可燃物な日々

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7月31日(日)

 先日、映画を観る前に本屋をぶらぶらしていたら、ナンシー関の「小耳にはさもう」のベスト本が出てるのを発見して(一年前に発行された本なのだが)、買ってすぐ読み始めて、あっという間に読み終わってしまった。

 いつも言っているが、毎年、たくさんの有名人が亡くなっているが、ナンシーほど「いないと困る人」は他にはいない。
 ナンシーの本を読むと、そのあとしばらく真面目にテレビを観てしまうのだが、今朝も「わらっていいとも増刊号」の前にやっていたトーク番組で、トシちゃんを真剣に観てしまった。
 私は「たのきんトリオ」に全然興味がなかったので、マッチがいつのまにか偉くなっているのを見ても「なぜに?」と思うのだが、トシちゃんも一度もカッコいいと思ったことがなかったので、急にバッシングというか、なんだか人気が急落したときも、いったい何が起こったのかよくわからなかったけど、少し前から解禁されたのか、ちょこちょこ見かけるようになったけど、なんか、ただ痛々しいだけだったが、最近、その痛々しさにも慣れてきたみたいだ。

 本人も自分の立ち位置に悩んでいるのだろうけど、相手する方も「子供のころ、大ファンでした」と持ち上げるしかなく、松田聖子と同時期の大スターであるが、だからって、聖子と同じように扱っても、ちょっとズレが・・・・
 トシちゃんのとほほぶりを拝見するたびに、なぜか郷ひろみの偉大さを思ってしまうのである。やっぱし器が違うよな。

 とりあえず、トシちゃんがどこに着地するのか、見守っています。
7月30日(土)

 前から思っていたんだけど、日記書くときにはきれいさっぱり忘れていたので、なかなか書けなかったのだが、タバコの販売機にくっついている広告のコピー「長いのが出た!」ってゆーのは、やっぱり何か狙っているのだろうか?
 タバコに興味のない人のために解説しておくと、マイルドセブンだかのロングサイズの広告なのである。
 でも、「長いのが、出た」って言われると、なんか複雑な心境なのだが、試しに検索してみたら、やっぱし、そうだよなあ

 だから、やっぱし確信犯だと思うんだけど、まあ、そのあたりの追求は「メディア・セックス」の著者あたりにお任せしたいところだが、あまりにもあっけらかんなので、取り上げてもらえないか。

 さて、たまには聖司・・・・・ああ、この変換が一位ということは、「たまに」どころじゃないんだな、というわけで政治のお話でも。ってゆーか、なんで聖司?そんな人知らん。

 私は政治に興味がないわりには、ちゃんと選挙に行くほうだとは思うが、立候補した人が誰がなんだか全然わかってないことが多い。さすがに国会議員だと、誰が誰だかわかるし、有名人候補も乱立したりするからね。
 なので、私の投票ポリシーは、選挙権を得た時からずっと変わらない。

 「アンチ自民党」

 それだけである。とにかく、対立候補や党に投票するのだ。
 ちなみに、最近はあまり興味がないけど、以前はプロ野球を観ると、必ず巨人の相手チームを応援していた。「アンチ巨人」で「アンチ ベルディ」(Jリーグの最初の頃は)だったのである。
 要するに「一人勝ち」しているものが気に入らないのと、「強いから金が集まる。だから、さらに強くなる」というスパイラルをどうにか崩したいと思うらしい。

 だから、社会党から総理大臣が出たときには、「このままだと、どうしたらいいんだ」と己のアイデンティティの危機を感じたのだが、幸いなことに、そんな混乱は長続きしなかった。

 そういうわけで、昔は「とにかくよくわからんが、社会党に入れておこう」と思っていたのであるが、しばらく政局が混沌として、なにがなんだかわからなくなり、たぶん、私みたいな「自民党に慢心させないため」で清き死に票をせっせと入れつづけた人はみんな困っただろう。
 最近は民主党で落ち着いていた。ま、民主党も自民党も同じようなもんだが、とにかく「野党」だったらなんでもいいんだけど、それでも共産党だと激しくダメそうだし、一時は社民党にしていたが、凋落がとまらないようなので、民主党が無難だろうってだけの理由。

 だいたい、民主党に投票する人って、そんな気分なんじゃないの?
 と、思っていたのだが、最近の「郵政民営化問題」は、そういう「なんとなく民主党支持」の東京湾に浮かぶクラゲのように、ただ海を漂っているだけなのに、「でも、黒潮には乗らない自分」にプライドを持っているような人たちは、密かに次の選挙のことを心配していると思う。

 つーか、郵政民営化法案が通らなかったら、解散だ、とか言っているけど、そうなったらどうすりゃいいんだ。
 東京湾クラゲ・チームは「族議員」が大嫌いである。
 竹中ヘーゾーも微妙だが、彼と佐藤雅彦の共著なら、デザイナーズ・マンションのイデーの本棚の中に置いても、ギリギリセーフであろう。
 そんで、自民党は嫌いだけど、小泉首相はやっぱし「かなりマシ」なんである。Xジャパンのことを口に出さなければ、靖国参拝は目をつぶってやってもいい。

 しっかし、よくわかならいのが民主党である。
 まあ、なんでもかんでも自民党には反対するという姿勢なのかもしれないが、ふと気がついたら、小泉VS族議員の勝負の族議員側についているではないか。
 結果的にそうなってしまっただけであるが、でも、わかりにくー。

 ここでもし解散ってことになったら、民主党に投票することは族議員につくことになってしまうので、困る。かといって、「もう、どーせ、無理無理なんだから、やっちゃえよ、民営化」と、郵政民営化支持を表明しようとしたら、どうすればいいのだろうか?民営化支持の自民党議員を探すの?あー、めんどくせー

 そういえば、同じようにわかりにくくなってしまったのが都議会である。
 シンタロー氏のキャラが立ちすぎなので、政党という色が薄くなってしまったのに加えて、シンタロー氏のブレーンが首になったりした事件は、いったいなにがどう問題だったのか、さっぱりわからなかった。それを面白おかしく紹介しようとしたワイドショーも困っていたくらい。
 あの直後に都議会議員選挙があったけど、意外なほど争点が見えなかった。

 私は明快に「アンチ石原」なのであるが、都議会選挙でどうすればその意思を表明できるのか、さっぱりわからなかった。知事選挙なら明快なんだけどね。

 まあ、こんなことで迷っている自分もバカだとは思うが、なんでも単純化するのが得意なテレビ報道さえも、郵政民営化に関しては義務的に垂れ流しているだけで、そこに「善悪二元論」を単純にあてはめられない苦しさを感じているようだ。郵政に関しては、「自衛隊派遣法案」みたいな、「母親たちが、息子を戦争に行かせなくないと叫んでいます」みたいな、わかりやすい反論が無いというか、倫理的にどうか、という問題でもないので、切り口が難しいのであろう。

 政治的な話といえば、私がはやりよくわからないのは「少子化問題」である。
 少子化がなんでダメなのかが、よくわからないのだ。

 まあ、あまりにも急激な少子化だと、経済的にいろいろ問題があるのはわかるけど、でも、長期的に考えれば、人口が増えっぱなしということは有り得ないわけで、少子化を解消しようとするよりも、その状況にうまく付き合っていく方策を考えたほうが建設的なのではないかと思うのである。

 いろんな意見があってもいいと思うのだが、「少子化ストップ!」という話が、「地球温暖化防止」と同じように語られてばっかりいるのが気になる。
7月29日(金)

 昨日の「きょうは、ウシの日だったので、うなぎを食べました」に引続き、今日も「休みじゃないけど、気分は夏休み作戦」の第二弾として、「夏休み大作映画」を観にいくことにした。

 でも、すでに時代は「スター・ウォーズ3」に移っており、「宇宙戦争」はガラガラでした。
 一番大きい劇場で、客が10人程度という贅沢。もちろん、その劇場は、昼間はポケモンだかなんかの子供向け夏休み映画で賑わっているんでしょうけど。

 そういう場所柄のため、昼間からずっと上映しているSW3は「シアター2」でやっているため、「宇宙戦争」のレイトショーは、一番大きな「シアター1」という好条件なわけです。

 さて、久々の映画鑑賞だったので、予告編のラインナップもすっかり入れ替わっていて、「キングコング」のナオミ・ワッツはなかなかキレいに撮ってもらっているようでしたし、「容疑者 室井なんとか」に出てくる佐野史郎はやっぱし、「無間道3」でのレオン・ライっぽかったりして、ムフフと笑っていたりしたのですが、なんかまたファンタジーの名作が映画化されるみたいですね。

 私は、ファンタジー系にうといので、初めて聞く題名でしたが、どうもその雰囲気からしても「指輪物語」と並び称されるようなもんらしい。えーと、なんて題名だったっけ?
 グルニエとか、ヘルニアとか、そんな感じで、最初の文字が「ナ」だったような・・・・

 「ナルニア国物語」でした。(予告編に「岩波書店」って出てきたので「岩波 ファンタジー 映画化」で検索したら、すぐに出てきた。
 「ロード・オブ・ザ・リング」も全然観てないくらいなんで、こういうのはよっぽどのことがないと観ないのですが(レオン・ライが「チケット余ってるから、一緒に行かない?」って誘ってくれるとか)、その予告編を観ていたら、その中に一部「よっぽどのこと」があるのを発見しました。雪の女王みたいな役をティルダ・スウィントンがやっていたんですよー。さっき調べてみたら「白い魔女役」と書いてありましたが、それって重要な役なんすかね?

 予告編だと一瞬しか出てこなかったんですが、心臓がバクバクしたので(びょーき)、来春公開予定らしいが、これは見逃せん!

●「宇宙戦争」

 あちこちの映画評だと「極上のパニック映画」となっていたので、期待はしていたが、期待を大きく上回る出来でした。まさに「盆暮れがいっしょにやってきた」という感じ。
 「ジュラシック・パーク」と「エイリアン」と「タイタニック」を足して、3で割ってから、2を掛けたくらいの迫力でした。

 この映画観ながら、密かにマルチタスクで反省したのですが、「タイタニック」もきっと、劇場で観れば、船が沈むとこはかなり迫力があったんだろうなあ。テレビでしか観たことないから、そういうパニック描写が堪能できなくて、「陳腐な純愛モノ」というあたりでウンザリするしかない。
 「宇宙戦争」も、テレビで観たら、「陳腐な親子愛」にウンザリしていたことでしょう。

 大音量の効果音の中では、トム・クルーズの演技なんてどーでもいーし、あのくらい大袈裟にウルウルしてくれたほうが、効果的なことに気がついた。それに、トムの「白目で演技する」(って、わかりにくいね。彼はけっこう「黒目がち」なので、白目の分量が少ないのである。そこで演技できるのって、演技派ってことらしい)っていう技も、ダコタちゃんのデカい目の迫力に負け気味。目のデカさが、パニック映画では重要である。そういう意味では、ダコタちゃんの兄は、10年前のイライジャ・ウッドにやってほしかった。

 けっこう台本もよくできてると思ったのだが、笑いどころで誰も笑ってないのが悲しい。ダコタちゃんに子守唄をねだられて、トムが歌う「オレの車は世界一」なんて曲は、笑いどころだと思ったんだけどなあ。
 あと、まんま「エイリアン」みたいな宇宙人が出てきたときなんか、一人で笑っていたのだが。
 あれって、ギャグじゃなかったのかなあ・・・・・港北のあの映画館、いつも私一人で笑っているような気がして、ちょっち寂しいのであった。

 あと、トライなんちゃら宇宙人のメカの、足の吸盤は超かわいい。
 健康診断に行くたびに、心電図のときにポコポコと貼り付けられる吸盤が超かわいいと思っているので、あれを思い出した。

 それにしても盛りだくさんでした。
 問答無用で、絵で見せるという姿勢が徹底していたので「え?なにが、どうなったの?」と考える暇を与えない。炎に包まれた列車が踏み切りを通過してても、「もう、そのくらいあるだろう」としか思えなくなる。とにかく、逃げないと死ぬのである。

 個人的には、久々に観たティム・ロビンスが、すごく老けてて、太っていたのがショックだったが、あれはきっと役作りだったんですよね?

 次から次へと「これでもか、これでもか」と盛り上げるので、大喜びでした。観ている間は、なーんも考えなかったので、いいストレス解消になる。まさにジェット・コースター。「ええ?こんな急勾配を落ちるの?だったら、死んだほうがマシ」と絶叫しても、やっぱり死ぬよりは生きていたほうがいいわけで、結局、生き残り、「また3年くらいたったら乗りたくなるかも」と思うわけである。

 というわけで、けっこう楽しんだのだが、帰りの電車の中では、もうドキドキしてないあたりが、いいね。
 てゆーか、金曜の終電に乗ったので、あちこちでゲーゲー吐いている人がいて、「わー、宇宙人だ」と思ったりして。

 お恥ずかしい話でございますが、「賛否両論のオチ。でも原作がこうなんだからしょーがないじゃん」という、なぜ宇宙人の攻撃が終結してしまったかというオチで、「フリーゾーン大混迷」にも同じオチがあったぞ?と思ってしまったのですが、そっか、こっちが元ネタなんだよね(笑)
 お勉強させていただきました。
7月28日(木)

 土用丑の日なので、うなぎ食べました。
 白焼きとうな丼を食べたので、うなぎ一匹全部食べたような気分。

 私は、そんなに「丑の日にうなぎ」に固執してないし、うなぎもそんなに大好物でもないんですが、でも、疲れたまったときに「精をつけなきゃ」という強迫観念にかられると、ときどきスーパーで買って食べたりします。
 なので、お店で焼きたてを食べるのは、かなりの贅沢。

 うちの社長が、会議が長引いてしまい、お昼にうなぎを食べ損ねたので、夕方早い時間からずっと「今日は、うなぎうなぎうなぎ」と大騒ぎして、社員をたくさん引率して、うなぎツアーになったのでした。
7月27日(水)

 やー、台風一過で、あぢがったです、今日は。

 でも、ここ最近、7月にこのくらい暑い日が続くことが多かったが、今年は梅雨の間は涼しい日もあったし、わりかしフツーそうなのでは?
 いつも言っているけど、みんな「異常気象」は大好きだが、「じゃあ、何がフツーなんだ?」と問い詰めると、わかってなかったりする。いや、別に「平年並み」を正確に把握しているべきだと言いたいわけでもなく、ワイドショーの「最近、変な事件が多いですね」のと同じように、「じゃあ、変な事件が起こらなかった時が過去にどれだけあったのか?」と問いただしたくなるのと同じ気分なのである。

 例として、私は「夏休みが始まるころに梅雨があける」のがフツーだと、ずっと思っていたので、15日頃に「でも、梅雨ももう明けるころでしょ、フツー」と言ったら「え?まだまだでしょ?」と言われ、たしかに「5日後くらい」というのは「まだまだ」なのかもしれないので「でも、フツーだと来週くらいでしょ?」と言ったのだが、向こうは「ふーん?」という顔をしていたので、向こうも何かを根拠に「まだまだ」と言っていたわけではないことがわかったのであった。

 気象に関しては、首都圏に住んでいると「異常気象」よりも、「ヒートアイランド現象」のほうが、身近である。夕立が、年々、熱帯雨林のスコールのようになっているもの。あと、東京では霜柱も霜もみかけないとか、水溜りが凍らないとか。でも、私が子供の頃も、千葉のベットタウンと都心ではずいぶん気温が違うような気がしたからなあ。
 個人的には、寒いほうが苦手なので、「冬はかなりラクなんだから、夏の酷いのくらい我慢しなくちゃ」と思う。
 なので、私が恐れているのは温暖化よりも氷河期のほうなんである。

 話は戻るけど、テレビで気象のことを取り上げるときには「観測史上最高の気温」とか「戦後最高の・・・」とかの記録話が多い。
 そういう話が出てくると「わー、異常だ」と思うが、「観測史上」なんて、せいぜい100年だったりする。まあ、100年ありゃけっこうなもんかもしれないが・・・・・

 「観測史上最高の・・・・」という言葉が出てくると、思い出すのは「オリコンの記録更新」である。コンピュータ化が進んだせいで、データがいろいろな角度から吟味しやすくなったのか、けっこう変な記録が出てくる。「シングルが連続3枚初登場1位は、男性ソロシンガーの記録です」とか。けっこう細かいのだ。
 「トップ10にランクインするまでの日数が最長」なんて記録もある。要するに出したときにはあんまし売れなかったのだが、その後、大ヒットしたということらしい。
 さらには、「一度、トップ10から落ちたが、また戻ってきた期間が最長」とかいう、わけわかんない記録もある。

 なんでもいいから、この曲の「いいところ」を探そうと、あれこれデータをいじると、なにかが見つかるらしい。
 小学校の先生あたりにも見習ってほしい技である。「○○ちゃんが、給食を食べ終わるまでの時間は、本校の観測史上最長です」とか「A君とB君の成績の差は、本校の男子一卵性双子成績ランキングの記録です」とかなんとか。(「いいとこ探し」になってません。ただの、いじめ?)

 話は変わるが、今日、喫煙所の灰皿を片付けようとしたら、空気清浄機のテーブルの上を微小な何かが動いていたので「灰が舞ってるのかな?」と目を近づけたら、それは、ダニくらいの微小な虫であった。
 反射的に、指で潰そうかと思ったのだが、そいつは妙にスピードが速く、私の指の下をするりと抜けて、また迷走。そのテーブルの上は、みんなが置きっぱなしにしてある、タバコやライターやマッチが産卵(してたら怖い)、散乱しているので、テケテケテケと走り出すと「あれ?こっちは行き止まりだ」と、障害物の1センチくらい前で「考え中モード」になり、またランダムに咆哮変換(え?)、方向変換して、ススススススっと走り、また方向転換して、スススススススっと、その巨大な障害物がランダムに立ちはだかる平面を実に時間をかけて、あちこちランダムに走り、とうとうとの迷路から抜け出たのである。

 あの虫を迷路に入れて実験してみたかった。正確にはわからないが、印象としては1秒で、タバコの横を駆け抜けたくらい早かったので、10秒で1メートルくらい走りそうな勢いだったのである。いや、もっと速そうに見えた。ゴキブリくらいのスピード感があった。あれがゴキブリくらいの大きさだったら、ゴキブリの30倍くらい早いと思うぞ。

 しかし、全長がせいぜい2ミリ程度なのに、あのスピードといい、障害物にぶち当たらなくても察知する能力といい、すごいメカニズムだ。
 私は、虫がああやって、行き当たりばったりに方向転換するのを観察するのが大好きである。勝手に擬人化しているので「んんんん?どーしよ、どーしよ」と考えて「えい、こっちだ」と行ってから「んんん?どーしよ、どーしよ」を延々と繰り返す。
 そこには「あー、また行き止まりだ。あたしって、なんでこんなに方向音痴なんだろう」という感情がないあたりが、仕事中に眺めると「癒し」になるようです。

 だって、今日は休み明けだったから、けっこうメールが溜まっていて、どれも内容は大したことないのだが、まず優先順位を考えつつ、黙々とこなしていたのだが、思ったより処理に時間がかかってしまったり、なんかやってる途中で電話が入り、その応対したら、何やっていたのか忘れたり、「30分もあればできるか」と思った処理が、やってみたらけっこうなパズルで、途中で行き詰まったので、また違う仕事をして、また戻っても、やっぱりわけわからなくて、今度は給湯室で食器洗ったりしてリフレッシュして、ついでにコーヒーをいれて、おやつを食べて「エネルギー・チャージ」してから、また仕事に戻り、けっきょく、足掛け2時間くらいかかってしまった。

 そんな夕方に、その虫を見たもんだから「あたしよりも、この人にやってもらったほうが、早く終ったのでは?」と、ぼんやり考えていたのでありました。

 えーと、それって「癒し」なんですかね(笑)?
7月26日(火)

 今日はお休み。
 でも、わかってはいたが、朝から雨。
 でも、自分が昼過ぎまで寝ているだろうということもわかっていたので、これでいいのだ。

 それでも、午後になって起きだし、気温はそれほどでもないが、蒸し暑いので、「そうだ、今日はどうせ、洗濯もできないし、風呂の掃除でもしよう」と、風呂場で水ジャブジャブして大掃除した。
 「激オチ君」でタイルや浴槽もこすりまくったので、汗だくだったが、こんな雨の日に室内で水遊びとは、贅沢である。
 ストレス解消にもなって、お風呂も心もさっぱりした。

 しかし、洗濯できないというのに、パンストのストックが無くなったで、雨の中、スーパーまで買出しに行った。
 台風接近だというが、都心はときおり強い雨が降る程度で、たいしたこともない。午後早い時間の方が、風が強かったようだ。
 家に帰って、天気予報を確認したが、これから接近してくるようで、明日の朝は晴れているらしい。明日は台風一過で暑いようだ。

 そういえば、昨日のニュースの「訃報」で、杉浦日向子が亡くなったというのを知って、びっくり。
 ガンでずっと闘病生活だったとか。
 すごく思い入れのある人ではないにせよ、漫画家として登場したときにはインパクトあったよなあ。荒俣宏と結婚したときも驚いたが、「そーいや、あのカップルはその後どうなったのだ?」と思ったときには、すでに離婚していて(友達にふと、そんな話をしたら「もー、とっくの昔に離婚したよ」と言われた)、奥菜ちゃんもびっくりのスピード離婚であった。

 その後、NHKなんかにも「江戸の解説者」としてよく登場していたので、うちの親なんかは多分、「藤沢周平の女版」くらいに思っているだろう。

 私は疑り深いので、杉浦日向子が書く「江戸礼賛エッセイ」についても、話半分くらいに受け取っていたのだが、シュリーマンの江戸訪問記を読んで、「うーん、やっぱし、けっこうよく出来た街だったのかなあ」と態度を軟化させていた。

 離婚といえば、杉田かおるもやっぱし離婚するらしい。
 セレブ婚と持ち上げられたが、結婚後、中途半端な位置になってしまったので、「芸能人としてはどうよ」と思っていたのだが、この流れをどう上手く捉えるのかは、ちょっと注目。
 もともと、あまり自己表現が上手くない人のように思えたので、だからこそ招いた「波乱万丈の人生」のような気がして、でも、それを開き直って語ると面白かったので再浮上したが(サンマの功績も大きいと思うよ)、せっかくの「セレブ婚」(実状はどうなのか知らないが)なのに、それに添ってイメージチェンジしなかったというか、できなかったというか、その後も「セレブ」を名乗りながらも、持ち前の貧乏臭さ(誉め言葉です)を引きずっていたので、やっぱ本人的にも「不幸な女路線」のほうが芸能活動を続けていくのなら、しっくり来るだろうから、よかったんじゃないでしょうか。

 でもなんか、「かわいそうな友達」を見ているようで、あんまし好きなタレントではないのだが。磯野貴理子くらい、「芸」として成り立っていると、あれはあれでいいんだけど。でも、彼女も「どーせ、私なんか独身よ」というネタが使えなくなったので、ちょっとパワーが落ちた。
 バラエティ・タレントって、ほんとに大変だなと、つくづく思う。

7月25日(月)

 土曜日は早朝出勤で(って言っても8時だが、いつもは10時なんで)、おまけにメンテナンス作業が難航したので、なかなか早く帰れず、そうこうしている間に大地震(笑)が起こったので、「電車大丈夫かなあ」なんてニュースを見ている間に、時間が遅くなり、そんでやっと帰ろうとしたら、やっぱし電車止まっていたりして、けっこうクタばれたし、日曜は午後からのイベント手伝いだったが、懇親会にも出席して、ワインがぶ飲みしたので(それは自己責任)、今日はかなりヘロヘロでした。

 ところで、昨日はそうとう出来上がっていたので、「なんか日記に怒りをブツけていたなあ」と後悔したのだが、さっき心配になって読み直してみたら、あんまし怒ってなかった。「くっそー、こ生意気なヤツ」と思っていたはずだが、けっこう気に入っていたらしい。ありがち。
 それに、よくよく思い出してみれば、私の変な質問にも笑顔できちんと答えてくれたんだと思う。ただ、あまりにも淀みなく答えてくれたので、それで余計に心の中でガルルルルと歯を剥き出しにしたのだろう。ただの負けず嫌いである。
 でも、ああいう頭のいい人は好きなので、そのあたりの「愛憎表裏一体」な感じは我ながら可愛らしい。

 さて、今日も午前中は派遣会社の営業さんとミーティング。
 先週、別の会社の営業と会ったのだが、だいたい同じ結論になった。「派遣」と「紹介予定派遣」は別モノだということである。

 先週も、部長にそのことを相談してみたのだが、部長は「とにかく、人物次第だから、たくさん会ってみれば?」とそっけないので、まずその部長との意見調整が課題だった。
 なので、体調悪かったんだけど、自分なりに精一杯、理論武装して、あと、こっちが実は大事なんだけど「あたしでは荷が重い〜どうしよ〜」という態度を前面にフィーチャーすることと、部長のご機嫌とりを念入りにやった。
 ま、サルとか犬だとしたら、まずゴロンと寝転がって白い腹を見せるのと、毛繕いに精を出したわけです。
 そういうのがとても苦手なのだが、でも、いくら仕事ができようと、毛繕いができない人を「できる人」とは言わないと、自分に言い聞かせた。

 部長も忙しいので、ちゃんと話をする暇があまりなかったんだけど、ご機嫌はそんなに悪くなかったので、(大変わかり易くて助かるのだが、彼が同僚Mちゃんにちょっかい出すときにはご機嫌なんだ。間違いない)、まず昼頃に「派遣会社2社と話しをしてみたが、だいたい内容は同じでした」と、人を説得するときに有効な「みんなそうなんです」をチラつかせて、「派遣」か「予定紹介」か決めないことには前に進めないので、私、困ってま〜す、を表明。
 でもやはり「それよりも、人物だろう」というようなことを言われたが、そこで反論はせずに「でも、でも、でも〜」で「私にはどうしようもないんです」というあたりをアピールしたところで、来客があったので中断。

 私と部長のマシンに、とある有料データベースの登録をお願いしたので、それの登録と使用方法を説明しに、けっこう若くてハンサムな下っ端がきたのである。
 部長はその後、会議が入っていたので、先に作業してもらってから、私のをゆっくりやってもらった。
 初めて会う人だったが、下っ端だし、こっちはオネーさんモード全開。リラックスして会話できたので、向こうがいろいろ説明してくれると「えー、なにそれ、まるで○○みたい」なんて、得意の「コメント力」を発揮したら、そいつも「なるほど、その例えは面白いですねえ、なるほど、そうですね」と普通にウケてくれたので、オネーサン調子に乗って、ネット上では済まないオプションの調査がなんと「回数券式」と聞いて、「なにそれ、エステ・サロンみたい」と笑いながら言ったら、向こうも恐縮して「ええ、まあ、うちの会社もお客さんからお金を頂くために、いろいろ考えているみたいで」って、笑いながら言っていた。

 そんな感じで、朝から来客と「さて部長をどう料理するか」で時間を消耗していたので、精神的にも消耗しまくってしまった。外部の人と、ほとんど接しないので(来客応対とか、馴染みの業者とのやりとりはあるが)、「普段使わない筋肉」がたくさん動くので、ヘトヘトになるのだ。

 もともと、体調悪かったので、午後3時には「もう帰りたい」と弱音を吐いていた。
 でも、部長が戻ってきたので、話を詰めないといけなかったのだが、4時には外出して戻らないらしいし、明日は部長がお休みだから、私も休むことにして、「さっき、途中になっていた話は、明後日ゆっくりしましょう」と言ったら、私の三顧の礼がやっと認められたらしく、部長がいきなり結論モードに入った。

 おまけに、あんまし聞きたくなかった「今後の人事異動の展望」まで話されてしまったよ。うぎゃー。
 実は、「なんかまた動きがあるらしい」っていう情報を他部署の部長が酔っ払っていたときに一緒に帰宅した際に、小耳にしていたのだが、やっぱりそういう構想が具体的に動いているんだ。

 まあ、聞きたくない話ではあったが、そのあたりのビジョンをある程度把握しておいたほうが、人員補充の際にも必要だから助かるんだけど、でも、その話でもう、本格的にぐったりして、疲れたときの定番の「左眼が痛くてもう、パソコンの画面見てらんない」になったので、定時きっかりに退社いたしました。

 これで一山超えたわけで、あとはまた派遣会社に「こういうことになりました」って説明して、スタッフとの面談で・・・・・ああ、当分の間、自分のペースで仕事ができんわ。そう時間をとられることでもないのだが、なにしろ引き篭もり気質なので、他人と話をするのがストレスで・・・・・

 家に帰って、テレビをつけたら、レアルがヴェルディにボコボコにされてましたが、宇宙人軍団も体調不良でダメダメなことがあるんですね。ちょっと勇気づけられました。
 それにしても、超ダメダメすぎますが・・・・

●「ねじの回転」ヘンリー・ジェイムズ

 「S・キングも脱帽!」という帯びで、キングの隣に平積みになっていたので、私よりもさらに「ヘンリー・ジェイムズ?誰それ?」って人がけっこう買ったと思う。

 しかーし、キングは稀代のエンターテイナーであるが、ジェイムズ先生はやっぱし前世紀・・・・おっと・・・・前々世紀の偉大なる芸術家でありました。

 「おおー、どーなるんだ、どーなるんだ」と惹きつけるだけ引き寄せておいて、ズガンと崖から落とされてしまった。
 ちゃんと全部説明してくれないのだ。「行間は自分で埋めろ」という、コノヤローな技。

 たしかに、キング好みの作品というか、後からよくよく考えれば、「シャイニング」とほとんど同じ話なのだが、エンターテイナーと芸術家では、こんなにやり方が違いますということを考えさせるし、あと時代的な背景もよくわかんないと、よくわかんないのだ。

 天使のような良家の幼い兄と妹が悪霊に取り付かれている「らしい」のだが、その悪魔憑きの描写が、「現代だと、中流家庭の普通の生意気な子供」ていどなので、主人公が「ああ、なんて恐ろしい」っていう気持ちがあんまし染みてこないのだ。
 解説によると、この小説は「読者の心を映し出す」そうで、たしかに、ヒネた現代人が読むと、「全部、この主人公の家庭教師の妄想でしょ?」と解釈したくなる。こういうサスペンス映画ありそう。で、主人公が「悪魔が、悪魔が憑いているのです」と形相変えて喚いている間に、幼い兄妹は、親類の手で避難させられるとかいうオチ。
 で、ドンデン返しで、その新たな保護者も、亡霊を観て・・・・・そこでエンドクレジットが流れ出す。ありそー。

 ま、いいんです。これからも読みますよ。そんで、ざっと代表作読んでから、またロッジ先生の「作者を出せ」を読むという気長な計画。

 さて、話は変わるのだが、先日、親会社と共有しているシステムに「貸し本」があるのに初めて気がついた。福利厚生が利用できるシステムで、ビデオやDVDのレンタルはあるのは知っていたが、本があるのには気がつかなかったのだ。もともと、文房具発注でよく利用するシステムなので、私は以前いた「暇そうな事務アシスタント派遣社員」にそういうのは口頭で依頼していたので、自分で触らなかったのだった。
 アシスタントを置かなくなってから、やっと自分で発注するようになったのである。

 そんで、ぼんやりと「貸し本リスト」を眺めていたのだが、当然のことながら「業務に役立つ本」ばっか。
 親会社の社長の趣味だろう。彼はかなりの読書家で、しかも心理学関係が大好きなので、そういうのとか、ビジネス本ばっかだった。あと、環境保護系とか。

 「うわー、予想通り、超つまんねーラインナップ」と、笑いながらスクロールしていたのだが、ふと、手がとまった。「コニー・ウィリス」という文字列が目に入ったのである。
 「え?」と思ったが、珍しい名前でもないので、「犬は勘定にいれません」の作者とは同姓同名なのかと思ったが、でも、本の題名が「わが愛しき娘たちよ」なのは知らない題名なのだが、訳者名までご丁寧に載っていて、それが「大森望」だということは、やっぱ「犬は勘定に入れません」の人だよな。

 確認したら、やっぱしそうだった。あともう一冊「リンカーンの夢」っていうのもあって、どっちも現在は入手困難らしい。

 でも、なんで、全部で100冊くらいしかリストアップされてないのに、ぼそりとSFが混じっているのだろうか?
 もしかして、親会社の社長は、SFマニア?

 他にも数冊だけぽつねんとSFがあって、チャールズ・プラットの「フリーゾーン大混迷」っていうのも、やはり大森望役。
 あの社長、ひょっとして大森望信者?(爆)

 せっかくだから、借りてみたぴょん。
 誰もそんなもん借りないだろうし。もしかして、変に動かすと、社長に指令が行く仕組みになってたりしないよね(笑)自動で、メールにお知らせが行ったりして。

 ま、いいや、親会社の社長とはめったにお会いしないのだが、もし今度、ご機嫌がいいときにお話する機会があったら聞いてみよう。もっとたくさんコレクションが埋蔵している可能性大。たぶん、ご本人的には、「おすすめ」をそこに載せていると思うので、傾向をチェックしてみようと思ったのだが、「フリーゾーン大混迷」は、スクリューボールコメディ系だった。単純に面白いので、いい息抜きになっております。他のはどうなんだろう。コニー・ウリリスも次に借りてみよう。

 あ、でも、私が「社内貸し本システム」で、数少ないSFを片っ端から借りてたら、いつのまにか数が倍増していたりしたら、ほんとに恐ろしいな(笑)
 どうしよー、それで親会社の秘書室に引き抜かれたら(妄想)。
7月24日(日)

 午後からイベントの手伝い。
 個人的な予想通りに、客は少なく、ほとんど「動員」として客席で過ごした。

 音楽イベントだったので、いろんな人が演奏していたのだが、やっぱ、男は50歳過ぎないとダメね。
 プロだとまた、違うのだが、セミプロくらいだと、若いやつはどうしても「上手くやってやろう」という気合が邪魔するようだが、還暦前後の人たちは「ただ、演奏したいからやっている」というのと、「でも、やっぱ、やるからにはウケたい」というのが混じって、けっこう有名曲を平然として演奏する。

 それが、プロレベルで考えると、決して上手くはないのだが、あの適度に気の抜けた熟年の演奏っていうのは、実は金払えば見られるものでもないのだ。私が父ちゃんの合唱部の発表会をけっこう楽しみにしているのも、そういう理由だ。そこそこの演奏レベルがあるけど、プロを目指すほどのもんでもなく、「でも、自分らが楽しければいいや」っていうのを20年とか30年やりつづけると、けっこう面白い演奏になるんだ。

 実際、若手で、わりと世間でも認められている人の演奏もあったんだけど「これを無料で聴くんだったら、1万円払ってプロの演奏聴いたほうがいいな」と思った。うまいっちゃ、うまいんだけど、うまいだけで、おもしろくないの。

 でも、ある若手の「うまいだけ」の演奏がちょっと心に残ったので、イベント後の飲み会で、少し酔いが回ったあたりで、その人のいる席に突入してみた。
 その席は、私の元上司もいたので、入りやすかったのだが、その前に様子をうかがっていたのでわかっていたのだが、その若手の演奏家が一人で喋っていたのだ。

 その人は、演奏で身を立てているわけでもないので、ちゃんと本業があったのが、その本業の自慢話をずっと語っていた。久々に、ああいう人に会ったな。仕事絡みだったから、適度に相槌うちつつ、適度に質問して盛り上げていたつもりだったが、プライベートで会った人だった、こてんぱに絡んでいただろう。

 彼の本業は所為「理系」であるのだが、演奏に関しても理系マインドで、「好きな作曲家は?」と聴いても「好き嫌い」は表明しなくて、「とにかく、全部を完璧に自分のものとして演奏したい」という、数学の難問に挑むような態度であった。本業が忙しくて練習時間が少ないようなのだが、それに関しても「自分の技術はそれなりに完成されているので、あとは、譜面の解釈の問題」と平然として言う。

 彼は自分の中での完成度しか眼中にないようで、それが他人にどういう影響を与えるか、どう感動してもらうか、っていうのは、あまり考えてないようだった。
 そういう考えは、プロっぽいというか、グレン・グールドなんかも、人がどうこうよりも、自分がどう演奏したいかを追及していたし、手法としては理系に近いやりかたで、でも、それがなぜか、人の心を掴んだので、名演奏家として名を刻まれているし、多くの名演奏家というのは、そういうもんなんだと思う。

 なので、志という部分では評価できるのだが、世の中には「志は一流だったが、けっきょく一流になれなかった人」というのは、たくさんいるのだろうし、それはクラシックだけじゃなく、「ゆず」はあれだけの客を集めることができるが、似たような曲をいくら下北の路上で演奏しても、そうならないストリート・ミュージシャンのほうが圧倒的に数が多いのだ。

 聴く側も、その違いを言うのは難しい。ただ、「ゆず」には数千円支払えても(コンサートやCDで)、「ゆずもどき」には、無料でも足を運ばないっていう厳しさはある。その差は小さいんだけど、けっこう大きい。
 そのあたりの「君の演奏はたしかに上手いが、残念ながら、私の心を揺さぶらなかった」ということをきちんと説明したかったんだけど、仕事がらみだから、ちょっと言えなかった。

 いつか、別の場所で出会ったら、ボコボコに言ってやるから首洗って待ってろ。

 とは言っても、自分も、そういうゴチゴチのヤツの殻をむくほどの才能に恵まれているとは思わないが、私が、ちょっと言ったことで、向こうが歯を剥き出しにして笑っていたので「勝った」と一瞬思った程度で、そんなもんである。
 だいたい、そんな飲み会で出される安赤ワインをグラスを傾けて、地道に空気にさらしてるヤツには絶対負けない自信があるのだが、時間切れで勝負がつかなかったのさ。まあ、二度と会うこともないだろうが、30年後に会ったら、円熟した演奏を聞かせてくれるかもしれない。

 カメの甲より年の功、という言葉をゆっくり噛みしめた、今日のイベントお手伝いでした。
7月23日(土)

 関東地方の皆様へ。
 「いやー、凄かったっすね、地震。震度5ですよ。5! もうダメかと思いましたね。ははははは」

 新潟及び、阪神・淡路島の皆様へ
 「震度5くらいで、大騒ぎしてすいません。あんなの、新潟だと、ただの余震ですよね」

 今日は出勤していたのだが、フロアには私とM嬢しかいなかった。
 会社のある街に2つある「大きなイベント会場」はどっちも、私でも知っている「超有名日本人バンド」がコンサートを開催しており、昼過ぎからけっこうな人が出ていた。

 窓から外の人の流れを時々観察していて、「もう、あと30分で開演だから、人も減ってきたね。でも、車が渋滞してるなあ。きっと駐車場がいっぱいなんだろうなあ」なんて喋っていたら、M嬢が「あ、地震?」
 私は窓辺で立っていたので、体感するのが彼女よりコンマ遅かった。

 「あ、ほんとだ」
 なんて言ってる間にも、だんだん揺れが強くなってきて、「あれ?けっこう揺れてない?」「こんなに揺れたのはじめて」「けっこう長いよ」「大丈夫かな」と、二人でオロオロしていた。非常口でも開けようかと思ったが、そんなにガクンとくる直下型のような恐ろしさもなく、ただ、古いビルがずっとユラユラと揺れて、ブラインドがギシギチと唸っていた。

 外を見ると、歩いている人たちも、みんな立ち止まっている。
 街灯が、びっくりするくらいシナっていた。
 しばらくして、ビルの揺れはとまったが、ブラインドだけがしばらくギシギシと鳴っているのが不気味だった。

 二人とも、わりと冷静だったが、会社でも有名な地震嫌いの女子たちの心配をしてしまった。
 彼女らは、震度2くらいで「あ・・・地震?」ってかんじで、座っている人がじ手をとめて、立っている人は「え?地震なの?え?え?あ、そういえば揺れてるかも」程度のときでも、大騒ぎするのである。「みんな、なんでそんなに平然としてるの?」と大声で叫んでいたりする。

 なので、M嬢と二人で「Kちゃん、心臓発作起こしてないかなあ?」と心配しつつ、「わー、長い地震だあ」とオロオロしていたのである。
 地震がおさまったら、さっそくテレビをつけて「震度4はいってるよね?」と予想していたのだが、「震度5」が出てたので大興奮。
 「4は、たまにあるけど、5なんて、生まれてから2度目くらいだよ〜」

 さて、そんなかんじで、地震速報で「5」と「4」でびっしり埋まった関東地方の地図を見るたびに、なんだか成績優秀者になったような(私の時代は、小学校の通知表は5段階評価でした)気分に浸っていたのだが、「さて、今日はもう帰るか」と思っていたら、大相撲中継のテロップで流れるのは「電車不通情報」であった。

 空港や新幹線は点検に手間取るのは覚悟していたし、覚悟っていうか、そもそも利用してないのでどーでもいーが、「東京の地下鉄全線」「山の手線」「中央線」と、都内の鉄道はマヒ状態らしい。
 でも、ずっと眺めていたけど、会社近辺の電車の情報は流れていなかった。

 メンテナンスの立会いで、8時過ぎに出社していたので、5時には帰るつもりだったのだが、「うーん、大丈夫なんだろうか?」ってやっているうちに6時近くになったので「ま、どうにか帰れるでしょ」と会社を出た。
 横浜市営地下鉄は、ちゃんと運行していたんだけど、あざみ野で田園都市線に乗り換えるときに、「あちゃーーーー」

 東急はちゃんと動いているのだが、田園都市線の「渋谷−二子玉川」というのは、地下鉄の範疇なのである。そのせいなのか、渋谷から先が動かないから、二子玉川折り返しなのかわからないが、とにかく、三軒茶屋には電車では行けないのだ。

 ニコタマから大井町線に乗り換えて、自由が丘で東横線で、祐天寺からバスか徒歩という手もあったし、そっちが現実的なんだけど、まだ時間も早かったので、「とりあえず、用賀まで歩いてみよう」と歩き出した。

 でも、電車が急に不通になると、駅員に詰め寄る人が必ずいるけど、今回は「大震災」だとわかっていたからか、土曜日だからなのか、客はみんな淡々をしていた。
 「待っていれば、そのうち動くだろう」とニコタマ駅で、のんびりと座り込みをきめた人も多かった。

 用賀まで歩いてみたけど、やっぱり運行のメドが立たないらしい。
 バスも出ているが、みんなバスを利用するしかないので混んでいたから、「そうだ、世田谷通りまで歩いちゃえ」と、結局、馬事公園まで歩いてからバスで三茶につきました。会社を出たのが、6時前だったが、三茶についたら8時半くらいになってしまった。

 ああ、電車って有り難いものなんだなあ。なーむ。(早く復旧するよう、祈ってます)

 地震の少し後に、休みをとっていた上司たちから「大丈夫だったか?」と電話が入ったけど、オフィスは特になんの問題もなかった。でも、上司の自宅では花瓶が倒れたりしたらしいので、「我が家も大丈夫か?」と心配していたのだが、部屋に入ると、特に異常はなかった。

 てゆーか、元々、床にたくさん物が散らばっているので、どれが落ちたのかわかんない。

   でも、我が家で一番揺れる、「おフランス製 積み立て式CDラック」の上に置いてあった、象のぬいぐるみは、満員電車で急ブレーキかけた状態に片方に寄っていた。その下に1個だけ、小さいのが飛ばされて床に落ちていたのが、たぶん、(昨晩私が酔っ払ってやったんじゃなければ)、唯一の地震の被害。
 
   自宅の近辺は震度4くらいだったらしいけど、その程度だと、被害もこの程度なんだな。自宅も震度5で試してみたかった。

 というわけで、東京は、ちょびっと雪が降っただけでも「首都圏マヒ状態」と騒いで、雪国の住民の失笑を買っているが、震度5でも、けっこうマヒマヒでした。でも、電車動いてないっていうのに、浴衣着たカップルが駅に向かってましたが・・・・今日は、どこの花火大会?まあ、乗る路線さえ動いていれば、都心からの客は来ないので、穴場になるかも。

 それなりに被害は出ているようだが、土曜日のそれも夏休みの午後4時半というのは、一年中で最も火の気が少ないと思うし、まったく東京は甘やかされてるよね。
 そんで、個人的にというか会社的にも、これが明日だと、ちょうどイベントが終る直前だったので、電車が止まってしまったら大騒ぎだった。せーふ。

 でも、最初のコメントに戻るけど、「ああ、そうか、新潟の人は、ずっとこのくらいの余震に悩まされていたんだなあ」と実感できて「これじゃあ、ほんとに自動車の中で寝るわなあ」と、わかっているつもりであったが、実際に「このレベルの揺れ」を体験すると、その辛さがさらに身近に感じられるものである。

 そういえば、地震の直後に他のフロアにちらほらいる社員も、総務にやってきて「わー、すごかったね」とエールの交換しにきたのだが、その中でも、サーバ管理しているシステム部の当番だった若手社員が「部長から電話かかってきて、サーバ室を点検せよって言われたんだけど、あそこエレベータでしか行けないから(保安上の理由で)、行きたくなくてさあ」と笑っていた。

 たしかに、あの直後にエレベータに乗るのは、なんとなくイヤで、私も緊張しちゃったもん。せいぜい7階のビルでも、そんなんだから、60階のビルの人とか、そうとう怖かったでしょうね。
 高層ビルがどんな揺れだったのか、きっと、今日は、体験談がネットで飛び交っているんだろうな。
7月22日(金)

 手持ちの本が無くなったので、昨日は近所の本屋に寄ってみたのだが、「なーんか文庫でも買うかね」と思ってウロウロしていたが、この時期、書店は「夏休みシフト」で、新潮文庫の100冊なんかがズラリと並んでいる。

 「ふーん、そうだ、海外ミステリーなんかが、夏にはいいかね」と思って、その手の棚に行くと、スティーブン・キングが平積みになっていたので、「そうそう。夏休みにはいいよね。こういうの。あたしも、もう少し賢けりゃ、キングで夏休みの読書感想文書いたなあ」なんて思っていた。(あんまし賢くなかったので、漠然と島崎トーソンなんかで感想文を上げた自分を「つまんないヤツだった」と、ちょびっと悔やんでいるのだった)

 そしたら、キングの文庫の横に、なにか見慣れた名前が・・・・
 えっと、なんで、この作者名にも題名にも見覚えがあるのだろう?

 しばらく、真面目に考えていたが、「ヘンリー・ジェイムズ」って、あのヘンリー・ジェイムズ!ということをやっと思いついて、念のため(同姓同名が多そうな名前。ジョン・スミスみたいに)裏表紙の「あらすじ」と帯で確認したが、やはり、ロッジ先生が「伝記風小説」を献上した、あのヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」だった。

 「スティーブン・キングも絶賛!ホラー小説の原点!」という、ふれこみで、キングの隣に平積みされていたのである。
 うわー、全然知らんかった。
 そもそも、ロッジの「作者を出せ」を読むまで、ヘンリー・ジェイムズなんて、「なんとなく、名前を聞いたことあるような」な作家であった。「作者を出せ」を読んでやっと、オスカー・ワイルドなどと同世代の「近代小説の祖」であることを知ったくらいだ。彼がいなかったら、バージニア・ウルフも、ジョイスも出なかっただろう、とか、なんとか。

 自分がこんなだから、「欧米では森鴎外みたいな位置なんだろうけど、日本ではちゃんと読んだ人少ないじゃないかな」と勝手に思い込んでいたし(自分中心主義なので)、実際、図書館で検索してみても、あまり気軽に読める本がなかった。たまたま、図書館に福武書店の文庫本に収まっている短編集があったので、「なんだ、けっこう読みやすいじゃん」と、楽しんだのであるが、他も読もうと思っても、日本でその著書をかき集めるのは一苦労のようだった。

 それがそれがそれが、世界的なベストセラー作家の横に平積みになっているとは!
 ヘンリー・ジェイムズが、ロッジの描く「作者を出せ」そのままの人物だと仮定すると、この光景を見て、どう思ったであろうか。

 だいたい、「作者を出せ」にも、「ねじの回転」という著作のことは出てきたが、その題名を見て「ねじ式」みたい、と思ったので、キングの愛読者で、かつ「ねじ式」を知っている人だったら、「500円だったら買ってみるか」と思うだろう。知らない作家であるが、キングのファンは、ドキドキできればなんでもいーのである。さらに、キングのファンは、わりと買って読む人が多いような気がする。コスト・パフォーマンスがいいからである。
 そんで、キングの本は、いつもブ厚く、しかも上下巻だったり、数巻あったりするので、数千円の投資を惜しまない。映画2本観たと思えば安かろうと思えるのである。

 「キングも脱帽。ホラーの本家本元」の帯のついた「ねじの回転」がどれだけ売れるのか、知りたいところである。わたしはもちろん、買ってしまいました。

 話は違うが、日本の代表的「怪談」である「耳なし芳一」であるが、自分がそれが大好きであることはわかっていたのだが、ここ最近、「異常に好き」であることがわかってきた。

 とにかく私は、「耳なしホーイチ」と、言葉に出して言うのが大好きらしく、たとえば、ゴルフに行った会社の上司が「いやー、耳だけ日焼け止め塗るの忘れて、ボロボロになってしまった」と嘆こうものなら「耳なしホーイチ状態ですね。ちゃんと耳にもお経書くように」と、教育的指導を毎年している。
 うちのパパンが、昔、単身赴任していた岡山のあるご隠居さんと(たぶん、座禅しに行った寺で知り合ったのだろう)「はがき文通」していて、葉書に小さな文字でびっちり書いているのを見て、「おとーさん、なにそれ、耳なしホーイチみたいなことして」と言ったりした。父は、その例えがけっこう面白かったらしく、父だけど「ははは」と笑ってくれた。

 最近の事例では、そのくらいしか思い浮かばないが、「字がびっしり書いてあるもの」「一部、字や絵を書き残したため失敗したもの」を見つけると、すかさず「耳なしホーイチ状態」と指摘せずにはいられないのだ。

 なんで、こんなに「耳なし芳一」が大好きなのか、自分でも説明できない。
 まあ、自分のことをこうして発掘するのも、アホらしいというか、わざわざ自慢するほどのことでもない。ツタンカーメン王が、自分の墓の発掘作業を手伝っているくらいアホらしい。古代エジプトの少年王が現代に蘇ったら、ゲーセンに連れていったほうが健全である。たぶん、とっても喜んでもらえると思う。

7月21日(木)

 そういえば、SMAPの新曲が発表されて、それが前評判だと「小森田さん作曲で、SHAKEみたくノリノリ」だったので、けっこう期待していたのだが、スマスマで披露された曲を聴いてア然。
 そういえば、「クドカン作詞」って言ってたな・・・・それにしても、クドカンちょっとヤリすぎなんじゃ・・・・せっかく「タイガー&ドラゴン」で、ちょびっと評価を上げたのに、また下落した。私にそんなこと言われても、痛くも痒くもないだろうけど。

 まあ、こういうものは、最初は違和感があっても、何度も繰り返し耳に入ると、なんとなく慣れてしまうものだし、そうなると癖のあるもののほうがしっくり来たりもするんだが、歌詞はいいとしても、曲もそうとう捻ってある。
 つーか、キムタクの歌唱力(というか、歌唱力があるようにゴマかせる器用な才能)に挑戦しているようにしか思えない。現時点では、さすがのキムタクも「自分の曲っぽく」歌えてない。AIKOの曲をなんとか頑張ってこなしたときと同じ感じだ。
 うーむ、さすがコモリタさん、とニヤリとしたが、キムタクのこと心配しているバヤイではなく、あたし、あの歌、カラオケでぜってー歌えないような気がする。
 でも、仲居君は楽しそうだった。スマスマでも、唄い終わったあとにボソリと「やっぱ、バラードのほうがよかったんじゃないの?」って、台本だと思うけど、つぶやいて、笑いをとっていた。

 うーん、でも、野島伸司(らいおんハート)とかクドカンはイマイチだから、やっぱいつか、小森田実作曲、オザケン作詞っていうのをSMAPに唄わせたいなあ。合うと思うんだけどなあ。なんちゃってモータウン魂が。

 歌詞といえば、先日、父の合唱サークルの発表会での幕間に「では、会場の皆様もご一緒に」と唄わせた唱歌は「夏は来ぬ」と「夏の思い出」であった。
 パンフレットに歌詞カードが挟んであったのだが、「夏は来ぬ」(ちなみに「きぬ」と入力すると変換してくれましぇん。美しい日本語がぁぁぁ)の歌詞を眺めていたら、まさにゲシュタルト崩壊してしまった。

 ばーっと見たら、全然意味がわかんなかったのである。これ何語の歌?ってかんじ。


 卯の花の匂う垣根に
 時鳥(ほととぎす)早きもなきて
 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

 五月雨(さみだれ)のそそぐ山田に
 早乙女(さおとめ)が裳裾(もすそ)ぬらして
 玉苗ううる 夏は来ぬ

 橘のかおるのきばの
 窓近く蛍とびかい
 おこたり諌むる 夏は来ぬ

 棟(おうち)ちる川辺の宿の
 門(かど)遠く水鶏(くいな)声して
 夕月すずし 夏は来ぬ


 よくよく眺めて、一度唄えば、意味がわかってくるのだが、「玉苗ううる」を「玉苗うるるん」と読んでしまい、「????????」と0.3秒くらい悩んだ。
 「かおるのきばの」も「香るの木場の」と変換してしまった。
 「くいな」っていうのは、ヤンバルクイナの仲間なんでしょうか?

 この歌、歌詞を見ながら聴けば、それなりに意味がわかるけど(「おこたり諌むる」の意味だけ、とうとうわかりません)、歌詞がわからないまま聴いていたら、さっぱりわからないと思う。
 そういえば、小学校のとき、みんなで講堂に集まって、「蛍の光」と「あおげば尊し」の歌詞の意味を説明されたな。「いととし」なんて、全然意味わかんねーかったもんなー。

 今週はまた土日出勤なので、今日はお休み。
 総務部は人数少ないのに、日曜日のイベント仕事を割り振られると、前後の休みを確保するのに苦労する。

 A嬢から「遊びに来て来て」コールが盛んだったので、やっと遊びに行った。
 昨日、確認のメールしたら、「3時過ぎには家にいる」とのことだったので、4時過ぎくらいに到着すると告げておいたのだが、本屋に寄っていたら、5時近くになっていたので、駅で電話もせず直行したら、留守だった。
 ケータイで電話したら(こういうのが多いから、ほとんど使用しなくても渋々携帯している)「あ、ごめーん、少し遅れる」と言うので「どれくらい?」と聴いたら、「えーと、Nちゃん(ご子息)が・・・」と語り始めたので、「ま、いいや、とにかく5分や10分じゃなさそうだから、駅まで戻って、お茶してる」と言って、また15分の道のりを戻った。

 30分くらいしたら電話があったので「○○の前のサ店にいる」と行って、すぐ着きそうだったので、会計を済ませて店の外で待っていたら、ベビーカーに「御輿に乗った秦の皇帝」のように憮然と座っているご子息と共にA嬢がやってきた。

 昼の用事は済んで、3時には家に戻っていたそうだが、ご子息がどうしても外に出たがるので、いつもの「電車鑑賞ポイント」まで行ったのだが、その先まで、たったか行こうとするので、しょーがないから追いかけていたら、次の駅の近くまで行ってしまったあたりで、私から電話があったので、隣の駅から電車に乗って帰ってきたらしい。

 前回、訪ねたときには、ゾウアザラシの親子のように部屋でゴロゴロしていたA親子であるが、いつのまにか、ご子息が活発になり、「とにかく、朝目が覚めると、すぐ外に出たがり、昼に戻るのだが、またすぐ外に出たがって・・・」と嘆いていたが、おかげでAはすっかり日焼けしていた。

 「健康的じゃん・・・・」としか言いようがない。

 まだ2歳のご子息は、いつのまにか電車に目覚めてしまったらしく、電車鑑賞スポットからなかなか立ち去ろうとしないので、日を遮るものもない線路ぎわでジリジリと日焼けしてしまうらしい。

 男の子って、なんであんなに電車が好きなんでしょうね。よく「男女の差は生まれつきではない」と主張する人がいるが、電車好きに関しては、ほんとに「生まれつき」としか言いようがない。私も以前は「それは、そういうのを周囲の大人が期待するから、という要素もあるのではないか?」と思っていたが、たしかに、パパがメカ好きな場合、男の子供と趣味を共有しようとすることもあるが、Aさんちは、ダンナはテクノおたくであるが、電車や車には全く興味がないし、Aもそういうのには興味がないわけで、それでも、ご子息は動く車が大好きで、車道に駆け寄っていってしまうので、目が離せなくて疲れるのだそうだ。

 なーんか、子育て苦労話を聞いていると、サイバラさんちのご子息と似たタイプのようだ。
 「ダーリンは外国人」を読むより「毎日かあさん」のほうが、いいと思うぞ。
7月20日(水)

 会社の近所にある「チケット屋」の張り紙に、こんなのがあった。
 「サンタナ ハンコック ショーター 横浜アリーナ 6000円 一枚」

 なんすか、それ?
 私が知ってる名前そのまんまだとすると「ウニ イクラ トロ」みたいに濃いぞ。
 調べてみたら、ほんとにそのまんまでした
 チャリティー色が濃いみたいだが、でも「ウニ イクラ トロ」で「世界の平和」とか「子供たちの未来」とか言われてもねえ?

 軽い先入観とジャブしつつ読み始めた「くらやみの速さはどれくらい」は、読み始めたらハマってしまって、昨日も帰宅したのが遅いせいもあったけど(飲んでました。焼酎たくさん)、午前1時まで読んでしまって「あー、最後まで読みたい」と思ったけど、あと5ミリ残して寝たのであった。

   「先入観」というのも「ノーマル」の特権なのかもねえ?
 自閉症の話だし、SFというほどSFSFしてない。
 「新しい太陽の書」や「ハイペリオン」を読み終わった私にとっては、SFというよりは「ダロウェイ夫人」のほうが近いように感じた。

 自分と違う人の「意識」をずっと鑑賞するのである。
 でも、この小説では、それが自閉症の人の思考だから「自分とかなり違うな」という印象を持つが、でも、考えてみれば、小説を読んでいて楽しいのは、こういうことなんだよな。
 「自閉症SF」というよりは、「そっか、身近な人たちが何考えているか、よーわからんことが多いけど、こういうことなんだよなー」という、どっちかというと「頭のいい人/悪い人」みたいな(って、読んでないけど)、ハウトゥー本だった。

 自閉症の人と接したことがないので、あんまりよくわかってないんだけど、漠然と「自分も、どっちかというと、自閉症気質」だと思っていたが、この本を読んで、確信が深まった。
 子供のころ、他人との接し方がよくわからなくて、とても困っていた頃のことを思い出した。
 親は「子供らしく快活に挨拶せよ」と、頭ごなしに指導したが、なんで挨拶なんてしなきゃいけないのか、さっぱりわからなかったのだ。

 あと、今だに戸惑うのが「距離」
 すれ違う人と挨拶する、というのは習得したが、20メートルくらい離れたところにいる人に「こんにちわー」と挨拶するのには、今だに苦手というか、考えすぎてしまうのである。

 それがもし、とても親しい友達で、久々に会うのだったら、「思いっきり手を振って、会えて嬉しいという態度を表明する」のが正しいと思うが、でも、相手がなにかやっている場合、それを邪魔してまで挨拶するべきなんだろうか?そんで、たとえば会社の人が、向こうの信号を渡ろうとしているときに、大声で「こんにちわー」と言うのはやり過ぎだと思うが、じゃあ、距離が10メートルでも相手が私に気がつかない場合は・・・・

 だいたい、会社の近所を歩いている場合でも、いったいどの時点で挨拶すべきか、毎回すごく悩む。
 で、こっちが挨拶の助走としてニッコリ微笑んでみても、相手は何か考え事しているのか、目が悪いのか(けっこうこれが多い)私に気がつかないですれ違ってしまう場合も多い。それは、私が悪いのか、相手が悪いのか・・・・そもそも、挨拶ってそんなに重要なのか?

 飲み物を買いにいったコンビニで、他部署の若い男の子が漫画雑誌を立ち読みしている場合には、私は気がつかないふりをする。でも、私がコンビニで立ち読みしていると、ポンと肩を叩いて「なーに、サボってんだよ」と言われると、ちょっと嬉しかったりもする。

 けっこう、いろんなことは他人の行動から学んだ。会社の外で、「女の子」とすれ違う場合、向こうがヘラヘラ〜と手を振ってくれると、こっちもヘラヘラ〜と手を振ればいい。
 向こうがそうしてくれると、「彼女は私を気の置けない人だと思っていてくれるのだ」と思える。
 そんで、私は中途入社といえども、30代後半の「経理のお局様」でもあるので、中にはきちんと会釈をしてくれる若い社員もいるが、そういう堅苦しいのは苦手なので、ヘラヘラ〜と手を振って応えたりする。

 そんで、自分も、上司や他部署の部長に、ヘラヘラ〜と手を振ると、向こうもわりと悪い気はしないようで、ヘラヘラ〜と手を振りかえしてくれたりする。
 しかし、取締役相手にさすがにそれはできないのだが、どのタイミングで会釈をするか、いっつも悩む。

 でも、ある程度、条件付けされているので、「よくわからないときには、丁寧にやればいい」と、上下関係が曖昧な相手には、先にへりくだったほうがラクなことは知っている。

 健常者は「相手の表情や声色で、相手が何を考えているのかわかる」と自閉症の人は思っている、ということが、この小説では描かれているが、いやいや、そんなことはありません。
 特に私は、男子の態度を読むのが苦手である。
 というか、女子はわりと、不機嫌をそのまま表現するのを好まないので、男子に言わせると「仲良さそうだったのに、いきなり仲悪くなったみたいで、わけわからん」らしいが、私には男子の「好き嫌いではなく、自分がダルいかご機嫌かで態度が全然違う」というやり方のほうが、わけわからんので悩む。

 朝はすごく不機嫌で、挨拶もロクに言わないやつが、午後になると急にお調子者になるのが理解できないのだ。
 女子だと、体調不良でとてもダルい場合、それを「こんな仕事やってられない。職場の人たちもサイテー」という態度にとられるのを恐れるので、「機嫌が悪いのは体調が悪いからです」とういのをなるべくわかってもらえるよう、大袈裟に表現するので、周りの人もその「私は体調が悪いの。気がついて」オーラを感じ取り、「風邪ひいた?」というと「いやー、飲みすぎちゃって」とか「エアコンかけたまま寝ちゃって」と、いろいろ言い訳をするという、「毛繕い」をして丸くおさめるのであるが、男子が同じような状態だと「もう、オレ、こんな会社、今日辞めてやる」というようなダークサイドなオーラを感じるので、どう話し掛けていいのかわからない。

 女子だと「なんか、調子悪そうだけど、だいじょぶ」と声をかけると「わかってくれてありがとう」な態度を見せるのだが、男子だと「それがなにか?あんたに関係ないでしょ」という顔をするので、ビビるのだが、それが単に機嫌が悪いだけで、私のことが嫌いなわけではないということは「理屈」ではわかるのだが、でも、やっぱし私のことがウザいんだろうな、と勝手に解釈してしまう。

 便宜上、女子と男子と書いたが、これは男女の区別ではなく、「男子的」「女子的」という意味で、これがまたヤヤこしく、普段「女子的」にやるオジサンが、急にバリバリの「男子」になったりするのはよくあることだ。

 もー、さっぱりわからんのだが、そういう自分の態度が安定してるかっていうと、そうなのかどうかよくわからんのである。

 この小説は、自分と自閉症の人の違いは何か?同じところはどこか?ということを考えている人が書いているので、自閉症がどうのこうのより、そいういう「自分が普通だと思っていることって、いったい何?」という切り口に共感できる。
 そのあたりは上手くまとめてあるのだが、「エンターテイメント」としては、やっぱし「アルジャーノン」ほどのパワーは無いし、落ちも「あれ?」ってかんじなのだが、でも、よくまとまっているのかもしれない。

 けっこう身につまされるのは、小説の中で、自閉症の人たちの味方になろうとした上司の「できるだけのことはしてあげたい」という態度が、全く評価されないことだ。
 「あなたの身になって考えます」っていうのは、確かに、全然意味がない。
 「わかっています」というのが有り難いと感じることも多いが、「君の言いたいことは、わかっているけど、それはなかなか難しい」といよりも、全然わかってくれなくても「あ、そう?」とすぐにやってくれほうがいいのである。

 「わかるんだけど、なかなかねえ?」っていうのは「できません」と同じことなんだけど、でも、「できません」って言うのは「いけないこと」らしいので、ああ、ほんとにヤヤこしい。

 まあ、ふだん、そういうことでウジウジしている人は、この本読むと、ちょこっと泣けます。そんだけ。(そんだけでも十分だと思う)
7月18日(月)

 土曜日は出勤したのだが、帰宅してから、ずっと「エンディミオンの覚醒」を読みふけっていた。シリーズ最終巻(の上下巻。ブ厚い)なので、今までの謎の部分を丁寧に解き明かしてくれようとしているらしく、けっこうウダウダとした記述が多くて、なかなか読み進まなかったのだが、上巻の後半も後半になって、やっと主人公二人が「できあがった」のであった。はあ、ここまでが長かったよ。

 いろいろと仕事の愚痴を聞いてもらおうと、久々にMちゃんに電話したら、やっぱし長くなってしまい、コードレスの電池切れまで喋っていた。午前3時。早く切り上げた方である。いつもだと「カラスが鳴くから、もう寝よう」ということになりがち。

 日曜日は、やっとお昼ごろに目が覚めたのだが、「あと一冊」になったので、暑い部屋でクーラーもつけずにずっと根っこロガって(変換ママ)読んでいたら、鼻にはニキビができるし、首にはアセモという、ボロボロの状態になってしまった。
 それでも、夜の8時にはなんとか読み終わり、安らかな気持ちで眠ろうと思ったのだが、「えーと、でも、あれはどうだったんだっけ?」と、復習しはじめてしまったので、けっきょく、また掻い摘んで、全8冊をパラパラしていたので、ついに「これやってると、キリがない」と諦めて寝たのは12時過ぎだった。

 今日は出勤。
 来週というか、今週末も土日が出勤になってしまった。基本的に日曜日は休みなのだが、小さなイベント仕事の手伝いをするのだ。

 ハイペリオン・シリーズも無事読破したので、次は何を読もうかなあ、と思ったのだが、前に買って、まだ読んでないのが一冊残っていた。
 大きな本屋では、平積みになっていたりした、ネビュラ賞をとった本。「くらやみの速さはどれくらい」

 推薦文が「21世紀の『アルジャーノンに花束を』」だったので、ちょっと迷ったのだが、でも「くらやみの速さはどれくらい」という題名が、なんとなく、KLFの「ホワット タイム イズ ラブ?」を思い出させたので、試しに買ってみたのである。

 なんかね。「アルジャーノンに・・・」と言われると、変に警戒しちゃうんですよね。
 そりゃ、あれはたしかに、面白かったですし、けっこう泣けたかもしれない。
 でも、「好きな本は?」と聞かれたら、意地でもリスト・アップしない。

 そんなことするんだったら、「世界の中心で愛を叫ぶ」って書くね。
 ほら、そっちだったら、わかる人は「ジョーダンだろう」ってわかってくれると思うが、「アルジャーノン」は冗談になりにくそう。

 わりと、バリバリのエンターテイメント作品は、まっすぐな気持ちで鑑賞できるので、「アルジャーノン」もそういう意味では評価しているのだが(「ダヴィンチ・コード」と同じようなもん)、なんかアレには、「アルジャーノンが好きな自分が好き」みたいな変な付加価値があるから、まだ、「注文してから2年かかるかもしれないバーキンを注文した私。自分にご褒美」のほうが、好感が持てる。

 そう考えると、たぶん自分は、「キョンキョン的なもの」がダメなんだろう。

 「キョンキョン的なもの」は、あまりギャグとして使えないというあたりが、たぶんダメなんだと思う。
 そういえば、アンアンも、キョンキョン的なものをマジでやっていたときは、面白かったのかもしれない。マジでやってるようで、微妙にギャグというか、「敏感な人にしかわからない天然ボケ」として、メビウスの輪の上での「IN/OUT」をエンターテイメントとして楽しめるときがあったように思う。

 話は変わるが、先週の月曜日に、ぼんやりと月9ドラマを観たのだが、番宣だと、ちょっとウザそうに思えた深津っちゃんの役どころが、思ったよりもすんなり受け入れられた。深津っちゃん、やっぱし、けっこうデキる人なのかも。(深津っちゃん、と連呼するのは、リエがどんな漢字なのか、思い出せないからです)
 日本映画をほとんど観ないので、妻夫木なんちゃらの演技も初めてじっくり観た気がする。

 たしかに、あんだけ売れるのもわかるような気がするが、でも妻夫木君の兄役が藤木直人(こっちは、高校の後輩であるので、フルネームで言えます)ってゆーのが、ダメな人にはダメだろうなあ。

 私の中の「男の部分」が意味もなく「むかつくー」と叫んでいるのでありました。
 「美人姉妹」には、なんの疑問も感じないのだが、「ハンサム兄弟」には、なんでこんなに抵抗があるのだろう。オームの法則かなんか?

 自分なりに考えてみたんだけど、テレビドラマではよく「美人姉妹」は登場するし、タレントにも「美人姉妹」はけっこう多い。叶姉妹はニセだとしても、あれはあれで「芸」として素直に受け止められる。
 そんで、現実でも、けっこう美人姉妹っていうのはいるんだよね。

 美人の姉か妹と知り合いで、たまたま姉妹に会ったときに「へー、妹さんもけっこうキレいじゃん」って思うことは多い。
 姉妹の場合、どっちかが美人だと、もう片方がそこそこのレベルなら、「美人姉妹」ってことになる。しょせん、女性は、よっぽどのことがないと「見ようによっては美人」だったりするわけだ。服装や化粧のセンスの良さでも、かなりごまかせるわけだし。

 でも、男性でまず「美男」と言われるのが難しい。
 そんで、女性の好みのほうが、たぶん複雑なので、たとえば、タッキーが美男子だと思う人が、タッキーの弟に会ったとして、そいつが体育会系だったら、もうダメだろう。

 芸能界でも、兄弟タレントはけっこういると思うが、「美男兄弟」っていうのは、パっと思いつかない。
 たぶん、「美人」と「イケ面」とは、全く別次元のせいだからだと思うんだけど・・・・


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