と言われたけど、「でも、前に古紙リサイクル業者が、新聞や雑誌はいいんだけど書籍はリサイクルしにくいって言ってたし、それに、書籍をリサイクルに出すと、結局、リサイクルじゃなくて中古本屋に売られてるような気がしなくもない」と言ったら、「まあ、そういう考え方もあるね」と言ってくれた。

 そういう話には突っ込まれないんだけど、「どこのスーパーにもペットボトル回収箱が置かれるようになって、ペットボトルの飲料買うことに罪悪感を覚えなくなったような気がするが、果たしてそれでいいのだろうか?」というようなことを言うと、「自分の信念に基づいてやれば?」と呆れられてしまうのだ。

 彼女は最近、ペットボトルのワインを買っているそうだ。「え?そんなのあるの?」と驚いた。
 なんか、アルコール飲料って技術的にペットボトルに詰められないのかと思っていた。

 そんで、なんとなくペットボトル・リサイクルについて調べていたら、ビールのペットボトル化の話もあったんですね。グリーンピースが猛反対してやめさせたみたいだけど・・・・・
 まあ、グリーンピースの記事だけじゃ、全容がよくわかりませんが、そもそも、そういうことがあったことすら知らなかった。

 ちゃんと読んでないし、よくわからないまま言うのもなんだが、瓶ビールがペットボトルに変わるのは、たしかにどうよ、と思うけど、缶ビールがペットボトル化されるんなら同じようなもん、というか、「どっちがいいのか?」と考えちゃうけどなあ。

 でも、環境保護団体が主張したのは「リターナブル瓶をペットボトルにしないでほしい」ということだったとしたら、リサイクル的には地味というか、どーやらただ粉砕されて放置されていることが多いと思しきワインの瓶(前にテレビで色つきのワイン瓶はどうにもならないと紹介していた)が、ペットボトルになっても問題にならなかったのかね?

 やーね、私ったら、瓶のワインと紙パックのワインでも思い悩んでいたっていうのに。
 瓶を分別ゴミに出すのがけっこう億劫だったから、紙パックだとラクだなあ、と思ったんだけど、果たしてどっちが環境にいいのだろうか?ってね。

 まあ、ゴミ処理問題にしても、きちんと科学的に検証を進めて、一歩一歩前進していけばいいので、私がこうやってぼんやり考えていてもしょうがないけど、誰かがちゃんと考えてくれているのだと思うしかないよな。

 先日も「結局、免罪符っていうか、宗教的なこと?」と書いたが、個人レベルではやはり「信念の問題」なのかもしれない。
 ほら、一時も(今でもいるか)「飲食店で割り箸を使わず、マイ箸を持ち歩く」なんてのをやってる人が芸能人でもけっこういたけど、割り箸は森林保全の間伐材や材木製作の余分な部分を使用していることも多く、「割り箸使用をやめても森林保護にはならない」という説もあるが、じゃあ、どれが正しいかって結論はなかなか出ないだろうし、石鹸と合成洗剤の話も似たようなもんだしね。

 ある友人は食器を洗うのも自作の石鹸を使用していたが、あれも下水の浄化というか水質保全の観点では、今のところビミョーらしいが、結果よりも信念が大事だろう、やっぱ。

 そーいや、環境問題ではないが、最近流行りの「トランス脂肪酸」っていうのも興味深い。
 これも、よく内容がわかってないまま書くが、トランス脂肪酸っていうのはマーガリンなどに多く含まれるらしく、ちょっと笑ってしまった。
 だって、私の子供の頃はっていうか、つい最近まで「植物性油の方が体にいい」だったはず。もちろん、高度成長期のサラリーマン家庭では、マーガリンのほうがバターよりも安かったし、柔らかいからパンに塗りやすかったしね。でも、お菓子を作るときは、やっぱしバターたっぷりのほうが美味しくて、母と「やっぱし、バターのほうが美味しいね」と「体に毒なものほど、なぜか美味いよね」と囁きあった。

 それが30年後には「毒物」扱いになるとは・・・・

   まあ、化学物質の汚染と同じような話で、要は摂取量らしく、日本では欧米よりも摂取量が少ないので、政府が規制するところまでいっていないけど、でも、テレビ報道では「欧米では期性しているのに、日本政府もとっととやらんか」っていう雰囲気だった。
 たしかに食の欧米化は進んでいるので、今から対策をたてておくべきかもしれないのだが、なんとなく「要は油とりすぎるなってことでは?」って気もする。

 私はどうも食品添加物には無頓着で、てゆーか、天然の食物にもそれなりに毒物は紛れ込んでいるわけで、食べるという行為自体が「毒も取り込む」と思っているようで、そりゃ、人間はずっと何かを食べて生きてきたわけだから、天然の食物の毒には耐性があるけど、化学物質の添加物に対する耐性は持ってないわけで、でもそれを言うなら、米は大丈夫かもしれないけど、「デュラムセモリナ粉」に含まれる天然の毒には耐性が無いかもしれないわけだし・・・・

 って、なんだかとっても思い悩んでいるような日記になってしまいましたが、実はあんまり深く考えてなくて、つーか、あれこれ考えるのが好きなだけです。
 なので、ときどき友人には「なにグダグダ言ってんだ」って叱られるんですけどね。

6月26日(火)

 今日は現金出納で一日が終ってしまい、ぐったり疲れたので(現金相手は神経つかうんですわ、ほんと)、定時になったら帰ろうかと思ったんだけど、明日の水曜日は美容院に行くために休むし(どーせ、土日出勤だから)、金曜日はもしかしたら西武戦に田中君登板の可能性があるらしいので(ノムさんの誕生日らしい)、そしたら金曜日も休むつもりだし、月末支払をまとめておいたほうがよさそうだと思って、残業してせっせとやっていた。

 8時過ぎまで残業するのも久々だ。
 働けば働くほど時給が下がる仕組みの下で働いているので極力残業しないようにしている。
 でも、給料上げてもらうのは大変だけど、時給単価を上げるのは、努力次第であるていどまではいけるし、「今は手一杯でそこまで出来ません」ときちんと宣言して、上司が「でも、やってくれ」と言うのなら「じゃ、給料あげてくれますか?」と言えそうな気もするし・・・・

 しかし、今のところ、私が残業してまでもやろうとしない仕事に関しては、他の人がやっていたり、「まあ、余裕ができたらそのうちね」と言われたりしているので、私に求められる仕事がこの程度なのか、この程度の職業人だと見限られているのか、私の言うことがあまりにも理に叶っているので、それ以上の要求ができないのか、まあ、どうでもいいことである。

 さて、いつものことで前置きが長くなったが、久々に残業したので、少し神経が尖りながら岐路についたのだが、やっとパトリック・マグラアのゴシック世界に馴染んできて、楽しく読めるようになった「失われた探検家」で残業疲れをリフレッシュしつつ、乗換駅の「あざみ野」に着くと、斜め前方に「あれ?もしかして知り合い?」という女性を目撃。

 以前勤めていた会社での知人である。某大物芸能人の事務所の経理の人だった。彼女は世田谷線沿線に住んでいるので、私と同じジムに通っていて、数年前までは時々プールのサウナ室で顔を合わせていたが、私がそのジムを2年くらい休んでいて、最近復帰したら会うことはなかったので「どうしただろ?」と漠然と思っていた。

 まだ仕事を続けているのなら(もう、定年を過ぎたお年だけど、個人事務所の事務員だから定年なんて無いようなもの)平日にこんなところを歩いているわけはない。
 でも、彼女は喪服と思しき黒いスーツを着ていたので「横浜方面で6時からのお通夜帰りか?」と想像できる。

 声をかけようかと迷ったが、地下鉄の駅から東急線に乗り換える間、彼女はエレベータを使わずに階段で登っていたので「ああ、お元気なんだな。きっとジムは新しくできたところに移ったのだろう」と思ったし、それに、仕事上の知人だったというだけで、特に親しいというわけでもなかったので、なんとなく声をかけそびれた。

 で、東急線のあざみ野駅のエスカレータに乗らずに階段を上がっていく彼女の後姿をぼんやり眺めながら、私は迷わずエスカレータに乗ろうとしたら、「ガコン」と異音がした。

 エスカレータにすでに乗っていた人たちは、びっくりしていたが、エスカレータが急に停まったのである。
 あんなの私も初めてだったが、エスカレータに乗っていた人たちも「すぐに動き出すのかな?」と思ったらしく、しばらくじっと立っていたけど、どうやら動かないようなので、ゾロゾロと自力上りだした。

 私も、停まっているならエスカレータに乗る必要もないし、いつまた急に動き出すかもわからぬエスカレータを自力で登るのも嫌だったから、階段を上がることにした。
 後ろを登っていた若い女子2名も「わー、なんだったの今の?」「故障?こわーい」と騒いでいたが、「でも、誰も怪我しなくてよかったよね〜」と言っていたので、ちょっと都会のオアシスを感じた。
 別に、普通のことなんだけど、残業して疲れていると、そんな何気ない普通の一言が心に染みたりするわけです。

 三茶に着いて、地上への階段を登っていると、前方からすでに酔っ払った50代半ばのオジサン3人組の1人が「あー、もう、そうとう酔っ払っちゃたよ」とご機嫌だった。
 そっか、もう9時半だし、すっかりできあがってる時間だよね。

 そう思いつつ、そのオジサンたちとすれ違うと、ご機嫌ナンバーワンだったオジサンが大声で「も〜、ほんと、すっかり酔っ払っちゃって、なんだか全員美人に見えるよ」

 おい、私とすれ違った直後に言うなよ。

 まるで私が「シラフでは美人に見えない」みたいじゃあないですか(笑)ひつれーねっ(笑)

 と(笑)を多用しているのは、酔っ払いというか、酔っ払ったあの年代のオジサンたちにはよく「美人だ」と言われることを自覚しているのであるからです。「そーゆーのは、シラフのときに仰っていただけませんか?」と、こっちもホロ酔い気分で憎まれ口をたたくと、「いやー、あんた、面白いね〜〜〜」と誉められます。


 そーいば、土曜日の日記はエコエコ話が途中になってしまいましたが、なーんかね、「リサイクルしてりゃ、それでいんだろうか?」とは漠然と思っていたので、「リサイクルなんて、なんの改善にもなってないし、どっちかというと環境に悪い」と言われると、やっぱ動揺するというか、「いくら免罪符を買っても、天国には行けませんよ」と言われているような。

 いや、ほんと、「これが環境にいい!」っていうのは、「これが体にいい!」っていうのと同じで、だったら納豆ばかり食べていればOKかというと、そうでもないのと同じで、結局「バランスが大事」という、曖昧な話になるわけで、それに、そもそも「守るべき環境」って何?とも思う。

 「前世」みたいな話で、それは大島弓子も昔の漫画「つるばら つるばら」で描いていたけど、前世というのがあるのなら、もしかしたら私の前世は江戸時代の町娘だったかもしれないが、その前は奈良時代の露草で、その前は弥生時代の稲で、その前は・・・・・って、どれが本当の私なのか、よくわからない。微生物時代まで遡れるのかもしれないし。

 そんで、「あるある」で大問題になった「納豆ダイエットはウソ」であるが、私はああいう「健康にいい」とか「ダイエット効果がある」というテレビ番組は「21世紀の今日の料理」だと思っていたのである。
 「今日の夕飯なんにしよう」と悩んでいるお母さん(お父さんでも、もちろん可)が「昨日、みのもんたがこれが体にいいって言っていたから」と夕飯のメニューを決め、翌日は「マチャアキの番組では、これがメタボ解消と言っていたから」と別のメニューにして、その翌日は「試してガッテンでやってたから」と別のメニューにすれば、けっこう自然にバランス取れそうなものである。

 なので、環境問題でも「そーだ、明日はリサイクル回収日」とダンボールやアルミ缶を集積所に出すけど、翌日には「ペットボトルのリサイクルってあまり意味ないみたい」と燃えないゴミに出してみて、空ッ梅雨でダムの水量が心配だから白髪染めは我慢してみたりしたが、風呂場のカビが目についたので「カビは体に悪いのよねえ」と塩素系の洗剤をブシブシしつつ「換気に注意しなくちゃ」と「体にいいこと」と「環境にいいこと」の境目がわけわかんなくなっているあたりが、普通といえば普通。

 あと、やっぱし我が身を考えてもヒシヒシと実感するのは「リサイクル」が確立すると、それが免罪符っていうか、リサイクルされる素材は、「どんどん利用すべきだ」という発想に傾きがちだ。

 数年前まで私はペットボトルの飲料を極力買わなかった。
 ゴミがたくさん出るからである。
 でも、缶ビールにはその罪悪感を感じなかった。
 アルミはリサイクルされるから。

 それに、ペットボトルのリサイクルが始まっても、実際はきちんとリサイクルされてないことは、テレビ番組の報道で知っていた。ペットボトルを繊維などにリサイクルするのにはコストがかかり、分別回収しても、引き取り手がなくて、結局廃棄されていたらしい。だったら、ゴミで出しても同じじゃん。

 ところが、ペットボトルのゴミを中国が買うようになったらしい。
 せっかく、繊維へのリサイクル工場を莫大な投資で作った人は「工場はあるのに、資源が中国に奪われてしまう」と嘆いていた。

 「そっか〜、ペットボトルのゴミは市場で人気なんだ」と思って、気軽にペットボトルを買えるようになった。

 前にも「古紙リサイクルの用紙は、少し茶色のほうが売れる」という話をどっかで観たか、読んだような気がする。
 上質紙のような純白の色をしていても、ちゃんと「古紙リサイクル」だったりするらしいのだが、それだとパっと見わかりにくいので、わら半紙っぽい質感に加工したほうが売れるらしかった。

 アホらしいが、よくわかる。
 鼻水が本当にとまらないときには、それがアマゾンの森林を破壊していようが、温暖化に貢献していようが、上質の「バージン・パルプ」のティッシュで鼻をかまないと、「地球が泣いている」以前に、私の鼻の下がガビガビで痛くてしょうがない。
 そこは、地球に泣いてもらって、私の鼻の下を守るのが先決だ。

 しかし、健康なときには、食事して、ちょっと口を拭くのに、そんな高級なティッシュはいらない。そういうときこそ、地球に優しそうな「リサイクル紙でできてます」なティッシュを選ぶ。

 うーむ、待てよ?環境に優しかった江戸時代の庶民は、そもそもティッシュなんて使ってないじゃないか?
 どーしていたのだろうか?

 手鼻?

 よーし、手鼻で行こう。

 しかし、これって、けっこう水を使用するなあ?

 鼻をかむために、1リットルの水を使うか、リサイクルのティッシュを使うか、とても悩む局面である。

 でも、水道水を大事にするのと、パルプを大事にするのは、全く別の問題だし、その両方をはかりにかけるのは一般人には難しい。

 で、地球はきっと、どうでもいいのである。
 温暖化だろうが、有害物質まみれだろうが、地球は気にしない。

 南の島にペットボトルのゴミが山積みでも、地球はどうだっていいのである。

 と、問題を天文学レベルで考えれば、心が落ち着いてゆっくり眠れそうである。
6月23日(土)

 また晴れだ。頑張れ梅雨前線。
 今日は、出勤。休もうと思えば休めたけど、来週、グッドウィルドームで田中君登板の可能性があるかもしれないとのことで、大事をとって出勤。(と言っても、来週は土日出勤というか、日曜日は朝6時半集合の地獄の外仕事だし、金曜日だったら西武戦に行けますけど・・・・とM嬢にメールで返事したと日記には書いておこう)

 今は仕事がそれほど忙しい時期でもないし、派遣のエビワカちゃんが、電話や来客受付け業務に積極的になってきてくれたので、自分の仕事に集中できるから、けっこう余裕が出てきた。
 なので、急ぎの仕事もないし、今日は2年ぶりに倉庫整理。
 なんかもはや土塁のようになっている文書箱を古いものから倉庫会社に送る準備をしたのだが、文書箱はけっこう重いので、いい背筋のエクササイズになるわい。

 こういう仕事は男子のほうが、私の半分くらいの労力でやってしまうのだろうけど、前にハイジにやらせたら、私のファイリング美学が発狂しそうなことをやらかしてくれたので、って大袈裟ですが、やはり書類整理は自分の美学にのっとってやらないと後々まで気分悪いので、(決算期ごとに番号を振っているのだが、重要書類ほど若い番号じゃはないと気がすまないとか、どーでもいーことだけど、見映え的には重要なこと)だったら、私が指揮してマスオさんに箱の移動はお願いすればいいもんだけど、平日に2人で倉庫に篭るのもちょっと・・・(いや、妙齢の男女がって話ではなく、総務は人員が少ないので、二人不在になると他の人に迷惑がかかる)

 ある程度、整理されてれば、男子に「ここからここまで倉庫会社に預けるから、手前に移動させておいて」って指示できるけど、3年分くらいの文書箱がランダムに置かれている状態では、完成形が自分でもわからないので、あっちに動かし、こっちに動かしながらラベルを張り、「これは倉庫会社、これは順番にキレいに並べてここに置いておこう」なんてやりつつ、「この書類はもう不要だから、廃棄しよう」

 その書類が個人情報とか機密とかに抵触してなければ、新聞紙みたいにまとめてリサイクルに出したりしてます。

 汚ギャルの20年後な私ですが、ゴミの分別は大好き。
 会社でも、行き場の無い、代表者宛てのDMなどは私に集まってくるが、開封してきちんと分別して、古紙リサイクルにまとめて出しています。

 しかし、過剰なエコエコには猜疑心がある。

 そーいや、渋谷の温泉爆発事件にも驚いたが、あの会社の記者会見では、社長も支配人も女性で(温泉施設自体が女性専用が売りだったし。値段が高いから行きたいと思ったことはないのだが)、女性二名が「亡くなった従業員は、笑顔も可愛らしかったよく働く人で・・・」と涙ながらの謝罪会見をしているのをテレビで観て「さすが、女性はコミニュケーション・スキル高いなあ」と感心。

 でも、涙の謝罪会見でもきちんと「法令遵守でやってました」と、「私らの責任じゃないぴょーん」の意思表示はしていたので、「責任逃れ」は見破られたけど、やっぱし憮然としたオッサンが言うより、「女性の涙」が添加されたほうが叩かれ度は低いねえと思った。
 最近は、危機管理コンサルタントとして、海千山千の女性が、企業トップを演技指導するビジネスもあるみたいだし、オジサンたちも演技を磨いてほしい。

 でもね、素朴な疑問なんだけど、たとえば大企業でも営業マンなんかは、ちょっとしたことでゾロゾロやってきて 「このたびは申し訳ございませんでしたっ」と、これから集団切腹でもしそうな勢いで謝罪に来たりするのに、企業トップはなんでみんな、あんな面倒くさそうに頭を下げるのであろうか?
 みんな下っ端のときには、もっと謝り上手だったと思うのに。

 女性の場合には、25歳のときには「やーん、すいませ〜〜〜ん」で済んだのが、40歳になってもそれをやろうとするから全然通用しなかったりするのだが、そういや、この間も、他部署のお局様がエビワカちゃんに仕事を頼んで、エビワカちゃんがよくわからないところを確認したら、「え〜、わたしよくわからない〜」って言われてエビワカちゃんがムっとしていたというか、「ど、どうしたらいいのか」と動揺していたので、私が「ごめんね、あの人、悪い人じゃないんだけど、我がままお嬢様のままだから」とフォローしたら、「あ、そういう感じですね」と納得してくれた。

 話が逸れたが、渋谷温泉爆発事件は、「天災」+「制度の不備」で着地しそうな感じである。女社長の涙の会見がなければ、マスコミにどう叩かれていたかはわからないが、そんなことを思っていたら、今度は「牛肉偽装事件」がトップニュースだ。

 「牛肉だと信じていたら、豚肉だったって、どうでもいいじゃん」と思ったのだが、けっこうオオゴトになっているようだ。どうやら、また、記者会見でのトップの態度がいけなかったらしい。
 詳細を知らないのだが、どうも、けっこう絶妙な「経営努力」をしていたようで、技術的には評価されてもいいようなもんだが、薄笑いしながらそれを語っちゃだめだろう。

 事件の重要さよりも、あの態度で「トップ・ニュース扱い」に祭り上げられてるような気がする。
 ルックス的には「がんばっている町工場の社長」っぽいんだから、もっとプロジェクトX的に世間の同情を買うような演技しないと。「偽装したって、3年連続赤字だったし、それで儲かっていたわけじゃありません」ってふてぶてしく本当のこと言っちゃダメだって。

 賞味期限ギリギリの肉使ってたっていうのだって、「食の安全」ギリギリなんだろうけど、そこで「もったいないからつい」とか言っておけば・・・・「もったいない」って国際語なんだよ。

 そーいや、数年前、近所のサミットで惣菜を買おうとしたら、張り紙がしてあって「テレビ番組で古い食材を惣菜にまわしていると報道されましたが、そんなことはしてません」という趣旨のことが書いてあった。

 それを読んで、別の意味でショックだった。
 私は、スーパーの惣菜というものは、生鮮食品売り場で賞味期限が切れそうなものを有効に利用していると思っていたからである。
 ビールなどの試飲販売の日雇いバイトをしているときに、けっこうあちこちのスーパーの裏側を観たけど、惣菜担当のパートのオバチャンが、肉売り場で古いほうの肉を選んでいたのを目撃して「やっぱ、そうなんだ」と安心したのだ。

 生鮮食品コーナーでは、消費者は「新鮮なもの」を選ぶので、期限が切れたわけではないのだが、古いほうが残ってしまう。そういうのを惣菜としてリサイクルすれば(火を通せば)、ゴミになるはずの食品の賞味期限が半日延びるのだ。
 それでいーじゃん。スライスしたての豚肉が、半日店頭に並んで、売れ残ったら、ゴーヤチャンプルのお惣菜になっても、ちっとも構わないのだが、普通の消費者は、ゴーヤチャンプルのためにスライスされた豚肉を求めているのか?

 エコというか「もったいない」と「食の安全」は両立しないもんだね。

 自宅では普通にやっているはずなんだけどね。ある御宅で、ホームパーティに招かれて、お刺身が出ていたのだが、刺身が残ってしまったので、そこの奥様は「残った刺身は醤油付けにして、翌日に天麩羅にするの。けっこう美味しいのよ」とおっしゃっていた。
 そりゃ、高級天麩羅屋は、最初から天麩羅にするために、生の素材を使うのだろうけど、一般家庭では「生で食べようと思ったけど、ちょっと古くなった食材」に火を通すのは、普通のことである。
 私も、その昔、友人からマグロを冷凍したのを頂いたのだが、食べようとしてベランダに置いて解凍しようとしたら、すっかり忘れて翌日になってしまい、泣く泣くマグロ・ステーキにして食べました。中トロのいい切り身だったのによ〜

 さて、昨日も「最近読んだ本」について書いていましたが、ちょうど「エコエコ懐疑本」を立て続けに読んでました。
 光文社新書の「メディア・バイアス」と洋泉社の「環境問題はなぜウソがまかり通るか」の二冊。

 「メディア・バイアス」は書名が、かつて一部で流行した「メディア・セックス」みたいで、もっと違う書名のほうがよかったのでは、と思うけど、まあ、背骨がきちんと真っ直ぐないい新書でした。

 「納豆ダイエット捏造事件」をふまえて発行されたみたいだけど、メディアの「これは体にいい/これは有害」っていう、「いい/悪い」なゼロサムな報道姿勢をきちんと検証していた。読む「マイナスイオン」って感じ(笑。いや、「マイナスイオン」批判もしてる本なので)

 で、読む順番間違ってしまったんだけど「環境問題はなぜウソがまかり通るか」は、もっと鼻息が荒いので、トンデモを批判しながらも、こっちもトンデモな感触は否めない。

 で、両方を立て続けに読んでしまったので、どっちがどっちだかわからなくなっているのだが、私もシロートながら「バイオエタノール」には疑問を持っていた。
 そりゃ、アメリカには安値すぎて出荷できないトウモロコシとか、いっぱいあると思うよ。日本だって、数年に一度、出荷できないキャベツをトラクターで潰す写真が新聞の一面を飾るもの。
 ああいうのが、ガソリンの代わりとして活用されるのはいいことだと思うけど、経済はそんなに単純ではないらしい、というか、単純なので、需要があれば価格が上がり、食用の価格が上がってしまうようだ。

 で、多分、トウモロコシの価格が上がれば、南米のジャングルをどんどん焼畑にして、トウモロコシ作るのが人情というもの。


6月22日(金)

 やっと雨が降ったけど、こんなショボショボの雨(えげれす人だったら傘ささないくらいの雨)じゃあ、近所の空き地の雑草がちょっと潤うだけではないか。

 いや、いいんですけど、私の最近の夢は、あそこの空き地に建物が建つ前に、草ボーボーになっていただくことですから。(それって、「夢」?)

 さて、目の不調もあり、しばらくまともに読書していなかったのであるが、「柴田センセー買い」した本が溜まっていたので、ちんたら読んでいた、というか、あまりにも素晴らしいので、斜め読みできず、じっくりゆっくり大事に読んでいたら、「通勤電車で読書する」という習慣が少し戻ってきた。

 最初に読んだのは「インディアナ・インディアナ」(レアード・ハント)
 後から考えると、やや狙いすぎの「巧さ」であるが、読んでいるときには、地味な宝探しをしているみたいな感じの小説だった。

 次に読んだのは、以前も「シカゴ育ち」で感激したダイベックの「僕はマゼランと旅した」
 こっちも、超絶技巧なんであるが、なんつーか、豪華絢爛で、いや、内容的には山本周五郎の「季節のない街」みたいで・・・・余談であるが、「季節のない街」は我がママンの愛読書だったのであるが、「どですかでん」とかいう題名で映画化されている。
 要するに下町というか、ドヤ街みたいな地域のの住民たちの生活を美しくも残酷に描いたというと、陳腐な表現であるが、ダイベックが凄いとことは、すごく詰め込んでいるにもかかわらず、「古きよき時代」のリズム感があり、なおかつ、ちゃんと「貧乏自慢」と「インテリ自慢」を嫌味なくやっていて、そのあたりの巧さが嫌味ではあるのだが、でも、嫌味なほど巧い映画を観た後の満足感がある。アルトマンに「ショート・カッツ」みたいな感じで映画化してほしかった。

 その後、河出書房の秀逸シリーズ「奇想コレクション」の新刊であるパトリック・マグラアの「失われた探検家」を読み始めたのであるが、ややゴシック色が強くて、のめりこめず、サクサク読み進まなかったのだが、その途中で買った「日本社会入門」という日本駐在英国人記者が書いた本で箸休めしてみた。
極東ブログ経由。

 いやー、久々に笑ったよ。
 会社の自分の机で、昼休みに読んでいたのだが、「ぐほほほほ」と笑いを堪えきれなくなり、ほんと涙がチョチョ切れた。
 後で冷静になって読み返してみると、「それほどのもんでもないのだが・・・・」と思ったが、日本語10年以上勉強した著者が「感心した日本語表現ベスト3」を挙げていて、その第3位が「勝負パンツ」っていうのが、ほんとツボにはまってさ〜

 たしかにこの日本語、他の言語に翻訳できないだろうけど、ちゃんと説明すれば、納得する外国人が多いのだろう。

 さらに、第一位は「おニュー」っていうのも、ツボ直撃で、給湯室に駆け込んで1人で横隔膜の痙攣と戦っていました。「おニュー」なんて、そんな注目したことなかったけど、言われてみれば、けっこう凄い言葉だ。

 ふだん、何気なく使っている言葉でも、そうやって「エイリアン」が注目してくれると、その奥深さに気がつき、さらには、そのエイリアン氏が感心したキモチに多少なりとも共感してしまうので、二倍笑えるようだ。

 異文化交流の華といえよう。
 さらに興味深かったのは、この本の著者であるオックスフォード出の坊ちゃんは、日本人を「礼儀正しい」と称えるのだが、それは、私のとある女友達の感想と真逆である。英国に長期滞在した経験のある彼女は、英国のレディ・ファースト文化が気に入ったらしく、いつも「日本はダメよねえ」と語っていて、なんの罪もない男子諸君に説教していた。
 私はせいぜい2週間くらいの英国旅行したことしかないので、なんとも言えないのだが、英国では婦女子が重い荷物を持っていれば、英国紳士がちゃんとサポートしてくれるらしいし、コンサートで女子が前のほうに押し寄せれば、英国青年たちは、モーゼの十戒のごとく、さっと道をあけてくれたらしい。

 それは、別の英国滞在が長かった女性が、出産後に日本に戻ったら(英国人ダンナの転勤のため)、「ベビーカーを持って、駅の階段降りようとすると、英国だったらワラワラと手助けしてくれたのに、日本ではそれが皆無だから最初はちょっと戸惑った」と語っていたので、そういうところで「紳士度」を計ろうとすると、そういう差はあるようだ。
 ただ、それは、日本では「知り合いの女性の荷物は持つけど、全く他人の荷物には手を出さない」ってだけだと思うんだけど、とにかく、英国には他人の荷物を持ってあげようとする人が多少いるみたいだけど、日本ではそれは一般化した習慣ではないということだろう。

 結局、英国では、ハンデを持った(老齢だったり、子持ちだったり)する女性には親切にするようだが、日本だと、外人には親切にしたりする傾向があるので、私の女友達は英国を「これぞ紳士の国」と称え、英国人青年は日本で「なんで、みんなこんな礼儀正しく、親切なんだ」と感激するだけの話である。

 そーいや、うちの父ちゃんは、あんまし他人の言うことに逆らったりしないが、ときどき機嫌の悪いときに、ボソリと「本当のこと」を言うので、その態度が妻や娘の逆鱗をかうのは家庭内のささやかな了解ごとであるが、あるとき、私が父ちゃんをなんかのことでアゴで使おうとして、父ちゃんがそれを素直にやってくれなかったので「もー、レディ・ファーストがなってないんだから」と私がムクれたら、父ちゃんはボソリと「レディ・ファーストっていうものは、女性差別でもあるんだぞ」と言った。

 その通りだと思ったので、ほんとはムカっときたけど、黙って自分でやりました。

 なので、私は「普通は男のやることだとされているけど、女性にできないことではない」ということは、とりあえず自分でやってみることにしました。そんで「いやーん、重い〜」と騒いでいると、男子が助けに来てくれるときもあるし、全然無視されることもあるけど、「一応、自分でやろうとした」ということは、男子も認めてくれるみたい、ってゆーか、そこで見極めがつくんだけど、たとえばオフィスの電球交換で、私が踏み台を持ってきた時点で、慌てて駆けつけてきてくれる男性には、最初から「電球交換おねがいします〜」と上目遣い(いちおう、お約束なので)で言えばOK。

 そこで、そ知らぬ顔の男子には、何度か「うーん、私がやろうとしたんだけど、身長が届きませんでした」というのを見せないといけない。
 マスオさんなんかは、天然で非常にジェンダー・フリーの人なので、そういう儀式が必要なのである。
 彼はお茶出しも自分でやろうとしてくれるのだが、身長183センチでゴツい体育会系の彼がお茶を出すと、非常に見映えが悪いので、しかも茶托の概念がなかったりするし、給湯室で何度か、「いいよ、私がやるから」と、彼が茶を出そうとするのを阻止した。

 時代の流れに逆行しているようだが、マスオさんは、お茶だしは平気でやろうとするが、女子に「電球換えて〜」と言われるとムっとするという非常に天然なリベラル(?)な人であったけど、私の地道な教育で「お茶だしは女子の手が空いているときには頼んでもよい」「その代わり、電球交換はやってね」(だって、その身長生かしてよ)というのをなんとなく学んでしまった。

 でも、お茶だしはいいとしても、荷物持つときにはほんと差があるからねえ。
 この間も、取締役のところに届いた荷物は、取締役に聞いてみたら「上のフロアの○○に渡して」だったのだが、台車を持ってきても、私では台車にすら持ち上げられなかったほど重かったので、マスオさんに「あたしじゃ、台車に上がらなかったので悪いけど、○○さんとこまで運んでくれる?」と言ったら、嫌な顔せずにすぐにやってくれた。「わ、ほんと重いっすね」と言いながら、易々と持ち上げていたので、やっぱ男女の背筋の違いって大きいよね。残念ながら。

 私も自分に持ち上げられるものだったら、ちゃんと自分でやるからさ・・・・

 ええと、何の話してたんですっけ?

6月19日(火)

 8時頃、西の空に三日月がぽっかり浮かび、その右側に輝く明るい星はたぶん金星だと思うけど、金星と月とを結ぶ線上に、まるで三日月の背中に乗らんとしているような星があった。

 まるで、三日月の光にすいよせられた蛍のようでいとおかし。

●魔性のモンベル

 土曜日にお台場はヴィーナス・フォートに初めていって、すっかりうんざりして帰ったが、日曜日は勇気を振り絞り、また「梅雨はどこへ行ったんですか?」なギラギラと照りつける太陽の下、昼過ぎに南町田に降り立ちました。

 Aさんの住む、田園都市線終点の中央林間まではよく足を運んだが、ここで下車したことは一度もなかった。
 てゆーか、「グランベリーモール」っていうショッピングモールがあるのは、よく存じていたけど、あんまし興味なかったし、それに、駅を通過しても「いったい、どこに巨大SCがあるのだろう?」と漠然と思っていたのである。

 実際、駅に降り立っても、周囲になにかがあるような雰囲気ではないが、家族連れがパラパラと下車してゾロゾロと歩き出したので、何かはありそうな雰囲気だったんだけど、どうやら線路がやや低いところを通っているのが原因のようで、改札を抜けると、いきなりバーンとババーンであった。(頭の悪そうな表現)

 気色悪い「書き割りの青空」にゲンナリした反動だったのかもしれないが、こっちはホンモノの青空がある、それだけで気に入ってしまったのである。フジロックに引き寄せられるのと同じような「野外の魔力」ってやつである。

 ここで大事なポイントは「100%の自然」じゃなくて「山切り開いて作った巨大アミューズメント施設」であることだ。清潔なトイレがあり(フジロックの場合、かなり難があるが、本格的山歩きよりはかなりマシであろう)、3000千円ばかりの金があれば、思う存分、飲み食いできることが約束されているような。

 ああ、なぜ私は青い空と緑の中では、こんなに財布のヒモが緩くなるのであろう?

 というよりも、行く前からかなり全開だったのだが・・・・
 そもそも、去年のフジロックでは中日に雨に降られ、そんなにたいした雨でもなかったのだが、西友で買った4000円の「自転車用レインコート」では、やはり快適に過ごせなかった。
 同行のT嬢も「やっぱ、もっといいレインコートあったほうがいいかな・・・」と呟いていたが、「そういや、あたし、ゴアテックスのいいやつ持ってるんだった・・・・次回はやっぱアレかな」と自問自答していた。

 2ちゃんでも「大人は雨具に金を惜しむな」と煽っていたし、20歳前後の若い男子などは、100均で買ったようなビニル合羽を羽織って、ビーサンで闊歩したりしていたが、こっちは彼らのカーチャンくらいの年代なのだ。安い雨具で体が濡れると体温が奪われ調子が悪くなってくる。冷えは女性の大敵よ。

 つーわけで、今年のフジロック用にと、土曜日はクロックスの長靴を試着して、ネットで購入し、日曜日はモンベル直営店で雨合羽よ!(なにげにブランド志向)

 なぜモンベルに拘るかというと、そういう「アウトドア・ブランド」を全く知らないからである。
 ヤフオクで調べてみると、どうやらモンベルっていうのが有名らしいことに気がつき、ネットで検索してみたら、沿線にある南町田に大きな直営店があることを知り、「そのうち行こう」と、ずいぶん前から計画していたのである。

 モンベルのグランベリーモール店は、テレビでもよく紹介されてるし、けっこう有名な店なんだと思ってはいたが、行ってみてよくわかった。
 ヴィーナス・フォートでクロックスの店を探したときには、けっこう奥まっていたのだが、モンベルは違う。改札出て、正面にある案内所で「ショップ案内図」を手にとって「どこにあるのだろう?」と周囲を見渡すこと3秒で、巨大なモンベル店を発見。一番わかりやすところにあったのである。私が大学生の頃の新宿伊勢丹での「アニエス・b」みたいなもんか?(そんな歴史を知る人は、もはや全員、おじさん・おばさん)

 関係ないが、その昔、「ラ・セーヌの星」というアニメに夢中になったが(ベルバラ育ちはもれなく・・・・)あの番組のスポンサーがたしか伊勢丹で、千葉育ちで「家族でリッチな休日を」のときには銀座だった私には、伊勢丹ってのはえらく馴染みがなくて、でも、新宿を経由して大学通うころになったら「わー、伊勢丹だ〜」と感激して、あそこでけっこうDCブランド買いましたよ。

 小学生女子を地道に洗脳した伊勢丹の戦略の妙に今さら気がついてみたりした。

 話が逸れたが、梅雨入りの時期であるせいか、モンベルは中央に「レインスーツ」を展開していた。
 あと、イマドキの売りは「富士登山グッズ」であるらしい。

 洋服買うのが苦手だが、こういう「普通の洋服屋」とは全然違うベクトルのマーケティング展開に心躍る。

 しかし、私が欲しかったのは、レインスーツではなくレインコートだったのだが、アウトドアに必須なのははやりレインスーツみたいで、レインコートは種類が少なかった。しかも、レインスーツの値段が上下で1万5千円くらいなのに、レインコートは2万5千円くらいしやがる。

 しかし、どう考えても、アウトドアとは無縁な自分にとっては、レインコートだろう。ゴアテックスの高級品があれば、台風だって、集中豪雨だってなんのその、つーか、小雨のときに羽織れば、コンビニに傘を差さずに行けるぜぃ?

 うーん、しかし、2万6千円かあ・・・高いなあ・・・・・

 高島屋で買った、ダウンジャケットが4万円くらいしたんだっけ?でも、去年はほとんど着なかった。去年の冬のコートは、友人から貰ったPUMAのジャケット・・・・(友人がそのブランドの社長である友人から貰ったもので、サイズが合わなかったから私にくれたけど、買えばかなり高価なブランドだったらしい)

 靴にしても、スカートにしても、最近は「それなりに収入があるんだから、それなりのを買わないと」と自らを鼓舞して、「1万5千円くらいなら・・・・それで2年くらいヘビーローテーションになれば、安いものよ」と納得させている。

 中4日で、先発で投げられる投手が1万5千円だよ?
 つーか、コートだと鉄人・衣笠(・・・・って)くらい働くし、靴だって、あーた、中3日は当たり前で、雨の中150級も投げさせて完投させて、それを中2日って・・・・いくら金積んでも、そんな投手いないよ?

 というわけで、モンベルのレインスーツ売り場で、2万6千円のレインコートを何度も試着して「うーむ」と悩んでいたのだが、ふと「そーいや、アウトレットという概念はどうした?」と気が付いた。

 「アウトレット」っていうのもよくわからんのだが、とにかく、バーゲン品があるらしいのが、このグランベリーモールの売りなはずである。
 探してみたら、片隅にありました。
 型オチした品がけっこう並んでいました。でも、あんまし安くないんだよね。
 それが、最新モデルだと1万5千円するレインスーツが、5千円です、っていわれれば「レインコートは諦めて、こっちにしよう」と思うかもしれないけど、去年は1万5千円だったモデルが旧モデルなので1万3千円です、って並んでいても・・・・

 アウトレットの正体みたり枯すずかけ台

 (訳注:「すずかけ台」は「南町田」の隣の駅)

 30分くらいアウトレットコーナーを吟味したが「ええい、私はフジロックのために大枚はたきにここに来たのではないか!」と初心を思い出しつつも、やっぱり勇気が出なくて、他の売り場もそぞろ歩いてしまいました。

 帽子売り場。
 ゴアテックスのレインハットも買っちゃおうかなあ、と思って見ていたのだが、時代はやはり「雨よけ」よりも「紫外線よけ」である。
 UVカット帽子など、近所の西友でも売っているけど、なんせ「アウトドアの覇者(?)モンベルさん」のUVカット帽子である。なんか、これを被れば、大気圏の外でも大丈夫なような、そんな錯覚を起こさせる。買いました。

 「うーむ、そういや、トレッキングを極めた(のか?)ブランドであるからして、靴下もいいのがあるのか?」と冷やかしてみたら、わー、山歩き用の靴下って、ウールが基本なんだ。へえ〜
 どれもこれも2千円くらいしやがるのだが、「本格的トレッキング用」ではなく「トラベル用」を買ってみたけど、せっかくだからいろいろ試してみたいので、3足くらいカゴに入れてしまった。

 トレッキングシューズも見てみたけど、あれはやっぱ重いのね。まあ、これはいいや。長靴あるし。

 ええと、あと、たぶんありそうなのが「ドライシャツ」と思っていたが、やっぱしあった「速乾Tシャツ」
 2000円もしやがるが、ユニクロのドライTシャツ千円とどう違うか検証してみよう。

 あちこち見ているうちに、フリースのジャケットもユニクロより上質そうだし、防水加工のパンツもシンプルなデザインがステキだし、デザインよりも機能を謳っているけど、けっこう色やデザインにも気を配っているが、値段はデザイン重視の流行服よりも断然安いという「蜘蛛の巣」にガッチリ捕獲されてしまいました。

 ああ、こんなカジュアル・スポーティな格好で会社に行きたいわ。

 モンベル恐るべし。

 でも、なんとか自制して、「高機能レインスーツ2万6千円」プラス1万円くらい買っただけにしました。

 モンベルを出たときには、もう4時くらいになっていて「魔法の国」で時間を忘れた感が堪能できましたよ。
 いやー、レジでポイントカードを勧められたので「ま、いっか」と加入したのですが、いろいろカタログを入れてくれたのはいいけど「カヌーのカタログも入れますか?」って聞かれて、ハっと我に返った。
 ねずみーランドで、浮かれてネズミ帽をかぶった人が、ふと我に返る瞬間ってあんな感じなのかね。

 その我に返った自分に、モンベルの「スタンプラリー」は意味不明で、北海道・東北・関東・・・と、日本各地のモンベル直営店で3000円以上買い物するとスタンプが貰えて、3つ以上スタンプが溜まると・・・・・って?
 丁寧な店員が丁寧に「あと、スイスのどこそことコロラドのボルダーにも支店がありまして、そこでスタンプを貰った場合も1ポイントになります」って?

 いや、まだマクドナルドで「5大陸制覇スタンプラリー」のほうが、達成できそうな気がしますが。

 私はドン引きしたが、「3年有効だったら、これはありうるかも」と思うような人が、モンベルの客なのか?たしかに、知人の65歳男性は妻を「ハイキングおばさん」と呼んでいて、日本全国ハイキングしまくっているようだったし「ハイキングおばさんは、とうとう今週スイスに行った」とか言っていたから、モンベルの「日本全国&スイスとボールダーでスタンプラリー」っていうのが非現実的なことではないのかもしれない。

 もんべるランドを抜け出て「そうだ、アウトレット・モールなんだから水着もあるかも」と奥地を探検したら、やっぱしあったけど、やっぱしそんなに安くもなく、でも、この時期に水着買うのに選り好みしてらんないから、7000円くらいのをやっと探して買った。

 他に靴でも買おうかと思ったが、スニーカーで歩いてたから、オフィス用の靴は試着できないしと思ってやめたけど、リーガルやハッシュ・パピーの店も「2足で2万円」くらいで売っていたから、オフィス用のローテーションが故障したら、ここで補充すればいいのか?

 グランベリーモールの欠点をひとつ言えば、「広場」がないことだったかな?
 あの空間だったら、公園っぽいところがあってもいいような気がした。犬連れの人も多かったし、多くの人は、買い物に来たというよりも、「アイス食べに来ました」って感じだったし。

 あと、ニコタマ高島屋にはあるけど「お手回り品預かり所」があってもいいような気がした。
 モンベルで4万円、水着屋で7000円買ったあと、持ってる荷物がおっくうになって、立ち寄った下着屋では存分に商品を見られず「今日はもう、いっか」な気分になったのであるが、あれをお手回り品預かり所で手放せたら、あと3万円くらい買い物したと思う。

 まあ、またモンベルのドライTシャツが気に入ったら、足を運ぶかもしれない。
 だって、グランベリーモールの大通りでは、ただの大道芸やってたんだもん。手持ち無沙汰なお父さんや子供たちが沢山群がっていた。青空の下で、みんなが無心でアイス片手に大道芸を楽しんでいる姿は、ちょっとフジロックっぽかった。「環境が」とか「平和が」っていうのより、ああして、「とことん無為に消費している自分を消費する、静かな休日」っていう雰囲気が好き。

 大道芸人の妙技に上がる歓声は、多摩の森を切り開いたショッピングモールに反響し、周辺の広大な駐車場にまで響き、まだかすかに向こうのほうに残る雑木林に静かに吸い込まれていった。

●森林破壊 やるならやってみろ!

 駅までの通勤路の途中に、古い家屋を取り壊した空き地がある。
 春先に取り壊しをして、あっという間に更地になったのだが、初夏を迎えて、雑草がムクムクと育っているので、その成長を見守るのが密かな悦びである。

 ドクダミだか、なんだかわからないが、とにかく雑草の成長スピードは素晴らしい。
 もっと雨が降れば、もっとニョキニョキ伸びるだろうけど・・・・

 ほんと、空き地があっという間に雑草の「秘密の花園」に変貌するのを観察するほど楽しいものはない。

 もしかしたら、ガン患者のがん細胞を真剣に観察しているお医者さんも、似たような気分を味わっているのかもしれないな。
 空き地の草ボーボーも外科手術でそれなりに食い止められます。
 朝、通りがかった空き地がボーボーでも、夜通ると「あれ?とうとう刈ったんだ」とびっくりしたりしますが、根っこ残して上だけ刈った草むらの回復力といったら。

 女性の無駄毛も似たような性質があるらしいですが、一方では大金をかけて一生懸命植林したりしているのに(ヘアコンタクトとか?)、生えちゃうところでは、永久脱毛しようとしても全然無駄らしい。

 名実共に「東京砂漠」というのがふさわしくなってきた首都圏であるけれど、放置しておいたら、あっという間にジャングルになりそうな勢いです。
 人間は必死に、車や歩行で「ケモノ道」を作っているかのよう。
 いや、ほんとに実験してみたいけど、人間を東京から3ヶ月遠ざけてみたら、ほんと草ボーボーになりそう。3年やったら、マジで凄いことに・・・・

 人は「ジャングルの砂漠化」と戦っているのではなく、「都市のジャングル化」と真面目に闘っているのだな、と、ああいう空き地を見るたびに思います。そういや、住宅地の一軒家の庭で、雑草を自由に生やしていると、ご近所から叱られるらしいし。

 ある場所では(例:女性の脇の下)必死に砂漠化しようとしていて、ある場所では(例:男性の頭の生え際)必死に植林している・・・・・

 そういう自然の厳しさと、人間のアホらしさを・・・・さらには、自分の暇さ加減まで堪能できる、「近所の空き地にボーボーと生えようとしている名もなき雑草」でありました。だから、いとおかしいんだってば。
6月16日(土)

 そーいや、うちの我がママンも、杉花粉症ではないけど、初夏の頃に花粉症っぽくなるらしい。
 ママンは「10年日記」というのをつけていて、いつも同じころ鼻炎になるので「これは風邪ではないようだ」と気がついて、医者に相談したら、どうやら「ブタクサ」が原因だったらしい。

 それでブタクサに注意をはらったところ、家と駅との間の空き地にブタクサが大量に生息しているのを発見し、しょーがないからその空き地のブタクサを人目につかない時間にせっせと刈っているそうである。

 さて、私のアレルギー性鼻炎の諸悪の根源はなんなんだろう?マスオさんは、この時期、咳が止まらなくなるので、去年医者で検査してもらったら、一番数値が出たのが「蛾」で、「いったいどうしたらいいのでしょう」と静かに悩んでいたけど、私もそういうビミョーなのだとヤだなあ。「ハウスダスト」と言ってもらえれば、せっせと掃除でもするんだけどさ。

 というわけで「とうとう私も花粉症?なんの花粉だか知らないけど・・・」と小さく思い悩んでいたのだが、金曜日は「ええ?もう梅雨入りするんじゃなかったんですか?」と天の神様に語りかけたくなるほどの晴天。つーか、台風一過のような、透き通った青空は、6月の空の色ではない。
 電車で多摩川を通過するときには、富士山がはっきりくっきり。
 この季節で、あんなにクリアなのは、台風一過のときだけと言ってもいいくらいなのに・・・・

 さて、木曜日は鼻水が止まったので「雨だから?」と思っていたのだが、今年の猛暑を予感させるような金曜日は、鼻水は出なかった。ちょっと喉が腫れているようだが、それほど気にならない程度。

 そして、今日の土曜日は、さらに雲一つない、紫外線でなにもかもが消毒されそうな青空。
 やはり、鼻水は出ない。
 うーん、やはり単なる風邪だったのか、それとも、夏日とか猛暑日になると弱ってしまうアレルゲンなのか、よくわからん。

 さて、昼頃起きて、「暑そうだなあ」と思いながらも、体調はいいので帽子とサングラスとUVケアローションで武装して渋谷までお散歩。
 先日、渋谷で使い捨てコンタクトを処方してもらったんだが、在庫が足りなかったので、一週間後に受取に行くことになっていたのである。頼めば宅配もしてくれるらしいが、強度の出不精であるので、こういう用事でもないと街に出ないので・・・・

 渋谷でコンタクトを受け取ると、勇気を出して電車に乗ってお台場に行ってみた。
 去年のフジロックでT嬢が履いていたのと同じ長靴を買おうと思ったのである。クロックスの長靴で、クロックスのサンダルは今年爆発的な流行みたいですね。

 お台場に行かなくても、売ってる店はあちこちにあるのだが、どーせなら直営店でいろいろサイズを試してみたかったのである。
 しかし、昼間にお台場行くのも初めてかも。
 いや、前に日航ホテルでの研修に3日間通ったから、あれ以来か。

 とりあえず、大観覧車のあるところには夜しか行ったことがない。ZEPPに何度か行っただけ。
 なので、クロックス直営店がある「ヴィーナス・フォート」にも足を踏み入れたことがなかったのだが、土曜日だから家族連れで賑わっていた。

 一歩中に入って、そのまま帰りたくなってしまった。
 そうだそうだ、ここがオープンした当初は、テレビの情報番組でもよく紹介してたっけ。天井が雲が浮かぶ空の書割なんだよね。
 こういう、テーマパークっぽいところが苦手なんだよな。そもそも、巨大ショッピングモールが苦手だし。

 エントランス前の広場では、地球温暖化を愁うイベントをやっていた。エアコンの一日分だか一年分だか知らないが巨大な風船が「二酸化炭素排出量」を表現しているようだし、「電球1個を何時間つけると、どれだけの二酸化炭素排出量でしょう?」などのクイズをやっていた。

 ええと・・・・それよりも、あの大観覧車一周回すとどれくらい二酸化炭素が出るとか、目の前にあるゲーセンの自動車運転ゲームを1回やるのに必要な電力のことを考えたほうがいいのでは?つーか、みんなここに来るために車で来ているだろうし、「今日、お台場に来ないで、家の近所の公園で遊んでいたら、これだけの二酸化炭素が削減できたはずです」とか、やってほしいものである。

 なんだか、レストランで契約農場で作った無農薬野菜や、その野菜を食べて育てた豚肉を食べながら「アフリカでは毎日何名かの子供が飢えで死んでます」って説教されているような矛盾であるが、異空間を演出するショッピングモールも、エコエコライフも要するにタダのエンターテイメントっていう本当のことをわざわざ露呈させなくても・・・・

 とりあえず、1階の「ヴィーナス・フォート・ファミリー」は、それほど気色悪くもなかったので、クロックスの店を探して、いろいろ試してみたのだが、けっこう混んでいたし、買って持ち帰るのも面倒になったので、サイズや色の確認しただけで、「ネットで買おう」ということにした。

 家を出たのが2時ごろで、もう4時になっていたが、今日はまだ何も食べてなかったので「せっかくだから、ここで食事をしてくか」と思ったけど、一人で食事する気分になるような店もなかったし、フードコートを見つけたが混んでいたので「こういうときは、やっぱマクドナルドか?」と思ったけど、けっこう行列していたので、ここで食事するのはやめた。

 来るときには、渋谷から「りんかい線」に乗ったのだが、帰りは久々に「ゆりかもめ」に乗った。
 日航ホテルで研修を受けたとき以来かも。
 「七つの習慣セミナー」を受けたのは何年前だったっけ?あのころは、まだ汐留は建設真っ最中だったけど、いつのまにかぎっしりビルが立ち並んでいた。

 新橋で食事するなら、やっぱあそこだろう。
 前にも日記に書いていると思うが、虎の門で仕事していたときにけっこう好きだったカレースタンドの「スマトラ」
 はっきり言って、一度も美味しいと思ったことがないのだが、しばらくすると、なぜだかあのビミョーな味が懐かしくなり、あの付近に用事があると、ついつい足を運んでしまうのであった。
 いつだか忘れたが、前回、寄ってみたときには休みだったのでがっかりしたが、今日はやってるみたい、やっと食べられると喜んだ瞬間、「すいませーん、今日はもう、ライスが無くなってしまって・・・・」

 がーーーーーーーーーーん

 くすん、このまま、うっかり死の床についたら、臨終の間際に「スマトラのカレーが食べたかった」と言ってしまい、「おねーちゃんが、死ぬ前に食べたいと言っていたカレー屋さんだから」と遺族がわざわざ食べに行ってしまい、「え?ほんとに、これ?」と首を傾げてしまうではないか。

 しかし、ヴィーナス・フォートの作り物臭さに辟易した後では、新橋は天国だわ。
 バーチャな要素が全くないところが好き。
 土曜日だから、人はまばらだったけど、「定年後OB会」っぽいオジサマたちが、まだ明るい時間だというのに、すでに酔っ払って楽しそうに歩いている街。ああ、これぞ4REALよね。

 お腹すいていたので、しょーがないから、テレビチャンピオン優勝者プロデュースのラーメン店と銘打っているところに入ってみたのだが、「黒船」という店でしたが、醤油ラーメンたいへん美味しかったです。ほんと、いいおダシでした。近所にあったら週1で通っちゃう。

 新橋から渋谷までバスに乗って(今日はパスモが相当減ったわい)、渋谷からまた三茶まで歩こうとするが、さすがに疲れていて、最近、ちょっとハマっている「レッドブル」でチャージ。これって275円もしやがるけど、「合法的シャブ」っぽい効き方するので、2時間くらいシャカシャカするのだ。ただ、ジムに行く前に飲むと、調子に乗って運動しすぎてしまい、翌日ガクっと来るんだけど。

 あー疲れた。
 家に帰ると、さっそくネットで長靴を注文して、ついでにサンダルも注文。

 さーて、明日は、雨合羽買いに行くかね?ゴアテックスっていうのをとうとう買おうかと思っているのだ。

 ええ、小金はウナってます。初夏のプチ賞与が20万円ほど支給されましたので。

 そういや、プチ賞与が出たから水着を新調しようと思ったのだが、近所にあった「下着屋兼水着屋」が無くなっていることに今日気が付いた。あそこ以外に、一年中水着を売っている店を知らないから、どーしよー。スポーツ用品店にある「競技用水着」は、「シェイプ機能」がないからなあ。あそこの店、「アクアビクスに励むオバサマ御用達」って感じで、ジムのサウナ内でも「あそこで水着買った」なんて話題になっていたのに。わーん、困ったなあ。


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