可燃物な日々

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10月31日(月)

 また日曜日は寝つぶした。

 と書くと侘しいので、「日曜日は素晴らしい惰眠を貪った」にしようか。

 なんかそれも色気がないね。

 深い谷底に落ちるように、私の意識は引力に逆らえず、闇の中へと落ちていった。睡眠欲という欲望だけが私を支配していた。

 なんかそれも文才がないね。

 昼間あんなに寝たのに、夜も11時くらいには寝付いたようだ。
 また変な夢をみた。
 こんどのは「ぞぞぞぞぞぞ〜」系ではなく、「むふふふふふ」系であった。

 ぞぞぞ系も、たまにしか見ないが、エロ系も珍しい。
 しかも、今回のエロい夢のお相手は、なんと珍しくも外人さんだったのである。外タレ出演なんて、初体験かもしれない。
 なんと、わたくし的には「アフリカ系ナンバーワン美形」のDJブケムさんでした。(LTJ BUKEM)

 まあ、エロい夢というよりも、夢の定番である「トイレに行きたいのに、まともなトイレがない!」っていうのと似ていた。
 私が住むアパートの一室にブケムさんが引越してきたのである。
 「こ、これはチャーンス!」と私は意気込んだ。
 どーにかして、ゲットしようと張り切るのだが、そのアパートは昔ながらの下宿屋というか、一軒家を改造しているので、部屋のプライバシーがあまりない、なんだか「めぞん一刻」のようなアパートであった。

 というわけで、ブケムさんに「私の部屋でお茶でもどう?」と誘うと、気軽にやってきてくれるのだが、「よし、ここらでいっちょ、押し倒しておこう」と思うと、絶妙なタイミングで隣人が「おしょうゆ貸してくれる?」とドアを開けたりするのである。

 そんなこんなで、吉本新喜劇さながらのベタなドタバタを繰り返していたのだが、やっといい雰囲気になってきたと思ったら、ブケムさんが「君とそうなってもいいけど、ボクはそうなったらやっぱし結婚を前提にきちんと付き合いたいな。ちゃんと両親にも紹介してくれるよね?」と、たぶん英語で言った。

 起きてから「くぅぅぅぅ〜」と悔しさがこみ上げてきたが、そう言われて私は引いてしまったのである。
 「やっぱ、いくらハンサムだとはいえ、両親にしてみりゃ、ただの黒人のニーチャンだしなあ。ショックを受けるであろう。職業がDJっつうのもなあ」とか、「家族で集まっても、英語で喋らないといけないのは辛いよなあ」などと、妙に現実的なことを考えたのである。

 要するに夢の中の話とはいえ、私はただ、ブケムさんとちょっと遊んでみたかっただけで、マジメにお付き合いする気なんて全然なかったんです〜(泣)
 すいません、ほんとに酷い女です。

 と、目が覚めてから30秒くらい深く反省してみたが、アホらしくなったので、気を取り直してちゃんと会社に行きました。
 いやあ、「平凡な日常」って素晴らしいですよね。美青年を弄んでしまう心配しなくてもいいし(笑)

 さて、現実の日常の風景は、っていうと、今日の夕方、T部長はある飲み会に参加することになっていたのだが、またブツブツと「ああ、仕事が終らないけど、行かないとヤバい」と言っていたので、無視していたのだが(私も忙しくて残業であった)、ずっとブツブツ言っているので「なにブツブツ言ってるんですか〜」って程度には相手していた。
 つーか、行けないなら行けないで、ちゃんと連絡すればいいだけじゃん。

 でも「ああ、もう7時だ。どうしよう」なんて呟いていたときに、他部署の社員の姿を見つけると、そばに呼んで、なにやらネチネチを攻め立てている。

 その社員が仕切っている仕事の件だが、一応、最終責任者はT部長なのだが、最終見積りが出てないとかの件。
 そんで、その後の愚痴愚痴でもわかったのだが、やはり部長はその案件が面白くないようで、「どういうビジョンを持ってやるのかが明確ではないうちに・・・」などと説教モード。相手していた社員も困っていた。なぜなら、大まかにはGOサインが出ているのである。
 もちろん、彼の進め方がぎこちない責任はあるのだが、彼にとっては慣れない仕事なので、根回しに失敗したので、こういうことになってしまったのはわかるが、部長もそれはわかっているのに、でも、きちんと手助けするわけでもなく、要するに「こうしたら?」と的確にアドバイスするわけでもなく、なんかネチネチ絡むのである。

 大まかには発注してしまったあとで、「そもそも、なんでこういうことを始めることになったのか」っていう根底からお浚いしようとするので、その社員もきちんと説明していたが、部長はなかなか納得しない。

 私は横で知らん振りして仕事していたが、「この社員がいきなりキレたらどうしよう?」と心配になってきた。でも、彼はじっと我慢して、丁寧に説明していた。
 部長が彼に絡んでいるのは、その仕事になにか物を言いたいだけではなく「この後の飲み会に行きたくない」という気持ちも後押ししているのがわかったので、それがわかっている私は非常にイライラしたのだが、その社員はそんなことだとはわかっていないので、一生懸命やっているのである。

 そんな会話が30分も続いたので、彼の代わりに私が部長を殴ってやろうかと一瞬マジメに思ったほどだった。

 「なに、ぐちゃぐちゃ言ってんだ、このヤロー!さっさと飲み会に行けぃ!」バスっ、どすっ

 でも、「私をこんなに真剣に叱ってくれた人は初めて」とか言われちゃうとヤダしなあ・・・・と思って、ぐっと拳を握ってから、頭をボリボリ掻いた。サンペーです。まいっちゃうなほんと。

 スマスマを観てから、少しクールダウンして続きを書くと、その会話の何が嫌だったかって、「うちのオカンのやな感じ」を思い出させたからだ。
 一般的に「おかーさん」がよく、ああいう「後でネチネチ」を言うような気がする。
 この間も、子供を抱いた「おかーさん」がダンナに向かって「この行きかただと、電車賃が高くつくのでは?」ってことでネチネチ言ってて、隣で聞いていても不愉快だった。だったら、電車に乗る前に文句言えばいいのに、途中で気がついてネチネチ言うもんだから、ダンナも素直になれず「でも、子供抱えてるんだから、乗り換えがラクなほうがいいだろう」と屁理屈言うもんだから、よけいこじれていた。

 たぶん、そこでダンナが「ああ、そうだったんだ、知らなかった。じゃあ、帰りはその経路で行こう」と言ったとしたら「あなたったら、いつもちゃんと調べないんだから」と文句を言われただろう。じゃあ、どうすりゃいいんだよって話である。

 うちの家族もいつもそういうので「やーな感じ」になっていたが、子供も大人になったので、母がそういうことを言い出すと、みんなで理論武装して食ってかかるようになった。
 私は「おっとりした性格が自慢の長女」であるから、ひきつった笑顔でも「なーんだ、おかーさん、そういうのは先に言ってくれないと・・・・私よりちゃんと調べてるじゃん」と、なるたけ持ち上げることによって回避しようとするが、弟や妹は容赦なく噛み付くから場が荒れて困ります。

 そう考えると、あの社員も、自分のオカンにネチネチ文句言われたときの息子のように、一生懸命、冷静にかつ気丈に反論していたような気がして、「仕事って大変ねえ」ってことだ。
 彼はわりと女性に人気あるタイプというか、漫画に出てくるような明るい好青年である。(私の趣味ではないが、けっこうハンサム。既婚で子持ちだが)
 それで、けっこう甘え上手なので、あのSさんも彼には懐いている。他の男性だと身構えるのだが、彼は「ねーねー、この間出した、あの伝票さー」ってかんじで喋るので、「この人は気の置けない人だ」と判断したようだ。

 私とそう年は変わらないはずだが、今だに「20代前半の男の子」の雰囲気があるので、T部長も絡みやすいんだろうな。そういや、彼の直属の部長も彼によく絡んでるし。

 逆にあっちのほうが「T部長転がし」としては正解で、私のほうがダメなんだろうなあ。

 今日もさ、前に電話で何回かやりとりした「国際派弁護士」(ぷっ)の秘書から私宛に電話があって、いろいろ書類も揃ったので、今週の某日の某時に事務所に来てくれという。
 「え?それって私?部長じゃなくて?」と思ったので、秘書さんにも「私の予定は大丈夫ですが、部長もということでしたら、今は会議中ですが、部長の予定も確認しませんと・・・・」と言ったら、向こうの弁護士も不在だったらしく、秘書さんは「確認いたしまして、またお電話します」

 そんで、また電話があって「部長様にもお越しいただきたいとのことです」
 しかし、弁護士が指定してきた日は、部長はまーたゴ○フだった。
 「どうしましょ?」と私が言うと、「まあ、しょうがないから、ミヤノが行ってきてよ」

 たしかに、その場で決裁が必要なもんでもないだろうし、話を伺って、後の処理については部長に確認すればいいだけの話である。でも、向こうが部長を指名してくるからには「かなり濃い話」も予想できるので、おおまかなことはわかっていても、裏の話になると私ではちょっと。
 でも、なんとかなるし、ま、しゃーねーか。と思っていたら、部長は何を思ったか、「Kも連れていけ」
 K嬢は元総務部の女子であるが、総務から「法務」を切り離したのである。

 そんで、今後も何かお願いすることもあるだろうから、挨拶してこいって話。
 でも、あたしもその弁護士にお会いしたことないんですが・・・・

 部長は自分がいけないから、とにかく人数を増やして誤魔化しておこう、という魂胆なんだろう。
 あんまし意味ないんすけど、幸いにもK嬢も私と同じく「お気ラク、極楽」マインドなので「え?私も行くの?まあ、いいけど?」

 私もどうでもよかったが、「いちおう、ほんとに部長がいなくてもいいのか、先方に確認してます」と報告したら、「よろしくね」とウィンクされちったよ。

 わたしもそっけなく「うん」と頷いただけ。

 でも、それじゃいけなかったらしく、部長はネチネチと「まあ、この件では、とにかく支払はしなくてはいけないと思うし、それをとっとと済ませて、早く閉鎖したいわけだよ・・・」と語り始めた。
 その程度のことなら、私もよくわかっているので「まあ、とにかくどういう話だかわかりませんが、ちゃんと聞いてきますよ。たぶん大丈夫でしょう」と冷静に語ったのだが、わかっているのよ。ほんとは「えー、部長がいなくていいんですか?私だけで大丈夫なんでしょうか?なんか重要な話だったら、どうしましょー」と不安不安不安を述べなくてはいけないのである。

 「どーしよ、どーしよー」と私がパニクってから、部長が「ミヤノだったら大丈夫だよ」と言う場面ができるわけだが、最初から「あ、ゴルフなら、しかたないっすね」という態度じゃダメなんだよなあ。

 我ながらカワユクない。
 で、「Kも行って挨拶してこい」と言われたK嬢も「あ、そうですか」なので、カワユクない。
 なので、T部長はK嬢をあまり評価していない。
 なぜならK嬢は「自分で決められること」はスッパリ判断するが、「部長決裁が必要なこと」になると、冷静に「で、どうすんですか?明日までに決めていただかないと困ります」とズッパリと言うからだ。

 K嬢は私が羨ましくなるほどの「一人っ子気質」で、いい意味でマイペース。
 でも、頭がいいので、ちゃんと気配りもできるし、何か確認しても「それは私は知らない」と即答するので、頼もしい。仕事仲間としては、本当に仕事しやすい人である。
 私は長女気質なので「それは知らない」と言えなくて「えーっと、もしかして私がその書類保管してるのかな?でも見た記憶ないんだけどな?」と時間を無駄にしがちだ。

 ちなみに、次男坊で末っ子のハイジは、一人っ子で姉御肌のK嬢には妙に懐いている。
 たぶん、「ほんとに姉貴」の私は、ハイジの姉役をやるのにビビり、っていうか、自分の弟のように扱っては失礼だと思っているのでブレーキがきくけど、「兄弟なんていない」K嬢は、そういう足かせがないので、気楽に付き合えるのであろう。
 普通にハイジの姉役ができるのである。
 ハイジも、私に対しては「ネーチャンと同じくらいの年齢の人だけど、でもネーチャンじゃないし」という戸惑いを感じるが、でもたまに「おめー、私に恥かかせたなー」とか叱ると、ちょっと弟のような顔をする。(「ねーちゃん、すいませーん、許してー。ぶたないでー」とふざけた弟の顔)

 そういうとき、私はハイジを思いっきり足で蹴りたくなるのだが、まさか職場でそんな「姉弟ケンカ」を繰り広げるわけにもいかんし。

 そういや、今度の月9は「伊藤美咲たんが、森山未来君の姉」というドラマですが、美咲たんが「顔はいいが、バカな姉」で、弟は「学業優秀で医者の卵」という設定なので、「姉チーム」としては、あまり感情移入できないドラマだ。
 弟っていうのは、死ぬまで「私よりバカ」な生き物なのである。
 医者になろうが、弁護士になろうが、国会議員になろうが「バカな弟」なのである。

 サイバラは、そこんとこよくわかってたので「ぼくんち」が描けた。
 月9もせめて、釈由美子のほうを「姉」にしておけばよかったのに。

 そんで、伊藤美咲に大事な弟が(バカだけど医者の卵)惚れてしまったら・・・・ああ、どうすればいいの?

 釈由美子、すごいいいんだけど、なんか見えない壁に囲まれてるんだよな。
 なんか、もっと、こう、ガツンと主役張れる役ってないんですかね?

 ボンドガールとかに大抜擢しないとダメかなあ。
 釈由美子の「二番手人生」にちょっと納得がいかないので、なんかいいプランないかと必死で考えているのであった。紀香よりは、かなり使えると思うんだけどなあ。
 なんか、ちょっと捻れば、仲間由紀恵のポジションにいけるはずなのになあ。
 あと一歩。その一歩が実は大変なことらしい。

 で、何の話をしていたんですっけ?
10月29日(土)

 昨日はうちの会社主催のゴルフコンペだったので、部課長クラスはほとんど不在だった。 
 今日の土曜日は、皆てっきり休みだとばかり思っていたのだが、11時頃になったらゾロゾロと勢ぞろい。

 でも、みんなお疲れ気味のようだった。そりゃそうだ。
 仕事する気分じゃないようで、隣の部署の課長は不要書類をドカドカとシュレッダーにかけていたのだが、小さいシュレッダーなので、あまり容量がないのに、気にせずドカドカ入れるものだから、ゴミがあふれてしまった。
 「あたしが、せっかく朝イチでゴミを替えて、掃除機までかけておいたのに〜」
 と言ったら、ちゃんと後で掃除機をかけてくれた。

 その後、その部署にいる役職は曖昧だが、「後継ぎ」である社員が、私が他のフロアにいる会議室の掃除をしてから戻ってきたら、掃除機をかけているので「なぜ、社長のご子息まで?」と思って、ジっと見つめたら「いや、あの、シュレッダーがちょっと・・・・」
 やはり溢れさせてしまったらしい。

 そんで、さっき私が課長に文句を言ったので、それにビビったらしく一生懸命掃除機をかけていたのだ。

 いい奴なんだけど、社長の器ではないような・・・・ちょっと複雑(笑)
 2代目なんだから、私みたいなお局様に気をつかわないでほしいのお。

 てゆーか、私ってやっぱし「怖いオネーサン」なのかしら(笑)
 ただ、使い方にコツがいるボロいシュレなので、新しくこのフロアに来た皆さんに、そのコツを憶えてもらいたいと思って、厳しく指導しているだけなのだが・・・・

 前に隣にいた部署の部長も、ときどき大量にシュレして、後始末が大変だったので、ある日「置いておいてもらえれば、総務でやっておきますから。アシスタントもいますし」と申し出たのだが、「いんだよ、これくらい自分でやるよ」と言われてしまったので、「そーじゃなくて、あんたが使うと、後が大変なんだよっ」という本当のことを言いそびれ、彼が外出したあと、またチマチマと直していたのであった。

 さて、そんな雰囲気の中、総務部のT部長も忙しそうであった。コンペの賞品がちゃんとお客さんの手元に渡ったか確認したり、持ち帰り忘れたものの連絡したり。
 「いや〜昨日はどうもありがとうございました。いやいや、昨日はちょっと調子がよかっただけですよ。○○さんの○○には敵いません」と、接待ゴルフモード全開である。
 ゴルフの後に、会社の近所に戻ってきて飲み会もあったので、酔っ払ったお客さんたちの何人かは賞品を忘れていったが、そういう賞品は「お菓子」とか「果物」であったので、どなたも「じゃあ、送っていただくのもなんですから、そちらの皆さんで召し上がってください」と寄付してくれたので、総務部はいきなりお菓子が増えた。

 さらに、接待ゴルフで一日会社を空けた償いの気分だったのか、部長がM嬢にお金を渡してコンビニに買いにいかせたので、お菓子の山ができた。

 部長がお菓子を買ってくれるということは、「ご機嫌」ということである。ま、誰だってそうだけど。
 仕事の話も少ししたのだが(そういうときには和やかに仕事の話が進む)、3時を過ぎると、部長の独り言が大きくなっていた。

 「はあ、まったく、集中して仕事する時間がないよ」

 たしかに、今日出勤したのは、月曜日の会議に必要な資料を作るためであったようだが、その合間に「やーやー、昨日はどうも」っていう電話も頻繁なので、集中できないのであろう。

 「なんか、明日しか休みがないと、ゆっくり休めないよなあ」
 とか、ブツブツ言っているので、これは相手しないといけないのかなあ、と思ったが、そういうのの相手するのが下手な私としては、あまり関わりたくない。でも、M嬢もどっかに行ってしまったし・・・・ああ、こういうときSさんがいれば、かわいく小首を傾げて眉間に皺を寄せながら「大変ですね〜」って言ってくれるのに・・・・

 ミヤノさんは、「キャバクラ力」(「きゃばくらか」ではなく、「きゃばくらりょく」と読んでください)が低いので、そういうトークが苦手である。
 「ゴルフばっかりしてっからですよ」という本音はさすがに口に出さないけど、あんまり「忙しい、忙しい」といわれると、なんか言ってやりたくなる。
 それをぐっと押さえて「今日はお疲れみたいだし、休めばよかったのに」と言った。「そうもいかないんだよね」という反論(?)は覚悟の上で。

 しかし、意外にも「そお?やっぱ疲れてるように見える?」とのお答え。
 こりゃ、本当にお疲れらしい。「なんか、頭に血が回ってないような感じなんだけどさ〜」と、言ってるし。

 それでも「大丈夫ですか?」とは言わないというか、言えない自分のガンコさが愛しい。
 でも、なんだか3歳児がむずかっているのを相手にしているような、トホホな気持。母性本能的言動が苦手な私に対する挑戦か?

 しょーがないから「そりゃ、昨日の今日じゃ疲れて当たり前でしょう。そういうときは休まないと治りませんよ」とビシっと言ってやったら、「そっか、じゃあ、休めばよかったかなあ。そうだよねえ」なんて、しょんぼりしている。そんで、「なんか頭痛もしてきた」と言うので、「頭に血が回ってないんなら、もう脳死寸前でしょう。ヤバいっすね」と応酬したら、「そうだ、マッサージという手もあるな」
 部長はときどき会社を抜け出して、近所のマッサージ屋に行くことがある。
 誰もそれをサボりだと思ってないし、彼がろくに休みもとらず、夜も遅くまで会社に残っている人だと知っているので(帰宅恐怖症のケがある)、夕方に1時間くらいサボろうと、どうでもいいのだが、彼はどうもそれを気にしているようなのである。
 だから「あ、それはいいんじゃないですか?ちょっと揉んでもらえば、頭痛にもいいだろうし」と言ったらやっと「じゃあ、ちょっと抜けてくるよ」

 さっさと行ってきてくれ〜
 でも、「じゃあ、なんかあったら携帯に・・・・って言っても出ないかもしれないけど(笑)」などというので、「土曜日にそんな急ぎの用件なんてないよ。それに、ほんとに火急だったら、そのマッサージ屋まで歩いて知らせにいくわい」と思ったが、「ああ、わかりました。なんか電話があったら、『Tは、自分を探しに外出してしまいましたので1時間ほど戻りません』って言っておきます」と眉毛ひとつ動かさずに言ったら、妙にウケて、「はは、自分探しに行っちゃうようじゃ、おしまいだなオレも」とか言いやがるので、「じゃあ、自分探しに出かけてしまったので、もしかしたら戻らないかもしれません、って言っておきましょうか?」と言ったら、「ミヤノねーさんに、ちょっとかまってほしかっただけ」という気持も治まったのか、やっと出かけていった。

 かわいいっちゃ、かわいいけど、あたしはこういう「病気のボクとママンごっこ」は好きじゃないですけど。
 まあ、好きな人もいないと思うけど、もっと適任者いるでしょうが。

 そういや、我が社の「秋のゴルフ三昧シーズン」が始まってからうちの会社に来たSさんは、みんながあまりにゴルフの話ばっかしているので、私に堂々と「T部長って、ほんとにゴルフが大好きなんですね」と真っ直ぐに言ってきたので、デッドボールくらったような心地になった。

 つーか、どう返事していいのか困った。
 たぶん、正解は「ほんとね」と言ってニッコリ笑って退散すりゃよかったのかもしれないが、社会人の先輩として「それはちょっとヤバい発言というか、新卒の何にも知らない女の子が言うならいいけど、20代後半の女子が言うと、嫌味だぞ?」といいたかったが、でも、その頃から「この子はしっかりして見えるけど、実はかなりのお子チャマなのでは?」と気がついていたので、「うーん、まあ、ゴルフ好きなのは否定しないけど、部長みたいな立場の人になると、好きだけでゴルフやってるわけじゃないと思うよ?」と言ってみたら、不思議そうな顔をしていたので、「ほら、どこの会社でもそうだけど、総務部長って、付き合いが多いわけよ。だから、ほとんどが接待ゴルフなわけ」と言ったら、「なるほど〜」と言っていたけど、そんなの今更勉強するようなことか?

 これは、ゴルフでも麻雀でも飲み会でもそうだが、みんな半分は「好きでやってる」ことであるが、半分は「お付き合い」なんである。中には「100%お付き合い」でやってる人もいるだろうし、部下としては、そのあたりを労ってあげる態度も必要なんである。

 それにしても、ひどいときには週に2回くらい行っているので、それで「ああ、仕事が片付かない」と嘆かれても困るのだが、でも、接待ゴルフも大事な仕事なのはわかっているので、「大変ですね〜」って言ってやらなきゃいけいないんだけど、それ以外にもプライベートで行ってるのを知っているので、そうなるとSさんが言うように「アル中」ならぬ「ゴル中」であるのも事実だが、でも、それは言わない約束でしょ?(笑)

 でも、たしかに「接待ゴルフ」って曖昧だよなあ。
 私が平日でもクラブで夜明かししていたころには、「翌日眠くて仕事にならないのに、超忙しくて、んもーってときには自己責任っていう意識がちゃんとあったよな」と思う。
 なのに、接待ゴルフは「はあ、忙しい」の範疇になってしまうのは、なんだかズルい気もするが、でも結果として「明日までに作らないといけない仕事があ」っていう追い詰められた気持は一緒なので、まあいいでしょう。

 両者の違いは、たとえ私が「今日忙しいのはわかっていたけど、でもブケムさんが来たのでどうしても行きたかった」と言っても誰も「大変ですね〜」って言ってくれないくらいのことで、いや、もしかしたら、私がそう言っても、Sさんは「大変ですね〜、無理しないでくださいね」と小首を傾げてくれるかもしれないが、それはそれでヤだな。

 Sさんと言えば、金曜日にちょっと意地悪なことをしてしまった。
 最近、東京三菱銀行宛の振込みが時々「再取組」になってしまうことがあった。
 オンライン送金(ファームバンキングってやつ)で振込みをしているのだが、「支店相違」で戻ってくるので調べてみると、支店名は合っていた。
 よくよく調べてみると、夏前くらいから東京三菱の支店番号がいくつか変更になっていたのである。

 これって同業者にしかわからないかもしれないが、ファームバンキングで送金する場合、銀行名や支店名と同時に銀行コードと支店コードを入力するのだが、支店名は合っていても支店コードが間違っていると、弾かれてしまうのだ。

 普通はこういうことは珍しく、支店の統合などがあると、請求書を送ってくる支払先も請求書に「振込み先が変更になりました」という書類を添付してくるので変更できるはずなのだが、どこも「支店コード変更のお知らせ」を送ってこなかったので、しばらく気がつかなかったのだ。

 3ヶ月くらいは、東京三菱側で、処理してくれたらしいが、その期限が切れたので、続々と振込みが戻ってくるようになった。
 そういう場合、うちの振込ソフトのマスターを直さないといけない。
 ソフトでは、最新の銀行データがオンラインでダウンロードできるのだが、それがマスターまで反映しないらしいことがやっとわかったのだ。

 で、そのオンライン送金ができるようにしているマシンをSさんが担当しているので、彼女に「マスターを全部確認して、該当する支店があったら修正しておいてください」とお願いした。
 「なんか、質問してくるかな」と覚悟はしていたが、夕方になって、その作業をやっていたSさんが、「ミヤノさーん」と眉間に皺を寄せているので「来た来た」と身構えていたら・・・・・

 「私も調べてみたんですけど・・・・」
 お、なんか、いい方法見つけたかな?そのソフトは、前はクララが担当していたので、私はあんまし仕組みがよくわかってないのだが、でも、昔使っていたDOS-Vのころのファームバンキング・ソフトと基本は変わらないで、クララに「もっと賢い使い方」を伝授したり、「管理者設定」もしょーがないから直感でこなしたりしていたのであった。

 ところが、Sさんの質問は、ソフトの仕様とは別のものだった。
 「これの変更って話だったんですが、でも1日にも変更になるんですよね?」

 質問の意味がわからなかったので「は?1日って?11月1日に、また変わるってこと?」
 東京三菱の支店コード変更は一斉に行われたわけではなかったので、まだこの先も変更があるという意味かと思って、そう確認すると、「いえ、11月じゃなくて、1月1日です」

 ああ、その日はねえ、支店コードどころじゃなくて、全部変わるんだよ・・・・
 UFJと合併するんだから・・・・・

 いや、すいませんね。ちゃんと、1から10まで説明しなかった私がわるーござんしたよ。

 えーとですね。そうなんです。UFJと合併するんです。でも、これは私の勝手な推測だが、そのときに支店コードがダブってしまうので、先に支店コードだけ変更しているらしいのです。それが6月くらいから行われているので、9月になったら振込みが戻ってくるようになったんです。だから、この変更も合併と無縁のことではないとは思いますが、また別のことなんです。

 と、くどくど説明すると「はあ、なるほど」と言ってくれたが「でも、1日にもまた変更するんですよね?」
 いったい、私にどうしろ、って言いたいのか?
 1月にはどうすべきか説明を求めているのか?
 それとも、どうせ1月には替わるのに、今この作業をやることに意味があるのか確認しているのか?


 彼女の発言にイライラしてしまうのも私が至らぬからであるのはわかっているが、どうも変につついてくるのだが、彼女の質問はいつも真意が明確じゃなくて、ただ「なんとなく自分が思っているのと違うんだけど、何が違うんでしょう?」というような聞き方なので「どーすりゃいいんじゃい?」と相手をムキにさせる変なパワーを持っている。

 前もそんなことで、Sさんとハイジが小さくぶつかっていた。
 ハイジもちょっとイラっとしたようで、「君がそうやりたいんなら、そうすれば?」と憮然としたので、Sさんも慌てて「いえ、そういうつもりじゃ・・・・ただ、よくわかんなかっただけで・・・・」と弁解していた。
 その後で、Sさんがボソリと独り言で「わたしって、なんか言い方がおかしいのかな?」と反省していたが、悪気はないのはわかるけど、「よくわかってない段階で、なにか指摘しているような言い方」をするので、うまくいかないだけだ。

 なので、金曜日も「彼女がなにか提案があって意見しているだけではなく、よくわからないことをよくわからないと言っているだけだ」とわかったので、「じゃー、わからせてあげよーじゃん」と、「じゃあ、せっかく来年早々の合併のことに興味持ってくれたんだから、これをお渡ししておきます。よく読んでおいてね。年末にこの設定やってもらうから」と、ボーンとUFJから来た「合併時の手続きのお願い」の書類というか、分厚いマニュアルを渡した。

 目がキョロキョロ泳いでいたが、しばらくすると、ほんとに不安になったようで「これ、私が全部読んで、全部やるんですか?」
 「うん、よろしくお願いしますね。ほんとはクララがやるはずで、クララに渡しておいたんだけど、急に退職することになったので、私に戻ってきたのよ〜〜〜〜私もよくわかんなくって、全然目を通してないの」
 「で、でも、これ、かなり分厚いんですが・・・・」

 ほんとに不安そうなのがわかったので、ちょっと助けてあげることにした。
 「そのマニュアルはね。全部読む必要ないの、実は。オンライン送金って言っても、いろんなソフトがあるわけで、古いシステムだと、ほんとにそれ読んで手で修正しないといけないんだけど、うちで使っているのは最新式だから、それに添付されてるCD-ROMで一発変更できるらしいの。ただ、ほんとにどこまで変更してくれるのか、確認しないといけないから、ざっと目を通しておいてね」
 「はあ・・・・・」

 いや、あなたが「1日にも変更があるようですが、どうするのでしょうか?」なんて聞いてこなけりゃ、私かハイジがそれをやる予定だったのよ。でも、せっかく気を利かせてくれたから、その気持にこたえないといけないと思ってさ〜〜〜〜〜

 まあ、最終的に彼女がどう思ったのか、私にもよくわからない。
 普通さ、「専門的な仕事がしたい」ってヤル気がある人だったら、「言われた仕事」から一歩踏み込んで、「こういう場合はどうすればいいんでしょう?」って質問した場合、上司は「ああ、この子は言われたことだけやる子じゃないんだな」と思って、「ああ、それはちょっと複雑なんだけど、やってくれるなら、やって欲しいな」というわけで、一つ仕事が増えるわけである。

 そうやって地道にやるのが「ステップ・アップ」だと私は思う。
 Sさんは「キャリア志向」であるらしいので、「ああ、これは難しいから、まだいいや。私がやるから」と言わずに「お、それを指摘するってことは、それをやりたいってことね」と、喜んで引渡してあげたのだが、彼女がほんとにキャリア・アップを狙っているのなら、そういうチャンスを喜ぶはずというか、日本的作法においては「えー、これって私がやるんですか?」と言っておくのは必要だけど、君はその演技がまだまだ下手だ。

 がんばれ。
 がんばる気があるのなら、私はもっともっと意地悪に仕事を投げてあげるから。

 ちなみに、ハイジは最近やっと、その技を習得したようで、私が「じゃ、これもやるように」と言うと、一瞬、憮然とするが、その後、嬉々として「ここがわかんないんすけど、どうすんですか?」って確認しに来るので「あ、この仕事引き継いで、うれしいんだな」とわかり、そんで、その仕事をちゃんとこなすから、「ふへへ。じゃーこれもやってもらおーかな、私よりハイジのほうが才能ありそう」と、こっちも嬉々として仕事を教えることができるのである。

 ハイジもここまで育てるのに3年かかった。
 Sさんは、どのくらいで育つかな?
 
10月28日(金)

 美少年や美青年も大好きであるが、きれいな女の子もだーいすきである。

 よく行く銀行に、とても色白の女の子がいる。
 いつもはカウンター業務ではなく、その後ろで仕事している子なのだが、月末も近い今日は窓口が込んでいて、カウンター業務を手伝っていた。

 番号を呼ばれたら、彼女が対応してくれたので、「わー、近くで見ても、ほんとに色白でキレイ」と心の中で感嘆符だったのだが、私が差し出した通帳と伝票を受け取った手を見て、ビビビときちゃいました。
 もう、その手の白さというか、透明感といったら、ほんとに「白魚のような」という形容詞がぴったり。
 人間の手というよりは、ガラス細工で作った・・・・ほら、よく指輪をディスプレイしている手のオブジェとかあるじゃないですか、あんなかんじで、血が通っているように見えなかった。どきどき

 あんな手で、華奢なダイヤの指輪とかしてたら、鼻血でちゃいますよ。
 色の薄い宝石が似合いそうだったな。あの指に指輪はめてみたいな。(イメクラごっこか?)

 会社の帰りに、駅で電車を待っているときに、小さな制服姿の女の子が二人立っていた。
 中1くらいなんだろうか?二人とも小柄で細く、足なんてほんとに細くて「贅肉とは無縁」であった。顔も小さいし、きちんと束ねられた髪の毛が似合う。バレリーナの卵が、制服着ているような雰囲気であった。

 しかし、そんなにちっこくて細いのに、二人は自分の顔と同じくらいの菓子パンを食べていたのである。
 わかるわかる。あのくらいの頃って、学校帰りにムショウにお腹がすくんだよね。

 しかし、可憐な美少女が制服姿で二人でバクバクとパンを食べる姿は、育ち盛りの人間の子供というよりも「小さな毛虫」みたいであった。毛虫もよく食うからな。
 あの二人も、パン屋に放っておくと、そこらにあるもの手当たり次第食べそうな、そんな健康的な食欲オーラに包まれていた。だから、人間というよりも虫っぽかったのである。

 大島弓子が「綿の国星」みたいな手法で、猫じゃなくて毛虫を擬人化したら、あんな少女たちになるのであろう。「さっき、クリームパン食べたのに・・・これ、二個目」とニッコリ。

 そういえば、吉田秋生は昔、そんな漫画を描いていたなあ。毛虫の子が蜘蛛と同居するという寓話。
 吉田秋生は「きつねの嫁入り」という漫画では、狐やタヌキを擬人化した話も描いていたっけ。あの辺の作品は今でもときどき読み直す。

 そうだ。この間目撃した「道路をモクモクと横切る毛虫」は、実は「はじめてのおつかい」だったのかもしれない。

 しかし、女子中学生が元気に買い食いしている姿を後ろで目を細めながら観察している自分って・・・・年とったんだなあ。
 やーね、と思うが、実はそんなにヤじゃなかったりするのは、なんでだろう?

 話は変わりますが、和泉元ヤ(字を探すのが面倒で)のプロレス・デビュー、すごいことになってますね。
 最初は「どうすんの?」と思ったが、今日のワイドショーを観ていたら、お相手のほうも奥さんが「ゲイシャガール」というリングネーム持っていて、もうどうにでもしてってかんじ。
 ワイドショーでも「このシナリオ作った人は上手いですね〜」って言っていたけど、あそこまで演出されると、なんだか「見てはいけないものを見てしまったような気がするが、せっかくだから最後まで観てみたい」という気分にさせられる。

 やはり和泉・母・節子のプロデュース能力は天才的なのかもしれない。
 「芸能ニュース」というものを本能的によくわかっているようだ。それに、昨今は「ベタな芸能ネタ」が少なくなっているので、あの芸人魂は貴重だろう。
 そんで、「芸とは別の次元で芸をする」という気概をあれほど感じる芸能人もイマドキめずらしい。松田聖子はなんだかんだ言ってもちゃんと芸は立っているわけだし。

 本業の芸がどの程度なのか知らないのだが、テレビで少し拝見した限りでは、イマイチだったように思う。
 それで、家元としての威信も揺らいでいる今、どうしてプロレスっていう道を見出したのか、さっぱりわからんが・・・・
 でも、冷静になって考えると、ショーアップされたプロレスと狂言っていうのは、けっこう近いところにあるのかも。
 節子がどこまでやるつもりなのか、ちょっと目が離せないと思っている自分を反省してしまうが・・・

 もっと違うことを心配したいよな。パキスタン大震災の被災者が、この冬をどうするんだとか、地球温暖化とか。

 でも、ついつい「この試合が成功してしまったら、次の対戦者はボビー・オロゴンだったりしねーよな?」と、そんな心配してしまう自分がヤだ。


10月27日(木)

 休み。
 その代り土曜出勤だが。

 11月になったら、決算業務とイベント仕事で忙しくなるので、10月中に美容院に行く計画であった。
 年々やりくり上手になっているようだ(笑)

 雨が止むギリギリまで部屋で待機していて、でも、日は差すのだが、なかなか雨が止まず、やっと11時半に家を出ることができた。三茶の駅のそばでちょっとヤボ用を済ませてから、下北までテクテク歩いて「なんか、軽く昼飯でも食うべ」と思ったが、あんましお腹もすいてなかったので、イタトマ・カフェでランチセットを食べたのだが、ヨボヨボした老夫婦が二組もいたので「時代も変わったなあ」と思った。

 たしかに、イタトマ・カフェのランチセットは650円とお値段も安いし、なによりも量が少ないので老人向けだ。
 失業中の夜明かしした早朝に、近所のドトールに散歩がてら朝ご飯を食べに行ったことがあったが、朝のドトールも近所の老人の集会場と化していたっけ。

 その昔、フランスかぶれの友人が、「カフェの朝ご飯が美味しくて、毎朝通っていたの」という話をしてくれたことがある。留学していたわけでもなく、ただの長期旅行で行っていただけで、たぶん安宿に泊まっていたんだろうけど、ガイドブックに載っているような「その昔はサルトルやボーボワールが哲学談義をしていたカフェ」の朝飯が気に入っていたらしい。
 でも、けっこうなお値段だったそうで、正確な値段は忘れたけど「それじゃ、一流ホテルの朝ご飯並じゃん」と思った記憶がある。日本円で1000円とか1500円とか、そんくらい。

 口の悪い私は「そーんなとこに行くの、観光客だけでしょ」と言ったのだが、「近所のお金持ちそうな老人たちが、常連だったのよ」と言う彼女は「そういう生活に憧れている」という顔をしていた。
 たぶん、いつも「日本は文化レベルが低い」と嘆いていた彼女は、そういうのこそフランス文化だと言いたかったのだろう。

 世田谷に住む、スノッブな老夫婦が、イタトマやドトールに集う光景を見たら、彼女も「東京もパリに追いついた」って認めてくますかね?はははははは(いじわる)

 ジェーン・オースティンを読んでいたら、EMフォースターも読みたくなり、でも代表作はあらかた読んでしまったはずなので「まだ読んでないのって?」と探したら、映画は観たけど「インドへの道」はまだ読んでなかった。

 たしか、映画では話の細部がちょっとわかりにく話だったし、アイボリーが監督したフォースター作品の中では、最も地味な映画だったかもしれない。
 まだ10分の1も読んでないが、フォースターってインド人をよく観察してるっていうか、すんごく公平な目で描いているので感心する。

 もちろん「完全に公平」っていうのは無理な話なのだが、そういう限界もわかった上で、自分に想像できる限りで描く姿勢に共感を覚える。
 要するに、「人それぞれ」っていうのが基本にあり、それに階級とか教養のレベルが絡んできて、さらに複雑になるけど、そういう立ち位置も明確にした上で、それぞれが、それなりに一生懸命やっているのだが、ちょっとした誤解で歯車が狂うというのを描くのが上手い作家だ。

 上の身分の人が当たり前のように言う社交辞令が、下の身分の人には通用しなかったり、下の階級の人が上の人を心から尊敬して言っている言葉が「おべっか」にしか聞こえなかったり、そういのは階級制度が無い現代の日本でもよくあること。

 私も日記でよく愚痴っているが、イマドキの若者に「へえ、すっごいですね」と言われても、バカにされているようにしか思えないのだが、言ってるほうはそういうつもりじゃないのかもしれない。

 イギリス人とインド人とのすれ違いを「日本の中年と若者」に置き換えて読んでみると、この小説はけっこう笑える。
 占領下のインドで、中流以上のインド人たちが、英国風の装いをしているのをイギリス人はバカにするけど、でも、インド人側にすれば「こういう服装をしていないと、相手にされないどころか、乞食扱いされる」という必然からやっていることであって、それって、最近は聞かなくなったけど「リクルートの学生たちは、なんであんな同じようなスーツ着てるんだ?」という大人の文句と同じような気がする。

 「就職活動中の学生は個性がない」と非難されたが、でも、個性的な服装していったら、もっとボコボコにされるのを知っているので、学生たちは黙って没個性的なスーツで武装しているのに・・・・
 そんで、慣れない敬語で必死に喋っているのに「最近の若者の敬語は変だ」

 で、大人たちは「ああして、同じようなスーツを着るのも、変な敬語で喋るのも、会社に入りたい一身なんだろう。でも、影では、こんなことやってらんねーと思っているに違いない」と、バカにするけど、それはイギリス人が西洋文化を吸収するインド人を見る眼と同じだ。

 で、若者のほうでも、大人と話していると「へえ、そんなのが流行っているのか、私にはわけわからないなあ」という言葉を「若者文化なんて、わかってたまるか」という意味に捉えてしまうが、大人のほうはただ単に「コンピューターのことはよくわからないので、本当に大変なのよ」という意味で言っていて、別に軽蔑したわけではなかったりする。

 昔、それで微妙なことがあったな。
 洋裁系の専門学校の夜間部に通っていたときのことである。生徒は20人くらいだったが、20代前半から50代くらいまで年齢層は幅広かった。
 大学を出て、そのまま母校の教授の助手(というか、秘書)で残った23歳の女の子が、ストリート系のファッション誌を持ってきていた。(「キューティ」ですな)
 私を含め、20代の子たちで、授業の合間に廻し読みしていたのだが、40歳半ばの女性もそれを手にとって「こういうの、何がいいのか、さっぱりわからん」と嘆いていた。

 私もストリート系はあまり趣味じゃなかったので、その意見には共感したが、その女性は雑誌をパタンと閉じると「だめ、これは、私が読むべきものじゃないわ」と言ったので、ちょっとびっくりした。

 彼女はたぶん、「雑誌のほうで、私を排除している」と言うつもりだったんだろうけど、口から出た言葉の意味は逆というか、「こんな下品なもの、私に見せないでちょうだい」という意味に聴こえたのだ。
 あのころ、時々感じたのだが、オバサンって、自分を卑下しているつもりらしいのに、ついつい傲慢なセリフになってしまうようだった。もちろん、ただ単に傲慢なだけの時も多いけど。

 「下の身分」である若者たちが、中年文化をバカにするのは当たり前なんだが、中年が若者文化をバカにするときには、ちょっとした心遣いが必要らしいのに気がついたのである。
 でも、それはとても難しいことなのだが・・・・
 それは、「インド人だから」とか「若者だから」ではなく、個々を見つめないと、できないことである。

 そして、EMフォスターという作家は、身分制度という枠の中から、必死に個々を見つめようとした作家だったことに、今更ながら気がついたのでありました。個性と属性のぶつかり合いというのか。
 でも、そういうことができるのが、後世まで残る作家というものなんでしょうね。

 比較するのもなんだが、たぶん自分は、わりと公正な目を持ってはいるが、わりと均質な社会で育ってしまったので、「属性」という観念がなかなか理解できなくて、だからときどき、すごーく合わない人がいると、「なぜなの〜」と混乱するだけで終ってしまいがち。「育ちが違う」という意味はわかっていても、そういうのが本当にあるということが身に染み付いていないのだ。頭では理解していても、反射的にわかってないから、今だに勉強中でございます。「インドへの道」はいい教科書になりそうな予感。
10月26日(水)

 今日もまた雨模様であったが、先日の雨続きのときに、自宅の近くで「ドロドロになったなにかの遺体」を道端に発見し、一瞬、「死後4日目のドブネズミの死体」かと思ったけど、たぶん、カエルの轢死体だったんだろう。夜だったし、雨が降っていたし、酔っ払っていたし、もちろん、そんなもんじっくり観察する趣味もなかったので、チラリと見ただけだ。

 その道沿いでカエルを目撃したことがなかったので、「え?こんなところもカエルが横断してるの?」と驚いた。茶沢通りから、10メートルくらいの距離。その道は、抜け道になっているので、夜中でも交通量はけっこう多いのだ。

 そしたらその数日後、やはり夜だったが、同じ通りのもう少し奥で、前方に黒い塊を発見し、「もしや?」と思って近づいてみると、立派なカエルだった。片手に載せると丁度いいくらいにデップリと太ったカエルであった。
 この付近のどこでブリーディングされているのだろうか?
 だいたい、いつ頃、オタマジャクシからカエルになったのか知らないが(寿命が何年なのかよくわかんない)、こんな街中で、少なくとも一夏は越したのだ。奇跡的なことである。

 もしかしたら、ペットのカエルが逃げ出したのか?(笑)

 それはいいとしても、車がビュンビュンとは言わないけど、世田谷通りの信号が変わるたびに、3台くらいが連なって通る抜け道なので、いったいどうやって横切ってきたのか不思議であるが、もしかしたら、まだ横切ってなかったのかもしれない。なぜなら、道路の「この間、遺体を発見した側」にいたからである。でも、パっと見、反対側から横切ってきて、工事中の家の敷地にこれからもぐりこもうという体勢に見えた。

 車に轢かれる位置でもなかったが、対向車とすれ違うときには、そのあたりまで車輪が通るだろうし、だいたい、私の歩く線上だったわけで、歩行者は気がつくだろうけど、チャリは気がつかんぞ!

 「オランウータンが生息する森が年々開発されています」とテレビでやっていても「ふーん」と思うだけの現実的な私であるが、でも、目の前のカエルの危機は見捨てておけないので、またツンツンと靴先でつついたが、なにを考えているのか、ボーっと座り込んでいる。

 しょーがないから手で持って運ぼうかと思ったのだが、試しに手で掴んでみると、グニャリと重いし、イボがきもちわりい。これが魔法にかけられたビョン王子だったりしたら、素手でも我慢するが・・・・とか言ってないで、えーと、ハンカチを使おう・・・・・と思ってから、やっぱやめた。

 だって、それで1メートルばかし移動させたって、しょうがないもん。
 その後の面倒なんて見られないんだし、奴が入ろうとしていたのは建設中の家だったが、まだ土台を作っている最中で、あそこを無事抜けられるのかどうかもよくわからん。

 でも、こうして何年も「近所のカエル」を発見しつづけていることからしても、彼らはこの最悪の環境の中でも逞しく生きて、子孫を残しているのである。
 もしかしたら、こうした試練を乗り越え、「車に絶対に轢かれない、異常にクジ運のいいカエル」が適応していくのかもしれない。

 うーむ、もしかしたら、50年後くらいには、ゴミを漁るカエルが問題になり、石原都知事の曾孫あたりが「カエル対策室」を立ち上げるかもしれん。

 この間、テレビで「南極に生きるアデリーペンギン」を見て、そんなことを考えたんですよ。
 もう、やはり何度見ても、ペンギンはかわゆい。
 もう、なにをやっても、かわゆい。
 死にそうなペンギンですら、かわゆい。

 でも待てよ・・・・もし、このかわゆいペンギンたちが、ゴミ収集所を集団で漁っていたら、どうなんだろう?

 みんな、しょーがないから、カラス避けネットならぬ、「ペンギン避けネット」を外すのだろうか?

 そーいや、「小鹿物語」ってそういう話だったよな。私が「映画観て泣いた」のを初めて意識したのは、あの映画だった。


 逆のことも言えるのであって、「地球温暖化」で平均気温が高くなってしまったアデリーペンギンの生息地で、気温の変化に弱い赤ちゃんペンギンから死ぬみたいで、その死体がカメラで映し出されると「私たちは、どうするべきなんでしょうか?」なんてマジメに考えてしまうが(冷房の効いた部屋でね)、あれが「南極だけに生息する、珍しいアデリーナメクジ」だったらどうなんだろうか?

 アデリーナメクジが数十万集まるコロニー。うにょうにょ〜
 気色悪いので、視聴者の大半が即刻チャンネルを替える。
 そして、温暖化の影響で、干からびて死んだ、アデリーナメクジの死骸の映像。
 わー、もっと温暖化を進めて、全部死んでしまえ!

 しかし、ナレーションは続く「このナメクジを餌にしている可愛いペンギンが飢え死にしてます」
 わーん。

 人間は勝手なものである。

 で、話が長くなったが、昨日の朝、駅に向かって歩く途中で、私は前方になにやら動くものを発見した。

 近眼のくせに、ちゃんとカエルを遠くから捉えたりできるのだが、それよりももっと高い能力を発揮するのが「毛虫」に対してである。好きなものに対する愛情よりも、嫌いなものに対する嫌悪感のほうが、強烈な本能みたいですね。

 だが、前にもこういうことがあったのだが、自分が子供の頃に比べたら、道を横断する毛虫の数は激減しており、そっちのほうがカエルの減少よりも問題だと思えるくらいだ。カエルの死体の目撃回数は、30年前とそう変化がない。年に20回が、年に2回くらいに減った程度だ。毛虫のほうは、100分の1以下になったような気がする。

 なので、ついつい「どんなケムケムかな?」とゆっくり観察してしまった。
 体長4センチくらいで、亀の子タワシみたいな色で、「小さなハリネズミ」のようにびっしり毛が生えてる毛虫が、モクモクと不気味に歩いていた。

 その道は、カエルを目撃した道と平行に走っているが、抜け道指定されてないので、交通量は圧倒的に少ない。
 でも、それなりに車も通る道だが、カエルに比べると毛虫は小さいので、なんとか道を渡り切りそうな雰囲気だった。それに、カエルと違って、道の真中で「えーっと、わたし、どこに行くつもりだったのかな?」と立ち止まったりしない。
 アスファルトの上では自分が幸せになれないことを頭でなく全身でわかっているので、とにかく、前進するのみ。

 けっこう速かったですよ。しかも、無駄なく真っ直ぐ進むその姿は感動的であった。ほんとに「モクモクと進む」ってかんじ。ストイックなかんじすらした。

 実は密かに「毛虫は絶滅してもいいかも。蝶や蛾がいなくても私は困らないし」と思っているのだが、あれだけのパワーがあれば、とうぶん大丈夫だろう。

 で、アデリーペンギンだってきっと、夏の最高気温15℃に耐えられるヒナがたまたま生き残っていくだけの話。

 気温の変化くらいじゃ、誰も死なないはずの人間だって、道を横切っているときに、車に轢かれたりする。電車が脱線したり、飛行機が墜落したり・・・・

 あの毛虫が、無事に道路を渡るように、私も飛行機で無事にロサンゼルスに行けたりするのだろう。
 あの毛虫が、まんまと好物の葉が茂る木にたどり着けたように、私もまんまと毎月ちゃんと給料を振り込んでくれる会社に就職したのだろう。
 そんで、あの毛虫が鳥に食われない程度には知恵があるので、昨日の部長は「いや、そのサーバを新しくするかどうかなんて判断はボクにはできないよ。でも、それが本当に必要かどうか、担当者レベルできちんと判断できているかどうかわからないっていうのをなんでボクに言ってくるのかな?いや、だから、ボクは買うなと言っているわけでもなく・・・・」とネチネチ言ってるのを小耳にしていたので、昨日は大人しく黙っていて、今日になって「あのー、入金明細がちゃんと見られるようになって、あと、データで落とせるというので、銀行のこのサービス使ってもいいでしょうか?」って書類を見せて、部長が「なんだ?月に3千円?それで、仕事に役立つんだったら、さっさと導入すりゃいいでしょ?」と一発OK貰って「やったー」

 私だって、頑張っているんだ、オランウータンもアデリーペンギンも気合だよ、気合!

 もちろん、地球温暖化や森林の開発は憂うべき事態でございますが、でも、京都議定書を完璧に実行したからって、南極の気温が急に20年前に戻ったりしないと思うし、下手すると人類が滅びても南極の気温は上昇するかもしれないんだし、みなさん個々に頑張るしかないわけです。

 さあ、明日こそ車に轢かれるかもしれないけど、頑張って道路を横断しよー
10月25日(火)

 朝方、寒かったため、薄い布団の中で鳥肌がたっていたせいか、すごく不愉快な夢を見た。
 あまりにもゾクゾクしたので、目が覚めたのだが、しばらくゾクゾクが止まらないどころか、今日は一日中、ときどき思い出してはゾっとしていた。

 今、こうして書いている最中でも背中に悪寒が走る。(「走るお棺」ってボキャ天の最高傑作の一つだったな)

 どんな夢だったかというと、ゾクゾク、顔に小さい水疱ができて、小さいニキビみたいなものだったが、それがだんだんと増えていって、そのうち、なにやら規則的な模様になってきたのだ。ひーーーー、ぞぞぞぞぞぞぞぞ

 こういう夢って、みんな見るみたいで、中学生くらいのころ「こんなヤな夢みて、もう今思い出してもゾクゾクする」なんて話したら、我も我もと似たような夢を話してくれて、みんなしてしばらく鳥肌たちまくってました。

 「手の指紋に砂が入ってしまってとれなかった」ゾゾゾゾゾ〜
 「爪のゴミをとっていたら、だんだん深く入り込んで、ついには爪をつきぬけた」おぞぞぞぞ〜
 「足の裏にウロコができてて、それを一枚一枚剥がしていた」うぉぞぞぞぞ〜

 そんなに頻繁に見ることもないのだが、数年に一度、こうして数日間はゾクゾクして、数年後でもなんとなくそのときの不快感を覚えているような夢を見るようだ。

 芋づる式に、小学校のときに前の席に座っていた男子生徒が、じんましんをおこし、その過程を後ろの席で見守ったときの「ぞぞぞ体験」を思い出してしまった。
 最初は真っ赤な発疹みたいのが出てただけで、別にどうってことなかったけど、その発疹がだんだん集まってきて、蚊に刺されたあとが大量にできたみたいになってきて、とても正視できなかった。

 でも、本人も周りが気にするのをとても気にしており、それがプレッシャーになって、余計ひどくなってきたようで、とうとう早退しちゃったけど、あんときは「気持悪い」と素直に生理的嫌悪感を感じる気持と「本人に悪気はないわけだし、気味悪がっては可哀想」という良心のせめぎあいで苦しんだので、彼が早退してくれたときには本当にホっとした。

 あのときのトラウマから、今だに気色悪いものを見たときに「うわ、ジンマシン出そう」と言いたくなるのをぐっとこらえてしまう。

 不愉快ではあるが、生理的嫌悪感までいかない「悪夢」に「コンタクトレンズの悪夢」がある。
 今はソフトレンズを使っているので、滅多に見なくなったが、ハードレンズを使っているときに、「レンズが目の中で砕けてしまう」という夢を時々観た。あと、装着前に指で割って粉々にしちゃうとか。

 あれは「ガラスを目の中に入れても大丈夫なもんなんだろうか?」という、潜在的ちゅーか、漠然とした不安がそのまま夢になっただけで、わかりやすい。

 似たようなタイプで、「日常の漠然とした不安」がそのまま拡大して出てくるのが「歯の悪夢」である。
 私の犬歯と奥歯の間の歯は、親知らずが生えてきてから圧迫されて、内側にどんどん倒れてきているのだが、ときどきそれが軋むというか、少しだけ付け根が揺るくなるのだ。
 「なんか、そのうち抜けるんじゃないか?」という不安感が、そのまま夢になり、歯が抜けてしまう夢をときどき見る。コンタクトレンズの夢と似ているのは、抜けた歯が、粉々に分解してしまったりするあたり。


 あるとき、雑誌かなんかの夢占いで、「歯の抜ける夢」という項目があり「あ、これなら見たことがある」と説明を読んでみたら「生殖能力の衰えに対する不安」いう回答で、それはあきらかに男性向けの解説なんだろうけど、あんときゃ笑ったな。

 大人になったらめっきり見なくなってしまったのが「空を飛ぶ夢」である。
 昔はいろんなバリエーションのを見て、朝起きてからも笑いがとまらないようなのも多かった。楽しい夢だったのだ。
 今でも覚えているのは、「ちりとりで空を飛ぶ夢」
 後から考えると、「ホウキとチリトリを取り違えたのか?」という解釈もできるが、でも物理的に考えると、ホウキよりチリトリのほうが、風に乗れそうでしょ?
 ボディボードかなんかで波に乗るように、私はチリトリで風を受けて、低空飛行を楽しんでいたのである。高所交付賞・・・・高所恐怖症だったから、あんまし高いところは飛びたくなかったのかも。

 ずっと憧れていた飛行機に乗った夢は(実際に乗ったのは20歳の頃だった)、「あれ〜、なんでこの飛行機、オープンなんだろう?」というものだった。
 ゼロ戦とかじゃなくて、ちゃんとした旅客機だったのである。さすがに747ではなかったが、50人くらいの小型のジェット機だったのに、屋根がなかったのだ。
 まるで、川下りの船みたい(笑)
 そんで、乗客はちゃんとシートベルトをつけて、風を受けながら離陸したのであった。けっこう気持よかった。

 いつか飛行機に乗りたいという「夢」は、そうやって「夢」で繰り返し見たものだが、幼いころの「夢」と「夢」の融合はもっと面白かった。
 近所の角を曲がったら、人だかりができていて、空き地に小さな舞台ができていたので、「なんだろう?」と思ったら、そこで「8時だよ!全員集合」の中継をやっていたんですね。
 「わあ」と思ったが、どうしても家に帰らなくてはならず、ちゃんと見ることができなかった。
 でも、しばらくの間、夜の住宅街で、電柱についた街灯の下での「8時だよ!全員集合」のイメージは残った。残念ながら夢の中でドリフの面々は出てこなかったんだけど。

 そんだけ「中継やってる会場に一度は行ってみたい」って思ってたんだろうね。とうとう一度も行かなかったけど。

 大人になるにつけ、「超現実離れした夢」はあまり見なくなってしまったような気がする。
 現実に即した夢の頻度が高くなった。
 この間なんて、ハイジの頭をナデナデしてながら「お前はよく頑張った」と励ましてる夢見たもんな。目が覚めたときに大笑いしてしまったよ。

 全然関係ないけど(書くことで、悪夢の記憶から逃避中)、某メガバンクにうちの売掛金の入金がほぼ集中しているのだが、量的には大したことないけど、いろいろ面倒なので、ソフトをつかって入金チェックできる機能を使えるようにしたいと銀行の担当者に相談したところ、さっそく提案してきた。

 その担当者K氏は、いつもイケイケで、こっちが「じゃあ、これを導入します」と決める前に、契約書を持ってきて「今すぐサインしろ」という勢いを見せる人なんであるが、今回も、こっちが「こんなのでいいかな」と思った契約は、どうやら向こうの営業ポイントになるもののようで、さっそくシステム子会社の担当者を連れてきてデモしてくれたのはいいが、「じゃあ、いつご契約しましょう」と迫るので、「いや、まだ全然私だけの話で、上司になんの話もしてないんで」と言って、部長決済が下りてからの話と再三言ったのに、それが昨日で、今日はそのシステム子会社の他の社員から「申込書をお持ちします」と電話があったので「いや、郵送してもらうって話じゃ」と言ったのだが、「でも、ついでですから」と押し切られて、今日の午後にやってきて、記入方法の説明を受けた。

 申し込んでから、導入まで10日間くらいかかるらしいが、ふと「電子認証の設定に誰か来て設定してくれるのでしょうか?」と言ったら、「それは・・・そちらでやっていただくことになります」

 それじゃいけないと思ったのか、彼女はおもむろに説明書を出すと、「まず、権限管理者様が、この設定をして、この場合、こちらの申込書のこの欄に記入された暗証番号を使います。それで、サイトのこの部分・・・この書類では白黒ですが、実際の画面では○色になっているボタンを押していただきまして、ダウンロードして、この暗証番号を入力していただき・・・・」

 延々、3分くらいその説明を聞くはめになった。
 いつ遮ろうかと、そのことばかり考えていたのだが、マニュアルそのまんまに語る彼女のセリフの腰を折ってはいけないのかな・・・と気をつかい「はあ、はあ、なるほど」

 しかし、こんなもん、紙に印刷された画面の絵を見ながら説明されても、なんの意味もないので、じっと我慢していたのだが、後半になると彼女の勢いも鈍ってきたので「まあ、この説明書みながらやれば、誰でも簡単にできるってことですよね?」と言うと、彼女もニッコリ。やっと説明を中断してくれた。
 てゆーか、私が確認したかったのはそういうことじゃなくて、前に企業調査のデータベースを申し込んだときに、最初に担当者が電子認証の設定もしてくれたので、そのために、部長が在席するときにしないといけなかったので(不在だったら、私でも後でできるんだけど、せっかく来てくれたのだから・・・)今回もそういうことがあるのかも、と思っただけだった。

 いちおう、そのこともちゃんと説明したのだが・・・・・「ああ、そうでしたか」と心の篭ってない笑顔でニッコリされただけだった。

 つーか、向こうが私の「パソコンのリテラシー」をどう読んだか知らんが、フツー、あんな小難しい説明をされたら、「え?こんなの私がやるの?」とビビるぞ?
 ああいうのは、ある程度の人だったら、説明書を読みながら、その通りにやれば問題がないのだが、説明書だけ読んでもなにがどうなるのかさっぱりわからないのだ。

 そして、向こうが「それって私がやるんですか?それとも、誰かそちらから寄越してくれるんですか?」という意味で私の質問をとったとしたら、「とても簡単なので、お客様でできますよ」と言ってニッコリしてりゃいいじゃんよー。
 もう少し賢かったら「インターネットからソフトをダウンロードしたご経験はおありですか?」くらい聞いてみて「あります」と言えば、「でしたら、問題ありません」と言えばいいし、「ありません」と言ったら、「でも、こちらに詳細なマニュアルがありますから、この通りにやっていただければ大丈夫です。わからないことがありましたら、こちらのサポートセンターに電話してください」って言えばいいだけだ。

 説明は流暢だったけど、なんか全く心が篭ってなかったなあ。憶えたセリフだけ言えますってかんじ。

 そんで、彼女が「できない人」だと思ったのは、記入方法でも「これは、普通は上の欄をチェックしてください」っていう欄が、「正しい日本語能力」ではよく意味のわからないことを確認しており、私も「これは、上の欄だと丸覚えするしかない」と思ったのだが、あいにくなにもメモを持たずに臨席してしまったので、「えーと、ここは上の欄。と」と私が呟いているのだから、あんたが勝手にチェックしておけよ!
 もしくは鉛筆でそこにマークしておくとか。

 「普通に能力のある人」はそういうとき、「こことここに捺印で、ここは2枚目にも捺印が必要です」って、鉛筆で丸で囲うもんだが、そういうことはしてくれなかった。
 きっと、自分では、あんなややこしい用紙に記入した経験が無いにちがいない。

 そんなひどい人でもなかったけど、相手に対する想像力の無さに後になって唖然とした。
 あれだったら、ロボット営業マンでも用は足りそうだ。
 てゆーか、記入用紙を郵送してくれて、それに解説テープでも同封してくれれば、それで済んだのでは?
10月24日(月)

 金曜日の夜、飲み屋でトイレに立とうとしたら、なんかカクカクするので「ああ、とうとう壊れた」と靴の裏を確認すると、ベローンと剥がれてました。
 ああ、これでやっと新しいのが買える。
 いや、この表現だとまるで、「うる星やつら」に出てきた「呪いのカマクラ」みたいに、誰か他の人が入らないと出られないみたいに、古い靴を履き潰さないと新しいのが買えない呪いがかかっているみたいだが、そういわけではなくて、その靴がそろそろ寿命なのはわかっていたので、つい先週も靴屋に行ってみたのだが「うーむ」といろいろ試しただけで終っていたのである。

 なので、靴がぶっ壊れたということは、やっと背水の陣が敷けたということで、無事な靴が生きているうちに(無事なのと壊れたのは同じ日に買って、ほぼ交互に履いているのである)新しいのを絶対に買わないといけないわけだ。
 つーわけで、会社帰りに靴屋に寄って、さっさと2足買った。やればできるじゃーん。

 てゆーか、最初からあの靴屋に行けばよかったよ。前回(何年前?たしか、「インファナル・アフェア」のときに買ったような・・・・映画館の受付に預けたとき、「ご覧になる映画名は?」と聞かれて「うーんと、えーと、インファ・・・・これです」とチケットを見せたという情けない状況を鮮明に覚えているから)も、あそこで買ったのだ。あそこの「バーゲン品」と、なぜか相性がいいようだ。今回も、バーゲン棚で試してみたら、「お、これならOK」というのに出会った。

 これで明日もちゃんと会社に行ける。
 実は用心深い私は、自分の「買い物嫌い」に保険をかけてあって、「超ボロくなったが、まだ壊れてはいない靴」を「いざというときのため」に捨てずにとってあるのだが、あの靴はもうカビが生えているかもしれないし。


 家に帰る途中の道で、古い家の軒下で、しょぼんと咲く中くらいの(季節が季節だけに発育不良)ヒマワリを見た。「自分って、花に例えるとこんなかんじかのお?」と思った。
 なんか、どことなく、けなげにマイペースなところにシンパシーを感じたのだ。
 その季節はずれ感は、哀愁を誘うというよりは、笑いを誘うものだし、「ま、晩秋ですが、せっかくですからそれなりに元気に咲いてます。でも、あんまし友達いないなあ?ま、いっか」という風情であった。

 なるほど、今までも晩秋に咲く夏の花に目を向けたことは多かったが、そういうことか。
 「狂い咲き」というよりは「出遅れ」っていうかんじが好きなんだろうなあ。

 関係ないが、ニュースで「クイーン来日」というのをやっていて、空港に到着した映像が流れていた。
 NHKがわざわざ時間を割いて報道するようなニュースなのか?

 しかし、不意打ちで拝見したので、ブライアン・メイが映ったときに「あれ?こんな顔だったっけ?」と思った。3秒後に「ああ、これでいいんだ」とわかった。どうやら、一瞬「ジミー・ペイジ」と顔の記憶が混線しただけだったことがわかったのである。ま、似たようなもんだ。

 さらに関係ないが、会社で隣の席のM嬢と、ふと映画の話になり、M嬢も「えっと、あれ、踊る大走査線の、室井シンジのやつは観たよ」というので、「あれって、面白かった?」と聞いたら「なーんかね?」
 M嬢は、ちゃんとドラマシリーズも観ているし、「ユースケのやつ」も観たらしいし、ちゃんとした普通の「踊る大走査線視聴者」であることを確認した。だから、筧なんとかがやった役の意味はわかっていたが、でもやはり彼が裏でどんな手をつかったかはわからなかったらしい。

 よかった〜。わからなかったのは、私の予習が足りなかったせいではなかったのだ。
 M嬢曰く「これから話が動くかなって思うと、全然動かなくて、なんだかね〜」
 そうそう、ほんとにそう。よかった〜、私が「いまどきのものについていけない」わけじゃなくて。

 久々に「あたしって、フツー」という喜びに浸ったのであった。ありがとう、M嬢。

 話が元に戻るが、靴底がベローンと剥がれたので歩き難くなり、飲み屋のレジで「すいません、セロテープ貸してくださーい」と言って、レジ前の椅子に座って、靴底をセロテープで補修しているのをお店の人は何も言わずに見守っていた。
 「ふん、あたしって、こんなことじゃオロオロしないんだから」という顔をしつつ、堂々と人前で靴をセロテープで直す自分は、やっぱし、晩秋の軒下の向日葵のようであったに違いない。
10月23日(日)

 最近、雨ばっかりだったし、休みも天気不良が多かったので、洗濯が溜まる一方であった。
 昨日の土曜日も雨だったので、部屋でフテ寝していた。

 ふと気がついたが、私の「天気悪いから部屋でゴロゴロしてしまった」というのと、友人A嬢の「子供産んだから太った」というのは、同じかも(笑)

 こういう日は読書に集中できる。(ときもある。)

 金曜日に読み終わったのは、ジム・クレイスの「死んでいる」
 前から気になっていた作家だけど(いろいろ賞とったりしてたし)、心ウキウキ楽しくなる系ではないようだったので、読みたくなるタイミングを狙っていたのだが、雨の続く冴えない秋の気分にはよさそうな気がしたので、初めて読んでみた。

 まあ、けっこう面白かったけど、そんなに趣味じゃなかったかも。ちょっと狙いすぎというか、狙いすぎで突っ走るくらいやればいいんだけど、狙いすぎにしては中途半端というか、時系列を逆にした意味がよくわからないというか、わかるんだけど、そういうことをやられると、なんか妙に期待しちゃったのだが、期待しすぎたのが悪かったらしく、別のオチやタネアカシがあるわけではなかった。
 娘が両親の遺体に対面するあたりでは、ちょっと泣いちゃったけど、「このシーンをレベッカ・ブラウンが書いたらなあ」と思ってしまい、だったら、最初からレベッカ・ブラウン読めばいいだけじゃん(笑)

 さて、とうとうジェーン・オースティンの本を買ってしまったので、土曜日は昼過ぎに起きると、寝転がってずっと読んでいた。
 まず、「ノーサンガー・アベイ」
 ノーサンガー寺院という意味なので、「アビイ」という表記のほうが自分にとってはしっくりくるんだが?

 彼女が初期に書いたものが、10数年後に書き直して出版されたものらしく、巻頭に「書いてからずいぶん長い年月が経ってしまったので、今の風俗とは合わないところがあります」という断りがついている。
 たしかに、書いた当時の流行小説や温泉地バースの賑わいが題材になっているので、古きよき時代の英国といえども、13年たつと設定が古臭くなるというのが面白い。

 主人公が17歳と若く、あんまし理屈で物を考えない子なので、すらすら読める。
 しかし、私はついつい考えすぎてしまって、途中から登場した、主人公が想いを寄せる男の父親が相当の変人で、かなり子供をスポイルしている様子が丁寧に描かれていたので、「これは、きっと、この男やもめの父親のほうと結婚するどんでんがえしだろう」と決め付けていたのだが、さすがにそこまではやってくれませんでした。

 夕方にはそれを読み終えてしまったので、夜からは「説き伏せられて」にとりかかる。
 岩波文庫だったから警戒したのだが、平易な訳で会話も現代風になっていたので、読みやすかった。

 「ノーサンガー・アベイ」が処女作に近いものだとすると、こっちは晩年というか遺作。(42歳で亡くなった)
 「今のバース」が描かれているようで、13年前までは、社交場で毎晩のように舞踏会が開かれ、若者の出会いの場にもなっていた「流行最先端」だったバースは、退役軍人の社交場に変わり果てていた。
 海軍の軍人がたくさん出てくるのだが、どうも当時のシステムって「歩合制」だったのか、たくさん拿捕すると、それだけ金が入ったみたいで、提督や大佐といったクラスだと、一生遊んで暮らせるだけの大金を得て引退するらしく、それで「生まれ」もよければ、地主たちの娘の花婿候補として引っ張りだこになったようだ。

 男爵の三人娘がいて、長女は男爵似で美貌も気位も異常に高く、三女はブサイクだったが見栄っ張りで、近隣の裕福な地主の息子(相続者)と結婚して、そっちの両親と同席する際にも、自分のほうが上座じゃないとプライドが傷つくような人で、主役の次女は地味でおっとりと優しい性格。なんだか、19世紀英国版「わたる世間は鬼ばかり」のような風情であった。

 さすが、遺作なだけあって、オースティンの小説につきものの「人を年収で評価する」という色が薄まっていた。主人公一家が父親と姉の贅沢により、お屋敷を維持していけなくなり、バースに引越して、屋敷は先の戦争で名を成した提督一家に貸すことになったという設定も、「そういう時代」だったのかもしれない。

 さて、今日の日曜日はやっと待望の晴天。
 午前中に起きて、洗濯したが、出血多量のせいもあって午後は昼寝して過ごしてしまった。

 昨日今日で少しは掃除もしたんだけど、「2割削減」ってくらいなもんで、もちろん「掃除しないよりマシ」なのだが、でも、いくら二酸化炭素排出量を少しばかり減らしても「美しい地球は戻ってきませーん」が目の前で具象化されているような気がして地球の未来を憂いてしまったが、ただの現実逃避である。
10月21日(金)

 オフィス街の道を曲がったとき、思わず跳びのきそうになった。
 まるで、小学生のガキ共につつかれたザリガニみたいに。
 で、ザリガニみたいな自分を笑いそうになったときに、自分が「わ、ぶつかる」と、びっくりした相手が、ただの影だとわかったときには、すっかり気まずくなった。

 西日で伸びた人の影にビビっただけだった。影の主は遥か彼方を悠々と歩いていた。

 影の持ち主は、私がなんで、パっと立ち止まって、一歩下がって、そして恥かしそうに笑っていたのか、わからなかったかもしれない。

 つるべ落としだかなんだか知らんが、自分が慣れるよりも早く、日が傾くのが早くなったというだけの話である。

 朝晩は冷え込むようになり、気温の変化にもまだ馴染んでないが、こんなことでも無意識に季節に合わせて調整しているらしいことに気がついただけ。 
10月20日(木)

 今日は久々にハイジがご機嫌だった。
 私はまるで珍獣を観察するように眺めていた。
 なんにせよ、絶好調でノリノリな気分な人を眺めるのは楽しい。(タイゾーとか)

 夕方になったら、急にSさんに仕事の説明をしはじめ、ついでに彼の懸案だった「Sさんと、一度じっくり話してみますっす」というのを急に実行していた。Sさんは、もちろん喜んで、仲良くハイジと語り合っていた。

 あまり、聞き耳立てるのもなんだし、聞かないようにしていたのだが、ノリノリのハイジは、親身になっていろいろ相談に乗っているようだった。でも、きっとSさんが帰った後に、報告してくるだろうな、と待っていたら、やっぱし「やっと、ちゃんと話したっすよ。オレも大人になったな〜」

 朝から頭がカっとんでいたので、あまり上手く解説してくれなかったのだが(なにせ、夕方になって「今日、たぶん小口現金、合いませんよ」と言うので「え?なんかやった?」と言ったら「オレが5千円両替したときに、頭がボーっとしていたから」と明るく言い放ったくらいの精神状態であった)、「なんだかSさんの人生相談まで聞いてしまった」と言うので、「まあ、なんかモヤモヤと目標はあるみたいだけど、具体的になんもわかってないみたいだからねえ」と流したら、

 「でも、やっぱ、キャリア・アップしたいっていう気持はあるし、なんだか焦ってるみたいですねえ」

 ハイジには前にも「彼女はきちんとして見えるが、中味はフリーターだから」と説明してあったので、ハイジもバイトの子の相談に乗るような気分で挑めたらしく、私よりも、さらに彼女の「野望」を聞きだしていた。

 「なんか、最終的にはコンサルタントとかになりたいみたい」

 私は「はあ?」とのけぞった。
 ハイジの説明によると、彼女は心の底から「キャリアを積みたい」と考えているようで、だから勉強して「簿記3級」もとり、とりあえず経理で経験を積んでから、最終的にはコンサルタントみたいなことをやりたいという夢を持っているらしい。

 「それは、たぶん、コンサルってなんだか、さっぱりわかってないだけでは?」と私も失笑するしかない。
 つーか、勘違いでもいいからせめて「MBAを取得して」くらい考えろよ〜
 なんか「私、ハリウッドでメークアーチストとして活躍したいんです」って言いながら、町のオバチャン専用美容院に就職したような勘違いだぞお?

 ハイジも「なんか、雑誌やドラマに毒されたとしか思えないですよね」と笑っていたけど、ほんとにたぶん、そういうマインドなんだろうなあ。かわいそうだなあ。
 で、彼女が気の毒なのは、だったら、うちみたいな「総務の中に経理がある」というような職場は「自分の目的と違う」と瞬時に見切るべきところなのだが、でも、彼女の目指す「経理のプルヘッショナル」というのが、どういうものかもわかってないので、「こんなもんなのかな?でも、なんだか思ってたのと違うんだけど、でも、これを乗り越えないとキャリア・アップできないのかな?」と真剣に悩んでいるところである。

 彼女がそこまで考えているのかはわからないが、27歳で「一年以上勤めた経験がない」という職歴を挽回するためには、最低でも3年の「一箇所での勤務歴」は必要だろう。
 でも、そうなると30歳になっちゃうんだよね。
 だから、「職歴」を積むためには、今がラスト・チャンスなのである。

 それなのに、電話番やお茶汲みばかりが主体の仕事では「このままでいいんだろうか?」って・・・・・そういうのは、24歳くらいの通過儀礼なのにな。
 彼女にもっと常識的な目があれば、うちの会社に1ヶ月もいれば「この会社でのキャリア・アップというのは、たかが知れてる」というのがわかるはずだ。全体のレベルが低いから。

 次の契約更新が12月末なので、本人が意思決定するのは11月の末頃。
 もちろん、「最長6ヶ月の派遣契約」で、その後、社員になるか辞めるかの選択をするのは来年の2月なのだが、派遣で6ヶ月働いたところで、なんのキャリア・アップにもならないので、焦っているらしい。

 ハイジと話してから、帰宅したのだが、帰りの電車で「そっか〜」と思うことがあった。
 彼女が求めているのは、「まあ、うちの会社でやっていくか、やめるか、決めるのはあなたでしょう」という「本当のこと」じゃなくて、「将来は、経営コンサルタントになりたいんです〜」と言ったときに、「え〜、すっご〜い。Sさんだったらきっとできるよ〜、がんばりなよ〜」という言葉なんだろう。

 たぶん、そんなとこだろう。
 Sさんが帰ったあと、ハイジは私とM嬢のところで「Sさんの話を聞けたオレってエラいでしょ?」と厄落とししたあと、自分の席に戻ったら「あ、誰かが差し入れしてくれた!」

 お菓子が一つ、置いてあったららしい。
 そんで、それにはポストイットでメモが貼ってあったことに彼は気がついた。「あ、Sさんだ・・・・」

 どういうメモだったか確かめなかったけど「今日はいろいろ相談に乗ってもらってありがとうございました。また、よろしく」とか書いてあったのだろう。

 「ああ、彼女、そういうとこ、女子高生なんだよ」と私が言ったら、ハイジも苦笑していた。

 昨日もさ、お弁当の差し入れがあったので(よく使う和食屋さんからマツタケご飯)、Sさんに「今日はマツタケだから」と、いつもは外に出る彼女にも、お弁当を配ってもらうのを手伝ってもらったのだが、Sさんが「Kさんにも配っていいですか?」というので、他部署の派遣社員のKさんと仲良しになっているのはよくわかっていたので、「じゃあ、このフロアに呼んで、ミーティング席で一緒に食べれば?」と言ったのである。

 そしたら、食べ終わったあとに、二人して私の席の両側に立ち「お気遣いいただいて、ありがとうございました」と言われて、私は硬直してしまった。

 うぜーよ、あんたら!
 あたし、そういうのがダメなの。
 そんな、ことで、いちいち礼を言われるほうが苦痛なの。

 そんで、ちょっと気を効かしてあげると、そうやって過剰に礼を言われるのが嫌で、最近、意図的にそっけなくしてるの。
 そんな私の「変人ぶり」を読んでくれない、頭の悪さが嫌いなのよ〜

 つーか、私にも、私なりのプライドというものがございまして、それは「人が気がつかない気配り」である。
 コピー用紙が切れないように、でも大量ストックする場所もないから、マメに発注したり、紙切れの前に補給したり、シュレッダーが満杯になる前に袋を交換したり、そういう、ちゃんとやってるときには誰も気がつかないが、もし私が退職したら「あれ?これって今まで誰がやっていたんだろう?」と、40秒くらい話題になるような、そんな「夜中の小人さん」に私はなりたい。

 前に総務にいた「伝説の派遣社員」は、ほんとにそういう人で、彼女が辞めたあとに(既婚者だったので、そろそろ子作りに専念したくなったみたい。風の噂で、お母さんになったと聞いた)「あれ?これって、今まで誰がやってくれてたんだろう?」という庶務がたくさん浮上して、彼女の優秀さを永遠に証明した。

 Hさんのことで、私が忘れられないのは、彼女が給湯室で使い古された手拭きタオルで雑巾を手縫いしていたことだ。
 元々、彼女が来たときには、けっこう仕事が忙しかったのだが、彼女が主に仕事していたセクションが、他の町に移転してしまい、しばらく彼女もそっちに引っ張られたのだが、「勤務地が遠い」という要望もあり、ほんとは辞めるつもりだったのだと思うが、当時の総務部長だったO氏が彼女をこっちに戻したのだ。
 だから、彼女の仕事は激減してしまい、「受付、電話番、お茶汲み」がメインになってしまったので、かなり手が空いてしまったので、「雑巾縫い」という仕事を編み出したのである。

 彼女はそれをニコニコしながら、電話番の合間にやっていたので、鈍感なO部長も「これは・・・」と感づいて、自分が放置している書類のファイリングを頼んだら、ものすごーくちゃんとやってくれたので、それ以降、いろいろファイリングを頼むようになったのだが、彼女が作ったファイルは、いまだに「基本」として残っている。ときどき、それに継ぎ足すことがあるが、ほんとにわかり易くファイリングしてあるので、継ぎ足すときに全くストレスを感じないのだ。

 五島列島出身で「島育ちなんです〜」と言っていた彼女は、見かけの素朴さとは裏腹に、異常に頭がよく、「こういうふうにしておけば、誰が見ても大丈夫だろう」と彼女が判断する「一般」は、ほんとにどこでも通用するものだった。つーか、今でもお手本にしてます。自分ではわかっていても、他人にも「直感でわかる」ようにするのって、そうとうな能力だよね。

 もし、彼女に「野心」があって、インターフェイスの開発なんかやる仕事をしていたら、老人や子供にもわかる、すばらしいものを作っていただろう。
 ほんとうに、もったいない人であった。
 でも、今ごろ、あの高い能力で、ダンナや子供を幸せにしているであろう。

 どんな仕事にも、ちゃんとよく考えれば意味がある。
 うちの母親が、某有名電機メーカーの研究所で掃除のパートをしていたとき、トイレや床の汚れ方から、「この職場がいかにストレスにさらされているか」を無意識に分析していた。
 トイレに毎日「お腹を壊している人がいる痕跡」を発見したり、座席の周囲にやたら抜け毛というか「あれは抜けているのでなく、抜いている」というのがあったりすると、「精神的に不安定な人の割合」が自ずとわかるのである。

 おかげで母は、テレビでそのメーカーの「こんな画期的な新製品が!」っていうCMを観ると、あの追い詰められていた研究所職員の痕跡を思い出してしまうようになった。

 まあ、そんなのは別になんの役にも立たないんだけど、でも、もしそこの研究所職員から見合い話が自分の娘宛てに持ち上がったら、「ちょっと考えちゃうわよね」と言っていた。

 遺伝的なものか、私もそういう「家政婦は見た」的なことは大好きである。
 この間の来客で、コーヒーを出したのだが、うちの社員は全部飲んでいたが、来客のカップは一口も減ってなかったのに、なぜかミルクは落としてあって、「この人、コーヒーが嫌いなだけなのか、それとも?」と、ちょっと考えてしまった。

 コーヒーが苦手で、全く手をつけない人もいるけど、ミルクを入れてまで一口も減らない人も珍しい。取引先の偉い青年取締役だったんだけど、ミルクを入れたことで、彼の「気くばりしようと思っても、とんちんかん」なバランスの悪さを感じた。だって、ミルクに手をつけなきゃ、使いまわしができるのによー。
 「なんか手をつけた証拠」として、無意識にミルクを使ったんだと思う。(パック式のポーション・ミルク)
 でも、結局、妙な「飲み残し」を残しただけだった。

 そこまでやるんだったら、無理してでも、二口くらい飲んでおくべきだ。
 悪いけど、私は、彼の「頑張っているのはわかるけど、頑張りが成果を生まない」という気質を再確認してしまいました。

 なので私は、出したお茶を下げるのがけっこう好きです。
 残し方に性格が出るから。

 あと、外回りの営業だった友達が「コーヒー好きだけど、立て続けに3回だとさすがに・・・・」と言っていたので、夕方になるとわざとお茶を出してみたりします。日本茶だと、けっこう大丈夫だったりするじゃない?
 まんまとキレイに飲まれていたりすると「やった」と思います。

 そういうのは、能力とか「給与」とは別の話ですが、自分で「やった」と満足するので、別にいいんですけど。
 引き篭もってゲームでもしてれば、そういう達成感は得られるような気もしますが、でもそういう財力もないので、「タバコ代と酒代稼ぎ」で仕事しているので(あと、家賃稼ぎか)、密かにそういうゲーム感覚を持ち込んでますが、そういう自分には、Sさんの「ここの仕事って、経理というよりは、総務なんですよね?」っていう気持がよくわからないのであった。
 なんでもいーんだが、わたしゃ。食えれば。

 なので、一番嫌いなのは会社の考課書類と面談。
 「今期の目標は?」って、そんなもん、ねーよ。あえて言えば、有給完全消化だな。マジ。
10月18日(火)

 8月から全然有給を使ってなかったので「こりゃ、決算業務が本格化する前になんとかしないと」と思って、部長たちが接待ゴルフに行く今日は久々に有給を消化することにした。
 (毎回、口を酸っぱくして書いているが、うちの会社は「有給を全部消化しても、一般企業よりも休みが10日ほど少ない」のである)

 この間、友人Mちゃんと会ったときに「今度、ミヤノが平日休みのときに、三茶の有名店でランチを試してみよう」と言っていたので、どうやらお天気も悪いようだし、ゆっくりランチでも食べるのもよかろうと思って、昨日の夜に電話して「明日って暇?」と聞いたら、なんとロンドンに行くという。
 しばらく音沙汰がないと嘆いていたクーリエの仕事が、また復活したようで、この間はアイルランドに行ったらしい。「でも、それが、コークの外れでさあ」「って、コークってどこ?普通の人は、アイルランドって言われると、ダブリンしか知らんよ。」「まあ、そのダブリンですら、世界的標準からすれば、そうとう田舎なんだけどね」

 そんなわけで、コークの市内から離れたホテルで3泊も過ごしてしまったらしい。
 それよりも、行きの飛行機で近くの席にいた、日本人親子のしょうもなさに呆れたようで、若い母親は日本人で、子供は3歳になるかならないかの多分日英ハーフのようだったらしいが、行きの11時間をその子供はほとんどハイテンションでいたらしく「今までも、いろんな国の子供を飛行機の中で観たが、あんな子はじめてだった」と言っていた。

 Mちゃんの勝手な推理では「普段、一緒に生活していなんじゃないか?」というのだが、確かに、それだと子供がハイテンションになるのも納得するし、たった三歳の子に、子供用ミールをリクエストすることもなく、「○○ちゃん、何がいい?」と大人用ミールをどれにするか相談しているというのも「子供慣れしてない親」ということで説明がつく。
 で、大人でも慣れないと、上品に食べるのが難しい機内食なのに、親は子供が食事するのを放置しているから、上手く食べられないし、食べこぼしたり、飲み物を倒したりしてしまうと、「もー、なにやってんのよ!」と親が怒りまくるので、周囲の人は「おめーが、ちゃんと食事の手助けしてやんないからだろっ!」と心の中で突っ込みを入れるしかないし、子供はまたビービー泣くしで、ほんとにいたたまれなかったそうだ。

 そーいや、友人A嬢も、ダンナが家族を連れてフランスに帰省したがっているようで、Aは「向こうの家族に会うのは気が重い。ことばも通じないし」とか「せっかくフランスに行っても、パリで買い物してる余裕もないよ」と嘆いていたが、私が心配になったのは「まだ野放し状態のご子息が飛行機の中でおとなしくしているのか?」ということだった。

 またMちゃんと、子育て話に花が咲いてしまったので(パソコンが復活した彼女は、また2ちゃんの育児板をマメにチェックしているらしい)ふと、子供時代の話になったのだが、私は、外でビービー泣いてる子を見るのが好きだけど、Mちゃんに「そりゃ、見てる人はそれでいいかもしれないけどさ」と言われ、てっきり「親は大変だよ」という話なのかと思ったら、「泣いてる本人のプライド」の話であった。

 彼女は、サイバラさんちの下の女の子のように、たいへん聞き分けのいい子だったらしく、頭もよかったので、他の子がビービー泣いているのを「みっともない」と軽蔑していたのだそうだ。
 ただ、そうは言っても、幼い魂であるので、何度かビービー泣いたことはあり、そのたびに深く反省していたらしい。なんで泣いていたのか、理由を憶えているものもあったが(子供らしい想像力で恐怖を感じたのに、周囲の大人は「縁起物だから」と強制しようとしたので、必死で抵抗したらしい。結局、先にやった他の子供が無事だったので、自分の想像が間違っていたことがわかり、素直にやったとか)、「今でもなんであんとき、あんなに嫌だったのか、さっぱり覚えてない」というのもあったようだ。(お祭りで、なにかの装飾品が気に入らなくて、とうとうそれを身につけることができず、おかげで晴れがましい役を他の子供に譲ることになったとか)

 そんで、私は、子供がド突きあったりするのは普通だと思っていたのだが、(子犬や子猫と、人間の子供の区別がついてないので、「ケンカしながら、ケンカのやり方を学ぶのだ。ふふ」と思っている)「できた子」だったMちゃんは、幼いときから、そういう乱暴な子が大嫌いだった、と反論されてしまいました。

 うーん、たしかに私、けっこう乱暴だったかも。
 近所のガキが、男ばっかりだったというのあるけど、でもやっぱし持って生まれた性格だったんだろうな。

 最近はよくニュースで「公園の遊具で怪我」なんてやってるが、私らのころも、そういうのはよくあったんだと思う。だって、遊具の限界に挑戦してたもん。

M 「ブランコでも激しくこぐのが嫌で、私はもっとゆったりと揺れを楽しみたかったのに・・・・」
私 「よく、4人乗りブランコを限界まで漕いでました。ときどき、やりすぎて、頂点まで揺らしたら、そこで外れちゃって戻ってこかなったな・・・(遠い目)」
M 「もー、あたし、そういうのほんとに許せなくてさー」

 30年前、同じ公園で遊んでいたら、きっと犬猿の仲だっただろう(笑)

 とにかく「最高に高く、最高に速く」にいつも挑戦していたような気がする。おかげで、遊具がときどき壊れたが、一人乗りブランコに乗って、ぐるぐると横に回転させて捻じり、それが戻るときに回転するのが楽しくてよくやっていたが、あまりにも捻じりすぎて、鎖がからまり元に戻んなくなっちゃったり・・・・そのまま放置して帰ったが、翌日はちゃんと直っていた。

M 「なんでそういうとき、せめて大人に通報しないわけ?」
私 「いや・・・・だって、自分で壊したなんて言いたくないし・・・・逃げました」

 そんな荒っぽいことばかりやっていたから、けっこう怪我する子もいたが、せいぜい捻挫とか脱臼で「指を切断」とか「骨折」という重症になった子がいなかったので、伸び伸び暴れていたのである。
 あのころ学んだのは、ブランコから落ちても、ビービー泣いているのは「たいしたことない」わけで、顔が真っ青になり無言だったりすると「これはヤバい」と、すぐに親に助けを求めた。

 ただ残念なのは、あれだけ頑張って三半規管を鍛えたつもりだったのに、大人になって遊園地の乗り物が一切ダメになってしまったことである。高所恐怖症も治らなかった。あんなに一生懸命、ジャングルジムの上で修行してみたんだけどなあ。

 まあ、小学校低学年までの自分が、とてもバランスの悪い、気難しい子供だったのは認めるよ。
 すごい内気だったのに、身内にはエバりちらす内弁慶だったし、タガが外れると、かなり暴走したしなあ。

 そういえば「乱暴な遊びが好きだったのは、自分だけじゃないよ」という弁護のつもりで、ふと思い出した遊びをMちゃんに説明したのだが、彼女はそんな遊び知らないと言う。
 たしか「○○馬」とかいう名前で、2チームに分かれて対戦する。
 「守備」のチームは、最初の一人が、鉄棒とか藤棚とか木の柱に抱きついて、「跳び馬」の体勢を作る。次の子は、その子の足を支えてにして、同じ体勢になり、次々と続く。要するに「イナバの白うさぎ」のサメのように、人間が橋を作るのである。

 「攻撃」チームは、そこに走っていって、ジャンプして、なるべく奥のほうに跨る。そして、にじりにじりと一番奥まで到達。次の子もジャンプして跨る。

 「守備」である、馬を並べたチームが崩れたら、そっちの負けである。勝ち負けよりも、双方がんばってうまくバランスをとり、最後のジャンパーまでうまく跨げると、それなりに達成感があったが、めったに上手くいかなかった。馬になってる子たちの体力が持たないからである。しかも、夢中になってやっていると、総崩れになったときに、下敷きになる子がいて、打ち身くらいは日常茶飯事だった。

 Mちゃんはそんな荒っぽい遊びを見たことないという。

 そういや、それは屋外の遊びだったが、屋内というか人の家でよくやったのだが、名前がついていたのかしらないけど、人の上にどんどん重なって、圧迫していく遊びだった。
 広い居間のある家でしかできなかったけど、最初にソファのクッションか座布団を並べてジャンケンをして、負けた人が横になる。ジャンケンで負けたほうから、次々と上に重なるのだ。
 書いているうちに思い出したが、これは案外、一番下の人はラクで、人と人の間に挟まる「下から二番目、三番目」が一番キツかった。

 これも「忍耐」と「バランス」が勝負で、なかなか6人くらい積むのは難しくて、バランス崩してしまい、たしか小学1年生のころ、これで手首を骨折した子がいたというのに、懲りづにときどきやっていたのだった。

 「体育館マットで圧迫死事件」が話題になったとき、私はちょっとあのゲームを思い出して青くなってしまった。それに、マットで簀巻くらいだったら、やったことあったような気がしたのだ。別にイジめていたわけでもなく、みんなでかわりばんこにやって「ひゃー、けっこう楽しい」と喜んでいたような気がする。

 なんで、あんなに圧迫される遊びに夢中だったか、今となってはさっぱりわからないけど。
 誰も死ななくてほんとうによかった。

 さて、今日もずっと雨だったが、ずっと電車の中吊り広告で気になっていた、世田谷美術館の「宮殿とモスクの至宝」展を観にいってみた。

 ただ単に「タイルっぽいのが好き」というだけだったが、行ってみたら、かなりよかった。
 平日のこんな雨の日だったけど、思ったよりも客が入っていたし、あれだけ宣伝しているのもあるけど、みんなやっぱしイスラム美術って憧れるよね。
 さすがに、選び抜かれた展示のようで、駄作が一つもない素晴らしいものだった。解説も丁寧だったし。

 絹刺繍や絨毯の見事さは、ほんとに凄かった。
 かなりデカい絨毯が展示されていたが「こんなの、今だったら、何億出しても・・・」と思ったが、展示室を出たら、最近売られている絨毯が飾ってあって、それに値札がついていたけど、やっぱり数百万円の安物(笑)

 そこで喋っていたオバサマたちも「さっき、すごいの見ちゃったから、すごく安っぽいわねえ」と言っていたけど、今だったら、数千万円の「そこそこの品」を見ても「安物」に見えてしまうだろう。

 バブルの頃、イスラム絨毯が投機目的もあってブームになったが、同僚が「でも、小さいのなら、そんなにびっくりする値段じゃないかもしれないし、欲しいな」と思って、バーゲン中のイスラム絨毯屋に入ってみたそうだ。
 玄関マットサイズのがあって、デザインも気に入ったし、値札を見たら40万円くらい。
 「うーん、高いけど、でも欲しいし、このくらいならボーナス一括でなんとか手がでる」

 しばらく、「うーん、うーん」と悩んでいたが、「でも、ほんとに欲しいんだから、いっか」と思って決意して、もう一度値札を確認すると、桁を一つ読み間違えたのに気がついたそうだ。「げ、400万円?」

 「いや〜、ほんとに、40万円なら買うつもりだったんだよ」と彼は嘆いていた。
 400万円のものを40万円と勘違いしたのなら「よし、買うぞ」と決意した彼の「見る目」はなかなかのものだったのだと思う、と気休めを言って慰めてあげた。

 欲を言えば、イスラムの細密画をもっと観たかったな。二つばかりあったけど、ほんとに素晴らしかった。
 定年退職後のオジサンみたいな人が、一生懸命、眼鏡を上げて観察していたのが、微笑ましかった。

 世田谷美術館の企画展は、そんなにボリュームが無いので、逆に疲れないからけっこう好きだ。
 私は飽きっぽいので、あんまり沢山並んでいると、途中でどうでもよくなってしまうのだが、あのくらいの数だと、集中して見ることができる。

 さて、この秋、もう一つ行きたい美術展は、上ので今週末から始まる「プーシキン美術館展
 朝日新聞主催なので、あちこちでポスターを見かけるのだが、あのマティスの「金魚」がどうしても観たくなった。

 印象派好きだけど、マティスはそんなに好きな画家ではない。
 色使いは好きなんだけど、あのわざとシロート臭くしたような線が好みじゃないのである。
 パリの美術館に行くと、ついついセザンヌのほうに目がいってしまい、マティスの「天然狙い」にあんましグっと来ないのだ。

 プーシキン美術館展は、できれば我がママンを誘ってあげたいと思った。
 なぜなら「金魚」はうちのママンの画風にちょっと似ている。部分的には。
 うちのママンはなぜか絵では「嘘」がつけなくて、見えたままと違うものを描くことができない。なので、だんだん無意味に描き込んでしまい自滅するのである。
 なので、もし彼女の頭がもう少し狂っているというか、「視線というのは公正なものではない」ということが天然でわかっていたら、こんな絵が描けたのではないかと思うのである。

 前にも何度か書いたけど、母が感心するのはだからゴッホなのだ。
 彼の絵には、「目のいい人が見た、そのまんまの光景」が描かれている。風景画では、ずっと遠景まで細かく書き込まれているし、梅の木の枝の隙間から見える地平線まできちんと描かれている。

 ゴッホやセザンヌみたいに「絵としてのバランス」なんて考えてないのだ。(あくまでも意識的には。天然では凄い感覚なんだけど)
 セザンヌみたいに、バランスを取るために、モデルの手を長く描いてしまうなんてことは、やろうともしないし、やりたくてもできないのだ。

 で、私は、緻密に計算されたセザンヌの絵に比べると、マティスの絵は雑に思えていたのだが、ポスターで観た「金魚」のそのギリギリの計算とバランスに心打たれてしまったのでありました。
 印象派の展覧会は手堅い人気なので、これも混みそうだから、平日を狙おう。

 次の休みはいつかなあ。でも、その前に美容院にも行きたいなあ。

 あと、お天気よかったら、横浜の「トリエンナーレ」もちょっと冷やかしてみたいなあ。
10月16日(日)

 土曜日は出勤したのだが、「午前中に終らせよう」とすぐに始めた仕事が、昼になってもなかなか終らず、ややこしい現金経費の清算なのだが、やっと伝票を入力し終わって、残高を合わせるが、合わないので「うーむ」と悩んでいたら、担当者が私に黙って(もしかしたら、ハイジには言っていたのかもしれないが)変なことをやっていて、それをちゃんとメモとして残してなかったので、全然気がつかず、あれこれやっているうちに、何をやったのかわかり、「こいつ、射殺だ!」と久々にブチ切れた。

 2時間もかかった仕事を途中からまたやり直さなければならなかったのである。
 「クッソー」と怒り狂う私の様子にビビったMちゃんが「だいじょうぶ?」と気を使ってくれたので、「うん、でも、頭に血が上ったから、メシ食ってから再開」と言ったものの、そのまま机でお弁当を広げると気分転換できそうにもなかったら、久々に外で食べた。

 前はときどき行った普通の中華屋であるが、土曜日だというのに、作業着姿のオジサン・オニーサンとチラホラ混じるサラリマン諸君で満席状態。
 でも、私にしてみれば「非日常」な雰囲気に、かなり気分転換できました。

 結局、その仕事が終ったのは午後2時半であった。土曜日だから電話も来客もなく、集中できたけど(途中、T部長が他部署の部長とミーティングを始める際に「なんか飲む?」と話し掛けていたので「ゴラゴラ、現金をこんなに机いっぱいに広げて、髪の毛かきむしって、目が血走っている私に、まさか、コーヒーいれさせるつもりじゃねーだろーな」と心の中で叫んだが、幸いなことに、相手の部長が「いらない」と言ったので、T部長は銃殺を免れたようである)平日だったら、ほんとに一日仕事になってしまう。

 今までも、クララが苦労しながらも、なんとかやっていた仕事だったので、「ああ、クララがいないと、ほんとにねー」とMちゃんにも嘆いた。
 この仕事も、Sさんが社員になったらお願いしたいのだが、我慢してやってくれるかなあ?

 そんなかんじで、他の仕事も溜まっていたので、土曜日だというのに忙しかったが、家に帰るとさっそく「自負と偏見」を読みふける。
 他では「高慢と偏見」というタイトルになっていたりするが、新潮文庫ではこの題名だった。どうでもいいけど。

 どうでもいいが、新潮文庫はやっぱし「しおり」がついているのがいいよね。
 なんかしらんが「しあわせ」と思う。
 つーか、昔の本にはたいていついていたように思うので、それが当たり前だと思い込んでおり、しおりがついてない本が増えたときには、戸惑ったのだ。経費かかるのはわかるが、50円くらいならOKですから、ずっとつけてね。きっとよ。うるうる。

 さて、少し前まではSFを読み漁っていたのであるが、「ダロウェイ夫人」に挑戦したあたりが起爆剤になり、今ではジェーン・オースティンがマイ・ブームなのである。元々、EMフォースターとか大好きだし。

 なんたって「お嬢様」がたくさん登場するので、言葉使いもお上品のはずなのだが、この新潮文庫の「自負と偏見」の訳者(中野好夫)は、ちょっと解釈が違うようで、やや下町調なのである。

 しかも、漱石も絶賛したというこの小説の書き出しは、訳者がそう解釈したくなったのもわかる「落語調」なのである。

 以下、引用。

 独りもので、金があるといえば、あとはきっと細君を欲しがっているにちがいない、というのが、世間一般のいわば公認心理といってもよい。
 はじめて近所へ引越してきたばかりで、かんじんの男の気持や考えは、まるっきりわからなくても、この真理だけは、近所近辺のどの家でも、ちゃんときまった事実のようになっていて、いずれは当然、うちのどの娘かのものになるものと、決め手かかっているようなのである。
 「ねえ、あなた、お聞きになって?」と、ある日ミセス・ベネットが切り出した。「とうとう、ネザフィールド・パークのお屋敷に、借り手がついたそうですってね」
 さあ、聞かないがね、とミスター・ベネットは応える。
 「いいえ、そうなんですのよ。だって、今もロングの奥様がいらして、すっかりそんなふうなお話でしたのも」
 ミスター・ベネットは答えない。
 「あなたったら、借り手が誰だか、お聞きになりたくないんですの?」奥様のほうは、じりじりしてきて、声が高くなる。

 以上、引用終わり。

 うーむ、読めば読むほど落語みたいな出だしだ。
 ちょっと語尾を変えれば、ほんとに落語だし、ベネット夫妻の会話は、ほとんどいじらなくても大丈夫だろう。

 最初はこの雰囲気に入り込めなかったのだが、だんだんと「エマ」や「分別と多感」に比べると、このベネット家は格が低く、教養も知性も「紳士階級としては最低レベル」と描かれていたので、ベネット夫人の喋りを「商人のおかみさん風」をやや気取った程度に訳したのも頷けてきたので、あとはだんだん慣れてきたのであった。

 オースティンの作品も三冊目になると、パターンに慣れてしまったので、展開には意外性がなかったが、でも、勢いよく展開していくので、結末がわかっていても「で、どうなんの、どうなんの」と引っ張る力は強かったので、昨日も「チャングム」と「ER」のときに休憩しただけで、午前3時まで読みふけってしまいました。

 「チャングム」はまだ「少女時代編」なのですが、時代劇なので、あの衣装に馴染むのに、もう少し時間がかかりそう。
 あと、時代劇って衣装や髪型がみんな似たり寄ったりなので、日本のだと役者の顔で区別できるが、韓国のだとそれができないし、役名もすぐに覚えられないから、慣れるのに時間がかかりそうなのだ。

 さて、久々に観たERであるが、会社で「くっそー、銃殺だ」とか言ってストレス発散している私は、「毎日、銃弾で撃たれた人が運ばれてくる」というドラマを観て、自分を反省してしまうのである。
 そんで、私は2時間も一生懸命やった仕事が台無しになっても、「ちくしょー」と頑張れば、まあなんとか残業せずに終るのだが、ERだと、一瞬の判断に患者の生死がかかっているというのに、そういう判断をしなければいけない局面が次ぎから次なので「ああ、私の仕事なんて、まるで天国のお花畑で水撒きしてるようなもん」と、心癒されるのである。

 でも、長いシリーズだから、ときどきダレることもあるんだけど、でも平均しても異常に脚本がいいよなあ。
 役者もけっこう入れ替わってしまったが、でも、個々のエピソードがしっかり作られているので、それも「使いまわし」が多いんだけど、でも毎回、感動しちゃうのだ。
 特に自分の仕事が忙しいときには。
 逆に、自分の仕事が暇なときには、あんまりグっと来ないのである。自分の心の荒廃のリトマス紙のような番組である。

 韓国ドラマに11時からの放送時間を奪われて、午前1時からになってしまったので、なかなかその時間まで起きていられなくなったのだが、やっぱしたまに観て心を洗うことにしようと思った。

 おかげで、今日は目が覚めたら午後1時半だった。
 涼しくなると、こんだけ寝てられるのね。うれしい。

 でも、先週は実家から帰ってきて、疲れて寝てしまったのでパスした図書館とクリーニング屋に出かけた。
 図書館では、またうっかりバージニア・ウルフを借りてきてしまった。

 帰りに、246号を横断しようと信号を待っていたら、横にいた自転車に乗ったお母さんが、子供に「あ、地震!」と叫んだのだが、立っていた私は気がつかず、でも、キョロキョロ見回してみたら、街灯がグラグラ揺れていたので、「げ、ここで大地震が来ると、あたしは首都高の下敷き?」と怯えたが、それほど大きな地震ではなかったようでよかった。

 このあたりは震度3だったらしい。

 話は戻るが、この中野好夫訳の「自負と偏見」を落語家が朗読してくれたら面白そうだなあ。
 NHKラジオあたりに、企画を持ち込んでみるか?
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