可燃物な日々

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 日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました
11月16日(木)

 ワイドショーがやっと、「松坂60億円」や「紀香結婚」という本来の姿に戻ってきてくれたのでホっとする。
 今日も2時間ほど残業したのだが、「水は低いところに流れる」というのか「悪貨が良貨を」とか言うのか、とにかく、なぜかいきなりそれに慣れている自分に気がつき、愕然としたので逃げるように帰ってきました。
 残業過労死自殺が話題になってくれて、マスコミが大騒ぎしてくれてもいいかもしれません。
 「いえ、私はもっと残業したいのですが、今はマスコミもうるさいですし・・・・」なんて言ってみたりして。

 家に帰ってNHKの9時のニュースを観たら、へえ〜、津波って面白いんですね。
 北海道ではたいしたことなかったらしいのに、アメリカ西海岸で1.7メールだって。日本で最高記録が三宅島だったとか。

 距離に比例しないんですね。
 海底の地形とか、いろいろな要素が絡むみたいで、予想が難しいんだろうなあ。
 しかし、それよりも、記者会見していた気象庁長官の顔が見事な「ホームベース型」で不自然な髪型もナイスだったので「見事な造形だ」と心打たれてしまいました。(さっそく検索してみたけど、写真が見つからない)

 それはいいとして、久々にNHKの9時のニュース観たけど、やっぱしなんか華がないなあ。
 キャスターのオジサンも、最初に観たとき「いい男だけど、なんか地味だなあ」と思ったけど、キャスターのお姉さんっていうのか、オバサンの「いつも精一杯全力でニュースと対峙しております」という「明るい悲壮感」がもっと全面に出れば、いいコンビになると思っていたのだが、なんか相変わらず二人して「深刻ぶるのに必死」で止まっているようです。
 先にどっちが「ボケ」を覚えるのか・・・・・NHKだから、それは無いのか?

 そういや、フジテレビの夜のニュースも滝川クリステルになってから、ボケとツッコミの世界ではなくなったので、最初はとても違和感があったのだが、滝川クリステルの色気と、どんなニュースでも同じ調子で淡々とやる雰囲気に適度に眠気に誘われるので、あれはあれで好きです。

 そういや、古館伊知郎は元気なんだろうか?全然観てない。
 日テレの夜のニュースも刷新したが、小林マオがあんまし好きじゃないんだけどなあ。あとジャニーズとか出してるあたりがちょっと。香取くんがやってた(まだやってる?)テレ朝のスマステみたいなのを狙っているのかなあ?

 夜のニュースは行き詰まり感があるけど、土日にたまに観る、夕方のニュースショーのほうが「昔ながらのニュースショー」の気配を残しているので安心して観てられたりする。

 NHKなんて、いっそのこと、昔に戻って「キャスター」じゃなくて「アナウサー」主体にしちゃえばいいのに。今でも、当番アナが読み上げる定時のニュースは好きだ。「英語でしゃべらナイト」でお馴染みの松本アナがちゃんとニュースを読んでいたりする。
 9時台もあれの拡大版にしちゃえばいいのに。 
11月15日(水)

 久々に2時間も残業してしまった。
 3年くらい前(ハイジが経理に来る前)も、連日10時間労働×週6日勤務、ひどいときには10日間連続勤務でボロボロになっていたが、あの頃よりも明らかに「処理能力」が落ちているようだ。

 スピードが遅くなったことに加えて、持久力も低くなった。
 昔は、夕方ぐったりしてきても、残業しているうちに、「第二の波」がやってきて、けっこう集中してやれたんだけど、もはや第二の波は来ないようだ。あと3時間くらい居残れば、別の波が来るかもしれないが、うっかり「第三の波」を呼び寄せたら(深夜残業のナチュラルハイ)、翌日から寝込むであろう。

 なーんて書いてるバックでは「北海道に津波警報」っていうニュースが流れてます。

 さて、話題を仕事のことから転じて(いろいろ愚痴が溜まっているので、そのうち決壊するだろうが、結界しちゃったらやだな)、先日、朝の電車での出来事でもつらつらと。

 職場の沿線には、歴史博物館や競技場や大きな公園があるので、春秋の行楽シーズンになると、毎日のように「お子様の集団」が電車に乗り込んでくる。郊外学習に出かけるらしい。

 都心のようには混雑しない路線であるが、それでもラッシュ時はそこそこ混むので、時間をずらすらしく、10時出勤の私が乗る時間が丁度「お子様集団のお乗り頃」らしいのである。
 しかも、混雑するエリアを避けるので、「たしかにこっちは空いているけど、あたしはここの車両に乗ると丁度いいの」っていうわけである。(悪文だ)

 生徒の人数や学年にもよるけど、学校の指導の違いもあるようで、えらく騒がしい集団のときもあれば、「子供のくせにおとなしすぎて不気味だ」と思うときもある。
 先日、乗り合わせたのは、比較的静かな集団だった。
 男女とも小さかったから、子供の見分けに疎いけど、たぶん4年生くらい。

 始発駅から乗っているので、多くが座っていたが、隣の車両を見ると、席が空いていても立っている子が多かった。
 学校の采配がいいようで、うまく子供を散らせているので、サル山を圧縮したような騒ぎにならないようだった。
 これは子供に限らないが、人間も科学で習った「分子」と同じで、圧縮するとエネルギーが・・・・ええと科学用語でなんていうのか忘れたが、ともかく、なんだか激しいことになるのだが、適度に分散させると、静かになるのだ。

 つり革に手が届くか届かないかの子供たちが、わざわざ立っている車両よりも、座っている車両を選んだ。
 6人描けの席の4人分に6人くらいつめて座っていた。
 まだ始発駅の電車が発車する随分前から陣取っていたらしい。

 その電車は発車するまで5分くらいとまっているのだが、発車直前になったら乗換駅から次々と大人客が乗り込んできて、ぽつりぽつりと立ちはじめた。
 私の前で座っていた女の子は、周囲をキョロキョロ見回して、少し落ち着かない気分になったようだが、いきなり腰を挙げると、私に向かって「座りますか?」と、オドオドしながらきいてきた。

 たしかに、私は彼女の母親よりは年上だろうけど、席譲られるほどじゃ・・・・・
 それに、彼女が空けた席は、とても大人が座れる幅ではない。

 たぶん、事前に先生から「空いていたら座ってもいいけど、混んでいたら席を譲りましょう」とレクチャーされていたのだろう。並んで座ってる他の子は、そんな指導も忘れて、隣同士でなにやらヒソヒソと話たり、本を見たりして目の前に立っている大人の姿なんて気にもとめていないのに・・・・

 とりあえず、私は笑顔で「いいのよ、気にしないで座ってて」と言ったら、彼女は不安そうにまた席に戻った。

 ところが電車が次の駅につくと、マンションが多い駅だから、さらに乗客が乗ってきたのである。
 つり革がほとんど使われるくらいには混んでいた。
 そしたら、またさっきの子が挙動不審になり、周囲の子にブツブツと「席を譲らないと」と言っていたが、他の子は知らん振りだった。
 たまりかねた彼女は自分ひとりだけで立ち上がった。
 立っても、つり革につかまれるほどの背丈もなく、つり革につかまっている私と隣のサラリーマンの間でヨロヨロと立とうとするので、私もたまりかねて「次の駅で降りるの?」と声をかけたら「いえ・・・・でも、立たないと・・・・」

 気持はわかるけど、フラフラと立っているほうが危なっかしいし迷惑である。でも、そうきっぱり言うのも気の毒だから「いいの、いいの、座ってていいの。誰も席譲ってほしいなんて思ってないから」と言ったのだが、「でも・・・」とけっこう頑固である。
 こうなったら理詰めでいこうと思って「でも、せっかく開けてもらっても、その隙間じゃ座れないわよ」と言ったら、座っている同級生たちに向かって「ほら、詰めて」と言って、ギュウギュウに詰めさせて、なんとか一席空けた。
 彼女の座っていたのは真中で、それを詰めたので、私からは遠いほうが一つ空いたのだが、私はそうしている間も「だから、いいから」と言っていて、その声は他の大人にも聴こえていたはずなのに、私の横にいたサラリーマンも知らん振りで、もしかしたら、私のことを引率教師だと思ったのかもしれないが、しかし、そのサラリーマンの横で立っていた学生風の男が、空いたスペースにストンと座ってしまった。

 ああ、人生の縮図のようだ(大袈裟)
 先生に言われたルールを小心モノゆえにきちんと守り、その結果がこれかよ。
 その小心モノの「いい子」の将来が心配になるが、余計なお世話だな。

 しょうがないから、私が一番奥で立っていたので「ほら、じゃあ、こっちにつかまってなさい」とバーにつかまらせてあげた。でも、せっかく「席を譲る」という善行をしたのだから、なんか誉めてあげたほうがいいかなあ、と思ったけど、でも「自分の小心さゆえの、形だけの善行は、結果を生まない」という本当のことも学んだほうがいいと思って放っておきました。

 その昔、友人とユーロスターに乗ったときのことを思い出した。
 指定席だったのだが、ガラガラで、ロンドンを出るときに、車両には私たちしか座ってなかった。
 ユーロスターは新幹線と違って、座席が進行方向にガコーンとしたりしないようで(逆に新幹線のあの自動ガコーンを見ると、西洋人は感激するそうだ。私も感激したけど)、座席が車両の中心を向いたまま固定しているという変な電車だった。

 要するに、指定席をテキトーにとると、進行方向に背を向けた席になってしまうのである。
 幸いにも空いていたので「じゃ、あっち側に座っちゃえ」と勝手に席を移動したが、席が向かい合わせる中心はボックス席になっていたので、「じゃあ、せっかくだからここに座っちゃえ」と席ジャックしたのである。

 友人は神経質だったので「え?ほんとに大丈夫?」と不安そうだったが、「だって、ロンドン出たら、もう止まらないでしょ」と言ったら、渋々、座っていた。私と彼女で車両に二つしかないボックス席を悠々と独占していたのである。

 そしたら、予想外なことに、ドーバー海峡を渡る間際でも停車したのだ。
 そこから乗り込んでくる客もわずかながらいたようで、私たちのいた車両にも外人のカップルが乗ってきた。


 私は、彼らが「あの〜、そこ、私らの席なんですけど?」って言ってきたら「あらあら、まあまあ」と席を立てばいいやと思っていたので、微動だにしなかったが、友人は「なによ!途中で乗ってくるじゃない!」と小さく呟くと、慌てて席を移動してしまった。

 当然のことながら、そこから乗ってきた人は、空いていたボックス席に迷うことなく腰を下ろしたので、友人がなにやらブツブツと呪いの言葉を吐いていた。彼女にはそういう意図はないのだが、私に向かって悪態をついているかのようだった。「ほら、やっぱり」とか「ああ、よかった。恥かくところだった」という言葉は、「いくら連れがダイジョブダイジョブと言っても、うかつに信じてはいけない」という自分への戒めだったんだろうけど、でも、そんなオオゴトじゃないじゃん?

 彼女にしてみれば、もしも自分が座るべき席に、他人が座っていたら激怒するようなことなのだろう。
 だから、そんな思いを他人にもさせてはいけないから、きちんとやりたいのであろう。

 まあ、「言われてから、どけばOK」と思っている私もあんまし誉められたもんじゃないが、あんなに空いてるんだもん、テキトーに座ればいいじゃんって思う。
 あのカップルだって、座席を確認することなく、ただ空いていたから特等席に直行しただけだ。

 たとえば、新幹線の3人並びの席で、始発から乗った人は座席指定がAとBでも、Bの人がしばらくCの席に座っていてもいいと思う。途中でCの人が来たら快く詰めればいいじゃん。勝手にグリーン車に乗るのは「ズルい」と思うけど、並びの席が空いていたから、しばらく座るくらいはいいと思うんだけどな。

 まあ、そのあたりは、意見が分かれそうだけど・・・・
 自分は不愉快に思わないけど、「自分の席に他人が座っている」ということが不愉快だったり、「そこ、私の席なんですけど」と言うのが苦痛な人もいるわけだから、そういうことはやってはいけない、って言う人もいるだろう。

 仕事でも、よくそういう問題にぶつかる。
 ルールはあるが、それをきちきちにやるよりも、ある程度ゆるく運用したほうがいいと思うのだが、「ルール遵守派」は、そういう判断するのを苦痛と感じていたり、「そういう判断を苦痛と感じる人がいるから、きっちり運用したほうがいい」と言ったりするので、おおざっぱな私はいつも面倒になってしまうのであった。
11月14日(火)

 阿川佐和子と壇ふみのエッセイで体慣らししてから、阿川弘之のお作を読んでみるつもりが、大御所の娘二人が、競って父親の欠点をあげつらうのを読んで、すっかりそっち方面に心が行ってしまい、いちおう阿川御大の船旅エッセイなども読んだのだが、また娘のほうに戻って「もっと笑える話ないの?」ってワクワクしているのであった。

 なので残念ながら阿川弘之の小説をまだ一つも読んでないというか、図書館にもあましなかったし、いきなり「山本五十六」ってのもなあ・・・・・

 というのは置いておいて、その娘二人の往復書簡みたいなエッセイ集で、こんな一文を見つけた。中を読み直すのが面倒なので引用ではないし、たしか壇ふみが書いていたと思うのだが、源氏物語が話題になっていて「なんかの研究で、源氏物語の登場人物の死因の一位は『もののけ』で、二位が『いじめ』だとか・・・・」

 壇ふみも、その出典を覚えていないような書き方をしていたので、ほんとにそんな研究があったのか知らないけど、それはいいとして、その一行を読んで、「ビビビ」とわかったのでありました。

 「そーか、どうも一連のいじめ報道が気に入らなかったけど、私は『いじめは文化』って言いたかったんだ」と気が付いたのである。
 要するに、石田純一が「不倫は文化」と言ったように(厳密にはそう発言したわけではないが)「いじめは文化」と思っているようである。

 なので「いじめを根絶しよう」と声高に叫ばれると「不倫を根絶しよう」と言われているみたいな違和感を感じてしまうというか、教育関係者は別として、マスコミはあきらかに「不倫騒動を起こした芸能人を追い詰める」みたいな張り切り方で「いじめ問題」を報道していると思うので、「なんだか、やーん」と思っているようである。

 もちろん、「不倫」というのは基本的には合意の上で成り立つものだから、「不倫」のラインで「いじめ」と似たものをあえて探すとしたら「痴漢」かな?「セクハラ」でもいいけど。

 電車の痴漢も、その昔は火事と喧嘩みたいな江戸の華に近い位置にいたけど、ここ十数年で立派な犯罪になったように「いじめ」も犯罪として認定されようとしているようだ。
 ただ、加害者を補導すればいいって話ではないあたりが難しそうなんだけど、どうするつもりなんだろう?
 なんだか「フセインを逮捕してみましたが、イラクはちっとも平和になりません」って話みたいである。
 いっそ、各学校に自衛隊を平和的後方支援部隊として派遣してみればどうだろう?変質者対策にもなるし(笑)

 アホなことばっか書いてないで、今日も早寝だ、明日も早起きしてガンバろう。
 (どうやら残業できない体質になってしまったようなので、少し早めに出勤して午前中に仕事を捗らせている。老化の兆しがこんなところにも・・・・)
11月13日(月)

 日曜日はぐったり生きる屍っていたが、今日も仕事だ忙しい。

 マスオさんが外出していたので、彼のミスをこっそり修正したりしてたら、ハイジが「あいつ、またわけわかんねーことを・・・」と言うので、「あ、それ、午前中聞かれたから、てっきりハイジ君に任されてやってたのかと思った」「いや、そんなの頼んでない」

 で、マスオさんが「これって○○伝票を打つんですよねえ?」って聞いてきたので「いや、それは××伝票だけ打って」と丁寧に説明したつもりなのに、なぜか○○伝票が打たれていたので「えー、わたし散々説明したのに〜〜〜」

 ほんとに、人の言うこと聞かない人であるが、それからしばらくして、また変なのが見つかってハイジと2人で「彼はいったい何をやろうとしたのか?」と探偵ごっこ。
 ハイジがぼそりと「あいつ、鍛えなおさんとなあ」と言うので、私が「それよりも、いっぺんにいろいろやらせすぎたと思うから、基本に戻ったほうがいいと思うんだけど」と言ったら、「それは逆だと思う」と反論された。

 「逆って?」

 ハイジ曰く、マスオさんは非常に視界が狭く「これが自分の仕事」だと思ったことしか関心がなく、前の部署でも「もっと仕事の共有」ということを目指して、まめにミーティングしたり、ジョブローテーションしたりしたらしいが、それでも彼は「自分の仕事ではない」と自分で判断したことには「わかりません」と平気で答えていたらしい。

 それと、生来の雑な性格が合わさって、「仕事できないやつ」というレッテルを貼られていたそうだ。
 要するにハイジの言いたいのは「もっとガンガンやらせないと、あいつは自分の仕事だと思わない」ということらしいが、でも、ガンガンやらせてもちゃんと理解してないから、勝手に自己流で破壊してしまうだけだし、それを注意しても、全然わかってないのである。

 「自分の仕事だと思ってないからテキトーにやっている」とも思えず、どうやら20人に1人くらいいる「記憶力の悪い人」らしいと、私は思う。
 今日も彼が帰ってきてから「これ、変なふうになってるけど、こういう指示されたの?」とハイジが聞いてみても、「はあ?」と全然覚えてないらしい。
 つーか、その伝票操作はかなり難易度が高いもので、私だってそれをハイジにやらせたのは修行1年目を越えたくらいからだったし、クララにはとうとうやらせなかったのだ。

 ハイジは自分の修行時代を忘れてしまったのか、それとも私がとっとと難易度の高い仕事を任せなかったのを不満に思っていたのか、マスオさんにはそういうのをやらせるのだが、ハイジが「だから、こっちをマイナスにして、この伝票は打たなくて、そのかわり、こっちに仮受金を立てて、そっから返金する」なんて説明してても「マスオさん、全然わかってないのでは?」と心配していたが、彼の理解のスピードはハイジの3分の1くらいだから、いきなりそんなの覚えろというのが無理だろう。ハイジだって「え〜、なにがなんだかわかんね〜〜〜」と叫んでいたが、彼は過去の伝票操作を観て、みようみまねでやっているうちにすぐできるようになったけど・・・

 彼はまだ基本の伝票と元帳の関連すらわかってない状態なので、まずそこから学んでもらわないといけないだろう。いきなり両手でピアノが弾けないように、まず右手の練習して、左手の練習して、やっと合わせてみれば「ああ、こういう曲だったか」とわかるんだと思うんだけどなあ。

 まあ、ダメな人ほど右手だけでも満足に弾けないくせに「ちゃんとした曲を弾きたい」なんていいやがるのであるが、マスオさんもちょっとその傾向があるので、教え方を工夫してあげないとなあ。

 今日も「のだめカンタービレ」のドラマを観ました。
 漫画読んでるとき「ラフマニノフのピアノ協奏曲2番ってどういう曲だったっけ?」と思ったが、けっこうメジャーな人気曲であるが、どうもあんまり感銘を受けた記憶がないというか、出だしの教会の鐘が静かに鳴るようなピアノソロが漠然と思い出せる程度。
 それで、ドラマでの演奏を楽しみにしてたのだが、「あ〜、やっぱこの曲、あんまり好きくない」と気がついた。もっといい演奏(笑)で聞けば違うのかもしれないけど、過去に何度か「ちゃんとした名演」をレコードやCDで聴いたと思うんだけどな。
 なんかスコーンと抜けないあたりが、好きじゃない原因なんだと思う。

 そういや、ニュースのいじめ自殺狂想曲もあいかわらず盛り上がってますね。
 自爆テロ脅迫状みたいだった「自殺予告状」も厳重警備体制が敷かれたようで、それはいいとしても、文化省が公表したことは「勇気ある決断」として評価されてるみたいなので、「へ?」と思った。

 詳細知らないで言うのもなんだが、私には「自分の仕事を放棄して投げた」ようにしか思えなかったんですが・・・・
 まあ、もっと白けた目で見れば「爆破予告に真剣に取り組んだんだな」とも言えますけど。

 しかし、とても現実のこととは思えないのは、私だけ?
 つーか、宮部みゆきあたりが「このプロット使ってもいいですか?」って言ってくれたほうが、まだ救いがあるような。

 いや、横山秀夫あたりでもいいぞ。「予告自殺を絶対に阻止せよ」って所轄刑事が動員されるのだ。
 担当する刑事たちは「こんなやつ、勝手に死ね」と思うのだが、キャリアと癒着のある政治家の政治家生命がかかっているとかで・・・・・

 どうも生理的にわからないのは「いじめ」っていうのを感染症みたいに扱ってるあたり。
 集団食中毒で被害が出たら「徹底的な衛生管理を!」とやるのはわかるけどさあ。

 「学校側の対処が・・・・」って、いったいどうしろと言うのだろう?いじめッ子を殺すの?進駐軍時代のシラミ駆除みたいに?

 そりゃ、真剣にマニュアルを考えるなら「一日2時間以上、ドッヂボールをさせる」とかは有効かもしれない。全員ボロボロに疲れきったら、いじめる暇もないだろう。
 あとは「女王の教室」方式で、先生が率先して生徒全員をイビれば、「共通の敵」ができて自然と結束すると思う。

 まあ、とにかく、いじめ自殺狂想曲は、なんだか平安時代の「流行り病じゃあ、祈祷師を呼べ!」ってやってるのと、「病原体を特定して、早くワクチンを!」が同時進行しているようなので、「あのお〜、そもそも感染症じゃないのでは・・・・」と突っ込みをいれたくなっただけです。

 あと、「校内暴力」や「不登校」はどうなったのでしょう?ちょっと落ち目なのかな。がんばれ〜

 あと、「同級生に金銭を要求されていた」っていうのは「いじめ」じゃなくて、もっと古くからある美しい日本語「かつあげ」があるでしょう、とテレビの前でボヤいたりしてました。
11月11日(土)

 お、今日はプレステの発売日だな。(あのCMの意味がしばらくわからなかったので、印象に残っている。最初に「コンセント口が縦二つ並ぶ」ってバージョンだったので「これがプレステと何の関係が?」と思ったが、「まあ、電源は必要だろうし・・・・」と思っていたのだが、その次に「工場の煙突が4本並ぶ風景」が出てきたので、「うーん、これはわからん」と思って、3度目くらいでやっとわかりました。頭固いっすね)

 話は飛ぶけど、先日観た映画「16ブロック」で、準主役の黒人青年が小さい女の子に「誕生日はいつ?」ってきいたら、なんと私と同じ誕生日だったので、「映画鑑賞史上初」の出来事に喜んだ。
 こういう場合は、ほんとに「1/365」の確率なんだっけ?

 確率の話で、よく出てくるのは「職場やクラスで同じ誕生日の人がいる確率は意外と高い」ってことである。
 一般人はついつい、「365×365分の1の確率?」って直感的に考えてしまい(要因を単純に掛け算していけばいいと思っているから)、「へえ〜、すごい偶然だね」なんて思ってしまうのだが、冷静になって考えると、えーと、冷静に考えると、どう考えていいのかわからなくなりますが、偶然隣り合った人同士が同じ誕生日が「1/365」で、偶然隣遭った人が左右両側にいたら、「2/365」って増えていって、それが36人学級だったら自分と同じ誕生日の人がいる確率は、10%くらいになる・・・・・んだっけ?

 で、さらに「クラスの中に同じ誕生日が2人いる」という計算になると、えーと、どうすんのか忘れたが、とにかく、20人〜30人くらい集まると、その中に同じ誕生日の人がいる確率は1に近くなるって話だったような気がする。

 なので、映画の中で同じ誕生日の人が出てきたっていうのは、確率的にどうのこうのというよりは、「マーフィーの法則」のほうに近いような気がしなくもない、ということが言いたかったのでありました。
 厳密に言えば、マーフィーの法則とも違うのかもしれないけど、映画や小説の中で「自分には何の関係もない日付」が述べられていても、それは頭を素通りするけど、自分に関係がある数字だと「わー、なんて偶然!」って大騒ぎして「これは何かのお告げか?」って勝手にバイアスかけているだけなんだろう。

 そういや、うちの母が前に話してくれた「お父さんとは何かで繋がっていたのねえ」という話を思い出した。
 母もずいぶん後になって知ったそうなのだが、父の実家は「安産祈願」で有名な水天宮の近所だったのだけど、あの水天宮は元々、母の実家のそばにあったものが「移転」(とは言わないと思うけど)したらしいのだ。明治の頃か江戸時代なのか、もっと前なのかは忘れたけど。

 新聞の歴史コラムかなんかで、水天宮のそういう由来を知った母は「まあ、偶然ねえ、っていうか、なんかお父さんとはそういうので繋がっていたのね」と嬉しくなったらしい。

 微笑ましい話であるけど、真剣に調査すれば、どこの夫婦だって「なんかのご縁」が浮上するだろう。
 多摩川沿いの高津出身の人が、諏訪湖に近いところの人と出会ったら「諏訪神社の縁」ってことになるだろうし、大河ドラマを観ていたら、主人公が都落ちするルート沿いに二人の出身地があったというだけでちょっと感動したりするだろう。

 私はそういう「自分に都合のいい情報だけ拾う」っていうのは、けっこう好きです。

 話は変わるが、最近ますますスパムが多くて、「えーい全部、ゴミ箱だ〜」とチャキチャキ捨てているのですが、女性名のスパムが多いので、うっかり「1/50」くらいで混じっている友達からのメールも捨ててしまいそうです。

 なんか符丁でも決めておいたほうがいいのかなあ?「ニイタカヤマノボレ」とか・・・・


11月10日(金)

 酒と仕事に溺れてる毎日というのもなんなので、昨日は久々に映画を観に行った。

 本当は、水曜日のレディスデイに行きたかったのだが、帰り際、同僚と決算の相談をしていたら長引いてしまったので断念したのである。考えてみれば、水曜日に無理をしてでもレイトショーを観るべきだった。しかし、レディスデイは1000円で、レイトショーだと毎日1200円だから「7時の回を逃したら、別に明日や明後日でもいいや」と先送りしてしまったのである。

 というわけで、木曜日は少し余力を残して退社し、シネコンのあるショッピングセンターで服屋を冷やかしてから食事して、まだ時間が余ったので本屋に入ったら、波津淋子の「うるわしの英国シリーズ」の3巻があったので、それを買ってシネコンのロビーで読んでいた。

 話が逸れるが、波津淋子の英国モノはそんなに好きなわけではないけれど(米国モノや、和モノのほうが好き)、かつて坂田靖子がたくさん書いた英国モノ(バジル氏やマクラクラン画廊シリーズなどなど)を踏襲しているので、微かに香る(けっこうムンムン匂うんだけど)坂田テイストを味わっているのでる。
 さらに話は逸れるが、「仏蘭西モノ」であるシャルトル家シリーズが代表作な名香智子が、最近になってなぜか英国モノを連載しはじめた。でも、彼女は昔、「レディ・ギネヴィア」っていう馬狂いの美人だけど変人の侯爵令嬢のシリーズも書いていたっけな。

 とにかく私は、大御所少女漫画化が描く英国モノが大好きなんである。萩尾望都の「残酷な神が・・・」はちょっと苦手だったけど、あれもテーマ以外の描写が好きだったので、なんとか読みきれた。

 さて、話を戻すと、レイトショーまで時間を持て余してしまったのは、開始が9時20分と遅かったからであった。
 あのシネコンだと、早いと8時半くらいからレイトショー扱いになるので、「きー、7時過ぎまで残業してしまったわ。ちょっと飯でも食ってから(マックだったりするけど)映画でも観ちゃえ」っていうのに丁度いいが、9時過ぎだと時間を潰すのが面倒だし、8時半まで残業していると、とてもじゃないけど映画を観て帰る余力が残っていない。もっとも「きーーーーー、忙しくて気が狂いそう。こうなったらキアヌでも観て帰るか」って心境になるときもあるけど。

 今回、観ようと思っていた映画は、そういう意味では「ブルース・ウィルス主演」の「16ブロック」だったのでビミョーだったから、なかなか観ることができなかった。水曜日の7時の回が理想だったが、なかなかタイミングがうまくいかず「9時20分の回じゃねえ」と先送りになっていたのである。

 さて、こんなどうでもいい「書き出し」でなんでこんなに行数稼いでいるのか我ながら理解不能であるが、これはこの先に待っている「悲劇」を語る上で、重要な解説なのだ。

 で、その「16ブロック」は金曜日が最終日だったのである。
 すっご〜く観たかったわけでもなかったが、ちょっと観たかったので、がんばって木曜日のレイトショーに挑戦したのであった。

 9時頃のシネコンのロビーはガラガラだった。
 そもそも、港北ニュータウンにあるシネコンなので、夜は空いているのだ。
 それにしても人がいなかったが、9時10分には館内に入り、トイレに入ってから7番の部屋に入った。
 誰もいなかった。

 それはよくあることで、「わー、客は私1人かよ」と思っても、予告編が始まる直前にみんなワラワラ入ってくるのである。予告編上映中に入ってくる人も多い。席は指定なので、みんなギリギリに中に入るらしいのだ。

 それにしても、5分前になっても誰も来ないというのも初めてだ。
 普段だと、マックの袋片手のカップルなどが「映画始まる前に食べよう」ということで、少し早めに入ってきたりするんだけど・・・・・

 100人そこそこの小さい劇場であるが、さすがに1人で座っているのは寂しかった。
 でも、うっかり「私の他にもう1人、1人客が・・・・しかも男」っていうのも、ちょっとヤダしな、カップル入ってこないかなあ?と、入り口をずっと眺めていたのだが、誰も来ないまま時間になり、場内が暗くなった。

 暗くなってから、不審な人影が入ってくるのもヤダなあ。
 向こうは私のことに気が付かないで、平気で大きなオナラするかもしれないし・・・・
 それに、このシネコンは、係員のいるフロアに大きな劇場が二つあるけど、階下には5つ、この規模の劇場があって、そっちを係員がきちんと巡回しているかどうか怪しいから、こんなとこで強盗やレイプ魔に遭遇したらどうしてくれよう。

 想像力がメキメキと暴走している合間に、スクリーンに映っていたのは「神奈川ニュース」だった。
 「わーん、時間潰しかよ〜」
 シネコンの時間割設定の意図がよくわからないのであるが、どうもこの「16ブロック」という映画は上映時間が短いようで、だから遅い時間に始まるのだが、それでもけっこう早い時間に終ってしまうのである。だから上り電車の終電気にせず観に来れたのだが、終わり時間を調整するために、「神奈川ニュース」を流しているらしい。

 「え〜、私1人なの〜?」って動揺しつつ眺めていた神奈川ニュースは、まるで遠い外国の映像のようであった。どっかの公園でなんかが咲いただの、テレビニュースの天気予報の前にやる「時候の挨拶」みたいな映像だったし。

 そんなのに10分も付き合わされたんだけど、10分がけっこう長かったですよ。

 そんで、その頃には覚悟も決まってきて「うーむ、客が5人くらいっていうのはよくあったが、ほんとのホントに1人なのは初だ」と「これから私は貴重な体験をするのよ」と自分に言い聞かせていた。

 それに、たぶん「16ブロック」は、幸いにも「怖い映画」ではない。
 そもそも私は、「怖い映画」を絶対に観ないんだが・・・・・(うっかり「シックス・センス」を観てしまったことはあったが、ほんとーに泣きそうになった)

 ま、今は動揺してても、本編始まれば集中できるであろう。小さいとはいえ、映画館を独り占めなんて、素晴らしいではないか、ハ、ハ、ハハ・・・・・・は?

 はたと気が付いた。
 「16ブロック」はたしかに怖い映画ではないだろう。でも、予告編は?

 この状況で「呪怨」の予告編なんかみせられたら、泣いて外に走り出すよ。周りにびっしり客が座ってたって、やっぱし怖いのに。

 いやいや、幸いにも、今の映画界は「クリスマスシーズン直前」だ。
 ロビーのポスターだって「きゃー、ダコタちゃん主演のシャーロットの贈り物だあ」とか「愛ルケはトヨエツと寺島しのぶか。ふーん」って感じで、「怖そうな映画」は見かけなかった。

 だいじょぶ、だいじょぶ。前回だってたしか、大沢たかおと中谷美紀のクリスマス・ラブ・ストーリーの予告編だったじゃん。
 関係ないが、あんまし邦画を観ないので、予告編や広告だけの印象ですが、大沢たかおって、ほんとに1人しかいないんですか?3人くらい同時に仕事しているような気がする。

 「きっと、ウザそうなクリスマス映画の予告編を1人で観なくちゃいけないんだ」

 という結論に達したのと同時に、やっと予告編が始まった。
 ドーンン チャ チャ チャ ギュオーーーーーン

 って文字に書くと「♪森のこかげで どんじゃらほい」っぽいですが、もう音でわかりました。「これは、怖い映画の予告編だ!」

 目をつぶっても1人だから怖いので、必死で下を向いてやりすごしましたが、どうやら「テキサス・チェーンソー」って映画の予告編だったらしい。

 もーーー、超コワかったっすよ〜

 必死でベッドの下に隠れたんだけど、殺人鬼の足だけが見えてるみたいな。

 そんで、「こーゆーの嫌いなのよ〜」と思いながらも、「もう終ったかしら」と上目づかいして、「ああ、まだやってる」と傍から見れば、ジェットコースターをそれなりに楽しんでる人みたいでしたけど、本人必死なんだってば。
 で、一瞬、シーンとなったので、頭は「こういう映画の予告編は、ホっとした後にまたドーンと来る」ってことをわかっていたのに、体が自然と「あれ?終ったかな?」と画面を観てしまい、最後の「ドーン」のときの「ド」の1/100秒のあたりで、「ひいいい」とまた下を向きましたが、ほんとにあのときには、よっぽど映画館のフロントに駆け込んで「たった一人で映画館なんかに座っていてはいけませんって、おかーさんに言われました!」、って「本当のこと」を叫んで返金して逃げ帰ろうかと思いました。ほんと、あの状況をうちのオカンが見たら「まー、とんでもない!」って怒るって。

 というわけで、結局、本編が始まっても誰も入ってこなくて「最初から最後まで咳をしても1人」っていう貴重な体験させていただきましたが、貴重は貴重だけど、これで最後にしたいです。

●16ブロック

 そんな異常な状況で見た映画でしたが、まあまあだったかな。
 とりあえず、恐怖映画ではない「バーン!」がすぐに始まったので(「インファナル・アフェア」だと、1時間後くらいだった)ひきこまれて「たった一人の映画鑑賞」ということを忘れてしまった。

 ただブルース・ウィルスが冴えない刑事で、偶然、相棒となる黒人を引き連れて・・・・・っていうことで、私が勝手に「黒人の相棒」をサミュエル・ジャクソンみたいなかんじかと思っていたので(それは「ダイハード3」でしょ)黒人役が(黒人なんだけど・・・・)最初から最後までバカっぽく喋りっぱなしなのに、少しイライラしてしまいました。

 あと、警察仲間が具体的にどういう悪いことをしたのかが、ちょっとわかりにくかった。
 あんなに全員で命をかけて守らないといけないような大犯罪だったのかどうか・・・・
 つーか、証人を連れていかなければいけない裁判って、誰の裁判だったの?

 あのあたりがもう少しベタにわかりやすいほうがよかったとは思うが、でも、あのNYの描写はすごいね。
 自由の女神とか五番街とか夜景とかセントラルパークとか、私などが心に思い描くNYをゼッてーに出さないという気概に溢れていたようだ。
 その代わりに「まるでイタリアの街のような、うんざりするほどの渋滞」「渋谷のセンター街みたいなチャイナタウンの雑踏」とにかく雑踏雑踏雑踏で、地下鉄もバスもうんざりするほど人人人で、そういうNYの影の部分を逃げ回る主人公たちが執拗に描写されていた。

 誰だか知らんが、この映画の監督はきっと田舎もんだな。
 いいから、東京に来てみろって。東京に慣れちゃうと、NYなんてほんと整然としてんぞ。
 それをまあ、よくもローマと渋谷の悪いところを足して3を掛けたように・・・・

 まあ、そこそこ面白かったのですが、でも、もっと面白くできたような気がしなくもない。チャイナタウンのボロアパートに逃げ込んだら、中国人の爺さんがたまたま部屋に入れてくれたのだが、「なんで?」ってあたりを説明してもらったら、もっと引き込まれたのに・・・・
 バスジャックしたときだって、巻き込まれた乗客がおとなしすぎたし。もっと悪ノリできたと思う。

 ブルース・ウィルスが警護する羽目になった黒人青年も、最初はもっとワルっぽくして、だんだん実はそうではないという描写のほうが「効いた」と思うんだけどな。

●怖い人

 今日の昼、いつも贔屓にしている屋台の弁当屋に行ったら、50歳くらいの身なりもよい女性が、私の横で「この店は、人を見て商売しているのですか?」と演説しはじめた。

 私もキョトンとなったが、店の人たちもキョトンとしていた。

 最初は「なんか、おかしい人なのかな?」と思ったが、その場にいた客も店員も含めて全員でキョトンとしていたら、その女性が「さっき私がお弁当を買ったときには、お茶がつかなかったのに、その後買った人にはお茶を渡していました」と説明しはじめたので、私は「ああ、自分がお茶を貰えなかったからクレームつけてるのか」と察したが、店のスタッフは「えーと、味噌汁をつけるのを忘れてましたか?」とトンチンカンなことを言ったので、とっさに通訳してやろうかと思ったが、仁王立ちした女性は「いや、私が買ったときにはお茶がついてなかった」とまくしたてるので、スタッフもやっと事情がわかり「いやー、すいません、サービスなんで、勝手にとってください、と言っていたつもりなんですが・・・・」

 常連客しか来ないような立地なし、缶のお茶なんて要らない人もいるから、店としても「お茶持ってってくださいね」と声をかけるときもあれば、かけ忘れるときもあるけど、常連客にはちゃんと手渡していたりするので、たしかに「客を見て商売している」というのはその通りなんだけど・・・・

 その人は、自分が買ったあとに、他の客がお茶を貰っているのを見てしまい、カっとなって怒鳴りこんできたんだろうけど、たかが「缶入り緑茶」でその剣幕?

 どうやら、たまたま通りがかった人のようで、それだからこそ「常連と通りすがりをそうやって区別しているのか!」ってあたりを糾弾したかったのはわかるが、それにしても、怖いんですけど・・・・

 常連客にサービスする店はけっこうあると思うけど、そういうときに「同じ金を払っているのに、差別するのか!」って怒鳴っても、あんましねえ?
 そこはニッコリと「あ、私、お茶をいただいてなかったみたい」と言えば、店側だって「そのサービスは常連にしかしてません」とは言えず、ニッコリと「すいません、忘れてまして」と言うのではないか?

 まあ、私なんかは気が弱いので、「となりのテーブルには食後のドリンクが来ているのに、私のところには来ない」というときに、「もしかして、となりは常連客だから?」と思って萎縮してしまい、本来受けられるはずのサービスを受けそこなうなんてことはあるが、そういうときに「この店は、客によってサービスを変えるのか!」って怒鳴ってもねえ。

 年配男性には、そうやって「恫喝」で始める人がときたまいるけど、年配女性は対人スキルがそこそこあるので「たとえ、常連客へのサービスでも、あわよくば」って態度で挑む人が多いと思っていたのだが、年配女性でも最初から恫喝で始める人ってやっぱいるんですね。あー、怖かった。けど、「ダメなおっさんみたいに、ダメなオバサンもいるんだ」とジェンダーフリー的に考えさせられましたです。

 てゆーか、やっぱ、ああいう態度は損だと思ったというか、ああいうのは男女を問わず、一種の核ミサイルだと思ったので、会社帰りにスーパーで買い物したら、明らかにバイトレジの不器用で「カードの不具合というか磁気不良でポイント入りません。サービスカウンタで再発行してもらってください。105円かかります」っていうのをニコニコ聞いて、サービスカウンターに持っていったら、やっぱしちゃんとチャージされて、そこのスタッフも「今回はレジの読み込みがちょっと悪かったと思うんですが。もしかしたら次回もダメかも」ってちゃんとしてたので、「じゃあ、次回試してみて、またダメだったら再発行お願いします。お手数おかけしました」ってニコニコして、って、昼間遭遇した怖いオバサンのおかげさまで、今日は一日ニコニコと「いい人」の演技ができました。

 反面教師って・・・・・一番効くみたいです。

 教師のみなさんも、「いじめ」で怯えてないで、自らガンガンやったほうがいいのでは?「女王の教室」メソッドですが、あれが一番効くと思うんだけどな。
11月8日(水)

 アダプタとルータを再起動してみたら、無事ADSL復活。
 昨日から「まず、そうしてみてから考えよう」と気が付いていたのだが、やる気力がなかったのでした。

 で、せっかく回線は復活したのだが、今日は自分が調子悪い。
 珍しいことに頭痛がするのだ。
 たぶん、ただの「仕事いやだいやだ病」であろう。

 夕方6時を過ぎたら、ほんとに具合悪くなってきたので、さっさと帰ろうとしたのだが、「げ、明日受け取りに来るっていう企業調査用紙をまだ書いてなかった・・・・」
 渋々やろうとしたのだが、電池切れで全然集中できない。
 いっそのこと、デタラメを書こうとも思ったのだが、デタラメを創作できるだけのエネルギーもなかった。

 まあ、いいや。国勢調査みたいに、パートのおばさんみたいのが受け取りに来るんだが、明日もし間に合わなかったらまた出直してもらおう。だいたい、あの調査、毎年来るけど、もっと期限に余裕あるはずだぞ?私が不在だった月曜日に持ってきたらしいけど。

 そんなわけで、今日は気分が優れないから、早寝して、明日早起きしてがんばらねばねば。

 そーいや、昨日はパソコンもオフラインだったし、テレビも観なかったので、今朝の竜巻のニュースを観てびっくりした。日本でも、あんなことあるんですね。

 あと、びっくりしたのが「いじめ自殺予告脅迫状」
 すでに、「いじめ自殺」は自爆テロの様相になってきたので「なんだかなー」と思っていたのだが、「自殺予告脅迫状」とは思いつかなかったよ。
 こういうオリジナリティーあふれる犯罪には弱いわたくしなのであった。元ネタがあるのかもしれないけど。でも、タイミングが天才的によすぎだ。偶然だったのかもしれないけど

 しかし、ますます集団ヒステリーみたいな感じになっていて、今朝のワイドショーでも「豊島区の学校でも、何の対策もとってないところがある!」なんて騒いでいたけど、学校でわざわざそんなことやったら子供がえらく動揺するだろうから、生徒にわかるように緊急アンケート調査している学校のほうが変だと思うし、最初、脅迫状の消印は「豊」しか確実じゃないみたいで、全国各地の「豊」がつく郵便局のある地域では、最初は「もしかして、ここも?」と騒ぎになったらしいが、「どうやら豊島らしい」とわかった途端、対策練ることをやめてしまったところも多いらしく、ワイドショーは「それでいいのか?」って論調だったけど、パニックを推奨してどうするって思う。

 これって、誰かがリークしたんならわかるけど、文科省があえて公表したんだとしたら、ちょっとねえ。

 でも、身近な職場でも、なんか他人のミスというか不手際を見つけると、非常に攻撃的になる人はけっこういる。正直言って、かなりウザいけど、でも、ああいう「火を見ると突進してくるサイ」みたいな人がいるから、大火事にならないというか、状況が改善されるということもあるのだろう。
 私はあんまり文句を声に出して言わないというか、故障してもなんとか使ってしまうとか、不具合に慣れてしまったりするので、不具合がそのまんま維持されてしまうのだ。

 いつも言っているけど、世の中の人間がみんな自分みたいだったら、今だに石器時代だろう。
 私はそれでもよかったんですが、でも衣食住に不自由しない今の暮らしにはとても満足しているので、「ああ、この暮らしを支えているのは、集団ヒステリーな人たちなんだ」と感謝の気持を新たにして、今日はさっさと早寝しましょう。
11月7日(火)

●猫とバイリンガルおばさん

 今日はやっと休み。
 風が強かったけど、がむばって洗濯だけはした。

 図書館に行ったり、買い物して買える途中に(クリーニング屋に行くのをすっかり忘れたが、家に戻ったらもう外に出る気力なし)、私の好きな「大震災想定マップ超レッドゾーン」の路地で猫に話し掛けているオバサンがいた。

 この話、文章で表現するのがとても難しいのだが、とにかく登場人物はオバサンAとオバサンBである。

 猫に「〜〜〜ちゃ〜〜〜ん」(猫の名前のようなものを言っていたけど、ヒヤリングできませんでした)とまさに正統派「猫語」というのか、犬猫や子供に向かって、裏声というのか、地声より2オクターブくらい高い声というか、まさに「猫なで声」で喋る人はけっこういますが、そのオバサンAもそういう人だった。

 その猫に向かって「〜〜ちゃ〜〜〜〜ん、いらっちゃ〜〜〜い?おいで、おいで?あれ、今日はお腹いっぱいでちゅか〜〜〜〜〜?」と高音ミラクルボイスつーか、超音波ギリギリの波長で「猫とお話」していたのである。

 しかし、猫はしらんぷりだった。
 オバサンAとBは連れ立って歩いていたのだが、猫はその後についてくる気配すらない。

 けっこう毛並みのいい猫だったので、オバサンBが「その猫、ここんちのじゃないの?」と言う気持はよくわかったが、オバサンAはまだ猫が目の前にいるというのに、急に人間語というか、「オバサンらしい低音の地声」(オバサンが、外向きではなく内向きというか、ダンナや近所の親しい人と話すときのバリトン)で「ううん、野良よ」

オバサンB「あんた、野良にえさやってんの?」

オバサンA「そうなの、この間、3日間も姿を消して心配したんだけど、またちゃっかり戻ってきたのよ」

 とオバサン同士で、普通に会話してたと思ったら、猫に向かってまた高音ミラクルボイス(猫語?)で「じゃあ、〜〜〜ちゃん、またね〜〜〜〜〜」

 すげえ感動した。

 その野良猫は、毛並みもいいし、ほどよく太っていたから、とても野良には見えなかったが、ああいう篤志家をひきつける何かがあるらしく、てゆーか、たぶん、人間語を理解するので、あちこちでああして餌をもらって優雅に生活しているのであろう。

 そんな「人生の大御所」っぽい猫に向かって、わざわざ「猫語」で話す必要あるんだろうか?

 それよりも可笑しかったのは、オバサンAは、オバサンBとの「地声で普通にお喋り」の部分は猫に理解できていないと勝手に思っているようだったからである。

 野良猫を「この付近のボロアパートで生活している外国人留学生君」と置き換えてみればいい。
 アパートの入り口の階段に座っている留学生君に向かって、オバサンAは「私、ちょっと英語できるのよ」とばかりに、甲高く「はーい、マイケル〜 はわゆ〜 あ〜ゆ〜はんぐり〜?」などと話し掛けてるので、オバサンBが「ちょっと、あんたったら、外人さん餌付けしてんの?」と日本語で言うと、オバサンAも日本語で堂々と「そうなのよ〜、貧乏そうだから、ときどきご飯分けてやってんの」と言うみたいな。

 自分も海外に友だちと行くと、よくそういうことやりますよね。
 相手が日本語を理解している可能性は、かなり低いので、笑顔で英語でハイテンションで店員さんなどと話している最中に、連れの日本人を振り返って「この人、なんだかバカっぽい」とか「顔がアライグマみたい」とか陰口を言ってたりします。

 日本人観光客が多い地域で、うかつにそれをやると、後で「ニホンジンですか?ワタシにほんご、べんきょしてまーす」などと言われて、チビまる子ちゃんみたいに、顔に筋が入ったりしますが・・・・

 あのオバサンは、きっと乳幼児相手にもああしてるんだろうなあ。
 「〜〜〜ちゃ〜〜〜ん、いくちゅでちゅか〜〜〜?」なんて言った後に、隣にいる他のオバサンに地声で「この子って、けっこう人見知りで気難しいのよ」なんて堂々と語ってそう。超音波じゃないと、子供や犬猫には聴こえないとでも思っているのだろうか?

 この間のイベント仕事で、親会社のベテラン女性社員と「そのセクションのダブルチーフ」になった。
 いつもだと、チーフは1人で充分なのだが、私もそのベテラン女性社員も「内勤」というか、普段、客に接してない仕事をしているし、数名あてがわれるバイトも不慣れなのがわかっていたので、「とにかく人数だけは置いておこう」ということになったらしい。

 そのオバサン社員(私よりも5歳以上は上だと思う)も、相当不安だったらしいが、しょっぱなに「私、初めてなんで」と不安をぶちまけてくれたが、私もニッコリ笑顔で「私も実は二度目で、ほぼ初心者です」と真正面から受けて立ったので、さすがベテランの彼女は「ミヤノさんを頼りにできないんだ」と瞬時に悟ったらしく、私以上に張り切って仕切ってくれたので、大変助かったのであるが、「私、頑張ってるのよ」という愚痴をどうしても言いたいらしく、その気持はよくわかったので、なるべくきちんと受け止めるようにしていたのだが、でも、「客やバイトの前でデカい声で言うのはやめて〜〜〜〜〜」と思った。

 向こうはそういう意識は全く無いようで、少し暇な時間に「今の進行状況は・・・」なんて話ていると、大声で愚痴りはじめるので、こっちも「し!もっと小声で!」と言いそびれて、「ええ、ええ、なるほど、そうですね」と小声でヒソヒソ言ってみたり、「あの、じゃあ、こっちで話ましょう」と周囲に人がいないところに移動したりして、「あんた、声がデカいよ」ということを暗に表現していたのだが、全然わかってくれなかった。

 それまで、その人のことを「おばさんっぽい」と思ったことはなかったのだが、やっぱし、こういうとこがオバサンなんだなあ。客に向かって喋る「作り声」じゃなければ、客には聴こえないと思い込む心境がよくわからないのだが、私もあと5年くらいしたら、ああいう境地になれるのだろうか?

 うちの母もすでに10年前くらいから、ああいうかんじになっていて、「おがーさん、後ろを振り返ってヒソヒソ文句を言っているつもりのようですが、それは相手に聴こえてますけど、わざとやってんですか?」と思ったけど、あの可聴周波数を自在に操っている「つもり」なのは、なぜかオバサンの特権なんだよなあ。オジサンはそういうことしない。

 オジサンは、ちゃんと最初から「全員に聴かせる」という熱意で喋りますから、「これは諜報活動だから、秘密の周波数で」っていう発想はないです。結果的にどっちも、周囲には筒抜けなので、同じなんですけどね(笑)


 せっかくノリノリで日記書いているというのに、回線の不調か、我が家の内部の回線が分断されたのか知らんが、アップできないので、しばらくローカル保存でいこう。
11月6日(月)

 うぎょー、三連休なんて、どっか遠い外国の話のようだったし(ニュースのマーケット情報で「NY市場は感謝祭の休暇で」とかなんとかみたいな)、日曜日はまたイベント仕事だったので、もうぐったりっすよ。

 っていうのが日記サボっていた理由の半分で、後の半分は「のだめカンタービレ」を全部読んでいたからでありました。ドラマ化で人気が加速しているせいか、なかなか全巻揃ってる本屋が近所になくてさー。そんで、灯台元暮らし(灯台の元での暮らしって、ブラッドベリの小説にありましたね、そんで恐竜が出てくるんすよね、って、どうでもいいことを思い出す)で、職場の近くの本屋で中盤は揃いました。

 「動物のお医者さん」がドラマ化されたときには、キャスティングはまあまあだし、演出も工夫しているのはわかったのだが、どうにもこうにもつまんなくて、ほとんど観なかったんだけど、あれは多分「動物モノの難しさ」もあったのだと思うのだが、「のだめ」の方は、原作をちらりと読んだことあったくらいだったので、「へえ、けっこう面白いじゃん」と素直に楽しめた。

 つーわけで、「漫画を先に読んだのでドラマを素直に楽しめない」ということを検証しようと思って、「のだめ」も漫画を読んでみたのだが、まあスタートが厳密には違うわけだし(漫画の世界にどっぷり漬かってからドラマや映画観るのと、ドラマを少し観て「なかなか面白そうだ」と思って漫画読むのと)、その点ではなんの検証にもならないのだが、「ドラマもよくできているなあ」と思った。

 何よりも、私はそれほど二ノ宮知子の漫画が好きではなかったのだが、ドラマを先に観たことによって、彼女の画力の無さというか、「二枚目キャラに魅力が無い」という欠点をドラマの玉木君が補ってくれたので、これぞシナジーとでもいうのか。

 「動物のお医者さん」の佐々木倫子の絵だと、完成しすぎちゃって、映像化する意味が無いというか、映像化しちゃうと、なんだか平たくなるのだが、二ノ宮知子の絵だと奥行きも緻密さも無いので、ドラマ化すると立体化していいみたいだ。

 などと書くと、二ノ宮知子をバカにしているみたいだが、「のだめカンタービレ」では、彼女の少し雑なところが上手く生きており、千秋王子やのだめが緻密な絵で描かれていないだけに、想像力が膨らむ余地がたくさんあって、作家が力をいれている「すばらしい演奏をしているとき」の描写で、読者の想像力が暴走するらしい。

 今日もドラマを観てみたのだが、千秋君の指揮があまりにも「学園祭の発表会の合唱の指揮」みたいだったので、「わーん」と思ったけど(まだ「駆け出し」であることを表現しているのかもしれないと、前向きに捉えてみまひょ)、日本の漫画はアメリカでもブームだというし、「のだめ」もアメリカあたりでヒットしてもらって、ハリウッド映画でやってもらえんかのお。カラヤン監修でベルリン・フィルあたり使ってさあ。(あ、カラヤンはもういないか。じゃ、サイモンで我慢するから)

 のだめのピアノは誰にやってもらおうか?モーツアルトのキラキラ星の演奏はグールドで決定だが・・・・・あ、もう、いないか(笑)

 そんなわけで、おそまきながら「のだめカンタービレ」にちょと夢中だったりしたのだが、その合間に「テヘランでロリータを読む」を読んだり、終盤になった「チャングム」を観ていると、なんだかグチャゴチャになってきました。えーと、フェミニズム的に(笑)

 チャングムはあと数回で終わりなんだけど、あれだけよく出来ていたドラマでも終盤はダレるんですね。「医女が王の主治医なんて、とんでもない」ってところでゴチャゴチャやっとるので「なにが、いけないんだよ〜」とイライラします。
 これまでずっと「女性だから」ってところとは別のところで頑張っていたはずのチャングムの終盤がこれかよ〜。

 「結局最後はその問題か」とがっかりします。
 実力はみんな認めているけど、「女だから」で理屈抜きってあたりが「あーあ」であります。

 フェミニズム論文的には、「のだめ」もなかなか興味深く、「風呂にほとんど入らないほど非常識だが、でも天才らしい」っていう主人公ってのは、「男」が多かったような気がするが・・・・
 って思ったんだけど、具体例が思いつかない。ええと「いやはや南友」とか?(古いよ、君〜)

 「のだめ」の構造は、「ガラスの仮面」にも似た「王道」でもあるが、でも、北島マヤを支える「紫のバラの人」は、たしかにマヤとの出会いで「なにかが変わる」のであるが、そのことによって、「王子」の人生が具体的に変化することはなく「つまらない人生を送っていた」王子様が、天才少女マヤの出現によって「生きる悦び」を見出したとかその程度。

 「のだめ」に関しては、「動物のお医者さん」のほうが構造的には近いと思う。「漆原教授」と「菱沼さん」と「二階堂」と「お祖母さん」を統合したキャラが「のだめ」で、「ハムテル」と「菅原教授」と「紫のバラの人」と「姫川亜弓」を統合すると「千秋さま」になるような気がする。

 そうか、「動物のお医者さん」と「ガラスの仮面」を混ぜてみたら、ああいうのができたわけだな。

 さらに、もう一つ「過去の大ヒット漫画」の要素がある。
 「タッチ」だ。
 たぶん「タッチ」はフェミ的には、焚書モノなんだと思う。
 美人で才能あふれる南ちゃんの夢は「甲子園に連れてって」って女子マネ志願なんである。
 で「タっちゃん」は、ほとんど「のだめ」である。実は凄い才能の持ち主であるタっちゃんに、南は献身を惜しまないのだ。

 つーわけで、「のだめカンタービレ」は、そういう過去のヒット作の要素をうまくとりこんで、「読者の想像力の先を行く」展開にしたことが、よかったのかね?

 美人でもないけど、野生味あふれる女性主人公マヤの秘めたる才能に気が付いた「紫のバラの人」が、同時にライバルでもある「姫川亜弓」でもあり、「タッチ」のタッチで、コメディー・タッチで、「動物のお医者さん」のような淡々とした語り口で、「マヤ」と「亜弓王子」が互いに高めあっていく様子を?

 でも、ちゃんと少女漫画の基本ちゅうか、「ガラスの仮面」では、「紫のバラの人」が「なんで、オレがこんなヒヨッ子に恋心を?」と悩むのであるが、「のだめ」でも、千秋王子は「のだめをヘルプしているのか、必要としてるのかわけわからん、オレ」ってあたりで悩んでいて、海外留学した後の10巻以降の「海外編」では、キスシーンもあって、胸キュンですわよ。

 記憶が曖昧だが、たしか「タッチ」では、「こういうとき、女は優しくキスでもするんだ!」とテキトーな言い逃れを言ったタっちゃんの口をふさいだのは、南ちゃんのキスでしたが、「のだめ」の千秋様は、言われなくてもわかってらっしゃるらしい(笑)、さすが、世界的指揮者の素質あり。

 さて、漫画の因数分解に夢中でしたが、はあ、自分の仕事だけでも忙しいのに、イベントの手伝いや、他部署の手伝いでヘトヘトだ。なんで我が家は千秋様が掃除してくれないのか?
11月2日(木)

 愚痴ばっかり出血大サービスしてても、しょーもないので、今日は前に買っておいた本を読んでみることにした。けっこう話題の本らしい。「テヘランでロリータを読む」ってやつ。

 抑圧された女性たちの話でも読んで「私なんて、全然マシじゃん」と気分をリフレッシュしようとしたのでありました。

 まだ読み始めたばかりですが、「そういや、私、ロリータって読んだんだっけ?」と思った。
 映画は観たなあ。でも、あんましあの映画面白くなかったんだよなあ。たしか、その前に小説も読んだような気もするなあ。だから映画でロリータ役の女の子が「私が思っていたのとちょっと違う」って思ったんだよなあ。

 それはいいとして、「ロリータ」ってロリコンの語源なので、なんだかものすご〜く「イケない本」だというイメージがあったので、なかなか読もうって気にならなかったような気がする。
 たぶん、そのあたりのイメージだけで終っている人は多いような気がする。
 そのために、ナボコフとマゾッホを似たようなものとして考えている人が私以外にもいそうな気がする。

 「気がする」を連呼しているのは、そんな話を他人としたことがないからである。

 マゾの語源となった作家マゾッホは「毛皮を着たビーナス」というマゾ小説が代表作で、実生活でもマゾッ気があったらしいが(映画にもなってたような・・・・)、ナボコフがロリコンだったかどうかは知らんが、そう思っている人は多いのではないか?

 それはいいとして、「ロリータのナボコフ」が、わりかしどっちかというと「文豪」であることがわかったのは、高校生以降だったと思う。
 それ以前は、心の中の本棚では「ロリータ」を「O嬢の物語」の隣に置いていたようだ。

 O嬢のほうは、本格的に「イケない本」だったし、そういうのは読まないほうが愉しめると思ってたのである。どんなにイケない内容なのか、想像してるときが一番楽しいに決まっている。モニカ・ベルッチには、あまりガンガン脱いでもらいたくないのと同じ気持。

 しかし、ついうっかり読んでしまったのは、大学の先生が「あれこそ、大人のエロスだ」と言ったからである。

 その先生は「今の歌舞伎は退屈だけど、それはいい役者がいないからだ。でも、見込みのある若手がけっこう出てきたから10年後くらいはもう少し面白くなるかな」って言ったり、「知らない曲でも、いいオケだと感動するけど、有名オケでも退屈なときはある」と言ったり、要は「古典だろうが、有名だろうが、つまんないときにはつまんない」とか「去年見て凄かったから、今年も行ってみたけど今回は全然ダメだった」とか、当たり前のことなんだけど「いい悪いは自分で決める」っていうか、「名前だけでありがたがるな」ってことを熱心に語っていた人だったので、けっこう好きだったのである。

 で、尊敬している教授が「O嬢の物語」を「ホンモノ」として語るので「これは、やはり読んでみないとな」と、素直な女子大生19歳はさっそく読んでみたのだが・・・・・

 どこが「大人のエロス」じゃあ、ヒヒおやじ〜〜〜〜〜〜

 と思いましたです。でも、そのことについて、教授と討論してみる勇気もありませんでした。
 O嬢は私にはトゥーマッチというか、「こりゃ、モロ見せの洋モノ写真集みたいに大味だ」とエラくがっかりしたのでありました。やっぱし読まずに「読んでみたいけど、ああ、ダメ、私ったら」って一生やってたほうがよかった。

 「ロリータ」も過大に期待しすぎていたので、読んでみたら「ふーん、けっこうおとなしいじゃん」と思ったようです。そのため、ナボコフの他の著作を全然読んでないんだね。
 いくつか短編を読んだことがあると思うが、全然覚えてない。

●どうなる人生初出張

 来年に予定されている九州出張であるが、メンバーの1人が妊娠したり、九州支店の全てに行くわけではなくなったりしたので、配置の組換えが中間発表されていた。

 先にその発信を読んだ部長が「あ、Kは出張なくなったね」とK課長に言っていたので「じゃあ、私は?」と口を挟んだら「ミヤノさんは、久留米だって、あれ?前から久留米だったっけ?」「いや、違います。前は地名を読めない所でした」(笑)

 「ふーん、久留米か」と思ったんだけど、ふと「あれ?」と思ったので、思ったことをそのまま口に出してしまった。「久留米ってどこ?」

 九州男児のハイジを筆頭に、その場にいた全員に「久留米も知らんのか!」と突っ込まれたが、いや、その、「だいたい福岡近辺」ってことはわかるのだが、地方の人が「東京ディズニーランドは実は千葉にある」ってことを知ってる程度で浦安の場所が漠然としかわからないのと同じくらい久留米がどこにあるかわからないのです。

 さっそく、ネットで調べてみた。
 「わー、久留米ってほとんど佐賀じゃん」

 久留米のみなさんすいません。でも、九州出身者曰く「それは大声で言ってはいけない」とのことでした。
 東京で言えば「町田って東京都だったの?」みたいなあたりか?

 とりあえず、配置はまだまだ変わりそうなので、最終的にはどこに行くのかわかりませんが、私が「きゃー、人生初出張」と騒いでいるのは広まっておりますので、出張メンバーから外される可能性は低いようです。
11月1日(水)

 昨日、書いたけど消去してしまった愚痴の中に「ハイジに引き継ぎのことを話してみたけど、機嫌悪くてダメだった」ということがあったんだけ、ハイジが機嫌悪かったのは、とある監査があって、うちの部署ではハイジがその監査のチーフだったので、とてもピリピリしていたのである。

 今日の午前中、うちの部署もヒアリングされる予定だったので、今朝のハイジは最高潮にテンションあがっていた。終ったあとに「昨日、2時間しか寝てなくてさ〜」と言うので、また緊張して眠れなかったのか?と思ったら、やはりあれこれ頭の中でシュミレーションしてて眠れなかったらしい。

 そういう奴なんである。かわいいっちゃカワイイけど・・・・・
 そんで、他人の気分なんて全く気が着かないけど、自分の気分の上がり下がりで周囲を巻き込んでいることにも気が付いてないあたりが、おこちゃまであるが、「男なんてみんなあんなもん」という定説を思い起こして、「まあ、しょうがねーな」と諦めるしかない。

 で、今日の午後はいきなり、バリバリとマスオさんに引き継ぎはじめた。
 それはいいのだが、私が「それはK課長にぜひ」と言っていた、一番重要な仕事は「これは、ミヤノさんがやるべきでしょう」と譲らないのだ。
 私は「でも、それ分量もあるから、すごく重要だし・・・」と歯向かったんだけど、「重要だからこそ、ミヤノさんでしょう」と押し問答になった。

 くっそー、一昨日あれだけ相談したのに・・・・・
 私の勝手な想像だと、ハイジはK課長にそれを説明するのが面倒なのだ。
 もしくは、百歩譲って「Kさんも大変だろうから」と思っているのかもしれないが、ハイジはそういう気遣いをする人ではない。

 それよりも「目上の人に引き継ぐのが嫌」という変な上下関係意識のほうが強いと思う。

 それはハイジの視点というか、「私が勝手に想像するハイジの視点」であるが、私の視点は別次元なのだ。

 まず、K課長は具体的にはどうのこうの言わないが、経理の仕事にかなり絡みたがっていることは確かである。
 彼が総務部に来て、真っ先に引き継いだ仕事のほとんどが、K嬢の仕事だ。
 総務から、とある「専門的意味合いの強い仕事」を切り離したときに、K嬢がその部署に持っていった仕事である。
 けっこう、大変な仕事であるが、しょせん「そこそこ優秀なOL(30歳前半)が1人でやっていた仕事」であり、それを「40歳そこそこの役職者」が引き継ぐのはけっこう微妙だろう。

 で、私の読みでは、K課長は人一倍そういうのを気にする人である。
 で、K嬢の仕事は、K課長(KKKと紛らわしくてすんません)の得意分野でもなんでもないので、一から学ばねばならないし、K嬢はその辺「わかんなきゃ、相手に聞けばいいし」とテキトーにやっていたことも、K課長だと「こちらがきちんとわかっていないと、相手にどう聞けばいいかもわからないし」ということになる。

 てゆーか、相手(外部)もK嬢にはニコニコと教えていても、K課長に対しては「そのくらいおわかりでしょう」という態度をとるらしく、ってゆーか、K課長の性格的に相手をそういう態度にしてしまうところがあるらしく、K課長は「向こうに聞いたのに、ちゃんと教えてくれない」とK嬢に愚痴るのだが、K嬢は「そんなはずないんだけどなあ、つーか、だからって私に聞かれても・・・・」

 まあ、それはいいとして、とにかくK課長が大変そうなのは、分量的にではなく、精神的なものである。
 早い話が、小娘から引き継いだ仕事が思うようにできなくて、テンパってるだけなのである。
 そんで、それをわかってくれる人もいないし。

 そこに降ってわいてきたのが、ハイジが悩んでいたある仕事であった。
 K課長の得意分野だったので、もー、ノリノリで首突っ込んでいたのがわかったので、「じゃ、この仕事はK課長に」ということにしたのである。

 で、その他にも、ハイジがマスオさんに引き継ぐ仕事はたくさんあるが、私がK課長にも「マスオさんじゃ不安があって」とコボしたこともあり、K課長にとっては経理の仕事を把握するチャンスなのである。

 それで、そっちを主体にすれば、K嬢から引き継いだ仕事なんて、他の誰かに任せてもいいのだ。他に誰かいれば・・・・

 K課長にしてみれば、「経理の仕事はミヤノさんのテリトリーだし」と年も近い(一つ違い)お局な私には遠慮があるが、ハイジの仕事をこの好機にゲットできれば、スムーズに私の上に立てるのだ。私だって、それがわかっているから、「ハイジの仕事は私にもわからないことが多くて」と過剰にアピールしてるし。

 で、会社としても、ゆくゆくはK課長を「財務担当チーフに」という意向があるらしいので、そうなったら、ハイジから私が引き継いだ仕事を「後から来た上司」に説明するよりも、このチャンスにハイジから課長に引き継いでしまったほうがいいではないか。
 それで、いったん課長がやった後に、「じゃあ、これはミヤノさんやってよ。ボクはもっと高度な仕事をするから」って引き継げばいいのだ。

 って、考えたから「ぜひ、K課長に」って言ったんだけどなあ。
 でも、ハイジが聞いてくれないから、「もおおおおおおお」と30分くらいムカムカしたんだけど、そうなったらしょうがないから、「ハイジには好きにやらせるしかないんだ」と諦めて、「わかった、私がやるよ」と言った。
 ハイジがいなくなってから好きにすればいいし。
 「これ、ハイジから引き継いだんですけど、やっぱし私じゃとてもじゃないけど・・・・・」ってK課長に泣きいれれば済む話だ。そーしよーっと。

 ハイジは単純にあの仕事の「分量」を気にしているようだが、分量的なことはアシスタントに任せてもいいのだ。あの仕事は、子会社である我が社からの親会社の請求を統括する仕事で、それが我が社の売上の半分以上をしめているし、我が社の各部門からデータが上がってきて、それを内部でどうのこうのという作業もあるので、あの仕事をしている人が、「経理の重要人物」になるのである。

 なので、単純入力はいいとしても、内部の各部署との折衝や、下請け業者や親会社とも密に連絡とる仕事なので、ぜったいにK課長にやらせないといけないのだ。彼が「財務の責任者」になるためには。

 これって、「そう言って、大変な仕事を他人に押し付けよう」という魂胆じゃなくて、ほんとにそう思っているので、ってゆーか、その仕事を私がちゃんとやれば、「年収あと100万円あげろ」と言ってもいいようなことだけど、私が出世欲もなければ、この男尊女卑が明確な会社でそれを打破するのも面倒だし、なによりも「給料、今くらいでいいですから、その代わり、給料高い人の仕事はさせないでください」ときっぱり思っているので、これはぜひとも「まだ子供が小さいが、これから教育費にいくらお金があっても足りない」という課長にお任せしたほうがいいのだと思う。

 結婚もしてないし、子供も産んでないのだが、男兄弟の微妙なヒエラルキーに神経尖らせているっていうか、再婚して連れ子のことをあれこれ考えているみたいで、「なーにやってんじゃ、あたし」と思うが、やっぱし男子は難しい。
 ハイジだって、今朝は外部監査員のお茶だしに張り切っていたけど、後片付けまでは気が回らないし。

 阿川弘之の著作を読もうと思って、体慣らしに「阿川佐和子&壇ふみ」のエッセイを読んでみたのだが、壇ふみの父ちゃんは、気が向いたときだけドーンと手料理して、後片付けは娘の仕事だったらしく、「男の手料理」に相当不信感持っているようだったが、ほんと、男子って瞬間的にバリバリ張り切るけど、「ハレ」の部分だけ謳歌して、後はきっぱり忘れるからなあ。

 もちろん、全員がそうだということではありません。
 それに、そういうのをよしとしてしまった女子のほうが、始末に負えなかったりするし。男子ほど瞬発力ないくせに、日々の練習は過度に嫌がったりします。

 で、バカでもお子チャマでも、男子のそういうパワーは結果を生むことがあるので、私は黙って後かだつけをすることにしています。
 困るのは、マスオさんみたいな曖昧なタイプで「で、あんたはどうしたいわけ?」って正面きって聴いてみても「・・・・・・」

 皿洗いや野菜切りしててもいいのか、それともドーンと松坂牛を焼いてみたいのか、わからない。

 でも、どうやら皿洗い人生は不満らしい。
 だったら、返ってきた皿を舐めて味覚える努力してんのか?
 たぶん、そういう発想はないんだろうなあ。

 まあ、そういうふうにやれる人って少ないみたいだけど。
 「ちゃんと教えてもらえないから、ちゃんとできない」って言う人が、この世の大半をしめるようだ。
 「マニュアルが無いから困る」って言っても、マニュアルがあっても、それを片手にやる期間って短いわけで、そりゃ、マニュアルがあればすぐにできるかもしれないが、無くても3ヶ月もあればなんとかなるし、「なんでマニュアルがないのか!」って声を大にして言うなら、自分で作ってくれよ。後任のために。

 

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