可燃物な日々

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 日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました
1月31日(水)

●後継者問題

 小三治君は5回に1回くらいしか正常に作動しなくなってきたので、後継者探しに本気で取り組まなければならないようだ。

 かかりつけのお医者さんに相談してみたら、「マックミニも安いよ」とのこと。

 うーむ、マックなんてその昔、友だちんちに遊びに行くと洩れなくマックで(そういう時代だった)、それでゲームして遊んだりしたが(なんだっけ?「さんさめ」ってゆーのを全員が酔いつぶれた後も1人で明るくなるまでやっていて、そんでやっとクリアしたので「やった!」と自慢しようと思ったが、周囲は全員屍でがっかりしたが、後で「意識が朦朧としている中で、♪さんさめ っていう音が時々鳴り響いていて、ミヤノさんが意地になっているのがわかったよ」と言われたりした)あの頃はそもそも、私はパソコンをほとんど触ったこともないので「ええと、どうやって終了すんの?」っていうドシロートだったから、あの頃のマック体験は全然カウントできない。

 でも、今、ウィンドウズのマシンを買うと、どうせビスタが載ってくるんだろうから、それだったらマックOSのほうがいいかもしんない。
 会社のマックおたくに「マックミニ買うかどうかでちょっと悩んでて」と相談してみたら「いらっしゃ〜い」と怪しく微笑まれた。

 つーわけで小三治君の後任はマックミニになりそうな気配が濃厚である。

 今さらマックOS使うとボケ防止にもなりそうだし。

 あと、「メールとインターネットが使えれば、他はかなりどうでもいいっちゅうか、それ以外の機能を使うことが滅多にないっちゅうか、最近、パソコンが激しく仕事したのは、手持ちのCDをiTunseに食わせることで、だったらマックのほうが相性いいんじゃない?」という、非常にどうでもいい理由。

 そうなると、高性能はいらないので、7万円台ので充分だが、正月に母に貰った「祖母の預金」っていうか、亡き祖父の遺産10万円が余るから、99800円とかいう「金額的には、おじいちゃんの形見としてはぴったし」に意味もなく走るか、である。

 とりあえず、今のところ小三治君も再起動をしつこく繰り返せば、正常に動いているので、急ぐことはないのだが、いつポックリ逝くかもわからないので(色んな音がする)、やるべきことは後継者探しより先にバックアップのほうか?
 ロクにバックアップするようなものもないのだが、メールアドレスくらいは保存しておかないとね。

 さて、一月も今日で終わり。
 私の出勤・休み・出勤・休みのカスタネット出勤も一段落で、今週末はまた九州出張だから、次回はいつ休めるのか不明。うかうかしてると11日連続出勤とかになってしまう。

 明日はさっそく早朝の外仕事だしな。
 5時起床です。
 暖冬で助かる。

 異常気象だ、温暖化だ、湖が凍らなくてワカサギ釣りができないだ、とニュースになっているが、個人的には異常だろうと連続殺人鬼だろうと「暖冬」は歓迎である。ヴェネチアやモルジブには悪いけど水没してもらってもいい。

 てゆーか、本当に異常気象が二酸化炭素の排出に原因があるのなら、インドを早いとこパキスタンの核ミサイルで抜本的に破壊してもらわないと、ってNHKの「インドの衝撃」を見て本気で思った。あとは、中国にまた文化大革命を起こしていただいて、50年くらい後退させないと。(それはそれで大気汚染が・・・・)

 前にも日記に書いたと思うが、約10年前、インドを旅行したときに、インド人の物欲に辟易していた日本人バックパッカー同士でこんな会話をしていた。
 「中国は人口も多いし、魅力的な未開な市場だと、日本の大手商社が乗り込んでいったが、中国人ってわりかし家電製品なんかに淡白だったらしいね。で、逆にインド人は、年収10万円でも、10万円のテレビを欲しがるみたいで物欲は成熟してるけど、なにせ、収入が少ないらしい」

 「ふーん、そうなんだ、中国はわりかし淡白なんだ」なんて、茶飲み話していたのだが、それから数年後に中国市場が爆発的に伸びて「そっか、あの頃言われていたのって、中国人が単にテレビやビデオっていう物を知らなかったから欲しがらなかっただけなのね」という物語が私の中で勝手に形成された。
 たしかに、10年前は、物欲まみれの日本人だった私も「別にパソコンなんて欲しくもない」と思っていたもんね。「メール?電話すれば用が済むのに?」って思っていた。

 そんで、インド人といえば、貧乏人でも日本人の持ち物に興味深々で、とにかく値段を聞きたがる人たちだった。
 月収100ドルくらいの庶民たちに、「そのウォークマンはいくらだ?」と聞かれても、答えるのがちょっと辛い。私はウォークマンは持っていなかったが、「そのスカートはいくら?シャツはいくら?」と聞かれて、日本では安モンだったが(ユニクロ登場前の時代ですから)、スカート5000円に、シャツ3000円ちゅうのは、換算すると彼らの一ヶ月の生活費になってしまうわけで、本当のことを言うのが心苦しかったが、さらに「1人で暮らしてるの?家賃は?」と言われたときには、「だいたい750ドルくらい・・・・」と言うのがほんとに辛かった。「えーそれは年額じゃなくて、月に?」と、そりゃ、彼らの感覚からすれば、それは東京で月に200万円の高級アパートに住むみたいなもんだろうけど、ほんとにウサギ小屋なんですってば。それで2000ドルの月給で、750ドルの家賃を払って、水道光熱費が100ドルで、電話代が50ドル、スカートが50ドルするんですってば。高収入だけど、物価も高いんです。

 でも、物価高の国で生きていると、貯蓄額が大きく違うよね。貧しい国の人が出稼ぎにきて、月に1万円を本国に送れば、家族が食べていけるし、弟が大学に行ける。
 で、私ら「裕福な国で漠然と生きているだけ」の人でも、月に一万円貯蓄できれば、年に1回、貧しい国のリゾート地で優雅に遊べるのだ。

 10年前は、そんなインドだったけど、ここ数年はほんとに違うらしい。
 インドの「中間層」っていうのは、年収1000万円くらいあるらしく、日本でも年収1000万円っていうのは憧れのエリートな収入だが(ちなみに清貧なワタクシは、年収500万円のOLです)、あのインドでそれだけ収入あったら、そうとう使い勝手があるだろう。

 10年前のインドは、「中流」の薄い国だった。
 金持ちは、ドル換算しても私よりも桁違いの億万長者ってかんじで、間が薄くて、年収30万円くらいの庶民がたくさんいて、その下は乞食ってかんじだった。

 ただ、あの当時も年収100万くらいの「やや上」っていう人たちは(数字に何の根拠もないが、物価が日本の5分の1のインドで、ミヤノ家と同じくらいの生活レベルだったからそう推定しただけ)、子女を英語学校に入れたり、コンピュータ学校に入れていた。やたらとありましたもん、コンピュータ学校。そんで、そういうとこに通っている女の子と話す機会があったので「何を勉強してるの?」って聞いてみたら「マイクロ・コンピュータ」

 わあ、マイコンって死語だなあ、と思った。
 そんで、テキストまで見せてもらったのだが、古めかしいIBMのテキストだった。もちろん英語版。

 97年当時は「インドよ、どこへ行く?」と思わせたのだが、あれからしばらくして「英語で教育を受け、コンピュータの勉強もしている」という人材が無尽にあることが評価され大躍進である。
 下流層から成り上がるのは、けっこう難しいのは変わらないかもしれないが、「インドの中の下」が、国際的に「中の上」に行くのは、親のちょっとした努力で可能だったのだろう。

 それは、日本でも、私の親の世代で起こったことである。
 貧しい町工場の職人が、子弟の教育費を惜しまず、大企業のサラリーマンにすることで、自分の何倍もの収入をえる人材を育てたように。

 しかし、私の世代では、子供を自分よりも高収入にすることはけっこう難しいんだろうなあ。  
1月30日(火)

 小三治君の発作の合間を縫って久々に日記を書いてみよう。

●哀しい出来事

 茶沢通り太子堂商店街への交差点に長らく君臨していた、三茶の名物店「ディスカウント・モリ」が今月一杯(って明日ですな)で閉店するそうだ。
 ドンキの手本になったのでは、と思わせる天井までびっしり商品を並べる店で、近年は激安野菜なども売っていて「とにかくなんでもあり」の店だったけど、私が一番お世話になったのは、腕時計の電池交換である。

 数年前までは、「電池交換お願いします」と店員に言うと、店内放送で「社長〜」と呼び出されて、地元の名士でもある(たぶん。変なスポーツカーに乗ってるし。まあ、名士というよりは名物オジサンだろう)社長が現れて、その場で電池交換をしてくれて、「はい、じゃあ、1000円。消費税込み」と手を出され、千円札を差し出すと、社長はエプロンのポケットにその千円札を投げ込んでいて「もしかして、社長の小遣い稼ぎなの?」と思ったりしたのも懐かしいが、近年は愛想の悪い若者が社長の技術を受け継いだようだ。

 今後、腕時計の電池交換はどこに頼めばいいのだろう?
 意外と見つからないんだよね。

 さて、今日は休みだったので夕方買い物に出て、モリの前も通ったのだが、大震災後に近隣の善良な市民がコンビニを略奪してるみたいな状態になっていた。昨日のNHK特集で「インドの衝撃」っていうのをやっていて、インド人ならぬ、私がビックリしたのは「巨大スーパーチェーンがインドに!」ということだったが、あのスーパーチェーンも開店時は大混雑していたが、モリも小規模ながらあのくらい混雑していた。

 閉店の理由は「社長の高令のため」(原文ママ)だったが、場所を売り払ってしまうのかねえ?
 三茶の「世田谷の一等地だけど、下町風で適度にダサい」という魅力を支えてきた店がまた一つなくなる。

●嬉しい出来事

 さて、モリは閉店するが、うちの近所には昭和の面影を色濃く残す雑貨屋がまだ健在である。
 店番するバアサンの腰は激しく曲がっているが、天気のよい日は店先で近所の茶飲み仲間が集まって雑談している超癒し系の店である。商品のホコリのかぶり方まで計算しつくされていると思う。

 こういう、老人が細々とやっている個人商店は年々減っていくので、大事にしたいと思っているので、私は、スーパーより高くても、トイレットペーパーや洗剤などは、なるべくこの店で買うようにしている。高いといっても、せいぜい100円だし。毎日買うものでもなし。
 でも、そう思っているのは私だけではないのか、その店のトイレットペーパーはよく売れている。私が好きな商品はけっこう売り切れていたりして、次の入荷を待たないといけないくらいだ。まあ、週に一度も入荷してないだけだと思うが・・・・

 私の心を鷲づかみにするチャーミングなオバーチャンだから、近隣に隠れファンが多いのかもしれない。
 あの店で買い物すると、すごーく、いいことをした気になるし、なによりも、ホっとするんだよね。「寒いですねえ」とか「熱いですねえ」っていう会話できたら最高にうれしくなる。

 さて、そんなオバアチャンになるべく負担をかけないよう、私はなるべく小銭を用意して買い物する。
 今日も470円の買い物のために、100円玉5枚で支払った。ほんとは、もっときっちりと小銭を用意したかったのだが・・・・

 そして、買った物を持って歩き出そうとしたら、おばあちゃんが「あら、キレい・・・・」とおっさるので「え?私のこと?」と一瞬本気で思ったが、おばあちゃんの方を見ると、薄暗い店のレジの前でおばあちゃんが掌に載せた100円玉をうっとりと眺めている。
 私が払ったうちの1枚が新硬貨だったらしい。
 「あ、ほんとだ、ピカピカですね?どこで貰ったんだろ?気がつかなかった」と私が首を傾げると、おばあちゃんは「こんなの、いただいていいの?」

 くー、しびれる。
 都会に生きる「いい大人」は、自分の小銭入れを通過していく硬貨の輝きになんて無関心だ。そりゃ、ガキのころには、「10円玉を新品に蘇らせる方法」なんかに夢中になりましたけどね。(たしか、サンポールを使ったような・・・)
 でも、硬貨で商売しているオバアチャンは(あの店で千円以上買う客はほとんどいないと思う。駄菓子屋っぽい位置付けだ)、平凡な硬貨の輝きを見逃さなかったのだ。そして、本気で「こんなキレいなのいいの?」と言っているのだ。新品だろうと、私より年齢が上だろうと(たまに見つけると「お姉さんだ」とちょっと嬉しい)、100円は100円である。私が「いえ、いいんですよ」と微笑むと、おばさんも「あら、ありがと」とニッコリ。明日、用もないのにやってくる近所の老人仲間に「キレな100円が来たのよ」と見せびらかしていただければ、100円玉も喜ぶでしょう。

●よくわからないファッション

 先日、仕事帰りに電車を乗り換えて階段を上がっていたら、目の前にヴィトンのポシェットを斜め掛けしている人がいた。あれはポシェットと言っていいのかわからないが、大きさは文庫本よりやや大きい長方形で、お弁当箱くらいかなあ、そんで均等にマチがついている。

 そんなもん、別に珍しくもないのだが、しばらくして、そのポシェットをかけている人が男性だとわかったので「ふーん、あんまり男が身に付けるモノじゃないなあ」と思って、つい観察してしまった。

 そもそも、あんまし男性でヴィトン持ってる人いないし。
 ショルダータイプだったら、もっと大きい、昔の学生の白い帆布カバンみたいなのだったら、若い男子には似合うのかもしれないが、そもそも、小さいカバンというのは男性向けではないという思い込みがある。ポーチを小脇にする人は時々いるけど、あれも個人的には好きではない。集金の人みたいじゃん。

 あんな小さいの持つくらいなら、手ぶらのほうがカッコいいと思うのだが、そういえば「男のヴィトン」としては、ずいぶん前に、大きめのボストンバックを潰したというか、ほとんど中味の入ってなさそうなやつを彼氏に持たせるという流行というか、時々見かけた変な現象があったなあ。あれも謎だったが・・・・

 そう思っていたら、20代半ばくらいの「ポシェット・ヴィトン君」は、彼女連れであることがわかった。
 彼女は、ヴィトンのハンドバッグをぶら下げていた。「ポシェット・ヴィトン君」のポシェットは、彼女の物なのかもしれない。ペアルックにコーディネートしてみたのかな?

 でも、なんかノリとしては、「飼い犬にヴィトン君の首輪つけてみました」以外の何者にも見えなかったんですが、まあ、あれは流行らんだろうけど(男子がポシェットなんてぶら下げるの普通は嫌がると思うから)もしかしたら流行るのかもしれないし、もしかしたらすでに大流行しているかもしれないので、ひそっりと書き残しておきます。
1月25日(木)

 さっき小三治君を立ち上げたら、また「げほ、ごほ、ごほっ」と激しく咳こんでいたので、慌てて「また休んでなさい」と寝かせて、「ああ、やっぱりもうダメかしら」と悲嘆に暮れましたが、しばらくして起こしてみたら、今度は大丈夫でした。

 ほんと、ドキドキの毎日です。

 無意味にアドレナリンが分泌されてしまいます。

 恋愛ドラマに「不治の病」は不可欠であることが、やっとわかりました。
 「ああ、もう死んでしまうのね」と思うと、妙に執着心が高まるのですね。
 「閉店セール」の効果っちゅうか、去年閉館した横浜マリンタワーも閉館間近に客が押し寄せたらしいが、限りある命を持つ人間は、どうもそーゆーのに弱いようです。なので皆さん、3分おきに出てる山の手線に駆け込み乗車したりするのでしょう。閉まる直前のドアに吸い寄せられるようです。

 さて、明日もお休み。
 休んでばかりいるようですが、先週の土曜日だって出勤だったし、今週も土曜は出勤よ。
 諸般の事情で、しばらく土曜当番なのである。
 そんで、有給もたくさん残っているので、それを消化しようとすると、平日に二日も休むことになってしまうだけだ。それも、諸般の事情で火曜と金曜しか休めないから、出勤日が市松模様になってしまうのよ。(木曜出勤・金曜休み・土曜出勤・日曜休み・月曜出勤・火曜休み)

 市松模様といえば、ここ最近、また市松模様のマフラーが流行してますね。
 数年前に見かけて「また流行ってるのか」と感慨深かったことは過去の日記のどっかに書いてあるはず。たしか、あんとき見かけた若い男子がまとっていた市松模様のマフラーに値札がついていたので、「値札ついてまっせ」と指摘してあげたのだと記憶している。(そーゆことすんの、おばさんぽくて躊躇したんだけどさ)

 20年前、なぜか市松模様がマイブームになっていた私は、新宿アルタで市松模様のマフラーを発見して、いつもそれを巻いていたのだった。
 なので、数年に一度流行るのを暖かい目で見守っていたのだが、それと同時に「私のあの、市松模様のマフラー、どうしましたっけ?」と思っていた。

 年末年始に実家に帰ったら、あの20年モノのマフラー、父ちゃんが巻いてました。
 師走の風に乗って、母は電車の中で忘れ物をして、それが戻ってこないので、初詣のマストお祈りアイテムになっていたようだが(「家内安全」などの無難なお願いをしている場合ではなかったらしく、真剣に手を合わせていた)、同じ時期に父もマフラーをどこかで紛失していたらしく、「似たもの夫婦」であることを実感したようだが、それよりもやはり「師走って」ということなんだと娘は思ったが、それはいいとしても、母が父のために、タンスの奥から発掘したのが、20年前に私が愛用していた、あの市松マフラーだったのである。

 家族で外出しようと思ったら、父がおもむろにそれを取り出して首に巻いたので「あ・・・・そ、それ・・・・あたしの・・・・」と言ったら、母が「あら、じゃあ、あんたに返す?」と言ったので「いえ、いいです」

 だって、もう毛玉はビシバシだし、ヨレヨレだったし、キレいな市松を描いてなかったんだもん。アクリルの安物だったし。
 つーわけで、中央線沿線で、今ちょっと流行りの市松模様のマフラーのはずだが、かなりくたびれきったのを巻いてる60代後半のオジサンをみかけたら、たぶんそれがミヤノ父で間違いないと思います。ごま塩が極まった、スーラ的な銀髪に市松模様がよく似合ってました。
1月24日(水)

 遣唐使です。

 けん とーし です

 って、頭の中で定期的に呟いている人は全国で何人くらいいるんだろう。
 そもそも、あの曲が何年か周期でCMに採用されるのは、「超ハヤった誰でも知ってる洋楽」であるということよりも、人々の心に「遣唐使です」の永久ループを起動させるからなのだろか?

 それに、「日産ハイウェイスターシリーズ」っていう商品名の広告CMなのに、なんで「ハイウェイスター」を使用しないのだろう?
 しかも、ゆっくりねちっこく「けん た・・・し でっす」と発音されるにつけ「やっぱし、遣唐使にしか聴こえない」という確信を深め、これはきっとかの有名な「上杉謙信」と同じくらい有効なのだと、日本人英語からの脱却を夢見るが、何度かイギリスを旅行しても、とうとう一度も「ウエストケンジントン」と発言する機会に恵まれなかったが、「U Can't Touch This」と言う機会が今後ある可能性は少ない。いったいどういうシチュエーションで言うべき言葉なのだろうか?

 昨日、私が「よっし、小三治君の病状を確認しよう」と開腹して、「ふーむ、この臓器がダメか」と取り出した臓器には「関係者以外開けるな」と英語で書いてあったようだが、その英語がわからなかったわけではないが、ちゃんと読まなかった私が、その箱もネジ回しをネジ込んで開けようとしたときに、小三治君が「遣唐使です!」と叫んでいたのかもしれない。

 さて、小三治君は今日もなんとか静かに(当社比)動いているようだ。
 よしよし。
 しかし、こういう「ときどき非常に具合が悪い」というのが一番始末におえないのかも。
 会社の備品などでもよくあるが、修理のプロを呼ぶと、どこも悪くないのに、お医者さんが帰ったとたん、いきなりまた不調になるというのが一番困る。

 しかし、なんとかなってるから良しとしよう。
 そーいや、しばらくずっと「うちのパソコン、なんで音が出ないのだ?」とユーチューブの映像を見ても、無音でつまんなかったのでハマらずに済んだんだけど、あるとき、プラグが1個抜けていたのに気がつき「あ、そっか、これが抜けてたからだ」と抜けてるのはオメーだろな事実に気がついたのだが、そのプラグを差し込んでもやっぱし無音だった。

 ま、いっか、と、なくてもそれほど困らなかったので放置していたんだが、昨日、あらためて接続してみたら、音声プラグあたりには穴が三つあり、人を呪わば穴二つというが、三つもあるとは気がつかなかったのもボンクラであるが、ふと「もしかして、この穴?」と思って差し込んでみたら、いきなり音が鳴り出した。

 「あー、穴間違ってただけですかい。まあ、そんな気は薄々していたが・・・」
 と、1人でトボけていたが、これじゃあ、デキの悪い童貞ジョークみたいっすね。
 その手のジョークで、私がしっかり記憶しているのは、ある男性が初夜の前にお母さんに電話して「ボク、どうすればいいの?」と聞いたら、お母さんが「女の子がオシッコするところに、あなたの大事なモノを入れるのよ」と教えてくれて、さて、いよいよ初夜というときになって、花嫁が見たものは、便器に頭を突っ込んでいる花婿の姿であった。ってゆーやつだったが、あれはどこで聴いたのかな?たぶん、深夜放送。谷村シンジあたり。

 なんか、頭がボケているが、昨日ちゃんと休んだので、今日は化粧ノリもよく、鏡に映る笑顔もイケていて、ご機嫌だったのですが、やっぱ出勤すると「やっても、やっても終わりが見えない」地獄に陥り、不機嫌になったが、そんな最中に読み始めた、コニー・ウィリスの「最後のウィネベーゴ」が面白くて、かなり心洗われました。

 ウィリスは、ほんとにムカつくほど上手いんだけど、長編だと、そのドタバタで引っ張るかんじの密度が濃すぎて、疲れることも多いのだが、中短編だと、こっちが程よく疲れてきたあたりで終るからいいみたい。

 ウィリスの短編読んでたら、派遣のAさんを思い出した。
 先週、忙しかった彼女は、昼食時間になると「うーん、うーん」と悩んでいたので「どうしたの?」と声をかけたら「今日は忙しいので、外に食べに行くか、それとも何か買ってきて中で食べるか悩んじゃって」と言うので、私と部長で苦笑していたが「いいや、買いに行こう!」とドタバタと走ってコンビニに買いに行き、なにかを電子レンジでセットして、電子レンジがチンとなったら、ドタバタと給湯室に走っていき、「この人は、ほんと走り回るのが性分なんだな」と思ったが、なんか常に「いっぱい、いっぱい」であることを好む彼女の性格は、まさにウィリスの小説のようである。

 私には、たかだか10メートルくらいを猛ダッシュする気持が全くわからないのだが、(「悪いけど、お茶いれてくれる?」と言われて、給湯室までダッシュするのと、ゆっくり歩いていくのでは、数秒しか違わないんだけど)、あれはただ、「走る魂」にとりつかれているだけなんだろう。
 競走馬としては大成しないタイプである。最後の直線で追い抜かれてしまう。
 でも、たまに先行して逃げ切る馬もいるけど、「名馬」と言われる馬には少ないと思う。

 ウィリスも、最初のほうはもっと流して、最後のコーナーあたりで猛ダッシュしてくれれば、もっとゆったりと読めるのだろうけど、ゲート出てすぐダッシュするからなあ。
 なんか、レイモンド・カーヴァーの小説を高速BPMでまわしているかのようなかんじなのかもしれない。(誉め言葉)

 個人的な趣味としては、もう少しゆるくしたウィリスの小説というのも読んでみたいが、今みたいな「ひー、仕事が山積み!」という気分のときには、高速BPMな小説も、けっこうおっとりと愉しめるようです。自分が忙しくて必死に伝票入力しているときに、ドタバタと無意味に走り回るAさんの足音が妙なる調べに聴こえるように。「あ!いけない!洗濯ものつけっ放し!」ってドタバタ走ったって、あーた、その洗濯物(給湯室の布巾)はすでに朝から5時間もつけっぱなのでは?って、心の中で小さく突っ込んでみたりする行為が「癒し」っちゅーか。
1月23日(火)

 やっぱ、小三治君の調子が悪い。
 ウシガエルのように、ブモーブモーと鳴く。

 昨日の月曜日は、土曜日から取り掛かっていた仕事をなんとかまた残業して終らせて、それで社外的に期限のある仕事は一段落ついたので「あたしゃ、明日休む!」と宣言した。
 週末は天気悪かったから、洗濯も溜まってるし、布団も干したかったし、なによりも昼間ゆっくり小三治君の症状を確認してみたかったのだ。

 午前中に目が覚めて、「答えてちょうだい」を観ながら洗濯していたのだが(だからクドいようだが、洗濯しているのは、私じゃなくて洗濯機)、なんだか隣の部屋が騒がしい。
 ケーサツ無線の音がするんすけど・・・・・

 ベランダから外を見ると、制服姿の人たちがうろうろしている。
 うわ、なんか事件?と思って、玄関のドアから様子を伺うと、そこに立っていたのは消防署員だった。救急隊のようだが・・・・「あのお、どうしましたか?」と声をかけてみたら、「いえ、救急なだけで、火災ではありませんから、大丈夫です」と言われたので、どうやら救急搬送されるらしいが、でも、それにしちゃ出動してる人数が多くありません?警察も何人か来てるんですけど・・・・

 「ああ、鍵を閉めて」
 「あ、そうだ、包丁、包丁!」

 という会話が聞こえたのですが、包丁って?????

 しかし、これぞ都会の闇というのか、小さいアパートの隣の部屋に救急隊や警察が詰め掛けているというのに、まるでイラクよりも遠いところの事件のように、私は何があったのか全くわからないのであった。
 多分、なんかあって救急車を呼んだけど、鍵が開かないので警察も出動して大家を呼んでという騒ぎになっただけだと思うが・・・・

 それはいいんだけど、救急隊はちゃんと部屋の鍵は閉めていったが、どうやら電気つけっぱなんですけど。ま、いっか。

 そんなわけで、かなり動揺したが、「笑っていいとも」を観ながら、小三治君の診察開始。
 「はーい、じゃあ、胸出して」というわけで、箱を開けてみました。
 つーか、開腹手術か?

 数年前までは、かかりつけの医者が往診に来てくれて、往診代は「近所の美味しいハンバーガー屋でステーキ」で済んだのだが(その店は、その後、行列のできる店に出世した)、そのお医者さんったら、海外に行ってしまったのよ。(まあ、新幹線でも行けるところだが)

 だから、私は腹の開け方もよくわかってないわけ。
 しかし、どんなドシロートでも、開けるのは簡単だ。閉めるときに、ネジが余ったりするのはご愛嬌。

 開けてみてから、電源入れてみたら、どうやら大腸付近から異常音がする。大腸?たしかにファンがあるから「排出口」って雰囲気だが、そこから電源も入るみたいだ。
 その部分が何て名称だからわからなかったのだが、とりあえず製品番号だけメモして、ファンのあたりをブシブシとエアダスターで掃除してみた。
 すごい埃だったので、ベランダに出て、全体をブシブシした。

 そんで、今度は縫合。
 やっぱしネジが余ったが、ネジを間違えていたことに気がついて、やり直すと、無事に縫合終了。

 電源入れてみたら、おお〜異常音がしない!
 私の手当て(まさに、手を当てただけ)がよかったのか?
 それとも、マシンのほうで「これ以上、イジられたらゼッテー壊れる」とヤブ医者に恐れをなして、気力で快復したとか?

 そんで、また全部接続して、起動してみたら・・・・・また、ブモーっと言いやがる。
 くすん。このマシンって、どこに修理に出すんだっけ?ネットで買ったやつだからアキバまで持ってかないといけないの?

 涙目になりながら、また再起動してみたら、今度は吠えなかった。
 鳴いたり、鳴かなかったりと不安定だが、ファンのモーターあたりに問題あるのは明らかなので、いつまで持つやら。まあ、すっげえうるさいのを我慢すれば、他は問題ないのだが・・・・CDが起動する音がずっと続くくらいなかんじ。

 というわけで、また日記が更新されてなかったら、小三治君が不調か、ミヤノさん自身が不調か、どっちかだと思ってください。

1月20日(土)

 機械帝国の皆様へ。

 わたし、またなんか、あなたたちに不都合なことしましたか?
 それとも、なんかヤな電磁波でも出てすますか?

 昨日は、我が家の小三治君が異音を発してドギマギしたが、今日は午前中から会社でガシガシと仕事していたら、昼前になぜかさっきまで開いていたエクセルのファイルが「使用中です」と開けなくなり、「おっかしいな?」と思って他のファイルを開こうとしたら、他のもダメで、試しにワードのファイルを開いてみたら、そっちはOKで、「こういときはシャットダウンして再起動」と、さっそく実践してみたが、やっぱりダメ。

 ああ・・・・今日の仕事が・・・・遠のく・・・・と、気絶しそうになっている場合ではないので、さっそくシステム部に出向いて窮状を訴えると「ああ、あれか」と心当たりがある症状のようだった。
 しかし、システム若手(ハイジと同期だから、もはや中堅か)のF君がサクサクとやってくれたのだが、「あれ?思ってたのと違う・・・」とテコずっている。

 どうやら私のプロファイルとやらが異常をきたしたようで「他の部署ならプロファイル更新しちゃえばいいんだけど、経理は経理システムの都合があるからなあ」だそうで、プロファイルっていのがなんなのかわからんが、わたし、なんかそういうの書き換えるようなことしましたか?「過去を消す女」?

 いつもと違うことをしたのは、源泉徴収票の作成のために、マクロびしばしのファイルをいじっていたんだけど・・・それがどう影響しているかもわからないし。

 F君がいろいろとやってくれたようだが、雑談キングの彼は作業中にも口を休めない。
 「オレ、最近はゲームばっかりやってるんすよ」っていきなり話出しても不自然じゃないあたりが凄い。「ふーん、そうなんだ、何のゲームやってるの?」「ドラクエです。大変ですよ。おかげで時間全然ない(笑)」

 F君は、結婚してまだ1年目くらいなはずなので「妻はなんも言わないの?」と聞くと「いや〜、もう完全無視ですよ」
 「そういや、Y君も、マンション買って引越すときに休暇とったけど、休暇明けにぐったりして赤い目をしてたので、引越し大変だなあと労ったら、実はゲームばっかしてたとか」
 「ああ、Yさんは、さらに凄いっすからねえ。彼はFFですよ」

 Y氏は妻が新居で必死に荷物を解いている横で、昼夜ゲームに勤しんでいたらしいが、新妻を放置してドラクエに勤しむF君とどっちが凄いのかは私にはよくわからない。
 そんな雑談しているうちに20分くらい経過したが、私のマシンは治らないけど、F君がエクセルのファイルを開く裏技を教えてくれたので「まあ、作業できればいいから、今日はこれでなんとかするよ」

 そんで、また入力を始めたのだが、ふと無意識に他のファイルを開いたら「あれ?開けた?」
 よくわからんが、勝手に治ったらしい。F君の処置がよかったのかもしれないが。

 それで、必死に午前中に終らせようと思った分をやっていたら、1時半になってしまった。ああ、お腹すいた。
 外に出ていたフロアの他のメンバーが、そろそろ戻ってくるはずだから、そしたら外に昼食に出てリフレッシュしようと思って、しばらく作業を続けていたが、一向に戻ってこない。2時半まで待っていたが、戻ってこないので、しょうがないからなんか買いに出ようとしたら、やっと戻ってきたので、近所の中華屋でお粥を食べて、また3時ごろから仕事開始。

 入力した分をプリントアウトしてみたら、今度は激しい紙詰まり。「ガガゴゴゴガサガサ」ともの凄い音がしたので、マスオさんに「どうしたんすか?激しいっすね?」と笑われたくらい。
 くっそー、ほんとに機械帝国と相性悪いぞ。
 やっぱ、忙しくてピリピリしてるから、変な電磁波出ているのだろうか?
 そうだとしたら、こんなところでピリピリと仕事しているバヤイじゃなくて、国家秘密な「敵国の中枢マシンを破壊する」という極秘任務にリクルートしてもらったほうがラクして稼げるのではないか?なんでも壊しまっせ〜

 さて、そんなこんなで、今日のメーンエベントである、100件入力にとりかかることになったが、とにかく単純入力なので(データをコンバータできなかった。やろうと思えばできるのかもしれないが・・・)私の電磁波をマイルドにするために、国木田君に登場してもらった。
 よっさー、ガルニエのDJミックスかけながらガシガシやるぞ〜

 本気でガシガシやった。気分は超絶技巧ピアニストであったが、いかんせんミスタッチが多いし、住所氏名の入力は読み方わからなかったりするのでけっこう手間取るし、そもそもそんなに指が回らないのだ。
 それでも、ミニマル・ビートに合わせて、必死にやった。
 10年前は、こういう音楽で足をガシガシ動かしていたというのに、ガルニエ様が奏でる音楽でキーボード叩くっていうのもね。

 あのCDは70分くらいあったはずだが、やはりそれでけでは終らなかった。後半はあきらかにペース落ちたし。打ちながら「あれ?これって?」って確認することも多かったから。

 夕方5時くらいから、国木田君に伴奏してもらって100分くらいかかって入力終了。
 それから、集計して、8時くらいまでやっていたが、わき目もふらず入力していたので、もう電池切れ。
 それでもなんとか「来週、あと1時間くらいやれば終る」というあたりまでやって、今日は退散。

 うーん、やっぱ、電話も来客もない土曜日にやっても丸一日かかったな。
 これを平日にやったら2日かかっただろう。
 月曜日に頑張れば、来週は一日くらい有給とれるかもしれない。

 つーか、有給ほんとに、たくさん抱えているんだが、私やマスオさんはちゃんと消化できるんだろうか。
 こうなったら、吐血でもしないと無理そうだ。
 こうなったら、会社で派手に鼻血でも噴出しておくかね?

 そういや、最近、全然鼻血してない。とうとう枯れたか・・・・でも、目の毛細血管はヤバいような気がするんだけど、そっちは自分にしかわからないから、パフォーマンスとしては鼻血のほうが断然インパクトがあっていいんだけど。  
1月19日(金)

 さっき、パソコンを立ち上げてたら「ごおおおおおおん」と物凄い音がしたので、びっくりしてすぐシャットダウンした。
 ドキドキドキ・・・・
 小三治君ったら、もう寿命なのかしら・・・・
 どうしよう、どうしよう・・・・・

 しかし、気を落ち着けて考えてみると、さっきの音は、iTunesにCD食わせているときに鳴り響いていた音を大きくしたような感じだった。
 するってえと、CD−ROMが暴走?

 よくわからんが、もう一度、小三治君を揺り起こしてみたら、今度は静かだった。
 うーん、何んだったんだろう?

 さて、昨日は現金支給の手当の準備で半日潰してぐったりしていたが、今日は先日の出張経費の清算でやはり現金出金の嵐。
 10数名が行っているので、全員分の清算書が揃ってからやろうと思っていたんだけど、早い人は即座に提出してきたが、遅い人はまだ持ってこないうちに、すでに出した人たちからは「あの清算まだ?まだ?まだ?」と連呼され、しょーがないから用意したんだけど、昨日今日と現金ばっかで、私はラブマシーンではなく、キャッシュマシーンと化してしまった。ほんと、ATMになった気分満喫である。

 札の数えすぎで、手が腱鞘炎になりそうだ。
 「こういうのって労災きくんすかね」とボヤいたら、周囲にちょっとだけウケた。

 そんでもって、今週中に終らせようと思っていた仕事が全然終ってないことに気がつき、夕方からせっせとやったが、全然終んないよ〜

 それに、まだ源泉徴収票の作成を全然やってないじゃないか。
 明日も出勤だけど、明日一日でやれるだろうか?
 25日くらいまでに税理士に提出して、チェックしてもらってから月末までに税務署に提出しないといけないのである。
 今年から報酬(原稿料など)の件数が桁違いになってしまったので、さすがに手書きは無理になり、ソフトを導入したのだが、それにデータ入れないといけないのに、年末年始はそれどころじゃなくて完全放置。

 はあ・・・・源泉徴収票の仕事が終って、また2月初旬の九州出張が終れば、すこし深呼吸できると思うのだが・・・後は、経理の人員補強をして、もう少し仕事が分担できればいいんだけど、いい人来るかねえ?(とりあえず、誰か代わりに人間ATMやってほしいよ〜)その件は課長に任せっきりなので、どういう進行状況なのか不明。明日、課長も出勤するみたいだから話してみよう。

 課長は、部長の説教が堪えたのか、昨日今日はちゃんと朝から出勤してます。
 でも、なんだか微妙な課長不信の空気が流れているような・・・・課長にけっこう懐いていたはずのマスオさんも、忙しいせいもあるが、課長とほとんど雑談してない。やはり、半月も来なかったせいで、みんななんとなく課長の不在に慣れてしまったようで、存在感が希薄なのである。
 派遣のAさんのほうが、よっぽど存在感がある(笑)
 今週のAさんは、M嬢の代わりに、とあるイベントの参加者名簿の整理を任されたので、その責任者である部長も、親会社の担当者も、ことあるごとにAさんに詳細を確認していたりして、そういう土壇場仕事が得意なAさんはテキパキとこなしていたから、「総務部にAさんあり」と認められるようになって、楽しそうに仕事していたし(新しい職場で自分宛てに内線や外線が掛かってくるようになったときって、仕事が楽しくなる瞬間である)、そんな彼女が急に「保育園から呼び出しがあって、子供のセキがひどいらしいから病院に連れてかないと行けないので、4時で帰らせていただいてもいいですか?」と言っても、みんなで暖かく「いいよ、いいよ、早く帰ってあげなさい」という態度だったし、4時を回っても彼女の仕事が終らないでいたら、部長が「あれ?今日は早く帰るんじゃなかったの?」と心配して声をかけてあげるくらいだった。

 家庭の事情で、仕事に支障が出るのはしょうがないことだし、それは皆同じなんだから、わかってるんだから・・・・ね。
1月18日(木)

 昨日も一日中ぐったりしてました。国内出張で時差ボケしとる場合ではないと思う。厳密に言えば時差ボケではくて、午前中に目が覚めるが、昼寝しまくり、しかも夜もしっかり12時前には就寝するというただのボケらっただ。

 でも、環境には優しい生活です。(缶ビールの缶はちゃんとリサイクルに出してます)
 みんな、私を見習って冬は冬眠すればいいのに。

 さて、今日は出勤したが、どうやら課長も昨日から冬眠明けした模様。
 そんで、部長は昨日がお休みだったので、今日は朝から説教した模様。
 そんで、そんなことどうでもよくなるほど、私の机は書類で埋まってた模様。

 だから平日休むの嫌なんだってばさ。

 しかも、今日休みのマスオさんからメールが入っていて「現金残高に過不足がありました」っていうのはいいとしても、また現金が多いのか?
 おめー、前もそうだっただろう?
 不足になるのは時々あるけど、多くなるのは珍しいのだが、絶対に自分が損していると思うんだけどなあ。
 ほんと、気立てはすごくいいし、そのわりにお金に対する野心もけっこう持っているのだが(投資好き。愛読書は「らるじゃん」・・・あれ?「あるじゃん」だったっけ?わたしゃよく知らんが、フランス語が元ネタってことはわかっているから、やっぱし「らるじゃん」のはずよね。冠詞は重要なんだってばさ。手羽手羽)なんつーかこう、「君は絶対に金持ちにはならないだろう」というオーラを感じる。

 さて、今日の私のお仕事は、みんなが楽しみにしている特別手当の用意。
 んなもん、給与に乗っけてしまえばいいのだが、伝統的に「現金支給」なのでしょーがない。
 楽しみにしているお父さんが多いのだ。
 こっちは死ぬほど仕事が溜まっているというのに、こんな仕事で半日潰すせつなさよ。

 夕方になって、やっと自分の仕事ができるようになったが、もう目がダウンしてしまい、ピントが合わなくなっていた。親会社の経理のNさんが所用でやってきて、しばし雑談していたのだが、Nさんは最近、老眼で悩んでいるらしい。まだ40代後半なのに・・・・
 「やっぱ、今まで全然目が悪くなかったんですか?」と聞いてみたら「そうなの、ずっと1.5だったのに〜」
 そうなんだよね。うちの母も、近視とは無縁の生涯を送っていたので老眼になるのが早かった。
 いつのまにか、両親が新聞を読む様子が逆転してたもん。ド近眼の父は眼鏡を上げていて、目のよかったはずの母が老眼鏡をかけていた。

 Nさんに「そっちの経理はどう?」と聞かれた。ハイジがそっちに行ってしまったので「私はほんとにラクになったんだけど、そっちが忙しくなったんじゃ・・・・」とおっさるので「ええ、もう、大変ですよ、こっちは。でも、ハイジがお役に立っているのならよかったです」と言うしかない。

 人柄もいいし、仕事もできるNさんであるが、やはり寄る年波には勝てず、最近はモノ忘れもそこそこ出てきたし、細かい仕事をサクサクできなくなっているのは気がついていたから、ハイジみたいなのが来たら、細かくてヤヤこしいのを任せられてホっとしただろう。私だってそうだったし。でも、ハイジに任せていた仕事がまた戻ってきちゃったよ〜ん。ああ、目がシバシバする。

 8時くらいまでがんばっていたが、ほんとに目の焦点が合わなくなってきたから諦めた。

 くたびれきって家路について、三茶の駅についたら「おっし、もう少しで家だ!」とカっと目を見開いて自分に気合を入れたら、前から歩いていた女の子の顔がパっと輝いた。
 いや、君に向かって何か信号を送ったわけでは・・・・
 とっさに無視して、ズンズカ歩いていたが、スーパーに入る手前で「あの〜、アンケートに協力していただけませんでしょうか?」と後ろから声をかけられた。おめー、ついてきたんかい!
 「いえ、急いでますんで」と振り切ったが、いかん、いかん、宗教関係に目をつけられるとは。つーか、最近ちょっと珍しいぞ。

1月16日(火)

 わー、よく寝た。

 朝、自然に目が覚めたら7時半だったので「もお、あんたったら気が小さいのねえ〜。今日は休みだから、まだまだゆっくり寝てられるのよ」と自分に言い聞かせ、寝なおしたのだが、次に目を覚まして時計を見たら「14:45」であった。大物だ。

 まあ、それだけ疲れが溜まっていたとうことだろう。かあいそーなアタシ・・・・

 というわけで心身共に激しく消耗した出張であったが、内容的には順調だったし、けっこう面白かったです。

はじめてのおつかい (のんちゃん4歳)

 ↑内容的には、ホントそんな感じでしたが・・・・

●40歳で初出張 九州編

 土曜日の午後2時半くらいの飛行機をあてがわれたが、当日に出来上がる資料を受け取りに会社に寄らないといけなかったので、11時前には家を出た。普段よりはゆっくりだが、それでも資料受取がなければ午後1時に家を出れば羽田には余裕なのにね。

 資料を受け取り、バス乗り場から羽田行きのバスに乗ると、私よりも30分早い便で四国に向かう同僚と同じバスだった。彼女も「早めに行って、ご飯食べてから乗ろうと思って」と言うので、一緒にご飯を食べることにした。
 横浜方面からバスで羽田に向かうのも初めてだったし、そういうルートで車に乗ることもめったにないので、京浜地帯の風景を楽しむ。工場から上がる煙が温度によって「モクモク」だったり「空に向かって発射」だったりするのがいとおかし。
 工業地帯の上を旋回する鳥たちの中には、人工的な緑地をねぐらにしているかもしれないし、トンビなんかは工場で働く人たちの昼食を空から狙っているのかもしれないなあ。ウォーターフロントは、自然と文明ががっぷり四つに組んで不思議な世界を作り上げている。山の方では「里山の減少で、クマと人との間の緩衝地帯が・・・」などと言われているが、海のほうでは、あのヘンテコな「化学工場とカモメ」の風景自体が緩衝地帯になっているのか?

 40分くらいで羽田着。
 同僚とさっそくレストラン探しをするが、ちょうど昼食時間なので、どこも混雑している。あちこち覗いて回ると、私と同じ飛行機(福岡行き)に乗るほかの社員を発見し、外から手を振った。
 しかし、覚悟はしていたが、空港のレストランって高いね。平均ランチ価格1600円らしい。
 それでも「旅気分」を盛り上げる重要な儀式なので、席が空いていた蕎麦屋に入り、二人で雑談しつつ楽しく昼食を食べた。

 同僚E嬢は、営業畑のハキハキした才女で(ICU出身)、誰とでもニコヤカに雑談できるタイプだが、最近ふとしたことで共通の知人がいることがわかり、彼女の中では私に対する「カテゴライズ」をちょっと修正することになったようで(その知人は、けっこうメジャーになったインディーバンドのメンバーだったので、私がそういうところに出入りしていることがわかったのだ)、私が「この間、ZEPP行ってさあ」な会話をしても、「え?そういうとこ行くの?」と驚かずに「ああ、あそこって近いようで遠いというか」と普通に受けてくれたし「そーいや、お台場に昔、ゴールドってクラブがなかった?」と彼女が言うので「それは、お台場じゃなくて芝浦というか、田町でしょ(笑)」と90年代夜遊びについて和やかに語りあったのであった。

 食事が終ると、E嬢の飛行機の出発まで20分ほどだったので、彼女は搭乗ゲートに向かい、私は時間があったので展望デッキでブラブラしていた。
 羽田の展望デッキはいいっすね。ほんと、目の前で離陸するから。こりゃ、飛行機乗らなくても楽しめそうだ。

 私はけっこう飛行機好きなので、機種というか機体の大きさの違いによる、離陸ポイントの違いを観察するのが好きだ。重いのと軽いのでは助走の長さが違うし、軽いのはほんとにあっという間に高度を上げて飛んでいくからね。

 私の出発も30分後になったので、搭乗ゲートに向かう。他に3人が同じ飛行機に乗るのだが、けっこう混雑していて待合所でも同僚を発見できず。
 残念ながら窓際の席はとれなかったが、どうせ1時間半くらいの飛行時間である。
 向かい風が強かったらしく、やや遅れて福岡空港に到着したのは4時半近かった。
 それにしても、福岡空港ってずいぶん街中にあるんだね。着陸直前のかなり高度を下げたあたりは住宅街だった。
 あそこの空港で片桐機長がテンぱったら(古い)大惨事だよなあ。

 滑走路に降りると、すぐにターミナルに着き(羽田も滑走路とターミナルが近いけど、地方空港だってほんとに近い。つーか、成田が異常なだけなんだけど)飛行機を降りて、出口を出ると同僚2名が立ってた。「あれ?Mは?」
 M君は、私の少し前を歩いていたんだけどな・・・
 「あいつ、じゃあ、たぶん、荷物預けてるんだな」
 ははは、さすが、トッポいことをするので有名なM君。一泊の出張で荷物預けるとは!

 私は一旦外に出て、バスのチケット買ってから、またトイレに戻ってきたが、まだ二人はM君を待っていた。彼ら3人は福岡市内なので、一緒に行動しようとしているらしい。

 「じゃ、私はバスの時間なので、お先に〜」と互いの健闘を祈りつつ、これからは完全1人行動である。

 福岡空港から久留米市街までは高速バスで45分くらい。新横浜−羽田とほぼ同じくらいだ。
 途中、どうやら一瞬だけ佐賀県も通過したようだ。「のだめカンタービレ」で、のだめに会いに、博多駅から大川にタクシーで向かった千秋様も同じ高速道路で走ったのかしら(笑)

 日没寸前に久留米に到着。西鉄久留米駅。駅前のバスターミナルで降りる。
 雰囲気的には北千住あたりっぽい。いや、北千住はもっと栄えてますけど(笑)

 とりあえず、駅から徒歩3分のホテルに向かい、チェックインして、荷物を部屋に置いてから駅と反対側にある支店に向かう。
 丸井をショボくしたような、ファッションビル内に支店はあった。電話でも応対してくれた若い女性職員が笑顔で迎えてくれる。サポートする機械の場所を確認すると、元は倉庫だったんじゃないかと思われる職員控え室のようなところにおいてあり、ということは、サポートする間、ここで待機してればいいから、客と接しないで済むのでラッキー。

 都内の親会社に同様のサポートで派遣されたときには、サロンスペースに座っているしかなく、一番暇そうな私に客が声をかけてくるので「あ、すいません、私、ここのスタッフじゃないので・・・・すぐ呼んできますから・・・・って、みんな客の応対してるな・・・・・じゃあ、職員の手が空きましたら」って場内整理するハメになったのだが、ここだとそういう心配ないみたい。

 支店長にもご挨拶。私よりも若いみたい。今は忙しい時期なので、もう夕方6時だからちょっと腫れぼったい目をしていたが、「このマシンが導入されると、客にはどういう説明したらいいのか」と言われたが、私はマシンの操作しかわからないというか、支店のそういう運用は別問題なので、言葉を濁したが・・・・まあ、支店のほうもトップダウンでこのマシンが導入されたわけだから、どうしたらいいのかわからなくて不安を感じているようだが、私にその不安をブツけられても困るのだけど、そういう不安も笑顔で「やってみれば大丈夫ですよ」と答えるのが私の仕事なのである。

 明日の開始時間を確認して、支店を後にすると、さっそくまた駅前のバスターミナルに向かう。
 我が社のラーメンキングお勧めの店までバスで行くのだ。

 ほんとうは、その店のすぐ近くにあるバス亭まで行きかったったのだが、土曜日だから終バスが早いし、そもそもそんな路線だからバスも頻繁に出ていないことは事前に調べていた。
 だから、ラーメン屋からは2キロくらい離れているけど、バスは頻繁に出ている「久留米大学駅前」というところから歩いて行く作戦を立てたのである。

 バスは10分おきくらいに出ていて、すぐにわかったし、土曜日だから少し渋滞していたけど、20分くらいで久留米大学前に到着した。

 

 田舎をナメちゃあかんと、事前にきちんと覚悟はしていたのだが、やはり現実を目の前にすると目の前が真っ暗になるこの暗さ。土曜日とはいえ、久留米大学生の姿は皆無。

 しかも、私が目指す方向はこの駅の裏手なのだが、どうやって向こう側に回ればいいのかもわからない。線路は単線だし、この駅は久留米大学のためにある駅らしく、向こう側はどうやら雑木林らしいのだ。
 しばらく呆然と立ち尽くしたが、暗さに目が慣れてくると(って、まだ土曜日の午後6時半なんすよ)、駅のすぐ脇に線路を超える橋がかかっていたので、そっちに歩いてみたが、これほど「チカンにあったら110番」という看板が無力感にふるえる道を通ったことがないほど暗い。110番する前に確実に殺されるわい。

 それ以前に、街灯もないので、足元が暗くて前に進めないのだ。
 ラーメン食べに行くのに、懐中電灯が必要だとは思いもしなかった。

 かなり気が動転したが、また駅に戻って地図を確認すると、少し先に行けば踏み切りがあるらしいので、そっちに遠回りしたほうが、いいようだ。
 その道を探すと、近隣の高校生の集団がチャリに乗って通っていたのでホっとする。でも、その高校生が何語を喋っているのかわからなかったんすけど。

 やっとのことで駅の反対側の街道に出たが、車の交通量はそこそこだが、歩いている人なんていないよ。
 でも、ポツポツと、いかにも街道沿いのチェーン店が現れるので、こういう雰囲気は首都圏でもお馴染みだ。でも、ときどき畑沿いの道になるので、ほんとに真っ暗なんだけど、でも、街灯はちゃんとあるしね。

 こういう慣れない夜道で耳を塞ぐのは防犯上よくないが、でも、少しだけ雰囲気に慣れてきたので、国木田君を取り出して、クイーンを演奏させた。こういうときはやはり「ぼへみあん らぷそでぃ」でしょ。「まま〜、オレ、やっちゃった〜♪」である。「暗い夜道を1人で歩いてはいけない」と幼少のころから厳しくしつけられているので、こういうときには「おかーさん、ごめんなさい」という気持でいっぱいになるのです。

 さて、難関を超えたと思っていたが、この街道を左折し「九州道インターチェンジ」に向かう道は、もっと殺人鬼がうようよ待ち構えていそうに寂しかった。
 これは首都圏でもそうだが、インターチェンジ付近ちゅーのは、人が歩く道ではないのである。交差点にも信号なんてないし。

 ここでやっと持ち前の地理感覚が蘇ってきたが、このインターチェンジっていうのは、さっき空港から久留米に入るときに通ったところだ。空港からの高速バスも、この付近に停車場があったような・・・
 久留米から他の街に移動する車は、全部ここに集合するようだ。イギリスの町みたいに。
 だから歩いている人はいないが、車はたくさん走っている。
 でも、自転車の人はときどき通るので、近所に住宅街はあるようだ。地図を確認すると、インターチェンジに向かう道と平行して、もう少し小さい道が通っている。
 そっちに移動すると、ああ、住宅街〜〜〜〜〜〜〜〜、コンビニがある〜〜〜〜〜〜

 やっと人の気配のする道にたどりつき、ほんと心底ほっとした。
 そこからまた20分ほど歩いて、結局、久留米大学前から30分くらい歩いたのだろうか、やっと目当ての「大龍ラーメン インターチェンジ店」にたどり着いた。

 大龍ラーメンは久留米駅前にもあるのだが、ラーメンキングが「インターチェンジ店のほうが断然おいしかった」と言うもんだから、ここまでやってきたのだ。
 郊外店だから席は広々としていて、ちょうど7時くらいだから8割くらい埋まっていた。
 さっそく大盛りを注文するが、こんだけ不安を抱えて歩いて、お腹すいてるし、歩いたから体は温まっているけど、心はブリザードなわけだから、何食っても美味いよなあ。

 とん骨ラーメンの発祥の地でも、「かなりクセがある」らしい大龍ラーメンの味は、噂どおりにブタ臭く、そして、ちょっとしょっぱかった。もう少し塩分控えめでもいいと思うんだけど・・・・
 でも、隣に座っていた若者4人組の博多弁というよりは、佐賀弁っぽいような訛りのあるベシャリ聴きながらラーメン食べていると、「ああ、旅してる」と思いました。

 さーて、帰りはどうしよう。
 また同じ道を戻るのも心細い。
 地図で確認すると、この店の道沿いに、福岡空港からの高速バスの乗り場があるのだ。「百年公園」ってバス亭なのだが、そこまでの距離がわからない。でも、歩いていればいつかはつくだろうと思って、また「ぼへみあん らぷそでぃ」をBGMに力強く歩きはじめた。

 独身男性が住むアパートが沢山あるらしく、徒歩で街道沿いの牛丼屋を目指すような人影がちらほら。チャリで移動する人も多い。
 でも、ほとんどの人は車で移動するらしく、街道沿いにある大型店はどこも週末だから賑わっているのだけれど、道行く人影はまばらという、田舎にありがちな光景である。

 20分くらい歩いたら、大型ゲーム店が現れて、一階にはドトールが店を構えていて、最上階はシネコンになっているらしい。そこのバス亭の時間をチェックしたら、あと10分くらいでバスが来るらしい。

 そのシネコンの蓮向かい(でも、直線距離ではけっこうあるが)に、「ゆめシティ」という大型ショッピングモールがあって、そこへのバスは頻繁に出ているらしいのである。空港から久留米に向かう途中で「ああ、いかにもな郊外大型店、ゆめシティって・・・はずかしい名前」と思ったのだが、まさか、ここで救世主になるとは。

 バスが来たので乗り込み、地方独特の「後払い式」にすでに慣れてしまった自分に乾杯であるが、バスは「ゆめシティ」でたくさん乗客を飲み込み、すぐに久留米駅に向かったのでありました。

 駅に着いたのが9時くらいだったかなあ。
 たった3時間くらいの短い旅であったが、濃かったです。久留米ラーメンみたいに。

 コンビニでビールを買い込み、ホテルに戻った。
 風呂にお湯をためて、よく歩いた足をゆっくりお湯につけた。

 風呂上りにビール飲みながらテレビ観ていたが、「どこが何チャンネルだか、わかんねー」
 とりあえず、テレビ東京系のチャンネルがあったので、アド街を観てました。「美の巨人たち」でエドワード・ホッパーのを見てから「さあ、さっさと寝よう」と床についたのだが、やっぱり慣れないホテルのベッドではすんなり寝付けず、またテレビつけて、NHKを探り当ててみたら、落語番組やってたので、小三治師匠の弟子「三三」がやる「権助提灯」を堪能しちゃったりして。
 うーむ、今話題の「エリート夫をバラバラにしたブランド志向妻」も、オペラなんて鑑賞してないで、落語で「権助提灯」でも聴いてりゃよかったのにね。

 結局、1時くらいまで眠れなかったのであった。
 でも、支店に行くのは9時半でよかったので、7時半に起床して、優雅に朝食を食べたが、着替えがないので朝からスーツ姿というのも堅苦しいが、でも、いかにも「ビジネス客です」をアピールできるのがちょっと快感かも。

 朝食食べてから、部屋でまったりと朝のニュース観て、時間ギリギリに出動。
 昨日「9時半に来ても、空いてますかね?」と確認したら「大丈夫です」と言われたのに、やっぱりファッション。ビルの開店は10時じゃねーか、裏口探してぐるりと一周しちゃったよ。

 さて、いろいろ立ち上げてみたが、違う画面が出てきたりしたので、システムに電話したりして、開始前まではけっこう忙しかった。インターネットが繋がらないので、オロオロしたが、結局、ただのコードがちゃんとはまってなかったりとか。

 運用がはじまってみると、別にトラブルもなく、支店の女性にいろいろ教えつつ、彼女も「こういう場合は?」と細かくきいてくるので、いろいろ教えつつ、12時には午前の部が終了したので、外にゆっくり昼食に出て、また2時前に戻ってきて午後の部もトラブルもなく、4時半には全て終了したので、本部に「終了しました!」と電話すると「確認するまで待機せよ」との指令で、どこも同じ時間に終るようでかなり待たされたが、5時には本部から「確認終了、撤収してよし」との電話が入ったので、「では、今回は失礼いたします。おかげさまでなにごともなく無事終りました」と挨拶して退散。

 なんかあったときのための人員なので、何事もなければ用はないのである。小部屋で待機だったおかげで、もってきた文庫本がけっこう読み進みました。支店長やスタッフの女性はいそがしてくそれどころじゃなかったが、他の男性スタッフ(非常勤スタッフなのかも)は、よそからやってきた私が物珍しいらしく、ちょっとお喋りしたい気分の人もいたようだが、私が熱心に本を読んでいるのを遠巻きにしていたような雰囲気もあった。いや、読んでたのは、ルディ・ラッカーなんすけどね(笑)

 ま、いいや、今回は「東京からシステム・サポートに来たミステリアスな女」ちゅうことで。次回(2月)になったら「お勧めのラーメン屋ありますか?」って聴きまくろう。

 駅から空港バスに乗って、6時には福岡空港着。空港内の「博多ラーメン」の店に入ってしまった。
 お土産も買って、早めに搭乗ゲートに着くと、同じ便に乗る同僚H氏もいたが「他の人は?」と聴くと「まだ着いてないみたい」

 7時40分の便は定時に飛んで、今度は窓側をゲットしたんだが、残念ながら右側だったので、機長がアナウンスしてくれた「左側では名古屋の夜景がきれいです」っていうのは見えず。
 羽田を出たのが9時くらいだったのかなあ?
 もう、クタクタだったので電車に乗る気力もなく、渋谷までのバスに乗って、渋谷からバスで三茶まで帰ったら10時ちょっとだった。
 なーんか、ずっとバスに乗っていたような心地。


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