可燃物な日々

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7月15日(金)

 久々に暑い日でありました。

 このまま、順当に梅雨明けするのかもしれないな。「普通気象」(異常気象の反対)だと、そろそろ梅雨明けってところだが、最近は明確に梅雨明け宣言しないので、いつ頃が「普通」かよくわからなくなってきた。
 でも、たしか、夏休みに入るあたりが梅雨明けだったと思う。
 夏休みに入っても、全然晴れなかったら「今年は異常だ」とか言っていた記憶がある。

 「宇宙戦争」も「スターウォーズ」も、まだ観てないが、ふと、近所のシネコンのスケジュールをチェックしたら、来週から「お子様向け」がハバをきかせていて、一番大きな劇場と二番目に大きな劇場は、「ポケモン」とあと、なんかに占領されていたので、「あ、やべっ」と思ったのだが、ちゃんとレイトショーは大人向け夏休み大作になっていた。

 なるほど、夜は大して客がいない、ニュータウンのシネコンであるが、そうやって効率よく回しているんですよね。

 韓流ブームも落ち着いたのかどうかわかりませんが、最近、ふと気がついたのは、昔は韓国語といえば、北朝鮮のニュースに出てくる「なんとかハシムニダ」みたいな、怪しい外国語に聞こえた言葉が、(ラジオの周波数をアナログで合わせていると、あの口調が飛び込んできて、ちょっと異国情緒でしたっけ)、美男美女スターの喋る韓国語に慣れてくると、「意味はわからんが、なんかカっコいい」と思えるようになってきました。

 フランス語を耳にしたときに感じる気分に近くなってきたのかも。

 「イメージ」って、こう短期間に変化するんですね。3年くらいで劇的に変化したんだと思う。

 広告代理店が、高い金とるのもこういうことなんだよな。
 てゆーか、そもそも電通が仕切っていたのかも(笑)

7月14日(木)

●小さなオフィスの小さな謎とロマン

 会社で埋もれた文書を発見するのが好きである。恐竜の発掘調査には憧れるが、アメリカやアフリカの砂漠に行かなくたって、けっこう楽しめるものだ。
 倉庫室の奥の棚の一番下の段にひっそりと、昔の商品のパンフレットが箱ごときれいに保存されているというだけで、ワクワクするではありませんか。大昔の展示会の写真には、今は中堅の営業部社員の若々しい姿が残っていたりするけど、そういう本物の「歴史的資料」よりは、「5年分も大事に保存してあった、オフィス文具の納品書」なんかのほうが涙をそそる。
 それはうちの会社の商売には関係ないもので、要するに「アスクル」みたいな文具を配達してくれる会社が、納品するたびに添付してくる伝票である。締め日で請求書が来るので、それと付き合わせればもう二度と日の目を見ることはないが、「請求書や納品書は10年保存」という決まりを信じた人が、きちんとファイリングしていたのである。

 その、もはや何の意味もなさない大量の伝票が詰まった箱は、NHKのドキュメンタリーで「自然が長い時をかけて刻んだ造形です」というようなアナウンサーの語りを思い出させる。オフィスの密かな芸術作品である。無名のOLが長い時をかけて作り上げる作品は、ほんとに味がある。

 その敬虔さに打たれて、それを発見した人は、決してそれを処分しようとしない。先人の遺跡はできるだけそのままに残しておくことこそ、オフィスの信仰を支えているのだ。そうして、芸術作品は、あと2000年くらい経ったら「古代エジプトの出勤簿発見!」くらいのニュースになるかもしれない。
 古代文具を研究する人にとっては、宝となるだろう。「ハガロンってなんだ?」って真面目に研究してほしい。

 前置きが長くなってしまったが、経理が管理する小口金庫の底にも、謎の古文書がけっこう埋もれていた。
 それを管理していた同僚が、異動になった4年ほど前に、私が金庫を引き継ぐことになったので、中を整理していたときに、いろいろ出てきた。
 多くは、あまり価値の無いものだったが、古びた封筒に入っていた「それ」は、「これって、もしかして価値があるんじゃない?でも、なんでこんなとこに入っているのだろう?」と思ったのだが、そのままにしておいた。

 それから2年くらい経過し、そんな封筒のことをすっかり忘れた頃、私はすっかり経理全般を任されるようになり、決算業務もほとんどやることになっていた。
 有価証券が、いつのまにか売買されていたのに、それが帳簿処理されてなかったのを遡っていたりしたときに、ふと気がついたことがあった。
 上場企業は年に2回くらい配当金を送ってくる。昔はそれなりに株に手を出していたようだが、私が引き継いだときには、すでにお付き合いで買った株式が2社分しかなくて、残りは買値の半分くらいに激オチしている投資証券が少々あった。

 それを現金化しに郵便局に行ったり、「配当金500円」なのに、しっかり源泉徴収されてるのを伝票に打っていると「手間が金額に見合わない」と思っていたので、保有株の銘柄はちゃんと頭に入っていたのだが、たった2つしかないはずなのに、「あれ?もう一つ、配当金送ってくる会社があるぞ?」と気がついたのだ。

 しかし、それは決算書には載っていない。要するに「帳簿上では、無いことになっている」ということである。

 その会社の配当金が送られてきたとき、社長に「この会社の株、資産には記載されてないんですが・・・」と聴いてみたら、「ああ、たぶん、合併したんだろう。元は、テレ○ムだと思うぞ」とおっさる。
 たしかに、過去の記録を調べてみると、その会社の株を持っていたときもあったが、数年前にすでに売却して、けっこうな利益を出していた。

 でも、なんですでに売却したはずなのに、配当金が送られてくるのだろう?名義変更がどうのとか?でも、売ったのはもう2年くらい前だ・・・・・あ・・・・・あれか?

 金庫の底をほじくって、前にちらりと見ただけの、あの古い封筒を探した。
 やっぱこれだ。テレ○ムだ。
 中を確認すると、やっぱり株券が、2株だけちょこんと入っている。

 そこに一緒に入っていた送付書類を見たら、どうやら増資ってやつだ。
 そうそう、売った後も増資分だけ残っちゃうことがあるんだよ。

 自分は株式相場に全然興味がないが、両親が趣味と実益をかねて、けっこうやっていたので、端数の株のことは知っていた。母がその昔、たしかグリコの株を買ったんだが(グリコ事件のときだったかも)、それを売ったあと、一株だけ残ってしまったそうだが、それでも株式は株式なので、ちゃんと「株主総会」のお知らせが送られてくるのは申し訳ないが、それのおまけとして「お菓子の詰め合わせ」がついていたのである。

 一株だから、数千円の投資なのだが、それで千円くらいの価値のある「グリコの詰め合わせ」がきたので、母は「けっこういい配当だから、まだ名義変更してないの」とか言っていた。

 なるへそ、これもこういう経緯で残っていたのか。
 たぶん、これを受け取ったとき、当時の上司はなんだかよくわからず、社長もすぐにどうこうというのも面倒だったので「しばらくしまっておけ。また証券会社がきたらなんとかするから」とか言ったのだろう。

 でも、その頃には、出入りの証券会社もあまり来なくなっていたのである。たまに電話がかかってきても、社長もすでに株に飽きていたようなので、そんな端株のことなんて思い出しもしなかったようだ。

 そのときに、私はその「昔はテレ○ムだったけど、今はボー○フォン」の株価がいくらなのか調べてみたのだが、一株数十万円だった。上司に「これ、2株で、こんなペラペラだけど、60万円くらいなんですよ」と言ってみたのだが、上司は「え?そうなの?」と驚いていたが、それ以上は何も言わず、「社長に相談してみてよ」というばかり。

 その頃、タンス株券をどうこうしよう、ということで、また証券会社が出入りしていたのだが、私は担当者と面識がないので、その口座開設の手続きが終ってから、「そういえば、こういうのもあるんですけど」と社長に見せたのだが、「また来たときでいいだろう」と社長も先送りモードだったので、放っておいた。

 私が担当する前に、すでに闇に埋もれていた株券である。
 どーこーするのも面倒だし、金額的にもビミョーである。あれが数百万円なら大騒ぎしたのだが。

 ときどき、株価を気にしていたのだが、それは下がる分には構わないが、大上がりされても「帳簿上存在しない株券」であるので、処理がちょっと目立ってしまうなあ、と要らぬ心配していたからである。
 そしたら、偶然、「上場廃止になる」という噂を発見して、ちゃんと調べてみたら、たしかにそうだった。
 英国の親会社が、100%子会社を目指して、公開買付したとかどうとかで、掲示板ではけっこう盛り上がっていた。

 西武鉄道の上場廃止とか、フジテレビの公開買付だとかは、ニュースで知っていたが、まさか自分が管理する株式がそういうことになろうとは。
 とは言っても、普通のOLよりは株に詳しいが、いったいどうすりゃいいのかわからない。いちおう、そのことは、社長や上司には言ってみたのだが、「どうしましょ?」と言っても、彼らも私の話では事態がピンと来ないようだったし、「そのうち、証券会社がなんか言ってくるだろう」と言うのだが、でも証券会社のリストには載ってないんだから、彼らはうちがこんなもん保有してるの知らないじゃないかなあ?

 でも、そのあたりをきちんと説明できるほど詳しくない私の話をきいても、全然わかってない上司は「社長にきいてみて」だし、社長はもう興味がないので「証券会社がなんか言ってくるだろう」で、証券会社はなんにも言ってこないまま、とうとうほんとに「上場廃止のお知らせ」が来ました。

 別に持っていても問題にはならないので、このまま保有しておこうと覚悟を決めました。
 株主総会のお知らせも添付されていたんだけど、一般株主の数は、ほんとに空前の灯火だった。でも、こんなゴミ投資家のとこにも、ちゃんと配当金を用意して、株主総会の委任状を送ってくるわけで、彼らの仕事も残しておいてあげないとな(笑)

 なんか、成田空港にある(まだあるの?)、反対派がどうしても売らない土地がポツネンと取り残されているやつみたい。たぶん、比率的にも、あんなもんだろう。
 掲示板では、「買ったやつはお気の毒」と、一発狙った人がバカにされていましたが、こっちは、ゴミ箱から拾った紙くずが、たまたまそれだっただけなので、ノーリスクですから、「ま、いっか」なわけです。

 私はどういうことだかわかってしまいましたが、もし私がこの会社で働いていなければ、誰も疑問に思わず、その株券を見ないふりしてずっと大事にしまっていたことでしょう。誰もいない森で木が倒れたら・・・・・って状態です。

 それに、気がついたときには、すでに株価も下落していたので(でも、不思議と紙くずにもならず、20万円くらいの値がついていたが)、「ま、いっか」に拍車がかかったのですが、このまま10年くらい寝かしておいたら、もしかしたら、また合併だとか吸収だとか、身売りだかで、また上場される日も来るかも知れないし、もしかしたら、もっと高くなるのかもしれないけど、どっちかというと、倒産してもらって、ほんとうに紙くずになってもらったほうが、経理的には処理がラクなんですけど(笑)

 なにせ、帳簿上は存在していないので、ゼロになってしまえば、なんにもしなくていいんですから。

 デヴィッド・ロッジの小説に、貸し金庫の底に埋まっていた「IBM設立当時の株券 1株」っていうエピソードがありましたが(その後、増資を繰り返しているので、知らない間にすごい価値になっていたらしい)、まあ、あれみたいなもんになる可能性もあるかもしれない、と思うだけで楽しい。

 なので、期せずして手にいれたタンス株券は大事に保存しておきます。

 それにしても、あれだけバブルの頃の投資ブームを経ても、「フツーの人々」の株への興味のなさは新鮮でした。だいたい、フツーの人は、株券なんて見たことないんだよね。

 さっきも書いたけど、自分もトーシローのくせに、わりと知っているほうなのは、親の影響もありますが、学生時代に「名義書換のバイト」をしたことがあるんですよ。
 春休みの頃に大量募集するので、2年続けて兜町付近の証券業務代行する銀行でバイトしました。
 いや、それも実は、母が「このバイトがいい」と言うから、漠然と行ってみただけですが。

 あの頃は、まだバブル初期というか、まだバブルという言葉が生まれてないころで、バイト代も安かったんだけど、さすがに銀行でのバイトだったので、周囲と話をしてみても、有名大学の学生か、ダンナが一流企業勤めの主婦ばっかりでした。

 今だと、自分の会社でも、大量にバイトを採用しているので、その履歴書を見ると「へえ、こんな大学あるんだ」と思いますが、あのバイトをしているときには、「日本女子大」「青学」「慶応」などのブランド系ばっかりでした。今から考えると、すごく不思議。

 慶応の理系だった、眼鏡ッ子の真面目そうな二人組みは、「私らは大学から入ったけど、けっこう下からあがってきた子もいて、そういう子とは全然接点がないの」なんて話していたなあ。
 青学の子は、「私は落ちこぼれなの」とか言うので、よくよく話をきいてみたら、お兄ちゃんが都立高校から東大医学部ストレートだったそうで、妹はいじけていた。でも、英文科だったので、今だとあんまりブランド力をきかないが、その当時「青学の英文科」といえば、女子の憧れだったんですよ。

 女子学生は、書き換えが終った株券のチェックで、男子学生は社印をドカドカ押すセクションだったので、男女の交流はありませんでした。

   でも、男子学生の中に、まるでロッキーチャックかなんかにでてくるキツツキさんみたいに、規則正しく大きな音で、バンバンバンバンバンと社印を押してる凄腕がいました。
 そいつは、古株なので、そのセクションのチーフ然としていて、女子に人気がなかった。

 なんでかっていうと、女子がチェックした株券の裏の社員が欠けていたりすると、そいつのところに行って修正をお願いするのですが、そいつがとても無愛想で、嫌そうに直してくれるのです。でも、丸印を修正して打ち直すって、かなり技がいるから、そいつしかできないんです。

 そーいえば、2年目にそこでバイトしたとき、そのときはちょっと景気がよくなっていたので、有名大学の女子大生も集まりにくくなったのか、主婦バイトがちらほら混ざっていたんだけど、そん中でも、カバゴンっぽいオバハンがなぜか、大人しそうな短大生や専門学校生を数人とりまきにしていて(私も含めて、4大生はプライドが高いので、オバハンとはつるまなかったようだ)、彼女が休憩時間に、「あの男、ほんとに態度悪いから、あたしは無視してやることにしたの」と声高に語っていて、子分の女学生たちも、真剣な面持ちで頷いていたので、笑いそうになった。

 あのバイトで、いろいろ「実物」で勉強したのは、普通の会社の株券は一枚で「千株券」なことが多いが、電力会社はなぜか「百株券」で、しかも、電力会社はやたらと端数株が多かった。よく増資するのかね。
 そんで、確認する元となる伝票には「○○電力 200株」となっているのに、やたらと分厚い束の場合には、端株ばかりで構成されているのだ。
 1株とか2株とか書いてある株券を合計して200と確認してると、もう眠くて眠くて・・・・
 でも、ほとんど数が違うということはないので、確認するポイントは「株主の名称」とか「印章が欠けてないか」だったので、数は真剣に数えてなかったのだが、あるとき、そこのチーフ社員に呼ばれて「受け渡しのカウンターで枚数ミスが見つかりました」と私の確認印がついた書類を見せられて、がっかりした。

 私らが確認していたのは、ほとんどが「小口株主」のものであったので、多くてもせいぜい10万株。千株券が100枚。
 でも、隣のテーブルには、高さ30センチくらいの汚れのない株券が堆く積まれていた。ゴミ投資家はマメに売買するので、そうやって名義書換も何度もされているから(手形の裏書みたいに、何回か書き換えられるようになっている)その度に、ホッチキスで打たれているし、手垢にまみれているのだが、大口のは滅多に動かないのできれいなのである。

 あるときに、株券を数えるのにも飽きて、隣の子とお喋りをしていた。「あっちに積んであるのなんて、いったい全部でいくらなんだろうか?」
 相手の子は「え?そうなの?」と不思議そうな顔をしていた。
 その表情から、「この人は、日経ダウ平均と、自分が数えてる株券が繋がってないな」と思ったので、「じゃあ、今数えている、この○○鋼鉄の株ってさ、新聞の株式欄みないとわかんないけど、たぶん一株で1000円くらいはするんだよ。それが千株券ってことは、一枚が10万円ってこと」
 「え?そうなの?」
 「そうだよ。ほんとだよ。だから、あっちに積まれているのは、輪ゴムでくくってあるのが100枚で1000万円。タテだけで、2億はある。それが横に5列で・・・・10億か」

 隣の子は唖然となっていた。
 なんだ、知らなかったんだ。だから、バイトにもロッカーが宛がわれていて、業務をする部屋にはバックを持ち込めないんだよ。入り口には警備員がいるのは、飾りじゃないんだよ。だって、この一枚の株券は一万円札よりも価値があるんだから。

 大口の山になっている株券の裏には、「チェース・マンハッタン」とか、私でも知っているような有名な名前ばっかりだった。
 千株の株主なんて、どんな存在なのか、アナログで体験できました。

 今でも証券の名義書換って、あんなバイトの物量作戦でやっているのかしら?もっとデジタル化しているのかもしれない。
 そして、あのハンコ押しばっかり上手だった男子学生は、その後、ちゃんと立派な社会人になれたでしょうか?
 あの特技は、あんまり後で生かされなかったのではないかと、心配です。他の男子が「こんなバイトやってらんねー」という態度でちんたらやっていた中で、ハンコ押し道を極めていた彼は印象的でした。大きな会社の財務部に就職して、「ああああ、手形の印鑑が・・・・」というときに、ささっと完璧に修正できたら、それなりに尊敬されたかもしれませんが。いやほんとに、丸い印鑑が欠けたのを直すのは、ほんとに神業でしたから。

 そして、バイトたちが、その価値もわからずに、レンガのような株券の塊をドカドカと「ぼてばこ」と呼ばれていた運搬箱に投げ入れていた光景も、今となっては懐かしい。
 まあ、株券って、それがすぐに換金できるものでもないとはわかっているのですが、NTT株なんかを手にすると「これって、一株、百万くらいするじゃん」とわかっていたので、けっこう眠気が覚めました。

 でも、やっぱし退屈なバイトだったので、2回、短期の数週間やっただけですが、制服着た社員も、バイトと一緒に同じ作業をしていて「一年中、これだったら絶対にやだな」と思いました。集中するのは、やはり決算期だったようですけど、でも、学生バイトがいないときには、ずっと社員だけでやっているような気もした。

 ちなみにうちの母も、私に勧めただけではなく、自分でもやってみて、母がバイトした会社は「株主名を書く」のが仕事でしたので、簡易印刷できる装置で、大口株主の名前の「チェース・マンハッタン・バンク・Co・Ltd」とかいうのを一日中、ぺったんぺったんと印字していたそうです。
7月13日(水)

 ハイペリオン・シリーズは順調に読み進んでおり、とうとう最後の「エンディミオンの覚醒」の上巻に突入。
 「ハイペリオン」では、謎の美女と英雄的軍人の濃厚ラブシーンが「読者サービス」で、その濃厚さというか、SF的重厚さに電車の中でニヤニヤと笑ってしまうほどだったが、「エンディミオン」のほうは、いきなり主人公が12歳の美少女で、萌え系だったのでびっくら。

 しかも、物語の書き出しでは、その救世主となる運命の少女の成長過程が描かれると説明しているのに、上巻を読み終わっても、数ヶ月くらいしか経過してなくて、「ひょっとして、12歳のままで終るのか?」と思ったら、ほんとにそうでした。そんでやっと続編の「エンディミオンの覚醒」で16歳になった。
 少女から女へ・・・・・ってあたりを現在読んでおります。

 この少女が、なにせ成長中の救世主なので、とにかくIQが高いけど、でも少女らしい無邪気さもあって、その度胸のよさも、自分の過酷な運命と戦うひたむきさも・・・・・とにかく、萌え〜としかいいようがない自分が恥かしいが、でも、そうとしか言いようがない状況を自分なりに楽しんでいるのである。

 シリーズを通して、キリスト教が重要な役割を果たしているのだが、「エンディミオン」以降は、だんだん「ダヴィンチ・コード」のような雰囲気になってきた。
 「ダヴィンチ・コード」と同じ作者の「天使と悪魔」のおかげで、本物の「こんくらーべ」のニュースを興味を持って見ることができたので、あれだけでも読んでよかったと思ったのだが、「エンディミオンの覚醒」には、いきなり「オプス・デイ」が登場!

 ダン・シモンズと、ダン・ブラウンって実は同じ人?(笑)

 日本では、あまり馴染みのないオプス・デイだが(わたしだけ?)、西洋人にはお馴染みの団体なんでしょうね。
 さて、本を読んでいるときは、こうして「異世界」に浸ることができるが、現実はなかなか辛いものがあります。

 はあ・・・憂鬱。
 なにがって、今度また、うちの部署に派遣社員を入れることにしたのだが、その手配を全て任されてしまったのだ。それも派遣会社のセレクトから・・・・・

 何が苦手かって、営業マンと商談するのが超苦手なのである。

 でも、自分で全部やってもいいならまだいいけど、部長があれこれ言うのである。「何社か声をかけてみたら?」って。
 はあ・・・・
 それって、競合させろってことですよね。
 ああ、やだやだ。そーいうの、苦手なんだ。

 それに、最近は派遣社員との事前面談禁止がどうのこうのっていうのに、部長は「何人か会ってみたほうがいい」と言うのだ。ああ、やだなあ。ほんとにヤダヤダ。
 引き篭もりの内弁慶気質なのて、社外の人と接するのがほんとうに苦手。

 うちの部署が求める「スキル」っていうのは、最終的には「気立てのよさ」であることもわかっているので、それを考えるとほんとに胃が痛い。
 「けっこう小さい会社で、なんでもやらなきゃいけないという実務経験があり、性格が温和で、暇なときにはボンヤリできて、でもサボっているように見えなくて、あんまり向上心もなく、お金がもらえればなんでもいいや、自分なんてどうせ大した仕事できないし、と割り切っていて、せめてお茶の用意くらいニコニコとやろうという気構えのある、服装が地味な人。あ、一般常識は必要ですけど、非常識な目にあっても、あきらめがつく人」って、派遣会社の営業に言いたいのだが、そうも言えないしなあ。

 外野はこんな苦労も知らずに「今度の人、服装がちょっと」とか「なんか暗いね」と勝手なことを言うのもわかっているので、ほんとにヤダ。
 今までも、そういう理由で契約を切ったり、逆に向こうが「思ってたのと違う」と契約を更新してくれなかったりということがあったので、そういうのを自分が仕切ることを考えただけでも気が重い。

 あーあ、やだやだ。
 自分の仕事じゃないような気もするが、でも、しゃーねーしなあ。
 まあ、何事も経験だと諦めて、がんばろう。

 でも、競合させるのはホントにやなんだけど、どーしよー。なんか、派遣会社がどうのよりも、自分の上司の意向をどううまく曲げさせるかが勝負のような気がしてきた。あー、早くハイジを課長にしたいが、それには数年かかりそうだし、ヘタすりゃ彼はもう一度異動になるだろうし、(会社の幹部になるには、もう一絞りも二絞りも必要)、自分は縁の下の力持ちでいいや、と思っているけど、なんかシロアリがたかりそうだ。

 わかってるんだ、試されてるってこと。
 私に欠けているのは「渉外力」なんだけど、でも、それでいいから、こういう内勤オンリーの仕事を選んだんだけど、今の部長は営業畑出身だから、そういうのを認めてくれないのだ。

 宝くじ当たらないかなあ。(そればっか)

 気晴らしにフジロックにでも行っちゃおうかなあ。
 出不精だが、思いつきで行動するのは好きである。

 あんまし真面目に考えるのはヤメて、なるべくチャランポランにやりやしょう。たりらりら〜ん。と自分を励ます。
7月12日(火)

 海外旅行でユースホステルを利用するときには、ロッカーにかけておく簡単な鍵が必需品ですが、番号で合わせるタイプを数年放置しておくと「あれ?番号忘れた」ってことがよくあります。しまうときに、ちゃんと番号をあわせて鍵を外しておけばいいのですが、出したときにうっかりそれを忘れて閉じて回してしまったら最後、二度と開かない。3桁だったら、「いい暇つぶし」になるかもしれないけど、4桁だと「いい修行」になります。

 前にお誘いいただいて加入したミクシィとやらも、最初のころは張り切ってなんか書いていたのですが、だんだん面倒になり(生まれつきの出不精なんだと思う。父親似、さらに祖母似なので優性遺伝らしい)、それでも時々、この日記を読んでくれてる人や、友人のところからたどり着いた知人が「ミクシィで見っけ」と発見してくれてメッセージを送ってくれると、それがメールで通知されるので、「あらあら、まあまあ」と慌てて行ってみたりしたのですが、最近はそういう動きも無いほど「冷凍保存」されていたので、すっかり忘れていたのですが(まるで、セールで買った冷凍食品を3年も冷凍庫で大事に保存したみたいに)、そしたら「紹介コメント」を書いてくださった方がいたので「あらあら、まあまあ」とエプロンで手を拭きながら、ドアを開けようとしたら・・・・・暗唱番号がわからん。

 おかしい。そんなに変な番号にしなかったはずだ。でも、いろいろ思いつくのをいれてもダメなので、とうとうギブアップして、「パスワードを忘れたら」というところに助けを求めたら、すぐにメールでパスワードを送ってくれた。そしたら、パスワードは合っていた。

 ID代わりのメールアドレスが間違ってたんだよ。(切腹)

 しっかしですね。今はまだ、「最近、物忘れが激しくて〜」って言うのは、まだ、「笑い話」にギリギリひっかかっていますが、あと20年もしたら、全部同じパスワードにしないと絶対に憶えられないでしょう。でも、それもセキュリティ的にどうかとも思いますが、セキュリティ以前に自分が覚えられないとどうしようもないしな。

 うちの親なんて、今だに自分のメールアドレスが覚えられないようだ。@の後ろが憶えれらないのである。
 あと20年遅く生まれてりゃ、私もあんなもんだっただろう。

 そういや、実家で母と一緒にニュースを見ていたときに驚いたことがあった。
 ロンドン地下鉄テロのニュースが流れていたときに、母が「これは絶対に地下鉄サリン事件を真似したのよ」と言うので、「まあ、それもあるかもしれないけど、どっちかというと、マドリードのテロじゃないの?」と言ったら「マドリッド?」

 「ほら、スペインのマドリッドでもあったじゃん?」
 「えー?そんなのあったっけ?私が覚えてないってことは、大したことじゃなかったんでしょ」

 母は、自分こそが「世界の中心」と信じて疑わないので、自分の知らないことは大ニュースではないと決め付けるのである。

 うーん、でも、たしかにマドリッドの事件は、日本ではかなり軽い扱いだった。
 通勤時間を狙った大規模テロだったし、犠牲者の数も、9.11とは桁が違ったものの、この間のJR西日本の倍は死者がいたと思う。
 あの時期、欧州に出張していた友達は「テレビはそればっかりで」と言っていたが、日本のテレビは「そればっかり」ではなかったのは私も感じていた。

 だから、母が「そんなのあったっけ?」と言ったとき、「ああ、やっぱり」と思った。あの当時も「こんな、あっさりした報道では、日本人はこの事件をあまり重大と思わないだろうな」と思っていたのである。日本人の被害者がほとんどいなかったからなのかね?

 ロンドンの事件のほうが、日本人が巻き込まれる可能性が高かったせいか、扱いは大きいようだ。でも、やはり、なんとなく「遠い国の出来事」っていう雰囲気がある。
 個人的には、JR西日本より、回数乗った路線での事件であるので、もっと感情移入したいのだが、そうさせてくれないようである。ちょっと不満だ。

 逆に、今日の大ニュースだった、「橋本真也さん急死」は、私にとっては「誰?」ってかんじなのだが、今日も昼食の頃、ネットニュースを見たらしいハイジが大きな声で「え?橋本真也が死んだの?」と言っていた。
 たぶん、私が「ジョー・ストラマーさん死去」という記事を見たときと同じくらいの笑劇(・・・・・なんで、この変換なんすか?)衝撃だったんだろう、と想像するしかない。

 ニュースの大きさって、わけわからんというか、絶対値というのがなくて、かなりグニョグニョに歪んでいて、新聞やテレビニュースは、解体した牛の「この辺が、上カルビ」っていう断面を描いているだけってゆーか。
 でも、そういう「同じ牛からとった牛肉なのに・・・」なんだけど、切り口によって全然値段が違う妙技を楽しむのが、けっこう面白かったりするのも事実である。(うちの弟の焼肉屋バイト経験談では、そういうことになっていた)

 話は変わるが、母の「モンゴル旅行記」で、帰りの空港で土産を買おうと思ったら、「なんで、ラクダばかりなの?」という話は興味深かった。
 母は「馬に乗りたくてモンゴルに行って、馬は十分楽しんだので、なんか馬の思い出が残るものを買いたかった」そうで、それは理解できる。でも、馬の置物は全然なかったんだって。

 前にアジア通(彼は沖縄生まれで、バリ島にも知り合いが沢山いるという、50歳くらいのアメリカ国籍と日本国籍が今だに二重という、何人だかよくわかんない謎のコスモポリタンである)の知人が、インドネシアのある島に旅行したときに、現地の友人に「えーと、あと、なんかやりたいことある?」と言われて、「象とか、いないの?」と言ってみたら「象?象が見たいの?」と不思議な顔をされたそうだ。
 「うん、象いないの?」と言ってみたら、「象なら、うちの裏庭にいるけど・・・・」

 日本の田舎の農家なら、牛やヤギのように、裏庭に繋がれていた象を見て、知人は「わー、象だ、象だ」とはしゃいだが、現地の知人はなんで彼が象で喜んでいるのか、さっぱり理解できなかったらしい。

 たぶん、それと同じように、モンゴルの土産物業者も「お土産はラクダ・グッズ」と勝手に決め付けているのだろう。馬なんて、台湾でいえば、スクーターみたいなもんで(1人一台に迫る普及率らしい)、誰がスクーターのミニチュアなんて空港の土産物屋で飾るか。

 でも、日本人にとっては、ラクダは中近東名産であり、モンゴルといったら、騎馬民族の操る馬なんである。
 そのあたり、まだ商売っけが発展途上のモンゴル人はわかってないらしい。絵葉書も、母が望むのは「見渡すかぎりの大草原」なのであるが、彼らはそれをたぶん「退屈な光景」だと思っているので、自分らが心ときめく民族衣装や建物(日本人からすれば超しょぼい)で飾ろうとするらしい。

 けっきょく、母は、やっと捜して、馬の絵が織り込まれているショボい小さな絨毯を買ってきた。「これしか、馬の絵柄のはなかった」そうだ。

 日本だって、最近になってやっと「田舎に行ったら過剰に田舎っぽく」が戦略になることに気がついたのだと思うが、ちょっと前までは「ひなびた温泉地」が、都会の豪華ホテルみたいな旅館作っていたような気がする。自分らが、いいと思うものと、旅行者が求めているものは違うんだ、ということに気がついたのは、ほんとにここ最近である。

 モンゴル人も早く、「かわゆいモンゴル馬のヌイグルミ」に、うちの母みたいな旅行者が30ドルくらい平気で散財することを学んでほしい。

 そういえば、最近、「ジンギスカン」が東京では流行っているけど、実家のある国分寺も、学生が多い街であるので、新しくできたジンギスカン屋に女子学生が列をつくっていた。母はそれを見て「あ、ここなら、モンゴルで食べて美味しかった焼きソバがあるかも!モンゴルのガイドさんも、日本のモンゴル料理屋なら出してるはずって言ってたのよ」
 おがーさん、ジンギスカンはたしかに、モンゴルの昔の英雄でございますが、ジンギスカン鍋は北海道料理なので、モンゴルとは無関係です。って3回くらい熱弁をふるっても、まだ「でも、店の名前が、モンゴルって書いてある・・・・」と私の言うことを信じてくれない。

 ジンギスカン屋が、モンゴルを名乗るのを禁止してほしいです。

●今日の現実逃避

 病み上がりで出勤して、今日もちんたらと仕事してましたが、昼休みにこんな記事を見つけた。
 「ゴキブリ制御」で部屋を走り回るロボット

 あの〜、助手いりませんか〜

 マダガスカル・ゴキブリって大きいんですか?南米にいるという巨大ごきぶり?(ちょっと憧れていた)

 あたし、素手で触れると思うんですけど〜。そういう助手いりませんか?英語ダメですけど、ゴキブリがダメな英語ネイティブ助手よりは、将来性があると思うんすけど。

 そっか。
 マダガスカル・ゴキブリの寿命は3年くらいなんだ・・・・・

 うちにはチャバネがいるんですけど、もう2年も飼ってるんですよ。まだまだっすかね。

 アンダーソンちゃんて名前をつけたんだけど、その名前の由来をわかる人が少なくなってきたような気がしなくもないので、時流に乗って「ダースベイダー」にしようかと思っていたんですが、黒光りしてるし・・・・・でも、どっちにしろ女子なんです。

 なーんか、こんなペット飼ってたら、ぜってーモテないなあ、というか、うっかり男子を連れ込んでも、ダッシュで逃げられそうなんで、「こひをするのは、この子が死んでからによう」と漠然と思いつつ、2年経過してしまいました。このままでは、私が40歳の大台になってしまいます。しくしく。

 だったら、研究のため、マダガスカル・ゴキブリの繁殖に人生を捧げてもいいかなあ、という気分になったんですけど。フルブライト奨学金のおこぼれで。(奨学金に縁がなかったので、ちょっち憧れている)

 でも、どうやったらこの人の助手になれるのかわかんないし、思い浮かんだ英文が「May I help you?」だった時点で、「はあ、現実逃避してるバヤイじゃなくて、ちゃんと仕事しよ」と立ち直ったのでありました。
 ああ、2億円の短期借り入れ、どうやって返済しよっかなあ。(それなりに、大きな金額を扱っているのよ、あたし、という虚しい自己アッピール。でも宝くじで3億円当てようとしているので人間が小さい。)
7月11日(月)

 土曜日は、パパンの合唱サークルの発表会だったので、お昼頃から外出。
 前日、実家に電話したら、ママンが「おとーさんたち、張り切っちゃって、すっごくたくさん招待状ばら撒いたみたいで、300人くらいしか入れないホールなのに、500人くらい客が来ちゃったらどうしーよーって心配してるらしいのよ。わはは」と言っている奥で、父の抗議の声が微かに聞こえたが、実際に行ってみると、みなさん確実にノルマをこなしたようで、開演20分前なのに、席は8割方埋まっていた。

 ロビーで父の後姿を見かけたので、「おどーさ〜ん」と声をかけてみたが、みんなお父さんなので振り向きもしないので、しょーがないから母の真似をして「○○○さーん」と名前で呼んだらやっと気がついてくれた。

 母の姿が見あたらなかったので、自分の席だけ確保しているうちに開演。
 開演後もパラパラと客が入ってきて、いつもだったら敬遠されるはずの最前列もほぼ埋まってしまった。

 前半が終った休憩時間に、やっと母と会えた。出掛けに近所の人と立ち話していたので、ギリギリになってしまったらしい。
 前半は、わりと普通の合唱曲を歌うのだが、後半は「ジブリ特集」でトトロとかラピュタを唄い、さらに、毎回(前回は5年前)恒例の「オペラの合唱曲」
 指導者兼指揮者は声楽の先生なので、そういうことになるのだが、毎回イタリア語の歌詞を覚えるのが大変なんだそうな。しかも、演出有り(笑)
 もちろん、アリアを歌うわけでもなく、カルメンだったら「女工の唄」とかいうマイナーな合唱パートなのであるが、女性陣はショールと扇子でスペイン風でシナをつくるのだが、平均年齢が60歳くらいなので、キモかわいいとしかいいようがない。

 まあでも、みんな楽しそうだし、うちの父ちゃんが朗々と歌っている姿も微笑ましいので、けっこうこの発表会を楽しみにしているのである。ほら、親は子供の学芸会とかピアノの発表会とかを楽しみにしてくるじゃん?同じでしょ(笑)

 それに、老後の親と遊んであげる気力も体力も無い私は、こうして親が勝手に趣味の世界に没頭しているのを見るととても嬉しいのである。
 さて、パパンの発表会も盛況のうちに終わり、「お父さんはどうせ打ち上げでしょ?」「こんだけ客入ったから、みんな盛り上がってるでしょ」とロビーで声をかけてから、ケーキを買って(フジヤ)実家に戻った。(一駅)

 パパンの発表会の後は、すぐにママンの発表会なのである。
 十分に心の準備はできていた。すでに、昨日電話した時に、2時間くらい拝聴していたのである。

 我がママンは、今年に入ってからずっとずっとずっと「どうしよう、どうしよう」と情熱と冷静の間をジタバタしたあげく、やっと先週、モンゴルに旅立ったのだ。
 「後悔するなら、行って後悔したほうがいい」とずっと言っていたのだが、やっぱり行ってみたら「超サイコー」だったらしく、もう、その話しを披露したくてしたくて爆破寸前というか、すでにビッグバンは始まっているのだ。

 まあ、他人の旅行話を聞くのは好きなので、写真を眺めつつ、一枚一枚説明されつつ「この子が、牧童のテルメちゃんでね」「あ、このコがずっと通訳でついてくれた子で」・・・・・
 覚悟していたよりも、ずっと快適なツアーで、母にはずっと通訳と馬担当の牧童がついていたので、母は「こりゃ、チップがいるな」と思って「30ドルづつ渡しちゃった」

 旅慣れた他の旅行者に「それは、あげすぎだ」と言われたらしいし、私も「あんまりドル札ばらまいても」と思ったが、でも、娘のあたしだって、このオバハンと二日も一緒にいるとヘトヘトになるのである。5日間びっちりついてて30USドルのチップというのは、モンゴル物価ではかなりの金額だろうけど、グローバル経済的には「半日分のチップ」であろう。

 観光ゲルも1人で占領できたらしく、ゆっくりできて快適だったし、中央管理棟にはレストランとシャワーがあり、井戸を掘ってあるので水にも困らず、朝食に出てくるパンは美味しくて「豪華ホテル並に快適だった」らしい。ウランバートルからも近くて、空港から車で1時間くらいの「大草原」だったらしいが、写真を観ると確かにほんとに大草原。

 通訳と牧童が、いつもついているので、初心者でも安心して乗馬できたようだ。
 ツアーと言っても、ずっと同じメンバーではなかったらしく、他の旅行者も入れ替わり立ち代りだったので、あんましベッタリではなくて疲れなかったらしい。

 モンゴルの草原っていうのは、ハーブが自生していて、いつもいい香りが漂っているそうで、母が密輸入してきた植物のサンプルを見せてもらったら「これ、ローズマリーじゃん?あ、これはよく魚料理に出てくる金魚鉢の水草みたいなやつ」と、ほんとにハーブであった。
 羊やヤギや馬も、そういう草を食べているのと、気温が低いため腐敗しないのか、「牧場のケモノ臭さが全くないし、その糞を燃やしても、いい香りがするの」

 なんだか、変な宗教が描く「極楽浄土」のようである。

 馬はずっと同じ馬に乗せてもらったようで、ハードな日はそれで40キロくらい走ったようだが、毎朝、よっこらしょと手伝ってもらって乗り上げるときに、馬がとっても嫌そうだったので気の毒だったらしい。「ああ、またこのオバハンかあ」と思ったであろう。

 モンゴル話をずっと聴いてるうちに7時も過ぎたので、雨の中、近所の韓国料理屋で食事してから、また家に戻り、またママンの話をずーーーーーーっと聴いてるうちに(モンゴルだけじゃなくて、その前に学生時代の悪友たちと行った北海道の話や、GWに帰省したときにも聴いた白川郷や愛知万博の話もおさらい)酔っ払ってご機嫌の父も帰ってきて、結局2時くらいにやっと寝た。

 日曜日は、10時前に起きて、父は公民館の集会に出かけたが、私と母は朝食を食べながら、またずっと話しており、近所の同居家族の揉め事の話なんかを拝聴しているうちに、昼ごろ父が帰ってきたので、昼食を食べてから、祖母ツアーにでかけた。

 ここんとこ、祖母の老人ホームに行くときには、弟の車に乗せてもらっていたので、電車で回るのは久しぶり。
 暑いから、もう、汗だくである。

 どっちの祖母も超元気であった。
 なんか、年々肌艶がよくなってくような気がする。栄養士が作った食事に規則正しい生活。ほとんど外出しないので、温度も湿度も調整された室内で、紫外線ストレスもないと、ほんとに美肌になるようだ。

 実家を出たのが3時近かったので、二箇所回って実家のある駅に戻ると、もう8時くらいで、サイゼリヤで食事して(ビールジョッキが198円だったので、父と2杯づつ飲んだのだが、それでも会計は3人で3000円ちょっとですた)一旦、実家に戻って荷物をピックアップしたので、駅を出たのは10時近かった。

 母が「来てくれてありがとう。これ、ちょっと数が縁起悪いけど」と、たぶん、財布にあるだけの千円札を丸めて手渡したので「ええ?交通費も食費も出してもらったし、いらないよー」と言ったのだが、こっちの手に押し付けるので「ま、いっか」と思って4千円のチップを受け取ってしばいました。

 モンゴルで5日間、母のガイドを勤めた人たちは、30ドルのチップを貰ったそうだが、東京で2日間添乗したので4千円か・・・・・・うーむ

 家についたら、もう11時過ぎていた。汗でべとべとだったので、シャワー浴びたのだが、「父の発表会だから」と気をつかって(自分のミエというよりは、他のメンバーが「あれがミヤノさんの娘さん」って気がついたときのために)スカートを履いていったのだが、素足だったので、今日の蒸し暑い中を祖母の老人ホームめぐりで、テクテク歩いていたら、すっかり股ずれしてしまい、赤くなった内股にメンソレータムをすりこんで寝た。

 なんだか、すっげく疲れた。
 別に嫌な疲れ方じゃないんだけど、祖母たちは耳が遠いので、大声で喋らなければいけないのも疲れる原因の一つである。
 それに、外は蒸し暑いけど、電車の中は冷房が効いていたので、そのたびに汗が冷えたらしく、帰宅したら鼻水がとまらなくなった。

 今日はちゃんと朝起きたが、まだ鼻水が出たし、なんかもうダルくて、このまま一週間働く自信が全くなかったので、会社休んでしまいました。今日休まないと、今週はもう絶対休めないから。(計画さぼり)


7月8日(金)

 ここんとこ、日記が「カスタネットおじさん」と化しているようだ。

 と、書いてみたが、果たして「カスタネットおじさん」というのは、今ではどのくらいの知名度があるのかと思って、ネットで検索してみたのだが、けっこう出てきたけど、もれなく「若いコは知らないだろう」「我ながら古い」などのコメントがついていた。

 というわけで、突然ですが「カスタネットおじさん」について説明すると(自分の記憶を確認する意味もこめて)、タケシが「世界の北野」とやらになる遥か前の「ひょうきん族」時代のキャラ。
 その当時、かなり撮影のドタキャンが多かったようで、「休んでばっかり」という意味で作ったキャラだったと記憶している。

♪ カスタネットのおじさんは 仕事が嫌いなわけじゃない ・・・・ でもね?

♪ 出て 出て 休んで 休んで 出て 出て 休んで 休んで 

♪ おじさん 明日はどうするの?

♪ 休んじゃお?

 とか、なんか、そーゆー唄だった。大好きだった。

 365歩のマーチの「三歩歩いて二歩下がる」よりは、「二日働いたら、二日休む」のほうが建設的のような気がした。

 さて、木曜日は年に一度の苦行「健康診断」を受けにいきました。
 また、胃のレントゲンで30分以上も待たされ、それまで飲まず食わずだから「喉乾いた、腹へった」とぐったりしていたのだが、そんな飢餓状態の自分が今日最初に胃に流し込むのが、コップ一杯のバリウムなんて、かわいそすぎる。

 待合室には、なぜかアエラばっかり置いてあり(ハナコもあったんだけど、空腹時に最新グルメスポットの写真を見る勇気なし)、あちこちパラパラと飛ばし読みしていたが、アエラのまとめ読みほど虚しいものはない。でも、久々に読んだけど、なんかパワーが落ちているような・・・・てゆーか、ああいうのは、空腹でぐったりしているときに読んでも、あまり盛り上がらない。食後の血糖値の高いときに、「まだ休憩時間、20分あるしー」と、タバコ吸いながら読むもんだろう。

 たぶん、1ヶ月分くらいが揃っていたので、どの号だかわからなかったが、ふと「愛ルケ」という文字が目に入ったので「なんじゃ?」と思って読んでみたら、日経で連載中の「愛の流刑地」に関する記事だった。
 ライバル(?)日経新聞の人気連載をかなり正攻法で叩いていた。「まともな新聞が、それも経済紙が、こんなエロ小説載せてていいのか?セクハラでしょ?」って切り口。

 日経の営業マンが女性経営者に「あんな女性蔑視な小説を載せてる新聞に広告なんて載せなくない」なんて言われてヘコんでます、とかいう、どーでもいー記事であった。

 でも、後半は、「37歳で3人の子持ちが不倫なんて、笑っちゃって。そんなことやってる暇ないって」という、同じような環境の専業主婦が、笑いながら読んでいるうちに結構ハマってしまい、ダンナに「日経、持って帰ってきてね」って頼むようになったとか、最終的には好意的にまとめていたようだ。

 朝から飲まず食わずで、そんな記事を読んでいても「性欲」より「食欲」が強化されている自分にはどうでもよかったが、でも「そっか、失楽園では、女性はたしか38歳だったけど、愛ルケは37歳か」という、どうでもいいことがわかった。
 渡辺淳一先生的には、私は、「一番ステキな時」らしい。

 でも、そんな私が今、求めているのは、一杯のコーヒーである。砂糖とミルクたっぷりね。ああ、なぜかシナボンが食いたい。

 そんなことを考えているうちに、やっと自分の順番が来て、バリウムを元気よくゴクゴク飲みました。

 病院を出てから、駅前のドトールでやっと、アイス・ラテとジャーマンドックにありついたのだが、店内で、すごいゲップが出てしまった。しくしく。
 昨日は、また飲みに誘われたので、中華屋で、野菜中心にバリバリ食べて「さー、これで白い稲妻を押し出すぞ」っと張り切っていたため、飲みすぎました。

 今朝のニュースは、ロンドンの地下鉄テロ事件。
 朝の支度しながら見てたので、ずっと見ていたわけでもないが、「ロンドン中心部ってどこよ?」と思った。
 やっと、会社でネット・ニュースを見て、シティあたりだとわかったのだが、大阪よりもロンドンの地下鉄のほうが回数乗っているので「どの駅の近くなのか教えろ」と思っていました。

 どこなのか正確に知ったからって、どうにかなるわけでもないんですけどね。

 そんな中、二日酔い気味だったんで、ペットボトルのアミノ酸飲料で喝をいれようとしていたら・・・・・

 部屋に響き渡る小さな悲鳴。ヒーーーーーーーーーーー

 なんだろう、と耳を凝らしてみると、それは、ちゃんと蓋が閉まってないペットボトルから発生してました。

 「おもしれー、マンドレイクの樹みてー」

 よくよく観察すると、そのペットボトルは少しへこみが出来ていたので、そのために、小さく空気を吸って「ひーーーーーーー」と鳴っていたのでした。

 蓋をきっちり閉めたら悲鳴はとまりました。
7月5日(火)

 休み。
 日曜日の立ち仕事の疲れが噴出してきたので、三茶にある足裏マッサージ店に行ってみた。先月の立ち仕事の帰りにも寄ってみたのだが、混雑していて予約無しではすぐにやってもらえなかったので諦めたのだ。

 平日の午後早い時間だったので、すぐにやってくれたのだが、せっかくだから足裏だけでなく、全身コースを選んだ。タイや台湾では、マッサージを受けたことがあるけど、国内では整体とか鍼灸しかやったことがないので、試しにこういう「エステとマッサージの中間」のような流行の店を経験してみようと思ったのである。

 足裏+肩腰マッサージ 90分で15000円と、けっこう奮発したが、最初に足裏をやるときに、スタッフに足を見せると、「わー、すごいタコですね」と驚かれた。
 自分でも、足の裏はガチガチに固いのはわかっているし、長年、自分でガリガリと削ってしまったので、かなりしょーもない状態になっているのはわかっていたのだが、そのスタッフが「角質とりもやってますよ。ぜひ、やりたいです」と、さかんに営業をかけてくるのに負けて、オプション3000円の角質とりもお願いした。

 小指一本分くらいの角質が出た。面の皮も厚いが、足の裏も相当厚いようだ。でも、やはりプロにやってもらうと、すっきりするね。

 「2週間に一度はやってほしいです」と言われたが、そんな余裕はない。
 その後、足裏マッサージになったが、台湾でやってもらったときにも「激痛い」であったが、今回もまあ、痛いのなんのって、スタッフも「相当、固いですねえ」と言うが、だって10時間も立ちっぱなしだったんだし、ろくに休憩もとれなかったし、もうパンパンなのはわかってますって。
 たっぷり30分ほど足裏から膝までゴリゴリやられて、ぐったりした後に、背中から腰の温灸マッサージ。
 「こんなに固くて・・・・もう、できることなら毎日来てほしいくらいです」と、スタッフが熱く語るが、だから、そんな余裕ありゃ・・・・

 チェーン店だから覚悟はしていたが、熱心な営業トークがちょっとウザいけど、まあ、かなり一生懸命やってくれたし、それに予想に反して、かなりゴリゴリとやる店だった。こんなにゴリゴリやられたのは、台湾で受けた「足踏みマッサージ」以来かも。

 そして、背中やってる途中で、「今受けていただいているコースは、背中と腰なんですが、120分コースなら、足と肩もやるんですけど・・・・なんか、あまりにも酷いから、このまま足と肩をやらずにお帰しするのが忍びなくって」と言われ、もーいーや、と観念して、120分2万円のコースに変更してもらった。
 なんだか、キャバクラに入ったサラリーマンのような気分である。

 肩もギューギューとすごい勢いで揉んでくれて、ゴリゴリしたところを目一杯ゴリゴリされた。小柄な人なのに、えらく力強い。
 終った頃に「他にやってほしいところはありませんか?」とニッコリされたが、それって「もっとオプションつけますか?」ってことに気付くのに10秒くらいかかったほど、頭がぼんやりしていた。向こうは「もう、どうにでもして」状態の私を目の前に「せっかくですから、フェイシャルもやっていきます?」と畳み掛けるようにお勧めトークがとまらないが、「いえ、もう今日は十分です」とやっと断った。

 しかし、初来店で、2万4千円を遣った私は、上客と見込まれたようで、「今だとプリペイドカードがお得です」と、3万円から15万円くらいのプリペイドだと1割くらいお得になるという口上を述べられたが、2時間たっぷりゴリゴリされたあとに、そんなこと言われても、何がお得だかさっぱりわからないので、「いえ、今日の分だけでいいです」ときっぱり断ったのだが、向こうも押しの一手で引き下がらない。ノルマがあんだろーなー

 結局、次回は足裏と角質とりができる金額が残る、3万円のカードを2万6千円で買って丸く納めたのだが、まあ、次回も行くなら「お得」なんだろうけど、なんだかなあ。
 「後でキャンセルしてもいいから、ぜひ次回の予約を」とも迫られたが、こういうのは、ちょっと行きたいときに行きたいのであって(変な日本語)、金額的にもキャバクラみたいだし、「今日はちょっとネーチャンはべらせて、パーっとやろう」なときに散財したいのであって、先の予約なんてするつもりはない。

 ホストクラブを2週間前に予約なんてしないでしょ、フツー。

 まあ、エステの強引な回数券商売よりは、マシであったが、もうちょっと緩い営業でやってほしかったなあ。
 台湾で足裏やったときにも、「あなたは肝臓が悪いが、これを飲めば良くなる」と2万円くらいする漢方薬を強引に勧められて、うんざりしたけど、「癒しの店」の欠点は強引な営業なんだよね。仕事帰りにフラっと寄れて、一杯かニ杯ひっかけて、5000円くらいだったら気楽なんだけどなあ。

 三茶にタイ式マッサージの店もあって、そっちも一度試しに行ってみたいのだが、そっちの店は大丈夫だろうか?

 A嬢からは、また「遊びに来て来て!」メールが頻繁に来るが、こっちもグッタリでせっかくの休日だったが、遊びに行く気力がなかった。育児ストレスなのか、買い物依存症になっているらしい。たぶん、ネット・オークションにハマっているんだろうなあ。この間、遊びに行ったときにも、「これ、もう着ないから」と水着や洋服を頂いてしまった。しまう場所が無いらしい。
 彼女は結婚前の無職時代にも、かなりヤフオクにハマっていたので、買い物依存症になりやすいようだが、「ビールの空き缶ばかり溜まる」というアルコール依存症の私と、どっちがマシなのだろうか?酒のほうが、空き瓶や空き缶をちゃんとリサイクルゴミの収集日に出せばいいだけなので、後処理には困らんのだが・・・・

7月4日(月)

 7月に入ってからの初めての日記になってしまうが、金曜日は「ハイペリオン」に夢中になってたのでパソコンを立ち上げなかったが、土曜日は日記を書こうと思ったんだけど、なぜかまたADSLの調子が悪く「こりゃ、きっと、アダプタの電源抜いたせいだろう」(ケータイを充電するため)と思って、再起動してみたんだけど、やっぱし駄目で、ヤル気なくして早寝してしまった。

 日曜日はまた早朝出勤だったのだ。5時起き。
 5時起床の密かな楽しみであるNHKの「日本の話ゲイ(えええええ?そういう変換なの?)」じゃなくて「日本の話芸」で落語を堪能しながら出動して、7時5分前には集合場所についたのだが、なんだか様子がおかしい。
 なんと、集合時間は6時半でした。
 ちゃんと回ってきた文書で確認したはずなんですが、別の場所の集合時間と見間違えたらしい。
 それと、6時半集合なんて「ありえない」と思っていたので、自分に都合のいい、というか、「ありえる」時間を無意識に選択していたようだ。

 準備はすでに始まっていたし、私はそのチーム(自分を含めて3名だが)のリーダーだったが、他のメンバーが総責任者から手順を聞いていたので、その指示を拝聴するものの、眠くてなんだかもう。
 私のチームは案内係だったので、準備といっても「案内できるように会場の位置を把握」だったので、散歩がてら場内をうろつき、客が迷いそうなポイントを押さえておくことだったんだけど、実際の立ち位置は屋外だったので、「天気がいいとフライパンの上だな」と思っていたのだが、予期せぬ曇天によろこぶ。

 しっかし、8時からはずっと立ちっぱなしでご案内。
 しかも、その場所はビル風が吹き抜けるので、思っていたよりも寒い。
 責任者の1人が気の効く人で、私ら三人が立ちっぱなしは辛かろうと、ときどき替わりに立ってくれたので、1時間か2時間に一回くらい、控え室で座ることができたけど、お昼になる頃には足がパンパン。

 午後になったら、膝が痛くなってきた。寒さで手も痺れてきて辛い。
 でも、直射日光に焼かれるよりは、たまに屋内でサボって暖をとったほうが、消耗は少なかったと思うが、それでもボロボロになって、やっと立ち仕事から解放されたのは4時ごろ。えーと、ほぼ8時間立ちっ放しか・・・・

 撤収が済んで、解散になったのが5時くらいだった。
 もう、駅まで歩くのに、まっすぐ歩けないほどだった。

 その頃には、雨が降り始めて「よかった、イベント中に雨が降らなくて」と思ったけど、歩くのもやっとなのに、傘を差して歩くのはつらい。

 しかし、しかし、しかし、私には今日のこれからの計画があったのだ。
 都議会選挙の投票に行こうと思っていたのですよ。えへん、ってえばるようなことでもないが、投票所は、我が家と駅との道筋からは、かなり離れているのだ。だから、わざわざ行くのは面倒なのだが、投票所の近所に少し前から新しいラーメン屋ができたのだが、まだ入ったことがないので、「立ち仕事でボロボロに疲れたあと、ラーメンで一息つけてから投票に行く」という、「労働者の鑑」なルートを思いたので、そういう、些細な思いつきを実行するのが大好きな私は、台本どおりに、駅を出てから、遠回りの道を迷わず選んだのだ。新しいラーメン屋のほうがメインであることは、自分には内緒である。

 散歩がてら歩くのには全く苦にならない距離であるが、足の裏にたくさんタコができてそうだし、膝は痛いし、腰も痛いし、肩は凝っているという満身創痍な状態で、遠回りするのは本当に一歩一歩が遭難者の気分だった。
 やっとラーメン屋にたどりついた。
 時刻は6時を回っていたので、家族連れが二組ほど入ってきたが、ギョーザが売り切れで、どちらの家族もガッカりしていた。そりゃそうだ。日曜日の夕食にわざわざラーメン屋に来て、ギョーザが無いっていうのもねえ。

 「なるほど。投票所が近いから、今日は早い時間からギョーザを頼む家族連れが多かったんだな」と勝手に納得していた。ラーメンは、けっこうダシがしっかりしたスープに太麺で、やや家系風だった。しかし、10時間に及ぶ肉体労働の後であるから、塩気が効いてりゃなんでも美味かったと思う。
 あっという間に食べ終わって、さて、投票所に向かおうとしたが、いつもだと大通りのあたりに「投票所」という案内が出ているはずなのに、見つからない。

 雨の中、傘を差しながらリュックを手に持つのも辛いほどくたびれきっていたが、がんばって投票用紙の入っている封筒を探し、ダルい手で不器用に開封して投票所の地図を確認した。
 三茶に詳しい方なら、ご存知かもしれないが、私の投票所(「私の城下町」みたい)は、カレー屋「チャナ」の裏手にある。
 あんなとこ、用がなければいかないが、投票所は小さな保育園で、ほんとに絶望的に目立たないところにあるのだ。「ええと、もっと環七寄りだったっけ?」と、投票所の地図を取り出した私は、雨の中、あやうく気を失いそうになった。

 「投票所の場所が変わりました」

 震える手で、その地図を必死に眺めると、どうやら新しい場所は世田谷線を越えたあたりにあるらしい。

 しかーし、あのあたりは、悪名高き「世田谷の焼け残り」の中でも、難易度の高い迷路なんである。
 我が家から「チャナ」のあたりまでは、直線距離では大したことがないのだが、何回挑戦しても最短距離で行けたことがない。だから、無理をせず、いったん三軒茶屋駅まで出てから世田谷通りを辿るのが無難なのである。なので、今回の「仕事帰りだけど投票に行こう」という計画は「まあ、せっかく駅には着くんだから」という意味があったのだが、新しい投票所というのは、我が家からかなり近いところだ。

 しかーし、我が家の周辺も、道が変にぐにゃぐにゃになっているので、環七に出るのにはいつも「野生の勘」でテキトーに道を指示している。友達の車だと、そうやっているのだが、タクシーはさすがにプロなので「こっから環七には?」と聴く人もわずかだが、そんな人でも私が「えーと」と白目を剥くと「元の道を戻ったほうがよさそうですね(笑)」と深入りはしてこない。
 ジモティでも迷う世田谷樹海の恐ろしさは、プロならよくわかっているのである。

 それなにの、「新しい投票所」というのは、そんな樹海の真っ只中にあるようだった。あきらかに、あの辺は時空が歪んでいるのだ。体の調子がよくて、「お散歩の醍醐味は道に迷うことさ」な時だったら、果敢に挑戦するが、なにせこっちは、必死の思いで遠回りして旧投票所がなくなったショックに打ち震えている身で、しかも雨である。

 目指していたオアシスが蜃気楼でがっかりした時点で、体力をほとんど使いきって、遥か彼方に見える新しい幻まで、とてもたどり着けそうもない。

 だいたい、うちの選挙区、なんで、こう、わかりづらいところにばっかり投票所を作るのだ!
 これは絶対、KM党の陰謀だ。
 でも、うちのすぐ近所の小学校は投票所になっているのに、あそこは私の通り道なのに、なんであそこじゃいけないの?いつも激しく疑問に思う。
 でも、投票所の振り分けは、地の利ではなく、住所で決まっているので、不便な世田谷線の線路を越えたところにあるのだと我慢してきたが、なんでいきなり線路のこっちに変わったのか?
 だったら、線路の向こうの人だって、私が旧投票所にいつもなかなかたどり着けなかったように、ぜったい迷うから、そこから徒歩3分のあそこの小学校に統合しちゃえばいいじゃない。

 どーせ、投票所なんて、混んでるの見たことないし、人数が倍になったって大したことないじゃん。

 それよりも、どーしても納得いかないのは、「不在者投票」を受け付けてる区役所の支所(住民票もそこで出してもらえる)のほうが、駅に近くて便利なことだ。なので、ときどきズルして、投票日に何の予定がなくても、あっちで投票したことも多いが、最初っからあっちにせい!

 つーか、投票なんて、わざわざあんな不便なところでやるよりも、駅前の一等地で「一週間投票できます」にしたほうがよくないか?

 そういうわけで、世田谷線を越えて北上し、地図にある遊歩道に出て、そのあたりに「投票所」の看板があれば、なんとかたどり着けるかと思ったが、私がボロボロだったせいもあるけど、そんなのなかったぞ!
 いや、あの地図でも、長年、このあたりに住んでる人だったどこだかわかると思うし「世田谷区民集会所」といえば、わかるのかもしれないが、わたしはそんなとこに一回も行ったことないし、どこにあるのかもさっぱりわからん。10年以上住んでるけどな。
 だいたい、地図上の目印が「世田谷土木公園管理事務所」って、そんなとこ、一般市民は知らんって。いや、散歩中に見かけたような微かな記憶はあるけどよ〜。

 さっぱり理解できないので、普通、こういう地図って、せめて「最寄駅」を基点にするじゃない?
 でも、この地図には駅が書いてないのよ。
 地図中に矢印で「西太子堂」って書いてあるだけ。
 三軒茶屋からは無理でも、せめて、西太子堂から続く道から何本目か書いてくれれば・・・・・
 てゆーか、西太子堂から、道標くらい貼っておけよ。葬儀の「○○家」みたく。
 みんな駅を基準に生活してんだから、環七から何本目の道かってはっきりくっきり書かれてもさー

 結局、西太子堂から、我が家への最短距離内に、「投票所」という案内を発見できなかったので、あきらめてそのまま帰宅しました。今回の都議会選挙、投票を呼びかけるために、ダンス大会などを催したそうですが、もっとやることあると思いました。

 たぶん、ぜったいに、私みたいに「土木公園管理事務所」がどこにあるのかわからないような新参者には投票してほしくなかったんでしょう。
 うーん、しかし、昨日はかなりボロボロだったんで、そんな「宝探しの地図」みたいなのを目の前に真っ暗になってたのですが、今日、よくよく眺めてみても、スキャナーで読み込んで晒したいくらいわかりにくいぞ、この地図。
 「土木公園管理事務所」以外の目印が「変電所」
 たしかに、世田谷線沿いにそんなものがあるような気もするが、かなり年季の入ったジモティでも、その場所を他所ものに聞かれて説明するのは大変そうな場所にある。
 「若林ふれあいひろば公園」遊歩道沿いにあるらしいが、遊歩道の途中にある公園がどういう名称だか、意識している人は「土木公園管理事務所」の職員くらいなもんだろう。

 他の目印は恐るべきことに、環七沿いの「ガソリンスタンド」だったり、環七の向こう側の「若林まちづくり出張所」だったりして、それらは、投票所から200メートルは離れているだろう。

 これほどまでに、人を目的地に行く気を削ぐ地図を今だかつて見たことがない。そりゃ、たしかに目標物が少ない「閑静な住宅街」であることはわかるが、それにしてもねー

 そんなに投票したかったわけでもないが、なんかとっても頭にきたのであった。
 疲れていた上に、自分の思い通りにことが運ばなかったので、幼子のようにヒスを起こしていたのである。

 そういや、ラーメン屋のテレビで野球中継やっていて、長嶋しゅーしんめーよ監督で盛り上がっていた。
 すげー盛り上がっていた。
 私もすげー疲れていたので、「これ、やべーよ」と、ちょっと目頭が熱くなった。
 一茂のところに、サーヤを嫁にやればよかったと思った人は、たくさんいただろうなあ。

 家に帰って、缶ビール(小さいほう。「動物のお医者さん」によると、遺伝子研究をしている人はショウジョウバエを「ハエ」と呼び、普通のハエは「大きいハエ」と言うそうだが、私は350m缶を「小さいビール」と呼ぶ)を一本飲んだら、もうヘロヘロになり、寒かったからそんなに汗もかかなかったし、風呂に入るのも面倒になって、そのままバフンと寝た。アニメ「雪の女王」までは記憶にあるが、大河ドラマ「義経」は記憶にない。

 さて、先週、夢中になって読んでいた「ハイペリオン」であるが、「ハイペリオン 上」までは、ちんたら読んでいた。「新しい太陽の書」を読んだばかりなので、なかなか「ハイペリオン」の世界にシンクロできなかったのである。
 「グランドホテル方式」というのか、集まった登場人物たちが、それぞれ順番に「これまでの経緯」を語るのを色んな小説形態で描くという、かなりゴージャスな作りというか、作者の遊び心全開というのか、けっこうついていくのがくたびれる。

 800年ほど未来の、衰退したカソリックの神父の、メル・ギブソンのサドマゾ・キリスト受難映画も真っ青の(って、観てないけど)、宗教ホラー系SFが展開されたと思いきや、宇宙戦争の英雄の、SF超濃厚ポルノになったりして、そもそも、登場人物が、「カソリック神父」「軍人」「詩人」「学者」「探偵」「外交官」「エコ系宗教の修道士」ってだけで、「わー、わかりやすー。登場人物がすぐに把握できて、ありがとうござんす」というか、アガサ・クリスティっぽい親切さですが、その人たちが1人づつ消えていったりする親切さに馴染むのに時間がかかり、やっと「ハイペリオン 下」でノってきました。

 そんで、ノリノリのまま「ハイペリオンの没落 上」に突入したのですが、ハイペリオン上下と、ハイペリオンの没落上下しか用意してなかったので、慌てて土曜日に「エンディミオン 上下」と「エンディミオンの覚醒 上下」もネットで購入したら、月曜日にはもう届いてたんですが、なんだか巻を追うごとにブ厚くなっているようです。

 しかーし、不勉強のため、全然わからんのだが、「ハイペリオン」も「エンディミオン」もキーツの詩からとっているらしいし、そもそも、この壮大な物語の核となるのは、キーツなんだけど、キーツって、なにがどう素晴らしいのか、さっぱりわからんのですが、まあ、いろんなとこで引用されるので、英語ネイティブな人には格別の思いのある詩人なんだろうけど、和訳されたものを読んでも、さっぱりわかりません。

 日本で近いものを探すと、宮沢賢治あたりなんだろうか?
 谷川俊太郎じゃないことは確かだと思う。(夭逝というキーワードが抜け落ちているから)

 キーツ礼賛なマインドが無いと、ちょっとキツのは事実だけど、それがわからなくても楽しめるようにはなっているので、今のところ「壮大なSFだけど、かなり古典的ミステリー仕立て」な流れに身を任せてます。要所要所はパルプっぽいし。なんたって、主役は「どこでもドア」だしな(笑)

 もう一回、ぜーんぶ再起動したら、やっとADSL開通した。ぱちぱちぱちぱち
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