可燃物な日々

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3月31日(金)

 さて、今年度最後の一日であるが、大人になると、あんまし年度って関係なくなる。会社の決算期が連動してればそれなりに関係あるでしょうけど、そうじゃないと、関係あるのは「有給休暇」の更新くらい。
 あと、新入社員が入ってくるというのもあるが、うちの会社はここんとこ中途採用ばかりなので、新卒採用してないから、やっぱり関係ない。

 今日で派遣のTさんの勤務も終了。
 いつもだと、ランチ送別会くらいするのだが(近隣のホテルの1500円ランチを経費で出してもらえる)、休みの人が多くて外出もままならなかったので、M嬢と相談して「じゃ、小さめの花束でも」ということにした。
 別事務所では、3年くらいいて、社員以上に残業してた(100時間オーバーもざらでした)派遣社員がとうとう辞めることになり、盛大な送別会が催されるようだが、4ヶ月ばかりの勤務で、しかもあっちから「契約更新したくない」と申し出たわけだから、こっちはひっそりと地味です。

 向こうから「辞めたい」と言っただけに、Tさんが「ここの職場って、なかなか馴染めないし・・・・」と思っていたのは明らかで、それに、こっちも「3月になったら暇になるから、Tさんに新しい仕事を覚えてもらおう」と計画していたのが頓挫したので、しょうがないから放っておくことになり、今月一杯で辞める人に、いろいろ説明するのも億劫になるわけで、結果的に彼女は超ヒマ状態に陥ってしまった。

 最後の一週間はけっこう辛そうだった。
 それがわかっていたので、「今やらなくてもいいけど、ヒマならやっておいてもらうと助かる」という超雑用を与えたのだが、他にやることなかったので、そういうのもあっという間に終らせてしまったのである。M嬢に「Tさん、ヒマだから」と助けを仰いだら「え?そうなの?じゃあ、私も頼んじゃおうかな」と2年越しのファイルの背表紙制作などを頼んでいたが、そんなのも半日しかもたなかったし。

 さて、そんなかんじで最終日を迎えたのだが、みんなが「ご苦労様でした」と声をかけると、なぜか「ほんとに、ご迷惑ばかりおかけして」を繰り返していた。
 私に対しては、特に念入りに「ご迷惑をおかけしました」だった。

 たしかに、この日記でも、けっこう愚痴った「ちょっと不思議な人」であったし、たしかに、頭は全然よくなかったし、仕事を教えても、さっさとできる人ではなくて、それはM嬢も「簡単なことでも、毎回、同じことを繰り返し確認してくるんだよねえ」と言っていたのであるが、彼女が他の人に比べてダメだったのは「頭の悪さを愛嬌やヤル気でカバー」ということができないからだったのだと思う。

 でも、決して、嫌な人ではなかったし、前いたイライザとか、その前にいた人みたいに「頭悪いくせにヤル気だけ満々で、自己主張だけが強くて扱いに困る」というのではなかっただけ、こっちは助かったのである。

 それに、本人としては不本意だったのかもしれないが、結果的に無口だったために、ハイジがとても気に入っていたのだった。
 ハイジが仕事の説明しても「なんだかよくわからない」と歯向かってこなかったので、それだけでもよかったのかも。ただ、理想的な「まあ、今はよくわからなくても、やっているうちにわかってくるでしょう」と「ふーん」と言いつつ、結果は出すというほどの能力はなく、普通の人の3倍くらい慣れるのにかかったかも。

 そう、普通は「一ヶ月程度でこのくらいわかるようになる」というあたりに、やっと最近到達してくれたのである。「自分でいろいろ工夫して、理解する」という能力は低かったが、地道に教えればデキない人ではなかった。

 ぐじぐじ書いているけど、「友達にはなれないタイプの人」ではあったが、社会人としてダメかというと、うちみたいなイレギュラーの多いところでは、あまり活躍できなかったけど、もっとマニュアル化された、というより、もっと単調な仕事がたくさん、ってところだったら貴重な人材であろう。

 感情を表に出さないタイプの人だったので、彼女がどう思ってたのか、よくわからなかったが、「ご迷惑をおかけしました」と今さら繰り返すのを見て、「私には理解が及ばないところで、彼女なりに自分を卑下してたのかね?」と思った。

 でも、それは多分、私の考える「卑下」とは違うものだったんだろうなあ。
 けっこう、些細なことで、潔癖症な要求をしてきたので、そういうことに対する「ご迷惑」のことを言ってたような気がしなくもない。
 SFでは、よく異星人とのコンタクトが語られるものがあるけど、Kさんやイライザは「ウザい」けど、理解可能な範囲だったが、Tさんに関しては、微妙に異星人とのコンタクトであった。

 いなくなるのは、ちょっとだけさみしい。

 さて、人員が減ることになるのを危惧していたのだが、いきなり他部署から男子が配属されてきた。
 あだ名はまだない。

 今のところ、経理の仕事をすることになっているが、彼がやってきたのは「週に2日くらいの他の任務をこなす」ためであるので、彼がずっと経理をやるのかは疑問である。暫定的人事のような気がしてならない。

 でも、お茶くみ&電話番がいなくなってしまったので、これから彼になるべく仕事を引き継いで、私がお茶くみOLにならないといけないだろう。
 私はそれでいいのですが・・・・
 つーか、時給社員に戻してもらってもいいような気がしてきた。どうせ、今だって時給換算すると、えれー安くなってるし、だったら、時給2100円でいいから、休日が多いほうがいいかも。

 今度、提案してみようかしら。ワークシェアリングがどうのと言えば、部長がノってくるかもしれない。

 花冷えのせいか、なんだかしんみりしてしまった。
 早く、カーっと暑くならないかな。
3月30日(木)

 マジに寒い、花冷えの一日だった。

 かなり前から「一緒に飲もう」と約束を交わしていた友人と、やっと飲み会実現。
 友人は以前から「せっかくだからフレンチとか行きたい」と言っていたのだが、私もフレンチに疎いので、「最近、近所にできた、ちょっと高級イタリアンじゃだめ?」と言っていたら、それでいこうということになった。

 高級イタリアンといっても、オステリアを名乗っているし、なんてったって住宅地にできているから、それほどのもんでもないだろうと思っていたが、やっぱりけっこう気楽な店だった。(でも、メニューはイタリア語で書かれているので、いちいち店員に確認しないとオーダーできないあたりが「住宅街にしては高級」)

 そんで、2人で前菜2皿とパスタ一皿、魚一皿、肉一皿で、最後はドルチェでしめて、1万6千円でした。あと、食前酒1杯づつと、ワイン1本開けたが。

 客単価、8千円というのはビミョー。
 あれで、一人6千円だったら、「すっごい、いい店」と絶賛するところだが、8千円だと「コストパフォーマンス的には、まあまあ」ということになるだろう。

 久々に会って、いろいろと濃い話もきいてしまった。
 友人に金を貸したが、返してもらえそうもない話とか。
 株に手を出し、デイトレーディングにはまっているとか。
 中国で仕入れして、商売しようとしているが、どうも中国人になめられて高値で仕入れているとか。

 その友人は、すでに10年前から「いいダンナ見つけてラクしたい」といいつづけているのだが、私もずっと「結婚したからって、ラクな生活が約束されたわけじゃないよ」と言いつづけている。
 「でも、H子だって、結婚したしさあ」
 「あの子だって、ダンナは確かに年下でハンサムだったけど、転職したんで家計は苦しいらしくて、H子は結局、派遣でフルタイムで働いていて、本人も『結婚したからってラクできるわけじゃないんだよね』と言ってたよ」
 「でも、Aちゃんなんか子供産んだし〜」
 「あの子だって、このままだと、来年、子供を幼稚園に入れる金が無いけど、だからって保育園も満員らしくて、とうとう夫婦して携帯電話解約したよ。ダンナの仕事にしたって、個人経営者に雇われてるだけだから、その経営者が『やーめた』と言ったら、再就職先を探すのは難しいでしょう」
 「でも、もう、50歳とかの相手でもいいからさあ」
 「だったら、よりどりみどりかもしれないけど、50歳独身男だって、それなりに夢見てるはずだから、うちらみたいのを無理して養わないって!農家だったら別かも。中国から嫁買ってきて、殺されちゃうよりは、うちらのほうがましかも」
 「えー、でも、田舎の農家だったらヤダな」
 「ほら、なんだかんだいっても、ゼータク言ってるじゃん!」

 そんな酒飲み話をツマミに5時間ばかし飲んでました。

 さて、今日も休みだったのですが、「有給消化」も今月で終了。
 週休3日にダレきった気持もリセットだ。
 しかし、年度前半に有給をケチると、後半にこういうことになるので、今年後こそ、前半にバリバリ有給つかうぞ。

 4月なんかは、有給使わないと、土曜日は3回も出勤になってしまうのだが、毎年、ついついケチってしまうが、今年は頑張って2日くらいは使おう。
3月29日(水)

●「ザ・有頂天ホテル」

 話題の映画をギリギリまで観ない癖が全開してますが、この話題作もやっと観れた。

 うちのオカンは、最近、映画友達ができたらしく「オールウェイズ(3丁目のなんとか)はまあまあだったけど、有頂天ホテルはつまんなかった」と言ってました。「なーんか、ダラダラした映画だった」と。
 彼女の映画の趣味は「スリルとサスペンスと男の友情」が基本ですので、三谷幸喜の小劇場ノリはダメなんだろうなあ、と思っていたのですが、観てみたら、ほんとに、もろ三谷ワールドでした。

 記者会見の模様を見ても「これだけ役者揃えたら、普通は収集つかなくなりそう」と思いましたが、わりとごちゃごちゃした印象がなかったのが逆に不思議なくらい。
 そんで、とにかくビッグネームが揃っているし、名前がとっさに出てこなくても、顔だけはくどいほど知っているような名脇役クラスばっかりだし、そんで、とにかくキャラが立っているので、一瞬たりとも「ええと、この人は、どの役だったっけ?」と迷わないのが凄い。

 もっとも、日本の役者の顔の見分けがつかない外国人(もしくは、日本人でも全然、テレビを観ない人)がこれ見たら、どう思うのかはわからないけど。

 名画「グランド・ホテル」を下敷きにした映画であるが、私はフェリーニの「ジンジャーとフレッド」を思い出した。あのドタバタ具合というか、動きまわるカメラワークがなんとなく・・・・(ちょっち通ぶってみました)
 で、セリフ回しというか、1シーンごとは、芝居チックなのだが、芝居では出来ない「つなぎ」なわけで、脚本&監督が「やりたいこと」をきちんと実現したという気持ちよさがありました。

 難を言えば、あのホテルのスケール感が感じられなかったことかなあ。けっこう動き回っているのに、場面ごとの距離感が感じられなかった。たぶん「リアルタイムに話が進む」ということに拘ったため、脚本上の辻褄を合わせただけで満足してしまったせいもあるんだろう。
 だから、逆に「リアルタイム」な感じが全然しなかった。
 きっと「リアルタイム感」を出すには、もっと演出上の「記号」が必要なんだろう。未見であるが「24」みたいに、時間を表示するとか。まあ、ああいうのを否定してみたら、こうなりましたってことなのかもしれない。

 だったら、最初から「リアルタイム進行」と宣伝しなけりゃいいと思ったけど、そのあたりは、監督のこだわりがあったんだろうから、ま、いっか。もし、それをきちんと表現できちゃったら、三谷幸喜を神と崇めるしかないわけで、そうならなかったのはいいことであるし。

 正月スペシャルだった「古畑任三郎」がちっとも面白くなかったので、大変がっかりしていたのだが、有頂天ホテルに関しては「やっぱ、三谷幸喜おもしろいなあ」と見直したのでよかったです。
 小さい伏線を張り巡らして、ちょこちょこと確実に落としていく堅実さに泣けました。ああいうのって簡単そうに見えても、実際に作るの難しいと思うもの。

 どっちかというと洋画派なので、ハリウッド大作にしても、向こうの脚本家は伏線に命をかけているように感じるのですが、わりと日本の脚本家は淡白。そんで、たまに伏線張ると、ダサかったりするのだが、さすが三谷幸喜は、ラストでバシっとキメてくれました。わかっていても爽快である。

 そんなわけで、楽しく鑑賞できましたが、一番よかったのは、佐藤浩市が香取君をガシっとハグしたとこかな(笑)
 もっと、ネチっこくやってもらっても、よかった。
 あの瞬間、私の頭の中で、「妻子あるエリート医師の佐藤浩市が、研修医の香取慎吾と出会うことで人生を狂わす」という「小早川伸木の恋」を「その筋むけ」にバージョンアップしたドラマが駆け巡りました。

 アリとキリギリスの石井君が、一人でハードボイルド探偵してたのも可愛かったですが、二枚目俳優である唐沢寿明やオダギリジョーが、「とほほ」な髪型にされていたというのも「お約束」なのか?
 特に、オダギリジョーの髪型はちょっとやりすぎ(笑)
 イケメンを汚して遊ぶというよりは、ああいう髪型の人を冒涜しているような気がしてしまいました。

 さて、「あー、楽しかった」とルンルン気分(死語)で帰りましたが、途中でハタと気が付いた。

 「いっぱい出演してたけど、あの人が出てなかった!」

 筒井道隆君が出てなかったよ。

 そう考えると、あの香取君の役は、筒井君がやったほうが「三谷ワールド」だったのでは?(役年齢28歳はきつかったかもしれないが)
 筒井君が、あの変な唱「♪ロシナンテ〜」を唄って、それに感激した佐藤浩市が「ありがとう!」とガシっとハグしたほうが、面白かったのでは?
 で、幸運のヌイグルミを貰って、「あ、これってボクの・・・・」と言ったほうが・・・・

 不評だった大河ドラマ「新撰組」でも、筒井君が出てきたときだけ「わー、やっぱ、三谷幸喜脚本だ〜」と感激したものだが、あの「天然真面目ボケキャラ」はやはり貴重なわけで、彼が出てこなかったのが唯一の不満だったようである。

 ぜいたく言ってすまん。
3月28日(火)

●マルクスにしがみついてみた

 前にもちらりと書きましたけど、「マルクスの使いみち」というライトな装丁の本に自己責任において騙されて、「何が書いてあるのか、さっぱりわからん」と嘆いておりました。

 「はじめに」の章で脳死状態だったのですが「ここでクジけてはいかん」と思って、負けず嫌いな自分の性格を生かして、まさにロッククライミングのようにジリジリと第一章を読んだというか、ほぼ「お経を読んだ」状態。

 漫画「ファンシーダンス」では、三蔵法師が持ち帰った経典が、無残にもパラパラと儀式的に捲くることによって「読んだことにした」というお約束で消化されてるということが描いてあったが、まさにそんな感じ。
 読んでるのではなく、ただページを捲っているだけである。

 ほんとに、全然わけわかんないので、読むのが辛くなり、「なんか、もっと読みやすいものが読みたい」と思って、大森望の「特盛!SF翻訳講座」を読んでみたら、「ああ、読んでて意味がちゃんとわかる幸せよ」と思って、半日で読み切ってしまいました。

 「マルクスの使い道」=「夏休みの宿題」
 「特盛!SF翻訳講座」=「カブトムシ、スイカ、プール」

 ということだったようです。

 しかし、「石の上にも三年」という現象がとうとう起きました。
 我慢して、半分くらい読み進めてきたら、なんだかだんだん慣れてきたのです。

 最初のころは、なんのとっかかりもなかったので、いろいろ派閥の名前が出てきて、いちおう簡単な解説も載っているのですが、でも、前にも「こりゃ、ダンス・ミュージックに興味の無い人に、デトロイト・テクノとシカゴ・ハウスの違いを文章で説明しているようだ」と書きましたが、どうも、そうやって「自分にわかるもので置き換えたい」と思うようで、いろいろ登場する「・・・・主義」というのを「ジャニーズ系の歴史でいえば、どれがフォーリーブスで、どれが光ゲンジなんだろう?」と必死であてはめようとしていました。

 そのためには、マルクス主義が、ジャニーズ系でいえば、どれにあたるのかまず決めないといけません。
 トシちゃんあたり・・・・・?
 で、新古典派とやらが、SMAP?

 全然わかってなませんが、その昔、フジテレビの深夜にそんな番組ありましたよね。流行物の歴史を産業革命に置き換えて解説してみたり・・・・なんて題名だったっけ?「カノッサの屈辱」でした。

 私のやろうとしたことは、あの番組とは逆のことだったようですが、とにかく、「さっぱりわからん人名や用語が続出」なのを我慢して黙読していたので、たまにサミュエルソンとか、知ってる名前が出てくると、むしょうに嬉しくなったりして、でもサミュエルソンさんがどういう人か全然知らんのだけど。

 それで、やっと半分まで読んだら、経済学のお約束がわからなくても理解できる言葉が出てきた。「搾取」です。
 しかし、搾取の定義みたいなことが延々と語られているので、やっぱりよくわからないのですが、ひとつだけわかったのは、通勤電車で「搾取」が連呼されてる本を読むと、けっこう落ちます。
 「落ちる」と書くと、ネガティブっぽいですが、そういうわけでもなく、どっちかというと「混乱」に近いかもしれない。

 (・・・・・以下、なぜ、「搾取」にまつわる一章にこんなに心乱されるのか、考えてみたのだが、どうにも話がまとまらないので、気が向くまで寝かせることにしました。念のため、「我々は搾取されているのだ!目覚めよ労働者諸君!」という気分になったわけではありません)  
3月27日(月)

●やっと「ナルニア国物語」を観た。

 最近、あんまし映画を観てなかったのは、定期券を買ってなかったから、らしい。
 1月は長期休暇をとったし、2月もけっこう有給使うつもりだったので、「定期券買うと損だ」とついついケチってしまい、おかげで途中下車できなかったのである。
 3月もけっこう有給消化するつもりだったのだが、うちの会社は勤務日数が多いから、よくよく考えれば定期買っても買わなくても、ほとんど変わらないのなら、途中下車できるほうがいいに決まってる。

 そんなわけで、なかなか観にいけなかったナルニア国であるが、定期券問題以外にも、問題があった。
 いつも行くシネコンの安いレイトショー(1200円均一。これがあるから、わりと気軽に「話題作」を観ることができます)の終了時間が遅かったのだ。
 都心であれば、どんなレイトショーでも終電を逃すことはない場所に住んでいるが、郊外から戻るときには、終電が早いのである。

 そういう場合、水曜日のレディースデイ(女性1000円)を狙うのだが、ナルニア国は上映時間が長いため、レイトショーの前の回は、6時ちょっと過ぎ開始で、それだと開始に間に合わない。フレックスな会社だから、早めに出勤するという手もあるが、「大好きな英国バンドが7年ぶりに来日した〜」とかだったら、1時間早く出社するかもしれないけど、「ディズニーのファンタジー映画」のために、早起きできるほど私は人間が小さくない。

 それで「そこそこ観たい気持はあるけど、なかなか観れないなあ」と嘆いていたのだが、ひとつ、ひっかかっているものがあった。
 子供向け映画であるので、シネコンでは字幕版と吹き替え版があるのだが、どうやら夜8時開始で10時半に終了するという絶好の時間にやっている「字幕B」というのがあったのだ。
 最初のころは、それも「吹き替え版」だったんだけど、春休みに突入したら、お子様は昼間に集中するということなのか、夜だけ吹き替え版になったらしい。

 そういうことも多いので、シネコンのスケジュールはマメにチェックしないといけないのだが、しかし「字幕B」ってなに?
 普通の字幕に比べて、簡単になってるとか?

 解答をご存知の方は、真剣に悩んでいる私の姿を想像して、大笑いしてください。

 そのシネコンのHPをいろいろ見ても、R−15だとか、レイティングに関する解説は書いてあっても、「字幕B」に関する説明は皆無だった。たぶん。
 しかも、よくよく眺めてみると、「吹き替えB」っていうのもある。

 なんだそりゃ?

 字幕Bだと、「ちょっと大人ぶりたい年頃のお子様用字幕」だとか「目の悪い人のための、文字が大きい字幕」だとか「字幕が縦か横か選べるとか?」と、いろいろと考えることができるが、「吹き替えB」については思考停止。吹き替えのダブルキャストなんて聞いたことないし・・・・・俳優ばかり起用した吹き替えと、声優で揃えた吹き替えで違うとか?(宮崎アニメは声優を使わないポリシーのようだが、あれを声優オンリーでやったら、あの世界は崩壊するほどのもんだろうか?ちょっと実験してみてほしい)

 驚くことなかれ。私はこの問題で、2週間くらい断片的に悩んだのである。

 頭固いですね(笑)

 フツーの人だったら「吹き替えB」の存在を知った時点で、パっとひらめいているでしょう。

 そんで、延々と検索していたのである。「字幕B」で。
 しかし、ありふれた単語「字幕」と、ありふれたアルファベット「B」を組み合わせても、なかなかドンピシャな答えは出てこない。それに、後から考えれば「字幕Bの謎」で悩んだブロガーなんて、ほとんど存在しなかったのである。

 やっと、あるサイトを発見した。そこもシネコンだったが「字幕Aと字幕Bな同じ内容です」と書いてあった。

 「なーんで、同じなのに、AとBに分けるんだよっ」と思って、そのページを1分くらい凝視してしまいました。
 人間の思い込みって、ほんとに岩よりも頑強なので、一度「これってどういう意味?」と「わからないもの」に断定すると、ほんとにダメなんですよね。
 しばらく考えて、やっとわかったときには、モグモグしてた弁当をブハーっと噴出しそうになってしまいました。

 それって、シネコン用語だったんですね。
 シネコンだと、同じ映画を違う映画館で時間をずらして上映するから、たとえば、ちょっと前まで「Mr&Mrsスミス」も「字幕A」と「字幕B」が存在してました。
 前にはこういう表記してなかったと思うんだけどなあ。「8時30分のラスト・サムライ」とか言えばよかったはずだが・・・・

 しかし、謎がとけてよかった。
 でも、映画館の窓口で「8時からのナルニア国字幕で」と言っただけですが・・・・「字幕B」ってちゃんと言ったほうがよかったんすかね?

 自分の頭のカタさを実感して「私も任天堂DSで脳のトレーニングしないといけないかしら?」と弱気になったのですが、そういや先週はなぜか、立て続けに「頭やわらかいね」と誉められた。

 一件目は、九州に出張する役員氏(40代後半)が「羽田に行くバスの時間ってわかる?」と聞いてきたので、すかさずネットで検索して、最初、ケータイ・サイトしか出てこなかったのでプリントアウトしてあげられなかったのだが、とにかく時間はわかったので教えてあげて、彼がトイレにいってる間にやっと普通のサイトを見つけたのでプリントアウトして机に置いておいたら「どうやって検索したの?」

 「最初に羽田空港&リムジンで検索したら、成田のリムジンばっかりひかかってきたので、羽田空港&バスにしてみました」と言ったら、「そうか、そういうシンプルなほうがいいんだな。さすが〜ミヤノさん」

 彼はいったい、どんな小難しいキーワードを打ち込んだのか、逆に聞きたかったんだけど、ドタバタとバス停に向かってしまったので、確認できなかった。

 二件目は、やはり40代後半の隣の部署の男性社員が「最近、気に入ってる日本酒があるんだけど、どう読むのかわからなくてさ〜知ってる?」と聞かれたとき。

 「漢字はわかるんだけど、それってワープロ辞書じゃ出てこないんだよ〜」という漢字は、七を「品」のように並べたものだという。
 「あ、それって、たしか、喜の略字ですよね。たしかに、焼酎のラベルで見たことあるけど、なんて読むんだろ?」というわけで、「焼酎 七七七」で検索してみたら、すぐに出てきた。

 「字幕B」で悩む人は上位に出てこなかったが、「七七七」の漢字が出てこないので、テキスト上はそう表現するしかない人は沢山いたのである。

 「あ、やっぱり、喜の略字らしくて、キロクってヤツでしょ?」
 「そうかあ、キロクって読むんだ。よかった、これからは、『あれ』って瓶みて名指ししないで『キロクある?』ってきけるよ。でも、どうやって探したの?」
 「焼酎 七七七 で出てきましたけど?」
 「へえ?全然思いつかなかった。頭やわらかいねえ」

 自分では「探し物下手」と思っていたのですが、いつも「きーーーーー、どうして見つからないの!」と膨大な時間を費やしているだけあって、一般人よりはデキるみたいです。

 さて、えーと、なんだっけ?
 「ナルニア国ものがたり」の話でした。

 けっこう面白かったよ。
 でも、私はティルダが出てるとこつなぎ合わせてくれて、1時間にまとめてくれてもよかったんだけど(笑)

 原作読んでないからわかんないけど、英語圏の親だったら子供に見せたい映画だったかも。子役がみなさん、とても行儀がよい。目上の人にはきちっと敬語で喋るってかんじ。
 ただし、その分、ヤボったいし、特に4人兄弟の上の2人は、長男のゴツくない度からして、あれでも中学生くらいなのかもしれないが、日本人からすると高校生くらいに見えなくもないので、違和感ありありでした。

 ハリポタだと、ハリーを助けるのが、ロンとハーマイオニーという三人組なので、けっこうバランスとれてますが、4人兄弟が役割分担というと、けっこう散漫な感じになってしまうようです。

 でも、はっきり言って、子役なんかどーでもいーわけです。個人的には。
 私はひたすら、白い魔女ティルダだけを見つめてましたから。
 ティルダがライオンキングをいたぶる場面なんて、もっともっともっと、ネチっこくSM女王やってくれてもよかったによ〜
 子供向けだから、しゃーねーか。

 でも、ティルダ魔女と動物の絡みは、なかなかイケてたと思うんだが。戦場シーンの、白熊君馬車にひかれるティルダなんて、もう涙出るほど嬉しかった。
 子供向けなので、全然流血しないので、物足りなかったが・・・・

 フォーン君(半ヤギのバッカス)の上目遣いが、なかなか劣情をそそりましたが、あれも、もっと女王に虐められてもよかったと思います。つーか、末っ子ルーシーを「友情」から慕うフォーン君の目つきは、どう観ても、「あぶねーロリコン」もしくは、ルーシーに「未来の女王」の素質を見出してしまった、光源氏クラスの「青田買いマゾ」にしか思えませんでした。

 「ナルニア国」は、原作知らんけど、どうも続編があるようで、ハリポタに対抗するためには、現世での、厳しい家政婦さんがもっとブイブイ言わせて、それを庇うオチャメなお屋敷の主である教授のキャラを立てないと、お子様心はつかめんと思うが、次回作はもうティルダは出ないかもしれないから、もう観ないかも。

 次回作で蘇った白い魔女が、成長して15歳くらいになった次男坊をまた惑わす・・・・とかいうんなら、観るけどさ(笑)
 そう、この作品では、兄弟を裏切る次男坊の動機が「魔女がお菓子をくれたから」ということになっているのが不満である。「雪の女王」みたいに、年若い美少年が、妖しい美貌の熟女に思春期直前の形にならないほのかな欲望を抱いてくれないと、おねーさん(オバサンって言うな〜な、微妙なお年頃)、ちょっと不満だわ。


3月25日(土)

 特に嫌いな食べ物がないので、「おえー」とか言いながら口にするなんてことはないんだけど、よく考えてみれば、音楽もそうかもしれない。「好きな音楽」はあるけど、「嫌いな音楽」と言われると、ちょっと困る。
   そりゃ、イマドキのヒップホップとか歌姫がどうのとかは、「好きではない」けど、きっぱり「嫌い」というほどのものでもなく、要するに「全然、興味がない」だけである。だから、テレビや街角で耳にしても「なんで、こんな音楽流すのだ!」と怒ったりはしない。
 ただ単に、オレンジレンジとレミオロメンの区別がついてないだけである。コンビニのおにぎりが、セブンイレブンのでもローソンのでも、どうでもいいというのと同じかも。

 しかし、しばらく前に「あ、これはちょっと嫌だ」と思った音楽があった。
 イル・ディーボっていう、4人組男性コーラスグループである。ポップ・オペラとかいうやつで、ポップな曲をオペラ唱法で唄うのだ。しかも、4人は「イケ面」ということになっており、さらに、アルマーニのスーツでキメているらしかった。

 そんときは「まーた、日本市場ピンポイントな」と笑っていたのだが、手法としては「女子12楽ボー」と同じというか、まあ、どれもそうなんだけど、ほんと「商品」というか、「パッケージ」というか、うまく表現できないけど、とにかく、そんなかんじだと思っただけだった。

 そのときが確か、最初に日本にプロモーションに来たときだと思うんだけど、その後、どうやら世界的にヒットしたらしいが、「ビルボードを制覇!」というのが、「かつてのマイケル・ジャクソン並に売れてる」ことなのか、それとも、ビルボードのクラシック部門で1位になっただけなのかよくわからない。

 それはいいとして、彼らがどうやら2枚目のアルバムを出したようで、日本のテレビでも積極的に紹介しているようだ。(フジテレビだけかもしれないけど)
 「大人の街」銀座のレコード店でも大人気だそうで、街頭でファンにマイクを向けると「癒されます〜」ということらしい。

 しかし、私の反応は真逆で、「さぶいぼ出ます」なのだ。
 キモいよ〜
 男性4人組合唱なら、ぜったいダークダックスのほうが癒されるって。なんなら、ダークダックスにアルマーニ着せてもいい。

 別に着てるものはなんでもいいが、まず「イケ面揃い」と宣伝しているけど、あれをイケ面というのだったら、そりゃ中田だってイケメンだろう。
 ああいう「力技」を感じさせる瞬間が苦手である。

 ジャニーズ系のデビュー当初も、そういう気配がある。今回、鳴り物入りでデビューした、カツーンとやらも、6人いるうちの一人しか(修二となんたらっていうユニットやってた、「ごくせん」にも出てた子)顔がわからないため、イマイチ、全体のキャラがつかめず、どこがカッコいいのかさっぱりわからないので、なんとなく心が落ち着かない。
 実は「嵐」ですら、まだイメージが固定していないので、ちょっとキモく感じるときがある。やっとV6の半分くらいに慣れてきたあたりなのである。
 というわけで、タッキーみたいに、出てきた当初から「こりゃ、美形だわ」と納得できるのは稀で、あとはとにかく物量作戦で慣れてしまう過程が重要なのである。

 よく「美人は三日見れば飽きるが、ブスは三日見れば慣れる」というが、「ふーん、これを美形と言うのかね?」という程度のものが、だんだん見慣れてくると、なんだかそういうもののように思えてくるというか、そういうのって洗脳に近いけど、CMで繰り返し流れた曲がなんだか耳から離れなくなるのと同じような仕組みなのかどうだか知らんが、とにかく、そういう過程は、「自分もこの子を育てるのに参加した」という錯覚を抱かせるのかもしれない。だから、ジャニーズ事務所はけっこう確信犯だと思うんだけど。
 ボヤーっとした顔をした少年だったキムタクがいつのまにか「いい男ベスト1」になっていたり、「うわ、こいつ顔が濃いなあ」と思ってた長瀬君が「セクシーな男」になっていたりして、「あれ?」と思うが、急にそうなるわけでもないので「ま、いっか」と思ったときが「慣れた」ということなのであろう。

 また話が逸れているが、イル・ディーボの「イケ面揃い」というには疑問があるが、あれも戦略なんだろうと考えることにして、それは別にいいのだが、でも、ほんとにあの歌声が、キボイ(さぶいぼ出そうなほど、キモイという造語)のです。
 そもそも、「三大テノール」とかに興味がないし、声楽系はそんなに好きでもなかったのだが、でも、まるでダンボール箱組み立てるときとか、ガラスこすったときみたいに「ひぃぃぃぃ」と耳を覆いたくなるほどダメなのは、イル・ディーボが初めてかもしれない。

 存在自体に目を背けたくなるミュージシャンというのはいるが(ナガブチとかグレイとか)、あれも、音だけならわりと平気だったはずなんだが、イル・ディーボはとにかく、音自体がダメなのだ。
 でも、もしかしたら、「イケ面ということになっている」っていうのと「アルマーニ」を外せば、ここまでアレルギー反応起こさなかったのかねえ?

 しかし、これに慣れておかないと、なんと、彼らが今年のドイツW杯のテーマ曲を歌うらしいのである。
 よりにもよって、と思ったけど、これも運命だと思って耐えよう。

 愛と憎しみは紙一重なので、この苦痛を耐えぬいた暁には「イル・ディーボさま〜」とすっかり転向しているかもしれないし。
 今の時点では貴志祐介の「天使の囁き」のあの寄生虫にかかったら、死ぬまでイル・ディーボ聴いてしまうくらい嫌いでした。と未来の自分に向かって書き残しておこう。
3月24日(金)

 昨日はお休みだったが、なんとなく「掃除しよっかな」という気分がしたというよりも、「そろそろ掃除しないとマジやばいっす」と追い込まれたと言ったほうがいいと思うが、とにかく「そうだ、平日の密かな楽しみである、トレンディドラマ再放送をちんたら観ながら掃除しよう」と、「笑っていいとも」→「ごきげんよう」→「真珠夫人でお馴染みの昼メロ枠」(今回のも無茶苦茶クサくて、心が和みます。武士道は滅んでも、あの枠は永遠に続いてほしいと思う。昼ドラに「国家の品格」を感じてしまうのは、私だけ?)の後に「さーて、今日はどんなトレンディ・ドラマがはじまるかなあ?」と本気で楽しみにしていたのに、なんと「世界フィギュア」が始まってしまった。

 「小早川伸樹の恋」が最終回だったので、最悪、それの「おさらい番宣番組」を見せられるかと覚悟していたのに、最悪を下回る結果にがっくし。

 しょーがないから「たしか、他の局も再放送ドラマ三昧だったはず」と思って、TBSにしてみたら、やってましたよ。「ふーん、こんなのやってたんだ。一度も見たことねー」ってドラマが。
 柴崎コウが耳が聞こえなくなった元・天才少女バイオリニストで、相手が妻夫木君ってドラマ。
 「オレンジ・デイス」という題名でした。
 しかも、笑ってしまうことに(2004年放送のドラマだったので、今さら笑うのも「鬼も失笑」というあたりでえすが、脚本は北川悦吏子だった。

 さて、そのドラマを観つつ、掃除もしつつ、フジのフィギュア放送もちら見していたのだが、男子のショートプログラムをやっていて、ちょうど登場して、地元だから喝采を浴びていたカナダ選手が超すごかった。
 エマニュエルなんちゃらって名前だったが、ちょっとラテンな雰囲気のイケ面で、曲もタンゴだったので、しょっぱなからビシっとラテンに決める姿は、東急文化村オーチャードホールでやりそうな、「アントニオなんちゃら舞踏団」の一員のよう。

 わりとトップクラスの選手のようだったが、元々バレエ団に所属していたというだけあって、スケーティングがどうのより、とにかく踊りが上手いので、足をひょいと上げただけで、なんか違うのである。とにかく見せる。回転でスコんとコケたのであるが、そのコケ方すら美しかった。
 「わー、いいものを見た」と感激したが、あれは別にスケートじゃなくてもよかったのでは?という疑問も残った。
 まあ、男子フィギュアであれだけ踊れちゃうと、かなり目立つと思うけど・・・・その昔、まるで氷上のエトワールだったロビン・カズンズ様をちょっと思い出して涙。エマニュエル君は、ロビン様より、ツラがよろしかったようです。
 出てきただけで「満点!」って感じでございますた。
 4回転ジャンプもちゃんと決めていたけど、あの人は、回転なんかしなくてもいいから、ひたすら踊ってりゃよかったような・・・・・

 話が逸れたが、「オレンジ・デイズ」である。
 この間、どっかの記事で、「妻夫木と柴崎がディナーでデート」なんていうのがあったような気がしなくもないが、これで共演ってことなのかね?

 平均以上はドラマを観ているほうなのかもしれないが、けっこう偏っているので、自分的には「あんまし見てない」と思っているのだが、そーいや、ちょっと前までは「妻夫木」って名前が読めなかったよなあ。「妻なのか夫なのかはっきりしない名前だ」とか思った記憶があるくらい。

 どうやら、かなり人気があるらしいことはわかっていたが、彼をCM以外でちゃんと見たのは、深津ちゃんと共演した月9が初めてだったような・・・・題名なんて忘れた・・・・・(調べた)「スローダンス」でした。年下の男がどうのこうのだったような・・・・2回くらいしか観てない・・・・妻夫木君のエリート兄役が藤木直人君だったので、ちょっと心惹かれたのであるが、毎回観るほどのもんでもなかった。

 話は逸れるが、放送しているときには、一回だけ観て「ふーん」と思って次回は観なかったりするけど、どうも平日に再放送されてると「へえ、わりと面白かったんだ」と思うことが多い。
 夜の9時や10時にちゃんと観ると「ふーん?」だけど、平日の午後に全然期待せずに観ると「いい暇つぶし」以上に感じるのは、なんだか面白い。昼間のほうが、夜よりハードルが低いようだ。あと、2回分まとめて放送するというのも大きいようだ。一回だけだと、あんまし面白くないが、2回続けてみると、もっと観たくなってくる。たしか、お隣の韓国では、本放送も2回づつだという話を聞いたことがあるけど、あれが本当だとしたら、けっこう理にかなっているのかもしれない。

 で、話が戻るけど、「オレンジ・デイズ」である。
 「また、身障者モノなのかよ〜」と失笑するのが、なまくらトレンディ・ドラマ好きの勤めであろう。

 「愛しているといってくれ」は、聾唖者の画家・トヨエツと、役者の卵・常盤貴子のラブ・ストーリー。
 で、「ビューティフル・ライフ」では、常盤貴子が車椅子の女の子で、お相手は美容師役のキムタクでした。
 で、今度は、聴覚を失ったバイオリニスト役・柴崎コウと、彼女を支える大学生が妻夫木君。

 北川悦吏子のライフワークとでもいうのだろうか?
 とにかく、彼女は「この手」に関しては、もはや右に出るものはいないのではないだろうか?

 たぶん、彼女は「恋愛モノには障害がないと盛り上がらないけど、日本にはこれといった障害がないんだもん」ということをかなりドライに割り切っているように思える。
 なので、便宜的に耳が聴こえなかったり、車椅子だったりするわけだが、あくまで「ドラマを盛り上げるためのツール」として使っているあたりが、いさぎよくてけっこう好きだ。

 アメリカだと、同じことをやるときには「人種の違い」にする。「育ちの違い」でも置き換え可。
 どうやら、アメリカでは「障害」よりも「人種」のほうが困難が多いような気がしなくもない。

 日本の「不治の病モノ」とアメリカの「人種モノ」が同じくらいのレベルかな?

 別に理論整然とするつもりもないので、かなり矛盾しているが、アメリカの「育ちが違う」というのが、北川悦吏子の「障害者モノ」に相当するのかもしれない。ERでいえば、アビーとカーター先生ってかんじ。で、ロマノ先生が片腕を失った苦悩は、黒人医師たちの苦悩に比べれば、贅沢な悩みらしい。(ロマノ先生は、身体障害を抱えたことで、部長から課長に降格されちゃったりするが、黒人医師たちは、近所で「黒人が!」って犯罪事件が起きると、車を停められてホールドアップの屈辱だったりする)

 また、何を書いているのかわからなくなってきましたが、そういうわけで(どういうわけ?)、「主人公は身障者だけど、けっこう恵まれた環境」っていうのがお約束の北川ドラマは、なんとなく高等遊民っぽくって、夏目漱石の描く「おめーら、食うに困らないからってさー」な世界の正統派後継者ともいえるのかもしれない。

 それは言い過ぎだけど、「人並みに恋愛だってしたいけど、でも、でも、障害があるの!」って言われても、フツーは五体満足でも、妻夫木君やキムタクには出会えませんって。まあ、そう言ってしまうと、どのドラマも「絵空事」であるのであるが(笑)

 いや、しかし、今さらながら妻夫木聡君が「人気実力共にナンバーワン」な意味がわかりましたわ。
 「おとなしそうだけど、男気」みたいなあたりの表現力に凄まじく優れているのですね。あの「弟のようだけど、兄貴と呼んでもいい」っていう雰囲気はなかなか絶品である。なんか、どう表現していいのか定まらない、まさに原石のような輝きはいつまで持つやら。
 韓国でも人気があるらしいが、さすが韓国!(笑)
 韓流スターの魅力は、「今でもけっこうイケてるけど、私がもう少しなんとかしてあげられるのに」という、雑誌の付録でいう「のりしろ」が燦然と輝いているあたりであろう。「あと一歩で完成品」という雰囲気に、日本人オバサンも酔っているのだと思う。プラモですよ、プラモ。
 夫については「あとは、色を塗るだけだな」と思っていたけど、刷毛の使い方がよくわからなかったので、なんだかヤボったくなっちゃった・・・・こんなのいらない。
 息子については、「よーし、最初から組み立てよう」と思ったんだけど、ちゃんと説明書読んでやらなかったから、なんだかパーツが抜けてしまった。

 ヨン様やビョン様だったら、もう、ほぼ完成してるし、チョコエッグみたいに、組み立てればもう完璧よ!

 いかん、また、日本酒を飲んでいるので酔っ払ってきた。
 今日こそ、チャングムをちゃんと観ようとしてるのに・・・・

 「オレンジ・デイズ」は身障者モノでしたが、ありがちの「若者恋愛群像モノ」でもあるので、脇役の恋愛模様も描かれます。
 妻夫木君の友人が、かなりのイケ面で、有名モデルまでコマシテて、ぶいぶい言わせているのですが、けっこう説得力ある理由で(そういう細部がちゃんとしてると、入りこみやすい)、柴崎コウの「純情」な友人・白石美帆が、そのイケ面の成宮寛貴の家を訪ねると、すげえボロ・アパートに妹と2人で暮らしてた・・・・・・なんて、お約束すぎて、涙ぐんでしまいましたわ、わたくし。

 話は戻るが、こういう「お約束」も、夜の10時に展開されると「けっ」と一蹴しますが、午後3時だと、素直に鑑賞できるのはなぜなんでしょう?

 平日昼間の魔力に翻弄され、「あー、ちくしょー、北川悦吏子ドラマに感動してるよ、あたしゃー」ってかんじだったのですが、おかげさまで部屋の掃除はけっこう捗り、トイレに行く導線が久々に確保されました。

 くどいようですが、同じドラマを夜に観ると「なんか仕事してるつもりかもしれねーが、よっ」と思うのですが、昼間に再放送していると「そうよね、仕事ですもんね。私も今日はお休みですけど、普段はね」と同情モードになってしまうようです。「制限された環境の中で頑張っているのよね。」

 さーて、自分の仕事もそうとう制限されてきたぞう。
 しかも、そこにはトヨエツもキムタクもツマブキもいないのだ。
 「不自由だけど、がんばる私」の落としどころがない。困る。

 私も妻夫木君の胸の中で、5分くらいサメザメと泣きたい気分だ。
 その後、「悪かったねえ」って焼肉おごるからさ。上カルビ食べたいだけ食べていいよ。死ぬほど食っても1万円くらいだろう。それ以上食えたら、別の意味でリスペクトするって。

 仕事辞めて、弟んとこの双子の世話でもしたくなってきた。
 血のつながりの無い人は、文字通り「血も涙もない」から、血縁に頼りたくなってきたのは・・・・・なんだかね。
3月22日(水)

 昨日は、前から我がママンの「超おすすめ」のひとつだった人形作家の展覧会に行きました。
 作家の名前は知らなかったけど、作品をウェブで見たら「どっかで見たな」というかんじ。

 与 勇輝

 ねずみーらんどでも採用されてるとか。
 ミニチュア好きのママンは「人形自体も素晴らしいんだけど、とにかく、服や小物が、こーんなに、こーんなに小さいのに、ちゃんと小物なのよ〜、あんたも絶対好きよ」と言うので、渋々、銀座松屋での個展にお相伴したのでした。

 いや、別に、「そんな展覧会、興味ねーよ」と思ったわけではなく、「うううう、人気人形作家の銀座のデパートでの個展・・・・・おばさま指数の高い雑踏が・・・・」と思ったわけです。
 おばさま指数が高い場合、平日を狙ったら、かえって「有閑マダムの巣窟」なになる可能性も高いため、ママンと私の予定をつきあわせて(デパート展覧会って日程が短いのよね)、昨日の「祝日だけど、ま、いっか」に行ってみたのですが、やはり「入場制限」だった。でも、10分くらい並べば大丈夫だったんだけど。

 入場制限しているといっても、中はほぼ「北斎展」と同じくらい混んでいる。人形の細部を眺めたいと思っても、なかなか落ち着いて鑑賞できない。

 たしかに、いい作品が多いけど、残念ながら今回は「和風」が中心で、ちょこっとだけ展示してあった洋装の人形のほうが、服の質感とか面白かったんだけど・・・・
 ミニチュアにもいろいろあるけど(っていうほど、詳しくないが)、実物大と同じ素材を使うものにもそれなりに味わいはあるが、洋服などはやはり、そのままの素材を使うとシロートっぽい。ただの「おかーさんが、人形に、私とお揃いの服を作ってくれました」になる。

 フランネルのジャケットをフランネルで極小に作るには、他の素材で作るほうがリアルだ。革靴も革で作ったら、毛穴が目立ってしまう。
 今回のメインだった「和装の昔の子供たち」がまとっている、なにげない着物も、古着をいくら集めても、あんなに細かい絣や小紋は存在しないはずで、布から作っていると思われるが、それを考えると気の遠くなるような作業。

 私と父は、隙間を縫って、あちこち先回りしてザっと鑑賞してしまったので、じっくりひとつひとつ鑑賞している母を待ってずっと立ち話しておりました。でも、似たもの父娘なので、文句ひとつも言わずにじっと立って待っていましたけどね(笑)

 まあ、見て損はなかったのですが、でも、やっぱ混んでたのがねえ?あと、周囲のオバチャンたちの「あら、わたし、まだあそこを見てないわ」「○○さん、こっち、こっち」というざわめきがBGMだと、4割引くらいであった。

 その後、地下鉄に乗って、お彼岸といえばやっぱ「墓参り」に行く。
 こういう機会でもなければ行かないので、5年ぶりくらいかな?たまに行かないと、菩提寺の場所忘れそうだ。
 しかも、改装されちゃってて、なんかキレイになってたし・・・・
 母曰く「風情がなくなっちゃったわよねえ?」
 時代劇の舞台になるような、有名な寺なのだが(吉原遊女の投げ込み寺として有名。この日記にも何度か書いたと思うが、かの永井荷風が「死んだら、この寺に埋葬されたいなあ〜」と言ったとかで有名なのである。このエロおやじ!って話だが・・・・)塀もきれいになってしまい、そこらの寺と変わらなくなってしまった。

 とりあえず、その墓に入った最新の人は、私の祖父で、私が産まれる前に亡くなったのであるが、母は「おじいさん、ゆっくり眠ってる場合じゃありませんよって、呼びかけちゃった、えへ?」

 祖父の死後40年間、たいした事件もなかった太平楽な我が家で、母が墓参りするたびに「おじいさんに、よっくお願いしておいたから」と言うのは、私の良縁であったりしたのだが、今回ばかりは、先祖におすがりするような事件が起きそうなのである。

 そう、我がママンの心は、今、「双子が産まれたら、どうすればいいの?」でいっぱいいっぱいだったのだった。
 出産予定は秋らしいが、今から「双子の育て方」の本を読んで学習しているらしい。

 弟の家は千葉なので、実家からは電車で1時間くらいなので、「Sちゃんちのそばにアパート借りようかしら」と張り切っているのである。
 たしかに、上の子がまだ3歳だし、双子の乳飲み子を抱えていたら、この春から入園する幼稚園の送り迎えもままならないので、姑の力を借りたいところだろうから、アパート借りるのはいいとしても、その気持がエスカレートして「あの子たちが、こっちに引越してくればいいのに」とか「お父さん、いっそ国分寺の家を売って、あっちに引越そうか」とまで言い出すので、それは父もやんわりと「ずっと、そばに住んでも、迷惑なだけだ。大変なのは、せいぜい2年くらいなんだから・・・・」

 そんで、まだ先の話なので、弟の嫁が、こっちで出産するのか、実家に帰るのかも未定なのだ。
 ただ、嫁さんの実家のほうも、お父さんが病気なので、お母さんは「双子?」と頭まっしろになっているらしい。

 サイバラさんちの兄嫁の話みたいだけど、うちの弟嫁も、大人しい人だから、「自分はこうしたい」とはっきり言わないので、うちのママンは姑との確執で苦労した人だから、それなりに遠慮はしているのだが、でも「お母さんにぜひお手伝いをお願いしたい」と言ってくれれば、張り切りまくるであろう。

 私も自分では経験がないので、よくわからないが、こういうときには「すこしおせっかいすぎ」のほうが、いいのかもしれない。
 弟の嫁の場合は、実家を頼りたくても、新幹線で1時間の距離し、実母は父の世話も大変なので、あまり頼れないわけだから、多少、うざい我がママンでも、いないよりは全然マシであろう。

 しかし、それよりも何よりも、先日会ったのは、つい一月前の我がママンであるが「双子妊娠発覚」で、「ああ、私がしっかりしないと!」と思ったせいか、なんだか若返っていた。それにつられて父まで血色がよかったのには驚いた。母がキャピキャピ騒ぐので、それにつられちゃったんだろうか・・・・・

 不肖の娘は、また嫁に金一封でも差し上げたい気分である。前にそれやって、親経由でつっかえされたが・・・
 でも、あの顔艶を見ると「この人たち、当分、病気しそうにもないな」と確信するのである。「自分が必要とされている」という輝きに満ちていた。
 で、両親が病気でもすれば、私の負担は絶大なものになるはずなので、そうならないのであれば、私は年収の5分の1くらい、「ありがとー」と弟嫁に差し上げても多すぎることはないのである。
 それで、ベビーシッターでも雇っていただければ・・・・
 いやなに、どうせ、このままだと、私を埋葬する手続きをするのは、君の子供であるわけだし、そのくらいの投資はしてもいいんだが・・・・・子供の教育費は1千万もかかると保険会社のCMでも言ってるし・・・・友人Aは、それを鵜呑みにして「いっせんまんもかかるんだってさ」と嘆いていたが(「うちにはそんな金はない!」らしい)、でも20年で一千万円だとすると、年間50万で、そう考えると、それほどの金額ではないと思うのは、私がそれほどの年収でもないけど、それほど薄給でもなく、年間100万円くらい貯金にまわせるご身分だからであろう。

 とにもかくにも、母は「双子が生まれたら、大変なのよ〜」と呪文のように繰り返していたので、私は実際には何も手伝わないけど、母の「コンサルタント」であるので、「うん、でも、そうやって、大変だと言いつつも、ちゃんと手伝ってくれる人がいると、ほんとに助かるみたいだよね」と必死で持ち上げるしかない。

 友人A嬢も実家を頼れない人で、彼女の母は近所に住んでいるけど、心臓が弱いので、とてもじゃないけどヤンチャな幼児の面倒が見られないのだ。なので、「ずっと子供から目を離せないと思うと、ほんとにストレス」と愚痴っていた。ちょっとの間でもいいから、他の人が子供を見ててくれるだけでも、心が休まるらしい。
 弟嫁が、ちょくちょく我が両親宅を訪れるのも、「夫の両親を喜ばせたい」というのが大きいと思うが、やはり誰かに見てもらうなら、夫を含めて3人の子供を育てた経験者である義理の母が一番安心できるのではないか?

 友人A嬢は、「誰かが、この子の面倒をちょっとでもみてくれたらな」と私に愚痴るが、子供を育てた経験もなく、過去には彼女の飼い猫も嬉々としていじめていて、現在では彼女のご子息のこともガシガシ小突く「小動物を見ると、ついついいじめたくなる」私のことは信用してないのは、ありありなので、やっぱ、私じゃだめなんだろう。

 さて、話は「墓参り」に戻るが、その後、都電に乗って巣鴨の刺抜き地蔵に寄ってみた。
 生まれて初めて、あそこの地蔵さんをなでた。腰のあたりを特に念入りに(笑)
 遅い時間だったので、それほど混んでなかったけど、母は名物の塩大福がどこも売り切れだったのが不満だったようだけど、「そういえば、よく、この付近に住んでいた人が名物を持ってきてくれたのよねえ。巣鴨の駅前で買ったっていってたんだけど・・・・」

 よくよく聴くと、それは、母の娘時代の話で、ときどき訪ねてくれる祖母の知人が、このあたりに住んでいて、手土産で買ってきてくれたのは「キャベツの煮たのとかが入っていた饅頭」であったらしい。
 「そんな、大昔の名物、まだあるのかな?」
 と思ったのだが(40数年前の話である)、JRの駅前を通ったら、行列している肉まん屋があった。雑誌で紹介されたという記事が貼ってあって「タモリも絶賛」とのこと。

 「うーむ、この店だったのかねえ?」
 ってかんじだったが、我がママンは行列に弱いので、「とにかく、こんなに並んでいるってことは、きっと美味しいのよ」

 あの〜、列の前に並んでいる老夫婦の奥様も「だって、こんなに並んでいるから、きっと美味しいのよ」っておっさってますけど?

 列が列を呼ぶ現象で、常に10人くらい並んでいるのであった。
 やっと順番が来て、母が買えたのであるが、やっぱし大めに買ってるし(笑)
 そんで、さっそく食べてみたら、母が「肉まん3個余分に買ったから、持って帰る?」と言うのだが、はっきり言って、あんまし美味しくなかった。不味いとも言わないけど、並んで買うほどのもんでもない。つーか、ちゃんと作れば、もう少し美味しいかもしれないが、列をさばくのを必死で作っているから、なんだが手抜きっぽい味だったのである。ありがちであるが、これだったら、コンビニの肉まんのほうが、最初から工業製品としての最大限の努力をしているだけ美味しい。「手作りの店」の突貫工事よりも。ガウディの工房が受注しすぎで、いっぱいいっぱで仕上げた家具よりも、イケアの家具のほうがいいだろう。

 家内制手工業の限界を感じた一品でありました。
 「手作り」が工場オートメーションと同じような生産量を目指すと、品質はオートメーションを下回るという法則。

 でも、我がママンは30分くらい行列して嬉しそうだったし、「そう、あのお客さんが持ってきてくれたのは、たぶんこの肉まん」と満足していた。
 巣鴨の外れの中華屋で夕飯たべて、コーヒー飲んだらもう9時だった。

 スタバもどきのコーヒー屋の地下で、コーヒー飲み終わって「そろそろ、帰るか」と帰り支度していたら、お向かいの席にいた女性も立ち上がろうと思って、トレーをひっくり返してしまった。
 ママンはすかさず、「私たち、もう帰るから、上の階に行くから、店員さんに知らせてあげる」と言って、先に上がった父が店員に「あの〜、地下で、他のお客さんが、コップを・・・・・」言葉につまる父をフォローして私が、「コップが割れちゃったようなので・・・・」店員さんは「わかりました、片付けに行きますね?」とニコリ。

 店の外に出て、親子三人で信号待ちをしていたら、後ろからさっきの女性が「ありがとうございました」と声をかけてくれた。

 我がママン、おせっかいでウザいところもあるけど、でも、ああいう場面で、的確におせっかいすることができる「けっこう、いいオバサン」であることが実感できて、その調子で、「双子の孫の世話」をするのもアリかもしれない・・・・と、似た者父娘は無言のアイコンタクトをしたのであった。だから、父と娘の役割は「も〜、大変なのよ〜」って愚痴をきく、コンサル役なのである。父はけっこう実働が伴うはずだが・・・・でも、現役サラリーマン時代には頼まれしないのに朝8時から出勤していた父は、わりと実働は苦にしない。母方の祖父母が健在だったころ、父は早朝から手伝いに来ていて、当番だった私が昼頃行ったら、父はすでに布団を干していたりした。

 たぶん母が「今日はミヤノが来るはずだけど、どーせ、あの子が来るの午後だから」と父を送ったらしい。

 「なんだ、今ごろ来たって、お父さん、もう洗濯しちゃったぞ」という父に「これでも、私としては早く来たつもりなの!」

 で、父は、「じゃあ、オレはこれから神田に行くから」私とバトンタッチで古書店めぐりに出かけてしまった。
 父は古書店めぐりが好きであるが、古書を買ったのを見たことがない。
 ただ、今だに父の本棚にある、私が子供のころからある本は、たぶん、彼が学生時代に神田で買った古書だったりするのだろう。

 巣鴨の肉まん屋で並んでいるときに、父がぼそりと「神田にも昔は、こういう店があって、箱崎から10円の電車賃をケチって神田まで歩いたのに、結局、こういう店で、買い食いして10円使ったもんだ」なんて話を聞くのが好きなんだけどさ。

 そういえば、墓参りに行った街で、ちょっとお茶をすることにして(銀座の個展で疲れたけど、銀座は混んでそうだったので、我慢して墓参りを済ませたので)下町風情な「スタバもどきじゃない喫茶店」に入ったら、けっこう混んでたんだけど、すぐに客がサーっといなくなったので、「あれ?」と思ったら、WBCの決勝が終ったところだった。

 「なーんだ、みんな、これを観に来てたんだ」と笑っていたのだが、そんな下町風情に、なんかそんな話になり、父の実家は、箱崎の今はほぼ「IBMの敷地」になっているが、当時は町工場がひしめく地帯の、祖父がひとりでやってる町工場だったらしいが(今だに何で生計たててたのか、私にはよくわからない)、そこの奉公人は、祖父と同じ業種のもっと大きい工場の息子だったようで、母は結婚前から父の実家を手伝っていたらしく、そこの奉公人が、自分と年も近い母になついて、「おねーさん」と呼んでいたので、てっきり、その家の(父の実家の)、娘だと勘違いした、その奉公人の友人が、毎日のように顔を出していたらしい。

 下町風情のことであるので、奉公人の友人だって、その近辺の子であるから、彼が足しげく通ってきても、誰も不審に思わなかったのであるが、ある日、その友人のご家族が「この家に、年頃の娘さんがいらっしゃるようで」と挨拶に来たらしい。「ぜひ、うちの嫁に・・・・」って。

 「なーんか、勘違いしてたらしいのよね〜」と嬉々として語る母は、すでに「おばーさん」であるが、娘時代は、おっとりと大人しそうな風情でたいそうモテたらしい。母の兄の友人だった「ちょっと変なおぼっちゃん秀才」が母にぞっこんだった自慢話もずいぶん前に拝聴した。

 しかし、やはり60歳のオバサンが語る「昔はモテモテだったのよ〜」話を聴くのは、けっこうシンドイのですが、実の娘ですから、必死に耐えました。死んでから、お彼岸に花を手向けるよりは、生きているうちに、こういう話を聴くほうが、コストパフォーマンス的には・・・・・・なのか?自分のコストパフォーマンスを考えれば・・・・だけど、向こうのコストパフォーマンスだと・・・・・

 不肖の娘も、なかなか大変なんですってば。
3月20日(月)

 貰った日本酒に何か特殊な成分が含まれているのか、それとも日本酒全般がそうなのか、わからないけど、ともかく、その日本酒を飲むと、眠くなってコトンと寝てしまうので、日記が書き終わらないうちに強制終了になっておりました。

 昨日の日曜日こそ、きちんと日記を書き上げねば、と思ったのですが、自分にそんなプレッシャーをかけたため、「やーだもん」と自分で反抗してパソコンも立ち上げなかったのでありました。心底天邪鬼な自分に乾杯。

 リハビリのために、テレビ雑感でも綴ろう。

●バファリンのCM

 前にも思ったのだが、どうも「大バッハ配合です」と聞こえてしょうがない。
 バッハが配合された頭痛薬なんて飲んだら、頭痛が永久に続きそうである。

 どうやら「大バッファ配合」と言ってるらしいが、もしかしたらそれも聞き違いで「ダイバッファ」という成分なのかもしれないし、とにかくバファリンというからには、「バッファ」という成分が入っているらしいけど、それがどうした、というかんじ。あれ?もしかしたら「小バッファ」と「大バッファ」があって、バファリンには大バッファが入っていると宣伝しているのか?
 どっちにしろ、どうでもいい。

●「なんでも官邸弾・・・・(この変換かよ!)鑑定団」の再放送でやってた「孤高の画家」

 あんまり熱心に観ている番組ではないのだが、たまに再放送にあたると、けっこう熱心に観てしまう。
 関係ないが、NHKの受信料問題とか、NHKでもCM放送するとかしないとか、いろいろ騒がれているけど、私はNHKにちゃんと受信料を払っているけど、12ちゃんねるにも毎月500円くらい払ってもいいような気がしている。

 さて、その「孤高の画家」の作品であるが、所有者が「ある人からタダで頂いたのですが、作家の名前を言っても誰も知らなくて・・・・でも、いい絵なので・・・・」と言っていたけど、たしかに、いい絵だった。というか、あの番組では、絵画も多く紹介されるが、私が「あ、これなら私も欲しい」と思ったのは初めてだ。

 出回っている作品数が少ないためか、ネットにも画像があまり出てないようなのだが、どうやらあの放送は昨年だったようで、その後に開催された展覧会はけっこう人気だったらしい

 番組で紹介された絵は、それほど大きくはない「睡蓮」で、私のような「睡蓮といえば、モネ」のような人の心を鷲づかみだった。日本画とモネとの出会いのような作品だったのである。平山郁夫がモネの睡蓮にインスパイアされたような・・・・
 テレビで紹介された、野十郎の他の絵も、淡々と月の光を描いた絵などは、モネの絵を思い出させた。モチーフはモネっぽいのだが、筆致はもっと緻密で、日本画っぽいのである。で、印影をすごく重視するあたりは同じなのだが、野十郎のほうがエッジがきいていて、凛とした空気感があるのだ。

 テレビ画面で観て、それも我が家のもはや中古品として流通させるのは不可能な、10年モノ以上のボロいブラウン管テレビで観て「わー、これいいいなあ」と感激したのであるから、実物をぜひ拝見したいものだ。

●女王の教室スペシャル

 なかなかよい出来でございました。
 一部に熱狂的ファンを作った「女王の教室」の番外編というか、SWでいうところの「エピソード1〜3」の「ダースベイダー誕生」までの物語だった。(私は「エピソード4」しか観ておりませんがっ)

 普通の「熱血教師」が、「熱血」だけではどうしようもない修羅場を経て、だんだんと「女王」=「ありえねーほどの鬼教師」と変貌していく過程が、かなりしっかり描かれていたので、満足な出来栄え。女王様教師のキメ台詞(「いいかげんに、目覚めなさい!」など)の発祥もきちんと描かれ、かなり丁寧に練られた脚本であった。
 女王誕生に関わった、問題児の子役の熱演もよかった。

 彼女の上司となる人たちは、彼女をそれなりに評価しているのだが、でも、何か問題が起こると、あんまし助けてくれない。そのあたりもリアルなので、共感しやすい。
 とにかく、自分で悔いが残らないように、自分でできる精一杯のことをやるという話なので、私みたいに「なーんか、違ってるような気もするけど、上司がいいって言うから、ま、いっか」な毎日を送っている身としては、「マヤ先生、そこまでやらんといかんのですか?」と反省することしきりだが、しょせん、ドラマの話であるので、「まあ、理想はあるけど、自分がそれほど傷つかないように、そこそこに」という程度で、のらりくらりとやるのが現実であるので、それはそれでいいのだが、やる・やらないは別として、「理想」というハードルが少し高くなると、なんかやったような気がするので、それはあくまでも幻想であるが、しょせん幻想なんだけど、いいじゃん、ドラマなんて、ただの娯楽なんだから、と「いい娯楽作品であった」というあたりでいいでありましょう。

●WBC

 なんだか、出来の悪い「スポ根ドラマ」を見せられているような気分になるが、どうやら現実のことらしい。
 最初から、この企画をなめていたので、「サッカーW杯の盛り上がりが悔しくなったプロ野球業界が考えたのであろう」と、思っていたのだが、テレビ局は軒並み、サッカーW杯と同等のように扱うので、「マスコミだけが盛り上がってもよお」と思っていたのだが、わりと皆さん、本気のようです。

 銀行で順番待ちしていたときに、ちょうどメキシコ戦が終って、隣に座ってた「ふつーのオバサン」がパチパチパチと拍手していたのを見て、「こいつら、マジだ」と確信した。
 視聴率も軒並み好調らしいし。

 どうやら、本当に「日本国民全員が一丸となって応援している」らしい。

 これは、ややこしいことになってきた。
 熱狂しているのは、圧倒的に中高年なので、サッカーW杯のときに「若者のぷちナショナリズムが」と嘆いていた識者はどうするのだろう?

 みんな、日本代表だったら、なんでもいいみたいだけど・・・・

 どう表現していいのかわからないが、W杯サッカーの盛り上がりは「社会現象」として話題になったが、WBCの盛り上がりは、それ以前のもののような気がしてならない。
 ここで無理やり「団塊世代のWBCと団塊ジュニアのW杯サッカー」を論じても、ただひたすらマヌケなだけだ。

 なんで、WBCがそんなにアホらしいのか、きちんと語れないのがもどかしい。
 でも、韓国ではW杯と同じように、街頭に集まって「てーはみんぐ!ちゃちゃんちゃちゃんちゃ」とやっているのに、たぶん、日本でW杯で浮かれた若者は、WBCでは浮かれてないのだ。

 優勝したら、道頓堀に飛び込んでくれる、おっちょこちょいな若者が出現するかもしれないので、よろしくお願いいたします。つーか、警備を強化しておこう。そうすれば、おっちょこちょいな若者は「もしかして、呼ばれてる?」と勘違いしますから。

 たぶん、WBCがアホらしいのは、「成り上がりのサッカーが労働者階級の若者に支持されてる」というと対象に「斜陽貴族のベースボールが、労働者階級に擦り寄った」という匂いがプンプンするからなのかもしれない。

 で、そもそも、「労働者階級の若者」っていうのは存在しなくて、「お父さんが一部上場企業の社員」っていう若者が、労働者階級のマネっ子で、なんちゃってフーリガンだったわけで、それを「嘆かわしい」と言っていた、年収1千万円超のお父さんが、「やっぱ、野球だろ。久々に息子と話ができたぜ」と胸を張っているのがWBCというのが、透けて見えるわけで、要するに、定年間近の父親が、息子を誘ってカラオケボックスに行き、ハウンド・ドック熱唱してトホホというような雰囲気にしか思えないのだが・・・

 明日、母親と外出する予定なのだが、「イチローって、けっこういい子だったのねえ」なんて言われたら、がっくしきそうである。
 別にイチローに思い入れはないが、イチローというのは「いい子」よりも「できるヤツ」というのを目指していた人だったと思うので、それが簡単に「いい子」になってしまうと、「いい子」を否定して頑張ってきた自分が・・・・

 サッカーW杯よりも、今回のWBC騒動のほうが、「日本社会の抱える病理」を体現していると思うので、イケイケな識者の皆様にはぜひ奮闘してほしいものである。
3月18日(土)

 昨日は、頂きモノの日本酒をちびちび飲みながら、日記を書いていたので、中盤からすっかりできあがってしまい、「あ、そろそろチャングムだ」と思って、中断したのだが、チャングムが始まる前に酔いつぶれて寝てしまいました。無念である。

 さて、今日は楽しみにしていた「女王の教室」のスペシャル版を放送するので、それまで起きていられるかしら?
 ええと、だから、昨日の日記の途中から自分でも何を書いたか記憶がなくて、今日読み直してみたが、やっぱし中途半端になっていたようだ。

 「人文系ヘタレ中流インテリのためのマルクス再入門」で「人文系」も「ヘタレ中流」も自分の勘違いだったことがわかったが、なによりも「マルクス再入門」の「再」を見落としていたのである。
 入門書ではなく、「再入門」だったのである。

 そりゃ、中味を読んで「げ、なにこれ?」と思うでしょうよ。マルクスというのが、経済学という学問の中で、どういう位置にあるか、なんて考えたこともなかったもん。
 なので、クラシックしか聴かない人に、シカゴ・ハウスの意義を今一度、再構築してみましょうと説いているようなもんで、経済学の学派がさっぱりわからんのだもん。ミクロとマクロの区別すらわからんのだ。話は逸れるが、今だにエクセルとかで出てくる「マクロ」の意味がよくわからん。自分の仕事には必要ないので、構わないのであるが。

 
3月17日(金)

●お呼びでなかった話

 手元の本の在庫が少なくなってきたので、ネット書店でまとめ買いした。(っていっても、7冊だけ)

 その中で、キャッチコピーだけで買ってしまった本が一冊あった。
 たぶん、書店で「帯で買っちゃった」というのと同じことである。実際、本が届いてみると、帯に書いてあったし・・・

 「人文系ヘタレ中流インテリのためのマルクス再入門」

 っていうので、「あたしのこと?」と思ってしまったのである。
 それで「資本主義、グローバリズム、市場原理、マルクス主義、下流社会・・・このなかに嫌いなものがあれば、ぜひマルクスをお使いください」とも書いてあったのだが、別にその中にこれと言って嫌いなものはなかったのだが、でも、そういえば、ベストセラーに名を連ねていて、上司のお勧めだったので、ついつい読んでみた「下流社会」って本はクソつまらなかったので、嫌いと言ってもいいかもしれない、と拡大解釈してみた。

 それに、「マルクスをお使いください」というのに惹かれたのである。
 なんか、ちょっと、使ってみてもいいかも、と思ったのだ。

 いちおう、マルクスを使う場合というのは、20歳の小娘だったころから想定していて、飲み会や見合いの席などでマルクスの話になったら「ああ、マルクスって兄弟が多いですよね。ええと、グルーチョとハーポと・・・・あと、なんだったっけ、うふ?」という、古典的マルクス主義ジョークを披露してみたいと思っていたのだが、そういう飲み会や見合いの席に臨席したことは一度もないし、たぶん、そういうのは実在しないのであろう。
 ちなみに、たぶん、伝説にもならない。

 マルクス兄弟すかし、をやる以外にマルクスを何かに使おうなんて考えたこともなかったけど、その昔、たしか林マリコだったと思うけど、モテる女は、会社で嫌なことがあったら、彼氏に電話して「わたし、今、行き詰まってるの・・・・」と言えば、彼氏はホイホイとやって来るだろうけど、モテない女は、ついうっかり、「ちくしょー、世の中って、なんて理不尽なんだ」と「資本論」などを読んでしまう・・・・・てなことを書いていて、それでモテない女は益々賢くなってしまい、男に縁がなくなるという話だったかどうかは忘れたが、私の記憶に刻まれたのは「そうか、こういう場合に例として出す本は、『資本論』なんだな」ということである。

 ふつーの人は、決して中身を読んだことがないけど、題名だけは超有名な本なのである。

 そういえば、昔の職場のしょーもない上司に、いきなり「あんた、マルクスって知ってる?」と言われたときに、「あ、とうとう職場の世間話でマルクスを語るときがきたのだわ!」と感激したのだが、その人に「マルクス兄弟なら知ってますが」と言っても、会話はユークリッド幾何学的平行線をまっしぐりとぐらなのがわかったので、しょうがなく「詳しくはわかりませんが、マルクスにはもれなくエンゲルスがついてくることくらいなら知ってます」と、自分的には「金のエンゲルスがおまけについてきます」のわかりにくシャレのつもりで言ったのだが(わからんよねえ?)、相手はエンゲルスを知らなかったようで、「むむ、おぬし、ただものではないな」と、態度を硬化させてしまったので「え?私、なんか、いけないことを言った?」と戸惑ったよなあ。

 さて、話が逸れてしまったが、その「マルクスの使い道」の本が届いてみると(あと、購入した理由のもう一つの理由は、著者に「稲葉振一郎」が名前を連ねており、名前を知っているから親しみやすかったという、非常にヘタレちっくな「理由」でした。文房具購入するときに、値段も質も似たような製品でも、ついつい「KOKUYO」と書いてあるほうを選んでしまうようなもんです)装丁はけっこう、オしゃれ系というか、ソフトカバーだし、こ難しそうな雰囲気はみじんも感じさせません。

 「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」も、題名で「ふーん?」と思って買ってしまった(彼の著作だった「女子大生会計士事件簿」は、まあまあ読めたというのもあったんだけど)のと、似たようなマインドで買っていたので、内容もそんなレベルだと思っていたのですが(いや、これだと失礼なので「読みやすさ」のレベルという意味)、パラパラと頁をめくってみてびっくら。

 漢字が多いぞ、この本!

 どうやら、「イマドキの本当に誰でも読める、実用書」ではなく、私が大学生のころの、ニュー赤本(新しい受験の参考書ではない)ブームの頃みたいに、「お手軽そうで、実はけっこう難解」というあたりを狙っているようです。

 しかも、「はじめに」っていう前説は、稲葉センセーが書いているのですが、こ、これって、蓮実センセーへのあてつけっていうか、パロディなんすか?
 なんか、ものすごーく、蓮実本を読んでる気分になるんだけど、気のせい?
 あの頃、(小生意気な大学生だったころ)、フーコーとかガダリとか読むのがおサレで、頑張って読んでみたけど、全部途中放棄し、なんとか読めたのが、蓮実重彦の著作で、それも、内容は全然覚えてないんだけど、なんか「蓮実風」な雰囲気だけは取得したように思う。

 なんか、執拗にネチネチ語るので、なにかがわかったような気がするのだが、よくよく考えてみると、さっぱりわかってないのだが、でも、「頭のいい人の思考回路」にちょびっとだけシンクロできたような快感があるのだ。
 「パリコレ」の秋冬コレクションの紹介映像を見て、自分もスーパーモデルになって、キャットウォークしたような快感というのか・・・・。クルっとターンする瞬間にバっと上着を脱いだら、わー、中はそんなドレスなんだ、わー、っていう感じ。

 しかし、くどいようだが、話を戻すと、その帯の文句には、たしかに嘘はなかったのである。「人文系ヘタレ中流インテリのためのマルクス再入門」

 自分が「人文系ヘタレ中流インテリ」ですら、なかったことに気が付いただけだ。

 読み間違えていたのである。「人文系」を「文系」に。

 「文系」VS「理系」っつうのは、高校のときのクラス分けである。
 もしくは、大学のときのサークルの「文化系サークル」VS「体育会系サークル」っていうのでもある。

 なので「人文系」というと、「きちんと大学で勉強しました」っていうことなので、まず、私は脱落だった。

 で、「中流インテリ」っていうのも、「あたしのこと?」と思っていたのですが、日本人の中流意識ってやつなだけだったんですねえ。
 かたじけない。
 つーか、私は「中流意識」を批判する立場を貫いてきたのですが、「自分なんて、中流じゃなくて、ただの労働者階級じゃん」と思っているつもりなのに、やはり心の奥底では、「うちの父ちゃんは、大企業では出世できなかったけど、子会社に出向してから役員だったしぃ」と「中流意識」に犯されていたようです。
 うちの母ちゃんは高卒ですが、たぶん、「マルクスと言えば?」と質問すれば、「エンゲルス」もしくは「資本論」と即答したでしょう。彼女は、センター試験の「一般社会」(昔だと「公民」だったけど、今だと何?)の問題を解いて、「あら〜、わたし、平均点上回っちゃった〜。やーねえ、こんなの新聞読んでりゃいいだけじゃない。今の高校生ってほんとにダメねえ」と、よく自慢してました。

 両親とも、うちの会社の社員平均より一般常識があるようなので、父ちゃんに「上場廃止になったので、ボーダフォンの端株を売りそこなった」と愚痴ると、「それは、もったいないことしたなあ」と言ってくれるので、上司に愚痴るより心やすまります。
 今度、実家に帰ったら、「ボーダフォンをヤフーが買収したら、なんかいいことあるかな?」と相談してみよっと。頭はいいが、ボケかかっている親父をなんとか、こっちの世界に引き止めたい、切ない娘心というか、私、あの人にクリソツなので、なんとかしてあげんと・・・・

 えーと、何の話をしていたんですっけ?
 そう、それで、「マルクスの使い道」の一番面白いとこは、今のところ「注釈集」だったりするのですが、注釈集と熟読すると「アカ」のレッテル貼られるらしいです。

 「キアヌにプロポーズされたらどうしよう?」という程度には、「アカのレッテル貼られたらどうしよ?」と心配しているので、けっこうツボにはまりましたですよ。

 会社帰りの電車の中で、やっと「はじめに」を読み終わって、その先は本題の「対談形式」になったのですが、その始め方も、蓮実重彦の本っぽくって「よくわかんないだけど、なんだかな〜」で、まさに蓮実センセーが、「いまさらながら、マルクスを再構築してみようと思いまして」と書いているようで、なにがなんだか、わたしには・・・・

●今日のKさん

 Kさんは、午前中は外出だったのだが、昼過ぎに戻ってきて、「ただいま、戻りました〜」というのはいいのだが、また「ごめんね」を繰り返す。
 私は無視していたのだが、どうも、その「ごめんね」は、派遣社員のTさんに向けられてるらしい。

 「ごめんね、外出が多くて、なんかゆっくり話す時間がないよね?」

 派遣のTさんは、そういう「わかりにくい、話し掛け」には、平然と無視をきめこむ。
 「はあ・・・・・?」と、とぼけるだけ。

 しかし、Kさんもしつこいので「ほんとに、ドタバタしてて、ちゃんと話できなくて、ごめんね?」と繰り返すので、無視をきめこんでいた私が耐え切れなくなり、クスクスと笑い出してしまった。
 そんで、ついつい独り言のように呟いてしまったのである「そ、そんな、お喋りできなくって謝られても・・・」

 Kさんが、家で自分の子供やダンナにそう言うのならわかるけどさあ。
 そしたら、Kさんが急に「そうだ、ミヤノさん」と言い出すので「やべ、矛先が自分に・・・・」とビビりつつも「なんでしょう?」と言うと、「昨日、もしかして、私が帰るまで帰れなかったんじゃない?ほんとに、やーね、私ったら、全然気が付かなくて、昨日、夜寝るときに、ハタと気が付いて、もうどうしようかと思って、ほんとに、あたしったら、みんなに迷惑かけてばかりで・・・・・」

 たしかに、昨日、遅くまで残っていたKさんに「あれ?まだいたんですか?」と声をかけたけど、彼女の勤務時間が5時半なのに、6時半まで残っていたので「大変ですねえ」って意味なだけで、たしかに、私も「そろそろ帰ろうかな」と思っていたけど、私が「最後の一人」だったわけじゃなくて、M嬢は親会社に行っていたので、別のフロアで作業中だった隣の部署のラストの子に「私が帰るとフロアは無人になるけど、まだMちゃんが帰ってきてないから、もし帰るんなら消灯しないでおいてね」と伝えるだけだった。

 「いえ、別にKさんを待っていたわけではなく・・・・」と説明したのだが、「でもでも〜」と私の言うことを素直に信じてくれなくて「ミヤノさんに、迷惑かけた」と一生懸命謝ってくるので、こっちが困るって。
 しょうがないから苦笑しつつも「いいえ〜、全然そんなことは・・・・」と繰り返していたので大変疲れた。

 Kさんの「もっと皆さんと会話しないと、悪いわあ」というのが、こういうことなら、全然会話しなくても全然構わないということを早く理解してほしいけど、あれも性格だからしょうがないわよね。
 ああいうタイプの人ってきっと「悪いところがあったら直すから」なんて言うんだろうなあ。

 イライザとハイジが衝突したときに、私はイライザに「ハイジの性格が問題なら、それは直らないよ」と、シラっと言ってやったのであるが、私は本当にそう思っているから、「相手は変わらないから、自分が慣れるしかない」のである。

 なかなか、慣れないのであった。
3月16日(木)

 ゆるゆると春めいてきたようだ。
 気が付けば、周囲は春用コートがたなびく。
 そして、「寒いより、暑いほうがまし」な私は、なかなか冬物コートとマフラーを手放せないでいるのであった。

 さて、出勤すると、さっそく「朝の頭が一番働くときに・・・・」と、昨日、部長に確認した話を弁護士へ書き綴る。&番号を振った過去にやりとりした書類やメールをプリントアウトしたものを添えた。
 我ながら、けっこう力作であった。
 途中、他の仕事に邪魔されながらも、午前中にはFAXできた。

 午後には、20日支払の振込手続きを黙々とやっていた。(ハイジの仕事の代行)

 そしたら、午後2時ごろ、弁護士さんから電話があり「FAX拝見しました。じゃあ、・・・・して、・・・・なので、・・・・でいいですね?」「はい、すぐに処理いたします」

 終ったようだ。
 あーあ、もっと早くに私が本気出せば、こんなにこじれずに済んだのだよなあ。相手にも迷惑をかけてしまった。
 そもそも、部長は弁護士に丸投げして以降、ほとんどなにもやらなかったので、だったら、最初から私に任せてくれればよかったのによ〜

 嘆くまい。
 世の中、そういう仕事の進め方をする人はけっこう多いのだ。
 自分の仕事を一部だけ部下に手伝わせる。「連絡役は任せるから」とかなんとか。会議でいえば、書記を立てるようなかんじ。
 そんで、部下が「あの〜、この件はどうしましょう?」と言っても、なかなかはっきり返事をしないで、ただ引き伸ばす。
 事態がだんだん滞っていき、トラブルが発生したりする。部下が「先方が怒っているんですけど、どうしましょう?」と言うと、「うーん、困ったなあ」と言うだけ。
 ひどい人だと、トラブルの原因を部下に転嫁したりする。部下もしょうがないから奔走するが、相手は「上司と話さないと拉致があかない」と言うので、「なんとか直接話していただけないでしょうか?」とお願いするが、「うーん、困ったねえ?」と、相手が困ったやつであって、自分には責任がないという態度。

 事態がこじれるだけ、こじれてから、やっと上司は「じゃあ、こういう条件なら、そうしてもいい」とか言うので、部下が相手に伝えると「まあ、それなら、納得できないこともない」と言うので、部下は双方に頭を下げて、やっと丸く納め、上司に報告すると、「な?だからお前で十分だったろ?」とか言う。

 で、上司のほうは、「こうして部下を育ててるんだ」と思っていたりするわけだ。

 昔、一時期だけ働いたベンチャー企業の社長は、もっとひどくて、最初から無理な案件を部下に丸投げして、当然のことながら上手くいくわけがないので、ゴタゴタにこじれ、それを部下の無能のせいにし、さらには、「ああ、だからうちの会社はお金が無いんだ」と私に愚痴るので、ほんとにしょうもなかった。
 私にも、そういう罠を仕掛けてきたけど、たとえば、融資なんとかしてくれって言っても、私が金融機関に行ったって、相手は「社長さんが来てくれないと」というのは当たり前なので、「とりあえず、とっかかりの話はしましたから、あとは社長がご自分で・・・・」ときっぱり言ったが、「だって、オレだって忙しいんだからさあ・・・」と言って、まるで「そのくらい、ミヤノさん一人でできるでしょ?銀行だって金貸すのが商売なんだからさ。あいつら、ほんとに手抜き仕事だよな。だから、銀行なんてさ・・・・」と、「銀行がバカだから、優秀なオレ様にお金を貸してくれない」という話にされるので、勝手にほざいてろって思ったっけ。

 ああいう、「もう、私にはどうしようもないレベルで、どうしようもない」のに比べると、元上司なんかは可愛いもので、最初は「よくわかんないよ〜、ほんとに面倒な人たちだなあ」と投げていたのだが、それで3ヶ月放置して、やっと相手が怒り心頭になり、私も「どうにか、円満に解決しましょうよ〜」と相談したら「まあ、そのくらいの金額だったら、もう払っちゃえば?」・・・・・「払っちゃえば?」って言われてもよ〜と思うが、それでいいならそれでよし。

 元々「正当な要求だったら、払ってもいいんだけどさあ」と言っていたのだが、経緯がよくわからない私には、何が正当だかわからなかったので、指示を待っていたのだが、「こりゃ、その判断まで私がするんだ」と覚悟を決めたので、弁護士に相談してみたら、弁護士だって「まあ、こんなもんでしょう」というようなことを言うし、よくよく過去のやりとりメール(部長と相手の)の写しを読んでみたら、相手は最初からそう言っていたのである。「こういう場合は、こういう金額を要求しますが、よろしいですか?」って。

 遺跡を発掘して、「たぶん、その条件でいいってことなんだろう」と判断したので、弁護士にもその旨を伝えたのであった。「向こうの要求も、一貫してますし、常識の範囲でしょう」と。

 夕方には全ての処理が済んで、あと残るは弁護士への支払だけだが、どう切り出そうかね?
 相手が入金確認してきたくらいのタイミングかな。

 昨日の税理士への電話でもそうだったんだけど、最初に依頼して説明しているのが上司なのに、どういう依頼しているのかわからないまま、停滞していて、みんな困っているので、しょーがないから税理士に直接きいているのである。そこの税理士事務所とは普段から私もよく話をしているので、なあなあで済むけど、今回の弁護士とは、面識がなく、ただ、最初は「弁護士から電話がありまして、折り返し連絡がほしいそうです」と言ったら、「じゃあ、用件きいておいて」で、「○○の書類が届いているはずなので、FAXしてほしいそうです」「じゃあ、これ送っておいて」ってうちに、いつのまにか、私に一任されてたらしいので、弁護士にいくらくらい支払うのかもさっぱりわからない。まあ、ああいいう業界は、規定でだいたい決まっているので、請求書来たら、素直に言値で払うだけなのだが。

 さて、気分を変えて、「今日のKさん語録」でも。

 先日は忙しそうなM嬢に向かって「私、体つかう仕事は会社でやって、頭つかう仕事は電車の中ですることにしたの〜」と宣言して、M嬢が「はあ・・・・」と彼女なりに無視を決め込んでいたのだが、今日は、「私って、仕事オタクなのよね〜」と話かけていた。
 今日はM嬢にも余裕があり「え?なんで?」とちゃんと受けてあげてた。えらいなあ。

K 「もう、家にいても仕事のことばかり考えちゃって頭いっぱいで、電車の中でもそんなかんじで、買い物してても洗濯してても、仕事のことばかり考えてるの〜」
M 「わあ、そうなんだ(笑)」
K 「それで、そんな自分がおかしくなってきちゃって、きっと、こういうのが仕事オタクっていうのよねえ〜、まったくも〜」
M 「たいへんそうですね(笑)」

 ほんとに、Kさんのセリフって、一昔前のトレンディ・ドラマっぽくて、私はついていけないのだが、てゆーか「内館牧子の脚本のセリフみたいなのを真面目に言う人って、実在したんだ」と、その昔よく、そういうドラマを見つつ「こんなこと言うOLなんていねーよ」と、突っ込みを入れていたことを今さらながら反省してしまったりする。

 「あたし、今は仕事のことしか考えられないの!だからごめん・・・・タカユキのことが嫌いになったわけじゃないけど、でも、仕事のことで頭がいっぱいになっちゃって、あたし・・・不器用だから・・・・ほんとにごめん!」

 「部長、今回の仕事は、ぜひ私に任せてください!私、きっと頑張りますから!」

 「あーあ、今の自分って、恋も中途半端、仕事も中途半端・・・・なにもかも中途半端」


 Kさんのセリフは、ほんとそういうトレンディ・ドラマな雰囲気だ。
 今日も彼女は、残業になってしまったのだが、給湯室でこそこそケータイで電話しているのが丸聞こえだった。(声がでかいのである)

 「あ、お母さんだけど、ごめん、今日も遅くなるの〜。だから、先にご飯食べてて。ごめんね、ほんとに大事な仕事があって、それが終らないと帰れないの。お父さんが帰ってきたら、そう言っておいてね」
 と語る声は、ほんとにドラマから抜け出してきたようで、ちょっと笑ってしまったが、気の毒っちゃ気の毒である。でも、お子さんも、けっこう大きいので、大丈夫だとは思うけど。

 仕事をするお母さんが、「ごめん、遅くなる」と電話をする場面は、実際によく見てきたけど、みんなもっと普通だったよな。字面だけだと、「現実」と「芝居がかった」の区別をつけにくいのだが(要するに、私にそれを文字で表現する才能がない、ということなんだけど)、Kさんの喋り方は、大女優、三田佳子みたいなので、すごくリアリティーがなくて、家族とたまに携帯で話しているのが聴こえても、まるで、電話が繋がってないような、携帯電話という小道具をつかって、家族を演出しているような気分になるのが面白い。

 きっと、Kさんは、希少な「大女優の素質」を持った人なんだろう。

 なので、その相手をするときには、大御所お笑い芸人(ハマちゃんとか、とんねるずとか、さんまとか、タモリとか)のようにやってやらんといけないのだな。えーと、でも、私はたしかに、タモリちっくなリアクションを目指していますが、なにしろ相手は「大女優っぽいお母さんOL」であり、私は「大御所お笑い芸人っぽいOL」なだけなので、今のところ、「タモリが二日酔いのときのテレホンショッキング」が精一杯というところでございます。
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