可燃物な日々

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 日本酒8合飲んだ勢いで、新しい掲示板を作りました
9月30日(土)

 昨日は、友人が大勢集まり、賑やかな通夜であったし、故人の両親も「ほんとに、こんなに集まってくださって」と感激していたので、今日の告別式にも参列することにした。

 昨日、来れなかった人も今日は大勢来ていた。

 友人代表数名が弔辞を読んだが・・・・なんて言うのか、悲痛というか・・・・

 こういう形で亡くなったわけだし、身近な人たちはほんとに納得できないだろう。
 通夜の席で、両親とも話したが「ほんとに信じられないし、受け入れられないし、納得できなくて、このまま明日、見送ることはできない、と思っていた」そうだが、両親もびっくりするくらい友人が集まったので「こんなに友人が多い子だったのか」と自分の知らない息子の姿を初めて見た思いだったのだろう。

 でも「だったら、なぜ?」と思うよなあ。

 通夜の席で、友人たちと話しをしていたが、やっぱしみんな、クラブにも出かけなくなったし、昔みたいに「約束してなくても、毎週のように会う」ってことは無いし、たまにメールや電話でコンタクトとってたくらいだったようだが、なぜか数人が「でも、変なところで偶然会うんだよね」と言い出した。

 ある人は「去年、みなとみらいのシネコンに行ったら、偶然そこにいてさあ」と言っていた。故人は世田谷在住なのに、なぜに?
 また、ある人は、「なんかの展覧会みたいので会ったんだよね。でも、なんだったっけ?」と思い出そうとしても思い出せなかった。

 そういや、私も彼と偶然会ったことがある。
 それも、ベルリンで!(笑)

 あれも、もう10年前か・・・・
 あの頃も、特別親しいというわけでもなかったので、なんとなく彼がTOBYさんがラブパレ中にやるイベントでDJするらしい、と他から聞いていた程度だった。
 私もラブパレードには行くつもりでいたが、その前のグラストンの方がメインだったので、確実に行くかもわからなかったので、「向こうで会えるかもね」なんて話はしてなかったと思う。

 彼が参加するイベントも、情報誌のクラブ・スケジュールを見たらすぐわかったので、行こうかな、と思っていたが、同行する友人が他のイベントに行きたがったので「ま、いっか」とそっちには行かなかったのであるが、翌日のパレード本番を見てから、夜のイベントに行ったら、偶然会ってしまった。

 あの頃、彼は27歳。憧れのラブパレ開催中のベルリンでプレイできて、ほんとに嬉しそうだった。
 そんで「明日のトレゾアのスベンに一緒に行かない?」と誘われて、って言っても不慣れなベルリンで待ち合わせ場所もわからなかったから、「ZOO駅前のマック」で待ち合わせしたのだった。

 なんか、すげー楽しかったよ。
 外国の街で、友人とマックで待ち合わせてクラブに行くなんて・・・・・ここはどこ?って感じが最高に愉快だった。

 そんなこともあって、向こうも私に親近感を持ってくれたのか、しばらく後に、彼が働く会社で経理事務をやる人材が欲しいということで、一緒に仕事したのだが、そこが、どーしよーもないベンチャー企業で、数ヶ月でブチ切れて辞めることになったのだが、そのときに彼にも「この会社で働いてても未来はないよ」と言って、辞めることを促したのだった。だって、給料もまともに払えないんだもん。

 彼はIT系のスキルをそこそこ持っていたので、その気になれば、もっと稼げると思っていたから・・・

 彼の仕事能力がどの程度だったかよくわからないが、その後も「インターネットでのドラマ配信」なんかに関わっていたようで、そこそこ活躍していたようだ。

 でも、自分が短い間だけど一緒に仕事した印象では「人に好かれる性格なのは間違いないが、世渡りが下手だなあ」だった。
 子供がそのまま大人になったような人で、思ったことを全部口に出しちゃうから、悪く言えば「短気」、よく言えば「裏表がない」

 そういや、男には妙に人気があったな。
 一緒に仕事していた会社は、事務所もなかったので、そこの社長が役員をしていた大手ITベンチャー企業に居候状態だった。
 その大手も、いい加減なところだったが、そこの職員も、私がその役員の下で仕事しているのを不思議に思ったらしく「なんで、ここに入ったの?」と良くきかれて「私、P君の友だちなんで、その縁で」と言うと、「え?あなたと彼が友だち?????」と、みんなに驚かれた。

 まあ、よくあることだが、私の外見から「クラブ遊びしているように思えない」らしい。
 彼がDJをやっているのはみんな知っているので「え?ミヤノさんもそういうとこ行くの?」と不思議がられた。

 それはいいとして、そういう話の流れの中で、なぜか必ずしみじみと、「オレ、奴のことは本当に好きだなあ」って言われたのである。記憶を洗いなおしてみれば、少なくとも三人に真剣にそう言われた。私が彼の友人であることを割り引きしても、他でそんな会話した記憶もあまり無いし、そこの会社の中堅だった、私と同じ年くらいの男性陣にほんとに評判よかったようだ。
 みんなにとって、愛すべきやんちゃな弟分だったのだろう。

 彼と最後に会ったのがいつだったのか、全く思い出せない。
 私も夜遊びしなくなったけど、それでもポツポツと「超大物DJの来日」なんかには顔を出していたのだが、彼はそういうのには来なかったし。
 少なくとも3年は会ってないなあ。
 でも、2年ほど前、とある用事でメールしたことがあり、そんときにはきちんと対応してもらったので、「元気でやってるんだな」と思っていた。

 そんときの礼もしたかったのだが「そのうち会うだろう。そしたら焼肉でも奢るか」と漠然と思っていたのだが、そんな機会もなく、いきなりご遺体と対面であった。
 徒歩20分くらいの距離に住んでいたのにね。

 友人が亡くなるのも、久しぶりだな。
 でも、前に亡くなった友人たちは、交通事故だったし、明らかに本人の過失だったりしたので(どちらも対向車線に飛び出して、衝突事故だった)「も〜〜〜〜、バカ〜〜〜!」と天を仰いだが・・・・

 まあ、彼の場合も事故みたいなものなんだろう。

 でもね。参列者の多くが、30代前半から40代にさしかかるあたりで、みんなもう「あんまし遊んでない」と言うし、通夜の席でも「最近、NHKばっかり観てる」とか「親が体調悪くてさあ」なんて話になって「うちらも年とったよねえ(笑)」だったのだが、ほんとに10年前は、みんな体力の限界に挑戦しており「朝までクラブにいて、そのまま出勤したりしたよね?」「クラブが終った後も、ファミレスで溜まっていたり、気友だちんちで溜まっていて、そのまま夕方になっていたり」「そのまま買い物に行ったりしたなあ」

 そんな「一番楽しかったころ」を故人と共有したわけで、そんな仲間をこういう形で見送るのは本当に辛かったです。
 あんなに友人が集まるパーティーは、もう二度とないだろう。
 いい葬儀だった。
 ほんと、いいパーティーだったよ、ありがとう。
9月29日(金)

 喪服を会社に持っていくのが面倒だったので、「お通夜だし、友人のだし、黒っぽい服を着てけばいいや」と思って、黒づくめに派手なスカーフをあしらって誤魔化していたのだが、やはり「葬式に行くみたいな、格好だね」と言われてしまい「だって、葬式に行くんだも〜ん」と開き直っていた。

 会社の同僚の失敗談も聞いてしまった。
 祖父の法事に行くことになり、「平服で」と言われたので、思いっきり「普段着」で行ってしまったそうだ。
 行ってみたら、当然のことながら、Tシャツにジーンズ姿の人なんか他にはいなくて、「しまった」と思ったそうだが、その服装で目立ってしまい、お坊さんが読経後にする講話みたいなときも、「オレの目を見て話してた・・・・完全にマークされてたよ」

 たしかに「平服で」って解釈が難しいよね。
 普通は礼服ではないという意味だろうけど、スーツ着ていったら、他のみんなはカジュアルだった、なんて逸話もよく聞くし。

 話が逸れたが、会社では「今日は葬式に行くんで早めに出ます」なんて宣言して「ご親戚の?」なんて言われたら、「友だちの〜」って言うと、なぜか洩れなく「女の子ですか?」と言われるので「いや、36歳の男子」と言うと、不思議そうな顔をされた。

 あたしって、男子の友人少なそうですか?

 そんな感じで、会社では平気でしゃべっていたが、いざ会社を5時に出て、電車に乗ると、「なんか、行きたくないなあ」
 それで渋っていたわけでもないが、斎場のある駅についたのが、6時20分くらいで、通夜は6時からだったから、徒歩15分くらいかかるらしいから、タクシーに乗って行こうと思ったら、タクシーが全然いない。
 しょーがないから、駅から歩き出しても、わかりにく地図だったし、途中の交番で道を確認すると「ああ、ここを真っ直ぐ行くと、高速道路があって、その下を曲がるんですけど、けっこうありますよ?500メートルくらい?」

 遠いことはわかっていたが、途中でタクシー拾おうと思っていたのだが、全然見当たらなかったので、結局、徒歩でついたのが6時45分であった。

 「わー、着いちゃった」と動揺しながら、受付けを済ませると、「香典返し引換券」と共に、故人が主催していたクラブ・イベントのフライヤーを渡された。
 「・・・・?」と戸惑っていると、「これをお供えしてください」とのこと。

 どうやら、無宗教な葬儀らしく、だったら普通、献花でもするのだろうけど、花じゃなくて、チラシ?

 と思って、中に進むと、まだ行列ができていて、祭壇ではなく、中央にご遺体があって、右側が親族、左側には「友人代表」がずらりと座っている。

 こういう無宗教な葬儀は初めてだったので戸惑うが、とりあえず、ご遺体の側に寄ると、自分の前に並んでいたのも旧友のY夫妻であったことに気がつき、そんな場所で「Cちゃ〜〜〜ん、ひさしぶり」と小さく手を振ってしまった。

 予想はしていたが、ほんとに旧友・知人が大集合していた。
 クラブ仲間なので、Tシャツ姿しか観たことない人たちが、喪服に身を包んで、神妙な面持ちでいるのが不気味っていうか、なんだか笑いそうになる。

 最初はみんな、緊張していたが、御清めのお食事をいただき、お酒が回ってくると、なんだか居酒屋みたいというか、クラブ帰りのファミレスというか、思い出話に花が咲いた。
 やはり、みんなクラブ遊びからは遠ざかったいるようで、DJしてる友人も「この間、久々に回したら、やってる途中に眠くなってきて、もうダメだと思った」などと言ってるくらい。

 故人は36歳だったが、私が一番遊んでいた頃、自分は30歳で、けっこう「おねーさん」だったが、その当時、19歳や20歳だった若者たちに「あんた、いくつになった?」と聞きまわったら、みんな30歳になっていた。

 なんか、がっかりするなあ(笑)  
9月28日(木)

 久々にKさんネタ。

 現金伝票を会計ソフトに入力するのは教えたのだが、覗いてみると、全然入力してなかったので「まあ、急ぐわけでもないし、しばらく放っておこう」と思っていた。
 今日は、Kさんの会社も担当している税理士事務所の担当者が、こっちの事務所にも来たので、「あちらの決算は・・・」と話を振ってみた。

 決算修正の伝票を私が入力するものと思っていたが、Kさんがまた変なこと言い出したのでは?と、ふと思ったので、探りを入れてみたのである。

 そしたら、向こうは「データをメールでお送りするとは言ったのですが・・・・」と言うので「じゃあ、Kさんがやるんですね?」と言ったら、ちょっと渋い顔をしたので、こっちから先に「でも、彼女にできるかなあ?」と言ったら・・・・

 「実は、今やっている現金出納の管理も、エクセルで作ってるそうなんですが、なかなか伝票を打つ時間が無いとのことで、ミヤノさんもお忙しいみたいだし、だったら、こちらでやりましょうか、という話になっているんですが・・・」

 カチーんときました。
 向こうにも説明したけど(なるべく穏やかに)、
「元々、会計ソフトの入力は私がやることになっている」
「なので、現金出納に関してはKさんがエクセルに入力したものを私が会計ソフトに入れなおしていた」
「でも、彼女が会計ソフトへの入力も覚えたい、自分でできるだけやりたい、と言うので、やり方を教えた」
 と説明した。

 会計事務所側もそれを聞いて、ホっとしたようで、「そうですよねえ?」

 私も大人だから「Kさん、なんかこっちにすごく遠慮しているようで・・・・」と言っておいたが、でもなあ、会計事務所に頼むにしても、先に私に相談してくれてもいいのによ〜 
 だいたい、「忙しいからミヤノさんに悪い」と思っているのは本当だとしても、それを決めるのは私じゃん?

 マンションの共有部分の掃除当番の話じゃないんだからさあ。
 いや、それだって、こっちが「やります」って言ってんのに、「お忙しそうだから」って勝手に当番を他の人に頼んだら、「なんなのいったい?」って怒りますよ。

 たしかに、そっちの会社の給与事務に関しては、本来それを代行すべき親会社が「ぜったいヤダ」とケツを捲くったため、Kさんが全部やることになり、これから年末調整まで大変だと思う。事務経験ない人が、いきなりやらされたら、最初は相当の負担感があるだろう。

 でも、それだって慣れてしまえば、どーってことない仕事だから、「せめて給与事務に慣れるまで、会計処理は後回しにして、私に任せてください」って何度もきちんと話したんだけどなあ。
 でも、本人が「教えてもられば、できるはず」と譲らないので、渋々教えて、まあ現金出納なら、エクセルで打つのと同じだろうから、と思ったんだけど・・・・それなのに、なんで会計事務所に弱音を吐くのか理解不能。

 会計事務所にも何度も「会計伝票は私がやりますから」と説明していたから、向こうもKさんにそう言われて「あれれ?ミヤノさんが外れたのかな?」と思ったようだ。
 そんで「ミヤノさんも忙しいだろうし」って会計事務所の人が言うので「そりゃ、暇ではないけど、今んとこ、あそこの会社の伝票の1ヶ月分って、こっちの会社の1日分くらいしかないので、そのくらいの時間はありますよ」と言ったら、向こうもよくわかっているので「そうですよねえ?」


 あわわ、会社のどーでもいい愚痴を書いていたら、友人の訃報が届く。
 びっくり。
 36歳だって?

 ここんとこ交流がなかったが、去年くらいに、とある件で、きちんと誠意のある対応をしてくれたので、そのうち、会ったら、きちんと「君の対応で、私はかなり救われたよ」って、半分笑い話ではあるのだが、きっとそう伝えようと思ってたのに、そういう機会もないままに、訃報を聞かされるとは・・・・

 明日のお通夜には行こうと思っているが、きっと「久々に会う知人大集合」なんだろうなあ。
 葬式ってそういうもんだけど・・・・さ。

 ショックのあまり、久々に思考停止状態。
9月27日(水)

 会社で朝一番にメールを開けると、某プロジェクトの責任者から昨日の夜にメールが発信されていた。
 そのプロジェクトは、半年くらい前に実行されていたはずで、その時にもマスオさんがメンバーになっていたので、私にもスケジュールや配置のメールがCCで来ていた。マスオさんの上司だから、ってことなのだろう。

 そのプロジェクトが諸般の事情で延期になり、来年やっと実施が決まったということは知っていたので、ぼんやりメールを読んでいたのだが、なぜかふと、気がついた。「私んとこ、CCになってない?」

 おそるおそる、添付ファイルになっていた配置表を開いてみたら・・・・・

 ぎょえええええ、私までメンバーに入っている!

 てゆーか、前は総務部ではマスオさんだけだったのに、今度はほぼ全員?

 ぎょえええええええ!

 だってさ、その仕事、何回か九州に出張なんだよ?
 私を含め、総務部の社員は出張なんかしたことないってゆーのに・・・・

 さっそく私が担当する支店を確認したが、「これ、なんて読むんだ?」
 どこにあるのかもわからないが、なんて読むのかさえわからない。
 まだロンドンの地名のほうが、わかったであろう。
 つーか、ヨルダンとかに出張に行くくらい心細いぞ。

 ほどなく同僚M嬢が出勤してきたので「昨日のメール見た?」と聞いたら「なんのこと?」って顔をするので、「Dプロジェクトのことだよ、私もMちゃんも担当が割り振られてるよ!」「え?あれって、九州でしょ?うちらに九州に行けってこと?ええええええ?」

 さっそくM嬢もメールを開いてみて「私は、鹿児島かあ・・・・」
 「私なんて、読み方もわかんねーよ(笑)」
 「ああ、それ、たしか、○○○って読むんだっけ?」
 「Sさんの担当になるところも、何県だかわかんないなあ。カワウチ?」
 「ああ、それ、川内って書くけど、センダイって読むんだよ」
 「へえ〜〜〜」

 私も自分の担当先の場所を調べてみたら、福岡国際空港からけっこう近いところだった。
 でも、どんな場所なのか、さっぱり見当がつかない。たぶん、東京で言えば、町田みたいなところなのかもしれない。

 そんなことで盛り上がっているうちに、うちの部長が出勤してきたので「総務部総動員なんですね〜、おどろきました」と言ったら、「ふふふ」と笑っていた。
 その後、他部署の女子社員とロビーで会ったら、向こうもメンバーに入っていたので「ミヤノさ〜ん、びっくりしましたよねえ?」と興奮気味だった。彼女も出張とは縁の無い部署にいて、主な仕事はデータ分析である。

 自分のフロアに戻って、また部長に「下で、K嬢に会ったら、九州の話で盛り上がっちゃいましたよ〜。今回、出張に縁の無い人が多いので、大騒ぎっすよ」と言ったら、また「ふふふ」と笑って「そうかなあ?まあ、そうなのかも?」とか言うので「私だって、長い社会人生活で初めてですよ!」

 「へえ、うちの会社でって言うんだったらわかるけど、前もそうなんだ」
 「中小企業の経理担当の下っぱが出張に行くことなんて普通ありませんよ」
 「そうか〜、そうかもなあ」

 九州の支店は、親会社直系ではなく、全くの別会社であるから、役員などが挨拶(つーか接待ゴルフなどで)で出張することはあるけど、うちの社員が行くことも滅多にないのだ。向こうは若手が時々来るけど。(そこの社長が「若手をたまに東京の空気吸わせたいから」と、たいしたことない用事で送り込んでくる。交流目的もあるのだろう)

 いやー、しかし、驚いたなあ。
 土日の仕事だから、総務を全員出しても、こっちの仕事にそれほど支障はないのだが、それにしても思い切ったことをするものだ。まあ、その時期は繁忙期なので、主幹部署は人員をさけないという事情があるのだろう。

 それにしても、私はほとんど国内旅行をしないので、国内便だって数年前に社員旅行の北海道で初体験で、集合場所でチケットを配るときに、思わず「ミヤノです」と名乗ってしまったくらいだ。国内線のチケットって無記名なのね(笑)
 北海道は行ったことあるけど、四国や九州は未踏の地。本州だって、岡山までしか行ったことがない。(それも高校の修学旅行で)

 なので、「九州出張」は南アフリカ出張くらいインパクトありました。個人的に。九州在住の皆さん、すいません。やはり「佐賀のがばいばあちゃん」読んでも、佐賀がどこにあるのかわからないも〜ん、などと言ってしまったので、なんか呪いをかけられたのかもしれない。

 ・・・・・えっと、佐賀は九州ですよ・・・・ね?(こんなこと言っていると、マジに九州転勤になりそうだ。いや、待てよ。・・・・・派遣された支店で「運命の出会い」なんかしたら・・・・・・?)

 というわけで、以上、「はじめての出張(予告編)」でした。

 つーか、スーツとか運ぶもん、持ってないんだけど。
 そっか、着てけばいいんだな。

 スーツ着て、飛行機に乗ったことなんてないのに〜〜〜
9月26日(火)

 いきなり寒くなった。
 長袖シャツにカーディガンを羽織っていたが、雨に濡れると体感温度が下がり、「そろそろ、コートがいるかも」と思った。

 おかげで、ビール飲まなくても生きていられそうなので、プチ禁酒中である。でも、すぐに「焼酎のお湯割飲みてえ」と思うのだろう。
 酒飲んでないせいなのか、昨日おとといと寝つきが悪く、寝不足気味なのだが、今日はなんだか眠たくなってきた。外は寒いが部屋の中はちょうど適温。今日こそ、ぐっすり眠れるかしら。

 昼寝は得意なのに、夜寝が苦手というのも悔しいものである。
 おやつばっかし食べていて、夕飯食べないガキみたいだ。
9月25日(月)

 ハイジがとある取引先と電話していた。
 どうらや、交渉が難航しているらしい。

 うちの会社はとある大企業の販売代理店をしていて、それはオンラインで行えるし、代金も口座引き落としで処理される。
 たぶん、うちの担当者のミスでもあるんだろうけど、代金をうちが2重に支払ったことになっていた。ダブって入力してしまい、後からキャンセルしようした、とかそういうことだろう。
 その担当者は、先日やっと退職してくれた、私も苦手としていた人で、性格もイマイチだったが仕事もイマ6くらいだったので、こうなった原因のほとんどは彼女にあると思われる。

 彼女がそのミスに気がついたとき、すでに、向こうの営業担当者に「期限ギリギリだから返金処理が難しいかも」と言われていたそうだ。そんで、すぐに返金依頼を出せばよかったんだが、彼女が忘れたのか、ハイジが忘れたのか、ともかくその過払い金が決算書に残っていたので、ハイジが「あ、そういえば・・・・」と気がついたのである。

 うちの担当者は退職していたし、どうせ彼女は自分を庇うばかりでなんもしてくれなかったと思うが(「私はハイジさんにきちんと説明しました」と鼻の穴を膨らませてゼーゼー言いながら仁王立ちしている姿が目に浮かぶ)、幸いにもハイジは向こうの担当者の名前を覚えていて、彼に連絡しようとしたのだが、すでに異動しているそうで連絡がつかない。

 でも、向こうは、ハイジから事情を聞いて、最初から調べてくれたらしい。

 そしたら、どうやら、「やはり期限が過ぎているから返金できない」の一点張りだったらしい。
 まあ、そういう規定というか契約だったのだろうし、放置したこっちも悪かったけど、でも、その対処の仕方などにハイジはそうとうメゲてしまい、うちの新しい担当者に「もう、あそことの契約やめようよ」と言い出した。

 ハイジが向こうの担当者の名前をよく覚えていたのは、たぶん、前からちょくちょく同じようなトラブルがあったのだろう。
 これが例えば、映画のチケットで、「もうこの映画の上映期間終っちゃったんで、返金してくださ〜い」という依頼だったら、「非常識だなあ」と思うだろうが、どうやら向こうも2重入金の事実は把握しているようだ。

 まあ、なかなかそういう会計処理がスムーズに行かない事情もわかる。
 ただ、うちは「一般顧客」ではなく代理店で、その販売のために、端末使用料を月に数万円払っているらしいのである。年間、数十万円だ。

 そのわりに、その会社がヘボだし、うちもヘボだから、あんまり売れなくて、端末使用料が販売手数料を上回っている。
 たぶん、向こうとしても、うちが「売上を上げる代理店」ではないことは、わかっているのだろう。

 それに、代理店の端末を通しての販売なんて、もう時代遅れだろうし。

 でもさ、なんかね。「昔はそりゃ、ご威光があったかもしれないけどよ〜」と思う。
 すでに、そういう体質が一般的な評判を落とし、かなり斜陽している会社なのだ。
 それを必死に巻き返そうとしているんだか知らないが、これじゃあねえ?

 いや、こっちの我がままをホイホイ聞けと言いたいわけではない。こっちも無理を承知で言ってみただけだ。
 私だったら、たいした金額じゃないし、「では、次回にその金額の売上がありましたら、相殺で」っていう方向に持ってくな。そしたら、こっちも、普通は売れないし、売る気もあんまりない商品を必死で売ろうとするだろうし。

 もし、スーパーの棚を争っているビール会社だったら、そうすると思うんだけどなあ。
 A社から、1ケース仕入れたのに、こっちがうっかり2ケース分払ってしまって、1年後に気がついて「返金してほしい」と言ったら、「それはちょっと難しいんですが・・・・すいません、上が融通きかなくて。でも」と、1ケース無料で納品するな。私だったら、2ケース入れちゃう(笑)だって、店側もしょうがないから、無理やり並べるだろうし、ああいのは場所をとった方の勝ちだ。

 それに、うちとしても、たかだか数万円のことなので、もういいんだけど、その数万円でその会社は「やっぱ、ダメな会社だなあ」という印象を少なくとも3人には植え付けたのである。
 広告費を膨大に使っても、「A社よりB社を選ぶ理由」というのは、砂上の楼閣よりも脆い。
 しかし、人は「広告での、よさそうなイメージ」は3秒で忘れても、「私に直接不利益があった」という記憶はそう簡単には忘れないのだ。

 で、人は「他人のよいところ」をあまり雄弁には語らないが、「他人の悪口」は頼まれなくても語りまくるのである。飲食店でも「あそこは、美味しかったよ」って話は、熱心にしないし、たいていの人は、相手が「そりゃ、是非行かないと」って気になるように上手く話せないんだけど、「あそこは最悪だった」っていう話は、なぜか生き生きと具体的に話すから、聞いてるほうも「あそこは、絶対にやめておこう」と思ってしまうのだ。

 たぶん、向こうは、ハイジが「こちらも放置していたので、いけなかったんですが・・・」ときちんと下手に出たので、「クレーマーではない」と判断して、強気にというか「真っ当に」対応したつもりだったのかもしれないが、明らかにこちらを見下した対応だったから、ハイジもびっくりしたのだろう。
 大企業としては、それで失う金額なんて、気にすることもないんだろうけど、商売ってそういうのの積み重ねだと思うんだけどなあ。

 いや、ほんとに、こっちの責任も大きいのですが、それにしてもダメな対応で、元々その会社がダメだということはよくわかっていたから「やっぱし〜?」と脱力しただけの話でした。

 かくいう私も、他の会社を「ダメじゃん!」と笑えるような、立派な会社に勤めているわけでもありませんので、そういう些細な対応にこそ気を配ろうと、気を引き締めましょう。
9月24日(日)

 ママンから電話があった。こっちも連絡を待ちわびていたので「どう?無事退院したの?」とこっちから言うと、「それよりも、あんたの誕生日忘れてたわ〜、ごめんなさい」というのが主目的であったらしい。

 実は私も、ここんとこめっきり涼しくなって過ごしやすくなってきたので、「今ごろ生まれた私は、自分の意志ではないにせよ、親孝行だったな」と思っていたが、母も嫁に「ちょうど涼しくなってきたし、よかったわねえ」なんて話していて「そういや、ミヤノもこの時期だったから、ラクだったなあ」なんて話していたら、急に「あ!」と私の誕生日を思い出したらしい。

 別に私の誕生日など、どうでもいいのだが、母は「お父さんだって忘れてるのよ」と言うので、苦笑。
 パパンはアニバーサリー音痴なんで、人の誕生日なんていちいち覚えてないよ。記憶力はいいから、聞かれりゃ答えるかもしれないが、それはソ連が日本に宣戦布告した日付くらいに記憶されてるだけで、テレビで「今日は○○から50年です」って言われりゃあ、「そうだった」と思うのと同じようなもんだろう。

 遺伝子の関係なのか、その性質は私にもしっかり受け継がれており、さらに母の家系には冠婚葬祭を核実験よりも毛嫌いしている伯父がいるので、我が家は世の中の平均よりも記念日に興味がないようだ。

 それはいいとしても、「お父さんは暇なんだから、せめて食事にでも誘ってくれればいいのにねえ」はわかるにしても、そこでなぜ「目黒にでも連れてけばいいのに」と言うのだろう?
 「目黒」というのは、母がお気に入りの回転寿司屋のことである。
 たしかに人気店だし、いつも行列しているだけあって、安くて美味いというか「1000円であれだけ食えれば、そりゃ人気だわ」と私も一度連れていってもらって納得したが、でも、どう考えても、「娘の誕生日にご馳走してあげる店」ではないだろう。

 さて、私が気にしていた弟の嫁の産後は順調らしく、先週無事退院したらしい。
 「双子だから小さめ」と言われていたが、産まれてみれば、合計5キロもあったらしく「そんなのお腹にいたんだ。そりゃ大変だった」としか言いようがない。
 名前も決まったらしく、予想通りに「マナカナ」みたいな無難な双子な名前になったようだ。

 でも母曰く「全然見分けがつかない」

 普通は退院したら、識別票(?っていうのか?)は外すんだろうけど、それだと見分けがつかなくなってしまうので、うちのママンも、その子たちを産んだ嫁さんも、その札が頼りらしい。
 どのくらいになったら、産みの親には区別つくようになるんだろうね。

 いつまでも札つけてるわけでもないから、私が冗談で「面倒だから、烙印とか押したいよね(笑)。刺青とか」と不謹慎なことを言ったら、母も「ピアスの穴あけるわけにもいかないしねえ?」と言っていたが、おがーさん、それはやはり家畜の耳についてる札のことをイメージされているのでしょうか?

 そんなわけで、乳飲み子2人と幼稚園児を抱えていたら、家事や買い物もままならないから、うちのママンはもうしばらくは滞在してヘルパーするようである。
 いつまで滞在することになるかはわからないが、孫や息子の世話で、相当張り切っていて、すっかり若返ったから、お役御免になったときのほうが心配である。
9月23日(土)

 昨日は友だちと長電話してて、寝たのが朝の4時だった。
 昼前に起きて、洗濯をするが、午後になって眠くなってきて、ずっとうつらうつらしていた。

 秋だなあ。
 開け放った窓からは、薄墨かかってはいるが透明な青空に白い雲が適度に散らばり、控えめに輝いているのが見えた。目を開けるたびに、その秋空が鑑賞できて、それを眺めるたびに、まるで麻酔をかけられたかのように眠気が降りてきて、まるで海を泳ぐ大型哺乳類みたいに、海の底に潜ってはたまに浮上して秋空の下で深呼吸し、また潜るように、ゆったりと昼寝していたのであります。

 結局、午後2時くらいから5時くらいまで、ずっとそんな状態だった。

 なんじゃか、ゴタゴタしているので、少しブルーだったが、「ああ、空が青い」っていうので少し和んだ秋の一日であった。
9月21日(木)

 久々にお台場に行くことになったが「どうやって行くのがいいだろう?」としばし考えた。
 その昔は、「ゆりかもめ」か新木場から「りんかい線」しか選択肢がなかったのだが、今はたしか、山の手線のどこかに「りんかい線」が繋がったんでしょ?

 自分が東京在住でも、職場が神奈川になってしまってからだいぶ経つので(下り通勤が心地よすぎて、今の仕事が続いているのですが)、その後に、東京の電車路線は育ち盛りの子供の脳のシナプスみたいに発達してしまったが、自分の脳は脳細胞死んでばかりいるので、さっぱりついていけなくなった。

 20年前は、ケータイでナビしなくたって、だいたいの最短距離とか「遠回りになるけど、あそこの乗り換えがラクだ」とか「こっちの経路のほうが安い」とか、けっこう詳しいつもりだったんだけど、地下鉄にしても大江戸線とか南北線がどう通っているのかよくわからないし、JRも渋谷の外れにある「埼京線」のホームあたりは私の理解を超える路線が通っている。湘南ラインとか・・・・・

 つーわけで、お台場に入るのに、一番「乗り物心」が満喫できるのはやはり「ゆりかもめ」だろうとは思ったけど、せっかくだから、「りんかい線」で行ってみることにした。
 渋谷で路線図を眺めたら(事前に家のパソコンで調べたのだが、「目黒」「五反田」「大崎」のどこだか忘れちゃったので)大崎から出てるらしいので、山の手線で大崎で乗り換えたのだが、大崎駅がゴージャスに変身して、「プチ品川駅の様相」になったことは、仕事で何度かあの駅を利用していたので知ってたけど、そっか、ここから「りんかい線」になるんだ。

 と思いきや・・・・・・「ここが始発ではない?」
 わーん、なんだかよくわかんないけど、川越あたりから来る電車が、そのまま「りんかい線」に入るようなので、だったら渋谷からこれに乗れたのだ。
 でも、渋谷の乗り場は遠いから、山の手線で大崎まで来たほうが、少しだけ時間短縮になるのかもしれないが・・・・

 しかも、大崎からだと、「東京テレポート」駅まで、あっという間。天王洲アイルとかも通るんだね。あそこも、あんまし用はないけど、前に友人の職場が「外資に吸収されて、あそこになってしまった」そうで、「モノレール通勤が面倒ってゆーか、羽田に向かう人と一緒だと、相対的にテンション落ちる」とこぼしていたけど、時代は変わりました。

 それに、ずっと地下を通るから、「ゆりかもめ」みたいに近未来の夜景や大寒乱射(わー、族っぽい変換)じゃなくて、大観覧車が「いらっさーい」とお出迎えしてくれないので、便利は便利だけど、通勤向けであって、デート向けじゃないね。

 さーて、「東京テレポート」に到着して、ZEPPに向かう。
 ここに来るのも、10年ぶりくらいかも。
 けっこう出来てすぐに行ったんだよな。たしか、ソニーのテクノのイベントで、ジェフ・ミルズとかリッチー・ホーティンがDJしたオールナイト・イベント。
 終演後に、友人たちと一緒に帰ろうとしたら、一人見つからないので場内を探したら、帰国子女の友人が見知らぬ外人グループと盛り上がっており、「これから、この人たちの家に行かない?」とノリノリなので「いや、もう疲れきっててちょっと・・・・」と思ったし、彼女だって私と同じ年なんだから、もうクラブ帰りに友だちんちに溜まるってのは疲れるだろうと思ったし、だいたい、その外人さんたちの家ってゆうのが、埼玉だかどっか遠いところで、「こりゃ、なんとか彼女をなだめて連れて帰ろう」としたのだが、彼女はすっかり酔っ払ってて、そうとうゴネられ、それでもなんとか、「もう、みんな帰ろうとしてるから、ね?帰ろうよ?彼らのうちには日を改めて遊びに行けばいいでしょ?そんときは喜んで付き合うよ。だから、ほら、電話番号の交換しておきなさい」とその場を仕切って、その友人をロビーに引きずっていったときには、他の子たちがくたびれ切って相当不機嫌になっており、その目は「おせーよ」と呟いていたのをなんとか明るく、「さー、ゆりかもめに乗って、帰ろう!」と引きずっていったが、みんな乗り込んだ瞬間に死んだように眠りだし、せっかくの朝の近未来的風景を楽しむ人はいなかった。

 たぶん、あれ以来、一度も来てない。
 「ZEPPは行くのはいいが、帰りが超疲れる」とあのときに刷り込まれてしまったようで、行く気にならなかったのだ。

 今回も「ZEPPかあ」と躊躇したのだが、「もうすぐ40歳、人生も折り返し地点」の記念というか、そのタイミングで「その昔、死ぬほど観たもの」が来日するというのもなんかの縁だと思い、会社休んでまでして、行くことにしたのだが、なーんだ、渋谷の円山町よりも、あっけなく近かった。

●プライマル・スクリーム

 昨日、今日とやっていて、友人T嬢は、「プライマルのチケットとったら、ロディと重なっちゃって・・・・呼び屋も少しは考えてほしい」とボヤいていたが、私はそれでロディの来日を知ったのであった。
 なので、T嬢は昨日、2階席で見ているはずである。「大人はZEPPの2階」というのが彼女の信条である。

 明日は追加公演もやるくらいだから、かなりの混雑を覚悟していたのだが、ZEPPは広いから、そんなにギュウギュウになってなかった。
 ついつい、前の方に入ってしまった。と言っても、真中よりはやや前くらいだが、でもリキッドルームの後ろのほうくらいの感じで、けっこう近く感じた。
 マドンナの東京ドーム公演だったら、アリーナの前から二つ目のブロックくらいの距離だろう。

 昨日とうって変わって、客の年齢層は「20代半ば」が中心であるので、そのフツーな感じにほっとした。
 ふふふ、この中で、初来日のクワトロでの公演に行ったことある人はほとんどいないだろう。ふふ

 クワトロでやった頃は、「カム・トゥギャザー」が出たばかりの頃だった。アンディ・ウェザオールを連れてきていて、開演前にDJさせてた。バレアリックの全盛期である。麗しの90年代初頭。
 その後、「スクリーマデリカ」が出て、川崎のチッタでやったなあ。
 あのときだったか、後で仲良しになった女の子が舞台に上がって、ボビーに抱きついたのは・・・・

 その後、そういう仲間に「あのとき、ボビーに抱きついた子です」と紹介すると、けっこう覚えている人が多かった。モリッシーが武道館でやったときにも、厳重な警備をかいくぐって舞台に上がった男子は、そのコミュニティでは有名人になったけど、みんなそういうのはよく覚えているんだよね。

 自分の周囲には、熱狂的なボビー信者が多かったけど、私はそれほど「お熱」だったことはない。

 でも、久々に「生ボビー」を見てみたら、黒髪の長髪に、黒っぽい細身のジャケットで相変わらずちょっと投げやりな感じで舞台に立っており、近めで観たらどうだかわからんが、遠目に見たら「あれ?なんか、キアヌっぽい?」

 「24時間パーティーピープル」という映画を観たときに、あれはファクトリー・レーベルの話で、ジョイ・ディビジョンやハッピーマンデーズが中心だったが、「じゃあ、クリエイションのこういう映画も作ってよ」と思ったけど、ボビー役は、キアヌ・リーブスで決まりらしい、ということに私の中だけで今日突然決定したが、ギャラ高そうだなあ。
 うん、でも、キアヌに減量してもらって、あのクネクネ踊りを叩き込めば、けっこういいと思うぞ。
 公開が待ち遠しい「スキャナー・ダークリー」も「ヤク映画」であるが、ボビーも「おクスリ豪快話」はたくさんあるぞ。

 それにしても、プライマルがいまだに活躍していて、ってゆーか、「正統派ロックの大御所」みたいなことになるとは、あの当時、想像もしてなかった。
 私は「ロックス」あたりで離脱しちゃったけど、今の客はたぶん、あのあたりからプライマルに入門しているのだろう。

 というわけで、私は演奏された曲の中で、3曲くらいしか知りませんでした。
 中盤になって、エラく盛り上がっていて、周囲が激しくタテノリになっていたけど「うーむ、知らん曲だ」と思っていたが、だからと言って疎外感は感じず、私もノリノリだったので、いいライブだったのでしょう。

 こういう「若者向け」の音楽に限らず、クラシックだろうが、能だろうが、歌舞伎だろうが、「一流」のものは、なんも基礎知識がなくても、自然とのめりこむことができるものです。
 「クラシックを義理で聴きに行ったが、やっぱし退屈だった」と言うのなら、その演奏が退屈だっただけ。

 そういうわけで、曲知らなくても楽しめましたから「プライマル・・・・立派なバンドになったんだなあ」と感慨深かったです。
 なんか、あの見るからに怠惰そうなボビーが、コンスタントに新作を発表し、マメにライブをやっているというのも不思議な感じがしますが、見かけよりも真面目な人なんでしょう。
 他が次々と消えていく中で、唯一生き残っているのではないか?

 前のツアーでは、マイブラのケヴィンが参加してたらしいけど、今回はその姿は無いようだと思っていたのだが、隣にいた、ずっと吠えて暴れている若者が、「ケヴィーン!」と叫ぶので「え?この中にケヴィンいるの?」と思ったけど、しばらくして「ケヴィーン!どっかに隠れてないで、出てこいケヴィーン!」と言っていたので、安心しました。

 その彼があれだけ「ケヴィーン!」と切望しているので(「ローゼスの曲もやれ!」と無理難題も投げかけてました。そりゃ、ドラムのマニは元ローゼスだけど・・・・・さすがにそのヤジは隣にいた友人に「ボーカル違うし」とたしなめられてました)、アンコールでちょっとだけ出てきたりするのだろうか?と思っていたら、やはり、アンコールでスペシャル・ゲストの紹介が!

 しかし、登場したのは、なんとウィルコ・ジョンソン!
 な、なぜ?
 まあ、たしかに、今のプライマルが(昔のプライマルも)目指しているのは、まさにあの辺りというか、そういや、プライマルがやろうとしてたことって、鮎川誠と似ているかもしれない。そのあたりが、いろいろと試行錯誤しつつも、最終的には「王道?」ってゆーか、「この人たち、実は、ストーンズの一番の後継者なのでは?」と思わせるあたりである。

 ストーンとU2の間に、ぽっかり位置しているのがプライマルなのでは?

 20年後にプライマルが「生きている化石ロックバンド」として東京ドームで公演したときに、ストーンズの「ルビー・チューズデイ」の位置に来るのが「ハイヤー・ザン・ザ・サン」だったりして(笑)

 しかし、今ではプライマルの良きファンではない私は「なぜに、ウィルコ・ジョンソン?」と思って、ネットで検索してみたら、こういうことだったらしい

 でも、ウィルコ・ジョンソンが参加したアンコールの2曲はギターの音に厚みが出ていて、大変よかった。
 プライマルがU2になれない理由はたぶん「ギターが弱い」ことじゃないだろうか?
 ケヴィンがツアーに参加したときはどうだったか知らないが、ああいう「正統派ロック」をやりたいなら、そうだよ、思い切って鮎川誠を連れてツアーすればいいんだよ。その昔、JAPANが土屋まさみを連れまわしたみたいに(古っ)

 さて、二度目にアンコールになったら、ボビーが舞台上でなにやらメンバーと討議している。
 なんか急に曲目を変えたかの雰囲気で、ベースが「え?それやんの?」って戸惑っているのに、「いいから、やるんだ」と説得しているようなかんじだった。
 終演後、後ろを歩いていた若い女子2名も「なんか、おもしろかったね」と言っていた。

 大御所になれる実力と才能があるのに、大御所がかもしだす「予定調和」な気配を許さないボビーの美学が、なんかあるんだろうね。
 ニートな外見だけど、実は「転職を繰り返しているだけ」ってゆーのか、実はかなり仕事できる人なんだけど、「役職につくのは嫌だ」と、意識的に万年平社員やっているような・・・・・
 キャパが2千人くらいあるZEPPで三日間公演できちゃんだから、あと一歩で武道館クラスなのだが、そう簡単にそうなりそうもないかんじがしたし、もしかしたら、どこかで吹っ切れるかもしれないけど、なかなか吹っ切れないあたりが、ボビーを熱い視線で見つめる女子たちの心を掴んで放さないのかも。
9月20日(水)

 なんか日記書いてなかったな。
 ちょっとゴタゴタしておりまして・・・
 そんで、それが「単なる友人同士の揉め事」というレベルの話ではないので、けっこう辛い。

 放っておいたほうがいいのかもしれないが、おせっかいだから、ついつい「せめて、気持を落ち着かせることだけでもできないだろうか?」って思ってしまうんだよなあ。
 それで過去に何度も失敗して、最後には投げ出してるのにね(笑)

 不惑直前だが、まだまだ修行が足らないようです。

ロディ・フレイム

 ロディのライブに行ってきました。
 10年ぶりくらい?
 この人も、もはや「スコットランドの至宝」というよりは、「国宝」に近いような存在だ。
 「指定文化財」くらいは確実。

 しかし、全然変わってないなあ。
 そりゃ、昔の輝くような美少年を維持しているわけではないが、そのまま老けただけというのは、ある意味すごい。

 前にも日記に書いたと思うが、その昔「ヒデの葬式騒動」がテレビでも話題になった。
 念のため、解説しておくと、超人気バンドだったXジャパンのギタリストが解散してソロ活動を始めて間もないころ、急死したのである。自殺のようだったが、事故ともとれる、いわゆる「変死」
 ショックを受けたファンたちは、彼の葬儀が行われた都内の寺に大集合したのである。
 それが1000人や2000人じゃなかったので、マスコミも注目し「イマドキの若者は・・・」な論調で紹介されていたように思うし、テレビを観ていた一般視聴者の多くも「なんじゃこりゃ?」と思ったようだ。

 私の親しい友人も、電話で話していたときに「あれは理解不能」と言っていたので、私が「でもさ、もし、ロディが東京に住んでてさ、急に死んじゃってさ、築地本願寺で葬式やりますって聞いたら、とりあえず行ってみない?もしかしたら、一日くらい会社休んでさ」と言ったら、友人はしばし絶句したあと「・・・・・・・たしかに・・・・行くかも・・・・」

 そのとき「自分らも、葬式にかけつけるかもしれないミュージシャン」として、モリッシーあたりを挙げてもよかったのだが、私がとっさに思いついたのは、ロディの名だった。
 でも、その友人は、普段は私の言うことをなんでも素直に納得しない、わりとハードな論客だったが、あのとき、少し悔しそうに私の言ったことを認めたのは、それがロディだったからかもしれない。

 と、ライブの最中にそんなことを考えた。

 さて、会場についたのが開演ギリギリだったので、客層がどんなだか見渡せなかったけど、40代くらいの人も目立った。30代半ばくらいが中心だったかな?
 しかし、場所が最悪。
 舞台が低いので、ロディの姿が全然見えない。
 少しはクワトロを見習えと思う。
 それでも、前に立ってた中年男性が、妻に「ここの隙間からみえるから」と場所を譲り、その妻が身長150センチ以下だったので、私の前にも視界が開けた。心の中で、その男性のハゲかかった後頭部に深い感謝の念を送ったので、その念力で3本くらい毛が生えるかもしれない。

 前半は、新曲中心だったのか、客も穏やかに鑑賞していた。でも、みんなとにかく、ロディ様が大好きで大好きでしょうがないという雰囲気は感じた。
 ギター弾き語りという、最高に地味なライブだっただけに、ライブというよりも、宗教活動っぽい雰囲気だ。

 それにしても、ロディって昔っからあんな皮肉屋っぽい感じだったっけ?
 デビューアルバムからの曲を披露して、客席が盛り上がると「どうだ、懐かしいだろう?」って態度だった。
 別に「昔はもっと、いい人っぽかった」と思っていたわけでもないが・・・・
 もしかしたら、40歳を過ぎたし「チョイわるオヤジ」を演出しているのかもしれない(笑)

 それでも、中盤以降は「昔の曲」を上手く交えて、かなり盛り上がっていた。

 ふと思ったんだが、この人は、もしかしたら、あの顔の良さで損しているのかもしれない。
 「デビューから20年経っても、全然変わらないなあ」っていうのは、誉め言葉ではないのかも。
 19歳のときに作った曲を42歳の今でも、同じように演奏できるというのは、ファンにとっては有り難いことなのかもしれないけど、本人にとってはどうだろう?
 そういうのって、日本だとやっぱ、郷ひろみだろうなあ・・・・・・

 ロディの音楽って、10代後半ですでに完成しちゃってたんだよな。
 普通のミュージシャンだと「若気の至りで・・・・」という要素も多いわけだから、それを30代半ばで再結成なんかして、昔のヒット曲を披露しても、醜悪というか、それこそノスタルジック大会でしかないのだが。

 たぶん、今日の私が感じた気持は、今週末に開催される「つま恋2006」に集まった客も、感じることになるのかもしれない。

 ネチネチ書いてるだけで、まとまらないが、ケチつけたいわけでもなく、うーん。

 なんか、ライブ観にいったというよりも、「ロディ・フレイム展」に行ったような気分なんだよな。
 「やまだかまち展」みたいな(笑)

 しばらく「今のロディ」に興味がなかったのは、無人島に持っていくのは当然デビューアルバムだし、ライブも何度も行って、「もう、いっか」な気分になっていたからだ。
 自分が20代のときには、17歳でアズテック・カメラと出あったときの、あの感動を何度も再現したいと思っていたのだろう。

 でも、30代になったら、そういう気にならなくなったようだ。

 そして、久々にロディを間近にして、「20年前と何も変わってない」ということに、うんざりすると同時に、安堵感もあったのかも。「あと、20年後もきっと同じだろう」と思うことは、諦めでもあり、希望でもある。
 もしかしたら、今のロディもそういう心境でやっているのかもしれない。

 そんで、「イエーい!オレはこのままずっとやってくぜぃ!」と胸を張って開き直るわけでもなく、そのわかりにくさゆえに、私がこうして物思いにふけってしまったのだろう。

 私が80歳になったら、ぜひ老人ホームに慰問に来てほしいと思った。
 40歳の今「ロディとの年月はもう20年経ったのか・・・・」と思ってから、さらに40年後には、やっぱし「Oblivious」に重ねるコーラスを♪ウーウーと口ずさみながら、「なんだかなあ」とボヤいているだろう。

 そーいや、元々そんな気分を味わいたくて、「ひさびさに、ロディ観にいってみるか」って思ってたんだっけ。
 あまりに、ドンピシャすぎて、「想定内」だったことすら忘れたよ(笑)

 さて、この日記は、21日の昼間に書いておりますが、今日もライブに行くので「連ちゃんキツいから(体がきついわけではなく、会社を早めに出るのがけっこう難しいから。昨日もギリギリになって慌てた)、休みとっちゃおう」と計画有給消化。でも、月曜日は出勤してたし。平日に休みとりやすいというメリットを有効利用しないと、休日が少ない会社にいることが悲しいだけだし。

 ちなみに、今日行くのはマドンナじゃないです(笑)  
9月18日(月)

 三連休であることは知っていたが、自分が社内メンテナンスの立会いのために、今日は出勤だったので、あまり関心がなかったが、朝のニュースで「そっか、ケーローの日か」と気がついた。

 個人的に「イマドキの老人はなっとらん運動」を推進中だったので、「老人の割合が5人に1人」という話をきいて、恐怖に打ち震えた(笑)。  道を歩けば、老人に因縁つけられそうで、怖くておちおち散歩もできないわ。

9月17日(日)

 この間、近所の本屋でブラブラしたときに、そういうときには地元の中規模の本屋の店員が一生懸命書いたポップ(っていうんだっけ?)がなんだか愛しくなり、「たまには口車に乗ってもいいか」という気分になり、だいたい、最近は本屋さんもそういうのでは張り切っているようだし・・・・・

 そんで、気分的にも「たまには、気の張らないミステリー小説でも読みたい」だったし、「まるでハリウッド映画みたい」と絶賛する店員さんのお勧め文句に乗ってみることにしました。

黒い犬

 英国ミステリーの期待の新人だそうで、すでにシリーズ化されてるらしい。
 ジャンルとしては「警察小説」らしく、男女2人の性格の違うライバルが競い合いながら事件を解決するとか・・・

 休憩を挟みつつ、一気に読んでしまったので、それなりに面白かったことは否定できないのだが、でもな〜

 そこそこミステリー好きなので、ときどき読むが、私はナナメ読みが得意なので、特にミステリー小説では、後半になると「犯人は?犯人は?犯人は?」と気がせいてしまうので、その勢いで飛ばし読みしてしまいがち。
 だから、読み終わってから「あれ?あの伏線は?」と思って、しょうがないから、また遡って拾い読みしたりするんだけど、この小説でも、重要な役割だった「仲良し老人3人組」の会話は、「ふーん、もう一度最初から確認したくなるね」とは思った。

 多分、作者も、そのあたりはかなりきちんと構築したというか「してやったり」なのであろう。

 しかし、けっこうメインの伏線が宙ぶらりんではないか?
 そっか、だから書店員も「ハリウッド映画見てるよな」って書いていたのか。ハリウッド映画だと思えば、よくあることだ。前半の「思わせぶりな伏線」は、単なる思わせぶりを演出するだけで、終ってみたら「え?じゃあ、あれはなんだったんだ?」と戸惑うことはよくある。

 結局、観ているときにはそれなりに楽しいのだが、後でなんにも残らないハリウッド映画と同じように楽しめた小説であった。

 だいたい、二人の刑事が全然魅力的じゃないんですけど〜
 でも、やりたいことはすごくわかるので、そのあたりは好感が持てる。
 新任の女性刑事は、冷徹なデータ主義者で、赴任してきた先でもまず、上司の評価に余念がないのだが、作者はその描写に途中で飽きてしまったらしく、後半はなおざりであった。

 たぶん、やりたかったのは、横山秀夫みたいな、「組織としての警察の実態」を描くことであったんだろうけど、横山秀夫や高村薫を読んでいる日本のミステリー・ファンにしてみれば「残業代の予算がないから、定時で捜査は打ち切り」っていうのはギャグにしか思えん。
 だったら、ギャグに徹すればいいものをこの作者はこの程度のことで「今の警察の実態」を描いているつもりのようだった。

 最も理解不能だったのは、重要人物である老人の家族の「家族の問題」
 刑事の1人が、そこの孫娘と同級生であったというフックがあったし、孫娘から観た祖父母夫婦になんかある、という伏線がバシバシに貼られていたのに(それが導入部だったのだ)、それは結局、祖父さんが、妻である祖母さんをほったらかしにして、旧友とつるんでばかりいるという、「それのどこが、家族の闇?」という話しだったようだ。

 「そんなの、フツーじゃん」って思う日本人にはわからないなにかなんだろうなあ。

 そんで、それぞれが秘密を抱えているのはプンプン匂わせているのに、いきなりそれをダラダラと告白しはじめるので「だったら、最初から、あっけらかんと告白しろよ!」と虚しいつっこみ。「えーい、もう言っちゃえ〜」っていあたりの心理描写が全然ないのです。

 でも、刑事の1人はクーパー刑事だし、被害者の15歳の少女はローラという名で、「こりゃ、ツイン・ピークスじゃん」と期待したのだが、ローラの父の異常性欲とか、かなりそれっぽい部分はあったのですが(警察幹部が「今の刑事は、なんでもありだ。だから、そのうち女装の刑事だって出てくるだろう」と発言したり)、結果的に「イギリスの田舎の観光地からのツイン・ピークスへのオマージュ」は「第一話」だけではよくわかりませんでした。

 まあ、こういうのは、シリーズ第二作あたりで、キャラクターが熟成してきて、妙に面白かったりするのですが・・・・

 あと、これを読む直前に私が「破局」を読んでしまったということも大きいのだろう。

 デュ・モーリエなんて作家は全然知らなかったのだが、ロッジ先生の「作者を出せ!」という小説を読んで、ポンチ画だったのに、大衆小説書いたら大ヒットしてしまった画家のことを知り、その作家のことをネットで検索してみたら「ヒッチコックの映画の原作」というのが大量ヒットしてきたので、その画家の孫娘が「鳥」や「レベッカ」の原作者だということを知ったのである。

 その、ダフネ・デュ・モーリアの短編集が、40年ぶりに復刻されたというので、さっそく読んでみたら、「ぎょえええ、えぐい」とびっくりしたのだ。
 マルグリット・ユルスナールに似たかんじだけど、舞台設定はもっと身近で、っていうか、これ50年前のロンドンなどを舞台してるんだろうけど、なぜか現代社会のほうが身近に感じるんですけど?っていう恐ろしさ。

 ヒッチコックが彼女の原作を映画化した気持がよくわかる。
 私ですら、読んでて「映像」が頭に刻まれるから。
 そして、道にばら撒かれた1万円札のように魅惑的な伏線や暗喩が散りばめられるが、よろこんで拾っても、その札が換金できる銀行はどこにもなかったりして、架空の国の通貨を大量にゲットした悦びと落胆をこれだけ味合わせてくれるとは。

 なんて言ったらいいのだろう。けっこう俗っぽいのであるが、その俗っぽさを見事な彫刻にしたような・・・・見る角度から全然違うという・・・・
 ヒッチコックも、俗っぽさを単なる娯楽映画ではなく、「記号論」を語りたい人には朝まで語らせ(蓮實せんせいみたいにね)、それなのに、「ハリウッド映画好き」な大衆にも「おもしろーい」と大絶賛というか、私が子供のころ、うちの両親は「刑事コロンボ」と「ヒッチコックの映画」はテレビでやると欠かさず見ていたけど・・・・

 デュ・モーリアの長編もぜひ読んでみたくなった。
 短編集の「あとがき」に「ハイスミスが再評価されたように、デュ・モーリアの作品もぜひ」と書いてあったが、ほんとにご期待申し上げます。ああいう、鼻にツーンとくるワサビみたいな小説はもっと読みたい。


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