可燃物な日々

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11月29日(日)

 部長と査定面談。
 いつものように、部長は言いたいことを言うが、私には具体的にはよくわからず、私が具体的なことに突っ込むと、部長はさらに語るが、やっぱし具体的にどうすればいいのかよくわからない。こういうのを「バカの壁」というのだろうか?
 話の後半は、雑談になり、新しい派遣社員のことも話題に上ったが、部長が「まあ、けっこうよさそうな人じゃない」と言ったので、「ええ、そうなんです。ほっとしました」と私が言うと、部長ったら「えっと、名前・・・・何さんだったっけ・・・・」

 わー、ほんとのほんとに興味ないんすね。すてき〜

 そんで、また「ハイジの隣っていう配置をなんとかしないと、またダメになる」と警告されたので、「まあ、ハイジも前回で懲りたんで、今回は変に馴染もうとする態度を完全否定しているんですが、彼もそういうとこ融通きかないというか、生真面目だから・・・・」なんて言ってしまってからふと思うと、Rさんと不自然に距離を置こうとする部長のほうも似たようなもんだ。

 で、二人で部署に戻ると、そこにはRさんに「決算年度が変わったので、新しい決算期のファイルを作ってください」と、憮然としてはいるが、丁寧に教えているハイジの姿があった。Rさんも淡々と「はあ、なるほど。これと同じのを作ればいいんですね」と頷いていた。

 Rさんも、元々は50人くらいの規模の営業所の営業事務を一人でこなしていたということなので、ああいう愛想良くない男子には慣れているのかもしれない。そう願う。

 私も派遣の経験は多少あるが、それなりのレベルのところだと、みんな「あの部署に新しく来た人でしょ?」なんて、社員のほうから話し掛けてくれるので、自然と人の顔と名前を覚えたけど、うちの会社って、そういうのをあんまりしない人のほうが多いので、「普通の会社だと、3割くらいいる、全然話し掛けてくれない人」がほとんどと言ってもいいので、派遣社員のモチベーション下がるのではないかと気を揉んでいるのだが、そういえば、今日は、Rさんのマシンに入れてもらいたいシステムがあったので、システムの課長に内線したのだが、

 内線が鳴る・・・
課長 「はい?」
私  「Kさん?」
課長 「はい・・・」
私  「総務部のミヤノですが、うちに新しく来た派遣社員に○○システムを入れてほしんですが?」
課長 「わかった。いく」

 忙しい最中だったんだろうけど、「世界一短い内線電話」じゃないんだからさあ。
 そんで、結局、今日は来てくれませんでした。
 メールしたほうがよかったのかなあ?(システム系の人は、会話よりもメールのほうが通じる場合が多い)

 でも「わかった。いく」って日本に来て1年目のインド人技術者だって、もう少しまともに会話すると思うぞ。
 でもまあ、彼が愛想はないが、渋みのある中年であり、その口数の少なさが魅力であることはわかっているので、いいんだが、彼の人柄を知らない新しい派遣の人なんかが内線だけで会話したら、「なんなのあれ?」とびっくりすると思う。
 そんな無愛想の大御所が多い会社なので、ハイジなんてまだまだ可愛いもんですよ。

11月28日(月)

 今日から新しい派遣社員のRさんが来てくれた。

 初日なんでまだわからないけど、やっぱしすごくいい人みたいだ。「いい人」っていうのは、もちろん、「私にとって都合のいい人」という意味でございます。
 まず、ざっといろいろ説明したのだが、いちいち細かいことを確認してこないのがいい。
 「はあ、そうですか」って返事がそっけないのもいいし、「慣れるまで時間がかかると思うし、なんかわからないことあったらその都度聞いて、それで一つ一つ憶えてください」と言ったら「そうですね」とさっぱり。

 そんで、ミスがあっても、ピリピリしないみたいだし。
 つーか、ミスしたのは私で、決算資料の見出しラベル作りをさっそくお願いしたのだが、私が「これは赤で、これが青」と分けていたのだが、彼女がよくよく確認したら「これ、青の中に入ってましたが、見本(去年作成したやつ)を見たら、赤でしたけど・・・・」

 比べちゃ悪いが、前の人だったら、そういうとき「どうしますか?やっぱり作り直したほうがいいんでしょうか?」なんて先にまくし立てるところだが、私が「ふーん、ま、いっか」な顔をしたのを読んだのか、「ちゃんと確認したほうがいいのでしょうか?」とゆったりと言っただけで、私も「まあ、色分けは見映えの問題で、別に色なんかどうだっていいんですよ、実は」と言ったら、「そうですね、じゃあ、このまま作ります」と悠然としていた。

 そういう性格なのか、それともちゃんと経験的に「こんな見出しラベルの色分けなんてどうでもいい」ということをわかっているのか、今の時点ではよくわからないが、でも、変に完璧主義者じゃないのはわかったので、安心した。
 あのくらい性格が大雑把なほうが、私としては付き合いやすい。

 それに、何が素晴らしいかって、美人でもないし、カワユクもないところだ。(そんなこと言って申し訳ございません)
 だって、新しいカワイ子ちゃんが来ると、ちょっかい出さずにはいられない部長が完全無視だったんだもん。おほほほほほ〜思った通りだ!
 今まではギャルが来ると、「ボクの秘書的な仕事もお願いしたいなあ」なんて言いやがったものだが、年齢よりも老けてみえる彼女には、あまり積極的にアプローチする様子が今日はなかった。
 Rさんのほうも、全然部長に媚び売る様子もないし、部長宛ての電話を受けたときにも、席に座ったまま「Tさーん」と呼びかけていたくらい。普通だと、部長の席の前まで行って、「お電話です」ってやるのだが、そういうことをやらない図太い人のほうが、うちの会社では残るのだ。

 ただ、少し心配になったのは、前に私が気に入っていたけど、謎の「こっちから契約更新しない」という事態になったIさんと、その素朴なルックスといい、眼鏡かけてるところといい、そっけない態度といい、非常に似ているのである。彼女がなんでクビになったのか、今だに真相はわからないが、でも、あの無愛想なところが問題の一つだったような気がしなくもないので、今回もそういう圧力を受けなければいいんだが・・・・

 お昼ご飯を一緒に食べながら、聞き出したのは、彼女は自宅暮らしの独身のようで、だから、そんなに時給の高くない仕事でもいいみたいだし、それに「もう正社員でやる気はないの?」と探りを入れてみたら、「もう年も年ですし・・・」
 まだ30代そこそこなのだが、私も経験あるけど、30歳すぎると事務職女性の再就職は厳しい。
 なので、その諦めた様子にますます好感を持った。
 つーか、何度も失敗して懲りたのだが、「正社員だった前職を辞めて、派遣で仕事しはじめたばかり」という20代半ばの子は、まだまだ仕事に夢と希望を持っているので、雑用ばかりの仕事だと「これじゃ、キャリア・アップにならない」と思うようだが、こういう「それなりに職歴を積んできたが、それが買われることもないだろうし、だから、こんな私でもいいっていうなら、それなりに仕事します」っていう態度の人のほうが、うちみたいな職場では、長続きするのである。

 まあ、どうなるかわからないけど、とりあえず、気配を消すタイプの人のようだったので、そばにいても「気配がうるさくない」というのが大変気に入った。あれだったら、たぶんハイジも大丈夫だと思うんだけどな。
11月27日(日)

 日曜日の楽しみといえば、朝、洗濯しながら観る「笑っていいとも増刊号」だったりするが、洗濯を干し終わっても、ゴロゴロしつづけると、ゴルフが始まったりするけど、私はあんましゴルフに興味がないので(会社でのオジサンたちとの会話に合わせるために、「ミシェル・ウィーのイヤリングがうるさい。あんなんじゃ、パット外すに決まってる」程度のことは言えるよう前向きに努力はしちょります)そういうときには、競馬に替える。

 馬券を買ったことは、生涯で2回くらいしかないが、競馬中継を眺めるのはけっこう好きだ。今日も、勝った馬を屋内でずっとグルグルと連れまわしていたスーツ姿の若者がいたけど、あれは厩舎関係者なのか、それともJRA職員なのか、気になってみたり、あと、関係者しか入れない場所なのに、家族連れがG1制覇馬を眺めているのは、馬主の家族なのか、とか、あと、ここぞとばかりに張り切ってドレスアップしてくる女性馬主とか、いろいろ見所が多いのだが、私が好きなのは、ゲートに馬を入れるところ。

 なかなか入らない馬もけっこういるので、眺めていると飽きないし、そこに大勢の職員がドタバタしているのもいいね。ああ、私もJRAに就職すればよかったかなあ。(←かなりの難関だってば)
 レース後に騎手が検量するときに、不正がないよう、ガードして歩くスーツ族っていうのもいいよねえ。
 最近の騎手はイケメンが多いし(笑)
 外人のくせに、小柄でコンパクトだったりするし(笑)

 しかし、ほんとのことを書くと、私のお目当ては福原アナだったりする。(笑笑笑) (←家に引き篭もってテレビ観てるだけでこんなに楽しいという、ヒッキーの素質だけは自慢できる)
 「めざましテレビ」の「OH MY ニューヨーク」のコーナーですっかりファンになったが、1年前くらいに帰国して、「めざましテレビ」の新聞見出し紹介やニュース原稿読みをしているけど、どうやら彼は元々競馬中継の人だったらしく、またCXの競馬担当に戻ったらしい。

 なんでNYに3年も飛ばされていたのかしら?

 でも、残念ながら、私がこよなく愛した福原アナの「はにかんだような笑顔」は、「OH MY ニューヨーク」ではよく観られたのだが、日本に帰ってきてからは、あんまし笑ってくれなくなった。
 そういや、彼は、午後のワイドショーというか、午後の情報バラエティ番組の司会もしていたような・・・・(平日休みのときに発見して「こんな仕事までやらされちゃって」と涙した)
 そんで、日曜は競馬でしょ?いつ休むのだろうか?
 気になって調べてみたら、今は午後の情報バラエティってやってないのね。

 ところで、福原アナの後任で「OH MY ニューヨーク」をやっている野島アナも、最初はぎこちなかったけど、だんだんヘラヘラしてきて、いいかんじになってきた。あれはNYの魔力なのか?
 まあ、たぶん、あのコーナーは、企画は大変そうだけど、内容はどうでもいいっちゅうか「NYの最新トレンドは!」っていうのを紹介しているだけなので、肩に力入れてやるようなもんでもないので、だんだん脱力してくるのだろう。
 だって、あれ観てても、「ふーん」と思うだけだし。
 それよりも、福原アナのときもそうだったんだけど、つたない英語で、カタコトのインタビューする姿が微笑ましいというか、「この程度の英語力のアナウンサーをNYに派遣する意味って?」という素朴な疑問がもたげてくるので、朝のお目覚め時間には心地よい緩さでいいのである。

 あ・・・・どうでもいいことだが、フジテレビの男性アナウンサーの一覧を観ていて気がついた。
 私が大好きな大村アナは、フジテレビ社員じゃない?
 そっか、あの人はフリーだったんだ。知らなかった。
 W杯のときに、現地リポートなどに行って、超うれしそうにハシャいでいたので、東京のスタジオにいるオヅラ氏に「フジテレビは彼の出張手当は支払わないでください。完全オフ・モードですから」と言われていたので、てっきり社員アナだとばかり思っていた。

 そういや、全然関係ないけど、連日ニュースを賑わしている「耐震構造不正マンション問題」ですが、あの姉歯建築士の「不思議ちゃんぶり」は世間でもどう対応していいのか困っていますが、あの人の髪の毛って、そういうのに鈍感な私ですら「ヅラ疑惑?」と思うくらいですから(うちの母はヅラに敏感で、「この人は絶対そうよ」と騒ぎ出すので、子供たちは「そんなのどうだっていいじゃない」とよく嗜めていた)、なんか耐震構造がどうのよりも、そっちのほうが気になってしまい、困ります。

 ところで、その話題の「耐震構造」ですが、ニュースではちゃんと解説してくれてないけど、(ニュース番組っていうのは、本当に知りたいことを教えてくれないものである)、あれは「今の基準を全然クリアしてない」ということが問題なわけですが、昔に立てられた建物だって、今の基準を満たしてないのがたくさんあるはずで、それと比べてどうなんだ、って思うんですが・・・・
 もちろん、「今の基準で建てられているもの」と思って買ったのと、「このマンションも、もう古いしなあ」と思って住んでいるのでは全然違いますけど。    
11月26日(土)

 今週は休みを取りそびれて、久々の週6日出勤。
 木曜日からすでにテンションは落ちていたが、昨日も集中力に欠け、今日は仕事する気がしなかったし、特にこれといったこともなかったので休んでもよかったかもしれない。くすん。

 また、査定面談の季節なのだが、去年も秋の査定をやらされたのだが、今年もやっぱしやることになった。
 私の職能階級では、ありえないことなのだが、この間も「どーにも納得いかねえ」と思って、職能規定を読み直してみたのだが、私の階級は「リーダーの指示を受けて自分なりに解決できる」というあたりで、たしかに「課長代理」って役職には合っているけど、査定ができるのは、その上の階級からであって、だからこそ、他の部署では課長以上しかやってないはずで、前の部長もそのあたりはちゃんとしていたのだが、今の部長はねえ。

 愚痴っててもしょうがないので、渋々やるしかないし、それに部下っていっても2名だけだし、でも、それを言うなら、部長が私を含めて3人やればいいだけじゃんよ〜

 それなら、それで他のことも任せていただければ「形式上、課長代理だけど、実質は課長」ってことには甘んじてもいいが、派遣社員の面談には同席してくるのはなんでなんだろう?よくわからない。

 そんで、なんで某案件の弁護士との連絡は全部私に任せるんだろう?あっちの弁護士が「部長に伝えてください」っていうのを私が伝えて、また私が弁護士に連絡して・・・・と、時間の無駄なんだが、でも、それは理由がなんとなくわかっている。部長も、あんましよくわかってないが「こうすべし」という結果だけはわかっているので、あれこれ指示できないのである。そういうときだけ「こうすべし」だもんな。いつもだと過程を重視するのに、この件に関しては、何も関わりたくないようなのである。

 向こうの弁護士から「先方がこのような要求をしてきまして、どうしましょう?」と相談されても、ことの経緯がさっぱりわかってない私には、なんとも答えようがないので、部長に確認すると、「それは正当なものなのか?」って、それを確認してるんでございますが、結局、私は正直モノだから、弁護士に「部長もよくわからないそうです」と言ったら、つべこべ言わない弁護士なので「じゃ、これはしばらく寝かしておきましょう」ということになって、うやむやのままだ。

 あ、でも、あの弁護士さんは、好きなタイプなので、変な仕事を押し付けられたにせよ、そんなにストレスになってない。この間も、秘書から「メールをお送りしたいので、ミヤノさんのアドレスを教えてください」と連絡があったので教えたら、「○○の振込先が確認できたので、振り込んでください」と簡素な用件のみのメールが来た。
 なので私も「○日付けで処理いたしました」と簡素に返信。
 電話でお話したときにも感じたのだが、この弁護士さんは「あ、そ。じゃ、いいや」ってタイプの人のようで、話していても全然疲れないのである。

 世の中の全員がこうだと、メールサーバの負荷が十分の1になると思われ。電話代も安くなるし、本当に地球温暖化を目指すのなら、こういうところから手をつけてはいかがだろうか?

 さて、今日はダルダルで出勤だったのだが、近所のスタジアムの周辺で、お祭りをやっていた。
 同僚たちが先陣を切って昼食を調達しに行って、駅弁コーナーでいろいろ買っていたので、私も行ってみることにした。
 そこに行く途中に、ショボい川があり、橋を渡るのだが、川岸に出た瞬間「わーーーーーーーー」

 そこは春になると桜が美しい遊歩道なのだが、今の季節も壮絶な色合いだった。
 私の好きな、赤く染まった桜の葉が、秋の日差しの下で、まさに「燃えるよう」だったのである。

 カメラを持っていたら、写真を撮りたいほどだったが、どうせ私の腕では無理だし、それに写真だとあれを封入するのは難しいと思う。近い木の赤と赤と赤の饗宴と、遠景の凝縮されつつも、微妙に色合いが違う赤、赤、赤・・・・ああ、全盛期のモネに描かせたい、この色合い。
 睡蓮の微妙な印影や色の移ろいにとりつかれたモネに、この桜の紅葉の複雑な印影を表現させたら・・・

 しかし、会社に帰ってから、同僚に「あの川の桜が紅葉してて、きれーだったね」と言ったら「え?そうだった?全然気がつかなかった」と言っていたので、そんなもんなのかも。

 お祭りの人ごみの中ですれ違った幼い男の子が、「10円じゃ、なんにもできないよ!」と叫んでいたのがかわいかった。おかーさん、せめて100円あげてください。さすがに、あの時間じゃ、フリーマーケットの人たちも10円じゃちょっと。(閉店間際だと、10円でも売るだろうけど)


11月25日(金)

 「私も年をとったなあ」と思うのは、春の桜よりも、今ごろの紅葉した桜(「モミジしたサクラ」と読み間違いそう)のほうが、美しさが心に染みてくるようになったことだ。

 桜の紅葉は、緑と黄色と赤が絶妙のグラデーションで、ブワっとマットなインパクトのある満開の桜よりも、立体感があって好きだ。
 毎年呟いているけど、「印象派の絵」っぽいところが、好きなんだろう。

 そういえば、去年も感じたのだが、今年のイチョウの紅葉もイマイチ。
 神宮前などのイチョウの紅葉の名所はどうなのか知らないけど、会社の近所のイチョウは、数年前ばっさりと剪定しちゃったので、ボリュームがないせいもあるけど、猛暑のせいか、水分が乏しく、「紅葉」というよりも、「立ち枯れ」という風情なのである。

 さすがに、駅前にある大きなイチョウは日当たりもいいので、けっこう鮮やかな黄色になっているけど、それ以外は冴えないので残念。
 三茶の近所にはイチョウの木が少ないのであるが、近所のお寺にある巨大なイチョウは、巨大すぎるためか、いつも紅葉が遅いんだけど、今朝もチェックしてみたら、まだけっこう青いところが残っていて、ビッグバー度65って感じであった。

 あのイチョウの木も、年によっては、桜の満開にも負けないような、輝くような黄金色を誇示するのだが、今年はやっぱり歯の密度が低いようだ。

 話は変わるが、この間、NHKの爆笑オンエアバトルで面白かった「尾崎豊ネタ」をやっていた芸人の名前がわからなかったので、今日やっと調べた。

 井上マーでした。
 名前がいいですね(笑)。
 ギター侍こと波田陽区が売れ出したころ、私の友人は「ひょっとして、レディオ・ヘッドから名前とったの?」と言ってましたが(トム・ヨークとは関係ないらしいことがあとでわかった)、こっちだと、「ジョニー・マー?」とみんな(?)思うでしょう。ついつい、マー兄さんと呼びたくなる。

 私は記憶力が悪いので、ネタをちゃんと憶えてないのだが、探したら、少しだけ紹介しているとことがあった
 この人も私と同じで、面白がっているけど「これは、一部には超ヒンシュクなんじゃないか」と心配している。
 でも、やっぱし、文字で読んでも最高だ。会社で見て、ヘラヘラ笑ってしまったもん。

 本人のブログでも、ネタの下地になるようなことが並んでいるので、けっこう楽しい。
 ざっと読んで、気に入ったのは、これでした。泣けるぜ。

 でも、私はわりと青を使ったよ。
 逆に学生でもないから、自宅用だと赤はあんまし使えないんだ。
 そんで、ずっと大事に黒が切れても青を使っているうちに、ネジの部分が壊れたので、捨てたけど。
 たぶん、あの3色ボールペンって、黒の寿命を想定した強度しかないんじゃないかなあ?と思ったことを懐かしく思い出した。

 そういえば、前は「えーっと、今一番面白いのは ♪武勇伝 武勇伝 の人たち」と、ほんとに芸人の名前覚えるのが苦手なのだが、あの人たちは、世間的にも「期待度一位の若手」になったようで、さすがの私もいつのまにか「オリエンタルラジオ」と言えるようになった。
 この間、「めざましテレビ」でも「新型漫才」が特集されてて、その筆頭としてインタビューを受けていたのだが、それで初めて顔のアップを見たんだけど、(武勇伝♪のネタだと、体の動きが重要なので、どうしても引きの画面になる)普通に喋っていると、二人ともルックスがなかなかだった。けっこう高学歴らしいし(アっちゃんて慶応ボーイだったのね。この春卒業したばかりとか)、あのネタも相当練り上げたものらしかった。そうだと思っていたけど。

 でも、ああいう「完成された形」というか、作りこまれたスタイルでブレイクすると、後が続かなかったりするんだよなあ。「悲しいとき〜」でブレイクした「いつもここから」(「アルゴリズム体操」でも活躍)は、今でも、あれの変形バージョンで頑張ってて凄いと思う。今やっている「かわいいねえ」はイマイチだが、その前の「どけどけどけ こんにゃろめ〜」は大好きだった。

 ネタ作るのも大変だと思うし、ああいうのを合わせるのもほんとに大変だと思う。
 長井秀和も「間違いない」の一人語りよりは、体の動きを使った、パントマイムもの(二つの全く別のカテゴリーの動きを「同じ」としてシンクロさせる)のほうが面白かったりするんだけど、トーク番組で「毎週、あれはできない」と言ってた。
 歌手みたいに、ずっと同じ歌を歌っていられないのがお笑いの辛いところだ。そういう意味では、松崎しげると対極である。

 なので、結局、稼ぐとなったらバラエティー番組しかないわけで、それで忙しくなってしまうと、ネタなんて地道に作ってられなくなるわけだ。
 なので、ほんとに一瞬だけの輝きだったりするのである。
 大ブレイクする寸前くらいが一番面白かったりするわけで、(もっと通になると、「テレビに出るようになる前は・・・」なんて言うだろうけど)うちの親なんかが名前を知るようになる頃には、すっかり消費されつくしていて、親に「これの、どこが面白いの〜?」と言われても困るわけだ。はかないものよ。
11月24日(木)

 やっと、派遣社員が一人「会社見学」(派遣法の絡みで、面接とは言えないらしい)に来てくれた。
 派遣会社の営業が自信を持って人格を保証できるスタッフらしく、前の短期の職場でも、派遣先に評判よかったらしく、たしかに地味な外見の人だったが、チャキチャキと明るそうで、今までの仕事も「お茶汲み電話番の庶務」が多かったようで、私はすごくいいと思った。

 ただ、また部長がそういう場面でカッコつけるので、「まあ、いろいろ聞きたいことはあるが、これは面接ではないわけだし」とか理屈をつけるので、派遣会社の営業もデキる人なので「問題のある質問ならそう言いますから、ぜひどうぞ」と言うと、えーと、なんて言ってたのかなあ?
 横にいた私もたまりかねて「なに言ってんじゃ、わりゃ」な気持になったので、それは微妙に顔で表現しておこうと、ちょろっと横を向いて「けっ」な顔をしてみたら、派遣スタッフは気がついてなかったかもしれないが、派遣会社の営業がチラっと私の顔を見たので、彼がほんとに賢かったら、いろいろ読める空気があっただろう。

 「面接だとしたら、たとえば、うちの会社の雰囲気というか目指すものというものがあるわけじゃないですか、それと働きたいという人の求めるライフスタイルというか、ビジョンが一致するかどうか、お互いにいい方向に影響しあって、いいシナジー効果を生むかどうか、その辺をつきつめることが重要だと思うんですよ。ですから、面接では、そういうことを重視するのですが、これは面接ではないので・・・・」

 というようなことをもっとわかりにくく言ったのである。
 何がいいたいのか、さっぱりわからなかった。

 ああ、ほんとに、部長が絡むとわけわかんなくなって困る。
 部長が何考えてるのか、さっぱりわからないし。
 だから、私は自分なりにシンプルな方向に解釈した。「この子がカワユくないから、あんまし気に入ってないな」

 今だによくわからないのだが、やはり部長は、けっこうイライザのことを気に入っていたのだろうか?

 そんで、面談じゃなくて「会社見学」が終って、部長に「どうでしょう?」と御伺いを立てると、「ミヤノはどう?」って言われたので、「私はすごく好きなタイプですね」とはっきり言ったのだが、また「どうせハイジがまた・・・」とネチネチ言われたので、「前の人の場合は、私ですら我慢の限界だったんだから、ハイジだけの責任じゃないと思います」とはっきり言ったのだが、「でも、一度ああいう問題を起こしたやつは、何度も繰り返すから」と言われたので、「まあ、今回の様子を見て判断しましょう」と言うしかない。

 そんで、またよくわからないことを言われた。「面接をした人がブツかっちゃだめなんだから」
 いや、もっと長くクドクド言われたのだが、よく意味がわからなかったんだけど、ハイジとイライザがブツかったというのはしょうがないにせよ、面接をして選んだ私まで衝突したというのはイカんということを言ってたのかな?

 まあ、そりゃそうだけど、一緒に仕事してみないとわからないことも多いから、しょうがないじゃん。
 私だって、イライザだって、最初から正社員ってことだったら、もっと違う行動をしただろうし、ハイジだってそうだ。
 それに、就職面接みたいに、一対一でじっくり面接したのならともかく、そうじゃないんだから、「数ヶ月派遣でやってみて、お互い考えましょう」なわけだから、結果的にダメになったことは「紹介予定派遣」という制度をちゃんと有効利用したということだともいえる。

 なんか、長々とよくわからない嫌味を言われて疲れた。
 まあ、あの部長は、自分の思い通りに事が運ばないと、こうしてネチネチ言う人なので、みんな我慢してるんだけどね。
 ネチネチ言うだけで、「じゃあ、こうしろ」とはなかなか言わないので、困る。
 「そうじゃないだろう」とは言うけど、「こうしたほうがいいだろう」と言わないので、やだ。

 そんで本人はたぶん「それを考えさせるのが、部下を育てるということだ」と思っているらしいあたりがわかるので、ややこしい。
 いつも日記に愚痴っているが、「結果」よりも「過程」に重きを置くタイプなのである。

 なので、気の短い私はいつも失敗するのだが、「こういうのを考えてるから調べておいて」と言われて、たまたまいいのを見つけたので「これなんか、いいじゃないでしょうか?」って言うと、「まあ、それもいいかもしれないけど、でも・・・・・・(なんか違う話になっている)・・・・・なわけで、他にもいろいろ調べておいてくれ」

 要するに、あれこれ何案も見せて、「これもいいんですけど、それもいいんですよね、ああ、どうしましょう」とやってから「うーむ、じゃあ他も調べておいてくれたまえ」ってなって、「こういうのもあるんですけど、ああいうのもあるんですよねえ?ああ、どうしよう」となって、「もう少し考えてみてくれたまえ」となって、半年後に部長が「そういえば、あれってどうなった?」というので、提案したものを最初から見せると「ああ、じゃあ、これでいいんじゃない?」って、最初に挙げたのになったりするのである。

 あと、「私はこれがいいと思います」とか「こうしたいです」っていうのも、ダメなときが多い。
 なので、あの部長の性格を知ってる人たちは、部長に直接「こうします」と言うのではなく、私に「こうするって説明しておいてね。これが見積書」と渡していくので「ずるーーーーい」

 で、翌日私が「○○部長が、この見積書を持ってきました。ちょっと高いようですが、交渉したけどこれが限界だったようです」
部長「うーむ、ここのこれがどうのこうの・・・・・」
私 「はあ?私、よくわからないんですが、確認することがありましたら、直接お話いただいたほうが・・・・」
部長「うーむ、ちょっと納得がいかない数字だなあ」
私 「そうなんですか。私、さっぱりわかりませんが、そういうことでしたら、○○部長にそう言いましょうか?」
部長「うーん、でも、あいつもちゃんと交渉したんだろ?」
私 「そうだと言ってましたけど・・・・」
部長「それなら、しょうがないよなあ」
私 「そうなんですか・・・・」
部長「まあ、しょうがないよな」
私 「そうなんですかね?」
部長「しょうがないな、これで承認しよう」
私 「あ、そうですか。じゃあ、発注書出すように言っておきます」

 部長と私で話しても「しょうがないなあ」「しょうがないですよね?」で終わりであるが、部長としては「あれこれ話した時間」が重要なので、相手が誰でもいいのである。

 うまく操るコツは、最初の段階で「どうしましょう?」と相談しちゃうことである。「こうしたいと思います」ではダメなので、最初から「どうすればいいんでしょう?」と頼ることが重要である。
 自分で悩まないで、部長に悩ませればいいのである。
 ある程度、できる人は、このコツを習得しているので、だから部長は「なんでもかんでもオレに言ってきやがって」と愚痴るが、(私が愚痴聞き係)そっちのほうが、承認を得る時間は結果的に短いし、後で文句を言われることもないので安全。

 なのはわかっているのだが、私は性格的にどうしても「どーしよう、どーしよう」と人に言えないので、ついつい「こうしたいんですけど、いいですか?」と言ってしまい、倍以上の時間を浪費してしまうのである。

 相手の性格はよくわかっているつもりだけど、「自分の性格」も変えられないので、時間の無駄がわかりつつも、ついついそうやってしまう自分が好きだ、と日記には書いておこう。

 ああ、転職か転属を考えようかなあ(笑)
 考えるだけで、全然実行しないモノグサさんなので、これはこれでしょうがない。「ああ、しょうもないなあ」と思って変えられるのであれば、我が家はこんなに雑然としてないはずである。
 現状についつい甘んじてしまうのが、長所なのか欠点なのか微妙なところだ。

11月23日(水)

 昨日は深酒、今日は出勤、なので、ちょっとお疲れ気味。

 テレビで自民党50周年大会の様子をやっていたけど、その解説で「自民党もいろいろありました」っていうので、田中角栄が汚職で逮捕なんていうのがチラっと流れたけど、それでふと思い出した昔の思い出。
 お疲れ気味なので、「思い出は美しすぎて」でセルフヒーリングである。

 私が通っていた小学校では、集団登校していた。
 だから、それが当たり前だと思っていたのだが、ニュースで小学生が事件に巻き込まれると、急に集団登下校始めたりするみたいで、集団登下校というのが、文部省が決めたことではないらしいことに、ずっと後になって気がついた。

 それはいいとして、郊外のベッドタウンだったから、子供も大勢いたので、区画で登校班が決められていた。私の班は、うちの前の数十メートルの通りと、角を曲がって数十メートルの通り沿いに住む児童で、せいぜい100メートルくらいの道沿いでも、常に10人弱のメンバーがいたのである。
 小学校に上がると、まず、班の6年生に「今日からよろしくね」と親がお願いして、学校に連れていってもらうわけだ。代々受け継がれた習慣なので、上級生もきちんと下級生の面倒を見る。たしか、ときどき「地区なんとか会」というのが開かれて、南1〜3丁目と東1〜6丁目くらいあったと思うのだが、町番号ごとに班長が集合して、担当の先生から「その地区で交通が激しいところの注意」や「工事中の箇所があるから、迂回すべし」とか「通学路の途中の家から、朝騒がしいと苦情が入ったので、静かに通るように」なんて注意事項を述べられたような気がする。

 それはいいとして、どっちにしろ近所のガキ共ばかりなわけで、普段から遊ぶ仲なんだが、それでも朝から集まると、そこでも鬼ごっこみたいなゲームに興じることになる。
 集合時間が決められていたのだが、早めに来ると(って言っても、我が家の目の前が集合場所だった)、ランドセルを我が家の門の前に置いて、入り口の一段高くなったところが「安全地帯」で、道路が「危険地帯」で、道路に「鬼」が立って、安全地帯を往復する子を捕まえたら鬼が交代。

 我が家とお向かいの「たっちゃんち」は、どちらも道路沿いにコンクリートで固めた場所があり、その地の利を生かして自然発生した遊びだった。
 おかげでみんな、集合時間よりもかなり早めに集まって、出発時間ぎりぎりまで激しく遊んでいたのである。子供って元気ね。今の自分とあの頃の自分が同一人物だったとはとても思えない。

 それはいいとして、そんな仲良しの集団登校班だったが、あれは私が何年生の頃だったんだろう?便利なネットで検索しましたら、1976年発覚とのこと。私は10歳。4年生か。

 うーん、おかしな。あれは確か、一緒に中学には通わなかった兄ちゃんが言ったんだと思ったんだけど・・・そうなると、私が3年生ということで、「ロッキード疑惑」はきっとそのころテレビをに賑わしていたのだろう。

 たしか、お向かいのタっちゃんと同じ学年だった、タっちゃんちのお隣で、私にとっては「はす向かい」で、物心ついたときからの幼なじみだったSちゃんのお兄ちゃんアキちゃんが言ったんだと思う。アキちゃんには、さらに兄貴がいたので、ちょっとマセてたんだ。

 ある朝、いつものように集合して、班長だったアキちゃんが「さあ、出るぞ〜、みんな揃ったな〜」とメンバーの顔をざっと調べていい加減に点呼していたとき、「そういや、うちの班って、ロッキードのメンバーが揃ってるなあ・・・・」

 「田中だろ?児玉だろ?」

 たしかに、あの当時、「児玉さん」はちょっと迷惑そうだった。うちの近所の児玉さんちは、お母さんが垢抜けた美人で、二人の娘も美人で品がよかったけど、悪ガキから「よしお」と呼ばれてしまっていた。

 なので、アキちゃんも児玉さんを点呼するときにはついつい「児玉ヨシオもいるな」と言ってしまうので、そんなことを思いついたのだろう。

 そのくらいなら、まあ、ありそうな話であるが、なんと、うちの班には「コーチャン氏」もいたのである。
 あの当時、テレビで「ロッキードのコーチャン氏が・・・」と連呼されていたので、子供らは、それを聴いて「コウちゃん氏?」と思っていたのである。ほんとうは「コウタロウ君」だったのだが、みんな「コウちゃん」と呼んでいた。なので、あの当時のガキはみんな「コウちゃん氏なんて、変な名前」と思っていただろう。

 あんとき、他の子も「はあ、なるほど」という反応だったので、それくらいの大事件だったんだよね。

 そんだけの話であるが、そういえば、そのタっちゃんと、アキちゃんの・・・・・あ、ちげーよ。タっちゃんとアキちゃんは同級生じゃなかった。じゃあ、「うちの班はロッキード事件の役者が揃っている」と言ったのは、きっとタっちゃんだ。
 アキちゃんと、タっちゃんのお兄さんの・・・・ああ、名前が思い出せない。カっちゃんじゃないのはわかるのだが、っていうか、カッ君がアキちゃんのお兄さん。で、タっちゃんの兄貴とアキちゃんが同級生だ。

 で、二人兄弟の下にやっと生まれて蝶よ花よで育てられた自分の妹と、その友達である私にオイチョ株やポーカーを教えるような、ニヒルな悪ガキだったアキちゃんと、燃やせるものは、プラモでもトカゲでもなんでも焚き火にくべた、「近所の大人たちから最も愛された悪ガキ」であったタっちゃんは、年も近かったし、家が隣同士なんで仲良しだったが、その二人の間に「カンデミー事件」というのが起こったのである。
 それは、私が物心つく前の事件だったので、後で母から聞いたのだが・・・・、この話、もう書いたっけな?と思って検索してみたけど、ヒットしなかった。歴史に残らなかったか・・・

 アキちゃんのお母さんが「タっちゃんの結婚式では、このカンデミー事件の話を披露する」と張り切っていたそうだが、その後、風の噂で(つーか、両親同士はたまに連絡をとりあっているので)タっちゃんが結婚したと聞いたときに、「カンデミー事件の暴露はどうなったんだろうか?」と、遠い目になってしまった私は、ほんとに幼少期の記憶だけ変に根付いているもんだ。

 私がボケ老人になったら、小学校時代の思い出話ばかりしてそうだな。

 カンデミー事件については、また気が向いたら書きます。いや、そんな大したもんじゃないし・・・・

 あ、やっと思い出した。タっちゃんの兄貴は、ジュンちゃんだった。

 そういや、そういう「お兄ちゃんたちとよく遊んだ」という幼少時代の影響なのか、私は低学年のころ、なかなか女の子のグループに溶け込めなかった。と言っても、ハブにされてたというわけでもなく、あの頃のことはよく憶えてないんだけど、後になって「男子に混ざって遊んでいた」と親に言われて「そういえば、そういうこともあったかも」と気がついたのである。

 記憶がぼんやりしているが、学校帰りの集団下校のときに、女の子たちは「今日、○○ちゃんちに遊びに行っていい?」なんてアポをとりあっていたのだが、近所の子供たちとなんとなくいつも集まって遊んでいた私には、そうやって誘い合うということができなくて、他の子が「あ、あたしも行く〜」なんて言うのを恨めしげに眺めていた。

 辛い思い出だが、そうやってトボトボ家に帰り、家で一人で遊んでいて、母に「どうして、友達と遊ばないの」と言われても、どうにも答えようがなかった。母もそんな内弁慶な私のことを心配していたのだと思うが、「ほら、友達の家に行ってごらんなさい」とハッパかけられるのがすごくプレッシャーだった。

 考えてみれば、今、ネットでの自分がまさにそんな感じである(笑)
 現実でもそうだな。あんまり、人に声をかけるのが得意じゃないんである。

 あのころ、男の子のほうが、変に気がきくというか、女子はグループを作りたがるが、男子はメンツが揃えばそれでいいということだったのか、「今日はあの空き地で野球しようぜ」なんて相談しているときに、ふと「ミヤノも来る?」なんて声をかけてもらい、他に予定もないので「うん、じゃあ、行く」と言って、でも野球はできなかったので、「じゃあ、ミヤノは監督な」なんて言われて、「監督って何をするのだろう?」と思いつつ、テキトーに選手交代などを宣言していた。

 そんなんで、ボーっと草野球につきあっていても、ただボーっとしているだけなので「邪魔にはならない」と認められたらしく、しばらくよく彼らと一緒に遊んでいたのだった。野球カード付きのカルビーのスナックを一緒に買って、スナック食べるの手伝ったりとか(笑)

 つうわけで、よく考えてみれば「誘われると、何も考えずにボーっとついていく」というのは、今もほんとに変わらない。会社でも「じゃあ、社長と飲みにいくか」ってときに、よく声がかかるので、ボーっとついていって、ただひたすら飲んでいるだけだ。

 小学校低学年のころは、近所の人に「ミヤノちゃん、男の子とよく遊んでいるわね」と言われていたらしいが、今は会社のオジサンたちとよく飲みに行っているわけである。
 持って生まれた気質なんだろうなあ、きっと。

 それで、やや損したかもしれないのは、学生時代に男子から「暇だから映画でも観にいかない?」と誘われても、「ああいいよ、私も暇だから」と思うだけで、もしかしたら、向こうはなんか下心があったのかもしれないが、こっちは全然そういう可能性を考えていなかったので、「ガードが固い」と思われたかもしれない。

 まあいいや。7歳のころから、ずっとこんなで30年(笑)
 あと30年も、ずっとこんなだろう。
11月21日(月)

 さて、今週は決算業務の山場。
 ヤマンバではない。

 やべ、ちょっと壊れ気味らしい。ギミギミギミ♪(ちょっとアクセルを踏んでみました)

 忙しいけど、「けなげな弟ハイジ」という季節限定品がいるから大丈夫。
 今日は、部長を除けば、哀れな貧しい姉弟(金には困ってないが、人員が非常に貧しい)二人きりだったので、弟ハイジ(ルイジと韻を踏んでてナイス)は、インターホンと代表電話受けをやりつつ、姉・・・・美咲たん(?いや、今、後ろでつけっぱのテレビで月9の美咲たんが姉のドラマをやってるもんですから、つい手がすべりました。サルスベリに噛まれたと思って気にしないように)

 そーいや、「犬に噛まれたと思って」って、よく出てくる表現だが、犬に噛まれたっていうのもヤダぞ。私は、小学校低学年のころ、公園で野良犬と遊んでいたら、ガブリと噛まれ、しばらく「狂犬病になったらどうしよう」と思い悩んだものだ。
 あの犬は、正確には野犬ではなく、どっかの家が野良猫を餌付けするように、「テキトーに飼っていた」らしく(昔はそういうのよくあった)、噛んだといっても、私がしつこいから、「もー、やだ」という意思を表明するために、軽く噛んだのだと思うが、けっこう大きな犬だったので(今で言えば、ラブラドールくらい)、パカっと噛まれた後は、薄っすらと歯型がついて、びっくりしてしばらく呆然となってしまったのを憶えている。

 そんで、子供心にも「犬に噛まれたら、親が心配するし、きっと怒られる」と思って、そうなったら野犬狩り(というのを実際に観たことないが、当時は保健所がやってきて野良犬を駆除しているとの噂があった)が発動されてしまう、と思って、内緒にしていたのだった。

 そうそう、話を戻すと、哀れな姉と弟は、空前の人手不足に文句も言わず(自分らが悪いから、文句言える立場じゃないだけだが)決算で忙しいのに、無言のツーカーで、力を合わせて来客応対を地道にこなしていたのでありました。

 まあ、哀れと言っても、没落華族の家で、お手伝いさんが雇えなくなってしまったので、弟が来客に応対して「では、応接間へどうぞ」って案内して、姉がいそいそとお茶を持っていってるってだけなんすけどね。
 つーか、お手伝いさんは雇えるのに、勝手にクビにしちゃっただけなんすけどね。

 しかし、弟ハイジは、頑張れば相当気のきくやつになれるのだと、感心するが、これも季節限定ならではなんだろう。ずっとこれでは持たないと思われ。
 でも、今回のことで彼もいろいろ反省したのだろう。
 つーか、たぶん、「強烈に気の合わない同僚」とブツかってみて、やっと「普通の呼吸で一緒に仕事ができる人たちのありがたさ」がわかったのかもしれない。
 そんで、イライザの態度にイラだったので(頭韻を踏んでおります)、「ああいうのは、よくないんだ」とやっとわかったようで、「つまらん仕事をつまらなそうにやってると、みっともないし、周囲に迷惑をかける」ということに気がついたようだ。前は「なんで、オレが・・・・ブツブツ」と、言っていたような仕事も、ニッコリ笑顔(本人比、初対面の人にはあれが笑顔だとはわからんだろう)でやるようになった。

 ほんと、いつまでこの姉弟蜜月が続くのか、ハイジがいつ臨界を迎えるのか、けっこう楽しみだったりする。
11月20日(日)

 会社の先輩が「こんなのあるんだけど、オレは行けないだが、もしよかったら」とワインの試飲会の招待状をくれた。
 レストランなどに卸している会社が個人顧客向けにやっているので、営業一人が張り付く方式らしいし、「ちょっと買っちゃおうかな」と思っても、ケース売りしかしてないらしいが、でも「卸値で1万円クラスのもある」ときいて、「ストレス溜まってるし、いいワインでも舐めてリフレッシュ」と思って、行ってみることにした。

 つーわけで、友人Mも誘って、高輪プリンスホテル。
 すげー久しぶり。
 昔の会社のパーティーではよく使っていたのだが、品川から徒歩で行くのなんて初めてだ(笑)。

 さて、試飲会であるが、最初は白ワインを5種類くらい飲んでから、その営業嬢のお勧めの赤ワインを飲んでみたのだが、おいし〜。
 1本1万円そこそこだったのだが、M嬢もボソリと「やっぱ、高いほうが美味しい」

 それは、ほんとにお勧めだったみたいで、他にも「先日、NHKの世界遺産の番組でサンテミリオンのを観ちゃって、えへ?」とサンテミリオンの1万円くらいのも飲んでみたのだが、そっちも普通に美味しかったが、さっきのお勧めのやつのほうが、個性があって面白かった。

 それは1本から売ってくれるというので、買ってしまいそうになったが、ワインセラーもなけりゃ、まともなグラスワインも無い我が家では、あきらかに宝の持ち腐れである。
 結局、それよりはランクは落ちるが、同じ人が作っているという、3500円のを箱買い(6本入り)してしまいました。営業トークに乗せられて、「毎年一本づつ開けてください」というので、「よーし、実家に送りつけて、毎正月に飲もう」と勝手に決めた。

 ワインって、ハマるとマジに恐ろしいことになりそうだ。

 そーいや、ついでに貴腐ワインちゅうのも飲ませてもらったが(たぶん、初めて飲んだ)、それも超上手くて、Mちゃんが思わず買いそうになっていたのをなんとか踏みとどまっていた。

 寒さが急に厳しくなり、乾燥も激しいので、足や顔がガサガサになってきたので、今日は待ち合わせの前にボディショップであれこれ7000円くらい買い込んだので、今日は久々にお金をたくさん使ったな。

 明日からまた地道に働いて、酒代を稼ぐことにしよう。

 あ、そうだ。「今日買ったもの」で書き留めておかないといけないのは「ついに、スイカを買ったぜい!」である。自動券売機で簡単に買えるとは知らなかった。もっと早く買えばよかった。

 最初に「初スイカで改札」でピッっとやったときには、ちょっと緊張したが、とてもうれしかった。と日記には書いておこう。
11月18日(金)

 昨日は、夕方早い時間から、「ひとりボジョレー祭り」で盛り上がって一瓶飲んでしまい、酔い潰れて早寝してしまいました。
 ちょっと、出血多量だったこともあり(ここんとこ、出血量が少なかったので「ほほほ、私もそろそろ枯れてきたわね」と、いい気になっていたが、先月、久々にパジャマとシーツをダメにした・・・・飼い主がいたら「避妊手術してほしいニャア」とおねだりしたいところだ)、そういうときに、ついつい赤ワインで補給しようとするのは、非科学的も甚だしいのであるが、宗教的にも正しくないわけだし、結局、「科学」にも「宗教」にも見捨てられ、朝はしっかりムクんだ顔を鏡で確認し「やっぱしな」と開き直っている自分がいた。

 二日酔いだったが、ちゃんと9時半に出社。
 また、机の上に書類が溜まっていてがっかりするが、こういう忙しないときには、わざとゆっくりやるのがコツ。
 しかし、まだまだ人間ができてないようで、「二日酔いで超機嫌悪いのに、必死で平然としている」のを見破られたのか、ハイジがお昼を買いにいくとき「ミヤノさんのも買ってきましょうか?」なんて言いやがった。
 そんなこと初めてだが、周囲に気を配るのが苦手な若手男性社員が、そうやって気遣ってくれたのは、よほどのことなので、笑顔で「じゃあ、おねがい」

 ほんとに、不気味なほど仲良しの私とハイジである。
 お互い、相手のほうが自分より大変だ、と思っているので、なるべくフォローしてあげようと虎視眈々状態なのである。
 この極限状態がいつまで持つものやら(笑)。

 それにつけても、毎日寒いので、そっちのほうにストレス感じるなあ。そろそろ暖房も用意しないと。

 そういえば、鳥インフルエンザ問題が連日ニュースでも取り上げられているので、「やっぱ、ちゃんと掃除しとこう」と思うのだが、そういえば、JR西日本の脱線事故のときにも「やっぱ、掃除しとかないと」と思ったくせに、全然やらなかったので、ダメかもなあ。
 でも、即死だったら、諦めもつくが(というか、諦める時間もない)少しでも意識があったら「ああ、あの部屋に私以外の他人が入るのは絶対に嫌〜〜〜〜」と悶絶しそうであるが、そういう理由で掃除のモチベーション上げようとするのもなあ。

 そっか、「私が死んだ場合、親類や友人は絶対に部屋に入れない。委託した第三者が後処理をできる」っていう遺言書を用意すればいいのかな?
 不動産業界と損保業界のの皆様、このサービスはいかがでしょう?火災保険よりも、こっちの保険に加入したい。年間5000円くらいなら払ってもいい。
 
11月17日(木)

 今日はお休み。 
 ほんとは、休めるような状態ではないのだが、土曜日も出勤だし、この状態で週6日勤務は無理なので、中休みをとったのである。
 今日は部長も夕方まで外出だしね。(そういうのちゃんと考えてる自分が好き。ってゆーか、他の人が考えなさ過ぎで驚く)

 残業続きだと言っても、10時出社で毎日8時くらいまで仕事してるだけで、それも世間的には「普通」のことであろう。
 もちろん、だんだん慣れてしまうものだが、あんまし慣れたくもないし。

 それに、うちの会社は勤務日数が多いので、普通に働いてるだけで、月に残業20時間くらいの計算になる。それに加えて毎日2時間だと、けっこう辛い。
 普通の会社と違って「全休日」がないので、気の弱い人や、超まじめな人は、ついつい休みをとりそびれてしまうが、それで体を壊したって会社なんてなーんも面倒見てくれないわけで、自己管理は重要だ。

 さて、今日は午前中に起きて、まず布団を干して、洗濯。
 パソコン机周りも掃除したら、ものすごーくホコリが溜まっていて、それと格闘していたら、微細なホコリが部屋中を舞い、宇宙を支配している神のような気分だった。

 まだ明るいうちに買い物に出かけたが、スーパーではさっそく今日から解禁のボジョレー・ヌーボーのマネキンさんが立って試飲させていた。
 ニュースでも「今年はよい出来です」なんて言っていたけど、どっかのコメンテイターが「毎年、そう言ってるような気がする」という「本当のこと」を言っていたけど、まあ、とりあえず、「平日のまったりした休日」である、日も高いうちからワインを舐めるのもいいであろう。

 2種類を紙コップに注いでもらい、「うーむ」と味見していると、そのマネキンさんはそのチャンスを逃さず、さかんに周りの客にも声をかける。おぬし、なかなかできるな。
 私も、そのバイト経験があるのだが、誰かが試飲していると、他の客も気軽に寄ってくるのである。

 昼下がりの住宅街のスーパーであるから、客も中年以上の女性か、リタイヤ後の夫同伴の老夫婦が多いんだけど、あっという間に、5人くらい寄ってきた。
 私はすでに、今日の朝のワイドショーや昼のニュースで洗脳されていたので、最初から買うつもりだったので、試飲してもどれがいいかよくわからなかったが、テキトーに1900円のを選んだのだが、私がワインをカゴに入れても、マネキン嬢は「他のも飲んでみます?」と私をその場に留めようとする。おぬし、なかなかできるな(笑)

 私みたいに、へらへら試飲しながら、「ニュースで、今年は当たり年だって連呼するから、ついついねえ?」なんて、一人で語っている客は、なるべく引き止めておきたいのである。しかも、寄ってきたオバチャンが「あら、テレビでやってたわ〜」なんて言うと、すかさず、「ほーら、みなさん、ついついテレビに踊らされて・・・」なんて相手してやってるわけである。

 私もそういう客にはよく助けられた。
 特にワインだと、試飲しながら薀蓄かたむける人がいて、そういう客相手に、ワイン談義(って言っても「これ、500円のわりには、けっこう美味しいですよねえ?私もさっき飲んでみて、ついつい飲んじゃって、あんまし飲むと仕事にならないから(笑)」ってなもん)を立ち話していると、通りすがりの客も、「今なら試飲しても、このおねーさんは私には押し売りしない」と思うのか、よく試飲してくださるのである。

 そんで、人が集まると、さらに寄ってくるのが日本人の習性なので、「試飲して、あれこれ喋る客」→「その隙に試飲しようとするオバチャンたち」→「どうせ、なんか酒を買うつもりの中年男性がその雰囲気に煽られて購入」という流れができると、よく売れるし、やってる自分も楽しいのである。

 やはり、一番いいお客さんは「リタイアした老夫婦」であろう。
 「お父さん、ほら、飲んでみなさいよ。ほら、テレビでやってたアレでしょ?」
 無言で飲むお父さん。
 「お父さん、どう?どう?」
 お父さんが、味見している間、マネキン嬢は、お母さんとお喋り。
 「今年は、ここ数年で最高の味だそうですよ」
 「でも、けっこう高いのよねえ」
 「そうですねえ。でも、こういうのって、マツタケと同じで、季節物なので・・・・」
 「そうねえ、マツタケだと思えば、安いのかも。ねえ?お父さん?」

 お父さんは実は、アルコールが入っていればなんでもいいので、本当は、デカいボトルのお徳用焼酎でいいのだ。
 しかし、夫婦二人で毎日顔を突き合わせて、暇を持て余しているリタイア生活に、ほんの少し「ハレ」の気分を持ち込むためなら、2000円くらいどうってことないと思うし、外に飲みにいきゃあ、そんなもんじゃ済まないから「うん、けっこうウマいよこれ」などと、ボソリと言う。

 「あら、じゃあ、あたしも飲んでみようかしら。でも、あたし、お酒に弱いから、こんなとこで飲んだら、帰れなくなっちゃう」
 「じゃあ、家で飲むかあ?」
 「あら、じゃあ、そうしようかしら、あはは、でもお父さんと二人でワインっていうのもねー」

 ここでマネキンさんが一押しである。
 「たしかに、ちょっと気恥ずかしいけど、でもステキじゃないですかあ〜。いいなあ、うちの両親も仲良くワインなんて飲んでたら、たしかにちょっと不気味だけど、いいですよね?」

 まあ、なかなか、そんなふうにうまくは行かないのですが・・・・

 そういや、前にも書いたか忘れたが、銀座の某百貨店の地下食品売り場で、日本製の「新酒ワイン」のマネキンをしていたときに、すぐ目の前の売り場でも、他のマネキンが立っていた。
 彼女が売っていたのは、なんと「バルサミコ酢」と「オリーブオイル」であった。

 「わー、そんなのもあるんだ」と私が話し掛けると、彼女も「これって、けっこう困りますよねえ?」と戸惑っていた。フランスパンを千切って、それで試食してもらうということだったが、どう考えても、あまり人を引き寄せない試食である。

 つーわけで、余計なお世話だったが、私のところにワインを飲みにくる客がいると、「そちらに、いいおつまみがあるので、ぜひどうぞ」と、オリーブオイルのマネキンさんに声をかけると、彼女が「ぜひ、どうぞ」と皿を持ってきて、高級オリーブオイルを浸したフランスパンをつまみに出していた。

 彼女に「すいませーん、気をつかってもらって」と感謝されたが、でも、私も試食させてもらったが、かなりの高級オリーブオイルだったので、ほんとに美味しかったのだ。ワインを試飲した人も、「お、これはいいつまみだな」とフランスパン片手にワインを飲んでうれしそうだった。
 私の売っていたワインは、初心者向けの安ワインだったので、味はイマイチだったけど、お客さんに「そっか、いいオリーブオイルがあれば、それだけでツマミになるな」ってことを憶えてもらっただけでも、私らが立っていた意味はある。その日に売れなくても。

 売れても売れなくてもバイト代は同じなのだが、でも、やっぱり給料分の仕事はしたい。
 「売れなくても、意味があるんだな」と思ったのは、生鮮食品売り場でなんかを売っていたときに、横のビール売り場で、「新発売の○○ビールでーす」とずっと売り口上を熱心に言っていたマネキン嬢がいて、あんまし売れてなかったみたいだが、仕事帰りに近所のコンビニで夕食を買うときに、ビールも買おうと思って、ビール棚を覗いたら、あのマネキン嬢がアピールしていた新製品のビールがあって、吸い寄せられるようにそれを手にとってしまったのだ。

 一日中、あの売り口上を聞いていたので、ついつい洗脳されていたようである。

 私も根っからの日本人であるから、熱心に売ろうとしている人の目の前でそれを買うのは躊躇しても、後になってそれを買ってしまったりするのである。
 そういう効果があるのが、自らの体験でわかったので、たとえ全然客が寄ってこなくても、商品名と製品アピールだけは、絶やさないように連呼することにした。佐藤雅彦が「ドンタコスったらドンタコスっ」で、どのくらい湖池屋の売上を伸ばしたか知らんが、あっちは高額な制作費をとっているわけだし、私が日給1万円で、せいいっぱい「新発売の○○ビールです〜」を連呼するのだって、コストパフォーマンス的には、そこそこのもんであっただろう。

11月16日(水)

 朝のワイドショーで、サーヤご成婚(っていわないのか・・・)の映像を観ても、「ああ、シャンパンうまそうだなあ」という、どうでもいい感想しか思い浮かばないほど、心がササクレだっているようです。

 なので、世の中には「サーヤのドレスは、カリオストロの城のクラリスのドレスがモデルか?」ってことに心ときめいておられる方々もいらっさるという話をきいて、「いいなあ、今の私に必要なのは、そういう遊び心だわ」と反省しているのでありました。

 しかし、現実には、会社で必死に「いい人」をやっているので、そんな余裕がありません。
 この間は「もう、いい人やめたい」と愚痴りましたが、さらに一皮剥けまして、「この、いい人ぶりっこは他人のためにやっているわけではない。自分がこうしないと自分を許せないからやっているので、しょうがない」という境地にまでたどり着きました。

 とりあえず、イライザを急に退職させてしまった責任は自分にあるので、ちゃんと毎日、早めに出勤して、給湯室セットに勤しんでおります。
 自らが十字架を背負っても、きちんと普通にやっているので、ハイジも影ながら電話応対(ヤツが営業電話を受けると、バシっと不機嫌に断ってくれるので頼もしいが、やりすぎには注意しようね)や来客応対も嫌な顔せずに、っていうか地顔が嫌な顔なのはしょうがないけど、彼も「毎朝、起きると、『ああ、またSさんと会わないといけないんだ』と思って、会社に来る足が重い。こんなんでずっとやるくらいなら、会社やめてもいいかと思った。もし、彼女がいなくて仕事が大変なら、何時間残業したっていい」と言っていたくらいなので、雑用が増えたくらいのことは、全然オッケーのようである。

 それに、忙しいのはイライザがいなくなったせいじゃないし。
 クララが抜けたので、去年までは3人でやっていた仕事を2人でやっているので大変なのだ。
 通常業務だけなら、なんとかなるのがわかったが、それに加えて決算業務ってのは、かなりシンドイ。
 でも、ハイジが来る前は、こんなだったよな。と、懐かしく思い出す。

 毎日、残業しても残業しても、さっぱり仕事が片付かなくて、「この地獄はいつまで続くのか」と嘆いていたが、ハイジが来てから、「お、これはもしかして、あたしの未来は左うちわ?」と気がついて、やんちゃなハイジに振り回されつつも順調に仕事を引き継いで、「あたし、経理で一番暇かも〜、そうだ、食器でも漂白しちゃおっかな〜。あと、倉庫の書類も整理しよっと」なーんて、優雅にやっていたのである。

 幸せって長続きしないのね。

 しかし、やっぱし一人足りないと、客が来てもお茶を出せなかったり、銀行に行きたくても誰もいなくて困ったりという問題はあるが、まあその程度なんだが、でも、傍から見れば、「総務は派遣を切ってしまって、なんだか大変そう」と思うだろうから、そう見えないように、給湯室周りには気を配っているのだが、でも、自分の仕事で手一杯のときに、なるべく優雅にやろうとするのはけっこう難しい。

 しかも、部長のご機嫌とりもしないといけないし、なんだか、だんだんなにもかもアホらしく思えてくる。

 ひとつだけ幸いだったのは、私は近年、ときどきプチ鬱になることがあり(自分では老化現象の一つだと思っている)、今は全然そうじゃなくて、「多少凹むが、たいして凹まない」時期で、なんでもかんでも「ま、いっか」という水平飛行しているので、エアポケットに当たっても「ああ、エアポケットだ」と、オートパイロット機能任せにしないで、ちょこちょこやるくらいで大丈夫。シートベルトのサインを出すとか、ちょっとだけバタバタする程度。

 忙しいのはうちの部署だけでもないし、隣の部署なんて、今週で一人派遣社員が辞めるのに(そっちも、いろいろあった)、後釜がなかなか決まらなくて、やっと来たと思ったら、2日目で辞めるという。
 イライザを寄越したのと同じ派遣会社だったので、今度は慌ててやってきて、そのスタッフと話している様子が聞えたが、派遣スタッフは「話が全然ちがう」と文句を並べていたので、「あ、こりゃ、もうだめだな」と思ったが、夕方になって決定したようで、隣の部署の責任者が「他の派遣会社も紹介してくれ」と言ってきた。

 隣も、今がピークなので、そこに放り込まれたスタッフも「これじゃ、ちょっと不安」と思うだろう。
 忙しいから、あんまりケアしてあげられないし、しかも、社員は男性ばかりだから、けっこう難しい部署なのだ。

 辞める派遣スタッフは、ほんとうに「この人なら、どの会社でも通用するだろう」という、残業が重なっても、いつも健気に頑張っていた、月並みな表現でだけど「性格もいいし、頭もいい子」で、彼女ももう少し頑張る気であったようだが、あるとき、ある事件があって(クレーム処理で困っていたとき、社員が助けてくれなかったらしいとの噂)プツンと糸が切れたようで、「契約更新はしない」と申し出てらしい。

 そこの責任者も、彼女がギリギリのところで頑張っていたのをよくわかっているので「これ以上、引き止められない」と観念したようだ。
 私を含め、外野一同も「今まで、我慢してやってくれていたことが奇跡であって、もう、それだけで有り難いわけで、これ以上を望むのは人としてイカンだろう」と全員納得した一件であった。

 たぶん、彼女が所属する派遣会社は、彼女が辞めるとわかって、なかなか後任を出さなかったが、「あの人でダメなら、誰を出してもダメだろう」と、わかったので、「他でどうぞ」という態度に出たに違いない。そこの派遣会社の営業は女性で、その人も、なかなかできる人だと私は思ったのだ。(イライザを選ぶときに、そこの会社も競合させたので)

 そこに食い込んできたのが、イライザを寄越した某大手派遣会社だったのだが、二日で辞めるという失態で、うちの会社と今後どう付き合っていくのか、あっちもかなりナーバスになっているだろう。
 元々、親会社を狙ってしきりに営業かけてきたのだが、やっと子会社に食い込んで、大喜びしていたようなんで・・・・

 隣の部署も、我が総務部も、新しいスタッフを迎えるには最悪の時期なのである。
 でも、こんなんでもやれる人はやれると思う。

 思えば、この会社に入る直前に私が派遣社員として働いた会社も、そんな「とんでもないところ」であった。
 リンクするのが面倒なので、「不燃物の目録」の一番下に「思い出ボロボロ」というのがあって、その中に「今泉さんの思い出」として書き残してあります。

 あんときゃー、入って一日目で「派遣会社に騙された。とんでもないところに派遣されてしまった」とガッカリした。
 私だって、即刻派遣会社に電話して「話が全然ちがう〜〜」と言ってもよかったのだ。
 だいたい、私の前に二人も「すぐ辞めた」という状態だったんだから、せめて、派遣会社が「大丈夫ですか?」と私のご機嫌伺いしてくれてもよかったはずである。

 しかし、私も、金に困っていたので、「まあ、しょうがない」と我慢したのである。
 で、3ヶ月耐えた。
 たまたま、今の会社から「できれば早く来てほしい」と言われたので、派遣会社の担当者に「とういわけで、辞めまーす」と告げたら、なんかアワアワしていたので、「こりゃ、なんにもわかってなかったんだな」と、やっとわかり、辞める直前に「これは愚痴やクレームというより、後の人のために言っておきます」と、「こんな職場に、なんの事後フォローもなく放り込むなんて、あんたら最低」ということを延々30分くらいまくしたてた。

 今にして思えば、あれも余計な親切だったのかもしれない。
 だって「この会社で我慢できるのは、生活かかってる人じゃないと無理でしょう」と、きちんと教えてあげたんだもん。私の剣幕がよっぽどだったのか、ちゃんと「一人暮らしで、あまり若くない人で、前職があんましカッコよくないダサい、昼休みもまともにとれない職場だった」という人が来たので、その人も「ま、こんなもんか」という態度だったので、その後どうなったか知らないが、かなりキモの座った人だったので、1ヶ月で辞めることはなかったと思う。

 隣の部署も、もっと生活かかってる人にしとけばいいのに。
 今回の人選も、二社で競合だったのだが、選ばれなかった人のほうが、我慢してくれたかもしれない。面談(って言っちゃいけないらしいので「会社見学」と言うらしい)のときに、今までの職歴を話していたのだが、「某ヤ○ーBBで街頭の勧誘に出されそうになって、でも自分は事務職だから内勤に拘ったら・・・・」どうやら、さらにキツい職場に追いやられて辞めたらしい。IT業界渡り歩いてきた、苦労人のようだった。
 ただ、雰囲気的に異常に暗かったので、あれじゃ、なかなか再就職は難しいだろう。

 派遣スタッフが、面談に来ると、「自分も派遣のときに、よくボツになって落ち込んだよな」ってのを思い出す。やっぱし、短い面談だと、雰囲気が明るい人のほうをとりがちで、私みたいに淡々としていて、たぶん、他人から見たら「大人」の人は、敬遠されがちなのだ。
 「子供っぽいほうが、くだらない仕事でもやってれるだろう」と普通は思うよな。

 私もイライザをそういう意味では「元気にやってくれそう。職歴がないから、あんまし疑問に思わないだろうし」と思って失敗した。
 うちみたいな会社は、他でもっとダサい目に遭った人じゃないと続かないだろう。

 今にして思えば、私も契約社員時代の「年収300万円」に2年間よくぞ耐えたものだ。
 「もしかして、ずっとこのままなのかなあ?」という不安はあったけど、でも月々の定収入は重要だったので、じっと我慢していた。

 だんだん、仕事ぶりと、「じっと耐えている姿」が評価されて、「じゃあ、正社員になりませんか?」と提示された金額が、年収400万円だったので、かなりズっこけた。もちろん、勤務日数は増えて、日曜のイベント仕事にも行くことになったのだが。
 だったら、もっと早く不満を言えばよかったのかもしれない。
 しかし、前に勤めていた会社の上司が、「霊感中年女性」で、私がちんたら働いていたけど、能力があるのを見破り、どんどん給料を上げられてしまったので、「給料以上の仕事する気はないが、上げられてしまうと、それなりにやらんといかんな」と、ズルズルとあれこれやっていたのである。

 別に、他にやりたい仕事もなかったし。

 そもそも、本当はあんまし働きたくない。
 経理で身を立てているのだって、消去法なんである。営業とか絶対無理だから。

 でも、なんでも自分を基準に考えてしまうと、他の人には通用しなかったりするんだよなあ。
 「なんで、ちゃんとしたマニュアルが無いんですか」なんて言われても、自分がマニュアル必要だったことなんてなかったから・・・・
 だって、前任者がやっていた表を見れば、だいたいわかるし、それよりも必要なのは、「過程」じゃなくて「結果」というか、「この作業はなんのためにやっているのか」っていうのを教えてもらえれば、だいたいわかるし・・・・

 中途半端に頭がいいと、ほんとにやっかいだ。
 でも、私程度の人は、けっこういるので、今まででもそういう人に助けてもらったし、焦らないでゆっくり探せばきっと「ま、いっか」な人が来てくれるはずだと思う。
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