可燃物な日々

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 日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました
10月31日(火)

 月末&決算日なので、ただでさえ忙しいのに、来客も多く、なんだか一日中♪ダバダバダバというBGMが流れてそうな一日であった。

 ほんとは仕事の愚痴を100行くらい書いたのであるが、書いたら気がおさまったので、どりゃーと削除した。

 愚痴りたくないけど、愚痴れるうちが花なのは事実である。  
10月30日(月)

 土曜日の夜、友人Mから電話があった。
 先週の日曜日に「よかったら夕飯でも」とお誘いの電話をかけたのだが、あいにく不在だったのだが、やっぱり仕事で海外に行っていたらしい。
 なので、電話の用件は「じゃあ、明日あたり食事に行こうか」だったはずなのだが、私の仕事の引継ぎ話に続き、Mが得意とする「子育て問題」に突入して、結局明け方まで長電話してしまった。

 ここんとこ、徹夜するとそのあと眠れなくなるので、昼くらいまで浅く眠っていたような眠ってないようなで、夜までその調子でウツラウツラと頑張って、夜はぐっと酒飲んで早寝しました。

 しかし、友人Mもなんで「子育て」にあれほど執着するのだろうか?
 彼女は人のマナーの悪さを見逃せない損な性格なので、親が子供から目を離していたりすると、ほんとに心配になってしまうらしい。
 私だって、そりゃ、駅のホームで子供がほっぱらかされていて、ホームの端っこを覗いていたりしたら「わああ、なんてこったい」と思うけど、スーパーの中で幼児が1人でカート置き場でカートと戯れていても、あまり気にしないのだが、Mは「指挟んだり、頭打ったり、転んだりしないか、気が気でない」らしい。

 「まあ、親だって、ずっと手を離さないでいるわけにもいかないからねえ」と月並みなことを言うと、Mは「私だったら絶対に目を離さない」というのは正論かもしれないが、でも、相手が私だから「まあね」と素直に返事できるけど、子供のいる人にそう意見しても「だったら、おめーがやってみろ」と言われるに決まっている。

 でも、Mは「私には子供がいないから、意見する権利がないのよねえ」などと言う人ではない。
 でも、人よりもそういうのには気を配るから、例えば、2ちゃんの育児板を見て「そうか、1人産んでいても、二人目不妊で悩んでいる人もいるんだ。だから、うっかり『二人目は?』って言ってはいけないのだ」と私に教えてくれるのだが、私は人並みに「自分に子供がいないから、他人の出産についてとやかく言う権利はないし、はっきり言って興味がない」ので、「お子さんは?」とか「二人目は?」とか「次は男の子が欲しいんでしょ?」なんてあんまり会話しないような気がする。

 そう、Mは「正義感の強い、リーガルマインドの人」なんであるし、公平とかフェアにうるさいけど、「他人を不愉快にさせてはいけない」という意思も強いので、実際に子供を育てている友人・知人に、子育てについての自分の意見をはっきりぶつけたりはしないだろう。

 で、なぜか、酔っ払うと私に説教というか「ああいうのは理解できない」とか「ああいうのはよくないと思う」と語るのだが、私がその意見を拝聴しても、なんの改善にもならないと思うんだけど、まあ、要するに愚痴なんだろうけど、私が「でもさあ」と月並みなことを言うと、ディベート仕込みの毅然とした口調で「いや、しかし・・・」と突っ込んでくるので、まるで私が「ダメ母代表」のようにネチネチ説教されるというのも困ったものである。

 ならば、せっかく2ちゃんにハマっているのだから、そこで熱い論客として活躍してくれればいいと思うのだが、「読むのは面白いんだけど、書き込むのには抵抗が・・・・」と変なところで「良識」を発揮したりするので、なかなか難しいのであった。

 まあ、私も仕事の愚痴をいろいろ聞いてもらってるのでお互い様なのだが、でも、ときどき不公平を感じるのは、彼女の職場にどうしようもない奴がいるという場合には、それは「完璧にダメな人」であるが、私が愚痴ると「それは、接し方に工夫がいるのかも」と言われることである。

 ただ、最近わかってきたのだが、誰にでもそういう傾向があるようだ。
 他の友人が仕事の愚痴を言ったときに「まあ、そういうのってよくあるよね」と言ったら、「こんなの異常だよ」と反撃されて、「いや、『そんなの大したことじゃないよ』って意味で言ったのでは・・・・」と戸惑った。

 たぶん、一般的には「ええ〜、それはひどい〜、大変だよねえ」って言っておけばいいのだろうけど、私はそういう人とはあまり友だちになれないので(なりたくないという意味ではない。寄ってこなくなるのだ)、ついつい「自分なりの意見」を言ってしまうが、相手は他人の意見などあまり聞きたい気分ではないのである。

 で、私が「ただ、かわいそーと言ってるのでは、何も聞いてないのと同じ」だと思って、もっと親身になっているというのを表明するために「意見」するときには、どうやら「会ったこともない友人の敵」を「その人、きっとこう思ってるんじゃない?」と、「精神分析もどき」をやらかすようだ。

 私はそういうことをするんだけど、人によってけっこう違うようだ。「そういうときには、とにかく気にしないこと」と、「相手する自分の心構えを説く」タイプや、「それ、訴えたほうがいいんじゃない?」とか「私だった殴っちゃうよ」と愚痴る人よりも大袈裟に反応してみて、愚痴っている相手に「いや、そこまでのことでは・・・・」と言わせることによって「まあ、それほど大したことないな」とある意味「癒してあげる」タイプとか、Mは「そういうときは、こうしてみたら?ああしてみたら?」とアドバイスしてくれるタイプ。

 でも、私は「自分の中でどう納得するか」ってことを大事にするので、あまり具体的にアドバイスされると「それって、私が悪いってこと?」と思ってしまうが、でも、そのアドバイスが役に立つ場合もあるし「いや、もう、そういう問題じゃないんだよ」と反論したくなる気分になるときもあるし・・・・

 でも、Mも「ミヤノのいる会社は相当レベルが低いんだねえ」というあたりは理解してくれているのだが、あんまりそうはっきり言われると「・・・・・ううう、やっぱしダメな会社なんだろうか」とちょっと追い詰められるのだが、この間も部長と「来年、短期の派遣雇う」という件で合意したときに「ところで、なんで総務部の派遣は長続きしないの?」って言われて、よっぽど「変な会社だからです」って言いそうになったが、ぐっと堪えて私なりの具体的な問題点らしきあたりを述べました。

 さて、金曜日に課長と、土曜日に部長と話したことで、引継ぎのことが私も大まかにイメージできるようになったので、今日さっそくハイジに「ちょっと相談」と、ざっと計画を述べてみたのだが、ああ、ちょっと失敗。親戚の結婚式に出席するために三連休したハイジは、あまりそういう気分ではなかったのである。

 でも、私の話は穏やかに拝聴してくれたのだが、「でも、オレ、もう11月は、けっこうあっちの仕事も始めないといけないみたいだし」と、「もはや、後のことにはそれほど興味がない」という態度だったので、「おめー、それはねーだろー」と思ったが、また機嫌がこっち寄りのときを見て、話を詰めないとな。

 あと、そうだ。課長とももっと具体的にしないといけないし・・・・そうだ、マスオさんとも・・・・・ああ、面倒くせー。

 いかん、気をつけないと、私はついつい、ネチネチ根回しするのが面倒になり「あたしが、こうしたいっていうから、こうすんのよ〜〜〜」と半狂乱を装ってなんとかやってしまおうという最後の手段を「中盤」でやりがちだから。

 でも、他の人って、なんでだか知らんが「こうしたい」ってあんましクリアに言ってくれないので、ほんとわけわかんないのよ〜
 でも、それでなんとなく進むということは多々あって、「結局、私がギャースカ言ったのはなんだったんだ?」と思うけど、それは私が頑張ってギャースカ言ったから「ミヤノさんがうるせーからしゃーねーな」とそうしてくれたのか、それとも私が何もやらなくてもそうなったのか、わからないことが多い。

 ただ、社会人生活20年で学んだことは、「無駄に思えても、くどいほど意思表明しないと、誰もわかってくれない」というか、「言わずともわかってくれるだろう、というのは通用しないことが多い」ということである。
 いや、自分が下っ端のときには、上司の意向をそれなりに自分なりに解釈しても、それほどトンチンカンなことにはならなかったのだが、でも、今の会社は、あまり自然と「共有」しない雰囲気で、それは多分、シフト制勤務というか「全員が揃うことが少ない」というが原因の一つだと思うが、だからけっこう「そんなの見てりゃわかるだろう」ってことも、いちいち口に出して言うことが必要になるらしい。

 あ、また「のだめカンタービレ」が始まった。
 漫画はほとんど読んでないけど、ドラマに限っていえば、いまのところ主役は「のだめ」じゃなくて、「ちあき王子」だよね。
 で、しばらくは、「不遇の天才音楽学生」である玉木君演じるチアキ王子が、癖のあるドヘタ学生と触れ合っていくうちに、ドヘタは無難な優等生よりも才能や可能性を秘めていたりするし、それを不本意にもにフォローするチアキ王子も芸術家として大事な何かを掴んでいく、というエピソードになるようだ。

 うーん、私もチアキ君のように頑張らなくてはならないような気がしてくるが、待て待て、君はどっちかというと「無難な優等生」ではないか。君がドヘタから才能を引き出すのは無理っていうか、そういう才能はないよな
 それに、現実世界では「ドヘタ」は「ドヘタ」であり、それをそこそこなんとか、オケで弾かせるレベルにするのが無難な優等生の勤めではないか。

 それがいやなら、ベルリン・フィルでも目指してくれ。
 自分にそういう才能ないから、「田舎の趣味のオケ」で、「チェロの2番手」をやっているのではないか。
 しょせん、自分の技量も2流なんだから、3流ときちんと向かい合ってがんばれ。

 なので、我が部では、「自分が2流だとよくわかっていて、3流をなんとか2流に教育しようと頑張れる人」を募集するつもりですが、これがけっこう簡単そうで難しいんですよね。「自分が一流になれると勘違いしている3流」っていう人材はたくさんいるんですが。
 でも、探せばきっといるわけで、他部署ですが「やっと、いい派遣の人が来た」というわけで、2年くらい派遣でやっていたのですが、社内の評判もいい人で「そこそこできるが、でしゃばらないし、適度にあきらめている」というあたりが、私も「あの人、ずっといてくれないかなあ」と願っていたのですが、先日、目出度く正社員になりました。
 彼も家族を抱えていたので、そろそろ将来のことを考えてたのであろうし、スキル的にも「大企業でもそこそこできる人材だが、大企業はああいう人材を正社員にしないだろうし、高い給与は見込めないだろう」という雰囲気の人だったので、観念したのか、それとも私と同じで「いろいろあるけど、下り通勤を一度経験してしまうと、もう元に戻れない」(もう通勤ラッシュは・・・・)なのかも。

 彼が社員になったので、そこの部長も大悦びしてて、この間の飲み会でも酒が進んでいましたが、その彼も頑張って杯を受けてベロベロになっていました。
 私も、ああいう後輩を早く見つけて、祝杯をあげたいです。(ほぼ毎日のように飲んでいるが、これは「ヤケ酒」なの!)
10月28日(土)

 公立高校の未履修問題が大騒ぎになっているようです。
 まるで国盗りクイズ(って言ったっけ?パネルアタックみたいに日本地図を埋めていくクイズ番組があったような気がするが・・・・)みたいに、日本地図が塗り絵されてるのがいとおかし。
 未履修が今のとこゼロなのか、まだ調査中なのわからないが、我が故郷である千葉県は(生まれは東京だが、育ちは千葉なんだけど、そろそろ東京在住期間が千葉在住期間を超えそうであるが)まだ塗り絵されていません。

 しかし、先日も日記に書いたが、世界史も日本史も履修したはずだが、その内容についてはきれいさっぱり忘れているので、いーんじゃないですかあ(笑)
 私が唯一覚えているのは、山川の世界史の教科書と受験用に買った「世界史用語辞典」の表紙の紙が、めったに食べられない上等なお菓子(20数年前当時)の包みたいなベルベットな感触の紙で、あれが超好きだったということです。「教科書が全部、この紙だったらいいのに」と思ってました。

 なので、わたくしの心の中のバーチャルシティでは「教科書の山川」と「ゴーフルの風月堂」というのは、商店街でお隣同士です。

 どっかのテレビ局が、街で若いサラリーマンをつかまえて「社会に出ても役に立った教科は?」なんて質問してて、「ばーか」と思いました。どれも役に立たないよ。
 普通に仕事するのなら、中学程度の知識で充分だ。
 だから、中学は「義務教育」なわけじゃん。
 つーか、みんな中学で勉強したことすら覚えてなかったりするじゃん。

 企業はそれがよくわかっているから、有名大学卒業者をとりたがるのは社会人として有用な知識を持っているからではなくて、「比較的物覚えがいいから」である。
 高校受験、大学受験の荒波をくぐってきた奴らを集めて、みっちり半年研修すれば、けっこう使えるようになるんだと思う。

 身近な例で考えれば、そこそこ1.2流大学(うちの父もその大学卒なのれすが)出たハイジは、つまんない基礎でも「この、『ありおりはべりいまそがり』とやらを丸覚えしないと、古文は理解できない」と諦めて、つまんなそうではあったが、地味な経理の仕事もこなしてくれたが、3流大学出身のマスオさんは、「でる単」に真剣に取り組むことなく「同時通訳になりたいんすよね〜」などと言いやがるので、「その前に、スペルミスの嵐をなんとかしてくれ」と思うわけです。

 さて、今日は出勤して、部長と考課面談をした。
 昨日、S課長が「人増やす予定はないみたいな感じだったけど、ミヤノさんからも言ってみて」と言われて「これは、たぶんいけるな」と思っていたのだが、あっけないほど「たしかに、A(ハイジ)の穴はK(マスオ)では埋まらないだろう」と、「経理はもう1人必要」とのご決断を頂いた。

 部長のところにも、「マスオは経理の才能がない」という話は届いているようだ。
 そんで、ゆくゆくは、S課長を経理のトップに据えたいという社長の思惑もあるようで、「なーんだ、だったら私の思い通りじゃん」と肩透かしであった。

 でも、私が希望していた「できたら、中から異動させてほしい」というのは「でも、いい人材いないしなあ」
 たしかに、その通りなんであるが、でも、時間かければ出てくると思うんだけどなあ。

 とりあえず、来年早々、M嬢が親会社のプロジェクトに2ヶ月ほど持っていかれてしまうので、その補充として派遣を雇っていい、ということと、それとは別に経理人員も外で募集すべし、ということになった。
 あと、「障害者枠」で1人来るかもしれないが、それは戦力として未知数で、もしかしたらマイナスということになるかもしれないが、社会責任ということで避けて通れないから、まあ別の話である。

 いろいろいっぺんにやろうとすると、自分で混乱するから、整理しよう。
 ハイジの穴は、S課長とマスオさんのペアで7割方埋めてもらって、3割くらい私が負担しよう。
 引継ぎも大変だが、決算もあるしなあ。
 それに、「経理担当の正社員」を募集するにしても、年末は決算&ただでさえ師走でドタバタするから、正社員募集よりも先に、来年のM嬢不在の穴を埋めてくれる「電話番&庶務」をやってくれる要するに留守番要因のほうが火急である。

 先にそっちを「来年3月まで」の短期で派遣会社に依頼して、もしかして、その人が「いい人」だったら「正社員にならない〜?経理できると、食いはぐれないよ〜」と騙して、経理社員に持ってきてもいいかも。

 でも、派遣会社もスタッフ不足らしく、某「おー人事」の派遣会社は最近激しくうちの留守電にメッセージ入れてくるからなあ。あんたんとこで仕事したのって、もう10年前にたった2ヶ月だけだぴょん!

 友人M嬢に「派遣会社最近どーよ」と聞いてみたら、「あたしはもう、各社にきっぱりと外資の金融か法務しかやりませんと宣言したから・・・・・でも、けっこう電話あるよ」と言っていた。

 ふー、やっぱり採用の仕事は荷が重い。
 でも、やんなきゃなあ〜。でも、S課長がまた色気を出してくれないかしら?
 でも、マジにS課長にしなだれかかったほうが、いい方向に向かいそうな気はする。風水的には(笑)

 なんか、私ってクジ運悪いのがそういうとこにも災いしているような気がするんだよな。

 部長がやってくれれば、もっとクジ運良さそうなんだけど・・・・・

 クジ運よかったのは、元上司のO部長だよな。だって、私が来たのだから(笑)
 そんで、あのころ、派遣社員を雇ったのだが、その人が「この人はどこに行っても重宝されただろう」ってすごい人だったし、その人がとうとう辞めるというので、「わーどうしよう」と思っていたら、ハイジを他部署から引っ張ってきたのであった。

 いや、O部長はクジ運がよかっただけではない。「彼の下だったら、がんばろうかな」って思える魅力の持ち主だったからこそ、私も続いたし、派遣社員も続いたし、ハイジもモノになったのだ。
 ああいうのはやっぱし「持って生まれたもの」だと思うので、「いいなあ」と思っても、なかなか真似ができない。

 でも、「そこそこできる人」は、ちゃんとO氏を自分の味方にとりこもうとするみたい。
 あれを持ち駒として持っていると、そうとうな強みになることを本能的にわかっているのだろう。

 話は逸れたが、K部長は、かなり「ミヤノさんのお好きなように」という姿勢だったし、私個人を評価しているかどうかはわからないが、でも「しばらくは安定して働いてくれそう」という安定感は評価してくれているらしい。
 で、性格的にはいろいろ問題があるかもしれないK部長であるが、彼は「自分のやりたいことはやる」という人であるので、そういう「オレ流」なところは好きだ。
 結果オーライな部分は、共感できるので、話が早いからストレス溜まらない。
 「じゃ、それは、そうしてくれていいから、後は任せるよ」って任された後が大変だが、彼は過程には拘らないから。    
10月27日(金)

 マスオさんと面談した。
 私は「目標が大袈裟すぎるから、もっと身近なことを目標に立てたら?」とアドバイスしたのだが、あんまり納得してくれないみたい。つーか、彼はほんとに他人のアドバイスを聞かないんだよなあ。かと言って「いえ、これでいいのです」と強気に出るわけでもないので困るなあ。

 でも、S課長は彼のそういうところは気にならないというか、けっこう気が合うみたいで、けっこう意地悪なことを言う私VS無難にフォローするS課長という図式になってしまった。

 でも、S課長は経理の仕事にかなり関心が高いようなので「ボクも引継ぎには付き合うよ」などと申し出てきたので、「お、その気があるならバリバリやってもらいましょー」
 で、夕方、S課長とまた引き継ぎの話になったので、横で「ふーん」という顔をして拝聴しているだけのマスオさんに「で、マスオさんは、ハイジの仕事で、これはぜひ引き継ぎたい、オレにやらせてくれっていうのは無いの?」って言ってみたら、「うーん、特には・・・・」って、張り合いがないのお。

 話は戻るが、面談のときに「愚痴ばっかりならべやがって・・・・」と私が指摘したんだけど、K課長も「電球交換はできるときにはやってあげるべきだと思うが、できないときにははっきり言いなさい」と無難なことを言うので「やれるときにはやる、やれないときにはやらないって曖昧な態度とるから、結局やらされるんじゃん」と思ったのだが、ぐっと我慢した。

 女性のお茶汲み問題だってそうだけど、そういう曖昧なことでは解決しないので「我が社は全面的にお茶くみ禁止」にしないとだめなのだ。
 それはいいとして、マスオさんは「でも、電話受けやインターホン受けでも、そうとう気が散るし・・・」と愚痴るので、「それこそ、電話なんて自分が忙しいときには無視すれば、他の人がとってくれるって。あんたが真っ先にとるから他の人は取れないじゃん!」と言うと「まあ、それもわかるんですが、自分は体育会系部活で仕込まれたんで、ついつい・・・・」などと言うので、「それはわかるけど、でも、忙しいときには他人がやるから、そのあたりは自分でコントロールしないと・・・」と私が言うと、K課長が「やるなら、仕事だと割り切ってやればいいけど、、だったら愚痴を言うのはよくない」ときっぱり言ってくれたので、私の言うことより、課長の言うことのほうが、マスオさんにはどうやら効果的なようで「この2人、ペアで仕事させるとマジでいいかもしれないな」と思ったのである。

 言い方が悪いが、K課長はわりと「兄貴ぶりたい性格」のようで、でも新たな部署では、それを発揮できないストレスを感じているようだから、マスオさんをあてがっておくと安定しそうな気がする。お互いわりと「愚痴体質」というか、目標値が変に高いけど、目の前の仕事は雑用が雑然って現実からは目を逸らしたいみたいな・・・・

 で、幸いなことにK課長は元々、会計ソフトの会社の営業マンだったので(うちの会社がそのソフトを顧客に売っていたので、その関係で我が社に引き抜かれた)、会計知識やシステムにもけっこう強く、なにより数字にけっこううるさい人なので、いいじゃないですか。

 ハイジが「会社辞めるつもりだ」と表明したと同時に、総務に異動してきたので、私はてっきり「部長はSさんに後を任せるのではないか?」と思ったんだけど、蓋を開けてみれば、彼の仕事は「法務関係」だったので、彼も全く畑違いの仕事にかなりパニクっていた。
 前任者のK嬢に、かなり熱く食ってかかっていたのであるが、K嬢はマイペースに「自分にわかる範囲はきちんとやる」という姿勢だったのに、S課長は「全て把握しなければ、きちんと仕事ができない」と焦るので、K嬢も最初は呑気に引き継いでいたが、S課長の勢いにけっこうウンザリしていたようであるが、嫌な顔ひとつせず「自分にわかる範囲はきちんと説明します」というマイペースを維持していて「やはりK嬢は、人間の出来が違う」と私の中での評価がさらに上がったのである。私だったら、ブッチ切れてますね。

 さーて、明日は私が部長と面談なのだが、今日の夕方のS課長と部長の面談では「例のマスオ君が抱えている元部署の仕事は、こっちでやれという話になった」と課長が報告してくれたので、「えええええ、マジっすかあ?」
 どうやら、養護学校の生徒を受け入れることになったようで、その子に単純作業は負担させるから、その仕事は残しておけ、ということらしいが、「学生バイトに単純入力は分担させても、やはり社員が横で指示しないと」っていうわけで、バイトがいるあっちの部署でしかやれないと主張しているというのに。

 養護学校の子が、どの程度、パソコンの単純入力できるのかわからないが、学生バイト並にできる子だったら、養護学校にいないでしょ?
 まあ、どの程度の戦力になるかは、来てみないとわからないのだが、「ええ?じゃあ、ハイジが抜けても、人員補充無しってこと?」とミヤノさん絶叫。
 S課長が「まあまあ、ボクも手伝うから」と言うから、「ほんとーだな」と目がマジになりました。

 リップサービスには終らせないぜ。
 私はやると言ったらやる。

 S課長にも、「まあ、明日、ミヤノさんからも話してみてくださいよ」と言われたので、人員補充の件は、私が具体的につめる余地ありというアドバイスなんだろう。
 まあ、なんとかせめて派遣社員でも、っていうところかな。
 でも、過去の経験から派遣だと長続きしないからなあ。
 でも、派遣キラーのハイジもいないし、わりと面倒見のよいS課長が来たから、今度こそ大丈夫かしら。

 でも、「派遣でOK」ということになったら、私の「左うちわ生活」は永遠にやってこない。
 でも、小難しい集計表作らなくてもいいんなら、「外向けの仕事」(請求書の発行や、入金・支払いの管理)だけだったら、なんとかなりそうだけど、「内部向けの資料作成」が一番重いから、それはやりませんよ。

 で、たぶん「志が異様に高いだけ」のマスオさんにも当分無理だと思うが、まあ、やらせてみれば、意外とできちゃうのかもしれない。彼がどういう能力を持っているのか、私にはさっぱりわからない。とりあえず、ちまちま現金出納したり、ちまちま伝票を打つのには才能が無いようだが、才能の無い分は、反復学習でなんとかなっているけど、本人がそういうのを自分勝手に「雑用」と位置付けているのが私としては面白くなかったりする。

 そうか、そうなんだな。
 半年間、マスオさんと仕事してみて、やっとわかったのは、彼のマインドが「毎日、お茶汲みとコピーとりばかり」っていうことらしいこと。でもさ、お茶汲みやコピーとりを満足にできないような人に、もっと重要な仕事やらせようって誰も思わないでしょ?って言いたい。

 イライザのことを思い出してしまったわい。彼女も「コンサルになりたい」とわけわかんないこと言っていたが、じゃあ、コンサルタントってどういう仕事すんの、って問いただしても、さっぱりわかっていなかったが、とにかく「雑用や決まりきった仕事はやだ」と思っているようだった。
 ああいうのはほんとに扱い難い。まだ「ほんとは女優になりたいんです」って言って、日銭を稼ぐために、雑用をこなしてくれたほうが現実的であるし、こっちも助かる。

 「キャッシュフローの把握がどうの」と言ったところで、キャッシュフローをきちんと出したところで借入金は減らないわけだし、せいぜい「新たな設備投資案件があるけど、これって借入するのとリースにするのって、どっちがいいかなあ?」って聞かれて「まあ、どっちでもいいんですが・・・・」って言うだけである。

 早い話が、厳密に家計簿を作ったからって、家計が向上するわけではないのだ。
 将来のファイナンシャル・プランをきちんと作っても「あ、また妊娠しちゃった」でお終いである。
 そこで「この子を産むべきか、それとも・・・」と家計簿眺めて決めるかっちゅーの。

 大企業ではどうだか知らんが、中小企業なんてそんなもんである。
 それが嫌なら、さっさと自分で起業でもしてくれ。
 それで、自分で好きなだけ経営判断してくれ。

 ああ、今日もたくさん愚痴ってしまいました。
 まあ、愚痴が止まらないときには「自分はけっこう元気だ」ってバロメータなので、いいのです。

 さて、明日は部長と対決だ。
 言いたいことは言うぜ!でも、きっと言いくるめられるだろうな(笑)
 
10月26日(木)

 昨日は会社の飲み会があったので、酔っ払って日記を書いていたので(しらふで日記書いてるときは少ないのだが・・・)途中になってしまった。

 要するに、私がよくわからないのは、小さな組織で、部長や社長も半径10メートル以内にいるような環境なのに、なんでわざわざ「自己評価シート」に愚痴を書き連ねるのかということである。
 そりゃ、私だって、いろいろ会社に対する愚痴はあるけど、そういうのはシートには書かないよ。つーか「社内にこういう不満があるようなので、それを改善するために・・・・したい」というのを目標として設定したりはするけどさあ。

 でも、日常的な問題は、上司や同僚に相談したり、「こういう問題あるんですけど、こうしたいんですが、どうでしょう?」って話せば、たいていOKだったり、てゆーか、いちおう御伺いたててるだけである。
 で、微妙な案件だと、その場では承諾されなかったりするけど、こっちもすぐ結論出してほしいと急かしているわけでもなく「こういう問題があります」と知ってもらえるだけでも違うし、相談した相手が優秀だと、パパっと他の部署の関係者に根回ししてくれて「この間の件、オッケーだからそれで進めてくれ」なんて言われて「やった〜」と互いのグッジョブを称えればいい。

 でも、ほんとに、かつてO氏が「ネガティブなことは書くな」と釘を刺した理由が今さらながらよくわかったよ。けっこうみんな放っておくと「自分も思い通りの業績を上げられていないが、でも会社もこういう問題がある」って根暗な方向に書きたがる傾向があるんだね。

 マスオさんの評価シートの「その他」の欄というか、自由に書いていいスペースには、その筆頭に「電球交換は各フロアでお願いしたい」と書いてあって、まさに噴飯モノだった。
 冗談にしても出来が悪いので、マスオさんに「これなによ〜」と笑顔で真意を問いただしたが、真意不明である。

 前にも日記に書いたと思うが、その昔、この事務所には沢山の学生バイトを使う部署がいたので、電球が切れるとその部署に「電球おねがいします」と内線すると、脚立を持ったバイトさんが来て、交換してくれたのだが、その部署が移転したときに、総務部にその依頼が来ることになったが、そんなことまでやってられないので(男性陣はそういう「バイトの仕事」をやるのを異常に嫌がるようだったし)「電球の在庫は総務で管理してますが、交換は各自でやってください」ということにした。

 私やM嬢が「電球切れたんだけど、どうすればいい?」と相談された場合には「電球は倉庫にありますので、どうぞ」と言うと「えーと、それって自分でやれってこと?」と言われたりするが「じゃあ、私にやれってこと?」と真顔で応酬すれば、たいていの人は「その通りですね」と引き下がるのだが、ハイジなどは微妙なことになるけど、ハイジにそういうお願いする人は、強面のハイジをきちんと転がせる度量があるので、彼も「他に男子もいないようだし、しょうがない」と渋々引き受けていたようである。

 ところがマスオさんが総務に配属されたので、今までハイジになんとかやらせていたり、「ハイジさんだと頼みにくい」と思っていた人たちが、いっせいにマスオさんに依頼するようになってしまった。
 最初のころ、そんなことをやらされていたのを私も知らなかったのであるが、彼が「これも総務部の仕事なんすか?」とコボしたので「ええ?交換までやってたの?交換はやらなくていいんだよ?」と言ったのだが、一度やってしまうと、後はズルズルだったみたい。

 愚痴りながらも、やってしまうマスオさんに、私とハイジで「だから断れっていってるだろ!」と説教したのだが、変なところで意固地な彼は、ちゃんと断れないようだったので、とうとう、女性でも扱いやすい軽量脚立を買ってあげましたのよ、わたくし。

 マスオさんが、査定シートに愚痴るほど電球交換でプライドを傷つけられていることはわかるが、だから自分で断ってよ〜全社にわざわざ発信しろって言いたいわけ?だったら、M嬢あたりに(私だとカドがたつから)、共通掲示板にあげてもらえば済む話である。

 まあ、セクハラみたいな話と言えなくもないが、でも、他のフロアはマスオさんに頼むこともなくやっているのだが、あるフロアだけが、「マスオさんに言えばOK」って学習しちゃったらしく、そのフロアに男子がいても、マスオさんにお願いしてくるだけなのだ。8割が女性という部署で、男性のほとんどが役職者なので、マスオさんに頼むほうがラクなんだろう。
 それだったら、もう観念して女性たちのご機嫌とるか、きっぱりと「絶対にやらない」とするか、本人の自由だし、個人の問題なんだからさ〜。

 個人の問題レベルではない案件もあるんだけど、マスオさんが前の部署から持ってきてしまった仕事があり、それは明らかにそっちの部署でやるべきだったので、つーか、その仕事は、発生当初は私がやっていたんだけど、「ぜってー、現場でやってくれないと無理」と思って、そっちの担当者と押し問答して、やっとそこの部署の派遣社員に任せることになり、当時は私も何度がそっちの事務所に通ってやっと引き継いだし、その後もその派遣社員から質問の雨あられだったのを「それは、こちらではなくて、そこの責任者と話をしてくれ」と何度も繰り返して、やっと、そこの部署の仕事として確立させたのである。

 それをまた総務に持ってきやがって〜〜〜〜〜と、かなり無理して絶叫して、マスオさんにも「早急に向こうに戻せ」と命令していたのだが、半年たってもまだやっている。
 で、電球交換と同じで、「なんで今だにオレがこの仕事・・・」と愚痴るのだが、だからなんとかしろって言ってるじゃん!
 それについては、ハイジも「だから、向こうでやらなきゃラチあかないって」と言ってるのであるが、マスオさんはちっとも行動にうつしてくれないので、そのまんまなのである。だったら、しょうがないから、ハイジが「できるだけ手伝おうか?」と申し出ても、グチグチ言ってるだけで、他人に分担させる余裕もないらしい。
 そうなると、こっちも何も手出しできないので、「自業自得」としか言いようがないが、その仕事に時間をとられるせいで、経理の仕事をなかなかきちんと引き継げないのだ。

 そのくせ査定目標には「収支の把握」や「キャッシュフローの把握」などが連なっており「おのりゃ〜、仕訳伝票も満足にできてないのに、なにをぬかす〜〜〜」と思うが、ハイジにそれを愚痴ったら「やっぱし、あいつ、変わってるでしょ?」「うーん、変なところで頑固なので、人の話聞いてないよねえ」「それに、けっこう雑だから」「ああ、それはわかっている」

 一ヶ月後には、出向になるハイジに「マスオはけっこう難しい奴だけど、ミヤノさん、がんばってね〜」と励まされたのでありました。ああ、せっかく構築した私の左うちわが〜〜〜〜

●戦後60年?

 秦郁彦の著書をボツリボツリと読んでいたのだが、とうとう「阿川弘之っていうのも読まんとな」っていう境地になりました。
 秦郁彦が、世間的には右なのかどうかわかりませんが、「朝日新聞系よりは右より」なのは確かというか、本人としては左右に左右されてないスタンスなのかもしれませんが、「朝日新聞育ち」の私としては、「ああ、梅干はアルカリ性だから、なんだか体が中和されるような気がする〜」と、思っております。(中和したら死ぬよね)

 秦氏の「自虐的歴史観叩き」はけっこう読み物としても面白い。
 でも、私の世代だと「赤」っていうのは、あんまり実感ないのですが、でも、どっちかというと「左寄り」に教育されているように思う。「ニッポン チャチャチャ」に警戒心を覚える程度には。

 「あたらしい歴史教科書」の問題も、秦氏の切り口で読んだが、あれもなんだか過去のことになったなあ。今はどうなったんだろう?
 あのころ、私が思ったのは、「いくら教科書で揉めようとも、20歳になれば、誰も教科書の内容なんて覚えてないですから〜」ということだった。小中高と、けっこう優等生で、きちんと教科書は精読した自分ですら、かなり忘れてますから。

 秦氏の世代だと、「左アレルギー」みたいのがあるようだけど、私の世代になると、さすがに高校生の頃は「日教組」っていうのがどういう組織だかわかってきたし、家でずっと使っていた「生協」というのが「アカ」っていうのもわかってきたけど、自分の横並びでは、右も左も曖昧になっていたような気がする。

 高校のときの、「日本史」の教師のことを思い出した。
 普通は「山川の日本史の教科書」を採用すべきだったが、担当教師は「あえてそれを使いませんでした」と最初に説明していた。
 後から考えれば、採択率が低かった「左寄りの教科書」を使ったのだと思う。
 でも、あの教師は、きちんと「説明責任」を果たしており、当時は「何言ってんじゃ?」と思ったけど、今だと、「ああ、ちゃんと自分の立ち位置を明確にしてたんだな」と思う。

 と、いいながら、その日本史の授業で何を教わったが、ぜーんぶ忘れましたが、要所要所で、彼が、「天皇ご一家については、いろいろな呼び方がありますが、私はあえて『天皇家』という言い方を使います」などと、きちんと説明してくれたことは覚えている。なんて言うのか、「リベラルな左」ということを意識した先生だったのかも。

 なので、内容はさっぱり忘れたが、その先生の「姿勢」にはとても好感を持ったらしく、20数年たっても覚えているようだ。授業もただ教科書をなぞるだけじゃなかったようなかすかな記憶というか、その先生の日本史の授業はけっこうちゃんと聞いていたような気がするが、でも全部忘れました〜

 でも、あの授業で学んだことは、歴史の年号とかではなく「私はこういう立ち位置で、こう考えますが、あなたたちはどう考えますか?」って、きちんと説明することの大事さだったと思う。

 秦郁彦の著書を読んでいて好感を覚えるのは、「歴史には正解はない」というスタンスだと思う。
 そうはいいつつ、秦氏の見解には「昭和天皇は知的レベルも相当な人物で、戦争責任はない」という、彼の「意見」が強く出ているが、それはそれで一つの見解なのであろう。

 結局「歴史」も曖昧というか、解釈の問題だが、今の政治問題(北朝鮮がどうのを筆頭に)でも、わけわかんないことが多いので、そのあたりは50年後にどう評価されるのか、よくわかりませーん。

 てゆーか、絶対にこれが正しいというのはありえないのである。
 科学実験だったら、そういうのもあるのかもしれないが、「歴史」にはそれはない。
 部分的な「結果」はあるけど、「日本やドイツは敗戦国である」という結果から、だから日本やドイツは間違っていた、っていう理論は成り立たない。
 歴史の謎を追う本を読んでいると、ついつい思うのは、「ああ、身近な人間同士の争いも似たようなもんだしなあ」という感想である。

 離婚騒動を「戦争」と置き換えてみると、歴史学者の難しさを実感しますよ。
 今、争っている離婚騒動ですら、「いったい、ほんとうの原因は何?」と戸惑うというのに、「30年前の戦争の要因になったのはなんだ?」って検証することは難しいよなあ。

 それはいいとして、ふと思ったのだ。
 我が家も、数少ない「外地に出征した親族」である祖父を失って早3年くらい?でるが、私、「太平洋戦争」って、ほんとにずっと昔のことってイメージだったのです。

 でも、自分が40歳になってわかったのは「20年前って、そんな大昔じゃないじゃん」ってこと。

 20年前って、私が大学生だったころで、そんな大昔のわけがないでしょう。バブル全盛期だったんですよ〜

 しかし、そう考えると、終戦の年に生まれた母が私を産んだのが1966年。戦後、20年ちょっと。
 さすがに、その頃の記憶はないが、私が物心ついたころには「戦後30年」とか言われていて、当時の自分にしてみれば30年っていうのは、悠久の時を経ているが、今の自分にとっては「へ?小学校4年生のころはどうしてたって?ええと、担任は斎藤先生っていう独身女性で、あだ名はカバゴンだったっけ」

 さすがにその当時のことは記憶が曖昧だけど、自分が20歳のときのことはけっこう覚えてますよ。
 なので、私が生まれたころ、祖父母の年代(50歳前後)の人たちの記憶はもっと鮮明だったのかも。

 でも、うちの母が「戦後の年輪」の象徴だとすると、その両親は父が亡くなり、母はボケボケで、やはり60年ともなれば、ああなるのか?

 でも、「戦後60年」で「あたしは40歳」と考えると、戦後ってそんな長くないね。
 いや、ほんとに、10代のころには「50年」なんてすごい長く感じたんだけど、40年生きてみて、そのうち35年くらいはけっこう記憶が確かだと「このくらいあっという間だ」と思いました。

 特に自分が20歳くらいだったバブルのときのことはよく覚えている。
 10歳年下くらいの人たちに「バブルって、いい時代だったんでしょ?」なんていわれるが、別に、それほどいい思いをしたことはないが・・・・

 戦中世代が、戦争体験を語り継いだように、私らバブル世代も語り継がないといけないんですかね?
 別にそれほどお話するようなこともないのですが、それは戦中世代も似たようなもんだったのか?
10月25日(水)

 そういうわけで、今日も楽しく「妖怪いろいろ」と遊んだ。座敷わらしみたいなもんかもね。

 やっと考課面談にとりかかる。(妖怪いろいろが邪魔をして押せ押せになってしまった)
 まず、ハイジと面談。主役は課長なので、私は横でチャチャ入れてるだけだった。

 昨日、いきなりハイジの進退が決定した。というよりも「このままの宙ぶらりんでは考課ができない」と決意したハイジが自分で仕切ったんだけど、結果的に「親会社に出向」ということになった。
 私としては、ハイジを失う意味では「退職」と同じようなもんだが、まあ、気分的にはちょっと違うので良しとしよう。

 それはいいとして、ハイジやマスオさんの「自己評価シート」を眺めていたら、かなりひっかかることが多かった。かなり前だが、O氏が部長のころ、「評価シートにネガティブなことをなるべく書かないように。前向きに書いてくれ」と指示したことがあった。その頃、私は他人の評価シートを見たこともなかったので、O氏がなぜわざわざそう宣言するのかわからなかったのだが、ポツポツと他人のを見るようになったら、やっと意味がわかった。

 なんだか愚痴が多いのね。
 それも、堅い文章で愚痴るので、「何を怒ってるの?」って思ってしまう。
 愚痴というか「こうしたほうがいい」という提案を装っているのだが、例えば「部署全体で明確な目標があったほうがいい」とか「○○の件では、もっと情報の共有をすべきである」って感じ。

 じゃあ、そうすりゃいいじゃん。と、思うよ。
 それが、大企業やお役所なら、どうなるのか知らんが、たかだか社員100人にも満たない会社で、けっこう好き勝手にやらせてもらっている4人とか5人の部署なんである。それに、総務や経理という仕事がら、どうしても仕事が縦割りというか、ある程度、個々で抱えることになるけど、隣の席の人がどういう仕事してて、どういうことが今問題かなんて、ミーティングしなくても大体わかるし、もしほんとに共有したければ「私も把握しておきたいから」と話し掛ければ、みんな状況をきちんと説明してくれる。

 それに、1人で抱えると、もしものときに危険だからと、重要度が高く期限がタイトな仕事に関しては、「2人で共有」ということにしていたつもりだが、クララとハイジに共有させたら、クララが辞めちゃって、じゃあ、マスオさんとってことにしたら、今度はハイジが・・・・ってことになってしまったし・・・・

 まあ、要するに「采配が悪い」ということを言いたいのかもしれないが、でも、そうきっぱりと物申しているつもりでもないらしいあたりが、私にはとてもわかりにくい。

 で、「こいつら勘違いしてるな」と思うのは、「きちんと話し合って進めていきたい」なーんて言いやがるからである。話合うのはいいけど、自分はどうしたいわけ?
 自分が迷っていることで誰かの意見を聞きたければ、いつでも聞けばいいし、それをわざわざ会議したって結論出ないだろう。多数決をとりたいの?たった4人で?
 
10月24日(火)

 職場でいろいろあったが、まあ、いろいろあるということで。
 いろいろあると、一瞬落ちるけど、でも、あまりにもいろいろありすぎて、気分が一周してしまったらしく、なんだか晴れやかになってしまった。

 結論。
 「いろいろ」っていう言葉は便利である。

 しかし、それに甘えて「いろいろあってさ〜」を連発していると、「いろいろ」が増殖し、「いろいろ」に支配されてしまうので要注意だ。って、それは結論じゃなくて妄想でしょ。妖怪いろいろ。わー、まじに怖くなってきた。(けっこう気に入っているらしい)


●姉弟の会話

 先日の弟宅訪問のときの話。

 弟のアメリカ土産の中に、塗り絵の本があった。姪っ子Nちゃんは塗り絵に夢中になるお年頃らしく、久々に訪れた私が、さっそく双子とご対面しようとしたときにも、なにやら必死にアピールするものがあって、私はそれを無視して双子に駆け寄ろうとしたら、母に「ほら、塗り絵見てあげて」とたしなめられたのであった。

 弟がアメリカで買ってきた塗り絵は、さすが「洋モノ」で、あまり可愛い絵柄ではなかったのだが、弟は「だって、ハーバード大の書店で買ったんだもん」と、言い訳にもならないことを言うが、私も「なるほど、だから、アカデミックな感じなのか」とテキトーな返事をしていた。

姉「あれ?でも、Sちゃん、サン・なんちゃらに行ってたって・・・・」

 確か、サンノゼだったと思う。「アメリカって、どこに行ってたの?」「サンノゼ」「それって、西海岸だよね?」(サンがつく町はもれなく西海岸にあると信じている姉であった)「そう、シリコンバレーだよ」「ああ、そうか」という無難な会話を交わしたのであった。

姉「ハーバードって、そんなとこにも出店してんの?」
弟「いや、元々、あそこにあるんだよ」
姉「えええ?ちがうよ〜」
弟「いや、そうだってば。だって、行ったんだから」
姉「でも、ハーバードって、もっと東海岸の方っていうか、イギリス人が最初に入植したあたりにあるじゃなかったっけ?」

 とっさのことでハーバードがあるはずの、街の名前が出てこなかったので、上記のようなわかりにくい言い回しになっている。

姉「なんかさあ、ほら、アイビーリーグとか、そっちのほう。西海岸の有名大学っていえば、UCLAとか、せいぜいカルテックじゃん、日本人が真っ先に思い浮かべるのは、ハーバードじゃないでしょ」

 なんだかはっきりしない姉の発言であるが、弟もそう言われると思い当たるフシがあったようで、「そーいや、ボストンに有名なのあったな。行ったことがあるよ、旅行したとき・・・・だって、アメリカの大学って面白いじゃん、友達もできるし、ええと、あそこはMITがあって、あと、なんだっけ?」

姉「そうそう、ボストンだよ!ボストンといえば、MITよりハーバードでしょ、普通」
弟「いや、違うよ、でも、なんだっけ?一番有名なのって?」
姉「だから、ハーバードだって。日本人的には、アメリカの東大といえば、ハーバードでしょ?ほら、イグノーベル賞もこの間、発表してたじゃん?」
弟「なにそれ?知らない。それに、ハーバードと東大は全然違うよ(以下、ハーバードと東大の違いに関する弟の主観的意見が続く・・・・」

姉「だから、そういう意味じゃなくて!日本の少女漫画やドラマでアメリカ帰りのエリートの肩書きっていう意味で・・・・」
弟「えーと、あそこは、なんだっけ?ケンブリッジ?そうそう、ケンブリッジじゃん?」
姉「それは、イギリスだってば〜〜〜〜、パブリック・スクール出ると行くの〜〜〜〜オックスフォードとケンブリッジは!」
弟「でも、アメリカにもケンブリッジって地名あるよ?」
姉「それは知ってるけど、もしかしてアメリカにもケンブリッジ大っていうのがあるかもしれんが、普通はイギリス〜〜〜〜、オックスブリッジなんだから〜〜〜」

弟「え〜?じゃあ、あんときのボストンの大学なんだったっけ?他になんか名前出る?」
姉「えーと、コロンビアはNYだし、あとはエールとか?あと、う〜ん・・・・・こういのって、ネットで調べれば一発じゃん?」
弟「パソコン、二階にあるから・・・・」

 いつもなら、パソコン立ち上げっぱなしの弟であるが、さすがに出張帰りでパソコン出すのも面倒らしい。

 姉は自宅に戻ってから、さっそくネットで「ハーバード大学」を検索してみたら、やっぱボストンじゃん!しかも、ボストン近郊のケンブリッジか!なるほど、それで弟が混同したのだな、と、やっとわかった。

 さっそく弟にウィキペディアのページのURLをメールして「ほら〜、ボストンにあるのは、ハーバードじゃん」と書いたら、翌日、弟から返事が来た。

 「ごめん、シリコンバレーにあったのは、スタンフォードでした」

 全然違うじゃん!
 つーか、そっちを混同するなら、せめて「オックスフォード」と言ってもらえれば、「それに似たアメリカの有名大学といえば・・・」と思いついたかもしれない。

 かくいう姉のほうも「ハーバード大といえば、レンガ造りの古い校舎に落ち葉っていうイメージだから、ぜってー西海岸ではないはず!」という思い込みのイメージだけで対抗していたので、弟の間違いを正せなかったのであった。弟と違って、私は行ったこと無いし。

 てゆーか、弟があまりにも自信たっぷりに「ハーバード大」と言うので、「きっと、ハーバードもシリコンバレーに分校を作ったのだろう」と、そこは疑わなかったのであった。
 以上、電車の中でこんな会話を交わしていたら、隣の人の肩が震えてしまうだろうと後で思ったので、書きとめてみました。
 単なる似た者姉弟でございました。共通項は「詰めが甘い」


 さて、明日も妖怪いろいろと、いろいろ闘ったり、いろいろなことを見て見ぬふりしたり(広義の「闘い」ともいえる。まあ、ほんとに、いろいろあるんすよ)、いろいろ忙しいので、早寝すっぞ。

 そうか、妖怪いろいろの効能とは、いろいろあることを妖怪いろいろのせいだと思うと、イライラしないのだな。
 ああ、わたしって、ほんとに幸せジョーズ。

 つーか、単に「見えないお友達」を見つけるのが上手いらしい。
10月21日(土)

 とりあえず、今日撮った写真をアップ。
 これじゃ、なんだか全然わからんだろうが、わかった人は凄いが、「凄いけど偉くはない。」(私の口癖)

 (10/22)昨日は写真を載せるだけで終ったので、今日は内容を書きます。

 前に予告していた川村記念美術館に行くことにした。土曜日にちゃんと朝起きたからである。
 11時過ぎには出発したが、途中のコンビニでチケット発券(来年のベースメントジャックス)したので、何分の電車に乗ったのか定かではない。
 我が家から佐倉までの電車経路は多種多様なのだが、結局、乗り換えが少ない「半蔵門線 押上乗換え」で行くことにした。金額も、一番安いのより100円程度高いだけ。
 朝食を食べてなかったので「着く前にお腹が空きそうだな」と思っていたのだが、ちょうど、高砂で特急の待ち合わせをすることになり、10分くらい時間があったので、駅ソバでかけそばをかっ込んだ。
 ホームの駅ソバなんて始めて入ったが、みんな同じ電車に乗るわけで、限られた時間の中で無言でソバをすすっていると「ああ、日本人に生まれてきてよかった」と思いたくなったが、あんましそう思いたくもないような・・・・・

 午後1時には京成佐倉駅に到着。無料送迎バスが1時20分だったので、「どっかでコーヒーでも・・・」と思ったが、やっぱしそんなもん無いのね。
 コンビニや居酒屋はポツポツできてはいるが、私が高校生だった頃と変わらない「なーんもない駅前」である。でも駅前の書店は健在だったので、その中で暇を潰した。

 送迎バス乗り場のお向かいに変なラーメン屋があった。

 派手な看板が怪しいが、名前も「ガンジー・ラーメン」って・・・・、しかも「元祖 世界のガンジーラーメン」って言われても・・・・

 しかも、この「のぼり」の文字も電波系に歪んでおり、最初は宇宙に向けて発信したメッセージにしか見えなかったのだが、よくよく目を凝らしてみると(バスがなかなか来なかったので、これしか見るものがなかった)「ミトコンドリアXラーメン」って書いてあった。
 なぜ、ラーメンにミトコンドリア?

 すごーく食べてみたくなったが、残念ながらさっき駅ソバをかっ込んだばかりだし、時間もない。帰りに寄るか?でも、帰りは弟宅に寄るので、京成じゃなくてJRから帰る予定だし、ママンに「あたしの分も夕飯用意しておいて」と電話してしまったし・・・・・

 というわけで、泣く泣くあきらめました。後でネットで検索してみたら、ラーメンは普通のようですが、ネーミングがどれも「ありえね〜」なお店らしい。

 次回はぜひ食してみたいが、次回はあるのか?
 そもそも、この駅を降りたのが10年ぶりくらいだぞ?

 あと、「うちの高校の後輩はどんな様子なんだろう?」と観察したかったのですが、母校の生徒はみかけなかった。電車に乗って帰ってきた高校生がたくさんいたが、その中でも「このスカート丈はいまどき珍しい」という「全員、ダサダサの膝丈スカート」な制服の学校があり、どこだか気になってバックの文字を確認したら、八千代松蔭でした。

 さすが、私が高校生になる直前に出来た新設校で、最初のころは「スポーツ名門校」として脚光を浴びたが、設立当初から地道にやっていた「特待生制度」を生かして、ここ10年くらいは「進学校」としての地位も固めているとか。あのスカート丈を見ると、あの学校の「宣伝」の上手さ、というか「経営戦略」に長けているなあ、と感心しちゃいます。

 さて、やっとバスが来て、乗り込むと、バスはまずJR佐倉駅を目指すのですが、JRと京成の間が「昔の城下町の中心地」なので、あのあたりは本当に道路が狭いし、あいかわらず寂れた風情である。

 中心地を抜けて、大きな道路に出たら、そこに郊外大型店がひしめいていた。ほんと、この辺は車社会だよなあ。だから駅前の一等地はガランとしているのである。京成でひとつ手前の「うすい」は、駅中心のサラリーマン家庭向け住宅地開発をしたのであるが、佐倉は昔の町並みのせいで、そういう開発がしにくかったんだろうな。

 JR佐倉駅で、けっこうお客さんが乗ってきて、そこからバスでさらに20分。
 街道沿いには立派な農家の家が並び、あっという間に田園風景。
 野焼きの煙が漂う中、やっと到着した。
 川村記念美術館は大日本インキが作った美術館で、今も「研究所」はそこにあるようだ。広大な敷地であるが、あのあたりにはゴルフ場もありそうだし、なにをもって「広大」とすればいいのかわからない。

 入り口に「ハウルの動く城」みたいのが、デーンと置いてあった。

 美術館自体は、それほど大きくもなく、逆に一周して疲れない程度。
 ジャコメッティ展も、それほどボリュームなかったけど、彫像とデッサンや絵画がバランスよく配置され、企画展としてはなかなかであった。ジャコメッティといえば、美術の教科書に載っているような「ガリガリ&ドロドロの人物像」という印象があるが、この展覧会では、もっと別の側面というか、多角的にいろいろ並べていたので、ジャコメッティが目指したものが浮かび上がるようになっていた。

 ロスコの部屋もありました。
 思ってたよりも狭かった。
 雰囲気的には、オランジェリー美術館の「モネの睡蓮の部屋」みたいな感じであるが、睡蓮の部屋が「一生ここにいてもいいかも」と思う癒し系なのに対して(昔はあの部屋でバク睡する観光客が多かったが、数年度に訪れていたら椅子が寝にくいのに変わっていたので、「わかっとらん」と嘆いた。寝てる観光客も美術の一端を担っていたのにぃ。温泉施設みたいな寝椅子置いてもいいくらいだ)、ロスコの部屋は妙に落ち着かない。

 監視員の女性が片すみにじっと座っていたが、あれって辛いだろうなあ。
 だって、巨大な絵が、どれも「巨大な残像」なんだもん。見る角度によって、見える色が違うし、距離によっても違うから、すごーく不安になる。
 たしかに、うちのママンの言うとおり「あれをレストランに飾れないわよねえ?」である。
 客の回転は速くなるかもしれないが(笑)

 なにしろデカイし、色合いは落ち着いているので、一見「すごく満ち足りた絵」に見えるのだが、なんだか見てるうちに魂吸い取られそうでね。

 さて、企画展の部屋が終ると、常設展示があったが、日本画の屏風が並ぶ次には、レンブラントの絵がポツネンと飾ってあったりして、「成金がなりふり構わず収集した系」の醍醐味である。

 最後の通路に「創設者」の写真が並んでいた。大日本インキの歴代社長さん。
 コレクションを増やしたのは、二代目のようだ。
 あれ?でも、三代目と二代目の亡くなった年度が同じ?

 今の社長は「川村さん」ではないようだ。

 ふーん?創業者一族が絶えたあと、残された「会社の金でこんなん集めやがって〜」の処理に困って作ったハコなのかね?そのあたりの「税法上」のあたりの話のほうが、美術品より面白そうである。

 美術館は有料だが、庭だけだと無料なので、近所の家族連れのピクニックに最適のようで、子供連れがお弁当広げてました。「アート広場」っていう、野球場くらいの広さの広場があったが、中央に巨大な彫像が一つだけ立っているだけで「どこがアートじゃあ」と叫びたくなりましたが、どうせなら、庭の広大な敷地も「彫刻美術館」にしちゃえばいいのに。
 でも、野球場やテニス場があるので、けっこう近隣住民には利用されているようでした。

 まあ、なかなかいい美術館でありましたが、でも遠いからねえ?

 帰りはJR佐倉駅から。
 その昔、だから私が高校生のときには、ほんとに何もなかったJR佐倉駅周辺であるが、なぜか今は高層マンションに囲まれている?

 20年前から何も変わってない京成佐倉駅と比べると、「前はどうだったのか全然思い出せない」ほど、変わっているようですが、こっちは宅地開発が盛んなようです。昔はJR成田線は本数が少なかったのですが、今は本数も増えて、立派な「ベッドタウン」になってるみたいですね。
 でも、駅前の風景はこんなもん。立派に整備されたロータリーだけってかんじ。



 「リッチタイム」って名称なので、ラブホにしか見えないんですが、一応、ビジネスホテルらしいのが、駅前にドーンと建ってましたが、誰が泊まるのか?ゴルフ前泊?


 ちなみに、「もしかして、反対側は栄えているのかもしれない」と思って、行ってみましたが、似たようなもんでした。ああ、佐倉よ、どこへ行く?



 駅の反対側のホームのど真ん中で、ウンコ座りしてタバコをふかす、レディース系の格好した女子が二名いました。
 ヤンキーって首都圏では絶滅したのかと思ったけど、やはり、こういうところにはいるんですねえ。
 いったい、どこに住んでるんだろう?あそこから下るということは、八街とか、茂原とか?

 さらに、千葉行きに乗ると、イマドキ珍しい、「ずっと携帯で喋ってる女子高生(私服だったけど、そのくらいの年齢だった)」が隣に座っていた。「こっちに出るの久しぶりなの」と喋っていたから、やはりきっと外房の方から週末だから出てきたらしいが、それにしても、いまどき、車内でずっとケータイで喋ってる女子高生なんていないぞ?

 しかも、その子は、もう一台携帯を持っており、そっちでメールをチェックしながら長電話していた。

 さて、千葉で乗り換えて総武線で東船橋。
 こういうルートをとることも珍しい。ちょっとした旅行気分であった。

 弟宅に着くと、すぐに弟も帰ってきた。アメリカ出張帰りらしい。
 愛娘にたくさんお土産を買ってきていた。
 わーい、セサミの人形だあ、パペットマペットみたいなやつ。(なんて言うんだ?指人形じゃなくて腕人形?)
 姪っ子Nちゃんがあまり興味を示さないので「じゃあ、ノンちゃんが貰っちゃうぞお?わーい、クッキーモンスターだあ、クッキー、クッキー!こっちはエルモーだあ!あとは、アーニーだあ!あれ?Sちゃん(弟)、バートは?」
 「はあ?」
 「アーニーの連れのバートがいないよ?」
 「それしかいなかったよ。てゆーか、3個で○ドルだったんだ」

 「ええええ?バートのほうが人気で売り切れてたのかなあ?」
 「さあ?」

 まあいんですけど、その後、Nちゃんに「はーい、あいむ、くっきーもんすたー、あい わな くっき〜〜〜〜」と、人形で絡んできたら、けっこうノってくれたので、3つの人形を駆使して、ごっこ遊びしてたら、う・・・・手が痛い。腱鞘炎になりそうだった。

 双子の赤ちゃんとは初対面だったのだが、そっちをじっくり観察する暇もなく、「しゃべりたい盛り」の3歳のNちゃんに手がかかる。
 ご飯を食べるときに、母が私にビールを出してくれたのだが(他は全員ゲコ)、Nちゃんが興味を示すので「ビールはね、泡がうまいんだよ」と解説したら、けっこう興味シンシンだったので「で、泡とこの茶色のところを混ぜて飲むとおいしいんだ」と説明したのだが、だんだん泡が消えてしまい、「泡がなくなった〜」と騒ぐので、「泡はねえ、あ、Nちゃんの頭の後ろにいる!」と言ったら、キャーキャー大喜びはいいんだが、弟のアメリカ出張話も聞きたかったのに、Nちゃんが「泡はどこにいるの?」「Nちゃんの頭の後ろ!」「あ、ママのお鼻の上!」「あ、パパのおでこ!」というサイクルを5回くらい繰り返しても飽きてくれないので、ずっとやっていた。

 双子ちゃんとゆっくり対面できたのは、Nちゃんがお風呂に入っている最中だった。



 「見分けつくようになった?」とお嫁さんのMさんに聞くと「耳の形が少し違うの」って言うので、観察してみたけど違いがわからなかったが「ええと、右耳だったかな?」って、難しいんだな、やっぱり。

 今はまだ、体重差があるので、取り違えようんがないらしい。
 まだ生後1ヶ月だし、早産だったから、やっと出産予定日の一週間後なわけで、鳴き声も猫の子のようにミーミーと小さいが「でも、夜中はけっこう派手に泣く」とのこと。

 最初のころは、授乳を求める鳴き声もバラケていたのだが、「最近は、生存競争に目覚めたらしく・・・・・」片方がおっぱいもらっていると、もう片方もミーミー泣き出すようで、「ほんと、今は2人で世話してるからなんとかなってるけど、お母さんがいつまでいてくださるか」と言うから、「つーか、私が心配してんのは、お役御免になったら、お母さん、がっくし老け込むと思うから・・・・」

 「でも、6キロも痩せちゃったらしいし」

 孫の世話はハードだし、たしかに昼寝する暇もないから痩せるだろう。
 「それは、いいダイエットというか、いままであれこれやっても、ちっとも痩せなかったのに(笑)」

 でも、Mさんが「お母さんがいなくては、どうにもならない」と本気で思ってくれてるようなので、よかったねえ。

 で、なんの役にも立たない私は(役に立とうという気もないが)、双子ちゃんの片方が、ミーミー泣いていても、「ああ、猫みたい」と思っているだけで、ぼんやり観察していたら、母が来て「ほら、泣いてるから、だっこしなくちゃ、私ったら、もう抱き係りなの」と言うので、「じゃ、あたしがだっこする」で、10分でくたびれてしまった。

 口数少ないMさんであるが「あのパワフルなNを構ってあげる時間もなくて」とこぼすが、どうやらNちゃん、幼稚園から帰ってもお昼寝もしないで、毎日あの調子らしい。私が来る前は、シンセの自動演奏にあわせて、1時間もずっと踊っていたらしいし。

 どこの血筋かわからんが、その「周りの様子を考えない」というマイペースぶりは、私にも心当たりがあるし、まあ、女の子はみんなそうなんだろうけど「ここが、Nのおうち」と椅子の下を勝手に「我が家」として、そこを中心にままごと遊びはじめるので、そういうのに付き合うのは私は得意だから、また折をみて遊びに行こうっと。


10月19日(木)

 うーん、やっぱし季節の変り目症候群なのかなあ?

 やっぱ、少々おかしいようである。暗くなると、微熱っぽくなってきたり、軽い眩暈が起きたりするのだが、やっぱ、更年期?

 でも、帰りの電車で本を読める程度であるから、たいしたことではない。
 でも、その本の感想を日記に書くほどの集中力はないようだ。

 なので、今もボンヤリと洗濯していますが(洗濯しているのは洗濯機であるが)、自分の部屋だからといって油断していると、相当ちらかっているので危険である。


 というわけで、あんまし日記書けないのだが(友人からのメールの返事もろくに書けない状態)「今日の職場でのぷち・ミステリー」

 部長がタバコを吸ったあと、灰皿を片付けようとしたら、フィルターのところに、なにやら濃いピンク色の染みが!
 もちろん、部長は私より年上の男子であり、口紅のわけがない。
 「で、でも、口紅がついてしまうようなことがあったのでは!」「実は、色つきリップクリームを愛用しているとか?」と想像が膨らむ。

 「たぶん、唇からの出血だろう。乾燥してるから、たしかにけっこうガサガサになる」
 と、やっと冷静になり、目を近づけて観察してみたら、どうも、筆記具のインクの染みっぽかったけど、どうして吸い口に?
 指についたインクが移ったというのが妥当であるが、でも、女性の吸殻で口紅がつくあたりって、あんまし手で触れないんだけどなあ。

 洗濯も終って、さあ、干してから、今日も早寝だ。  
10月18日(水)

 嗅覚が回復したようである。祝杯。(だめじゃん)

 でも、やっぱ本調子じゃないみたいで、今日も早寝しよう。昨日も早く寝たのだが、夜中に変な夢観たみたいで、何度も目が覚めてしまい、ぐっすり寝られなかった。アルコール抜いてたから?
10月17日(火)

 なんか調子悪くて、昨日は早寝した。
 調子悪いから嗅覚が乱れているのか、調子悪いから自分が悪臭を放っているとか(ガンを検知する犬とかいたよな)、そんなことを無意識に考えていたので調子が悪くなったのか、よくわかりまへん。

 調子悪いといっても、それほどのもんでもなく「風邪のひきはじめかしら?」って程度だったんだけど、でも明らかに風邪とは違うので、「もしかして、更年期障害か?」なんて思ってしまい、フテ寝してしまいました。でも、そんなに早く寝られるほど調子悪いわけでもなかったので、月9の「のだめ」は観てみた。

 原作読んでないので、わりと楽しめた。
 玉木くんは少女漫画の王子様にハマるね。昔、テレ朝が少女漫画原作ドラマを得意としたときには、柏原君が王子様役だと、けっこう納得して観られたもん。

 「のだめ」観終わった後、テレビを消して寝ようかと思ったんだが、でもまだなんとなく眠れそうもなかったので、スマスマじゃあ騒がしいしと思って、NHKに変えたら、田舎の風景がのんびり流れていて「これがいいや」と夜伽を任せたのであるが・・・・・・

 途中から観たので正確にはわからないが、どうやら双子で筋ジストロフィーで絵が上手い兄弟のドキュメンタリーで、「うう、体調わりー、更年期かしら」なんてボヤいている自分が恥かしくなって、おかげで全然寝られなくなってしまいました。

 とういわけで、ダラダラと過ごしておりますが(ちゃんと仕事はしてますってば)、この間、電車内の広告で「これはちょっと観てみたいかも」っていう展覧会があった。
 ジャコメッティー展。
 ジャコメッティーが超好きなわけでもないが、あんまりまとめて観たことないし、全部がジャコメッティーっていうのはどういう風になるんだろう、ちょっと観てみたい、と思ったのである。

 「どれどれ、どこでやっているんだ?」と近視だから、その広告に目を凝らしてみると「川村記念美術館?知らんなあ」
 ・・・・・・約5秒後・・・・・「あ、あそこか、もしや?」

 千葉県は佐倉の方にあるらしいのである。
 私は佐倉の高校(ってゆーか佐倉高校)に通っていたが、その当時はそんなもんなかったし、出来たのは確か、私が千葉の実家を出てからだったような。
 新しモノ好きの母が行ったという話をずいぶん前に聞いたような気がする。

 現代美術のデカい絵が「有名なコレクション」だという話だったそうだが(東京都現代美術館で言うところのリキテンスタインみたいなもん?)、実際に見てみるとそれは「なんかシンキくさい色した巨大な壁紙」のような同じような絵が、巨大な部屋の壁を飾っていただけだったらしい。
 それ系の知識は一応あったので、だいたい想像がついたが、母曰く「その絵は元々、その有名な画家にあるお店が開店するときに注文したらしいのよ。でも、キャンセルになって、そこが買ったらしいんだけど・・・・・」

 詳しい話は忘れたが、たしか一流レストランが発注したと思うんだけど、なんでそこがキャンセルしたんだっけ?最初に飾ってみたが、後で架け替えたとか、大きさが合わなかったとか?

 まあとにかく「げんじゃい美術」にあまり理解を示さない母の言ったとこであるから、展示の説明を彼女なりに解釈したのであろうけど、母はこう言ったのである。
 「そりゃ、あんな絵、キャンセルされるわよねえ?で、それをありがたがって、あんなに自慢ゲに飾ってるって、なんか騙されてるんじゃないの?バっかみたい」

 母の目には裸の王様にしか見えなかったようだ。

 というわけで、そのうち観てみたいと思っていた、ロスコの壁画であるが、でも千葉に住んでいるならまだしも、ってゆーか、京成線沿線に住んでいたとしても、「佐倉からバスで30分」っていうのはキツいなあ。なまじっか、あの周辺が「なーんにもない」のを知ってるだけに・・・・

 つーか、佐倉から車で30分って、いったいどこに連れていかれるのだろう?印旛沼の底?(方向が逆です)

 千葉県民ですら、そこがどこだかよくわらかないような、いかにもスイカ畑しかなさそうな場所に、「世界有数のロスコ・ルーム」を筆頭に、レンブラントやピカソまで並んでいるらしい。平日は、近隣の学校の遠足で賑わってそうである。(無難な郊外学習施設)

 というわけで、未踏の地なのだが、果たしてこの出不精極まる自分が、ジャコメッティ目当てであそこまでたどり着けるものなのか、自分で自分を注目しているのであった。


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