可燃物な日々

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8月15日(月)

 まだお盆休みモード。
 暑いというよりも湿気が辛い。ねばりつくような暑さだ。

 先週休んだ人が出勤してきたけど、そちらも「休みボケ」だし、今週休みをとってる人も多いので、あんまし仕事する気分にならない。

 そういえば、終戦記念日だけど、小泉首相は今日は参拝しないらしい。
 まあ、どうでもいいんだけど。
 自分にとって「靖国神社参拝」というのは、「明治神宮に初詣」っていうのと同じくらいのものなんだが、それを改造するのには、弟だか(父はもう無理っぽい)、息子だか(それも今のところ無理っぽい)に「戦没者」になってもらわんとダメだろうなあ。

 うーん、でも、やっぱしそいう事態になっても、別に時の首相に参拝してもらっても、どうでもいいような気がしなくもない。
 そもそも「墓」に全然興味がないんだよな。考古学的興味はあるので、「シルクロード」に出てくるような墓は大好きなのだが。

 そういえば、選挙のニュースも、どんどん自分の興味を離れていくようだ。
 女性刺客がたくさん放たれることになるらしい。
 すごくアホらしい映画の企画を延々と興奮気味に語られているような心地である。
 しかも低予算バカ映画なら、笑顔で聞き流し「スポンサーつくといいね」と励ますくらいやるけど、「クノイチ旋風」は、膨大な予算がつぎ込まれるのだ。

 こうなったら、マジに、由美かおるも立候補してほしい。

 そういや、「元ミス東大官僚」と話題の、さつきさん(苗字忘れました)であるが、最初にルックスを拝見したときに「わー、なんか懐かしのハマトラ」と思ったが、見れば見るほど、ハマトラ時代そのまんまに老けただけである。ある意味、すごい。
 いまだに聖子ちゃんカットで頑張っている人くらい凄い。

 いや、聖子ちゃんカットよりも、あのカールのほうが手間がかかると思うんですよ。
 でも、カールを維持するのに、労力を惜しまない世代がかつては存在していたのだが、そういう人は、カールに命かけてるだけで、他は何にもできないと思っていたのだが、(それこそ、会社で外出したら、雨でカールが解けてしまって、本当に早退してしまうとか。そこまで行かなくても、それで仕事が手につかないとか)それが、エリート官僚として存続していたことに「カール命」の底力を今さらながら感じて、身震いしてしまった。

 しかし、モノは考えようで、あと20年くらいしたら、梨花みたいな女性議員が登場するかもしれん。
 アユっぽい女性高級官僚でもいいかも。マスカラに命かけてますけど、仕事もできまっすってなかんじ。

 ほんとうに多分、そんな時代が来るだろう。
 で、そのころには、男性議員も、みんな福山雅治みたいな感じなのよね、きっと。いや、フミヤかな。うん、そういや、最近の若手議員はかなりフミヤ系なので、このままいけばそうなるだろう。
 で、フミヤ系の対抗馬として、キャバクラ嬢系が出てきて、私のような心有る有権者が路頭に迷い、日本の政治は安泰だ。 

 そういえば、この間、テレビをぼんやり観ていたら、スガシカオが出ていて、以前は「癒し系」だと思っていた彼が、いつのまにかギラギラしていて、「いや、けっこうギラギラしている人なのはわかっていたが、それを表に出さずに、スカスカしてたところが好きだったのに〜」とやり場の無い怒りに、体温があがり、よけい蒸し暑くなってしまった。シカオ君、「枯れたふり」はどうした!


8月14日(日)

 「Y子はどうせ遅刻してくるに決まってるから、遅めにね」と言われていたので、こっちも11時くらいに三茶に着くようにして、茅場町に着いたのは、11時40分くらいだった。45分くらいには、両親と妹到着。

 父は船橋に用事があるので、少し見るだけだという。

 外はやはり暑いけど、お御輿は早朝から出発して、永代橋の手前で昼休憩するらしい。
 町ごとに、お御輿が50台くらい出るので、お御輿の休憩場所だけでも、全長1キロくらいになってしまう。
 でも、永代通りは広い道路なので、歩行者の交通規制は緩く、母は「他だと、ここから入るなとか、ここを渡るなとかうるさいけど、ここはそういうのが無いから好き」と言っていた。

 とにかく暑いので、交差点では消防団が待ち構えていて、ホースで豪快に放水している。
 しかし、妹は「消防まかせではズルい。沿道の住民がちゃんと放水すべきである」と言うので、「消防団だから、一応、地元の人なんだけど・・・・」と反論してみるが、妹は「消防署」と「消防団」の違いがピンと来ないみたいだ。

 とにかく御輿の数が多いので、途中でやっと「箱崎」のハッピを着た人を発見したので、母が「何番目くらいなんでしょう?」と聞いたら、「あと3つくらい」
 父も学生時代に担いだことがあるという由緒正しい御輿が、前を通過したので、母が「ほら、おとーさん、一緒に写真撮ってあげる」というと、父も大人しく写真を撮られていた。
 箱崎町のお御輿は、他よりちょっと古びていて、ほんとに由緒正しそうだった。あの近辺は空襲で焼けたこともあり、お御輿が焼失してしまった地区もあったというが、箱崎のは戦前からのみたいだった。

 私や母が「箱崎のは風格があるね」と誉めたので、父もまんざらではない様子。

 母は、お御輿の大きさになぜかこだわっており、前を通る御輿が小ぶりだと、「ここのは小さいわね」と自分で言っておいてから、小さな声で私や妹に「ほら、みんな江戸っ子だから、小さいとか言うと機嫌が悪くなるらしいから気をつけてね」
 おかーさんが一番気をつけてほしい。
 母の言うには、木場あたりが昔は材木問屋で景気がよかったので、大きな御輿らしい。

 そして、どうしても「どこのが一番大きいか」が知りたいようで、父に「実行委員っぽい人に聞けばわかるかしら?」と言うけど、父は「そんなこと聞いたって、みんな自分とこのが一番だって言うよ」

 さらに永代橋に近づくと、そこは橋を渡る前なので、お御輿を「揉む」っていうのか、上下に激しく揺すったり、回転させたりして盛り上がっているし、消防団も道の左右に構えていて、ジャカジャカと景気よく放水している。

 もう、小さいお子様たち、大喜び。
 水をぶっかけられて、トランス状態に陥っているガキども多数だった。
 また、沿道の有志が用意した水桶から、タライで水を掻きだすのに夢中なお子様も多数。

 「子供は水遊び大好きだもんね」と思っていたが、ある水場では、オバサンが子供たちに「ほら、ちゃんと水かけしない子は、将来、担ぎ手にしてもらえないよ」とハッパかけていたので、あれはあれで「下っ端としての重要な仕事」らしい。
 お御輿の後に、ゾロゾロ歩く集団の中にも、大きな水鉄砲を持って(マシンガンくらいのやつ)、ずっと発射しているガキどもが混ざっていたけど、あれも立派な任務らしい。

 そういう私も、ときどき消防団に近寄って、水浴びしてました。水しぶきを浴びると、気分爽快だった。

 永代橋を渡る前に、お御輿は気合を入れなおして、高く持ち上げられる。片手で持ち上げるのだ。母の解説によると「橋は持ち上げて渡ることになっていると昔きいた」
 でも、持ち上げないで、そのまま肩で担いでいる御輿もあって、母はちょっと不満そうだった。

 そんなこんなで、ぼんやり眺めていたんだけど、もう2時近くになっていて、私も妹も「もう、お御輿はいいよ」となり「じゃあ、八幡宮でも参拝して帰るか」と永代橋を渡って、門前仲町に向かった。
 ちょうど、母が「ここのが一番大きいんじゃないかしら」と言う、木場の御輿が橋を渡っているところだった。たしかに他よりも重そうな御輿で、張り切って持ち上げているけど、担ぎ手もすぐ消耗しちゃうらしく、控えの衆と交代しながらになるので、その様子もなかなか面白い。自然と声援の声や拍手が沸いてくる。

 しかし、ただ立って観てるだけの自分らも、かなり消耗していたので「もう、どっかで休みたい」という気分になり、お宮参りはパスして「じゃあ、地下鉄に乗って、どっかで食事しよう」ということになった。月島に行って、もんじゃでも食べようという話になったが、母は「もんじゃって、意外と高いのよね」と言うし、妹は「こういう日は、みんな同じことを考えるから混んでるよ」というが、他にどこ行くかと言っても、お盆休み中だから難しい。

 結局「飯田橋なら、なんかあるかも」ということになり、下車してみたが、時間も半端だし、なによりも、ドトールすら閉まっている有様。
 神楽坂で、ライオン系の和風居酒屋が開いていたので、そこでビールジョッキとツマミを少々食べたら、もうお腹いっぱいだったが、甘いものが食べたくなったので、お向かいのロイヤルホストでケーキとドリンクバーにした。

 また、母のモンゴル旅行記を腹いっぱい拝聴した。
 6時を過ぎたら、妹が「もう疲れた。帰りたい」
 やっぱし、昼間これだけ太陽の光を浴びると、暗くなってくると自然と眠くなるね。健康的だ。
8月13日(土)

 蒸し暑いが、頑張ってゴロゴロしていた。
 本を読んでたら、眠くなってきたので、昼寝していたら、異様な気配で目が覚めると、バケツをひっくり返したような夕立。
 しかし、それほど長時間は続かず、7時前くらいには止んだんだけど、そしたらどこかから花火の音が「どーん どーん」と響いてきた。

 「花火大会のために外出した人たちは、さっきのドシャ降りをどうしのいだのかなあ」と思ったが、でも、調べてみたら、東京湾の花火大会らしいのだが、ほんとに近くでやっているように聴こえるので「東京湾って近いんだなあ」と毎年感心してしまう。

 さて、夜になり、「暑いから実家に帰るのもメンドー」と、うだうだと「エンタの神様」を観ていたら、電話が鳴り、母からだったので、「う、召集がかかった」と覚悟を決めたのだが、

 「Y子(妹)がね、富岡八幡宮のお祭りに行ったことがないっていうから、明日行こうと思うんだけど」
 「富岡って、どこ?」
 「深川よぉ〜」
 「ええと、要するに東京の下町系ということ?」
 「そうよ。お父さんの実家の近くの」

 ああ、納得。っていうか、最初からそう言ってほしい。
 お祭り好きの母が、「前に観た、お父さんちの近所の祭りのお御輿が一番立派だった」と絶賛していたので、それのことなんだろう。
 そんで、「じゃあ、私も観にいってみようかな」と言ったら「あんたは行ったことあるじゃない」と言うのだが、それは私の記憶にないほどの大昔だ。写真では観たことあるが、小さな浴衣を着て、お御輿の前で佇んでいる自分は、3歳になるかならないかであった。

 というわけで、行くことにしたのだが、「お母さんとY子は荻窪で待ち合わせなんだけど、あんたも荻窪まで来る?」っていうのは、勘弁してほしかったので、「いや、あっち方面だったら直接行ったほうが早いから。で、どこの駅に行くの?」
 「えーと、深川ってどこの駅?」
 「知らないけど、水天宮のあたり?」
 「いや、水天宮じゃないのよ」

 結局、「じゃあ、インターネットで調べてまた電話する」とのことで、またしばらくしたら電話が鳴り「お御輿は永代橋を12時頃通過するから、Y子とは荻窪で11時集合にしたの」
 「で、わたしゃ、どの駅に行けばいいのだ?」
 「茅場町なんだけど、どこで待ち合わせすればいいかしら?」
 「全然わかんないけど、永代橋に一番近い改札にすればいいのでは?」
 「それもそうね。じゃあ、11時に荻窪だと、何時くらいかしら?」
 「40分くらいじゃないの?」

 というわけで、明日は11時半ごろに茅場町集合になった。
 ううむ、この暑いのに、昼間の外出か。
8月12日(金)

 急行に乗っている場合、二子玉川を通過すると田園都市線は地下鉄になるので、地下鉄になった最初の駅が三軒茶屋なのであるが、今日は、会社帰りにスタージョンの短編集「輝く断片」を読んでいたら、本に夢中で車窓をチェックしてなかったみたいで「あ、いつのまにか地下だ。そろそろ降りる準備」と、本をリュックにしまって、お行儀よく停車駅を待っていたのだが、ドアが開いたらそこは渋谷だった。

 ゲロゲロ。
 「うっかり降りそびれた」っていうことは、ときどきあるが、こんなにずっぽり通過したのは初めてかも。

 まあ、「輝く断片」はけっこうハマる本であるが、でも、たぶん「読んでる本の面白さ」よりも、電車を乗りすごすのは、睡眠のリズムみたいなもんなんだろう。睡眠時間が短くても、睡眠が浅いときに目覚ましが鳴れば、けっこうサバサバと目が覚めるが、タイミングがずれると、目覚まし消したのも記憶にないのと同じなんだろう。

 そんなわけで、渋谷で降りると、すごすごとそのままホームを横切って、下り電車に乗り込んだ。
 お盆休み中なので、電車が空いているので、精神的なダメージは少なかった。

 それでも、上り電車に比べれば込んでいたので、目の前に立っていた外人カップルのねーちゃんが、肩と背中モロ出しだったので、素肌がまぶしすぎて困りました。

 渋谷から三茶までは、5分くらいなのだが、やはり隣にいた「茶パツのイマドキの若者」な男子二人組みが、淡々と会話していたのだが、ふと耳に入ったのは、「せっかく東京に出てきても、金がないのって辛くない?」っていうセリフ。
 相手も「そうだよなー」なんて応えていたが、そしたら、どうやら、「金がねえ」と愚痴っている若者は「メシがほしい」という。
 相手が翻訳してくれて「うまいもん、食べたいわけ?」
 「うん、うまいもん食いたいよ」

 たしかに、外食情報はあふれているが、それなりに金がないといけないわけで、貧乏学生が「うまいもん」に憧れるのもわかる。
 しかし、その後に彼はこう続けたのだ。

 「ワタミとか・・・・・」

 私はじっと、その続きを待った。反射的に。
 踏み切りを待っていたら、機関車トーマスが通過したので、当然、その後ろには車両が続くのだと思っているのと同じように。

 しかし「ワタミとか・・・・」という先頭車両の後には、なにもなかった。

   彼の相方の青年も、「その後は、ねーんだ」と判断したらしく、そこでやっと「その言葉の意味」を考える間がちょっとあったが、それでも普通に返事していた。「ワタミか・・・・・ワタミでたくさん食いたいんだ」
 
   いや、どうでもいいんだけど、間近でそんなこと言われたら、乗り過ごしのオネーサン、もう噴出すのこらえるのが大変で・・・・・・
 
   いや、全然意味わかんないんだけど、「金がねえ」「金がねえからうまいもんも食えねえ」「ワタミに行きたいなあ」っていう流れが全然わかんないんだけど、「つぼ八」や「村さ来」よりも、「ワタミ」のほうが高級ってことなのか、なんだか全然わかんないです。
 
   でも、どうやら、冗談で言ってるわけではないようだった。
   私にとっては、マックもヨシ牛も和民も「おんなじ」だけど、「コンビニ弁当」か「カップ麺」が普通の彼にとっては、和民は立派なレストランなのかもしれない。
   相方の青年も「わたみ?」と少し戸惑っているようだが、それで爆笑するほどでもなかったみたいだし。
 
   たぶん、私の時代だと「たまにはイタリアンとか食べたいな。カプリチョーザ行かない?」って真面目に言ったようなもんなんだろう。相手は「え?カプリチョーザなの?」と一瞬戸惑うが、でも、「なんだよそれ〜」と突っ込むほどのもんでもないので、平然と流す。
 
   しかし、三茶に着くまでの短い時間のお付き合いであったが、「うまいもん」→「わたみ」という天然さに感動したので、よっぽど「よし、見ず知らずの他人ですが、ここでオネーサンがいっちょ、ワタミで好きなだけゴチしてあげよう」と申し出ようかと思いました。
   いや、マジで、「私がうっかり乗り越したのは、この子にワタミで腹いっぱい食わせるためだったのかも」とまで考えたのです。
 
   会社でなんかヤなことがあった帰りだったら、マジにやっていたかもしれませんが、今日はK嬢と二人で、のんびり「休みだっていうのに、こんなヤヤこしい電話かかってきちゃったよ。まったく〜」と愚痴りながら優雅にお仕事していたので、全然ストレスが溜まってなくて(ハイジは昼前にやっと「今日はやっぱ休みます」と電話してきたし)残念でしたねえ。
8月11日(木)

 暑さにもだいぶ慣れてきたようだが、でも、もしかしたら、ただ単に、人の少ないオフィスで悠々とサボっているから、いつもより涼しく感じられるのかもしれない。電車も空いてるし。

耳なし食パン

 お経がびっしり書かれた食パンが、座敷にポツネンと座っており、その周囲を平家の亡霊が囲んでいて、ムシャムシャと耳を食べている、という夏にふさわしい「怪談」が、心の中で「まんがニッポン昔ばなし」風にアレンジされた絵で何度もリピートされるのが楽しかった。

 ちなみに、私は食パンの耳が好きである。
 物心ついたときから「耳が嫌い」と思ったことはないが、でも特に好きということもなく、ただ「食パン」というものは、耳も一体というか、区別して考えたことがなかったのだが、給食で残す子がけっこういたので、「ふーん」と思っていた。
 そういう子をなんとかしようと、栄養士さんも考えていたようで、給食の献立表についていたコラムに、「パンの耳はおいしいよ」とかいう話が載っていた。そこには「フランス人はフランスパンの中身よりも皮が大好き」などと書いてあり、強引な論法で、「だから、食パンの耳もよく噛んで食べると、フランスパンの味がします」とあった。

 そういえば、親が時々作ってくれた「パンの耳を揚げたの」は大好きだったので、それが「貧乏人のおやつ」であることは、なんとなくわかってはいたのだが、「給食の食パンの耳」→「食通のフランス人も耳が好き」という強引さにちょっと引っ張られて、「そっか、だから、あのおやつも、耳じゃないとダメなわけで」と、自分の都合のいいように解釈したのである。(まあ、実際、耳だからこそできるおやつであったが)

 なので、それ以降、自分の中では、今風に言えば「耳を好むのがセレブなわけよ」ということになって、そうなると、トーストでも、フレンチトーストでも、耳のほうが香ばしくて美味しいような気がしてきて、今に至る。

 話は戻るが、お盆休み中は、出勤する人も少ないし、来客もまばらで、かなりゆったりと仕事できるので、捗ってしまって、かなり暇。
 ほんとは明日でよかった支払データ送信であるが、今日の午前中に出来上がったので、ハイジに「今日、送ってもいいよ」と言ったら、夕方できたようなので、「だったら、明日休めば?明日、誰もいないよ?」

 明日は部長も全員休みなので(ゴがつく、ゴキブリじゃないものです。ゴルゴと一字違い)、うちのフロアも私とハイジと隣の部署の平社員K嬢しかいないのだ。だから「7月に休み一日とりそびれてるんだから、明日こっそり代休とっちゃえば?」と親切に提案してあげたのだ。
 しかし、なんか「うーん、でも」とか言ってるので、それは彼の勝手であるからいいんだけど、でも一応、上司として(笑)、気にしているのですよってことはわかってくれてるのかしらん。

 この間も「8月も休みが消化できないかも」と恐ろしいことを言うので、そういう困ったちゃんを諭すときの私の決めゼリフである「君がもし、過労で死んだら、部長が告訴されるのだよ。だから休みはちゃんととってください」と言ったのだが、彼は笑いながら「そしたら、いっぱい慰謝料もらえますかね?」と言うので、「おー、死んで金貰ってどうするんだ?いいよ別に、立派な墓石でも買ってやろうじゃん」と言ったのであった。

 ハイジが本当に忙しいのもわかっているけど、でも、ちゃんと休めないほどでもないのもわかっている。
 だから、本当はちゃんと言わなきゃいけないんだけど、でも、私のポリシーである「残業するのは、本人がバカか、もしくは上司がバカ」って言うのを披露するのもなんだし、今まで会社でそれを明言したことはないので、せいぜい「ちゃんと休まないと体に障るし、能率も悪くなるんだから」と言うしかない。

 それに、うちみたいな出勤時間も出勤日もフレックスの会社だったら、うまくやろうと思えば、けっこうなんとかなるのだ。クララも、そういう計画立てるのが上手くないし、遠慮がちだったから、やっぱり、私がガーガー言ってやらないと、休み消化しそこねるようなこともあったけど、ハイジはしっかりしてるし、自分の権利には敏感だと思っていたので放っておいたのだが、最近、そんなゆとりもないようで、「明日、仕事があるんなら仕方ないけど、でも、部長たち誰もいないよ?」と言ったら「え?そうなんですか?」

 なんで、他人がこんなに要領悪いのか、私にはよくわからない。周囲が明日のコンペの話で持ちきりなのを聞いてないんだよな。私は、瞬時に「つーことは、明日はもはや日曜出勤みたいなもの」と思って、土が悪くなった鉢植えを植え替える計画建ててるんだけどな。(オフィスの緑化がささやかな趣味)

●悩めるクラゲさん

 衆議院解散で、相変わらずワイドショーのトップは「悩める造反議員」であるが、ちょっとトーンが変わってきかたも。てゆーか、今後、どういう路線で行くか、決めかねてるみたい。

 しかし、郵政法案否決勢力の「聖子ねーさん、わっしょい」で、郵政法案可決組に逃げ込んだ私であるが、「百合子さんで、クノイチ作戦」っていうのもどーよ?

 どちらも、ダサすぎなので困る。

 ちょうど、アメリカの上院議員選挙で、ヒラリーの対抗馬が出てきたというニュースあって、「こっちも刺客登場ですね」なんて並べているけど、クノイチの格が違うだろ。
 投票に行って、思いっきり「ヒラリー・クリントン」とか書いてしまいたい。

 つーか、斉藤美奈子や、ナンシー関も散々指摘してきたけど、「銀座の高級クラブのママ」な風情の女性議員をオヤジ議員たちが「おれが常連の店のママのほうが、女っぷりがいいだろう」と競い合うのは、なんとかしてほしいのだが、それのどこがダサいのか説明するのが難しい。

 みんな、もっと意図的にモーホに走ればいいのに・・・・・
 けっこう有効だと思うよ。

 この間、テレビで繰り返し放映された、「佐々木の引退試合に清原男泣き」で、その確信を強めた。
 何度観ても、禁断の香りが匂いたつ、濃い映像であった。
 また、双方が、「ここで、がっぷりハグし合うと、それはあまりにも・・・」という自制が働いたためか、控えめにハグする様子がかなりソソられたので、何度観ても楽しめた。

 あの映像こそ、本当に日本国民全員が「どきどき」したと断言してもいい。

 みんな「危険な香り」には弱いのだ。

 山崎拓あたりを「本当に危険なオジサン」に仕立てあげてみたい。素質あると思うんだが。(女好きという定説のある人ほど、やりやすいのである。浮いた噂の少ない松井だと、あんまし効果がない)

 さて、このところ、やや荒れているのか、日記の分量が多いですな。
 なんか、書いているときには、怒ってるような気になるのですが、別にそんなに怒ってないようなのは、後で読んでみるとわかる。
 日記にブツけているようでも、なかなかいい球を投げられないので、地道に投球練習してるような気分なのかも。

 今日になって、ふと気がついたのだが、こんなにいっぱい書き残していても、そんなに立派なこと書いてるわけでもないし、題名でもわかるように「ゴミ」扱いなんである。
 自分でもずっと、一種の排泄行為と考えていて、涙を流したり、汗をかいたりしてストレスを解消しているような気で書いていた。

 ええと、そうじゃなくて、「今日になって、ふと気がついた」のは、「これと同じことを昔やったことがある」ことを急に思い出したのである。
 爪きりしていたときに、「週に何回も切ってるのに、すぐ伸びるなあ。一生のうち、どのくらいの爪を切るんだろうか」と思いついて、切った爪を保存してみることにしたのだ。

 個室が与えられた中学生のときにやったんだと思う。
 ジャムの空き瓶に、切った爪を蓄積していった。どのくらいまで溜めたのかは記憶にないけど、だんだん瓶が埋まっていくことが楽しかった。でも、だんだん気色悪くなって、溜まるだけ溜めたら、捨てたと思うけど。

 自分の体から出たものを集めるのがけっこう好きだった。フケも集めた。それはさすがに瓶に溜めなかったけど、日焼けしたときに、頭のてっぺんあたりに「日焼けしたフケ」ができることに気がつき、それが、「毛穴が3つくらい数えられる」という立派なフケだったので、しばらく意図的に帽子をかぶらずに頭皮を十分日焼けさせて、「フケの大きさ マイ記録」に挑んだことがある。

 あと、枝毛を並べてうっとりと鑑賞してたとか、当時は珍しかった白髪をセロテープでノートに押し花のように保存してみたりとか、足の無駄毛を毛抜きでチマチマと抜いたのを並べて「達成感」を味わっていたとか・・・・・

 書いた日記の量もけっこうなもんになってきたけど、改めて観ると「切った爪を集めてみました」っていうのと変わらないなあ。でも、「自分の切った爪は、自分では眺められるけど、人の切った爪を空き瓶一杯に見せられたら、吐くだろう」というのはわかっていたので、あれは自分だけの密かな趣味だった。

 なので、この日記を平気で公開している気持ちが自分でもよくわからない。
 しかも、この「空き瓶」はなかなか一杯にならないので、「よーし、ここまで溜めた」という「終着点」がなかなか見つけられない。

 そういえば、鉛筆削り機の受け皿を満杯にするとか、穴あけパンチを一杯にするとか、なんであんなに「限界まで溜めてみる」ことにこだわったのだろう?

 穴あけパンチに関しては「ギリギリいっぱいまで溜める」ことに密かに執念を燃やしていたのだが、私が目を離した隙に、誰か他の人が捨ててしまうので、あるとき、「ああ、捨てられてしまった。せっかく、いいとこまでいったのに」と真面目にがっかりする私の言うことを真剣に受け止めてくれた同僚が、穴あけパンチの「ゴミ受け」のところっをガムテープで貼って、「捨てるな」と書いてくれたことがあった。

 「なにも、そこまでしなくても」と、思ったが、彼女は彼女なりに私のことを考えてくれたのであろう。
 あと、彼女にも「穴あけパンチのゴミはどのくらい捨てなくても持つか」という「トリビア」な好奇心がちょびっとあったのも確かだろう。
 きっと、今ごろ、いいお母さんになっていると思う。(てゆーか、出産で退職したので、ご長男はそろそろ中学生だろう)

 そんな自分が、今一番熱心にケアしている事務機器は、シュレッダーである(笑)
 わかりやすー
 とにかく、ゴミを目一杯まで詰め込むのが大好きなのだ。

 たぶん、そういう気分で、毎日せっせと、ここに文字を詰め込んでいるのでしょう。
8月10日(水)

 前に読んだ「暗闇の速さはどれくらい?」もけっこう面白かったが、自閉症には前から興味があったけど、実例が身近にいなかったせいもあって、あまりよく理解してない。
 最初に「自閉症」という言葉を知ったのは、たぶん、「戸塚ヨットスクール事件」ではないだろうか?あれをずっと戸塚が所在地なのだとばかり思っていて、千葉っ子だったからそっち方面に行くことは少なかったが、「住まいは戸塚で」なんて聞くと「ヨットスクール」っていまだに反応してしまう。

 そして、その次が、映画「レインマン」で、その後、PKディックの小説だったりする程度。だから、ずっと「自閉」という言葉のイメージにとらわれがちだった。「精神分裂症」が「多重人格」の意味で使用されたり、「自閉症」が「超内向的」という意味だったりするのは、今はどうだか知らんが、私の学生時代には一般的だったと思う。

 だいたい、身体障害に比べると、知的障害はわかりにくいので、よほど興味のある人じゃないと、ちゃんとわかってなかったりする。もっとも、昔は「知恵遅れ」の一言で済んでいたこともあり、特殊学級に通っている子たちだって、それぞれ個別の症状があったと思うのだが、それを教えてくれる人なんて誰もいなかった。

 友人M嬢が、2ちゃんの育児板にハマっていたことがあり、その中でも「自閉症の子供を持った人」が集合するところは、けっこう読み応えがあったらしい。子供が何か危険なことをすると、お母さんが必死の形相でかけつけてきて、「ダメ!」と叱るので、子供も「なにかいけないことをやったらしい」と気がつき、学習していくわけだが、そーいや、友人A嬢のとこでも、子供は親の顔色をうかがうので、2歳にしてすでに「ママがダメって言っても、ネバればOK」ということを学習しているらしく、Aが「外を歩くときには手を繋がなくちゃだめ」といくら言っても聞かないが、粘り強く説得するだけの「ちょろい母」(しかも、頻繁に根負け)と違って、父はすぐ怒鳴るので、「こいつに逆らっても無駄」と理解しているのか、父とは素直に手を繋いで歩くらしい。

 話が逸れてしまったが、自閉症の子供相手だと、母親の「必死の形相」という記号を理解しないので、たぶん、山道を走る人にとっての「落石注意」の看板みたいに捉えるのだろうか、「ご飯の前におやつはダメ」というのと、「車が通る道に飛び出したらダメ」というのの違いをなかなか理解してくれないので、親は大変らしい。

 我が家でも、やんちゃな弟が友達と「駅から線路に下りる遊び」をしたことがあり、私がそれを軽い気持ちで母に告げ口したら、母が半狂乱になってしまい、弟の友人の親に電話をかけて「お宅の息子が、そんな危険な遊びにうちの子を誘った!なにかあったらどうしてくれる」と泣き叫ぶように怒鳴りちらし、私も弟も「なにがなんだかわからないが、とにかくなんかヤバいことになった」と、真摯に反省したように記憶している。

 さて、何度かこの日記にも軽い気持ちで書いているが、自閉症というものが「単なる引き篭もり」と違うことが、ある程度わかってきてから、「自分もどっちかというと、これに近い気質だな」と勝手に宣言していた。
 なので、よく「自分は自閉症気質」と書いていた。
 まず、外からの刺激に弱いというか、平たく言うと、初対面の人が苦手だ。
 でも、誰だってそうなんだろうけど、そのあたりの「感覚の違い」がよくわからない。

 今日も、派遣会社の営業担当が契約書を持ってきたのだが、彼とは何度か会っているし、けっこう長い時間喋ったので「他人」ではなくなったのだが、そいつが予告もなく上司連れてきやがって、それでペースを崩されてしまい、その支店長クラスのヤツが(って言っても私と同じ年くらいに見えた)、名刺差し出したのに、私は名刺を出すことができなかった。

 変な間が確かにあった。私もバカじゃないので、相手が名刺出したら、こっちも名刺出さないといけないらしいということは頭では理解しているのだが、そういう状況を想定していなかったので、「今日は上司も一緒に来まして」と言われて、自分の体勢を立て直すのに必死で、それを「支店長クラスが私の名刺貰ったって、何の役にもたたんだろう」とう、「開き直り」に昇華させてしまったのである。

 これは「自閉気質」とは言わないのかもしれないが、けっこうそういう変なこだわりが多くて、「じゃあ、私宛に請求書を送ってください」ってときに名刺を出すのは苦痛じゃないのだが、「必要じゃない人」に名刺出すのは嫌なのだ。挨拶代わりの名刺交換がどうもできなくて困る。

 みんな、そういうのを歩くのと同じように「無意識」でやっているのはわかるのだが、どうもそれができなくてねー。名刺出すときに、どっちが先に出すかとか、どう受け取るのか考えてるだけで、泣き出したくなる。本当に苦手だ。

 その昔、大学時代に所属していたサークルで、他の大学のイベントに行ったりすると、男の子たちは、まるで営業マンのように挨拶していた。「○○大学 ○○部の渉外担当の○○です」ってなかんじ。
 大学間のサークルの社交活動で、役職もへったくりもねーだろう、と思ったのだが、そーゆーわけにもいかないらしい。

 前置きが長くなりましたが、鈴木クニエさんの日記で紹介していた、ニキ・リンコさんの本を読んでいるのでありました。

 まあ、やっぱし「本物は違うわ」というのか、「自閉症気質とか言って逃げててすいまそん」なんですが、でも、自分がどの程度、理解しているのか、本当に近いのかはわからんが、「暗闇の速さはどれくらい?」でも思ったのだが、部分的でも「ああ、それってあるよ」というところがけっこう多い。

 「今度、ご飯食べに行きましょう」という言葉を自閉の人は、「お米ばっかり食べるのか?」と判断したりするようですが、それをちゃんと説明してもらえば「仲良くしましょう」って意味なだけで、本当に米飯だけを食べることではないことがわかるようで、それはオフィス・マナーで、会ったことも無い人に「いつもお世話になっております」と言う苦痛とちょっとだけ似ている。

 私もOL生活20年近いが、いまだに「いつもお世話になっております」と言うのが苦痛。
 でも、「型」どおりにしていれば間違いないので、「名刺交換」みたいに渋々やっている。

 なので、人から「今度、ご飯食べに行きましょう」というのも「いつもお世話になっております」と同じだと理解はできる。
 だから、プライベートではあまり言わない。
 もちろん、何度も一緒に飲んだりしている人が、「今週の土曜日、一緒にご飯食べない?」と言ってくれるのは大歓迎である。
 で、あんまり親しくない人でも「今度の土曜日、飲み会があるけど参加しませんか?」っていうのも、緊張はするけど、土曜日に他の予定がなければ、積極的に参加する。

 そのあたりが、割り切れるまでに、けっこう苦労したので、いろいろ悩むのも面倒になり「受身」に徹することにしたら、ラクになった。
 でも、弊害もあって、「なんかあったら誘ってください」と、あちこちに振りまいて、なんか引っかかってくるのを待つタイプの人とは、うまく行かなくなってしまったのだ。おかげで、「友達」が激減してしまいました(笑)

 いつもながら話がまとまらないけど、そっか、自閉症って、身体感覚もかなり違うのね。
 たしかに「顔の表情が読めない」とか「慣用句をそのまま理解してしまう」っていうのは、有名になってきたし、これは「普通の人」でも苦手なことが多いが、「テキトーにやって」っていうのが、なんだかわからないとかいうのはわかっていたつもりだが、そういうのだけの問題でもないらしい。

 そうか、普通の人が、なーんも考えなくても、ぼーーーーーーっと、いつのまにか会社に着いているようなことが出来ないんだな。でも、コリン・ウィルソンは、そういうロボット的な日常から逸脱したときに至高体験があるとか言っていて、たしかに、それがあるからこそ「異国を旅する」というのが貴重な経験になったりするわけだ。

 外国に行くと、切符買うのにも苦労するわけで、それが楽しかったりもするのだが、ずっとそれだとストレスも溜まる。彼らは毎日、異国で生きているのだろうなあ。

 興味深いのは、「他人には背中があるが、自分には背中がない」などという、見えたものをそのまま捉える感覚。そんで、傘を差していると、自分の腕と傘との境界線がわからないとか、コタツに入っていると足を見失うとか・・・・
 うーん、それって、アレだなあ。
 なんか、そういうの経験あるぞ(笑)

 そういうのは私だけじゃなくて、たぶん、ある程度「フツー」ということに多少の疑問を持っている人は、「フツー」というものが、いかに儚いものかわかっていて、ふと気を抜くと、フチーというものを見失って混乱した経験が多少なりともあると思う。
 役者が舞台でセリフを忘れたときみたいに・・・・

 そういえば、その昔、初めて行った駅で、地下鉄の長い通路を歩いていたら、自分がすでに地下鉄構内を出たと思い込んでいたので、目の前に改札が現れたときに、どうすればいいのかわからなくなって、しばらく立ちすくんでしまった。
 しばらく、おろおろしたあと、「そっか、まだ切符持ってたんだっけ」と思い出し、ポケットを探ったら切符があったので、やっと改札を出ることができた。いつもなら、無意識にちゃんと「駅の構内」と「ただの地下通路」を区別しているのに、あまりに長く歩いていたので、その無意識が間違っていたらしい。

 そういうふうに、普段は「無意識」にかなり依存しているようなので、いったんその魔法が切れると、「今までどうしていたのか」が冷静に判断できなくなり、戸惑うのだが、自閉症の人って、「無意識」に頼ってないようで、いろいろ大変そうである。

 でも、年とってくると、無意識が自分の行動を最後まで面倒見てくれないというか、立ち上がって歩き出してから、「えーと、あたし、なにしようとしてたんだっけ?」ってことが多くなるんだけどね。若いころ、先輩たちのそんな様子を暖かく見守っていたが、自分もやっと追いついてきたようだ。
8月9日(火)

 やっと嵐が過ぎ去って(全然大した嵐じゃなかったが、小舟なので揺れまくっただけ)、やっと、「では、来週から新しい派遣の人が来ます」という「陸」にたどり着き、嘘のように心が静まりました。

 さて、これで落ち着いて「そこが変だよワイドショー」という本来の自分の趣味に戻ろうと思います。
 夏休み中の「とくダネ」のメーンキャスター、おズラさんですが、休み前にコマ劇場で、クイーンのミュージカルを観て感激なさったようですが、うちの妹も感激して二度も行っていたので(一度は自腹。二度目は執念で招待券を当てた)けっこうハマるようです。

 それはいいのですが、「最近は歌舞伎町も浄化作戦をやっているので、安心してロックを鑑賞しにいけます」と言ったので「へ?」
 たしかに、新宿コマ劇場で「ウィーウィル ロック ユー」ってのは、劇団四季のミュージカル観に行くのと多少気分は違うでしょうが、でも、逆に汐留の四季劇場じゃないからこそ、観に行く気も起きた人も多かったのではないかと勝手に思っていたのですが、違うの?

 コマ劇場は、たぶん、ロックが好きな人(「ロッキンオン」の読者と言い換えてもいい)にとっては、今や「日本一、ロック魂を感じるところ」(伝説のライブハウスがほとんど姿を消した現在、あれだけ色のあるハコが他にあるだろうか?)であろうし、だからこそ、あそこの周囲で、尾崎豊を唄う人がたくさん集ったと強引な仮説をたててもいいくらいだし・・・・まあ、しかし、「歌舞伎町」が「危険な街」というイメージはテレビでもよくやっていたので根強いんだろうけど、でも、コマ劇場の前の道は大したことないというか、それをちょっと外れても大したことなかったし・・・・

 それよりもやっぱし「安全」と「ロック」ってのを平然と並べるのはどうだろうか?
 もちろん、クイーンを「ロック」とするかという議論もあるだろうが、だったら素直に「歌舞伎町も最近、安全になってきたので、安心してミュージカルを楽しめます」と言えばいいだけじゃん。

 おずら氏は、やっぱしわけわかんないオジサンだ。でも、ナンシー関も「困ったときには小倉」とばかりによく登場させていたので、あれはあれで完成された芸なんだろう。私にしたって、彼の言うことに、いちいちイライラしていると、血圧があがるので、朝は重宝するのである。だから、彼の出演している夜の番組は、ほとんど観たことがない。

 これも、話としてはもう古くなったが、森前首相が、小泉首相と官邸で会談したあと「手がつけられない」とコメントしたニュース。
 その後、やはり「とくダネ」で取り上げていたら、もっと詳しくやっていて、森氏が何に呆れたかというと「缶ビールしか出てこなかった」「つまみは、干からびたチーズ」ということだということになっていた。
 干からびたチーズはいいとして、「缶ビールしか出てこない」というのは、文句言うようなことなんだろうか?それも、輸入ビールばかりだったようで、タイのビール缶が囲み記者たちに披露されたが、それを「こんなもんしか」と言ったら、タイ政府からクレームつかないかと密かに心配していたのだが、そういうニュースは今のところ出てこないまま、郵政民営化否決で、衆議院解散になってしまったので、それどころじゃない。

 と、私は思ったのだが、テレビの中では誰もそう言ってくれないのが悲しかった。
 「ボクんちに葛西アナが来たって、もっとマシなもの出しますよ」と言ったのは、私が贔屓にしている大村アナだったかも。くすん。
 そりゃ、あんたんとこは奥さんがいるから、もっとマシなツマミ出してくれるかもしれないが、小泉氏が独身男性であることを考えると、「輸入缶ビール10本と干からびたチーズ」っていうのは、精一杯のもてなしだ。つーか、うちなんて、それすら無いぞ。

 先日、友達が家に突然来たときに、お茶でも出そうと思ったが、あいにく、ティーパックか切れていた。ティーパックというか、お茶の葉を入れるパックのこと。自分でお茶を煎れるときには、なんらかのお茶をそれに詰めて、ポットに放り投げるのである。
 そうじゃないと、茶葉がドボドボと出てきてしまうのだが、「そっか、茶漉しを使おう」と思ったのだが、そういや、昔はあったはずの茶漉しは、古くなって捨ててしまったのだ。

 困った。
 やはり、そのまま茶葉をいれてみたら、とても客に出せるようなお茶ではない。きょうみちゃんに教わって、その後も、自分用にはよくやっている「茶葉の上にそのまま湯を注ぎ、葉っぱが沈んだら飲める」っていう「中国本場のやりかた」でやろうか?
 でも、そのときストックしてあったお茶は、フレバーティーだったので、それもちょっとなあ。あれは、ウーロン茶ならアリの技なんだが・・・・
 しょうがないから、ザルで漉してみました。まあ、なんとかなったが、ザルで漉しているのを友達に見えないよう、気を使った。

 そんなわけで、森氏は「寿司でもとってくれると思ったのに、官邸には料理人がいないとか言って」と、自分をバカにしたもてなしに、文句たらたらだったけど、あれはあれで、なんか話しの焦点を逸らす崇高な目的があったかもしれないし、そのインタビューをきいて、「なーんだ、小泉さん、自分よりマシじゃん」と思った独身は多かったと思うし、だいたい寿司なんてとったら公費かもしれないが、タイの缶ビールは明らかに「自分のこづかいで買った自分用」なわけで、少なくとも冷蔵庫の管理を人任せにしてないあたりに好感が持てるわけで、「森氏のこの不満たらたらは、かなり計算しているのかもしれない」というあたりが否定できなかった。

 結果的に、私は「小泉さん支持」になったのである。
 自分の上司とも言えるし、元総理という大物政治家に、タイの缶ビールを出す人が唱える政策に間違いがあるはずがない。いや、間違っててもいいのだ。急な来客に缶ビール出す人は「自分と同じ」なわけで、それが客観的に「正しい」とか「失礼だ」という問題ではないのだ。

 逆に、やっぱり、さっぱりわからないのが民主党だ。
 冷蔵庫に発泡酒しか入ってない(あと、牛乳とミネラルウォーターと期限切れのバターと味噌ってかんじ)人の中でも、「でも投票にはいくつもり」って人は、それなりに民主党の支持者だったのだと信じている。
 そういう人をがっかりさせてどうする。

 いや、たぶん、百歩譲って、ってゆーか全然内容がわかってないのだが、民営化法案は何かが間違っているのだろう。たぶん、大先輩にタイの缶ビール出す程度には。
 だったら、「せめて、ビールは瓶で、エビスにしてください」と言うなら、わかるんだけど、「ここを直せば認める」というラインが全く見えないのはなぜなんだろう?あたしがバカなだけ?

 でも、バカのために親切なテレビも、焦点は「造反議員の揺れる心」に夢中なんだが、聖子ちゃんの旦那が一躍人気者になってしまったあたり、「私もバカだが、テレビは違う次元のバカ」であると再認識した。
 正直なところ、私は「野田聖子」という人を知らなかった。「聖子」といえば、歌手のあの人か、スケートのあの人である。その旦那のことも今回始めて知ったので、「妻と派閥に挟まれて〜」というドラマに、全然感情移入できなかった。

 さらに今朝は、造反した新人議員が「公認してもれえないと辛いっす」とテレビで困った様子を取材してもらうのはいいとしても、「聖子ねーさん」と聖子議員と軽く立ち話して、テレビカメラの前で「ね、(聖子ねーさん)きれーでしょ?」と言ったので、聖子議員を持ち上げておくとなにかいいことがあるらしいが、個人的には「聖子ちゃん」と応援する人の実態が全然わからないので、彼が何を狙ったのかさっぱりわからず、一人、テレビの前で取り残されたので、「ま、いっか、仕事に行こう」と、いつもよりも20分も早く出勤できたので、仕事が捗りましたわよ。

 さらに、選挙日程が「9・11」ってゆーのも、トラウマが放出するので勘弁してほしいのだが・・・・

 永田町は、何がどうなってるのか、よくわからないので、ワイドショーはやっぱり、芸能ニュースで頑張ってほしいわけで、「キムタクが静香と離婚して、梅宮アンナと再婚」くらいの震度6クラスの事件でも起こってくれないとなあ・・・・期待の星だった「自殺サイト殺人事件」じゃ、全然負けてるんだもん。(犯人の顔がイマイチなのが一因かと。あれで、「監禁王子」くらいのルックスだったらなあ)

 くどいようだが、私が何に動揺したかというと、いつもは「庶民の感覚を見失ってますよね」と偉そうに言うテレビ側の人たちが、缶ビールに対してそういう意見を全く出さなかったことである。(他の局はチェックしてないんだけど)
 せめて「私は主婦の感覚を大事にしてます」というコメンテーターだったら「私だったら、漬物くらい出しますね」くらい言ってほしかった。
 逆に、おずら氏だったら「缶ビールの何がいけないの?」と言ったかもしれない。

 それはそれで血圧が有意義に上昇するので、まあいいのですが、「大衆の心をつかむ」って、ほんとに難しいですよね。
8月8日(月)

●やりたくねーけど、自分探し

 本当に自分は打たれ弱いというか、いつもと違うことをやると気が動転して、おどおどしてしまうようだ。
 7月後半から始まった「派遣社員探しの旅」は、精神的苦痛の連続であったが、なにしろそんなことやったこともないので、「派遣会社選び」から「担当営業とミーティング」から一歩一歩が手探り状態で「やだやだやだ〜」と泣きたくなったが、でも大人だし、ぐっとこらえて「これも勉強なのよ。私も、もう40歳。(←早くも覚悟を決めている)いつまでの深窓の経理嬢ではダメなのだ。もっと社会の西日に当たらないと!」と、自分に言い聞かせたが、さて、今日は候補者2名が面談に来るのだが、約束の時間の20分前になっても、部長が戻ってこなーい。

 わーーーーーーーん、どうしよ、どうしよ、と携帯に電話しようとしていたら、やっと戻ってきた。
 「あ、Tさんよかった。心配になって電話するとこでした」という私はよほどの形相だったのであろう。普段、そんなことしないのに(私には)、私の肩に手をポンと置き「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 いかん、心臓がバクバクしてきた。
 情けねえ。マジ情けねえ。自分の就職面接でもこんなに緊張したこはない。「ま、ダメもとで行きまっしょい」と、多少の緊張感をバネにしていたではないか。でも、落ちてばっかだったけどね。

 そう。それもある。自分が派遣会社の営業にあちこち連れまわされても、全然仕事が決まらないときには、ほんとにガックリしたが、そういう悪しき思い出ばかりが鮮やかに蘇って、さらに緊張してしまうのである。
 こういう自分勝手な共感能力って、ほんとにウザいよな。

 さて、最初に1名と会って、ほとんど喋っていたのは部長だったが、そういうとき横で自分はどういう態度をとったらいいのかわからなくて、でも、なるべく場を和ませたいという気持ちが働き、けっこう余計なことまで喋ってしまう。疲れきった。
 お喋り好きなので、たとえビジネスの相手でも一対一だと、けっこうリラックスして喋れるのだが、複数になると、場の流れを読むのに疲れる。酒無しで、できるかそんなもん。

 面談が終わり、部長に「さて、どうだろう?」って言われても、30分ばかり話したくらいで、どうのこうのもわからない。
 てゆーか、これは自分の長所だと思っているのだが「第一印象で他人を判断しない」のだ。

 そんで、周囲には時々、自分の勘を大切にする人がおり、「第一印象」で他人を判断するんだけど、それがしばらくすると、あっさりと覆るのを何度も見てきた。
 仕事上の人間関係でも、プライベートでもそうなのだが、神経質そうに見えた人が、実はかなりのオチャメさんだったり、逆に大らかで明るそうな人が、えらく神経質だったりするのは珍しくない。

 そんで、自分自身も、自分では「大ざっぱで、あっけらかん」だと思っているのだが、過去にけっこう「初対面では怖そうな人に見えた」なんて告白をされたことがあるので、初対面の人には必要以上にくだけて接するようになった。

 今の会社でも「実はけっこうおっちょこちょい」という評価を得るためには、2回ほど大きく転倒しなくてはいけなかったのだ。(ほんとに、ただ転んだだけなのだが。それで周囲の雰囲気が一気に緩んだ)
 そんで、どうやら「見かけと中味はけっこう違うのかも」と壁を低くしたところで、大酒を飲んでみせたら、だんだん仕事がやりやすくなってきたのである。

 さて、面接に来た二人目は、一見「地味で暗そう」な人であったが、場が暖まってくると、けっこうリラックスした笑顔を見せてくれたし、かなり仕事も出来そうだし、そのわりには職場に恵まれてなかった事情も本当っぽかったが、一緒に仕事するとしたら、あのくらい地味そうな人のほうが私には合うかもしれないと思ったけど、でも、こっちの実際の仕事内容を考えると、「わりと美人で、ハキハキしてて、わりとヤンチャかもしれん」で、スキル的にも「まだ、これからいろいろ勉強しないと」っていうネーチャンなんだろうな。

 年齢は30歳くらいなんだろうけど、まだまだ子供な雰囲気が、「能力的には高いが、まだまだお子ちゃま」なハイジと組ませてもしっくり来るだろう。

 でも、ほんとに「どっち?」と言われると「うーん、うーん、うーん」なんである。
 こればっかりは、数ヶ月過ごしてみないと、ほんとにわからない。

 さて、「いろいろ会ったほうがいい」という部長の意向で、それでも何社も派遣会社を動かすことは「ぜってー無理」だと思ったので、2社に絞ってお願いしたのだが、その相手で消耗してしまったので、自分の判断は自分的には正しかったと思うが、A社のほうは今日、2名候補を用意したが、B社は業界での順位も低いので(でも、うちの会社では実績を上げているので、声をかけてみたのだ)、夏枯れシーズンのせいもあり、なかなか人が集まらないようで、ちょっと気の毒だった。

 でも、部長が「いろいろ会ったほうが」というので、B社にも「そちらでも候補を挙げてくれれば、ぜひ検討したい」とは伝えてはいたが、部長も今日2名と会って「もう、どうでもいいや」っていうと御幣があるが、彼も百戦錬磨であるので、「ま、とりあえず、これで決めちゃってもいいんじゃない?」な気分になったようだ。

 そのあたりは、小さな駆け引きで、私が「でも、B社のほうにもまだ頑張ってもらってるから」と言ったから、「もう、B社のほうはいいよ」と言ったのかもしれないわけで、私が先に「A社のほうで決めましょう」と言ったら、また違ったのかもしれないが、ああ、もう、ややこしいですなあ。

 まあ、私も、ほんとに自分を作る余裕もなく、しっかりスで「どうしよう。わかんない」という虚ろな目をしていたので「とりあえず、半年後に社員にするか決めるわけだし、お互い、どうなるかわかんないから、これでやってみれば」という方向になった。

 パニクる私と、なだめて大人な方向に導く部長という、役割分担ができたのである。

 で、明日はB社のほうに「やっぱ、他社で決まっちゃったんで〜」と電話をしないといけないのも、また一苦労なので、今日は帰りに「あーあ、やーだなー」と憂鬱になっていたので、うっかり、今日発売のヤングユーを買うのを忘れた。

 ああ、私としたことが・・・・・

 こういう、自分が気持ち悪くてしょうがないのだが、今日は久々に「あ、胃が・・・・・」と、胃がキュンと痛くなっていたりしたのだが、そう思いながらも昼食の弁当を完食していたので、このくらいでは胃は大丈夫のようだ。でも、それも、なんかね。

 プレッシャーで、せめて体重が減るくらいだと、プレッシャーも楽しいのだが、。
 きっと、失恋したら太るタイプなんだろうな。(と、30代後半女性が呟いているのも不気味だ)

 しかし、自分がこんなことで「うがあああああ」となっているのも情けないが、せめて周囲には「たいへんなんすよ、あたし」ということをアッピールしようと思って、「ああ、慣れないことばかりやっていると、自分の仕事が全然手につかない」と大声で愚痴ったら、隣の席にいるM嬢が「なれないこと?」と反応してくれたのはいいが、私がなんでパニクっているのか、わかってくれてないのかなあ。

 しょうがないから「面接なんて、やったことないからさ。もー、緊張しちゃって」と、はっきりくっきり言ったら、「それで、どうなりそう?」と言ってくれたのだが。

 しかし、こんなことで、おたおたしている自分が情けないが、でもやっぱし負けず嫌いなので、この程度のことがエレガントにできない自分が腹ただしいのである。
 でも、こういうのも慣れの問題なので、回数を重ねれば、もっと上手くできるであろう。でも、あんまし回数を重ねたくないというのも本音である。

 何がイヤって、「この人はたぶんダメだろうな」と思っている人相手に、ニコニコと話している自分がイヤだ。
 仕事においては、そういう嘘も必要なのだが、でもやっぱし苦痛。さらに、自分が派遣社員だったときに、じっくりと和やかに前向きに話しをしてくれた人が、自分を選ばないショックを体験しているだけに、すごく苦痛。

 とにもかくにも、自分は「選ぶ」という行為がとても苦手なことを再確認した。
 どうでもいいことを選ぶのは早い。食事のメニューで悩むことは少ない。食えりゃなんでもいいのである。フランス料理屋に入っても、ついつい「とりあえず、ビール」と言いたくなるし。
 そんで、出てきたものにもあまり文句を言わない。
 今までも、派遣社員で「こりゃダメだ」という人にはあまり当たったことがない。
 それぞれ、もちろん長所も短所もあり、完璧な人なんていないわけだし、まあ、前にいたOさんみたいに、「明らかにダメ」っていう人は珍しいのである。

 帰り際に、ハイジに「こっちの人で、ほぼ決まりそう」と途中経過を報告した。簿記1級の人じゃなくて、簿記3級の人を選んだので、ハイジは「ほっとした」と言っていた。思考がシンプルで羨ましい。
 先週の土曜日も、ハイジに「女性の場合には、あんまし高級な資格や職歴持っていると、敬遠されたりするのよ」と説明したら、「ふーん?」とか言っていたが、でも、彼は私の言っていることの行間なんて読まなくてもいいわけで、逆に私としては彼のそういう傲慢さを利用したいわけで・・・・・ああ、難しくてまた胃が痛くなるが、明日もきっとお弁当のご飯を残さないであろう自分に万歳。
8月7日(日)

 立秋だそうですが、本当に暑いです。
 でも、はやり、「自宅では意地でもエアコンを使わない」と無意味に意地を張っているので、朝目が覚めて、窓を開けてから、じっと布団の上で暑さに耐えてながら二度寝。

 昼頃起きて、布団を干しつつ、掃除洗濯をしたが、少しでも動くと汗がダーっと出てくるので、「なるべく動かないようにしよう」と、じっと読書に勤しむ。
 そんで、夕方また昼寝してしまった。

 いつもながらの「しょーもない休日の過ごし方」であるが、自分ではけっこう楽しいのでいいんである。

 昨日の夜、「エンタの神様」を観終って、NHKにチャンネルを替えたら、イ・ビョンホン特集をやっていた。
 CM撮影現場を取材していたが、そのビョン様が妙にかわゆくて、ビールで出来上がっていたせいもあるが、「やーん、かわいーいー」と声に出してしまったほど、かわいかった。

 かなり頭いい人みたいだな。「自分の見せ方」を常にきっちりと考えているかんじがした。
 そんで、感動したのは、周囲に気を配る姿勢だ。それも「いい人」としてではなく、仕事の質を高めるための計算であることを隠そうとしない。
 日本でも織田ユージ(漢字がわからん)などは、そういう評価を得ているようだが、そっちにはあんまし感動したことがないのは、たんなる自分の趣味なんだろうか?

 でも、ビョン様はきっと、普通の会社員になっても、きっちり仕事するんじゃないかなあ、って気がした。
 ま、でも、「人柄の良さ」と、「役者としてどうか」は別の問題であり、「きゃー、ビョン様すてき!こんな人と一緒に仕事してみたいものだわ」と思っても、今放映中の「オールイン」はつまらなくて、あんまし真面目に観てなかったから、すっかり間が空いていたらしく、いきなり世界ポーカー選手権で優勝していたので驚いた。

 好きな役者が出ていても、つまらんものはつまらん。

 ビョン様のお仕事ぶりに心を打たれたのは、自分の仕事がまた転換期に来ているので、ナーバスになっていることもあるのだろう。
 転換期ってほどのもんでもないが、春の大きな人事異動の後で、いろいろ調整しつつ、平常モードに戻していたのだが、秋にはクララが退職することになったので、「後釜をどうするか?」でいろいろあって、来週から面接になるのだが、それも自分にとっては初体験なので、どう進んでいくのか手探り状態。

 後で「しまった」と思ったのだが、8月は派遣スタッフもあまり動かないようだし、派遣会社の担当者も夏休みに入ったりするので、けっこうややこしい。
 そのことは、最初からわかっていたので、私は「8月後半くらいから動きはじめて、9月からのほうがいいのではないか?」と、思っていたのだが、部長が「早めに動け」と言ったので、素直に従ってしまったのだ。こんなことなら、部長にもきちんと理詰めで「だから、多少空白期間があっても9月に入ってからのほうが、いい人材が集まると思います」と言っておけばよかった。

 こういうもんは「結果オーライ」なので、夏休み中でも、いい人が来てくれればいいだけなのだが、心配性なので、いろいろ考えすぎちゃってね。
 まあ、そんで、自分も慣れない仕事であたふたしているのだが、他の社員だって「どうなるのか?」と心配しているのもわかるので、なるべく「現在の進行状況」をコマメに報告するようにはしているつもりなんだが、ほんとに中間管理職って大変だわさ。

 部長の意向も汲みつつ、自分がどうしたいのかあれこれ考えつつ、部下にも気をつかい・・・・やれやれ。で、気疲れだけは一人前だが、それでちゃんと行動できてるかは自分でもよくわからん。

 土曜日は経理が全員出勤していたので、ハイジやクララに「報告」と「愚痴」を並べていたのだが、思ったよりも早く後任が来てしまった場合、あまり仕事が無いというか、まだ引継ぎが固まっていないので、それも悩みどころなのだが、そんな話をしていたら、ハイジが「9月から学校に行くので、週4できっちり定時で帰りますよ」

 前からそういう計画をしていたのは知っていたが、まあ、なんてステキなタイミング(笑)
 でも、それは本人が大変なだけで、私には関係ないから「まあ、頑張ってね」としかいいようがないが、でも、9月から、二人で頑張らなければいけないわけだし、新しい人が仕事を覚えてくれるまでが大変なのはわかっている。

 ハイジが経理に配属されたときもそんな状態で、忙しい中で仕事を教えていくのは大変だった。でも「半年の我慢」と思って耐えたし、ハイジが想像を遥かに越えて優秀だったので助かったが、でも、そういう気持ちをきちんとハイジに伝えられているかというと、性格が合わないこともあって、なかなか難しい。
 友達付き合いと違って、会社での同僚との付き合い方は、すごく難しいんだよな、なぜか。

 でも、前に勤めていた会社では、人数が少なかったので、気心が知れていたが、今の会社は規模が中途半端なので、意思の疎通が難しい。それに、なんとも言えない独特の雰囲気があるし・・・・親会社の雰囲気も独特だしね。

 それでも最近、だんだんわかってきて、こういう組織の中では、けっこう大袈裟に表現しないと通じないらしいのだ。
 なので、頑張って部長のことは過剰に持ち上げているのだが、自分でもゲンナリするくらいやらないと通じないと思ってさ。それに、自分は元々、感情表現が控えめなので、わかってくれる人はわかってくれるみたいだけど、意識的にやらないと、自分では通じているつもりでも、全然わかってもらえなかったりする。

 特に男性相手だと「なーなー」で通じないことが多いので、きちんと言葉で言わないといけないのだが、これが苦手でさあ。
 でも、ハイジも、そういうのは苦手という自覚はあるようで、ときどき妙にハイテンションだったりするのは、彼なりに「気合」を入れているのだろうと、勝手に解釈している。
 で、時々、私とハイジの「よっし、ちゃんとコミュニケとるぜ」な気合が一致するときがあり、そういうときには、笑ってしまうくらいの愉快な茶番劇が展開されるので、それはそれで面白い。

 でも、話は戻るが、たぶん秋以降は、ハイジにとっては試練の日々になると思うので、こっちも積極的にフォローしてあげないとなあ。
 7月にハイジはちゃんと休みを消化しなかった。
 私は「ダメだよ」と言ったけど、なにがどうダメなのか、もっと語らないといけないよな。

 休みといえば、後任の募集にあたって、派遣会社(紹介予定派遣をお願いした)にうちの会社の休日の少なさをなんとか「いいところもあるんです」と説明するのに四苦八苦したが、それでも、一つの会社の担当者から「休日数の問題もあり、人選が難しい」という言い訳を聞かされて、「うーん、たしかに私もそう思うが、それを理由にしちゃうと、部長が不機嫌になるんだが・・・・」と、そのことは部長には伏せてあるのだが、ハイジと雑談しているときに「休日の少なさを指摘されちゃうと、自分でもだんだん悲しくなってきてさあ」とこぼしたら、なんと「そうですか?」って返事が返ってきた。

 彼は学生バイトから、いったん外に就職したけど、結局、うちに再就職したので、「土日祝日休みのフツーの会社」で働いた経験があるから、うちの会社の休日の少なさをわかっていると思ったけど、そうでもなかったらしい。

 ほんと、他人が何を考えてるのか、さっぱりわからんので、世の中難しいが、それだから面白いとも言える。

 最近、よく感じるのは「自分の仕事のやり方って、かなりお母さん的だよな」ということである。総務部っていう部署自体が「お母さん的」なんだけど、上司には「お父さん頑張って」と言い、部下には「伸び伸びと仕事してほしい」と思い、外から来る客には「ステキな会社だな」と思ってもらえるよう、社長室やミーティングスペースをキレイに保つことに気を配っている。

 20代の頃からよく「ミヤノさんってお母さんっぽい」と言われたが(あと「先生みたい」ともよく言われた)、あの当時は「はあ?」とマジャ風に受けていたけど、最近、かなり自覚症状である。
 たしかに、年齢的にも、もはや新入社員は自分の子供と言ってもいい年齢になってきたのだ。

 もうすぐ40代になるが、若い頃には「40歳になった自分」は全く想像できなかったが、どうやら「お母さん路線を磨く」ということになるような気がしてきた。

 今読んでいる本が「なぜ女は出産すると賢くなるのか」っていう本。
 先日、2歳のご子息の世話に追われるAさんと会ったときに、そんな話になったのだ。
 実は、私としては「その場しのぎのリップサービス」であった。「子供がいると、自分の時間が全くないよ〜」と嘆くAは、それでも「母としての自分」に、根拠不明の自信を持っており、長い付き合いだが、ずっと不安症というのか、なにをやっても「これでいいのか、自分?」だったA嬢が、「文句たらたら」な個性は維持しているものの、妙に自信満々なところが興味深かったので、いっちょ持ち上げてみようと「でも、出産や育児は大変だけど、それを乗り越えた女性、っていうか、キャリア女性でも成功した人って、出産経験者が多いよね」と言ってみたら、思ったとおり「そうなんだよ!」と食いついてきた。

 A自身も、出産後に妙に逞しくなった自分に戸惑いと、自信を深めているようだが、もともと、しっかり仕事している人が、出産と育児を乗り越えたら、パワー倍増なのは想像に難くない。
 育児と仕事を両立するのは、大変な重圧であろうけど、それを乗り切った人は、相当優秀だろう。
 前の会社の上司も、育児と仕事を両立させたが、その割り切り方は物凄かった。

 「自分は育児もあるから、この仕事は出来ない。だから、あなたがこれもやってくれるのなら、その分、給料上げる」というようなシンプルさで、部下にバシバシ仕事をさせたのである。「給料上げる」というよりも、ほんとに「自分の給料削った分をあなたにあげるから」ということだった。

 そういえば思い出したが、私がその会社で経理に引き抜かれてすぐのボーナスのときに、すでに「この子がいれば、私はもっと育児に時間を割ける」と見抜いた上司は、私を別室に呼び出して、5万円を手渡したのである。
 「え?なんですか?」と、別に金には執着してなかった私は戸惑ったが、どうも社長に「彼女の給料をもっとあげろ」と交渉したようなのだが、それが通らなかったので、自分のボーナスから5万円を私に渡そうとしたのだ。

 「えー、いいですよ。お気遣いなく。私、別に今のボーナスで満足してますから」
 と言ったのだが「私の気持ちだから」と言われ、まあ、5万円くらいなら「気持ち」とやらを受け取ってやってもいっか、と「じゃあ、お気持ちということで、受け取っておきます」と頂いたのであった。

 現金での表明はちょっと釈然としなかったが、でも、「あなたが来てくれて、本当に助かっているの」という気持ちはよくわかったので、悪い気はしなかった。あれも、今から考えると「母は強し」ということなのかもしれない。自分が中間管理職になってよくわかるのは、部下に「あんたが来てくれて助かった」という気持ちを伝えるのが難しいということなんだが、それを現金で表明するという荒業はなかなか思いつかない。

 うーむ、やっぱし、あのくらい、はっきりくっきりやらないといけないんだよな。
 自分もそんな年齢になってきたけど、「お母さんっぽい」と「お母さん」の違いを考えて、「はー、あたし、まだまだだわさ」と溜息をついてしまう。

 本当のお母さんたちの「優先順位 第一位は 当然我が子」という気迫にちょっと憧れる。
 「お母さんっぽい」だけの自分は、そういう明確な志向性がないので、八方美人になりがちで、そんな自分に時々嫌気がさすのだ。せいぜい「自分が一番大切」ってなだけで、それだとバリバリ動けないのである。男性陣の「オレって、オレって」に負けてしまいがち。

 そうだ、A嬢と話していて、「ふーん」と思ったのは、私が自分の仕事の愚痴を話したら、彼女はバッサリと「男はステイタスが拠り所の生き物だからね」と言い放ったのである。
 自分もそう思うが、そこまでバッサリといえない部分も抱えている。「サル山」で仕事しているので、サル山のやり方を習得することが「仕事ができる」の第一歩なんだから。

 子供を産んだことで、A嬢には「サル山を上から見下ろす」という権利が与えられたようで、それはちょっとうらやましかった。なるほど、こういう温度差が、「負け犬」というのを生んだのだな、と実感できる。
 キャリア女性は、それなりにプライドがあるけど、「子持ち女性」のプライドの高さは、それを上回る。
 ってゆーか、もはや「別ステージ」なんである。

 キャリア女性も、「サル山辛いっすよ」と思っているのだが、子持ち女性にそれを愚痴っても「まあ、ただのサル山だからね」と見下ろされると、ちょっとヘコむ。


8月6日(土)

 出勤。
 それにしても、アチぃねえ。

 大地震(笑)があった日も職場の周囲は「ゆず」と「ケツメイシ」の客が集結して賑わっていたが、今日はなんと「スマップ」でした。
 この暑い日に、スタジアムでコンサートなんて、熱中症で倒れる人が出ないか心配である。

 最近は、最寄のスタジアムでもコンサートを催すことが多く、会社の窓から「今日のお客さんの傾向」を分析するのが密かな楽しみ。
 それに「スマップのファン」というのは、いったいどういうものなのか興味シンシンでありました。

 思ったよりも、若い女性が多かった。でも、「ギャル」と呼ばれる年齢層なんだけど、「ゆずのファン」の若い女の子とは、微妙に雰囲気が違う。そんなに差があるわけではないのだが、なんとなく「メンヘル系」が多かったように思う。「メンヘル系」と言うと、違うかもしれないが、なんとなく「前世をみてもらうのに1万円を惜しまないかも」という風情の若い女性がチラホラ。

 あとは、やはり30代女性多し。独身同士で闊歩していたり、お子様連れだったり。
 やっぱし、けっこう年齢層は幅広いようだ。
 あと、気がついたのは「日傘率が異常に高い」ということである。こういうのは珍しい。「スマップのファン」=「紫外線が気になるお年頃」なのか、それとも、美白に執着するということなのか、今日がただ単に暑かったからなのかは不明だが、でも、スマップと日傘って、なんとなく納得してしまう。

 
8月5日(金)

●今日のゲシュタルト崩壊

 「ゲシュタルト崩壊」というものを理解しているかどうかわらからないのだが、語感が好きなので、自分には乱用する権利があると信じきっているのである。

 さらに、暑さも手伝って、「ああ、ゲシュタルト崩壊してばっか」→「メニ メニ(many many)ゲシュタルト崩壊」→「♪ゲシュタルト崩カイ マニマニ ダスキー(大好きー)」、といろいろ活用させて遊んでました。

 さて、今日はなんのゲシュタルトがホーカイしたかというと、6月から毎月ある社内講習があって、今年中に全員受けるように、と言われていたのだが、なかなかチャンスがなかったので、「8月はなんとしてでも受講しなきゃ。9月はきっとそんな暇ない」と思ったので、今日はそれを統括している部署に申し込みしに行った。

 しかし、その部署の担当者の前に立ってから、「えっと、なんていう講習名だったっけ?」とすでに死後硬直が始まっていたのだが、「なんか言えばわかってくれるだろう」と、頭より先に口を動かすことにした。

 「あ、すいません、Sさん。今月のアレの申し込みしたいんですが、えっと、・・・・・きう・・・きう・・・きう?・・・・・メエ?・・・・なんとか講習です」

 賢いSさんは、ちゃんと私の言いたいことを理解してはくれたが、それでも「おめー、何語しゃべってるつもりだ?」と、明るく突っ込んでくれました。ありがとうございます。

 正しくは「きゅうきゅうきゅうめいこうしゅう」でした。

 難易度高いのはわかっていたのだが、練習しないで行ったので、「きゅう きゅう」ってゆっくり言ったら、自分が何回「きゅう」を言ったのかわからなくなってしまい「きゅう きゅう」の時点で自信を失ったので、次の「きゅう」は自信なさげに「きゅう?」と半疑問系になったので、とってつけたように「めえ」をつけたのでありました。

 しかも、この講習、正確には「上級救急救命講習」であり、「じょう9999メエ講習」というスリーナインよりも桁ひとつ多いんですが、みんなちゃんと「じょうきゅうきゅうきゅうきゅうめいこうしゅう」って言えてるのでしょうか?うっかり「きゅう」を増やしてしまいそうです。

 とっさのときに、人命を救助できるようにする講習なのですが、「きう きう きう? メエ〜」などと呟いている時点で、自分が心停止してしまいそうなので、この名称、なんとかしてほしいと思っている自分がダメなだけでしょうか?
8月4日(木)

●万華鏡のような言葉

 他部署の部長にメールを書いていたのだが、なにげなく書いた言葉に自分で眩暈を起こしそうだった。

 「だいたいいくらくらいでしょうか?」

 書き直そうかと思ったのだが、面白いのでわざとそのままにして書き送ったけど、部長が多少でも眩暈を起こしてくれたとしたら嬉しいのだが、でも、そんな非凡な表現でもないかもしれない。「だいたいいくらくらい」で検索してみたら、1200件くらいでてきた。

 「だいたいいくらくらい」って、口に出して読めば、普通の口語であるが、パっと見ると、どこから読み始めていいかわからない。

 こんなことで気がつくのもなんだが、自分だけかもしれないが、文章を読むとき、きちんと順番に文字を追ってるわけじゃないんだよね。
 もちろん、きちんと字を追っていく人もいるだろうけど、そういう人は文章を読むのにすごく時間がかかるはずだ。
 小説ならまだしも、たとえば新聞記事なんかは、無意識にナナメ読みしている。だから、ネット・ニュースの見出しを読むと、よく「見間違い」を起こす。
 よくあるのが「行」が交錯することで、パっと見たときに「あ、象が脱走?」と思って、そのあたりに目をやると、「気象庁発表のなんちゃらが・・・・」っていう見出しと「滑走路で脱輪」という見出しが隣あっていたりするので、逆に「なんで、象が脱走だと思ったのか?」というのを解明するのに時間がかかったりする。

 それでも、「ああ、これとこれとこの文字を拾ったのか、とわかればまだマシで、一生懸命眺めても、とうとう何を見間違えたのかわからなかったりすることも多い。

 たぶん、ひらがなを認識する方法と、漢字を認識する方法がちょっと違うせいもあるんだと思う。

 そんなわけで、自分で書いた「だいたいいくらくらいでしょうか?」ってのをじっと眺めて、ヘラヘラとプチ・トリップしていたわけです。安上がりだ。

 この文字列には、いろいろな「見間違い」があり、まず「“だいたひかる”がどーした?」と思わせるところからはじまって、眩暈を感じる「くらくら」を「らくらく」と解釈することも可能だし、「いたい」とか「くらい」も隠されているので、それらを瞬時に認識してしまい、無理やり繋げると「いくら、だいたひかるでも、痛いし、暗いんじゃないでしょうか?」という、意味不明のメッセージが頭の中で作り上げられることもあり得る。

   「だいたい、いい位じゃないでしょうか?」と思うのもありそう。

 うーん、噛めば噛むほど、味が出てくる言い回しだ。

 くどいようだが、発音すると、普通の言葉なのだが、書き言葉としては間違っているような気もするので、経理のお局様が、部長に予算の消化状況を確認するときに使うべき言葉だと思えないし、書いたあと、そう思ったのだが、わざとくだけた感じを演出したのであるが、くだけ過ぎだったかな?

 ま、こんなことで、へらへらと一人で楽しんでる自分が「だいたい、くらいんじゃないしょうか?」でありますが。
8月3日(水)

 社会に出てから、ずっと根にもっている「研究テーマ」がある。

 それは「大人になると、なんで嘘をついてもいいんだ?」ということである。
 「ワシントンはリンゴの木を切ったことをお父さんに正直にいいました」というのが「正しい」という教育をずっと受けてきたし、とにかく、学校の先生も、親もみんな「嘘つきは泥棒のはじまり」ということを正々堂々と述べていたと思う。

 あ、いかん。リンゴじゃなくて、桜の木だったっけか?
 ワシントンでいいんだよね。リンカーンとかニクソンじゃないよな。

 以上は嘘ではなくて、「天然」である。

 とにかく、会社で働き初めてまず最初に戸惑ったのは、午前中に何の連絡もないまま出勤してこない社員あてに電話があっても「あいにく外出しておりまして」とか言わなきゃいけないことだ。
 「まだ来てません」と正直に言ってしまい、散々嫌味を言われてショゲたのも、10数年前のヒヨっ子時代の悪しき思い出である。

 バイト気分で入社したので、全く「ビジネスマナー」を知らなくて、「まだ来てません」「じゃあ、何時ごろ来るのかなあ?」と言われて「さあ、わかりません」って言ってしまった自分も相当バカだが、でも「正直」ということでは胸を張れるところであるが、誰も誉めてくれなかった。

 その後、だんだんと「外出しております。帰社予定がはっきりしませんので・・・・戻りましたら折り返しお電話します」とか、ちゃんと言えるようになった。なんも知らないバカな若者であったが、学習能力は一応あったのである。

 そうやって「嘘つきは泥棒のはじまり」から「ものは言いよう」ということをだんだんと理解してきた。
 でも、頭では「大人のやり方」をわかってはいても、ときどきけっこう辛くなる。

 昨日も友達とそんな話になった。
 例えば、友人が、「会社を辞めて、イタリアに留学しようと思うの。それで将来は美術関係の仕事につければいいと思って。美術館の学芸員とかさ」なんて言ったら、本当に親しい友人だったら「なに寝ぼけたこと言ってんじゃ、どりゃー」と言うのが「正直な気持ち」であるが、大人だからそうは言わずに「そっか。まあ好きなことすればいいんじゃない?」と言う。「正直」な話、友人が何しようと、自分には何の迷惑もかからないからである。留学中にイタリアに行けば、宿泊費はタダになるかもしれないので、いいかも、ってだけである。

 それが友人の話ではなくて、「ただの知人。しかも旦那の知人」だったら、「いいんじゃない?」よりも、さらに高度な技を必要とする。
 「まあ、すてき。そうですよね。やっぱり美術の勉強だったらイタリアですよね〜。本場ですもん。きっと、いい経験になりますよ。」
 これはこれで「本音」である。嘘はついてない。

 「行きたい人は行けば?」という無関心を違う言い方で表現しているだけである。

 大人というのは、そういう「自分にとってはどうでもいいこと」を「どうでもいい」ということは置いておいて、「いいこと」だけを増幅して返すものらしい。
 そんで、私も常に憧れているけど、「誉め上手さん」というのは、「どうでもいい話」を「いい話」に変換するのが異常に上手いのだった。

 会社員でも「優秀な営業マン」というものは「別にフツーなもの」を「すばらしいもの」と言い換えるのが上手い。営業の人と喋っていると「ものは言いよう」のオンパレードになり、いろいろ勉強にはなるが、いざ自分でそれをやろうとするとなかなか難しいのである。

 やっぱし、どうしても「いいこと」ばかりを言えないのである。
 物事には「いいこと」も「悪いこと」も混在しており、部屋探しで言えば「日当たり良好」って書いてある部屋はたいてい「西向き」だったりする。日が当たりすぎて困るんだけど、嘘ではない。

 うだうだと書いていると、また何が言いたかったのか忘れてしまうが、自分ではそれなりに「ものは言いよう」のスキルを積んできたと自負していたが、今日は久々にダメでした。

 派遣会社数社に「紹介予定派遣」をお願いしているのだが、そうなると「正社員採用後の条件」を明示しないといけなくて、派遣会社が用意した「求人票」のフォーマットに我が社の「休日」がうまく当てはまらなかったのだ。

 しょうがないから、そういう「ものは言いよう」に関してはプロに任せようと、メールでざっくり説明して「・・・・というわけで、完全週休二日とは言えないのですが、そのあたりの表現に関してはご相談です」と書いておいた。
 やっぱし「わかるような、わかんないような」だったらしく、どの派遣会社も電話で確認してきた。
 口頭で説明するたびに、なんか「いいこと」よりも「悪いこと」のほうが明らかになってしまう。

 たしかに、うちの親や友人にも、何度説明してもよくわかってもらえない「出勤システム」なのである。
 よく、求人雑誌では「年間休日○○日」と書くけど、我が社の場合、「休日が何日」ではなく、「出勤が何日」と決められているので、そのまんま出すと、えれー休日の少ない会社なのだ。

 でも、「いいこと」としては、平日に休みがとりやすいとこである。
 今年は行かなかったが、去年、フジロックを3日間参加したときも、同行した友人は、なんとか金曜日は休みをとったが、月曜日は昼から出勤してたけど、私は余裕で「金、土、日、月」の休みをゲット。
 年に6日間与えられる連続休暇も、うまくやりくりすれば、9日間くらい休めるから、オフシーズンに海外旅行も行き易い。

 そのかわり、GWを暦通りに休めなかったりする。忙しいからじゃなくて、暦通りに休むと、しばらく土曜日はずっと出勤になってしまうからだ。
 ただ、いいように考えると、どうせGW中やお盆休み中は超暇なので、「会社に涼みに来た」と思えばいい。
 土曜日も、電話も来客もほとんどないので暇なので、賢い人は、わざと土曜日に出勤して平日に休んだりする。そのほうが、自分の仕事は捗る。
 すごい人は、日曜日も「穴埋め出勤」で、たぶん一日中ボーっとしている。

 他の部署は土日も忙しかったりするが、うちの部署は土日は圧倒的に何もすることないから、平日はなかなか定時で帰れなかったりするけど、土日に出勤すれば、けっこうラクできるのである。

 なので、「よしあし」なのであるが、そのあたりを「週休二日を標準とする」人に、説明していると、だんだん、「自分が物凄く条件の悪い職場で働いている」という「本当のこと」が頭角をあらわしてくるので、自分で説明したことに自分でショックを受け、しばらく沈没してしまった。

 立ち直るために、砂糖たっぷり入れたコーヒーを飲んだ。(糖分を沢山摂取すると、気持ちが落ちつく。チョコを食べると、さらに立ち直りが早い)

 うーん、やっぱし、まず私が派遣会社の営業マンをダマさないと、ダメなんだよなあ。

 でも、やっぱし根が正直もんなんで、「悪いところ」というか「リスク」もきちんと説明したくなるわけよ。
 そこを納得してもらった上じゃないと、「いいところ」が生きないと思うけど、でも、それにしても「いいところ」の説明に悩んでしまい、逆に自分で「・・・・・・ひょっとして、悪いとこ、ばっかかも」と思って、落ちててどーする。

 今日が昨日だったら、また会社を抜け出して、サマージャンボを買い足すところであった。

8月2日(火)

 コンビニでふとレジのそばに並んでいたポテチに目がとまった。

 「気まぐれシェフのおすすめチップス」

 ペペロンチーノ味とチョリソー味があるらしい。
 別になんてことない商品名であるが、「気まぐれシェフ」とはいったいどういうことなのか、その珍しくもない表現について、いまさらながら考えてしまった。

 どう考えても、シェフがきまぐれでいいわけがない。
 日によって味が違う店もあるけど(エスニック店に多い)、「シェフ」と名乗る人がいる店での「きまぐれ」はあまり自慢できるようなものではないだろう。
 でも、たぶん「きまぐれシェフ」っていう言葉は、わりと、おしゃれな意味で使用されてきたんだと思う。

 なんでだか、よくよく考えるとさっぱりわからないが、もしかしたら、フランス語などが語源で、一種の誤訳なのかもしれない。
 例えば、フランスのビストロで、黒板に書いてある「本日のおすすめ」に、「シェフのおすすめ きまぐれサラダ」なんていうのがあって、単にその日に厨房に並んでいる食材をテキトーに気合で混ぜ合わせたサラダだとしても、そのギャンブル性が受けて、評判になったりして、それがフランスでは定番になったりして、それを何か勘違いして訳したら「きまぐれシェフのおすすめサラダ」になってしまったとか?

 そんなことは実はどうでもよくて、重要なのは「きまぐれシェフ」という言い回しが、今まで気になったことなんてなかったのに、急に「なんじゃそりゃ?」と思った自分は、昔の自分と何かが違ってしまったのだろう、ということである。

 要するに「こうして、人はオバサンになっていくのだ」と、溜息をついただけ。
 別に卑屈になっているわけではないが、若い女の子の「きまぐれ」は可愛いとされているが、オバサンの「きまぐれ」は、迷惑なだけである。

 想像してみてほしい。身近にいる(会社の後輩あたりがいいと思う)、20代半ばの男子が、「もー、きまぐれなんだから」と言ったとき、そう言われたのが、25歳の女子社員か、35歳の女子社員かで、口調が全然違うでしょ?

 だから、どうやら、いつのまにか、「きまぐれが許されない年齢」になっていたらしい自分に気がついただけである。
 あ、でも水商売は例外かな。口ひげを生やした「いつまでも少年の心を持った」マスターは、「マスター、もう、きまぐれもいいかげんにしてくださいよ」っていうのは誉め言葉なのかもしれないし、「ママったら、ほんとにきまぐれなんだから」っていうのもアリだろう。

 そういえば、キムタクなんかも「きまぐれなオレ」を演出するときがある。

 そう考えると「気まぐれ」ってやっぱし、今だに、オシャレ系な言葉なんだろうか?
 もうすでに、そこに価値を見出せなくなった自分には判定できない。

 全然関係ないが、今日、出掛けにテレビを観ていたら、「笑っていいとも」の後の小堺のトーク番組に兵頭ゆきが出てて、「NYで生活してると、日本の事情に疎くなってしまって」という話の中で、ダンナさんが「ゆきちゃん、韓国イケ麺ってもう食べた?」と真面目に聞いてきたという話で、笑ってしまった。

 今日は、夏休みで帰国しているきょうみちゃんと、上野でミーティング。
 沖縄料理を食べつつ、どうでもいいことを延々と喋っていた。
 でも、どうでもいいことをひたすら喋りまくるってことが重要なわけよ。

 香港での新居にはまだお邪魔したことがないので、今度の休みあたりに行かないと(いつ?)、そろそろ帰国かもしれないらしい。
8月1日(月)

 8月になりました。
 昨日は、けっこう早寝したので、今日は5時頃目が覚めて、窓を開けたらかなり涼しかったので、また寝て、7時ごろまた起きてから、ゆっくりと朝の支度を始めたので、(「朝の支度」には、冷たい水を飲んでから、体が目覚めるまで、ボーっと「めざましテレビ」を観る行為も含まれる)、いつもより20分くらい早く家を出た。

 おかげで、いつもよりかなり早く会社に着いたのだが、T部長から電話がかかってきて「もう少しでボクも着くけど、会議があるからよろしくね」
 げー、たまたま早く着いていたからいいけど、10時からの会議に8人分の「何か冷たいもんでも」っていうのは、早く言ってもらわないと、月曜日の朝に冷たい飲み物揃ってないのよー
 案の定、冷蔵庫にある飲み物じゃ足りなくて、慌てて氷を取り出し、わさわさと用意した。

 ふー、よかった。たまたま早く来てて。部長がまた不機嫌になるところだったよ。

 今日はその後も妙に来客が多くて、珍しく一日中、ウェイトレスさん状態だった。
 しかし、そんな中、派遣会社からも連絡があり、「スタッフ候補を2名ほど選びましたので、会社見学の予定を・・・」
 念のため解説しておくと、最近の派遣会社は事前面接にうるさくなった。私もそう思っていたが、某業界トップのS社が平気で5人くらい候補を寄越し「好きなの選んでくださいませ〜」とやったことが問題になり、業界自粛の動きになったらしい。(と、ライバルの某社営業が言っていた)

 だが、うちが頼んだのは「紹介予定派遣」という、「最初は派遣だけど、後々社員にする」という契約なので、事前面接は「あり」なのだが(それも、最近の法律でかなり緩んだためらしい)、それでも業界的には「会社見学」という、遠まわしな表現を使うのだ。

 ああ、もうややこしい。
 かったりーの嫌いなのよ。
 とは思うが、それよりも、面接となれば、T部長の予定も調整しなくてはならない。

 しかし、来客が相次いで、そんな話する隙がないし、部長も夕方になったらヘロヘロになってきた。
 どーしよ。あたしは明日休む予定だし、部長は明後日、明々後日が休みなのだ。

 しかし、今日一日、せっせとウェイトレスした私を神様は見捨てなかったようで、夕方遅い時間になったら、部長が急に私に愚痴を語りはじめた。
 私が聞いたって、どうしようもない話であるが、でも部長がとある面倒な仕事を任せられ、それでかなりナーバスになっているのはよくわかる。自分も、初めてやる「採用」という仕事で、「わーん、どうしたらいいの」と半ベソなんだから。

 しかも、部長がやらなければいけないのは「アメリカ関係のお仕事」で、その準備作業として「それに関連する書類あるかなあ」と言われても、私だってどの書類が必要なのかさっぱりわからないが、とりあえず、ゴミの中でも見所のありそうな書類をピックアップして渡してあげた。

 「はあ、英語の契約書とか苦手なんだよな。こういう英語さっぱりわからん」と、ありきたりな愚痴をこぼす部長に、「そうですよね。こういう英語って特殊ですからね」と、ありきたりな受け答え。
 もうとにかく「大変ですね、心中お察しします、私もできるだけお手伝いするつもりでございますが、でも、私もさっぱり英語はダメで」という姿勢をとことん貫くしかない。

 一時間くらい、そのロールプレイを演じたあと、「そろそろいっかな」と、「あのー、それで別件なんですが」と派遣会社がよこしたスキルシートを見せ「今のところ、こんな感じで・・・・・」「うーん、とりあえず、会ってみないとわかんないよな」

 「私もそう思うというか、何をとっかかりにしていいのかわからないので、とりあえず会ってみたいと思うのですが、部長の来週のご予定は・・・」
 「ああ、来週なら、大丈夫だよ。」

 よっし、かなりスムーズに部長の来週の予定げっと!

 それで自分的には「今日の仕事はおしまい」であったが、その後も「オレって総務部長に向いてないかもしれない」と愚痴モード続行中の部長に対して、「ええ、でも、正直なところ私も無理なんじゃないかと思ってたんですよ。いや、そう言うと失礼かもしれないんですが、でも、他の重要な仕事で忙しすぎるじゃないですか。そんで、総務の仕事と言えば、重要といえば重要だけど、けっこう細かいことばかりで、そんなのが次から次へで、けっこう時間とられる仕事なんで、ここまでやれるとは思っていなかったんですよ、実は」

 我ながら、実に嘘くさい良妻賢母ぶりを発揮してしまったが、総務や経理畑は長いので、このくらい持ち上げてもらわんと、「誰も自分の苦労をわかってくれない」という憂鬱が解消されないのもわかっているので、せっせと太鼓もちをしてあげないとな。

 ただ、今日はあまりにも上手くやりすぎてしまったので、「なんか、ハイジが私をあざ笑っているような気がする」という被害妄想に陥った。気のせいだと思うけど、でも、私は普段はとても鈍感な人なので、被害妄想に陥るときにはそれなりに信憑性があるというのも経験からわかっているのだが、でも、なんで、あんな妙な気配を感じたのか、はっきりはわからない。

 でも、私は逞しいから、ちゃんと夕方、会社を抜け出して、銀行でお金を下ろし(財布に千円札が一枚しか残ってなかったから)、サマージャンボを買ったのよ。
 この、ささやかな行為によって「ほんとーは、私は、こんな思いまで仕事しなくないわけよ。でも、仕事する以上は、最短距離を目指しているつもり。それがたとえ、ショーにあわなくてもさ」という、自己満足だと思えば「連番3組、9000円」の投資は安いもんだ。

 まんまと3億円当たったら、ハイジに「300万円あげますから、ごめんね」と書き置きを残して、とんずらしたい。
 最近、宝くじを買う自分が、だんだんマジになっているあたりが怖いね。

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